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英語の社内公用語化を考える

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Academic year: 2021

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Title

英語の社内公用語化を考える

Author(s)

Norisada, Takao, 則定, 隆男

Citation

商学論究, 59(4): 1-32

Issue Date

2012-03-05

URL

http://hdl.handle.net/10236/8807

Right

Kwansei Gakuin University Repository

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 はじめに

英語が事実上世界の共通語となった今日、 わが国でも英語を第二公用語と すべしといった意見が聞かれるようになってきた。 2000年に、 河合隼雄を座 長とする 「21世紀日本の構想」 懇談会は、 時の首相である小渕恵三に最終報 告書を提出したが、 その中で、 「第二公用語とはしないまでも第二実用語と しての地位を与えて、 日常的に併用すべきである」 とうたった。 経済界でも、 企業のグローバル展開に伴い、 英語を社内公用語にとの動きも出てきた。 そ して、 この2つの動きにおいて、 それぞれ賛成、 反対の意見が出されている。 筆者も、 英語の社内公用語の動きには強い関心を抱き、 所属する国際ビジ ネスコミュニケーション学会や本学において、 英語を社内公用語としている 企業の人を招いた講演会を開き1)、 同時に、 このテーマに関する論文も発表 してきた。 その1つにおいて、 英語を初めとする外国語の運用能力が、 個人、 企業、 そして国の格差を生んでいるという実態をデータを通して示した (則 定、 2006)。 そして、 その後、 こうした現状の中で企業はどのような言語戦 略を立てるべきかを、 企業の形態と関連づけ、 ビジネス上の効率と同時に、 法的、 文化的問題の視点から論じた (Norisada, 2007)。

英語の社内公用語化を考える

− 1 − 1) これらの講演の概要は、 国際ビジネスコミュニケーション学会研究年報 、 2003年、 第62号 (pp. 6466) と関西学院大学商学部発行の Business Wings 、 2004年、 第2 号 (pp. 110111) に紹介されている。

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それ以降、 英語を社内公用語にする企業が急激に増え、 また、 英語を世界 の共通語にするにあたり Globish という英語が提唱されるなど、 新たな動き が出てきた。 こうした新しい状況を考慮し、 新たに資料や文献を取り入れて、 改めて英語の社内公用語化の問題を考えてみたい。

 「地球語としての英語」 の広がりと 「英語帝国主義」 的批判

1. 「地球語としての英語」 の広がり

「地球語としての英語 (English as a global language)」 という概念が注目 を浴びるきっかけとなったのは、 イギリスの言語学者である Crystal (1997) の同名の著作である。 ここで、 彼は、 人々の移動性が物理的にも電子的にも 増し、 「地球村」 (global village) という時代が到来し、 「地球語」 という共通 語が必要になってきたことを指摘する。 そして、 この地球語としての地位を獲得するためには、 母語として多くの 国で使用されているだけではなく、 非母語国で公用語として定める、 あるい は外国語教育の中で高い優先順位をつけるといったことが肝要であるが、 英 語はその地位をすでに獲得していると述べている。

この Crystal と同じ主張をしているのが、 同時期に British Council の依頼 を受けて発表した、 同じくイギリスの言語学者で自ら The English Company という企業を経営する Graddol (1997) である。 彼は、 英語の広がりの大きな要因としてビジネスのグローバル化を指摘す る。 かつて企業は1つの国に拠点を置き、 他の国の企業と取引するのが国際 ビジネスであった。 しかし、 今や合弁やホールディングカンパニー制を通し て、 所有が複数の国にまたがる超国籍企業 (transnational corporations) が登 場し、 生産活動を労働力の安価な国で行なうなどの、 企業内作業のグローバ ル展開が見られるようになり、 これが英語の広がりを促進していることを指 摘する。 その例として以下の6つの現象を紹介している (p. 32)。 ① シンガポールとドイツといった英語を母語にしない国の企業同士が合弁 を立ち上げても、 共通語は英語となるので、 従業員には英語の能力が求

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められる。 ② 合弁の設立には契約書や覚書の作成が必要となるが、 こういった法的文 書は、 その用語の意味が明確になっているということから英語で書かれ ることが多い。 そのために法律事務を扱う者にも英語の能力が求められ る。 ③ 新たに設立した企業はたいてい、 素材を輸入して完成品を輸出するといっ た国際取引に関わるが、 それを前面で行なう営業部門も後方で支援する バックオフィスの従業員も共に英語の能力が求められる。 ④ 技術移転も密接に英語と関わる。 技術を提供するのはアメリカなど英語 を母語とする国の企業か、 少なくとも対外的に英語を使用する企業であ る。 また、 技術移転は企業を相手にするだけでなく、 空港や鉄道、 通信 といったインフラ建設にも行なわれ、 その結果移転先の技術者は技術の 習得のために英語能力が求められる。 ⑤ 合弁設立に伴い外国からの訪問者が増え、 宿泊や観光といったサービス に対する需要が増す。 その結果、 サービス業に関わる第三次産業でも英 語の能力が求められる。 ⑥ 英語を採用条件とする新しい職場では賃金など待遇面がこれまでの企業 よりも魅力的となり、 その結果、 英語の能力を高めてキャリアアップし ようとする人が増える。 そして、 彼は、 企業内での英語使用の状況においても大きな変化が見られ ることを指摘する。 かつては、 各企業は、 外国企業とは商品の輸出入をもっ ぱら行ない、 外国企業とコミュニケーションを行なう部署だけに、 相手先言 語に堪能な従業員を配置しておれば良かった。 しかし、 今や企業内作業はグ ローバルに展開し、 その中で知識を共有することが求められる。 いかなる国、 いかなる部署にいようとも英語を用いてコミュニケーションする能力が求め られるようになっている。

この Graddol が9年後に再び British Council の依頼を受けて出版した著作 (Graddol, 2006) においては、 英語力の必要性が大きな要因となって、 世界

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中の多くの若者が、 アメリカやイギリスといった英語圏の大学に留学してい ること、 また英語を母語としない国においても英語で高等教育を実施してい る実態を報告している。 かつてインド出身のアメリカの言語学者 Kachru (1985) は、 3つの同心円 で世界における英語の普及状況を示した。 彼は、 英語を母語とする国を中心 円に、 英語を第二言語とする国を外円に、 そして外国語として英語を教える 国を拡大円においた。 Graddol (2006) は、 Kachru (2004) 自身がそのような 分け方は現状を示すには不的確であることを認め、 国を問わず、 流暢度の違 いを考慮した同心円を提案していることを紹介している。 こういった英語の世界的広がりのうねりの中で、 わが国でも英語公用語論 が聞かれるようになった。 ここではその代表として、 前述の 「21世紀日本の 構想」 懇談会のメンバーでもある船橋 (2000) の意見を紹介したい。 彼は、 21世紀において日本が取り組まなければならない課題は、 外にあってはグロー バリゼーションとIT (情報技術) 革命であると指摘する。 そして、 前者に 対してはグローバル・リテラシー (国際対話能力) の向上をはかること、 後 者に対しては、 日本がその社会を開放して多様化を歓迎すべく、 移民政策を 推進していくことを提案する。 そして、 そのためには、 ごく少数のエリート だけが英語を駆使するのではなく、 国民全体の英語力を、 「現在の外国語習 得水準から英語第二言語体得水準に高める必要がある」 (p. 173) と主張す る。 言語の経済的側面と経済の言語的側面に焦点をあてた研究を行ったドイツ の言語学者である Coulmas (1992) は、 「共通語は富である」 と主張する。 彼によれば、 その意味は、 「共通語が個々の地方市場間の散在的な関係をま とめて大きな国内市場を形成する際の支えになり、 かくして関係者を初めて 相互に結合して一つの市場を形成させたということ、 しかもそのさまざまな 交易関係が言語の障壁によって阻害されず、 今までより円滑に機能しうるよ うな国家的な市場を形成させた」 (訳, 1993, p. 20) ことであり、 また同時 に、 「今までよりずっと大きな集団の知識が集められ、 交換され、 広い階層

