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老舎『月牙児』試論 渡 辺 武 秀

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Academic year: 2021

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(1)

*

On Lao shO(老

)'s Yueh ya orh"

TakehideヽVATANABE

概途

      ̲

短篇小沈 《月牙九》是老舎用第一人称写的悲刷故事。主人翁是 "和 "井弓女弓。故事是夙 "合舎死的揚面テ千始。舎舎死后,家里越来越劣,没有伐吃仮,第二企舎舎来了之后,生活好起来

,但他却失踪了。た弓娼没有力ヽ,当了暗娼。我心里恨娼娼,埓娼月。但 "的命這也限夕弓女弓一 梓。后来 "也浙漸地墜人了当暗娼的活地獄。母女柄不当暗娼就不能活下去,太悲惨了。力什ノ 会有送榊事九口?在当吋社会,女人地位役低,没有地方神伐,所以一介没有男人而有核子的女人不 能正常地生活下去。

但作品里込有更重要的膚示。仔釧看故事的情市,我佃会注意到, "的性格特別好。尽管 格イR好",但力什ノム会有送祥的結局田?。 就是因力 性格4R好",所以オ有遂祥的箸局 !遂 篇作 品里 有イR多 送祥的描述。遂是力什ノム呪?有什ノム意圏ロ?我以力,遂些地方流露出来了作家対子 社会和 人的美系"的一些根本看法 :如果社会上有什ノム同題,或者社会的某令方面有同題,社会上最軟弱的, 地位技低 的,尤其是其中 性格彼好"的人就最敏感地反庇官,最直接地,最]員烈地受宮的影噛。

"和 "夕弓娼就是速祥的人。

X9y:だ,οr,si tragedy,都roman,prostitute

は じ め に

筆者 は以前「老舎『微神』試論Jはい という小 論 を書 き,老舎のF微神』(1933)と いう作品 と,

今回取 り上 げる『月牙児』 との関係 について少 し述べた ことが ある。l注

「ユーモアJ的な ものが完全 に払拭 され「悲 劇」 その ものを中心 に置いた作 品 ということ

なると,この『微神』以前 には見 あた らない ように思われ る。そして この作 品の後 に,例

えば『月牙児』(1935)『略乾祥子』 (1936)の ような幾つかの「悲劇作品」が連 なっている ように見 えるのである。(注0

平成 12年 10月 13日受理 ホ総合教育センター・助教授

この『微神』 と『月牙児』 とにはす ぐ挙 げら れ る幾つかの共通点がある。例 えば,一人称で 描かれている。主人公が女性である。主人公の 女性が私娼 (売春婦で も公娼ではない

)に

なる。

物語 の結末で は主人公が一方 は自殺 し,一方 は 獄 につながれ るとい う極 めて悲惨 な状態 になる

といった部分である。

したがって,この二つの作品は様々な角度か ,その関係 について言及 されることがある。 えば「売春婦Jという点 に視点 を当てれば以下 のような指摘 になる。

『月牙児』はF微神』の延長線上 に並ぶ作品, 強いて言 えば 『微神』の欠 を補 つて,老舎 の 愛 したひ とりの女性 の不幸 を,同じような売

春婦 になった多 くの女性 たちの不幸 にまで拡

‑133‑

(2)

大 して

もう一度追及 しなお した作品 ともい え るので はないか。l圧4)

このような多 くの共通点 を持つ二つの作品の うち,一方の F微神』 については既 に考 えた こ とがあるので,今回は,F月牙児Jを取 り上 げ,

検討 を力日えることにした。

この F月牙児』 は老舎 の短篇作品の中で も読 者 に特 に好評 を持 って受 け入れ られているもの の一つであるざ注)この小論 では,老合 はこの作

品でそ もそも何 を行 っているのか,その何かを 行 うために作品 をどのように作 り上 げているの か といった ことを論 じてみたい。そして,冊女神』

と『月牙児』 との関係のさらなる解明につなげ たい。

まず,老舎 はこの『月牙児』で どのような試 みをしようとしているのかであるが

これ を考 える手がか りとして,例えば,以下の文章か ら 見てみよう。 これ らの文章 は『月牙児』の結末 に近 い ところに位置す る。

時 に は客 の皮 の財布 を盗 んだ し,時には人 の帽子,或い は幾 らか値打 ちのあ る,手袋 や ス ッテ ッキ を残 してその まま置 いていた。l`0

時 には,客が酔 っぱ らった ら,その客 を担 ぎ出 し,人気 の な い場所 を探 して座 らせ,靴

さ え も持 って帰 って きた。(と

この種の行為 は,卑劣で,恥ずべ きものであ ,ま ともな人間がや るべ きことではない いえるだろう。確かにこの行為 は普通であれば このように見 るのが当然である。だが しか しも う一つの違 った方向か ら,或いは違 った基準 を 通 して この行為 を見た場合 に

