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ヒューストンでの在外研究

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Academic year: 2021

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海外レポート

ベルリンの印象から

人文学部准教授 冨 重 純 子

2010年4月から2011年3月までの1年間、ベルリ ン工科大学の客員研究員としてベルリンに滞在する 機会を与えられた。

4月1日にベルリンに到着してホテルに一泊し、

翌日、滞在先の住居に入って、さて買物に出ようと すると、ありとあらゆる店が閉まっていた。曜日は 金曜日。ドイツでは、日曜はほぼ全面的に店が閉ま るので、週末の到着にならないように気をつけてい たつもりだったが、この日はベルリンではキリスト 受難を記念する金曜日で、イースターの休みの始ま りだったのである。レストランやカフェは開いてい るが、家の近所では水すら買えない。観光名所周辺 も、観光客はいるが、店は開いていない。けっきょ く、金土日の三日間は、かろうじて営業している中 央駅のスーパーで食料品を調達してしのぐほかなく、

すがすがしく静まり返った街を歩きながら、ああ、

ドイツに来たなあと思ったのであった。

その後、スーパーの類いは月曜から土曜まで早朝 から夜中まで開いているなど、以前より「便利」に なっている点も発見したが、基本は変わっていない ように思われた。日曜祝日は、あらゆる消費活動を 休む。地下鉄の駅にエスカレーターはなく、照明も あいかわらず暗い。自動ドアも少ない。自動販売機 と称するものも、あいかわらず、われわれの感覚か らすると手動販売機である。つまり、ひとつひとつ コインをつまみに乗せては押し込み、それからレ バーを押し下げると、菓子などが落ちて出て来る。

自動ドアでないから、後から来る人のためにドアを 押さえて開けておくのは当然であるし、階段で老人 に手を貸すのも当然である。ひとことで言えば、

「オール電化」の生活ではない。

ベルリンには近年たびたび行っているが、いつ 行っても、あちらこちらを掘り返して工事をしてい る。それも小さな工事ではない。巨大な歴史的建造

物の復元もあるが、目を奪うような斬新な現代建築 も多い。今回もあいかわらずで、どれだけ新しい建 物を建てるつもりなのか、どれだけの資金が注ぎ込 まれているものやら、驚くばかりだ。もちろん、こ れには理由があり、第二次世界大戦のときにすっか り焼け野原になったこと、また、戦後東西ベルリン に分割されていたのが再統一されたため、新たに整 備が必要になったことが大きい。しかし、おそらく ベルリン自体の新しさということが、ある。ベルリ ンにはヨーロッパの街並みの基本である旧市街とい うものがない。中世のベルリンはせいぜい村であっ た。それがドイツ帝国の首都として19世紀後半に世 界都市へと変貌を遂げるのだ。その意味で、ベルリ ンは他のどのドイツの都市とも似ていない。この変 化の大きさと、それゆえの、変化に対する寛容さが、

ベルリンの特質なのかもしれない。

実際にベルリンに行くことでもなければあまり意 識されないことだが、第二次世界大戦後にベルリン が分割されたとき、その中心部はほぼ全体が旧東ベ ルリンに属した。博物館島にある諸博物館群もそう であるし、名門フンボルト大学、州立歌劇場やドイ ツ劇場もそうである。古い歴史を持つ動物園は西ベ ルリンに属した。現在のベルリンには、博物館島は 別格として、かなりのものがふたつ以上ある。歌劇 場、国立図書館、中核的総合大学、動物園などであ る。いずれも、西ベルリンと東ベルリンに分かれた 歴史と関わりがある。現在、すでに統一されたもの、

統合が進められているものもあるし、性格の異なる 施設として存続させるべく改革が行われているもの もある。

フンボルト大学、自由大学、工科大学。ベルリン の三つの大きな総合大学である。東西ドイツ統一後、

いくらなんでも維持するのが財政的に難しいという ことで、これらの大学の間の分野別統合や専門分野

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の重点化が進められており、全体としてかなりの規 模の縮小が行われているとのことである。私の研究 滞在先のベルリン工科大学でも、伝統的なドイツ文 学研究専攻はすでに新しい学生の受け入れはしてお らず、私が帰国する3月には廃止されることになっ ていた。世話人になっていただいた工科大学のコン ラート・ヴィーデマン教授の紹介で、自由大学の私 と同年代の研究者の研究会にも加えてもらったので、

自由大学にもときどき足を運んだ。自由大学は戦後 西ベルリンに作られた新しい大学で、郊外の緑豊か な高級住宅地区にある。国際的、学際的、先端的プ ロジェクトを多数抱える、いわば今様の大学。工科 大学はにぎやかな西ベルリンの中心部にあり、芸術 大学とも隣接していて、いつも大勢の学生がいて活 気にあふれる。フンボルト大学はヴィルヘルム・

フォン・フンボルトの主導で作られ、フィヒテや ヘーゲルが歴代の学長を務めるなどの歴史をもつ大 学。ブランデンブルク門から延びるウンター・デ ン・リンデン周辺の歴史的景観地区にある。いくら かの縮減はしかたがないとして、これだけ個性の異 なる大学であるから、これからもそれぞれにおもし ろい、豊かな道を歩んでいくものと思う。