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の人々にとって接近しやすくされたということでもあり、 これは長期的には 労働市場における使用可能な資源の質的向上とその動員の可能性の増大」 (訳, 1993, pp. 2021) となることである。 2. 「英語帝国主義」 的批判 英語を単なるコミュニケーションのツールと考えた場合、 英語が地球語と なることにより、 全世界の人が情報を共有して恊働することができるという プラスの面がクローズアップされる。 しかし、 言語は単なるコミュニケーショ ンのツールではなく、 価値観を反映し、 その価値観を包含した文化を維持さ せていくツールでもある。 1つの言語の地位が優越すると、 それが反映する 価値観が支配的となる。 また、 言語は思考のツールでもある。 世界中が1つ の言語の思考様式に収斂していくのではとの危惧も生まれる。 振り返れば、 Calvet (1987) が述べるように、 「世界は、 その起源から多言 語状況にあり、 その多言語状況の故に、 広範な記号論的争いの場であり、 群 居言語と媒介言語、 家庭の言語とパンのための言語、 権力の言語とマイノリ ティーの言語の間の絶え間ない緊張の場である」 (訳, 2010, p. 299) と言え る。 そしてこの争い、 緊張は、 現代も世界の各地で見られる。 それらを紹介 した増田 (1978) は、 その編書の題名を 「言語戦争」 とした。 これらの言語戦争の勝者となるのは、 決まって軍事、 政治、 経済面で勝る 支配者の言語であるところから、 このような動きを 「言語帝国主義」 と呼ぶ ようになった。 英語が現在のような地位を獲得するに至ったのも、 19世紀におけるイギリ ス、 20世紀におけるアメリカの、 軍事的、 政治的、 経済的力の大きさのため である、 と Crystal (1997) も Graddol (1997) も指摘している。 そこから英 語に対する帝国主義的批判が生まれている。 その代表者は、 デンマークの言語学者の Phillipson である。 彼は、 英語は 「共通語」 (lingua franca) ではなく、 軍事力で勝ち取った 「戦利語」 (lingua bellica)、 さらには、 「フランケンスタイン語」 (lingua frankensteinia) や 「ティ

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ラノサウルス語」 (lingua tyrannosaura) と呼ぶべきであると述べている (2008, pp. 250251)。 2つ目の呼称は、 手に負えない怪物を発明した学者に 由来したもので、 英語の将来への不安を示し、 3つ目の呼称は、 英語によっ て少数言語が絶滅していることを指摘している。 彼の言は過激であり、 植民地時代に見られた旧宗主国の言語が構造的権力 を有することにより生まれる 「言語の階層化」 (フィリプソン, 2000, p. 100) は、 ポスト植民地時代にも継続しており、 国際通貨基金 (IMF) や世界銀行 は旧植民地諸国の教育政策に影響力を持ち、 「アフリカ言語を犠牲にして英 語の強化を継続する可能性が高」 (p. 101) く、 「英語が威信、 権力、 そして 上向きの社会的移動性を象徴するものと見られているために、 それは人口す べての階層に対して強い吸引力を持っている」 (p. 101) と指摘する。 そし て、 この英語支配を維持しようとする政策は、 「多国籍企業、 世界貿易機構 (WTO)、 そしてますます少数の人々に富を集中し、 世界の人口の大多数に 貧困を課そうとしている勢力による、 グローバル戦略の一環」 (p. 101) で あると主張する。 わが国にもこういった考え方は見られる。 その代表的人物の一人の津田 (2006) は、 英語が世界の標準語となった場合の弊害として、 以下の6つの 問題点を指摘する。 ① コミュニケーションの不平等と差別が生まれる。 英語を話さない人間はコミュニケーション弱者となり、 低い評価を受け る。 その結果、 劣等感を抱き、 富や権力から遠ざかっていく。 ② 少数言語の衰退に拍車をかける。 少数言語から、 経済的、 社会的に有利な英語に乗り換えるという 「言語 の乗り換え (language shift)」 という現象が見られるが、 将来的に日本 語から英語への乗り換えも危惧される。 ③ 世界文化の画一化につながる。 「クレイジー・イングリッシュ」 を標榜する李陽氏は、 気持ちを率直に 伝えない中国人の国民性を改造することを訴えている。 このように、 英

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語の支配は同時に、 英語圏の文化が支配的になることを意味する。 ④ 「情報リッチ」 と 「情報プア」 を生む。 世界中の情報が英語化されるという英語による情報支配が始まると、 情 報の南北問題が生じ、 情報リッチと情報プアという格差が生まれる。 ⑤ 「英語神話」 による精神支配。 言語は思考や価値を司る重要な役割をもっており、 英語が支配的となる ことにより 「精神の植民地化」 が生じる。 すでに、 「英語は論理的な言 語である」 といった 「英語神話」 が浸透し、 そこから英語支配を積極的 に支持しようという 「英語信仰」 が生まれている。 ⑥ 英語支配の序列構造。 英語のネイティブスピーカーを頂点にし、 英語を第二言語とする人、 英 語を外国語として使う者が続き、 英語と接触のない者を最下層とする、 英語を軸とした、 権力の序列構造が生まれる。 津田と同じく英語帝国主義的批判を展開する大石 (2005) は、 英語の跳梁 は、 太陰暦やイスラーム暦が無視ないし放棄され、 西洋暦が世界標準となっ たような西欧普遍主義の世界席巻に通ずるものであると主張する。 その大石 は、 前述の Coulmas の 「経済性」 を根拠とする言語思想に対しては、 「近代 的効率主義」、 「利潤追求」、 「近代化=西欧化」 という近代以降の世界史の根 幹に流れる西欧人の優越感と限界が見られると批判する。 また、 英語公用語 化論を展開する船橋が英語という言語が優勢民族、 優勢言語に対する平等化 の要素を備えていると主張するのに対し、 英語を使っている者が実は英語に 使われ、 英語の支配下に入っているのであると反論する。 以上、 英語の世界的広がりを紹介し、 それを受け入れて英語を積極的に取 り入れるべきという推進派と、 逆にその流れに抵抗する慎重派の意見を紹介 してきたが、 英語の社内公用語化に対しても、 同じ2つの流れが見られる。

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 英語の社内公用語化に対する賛成論と反対論

1. 英語の社内公用語化に対する賛成論 英語を社内公用語にとの主張を早くからしていた研究者は、 吉原である。 彼は、 英語で経営する時代 と題する共著 (吉原・岡部・澤木, 2001) の 中で、 英語で経営する欧州やアジアの企業を紹介する一方、 わが国では日本 語で国際経営する実態が続いていることを問題視している。 経営方針や経営 戦略を決定し、 同時に技術やノウハウなどの経営資源を開発する日本親会社 は、 日本人が日本語で仕事をする世界であり、 その親会社と海外子会社との コミュニケーションも日本語で行われていることを指摘している。 吉原は、 前述の共著書の出版のかなり前である1993年と1994年に、 日本の 親会社と海外子会社を対象に、 海外子会社の現地人社長、 言語とコミュニケー ション、 海外子会社における現地人の参加、 日本親会社の国際化 (内なる国 際化) をテーマにしたアンケート調査を行い、 その結果を 未熟な国際経営 (吉原, 1996) と題する著書にして公表している。 その題名が示すごとく、 吉原は、 日本親会社では日本人の日本語による日本経営が行われており、 海 外子会社にも親会社から日本人を派遣して、 その間でも日本語によるコミュ ニケーションが行われていることを批判している。 英語で経営する時代 の出版前の1999年と2000年に改めて同種のアンケー トを行っているが、 大きな進展がないことを踏まえて、 吉原・岡部・澤木 (2001) は、 日本企業の国際経営の問題点を指摘し、 提言を行っている。 彼らは、 英語が国際経営の共通語である時代に日本企業が日本語で国際経 営をしていることにより様々な問題が生まれているが、 それを 「言語コスト」 ととらえている。 これには、 直接的コストと間接的コストがあり、 前者とし て、 まず通訳・翻訳のコストを指摘する。 親会社から子会社への情報伝達は 日本語で行われるので、 現地社員にそれを伝えるために、 日本人社員が翻訳 する必要が出てくる。 また外国人が参加する会議や、 外国人との商談の場合、 日本人の英語力が十分でなければ通訳を入れなければならない。 これら翻訳