もしか した らこ の人物の,この行為 な らば許 され るということ はあ り得 ないないだろうか。 この行為が正 しい

ものだ とまで は言 えない に しろ,や む を得 ない,

或 い は仕 方が ない とす る こ とはあ りえないか。

なぜ この ような ことを言 うのか とい う と

の作 品 を読 み,作品世界 の中 に引 き込 まれてい る読者 で あれ ば,物語 のこの場面 に至 り,こ

の人物 のこの行為 を,簡単 に卑劣 な もの,恥

ずべ き もの と言 い切 る ことはで きない心持 ちに な って い る と思 うか らで あ る。こうな るの は,作 者 が読者 を この ような心持 ち にな るよ うに仕組 んだか らで あ る。

こう考 えれ ば,作者 が この作 品で行 お う とし て い るこ とが い くらか明 らか になって くる。作 者 は読 者 を少 な くとも「 この人物 のこの行為 はすで に卑 劣 な もの,恥 ずべ きもので はない」と 判 断す る段 階 に連 れて行 こうとしてい るので あ

る とい える。 そ してそ こで行 われ る判 断が もし

「普通」で な けれ ば,それ は作者 が「普通」でな い価値基準 を持 つ世界 を作 り上 げるている とい うふ うに も言 える。

さ らに この場面 で,作者 が,この行為 に対 し ,この女性 に発 言 させ て い る部分 を見 てみ よ う。

「やれ ることは何だってや る。私たちは十年 を一年 として生 きているんだよ。七十や八十 になって私たちを欲 しいって言 う人がいるか ャ心?」(注3)

この女性 に とっての一年 は普通の人の十年に 相当す る。 この女性 はそんなふ うな差 し迫 った 幸 い生 き方 をしていると取れ る。だか ら,そ 女性 はやれ ることだった ら何で もや るとい う のである。

この言葉の発言者 は女性で,現在 この女性 の 娘 は私娼 をして生活 し,娘が この女性 の面倒 を 見 ている。 これはその人物が娘の処 に来た客 の ものを盗んだ りす る行為 を正当化す るために発 言 した部分である。

この女性 もかつて私娼 をしていた。だが現在 ,すでに年 を取 り,自分 はその商売がで きな

‑134‑一

(3)

くなってい る。だか ら今度 は自分の娘が身体 を 売 り,そのお金で 自分 も生活 しているのである。

こんなふ うであるか ら

この女性 はこの ような 生 き方 をしている人間の将来が どのような もの であるか骨の髄 まで知 り尽 くしていると考 えら れる。 こうい う女性 によって発言 されている主 張で ある。

この作品の成否のポイ ン トは,この女性の言 葉 に説得 され,読者がそれに納得するか どうか であると思われ る。 もし読者が反発せず に説得 され るな らば

,作

者 の この作品での試みは成功 していると考 えてよい。

もちろん,単この場面 の彼女の行為 を見 ただ けでは,も しか した ら読者 は女性 の言葉が 自分勝手 な主張 で あ る と受 け取 るか もしれ な い。恐 らくその ように受 け取 ることは充分 あ り 得 る。実 はここなのである。前後 なしで単 にこ の場面のみで受 け取 る印象 と,作品の冒頭か ら ス トー リーの展開に沿 って ここまで来た ときの 受 け取 り方の違 い。 ここに,この作品の存在す

る意味がある。

確かに この場面だけ見た ときには女性 の言葉 が 自分勝手 な主張 に見 える。だが,読者 は,ス

トー リーの展開の流れに身 を任せここまでた どり着いた時 には,女性 の言葉が何の躊躇い も な く受 け入れ られ るようになっている。作者が この作品でや ろうとしてい ることは,ま さに こ れなのである。

そ してもしこの場面 のこの女性 の言葉が 読者 に受 け入れ られたのであれば,作者が の場面 に至 るまで少 しずつ女性 の言葉 を「やむ をえない もの」或 いは「当然 の こと」 と受 け取 るように,登場人物 を通 じて読者 を説得 し,最

終的 にそれが うま くいつた とい うことなのであ る。

だが,そこには,ま,本当に,間違 いな く 読者が女性の言葉 を「やむをえない もの」或 い は「当然 の ことJと受 け取 つたのか どうか とい う疑間は残 された ままである。その疑間 を払拭 す るには,その時点で読者が そのような気持 ち

になっていることを確かめな けれ ばな らない。

だが確かめるとは言 つて も,読者の気持 ちを実 際に眼で見 ることはで きない。

で はどうす るか。これ を明 らかにす るには,や は り作品での作者の説得の仕方 を詳細 に調べ る ことしかないように思 う。具体的には作品の構 造或いは作品の展開を検討す ることである。 こ のような作品構造,展開であれば,必ずや読者 はこの人物 に引 きつ けられ,最後 にはその人物 ,卑劣で,恥ずべ き行為 と思 えるものさえも 許 して しまうとい うことを確かめなければな ら

ないのである。

作品分析 に入 る前 に,作品全体 について少 し 述べておきたい。

この作品は全部で「節」 は四十二 に分 けられ ている。 しか し各「節」の文字の分量 は非常 に 少 ない。最 も分量の少ない「節」 は「六」で四 行 か ら成 って い る。 その他 に も五行 の分 量 で 作 つてあるもの もある。「一J「二十四」「四十一」

