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瀧 井 孝 作 の 王 朝 小 説

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Academic year: 2021

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(1)

見学園女大学国文学科報第十(昭和五十九年三月)

瀧井 孝作 の 王朝 小説

ー 1 ﹁ 中 務 大 輔 の娘 ﹂ の牽 引 し た ﹁ 六 の 宮 の 姫 君 ﹂ 物 語 の系 譜 1

町田栄

1

に客の王は︑

り︑いないよの現の内の︑

に採い︒た︑のがか︑どうかも

にして知ぬ︒

の豊つねに︑(昭六..五刊やぼん

な畫)︑身.

の随筆ち︑を正

こしに写(昭

〇刊改造社)かの集父﹄(..二二

高山書院)を経て︑(昭四八・一.一新潮社)

る︒わばそれはあでも

々たであ︒iい露にもを配 つめけれい︒に︑に富んだ

いるのをのだ

八歳の刊に︑つましく心﹄(昭・一

小山書店)とた作る︒

記﹂この心﹄は︑の各の短

のどにものやころに共にあ

やうで︑かくであてい

は相いがろ︑い﹂自作に寄

のださらことで︑の作

ろをて書いたのやに思みず

からの初て述べるの紙︑丸

は白ぬきット︑カバの類の有

四〇ージしくい︒

は全ち︑大輔の娘﹁舎

﹁ 57 ユ

(2)

の失の物﹁故の話田舎の父﹂﹁松

﹁後

ついるゆ・大は試に満た最の創め︑

な感じがことさらの企こも

はないらい︒い︒のや実感

かなである︒

べきに並であう︒

ついの自ことば︑初

︑﹁の娘いてのです︒

のない従のむ

てゐたやで︑これてみi

(=)年二月(松堂書店発)第一巻

二号かは

の失は︑.フロンヤ文の盛に云

昭和六年に書た庵で︑の失の事

もあつたで︑し出ですi

()年四月日付(文芸春秋社発行)第

九年発表上︑(昭六年二月)

を付る︒二十

ロクエフノクワソニンヲシタガルコノ守︑付五﹂に︑

コトノ語二十六﹂ ﹁近ノ舎人共稲荷デシ

チチノァッェキノタメウタゲザリシ公助.敦二十六﹂を採て構る︒

の物は︑の修つけこと

はどやうなもか︑の点に語るため平の宇

の中からf(九三二)

四月日付(文芸春秋社発行)第四巻

ものかたりお︑は原(

)には(話)

る︒出︒

心﹄に際て改

1の中てi(

造﹄第十巻第発表)というッセイとつき

な﹂る短る︒の中

り︑の最の結

て︑を失つた女はやでない女に悩んだ

どを回想る︒

メヲ'シテタンク昌昌昌ホエ︑昌シ.ハルコ具妻丹波二十三﹂

の時の世の︑の優の男した

一つのモア﹂し︑に心

て︑のめされた気を引て︑て行ふ風に飜

み﹂た部される︒(昭四三・一

和書)にるがに︑

58

(3)

純潔マとは︑の純の尊主張

っもだが小説か論か︑か混た︑の中

やうな感じだはわハメをはずした

る︒

三作に取り挙て︑のはの巻

の娘である︒の初て収した

山吹の紙ット本ーズ

新進作家叢書33の貞(大・七三刊新潮社)でる︒

のとに︑(大)月が

る︒の短いるでなの二作と違

て︑の制であの説

に︑に取入れた実みをいるに︑

せざるをえなからである︒

2

当時の瀧いう田端のひ

る︒田端の芥したの作の最

ひとに数るだろうに︑

は︑下豊田端五七

︒芥を慕に違い︒の路にし

︑俳人瀧井折の家(﹁東京端)より)とたわ

限抱は︑三組からて来

き︑の母田端の高の奥辺鄙つた の中﹄左の物た﹂

いる︑妻の死(大=・一)の直

直哉て︑さらに京

田端は︑であるがの親

八年の文いたに始

る︒を引た芥田端の養の家に入って︑二階.の扁日曜日をめた

からの常る︒(昭..二〇

書房)中の楽るが

濃密制作欲空気た書斎﹂状況を伝えそれは主

た﹂つけいる︒

八年から三年は︑にとって

り︑︑俳

からへの転

の通り︑は歴に新て︑

である︒ことに︑ほかの説

発掘て︑る知ほどて︑

を作品化る︒王朝説話に依る全六篇のう

(大三﹃薪潮﹄)門﹂(大.=帝國文﹄).

(大五新思潮﹄︑同﹃新小説﹄に再掲載)(大

﹃新小)・(大﹃文章世界﹄)(大六.四︑

中央公﹄)(﹃国粋﹄)(大

︻ 59 ユ

(4)

.一改造﹄)の中(大=・一﹃新)の宮

君﹂(大=.表現﹄)の十のぼ

で占めら

の文の実は︑井がの︑

の手る︑の師の関にある︒

人瀧の家て︑ぬゆ

である︒ほどに向って小昔物

に目のは芥る︒︑芥川と異なる資の瀧

︑芥予期ぬとに表はな

か︒︑仮る︒

八年からに直る所つた.

の美しさつた西芭蕉に付

てよつた西芭蕉時分から

て読た︒(﹁読書

遍歴︑昭二八・一四付本読)

︑瀧はうち明る︒の文章

西鶴の光(注志賀直哉の集︑大

.一.一六刊新潮社)等の影る﹂に︑ね合

首肯︒芥昔物語﹄肉化し︑

の文可能である︒fは︑

のまのま(昭三四.二桜井書店)に収

エッセイに︑の強い抵

の純の希た標 であへられる所た﹂つた﹂いう

われなけるまい︒

の美さ鮮かさの含

ゴない生しさ雷澤()の美さ﹂慢美

か華にはの遠い美かもい︒

⁝鑑賞(昭二〇刊新潮社本文学講座第五巻﹄

収)に詳述る︑の本の面

たとう︑の到である︒し︑にょの種

たくしさの自の美

しくのは﹁今の掉

の宮の姫﹂がであり︑である︒ついに︑かな

い︒つて︑工的巧的のも

巧緻をきの中使いる

できぬ種であ

の感を与上︑

ふ事に昔の美

影響を与へてのにちがい︒し︑て僕

の中で昔る役トが

た時に﹂である︒口を

に﹂であ(﹁昔﹂より)

に腐て︑の美及ぼい︑しくセチの性る︒いまや︑

の美さ﹂つま語集の自の美に開

一 60 ユ ︻

k

参照

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