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― ― 東京におけるジェントリフィケーションと空間的分極化

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1.問題の所在

 本稿は、東京のインナーシティの代表的存在である墨田区京島地区を事例(1)としてそこでの ジェントリフィケーションの日本的現象の分析と、ジェントリファイアーのプロフィールを 明らかにすることを目的とする。

 大都市ロンドンでは1960年代、ニューヨークでは1970年代、そして東京では1980年代から 都心部の再開発と階層構造の変化が指摘されてきた。いわゆるクラッセン(Klaassen, L.H.)

らによる大都市の段階モデルにおける「再都市化」段階(2)に突入した都心と都心部に隣接する インナーシティでの人口増加現象が生じている。2010年と2015年の国勢調査結果によれば、

東京都は2010年では4.6%、2015年で2.7%と全国1位の増加率を示し、特別区ではそれぞれ 5.4%、3.5%に達した。同現象を人口の「都心回帰」と称する場合もあるが、本稿ではイン ナーシティへの居住経験がない階層に注目するため新来住者層の増加を一律に「都心回帰」

とは表現しない。

 さて資本の回帰あるいは階層構造の変化として、ジェントリフィケーション(3)を都心および インナーシティを対象とする資本の再投資と見なすならば、人口動態や地価評価と密接な関 係が認められるであろう。ジェントリフィケーションを資本の回帰によって生じるとし、民 間投資の負の側面を鋭く指摘したスミス(Smith,N., 1996)は、潜在的な地代と資本化された 地代との間に生じた差額(rent  gap)により利潤を得ようとする資本は、その利潤が最大に なる場合にジェントリフィケーションを引き起こすと主張した。一方、新来住者層に注目す ると新たな都市的中間層(new  middle  class)である潜在的なジェントリファイアーは、若 年、高学歴、専門的 ・ 技術的職業、DINKS やシングル、都心志向、私生活中心主義など新た な属性とライフスタイルが顕著であり、彼 ・ 彼女らの存在こそがジェントリフィケーション の必要要件であるされる(Rose, D., 1984, Beauregard, R. A., 1988, Hamnett, C, 1991)。

 近年日本においても、ジェントリフィケーションの研究は一定の蓄積が存在する。特に東 京を対象とした研究は、都心の分析に傾斜している(4)。都心3区のうちでも中央区佃1丁目や

東京におけるジェントリフィケーションと 空間的分極化

―墨田区京島地区の再編成―

小 浜 ふみ子

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月島1 ・ 3丁目は、1980年代後半以降急速に再開発が進行し都心部の再開発の先鞭をつけた。

1986年着工された「大川端リバーシティ21」は、東京都、東京都住宅供給公社、住宅都市整 備公団、民間の三井不動産による7棟のタワーマンションに2,500戸の住宅が建設され定住人 口7,500人が想定されていた。その後、三井地区のマンションの中にはマンション単位で自治 会が設立され、供給側の三井不動産の意味づけ「ホテルのような生活」を裏切るかのように 居住者たちは「タテ長屋」と表現されるように活発な近隣関係を築いている点でも注目され (5)。もっともリバーシティ21内のマンションすべてが自治会を設立しているわけではなく、

一般的には1マンションが1加入者として町会に加入している場合が多く、同マンション内 で結成された自治会は、佃二丁目町会の範域に入っており町内会 ・ 自治会としては特殊な形 態といえよう。

 とりわけ都心3区における再開発は、2020年の東京オリンピック開催決定を受け、国際的 な新都心(国家戦略特区)として国家的な都市機能の更新が進められている。インナーシティ を対象としたジェントリフィケーション現象は、都心3区のそれと歴史的社会的背景が異な る。本稿では、墨田区京島地区というミクロな事例において、日本の大都市で生じている再 開発とそれに伴い発現する日本的ジェントリフィケーションの特徴を解く含意を発見したい。

2.東京におけるインナーシティの位相

 先述したごとくクラッセンのモデルに依拠すれば、インナーシティ問題は脱工業化による

「反都市化」の段階に相当する。1980年代後半以降、再都市化による「世界都市」(Freedman,  J., 1986) として東京一極化現象が加速した。だが、都心部の一極集中は、インナーシティ問 題の解決には直接には寄与しなかった。高橋勇悦らは、東京にはインナーシティ問題は存在 しないと批判を受けながらも、東京の一極集中は、都市の成長と同時に都市の衰退をも内包 し、インナーシティとしての城東地域(台東区、墨田区、荒川区)や城南地域(品川、大田 区)にインナーシティ問題の一つである定住人口の減少が継続的に生じている事実を実証的 研究により明らかにした(高橋編,1992)。とくに第4章「インナーエリアにおける社会移動 と地域形成」(竹中英紀)では、地方出身の都市自営業者層が上昇的社会移動の努力を通じて 維持してきた近代的「下町」町内の地域類型の変容 ・ 解体のなかで、自営業後継者層による 主体的なまちづくりの取り組みのなかに大都市インナーシティ再生の成否にかかる鍵要因が 存在すると指摘されている。2012年以降実施した筆者らの調査結果(6)においても、同区のまち づくりの主体である自営業者層の存在は、閑視できないと結論づけられる。

 都心業務地区の変貌が東京の成長戦略として注目された点とは対照的に、インナーシティ は内部では製造業の衰退という構造的変化が進行しつつも政策的な開発に巻き込まれるまで