がそれである。最 も分量の多いのは「四」と「二 十八」であるが,それで も二十八行 しか ない。

「節」の数か らすれば長篇小説だが,全体 の文字 量か らすれば短篇小説の部類 に入 る。 また,文

章で段落 を一切使 つてない とい うことも一つの 特徴 といえるだろう。9

これ らの特徴か ら,この小説 は,まるで長篇 小説 のあ らす じを書いた ものとい う印象 を与

える。

外形 はこのような不思議 な体裁 を持つ作品で ある。l注10

こうであるか ら,物語 も当然外形の影響 を受 ,ま るであ らす じの ように展開 してい くこと になる。 また一方で は,「月牙児」(三日月)の

印象的 な効果 も巧 み に取 り入 れ られてい るの どち らか とい うと朦朧 とした詩的な雰囲気

を持 っているといえるだろう。

作品内容 は親子二代 にわた り私娼 をして生 き

‑135‑

(4)

る母娘 の物語 で あ る。主 な登場人物 は「私」 と い う一人称 で登場 す る女性 の主人公 と,その主

人 公 の母親 の二人 であ る。

したが ってこの物語 は「私」 とい う一人称 の視 点 か ら語 られ ことにな り,その際「私」 と い う言 い方 は表面的 には作者=「私 」 とい う印 象 を与 え る の で,自伝 的 な 雰 囲 気 も出 て く る。(注1)

物 語 は内容 か ら大 き く次の三 つの部分 に分 け る こ とがで きる と思われ る。

(1)母

親 の物語

(2)「私」 の物語

(3)母

親 と「私」 の物語

これ らのそれ ぞれの物語 を,これか ら検討 し て行 く。

まず「母親 の物語」であるが,この物語が作 品全体 の中で どの よ うな役割 を果 して いるの

どのような効果 を生 み出 しているのかを考 えてみたい。

物語 は,「私」が七歳の時の,父親の死 の場面 か ら始 まる。父親が亡 くな り,母娘二人 の生活 が始 まる。収入の道 はな く,ついには質 に入れ る物 もな くなる。やがて母親 は人 に洗濯 をして や ることで生計 を立てようとす る。仕事 は過酷 ,手がひ どく荒れ,激しく汚れて固 くなった 靴下の強烈 な臭 いで,食事 も取れず しだいに痩 せてい く。

その うちに新 しいお父 さんがや って くる。そ のお父 さんは優 しく,小学校 にまで通わせてい くれ る。こうして数年,幸せな生活が営 まれる。

だが,ある日突然父親が失踪する。 また質屋通 ,また母親 の洗濯で生活 をしてい くと思 って いたが,不思議 な ことに相変わ らず母親 は綺麗 に着飾 っている。実 は母親 は私娼 をすることで お金 を稼 ぎ始 めたのである。 しか しこの商売 にも限界がある。「 もうす ぐ老 いて しまう。あ と 二年 もした ら,ただであげようたって貰 って く

れる人 はな くなる。」にり母親 は鰻頭屋の主人 に 嫁 いでいった。「私Jは母親 にはついて行 かず,

小学校 の太 った女校長 の好意で学校 に住 まわせ て もらうことになる。 こうしして母 と娘は離れ ばなれになる。「母親 の物語」はここまでである ス トー リーはこのように展開 して行 くのであ るが,このス トー リー を観察す ると,この「母 親の物語」 には一つのパター ンが二回繰 り返 さ れていることが分か る。 それは,一家 の柱 とな るべ き「父親」 とい う存在が消失 して しまうと い うものである。そして「父親」がいな くなっ た途端 に,家にお金が無 くな り,ご飯 も食べ ら れないような貧乏な状態に陥 るとい う現象が続

く。 そして第二番 目の父親の失跡の後 に,つ

,母親 は私娼 を始 めることになる。最後 には,

娼で稼 ぐこともで きな くなることを予感 し饉 頭屋の主人 に嫁 いで行 く。 これ も決 して裕福 な 生活 を期待で きるものでな く,最低限の食事 と 住む ところが保証 され るほ とん ど身売 りの よう なものである。

もちろん「私」の母親 は特別 な人物ではな く,

ごく普通の美 しい女性である。決 して怠け者だ とか,彼女の性格 に何 らかの問題があるとい う こともない。 もちろん何等悪い行為 をして もい ない。

では,どうして このようになって しまうのか。

「私」の母親 は もちろん食事 を作った り,洗 をした りす ることは十分 にで きる。だが

,母

のような女′性は

この社会では自立 して働 くこ とので きるような訓練 も受 けてない し,また何 よりも女性 に働 く場所が準備 されていない。つ まり,そうなるのはこの作品の背景 になって いる社会が男性中心の社会であ り,夫がいな く ,しか も子供 を抱 え,女性が一人 で一家 を支 えることは非常 に難 しいか らである。

