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藤 田 尚 則

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研 究 ノ ー ト〉

ア メ リ カ ・イ ン デ ィ ア ン 法 の 歴 史 1789年 〜1871年(1)

藤 田 尚 則

目 次

序 論

第 一 節 連 邦 の 対 イ ン デ ィ ア ン 政 策 の 形 成(1789年 〜1803年) 1合 衆 国 議 会 第1議 会 制 定 の イ ン デ ィ ア ン 関 連 立 法 II北 西 部 に お け る 条 約 交 渉

III南 部 に お け る 条 約 交 渉

IV「 フ ォ ー ル ン ・テ ィ ン バ ー ズ の 戦 い 」 と1795年 「グ リ ー ン ヴ ィ ル 条 約 」 Vイ ン デ ィ ア ン 交 易 及 び 通 商 規 制 法 の 制 定

VIl796年 「 交 易 所 設 置 法 」、1800年 「 友 好 関 連 維 持 法 」 第 二 節 合 衆 国 の 領 土 の 更 な る 拡 大(1803年 〜1815年)

1総 督 ハ リ ソ ン の 条 約 交 渉 IIイ ン デ ィ ア ン ・ナ シ ョナ リ ズ ム

III「 テ ー ム ズ 川 の 戦 い 」、 「ク リ ー ク 戦 争 」(以 上 、 本 号)

序 論

119世 紀 の は じ め の25年 の 問 に 、 ミ シ シ ッ ピ 川 以 東 の 有 力 な イ ン デ ィ ア ン に 対 し て 、 ア メ リ カ 人 が 、 武 力 或 い は 交 渉 を 通 し て 獲 得 し た 有 利 な 立 場 を 利 用 す る た め に 案 出 さ れ た 政 策 は 、 ミ シ シ ッ ピ 川 以 東 の イ ン デ ィ ア ン を 、 同 川 以 西 の 土 地 へ 強 制 移 住 」(Removal)さ せ る 政 策 で あ っ た 。 こ の 政 策 に ま さ に 一 致 す る 人 物 こ そ 、 ア ン ド リ ュ ー ・ジ ャ ク ソ ン(AndrewJackson,1767‑1845)そ 人 で あ る 一1829年 、 第7代 大 統 領 に 就 任 し 、1837年 ま で2期 そ の 職 に あ っ た 一 。 大 統 領 ジ ャ ク ソ ン は 、 交 渉 者(negotiator)で あ る と と も に 、 「恐 れ ら れ た イ ン デ ィ ア ン ・フ ァ イ タ ー(lndianfighter)で あ り、 イ ン デ ィ ア ン ・ネ ー シ ョ ン 乃 至 イ ン デ ィ ア ン 部 族 の 主 権 国 家 と し て の 地 位(sovereignstatus)の 要 求 を 、 侮 蔑 を も っ て あ し ら い 、 西 部 の 白 人 市 民 の 福 祉 の 増 進 を 切 望 した 人 」 で あ っ た 。 彼 は 、 イ ン デ ィ ア ン ・ネ ー シ ョ ン は 、 教 育 と宗 教 的 伝 道 に よ っ て 彼 ら 自 身 の 歩

調 で ア メ リ カ 国 民 の 一 部 に 統 合 さ れ る は ず だ と い う ト マ ス ・ ジ ェ フ ァ ソ ン

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(ThomasJefferson,1743‑1826)流 の 概 念 で 形 成 さ れ て き た 初 期 の 博 愛 主 義 的 な イ ン デ ィ ア ン 政 策 の 推 進 方 向 を 、 逆 回 転 さ せ た の で あ る 。

強 制 移 住 は 、 ア メ リ カ 独 立 革 命 の 場 合 と 同 様 に 、 基 本 的 な 憲 法 論 議 を 含 む も の で あ っ た 。 イ ン デ ィ ア ン ・ネ ー シ ョ ン は 、 合 衆 国 と の 条 約(treaty)や 合 意

(agreement)と を 、 彼 ら の 独 立 を 承 認 し た も の と し て 、 ま た 彼 ら ネ ー シ ョ ン の 同 意 が あ る 場 合 を 除 き 、 外 国 が そ の 権 限 を 彼 ら に 及 ぼ そ う と す れ ば 、 こ れ を 撃 退 す る に 十 分 な 権 限 を 自 ら に 付 与 さ れ た も の と解 釈 し て い た 。 す な わ ち 、 イ ン デ ィ ア ン ・ネ ー シ ョ ン の 独 立 は 、 「犯 す こ と の で き な い 、 或 い は 犯 さ れ て は な ら な い 神 聖 な 法 律 上 及 び 外 交 上 の 文 書 」 の 中 で 具 体 化 さ れ て い た か ら で あ る 。 し か し、 ジ ョ ー ジ ア 州 と ア ラ バ マ 州 の 州 境 界 線 内 に 居 住 し て い た イ ン デ ィ ア ン の 土 地 と人 身 に 対 し て よ り大 き な 支 配 権 を 求 め た 両 州 の 要 求 に 強 い 影 響 を 受 け て 、 州 の 代 弁 者 を 任 じ て い た ジ ャ ク ソ ン は 、 「イ ン デ ィ ア ン の 法 律 上 の 地 位 は 、 州 の 法 律 上 の 要 求 に 反 す る 場 合 、 有 効 で は な い 。 ま た イ ン デ ィ ア ン は 、 そ の 脆 弱 さ と数 の 少 な さ さ か ら い っ て 、 こ の こ と を 認 め る か 、 さ も な け れ ば 軍 事 的 に 征 服 さ れ る の が 当 然 で あ る 。」 と い う も の で あ っ た ジ ャ ク ソ ン の 対 イ ン デ ィ ア ン 対 策 の 基 本 的 な 思 考 様 式 は 、 ジ ョ ー ジ ア 州 と チ ェ ロ キ ー 族(Cherokee)と の 間 に 争 わ れ た 訴 訟 に 対 し て 下 さ れ た 合 衆 国 最 高 裁 判 所 判 決(後 述)を 拒 否 した こ と

1)

に 明 確 に 現 れ る 一

ジ ョ ン ・ク イ ン シ ー ・ア ダ ム ズ(JohnQuincyAdams,1767‑1848)は 、1824 年 に 第6代 合 衆 国 大 統 領 に 選 出 さ れ 、 広 範 な 国 内 開 発 事 業 を 推 進 し た こ とで 知

られ る が 、1812年 戦 争(Warofl812)を 終 結 さ せ た 条 約 の 交 渉 使 節 の 団 長 と し て 、 オ ハ イ オ 川 上 流 の 渓 谷 に 独 立 の イ ン デ ィ ア ン 国 家(Indianstate)を 創 ろ う と し た イ ギ リ ス の 努 力 を 断 固 拒 否 し 、 実 際 に 先 住 民 に 対 す る 絶 対 的 支 配 権 を 認 め な い 取 極 め は 、 い か な る も の で も これ を 拒 絶 した 。 ア ダ ム ズ は 、1818年 に は モ ン ロ ー(JamesMonroe,1758‑1831)大 統 領 の 国 務 長 官 と し て ス ペ イ ン 領 フ ロ リ ダ の セ ミ ノ ー ル 族(Seminole)に 対 す る ア ン ド リ ュ ー ・ジ ャ ク ソ ン 将 軍 の 遠 征 を 自衛 の 原 理(principleofself‑defense)に よ っ て 正 当 化 さ れ る と主 張 し た 人 物 で あ る 。 し か し 、 ア ダ ム ズ は 、1830年 代 に 入 る と 、 ジ ャ ク ソ ン の 強 制 移 住 政 策 に 激 し く反 対 す る 立 場 に 立 っ た の で あ る。 彼 は 、 ヨ ー ロ ッ パ の 最 初 の 入 植 者 が ア メ リ カ に や っ て 来 た 時 、 イ ン デ ィ ア ン が 原 始 的 で 抽 象 的 な 土 地 の 権

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利 」(primitiveabstractrightofsoil)を 所 有 し て い た と は な お 信 じ な か っ た が 、 ジ ャ ク ソ ン の イ ン デ ィ ア ン に 対 す る攻 撃 が 、 合 衆 国 銀 行(theBank)、 公 有 地 及 び 公 債 に 対 す る 攻 撃 と 同 様 に 、 彼 が 強 化 し よ う と し て い た 連 邦 に 対 す る 脅 威 で あ る と感 得 し て い た の で あ る 。 あ る 歴 史 家 は 、 ア ダ ム ズ の 立 場 を 、 「か っ て 自 由 で あ っ た 土 地 が 、 奴 隷 に よ っ て 耕 作 さ れ る の を 許 す よ り は 、 或 い は 土 地 投 棄 業 者 の 競 売 の 槌 の 下 で 叩 き 売 ら れ る よ り は 、 イ ン デ ィ ア ン を そ の ま ま に し て お い

た 方 が よい 。」 とす る もの で あ っ た と幾 分 好 意 的 に解 釈 して い る。

2と こ ろで 、 合 衆 国 議 会 第1議 会 が 開催 され た1789年3月4日 か ら、 条 約 を通 して イ ン デ ィア ン問 題 を処 理 す る合 衆 国 の政 策 一 イ ンデ ィ ア ン部 族 を曲 が りな りに も独 立 す る も の と認 めて きた政 策 一 の 終 結 を宣 言 し た 「イ ン デ ィ

