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憲 法 的 文 書 を 中心 と して見 た韓 国 憲 法 前 史(下)

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憲 法 的 文 書 を 中心 と して見 た韓 国 憲 法 前 史(下)

'f国 か ら 上 海 の 大 韓 民 国 臨 時 政 府 の 樹 立 ま で 一一

ヲ}龍 澤

目 次

は じ め に

1.李 氏 朝 鮮 末 期 の 憲 政 史.

{1)洪 範14条 の 制 定 一 憲 法 制 定 へ の 胎 動 一

(2}独 立 協 会 の 運 動(献 議6条)一 議 会 設 立 の 動 き 一 t3}大 韓 国 国 制 の 制 定 一 絶 対 君 主 制 「憲 法 」 の 制 定 一

(i)大 韓 国 国 制 の 制 定 経 過 {ii)大 韓 国 国 制 の 内 容

H.三 ・一 独 立 運 動 の 勃 発 と 挫 折 一 臨 時 政 府 樹 立 へ の 契 機 一 独 立 宣 言 書 の 宣 布 一 独 立 建 国 の 発 議 一(以 上 前 号)

皿.各 地 にお け る臨 時政 府 の樹 立 一組 織的 抗 日闘 争 の展 開一(以 下 本 号) (1)大 韓国民 議 会(露 領 ウ ラジオ ス トック)

G}成 立 経 過

㈲ 政府 形 態 (鮒 決 議 案

(2}上 海 臨 時 政府(大 韓 民 国臨 時 政府)

{の 成 立 経 過 隔

㈲ 政 府 形 態

㈱ 大 韓 民国 臨時 憲 章

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(3)漢 城 政 府(国 内 ソ ウル) α}成 立 経 過

(ii)政 府 形 態 儲}約 法'

(4}各 臨 時 政 府 の 共 通 点

lV。 各 臨 時 政 府 の 統 合 一 大 韓民 国 臨 時 政 府 の 樹 立 一 {1)統 合 以 前 の 各 臨 時 政 府 の 現 状

{2)統 合 過 程 一 大 韓 民 国 臨 時 政 府 の 誕 生 一 {3)政 府 形 態

(4}大 韓 民 国 臨 時 憲 法 一 近 代 立 憲 主 義 的1憲 法 」 の 制 定 一 結 び に か え て 一 韓 国 憲 法 前 史 が 解 放 後 の 韓 国 憲 法 に

与 え た 影 響 一

4

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憲 法 的 文 書 を 中 心 と して 見 た 韓 国 憲 法 前 史(下)

一一 開 国 か ら上 海 の 大 韓 民 国 臨時 政 府 の樹 立 まで

ヂ◎ 龍 澤

皿 各地 におけ る臨時政府 の樹 立 一 組織 的抗 日闘争 の展 開一

前 述 したよ うに,三 ・0独 立 運動 を主 導 した 国 内外 の民 族 運 動 者達 は , 独立 運 動 の た めの 最高 統 治機 関 と しての 自主 政 府樹 立 に奔 走 した。 そ の1) 結 果,国 内外6ケ 所 で,臨 時 政 府 の 成 立 を見 たのであるが,事 実上,政 府 樹 立 に着 手 したの は,露 領 の大 韓 国民 議 会 政府,上 海 の 大韓 民 国臨 時政 府,国 内の 漢城 臨 時 政府 の三 政府 で あ り,他 の 朝鮮 民 国臨 時 政府 ,新 韓 民 国政 府,大 韓 民 間 政府 の三 つ は,大 体 にお い て 「ビラ政 府 」 とい って よ く,こ こでは,前 記 の 三 政府 の成 立 経過 及 び憲 法 的文 書 を見 た後 に そ れ らの 統合 過程 を概 観 する。

(11大 韓 国 民 議 会(露 領 ウ ラ ジ オ ス トッ ク) 2̀

(i}成 立 経 過

三 ・一 独 立 運 動 後,最 も早 く臨 時 政 府 の 樹 立 に 着 手 した の は ,シ ベ リ

(4)

ア 地 方 に 亡 命 して い た 韓 人 同 胞 達 で あ っ π。 彼 らは,す で に19世 紀 中 葉 か ら豆 満 江 の 国 境 を 越 え て ロ シ ア の 沿 海 州 と黒 龍 州 に移 住 しは じめ,三

・一 独 立 運 動 時 に は ,50万 人 もの 韓 国 人 が 住 ん で い た 。 そ こで は,祖 国 と国 権 の 回復 の た め に,種 々の 団 体 を 組 織 し,「 海潮 新 聞」とい う新 聞 ま で も発 刊 して,独 立 思 想 と愛 国 思 想 を 鼓 吹 して い た の で あ る。 と こ ろが,

1917年 に ロ シ ア革 命 が 起 き,政 治 情 勢 の 変 遷 に と も な い,同 胞 達 は, 言 論,結 社 の 自 由 を 得 る よ うに な り,同 年12月 に は ウ ラ ジ オ ス トッ クで,

露 領 に 在 留 す る韓 人 達 を 総 網 羅 し た 「全 露 韓 族 会 中 央 総 会 」 が 結 成 され, 議 長 に 文 昌 範,幹 部 に 金 立,..ら を 選 出 し,各 地 に 分 会 を 置 い てs自

治 思 想 と祖 国 独 立 を 鋭 意 講 究 中 で あ った 。 一 方,「 労 兵 会 」 会 長 で あ り, 旧 大韓 帝国参 領 で あ った李 東 輝が,全 露 韓 族 会 中央 総 会 に 入 会 し,文 昌 範 と 提 携 す るに 至 り,こ こに,1918年2月,全 露 韓 族 会 中 央 総 会 を,「 大

韓 国 民 議 会 」 と改 称 し,パ リ講 和 会 議 に 罪 海,高 昌 一 を 代 表 と して 派 遣 した。しか し,国 内で三 ・一 独 立 運 動 が 起 こ るや,同 年3月17日,数 千 名 の 群 衆 を 集 め て 独立 宣 言 式 を 挙 行 し,21日 に は5項 目の 決 議 文 と と も に, 閣 僚 名 簿 を 発 表 した 。

3) (ii)政 府 形 態

大 韓 国 民 議 会 政 府 の 閣 僚 名 簿 は 次 の 通 り で あ る。

大 統 領:孫 乗 熈 副 統 領:朴 泳 孝 国 務 総 理:李 承 晩

総 長:ヲ}顯 振(度 支)李 東 輝(軍 務) 安 昌 浩(内 務)南 亨 祐(産 業) 参 謀 総 長:柳 東 説

講和 大 使:金 奎 植

この 閣 僚 名 簿 で 注 目 さ れ る第 一 の こ と は,三 ・一 一独 立 宣 言 の 民 族 代 表 者33人 の 中 の1人 で あ り,既 に 日警 に 検 挙 さ れ て い た 孫 乗 煕 を 大 統 領 と

6

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憲法 的文書 を 中心 と して見 た韓国 憲法前 史(下)

した こ とで あ るが,こ れ は,本 国 同胞 との 親 密感 を 表 明 した もの と思 わ れ る。 第 二 に,他 の臨 時 政府 に見 られ ない産 業 部 を設 置 し,ま た軍 務総 長以 外 に参謀 総 長制 を 置 いて い る こ とは,共 産 革命 後 の ソ連 政 権 の影 響 と武 力 抗 日戦 を 主 張 した現 地独 立 運 動指 導 者(特 に 李東 輝)の 影 響 で あ

ろ う。 第 三 に,各 部 長 官 の 名 称 が,上 海 や 漢 城 の よ うに 「総 長 」 と な っ て い る こ とは,辛 亥 革 命 後 の 中 国 政 府 の 名 称 に 従 っ た もの で あ ろ う。 第 四 に,そ の 政 体 を 民 主 共 和 制 と し た こ と は,他 の す べ て の 政 府 と同 様 で あ る が,そ れ が 旧 韓 国 の 君 主 制 の 復 活 で は な く,新 た な 革 命 的 民 主 共 和 制 で あ る点 で,三 ・一 独 立 運 動 の 民 衆 意 思 を 政 治 的 に 良 く表 現 して い る。

最 後 に,閣 僚 の 構 成 に お い て,ソ 連 駐 在 者 に偏 らず,広 く国 内 外 の 有 能 人 物 を 登 用 した こ とは,高 く評 価 さ れ な け れ ば な ら な い 。

しか し,こ の 大 韓 国 民 議 会 は,当 時,露 満 国 境 地 帯 で 本 国 進 行 の た め に 義 勇 軍 を 組 織 して い た 旧 大 韓 帝 国 陸 軍 参 領 ・李 東 輝 の 後 援 会 の ご と き印 象 の 組 織 で あ り,こ の 行 政 府 が 機 能 を 発 揮 し た 痕 跡 は殆 ど な い 。 政 府 の 具 体 的 組 織 化 を 見 る こ と が で き ず,同 年9月,李 東 輝 が 上 海 の 統 合 臨 時 政 府 の 国 務 総 理 に 就 任 す る こ と で,国 民 議 会 は 上 海 政 府 に 吸 収 さ れ て し ま っ た 。

4) 価)決 議 案

と こ ろ で,大 韓 国 民 議 会 は,上 海,漢 城 の 両 政 府 が,略 式 で は あ っ て も, 臨 時 憲 章 又 は 約 法 を 制 定 した の に 対 し,次 の よ う な5ケ 条 の 簡 単 な 決 議 案 を 採 択 した の み で あ る 。 す な わ ち,

1.,大 韓 国 民 議 会 は 祖 国 統 一 の 達 成 を 約 束 し,世 界 民 族 自 決 主 義 に起 因 し,韓 国 民 族 の 正 当 な 自 由 独 立 を 主 張 す る 。

2.韓 日 合 併 条 約 は,日 本 の 強 圧 的 手 段 で 成 立 し た も の で あ っ て,我

が 民 族 の 意 思 で な い が 故 に,そ の 存 続 を 否 認 し,日 本 の 統 治 撤 廃 を 主 張

す る。

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3.フ ラ ン ス ・パ リで 開 か れ る平 和 会 議 に代 表 を 派 遣 し,我 々の 独 立 運 動 と政 府 建 設 の 承 認 を 要 求 し,国 際 連 盟 の 参 加 を 主 張 す る。

