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民主政権下で続く先住民族への弾圧

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Academic year: 2021

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(1)

はじめに

 2011年4月17日、バングラデシュのチッタゴン 丘陵カグラチャリ県ラムゴール郡で、先住民族の 村に対して大規模な放火・襲撃事件が起きた。7 カ村の94軒の家屋が全焼し、先住民族の村人2名 が死亡、1名が行方不明、20名ほどの負傷者が出 ている。

 きっかけは、土地に関する争いにより、ベンガ ル人入植者3名が死亡したことによる。バングラ デシュ南東部のチッタゴン丘陵は、イギリスによ る植民地化以前はモンゴロイド系の先住民族が多 数の地域だったが、1971年のバングラデシュ独立 以降、自治を求める先住民族に対し、政府は同化 を強制した。これに抗議する先住民族団体が武装 化し、紛争がはじまる一方、政府がベンガル人の 入植政策を進め、現在では人口の半数以上がバン グラデシュの多数派を形成するベンガル人ムスリ ムの入植者である。ラムゴール郡ハフチョリ・ユ ニオンのハティムラ地区でも、村落防衛隊(VDP)

という名の民兵組織隊員を中心としたベンガル人 入植者たちは、先住民族であるジュマ民族(1)の 村人の所有する15エーカーの土地を奪おうと試み ていた。ジュマの村人たちが伝統的なボイサビ祭 を祝っていた時、ベンガル人が土地の占拠を始め た。土地の所有者は陸軍や地元当局に知らせた

が、当局は介入しなかった。そのため、占拠を阻 もうとするジュマの村人たちと入植者たちの間で 乱闘となり、3人の入植者が死亡した。

 1時間後、グイマラ旅団の兵士に援護された入 植者たちは、ジュマの村を襲撃し始めた。家屋略 奪の後放火し、村全体を焼き払った。さらに、ラ ムゴールから20kmほど離れたマニクチョリ郡マ ニクチョリ・バザールにおいて殺害されたベンガ ル人の遺体をかついでデモ行進の後、マニクチョ リ市モハムニ地区の住居に放火をはじめ、15戸が 全焼した(2)

 1997年に政府と先住民族の武装勢力の間で和平 協定が結ばれ、現在では和平化プログラムが推進 されているはずのチッタゴン丘陵。国際社会で は、チッタゴン丘陵協定は低強度紛争解決の成功 例になるのではと期待されていた。しかし、和平 協定から14年経過した2011年になっても、こうし た襲撃事件は後を絶たない。内戦時代の軍による 虐殺が、入植者による襲撃と略奪、放火にとって 代わっただけとも見える。実際、1997年以降も大 規模な襲撃事件は計14回、平均して毎年一度は起 きている。

 2009年にチッタゴン丘陵協定推進を公約とした シェイク・ハシナ率いるアワミ連盟を中心とする 連立政権が発足して以来、事態は改善されるので はないかと期待されてきた。しかし、ハシナ政権 発足以降も襲撃事件は起き続け、特に2010年から 調査報告

民主政権下で続く先住民族への弾圧

─バングラデシュ・チッタゴン丘陵調査報告(2011年8−9月)

木 村 真希子

(PRIME 研究員)

(2)

は4回の襲撃事件が起きている。民主的な政府の 下で、何が起きているのか。2011年8月20日から 9月7日、バングラデシュの首都ダッカとチッタ ゴン丘陵のランガマティ県、カグラチャリ県を調 査のために訪問した。

弾圧の構造:実質的な軍政と行政の加担

 バングラデシュ南東部のチッタゴン丘陵地帯 は、イギリス植民地化以前より、焼畑を営む先住 民族がおよそ11民族居住する地域である。バング ラデシュ独立直後の1972年、政府の同化政策に対 抗し自治の確立を目指してチッタゴン丘陵人民統 一 党(Parbatya Chattagram Jana Samhati Samiti、

PCJSS)が結成された。また、翌年には軍事部門

であるシャンティ・バヒニが結成された。この低 強度の内戦は1975年のムジブル・ラフマン暗殺 後、ジアウル・ラフマンの軍事政権下で深刻化し た。この時期、政府はベンガル人農民のチッタゴ ン丘陵への入植政策を推進し、チッタゴン丘陵地 帯での人口構成を大きく変えた。また、バングラ デシュ陸軍の兵力の3分の1をこの地域に配置 し、500を超える軍の駐屯地を設置するなど、軍 事化を図った。1980年代半ばには、隣接するイン ドに7万人の難民が流出し、10万人が国内避難民 となった(3)

 1997年、前述のように

CHT

協定が締結され、

和平が進められていることになっている。しか し、自治の強化、土地委員会の設置、そして軍の 駐屯地の段階的引き上げといった協定の重要な内 容はほとんど履行されず、人権侵害も継続し、先 住民族側は危機感を募らせている。2001年から 2006年に政権の座についた