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にはタイムラグが生じていた。1982年、「東京都第1次長期計画」に登場した「多心型都市構 想」では、新宿、池袋、渋谷、上野 ・ 浅草、錦糸町 ・ 亀戸、大崎の6つの副都心が指定され 東京の成長戦略の中に城東インナーシティが登場した。その後の青島都政では、上野 ・ 浅草 周辺を東京都の観光資源としてまちづくりが推進された。だが、1990年代初頭のバブル経済 崩壊以降は、国の経済戦略会議おいては、「不動産の流動化 ・ 有効活用の推進」、「再開発事業 促進のための再開発事業」、「競売手続きの円滑化 ・ 迅速化」が提唱され、都市政策は不況脱 出の手段となった。なるほど、2002年に制定された「都市再生特別措置法」、2011年に制定さ れた「特定都市再生緊急整備地域」は、不良債権の処理との文脈に呼応しており、建築基準 法や都市計画法の大規模な規制緩和が進められたのであった。1994年の石原都政では、それ までの「多心型都市構造」から「環状メガロポリス構想」へと転換された。すなわち、「セン ターコア」と称される首都高速中央環状線の内側を日本の政治、経済、文化をリードする中 心核として集積を図る政策が打ち出されたのである(東京都,2000)。かくして都心の再開発 により業務地区において住宅需要を生み出す手法は、「グローバル競争に勝ち抜く主体として の都市が、そのためのアクターとして〔望ましい〕とみなされる人びとを呼び込むための政 策であり」、「管理戸数の抑制」として新規の都営住宅は行われず、経済的弱者や住宅困窮者 など「望ましくない人びとのための住宅は、残余化されている」(高木,2015:58-68)と指 摘された。東京都住宅基本条例によれば、「すべての都民がゆとりある住生活を享受するに足 りる住宅を確保する」目標(7)も実際には「都市再生政策のもとでの住宅政策は、経済競争に勝 ち抜くことを指向する都市像のなかで、これに適合的な居住者を選別的に都心部に集めるた めの住宅整備の方針を進める一方で、都営住宅への入居資格を持つ人に代表される〔不適合 な人びと〕のための住宅を削減する方向となっている」(高木,2016:71-72)。上述は、神宮 外苑の国立競技場の建替えのため都営霞が丘アパートの住民が立ち退かざるをえなかった事 態(稲葉,2015)に比べると顕在的立ち退きとは異なるが、相対的に多くの都営住宅を抱え るインナーシティにおいてジェントリフィケーションの負のコストを社会政策が押し上げて いるといえるであろう。

 さて、墨田区においては鈴木都政の「マイタウン東京構想」において掲げられた「多心新 型都市づくり」の下、「東京都長期計画」内で錦糸町と亀戸が副都心に指定され、1997年以降 錦糸町駅北口地区再開発事業が進められた。以下では、『墨田区史』(2006)から南部地区に おける再開発の歴史を遡及する。1980年には「墨田区基本構想」において、副都心の将来イ メージを描いた「錦糸町周辺基本構想案」を公表し大型商業施設の拠点整備を具現化するに 至った。同地区の再開発を推進した大きな要因としては、錦糸町北側には、旧国鉄の材料置 き場や住宅展示状などに利用されていた約3.5ha の土地、民有地、都有地、区有地が隣接し、

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およそ4.0ha の用地が旧国鉄、東京都、墨田区の三者協議会が発足した点、さらには1983年総 合経済対策で盛り込まれた民間活力による「都市ルネッサンス」構想の影響であろう。した がって「錦糸町北口再開発計画案」の成案には、商業 ・ 業務施設、文化施設、住宅施設を一 体的に整備する地域住民の意向を反映される形となった。ただし、再開発に伴う日照、風害、

防災、交通など環境への影響をめぐる住民側からの反発も生じた。地域住民との合意形成へ の紆余曲折に拍車をかけたのがバブル景気のもたらした地価高騰である。それは都心3区に 留まらず同区にも波及していた。地権者たちは、区の土地評価額と市場評価額とのギャップ、

すなわち大手が開発地区内の民有地を細分して買収し(8)、その売買価格が区の評価額をはるか に上回る不透明な事態に不満を示し、権利変換はスムーズに運ばなかった。地権者の多くは、

菓子の卸売りや雑穀販売など最寄品を扱う自営業者たちであり、再開発後高層ビルに入居し て家業が存続できるかの懸念も強かった。さらに阪神 ・ 淡路大震災での打撃の影響を被った 大型百貨店の進出断念や再開発事業最大の出資者である保険会社の負担金拒否など開発中断 の危機にみまわれた。ともあれ、開発事業は当初の完成予定からは遅滞したものの1997年に は事業完成の目途がつくに至った。

 一方、北部地区は都市のインフラが未整備であり南部地区のような拠点開発事業よりはむ しろ防災、地場産業活性化、居住環境の改善が課題とされてきた。したがって、南部のよう に旧国有地が存在する、あるいは東京都と墨田区の政策や計画が再開発を推進する歩調は揃 わなかった。南部地区に再開発の波が及ぶのは、東京が脱工業化を迎え製造業が縮小し、「建 造環境」である土地や不動産への投資によって「法人企業都市」化が進んだ2000年代以降で ある(9)。東京都『建築統計年報』を分析した町村によれば、着工建築物床面積の総数は2000年 代には低下現象を示しており、われわれが街の著しい変貌と受ける表面的印象とのギャップ を以下のように説明されている。「東京は1990年代後半以降、都市空間生産の面において〔法 人企業都市〕としての度合いを急速に増してきた。建築における個人 ・ 企業 ・ 公共という部 門間のバランスの変化、とくに企業部門の突出が、空間変容に関する実感と数字の乖離をも たらしてきた(10)」とされ、「選択と集中」の論理が生きられた都市空間を造られた都市空間へと 覆いつくす事態が進展していった。

3.対象地区における物理的背景と内発的発展の嚆矢

 墨田区は、旧本所区に該当する道路が整備された南部地域と旧向島地区に含まれる狭隘な 農道が路地として残されている、あるいは三業地としての繁華街の歴史を辿った地区に大別 される。後者が住宅地としての歩みをスタートさせたのは1923年の関東大震災後であった。

かつて江戸の食料供給の要のひとつとして位置した湿地滞には、北部や他区からの被災者た

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ちが宅地を造成して来住した。したがって、インフラ整備は、住宅建設には追い付かなかっ た。第二次世界大戦時の空襲も運よく逃れ、さらに被災者が集中し(ヘクタールあたり500人 を超す人口密度)、大正末期から昭和初期にかけて建設された住宅は独特の下町的ノスタル ジーを醸し出す町並みとしてメディアから脚光を浴びるに至った(写真1,2参照)。

写真1 ノスタルジーを謳う町

  2012年5月19日筆者撮影 写真2 下町的路地が残る町並み

  2016年9月10日筆者撮影

 一方、東京都住宅局が1971年に発表した基本計画では、防災面やアメニティ面でも劣悪な 町は、昭和のノスタルジーや下町的社会関係の保存よりもむしろ高層住宅により一新させる 全面再開発に近い発想が打ち出された。80年代には東京都のまちづくり施策は急展開を示し、

密集市街地の再開発は全面建替えというよりは修復型のまちづくりというコンセプトが登場 した。その背景には、いわゆる住民運動や市民運動が「70年代半ばの〔転換期〕〔転形期〕を 経て、〈一つの新しい階梯をむかえた〉点が指摘されている。それは、〔作為要求型 ・ 作為阻 止型から地域づくり ・ まちづくりへの転形、転換〕とも表現されるが、地域に内発的な自治 規範が形成されつつある現実が重視されている。当然ながら前者の運動形態も依然としてあ りうるが、これらがコミュニティ形成、地域づくりとの連動で表出される点が特徴」(奥田,