4.韓 国 独 立 運 動 の 実 情 を世 界 に 宣 伝 して,政 府 建 設 の 事 業 を 各 国 政 府 に 通 知 し,我 々の 主 権 を 主 張 す る。

5.以 上 の 目的 が 人 道 ・正 義 の 公 正 な判 決 を 受 け る こ とが で き な い な らば,日 本 に 対 し血 戦 布 告 を 主 張 す る。

以 上 の5ケ 条 の 強 硬 な行 動 方 針 は,漢 城 政 府 が 主 張 す る 日帝 に対 す る 5)

非 協 力 や,上 海 臨 時 政 府 の,外 国 人 に対 す る生 命,財 産 保 護 と政 治 犯 の 6)

特 赦 等 を 規 定 した6ケ 条 の 政 綱 と良 い 対 象 を な して い る と言 え よ う。 こ れ は,そ の 当 時 最 も影 響 力 の 強 か っ た 李 東 輝 の 武 断 的 傾 向 と と も に,武 力 抗 争 が 可 能 で あ っ た 立 地 条 件 の 結 果 で あ った と思 わ れ る。

と も あ れ,こ の 決 議 案 は,条 文 数 が わ ず か5ケ 条 に過 ぎず,そ の 内 容 も,国 家 の 統 治 組 織 と作 用 に 関 す る 国 家 基 本 法 とい う に は,あ ま り に も 不 充 分 で あ る こ と は 否 定 しが た い 。 従 って,「 本 決 議 案 は,独 立 闘 争 の

7)

た め の 組 織 的 抵 抗 運 動 団 体 の基本法 的性 格 をお びた 」 もの と言 う こ とが で き よ う。

(2》 上 海 臨 時 政 府(大 韓 民 国 臨 時 政 府) 8)

(i)成 立 経 過

国 内 は 勿 論,中 国 の 東 三 省 や 露 領 の シベ リア も,永 続 的 な 臨 時 政 府 を 樹 立 す る に は,日 本 軍 が 駐 屯 して い た た め に 困 難 で あ り,ま た,ア メ リ カ0帯 は,国 内領 土 か ら余 り に も遠 か った 。 これ に反 し,上 海 は,本 国

との 連 絡 が 可 能 で あ り,国 際 的 な広 報 に 便 利 で あ る上,強 大 な 各 国 の 租 界 が 設 け られ て い て,日 帝 の 支 配 の 及 ば な い 場 所 が 多 か っ た 。 この よ う に地 の 利 を え た上 海 は,海 外 に お い て 最 も早 く独 立 運 動 が 計 画 され た 場 所 で あ り,種 々の 独 立 運 動 団 体 が 組 織 され た と こ ろで あ る。

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憲法 的文書 を 中心 と して見 た韓 国憲 法前 史(下)

1919年 に 至 り ・ 日本 で の 二 。八 独 立 宣 言 と国 内 で の 三 ・一 独 立 運 動 の 後,こ れ に 呼 応 す る国 内外 の 多 くの 独 立 運 動 志 士 達 は

,上 海 フ ラ ンス 租界(frenchconcessiαDに 続 々 と集 ま っ て き た。3月 下 旬 に ,東 京 留

学生達の独立宣言の連絡員 と して発光沫 と灘 愚が潤 内か ら眠 族代

表33人 の 代 理 と して 孫 貞 道,崔 昌 植,鮮 干 嚇 ,金 哲,玄 楯 な どが,ま た シ ベ リア か らは 呂運 亭 ,更 に ア メ リカか ら 呂運 弘 が,そ れ ぞ れ 上 海 に 到 着 す る に お よ ん で,臨 時 政 府 樹 立 の 動 き は 高 ま り ,上 海 の 愛 国 志 士 達

は ・ フ ラ ン ス 租界 宝 昌 路329号 に 独 立 臨 時 事 務 所 を 設 置 し

,玄 楯 を 総 務Y と して 各 国 公 館 と新 聞 ・通 信 機 関 に 国 内の 独 立 運 動 状 況 を 知 ら しめ る̲

方 ・パ リに 行 っ て い る 金 奎 植 と ア メ リカ に い る李 承 晩 に 臨 時 政 府 樹 立 の 計 画 を 報 告 した・ これ と時 を 同 じ く して ,ソ ウ ル の 独 立 団 本 部 で は,李 鳳 沫 を 上 海 に 派 遣 して 臨 時 政 府 の 必 要 を 論 じ させ た とい うが ,こ の 頃 シ ベ リア ,満 州 地 方 か ら,李 東 寧,李 始 栄,趙 素 昂,金 東 三 ,申 采 浩 ら30 余 名 の 巨 物 級 人 士 が 上 海 に 到 着 し,4月8日 に は ,ソ ウル の 独 立 団 本 部 か ら姜 大 鉱 が 派 遣 され,末 だ確 定 し て い な い 李 東 輝 を 執 政 官 とす る閣 員

9) 名 簿 と臨 時 政 府 憲

法 原 文 を 携 え て 来,上 海 で の 臨 時 政 府 樹 立 の 気 運 は , い や が うえ に も盛 り あ が っ た 。

か くて ・1919年4月10日 午 後10時 ,フ ラ ンス租 界 金 神 父 路 で 臨 時 政 府 樹 立 の た め の 会 議 が 開 催 され,翌11日 午 前10時 ま で 続 け られ た 。 参 席 議 員 は,李 東 寧 を は じめ とす る29名 で あ り,こ こで 会 の 名 称 を 臨 時 議 政 院 に ・ 国 号 お よ び 年 号 を 「大 韓 民 国 」 と定 め,「 大 韓 民 国 臨 時 憲 章 」10 ケ 条 な らび に 政 綱6ケ 条 な ど が 通 過 し,ま た 国 務 院 選 挙 に お い て,国 務 総 理 李 承 晩,以 下6部 の 総 長 と次 長,国 務 院 秘 書 長 が 選 出 され ,4月13

日,こ れ を 内 外 に 正 式 に公 布 した の で あ る。

ところで,こ の臨時 議政 院 会 議 に お い て 次 の よ う な 意 見 の 対 立 が あ っ た

こ とが 伝 え られ て い る。 ion

(8)

第 一 に,臨 時 政 府 の 主 導 権 問 題 で あ っ た。 国 内 人 士 側 で は,臨 時 政 府 の 組 織 は,独 立 宣 言 を 展 開 した 民 族 代 表33人 を 中 心 に 組 織 され るべ き で あ る と主 張 した の に 対 し,海 外 人 士 側 は,海 外 で 独 立 運 動 に 身 命 を さ さ

げ て き た 志 士 達 を 中 心 と す べ きで あ る と反 論 した 。 第 二 に,政 府 の 首 班 を 誰 に す る か と い う 問 題 で あ り,李 承 晩 が,か つ て,パ リ平 和 会 議 に い る ア メ リカ大 統 領 ウ ィ ル ソ ンに,韓 国 に 完 全 な 政 府 が 樹 立 され る と き ま で国 際 連 盟 委 任 統 治 の 保 護 を 求 め る請 願 書 を 送 り,か つ,「 連 合 通 信

(UP)」(UPI通 信 の 前 身)に も発 表 した 人 物 で あ る との 理 由 で, 11)

李 承 晩 首 班 論 に 対 して 申 采 浩 が 激 烈 に 反 対 した 。 第 三 に,国 号 問 題 で あ り,こ れ に 対 して は 「大 韓 民 国 」 以 外 に,「 朝 鮮 共 和 国 」,「 高 麗 共 和 国 」 等 の 意 見 が 提 出 され た 。 呂運 亨 らは,「大 韓」は 日本 に合併 さ れ た こ と に よ り亡 び さ っ た 国 号 で あ り,再 び 使 用 す るべ き で は な い と主 張 した が ・ これ に対 し,「大韓」は 日本 に 奪 わ れ た 国 号 で あ りs取 り戻 して 再 び 用 い る

こ と で,独 立 の 意 味 が 生 ず る と反 論 し,ま た,革 命 中 国 が 革 新 的 な 意 味 で 「民 国 」 を 称 す るの に 傲 っ て,「 大 韓 民 国 」 とす べ き こ とを 主 張 した ・ 第4に,趙 碗 九 を は じめ と した 老 年 層 が,旧 皇 帝 優 待 論 を 憲 章 に 入 れ よ

う と し た の に 対 し,反 対側 は,李 朝500年 の 政 治 は,功 よ り罪 が 多 く,ま た国 家 と国 民 を 日本 に 渡 した責 を 免 れ 得 な い うえ に,大 部 分 の 皇 室 近 親 者 達 は,日 本 か ら金 と爵 位 を 受 け,売 国 の 悪 徳 に よ り安 穏 な 日 々を 送 っ

て い る と して,こ れ を 優 待 す る こ と に 反 対 した 。

と も あ れ,こ の よ う な討 論 の 末 に 大 韓 民 国 臨 時 政 府 は,1919年4月 13日,そ の 成 立 を 見 た の で あ る。

12) (ii}政 府 形 態

大 韓 民 国 臨 時 政 府 の 構 成 員 は,次 の 通 り で あ る。

制 憲 議 政 院(4月10日 構 成)

議 長:李 東 寧 副 議 長:孫 貞 道 書 記(議 員):李 光 沫 白南 七

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憲法的 文書 を中心 と して見 た韓 国憲 法前 史(下)

議 員:玄 楯 中翼 煕 喜成 換 李 光 崔謹 愚 単 素 昂 祐 李 会栄 李 始栄 趙 碗 九 申采 浩 金 徹 鮮干 嚇 昌 申鉄 李 漢 根 申錫 雨 趙東 祐 呂運 享 呂運 弘

国務 院 国務 総 理:李 承 晩

内務 総 長:安 昌浩 外 務総 長:金 奎 植 法 務 総長 内務 次 長 二申翼 煕 外 務 次長:玄 楯 法 務 次 長 軍 務総 長:李 東 輝 財 務 総長:崔 在 享 交 通 総 長 軍 務 次長:書 成 換 財 務 次 長:李 春 塾 交 通 次長

