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蒙彊専売制度史序 説

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蒙彊専売制度史序 説

は じめ に

1察 東 特別 自治 区 の財 政経 済 一 察 東特 別 自治 区 の成 立 ニ ドロ ン県 の 経 済復 興 問題 三 大 蒙 公司

II蒙 古 軍政 府 の 専 売事 業

一 蒙 古 軍政 府(チ ャハ ル 盟公 署)の 成 立 二 軍 政 府 の財 政 難 と繧 遠進 出計 画 三 専 売 事業

1阿 片統 制 2塩 務統 制 3亜 麻仁 統 制 III蒙 彊 政権 の専 売 事業

一 蒙 彊 政権 の成 立 二 蒙 彊 地域 の経 済統 合 三 専 売 事業

1阿 片統 制 2塩 務統 制 むす び

森 久 男

江 口 圭 一 一

は じめ に

蒙 彊 政 権 が 実施 した 阿 片 統 制 ・塩 務 統 制 は,関 東 軍 に よ る内 蒙 工 作 の 拠

点 で あ っ た察 東 特 別 自治 区 ・蒙 古 軍 政 府(チ ャハ ル 盟 公 署)の 財 政 政 策 ・

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経 済 政 策 に そ の起 源 を 求 め る こ とが で き る。 関 東 軍 参 謀 部 は現 地 特 務 機 関 を通 じて地 方政 権 の 樹 立 を 目指 した が,財 政 的 基 盤 が脆 弱 で あ っ た た め, 地 方 政 権 の政 務 指 導 は で きて も,そ の 後 方 支 援 部 門 を整 備 す るの が 困 難 で あ っ た 。 関 東 軍 参 謀 部 は 地 方 政 権 の 財 政 的 自立 を は か るた め,地 方 特 産 品 に課 税 して独 自 の財 源 の 確 保 を 目 指 し た。

本 稿 の 課 題 は,蒙 彊 政権 の 阿 片 統 制 ・塩 務 統 制 が 確 立 す る に至 っ た 経 緯 を,そ の 前 史 に まで 遡 っ て 解 明 す る こ とに あ る。 この点 を明 らか に す るた め,ま ず,察 東 特 別 自 治 区 の 財 政 経 済 の概 況 を分 析 し,次 に,蒙 古 軍 政 府 (チ ャハ ル 盟 公 署)の 成 立 事 情 と財 政 構 造 を 分 析 す る と と も に,歳 入 の 中 核 と し て期 待 され た 阿 片 統 制 ・塩 務 統 制 ・亜 麻 仁 統 制 の顛 末 を解 明 し,さ

らに,蒙 彊 三 自治 政 府 の 成 立,蒙 彊 連 合 委 員 会 の 成 立 か ら蒙 古 連 合 自 治 政 府 の 成 立 に か け て,阿 片 統 制 ・塩 務 統 制 が蒙 彊 地 域 の財 源 の 中核 を しめ る に 至 る過 程 を考 察 す る。

1察 東特別 自治区の財政経済

一 察東特別 自治 区の成立

1933年 初 春,熱 河 作 戦 が 開 始 され,関 東 軍 は3月2日 に赤 峰 を,4日 に 承 徳 を 占領 した 。 関 東 軍 に帰 順 した 東 北 軍 騎 兵 第 十 七 旅(李 守 信 軍)は, 満 州 国 軍 に収 編 さ れ な か った が,承 徳 特 務 機 関 長 松 室 孝 良 大 佐 は 同 部 隊 を 謀 略部 隊 と して 残 し,李 守 信 を興 安 遊 撃 師 司 令 に発 令 した 。 興 安 遊 撃 師 は 漢 族 の 第一 ・第 二 支 隊,蒙 古 人 の第 三 支 隊 に編 成 され た 。 漢 族 部 隊 はチ ャ ハ ル 省 ドロ ン県 へ の 進 出 を命 じ られ,蒙 古 人 部 隊 は 留 守 部 隊 と して林 西 に 残 留 した1)。

5月 初旬,興 安 遊 撃 師 は ドロ ン に到 着 し,月 末 まで に 劉 桂 堂 軍 を ドロ ン

市 街 か ら張 家 口 方 面 に追 い 払 った 。6月11日 に 関 東 軍 は ドロ ン特 務 機 関

(機 関 長 浅 田彌 五 郎 少 佐)を 開 設 した2)。7月11日,L玉 祥 の チ ャハ ル 民

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衆 抗 日 同盟 軍 が ドロ ン を占 領 し たが,8月13日 に 興 安 遊 撃 師 は同 地 を奪 還 した 。 ドロ ン に は察 東 特 別 自治 区(行 政 長 官 李 守 信)が 置 か れ,中 国 の支 配 権 が 及 ば な い特 殊 行 政 地 域 とな り,興 安 遊 撃 師 は察 東 警 備 軍(司 令 李 守 信)と 改称 し た3)。