1983:223)と主張されていた。今野は、これまでのコミュニティ形成論が「抽象的であり、

一般化されすぎていて、住民個々人 の視座に即した移行のプロセスが具体的に示されていな いことに問題がある」と指摘し、ボランタリー ・ アソシエーションと既存の地域住民組織と の葛藤、既存の組織にボランタリズムが浸透する メカニズム、大都市インナーシティ型のコ

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ミュニティ形成のプロセス、の3つの実証的な把握をコミュニティ形成論の課題としてあげ、

神戸市真野地区の住民運動 ・ まちづくりを対象とした詳細な調査を行っている。そこでは、

まちづくりが発生する社会経済的背景、推進母体としての町内会 ・ 自治会の性格から、住民 の生活構造や支配的文化のあり様、個々人の対応やコミュニティ 活動への参加行動とコミュ ニティ意識との関連に至るまで、継続的 ・ 通時的な調査から包括的かつ具体的に検討されて いる。同調査分析においては、諸地域集団の対等でゆるやかな連合のシステムを形成する政 策こそ、自治会一元化構造の「支配的文化」を打ち破り、コミュニティ形成を実現するため の必須の要件となっていた事情、そのためには自治会運営の民主化、相対化が求められてお り、実際にこうした仕組みを各種行事やイベントを実行するための協議会方式を採用するこ とで実現していた実情が事例に即して明らかにされている。さらに、コミュニティ活動に積 極的に対応する意識が、地域の友人ネットワークの保持と地域団体での活動の中から生じて いた事実、加えて協議会と行政の関係が 住民の主体性に大きく影響している発見など、まち づくりの展開過程に影響を及ぼす要因についても数多く発見されている(今野,2001)。おり しも81年代以降、神戸市や世田谷区等先進的な自治体では「まちづくり条例」が市民の参加 する権利やまちづくりを提案する権利を保障した。

 さて、墨田区京島地区(京島1丁目から3丁目)は東京都の1993年『危険度測定調査報告 書』において防災危険度が極めて高いと指摘されており、整備事業は「密集市街地整備法」

(国土交通省,1997)の後押しがあってもなお計画通りには進捗していない。当該地区は、面 積約25ヘクタール、老朽化した木造住宅が密集している。本地区では、他のインナーシティ に共通する町内会の担い手として都市自営業者層の存在は、単なる「従業上の地位」の1カ

43,036 45,073 45,219 44,192 47,497 47,036

45,207 43,119

37,675

33,483

30,834

26,537

5,0000 10,000 15,000 20,000 25,000 30,000 35,000 40,000 45,000 50,000

1985 1990 1995 2000 2005 2010

ホワイトカラー合計 ブルーカラー合計 図1 墨田区の職業別構成の推移 1985-2010年

各年国勢調査より作成

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テゴリー(「自営業主」、「家族従業者」)にとどまらず、「独自な凝集性と存在感をもった社会 層として、町内会の参与を通じて自己形成されてきた」(竹中他,1988:47)軌跡を辿ってき た。高度経済成長期のような人口増も見込めぬ状況のなか、産業構造の転換が大きな引き金 となった地域経済の存立基盤の揺らぎは、社会的移動という観点からも自営業主への到達は 極めて厳しい現実となった。図1は、1980年代半ばまでブルーカラー層の構成がホワイトカ ラー層の構成を上回っていたものの、90年以降のブルーカラー層の凋落の著しさを物語って いる。

 2008年墨田区は、地域住民がまちづくりを考える上でのガイドラインの役割を担うとして 基本計画における6つのコミュニティエリアを踏襲し、地域別構想の地域区分と制定した。

向島、京島、押上地域は、6区分のうちでも、地域の主要課題として、①木造住宅密集地域 の安全性の向上、②マンションの適切な誘導により住み続けられる住環境づくり、③公園、

水辺の利便性向上、④景観軸や地域固有の景観資源を活かした景観の形成、⑤地場産業の共 存に配慮したまちづくりが掲げられている(墨田区,2008:108-109)。

 さらに京島地区における防災まちづくりは、1978年独立行政法人都市再生機構の「住環境 整備モデル事業」を導入し、市民参加を醸成すべく1981年には「京島まちづくり協議会」が 設立された。棟割り長屋の密集地帯は、低層の集合住宅として生まれ変わり、土地や建物を 区に売却して住宅を失った住民、老朽化した住宅の住民、道路拡張をめぐり立ち退かざるを 得なかった住民は、新たな「コミュニティ住宅」が終の棲家となった。1987年に墨田区にお いてコミュニティ住宅が建設され、京島地区には2016年現在では14棟のコミュニティ住宅

(139戸)が建設されている。月の使用料は、1丁目の場合1LDK は、75,100円から95,000円と 決められている。1LDK は2丁目3丁目には存在しない。ちなみに、2丁目のコミュニティ 住宅の例は 3DK(作業所付)54,700円、3丁目で 2DK(作業所付)49,200円である。1丁目 は、比較的高額賃貸料といえる(墨田区コミュニティ住宅条例より)。2丁目、3丁目は、市 街化区域でありながら、準工業地域(第三種特別工業地区)と指定されており、作業所付の 住宅が存在していると推察される。

 一方、ソフトなまちづくとしては、1986年以降、京島まちづくり協議会により「京島地区 ニュースまちづくり」が発行され、さらに文化的なイベントとして1988年以降「京島文化祭」

が開催されている。京島地区における防災まちづくりは、住民参加型まちづくりの新たな潮 流として、行政、都市社会学、都市計画、建築学などにより注目を浴びるようになった。た だし、1990年以降、予算規模が縮小され、まちづくり事業への国からの補助金は、1993年で はおよそ14億5千万円支給されていたが、2001には390万円に削減された。行政からの削減 は、国、東京都、墨田区からなる連携による防災事業の存続が不可能となり、連動してまち

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づくり運動の勢力も衰えていった。

 1988年には、「京島地区のまちづくり協議会」と一寺問地区の「一言会」のメンバー、住 民、専門家グループなどが新たなまちづくりを模索し、区や企業に対する提言や要請活動、