ベルリンでは、そうしょっちゅうというわけには 行かなかったが、可能なかぎり、演劇も観に行った。

主として、ドイツ劇場とベルリーナー・アンサンブ ルである。ドイツ劇場はさまざまな古典演劇となら んで、現代のアクチュアルな問題を提示する新しい 作品をレパートリーとする。とにかく俳優がうまい し、演出もすばらしい。ベルリーナー・アンサンブ ルは、戦後亡命先から帰国したブレヒトにより設立 された劇団で、現在でも常時、かなりの数のブレヒ トの作品を上演している。ブレヒトの劇団という当 初の性格のためか、その後もハイナー・ミュラー、

ペーター・ツァデクなど、監督の個性によって知ら れ、現在の総監督クラウス・パイマンもかなりの曲 者である。ドイツで演劇を観ると、いつも思うのは、

演劇というのはアクチュアルなジャンルであるとい うことだ。現代の社会との密接なかかわりこそ、演 劇の本質なので、それがドイツではある程度実現さ れている感じがする。もちろん、現実の問題を演劇 の中で扱うことの問題を舞台上で扱うことの問題と いうよな隘路を、きわめて洗練された演出で見せる ようなものもあった。これはドイツ劇場の作品で、

ベルリーナー・アンサンブルの方は、もっと直接的 で、論争的だった。

今回の滞在中に、ベルリーナー・アンサンブルの 公演で、レッシングの作品をいくつも観ることがで きたのは、驚きでもあり、うれしいことでもあった。

自由大学図書館入口より右手の様子

自由大学の図書館外観

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レッシングは18世紀の劇作家、批評家で、ドイツで はまさに古典の作家である。とくに有名なのが『賢 者ナータン』という戯曲で、十字軍時代のエルサレ ムを舞台に、ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム 教徒の争いとその和解の可能性をテーマにしたもの である。そう聞くと読んだり劇場に足を運んだりす る気が失せるほどの、あまりに明快な問題設定だが、

作品は生き生きとして、しかもその解決の方法は古 びていない。

レッシングの生涯は、論争に次ぐ論争の生涯だっ た。そしてその論争は、絶対的な真理の所有は不可 能であるという謙虚さと、あらゆる種類の偏見を排 して物事を見ようとする、不屈の真理への努力その ものであった。ベルリンで私が研究していたハイン リッヒ・ハイネにとって、レッシングはドイツの歴 史に燦然と輝く星であった。ハイネはユダヤ人で、

ハイネのあらゆる著作の根底には、ユダヤ人の歴史、

19世紀のドイツのユダヤ人が置かれた状況がある。

すなわち、正義と寛容の問題である。(ここから、

マルクスとの結びつきが生まれる。パリ時代のハイ ネとマルクスには親交があった。)レッシング、ハ イネ、ブレヒトやハインリヒ・マンと続く、ドイツ 文学におけるひとつの系譜を考えることができて、

それは啓蒙と対話的知性の文学の系譜である。対す る別の系譜として、クロップシュトック、ヘルダー リン、トラークル、ツェランなどを思い浮かべるこ とができるだろうか。

3月11日に東日本大震災が起き、それからドイツ の新聞、テレビも日本についての報道一色になった。

ルフトハンザ航空は成田には飛ばなくなった。3月 31日に私は、名古屋経由で福岡へ帰ってきた。ここ では、自動ドアとコンビニの世界はさして変化して いないように見えるが、「オール電化」の道はもは やない。日本型の非「オール電化」の生活がどのよ うなものになるのか。まだ考え始めたところである。

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海外レポート

ヒューストンでの在外研究

薬学部准教授 松 永 和 久

留学先について

2010年3月から一年間、本学の長期在外研究員と して、ベイラー医科大学にて研究をする機会をいた だきました。ベイラー医科大学は、M.D.アンダー ソンがんセンター、メソジスト病院、テキサス大学 医学部などと共に、テキサス州ヒューストンに巨大 なメディカルセンターを形成しています。中心部に 病院、大学、研究所のビルディングが立ち並び、そ の周囲に、職員や学生の住むアパート、全米から集 まる患者向けの長期滞在型ホテルのある地区が広が り、一つの都市を作っています。特に、中核をなす M.D.アンダーソンがんセンターは大きく、各ビル ディングの間を空中回廊が繋いでおり、広大な敷地 の端から端まで、屋内をカートで移動できるように なっています。それに比べるとベイラーはこぢんま りとしていますが、全米でも評価の高い医学部の一 つです。

研究成果について

ベイラーでは糖尿病研究の第一人者であるチャン 教授(Dr. L. Chan)に師事し、糖尿病性神経疾患の 原因究明と治療に関する研究を行いました。これま での自分の研究とは全く異る分野で、手技手法も初 めてのものが多く、実験の立ち上げには非常に苦労 しました。特に苦労したのが、神経疾患評価のため の、マウスの神経伝導速度の測定で、以前この研究 を担当していた先生が既に帰国されており、わずか に残された口伝と過去のデータ、日本から送っても らった筋電図判読の教科書を元に、納得のいく測定 法を確立するまで、半年以上の期間を費やしました。