だか ら,当然なが らどの女性 も自分 の夫が亡 くなることになれば,それで もう普通 に暮 らし て行 くことはで きな くなって しまうのである。

この物語 は「私」の母親のみな らず,ごく普通 の女性が このような運命 に陥る可能性があるこ

‑136‑―

(5)

とをも同時 に暗示 している。

この ことは

もちろん母親 の娘である「私」の 将来 に も影 を落 とす ことになる。「私」も女性で あ りこのような男性中心の社会の中で生 きて い るのだか ら,も しか した ら母親 と同 じ運命 を た どるか もしれないのである。

だが,「母親 の物語」の存在が果たす役割 はこ れのみで はない。作品全体か ら考 えた とき

う一つ注意すべ き点がある。

「母親 の物語」 に,「私」が,母親が私娼 をし てお金 を稼 ぐ行為 をひ どく耳さずか しが り,激

く′l曽む とい う部分があることに注 目したい。 と い うのは,この作品における「悲劇」性 は,こ ,「」の感情 によつてさらに強め られている ように見 えるか らである。

まず,「Jが,自分 の母親が私娼 をしている のではないか と気づ く場面 を見てみよう。

しば しば,私が学校 か ら帰 つて来 る と,彼

女 が ドア の と ころ に立 って い るのが 見 えた。

それ か ら暫 くして,私 が道 を歩 いてい る時,あ る人 が私 に「お ぃ

!」

と声 を掛 けた。「お ぃ1, この手紙 をお まえのお母 さんに渡 して くれ な いか

!」

「 お い!お前 は売 らな い の か い?お

嬢 ち ゃん

I」

私 の顔 は火 が 出 る よ うに赤 くな

,顔

をそれ以上 下 げ られ ない くらい に下 げ た。(江 1°

母親 の私娼 とい う行為 に対す る「私」の恥ず か しさの表現である。 さらに,「私」は母親 に憎 しみ

,軽

蔑の ような感情 をも持つ ことになる。

疑 いの心 が起 きた とき,私は母 を罵 らない

わ け にはいか なか った。 さ らにち ょつ と考 え て み て

,私

は母 を抱 き しめもう二 度 とそん

な こ とを しな い よ うに と忠 告 し よ う とした。

私 は母 を助 け る こ とので きない 自分 が恨 め し

で は

この種 の感情 は どこか ら生 まれて くる のか。 それ は,しば しば以下 の よ うな形 で人 々 の頭 の中 に定着 す るものの よ うで ある。

私 はクラスメー トに聞いた ことがある。 あ る者 は,去年卒業 した者の うち数人 はお妾 さ んになった と私 に告 げた。 ある者 は,誰かが

私女昌になった と告げた。 その時,私はこれ ら

の ことが余 り理解で きなかったが,彼らの言 い方か らこれが良い ことではない と推測で きた。l注19

この吉F分か ら

この作品の背景 になっている 社会では,やは り女性が妾 になった り,私娼 を した りす ることは卑 しむべ きもの,耳さずべ きも のであると見 なされていることが分か る。「私」

はこの影響下 にい るのである。

ではこの「私」の,母親が私娼 をしてお金 を稼 ぐことに対す る恥ずか しさ,憎しみ とい う

感情がどのように作品の「悲劇」 と関係 して いるのだ ろうか。

この作品は,母親 も,その娘の「私」 も両方

とも私娼 になる という衝撃的な筋立てになって いる。

この筋立て と,「母親 の物語」で作 り上 げ られ た母親の商売が「舜きずか しい もの汚 らわ しい も の」である とい うイメージ とが絡 んでいるので ある。

この作 品が この ような組 み立 てであ るか ら, 今度 は,あれほ ど恥 じ,軽蔑 した母親 のあの行 為 を今度 は「私」が行 うとい うことになるので ある。だ とすればその時,以前「私Jが母親の それ を恥 じ,軽蔑すべ きもの としただけ,今 ,「私」のその感情が,母親 と同 じことをす る

「不Jに,そつ くりそのまま降 りかかつて くる ことになる。

そして,それが「母さずか しい もの汚 らわ しい もの」であればあるほ ど,そこに墜ちて行 く際

か った 。l正10

137‑

(6)

の恐怖 もまた大 き くなるだろう。 また,それが ひ どく恐 ろしい ものであればあるほど,「私」は 母親が行 った ような ことをする境遇に墜ちて行

きた くないし,読者 も「私」 を行かせた くない と思 うだろう。 ここにおいて,作品の展開は手 に汗握 るものになる。

決 して「私」がそうなろうと積極的に選んだ ものではない。「私」の個人の力ではどうしよう もない ものに引っ張 られて私娼に墜ちて行 くの である。 もちろん「私」 はそれ以外のことをし ようと一生懸命 に努力 はしてみた。 しか し何ひ とつ うま くいかなかった。結局食べるため,生

きるためには,それ をす るしか方法がな くなっ て行 く。だか ら「悲劇」なのである。

このように考 えると,後の物語の展開 と,「 親 の物語」で作 り上 げられる母親の商売に対す るイメージが どの ように絡 み合っているのか, い くらか はっきりするのではないか。