あるいは海外の市民との国際交流などが展開された。上述の活動は、2002年、NPO 法人「向 島学会」の設立に結実された。NPO 法人向島学会は、「東京の下町 ・ 向島エリアの個性ある 街並みや産業、コミュニティに息づく新旧の文化など、地域資源の持つ魅力を大切に活かし ながら、活気がみなぎる暮らしやすいまちをつくることを目標として、2002年に活動をスター トした。地域住民、まちづくりの専門家、アート関係者、学生等多様なメンバーが参加して おり、同学会では、向島エリアのまちづくりにおける「プラットフォーム」として、⑴地域 資源の情報収集および提供事業、⑵地域活性化活動の支援事業、⑶住まい ・ まちづくりに関 する調査研究事業、⑷アートとまちに関する講座およびイベント事業、⑸海外も含むふくむ 様々な市民団体との交流事業といった幅広い活動に取り組んでいる。向島学会では、定款に 掲げるミッションに即しつつ、交流部会、まちづくり部会、アーカイブ部会、アート部会な ど、会員がテーマ別に立ち上げた部会による様々な活動を通じて、地域の活性化に取り組ん でいる」(NPO 法人 向島学会ホームページより)さらに、活動については、2012年5月に 実施したヒアリング調査において確認された。

 敷衍するならば、下町型地域社会の「団体との再生」は、新たな活路を行政、都市計画、

中小企業政策の専門家集団と自営業者との連携の名の下で「まちづくり」への取り組みに求 められた。1981年、「京島地区まちづくり協議会」が結成され、翌年には「京島地区まちづく り大枠」の目標、①良好な居住環境、②住商工が一体化した職住接近、③大震火災に強い安 全、④人口1万人以上の定着が掲げられた。「大枠」では、①生活道路の計画、②建物の計画 とその性格に応じた計画実現の方法(官民分担)の提示、③コミュニティ施設の計画が示さ れ、クリアランス型ではなく、改善型再開発を指向し、住民参加、公民協働の協議型まちづ くりとして評価された。「大枠」策定後、協議会の活動は停滞し、行政の意志伝達機関になっ てしまった(墨田区,1996)とされる。1981年から30年以上かけて主として木造密集地域の 不燃化促進に取り組んだ事実は紛れもないが、「まちづくり協議会」や市街地開発事業には、

さまざまな主体の意志が必ずしも反映されているとはいいがたい。現実には、住民との対話、

まちづくり方針の確認、今後の取り組みについての発案と合意を求めていくプロセスが行政 との協働につながるが、地権をめぐる複雑な利害関係やまちづくりにおける再開発への危惧 など住民の意志を1本化するには至らず、行政主導、官民主導のまちづくりとなりやすい。

ともあれ、まちづくりへの取り組みは、NPO 法人によるソフトな活動につながっていった。

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4.京島1丁目のジェントリフィケーションへの歩み

 墨田区の曳舟駅周辺地区(東向島2丁目、押上2丁目、京島1丁目)は、東京都と墨田区 により上位計画が定められている(11)。京島地区は、1~3階低層建築物の割合が高いとともに 工業用地の割合も高い複合的な土地利用が行われている。地場産業の盛衰を各年工業統計調 査の結果において示すと、製造業の事業所数、従業者数ともに減少傾向は一貫している。た だし、人口において京島1丁目は、独特な特徴を示している。すなわち、墨田区全体では、

1995年以降緩やかな増加傾斜が2000以降はその傾向が顕著に描かれている(図2)。一方、京 島1丁目では2005年以降急激な増加を示し(図3)、職業においても同年以降ホワイトカラー (12)の伸長が鮮明となっており(図4)、区全体の増加に比較してタイムラグが生じている。同 傾向は、主要駅周辺の再開発の余波が、京島1丁目において及んでいるといえよう。

 同地区のまちづくり事業は、最初は1丁目における駅とその周辺における大規模な再開発 事業であり、次いで2、3丁目における小規模な整備 ・ 拡充事業であった。さらに東京都の 都市計画事業として京成押上線の連続立体交差事業も着工された。表1に示されているよう に、2001年に曳舟駅前地区都市計画が策定され、大規模再開発事業が進められた。2011年に は曳舟駅前地区第一種市街地開発事業が完了し、高層集合住宅や区の施設と合わせて、大規 模小売店舗が開業した。

 ジェントリフィケーションを引き起こす一要因として、再開発以前の地代と再開発後の地 代との差額「地代格差理論」が指摘されている。したがって該当地区に潜在的地代による上 昇現象が生じているかを、図5において墨田区全体、東京スカイツリー周辺、曳舟周辺(京 島地区を含む)、押上周辺の公示価格の推移により検証した。地価の上昇については、公示価 格あるいは都道府県地価調査価格が目安となる。一般に路線価格は、公示価格の80%で設定 されており、ちなみに固定資産評価額は公示価格の約70%で設定されている。いずれも実勢 的な価格とは一致せず、実勢価格は、公示価格等より高く設定されている。実勢的な価格は、

時価変動が大きいため、本稿では国土交通省のデータを採用した。結果は、全体としては、

2008年を上昇のピークとして2010年以降横ばい状態が維持されている。際立って、地価が上 昇したと判断可能な地区は東京スカイツリー周辺に限られる。その反面、曳舟周辺について は、2008年ピークの上昇は他の地域に比べて低く、潜在的な地代が反映されているとはいえ ず、2016年には10年前に比較して下落傾向が示されている。翻って推察するならば、不動産 をめぐる経済メカニズムが強く及んでいない曳舟地区での高層集合住宅は、2002年の都市再 生特別措置法後規制緩和後の「タワマンの大衆化」時代に呼応して、比較的若年のファミリー 層や専門職シングルにとっては入手しやすい物件が存在する地区といえよう。都市施設の建

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築は建築基準法により商業地が住宅地として開発される場合はないが、マンションは商業地 にも建設可能な居住施設である。したがってマンション全体により創出される住宅地代が商 業地代を上回れば、マンション建設につながりやすい。

 さて、ジェントリフィケーションには旧住民の立ち退きが伴う。当該地区において、客観 的に立ち退き現象の有無を発見するために、住宅地図とヒアリング調査結果を用いた。表2 は、再開発前と後の建物の更新により立ち退かざるをえなかった存在(13)が示されている。すな わち2000年京島1丁目1、2番地には、大中小規模の製造業および飲食業、小売業や住宅地 も存在したが、2015年には大規模構高層住宅と大規模小売店舗に生まれ変わっている。旧住 民の立ち退き先を確定する作業は極めて困難である。小規模店舗で家業として経営の存続が 厳しいケース、あるいはやむをえず移転するケースにしても権利変換による利害関係の対立 が人間関係の亀裂を生む場合もあり住民は多くを語ろうとしない(14)