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や通訳には時間的、 経済的コストが発生する。 また、 翻訳や通訳を介するこ とで、 誤解や意思決定の遅れという2つ目の直接的コストも生じる。 間接的コストとしては、 優れた人材を喪失することとエレクトロニクス情 報技術を利用した 「E経営」 から取り残されることをあげている。 日本語が できなければ企業内における意思決定や情報の共有に参画できなくなり、 日 本の親会社はもちろん現地の子会社においても昇進は望めないという現状で は、 優秀な現地人を集めることはできない。 また、 英語を使えなければ、 調 達や販売といったEコマースだけでなく生産管理やサプライチェーン、 さら には研究開発における CAD / CAM の利用など経営の幅広い分野で行われて いる最新エレクトロニクス情報技術の利用に参加できなくなり、 その結果情 報の発信や受信で遅れをとり、 ビジネスチャンスを逃すことになる。 こういった現状を憂いて 「英語で経営する国際経営」 を提唱しているが、 これは具体的にどのようにすることであるのか。 彼らは、 まず、 日本親会社 と現地子会社と間のコミュニケーションでは、 日常業務などの定期的な報告 だけでなく、 経営判断を要する重要事項の伝達や意思決定も英語で行うよう に変えることを提言する。 次に、 親会社から現地子会社への情報伝達はすべ て英語か、 日本語と英語の併記とする、 そして、 子会社の中での情報交換や 意思決定はすべて英語で行い、 日本人だけの日本語による会議は開かないこ とも必要であるとしている。 最後に、 親会社においても外国人が1人でも参 加すれば英語を用い、 日本人だけの会議を開いたとしても、 外国人にその情 報を共有してもらうことが必要な場合には、 英語での文書化を行うべきとし ている。 そして、 これらを実現するためには社員の英語力の向上が必要であるので、 企業もそれを実現するための言語投資をしなければならないとしている。 こ れにも直接的投資と間接的投資がある。 語学研修や海外留学・海外トレーニー が直接的投資である。 そして、 間接投資としては、 英語重視の人事、 海外勤 務、 内なる国際化 (意思決定への外国人の参加)、 海外子会社の社長の現地 化をあげている。

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国際ビジネスをコミュニケーションの視点から研究する亀田も、 彼らの主 張に賛意を示している。 亀田 (2003) は、 2000年にシンガポール、 マレーシ ア、 タイの3カ国にある京都を中心とする関西企業14社の現地法人を訪問し てヒアリング調査を行い、 その結果を前年に日本在外企業協会が公表した アジアにおける欧米多国籍企業の人材戦略 と比較している。 彼によれば、 現地化の達成率を見る指標の1つとしての 「従業員に占める派遣者の比率」 つまり 「日本人率」 とかその逆の 「現地人率」 という数値に関しては、 日系 企業もかなり進んで欧米企業並みになっているが、 もう1つの指標である社 長の現地化に関しては大きく遅れをとっている (彼の調査によれば現地人社 長は1社のみであった) ことを指摘している。 亀田はまた、 欧米多国籍企業では、 経営理念などを複数の言語に翻訳して 浸透させ、 それを職場や社員個々人の目標にまで細分化して、 それを実現す るように指導しているのに対し、 日系企業の場合、 この方面でもかなり遅れ をとっていることを指摘している。 亀田の調査対象は多国籍企業に比べると 規模は極端に小さいので、 同列に論じることはできないが、 経営理念などの 英語化も英語での経営においては重要である。 2. 英語の社内公用語化に対する反対論 後述するように2010年にユニクロ (正式な企業名はファーストリテイリン グであるが、 ここでは一般に知られているブランドのユニクロを使用) と楽 天という2つの企業が英語を社内公用語にすると発表した。 これに対し、 前 述の津田は、 これら2社の社長である柳井正と三木谷浩史の2人に対して再 考を促す手紙を送り、 その後、 日本語防衛論 (津田, 2011a) と 英語を 社内公用語にしてはいけない3つの理由 (津田, 2011b) と題する本を出版 し、 改めて, その反対理由を示した。 津田は、 たとえ1企業が英語を社内公用語とするだけであっても、 その企 業に影響力があれば、 その波及効果は大きく、 実質的に日本全体が英語を公 用語とする方向に進んでいくと危惧する。

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彼は、 反対の理由を3つあげている。 まず、 日本語の衰退を招くことを指 摘する。 現在大学受験では 「国語力」 よりも 「英語力」 を重視する英語偏重 が見られるが、 英語の社内公用語化は、 2011年からは公立小学校で英語が正 式科目としてスタートした英語教育の早期化と共に、 この英語偏重を促進す る。 津田 (2011b) は、 楽天の会長兼社長の三木谷のインタビュー記事 ( 週 刊東洋経済 2010年6月19日号) の中の、 「英語がしゃべれない社員は問題 外です」 と 「(社内公用語が) 日本語だと、 日本語がしゃべれないとハンデ になるが、 (社内公用語が) 英語になった瞬間に全員が平等になる」 との2 つの発言をとりあげ、 「英語信仰」、 「日本語軽視」 が見られることを指摘す る。 こういった意識がやがて英語を上位語、 日本語を下位語にする言語階層 社会を生み出し、 多くの日本人が英語への 「乗り換え」 を始めると指摘する。 2つ目の理由は、 格差を生まれ、 拡大することである。 英語が使えるかど うかの違いは、 収入における格差だけでなく、 「英語ができる層」 と 「英語 ができない層」 という社会階級的な格差を生み出す。 また、 日本語ができな くても英語ができる外国人は雇用で優遇され、 逆に英語のできない日本人は 就職できないといった現象も生まれると危惧する。 最後の理由は、 言語権を侵害することである。 これは、 日本人の場合、 「日本語を使用して、 社会生活を営むことを、 誰からも妨げられない権利」 (津田, 2011b, p. 121) であり、 これは日本の法律ではまだ明確に規定され ていないが、 基本的人権であり、 人格権であり、 精神の自由権であると主張 する。 英語の強制は、 こういった権利を侵害することであると指摘する。 2011年に日本経済新聞社が英語の社内公用語化に対するアンケート調査を 電子版で行い、 1200人からの回答を得ている (日本経済新聞、 電子版、 2011 年2月24日)。 そこでは、 賛成が45.5%、 反対が54.5%とやや反対が上回っ ているが、 年齢層によって考え方の違いも見られ、 50代、 60代では反対が60 %を超えているが、 30代では賛成が57%と過半数を占めた。 そして、 賛成と 答えた読者からは、 「国内のみで成長できる環境ではない」、 「話せなければ 世界に取り残される」 といった意見が見られた。 これに対し、 反対する人か