浅 田 機 関 長 は ドロ ン 占領 直 後 の状 況 報 告 を関 東 軍 参 謀 部 に送 付 し,以 下 の 六 つ の 方 策 を提 言 し て い る。 第 一,ド ロ ン ま た は承 徳 の ラマ 廟 を本 山 と

して 内 蒙 古 一 帯 の 各 ラ マ廟 を統 一 す る。 第 二,医 術 を利 用 して蒙 古 人 を心 服 させ,獣 医 に よ って 蒙 古 人 の信 頼 を得 る。第 三,満 鉄 等 の大 資 本 が林 西 ・

ドロ ン等 に商 品 館 を置 い て,蒙 民 との経 済 上 の 提 携 を は か る。 第 四,家 畜 の 品 種 改 良 ・畜 産 品 の 製 法 改 良 に よ っ て,蒙 古 人 の 利 益 を増 や す。 第 五, 代 表 を飛 行 機 に乗 せ て爆 弾 投 下 を見 学 させ,無 電 を設 置 して通 信 の神 秘 性

を示 す。 第 六,地 方有 力 者 の 子 弟 を 日本 や 満 州 国 に留 学 させ て親 日満 の 観 念 を注 入 す る4)。

関 東 軍 参 謀 部 「 暫 行 蒙 古 人 指 導 方 針 要 綱 案 」(1933年7月16日)5}は,「 主 と して 平 和 的 文 化 工 作 特 に経 済 的 関 係 の 連 鎖 に 依 り 自発 的 に親 満 に 導 き

… … 之 が 為 対 支 排 撃 の 色 彩 を有 す る 自治 政 権 の 樹 立 を促 進 す 」 と述 べ て い る。 浅 田 機 関 長 の提 言 は,関 東 軍 参 謀 部 の工 作 方 針 に基 づ い て い る。8月 13日 の ドロ ン奪 還 後,ド ロ ン特 務 機 関 長 は浅 田 少 佐 か ら宍 浦 直 徳 大 尉 に交 代 した が,内 蒙 工 作 は浅 田機 関 長 の 提 言 を基 礎 と して 具 体 化 され て い っ た 。

10月,松 室 大 佐 は ドロ ンへ 出張 し,チ ャハ ル 省 各 旗 代 表 会 議 を開 催 した 。 松 室 大 佐 は,各 旗 代 表 に満 州 国 へ の合 流 を呼 び か けた が,各 旗 代 表 は,満 州 国 で は興 安 省 が で きた だ け で,「 蒙 古 」の二 字 す ら な く,ど う して西 部 の 各 盟 旗 を吸 収 で き るの か,と 反 論 した6)。 松 室 大 佐 は蒙 古 独 立 を認 め な けれ ば 内 蒙 工 作 の進 展 が お ぼつ か な い こ と を痛 感 し,ド ロ ン滞 在 中 に 「 蒙 古 国 建 設 に関 す る意 見 」ηを起 草 した 。 当 時,関 東 軍 は,満 州 国 に お け る蒙 古 族

の 民 族 意 識 を刺 激 す る よ うな 「 蒙 古 独 立 」の ス ロ ー ガ ンを許 さず,10月19 日 にチ チハ ル 特 務 機 関 へ の 異 動 を松 室 大 佐 に訓 令 した 。

熱 河 作 戦 の 際,ド ロ ン県 は東 北 軍 の退 却 路 に な っ た の で,敗 残 兵 に よ る

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略 奪 を受 け,と くに 劉 桂 堂 軍 の 略 奪 に よ っ て 街 は徹 底 的 に破 壊 さ れ た 。5 月初 旬 に李 守 信 軍 が ドロ ン市 街 に入 城 し,6月11日 に ドロ ン特 務 機 関 が 開 設 され,李 守 信 軍 の 俸 給 を支 給 す るや,隠 匿物 資 は商 店 に 出 回 る よ う に な り,人 心 は安 定 した8)。21日,ド ロ ン維 持 会 は特 務 機 関 で 県下 諸 機 関 代 表 の 会 議 を開 い た 。 東 北 軍 敗 残 兵 の 略 奪 で辛 酸 を嘗 め た 各 代 表 は,満 州 国 へ の 併 合,農 村 の 疲 弊 の 救 済,交 通 路 の 修 復,保 衛 団 の 復 旧等 を浅 田 機 関 長 に 請 願 した9)。

察 東特 別 自治 区 は 中華 民 国 に も,満 州 国 に も属 さ な い特 殊 地 域 で あ っ た が,実 際 に は 満 州 国 の影 響 下 に あ り,ド ロ ン県 は 満 州 国 に準 じた 県 政 を布 い て,参 事 官 安 斎 金 治 が 県 政 を指 導 し,満 州 国 熱 河 省 の 県長 会 議 ・参 事 官 会 議 に客 員 と し て代 表 を 派 遣 した1°)。ドロ ン県 公署 は,総 務 科 ・ 内 務 科 ・ 財 務 科 ・警 務 科 の 四 処 と承 審 処 ・監 獄 処 の二 処 か らな り,行 政 区 画 は 四 区 に 分 か れ,こ の ほ か 大 六 号 弁 事 処 を置 いた 。 毎 週 水 曜 日 に特 務 機 関 ・自 治 区 長 官公 署 の 要 員 が 列 席 して 県 政 会 議 が 開 かれ た。 各 科 長 は事 前 に 議 案 の 稟 議 書 を提 出 し,県 長 ・ 参 事 官 が検 閲 して の ち,必 要 な もの を会 議 で 討 議 し, 会 議 録 は各 科 ・処 に 送 られ た 。 また,特 務 機 関 ・長 官 公 署 は特 別 事 項 に つ い て臨 時 会 議 を開 く こ とが で き た11)。