3)

ア ン関 連 歳 出 配 分 承 認 法 」 が 制 定 され た1871年3月3日 まで の本 章 で 扱 う時 期 を通 じて 、 連 邦 の イ ン デ ィ ア ン政 策 に と って 重 要 な 役 割 を果 た して き た の は、

言 う まで もな く、 イ ンデ ィア ン との条 約 の 締 結 で あ る。条 約 交 渉 に よ るイ ン デ ィ ア ン政 策 の 公 式 化 は 、 イ ン デ ィ ア ン部 族 の 抵 抗 とそ の 軍 事 的 重 要 性 特 に ア メ リカ独 立 戦 争 の 間 を 通 じて の 認 識 に基 づ くもの で あ っ た と言 え るで あ ろ う。 しか し、 合衆 国 が独 立 した後 、 特 に1812年 戦 争 を境 に 、イ ンデ ィア ン ・ネ ー シ ョン の軍 事 的 脅 威 が 去 っ た後 、 ジ ャ ク ソ ン に代 表 され る イ ンデ ィ ア ン対 策 の 強 硬 論 を説 く従 来 の 連 邦 の政 策 の 批 判 者 た ち は、 イ ンデ ィア ン との条 約 締 結 を 廃 止 す べ きだ と主 張 し出 した の で あ る。 彼 ら は、 イ ンデ ィア ン問 題 は 、 一 般 の 立 法 を通 して 処 理 され るべ きだ と考 え た の で あ る。 す な わ ち 、 ジ ャ ク ソ ン は、

大 英 帝 国 の た どる道 に 従 っ た合 衆 国 は、 常 に イ ンデ ィ ア ン を独 立 の国 家 として 処 理 して きた とい う主 張 に 、何 らの 妥 当性 を も 見 出 さな か っ た の で あ る。 彼 の 考 え に従 え ば、 か か る政 策 は、 優 柔 不 断 と特 別 な情 況 に起 因 した もの で あ っ て 、 イ ン デ ィア ン に よ っ て 所 有 され るべ き で あ る と認 め られ た い か な る権 利 に も、

基 づ く もの で は な か っ た 。 イ ンデ ィ ア ン との 条 約 締 結 とい う政 策 は、 政 府 が イ ン デ ィ ア ン に規 制 を 強 制 す るに 十 分 な力 を持 たず 、 或 い は他 の 方 法 で は 治 安 を 保 て な か っ た 時 代 に 必 要 と され た 政 策 で あ っ て、 今 や 状 況 は 変 化 し、 よ り正 当 な 手 続 は 、 限 られ た 土 地 に 限定 され た先 住 民 に 白 人 の 文 明 化 され た 生 活 を 受 け 容 れ させ るた め に、 イ ン デ ィ ア ン の土 地 を強 制 的 に削 減 す るに あ る とい うに あ っ た の で あ る 。 ジ ャ ク ソ ン は、1820年 の 陸 軍 長 官 カ ル フ ー ン(JohnCaldwelI

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Calhoun,1782‑1850)宛 て 書 簡 で 、 法 律 の 制 定 以 外 の 方 法 で イ ン デ ィ ア ン を 処 理 す る こ と は 、 ば か げ て い る と論 じ て い る 。 し か し 、 カ ル フ ー ン は 、 条 約 締 結

と い う制 度 を 変 更 す る よ う合 衆 国 議 会 を 説 得 す る こ とは で き ず 、 彼 の 在 任 中(7 年 と半 年)に 、40の 条 約 が 結 ば れ て い る 。 そ の 後 ホ ワ イ ト ・ハ ウ ス に 入 っ た ジ ャ

ク ソ ン は 、 イ ン デ ィ ア ン は 、 も は や 州 内 に 独 立 の 包 領 と し て 存 在 し得 な い と確 信 す る に 至 り、 彼 ら 又 は 彼 女 ら は 、 西 方 に 移 住 す る か 州 の 法 律 に 従 う か の 二 者

4)

択 一 しか な い とい う主 張 を 強 弁 す る こ と に な る。

以 下 、 主 要 な イ ン デ ィ ア ン条 約 、 そ して イ ンデ ィ ア ン 関連 法 律 を垣 間 見 る こ とに よっ て 、 合 衆 国 憲 法 制 定 か ら条 約 交 渉 を通 じて イ ン デ ィ ア ン問 題 を処 理 す る方 策 を終 結 した 時期(1789年 〜1871年)に お い て、いか よ う に連 邦 の 対 イ ンデ ィ ァ ン政 策 が 形 成 され て い っ た か を、 明 らか に して み よ う。

カけ みり 連 邦 の 対 イ ン デ ィ ア ン 政 策 の 形 成(1789年 〜1803年)

1合 衆 国 議 会 第1議 会 制 定 の イ ン デ ィア ン 関連 立 法 1関 連4立 法(1789年)

1789年 に開 会 さ れ た 合 衆 国 議 会 第1議 会 で は、13の 法 律 が 制 定 され た が 、 そ

う 

の うち 、4法 律 が イ ン デ ィ ア ン問 題 関連 立 法 で あ る。 第 一 の 法 律 は、 陸 軍 省 の 設 立 を規 定 した1789年8月7日 制 定 の 「陸 軍 省 と命 名 され る行 政 部 門 を設 立 す

s)

る た め の 法 律 」 で あ る 。 同 法 は 、 陸 軍 省 は 軍 事 事 項 陸 軍 及 び 海 軍 に 関 連 す る 問 題 に 加 え て 、 「イ ン デ ィ ア ン 問 題(Indianaffairs)に 関 して … … 当 該 省

に 対 し て 合 衆 国 大 統 領 が 命 じ た 事 項 」 に 責 任 を 負 う と規 定 し て い る(第2条)。

7)

こ の 権 限 は 、 そ の 後 、1849年3月3日 制 定 の 歳 出 配 分 承 認 法 」 で 内 務 省 (DepartmentofInterior,DOI)が 創 設 さ れ る と 同 時 に 、 内務 省 が イ ン デ ィ ア ン 問 題 局 長(CommissionerofIndianAffairs)の 全 て の 行 為 に 関 し て 、 陸 軍 省 に よ っ て 現 在 行 使 さ れ て い る 監 督 権 限 及 び 上 訴 を 審 理 す る 権 限(appellate powers)を 執 行 す る も の と す る 」(同 法 第5条)と さ れ 、 権 限 の 移 管 が 図 ら れ て

い る 。 イ ン デ ィ ア ン 部 族 と の 軍 事 的 利 害 関 係 は 一 こ の 初 期 の 法 律 の 下 で 確 立 さ れ た 行 政 統 制 の 方 式 は 、 も は や イ ン デ ィ ア ン 問 題 の 処 理 に 直 接 的 に は 関 連 し な い が 一 、 今 日 で も 連 邦 の イ ン デ ィ ア ン 関 連 立 法 に 影 響 を 及 ぼ し て い る と さ れ

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a)

る 。 第 二 の 法 律 は 、1789年8月7日 制 定 の 「オ ハ イ オ 川 北 西 部 領 地(Territory

U)

NorthwestoftheriverOhio)の 政 府 に 関 し て 規 定 す る た め の 法 律 」 で あ る。

北 西 部 領 地(連 邦 領)は 、 今 日 の オ ハ イ オ 、 イ リ ノ イ 、 ミ シ ガ ン 、 イ ン デ ィ ア ナ 、 ウ ィ ス コ ン シ ン の 各 州 を 包 含 し て い る が 、 本 法 は1787年 「北 西 部 領 地 条 令 」 (theNorthwestOrdinance)に 最 小 限 度 の 修 正 を 加 え た も の で あ り、 第3条

「イ ン デ ィ ア ン に 対 して は、 常 に 最 高 の 信 義(utmostgoodfaith)が 守 られ な け れ ば な らな い。 イ ンデ ィ ア ンの 土 地 及 び 財産 は、 彼 らの 同意 な く して収 奪 され て は な らな い。 ま た 彼 らの財 産 、 権 利 及 び 自 由 は … … 侵 害 さ れ て は な らな い。

更 に、 正 義 及 び人 道 に 基 づ く法 律 が 随 時 制 定 さ れ 、 も っ て彼 ら に害 悪 の及 ぶ こ とを妨 げ 、 及 び彼 ら との 平 和 並 び に親 善 の 関 係 を保 持 す る よ う努 め な けれ ば な ら な い 。」(傍 線 、 筆者)と 規 定 し、 北 西 部 領 地 条 令 の 文 言 を 同 語 反 復 して い る。

本 法 は 、合 衆 国 議 会 が 連 邦 領 政 府 の 行 政 執 行 に お い て 、 イ ンデ ィ ア ン 問題 に対 して 、 「無 条 件 の 権 限 」(plenaryauthority,plenarypower)こ の タ ー ム は イ ン デ ィア ン法 を解 釈 す る 際 に 最 重 要 の用 語 の ひ とつ に挙 げ られ 、 今 日で も そ の 解 釈 を め ぐっ て論 争 の 的 とな って い る。 本 論 稿 が 進 め られ る に従 っ て徐 々 に 明 らか に され る こ とで あ ろ う 一 を行 使 した 多 くの場 合 の最 初 の 機 会 で あ り、