 再開発された一区画には、複数の権利者が建物を一体的に整備 ・ 利用する「共同化」と一 言に集約不可能な個々の生活史が埋め込まれている。2013年には、京島地区は東京都の「木 造地域不燃化10年プロジェクト 不燃化特区制度先行実施地区整備プログラム」に選定され た。東京都都市整備局は、10年かけて整備地域において、市街地の不燃化により延焼による 焼失ゼロ(不燃領域率  70%)を実現する、延焼遮断帯となる主要な都市計画道路の100%整 備が目標として掲げられ、不燃化促進する助成制度がスタートした(東京都都市整備局ホー ムページより)。だが京島地区では、1990年代以降人口流出が続き、空き家や空き地が目立つ ようになった。一方、2006年東京スカイツリーの誘致が決定され、観光地化は区の主要産業 の一つとされ、さらに押上駅や曳舟駅周辺の再開発が勢いを増した。すなわち、老朽化した 住宅や土地を取得した民間デベロッパーによる建売住宅、駐車場、ワンルームマンションや ファミリー層向けのマンション建設がラッシュを迎えた。表1は、対象地区のインフラ整備 と再開発事業のあゆみを記している。2003年以降、インフラ整備と再開発事業が加速的に進 められたと判断できよう。さらにインフラ整備と再開発事業による土地利用の転換、すなわ ち都市機能の変更、小売り、製造業、住宅地が高層集合住宅、大型スーパーマーケットへと 転化された状況は、2000年の住宅地図と2015年の住宅地図を重ね合わせて確認できる。表2 では2015年に掲載されている超高層マンション(不動産用語を援用して20階以上のマンショ ン)の存在が顕著である。例えば、2008年に竣工された「イーストコア曳舟二番館」は、地 上41階、557戸を擁している。他のマンションも1棟を除いて、いずれも超高層マンションで ある。地付層や長期居住者からすれば、まちの景色が一変した事態となった。再開発につい ては、評価する側とネガティブな側面に傾斜する態度に分かれるのは、先述の通り土地をめ ぐる利害関係、自分の事業へのかかわり、自宅の立地などが反映されているからであろう。

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主要な駅周辺の急速な再開発について曳舟駅周辺で商売を営んでいる地付層の自営業主は、

「再開発はしょうがないことであった。まちも明るくなったことだし、人の交流も盛んになっ たため、高層マンションが出来て悪くなったとは感じたことはない(15)」、「1軒、1軒、家が狭 く老朽化している。向島地区も再開発を進めてほしい(16)」と語っていた。

写真3 パノプティコンのようなタワー2012年5月20日筆者撮影

写真4 京島1丁目の再開発地区

  2016年9月10日筆者撮影

 一方、駅からやや距離がある場所で商売を営んでいる地付層の自営業者は、「日当たりが悪 くなり風が変わった(17)」、「名前と顔が一致する人が減少し、近所付き合いや人の流れに変化が 出た(18)」との声をあげた。

 まちづくりには、何らかの権力が含まれており、さらに「老朽化」、「密集」、「災害脆弱」

など負の側面に対して「装いの新たさに」凝縮される「明るさ」への住民の希求が呼応した 局面も否めないであろう。まちづくりの意識について大別すると3つのタイプが存在する点 は、1990年に既に明らかにされている。伝統的な「商工 ・ 人情」タイプと、「下町の人情」と いうイデオロギーのみが商工業社会の土台からきりはなされた「住宅 ・ 人情」タイプ〔多数 派〕、そして旧来のパターンとは全く対立する「住宅 ・ 個性」タイプである。まちづくりへの 志向性も住民の社会層帰属に応じて対応づけられている(竹中 ・ 高橋,1990:111-112)。

 したがって、次節では、まず最も再開発が進められている京島1丁目の再開発をめぐる新 来住者の属性、社会関係、定住意識などを明らかにする。次に、東向島2丁目に来住した新 たな都市的中間層(「住宅 ・ 人情」タイプ、「住宅 ・ 個性」タイプ)へのヒアリング調査結果 において日本的ジェントリファイアーのプロフィールを浮き彫りにする。

(12)

232,796 229,986

222,944 215,681 215,979

231,173 247,606

256,274

0 20,000 40,000 60,000 80,000 100,000 120,000 140,000

190,000 200,000 210,000 220,000 230,000 240,000 250,000 260,000

1980 1985 1990 1995 2000 2005 2010 2015

世帯数 人口

図2 墨田区の人口と世帯数の推移 各年国勢調査より作成

5405 5059 4879 4501

6011

0 500 1000 1500 2000 2500 3000 3500

0 1000 2000 3000 4000 5000 6000 7000

1990 1995 2000 2005 2010

世帯数 人口

図3 京島1丁目における人口と世帯数の推移 各年国勢調査より作成

1170 1014

923

1512

816 746

622 569

0 200 400 600 800 1000 1200 1400 1600

1995 2000 2005 2010

ホワイトカラー合計 ブルーカラー合計

図4 京島1丁目におけるホワイトカラー層とブルーカラー層の推移 各年国勢調査より作成

(13)

表1 対象地区の再開発へのあゆみ

インフラ・鉄道 都・区の再開発と計画事業

2000年 都営大江戸線(地下

鉄12号線)全面開業 特別区制度改革23区基礎自治体、「すみだやさしいまち宣言―21世紀の人と 地域と環境のために」

2001年 墨田区基本計画の策定、曳舟駅前地区都市計画決定 2002年 すみだ子育て相談センター運営開始

2003年 東 京 メ ト ロ 半 蔵 門 線、東武伊勢崎線と 相互乗り入れ開始

営団地下鉄半蔵門線の延伸開通、錦糸町駅・押上駅

曳舟駅前市街地再開発事業および京成曳舟駅前東第一市街地再開発事業計 画決定

2004年 新東京タワー誘致の意向を表明、墨田区まちづくり条例施行、

京成曳舟駅前東第一地区第一種市街地再開発事業建築工事着工 2005年 墨田区公共施設利用

システム開始 新墨田区基本構想の策定、すみだ環境基本条例制定 押上・業平橋駅周辺土地区画整理事業計画決定 2006年 隅田川水辺空間等再

整備構想策定 京成曳舟駅前東第二南市街地再開発事業計画決定 新タワー(東京スカイツリー)建設決定(2008年着工)