国務 院 秘 書:趙 素 昂

金大地 南享 韓鎮教 秦煕 玄彰運 金東

李始栄 南享祐 文 昌範 鮮干嚇

ま ず,議 政 院 の 顔 触 れ を見 る と,在 上 海 の 中 堅 独 立 運 動 家 の 総 結 集 と の 感 が あ る。 ま た 彼 等 が 合 議 機 関 と して の 議 政 院 を 先 に構 成 し,後 に行 政 府 た る国 務 院 の 閣 僚 を 投 票 で 選 挙 した とい う事 実 に 注 目す る必 要 が あ る。 国 務 総 理 の 選 挙 過 程 と閣 僚 の 人 選 手 続 が,民 主 的 方 法 で 表 現 さ れ た

13)

こ とは,韓 国 憲 政 史 に 輝 や く事 実 で あ る。 次 に,国 務 院 の 構 成 を 見 る と, ア メ リカ(李 承 晩 ・安 昌 浩),中 国(金 奎 植 ・李 始 栄),露 領(崔 在 享

・李 東 輝 ・文 昌範)と ,各 地 に 滞 在 して い る著 名 独 立 運 動 家 を 按 配 推 戴 した こ と も忘 れ て は な らな い 。

この よ う な構 成 員 で 成 立 し た 大 韓 民 国 臨 時 政 府 で あ るが,国 務 総 理 お よ び 各 総 長 の う ち で,当 時,上 海 に い た の は 法 務 総 長 ・李 始 栄 の み で あ り,事 実 上,政 府 は 空 白 状 態 で あ っ た 。 政 府 と して の 体 裁 を 整 え て,本 格 的 な 活 動 を 開 始 す るの は,安 昌 浩 が 内務 総 長 に は じめ て就 任(6月28

日 承 諾)し た,7月 以 後 の こ と で あ る 。 果 し て,こ の 空 白 期 間 は,次 長

制 を な く して複 数 の 各 部 委 員 制(多 くは 各 部 の 次 長 と な っ た 人 物 を 中 心

とす る)を 採 択 し,集 団 指 導 制 に よ っ て 埋 あ られ た 。 この こ と は,議 会

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政 治 的 な 現 象 で あ り,議 政 院 の 権 根 と役 割 の 事 実 上 の 大 き さ を 物 語 る も の で あ っ た 。 従?て,こ の 臨 時 政 府 の 政 府 形 態 は ,「 議 政 院 が 中 心 と な

14)

った 議 院 内閣 制 」 だ と い う こ とが で き る も の で あ る。

15)

㈲ 大 韓 民 国 臨 時 憲 章

この 憲 章 は,趙 素 昂 の 起 草 した 臨 時 憲 章 案 を,申 翼 煕 ・李 光 株 。趙 素 昂 の 三 人 が審 議 委 員 と して 審 議 した 後,臨 時 議 政 院 本 会 議 で 通 過 した も の で あ る。 第6条 に 兵 役 義 務 が 加 え られ ,第8条 の 旧 皇 室 優 待 条 項 か ら

̀一 生'と い う期 間 が 削 除 され た 外 は

,原 案 の と お り採 択 され,1919 年4月13日 に 公 布 され た。

大 韓 民 国 臨 時 憲 章 宣 布 文 と臨 時 憲 章 の 全 文 は 以 下 の 通 りで あ る。

「大 韓 民 国 臨 時 憲 章 宣 布 文 」

神 人 一 致 で 中 外 に協 定 して挙を起 こ して 以 来30余 日 の 間 に,平 和 的独立 を 300余 州 に 光 復 し,国 民 の 信 任 で,完 全 に 再 び組 織 した 臨 時 政 府 は ,恒 久 完 全 な 自主 独 立 の 権 利 を,我 が 子 孫 黎 民 に伝 え る た め に,臨 時 議 政 院 の 決 議 で 臨 時 憲 章 を 宣 布 す る。

「大 韓 民 国 臨 時 憲 章 」

第1条 大 韓 民 国 は,民 主 共 和 制 とす る。

第2条 大 韓 民 国 は,臨 時 政 府 が 臨 時 議 政 院 の 決 議 に よ って これ を 統 治 す る。

第3条 大 韓 民 国 の 人 民 は,男 女 ・貴 賎 お よ び 貧 富 の 階 級 が な く,‑w 切 平 等 で あ る。

第4条 大 韓 民 国 の 人 民 は,信 教 ・言 論 ・著 作 ・出 版 ・結 社 ・集 会 ・ 信 書 ・住 所 移 転 ・身 体 お よ び所 有 の 自 由 を 享 有 す る。

第5条 大 韓 民 国 の 人 民 に し て 公 民 資 格 を 有 す る 者 は,選 挙 権 ・被 選 挙 権 が あ る 。

第6条 大 韓 民 国 の 人 民 は,教 育 ・納 税 お よ び兵 役 の 義 務 が あ る。

12

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憲法 的文書 を 中心 と して見 た韓 国憲 法前史(下)

第7条 大 韓 民 国 は,神 の 意 思 に よ り建 国 し た精 神 を 世 界 に 発 揮 し, 進 ん で 人 類 の 文 化 お よ び 平 和 に 貢 献 す る た め に,国 際 連 盟 に加 入 す る 。

第8条 大 韓 民 国 は,旧 皇 室 を 優 待 す る。

第9条 生 命 刑 。身 体 刑 お よ び公 娼 制 を 全 廃 す る。 ㌦

P

第10条 臨 時 政 府 は,国 土 回 復 後 満 一 年 以 内 に 国 会 を 召 集 す る。

こ の 憲 章 は,簡 略 で は あ るが,第1条 と第2条 で 統 治 機 構 を ,第3条 乃 至 第6条 お よ び第9条 で 基 本 的 人 権 の 保 障 を,そ れ ぞ れ 規 定 して い る。

国 土 も な く,国 民 もい な い,異 国 の 地 で成 立 した 臨 時 政 府 が 制 定 した と い う点 を 除 く と,韓 国 憲 法 史 上 は じめ て 真 に憲 法 と呼 ば れ 得 る体 系 を , 一 応 有 した もの とい え る

第1条 で,国 体 お よ び 政 体 を 民 主 共 和 政 と規 定 した こ と は,憲 章 宣 布 文 か ら も 明 らか な よ う に,三 ・一 独 立 運 動 の 必 然 的 な 結 果 で あ っ て, 大 韓 帝 国 の 復 活 で は な く,革 命 的 建 国 で あ る こ と の 表 明 とい え る。 も っ

と も,第8条 の 旧皇室優待 条 項は,こ の第1条 の趣 旨と矛 盾す る と ま で は 断 言 で き な い に し ろ,そ の 政 治 思 想 の 不 徹 底 さ を 示 す もの と言 わ ざ る を 得 な い が,悲 運 の 王 朝 に 対 す る感 情 が 未 だ 国 民 の 心 か ら完 全 に払 拭 されて い な い 状 況 下 で は,各 界 各 層 を 総 網 羅 して ,民 心 を 収 合 さ せ る た め に は や む を 得 な い 政 策 的 配 慮 で あ っ た と思 わ れ る。 ま た,第10条 で,生 命 刑,身 体 刑 の 廃 止 を 規 定 して い るが,こ れ は,多 くの 人 々 が 拷 問 と獄 中 の 辛 酸 を な め た経 験 か ら く る痛 切 な気 持 の 表 現 で あ っ た の か も しれ な い 。 そ し て,第2条 で は,国 民 の権 利 保 障 に 先 立 ち9統 治 構 造 の 規 定 を 置 い て い

る。 この こ と は,独 立 運 動 に お け る 政 府 の 重 要 性 を 示 す も の で あ ろ う。

と こ ろ で,こ の 条 文 は 「大 韓 民 国 は,臨 時 政 府 が 臨 時 議 政 院 の 決 議 に よ って これ を 統 治 す る 」 と規 定 さ れ て い て,司 法 府 は 省 略 され て い るが, 議 会 と行 政 府 を 分 立 さ せ て い る。 の み な らず,議 会 で あ る議 政 院 は,国

16)

政 の す べ て の 決 議 を し,政 府 を 拘 束 す る よ う に して い る。 即 ち,議 政 院

(12)

は,国 政 の 最 高 政 策 決 定 機 関 で あ る と言 え よ う。 そ して,こ の こ とが 他 の 臨 時 政 府 と 大 き く異 な る点 で あ り,ま た,こ の こ との 故 に,他 の2政 府 を 包 摂 す る こ とに 成 功 し た の で あ る。 ま さ に,「 この 上 海 政 府 の 強 勒 性 は,そ れ が 他 の どの 臨 政 も も っ て い な か っ た 『議 政 院 』 を 構 成 し,そ

の 議 政 院 が 事 実 上 の 行 政 府 を 構 成 して 指 導 して 行 っ た 結 果 で あ る と考 え ざ るを え な い 。 そ して,こ の 政 府 が 事 実 上8・15解 放 ま で の わ が 国 唯0 の 政 府 で あ っ た し,臨 時 政 府 の 寿 命 と して は 世 界 で も っ と も長 い もの で あ っ た(そ の 寿 命 は 民 族 の 不 幸 に 正 比 例 す るの だ が)。 上 海 臨 時 政 府,

17)

こ れ こそ が 韓 国 民 主 主 義 の シ ンボ ル で あ り,光 明 で あ った 」 と言 って も 決 して 過 言 で は な い 。 実 際,他 の どの 臨 時 政 府 よ り も,法 律 に よ る 民 主 政 治 が 行 な わ れ,国 民 国 家 の 統 治 形 態 が と られ て い た し,そ の 規 模 も最 も 大 きい もの で あ っ た 。

(3)漢 城 政 府(国 内 ソ ウル) 18)

(i}成 立 経 過

臨 時 政 府 の な か で 最 も遅 くそ の 成 立 が 発 表 され た の が,三 ・一 独 立 運 動 に 参 加 した 国 内 の 独 立 志 士 達 が 主 導 者 と な って 組 織 し た 漢 城 政 府 で あ る。3月 中 旬 ご ろか ら,韓 南 沫 ・金 恩 国 ・洪 髭 蕪(震)・ 李 奎 甲 ら は, 各 独 立 運 動 団 体 を 網 羅 して 国 民 大 会 を 組 織 し,臨 時 政 府 を 樹 立 す る 系 統 的 独 立 運 動 を 秘 密 裡 に す す め て い た 。 彼 等 は,各 方 面 の 同 志 達 と接 触 し て 具 体 的 な方 案 を 協 議 した が,つ い に4月2日,仁 川 の 万 国 公 園 で13道 代 表 者 大 会 を 開 い て 臨 時 政 府 の 樹 立 を 宣 布 す る こ と に 決 定 した 。 しか し,