そ して合 衆 国 議 会 は 、 連 邦 領 に 関 す る立 法 作 業 に お い て 、 諸 州 が 州 の境 界 内の

 ロ 

立 法 を制 定 す る 際 に 採 っ た の と同 一 の態 度 を とっ た とされ る。

第 三 の立 法 は 、1789年8月20日 制 定 の 「イ ンデ ィ ア ン部 族 との 交 渉 又 は条 約

n)

に伴 う経 費 並 び に 同 一 事 項 の 折 衝 に 当 た る委 員 の任 命 に関 す る法 律 」 で あ る。

第1条 は、 「総 額 に して20,000ド ル が 、 以 後 、 イ ン デ ィ ア ン部 族 との交 渉 及 び条 約 に伴 う経 費 の 支 払 い に予 算 配 分 され る もの とす る。」 と規 定 して い る。 これ を も っ て 、長 年 に わ た っ て この領 域 に お け る政 府 行 為 を支 配 す るイ ン デ ィ ア ン問 題 処 理 の公 式 が 始 まっ た の で あ る。 そ して 、 第 四 に挙 げ られ る法 律 が 、1789年

12)

9月ll日 政 府 公 務 員 給 与 法 」 で あ る 。 給 与 法 第1条 は 、 合 衆 国 財 務 省 で 年 俸 が4半 期 に 分 け て 、 イ ン デ ィ ア ン 関 連 で 言 え ば 、 陸 軍 大 臣 に3,000ド ル 、 北 部

局 イ ン デ ィ ア ン 問 題 監 督 官 に2,000ド ル 、 支 払 わ れ る 旨 を 規 定 し て い る 。 2連 邦 の 権 限

フ ェ リ ッ ク ス ・S・ コ ー エ ン(FelixS.Cohen)に よ れ ば 、 こ れ ら の 初 期 の4 法 は 、 イ ン デ ィ ア ン 問 題 処 理 の 基 本 的 な 行 政 上 及 び 財 政 上 の 機 構 を 造 り 上 げ た

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も の で あ っ て 、 合 衆 国 議 会 は 、4つ の 主 要 な 権 限 、 す な わ ち 、 ① 宣 戦 及 び 講 和 の 権 限 、 ② イ ン デ ィ ア ン の テ リ ト リ ー(lndianterritory)を 統 治 す る権 限 、 ③

10)

条 約 批 准 権 、 ④ 歳 出 権 限 を 引 き合 い に 出 して い る と して い る。

ll北 西 部 に お け る 条 約 交 渉

1「 フ ォー ト ・ハ ー マ ー 条 約 」(1789年)

合 衆 国 憲 法 の起 草 者 た ち は 、 イ ン デ ィ ア ン 問題 につ い て連 合 規 約 の 作成 に携 わ っ た 人 び とほ ど細 心 の注 意 を払 う必 要 は な か っ た とさ れ る。 連 邦 の 政 策 を方 向づ け た の は、 連 合 規 約 の 時 代 に確 立 され た 先 例 で あ り、 ワシ ン トン及 び そ の 顧 問 は 、 イ ン デ ィ ア ン問 題 に 関 して 、連 合 規 約 の 下 で 連 合 会 議 が 行 使 した 権 限

ia)

以 上 の そ れ を、 連 邦 政 府 に保 留 す る こ とで 意 見 の 一 致 を見 て い た と され る。

新 国 家 の 形 成 過 程 で 開 始 され た 条 約 を 締 結 す る こ とに よっ て 、 イ ンデ ィ ア ン 部 族 との 相 互 関 係 を処 理 す る方 策 は 、合 衆 国 憲 法 の 採 択 後 も継 続 さ れ て い く。

こ の時 代 、 当初 は 、 独 立 戦 争 に際 して イ ンデ ィ ア ン との 同盟 関係 を築 くた め に、

そ して後 に勝 利 者 と して征 服 した 地 方 か らの イ ンデ ィ ア ンの テ リ トリー の 獲 得 を め ぐっ て 条 約 の 交 渉 を して きた 合 衆 国 は、 イ ンデ ィ ア ン との 条 約 が 、 新 国 家 に とっ て い か な る意 味 合 い を持 つ もの か を 、 よ り注 意 深 く考 慮 す る よ う にな る。

と言 うの も、 連 合 規 約 時 代 が 終 わ りを迎 え る ころ 、 条 約 交 渉 に当 た っ て 連 邦 政 府 が 「征 服 され た地 方 」(conqueredprovince)と い う概 念 を用 い た こ とが 、 イ ン デ ィ ア ン部 族 の不 満 とな って 現 れ 、 そ の 結 果 、 独 立 戦 争 の 終 結 後 の10年 間 と い う もの 、 交 渉 と戦 闘 の複 雑 な 繰 り返 しが 続 い た の で あ る。 その 結 果 、 合 衆 国 は、 イ ンデ ィ ア ン との 交 渉 過 程 で 主 張 した と ころ の 原 則 で あ る征 服 の み に基 づ くイ ンデ ィ ア ン の テ リ トリー の 請 求 権 を 放 棄 し、 それ に代 わ って 、 究 極 的 な主 権 を新 国 家 に留 保 しなが ら も、 合 衆 国領 土 内 の イ ンデ ィ ア ン 占有 地 に 対 す る イ

15)

ン デ ィ ア ン の 権 利 を 、 認 め て い く の で あ る 。

連 合 規 約 下 の1785年 に 陸 軍 長 官 に 就 任 し、 そ の 後 も そ の 職 に あ っ た ヘ ン リー ・ ノ ッ ク ス(HenryKnox,1750‑1806)は 、 イ ン デ ィ ア ン 問 題 の 管 轄 者 と し て 振 舞 い 、 イ ン デ ィ ア ン 問 題 に 関 す る 彼 の 意 見 を ワ シ ン ト ン に 具 申 す る 立 場 に あ っ た が 、1788年5月2日 、 これ ま で の 条 約 で 規 定 さ れ た 西 部 の テ リ ト リ ー の 土 地 の 徹 底 的 な 購 入 を 認 め た 政 策 を 、 条 約 に 定 め ら れ た 義 務 の 履 行 と部 族 の 財 産 権 を

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尊 重 す る こ とに よ っ て 更 な る交 渉 を進 め 、 変 更 す る よ う推 奨 して い る 。 これ に 応 え て連 合 議 会 は 、7月2日 、 イ ン デ ィ ア ン の これ まで に譲 渡 され た 土地 に対

lfi)

す る 請 求 を 償 却 す る 目 的 に 使 用 す る た め 、20,000ド ル を 充 当 し て い る 。 合 衆 国 議 会 第1議 会 が 開 催 さ れ る の は 、1789年3月4日 で あ る が 、 合 衆 国 議 会 開 催 に 先 立 っ こ と約2ヵ 月 前 の 大 陸 会 議 が 機 能 し て い た1月9日 の フ ォ ー ト ・ ハ ー マ ー(FortHarmer)で 「ワ イ ア ン ド ッ ト(Wiandot)、 デ ラ ウ ェ ア (Delaware)、 オ タ ワ(Ottawa)、 チ ッペ ワ(Chippewa)、 ポ タ ワ ト ミ(Patawatomi)

 の

及 び サ ッ ク(Sac)と の 条 約 」 で 、1785年1月21日 に フ ォ ー ト ・マ ッ キ ン ト ッ シ ュ

18)

(FortM'Intosh)で 締 結 さ れ た 条 約 に お い て 確 定 さ れ た 境 界 線 及 び 土 地 譲 渡 が 確 認 、 更 新 さ れ る と共 に 、 彼 ら イ ン デ ィ ア ン 、 そ の 相 続 人 並 び に そ の 子 孫 は 、 境 界 線 の 東 方 、 南 方 及 び 西 方 の 全 て の 土 地 の 放 棄 と合 衆 国 へ の 譲 渡 を 約 束 さ せ ら れ 、 合 衆 国 が 、 当 該 土 地 に 絶 対 的 優 先 権 を 保 有 す る も の と さ れ た(第2条)。 して 、 交 渉 過 程 へ の 連 邦 の 権 限 を 強 化 す る た め 、 条 約 第3条 第1文 は 、 ア メ リ カ 合 衆 国 は 、 第2条 で 規 定 さ れ た 境 界 の 間 に 位 置 す る 土 地 に 対 す る 請 求 を 、 彼 ら イ ン デ ィ ア ン の 居 住 及 び 狩 猟 の た め に 放 棄 す る 旨 を 規 定 し た 上 で 、 続 く第3 条 第2文 「当 該 ネ ー シ ョ ン 又 は そ れ ら の い ず れ か は 、 そ の テ リ ト リ ー 若 し く は そ の 一 部 を 、 合 衆 国 を 除 くい か な る主 権 国 、 他 の 主 権 国 の 国 民 若 し くは 市 民 又 は 合 衆 国 の 国 民 若 し く は 市 民 に 自 由 に 売 却 又 は 処 分 す る こ と は で き な い 。」 と 規 定 し て い る 。 続 く第7条 は 、 イ ン デ ィ ア ン と の 交 易 に つ い て 、 非 イ ン デ ィ ア ン に 対 す る 許 可 制 を 敷 き 、 許 可 さ れ た 交 易 者 を 保 護 し 、 イ ン デ ィ ァ ン 部 族 は 、 許 可 な くイ ン デ ィ ア ン の 土 地 に 侵 入 した 非 イ ン デ ィ ア ン を 逮 捕 し、 合 衆 国(オ イ オ 川 北 西 部 領 地 総 督(GovernoroftheterritoryoftheUnitedStates

north‑westofOhio))に 引 渡 す こ と を 約 束 す る 旨 を 定 め て い る 。 ま た 、 同 日 同 場 所 で 、 オ ハ イ オ 川 北 西 部 領 地 総 督 と六 部 族 連 合 と の 間 に条 約(「 フ ォ ー ト ・バ ー

