決算報告書の綜合的観察法
経管指数
,
木村重義
序
昌目
本稿は決算報告書に依る経螢批判方法に就いての未開拓新分野の眺望である︒從つて︑可能性の軍なる指示
であり︑又今後の研究への導入のためであるから︑理論的の原則と實際的の注意とが蚊置され︑論述する所は
緊密な組織に訣けてゐることを自認しなければならない︒もし本稿の指示する新しい方法が學者の批判に堪へ
通し得るなら︑可能性の稜展︑即ちその慮用に依る経螢経濟の数量的諸關係の解明は︑稿を改めて之を行ふつ
もりである︒
一︑決算報告書に依る経薗批判の方法
}筆者は先づ自ら掲げた本稿標題の鼎解から始めなければならない︒何故ならば︑決算報告書の分析的観察と
決算職告書の綜合的窺察法一二九
一三〇
いふことは屡々之を聞くけれども︑それに封立する語である決算報告書の綜合的親察とはあまり聞かないと思
はれるであらうから︒
決算報告書は︑その数を数へることによつて︑維螢が幾會計年度を経て來たかを知ることが出來るために在
るのではなくて︑必すそれによつて︑或程度まで︑経螢そのものを知ることができるために在る︒しからば決
算報告書を通しての経醤批判は如何にしてなされるか︒決算報告書の直観的批判は︑もしなし得るとしても︑
理論的研究の範園外にある︒我々が決算報告書を手に取つて︑軍に漠然たる凝親に絡らないだめには︑それを
観るに一定の方法がなければならない︒この場合観察者は︑先づ観察の第二次的封象たる決算報告書がどの程
度に観察の第一女的封象たる維螢の静的・動的量を表現してゐるかを吟味したる後︑自己の心中に持つた経螢
批判の槻鮎に封して決算報告書が資料を含んでゐるならばそれを取出し︑然してそれを批判しなければならな
い︒これが決算報告書の分析的観察である︒その観顯が何であるべきかは後に述べるが︑とにかくそれはこの
場合一個ではない︒それならば此等敏個の観窯に關する批判︑即ち分析的批判︑の結果を綜合しなければ︑経
螢の批判にはならない筈である︒かくて決算報告書の分析的批判は綜合的批判の前提であり︑綜合的批判が分
析的批判の後に必ナなさるべきで︑且︑實際何等かの綜合的観察がすべての場合行はれてゐるのであつて︑そ
れなくしては如何に精細なる分析も無債値である︒この意味の綜合的観察は︑今それに特に注意をうながしは
したけれども︑何も薪しいことではないのであつて︑筆者が﹁綜合的観察法﹂と言ふ場合には︑それよりも狭
く規定ぜんとするのである︒
決算報告書を激個の観鮎から分析する場合には︑勿論︑それぞれの親貼に封して数量的表現があたへられ︑
それによつて激個の決算報告書の同じ観窯に依つての優劣も明白に判断できるのである︒即ち個々の槻鮎に就
いての批判が確たる数字の根撮に基いてなされ得るのである︒しかし︑全観貼の個々の槍討がすんだ後︑綜括
的判断が下されなければならない時︑綜合的な軍一数量に基いてそれがなされるとは限らないのである︒それ
で経螢批判の多くの場合の綜括的判臨は實に漫然たるもので︑た讐比較的良好なる鐵と然らざる鮎とを分類列
學した後︑概ねよろしき方とか︑あまり思はしからすとか言ふ程度の表現を得る判断しか下し得ない︒これで
は数個の決算報告書に依つて個艘比較又は期間比較をなす場合に實際的にも大いに不便である︒又︑比較の具
盟性・明瞭性・機械性を重要覗するならば︑分析結果を軍一指数に綜合し得て︑始めて完全な決算報告書観察
法であると言はれるであらう︒
かくの如く数個の観窯からの分析結果を輩一敏量に総括することは︑我々が属々興味本位に種々のことに封
して試る外︑實際には︑品評會・蓮動競技會・學校等に於て順位決定や選抜試験のために必要であり︑叉経濟
學の領域に於ては景氣観測に當つて作成される綜合的景氣指歎は理論的研究の重要な封象である︒しかし︑か
くの如き輩一指藪の便値或ひは妥當性は場合に依つて異る︒指数の評定方法が一定してゐて︑且指数を附せら
るべき客艘がなるべく高い指敏の獲得を目標にして自己を形成する努力を意識的になす如き場合には︑殆んど
決算報告書の綜合的槻察法=一=
一三二
任意の指数評定方法も用ひられ得るが︑これと反封の︑例へば景氣指数の場合には適當なる指数評定方法を嚢
見又は制定すること極めて困難である︒つま少︑指激が指導性をもつ場合には指導性をもたない場合より指敷
の債値も大である︒一定の計豊経濟内に於ては︑ーこの場合にももし景氣指数と呼んでよければ︑ll一定
の評定方法による景氣指歎が維濟活動の指導者への指導原理であり︑叉経螢指数に就いて言へば︑それが計聲
経濟内の各経螢に封して指導性を有することが可能である︒とにかく︑綜合的翠一指数の適當なる評定方法を
作るヒとには多くの困難が伴ふは疑な﹂いが︑それにも拘らす此等の場合︑翠一指激の使用は︑實際上に有用で
あり︑理論的にも興味あることは否めない︒
要するに︑筆者が﹁決算報告の綜合的観察法﹂といふのは︑決算報告書に封する数個の観鮎からの批判を軍
一指数に綜合する方法を特別に指すのであるが︑か曳る方法は数多き経螢批判方法中︑從來︑たf︾●≦︑潜目