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らは、 「組織で共有する情報量が減り、 競争力が低下する」、 「伝達ミスのリ スクが増える」 といった業務効率が下がるとの意見や、 「英語だけできる人 材を集めても組織は機能しない」 といった語学力だけで人材の価値をはかる ことにつながりかねないとの危惧も見られた。 この記事の中では、 賛成、 反対それぞれの立場をとる研究者へのインタビュー が掲載されている。 賛成の立場からは前述の吉原英樹が、 「英語がうまく使 えないと、 心理的ストレス、 発信・受信する情報量の減少、 情報の質の低下 が生じる」 ことは認めながら、 「人材採用を世界規模に広げられるため、 優 秀な人を多く獲得できる」 メリットをあげている。 他方、 反対の立場として登場する同時通訳者でもある研究者の鳥飼玖美子 は、 「仕事の能力と英語の能力は全く別で、 優秀な人材を失うことにもなる」 ことを心配し、 「グローバルに展開するのであれば、 英語だけでなく現地の 言葉を学ぶべき」 であり、 「外国人が日系企業に就職するのであれば、 日本 語を習得する努力をすべき」 と英語一辺倒への流れに苦言を呈している。 こうして見てみると、 賛成論は、 企業の戦略という視点から展開されてい るのに対し、 反対論は、 もっぱら日本、 日本人、 日本語を守るという視点か ら繰り広げられている。 次の節では、 ビジネス界の動きと注目を浴びつつあ る Globish という英語を紹介してみたい。

 英語の社内公用語化を巡るビジネス界の動きと Globish の出現

1. 英語の社内公用語化を巡るビジネス界の動き 2010年にユニクロ、 楽天というわれわれに身近な知名度のある企業が相次 いで英語を社内公用語にするとの方針を公表したことにより、 この問題がマ スコミで大きく取り上げられ、 上に見たような賛否両論がにぎやかに展開し ている。 しかし、 英語を社内公用語にする動きはすでに10年ほど前から始まっ ている。 コイルを中心とした電子部品会社のスミダコーポレーションの八幡社長は 2000年1月の CEO メッセージで、 2002年までにスミダグループの共通言語

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を英語にすることを全社員に発表した。 これにより、 ①情報収集力の早さ、 ②バウンダリレスなコミュニケーション、 ③通訳、 翻訳なしの正確な早い情 報伝達、 ④統一された、 方針徹底、 目的の徹底、 ⑤一本化された通信、 情報 伝達網、 ⑥一本化された情報、 技術共有、 といった効果が期待できると考え た (吉原・岡部・澤木, 2001)。 そして、 まずは最高経営会議である常務会 の英語化を開始した。 常務会のメンバーは日本人4名と香港人1名から構成 され、 2000年7月までは日本語で行い、 日本語のできない香港人のために通 訳がつけられていたが、 8月の会議は日本語・英語の両方で行い、 9月から は英語で行うようにした (吉原・岡部・澤木, 2001)。 コネクターやリモコンなどを製造する部品メーカーの SMK も、 2000年に 当時の池田社長が、 海外の従業員や取引先が増える中で英語を社内公用語と する方針を打ち出した。 日経ビジネス (2010年12月6日号) は、 2010年11 月に東京で開催された、 全世界の営業拠点責任者・担当者やアジアの代理店・ 特約店を対象に開いた研修会議の模様が紹介している。 そこではまず社歌が 全員で斉唱されるが、 歌われるのは日本語ではなく2000年につくられた英訳 版である。 その後企業理念と行動指針が唱和されるが、 英語の得意なリード に続き全員が英文を音読する。 しかし、 その後の社長による直近の業績や市 場環境などの解説は、 プロジェクターから映し出される資料は英語であるが、 日本語で話され、 中国語や英語に通訳される。 この企業では、 英語を公用語 にしつつも、 普段はもう1つの公用語である日本語を使い、 日本に赴任する 外国人には日本語研修を受けさせる。 その場で一番効率のいい言葉を使うこ とを基本方針としている。 ユニクロや楽天を含め上に紹介した企業は、 いわば国際化を見越して英語 を公用語とする決断をしているのであるが、 日本語を使えない外国人が経営 陣に加わることにより英語を公用語にせざるを得なくなったケースもある。 最もよく知られているのは日産である。 現 CEO であるカルロス・ゴーン氏 を初め多くの外国人が提携先のルノーから送りこまれて、 英語での会議が始 まった。 現在日産は、 社内公用語を英語とし、 会議では外国人がいる場合に

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は、 英語を使うが、 通訳を使う場合もあるし、 日本人同士の場合には日本語 を使い、 起案書は日英併記としている (津田, 2011b)。 ベアリング大手の日本精工も、 欧州総支配人であるドイツ人のノルベルト・ シュナイダーが本社の自動車部品本部長に就任したことにより、 英語が部内 公用語となった。 同氏への報告書や同氏の参加する会議は、 すべて英語で行 われている ( 日経ビジネス 、 2010年12月6日号)。 このように、 英語を社内公用語とする企業は、 それにより国際化を行おう とする準備タイプか、 外国人が経営陣に加わるといった国際化が必然的にも たらした結果タイプのいずれかである。 最近のビジネス界の動きを見ると、 結果タイプが増え、 それを見ながら準備タイプも増えつつあると言える。 結果タイプで言えば、 まず、 経営トップに外国人が加わるケースがある。 すでに日本板硝子は、 2010年米国化学大手デュポン元上席副社長のクレイグ・ ネイラーを社長兼 CEO に招聘しているが、 オリンパスは執行役員で欧州現 地社長のマイケル・ウッドフォード氏を、 2011年に社長兼最高執行責任者 (COO) に昇格させた。 同社の収益の柱であり、 世界シェアの7割を握る医 療機器部門では10年以内に英語を公用語にすること方針も明らかにした。 こ のことを報じた日本経済新聞 (2011年2月11日、 朝刊) は、 「事業の主戦場 を海外に移していく企業が、 その実現に向けトップの登用策を変えるのは自 然」 との指摘と、 「今後も外国人社長は増えるだろう」 との予想を紹介して いる。 本社の国際化は、 従業員に外国人が採用されるといった形でも促進されて いる。 三菱重工業が海外のグループ会社の社員数を2010年から5年間で約 4000人増やすほか、 パナソニックが2011年春までにグループ会社で前年比5 割増となる1100人の外国人を採用すると発表した (日本経済新聞、 2010年8 月30日、 夕刊)。 また、 NTT コミュニケーションズは、 2012年春から従来の 2倍強にあたる約20人の新卒外国人を採用すべく、 2010年に中国・北京、 米 国・ボストン、 韓国・ソウルで企業説明会を開催したが、 その際、 日本語の 能力は問わないことを明らかにしている (日本経済新聞、 2011年1月17日、

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朝刊)。 留学生だけでなく、 海外で採用する企業も目立ってきた。 東芝も、 2006年からアジア各国で人材を採用するグローバル採用を開始しているが、 その際にも日本語能力を問わない方針をとっている (日本経済新聞、 2011年 2月21日、 電子版)。 さらに、 本社自体を海外に置くという動きも見られる。 日本経済新聞 (2010年5月15日、 電子版) は、 サンスターと三菱化学の事例を紹介してい る。 サンスターは、 すでに2007年に、 スイスへの本社移転を打ち出し、 2009 年には本社ビルを完成させている。 また、 三菱化学はポリエステル繊維原料 の事業統括機能をすでに、 シンガポールに移して、 インドやインドネシア、 韓国など多国籍の人材を集めているが、 2010年には松山工場で行っていたポ リエステル原料のテレフタル酸の生産をインドに移してアジアでの生産を強 化し、 これにあわせて、 本社機能をシンガポールに移して、 アジアの拠点を 統括することを考えている。 海外子会社の現地化も少しずつではあるが進んでいる。 2010年6月から7 月にかけて日本在外企業協会が会員企業に対して実施したアンケート調査が あるが、 それを分析した白木 (2011) は、 次のような指摘をしている。 海外 における利益が10%以上連結利益に貢献している企業比率は約7割にも上り、 そのうち、 連結経常利益に占める海外経常利益の比率が80%以上に上る企業 が11.5%、 同比率が40∼80%の企業が19.2%に上っており、 日本の多国籍企 業にとって、 海外での経常業績の如何が日本本社の業績を大きく左右するよ うになっている。 その現地法人の社長の国籍は、 日本人75.9%、 24.1%と4 分の3の割合で日本人となっているが、 中国、 アジア、 オセアニアで日本人 比率が高く、 欧州・ロシア、 北米では外国人比率が高くなり、 欧州・ロシア では5割弱で社長が外国人である。 YKK は71カ国で114社のグループ会社を展開し、 ファスナー事業部では海 外生産率が約9割に達し、 3万9000人の社員の約半数は外国人となっている が、 中国での人事戦略を見直している。 これまで中国のグループ企業には、 日本人幹部を送り込んできたが、 モチベーションを失った優秀な現地の人材