19)

マ ー 条 約 」(theTreatyofFortHarmer)と 呼 ば れ る 。)が 結 ば れ 、 同 条 約 で1784

年10月22日 の フ ォ ー ト ・ ス タ ン ウ ィ ク ス で の 条 約(「 フ ォ ー ト ・ス タ ン ウ ィ ク ス 条

20)

約 」(theTreatyofFortStanwix)と 呼 ばれ る 。)に 規 定 さ れ た 境 界 線 が 確 認 、 更 新 さ れ る と 共 に 、 境 界 線 の 西 方 の 土 地 に 対 す る 部 族 の 請 求 を 放 棄 し、 合 衆 国 に 譲 渡 す る 旨 を 約 束 さ せ られ た の で あ る(第1条)。

しか し 、 フ ォ ー ト ・ハ ー マ ー で の 諸 部 族 と の 条 約 交 渉 の 結 果 は 、 新 政 府 が 機

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能 す る まで 首 都 ワシ ン トン にお い て 受 け取 られ て い な か っ た。1789年5月25日 大 統 領 ワシ ン トン は4月30日 、 初 代 大 統 領 に就 任 、 合 衆 国議 会 上 院 に 条 約 を送 付 、 上 院 は、 大 統 領 に 「フ ォー ト ・ハ ー マ ー で 結 論 に達 した 条 約 を執 行 し、 そ の 遵 守 を命 ず る」 勧 告 決 議 を 可 決 した が 、 上 院 が イ ンデ ィ ア ン との条 約 を正 式 に 批 准 した もの か 否 か に っ い て 当 惑 した ワ シ ン トン は、1789年9月17

日、 イ ンデ ィ ア ン との 条 約 は 、 発 効 す る以 前 に上 院 の 承 認 を 得 る こ とが 必 要 だ とす る教 書 を上 院 に送 付 した 。 曰 く 「疑 い な く、 文 明 化 して い る 国家 で あ ろ う とな か ろ う と、 他 の 国 家 と合 衆 国 との 問 に締 結 され る全 て の 条 約 及 び 合 意 は、

慎 重 に結 ば れ 、及 び 誠 実 に執 行 さ れ な けれ ば な りませ ん。」、 「使 節 若 し くは全 権 委 員 の誤 り と無 思 慮 を確 認 す るた め 、 い か な る条 約 も、 彼 らの 権 限 が 派 生 す る 最 高 の権 力 を有 す る機 関 又 は 政 府 に よっ て 批 准 され る ま で 、 か か る官 吏 に よ っ て 交 渉 され 、 署 名 され た もの と見 徹 す べ きで な い こ とが 、 一 般 的 に理 解 され て お り ます し、 国 家 の 慣 行 だ と言 われ て お りま す。 この 慣 行 は 、 ヨ ー ロ ッパ 諸 国 との条 約 に関 して 合 衆 国 に よ って 採 用 され て きた もの で あ ります 。 で あ ります か ら、 イ ン デ ィ ア ン と我 わ れ の 条 約 締 結 に際 し ま して も 、 か か る慣 行 を遵 守 す る こ とが 賢 明 で あ る とい う結 論 に至 っ た の で あ ります 」。 問題 の 重 要 性 を認 識 し た 上 院 は 、 問 題 調 査 の た め に 特 別 委 員 を 任 命 し、 委 員 会 は 反 対 の 勧 告 を行 っ た が 、 同年9月22日 、 上 院 は全 会 一 致 で 、 ワ シ ン トンの 提 案 を受 け 入 れ 、 合 衆 国

は、 イ ンデ ィア ン との 条 約 は 正 式 な批 准 を必 要 とす る と結 論 づ け た の で あ る。

2ワ バ ッ シ ュ ・イ ン デ ィ ア ン

か か る 大 統 領 と 上 院 の や り取 りが 行 わ れ て い た 最 中 の 同 年7月 に 、 陸 軍 長 官 ノ ッ ク ス(HenryKnox)は 、北 西 部 辺 境 地 の ワ バ ッ シ ュ ・イ ン デ ィ ァ ン(Wabash Indian)と の 衝 突 に 応 え て 、 「先 有 者 た る イ ン デ ィ ア ン は 、 土 地 に 対 す る 権 利 を 有 す る の で あ る 。 そ の 権 利 は 、 イ ン デ ィ ア ン の 自 由 な 同 意 が 得 ら れ な い 限 り、

或 い は 正 当 な 戦 争 の 場 合 の 征 服 の 権 利(rightofconquest)に よ ら な い 限 り 、 彼 ら か ら 取 り上 げ る こ と は で き な い 。 そ の 他 の 原 理 に 基 づ い て イ ン デ ィ ア ン を 処 理 す る こ と は 、 自 然 法 の 基 本 を 大 き く侵 害 し、 そ し て 国 家 の 栄 誉 で あ る 正 義 の 破 壊 に 繋 が る 」、 「も し 、 力 つ くで ワ バ ッ シ ュ ・イ ン デ ィ ア ン を 彼 ら が 占 有 す る テ リ ト リ ー か ら 強 制 移 住 さ せ よ う と す る な ら ば 、 目 下 の 合 衆 国 の 財 政 事 情 で は そ れ を 認 め ら れ な い で あ ろ う 。 … … 政 策 と正 義 は 、 ワ バ ッ シ ュ ・イ ン デ ィ ア

(9)

ン を処 理 す る試 み を 指 図 す る に際 して合 一 す る。」 と述 べ て い る。 また 、 国 務 長 官 ジ ェ フ ァ ソ ン は 、 イ ン デ ィア ンの 土 地 にお け るア メ リカ人 の権 利 に つ い て 尋 ね られ た と こ ろ 、 そ の 権 利 は 「彼 らの土 地 に お け る先 買 権 の み で あ る 。 す なわ ち 、 イ ンデ ィ ア ン た ち が 、 そ の 意 思 に基 づ い て売 却 す る場 合 に彼 らか ら購 入 す

ヨ ラ

る こ と の で き る 唯 一 及 び 排 他 的 権 利 で あ る 。」 と答 え て い る(傍 線 、 筆 者)。

lll南 部 に お け る 条 約 交 渉 1ホ ー プ ウ ェ ル で の 条 約 交 渉

南 部 に お け る イ ン デ ィ ア ン と の 関 係 は 、 新 国 家 に と っ て 複 雑 な 問 題 を 提 示 す る こ と に な る 。 ア メ リ カ 独 立 革 命 後 の 南 部 諸 州 に お い て は 、 チ ェ ロ キ ー 、 チ ョ ク トー(Choctaw)、 チ カ ソ ー(Chickasaw)、 ク リ ー ク(Creek)と い っ た 強 力 な 諸 部 族 が 、 彼 ら が 交 渉 を 持 っ た 全 て の ヨ ー ロ ッ パ 諸 列 強 に よ っ て 認 め ら れ 、 あ る 程 度 の 独 立 を 保 持 して い た 。 イ ン デ ィ ア ン は 、 交 易 及 び 外 交 上 の 関 係 を 再 び 方 向 転 換 し 、 ア メ リ カ 人 か ら 離 れ 、 フ ロ リ ダ 或 い は ニ ュ ー ・オ リ ン ズ の ス ペ

zs)

イ ン 人 と結 び つ こ う と して い た の で あ る 。 こ の よ う な 情 勢 下 に あ っ て 、 大 陸 会 議 に よ っ て1785年ll月28日 に は 、 ホ ー プ ウ ェ ル(Hopewell)で 、 チ ェ ロ キ ー と

24)

の 間 に 条 約 が 締 結 さ れ 、 続 く1786年1月3日 に は ホ ー プ ウ ェ ル で チ ョ ク ト ー ・

25)

ネ ー シ ョ ン と の 問 に 、 同 年1月10日 に は 同 じ ホ ー プ ウ ェ ル で チ カ ソ ー と の 間 に

26)