次に「『私』の物語」 を検討 して行 く。

ここでは幾つかの場面 を取 り上 げて,どのよ うに「私」が私娼 をせざるを得な くなって行 く のか といった ような展開を見ていきたい。

̀〕

̲〈小学校から出て行く〉

鰻 頭 屋 の主人 に嫁 い で いった母親 と別 れ,

「私」は小学校 の女校長先生の取 り計 らいで,学

校で寝場所,食事 を与 えられ生活 をすることに なる。 さらに卒業 してか らも小使 さん夫婦 と一 緒 にその小学校 に住み続 ける。時々は学生たち の手伝 いをしてやった りして,少しばか りの金 を稼 いだ りす る。

だがこの生活 は女校長の配置転換 によって 終わ りを迎 える。中国では「長」 となる人が辞 めれば,学校か ら出て行 かざるを得 ないのであ る。に

0だ

,この際,この学校 に残れ る可能性 が全 くないこともなかった。

もし「私」が面の皮 を厚 くして出て行かな かった ら,新しい校長だってむげに「私」 を 追 い出す なんて ことは しないだ ろ う?で

「私」は人が外 に押 し出すのを待 っていること はで きない。(注

新 しい校長だって,その まま頑張 って居座 っ ていれば,その まま置 いていて くれ るか も知れ ない。しか し,「私」はこのような道 を選 ばなかっ た。 自分か ら出て行 く道 を選択するのである。

この選択 には「私」の性格 の幾つかを見出す ことがで きる。それは厚か ましくすることがで きない とか,相手 の慈悲 を期待することをしな い とい うものであ り

,寧

ろ「好 ましい」′性格 と いうこともできよう。 しか し,自ら学校 を出て 行 くとい う選択 をす ることで,以後 の生活 に大

きな困難が出現す ることが予想 される。

(2)〈優 しい男性 との出会 い,そして別 れ〉

小 学校 を出 て行 け ば誰 も援 助 は して くれ な い。た ち どころに食 べ る もの住 む場所 もな くな る。 これ を確保 す るには,働く場所 を見 つ けな けれ ばな らない。 だが,仕事 は探 す とな る とな か なか見 つか らない。 困 って,小学校 で世話 に な った女校 長 の ところに相談 に行 く。 ところが その 日は,女校 長 は不在 で,校長 の親戚 で あ ろ う一人 の青年が応対 した。彼 に来意 を告 げる と,

彼 は援助 を約束 した上 に,叔母 が渡 して欲 しい と言 っていた としてお金 まで くれた。さ らに,次 の 日,新しい部屋 を用意 し,そこに引 っ越 しを

させ て くれたので あ る。

この優 しい青年 の魅 力 に引かれ,やが て結 ば れ る。彼 の庇護 に よる生活 が始 まった。彼 は

,食

べ るた めのお金,何枚 かの洋服 を「私」 に与 え る。 もち ろん「私」 は こんな生活 を望 んでいる わ けで はない。 しか し,彼に頼 んで仕事 を探 し て もらって はい るが どうして も見 つか らないの ,仕方 な くこの ような生活 を続 ける しか ない ので あ る。

だが,この よ うな生 活 も一人 の女性 の出現 に

‑138‑

(7)

よって終止符が打たれ ることになる。

私の春の夢 は終 わ りを迎 えた。ある日,ち うど正年 になったばか りの頃,一人 の若 い婦 人がやって きた。彼女 は とて も美 しかった。で も精巧 な美 しさで はなかった。磁器人形 のよ うだった。彼女 は部屋 に入 って くるな り泣 き 始 めた。問 うまで もな く,私の方 はすでに分 かっていた。彼女 の様子では,彼女 は「私」と 喧嘩 をす る気持 ちはないし

,私

は もっ と彼女 と衝突す るつ もりはなかった。彼女 は正直 な 人 だった。彼女 は泣 き

,だ

が私の手 を取 り「彼 は私たち二人 を踊 しているの よ

!」

と言 った。

私 は彼女 も「愛人」であるだけだ と考 えてい た。そ うではなかった。彼女 は彼 の妻だった のだ。彼女 は私 を責 めず

,た

だ何度 とな く「彼 を放 して くだ さい ませ んか

!」

と言 うだ け だった。私 は どうして良いか分か らなかった ,この婦人が可愛 そ うになった。私 は承知 した。彼女 は笑 った。彼女のその様子 を見て, 私 は彼女がばんや りしている と思 った。彼女