また、2種類の遺伝子導入マウスを交配させて、必 要なモデルマウスを作出するのですが、なかなか必 要数が確保できず、ここでも時間がかかりました。

その他に、遺伝子導入用レンチウイルスベクターの

作製、定量PCRや免疫染色など、門前の小僧なり に研究を進めましたが、週2回水曜と土曜の朝にあ るチームミーティングでは、毎回胃の痛い思いを味 わいました。そうして得られた成果の一部は、留学 中に近隣のガルベストンで開催された、Cell and Gene Therapy 2010 Conferenceにて、ポスター発表す ることができました。

研究環境について

チャンラボは、ビルのワンフロアを借り切る大所 帯の研究室なのですが、日本人は私以外に2名だけ でした。その他のメンバーは中国人と台湾人が多く、

研究室では常に中国語が飛びかっていました。英語 のリスニングを向上させようと、周りの会話にはい つも注意していたのですが、一日中、中国語しか聞 こえないこともありました。最初は、チャンラボの 特殊事情なのかと思っていたのですが、他のラボの 日本人に聞いても、同様らしく、米国の医学研究の かなりの部分を、中国からの留学生やポスドクが 担っているという構図が見て取れました。

研究費は各人に月600ドル割当てられ、実験に必 要なものを各自注文するシステムでした。抗体や遺 伝子導入マウスなどは高価なので、数ヶ月先の研究 計画を見据えつつ、やり繰りする必要があります。

毎月研究費が不足するので、研究室を通さずに購入 できるものは、在外研究費や自費で直接購入してい ました。

ベイラーはリーマンショックの影響もあり、財政 が逼迫しており、私が留学した時には、学内の書店 や売店が撤退し、学食も営業時間が短縮されていま した。夜遅くなり、机の抽斗に常備したエナジーバー で空腹を満たすたび、福岡大学の便利な環境が恋し くなりました。

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写真1:各国語による研究室入口の表示

写真2:月面探査に使われたサターンVロケット ヒューストン生活について

ヒューストンはアメリカ南部にある人口全米4位 の都市で、市域面積が1,500!もあるので、生活す るのに車は必須でした。免許取得以来のペーパード ライバーで、運転はストレスでしたので、路面電車 で通勤し、週末のみ運転していました。緯度は沖縄 くらいで、夏は暑く長く、40"近い日が続きますが、

建物の中は、廊下まで冷房が効いており、夏でも長 袖のシャツを着ていました。ごみの分別も無く、粗 大ゴミまでコンテナに放り込むだけなので、もった いない精神の日本人としては、最後まで罪悪感を感 じていました。

メディカルセンターの日本人の多くは、路面電車 の沿線に住んでおり、近くのアパートに住む方々と 親交をもつことができました。特に、子供の年が近 い方とは、ホームパーティ、バースディパーティ、

クリスマスパーティなどで、招待したり、招待され たり、交流させていただき、様々な面で助けていた だきました。本学の心臓血管外科から留学されてい る本村先生にも大変お世話になりました。

ヒューストン滞在中、長期休暇は取らなかったの ですが、フリーウェイで30分のところにヒュースト ン宇宙センターというNASAの施設があり、一般 に公開されていますので、年間パスで通いました。

月ロケットや管制室、宇宙飛行士訓練施設の本物を 見ることができるという感動はあるのですが、その 他は取って付けた様なアトラクションも多く、あま り期待して行くと、肩透かしを食らいます。また、

職場のすぐ隣のハーマンパークには、動物園や博物 館があり、こちらにも年間パスで通いました。美術

館も市内に多く点在しており、教育のための施設は 充実している印象を受けました。

ヒューストンの書店事情

ヒューストンでは、ほぼ週一のペースで書店に通 いました。最初のうちこそ、ゆとりのある棚配置や 併設されたカフェ、無料の無線LANサービスに感 心していたのですが、何度も行くうちに印象はずい ぶん変わりました。書店は、バーンズ&ノーブルズ かボーダーズしか、ほぼ選択肢がありません。どこ の店舗に行っても、置いてある本は同じで、店舗ご との特色もありません。客は多い様に見えますが、

パソコンを持ちこみ、無線LANを使い、カフェで 買ったコーヒーを飲みながら、ソファに座り本を読 んでいます。棚から出してきた、たくさんの本を絨 毯の上に広げ、床でレポートを書いている学生もい ます。書店が、飲食可能な図書館の様に利用されて いるのです。新刊や雑誌類は、スーパーで書店より 安価に売られています。更に、アマゾンで購入する と、安い上に、8.25%のテキサス州の消費税がかか らないのです。このような書店をとりまく状況では、

電子書籍にシフトしていかざるをえないのだろうと、

考えさせられました。

最後に、薬学部6年制移行期の忙しい時期にもか かわらず、貴重な機会を与えてくださった本学関係 者の皆様に感謝致します。

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参照

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