条 約 が 、 そ れ ぞ れ 締 結 さ れ た の で あ る 。 そ し て 、 チ ェ ロ キ ー と の 条 約 第9条 は 、 「イ ン デ ィ ア ン の 利 益 及 び 援 助 の た め 、 並 び に 市 民 又 は イ ン デ ィ ア ン の い ず れ か 一 方 の 当 事 者 へ の 権 利 侵 害 若 し く は 圧 力 を 回 避 す る た め 、 参 集 し た 大 陸 会 議 に お け る 合 衆 国 は 、 イ ン デ ィ ア ン と の 交 易 を 規 制 し 、 及 び 適 切 と考 え る 方 法 で 、全 て の イ ン デ ィ ア ン 問 題 を 管 理 す る 唯 一 及 び 排 他 的 権 利(soleandexclusive right)を 有 す る も の と す る 。」 と の 規 定 が 置 か れ た(チ ョ ク トー ・ネ ー シ ョ ン との 条 約 第8条 、 チ カ ソ ー族 との条 約 第8条 も同 一 の 規 定 を 置 い て い る 。)。更 に 同 条 約 第 12条 に 至 っ て は 、 イ ン デ ィ ア ン は 、 合 衆 国 の 正 義 に 全 面 的 に 信 頼 す る と こ ろ 、 彼 ら の 利 益 に 鑑 み 大 陸 会 議 に 代 表(deputy)を 送 る こ とが で き る と ま で 規 定 し て い た の で あ る 。

しか し 、 イ ン デ ィ ア ン 問 題 処 理 に つ い て の 中 央 政 府 の 排 他 的 権 利 を 規 定 し た ホ ー プ ウ ェ ル の 諸 条 約 に 従 っ て 、 新 政 府 が 船 出 を 試 み よ う と し て い た の も 拘 ら

(10)

ず 、 ノ ー ス ・カ ロ ラ イ ナ と ジ ョ ー ジ ア が 、 こ れ ら の 条 約 を 無 視 す る 態 度 に 出 た の で あ る 。1788年7月 、 陸 軍 長 官 ノ ッ ク ス は 、 大 陸 会 議 に ノ ー ス ・カ ロ ラ イ ナ の 辺 境 地 域 に お け る 白 人 居 住 者 に よ る ホ ー プ ウ ェ ル で 締 結 さ れ た 条 約 侵 害 の 実 態 を 報 告 し、 チ ェ ロ キ ー に 対 す る 白 人 居 住 者 に よ る 非 公 式 な 戦 争 で あ る と位 置 づ け て い る 。 こ れ に 対 し て 、 大 陸 会 議 は 、 陸 軍 長 官 に 軍 隊 を も っ て イ ン デ ィ ア ン の 土 地 へ の 不 法 侵 入 者 を 排 除 す る よ う 指 図 す る 事 態 に ま で 至 っ て い る 。 か か る 事 態 は 、 ノ ー ス ・カ ロ ラ イ ナ に よ る 新 憲 法 の 批 准 を 遅 ら せ る こ と の 原 因 に な っ て い た の で あ る 。 ジ ョ ー ジ ア に お い て も ま た 、 ク リ ー ク ・ネ ー シ ョ ン(Creek

 の

Nation)と の 間 に あ か ら さ ま な 敵 対 行 為 が 続 い て い た 。 2「 ニ ュ ー ・ ヨ ー ク条 約 」(1790年)

か か る 複 雑 な 難 問 に 直 面 し た ワ シ ン ト ン は 、 上 院 に よ る 助 言 と承 認 」 が イ ン デ ィ ア ン 問 題 を 処 理 す る 際 に 必 要 で あ る と い う 結 論 に 至 る が 、 上 院 は 、 ま ず ク リ ー ク ・ネ ー シ ョ ン と の 問 題 解 決 を あ た る よ う 指 図 し こ れ ま で ク リ ー ク は 合 衆 国 と一 度 も条 約 を 結 ん だ こ とが な か っ た 、 必 要 と あ ら ば 、 目 的 遂 行 に 必 要 な イ ン デ ィ ア ン歳 出 予 算 全 額 を 充 当 す る よ う 指 図 し て い る。 そ の 結 果 、1790 年8月7日 、 合 衆 国 大 統 領 と ク リ ー ク ・ネ ー シ ョ ン の 国 王(Kings)、 族 長 及 び 戦 士 と の 間 に 講 和 及 び 友 好 条 約 」(「 ニ ュ ー ・ヨ ー ク 条 約 」(theTreatyofNew

3H)

York)と 呼 ば れ る。)が ニ ュ ー ・ ヨ ー ク で 結 ば れ る 一 部 族 代 表 団 の 首 都 へ の 官 費 旅 行 と い う前 例 を 作 っ た と さ れ る 一 。 陸 軍 長 官 ノ ッ ク ス の 署 名 に 続 い て 、 ク

リ ー ク の 署 名 者 の 筆 頭 に 族 長 ア レ キ サ ン ダ ー ・マ ギ リ ヴ レ イ(Alexander

29)

McGillivray)の 名 が 見 て 取 れ る 。

条 約 前 文 は 、 合 衆 国 と ク リ ー ク ・ネ ー シ ョ ン と の 間 に 恒 久 平 和 と 友 好 」 の 絆 の 構 築 を 希 望 し 、 境 界 を 確 定 す る こ と に よ っ て 戦 争 の 原 因 を 払 拭 し 、 正 義 と 友 好 の 協 定(arrangement)を 結 ぶ こ と を 希 望 し、 大 統 領 と当 該 ネ ー シ ョ ン は 、 合 衆 国 上 院 の 助 言 と同 意 を も っ て 、 以 下 に 定 め る 条 項 に 同 意 す る と謳 っ て い る 。 第2条 は 、 ネ ー シ ョ ン は 、 合 衆 国 の 境 界 内 の ク リ ー ク ・ネ ー シ ョ ン の 全 域(all parts)が ア メ リ カ 合 衆 国 の 保 護 下 に あ る こ と を 認 め 、 個 々 の 州 若 し く は い ず れ か の 州 の ひ とつ と 条 約 を 結 ぶ も の で は な い と規 定 し て い る 。 第3条 は 、 捕 虜 の 引 渡 し を 、 第4条 は 、 境 界 線 を 、 第5条 は 、 合 衆 国 が 厳 粛 に ネ ー シ ョ ン を 保 護 す る こ と を 、 そ し て 第6条 は 、 合 衆 国 市 民 又 は 非 イ ン デ ィ ア ン の ク リ ー ク の 土

(11)

地 へ の定 住 の 禁 止 と違 反 者 を ク リー クが 処 罰 し得 る こ とを定 め て い る 。 第7条 は、 「合 衆 国 の 市 民 又 は そ の居 住 者 は 、 ク リー ク の土 地 で 狩 猟 し若 し くは鳥 獣 類 を殺 して は な らな い 。 合 衆 国 の 市 民 若 し くは そ の居 住 者 は、 合 衆 国 の い ず れ か の 総 督 、辺 境 地 域 の 直 近 の駐 屯 地 を指 令 す る合 衆 国 軍 隊 の将 校 又 は合 衆 国 大 統 領 が そ の都 度 付 与 す る権 限 を認 め る そ の他 の 者 か ら取 得 した旅 券 を所 持 せ ず し て 、 ク リー クー ・カ ン トリー に 立 ち 入 る こ とは で きな い 。」 と規 定 して い る(傍 線 、 筆 者)。 秘 密 条 項(secretarticle)で は 、 ク リー ク と ス ペ イ ン が 敵 対 関 係 に 入 っ た 場 合 、 ク リ ー ク ・ネ ー シ ョ ン へ の 物 資 の 輸 送 が 免 税 と さ れ 、 ま た4人 超 え な い 範 囲 で ク リ ー ク の 青 少 年 に 教 育 と 衣 類 を 合 衆 国 が 提 供 す る 一 こ れ ま で イ ン デ ィ ア ン と の 問 に 締 結 さ れ た 条 約 に は 見 出 さ れ な い 約 束 一 と さ れ て い る 。 か か る 条 約 が 交 わ さ れ た に も拘 ら ず 、 ウ ィ リ ア ム ・T・ ヘ ー ガ ン(William T.Hagan)に よ れ ば 、 ジ ョー ジ ア 州 は 、1790年 代 に25,000,000エ ー カ ー 以 上 の

イ ン デ ィ ア ン の 土 地 を 土 地 投 棄 業 者 に 売 却 して い る 。 ヘ ー ガ ン は 、 「こ の 処 置 は 、 イ ン デ ィ ア ン が 、 文 明 化 さ れ て い よ う と な か ろ う と 、 ジ ョ ー ジ ア 州 内 に 残 存 す

る の を 許 さ な い と い う 同 州 の 意 思 表 示 で あ っ た 。」 と述 べ て い る 。

3「 ホ ル ス ト ン 条 約 」(1791年)

も う ひ と つ の 南 部 の 有 力 な 部 族 で あ る チ ェ ロ キ ー は 、 ス ペ イ ン と友 好 関 係 に あ り、 ま た イ ギ リ ス の 宣 伝 活 動 の 対 象 と も な っ て い た 。 チ ェ ロ キ ー の 幾 つ か の バ ン ドは 、 独 立 革 命 後 に オ ハ イ オ 川 北 部 に 移 住 し て い た が 、 イ ギ リ ス は 、 彼 ら

3p

を 介 し て 南 部 の イ ン デ ィ ア ン と の 関 係 を 維 持 し て い た 。 ノ ー ス ・カ ロ ラ イ ナ に お け る ホ ー プ ウ ェ ル の 条 約 侵 害 に 業 を 煮 や し て い た 連 邦 政 府 は 、1791年7月2 日 、 ホ ル ス ト ン 川(HolstonRiver)と フ レ ン チ ・ブ ロ ー ド(FrenchBroad)と の 合 流 点 で 、 チ ェ ロ キ ー ・ネ ー シ ョ ン との1785年ll月28日 条 約 の 改 定 に 漕 ぎ っ け 、 「恒 久 平 和 と友 好 」 条 約 を 締 結 す る こ と に な る 。 「ホ ル ス ト ン 条 約 」(the