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は相次ぎ流出する結果となり、 中国人リーダーを育成する路線に切り替えて、 現在グループ13社の幹部250人の半数以上が中国人となっている (日本経済 新聞、 2011年3月2日、 電子版)。 幹部になれない現地スタッフのモチベーションという問題に加え、 日本か らの駐在にはコストもかかり、 さらに、 「新興国需要を狙って企業がアジア に加速度的に戦線を広げる中で、 日本から海外に派遣する人材が圧倒的に不 足している」 (日本経済新聞、 2010年5月15日、 電子版) という現状が海外 子会社の現地化と、 本社経営陣への登用を促進している。 三井住友海上火災保険は、 2010年から、 現地採用した外国人スタッフを幹 部候補生として育てるため、 日本本社に中短期で 「逆駐在」 させ、 英語で資 料をつくり人事の課題について英語で議論しているが、 伊藤忠では受け入れ 期間が、 1∼3年と長期にわたり、 この動きは大手商社だけでなく都銀など にも広がりつつある (日本経済新聞、 2011年2月21日、 夕刊)。 こういった企業の変化は、 結果として英語を公用語にする道をとらざるを 得ないであろう。 日本経済新聞 (2011年1月16日、 朝刊) は、 日本経団連が 実施した企業の人事戦略に関するアンケートを紹介している。 それによると、 「国籍を問わず有能な人材を幹部に登用する」 と答えた企業が約3割あり、 国内での外国人採用に関しては、 4割が継続的に採用と答えている。 この比 率は、 これまでの数字を比べた場合、 着実な変化を示しているが、 グローバ ルに展開する外国企業と比べた場合、 決して大きくはない。 成長が著しい韓国の LG エレクトロニクスは、 2004年に韓国企業で初めて 英語を公用語とする構想を打ち出し、 2007年までを準備・試行期間に充て、 2008年から本格的に導入して、 経営会議は英語で実施し、 技術資料や海外に 送付する電子メールなども英語での作成が義務付けられ、 海外従業員が全体 の7割近くに上る (日本経済新聞、 2010年11月21日、 電子版)。 この企業の 躍進の大きな要因は、 外国人の積極活用と言われるが、 「各地の拠点で、 韓 国から派遣の駐在員は極力少なくし、 現地人材を多く採用・登用している。 さらに本部機構 (韓国) でも積極的に能力の高い外国籍の役職員を起用して

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いる。 最上席レベルの執行役員13人のうち、 戦略、 人事、 調達など会社の重 要分野を担当する7人が非韓国籍であり、 人の面でのグローバル化が大きく 進んでいることが分かる」 (平賀, 2010, p. 15) と指摘されている。 こういった海外企業に刺激を受け、 英語を社内公用語とすることで国際展 開に備えようとするのが、 ユニクロや楽天を代表とする準備タイプである。 ユニクロの柳井社長は、 スウェーデンの H & M や ZARA というブランドを 有するスペインのインディテックスという世界最大勢力に対抗するためには、 海外を中心に年間300店以上を新設する必要があると考え、 2011年には300人 を海外で採用し、 毎年の採用の過半数を外国人とし、 外国人も経営幹部とす る計画を立てている (日本経済新聞、 2010年12月23日、 朝刊)。 また、 楽天 グループの社員に占める外国人社員の割合はまだ数パーセントに過ぎないが、 三木谷社長は世界進出を公言し、 2010年には今まで以上のハイペースで海外 ネット企業を買収し、 2011年度には中国とインドの現地採用だけで最大100 人の人材確保を目論でいる (日本経済新聞、 2011年2月16日、 電子版)。 2. Globish の出現 「国際経営と言語」 というテーマを掲げた編著を出版している Tietze (2008) は、 自らも同テーマに関して1つの章を執筆しているが、 その中で 紹介している興味深い事例を2つ紹介したい。

1つは、 Piekkari & Zander (2005) が取り上げた、 フィンランドとスウェー デンの銀行の合併後における言語の問題である。 そこでは、 両従業員にとっ て外国語となる英語ではなくスウェーデン語が共通語となった。 これは、 ス ウェーデン銀行によるフィンランド銀行の支配を象徴するものと解釈され、 フィンランド社員は、 その言語能力の欠如のために職務上の能力も落ち、 昇 進面でも不利益を被ることが明らかとなり、 有能な社員の多くが退職するこ ととなった。 Tietze (2008) は、 この事例は、 「企業内共通語の導入により、 意図した統合効果が逆に弱められる結果となったことを示している」 (p. 62) と述べている。

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もう1つの事例は、 Bargiela-Chiappinni (2001) が取り上げたイギリスとイ タリアの合弁会社における言語の問題である。 そこでは、 まず役職名が英語 表記されるようになったが、 それは単にイタリア語の翻訳ではなく、 職務内 容自体が変化したことを意味した。 “quadric” と呼ばれるイタリアの中間管 理職は、 新しい職務内容を十分理解してそれを遂行していくことができず、 イギリス側の期待を裏切る結果となっていった。 また、 英語の使用は役職名 だけにとどまらず、 “appraisal”、 “briefing”、 “focus group” といった用語が 日常的に用いられた。 それは、 経営自体がイギリス方式で行われることを意 味した。 Tietze (2008) は、 この事例では、 英語が経営上の 「用語と行動」 (p. 67) と結びつき、 イタリアの中間管理職は、 それらが、 それまでの 「自 分たちの理解やアイデンティティーと矛盾する」 (p. 67) と感じながらも、 それに抵抗できないでいることを指摘している。 英語を企業の公用語にすることに対する反対論としては、 まず、 仕事と能 力は別なのに、 英語が公用語となると、 英語の能力で評価され、 結果英米人 のようなネイティブスピーカーが経営のトップに就くことがあげられる。 ま た、 英語の使用により、 英米のビジネスのやり方がグローバル・スタンダー ドとなっていくということも指摘される。 上に挙げた事例は、 共にそれが事 実として起こっていることを示している。 フランス人の Jean-Paulは、 こういった問題を解決するものとし て、 Globish を提唱している。 以下では、 彼自身が著者の1人となって書い ている Globish the world over (& Hon, 2009) を通して、 これがどの ようなものなのかを紹介していきたい。 彼は、 英語がグローバル・コミュニケーションの競争に勝って、 世界中の 国々が英語を地球村のコミュニケーション言語であることを受け入れており、 これからもそれが最も重要な国際言語であり続けることはまちがいないとい う立場に立っている。 彼は、 いわば現状容認派であるが、 英語が他の言語に 比べて、 最適であるとは考えておらず、 文法は難しすぎるし、 単語も、 不規 則動詞も多すぎ、 さらに英語の綴りと発音のつながりが悪いことを指摘して