押上・業平橋地区まちづくりグランドデザイン最終報告 墨田区基本計画策定

2007年 墨田区子育て支援総合センター開設、マークゼロワン曳舟タワー竣工 2008年 新タワーの名称が「東京スカイツリー(R)」に決定し、建設着工

墨田区都市計画マスタープラン改定・墨田区景観基本計画策定、

墨田区耐震改修促進計画策定、墨田区住宅マスタープラン策定 2009年 京成曳舟駅前東第三地区第一種市街地再開発事業計画決定

イーストコア曳舟1番館、2番館竣工 すみだ環境区宣言、墨田区景観計画を策定

2010年 京成曳舟駅前東第二南地区第一種市街地再開発事業本体工事着工、アルミ 缶・古紙持ち去り禁止条例施行

2011年 墨田区地域防災計画策定

2012年 京成曳舟駅前東第三地区第一種市街地再開発事業工事着工、京成曳舟駅前 マークフロントタワー曳舟竣工

2015年 アトラスタワー曳舟竣工予定、スプラウト曳舟竣工

出典: (財)墨田区まちづくり公社 HP、『墨田区区勢概要』(2006)、『墨田区都市計画マスタープラン』(2008)より 作成

表2 住宅地図における都市機能更新の状況

対象地区 2000年住宅地図 2015年住宅地図

京島1丁目1 永柳工業㈱

田原香油㈱

田原砿油㈱

住宅

イーストコア曳舟一番館・二番館

京島1丁目2 飲食業 小売り資生堂㈱

イーストコア曳舟三番館・イトーヨーカドー曳舟店

京島1丁目36 製造業

住宅 マークフロントタワー曳舟・マークゼロワン曳舟タワー

京島1丁目8 住宅地 アトラスタワー曳舟

京島1丁目27 駐車場

ローラーキョーシマ 金窪編物㈱

マークゼロワン曳舟レジデンス HORIZON

『東京の住宅シリーズ はい・マップ 墨田区住宅地図』2000年、セイコー社、『ゼンリン住宅地図 東京都墨田区』2015、

ゼンリンより作成

(14)

5.墨田区京島1丁目と東向島2丁目における  ジェントリファイアー

 一般的に、ジェントリファイアーは、前述した属性が指摘されている。日本では、「タワマ ン住民」と表現され、独特の特徴が指摘されている。タワーマンションは、建築基準法によ る60m を超える建築物(およそ20階建て)を超高層建築物と規定する定義を援用しタワー型 超高層マンションをタワーマンションと称する。タワマン住民は、交通利便性(立地条件)、

充実した共用施設、大規模な世帯数、地縁を求めないスタイルが特徴として分析され、東京 都中央区の月島地区と、川崎市中原区の武蔵小杉地区のタワマンが象徴と指摘されていた

(AERA,2013:61-65)。

 本論では、まず新たな都市的中間層として先述した「住宅 ・ 個性」タイプにあたるマンショ ン住民の属性、社会関係、定住意識を明らかにするため、2012年度実施したアンケート調査 とヒアリング調査結果を(19)示そう。

⑴ ジェントリファイアーの属性

 注(19)の表3において示されているように、年齢は、30代が中心であり、学歴は、大 学卒業と大学院卒業を合わせると67%に達しており高学歴の特徴が顕著である。出生地は、

墨田区生まれよりは、むしろ他区 ・ 他県が93%とであり新来住者が圧倒的に多い。墨田区 に来住する以前の全住地は、23区を周流した移動が明らかとなった。職業は煩雑性を避け

¥0

¥100,000

¥200,000

¥300,000

¥400,000

¥500,000

¥600,000

¥700,000

2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016

墨田区全体 東京スカイツリー周辺 曳舟周辺

押上周辺

図5 墨田区各エリアにおける公示価格の推移 各年国土交通省土地総合情報システムより作成

(15)

るため就業上の地位のみ明らかにした。その結果、75%はフルタイムの経営者と雇用者で あり、無職25%であった。自営業主と家族従業者が存在しなかった点も新規来住者の存在 を裏付ける。世帯構成は、夫婦のみ、単身、核家族の順に続き、三世代同居は存在しなかっ た。世帯収入については、家賃をおよそ3割とみなし、単身の場合およそ600万円から1,000 万円、共働きの場合は、1,000万円以上と推定した。

 居住しているマンションを選択した理由の上位は、交通のアクセスが良い(成田にも羽 田にも便利)、景観が良い(東京スカイツリー、花火が見える)、施設充実(セキュリティ が安心)、その他家賃が手頃、曳舟に魅力を感じたなどが続いた。

⑵ 社会関係

 同マンションは、2011年の東日本大震災を契機に竣工時には存在しなかった自治会が結 成されている。自治会を立ち上げた地権者は、「たとえ短期間でも同じマンションの住民同 士の連帯をつくりたい」(吉原 ・ 近森,2013:104)と語っていた。2012年では加入率25%

であった。現在では、隣接するマンション住民や大型小売店舗の従業員から構成される任 意団体としてホームページを開設し、半強制的加入の町内会とは距離を置く姿勢を貫いて いる。

 だが、アンケート調査結果で示されたように、住民同士での付き合いは、あいさつ程度 や会釈程度が86%に止まっており、自治会結成へのアンケートを4,5回配布して住民の 意向を汲む努力を重ねてきた。ホームページでは、「管理組合は〔区分所有者で〕建物を考 える団体であり、自治会は〔有志で〕人へのサービス ・ コミュニケーションを考える団体 と言っても良いでしょう」と管理組合と自治会との相違が謳われている。地縁を軸とする 組織には共通点を見出しいにくい住民ではあるが、自治会の情報が電子回覧板によって共 有される点への興味は60%と半数を超しており、単純に「当たりさわりのない近所付き合 い」を求めているとは結論できない。

⑶ 定住意識

 アンケート調査では、「同マンションに住み続けたい」は、37%、「墨田区に住み続けた い」は、22%、「わからない」は41%であった。「わからない」との回答が最も多かった背 景は、賃貸の特徴を反映しているともいえるが、通勤へのアクセスや眺望が変わる、ある いはセキュリティに不安を抱いた場合には転居の可能性も生じると考えられる。曳舟駅周 辺の再開発については、80%が望ましいと評価していた。ただし、更なる再開発により資 産価値の下落や、眺望景観が変化した場合も予測しての「わからない」との回答もあった

(16)