32)

TreatyofHolston)と 呼 ば れ る 。 全16箇 条 か ら成 る 条 約 は 、 上 記 ニ ュ ー ・ヨ ー ク 条 約 を ほ ぼ 踏 襲 し て い る も の と言 え る が 、 条 約 第5条 は 、 条 約 当 事 者 の 境 界 線 を 定 め 、 そ の 第3文 で 、 合 衆 国 が 、 チ ェ ロ キ ー に 一 定 の 有 益 な 物 資 及 び 年 間 1,000ド ル の 支 給 一 ク リ ン チ 川(ClinchRiver)東 南 の2,660,000エ ー カ ー の 土 地 譲 渡 と の 引 換 一 を 行 う と 約 束 し て い る 。 第5条 は 、 合 衆 国 市 民 及 び そ の 居 住 者 の ワ シ ン ト ン 地 区 か ら メ ロ(Mero)地 区 に 至 る 道 路 の 無 害 通 行 権 及 び テ

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ネ シ ー 川(TennesseeRiver)の 無 害 航 行 権 を 規 定 して い る 。 第6条 は 、 合 衆 国 が チ ェ ロ キ ー の 土 地 で の 交 易 の 全 権 を 有 す る と し 、 第8条 は 、 合 衆 国 市 民 又 は 非 イ ン デ ィ ア ン が チ ェ ロ キ ー の 土 地 へ 定 住 し た 場 合 、 合 衆 国 の 保 護 を 受 け る 権 利 を 失 い 、 チ ェ ロ キ ー が 違 反 者 を 処 罰 し得 る と定 め て い る 。 第14条 は 、 チ ェ ロ キ ー ・ネ ー シ ョ ンの 文 明 化 の 一 端 と して 、 牧 夫 及 び 農 耕 者 の 育 成 に助 力 す る 旨 を規 定 して い る 。

33)

と こ ろ で 、 合 衆 国 最 高 裁 判 所 は 、1832年 判 決 のWorcester事 件 判 決 で ホ ル ス ト ン条 約 を 解 釈 し 、 当 該 条 約 の 当 事 者 の 平 等 性 と そ の 相 互 の 同 意 」(mutual consent)を 力 説 して い が 、 法 廷 意 見 を 執 筆 した マ ー シ ャ ル 判 事(Marshall,J.)

は 、 当 該 条 約 の 諸 条 項 に は 、 「政 府 自 体 に 権 能 が あ る と し て 認 め ら れ た 国 家 と の み 交 わ さ れ る 条 項 が 見 出 さ れ る 。 従 っ て 、 チ ェ ロ キ ー ・ネ ー シ ョ ン の 国 家 と し て の性 格 及 び 自 治権 を認 め 、 それ 故 に 、 彼 らの土 地 を保 証 し、 保 護 義 務 を 引受 け、 並 び に 当然 の こ とな が ら合 衆 国 の保 護 に対 す る信 義 を 誓 約 して い る本 条 約 は 、 し ば し ば 更 新 さ れ て き て お り 、 い まや 完 全 な る 効 力 を 有 す る の で あ る 。」 と

34)

判 示 し て い る(傍 線 、 筆 者)。

ま た 、 合 衆 国 第 八 巡 回 区 控 訴 裁 判 所 は 、 そ の1897年 判 決 で あ るRaymondv.

35)

Raymondで 、1893年6月5日 に チ ェ ロ キー ・ネ ー シ ョ ンの 純血 の イ ン デ ィ ア ン男 性(JesseB.Raymond)と の 異 民 族 結 婚 の 結果 、養 子縁 組(adoption)に よ り当 該 ネ ー シ ョ ン の 構 成 員 と な っ た 合 衆 国 市 民 た る 白 人 女 性(ElizaE.

Raymond)が 、 離 婚 訴 訟 を 合 衆 国 裁 判 所 に 提 起 した と ころ 、 本 件 原 告 女 性 は 、 依 然 と して 合 衆 国 市 民 で あ るが 、 当該 養 子 縁 組 は 、 養 子 縁 組 され た者 と当 該 部 族 の他 の構 成 員 との 間 の訴 訟 に関 して連 邦 裁 判 所 の 管 轄 権 を 排 除 す る とす る判 決 を下 して い る 。 判 決 の 中 で 、 第 八 巡 回 区 裁 判 所 は、 上 記 ホ ル ス トン条 約 第8 条 に言 及 し、 「条 約第8条 の〕規 定 が 、 そ の後 修 正 され て き た とい う こ とは、 本 件 の争 い に とっ て 実 質 的 な 事 柄 で は な い 。 そ れ は 、 後 の条 約 が 示 す よ う に、 一 世 紀 以 上 に わ た っ て 本 件 イ ンデ ィ ア ン部 族 が 、 地 方 の 問 題 を 規 制 し、 部 族 自身 の 人 民 と部 族 に所 属 す る者 の 人 身 及 び財 産 を保 護 し、 並 び に 彼 ら の相 互 の 権 利 及 び義 務 を裁 決 す る排 他 的権 利 を主 張 し、 合 衆 国 は これ を保 護 し、 及 び保 証 し て き た こ と を 示 す も の で あ る 。」

と 判 示 し て い る(傍 線 、 筆 者)。

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lV「 フ ォ ー ル ン ・テ ィ ン バ ー ズ の 戦 い 」 と1795年 「グ リ ー ン ヴ ィ ル 条 約 」 1「 フ オ ー ル ン ・テ ィ ン バ ー ズ の 戦 い 」(1794年)

ウ ィ ル コ ン ブ ・E・ ウ ォ シ ュ バ ー ン(WilcombE.Washburn)と ヘ ー ガ ン の 著 書 を 頼 り に 、 今 再 び オ ハ イ オ 川 一 オ ハ イ オ 川 こ そ 、 ア メ リ カ 独 立 革 命 当 時 、 そ の 北 西 部 地 域 に 居 住 す る 諸 部 族 に と っ て 最 後 の 抵 抗 線 で あ っ た 一 の 北 部 乃 至 北 西 部 イ ン デ ィ ア ン に 目 を 向 け て み よ う 。

合 衆 国 憲 法 の 発 効 は 、 北 部 イ ン デ ィ ア ン の 関 心 を 惹 く も の で は な か っ た と さ れ る 。 入 植 者 た ち は 、 相 変 わ ら ず イ ン デ ィ ア ン の 土 地 へ の 侵 入 を 繰 り返 して い た 。 条 約 が 、 よ り 多 くの 土 地 を イ ン デ ィ ア ン か ら獲 得 す る た め の 単 な る 手 段 で あ る 限 り 、 交 渉 に よ っ て 平 和 を 生 み 出 す こ と は 、 到 底 で き な い 相 談 で あ っ た の で あ る 。 条 約 の 交 渉 過 程 の 一 例 を 挙 げ る と 、 重 要 な 部 族 が 代 表 を 送 ら ず 、 し か も 最 終 会 議 で は 、 ア メ リ カ 側 は 部 族 間 の 分 裂 に 乗 じ 、 自 ら が 欲 し い も の を 手 に 入 れ た の で あ る 。 イ ン デ ィ ア ン の 中 で も 、 或 る 者 は オ ハ イ オ 川 を 境 界 線 と し て 確 保 す る こ と を 望 み 、 或 る 者 は そ の 境 界 線 は 既 に 消 滅 し て い る と し て 更 に 西 方 に 境 界 線 が 引 か れ る べ き だ と主 張 し た の で あ る 。1789年 、 オ ハ イ オ 川 北 方 の ア メ リカ 軍 指 揮 官 ジ ョ ー サ イ ア ・ハ ー マ ー(JosiahHarmar)将 軍 は 、 懲 罰 遠 征 隊 を イ ン デ ィ ア ン 地 区 に 投 入 す る こ と に よ っ て イ ン デ ィ ア ン 問 題 の 解 決 を 図 ろ う

と し、1790年 秋 に は 、 マ イ ア ミ族(Miami)、 シ ョ ー ニ ー 族(Shawanee)と の 問 で 戦 闘 が 行 わ れ た(遠 征 が 開始 さ れ て か ら5週 間 後 に 、 出 発 点 に 後 退 。)。1791年10 月 に は 、陸 軍 少 将 に任 命 さ れ た 総 督 ア ー サ ー ・セ ン ト ・ク レ ア(ArthurSt.Clair) が 、 ハ ー マ ー 将 軍 よ り大 き な 部 隊 を 率 い て 北 へ と進 ん だ(モ ー ミ ー(Maumee) 川 沿 い の 応 戦 で 恐 慌 状 態 に 陥 っ て 南 部 へ 潰 走 。)。ハ ー マ ー 軍 とセ ン ト ・ク レ ア 軍 に 勝 利 し た イ ン デ ィ ア ン の 戦 士 た ち は 、 代 償 を 払 っ て 平 和 を 購 う つ も り は 毛 頭 な く、 オ ハ イ オ 川 を 境 界 線 と す る と い う主 張 を 断 固 譲 ら ず 、 合 衆 国 使 節 と の 会 談 も 拒 否 し た の で あ る 。