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いる。 それでも英語が世界のコミュニケーション・ツールになったことで、 ネイ ティブスピーカーが優位に立ったように思えるが、 決してそうではなく、 逆 に非ネイティブスピーカーが勝ったのであり、 この先もさらに勝つであろう と述べている。 それは、 ネイティブスピーカーの強みこそが問題となってき ているからであると指摘する。 英語のネイティブスピーカーに比べ、 非ネイ ティブスピーカーの方が、 非ネイティブスピーカーとの間で頻繁に英語を話 し、 ネイティブよりも様々ななまりを理解できる。 また、 母語に加えて英語 を習得している人は、 英語という母語だけに執着している人に比べ、 3つ目 の言語を身につける上で遥かに有利である。 そして、 英語しか話せない者を 企業は望まなくなり、 就業選択の面で不利となる。 また、 英語を習得する人がこれまで持ってきた競争優位性は、 英語が大半 の人に共通のベーシックスキルになってしまえば失われるであろう。 また英 語のネイティブスピーカーは、 これまでは、 権威ある基準を提供する最高の 教師だと考えられてきたが、 種々の英語が世界中で使われている今では、 グ ローバルな英語の自由な発展を阻む障壁のように見なされるかもしれない。 また、 ネイティブは、 “biting the dust” (土を噛む→戦いで倒れて死ぬ) と いった自分の地域特有の慣用句を世界共通かのように使うことが多いが、 現 代のグローバル市民には、 そのような言葉はいらない。 今求められるのは、 完璧さではなく、 「わかりやすさ」 (understandable) である。 Globish が目指すのは、 ほとんどの場面で理解してもらえるレベルを目指 す。 それは、 制約を設けた英語の1種である。 制限があるからこそ、 誰もが 同じ英単語を学び、 互いに理解できる。 まず使用する単語は1500語としている。 ほとんどの英語ネイティブは3500 語程度しか使っていないし、 教養ある人でも7500語程度しか使っていない。 そして、 その教養ある人でも伝えたいことの80%は、 その語彙の20%すなわ ち1500語で話していると言われる。 したがって、 1500語で伝えたいことの80 %は伝えられるので、 残りの20%については、 単語の代わりに定義を用いる

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ことを勧める。 たとえば、 “nephew” (甥) は制限単語リストに入っていな いので、 “the son of my brother” (兄弟の息子) と表現する。 これに、 特定 の業界や産業に関連する専門用語 (technical words) を追加すればたいてい のことは表現できる。 英語であれば、 同じことを表現するにも多くの単語があり、 それが細やか な感情表現を生み出しているが、 Globish は、 そういった文化的な言葉の英 語とは違い、 単なるツール以上になることは目指していない。 Globish の制約は、 学習を簡単にして、 使うべき単語を見つけやすくする。 これにより、 非ネイティブ同士のコミュニケーションは効率的となる。 それ に対し、 ネイティブは、 多くの単語を様々な言い回しで使いこなすので、 逆 に世界とコミュニケーションをとる機会を逃している。 彼らも、 自分たちの 言葉の使い方を制限することを学ぶ、 つまり Globish を学ぶ必要がある。 Globish を “English for the World” とか “Simple English” と呼ばないのは理 由がある。 名前のどこかに “English” とついていれば、 ネイティブは学ぶ 必要がないと思い込むからである。 Globish の根底には、 言語は平等であり、 言語のせいで他人に比べて有利になったり、 他の人の上に立つことはなくさ なくてはならない、 との思いがある。 Globish には、 生まれつきのネイティ ブは存在しないのである。 こういった英語を公用語とする動きを加速するビジネス界の動きと、 その 英語に対する意見を以下で改めて整理して、 筆者からの提言を行いたい。

 英語の社内公用語化論の整理と提言

1. 公用語の定義∼英語オンリーでなく英語プラスへ 英語の社内公用語化を巡る議論を見ていると、 その定義が明確にされずに 進んでいるように思える。 反対の立場をとる前述の鳥飼 (以下引用は日本経 済新聞、 2011年2月24日、 電子版から) は、 まず、 「これからグローバル化 したので英語を公用語にする、 というのは本末転倒だ。 必要なときは通訳や 翻訳の専門家を使えばよい」 と主張。 弊害として 「日本人同士の会話が減っ

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ている」 ことを指摘。 そして、 公用語とは、 「誰もが公の場でその言語を使 わなければならないこと」 であり、 「欧州連合 (EU) では加盟国すべての公 用語が、 EU の公用語として認められている。 そうしなければ、 英語を母語 とする英国が圧倒的に有利になってしまうからだ。 母語を話すことは人間と しての権利だ。 世界の歴史を見れば、 征服などで母語を奪われた国も多い。 日本では母語を話すという権利が何事にも代え難いという意識が薄い」 と危 惧している。 日本電産の創業者で社長でもある永守は、 自身のブログの中で、 日本電産 が、 事業のグローバル化に伴い、 2015年から管理職への昇進には日本語以外 の1カ国語を、 2020年から部長への昇進には2カ国語の習得を条件とするこ とを決めたことを報告しながら、 「日本国内で日本人同士が会話するのに英 語を使うことを義務付ける必要があるとは思わない」 (日本経済新聞、 2010 年8月25日、 電子版) と述べている。 また、 海外で会計士、 税理士として活躍している森山は 英語社内公用語 化の傾向と対策 (森山, 2011) と題する著書を出版しているが、 その中に 様々な分野でグローバルに活躍する日本人識者や外国人研究者とのインタビュー を掲載している。 このうち2人が否定的な意見を披露しているが、 そのうち の1人はイギリスで弁護士をしている川井である。 同氏は、 日本企業の英語 公用語化を 「あまり良い方向に向かっているとは思えません。 まず、 全社員 が英語を学ぶ必要が見えない。 技術の人とか、 英語なんてやっている暇があ るんなら、 専門知識を磨いたほうがいい」 (p. 186) し、 第一、 「日本語をな くすことで、 日本らしさ もなくなっちゃいそうだ」 (p. 187) と心配して いる。 もう1人は、 ロシアの研究者のサルキソフであるが、 公用語化に対し きわめて懐疑的な立場をとり、 ユニクロや楽天が成功するかとの問いに対し、 「方法によります。 成功させるには、 英語1本にしてはダメでしょう。 日本 語をメインとして使って、 英語をサプラメント (補助) として併用すること が大切」 (p. 201) と述べている。 こうして見てくると、 反対論者は、 英語の社内公用語化とは、 英語オンリー

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となり、 社内での情報を収集し意思決定に参画するためには英語の習得が義 務化になることを前提としていることがわかる。 ここで、 そもそも公用語と は何かを考えてみよう。 本論では社内公用語化論の前に、 国における英語の公用語化論を紹介した が、 この場合の公用語とはどういったものなのであろうか。 津田 (2011a) は、 2000年に英語第二公用語論が話題になった際にも、 公用語の定義が曖昧 なまま議論が進んだことを指摘し、 当時東京情報大学の桂教授が朝日新聞 (2000年3月22日) において示した、 公用語とは国民にその習得が義務づけ られるものではなく、 政府が使用を約束する言語である、 との解説が最も明 確で、 公用語に関する誤解を正すのに適切であると紹介している。 公用語の 推進論者の船橋 (2000) も、 アメリカで英語オンリーから英語プラスへと変 化してきたことを紹介し、 日本も、 日本語を第一、 英語を第二として2つの 言語のいずれでも生活ができる社会になることを目指している。 社内公用語に関してもこれと同様の解釈をすべきである。 実際、 前述した ように、 英語を公用語化している企業においても、 日本語を禁止しているわ けではなく、 場面と必要に応じて日本語と英語を使い分けている。 つまり、 英語でも情報を共有して意思決定に参画できる環境を整えるのが英語社内公 用語化である。 反対論者の津田も、 日産に対しては、 「日本人同士では日本 語を話すが、 必要な状況では英語を使うことが当然であるという認識で行動 しているよう」 (津田, 2011b, p. 25) であり、 「すでにグローバルな企業な ので、 当たり前のことをやっているという自信を感じさせ」 (津田, 2011b, p. 25) ると評価している。 そして、 ユニクロや楽天の 「英語オンリー」 の考え には反対する一方、 「日本語を否定せずに、 英語と使い分ける」 (津田, 2011a, p. 38)、 「日本語プラス英語」 (津田, 20111, p. 38) こそが、 「これか らの日本の企業の国際化戦略」 (津田, 20111, p. 38) であると述べている。 ユニクロがどのような公用語方針をとるのかは具体的に明らかにされてい ないが、 楽天は、 「社内の公式な会議はすべて英語、 社内資料やメールのや り取りも英文、 たとえ日本人同士のやりとりであっても、 原則として英語を