の指数法(H民突蜜︒昏巳)に見られるのみである︒
二︑指敷法
﹀・≦︑龍の指数法は既に周知であるが︑後の批判のため必要であるから︑簡輩に読明すれば攻記の事項より
なる︒
嘲︑分析の封照なる決算報告書から次掲第一表第一欄にある七個の比率を算出する︒指数法に於ける比率は
(第 一 表)
1 皿
1流 動資産!短 期 買債 25
2肖 己資金 ノ固定資 産 15 3自 己資金/他 入資金 25
4牧 入/受 取勘定 10
5牧 入/手 持 品 10
6牧 入/固 定資 産 10
7牧 入1自 己資金 5
なり︑反封の場合には一より小となること︑
四︑右の七個の關係比率に順次に前掲表第二欄の数値をそれん\乗する︒
五︑その七個の激の合計がその経螢に與へられた軍一指数であつて︑それが百に封する割合はその経螢が
﹁標準たる経螢﹂に封して有する相封的地位を示す︒
今︑例を羊毛工業に採ウ︑日本毛織・東京モスリン紡織・東洋モスリン・中央毛縣紡績・昭和毛縣紡績・共 常に︑大なるを可となす様にとられなければならない︒
二︑右と同じ七種の標準比率を求め來る︒蒐集したる多激の決算報告書か
ら︑適當なる標準比率を求める方法を毛9目は特に提案してゐるが︑本
稿にてはその蕪には全然燭れない︒
三︑それみ\の比牽に就き︑標準比率に封する實際比率の比率fこれを
關係比率といふーを計算する︒即ち實際比率を標準比率にて除する︒
その結果は︑實際比率が標準比率よりも優れてゐる場合には一より大と
言ふまでもない︒
立モスリン・薪興毛織・伊丹製絨所・大阪織・東洋毛懸紡績・満蒙毛織・東洋毛縣・東海毛縣紡績の十三肚︑
昭和九年下期決算報告書(東洋維濟薪報肚編纂﹁株式會肚年鑑﹂第十三同昭和十年版所載)に依り︑指数法を
適用して各報告書を軍一指数にまとめると上掲第二表の如き結果となる︒
決算報告書の綜合的観察法一三三
(第 二 表)
ABCDEFGH IJK 工 M
%。 ⑩61gag5銭89525951成4i1鐙6 46.5237,957.2 112.9 110.5
輔三四
表中には會肚名は右記の順序にそれみ\A・B・C⁝⁝L・Mとして示した︒尚標準比率
としては軍純に同一期︒同十三肚の各比率の算術平均を用ひた︒
三︑信用分析と継螢分析
上述の指数法を批判するに︑先づ取上げられた分析観窯が適當であるかを見なければなら
ない︒この問題は具艦的には使用される比率の性質に係る︒勿論︑先に掲げた通りの七種の
比率がそのま︑常に用ひらるべきことが主張されてはゐないであらう︒探用さるべき比率の
数及び種類に就ては小改革が試みられてゐることを筆者は知つてゐる︒しかし︑観貼の選鐸
に就いて︑それ等の小改造をも含めて︑從來︑共通の訣黙が藏されてゐることを敢て指摘し
たい︒
この訣霜は︑指数法が貸借封照表分析の一場合であり︑信用分析の一場合であるとされて
ゐる︑その貸借封照表分析・信用分析なる語の上にも顯はされてゐる︒﹁分析﹂は分析結果
の綜合をも含む廣い語と解しても︑なほそれは翠に貸借甥照表の批判であり︑信用の批判で
あるかぎり︑それは一個の全饅に封するに部分的な親黙に依つてゐることなのである︒貸借
封照表は損釜計算書から猫立ではない如く︑一経螢の貸借封照表的方面は損釜計算書的方面
から猫立ではない︒我々は部分的な特殊の目的にのみとらはれてゐる場合でない限り︑経螢のあらゆる部分・
あらゆる側面を批判することにより興味を有し︑より多くの利用性を認める︒かくの如き全面的批判を輕螢批
判或ひは経螢分析と呼ぶとすれば,経螢分析は信用分析の上位にあり︑より高く評便せらるべきである︒経螢
分析は信用分析に比し︑より多くの観勲を採り︑より多くの覗角をもつてゐなければならない︒
指数法に於て採用された七個の比率の(前掲表に於て)初の三個は百に封する六十五の重要度をあたへられ
て静態比率とよばれ︑後の四個は百に封する三十五の重要度をあたへられて動態比率と呼ばれてゐる︒貸借封
照表は経螢の静態的観察のため︑損釜計算書はその動態的観察のために在るとも言ひ得るが︑四個の所謂動態
比率は充分に経螢の動態を摘出するために設けられてゐるのであらうか︒受取勘定・手持品・固定資産・自己
資金の夫々の同鱒率は疑もなく動態比率である︒然しこの場合︑第三までの回輻率に依つて︑牧入の多いこと
よりも︑それゐ\の資産の多すぎないことが注目されてゐる︒自己資金の過少ならざることは静態比率で考慮
されてゐるから︑自己資金同鱒牽は牧入の多少を見るために他の同韓率よりも重要覗されて然るべきものと思
はれるが︑この比率には五%といふ最少の重要度しかあたへられてゐない︒その上経螢の良否を判噺するに訣
くべからざる利釜率が全然無覗されてゐる︒此等のことは︑今述べた意味の輕菅分析の立場から見るときは︑
との指敏法を甚しく無便値にするものである︒
.しかし︑斯る理由を以て﹀.毒龍の指敬法を強く非難することはできない︒何故ならばミ僧一一は経螢分析
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