威 信 を痛 く傷 つ け ら れ た ワ シ ン トン 大 統 領 は 、 オ ハ イ オ 川 峡 谷 地 方 の イ ン デ ィ ア ン 諸 部 族 に 講 和 使 節 を 派 遣 し 、 合 衆 国 が 、 イ ン デ ィ ア ン か ら そ の 土 地 を 奪 っ て 、 こ の 国 か ら追 い 出 そ う と望 ん で は い な い と彼 ら に 保 証 し た が 、 大 統 領 は 、

我 わ れ は 、 文 明 生 活 の 全 て の祝 福 を あ な た た ち に分 ち与 え、 土地 を耕 作 し、 ト ウ モ ロ コ シ を 栽 培 し 、 牛 や 馬 や そ の 他 の 家 畜 を 飼 育 し 、 心 地 よ い 家 を 建 て 、 子

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ど も た ち を 教 育 し 、 い つ ま で も こ の 国 に 居 住 す る こ と を 、 あ な た た ち に 教 え る 機 会 が あ れ ば 嬉 し く思 う も の で あ る。」 と述 べ て い る 。 し か し 、 合 衆 国 西 部 局 軍 司 令 官 で あ っ た ジ ェ ー ム ス ・ウ ィ ル キ ン ソ ン(JamesWilkinson)将 軍 は 、 一 方 で 、 「イ ン デ ィ ア ン ・ネ ー シ ョ ン を 、 征 服 な い し撲 滅 」 し た い との 欲 望 を 否 認 し

な が ら 、 他 方 で 、 マ イ ア ミ 、 シ ョ ー ニ ー 、 デ ラ ウ ェ ア 、 オ タ ワ 、 ワ イ ア ン ド ッ ト、 ポ タ ワ ト ミ、 ヒ ュ ー ロ ン(Huron)、 チ ッ ペ ワ の 各 部 族 に 対 し て 、 合 衆 国 は や ろ う と思 え ば イ ン デ ィ ア ン を 蛾 滅 で き る と警 告 し、 「合 衆 国 の 戦 闘 員 は 、 森 の 中 の 木 の 数 ほ ど 沢 山 い る 。 彼 ら の 肉 とパ ン は 、 牧 草 地 や 農 場 で 育 ち 、 そ し て 彼 ら は 、 武 器 と弾 薬 を 自 分 た ち で 捧 え る 。」 と イ ン デ ィ ア ン に 語 っ た と言 わ れ る 。 彼 は 、 セ ン ト ・ク レ ア 軍 の 敗 北 に も拘 ら ず 、 白 人 に は 多 数 の 軍 隊 が 存 在 し、 セ

ン ト ・ク リ ア が や り損 っ た こ と を 成 功 さ せ る た め に 、 軍 隊 を 派 遣 す る こ とが で き る と 主 張 し た の で あ る 。 事 実 、 ワ シ ン ト ン は 、 再 度 の 遠 征 隊 の 派 遣 が 必 要 と 判 断 し 、 独 立 革 命 戦 争 で 名 を 馳 せ た ア ン ソ ニ ー ・ウ ェ イ ン(AnthonyWayne)

将 軍 率 い る 強 力 な 遠 征 軍 を 派 遣 し た の で あ る 。

シ ョ ー ニ ー 、 マ イ ア ミ 、 旧 北 西 部 の 諸 部 族 、 少 数 の ク リ ー ク と チ ェ ロ キ ー 、 カ ナ ダ 商 人 た ち か ら成 る 総 数2,000人 の イ ン デ ィ ア ン 連 合 軍 が 、 対 峙 し た が 、 1794年8月20日 「フ ォ ー ル ン ・テ ィ ン バ ー ズ の 戦 い 」(BattleofFallen Timbers)一 現 在 の オ ハ イ オ 州 ト レ ド(Toledo)近 くの モ ー ミー 河 畔 一 に お

い て は 、 イ ン デ ィ ア ン た ち の 戦 意 は 上 が ら ず 、 イ ギ リ ス 側 も 遠 征 軍 に 挑 戦 し よ う と は せ ず 連 合 軍 は 、 イ ギ リ ス 軍 が 駐 屯 す る マ イ ア ミ砦 に 助 け を 求 め た が 、 ア メ リ カ と の 戦 い を 恐 れ た イ ギ リ ス 軍 が 、 そ の 門 を 開 く こ と は な か っ た 、 彼 ら イ ン デ ィ ア ン は 、 ア メ リ カ 軍 が 村 落 を 焼 き 払 い 、 ト ウ モ ロ コ シ 貯 蔵 所 を 全 滅 さ せ 、 徹 底 し た 焦 土 作 戦 を 展 開 す る の を 見 守 る し か 術 が な か っ た と い う 。 冬 が 近 づ く と、 飢 え て 鑑 襖 を 纏 っ た イ ン デ ィ ア ン の 代 表 団 が 、 ウ ェ イ ン を 訪 ね 、 平 和 を 請 う た の で あ る 。 こ こ に 、 遂 に オ ハ イ オ 川 の 抵 抗 線 が 決 壊 し 、 「イ ン デ ィ ア

ヨの

ン の 独 立 戦 争 」 は そ の 幕 を 閉 じ た の で あ る 。 2「 グ リ ー ン ヴ ィ ル 条 約 」(1795年)

フ ォ ー ル ン ・テ ィ ン バ ー ズ の 戦 い の 結 果 、1795年8月3日 、 交 渉 の 席 に 着 い た 北 西 部 イ ン デ ィ ア ン12部 族 の 族 長 と ウ ェ イ ン 将 軍 と の 問 に 、 「グ リ ー ン ヴ ィ ル

38)

条 約 」(theTreatyofGreenville)が 結 ば れ る(全10箇 条)。 こ の 条 約 に よ っ て 、

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当 事 者 の 境 界 線 は 、 は る か 北 方 と西 方 に 引 か れ 、 そ の 南 東 の 広 大 な 地 域 が 合 衆 国 に 永 久 に 譲 渡 さ れ 、 デ トロ イ ト、 シ カ ゴ 、 ヴ ィ ン セ ン ス と い っ た 要 衝 付 近 の 土 地 も 、 合 衆 国 に 譲 渡 さ れ た(条 約 第3条)。 イ ン デ ィ ア ン は 、 更 に 西 方 に 後 退 を 余 議 な く さ れ て い っ た の で あ る が 、 か た や 白 人 入 植 者 は 、 オ ハ イ オ 川 を 易 々 と越 え 、 そ の 支 流 を 渕 っ て 押 し 寄 せ 、 彼 ら は 、 或 い は ニ ュ ー ・イ ン グ ラ ン ドや ニ ュ ー ・ヨ ー ク か ら ニ ュ ー ・ ヨ ー ク 西 部 を 経 て オ ハ イ オ 川 を 下 り、 或 い は ペ ン シ ル ヴ ェ ニ ア か ら 西 進 し、 或 い は ケ ン タ ッ キ ー か ら 北 上 し、 オ ハ イ オ か ら イ ン デ ィ ア ナ 、 イ リ ノ イ へ と進 ん だ の で あ る 。

署 名 し た 部 族 は 、 ワ イ ア ン ド ッ ト、 デ ラ ウ ェ ア 、 シ ョ ー ニ ー 、 オ タ ワ 、 チ ペ ワ 、 ポ タ ワ ト ミ、 マ イ ア ミ、 イ ー ル ・ リ ヴ ァ ー(Eel‑River)、 ウ ィ ァ(Wea)、

キ カ ポ ー(Kickapoo)、 ピ ア ン カ シ ョー(Piankashaw)、 カ ス カ ス キ ア(Kaskaskia) の 各 部 族 で あ る 。 第4条 第1文 は 、 土 地 の 譲 渡 及 び そ の 放 棄 の 見 返 り と し て 、

合 衆 国 は、1783年 に 彼 ら との 間 に 締 結 さ れ た 講 和 条 約 に お い て 、 合 衆 国 及 び 大 英 帝 国 国 王 に よ っ て 同 意 さ れ た 境 界 線 に 従 っ て 、 オ ハ イ オ 川 の 北 方 、 ミ シ シ ッ ピ の 東 方 及 び 五 大 湖(GreatLakes)の 西 方 並 び に 南 方 の そ の 他 の 全 て の イ ン デ ィ ア ン の 土 地 に 対 す る請 求 を 放 棄 す る 。」 と し 、 同 条 第2文 は 、 各 部 族 に 毎 年 一 定 額(部 族 に よ っ て1,000ド ル か ら500ド ル)の 支 給 を 行 う 旨 を 規 定 し て い る 。 第5 条 は 、 第4条 で 合 衆 国 が 放 棄 し た イ ン デ ィ ア ン の 土 地 に 関 す る 誤 解 を 避 け る た め 、 「放 棄(relinquishment)と は 、 こ れ ら の 土 地 に 対 す る権 利 を 有 す る イ ン デ ィ ァ ン 諸 部 族 が 、 当 該 土 地 を 彼 ら が 望 む と こ ろ に 従 っ て 狩 猟 、 植 栽 並 び に 居 住 の た め に 平 穏 に 享 有 す る こ と を い う。 こ れ ら の 部 族 若 し く は そ の い ず れ か が 、 彼 ら の 土 地 又 は そ の 一 部 を 売 却 せ ん と す る場 合 、 合 衆 国 に 対 し て の み 売 却 で き る も の と す る 。 か か る 売 却 が 行 わ れ る ま で の 間 、 合 衆 国 は 、 合 衆 国 の 全 て の 市 民 及 び イ ン デ ィ ア ン の 土 地 に 不 法 侵 入 す る そ の 他 の 全 て の 白 人 か ら 、 静 穏 に 当 該 土 地 を 享 有 し得 る よ う 保 護 を 与 え る も の と す る 。 更 に 再 び 、 当 該 イ ン デ ィ ア ン は 、 自 ら 合 衆 国 の 保 護 下 に あ る こ と を … … 認 め る 。」 と規 定 して い る 一 後 に 、

s9)