は何 も分かつていず,ただ単 に夫が必要だ と い うことを知 っているだけだった。l▼ 181

「私」 はその女性 の願 いを即座 に受 け入れ る。

そ して次の 日,青年 には何 も告 げず,ほとん ど

何 も持たず,部屋 を出て行 く。 これが,この場 面での「私Jの選択である。

もし「私」が男性 と別れ ることを承知せず,ま た はこの女′生を欺 こうと思 えば,恐らく容易 に

この女性 を欺 くことがで きたか もしれない。だ ,「私」 はそうしなかった。

何が この ような選択 をさせたのか。「私」は彼 女 に「可愛 そう」という気持 ちを抱いている。 こ の心根が 「私」 に決心 させたのである。 これは

「優 しさ」 と言 えるだろう。「私」 自身 は職業 も な く,お金 もない。 そんな状態であるにもかか わ らず,彼女 に同情 して,部屋 を出たのである。

この「優 しさ」 はまさに無上の「優 しさ」 と言 えるものだ ろう。

こう考 えると,この選択 は,恐らく読者 も「私」

にそうすることを期待 し,「私」もその ようにし たのだか ら,読者 に とっては極 めて喜 ばしい も のであろう。だが,その「私」の「好 ましい」選 択 は皮肉な ことに必ず しも最善の結果 を生み出 さないばか りか,却って悲惨 な生活 を強いるこ とになるのである。

(3)〈

飲食店 に務 め,そして辞 める〉

いろいろ働 き口を探すが容易 には見つか らな い。 ある飲食店で店員 を募集 していることを知 る。応募 して面接試験 を受 けた結果,店主 はた くさんの応募者の中か ら「私」 を選ぶ。それは

「私」が綺麗 な女性 であることの証明で もある。

以下の引用 は,その選抜 に受か ることが如何 に難 し くまた ここで働 けるとい うことが,他

の女性 に とって羨 ましい ものであったのか を示 す ものである。(注D)

私 は一列 の若 い娘たち と一緒 に小 さな飲食 店で選抜試験 を受 けた。……その女の子たち は私 を とて も羨 ましがってい るようだった。

あるものは驚いた ことに涙 を浮かべて帰 って 行 った し,あるものは「 こんち くしょう」 と 罵 った。女性 というものは何 と値打ちのない

ものだろうかll注20

やっ と入 った,その飲 食 店 で の仕事 は酌 婦

(「女招待J)をす ることだった。 この飲食店 には もう一人酌婦がい る。「私」が「第2号

J酌

婦で,

以前か ら居 る女性が「第1号」酌婦だつた。 こ の「第1号」の月艮装や仕事ぶ りは以下 のような ものである。 これによって,「私」とこ期待 されて い る仕事 内容がわか る。

不思議だ !「 第1号Jの袖 は とつて も高 く 巻 き上 げ られていた。袖の白い裏生地 は一点 の汚れ もなかった。腕 には白絹のハ ンカチが 置かれてお り,そのハ ンカチには「妹 の私 は 貴方が好 き」 と刺繍 されていた。彼女 は朝か

‑139‑―

(8)

ら晩 まで顔 に白粉 をたた き,唇には血 の瓢箪 のように口紅 を塗 っていた。客 に煙草の火 を つけてや る時,彼女の膝 はお客の足 に寄 りか か り,そうしてお酌 をした。 ある時 には,彼

女 自身 も飲 んだ。お客 に対 し,ある時 は,彼

女 は非常 に周到 に仕 えた。ある時には,見 きもしなかった。瞼 を下 げ,見えない振 りを す ることがあった。,(注2)

時 には艶 めか しい態度で客 に接 し,時には故 意 に冷た くす る態度 を取 ってみた りして客 を惑 わす。「第1号」 はこのように仕事 をしている。

「私」は「第1号」の ようなことをす ることが できないのである。店主 は「 ここで長 く働 こう と思 うな ら,『1号』のや るようにやれ」似D と警告す る。だが,「私」にはそれがで きなかっ た。 もちろん「第1号」がその ようにや る事情 も分かっているし,決して「第1号」 を軽蔑 し ているわけではない。ただ「私」は「第1号」の ようにしてお金 を稼 ぎた くないのである。普通 の給事 として働 きたいのである。 しか し,そ が許 されないのだ。

どうして もや ろうとしない「私」 を見て,店

主は最後通牒 を発す る。数 日の猶予 を与 え しそれ をや らなければクビにす ると迫 る。 しか ,誰にどのように言われて も,最後 まで「私」

は「第1号」の ようにや ることを拒み,結局 自 分か ら辞 めた。

この結果,「私」が最 も恐れている状態が しだ いに「私」の処 に忍び寄 って くることになる。

最後 の黒 い影 が私 の方 に向か って一歩近 づ いた。 それ を避 けよう として,さ らにそれ に 歩 み寄 った。私 はその仕事 を捨 てた ことを後 悔 は しなか った。 だが,私はその影 も本 当 に 怖 か った。(注2)

この選択 をどの ように理解すればよいのか。

もしか した ら,「私」とい う登場人物の選択 は 余 りにも大人 げない,そのような仕事で も職業

であると害」り切 って,「1号」と同 じようにす るべ きで ある とい う考 え方が あ るか もしれ な い。 このようにすれば もしか した ら悲惨 は免れ たか もしれない。 しか し「私」 は敢 えてそれを や らなかったのである。