BNP

(バングラデシュ 民族主義党)は和平協定の実施に終始消極的であ り、むしろ軍によって先住民族の異議申し立てを 弾圧するような政策に逆戻りした。また、2007年 から2008年は選挙管理内閣が発足したが、これは

実質的な軍政であり、この時期に人権活動家の逮 捕や拷問が頻発した。

 和平協定後、軍の撤退が図られるはずだった が、現在も約3分の1の軍が駐屯する状況は変 わっていない。チッタゴン丘陵3県は土地面積で はバングラデシュの約10分の1、人口比では約 100分の1であり、人口比・面積比からすると配 置人数が過剰なことは明らかである。ジュマ民族 側は武装解除してしまったため、圧倒的な武力を もつ軍や治安維持部隊による人権侵害や、土地収 奪を目的としたベンガル人入植者によるジュマへ の襲撃事件に対抗する勢力が存在しない。

 特に、襲撃事件における軍の役割は大きい。こ うした襲撃事件は表面上、「入植者による土地目 当ての攻撃」という形を取っているが、実際は軍 の後ろ盾によって攻撃が可能になっている。前述 のラムゴール事件はその典型例だろう。ベンガル 人入植者たちだけではジュマの村人たちに追い返 されてしまうところを、軍の後押しによって襲撃 事件が可能になった。「入植者による襲撃事件」

といっても、軍の兵士が同行した時点で、ジュマ の村人たちは抵抗できず、家が略奪され、火をつ けられるのを止められずに逃げるだけ、というの が現状である。

 軍の影響力はこうした襲撃事件や人権侵害の事 例にとどまらない。内戦時代の1977年、防衛省は チッタゴン丘陵対策を任され、行政上の権限が移 譲された。和平協定後、こうした権限は民政に移 行されるはずだったが、2001年に改めて「ウット ロン作戦」という秘密指令が出され、再び軍が行 政のあらゆる側面に介入することを可能にしたと 指摘されている。行政が軍をコントロールできて いないため、生活のさまざまなレベルでの汚職や わいろが軍将校や兵士によって行われている。ま た、軍施設のための非合法的な土地収奪も起きて いる。

 こうした軍の行動と一体となってチッタゴン丘

(3)

陵における軍政を可能にしているのが、内務省管 轄下の治安維持部隊や諜報機関、そして民兵の存 在 で あ る。 バ ン グ ラ デ シ ュ に は 村 落 防 衛 隊

(Village Defence Party)という組織が存在し、村 人たちの間での訓練や食料配給を行っている。

チッタゴン丘陵では、ベンガル人入植者に対して だけ

VDP

の訓練が行われており、彼らが襲撃事 件の際に指導的役割を果たしている。警察や行政 もベンガル人に占められており、こうした事件の 際には何もしないか、むしろ襲撃を助長するよう な行動を取る。前述のラムゴール事件の際には、

マニクチョリ・バザールで遺体を担いでデモ行進 をした段階で、その後に襲撃が起きる可能性は予 測できていた。しかし、県長官や警察は襲撃の可 能性を知りながら何らの手段も講じなかったこと が指摘されている(4)

 また、2008年に同じカグラチャリ県のバガイ ハットにおいて同様の事件が起きているが、事件 後に「ジュマの村人がベンガル人の家を焼いた」

という全く虚偽の申し立てがなされた。その結 果、被害者であるジュマの村人5、6名が逮捕さ れて警察に拘留され、殴打や電気ショック、拘束 などの拷問を受けた(5)

 軍政の結果、起きているのは襲撃事件だけでは ない。もっとも件数が多いのは、不当逮捕と拷問 であり、2003年以降でも計500件以上の事件が起き ている(表1参照。この表では、直接軍の兵士が 関わった事件のみ記載している)。そのほか、寺院 の破壊やレイプ事件、軍による非合法的な土地収 奪など、人権侵害の事例は枚挙にいとまがない。

国際社会の介入と政府の反応

 2009年、CHT協定の実施を公約に掲げたアワ ミ連盟政権が発足して以来、和平が進展するので はないかと期待されていた。しかし、和平協定の 実施は遅々として進まず、チッタゴン丘陵の人々 の間では失望が広がっている。国内での閉塞状況 を打開するため、ジュマの政党や

NGO

は国際社 会への働きかけを強めている。2008年には人権の 専門家や研究者、NGO活動家で構成されるチッ タゴン丘陵委員会が再結成され、国連の先住民族 関係の機関でのアドボカシー活動を展開した。

 ジュマの人々やチッタゴン丘陵委員会の働きか けの成果もあり、国連の場でチッタゴン丘陵問題 への注目が再び強まっている。2011年5月の国連 経済社会理事会下の先住民族問題常設フォーラム では、チッタゴン丘陵問題に関する議題が設けら れ、特別報告者による現地調査を踏まえた報告書 が発表された(7)。報告書の勧告では、バングラ デシュ政府に対して