こ の 規 定 の 解 釈 を め ぐ っ て 最 高 裁 判 所 に お い て 争 わ れ る こ と に な る 一 。 3尚 、1794年ll月ll日 に は 、 大 統 領 ワ シ ン ト ン に よ っ て 任 命 さ れ た ピ カ リ ン グ(TimothyPickering,1745‑1829)大 佐 と六 部 族 連 合 の 族 長(Sachem)と

40)

の 問 に新 た な条 約 の 交 渉 が 行 わ れ 、 合 衆 国 は、 ニ ュ ー ・ヨ ー ク州 との条 約 にお

(16)

い て オ ネ イ ダ(Oneida)、 オ ノ ン ダ ガ(Onondaga)及 び カ ユ ガ(Cayuga)の ネ ー シ ョ ン に 保 留 さ れ た 土 地 を 承 認 し、 当 該 土 地 を 彼 ら の 財 産 と し て 保 留 地 (reservation)と 呼 ぶ こ と と し(第2条)、 セ ネ カ ・ネ ー シ ョ ン と の 境 界 を 取 り決 め て い る(第3条)。 そ し て 同 条 約 第4条 は 、 六 部 族 に 対 して 以 後 合 衆 国 の 境 界 内 の 土 地 に 対 す る 請 求 の 放 棄 を 約 束 さ せ 、 第6条 は 、1792年4月23日 条 約(未 公 表 。 上 院 で 批 准 さ れ た 形 跡 が 存 在 しな い。)で 約 束 さ れ た1,500ド ル に3,000ド 追 加 し、合 計4,500ド ル を 支 給 す る 旨 を 規 定 し て い る 。附 則 で は 、合 衆 国 は 、 ネ ー

シ ョ ン 、 部 族 又 は 家 族 に 介 入 す る こ と は な い と し て い る 。 ま た 、1796年5月31 日 、 ニ ュ ー ・ヨ ー ク 市 で カ ナ ダ の7ネ ー シ ョ ン(SevenNationsofCanada)

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と の 条 約 が 締 結 さ れ 、7ネ ー シ ョ ン は 、 ニ ュ ー ・ヨ ー ク 州 内 の 土 地 に 対 す る 全 て の 請 求 、 権 利 及 び 権 原 を 放 棄 さ せ ら れ て い る。

Vイ ン デ ィ ア ン 交 易 及 び通 商 規 制 法 の 制 定 1概

本 章 の時 代 区分 の 期 間 に、 合 衆 国 議 会 は、 合 衆 国 憲 法 第1条 第8節 第3項(イ ンデ ィア ン通 商条項)を 通 して、 イ ンデ ィ ア ン 問題 を 処 理 す る多 くの 法 律 を制 定 して い るが 、 中 で も重 要 な法 律 が い わ ゆ る 「イ ンデ ィ ア ン交 易 及 び通 商 規 制 法 」

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(lndianTradeandIntercourseActs)で あ る。 これ らの法 律 は、 合 衆 国憲 法 第 6条 第2項(最 高 法 規 条 項)の 下 で の条 約 と同 じ地 位 を付 与 され て お り、 これ ら連 邦 法 律 は、 この 時 代 を通 じて 連 邦 政 策 を実 施 した 諸 条 約 との 関係 にお い て 解 釈 さ れ な けれ ば な ら な い こ とに な る。

辺 境 の 秩 序 だ っ た 発 展 に 対 す る連 邦 の 責 任 は イ ン デ ィ ア ン に対 す る責 任 で は な く、 辺 境 に お け る無 法 な る 白人 に対 す る 国家 と して の責 任 一 、 イ ン デ ィ ア ン政 策 が 形 成 され た 本 稿 で 論 ず る時代 の イ ンデ ィ ア ン立 法 に反 映 され て お り、

合 衆 国 議 会 の 立 法 的 関 心 事 は 、特 に イ ン デ ィ ア ンの テ リ トリー 内 で の 非 イ ンデ ィ ア ン(non‑Indian)の 活 動 を、 い か に規 制 す るか に あ っ た と言 え よ う。 これ ま で 見 て きた と こ ろか ら明 らか な よ うに 、 独 立 以前 の 植 民 地 政 府 自体 か ら して、

違 法 行 為 と強 奪 が 罷 り通 っ た 白人 に よ る無 制 約 な イ ン デ ィ ア ン部 族 との 交 易 を 規 制 す る必 要 性 を 、 痛 感 して い た の で あ る。

(17)

2「1790年 法 」

イ ン デ ィ ア ン 問題 の 分 野 に お け る実 体 的権 利 及 び 義 務 を特 に規 定 した 最 初 の 合 衆 国 議 会 の 立 法 は、 そ の第1議 会 が 、1790年7月22日 に制 定 した 「イ ン デ ィ ア ン部 族 との 交 易及 び 通 商 を規 制 す るた め の 法 律 」(「第 一次交 易及 び通商 規制 法」

asi

(thefirstTradeandIntercourseAct))で あ る 。 本 法 及 び そ の 後 の 一 連 の 交 易 及 び 通 商 規 制 法 は 、 当 初 は 諸 条 約 の 履 行 と 手 に 負 え な い 白 人 に そ れ ら を 強 制 す る こ と に 向 け ら れ て い た が 、 そ の 後 、 徐 々 に 連 邦 の イ ン デ ィ ア ン 政 策 の 基 本 的 要 素 で あ る ① 連 邦 に よ る イ ン デ ィ ア ン の と 交 易 規 制 、 ② 公 式 の 手 続 に 従 っ た 連 邦 の 政 府 吏 員 に よ る 場 合 を 除 く イ ン デ ィ ア ン の 土 地 の 購 入 禁 止 、 ③ 非 イ ン デ ィ ア ン に よ っ て イ ン デ ィ ア ン 対 して 実 行 さ れ た 犯 罪(crimes)及 び 侵 害(trespass) に 対 す る 処 罰 を そ の 内 容 と し て い る 。 そ し て 、 本 法 の 制 定 を も っ て 立 法 者 は 、 合 衆 国 議 会 に 「イ ン デ ィ ア ン部 族 と の 通 商 を 規 制 す る 権 限 」 を 承 認 す る 合 衆 国

44)

憲 法 第1条 第8節 第3項 に 対 す る 実 践 的 解 釈 を 与 え た の で あ る 。

全7箇 条 か ら成 る 第 一 次 交 易 及 び 通 商 規 制 法 似 下 、 「1790年 法 」 と も い う。)の 内 容 は 、 以 下 の 通 りで あ る(抄 訳)。

第1条 何 人 も、 部 局 監 督 官(superintendentofdepartment)若 し く は 合 衆 国 大 統 領 が 任 命 す る そ の 他 の 者 の 署 名 捺 印 の 下 に 、 交 易 若 し く は 通 商 の 目 的 の た め の 許 可 証(license)を 得 る こ と な く、 イ ン デ ィ ア ン 部 族 と 当 該 行 為 を行 う こ とは 許 され な い 。 当 該 監 督 官 若 し くは 合 衆 国 大 統 領 が 任 命 す る そ の他 の 者 は 、 監 督 官 、 許 可 証 発 行 者 若 し くは合 衆 国 大 統 領 に よ っ て 承 認 され た1人 若 し くは それ 以上 の保 証 人(surety)と 契 約 を結 ぶ 相 応 な る全 て の者 に 、 イ ン デ ィ ア ン部 族 との 交 易 及 び 通 商 の 管 理 目 的 で 現 在 制 定 され 若 し くは 以 後 制 定 され る規 則 、 行 政 規 則及 び制 限 の 誠 実 な遵 守 を条 件 に 、 合 衆 国 の使 途 の た め に 、 当 面 合 衆 国大 統 領 に支 払 わ れ る違 約 金1,000ド ル で 、 許 可 証 を発 出 す る。 … … い か な る そ の他 の 者 も、 上 で 規 定 され た 許 可 証 を 持 た ず して 、 イ ンデ ィ ア ン との 交 易 若 し くは通 商 を行 う こ とを認 め られ な い。 許 可 証 は 、2年 を超 え な い期 間 を もっ て 付 与 され る。 但 し、 大 統 領 は 、 自 ら適 切 と考 え た 場 合 、 合 衆 国 市 民 に よ っ て居 住 地 の 周 囲 を 取 り囲 まれ て い る部 族 に 関 して は、 許 可 証 な く して 通 商 を保 証 す る命 令 を 定 め る こ とが で き る。

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