「『私』の

4勿

語 」に於 ける,それ ぞれ の場面 の 展 開 に共 通 して見 られ る特徴 を取 り上 げ る と以 下 の ようにな るだ ろ う。

(1)登

場人 物 は「好 ましい」L格の持 ち主で

あ る。その性格 は,すで に,各場 面 で見 た よ うに,時 には人 の慈悲 を受 ける こ とを潔 し としない もので あった り,時 には人 に対 す る優 しさで あった り,時 には きっぱ りと

した気骨 ある態度 で あった り,時 に は女性 のプ ライ ドを保 つ こ とで あった りす る。

(2)どの よ うにす るか とい う局面 で は,登場 人 物 が進 むべ き方 向 を 自 らの判 断 で 自 ら 選択 してい る。この方 向 はすべて

,そ

うす る こ とを読者 (誰)が期 待 す るで あ ろ う ところの もので あ り,また歓迎 す る ところ の もので あ る。 この点 で「好 ましい」選択 で ある とい える。

(3)登

場人物 が「好 ましい」選択 をすれ ばす るほ ど,登場人物 は しだい に困難 な境遇 に 墜 ちて行 くことにな る。

作者 は明 らか に この展 開 のパ ター ンを意 図的 に使 ってい る。

で は何 のた めに この よ うなパ ター ンを使 った のか。 それ は,読者 の,ある感情 を引 き出すた めで はないか と考 え られ る。

「好 ま しさ」の発揮 は「私」に必 ず しも幸 せ を もた らさな い。 それ ばか りか,却って悲惨 な状 況 を招 くことにな る。 この際 の読者 の心理 は趣 めて複雑 な もので あ ろう と思われ る。「私」とい う人 物 が「好 ま しい」性格 で あ り,その悲惨 な 状 況 が「好 ま しい」ことを行 った結果 だ けに,彼

女 の その境遇 に対 し激 し く「 同情」 す る こ とに

‑140‑―

(9)

なるのではないか。

そしてこの展開のパ ター ンは,場面 を変 え なが ら繰 り返 され ることになる。そうすれば,そ のたびに読者 の感情 も繰 り返 し揺 さぶ られ,読

者 はそのたびに「好 ましさ」 に打たれ,ます ま す好意 を持つに至 る。そして,その結果,「同情」

の気持 ち もだんだん強 まって行 くように思われ る。

つ ま り

,作

者 は,この展 開 によって読 者 の,

「私」とい う登場人物 に対す る強 い「同情」の気 持 ちを引 き出そうとしてい ると考 えられ るので ある。 この「同情」 は,彼女 をその ようにして い るものに対す る「憤 り」と表裏 をなしている。

そして,この「同情」 こそがこの作品の存 在 の意味 に大 き く関わつているのである。

最後 は「母親 と『私』の物語」である。

ここで はこの「私」がある時期か ら「悪い」

ことをし始 めることに注 目したい。

私 は ま もな く死 ぬだ ろ う と信 じていた。 し か し死 ななか った。 ドアの外 で ノ ック をす る ものが いた。私 を訪 ねて きた のだ。よろ しい。

その人物 に仕 え,病気 を力 の限 りうつ して あ げた。私 は この ことが人 に申 し訳 ない ことだ とは思わ なか った。 この こ とは もとも と私 の 過 ちで はな いのだ。帷20

「不/、」は病気 に罹 つて しまう。 この ような状態 の「私」の ところにお客が来,そのお客 に病気

をうつ したのだ。 これが最初 に現れ る「悪 い」こ とである。

「私」は病気 になった こともあ り,母親 に会い たい と思い始 める。 そこでかつて母親が嫁 いで いった鰻頭屋 を訪ね る。 しか しそ こにはすでに 鰻頭屋 はな く,母親 も居 なかった。尋ね歩 くが 見つか らず,あきらめて帰 つた ところ,暫くし て母親が 自 ら「私」の処 に現れたのである。 こ

うして母親 と「私」の生活が始 まる。

作品の作 り方,ス トー リーの流れか ら考 える ,母親 の姿 は「私」の将来のそれであ り,母

親が現在行 うことは,「私」が将来必ず行 うであ ろうことを予感 させ る。 したがつて,母親が現 在行 っている「悪い」行為 は,将来娘 も行 う可 能性 を充分含んでいることになる。

母親 は,特にお金 に,執念 を見せ る。

彼女 の 目はす で に若 い頃 の光 沢 を失 ってい た。 しか しお金 が 目に入 る と,まだ光 を放 つ

こ とがで きた。 お客 に対 して は,彼女 は 自 ら 召使 い に任 じて いた。 だが,お客 が渡 す お金 が 少 な い 時 に は,大 き な 口 を 開 け て 罵 つ た。l注20