と推察される。

 ヒアリング調査に応じてくれた対象者は、いずれも高学歴、専門的 ・ 管理的職業、共働 き夫婦(公務管理職、IT 技術職の DINKS 国際結婚を含む)、シングルであった。フルタ イムで出張も多い仕事に就いていれば、おのずと旧来の最寄品を扱う商店街を利用するよ りも、敷地内に続く大型小売スーパーやソラマチ、生協、ネットショッピング、都心の百 貨店利用は現実的である。ジェントリファイアーとしてのライフスタイルは、地域内の関 係に拘泥せず、パーソナルなコミュニケーションを通じてそれぞれの社会的ネットワーク を形成し、地域性を凌駕する点に集約できるであろう。だが、地縁的関係に全く無関心と は断定できず、共通関心を見出せば web を媒介する緩やかにつながる可能性は認められ た。おそらく、「住宅 ・ 個性」タイプにあたる住民層といえるであろう。

 次に、曳舟駅前のタワーマンションからは若干離れているが、曳舟駅から徒歩5分に立地 するマンションの住民夫婦を対象とした。「住宅 ・ 人情」タイプへのヒアリング調査結果(20) ら、上述のタイプとは異なるジェントリファイアーのプロフィールを明らかにする。マンショ ンは、2000年に竣工、13階建て、全47戸である。周囲には、路地や庭先の植え込みなどが存 在し、再開発され整然とした地区とは一線を画している。

 対象者夫妻は、入居前に3年居住した曳舟駅近くの賃貸マンションが2DK でやや手狭とな り3LDK(75㎡)の現在のマンションを購入するにいたったという。現在は、住み続ける意 向を示している。マンションの住民は、40代を中心としており比較的若年夫婦が多い印象だ という。

 家族構成は、30代半ばの夫婦と保育園に通園する長女(6歳)と長男(3歳)の4人家族 である。夫婦ともフルタイムで都心の同じ企業に勤務しており、通勤時間30分は大きな魅力 であったという。夫は東京都国分寺で育ち、妻は葛飾区柴又の育ちであり、居住エリア選択 と購買物件においては妻の意向が強く反映されていた。押上駅の電車の音も聞こえないよう な無機質な環境でもなく、皮なめし工場がある八広でもなく結局曳舟駅に戻ったという。さ らに曳舟駅近くのタワーマンションも下見に行ったが、セキュリティの多重装備は忌避され ていた。

妻「実家が柴又なので、弟や父も隅田川高校に通っていた。演劇を見に行くのは、曳舟文 化センターで(曳舟駅周辺は)生活圏内であった」「曳舟駅がいいといって私が選んだの ですけれど、地下鉄の押上駅よりは路面の駅の方は活気があってよい。もう一つ向うの 八広に行くとちょっと古い動物の皮をなめしたり、そういう工場が多いので、駅まで匂

(17)

いがするって言われて、押上の方は何もないし、電車も音もしないし、夜道もあまりい い雰囲気じゃないなって、やめたのです」。

妻「マンションのセキュリティが強すぎて、見にはいったのですけど、エレベーターのボ タン一つ押すのもセキュリティが2つくらいあった。押した階しか上がれない。ますま す、他の人とはかかわれなさそうなマンションで、それで狭いので、ちょっと違うなと 思って。オートロックはありがたいですけれど、エレベーターにまでロックかかってい なくていい、新しいマンションはセキュリティが強すぎて冷たい感じがする。宅配便も 大変だろうなって、一回エレベーターを降りて探さないといけない、そこまで冷たくな くていいのになって思う」。

 上述の語りから、自分の育った下町的環境と生活圏が重なっていた点、セキュリティ強固 な住宅は他人との接点が一層薄くなりやすく冷たく感じている点は明らかとなった。さらに、

墨田区の魅力については、自分の生まれ育った柴又のコミュニティに共通性が見いだせる諸 点があげられていた。

妻「私は下町が好きなので、夏はお囃子が聞こえてきて、子どもにもお祭りみたいなとこ ろには行かせたいなと思っているので、それはよかった」。「お祭り、餅つき大会、防災 訓練など、子どもを連れてその3つくらいは毎年行きますね」。

夫「この辺は、ピリピリした感じがない。穏やかというか、子どもと歩いていても意識し ない。何も考えずに歩いていけるような場所かな。自分が働いている港区はピリピリし た感じ、オフィス街っていうのもありますけど、下町は緩い、ゆったりできる。過ごし やすいそんな雰囲気はありますね」。

 子どもを遊ばせる公園についても、時間帯により何歳くらいの子どもが遊ぶのにふさわし いのか暗黙のルールがあるという。おそらく、子どもの遊ばせ方についても下町的な「ロー カル ・ ノレッジ」を習得していると思われる。

妻「午前中はこのくらいの子(長男)がいて、夕方位になるとこのくらいか(長女)、4時 過ぎてくると、小学生とか中学生とかものすごい勢いで鬼ごっこをするので、その時間 帯にはさすがに連れて行かないですね。連れて行くなら午前中くらいがこの辺の年齢層 かなってイメージが私の中にはあります」。

(18)

 夫婦の社会関係は、子どもを介して知り合った同世代の保育園の友達、会社の同僚、学生 時代の友達が中心である。マンションの管理組合は、マンションの補修に関する話し合いに 限定される。町内会については、マンション住民にはイベント参加の勧誘はないというが、

隣のマンションにはあるといい町内会の対応はそれぞれに異なっている。墨田区に情報登録 して必要な情報を入手しているので特に町内会加入の必要性は感じていない。

 先述の「住宅 ・ 個性」タイプと明らかに異なる特徴は、「住宅地としての環境整備と〔気さ くで人情味があり、何かにつけて相談ができる街〕」(竹中 ・ 高橋,1990:113)と表現された 下町的な人間関係に対する親和性をライフスタイルの基層に埋め込んでいる点、すなわち「下 町 ・ 人情」タイプと言えるであろう。

 最後に、両タイプのジェントリファイアーが居住地選定に際して、居住地の歴史に沈殿す る社会文化的脈絡が影響を及ぼしていたのかについて付言する。

 同区においてアートプロジェクト活動(21)を担っている20代の女性は、「土地柄を考えると豊か なまちではない。アートは余裕のある人が楽しむものなので、そこのギャップをどう埋めて いくか。高齢者やホームレス、貧困者に対してアートは何ができるのかと問われた時に何か しら答えを出さなくではいけなくて、それが課題(22)」語っていた。筆者が過去の研究において 3代続く質商を対象に行ったヒアリング調査においても、住民はお互いに人生のつまずき、