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使用」 (週刊東洋経済、 2010年6月19号、 p. 40) という英語オンリーの方針 をとり、 フロアの案内板も社員食堂のメニューも英語表記に変更している。 楽天のこの動きは社員の意識改革を狙った面が強いが、 実際に日本国内の 企業が社内での日本語の使用を一切禁止するということはできないであろう。 労働基準法の9条で 「労働者の合意なく、 不利益な就業規則への変更はでき ない」 とあるが、 英語を社内公用語にして英語の使用をある程度義務づける ことは、 「会社が成長するために必要な規則変更なら、 合理的と判断される」 (日本経済新聞、 2010年12月20日、 朝刊) と専門家は判断している。 ただ、 日本語は一切禁止という極端な方針をとる企業が続けば、 言語権の擁護とい う立場から、 日本においてもそれを違法とするような法律が制定される可能 性があろう。 フランスでは、 職場での指示にはフランス語の併記が義務づけ られているし、 アメリカにおいても、 従業員に対し、 職場で一切の母語使用 を禁止することは、 雇用機会均等委員会 (Equal Employment Opportunity Commission) のガイドラインに抵触するとの判断が出ている (Norisada, 2007)。 ただ、 そうはいうものの、 社会における英語の公用語化とは違い、 企業が それを行えば、 その中でキャリアのアップを望めば英語の力をつけることは 避けて通れないであろう。 また、 既に述べた翻訳や通訳のコストを考えれば、 すべての情報が日本語と英語の併記の実現も難しいと言える。 そこで、 次に、 どのようなときに英語を使用し、 どのようなときには日本語や現地の語を使 用すべきかを考えてみたい。 2. ビジネスの効率から見た言語の選択∼英語を使うことのメリットとデメ リット 企業が言語の選択に際してビジネスの効率上考慮すべきこととして、 組織 の構造、 知識マネジメント、 管理システム、 コミュニケーションのネットワー クの4つがあることは既に指摘したので (Norisada, 2007 ; 則定, 2008 ; 則定, 2010)、 以下ではその要点を紹介したい。

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Bartlett & Ghoshal (1998) は、 国際的な業務への関わり方により、 企業を 多国籍 (multinational) 企業、 インターナショナル企業、 グローバル企業、 超国籍 (transnational) 企業に分けている。 多国籍企業は、 拠点を置く現地 に適応できるように分権しているのに対し、 インターナショナル企業やグロー バル企業は、 より中央集権的であり、 本社で意思決定してそれを海外子会社 に伝達する方式をとる。 いずれの場合も、 本社では日本語、 現地では現地語 でよく、 本社子会社間のコミュニケーションに関してのみ、 インターフェイ スの部署で、 翻訳を行えばよい。 ただ、 子会社が世界中に広がっている場合 には、 それぞれの現地語に翻訳するよりは、 英語に統一する方が効率的であ ろう。 しかし、 超国籍企業では、 拠点が本社とは限定されず、 コミュニケー ションも本社から支社へが中心となるのではなく、 支社から本社へ、 さらに は支社から支社へも頻繁に行われる。 このときには英語を共通語とすること が望ましいであろう。 いちいちインターフェイスの部署を通さずに、 スペイ ンの技術者の発見がすぐにフランスで活かされるということが可能となる。 次に知識マネジメントから考えてみる。 知識の集積は過去から未来という 縦の流れだけではなく、 世界に広がった子会社という横の流れにおいても求 められる。 そのためには英語という統一した言語が求められる。 しかし、 知 識には形式知 (explicit knowledge) と暗黙知 (implicit knowledge) がある。 このうち、 データベース化しやすいのは形式知であり、 暗黙知は、 その所有 者と深く結びついており、 その人との直接的関わりを密にすることによって 得られるものである。 そしてその所有者の知は、 たいてい母語と深く関わっ ているので、 その習得にはその母語の習得が必要となるであろう。 管理方式面からも言語を考える必要がある。 ルールや手続きをマニュアル 化してそれを遵守させる官僚的コントロールや、 達成すべき目標を明示して それに照らして評価する成果的コントロールでは、 英語で統一して明示する ことは可能であり、 効率的である。 それに対し、 研修や仕事をしながら長い 時間をかけて暗黙の内に企業の規範や価値観を身につけさせる文化的コント ロールや、 上司が部下と個人的関係を築き直接ふれあいながら指導していく

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個人的コントロールは、 従業員にとって最も心地よい母語が適切であろう。 最後に、 コミュニケーションのネットワーク面からも考える。 企業におい ては仕事に関する伝達を行うフォーマルなネットワークだけでなく、 人間関 係を築き維持するためのインフォーマルなネットワークも必要であり、 文化 によりその比重が変わる。 フォーマルなネットワークでは、 仕事という単一 の話題を語る、 「一重」 (uniplex) のコミュニケーションが行われるのに対 し、 インフォーマルなネットワークでは、 仕事以外にもさまざまな話題を語 る 「多重」 (multiplex) のコミュニケーションが行われる。 前者に関しては 公用語の英語で用は足せるが、 後者に関してもそれを望むのは難しいであろ う。 3. 英語の形態とその伝達内容∼英語に望むことと英語に望まないこと 英語を公用語にすることにより英語を母語にしない者の被る不利益をなく すために、 2種類の工夫がとられてきた (Norisada, 2007)。 1つは、 英語の 簡易化である。 制限した単語と簡素化した文法から成り立つ 「ベーシック英 語」 (Basic English) が提唱され、 その考えを踏まえてキャタピラーは技術 者のために 「キャタピラー基本英語」 (Caterpillar Fundamental English) を 考案して使用させた。 もう1つは、 すべての人にとり母語とはならない人工 的な言語を作り上げて、 それを学習させることである。 古くはポーランドの 学者が考案した 「エスペラント語」 (Esperanto) であり、 最近は EU の文書 官が編み出した 「ユーロパント」 (Europanto) である。 前述の Globish は、 誰にとっても母語でない言語をという思いを込めてい る点で思想的には後者の部類に入るが、 あくまで英語であり、 内容的にはベー シック英語の流れを継ぐものと言える。 前述の日本精工のシュナイダーが、 使用する英語に関して興味深いコメン トをしている。 1つは、 「我々はシェークスピアのような会話には興味がな い。 別の国の社員にわかるようなシンプルな英語で話すようにしてほしい」 (日経ビジネス、 2010年12月6日号、 p. 105) であり、 今ひとつが 「日本人