日帝 の 監 視 が き び し く,当 日,万 国 公 園 に 集 ま っ た の は,わ ず か20余 名 に す ぎ な か っ た た め に,彼 等 は,付 近 の 静 か な 飲 食 店 の 部 屋 を か り て 秘 密 会 議 を も ち,臨 時 政 府 の 組 織 とパ リ講 和 会 議 へ の 代 表 派 遣 お よ び 国 民 大 会 を 開 き政 府 樹 立 を 国 内外 に宣 布 す る こ と等 の 事 項 に 関 して 合 意 を 見,

14

(13)

憲法 的文書 を 中心 と して見 た韓 国 憲法前 史(下)

そ の連 絡 準 備責 任 者 を選 出 した。 そ の後,ソ ウル市 内の 内需 洞64番 地 の 韓 聖 五(当 時,検 事)の 家 で準備 会 議 を もち,臨 時 政 府 お よ び国民 大 会 に 関す る具 体 的方 案 を 討議 し,李 東旭 を して 国民 大 会趣 旨書,宣 布 文 お よ び約 法 等 を起 草 させ た。 そ して,国 民 大 会 の場 所 は,ソ ウル 市 内瑞 麟 洞 の 中 国料 理店 「奉 春 館」 とさ だめ}学 生 数千 名を 鍾路 一帯 で 示威 させ る一 方,自 動車 で 市 内各処 に ビ ラを 撒 く案 が た て られ た。 この 案 に従 っ て,国 民 大会趣 旨書,宣 布 文,13道 代 表の 名 簿,臨 時 政府 組 織 お よ び約 法 等 が 印刷 され,同 時 に,前 述 した よ うに,姜 大 鉱を 上海 に派 遣 して臨 時 政 府樹 立 を 知 ら しめ た。 か くて,4月23日,小 規 模 の もので あ ったが, 学 生 の 示威 と民 衆 の 各 種 印刷 物 散 布事 件 が あ った。 奉 春 館 での 国 民 大会

の 真 相 は 未 だ判 らな いが,13道 の代 表24名 で 組織 され た国 民 大会 名 義 で 李 承 晩 を執 政 官総 裁 と し,李 東 輝 を国 務総 理 とす る臨時 政府 の樹 立 が 宣 布 され た。 この事 実 は,世 界 的 な通 信 機 関 で あ った 『連 合 通信 』(UP) を通 じ て,海 外 に 報道 され た。

19) (iD政 府 形態

Zo}

漢 城 政府 の閣 僚 名簿 は次 の とお りで あ った。

執 政 官 総 裁:李 承 晩 国 務 総理 総 裁:李 東 輝

外 務 総長:朴 容 萬 内務総 長:李 東 寧 軍 務総 長:盧 伯麟 財 務総 長:李 始栄 法 務総 長:申 圭 植 学 務総 長:金 奎植

交 通総 長:文 昌範 労働 局 総 弁:安 昌浩 参謀 部 総 長:柳 東説1囲 この 政府 組 織 で 注 目 され る こ とは,執 政官 総 裁 の 名称 と労働 局 を行 政 各 部 の序 列 に置 い て い る ことで あ る。執 政官 総 裁 とい う名称 は,封 建 的 称 号が 近代 的な もの に移 行 す る過 渡期 的 な もの と推 測 す る見 解 もあ るが,

この 政府 樹 立 の推 進 人 物 が洪 冤蕪(震)の よ うな啓 蒙 思 想 家 で あ った点,

労 働 局 を特 設 して革 新性 を見 せ て い る点,そ して,約 法 を は じめ とす る

(14)

各 種 文 書 の 内 容 が 近 代 的 で あ る点 等 を 考 え あ わ す と き,封 建 的 残 影 と 見 る よ り は,む しろ,全 国 的 規 模 の 選 挙 を 通 じて 選 ば れ る べ き 大 統 領 とい う名 称 を 数人 の意 思の み で用 い る こ との 不 適 当 さ に か ん が み,臨 時 方 便 と

21)

して 執 政 官 総 裁 とい う称 号 を 用 い た も の と見 る方 が 妥 当 で あ ろ う。 次 に, 労 働 局 の 設 置 で あ る が,こ れ は,当 時,ソ 連 政 府 を 労 農 政 府 と呼 び,ソ 連 革 命 に 魅 せ られ て い た こ と を 考 え る と き,ソ 連 革 命 の 影 響 で あ ろ う と お も わ れ る。 さ らに,閣 僚 の 構 成 員 に お い て は,執 政 官 総 裁 を は じめ 一 人 も 国 内 に い る 独 立 運 動 家 を 選 ば な か っ た こ と で あ る 。 これ は,日 帝 の 武 断 統 治 下 に あ る国 内 で は 独 立 運 動 が 不 可能 で あ る こ と にか ん が み,政 府 は 国 内で 組 織 した が,実 際 の 活 動 は,海 外 で す る こ と を 予 想 して い た

もの と い え よ う。

と こ ろ で,こ の 閣 僚 名 簿 と 同 時 にf18人 か らな る評 政 官 の 名 簿 とパ リ 講 和 会 議 に 国 民 代 表 と して 出席 す る7人 の 要 員 名 簿 が 発 表 され て い る。

この 評 政 官 の 職 務 は 何 で あ り,政 府 と の 関 係 は ど うで あ るの か と い う こ と に つ い て は,何 ら言 及 さ れ て い な い た め,そ の 性 格 に つ い て は 明 確 で な い。 しか し,政 府 樹 立 の 宣 布 が 急 先 務 で あ っ た 当 時 の 事 情 か らす る と, 議 会 的 性 格 を 帯 び た もの と い う よ りは,執 政 官 総 裁 ま た は 政 府 の 諮 問 機

22)

関 と して 構 成 され た もの とお も わ れ る。 また,パ リ講 和 会 議 に 参 席 す る 代 表 を 認 定 し た こ と は,パ リ講 和 会 議 に 代 表 を 派 遣 し,民 族 自決 主 義 の

原 則 に よ る韓 国 の 独 立 を 主 張 す る こ とが,漢 城 政 府 の 当面 の 任 務 で あ り, この た め に ま た 政 府 樹 立 を 急 い だ こ と を 示 して い る と解 せ られ る。

23)

㈲ 約 法

漢 城 政 府 が 宣 布 した 約 法 は,次 の と お りで あ る。

第1条 国 体 は民 主 制 を 採 用 す 。 第2条 政 体 は代 議 制 を 採 用 す 。

第3条 国 是 は 国 民 の 自由 と権 利 を 尊 重 し世 界 平 和 の 向 運 を 増 進 す 。

i6;

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憲法 的 文書 を 中心 と して見 た韓 国憲法前 史(下)

第4条 臨 時 政 府 は 左 の 権 限 を 有 す る 。 1.一 切 内政1.一 切 外 交 第5条 朝 鮮 国 民 は 左 の 義 務 を 負 う。

1.納 税1.兵 役

第6条 本 約 法 は,正 式 国 会 を 召 集 して 憲 法 を 発 布 す る と き ま で,こ れ を 適 用 す 。

この6ケ 条 の 約 法 は,前 述 した 大 韓 国 民 議 会 政 府 の 決議 文 よ りは 進 歩 した も の で あ る が,上 海 の 臨 時 政 府 の 臨 時 憲 章 と 比 較 す る とき,国 家 の 基 本 法 と して は 相 当 に 未 整 備 な もの で あ る。

第0条 で 国 体 は 民 主 制 と し,第2条 で 政 体 は 代 議 政 と規 定 し て い る が, こ れ は,憲 法 理 論 上 不 適 切 な 表 現 で あ る。 け だ し,通 常,国 体 は,主 権 の 所 在 に よ る国 家 形 態 の 分 類 で あ っ て,君 主 国 と共 和 国 に 大 き く二 分 さ れ,政 体 は,統 治 権 の 発 動 方 式 に よ る分 類 で あ っ て,直 接 政 体 と間 接 政 体,或 は,専 制 政 体 と制 限 政 体 に 区 分 され る もの で あ る か らで あ る。 ま た, 第3条 で,国 民 の 自 由 と権 利 の 尊 重 がpAAわ れ て い る が,そ の 自 由 と権 利 に 対 す る具 体 的 な 規 定 が な い の に 反 しJ国 民 の 義 務 と して,第5条 に納 税 と 兵 役 が 明 記 さ れ て い る。 さ らに,統 治 構 造 と して は議 会 が な い こ と

と,第4条 で,一 一切 の 内政 と一 切 の 外 交 の 権 限 を 臨 時 政 府 が 有 す る と規 定 して い る の み な らず,第6条 で は,正 式 国 会 が 召 集 さ れ て 憲 法 を 発 布 す る と き ま で は この 約 法 が 適 用 す る と規 定 して い るた め に,内 閣 に 全 権 を 委 任 す る もの と な っ て い る。 この 約 法 宣 布 以 後,国 民 大 会 は 一 度 も召 集 され な か っ た た め,理 論 上 で は1948年 に制 憲 国 会 が 憲 法 を 制 定 す る と

き ま で,李 承 晩 執 政 官 総 裁 に全 権 を 委 任 した こ と に な る。 そ こ で,李 承 24)白

は 国 外 の 他 の 臨 時 政 府 よ り も,こ の 臨 時 政 府 を 正 当 視 し,5月 に は,

ワ シ ン トンに 執 政 官 事 務 所 を 設 置 して,太 極 旗 を 掲 揚 す る た め に 米 国 当

局 の 許 諾 を 受 け,8月5日 に は そ の 指 揮 下 に 「韓 国 委 員 部(TheKGrean

(16)

NationalCommission)を 設 置 し,9月 に これ を 「欧 米 委 員 部 」 と 改 称 した 。 この 委 員 部 の 性 質 は,欧 米 に ま た が る領 事 事 務 を 含 ん だ 大 使 館