生活の苦しさや職業の厳しさを知っていても立ち入らずに知らぬ顔をする術を学んでいたと 知り得た(23)。映画「下町の太陽」(1963年)や「墨田区京島3丁目」(2011年)では、「陽もささ ぬ下町から抜け出したい工場のまち」、実際には企画として実現しなかった「赤線地帯だった 歴史」という三業地としての空間のスティグマの傷痕が残滓していた。実際、旧玉の井では、

戦前は東北地方から、戦後は関東地方の女性たちの就業先の一つであった(日比,2010:242- 246)。

 「住宅 ・ 個性」タイプの住民は、自分たちの生活圏に注目が注がれているため過去の歴史に ついては皆無に等しい。他方、「住宅 ・ 人情」タイプは、マンション購入前には事前に調べて

「昔からの家が多いとテレビで見たことはあった。工場があって、川に挟まれていてネガティ ブなイメージもあった。住んでみるとそのようなことはない」(夫)と語っており、かつての 花街の存在や若いアーティストがリノベーションを行い住んでいる実態は認識されていなかっ た。若い夫婦は下町のイメージにポジティブな印象を抱いており、敢えて歴史の澱に触れる 必然性はなかったと解釈された。

(19)

むすびにかえて

 本論においては、まず東京の都心におけるジェントリフィケーションは1980年代にスター トし、東京都の都市政策動向に呼応するように90年代後半以降再開発は空間的分極化と称す べき様態を示している事実を指摘した。

 次に、インナーシティでは都市再開発の文脈をめぐって社会政策がジェントリフィケーショ ンの負のコストを過重している側面も明らかにした。

 さらに、墨田区京島地区を対象として検討した結果、以下の諸点が確認された。

 第1に、1980年代の密集市街地の再開発は、内発的な自治規範の醸成が期待されるもとで、

修復型まちづくりが「京島まちづくり協議会」に結実され、30年以上にわたる不燃化促進に 取り組んだ。「まちづくりの大枠」制定後は住民の意志や利害関係が合意形成にいたらず活動 が停滞し、行政主導、官民主導のまちづくりとなった。

 第2に、産業構造の転換はマクロな FIRE 層の出現の一因ではあろうが、ミクロにはイン フラ整備と再開発が新たな都市的中間層の居住選好と一致した。再開発により高層マンショ ン林立に至った環境については、伝統的な「商工 ・ 人情」あるいは「下町の人情」タイプと 分類される社会層においても、「明るさ」への希求はジェントリフィケーションを肯定的に捉 える傾向と、消極的承認派が認められた。

 第3に、2000年以降、インフラの整備と再開発の計画事業が急速に進められた京島1丁目 地区では、2005年以降ホワイトカラー層の増加が著しい。住宅地図を比較すると、明らかに 立ち退かざるをえなかった存在も認められた。加えて「地代格差理論」が妥当する地区は、

東京スカイツリー周辺に限定されていた。

 第4に、ジェントリファイアーは、一般的に「マンション族」と呼ばれるような「住宅 ・ 個性」タイプと「住宅 ・ 人情」タイプに分かれていた。前者は、墨田区以外の都内から来住 した層であり回帰というよりは周流に近い。後者は、今日的ライフスタイル(24)を取りながらも 下町的アイデンティティを基層に置きマンションを選定しており、おそらく回帰と呼べるで あろう。

 第5に、京島地区というミクロな地区、特に京島1丁目においても、2005年以降の職業の 分極化とともに空間的分極化も生じていた。同地区に来住したジェントリファイアーたちは、

さらなる再開発について概ね肯定的であった。よりよい住環境を求める姿勢は、異質性排除 の方向に進む場合もある点に留意したい。住宅供給側と居住者の志向が一致し、周囲を囲む ゲート、監視カメラ、警備員の24時間巡回を駆使し、居住者の「安心 ・ 安全」を確保しよう とする「ゲーテッド ・ コミュニティ」が強固となり、結果として相互の信頼関係が薄くなる

(20)

事態も生じるからである。

 第6に、欧米で指摘されたようなジェントリファイアーたちが「報復主義的態度」を表し ていないコンテキストには、行政と町内会 ・ 自治会がホームレスの生活の糧であるアルミ缶 や古紙の持ち去り禁止条例の施行に指摘されるように、好ましくないとされた存在は公に排 除される側面も存在するからである。同区における町内会や自治会のリサイクル活動は、意 図せざる結果としてホームレスを不可視的存在に追いやった。ソフトではあるが、確実に生 活の糧を奪う政策である。さらに、老朽化した旧遊郭やカフェのレトロな審美化を施すアー トプロジェクトは、地区の底上げとしてジェントリファイアーの価値を先取する行為の一側 面につながる点も指摘しておこう。

 第7に、ジェントリファイアーたちが居住地に特別な思い入れを示さない背景の分析を加 えよう。これまで、社会学の分野ではグローバル化の全体的な勢力に対抗する自己防衛の場 としてローカルが捉えられてきた(Bauman, 1998, Beck, 2000, Castells, 1998)。ローカルの真 正性(authenticity)は、グルーバル化に抵抗する手段のバイパスとして復権したと指摘され た。だが、グローバル化がローカル ・ アイテンティティ、愛着意識や帰属意識を醸成させる のかを検証した Savage らの調査結果においては、住民が居住地域への思い入れを語るのは、

自分たちの日常生活に利便性が認められる場合かその延長線上に限定されると分析された

(Savage et al., 2005, 204)。もちろん、居住者のアイデンティティの一部に当該地域の文化が 根ざしているか否かによりバリエーションは存在するであろう。

 以上、東京の城東地区のインナーシティに該当する墨田区京島地区というミクロな事例に おいて日本的ジェントリフィケーションの特徴を照射した。

 最後に、近年の新たな傾向として外国人(中国人と台湾人)による不動産購入の増加につ いて付言しよう。以下の指摘は、不動産業に勤務する管理職からのヒアリングデータの一部 である。外国人が購入を希望する立地は、都心部とりわけ山手線内側にその傾向が顕著であ るといわれる。マンションの需要は、50㎡前後の投資用賃貸、あるいは100㎡を超える物件は セカンドハウス用に購入される傾向があり、購入者は、いずれも大手企業の要職に就き、資 産家同士の友人ネットワークにより情報が共有されているという。これらの新たな住民層を 含む日本的な社会的混合(social mix)の研究については、新たな課題となろう。

(1)本稿は、立正大学人文科学研究所において開催された平成26年度第2回定例発表会における 報告「大都市の再開発とジェントリフィケーション―墨田区京島1丁目における事例から―」

に加筆、修正を施した論考である。

参照

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