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はとても間違いを恐れる傾向がある。 でも間違えたら修正していけばいいだ けのこと。 私も英語が母国語ではないから、 完璧な英語は話せない。 それよ りどう伝えるかが重要」 (日経ビジネス、 2010年12月6日号、 p. 105) であ る。 英語の公用語化にあたっては、 われわれの意識を変えなくてはならない。 まず、 「英語は誰の言語という 所有 の概念より、 むしろ 利用 という 概念に」 (船橋、 2000、 p. 75) 変えていかなければならない。 かつてわれわ れは英米人が使う英語に近づけようとする努力をしてきた。 しかし今は “Englishes” と呼ばれるように、 さまざまな英語が出現している。 英米人の 英語を標準として、 そこからの逸脱を間違いとする考え方はとられない。 厳 密さが求められる契約書などの法律文書以外では、 すでに述べたように、 「完璧さではなくわかりやすさ」 が求められている。 ただ、 多種多様な英語の存在は、 逆に理解の妨げになることもある。 そこ から、 やはり何らかの標準を設けるのが必要だという考え方が出てくる。 そ の1つが Globish である。 しかし、 あまりに厳密に語彙を制限することは逆 にコミュニケーションを難しくすることもある。 Globish は、 厳密に学習す る言語というよりも、 その精神を学ぶべき1つのモデルと考えるのが現実的 と思える。 英語に関しては 「所有」 よりも 「利用」 へと概念を変えなくてはいけない ことを念頭におくべきは、 まず、 英語のネイティブたちである。 非ネイティ ブたちが英語を学習するように、 ネイティブも地球村で理解されるわかりや すい英語を学習しなければならない。 Globish では限定された地域で使われ ている慣用句 (idioms) や比喩表現 (analogies) の使用を戒めている。 グロー バル化によりフラット化していく世界におけるマネジメントのあり方を論じ た Bloch & Whiteley (2007) は、 ビジネスチームのメンバー全員が英語を第 二言語としている場合には、 全員が同じように不利だから平等であるが、 多 くの場合、 ネイティブとそうでないメンバーを抱えており、 そういう場合に は、 「ことにネイティブ・スピーカーには、 守らなければならない言葉の正

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しい使い方のルールがある」 (訳, p. 110) と述べている。 そして具体例とし て、 以下のような言い換えを勧めている。 “We want you to leverage the bene-fits of the new acquisition.” (新しい合併の利点に梃子を行使してほしい) (Bloch & Whiteley, 2007, p. 50 ; 訳, p. 111) のような比喩表現は意味がとら えがたいので、 “We want you to meet regularly with the executives of the new acquisition and produce a new joint plan on products and services.” (新しい合 併先の経営幹部と頻繁に会い、 製品とサービスについて共同計画を作成して ほしい) (Bloch & Whiteley, 2007, p. 50 ; 訳, p. 111) と誰が何をすべきかを 明確に表現すべきであるとしている。 英語公用語論に対しては、 英語一辺倒は英語圏の文化と価値観一色に染まっ てしまうことであるとする反発があった。 Globish は、 このことを意識、 す でに述べたように、 コミュニケーションのツール以上になることは目指さな いと表明している。 しかし、 言語は思考を表現するものであり、 語彙や文法 はある種の価値観の現れであり、 文化に由来する慣用句を削ぎ落としただけ で、 価値観や文化はなくすことはできない。 “my nephew” を “the son of my brother” と表現する言い換えを紹介した。 しかし、 言い換えても、 人を男 か女かで表現を変える事実は残る。 また、 文の構造に関しても、 能動態を用 いて 「誰が」 あるいは 「何が」 その動作をしているのかを明確にすべきであ ると述べているが、 それ自体も1つの価値観を示すものである。 われわれは、 英語の公用語化に対し、 英語からその内在する価値観を取り 除くという無駄な努力するのではなく、 日本語など英語以外の言語が有する 価値観を追加していく努力をすべきである。 すでに筆者は、 ビジネスにおけ る思考と行為における言語の影響を論じた (Norisada, 2008)。 そこでは、 日 本語やドイツ語には技術を重要視し誇りに思う語彙が多数存在することは技 術に対する思いを示すものであり、 それがまた優れた技術の継承に役立って きたことを指摘した。 また、 日本語の 「風合い」 という言葉が表す古いもの の持つ味わい深さを示す語がダメージ加工のジーンズきっかけをつくり、 ト ヨタでは、 「改善」 や 「現地現物」 という日本語をそのまま用いてトヨタ方

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式を伝えていることを指摘した。 イタリアとイギリスの合弁で “quadric” と呼ばれるイタリアの中間管理職 の戸惑いと失望を紹介した。 英語を公用語にすると同時に、 “quadric” など のイタリア方式のビジネスも維持するという考え方もすべきではないか。 前 述した森山 (2011) のインタビュー相手の多くは英語社内公用語化に賛成し ているが、 同時に日本の価値観や文化を伝えるできとしている。 ユニクロの 柳井社長は、 「英語というツールを用いて我々の思考法をグローバルで共有 していくのが狙い」 (p. 80) であり、 「英語というツールの運用能力を磨き ながら、 我々固有の価値感、 つまり 根っこ をより深いレベルで共有化で きるようにしていく」 (p. 81) ベキであると述べている。 また、 かつて IBM に勤務し今はベルリッツの社長を務める内永は、 「日本の文化や日本的なモ ノの見方、 論理構成が頭の中に染みついているわけですから」 (p. 131)、 「あえてそういう根っこの部分を自虐的にとらえたり、 自己否定する必要は ない」 (p. 131) と主張している。 さらに、 元西武百貨店社長で現 IMA 社長 の水野は、 西欧中心のソリューションでは対処できない局面が出てくること を見越し、 「日本の伝統文化が解決策のヒントになり得る」 (p. 178) と断言 している。 そして、 「 もったいない や おもてなし という我々にとって は父祖伝来の伝統的表現が世界標準になりつつ」 (p. 178) あることを指摘 し、 「こういう概念を 日本の文化力 の源泉として」 (p. 178) 世界に発信 していかねばならないとしている。

 おわりに

開国して西洋諸国に学ぼうとした明治の開化期には、 初代文部大臣の森有 礼が、 英語を国語にと提案し、 昭和の戦後復興期には文豪の志賀直哉がフラ ンス語を国語にと提言した。 グローバル時代に突入した今、 英語の公用語化 論を進める人の中には、 同種の考え方を持つ人がいる。 三菱商事の槙原相談 役は、 社長就任後社内公用語を英語にとの方針を打ち出したが、 その背後に は、 英語が 「機能的」 であり、 「ビジネスに最も向いている言葉」 であると

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の考え方があった (日本経済新聞、 2006年11月20日、 朝刊)。 ビジネスにおいてであれ、 文学においてであれ、 ある言語が他の言語より 優れているということはない。 それぞれの言語が、 独自の価値観や文化から 生まれそれを育んでいる。 英語を公用語にするのは、 すでに述べたような歴 史的経緯で英語が世界において事実上の共通語になっているためであり、 そ の機能性ゆえではないことをまずに共通の認識としなければならない。 また、 英語を使う以上、 ネイティブがコミュニケーション上有利になり、 決して平 等ではないことも認めざるを得ない。 公用語化する上では、 この不平等性を 少しでも少なくし、 同時に、 英語がもたらす思考方法や価値観のみに世界が 一色に染まることを防ぎ、 他の言語が有する思考方法や価値観をも共有する ようにしなければならないであろう。 かつてわれわれ日本人は長く漢語を学び、 明治の開国後は英語を初めとす る西欧の言語を学んで、 多くの概念や思考方法を取り入れた。 英語を中心と しながらも、 他の言語からも多くを学ぶ必要があろう。 英語の使用により日 本人が変質するのではという危惧もある。 必要な変質はしなければならない であろう。 古来日本人は島国の中で同質の人々と暮らし、 言わなくても通じ 合えるハイコンテクスト文化を形成してきた。 グローバルな社会となり、 共 有する情報の少ない人たちとのコミュニケーションでは、 明示的な言葉によ り伝達するというローコンテクストなコミュニケーションが求められる。 英 語によりそれが可能となることは歓迎すべきことである。 他方、 繰り返し述べているように、 変えてはいけない面も多い。 トヨタに 見られるように、 独特の日本の価値観や思考方法を表現する日本語は英語の 中でも取り入れていくべきである。 それだけではなく、 日常使用する機会が 少なくとも日本語自体を外国人に学習してもらうことも、 日本人理解の上で 重要である。 花王では、 「よきモノづくり」 や企業理念の 「花王ウェイ」 を教え込むた めにテクノスクールを開き、 日本と海外の研修生を対象に、 研修を行ってい る。 かつては、 日本語で行われていたが、 2008年からは英語での研修も実施

参照

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