と で も い え る もの で あ り,そ れ に 加 え て 徴 税 事 務 を も 担 当 した 。

と も あ れ,こ の 漢 城 政 府 は,先 の2つ の 臨 時 政 府 と異 な り,そ の 準 備 過 程 に お い て 地 下 組 織 で あ り,そ の 約 法 もr上 海 の 臨 時 政 府 の 臨 時 憲 章 と比 べ る と相 当 に未 備 な もので あ るが,本 国の首 都で,か つ13道 代表 の 国 民 大 会 の 名 義 で 樹 立 さ れ た とい う点 で,ま た,そ の 消 息 が 連 合 通 信(UP)

に よ り世 界 に 報 道 され る と い う国 際 的 宣 布 効 果 を 有 した と い う点 で,大 きな意 義 が あ る。 そ して,こ れ が 故 に,後 日の3政 府 の 統 合 過 程 で,三

・0独 立 運 動 の 伝 統 を 受 け 継 ぐもの で あ る と認 定 さ れ r正 統 性 を 有 す る こ と に な る の で あ る 。

25) (4)各 臨 時 政 府 の 共 通 点

露 領,上 海,国 内の 三 ケ 所 で 成 立 した 臨 時 政 府 を 概 観 した が,そ こ で 明 らか と な っ た こ と は,各 々の 臨 時 政 府 が,決 して 排 他 的 に独 立 機 構 を 設 置 しよ う との 考 え か ら並 立 した もの で は な い と い う こ とで あ る 。 こ の こ と は,各 政 府 と も政 府 組 織 の 主 役 者 た ち は 入 閣 しな か った こ と を 見 て も 明 らか で あ る。 即 ち,ど の 臨 時 政 府 の 成 立 も,三 ・一 独 立 運 動 を 経 て, 政 府 の 樹 立 な く して は 独 立 運 動 の 継 続 が 不 可 能 で あ る と の 切 実 な要 求 の 表 現 で あ っ た とい う こ と が で き よ う。 従 って,各 地 の 臨 時 政 府 は,推 進 人 士 達 の 立 場 や 政 治 思 想 的 背 景 の 差 異 に よ り,そ の 性 格 を 若 干 異 に す る と い え ど も,基 本 的 な 点 に お い て は,次 の よ う な 共 通 点 が あ っ た の で あ る。

第 一 に,民 族 指 導 者 と して 著 名 な 人 士 で あ れ ば,本 人 の 意 思 に 何 ら関 係 な し に,臨 時 政 府 の 高 位 責 任 者 に 推 戴 さ れ た と い う事 実 を 挙 げ る こ と が で き る。 これ は,そ の と き ま で 臨 時 政 府 を 主 導 す るだ けの確 固 た る政 治 勢 力 や 階 層 が 形 成 され な か っ た とい う こ とで も あ る が,ま た 一 方 で はi

18

(17)

憲法 的文書 を 中心 と して見 た韓 国憲法 前史(下)

所 属 団 体 や 思 想,宗 派,地 域 を 超 越 して,専 ら独 立 の た め の 全 国 民 的 政 府 の 樹 立 を 考 え て い た 証 左 で あ る と も い え る で あ ろ う。 具 体 的 に見 る と,

3政 府 と も,実 質 的 首 班 は 李 承 晩 で あ っ た し,安 昌 浩,金 奎 植,李 東 輝 26)

は3政 府 に す べ て 入 閣 して い る 。

第 二 に は,君 主 制 の 復 活 で は な く,民 主 共 和 制 と い う民 間 主 導 的 な 国 民 国 家 を 指 向 して い た と い う点 で あ る 。 こ れ は,享 ・一 独 立 運 動 の 指 導 者 達 の 独 立 後 の 政 体 に 対 す る思 想 が,漠 然 とで は あ っ て も,民 主 政 体 を 構 想 して い た こ と,ま た,東 京 留 学 生 の 二 ・八 独 立 宣 言 を は じめ とす る 多 くの 宣 言 文 に 表 わ れ た 思 想 と も一 致 す る もの で あ り,当 時 の 一 般 的 思 想 の 反 映 で あ る と い え よ う。

第 三 に,3ケ 所 の 臨 時 政 府 が,パ リ講 和 会 議 に対 して 大 き な 期 待 を か け,非 公 式 で あ れ,政 府 の 代 表 を 派 遣 し,独 立 を 請 願 す る こ とを 企 図 し た とい う点 で あ る。 即 ち,上 海 政 府 は 既 に1919年2月 に新 韓 青 年 団 代 表 と して パ リ講 和 会 議 に 参 席 させ る た め に 派 遣 さ れ て い た金 奎 植 に,外 務 総 長 兼 全 権 大 使 の 信 任 状 と運 動 費 を 送 っ た し,露 領 の 国 民 議 会 政 府 で

は,発 表 し た政 府 の 閣 僚 名 簿 に 講 和 大 使 制 を 置 い た の み な らず,ヲ}海, 高 昌 一 を 選 出 して,露 領 同胞 代 表 と して 派 遣 した 。 ま た,漢 城 の 国 民 大 会 は,李 承 晩,李 東 輝,金 奎 植,ほ か4名 の 独 立 運 動 の 大 物 を,国 民 代 表 と して 派 遣 す る こ と を 決 議 して い る。 さ らに,国 民 議 会 の 決 議 案 と上 海 臨 時 政 府 の 臨 時 憲 章 で は,国 際 連 盟 に 加 入 す る こ とを 主 張 して い る。

しか し,戦 勝 国 の 利 益 分 配 の た め の 会 合 で あ るパ リ講 和 会 議 に 対 す る韓 国 人 達 の 不 確 実 な 認 識 と過 度 の 期 待 は,そ れ に 相 応 す る程 度 の 失 望 と 幻 滅 を 抱 か した の み で,何 らの 効 果 も え られ な か っ た。

第 四 にf度 々 述 べ た よ う に,3政 府 と も,三 ・一 独 立 運 動 の 国 民 的 意

志 を 集 約 しよ う と した もの で あ る と い う点 で あ る。 そ して,こ の 点 こ そ

が,前 記 の3点 の 基 本 で もあ る。

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この よ う な共 通 点 を 有 す る各 政 府 が,一 つ の 政 府 へ と統 合 しゆ く こ と は 当 然 の こ と で あ ろ う。 そ も そ も臨 時 政 府 が 各 地 で 樹 立 され た の は,地 理 的 与 件 と,日 帝 の 監 視,弾 圧,検 挙 に よ り,十 分 な 連 絡,協 議 が 不 可 能 で あ っ た た め の 産 物 で あ った 。 しか し,各 地 で の 臨 時 政 府 樹 立 は,抗

日闘 争 に お い て 分 散 と混 乱,統 一 の 弱 化 を 招 来 す るの み な らず,対 外 的 に は,韓 民 族 の 統0さ れ た 政 治 力 量 を 疑 わ しめ る よ う に な る。 そ こ で,

3ケ 所 の 政 府 は 統 合 へ の 努 力 を す る に至 るの で あ る 。 注

1)通 常 大 韓 国 民 議 会(露 領 ウ ラ ジ オ ス トッ ク),朝 鮮 民 国 臨 時 政 府(案) , 上 海 臨 時 政 府(大 韓 民 国 臨 時 政 府),新 韓 民 国 政 府(案) ,漢 城 政 府,の5つ

と さ れ て い る が,李 舷 煕 教 授 が 最 近 新 た な 文 献 を 入 手 し,1919年4月1日 を 期 して 畿 湖 地 域 に 樹 立 し よ う と し た 「大 韓 民 間 政 府 」 が あ っ た と 発 表 した 。 李

舷 煕,「 大 韓 民 国 臨 時 政 府 史 」

2)李 絃 煕,前 掲 書,50‑52頁 。 金 栄 秀,『 大 韓 民 国 臨 時 政 府 憲 法 論 』 (犬iO,三 英 社,1980年),75‑76頁 。 洪 淳 錘,「 漢 城 ・上 海 ・露 領 臨 時 政 府 統 合 過 程 」 『三 ・一 運 動 五 〇 周 年 記 念 論 集 』(刈O,東 亜 日報 社,1978年) 所 収895頁 〔 渡 辺 学 訳 「大 韓 民 国 臨 時 政 府 の 成 立 過 程 」(『 韓 』 第9巻 第4・5合

併 号(1980年)所 収),7頁)。 李 康 勲 『大 韓 民 国 臨 時 政 府 史 』(刈 音,瑞 文 堂,1977年)11‑16頁 。 を 参 照 。

3)李 絃 煕,前 掲 書,50‑‑52頁 。 金 栄 秀,前 掲 書,76‑77頁 。 洪 淳 鉦,前 掲 論 文,895頁(渡 辺 訳,8頁)。 李 康 勲,前 掲 書,15‑16頁 。

4)李 舷 煕,前 掲 書,53‑54頁 。 金 栄 秀,前 掲 書,77‑78頁 。 李 康 勲,前 掲 書,16頁 。

5)漢 城 政 府 の 決 議 事 項 は 次 の と お り 。1.臨 時 政 府 組 織 ノ コ ト。2.日 本

政 府 二 向 テ 朝 鮮 ノ統 治 権 ノ 撤 去,軍 備 撤 退 要 求 ノ コ ト。3.巴 里 講 和 会 議 二 出

席 ス ル 人 員 選 定 ノ コ ト。4.朝 鮮 人 ニーシ テ 日本 官 庁 二 在 職 ス ル 官 公 吏 バ ー 切 退

職 ス ル コ ト。5.一 般 人 民 ハ 日 本 官 庁 二 各 項 納 税 ヲ拒 絶 ス ル コ ト。6.一 般 人

Zo

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憲法 的文 書 を 中心 と して見 た韓 国憲 法前 史(下)

民 ハ 日本 官 庁 二 対 シ テ ー 切 ノ請 願 及 訴 訟 行 為 ヲ セ ザ ル コ ト(金 栄 秀

,前 掲 書,.