CHT

協定の実施を勧告する と同時に、軍の果たす役割を重要視し、軍の撤退 とバングラデシュから派遣される

PKO

兵士の人 権スクリーニングを要請した。

 バングラデシュは世界でも常に上位3位に入る

PKO

兵士派遣国であり、近年では常時8,000−

10,000人の兵士が派遣されている。国内で広範な 人権侵害を行っている軍が、海外で展開する

PKO

に兵士を送っているというのは国連にとっ ても重大な関心事である。特に、チッタゴン丘陵 での任務を経験した兵士はゲリラ戦や和平化プロ

表1 CHT における軍による人権侵害状況(2003−2010年)(6)

拷 問 不当逮捕 強姦未遂 殺 害 暴 行 略 奪 放 火 寺院破壊

2003−2006 146 154 66 24 不明 不明

2007−2008 68 49

2009−2010 60 34 11 15

合 計 274 237 12 10 83 24

(4)

グラムに従事した経験があるとみなされ、PKO への派遣が有利になるという。

 PKOに兵士を派遣することは、バングラデシュ 政府にとって国際貢献をアピールする手段である と同時に、兵士個人や軍にとっても多額の報酬が 得られる機会である。PKOに1−2年間派遣さ れれば、首都ダッカに一軒家が建つと言われるほ ど、バングラデシュから派遣される兵士にとって は魅力的な報酬が得られる。当然のことながら、

バングラデシュ軍は、国内での人権侵害を理由に 海外への派兵が制限される可能性を含んだ常設 フォーラムの勧告に対して、反発を強めている。

 これを受けて、アワミ連盟政権の先住民族問題 への対応に変化が出始めている。2011年7月26日 には外務大臣ディプ・モニがジャーナリストや在 外公館との会合で、「CHTの人々は部族もしくは 少数民族であり、先住民族ではない」と語り、勧 告は無効であると示唆している(8)。外相、総理 大臣を含む閣僚の数名は、過去にたびたびチッタ ゴン丘陵のジュマの人々を先住民族と認める発言 をしており、この急な態度の変化は人々を驚かせ た。多くの識者が、5月の常設フォーラムの勧告 を受けて、軍が政府に圧力をかけた結果であると みている。

 こうした政府の態度の変化を受けて、カグラ チャリ県では県長官が

NGO

を集めて「アディ ヴァシ(ベンガル語で先住民族の意)」という用 語を使用しないよう通達し、使用した場合には

NGO

の登録を取り消す可能性があると伝えた。

バングラデシュの

NGO

は海外から資金援助を受 けるにあたり、NGO局に登録する必要があり、

その取り消しは実質上、活動の取り締まりにあた る。これは、表現の自由の侵害であると同時に、

先住民族は自己定義の権利があるとした先住民族 の権利宣言に反する。

 国際社会からの介入でかえって政府や軍の態度 が硬化しているのがチッタゴン丘陵問題の現状だ

が、しかしこれは逆にいえば、PKO派兵問題は バングラデシュ軍にとって重要であり、今回の国 連の勧告がアキレス腱をついたことの証明でもあ る。今後も国内外の監視の目を強め、政府に働き かけを続けることが必要とされている。

(1)チッタゴン丘陵には11の民族が存在する。

「ジュマ」は、政党である

PCJSS

が自治要 求を始める際、これらの民族を総称するた め、焼畑を意味する「ジュム」から作った 造語である。

(2)NGOジ ュ マ・ ネ ッ ト の ウ ェ ブ サ イ ト

(http://www.jummanet.org/)、チッタゴン丘 陵の政党

PCJSS(Parbatya Chattagram Jana Samhati Samiti) の ウ ェ ブ サ イ ト(http://

www.pcjss-cht.org/)より(アクセス:2011年

10月3日)

(3)Mohsin, Amena (1997)

The Politics of Nationalism: The Case of the Chittagong Hill Tracts, Bangladesh, The University Press Limited: Dhaka

(4)ジュマ・ネットのウェブサイト、PCJSS広 報局。行政の不介入を指摘し懸念する声明 がアムネスティ・インターナショナルから も出されている。(2011年10月3日アクセ ス )http://www.amnesty.org/en/library/asset/

ASA13/003/2011/en/0e39431c-

934e-4fb8- 8c23-efa1e42a3cf5/asa130032011en. html

(5)バガイハット事件被害者へのインタビュー より。2011年8月、カグラチャリにおいて 実施。

(6) ジ ュ マ・ ネ ッ ト 作 成。2011年 5 月 国 連

PKO

局提出資料より。

(7)Lars-Anders Baer (2011)

Study on the status

of implementation of the Chittagong Hill Tracts

Accord of 1997, submitted to Tenth session of

(5)

UN Permanent Forum on Indigenous Issues

(UN Doc E/C.19/2011/6)

(8)ʻIndigineous peopleʼ a misnomer: Moni,

bdnews 24. com, July 26, 2011

参照

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