そして,お金のためには,ほ とん ど犯罪い近 いことをす る。 この小論 の「一」 に挙 げた引用 文 は,まさにこの脈絡 の中で出現す るものなの である。

「私」自身 も二,三年 この商売 をして変わって しまう。

,三年商売 をして,自分が変わつて しまっ た と感 じた。私 の皮膚 は荒れ,私の唇 はいつ もカサカサ してお り,私の 目はいつ も濁 って 血 の筋が走 っていた。私 は起 きるのが とて も 遅かったが,それで もすっきりしなかった。私 が この ことを感 じ始 めると,客も盲 目ではな ,馴染 みの客 はどん どん減 っていつた。新 しい客 に,私は一生懸命 に仕 えた。 しか し彼 等 ももっ と嫌いにな り,時には自分の怒 りを コン トロールす ることがで き くなった。私 は 怒 りっぽ くな り,嘘をつ くようになった。す で に 自分 自身 で はな くなって いた。習慣 に なった ように,私の回は自然 にいつ も嘘 をつ ぃた。(庄20

とうとう「私」の精神や肉体 は壮絶な苦 しみ の中へ と落ち込んで行 く。そうすると

,激

しく

‑141‑

(10)

怒 った り頻繁 に平気で嘘 をつ くようになる。 そ うすれば,誰も相手 にしな くなってい く。誰 も 相手 にしなければます ます激 しく怒 り,以前 よ りもっ と頻繁 に嘘 をつ くことになってい く。悪 循環である。 この循環 には救 いはない。すでに ついには私娼 もで きない段階が目の前にある。

「私」とい う女性 は「好 ましい」性格の人物で ある。だのに何故,作者 はそのような「私」 に

「悪い」 ことを行わせ るのだ ろうか。

すでに前節で述べた ように,作者 は「好 まし い」性格の持 ち主が「好 ましい」 ことをするこ とで,却つて悲惨 な ところに落 ち込んでゆ く展 開の方法 を採 っている。 この展開を再三繰 り返 す ことでもう既 に読者か ら充分 なる「同情」を 引 き出 している。だか ら,その時点で,たとえ

「私」が悪 いことをして も決 して「私」のせいで はない と答 える素地 はで きあがっている。

その上で,さ らに実際 に読者の目の前で登場 人物 に「悪 い」 ことをさせ るのである。 こうす ることで読者 に,従来「悪 い」 とされているこ とが,果た して本 当に「悪い」 ことなのか とい う間 を何度 も発 し,疑間 を抱かせ,従来 とは違 っ た視点 を持たせ ようとしているように思われ る のである。

この結果

,読

者 は,この作品を読む ことで

,現

実の世界で も,現在 日の前 にいる「悪 い」 こと をしている人物 に対 して ももともと「悪い」人 物ではない,と いう見方がで きるようになって い くのか もしれない。少な くとも現実の世界 に いる「私」や「私」の母親のような者 に対 して は決 して単純 に「悪 い」人物 とい う見方はしな

くなっているはずである。

こういう作者の意図があることは,作品の中 で全場人物の口を借 りて しば しば「私が悪いの ではない」は2つ と述べ させていることか らも窺 うことがで きよう。

お わ り に

老舎が この『月牙児』 をどのようにつ くりあ

げているのか,そしてそ こか ら,老舎の創作意 図を考 えてみた。い くらか主観的 にならざるを 得 なかったが,少しはこの点が明 らかになった のではないか。特 に今回の分析 によって明 らか にしたス トー リーの展開の仕方は,老舎文学 を 理解する上で,重要であると考 えている。 この 展開に,老舎 とい う作家 の,社会や人間 に対す る根本認識の ような ものさえ見 い出す ことがで きると考 えるか らである。

それは,老舎 にもし社会 に何か問題がある とすれば,問題 の深刻 さに最 も敏感 に反応 し,も ろに影響 を受 けるのは,社会 の中で も最 も弱 い 立場 のとりわけその中で も最 も「好 ましい」性 格 を持 った人であるとい う認識が あることで ある。実 はこの認識 の上 に老舎の『月牙児』の 世界 はで きあがっていたのである。

だか ら逆 に,社会の中で も弱い立場の,極 て「好 ましい」性格 を持 った人物 を社会の中で 生か してみれば,その社会が どのような社会で あ りもし社会 に欠陥があるとすれば,社会 に どの ような欠陥があるかが はっきり分かる

い う発想 も可能になる。 この発想 に依れば,創

作 は,いろんな職業の人でで きることになる。こ の『月牙児』では,それが「私」 とい う人物で あ り,「私」の母親だったのである。 そして,こ の発想か ら,さらに車引 きを主人公 にしている F路乾祥子』のような作品が生 まれ出て来 ること は充分 に考 えられ る。

以後『微神』との比較,或いは『号各陀祥子』と の上ヒ較 を行 えばこの『月牙児』で行 っている ことが もっ とはっき りして くるか もしれない。

今後 の課題 にしたい。(完)

注】

テキス トとしては『老舎全集8』 (人民文学出版社) の中に収められているものを使った。したがってこの 論文の『月牙児』のページはこの本のものである。F月

牙児』という作品は短篇集『桜花集』

,小

説集『老舎選 集』(開明書店),中短編小説集『月牙集』,『老舎短篇 小説選』,短 篇小説集『月牙児』,F老 舎選集第 2巻 』(四

‑142‑―

参照

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