91頁)。

6)上 海 政 府 の6ケ 条 の 政 綱 は 次 の と お り。1.民 族 平 等 国 家 平 等 及 人類 平 等 の 大 を 宣 伝 す る こ と ・2・ 外 国 人 ㊥ 生 命 財 産 を 保 護 す る こ と

。3.L切 政 治 犯 人を特赦 す ること・4.外 国 に対 す る権 利 ・義 務 は民国 政府 と締結 す る条約 に依 ること・5 .絶 対独立 を誓 瞳 る こと.6 .麟 政府 の灘 を寵 す る者

は 敵 と 認 む こ と 。(李 弦 煕,前 掲 書 ,63‑64頁)。

7)金 栄 秀,前 掲 書,78頁 。

8)李 舷 煕 ・ 前 掲 書,59‑62頁 。 金 栄 秀 ,前 掲 書,… 頁 。 洪 淳 鑓,前 掲 論 文 ・896‑897頁(渡 辺 訳,10‑‑12頁)。 李 康 勲

,前 掲 書,17‑20頁 。 9)臨 時 政 府 成 立26周 年 のQ"r..を し 紳 難 内 瀦 長 は

,そ の 報 告 の 中 で

「4月8日 に 李 ボ ン ス 同 志 が 内 地(国 内)で 組 織 した 内 閣 名 簿 を 持 っ て 来 て, 更 に 討 議 す る よ う に な り,物 議 が 政 府 を 組 織 し な け れ ば な らな い と な り … … 」

と 述 べ て い る ・ ま た,在 上 海 日本 領 事 館 警 察 部r朝 鮮 民 族 運 動 年 鑑 』 で は ,1 919年3月 下 旬 の と こ ろ に,京 城 独 立 団 本 部 か ら李 鳳 珠 を 上 海 に 派 遣 し た と い う記 事 が あ り,4月8日 に は,京 城 独 立 団 本 部 か ら姜 大 鉱 が 持 っ て 来 た 文 書 を お い て 上 海 運 動 者 の 間 に 論 議 が 紛 々 で あ る と の 記 事 と と も に ,李 鳳 沫 が 上 海 に 到 着 し た と 記 載 され て い る 。 こ の 李 鳳 沫 と 姜 大 鉱 と の 関 係 に つ い て は 知 る こ と が で き な い が ・ こ の 李 鳳 珠 が 申 翼 熈 報 告 の 李 ボ ン ス と 同 一 人 物 と 見 る な ら ば

, 上 海 政 府 は 李 鳳 株 の 文 書 に よ り 組 織 を 着 手 し た と 見 られ る(趙 東

,,.,「 大 韓 民 国 臨 時 政 府 組 織1国 史 編 纂 委 員 会 編r韓 国 史 論10一 大 韓 民 国 臨 時 政 府 ̲』

(犬憶 民 衆 文 化 社,1983年 ,所 収)59‑60頁).こ の こ と か ら,上 海 政 府 と 後 述 す る 漢 城 政 府 と の 関 係 が,如 何 に 深 か っ た か を 窮 う こ と が で き よ う

。 10)金 栄 秀,前 掲 書,…i頁 。

11)申 采 浩 は ・ こ れ 故,「 李 承 晩 は,李 完 用(韓 日合 邦 時 の 総 理)よ り も , 更 に 大 き な 逆 賊 で あ る ・ 李 完 用 は 存 在 して い る 国 を 売 り 飛 ば し た が

,李 承 晩 は,

(20)

前 掲 書,83頁 。 李 康 勲,前 掲 書,20頁)。

12)李 絃 煕,前 掲 書,62‑64頁 。 金 栄 秀,前 掲 書,83‑85頁 。 洪 淳 鉱 前 掲 論 文,897‑898頁(渡 辺 訳,12‑15頁)。 李 康 勲,前 掲 書,20‑22頁 。

13)各 部 総 長 の 選 出 方 法 は,候 補 者3人 を 口 頭 呼 薦 し,無 記 名 単 記 式 で 投 票 して,出 席 議 員3分 の2の 可 決 で 決 定 す る こ と と し た ・ こ の と き の 候 補 者 は ・ 李 承 晩 以 外 に,李 東 輝 と 安 昌 浩 で あ り,投 票 の 結 果,李 承 晩 が 国 務 総 理 に 当 選 した 。(呉 世 昌 「大 韓 民 国 臨 時 議 政 院 望 役 割 」 国 史 編 纂 委 員 会 編 『韓 国 史 論 10一 大 韓 民 国 臨 時 政 府 一 』(刈 老 民 衆 文 化 社,1983年,所 収)・44頁 。 14)金 英 秀,前 掲 書,85頁 。

15)李 眩 煕,前 掲 書,64‑65頁 。 金 栄 秀,前 掲 書,85‑87頁 ・ 洪 淳 鉦i・ 前 掲 論 文t897‑898頁(渡 辺 訳,12‑13頁)。 呉 世 昌,前 掲 論 文 ・45‑‑47頁 。 李 康 勲,22‑25頁 。 梶 村 秀 樹 『朝 鮮 史 の 枠 組 と 思 想 』(研 文 出 版,1982年)

148‑151頁 。

16)大 韓 民 国 臨 時 議 政 院 に 関 す る 詳 細 な 研 究 は,呉 世 昌,前 掲 論 文 。 17)洪 淳 錘,前 掲 論 文,896頁(渡 辺 訳,10頁)・

18)李/玄 煕,前 掲 書,67‑68頁 。 金 栄 秀,前 掲 書,87‑88頁 ・ 洪 淳 鉦 ・ 前 掲 論 文,:'・ ・1#頁(渡 辺 訳,16‑18頁)。 呉 世 昌,前 掲 論 文 ・34‑35頁 。 李 康 勲,27‑32頁 。 趙 東 前 掲 論 文,58‑60頁 ・

19)李 舷 煕,前 掲 書,68‑71頁 。 金 栄 秀,前 掲 書,88‑90頁 ・ 洪 溺 玉・ 前 掲 論 文,900‑902頁(渡 辺 訳,18‑22頁)。 李 康 勲,前 掲 書,28‑29頁 。 20)安 昌 浩 が,他 の 政 府 に 比 して 格 下 さ れ て い て 異 論 が あ る 。 一 説 に よ れ ば,

3月 下 旬 に 李 鳳 沫 が 上 海 に 持 っ て 行 っ た 組 閣 名 簿 に は 内 務 総 長 と な っ て い た が, 中 途 で 変 更 さ れ た と い う 。 趙 東,,,.,前 掲 論 文,59頁 ・

21)同 論 文,58頁 。

22)李 絃 煕,前 掲 書,70頁 ・

22

(21)

憲法 的文書 を 中心 と して 見た韓 国憲法 前史(下)

23)李,Y/,煕,前 掲 書,69‑71頁 。 金 栄 秀,前 掲 書,90‑92頁 。 洪 淳 鉦,前 掲 論 文,901‑‑902頁(渡 辺 訳,20‑一 一22頁)。 李 康 勲,前 掲 書,29頁 。

24)李 承 晩 は,上 海 臨 時 政 府 の 憲 法 改 正 に 伴 う統 合 政 府 の 大 統 領 に 就 任 し た 後 に も,内 閣 と の 意 見 対 立 が 生 ず る と き に は,漢 城 政 府 約 法 第6条 の 規 定 を 挙 げ,

自 身 の 正 統 性 を 主 張 し た 。 こ れ が,後 日,彼 に 対 す る 弾 劾(1925年3月23日,

臨 時 議 政 院 を 通 過)の 重 要 な 理 由 に も な っ た の で あ る 。 彼 の 漢 城 政 府 正 統 論 は, 解 放 後 に 帰 国 し た の ち に も継 承 さ れ た 。 李 絃 煕,前 掲 書,70頁 。 金 栄 秀,前 掲 書, 92頁 お よ び122頁 。

25)李 舷 煕,前 掲 書,71‑73頁 。 金 栄 秀,前 掲 書,92‑94頁 。 26),3政 府 の 閣 僚 名 簿 を 比 較 す る と 次 の 表 の 通 り で あ る 。

漢城 ・上海 ・露領 政府 の閣僚 名簿 比較 職 位

地 方 漢 城 政 府 上海臨時政府 露領 国民議会

大 統 領(首 班) 李承吋 辮 鋤 孫 乗 煕

副 統領(副 首班) 朴 泳 孝

首 相 李 東 輝 李 承 晩 李 承 晩

内 務 李 東 寧 安 昌 浩 安 昌 浩

外 務 朴 容 萬 金 奎 植

軍 務 盧 伯 麟 李 東 輝 李 東 輝

財 務 李 始 榮 崔 在 亨 罪 顕 振

学 務 金 奎 植

法 務 申 圭 植 李 始 榮

文 範 昌 文 昌 範

産 業 安昌浩 墜鞠 南 亨 ・ 祐

金 栄 秀,前 掲 書,98‑99頁 よ り 引 用 。

(22)

1V各 臨 時 政 府 の 統 合 一 大韓 民 国 臨 時 政 府 の 樹 立一

(1)統 合 以 前 の 各 臨 時 政 府 の 現 状

3ケ 所 の 臨 時 政 府 は,早 くか らそ の 統 合 を 計 画 して い た に も か か わ ら ず,そ の 統 合 は 決 して 容 易 で は なか っ た 。 何 故 な ら,露 領 政 府 は,地 理

的 に も,ま た 韓 国 同 胞 の 優 勢 な 分 布 を 見 て も,満 州 と露 領 地 域 が 独 立 運 動 に 適 合 す る と主 張 した の に対 し,上 海 政 府 は,そ こで は 国 際 的 な 中 心 地 とな りえ な い の で,友 邦 との 協 力 や 後 援 問 題 に 難 点 が あ る と して,む

し ろ上 海 が そ の 中 心 地 と な らな け れ ば な らな い と反 論 した し,さ ら に 漢 城 政 府 は,三 ・0独 立 運 動 の 本 処 地 で あ る韓 国 の 首 都 で 成 立 し,ま た, 13道 代 表 が 全 体 意 志 を 集 約 した 民 間 政 府 で あ る との 理 由 で,そ の 場 所 は 問 わ な い が,漢 城 政 府 の み が 正 統 性 を 有 して い る と主 張 し,各 々,相 違

1) した 主 張 を 展 開 して い た た め で あ る。

と こ ろ で,統 合 され る直 前 の1919年8月 現 在 の3政 府 の 実 態 を み れ 2)

ば,露 領 の 国 民 議 会 政 府 は,そ の 母 体 で あ る大 韓 国 民 議 会 が 存 在 し た の み で あ り,政 府 は,空 白 状 態 で あ っ て,大 統 領 の 孫 乗 煕 は 当 初 か ら象 徴 的 存 在 で しか あ りえ ず,国 務 総 理 の 李 承 晩 は,漢 城 政 府 の 執 政 官 総 裁 に 就 任 して い た し,内 務 総 長 の 安 昌 浩 も上 海 政 府 に就 任 して い て,多 くの 閣 僚 か ら無 視 され,た だ 軍 務 総 長 の 李 東 輝 の 去 就 が 注 目を 受 け て い た の み で あ っ た 。 ま た,上 海 政 府 は,国 家 元 首 で か つ 政 府 首 班 の 李 承 晩 が 同 様 に 未 就 任 で あ り,5月10日 に は,閣 僚 の う ち で 唯 一 上 海 に い た 法 務 総 長 の 李 始 栄 が 辞 任 して,閣 僚 な き政 府 と な っ て い た が,5月25日,内 務 総 長 の 安 昌 浩 が 上 海 に 到 着 し,6月26日 に彼 が 国 務 総 理 代 理 と な り,次 長 内閣 と い う変 則 的 な 政 府 運 営 を して い た 。 さ らに,漢 城 政 府 は,そ の 執 政 官 総 裁 で あ る李 承 晩 が ワ シ ン トンで 総 裁 事 務 所 を 設 置 し,実 体 は ワ シ

ン ト ンに あ っ た 。 こ の よ う な 状 況 の な か で,3政 府 と も に 問 題 と な っ た

24F

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憲 法的文 書 を中心 と して 見た韓 国憲 法前 史(下)

の は,閣 僚 の 未 就 任 に よ る空 白 状 態 と,政 府 の 実 質 的 首 班 で あ る 李 承 晩 の 動 静 で あ っ た と い え よ う。 しか し,彼 は 漢 城 政 府 に 就 任 して ,露 領 と 上 海 の 両 政 府 は 困 難 な立 場 に あ っ た0さ らに,前 述 し た よ うに,漢 城 政 府 は,国 内 で 国 民 的 手 続 に よ り組 織 さ れ た との 名 分 が あ り,ま た,日 帝

下 の 首 都 で は,漢 城 政 府 を樹 立 した 国 民 大 会 を 再 び 開 催 す る こ と は 不 可 能 で あ る の に反 し,露 領 と上 海 は,当 初 の 議 会 が そ の ま ま存 在 し て い た の で,如 何 な る 改 変 も可 能 で あ っ た 。 果 して ,こ の3政 府 の 統 合 は,露 領 ・上 海 の 両 政 府 が 改 変 す る こ と で,漢 城 政 府 と 一 体 化 す る と い う形 式 を と っ た の で あ る。

3) (2)統 合 過 程 一 大 韓 民 国 臨 時 政 府 の 誕 生 一

統 合 を 最 初 に 提 議 した の は,露 領 国 民 議 会 で あ っ た 。 上 海 臨 時 政 府 が 4)

樹 立 さ れ た 直 後 の4月15日,露 領 代 表 の 元 世 勲 は,国 民 議 会 と議 政 院 を 併 合 して そ の 政 府 は 露 領 に置 く との 誘 致 案 を提 起 し,さ ら に,5月1日, 彼 は 特 使 と して 上 海 に 行 き,外 交 部 と交 通 部 だ け を 上 海 に残 し,あ とは す べ て 吉 林 か シベ リア に 移 す こ と を 提 案 した 。 これ に 対 して,上 海 側 で は,露 領 に は 多 くの 同 胞 が 住 ん で い て 何 か と便 利 で あ るが,そ こ は 日本 の 官 憲 の 勢 力 範 囲 と な っ て お り,そ の 害 を 被 る か も しれ な い と して,政 府 は 必 ず 上 海 に 置 くこ と に 決 定 した 。 一 方,上 海 で は,5月13日 の 議 政 院 会 議 で,「 各 地 に 散 在 す る各 議 会 を 統0す る こ と」 を 決 議 し,7月11日 の 議 政 院 会 議 で は,「 ① 臨 時 政 府 の 位 置 は 上 海 とす る こ と。 た だ し,政 府 の 意 思 お よ び上 海 居 留 民 の 世 論 に よ り,随 時 自由 に そ の 位 置 を 変 更 す

る こ と が で き る こ と。 ② 臨 時 議 政 院 と露 領 国 民 議 会 を 合 併 し,議 会 を 組

織 す る こ と。 た だ し,露 領 側 が こ の 議 会 の 位 置 を 露 領 内 とす る こ とを 絶

対 主 張 す る と き は,こ れ を 許 す こ と(た だ し,議 員 組 織 に お い て,露 領

か らは6人 以 内 の 議 員 を 選 出 す る こ と)」 と い う政 府 側 の 提 議 を 可 決 さ

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せ た 。 これ は 上 海 側 が 提 示 した 案 で は あ る が,露 領 側 か ら見 れ ば,上 海 政 府 に 李 東 輝,崔 在 享,文 昌範,等 の 露 領 人 士 が 入 閣 す る こ と に な る う え,議 政 院 問 題 で も有 利 な 条 件 で あ り,満 足 す る もの で あ っ た 。

と こ ろ で,こ の よ う な と き に,ソ ウ ル の 国 民 大 会 の 消 息 が 伝 え られ, そ こで 成 立 し た 漢 城 政 府 は 「連 合 通 信 」 の 電 波 に よ り世 界 に知 られ る よ

うに な っ た 。 そ こ で,上 海 と露 領 の 両 政 府 の み の 統 合 は 無 意 味 と な る心 配 が あ り,上 海 で は 当 初 の 計 画 を 変 更 して,露 領 と連 絡 した 後,次 の よ う な 合 意 を 見 た 。 す な わ ち,「 ① 上 海 お よ び露 領 で 設 立 さ れ た 諸 政 府 に つ い て は,こ れ を す べ て 廃 止 し,国 内で13道 代 表 が 創 設 した 漢 城 政 府 の み を 継 承 す る。 国 内 の13道 代 表 が 民 族 全 体 の 代 表 で あ る こ とを 認 定 の こ と。 ② 政 府 の 位 置 は な お 上 海 とす る が,そ れ は 各 地 と の 連 絡 が 比 較 的 便 利 な た め で あ る。 ③ 上 海 で 設 立 した 政 府 の 制 度 と 人 選 を 廃 止 した の ち は, 漢 城 政 府 の 総 裁 制 度 お よ び そ の 人 達 を 採 用 す るが,上 海 に お い て 政 府 設 立 以 来 実 施 した 行 政 に つ い て は,そ の ま ま有 効 で あ る と認 定 す る こ と。

④ 政 府 の 名 称 は 大 韓 民 国 臨 時 政 府 とす る が,そ れ は 独 立 宣 言 後,政 府 が 各 地 の 代 表 に よ って 円 満 に 設 立 され た とい う歴 史 的 事 実 を 生 か す た め で あ る。 ⑤ 現 任 の政府閣 員 は全 員退 職 し,漢 城 政 府 の 選 出 した 閣 員 が政 府 を 引継 ぐ こ と」 で あ る 。 この 合 意 は,漢 城 政 府 側 は 言 う ま で も な く,露 領 政 府 側 も,そ の 指 導 者 ・李 東 輝 が 国 務 総 理 に 格 上 げ され る の で あ る か ら,

そ れ な りに 満 足 す べ き もの で あ った が,た だ,こ の 統 合 に 大 き な役 割 を 果 した上 海 政 府 の 安 昌 浩 は,労 働 局 総 弁 と い う地 位 に と ど ま る こ と に な

っ た 。

か くて,実 質 的 な 統 合 作 業 が,上 海 臨 時 政 府 に よ って な され た 。 具 体 的 に は,臨 時 政 府 の 改 造 と 臨 時 憲 法 の 改 正 で あ っ た 。 こ の 事 情 は,1919 年8月28日 に,国 務 総 理 代 理 の 安 昌浩 が 議 政 院 で した,臨 時 政 府 改 造 お

よ び 臨 時 憲 法 改 正 に 関 す る提 案 説 明 に よ く表 わ れ て い る。 即 ち彼 は,現

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憲法 的文書 を中心 と して見 た韓 国憲法 前史(下)

政 府 を 漢 城 式 に 改 造 す る が,た だ ひ と つ 異 る の は,「 執 政 官 総 裁 」 だ け が 「大 統 領 」 と そ の 名 称 を 変 え る こ とで あ り,い ま い わ ん とす る こ と は

「全 民 族 を 政 府 的 に統 一 し,こ れ を 内 外 に 示 そ う とす る こ とで あ り」,

「現 状 態 は,世 間 を して,我 が 民 族 に2個 の 政 府 の 存 在 す る こ とを 疑 わ

r

しめ る 」 以 上,「 二 者 の 一 を 取 る とす る な らば,我 が 国 土 の 首 府 に お い て 組 織 さ れ た 政 府 を 認 識 す る こ ど も ま た 意 味 あ る こ とで あ る。 或 は 両 者 を 共 に 棄 て,統 一 され た 新 政 府 を 組 織 す る こ とを 言 う者 も い る が,こ れ は,た だ,さ らに 一 一個 の 政 府 を 生 む だ け で,3個 の 政 府 の 存 在 を 疑 わ し あ る結 果 を 生 じ る こ と に ほ か な ら な い で あ ろ う」 と説 明 した 。 と も あれ, 議 政 院 で 討 議 さ れ た 政 府 改 造 案 と改 憲 案 は,9月6日 に 満 場0致 で 通 過

し,9月11日,大 韓 民 国 臨 時 憲 法 は公 布 され,新 内閣 も成 立 した 。 こ こ 5)

に,3政 府 の 統 合 は 完 了 し,上 海 の 地 に,統 合 され た単 一 政 府 で あ る「大 韓 民 国 臨 時 政 府 」 の 樹 立 を 見 た の で あ る。

s) (3}政 府 形 態

前 述 した 安 昌 浩 の 提 案 説 明 か ら も 明 らか な よ う に,憲 法 改 正 と政 府 改 造 の 主 眼 は,執 政 官 総 裁 を 大 統 領 と 改 称 し,行 政 府 の 各 部 署 組 織 と閣 僚 を 漢 城 政 府 形 態 の7部1局 制 とす る こ と,お よ び 政 府 閣 僚 名 簿 は,漢 城 政 府 名 簿 の とお り とす る こ と で あ っ た。

この う ち,特 に 問 題 と な っ た の は,漢 城 政 府 の 執 政 官 総 裁 や 上 海 政 府 の 国 務 総 理 に 代 え て,大 統 領 とす る こ と で あ った 。 す で に,漢 城 政 府 の 首 班 に就 任 して い た 李 承 晩 は,ワ シ ン ト ンに 執 政 官 総 裁 事 務 室 を 設 置 し, 韓 国 人 社 会 で は執 政 官 総 裁 の 職 名 を 使 用 して いた が,外 国 人 や 新 聞 発 表 に

は,大 統 領(president)と い う 名 称 を 用 い て い た の で あ る 。 こ れ に 対 し 」上 海 臨 時 政 府 側 はr李 承 晩 に,「 プ レ ジデ ン ト」 とい う 名 称 を 用 い

7)

ず 「執 政 官 総 裁 」 と 称 せ よ とい う電 報 を 打 っ た り した が,結 局,李 承

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晩 の 既 成 事 実 を 認 め ざ るを 得 ず,そ れ を 合 法 化 す る ほ か な か っ た 。 ま た,政 府 形 聾 を上 海 政 府 の6部 か ら7部1局 と し,政 府 閣 僚 を 漢 城 政 府 の と お り と す る こ と に よ り,上 海 政 府 の 実 質 的 指 導 者 で あ る安 昌 浩 が 「労 働 局 総 弁 」 とい う地 位 に な る こ と に対 し,上 海 側 で は,「 労 働 局 総 弁 」 を 「労 働 部 」 と しよ う との 動 き も あ っ た が,安 昌 浩 み ず か らの 反 対 で,「 労 働 局 総 弁 」 の ま ま と した 。 さ ら に,漢 城 政 府 の 参 謀 部 総 長 は 削 除 され た 。

か くて,統 合 政 府 で あ る 大 韓 民 国 臨 時 政 府 の 閣 僚 名 簿 は,次 の よ う に g}

な っ た。

大 統 領:李 承 晩 国 務 総 理:李 東 輝

内務 総 長:李 東 寧 外 務 総 長:朴 容 萬 軍 務 総 長:盧 伯 麟 財 務 総 長:李 始 栄 法 務 総 長:申 圭 植 学 務 総 長:金 奎 植

交 通 総 長:文 昌範 労 働 局 総 弁:安 昌 浩

この 政 府 は,大 統 領 の 李 承 晩 は ア メ リカ に い た が,露 領 に い た 新 国 務 総 理 の 李 東 輝 が9月18日 に上 海 に 到 着 した し,10月 下 旬 に は 文 昌 範,10 月27日 に は 李 東 寧,李 始 栄 も,順 次 上 海 に 到 着 した 。 そ こで,11月3日

に は,文 昌 範 を 除 き,上 海 に い る 李 東 輝 国 務 総 理 以 下 ,内 務,財 務,法 務 の3総 長 と労 働 総 弁 の 内 閣 就 任 式 が 開 か れ,11月4日 に は,第1回 国 務 会 議 を 開 催 した 。 これ ほ どの 巨頭 が 一 同 に 会 した こ と は,独 立 闘 争 の 歴 史 の な か で0度 も見 られ な か っ た こ と で あ り,統 一 大 韓 民 国 臨 時 政 府 の 具 体 的 な 成 立 で あ っ た とい え よ う。

と こ ろ で,こ の よ う に して 成 立 した 大 韓 民 国 臨 時 政 府 は,か つ て の 上 海 政 府 の 議 政 院 中心 制(議 院 内 閣 制)か ら漢 城 政 府 形 態 に 改造 さ れ た た め に,大 統 領 制 政 府 形 態 を 形 式 上 採 用 せ ざ る を え な か っ た が,実 際 に は, 議 院 内閣 制 的 要 素 も多 く,折 衷 式 の 政 府 形 態 で あ る と言 え る。 即 ち,大

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憲法 的文書 を中心 と して見 た韓 国憲 法前 史(下)

統 領 政 府 形 態 の 要 素 と して は ・ 臨 時 大 統 領 は 憲 法 の 範 囲 内 で 主 権(統 治 。 権)を 行 使 す る こ とが で き(臨 時 憲 法 第6条 。 以 下 条 文 の 表 示 は 臨 時 憲 法 を意味 す る),国 家 を 代 表 して 政 務 を 総 擁 し(第15条 第2項),官 使 任 命 権(第15条 第4項),戒 厳 宣 布 権i(第15条 第10項)等 の 規 定 を 挙 げ る

こ とが で き る の に対 し,議 院 内 閣 制 の 要 素 と して は,行 政 権 は 国 務 院 が 行 使 す る との 規 定(第5条)以 外 た も,国 務 員 の 任 命 は 大 統 領 が 行 な う が,臨 時 議 政 院 の 同 意 を え な け れ ば な らず(第15条,第21条),臨 時 議

g}

政 院 は 臨 時 大 統 領 お よ び 国 務 員 を 弾 劾 す る こ とが で き(第21条),さ ら ◎ に,国 務 員 の 副 署 権(第39条),国 務 員 ・政 府 委 員 の 臨 時 議 政 院 へ の 出

席 ・発 言 権(第40条)等 を 挙 げ う る。 従 って,「 結 局,大 統 領 制 へ の 改 憲 が 不 可 避 で あ っ た が,彼 等 は 真 実 に 内閣 責 任 制 を 理 想 と して い た し,

ま た,現 実 的 に は 権 力 の集 中よ りも分散 乃 至 は 按 配 を 希 望 した こ とか ら現 10)

わ れ た 折 衷 だ と見 る こ と が で き る」 。

lt) (4}大 韓 民 国 臨 時 憲 法

統 一 大 韓 民 国 臨 時 政 府 の 基 本 法 と して 大 韓 民 国 臨 時 憲 法 が 制 定 され た 。 こ れ は,上 海 政 府 の10ケ 条 の 臨 時 憲 章 を 基 礎 に,こ れ を全 面 的 に 補 充 し, 行 政 各 部 を 漢 城 政 府 形 態 に 改 造 した,前 文 お よ び8章58ケ 条 よ り な る も の で あ る。 この 憲 法 は,そ の 章 構 成 お よ び 内 容 か ら し て,1912年 の 中

12) 華 民 国 臨 時 約 法 の 多 大 な 影 響 を 受 け た もの と お も わ れ る。

と こ ろ で,こ の 臨 時 憲 法 の 構 成 を 見 る と,第1章 総 領(第1条 〜 第7 条),第2章 人民 の権 利 と義 務(第8条 〜 第10条),第3章 臨 時 大 統 領

(第11条 〜 第17条),第4章 臨 時 議i政 院(第18条 〜 第34条),第5章 国

務 院(第35条 〜 第41条),第6章 法 院(第42条 〜 第47条),第7章 財 政

(第48条 〜 第54条),第8章 補 則(第55条 〜 第58条)と な って い る。 前

述 した 臨 時 憲 章 に規 定 され て い た もの の う ち,こ の 臨 時 憲 法 で 削 除 され

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た の は,特 権 階 級 の 否 認 規 定 の う ちの 男 女 貴 賎,貧 富 の 語 句 と国 際 連 盟 の 加 入(憲 章 第7条)そ して,生 命 刑,身 体 刑,公 娼 制 の 廃 止(憲 章 第10条)

13)

の2ケ 条 で あ る 。 な お,臨 時 憲 章 に 規 定 さ れ て い た 旧 皇 帝 優 待 条 項(憲 章 第8条)は,こ の 臨 時 憲 法 の 草 案 で は 削 除 さ れ て い た の だ が,趙 碗 九

14) らの 強 い 主 張 で,臨 時 憲 法 に 規 定 され た 。

以 下,こ の 臨 時 憲 法 を,章 別 に 概 観 す る 。

ま ず,前 文 で あ る が,そ れ は,「 我 が 大 韓 人 民 は,我 が 国 が 独 立 国 で あ る こ と と,お よ び 我 が 民 族 が 自 由 民 で あ る こ と を 宣 言 す る 。 これ を も っ て世 界 万 邦 に告 げ,人 類 平 等 の 大 義 を 克 明 し,こ れ を も っ て 子 孫 万 代 に お しえ,民 族 自存 の 正 当 な る 権 利 を 永 遠 に 有 せ しむ も の で あ る。 半 万 年 の 歴 史 の 権 威 に よ っ て,二 千 万 民 衆 の 忠 誠 を 合 わ せ て,民 族 の 恒 久 一 筋 の 自 由 の 発 展 の た め に 組 織 さ れ た 大 韓 民 国 の 人 民 を 代 表 した 臨 時 議 政 院 は,民 意 を 体 し,元 年(1919)4月11日 に 発 布 した10ケ 条 の 臨 時 憲 章 を 基 本 と して,本 臨 時 憲 法 を 制 定 す る を も って,公 理 を 唱 明 し,公 益 を 増 進 し,国 防 及 び 内 治 を 箒 備 し,政 府 の 基 礎 を 強 固 に す る保 障 に な る よ う に す る も の で あ る 」 と述 べ て い る 。 こ こで,注 目 され る こ と は,三

・一 独 立 宣 言 書 の 冒 頭 を,そ の ま ま 引 用 し,そ れ に続 い て,憲 法 を 「制 定 」 す る と規 定 した こ と で あ る。 こ れ は,本 臨 時 憲 法 に よ り成 立 す る 大 韓 民 国 臨 時 政 府 こ そ が,三 ・一 一独 立 運 動 に 表 わ れ た 国 民 意 思 を 体 現 した 正 統 政 府 で あ る と の 主 張 で あ り,ま た,前 の 上 海 政 府 の 臨 時 憲 章 の 改 正 と い う手 続 を 経 た が,実 際 は,新 生 大 韓 民 国 臨 時 政 府 の 出 帆 で あ る と の 宣 言 と解 せ られ る。 こ の よ うな 性 格 を 有 す る 臨 時 憲 法 の 内 容 は 次 の と お

りで あ る。

第1章 総 領 は,大 韓 民 国 の 人 的 範 囲(第1条),主 権 在 民(第2条), 領 土(第3条),平 等 権(第4条),三 権 分 立(第5条),大 統 領 の 主 権 行 使(第6条),そ して 旧 皇 室 優 待 条 項(第8条)で あ る。 こ こ で 注

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