ドロ ン県 の人 口動 態 統 計 は,1922年(7万2200人),1928年(4万9044

人),1931年(2万944人),1933年(1万460人)で あ る。1935年 の 戸 数 7600戸,総 人 口3万1600人(男2万500人,女1万1100人)で あ る12》 。 ドロ ンに住 む 日本 人 は,1935年4月 以 前 は30人 足 らず で あ っ たが,4月 に 特 設 隊 が 到 着 して 百 名 余 に ふ え,5月12日 に 日本 人 居 留 民 会 が 結 成 され た。 会 長 は善 隣 協 会 内 蒙 支 部 長 藤 中弁 輔,副 会 長 安 斎 金 治,顧 問 下 永 憲 次 中佐 ・浅 海 喜 久 雄 機 関 長 で あ った 。 の ち,役 人 ・会 社 駐 在 員 ・芸 妓 が 流 入

し,年 末 に は百 五 十 数 人 に な った13)。

1935年 に 関 東 軍 は華 北 分 離 工 作 ・ 内 蒙 工 作 を積 極 的 に推 進 し,6月10日

に梅 津 ・何 応 欽 協 定 が,27日 に土 肥 原 ・秦 徳 純 協 定 が 締 結 さ れ た 。 関 東 軍

は西 部 内蒙 古 を 「中 国 か ら独 立 」 させ る た め,察 北 の 特 務 機 関 網 を拡 充 し

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た 。 関 東 軍 参 謀 部 「対 内 蒙 施 策 要 領 」(1935年7月25日)14}は,「 親 日満 区 域 の 拡 大 強 化 を 図 り北 支 工 作 進 展 に伴 ひ 内 蒙 を し て 中 央 よ り自立 す る に至 ら しむ」 と述 べ,政 治 ・軍 事 工 作 は 関 東 軍 が 担 当 し,文 化 ・経 済 施 策 は満 州 国 ・満 鉄 ・善 隣 協 会 ・大 蒙 公 司 等 の利 用 を予 定 して い る。 こ う して,ド

ロ ン 県 に 満 州 国 の 諸 機 関 が 進 出 し,赤 峰 塩 務 局 ・承 徳 税 関 ・満 州 郵 政 局 ・ 満 州 電 信 電 話 会 社 ・満 鉄 ・国 際 運 輸 会 社 ・満 州 中 央 銀 行 が 出 張 所 ・支社 等 の 現 地 出 先 機 関 を置 い た15)。

ニ ドロ ン県 の 経 済 復 興 問 題

1933年8月13日 に ドロ ン を奪 還 した 際,李 守 信 軍 の 約 四 千 六 百 人 の 兵 員 が 入 城 した が,ド ロ ン県 の 乏 しい 財 源 で は察 東 警 備 軍 の 軍 費 を十 分 に賄 う こ とが で きな か っ た 。1934年5月,察 東 警 備 軍 は部 隊 を改 編 して 兵 員 数 を三 千 五 百 人 に裁 兵 した 。 察 東 警 備 軍 の 軍 費 は 月 約 五 万 元 で,特 別 収 入 二 万 五 千 元 の ほ か は ドロ ン 県 の税 収 で 賄 っ た16)。 の ち,内 蒙 工 作 が本 格 化 す る 中 で 察 東 警 備 軍 が 増 強 され,1935年7月 以 降,満 州 国軍 政 部 が軍 費 を負 担 した17)。

1934年4月8日,植 山英 武 少 佐 が 第 三 代 ドロ ン 特 務 機 関 長 に就 任 した 。 翌 年4月,関 東 軍 は 現 役 将 校 を隊 長 と して,現 地 除 隊 兵 五 三 名 で 特 設 隊 を 編 成 して ドロ ン に 派 遣 し,や が て 満 州 国 軍 政 部 の 下 永 憲 次 中佐 を責 任 者 と し て顧 問部 が 開 設 され た18)。 従 来,ド ロ ン特 務 機 関 が 政 治 ・ 軍 事 指 導 を担 当 し て い た が,顧 問 部 の 設 置 後,特 務 機 関 は察 東 警 備 軍 の 軍 事 指 導 を顧 問 部 に委 ね て 政 治 指 導 に専 念 した 。8月1日,浅 海 喜 久 雄 少 佐 が 第 四 代 機 関 長 に就 任 した19}。

ドロ ン経 済 を支 配 し て い た の は張 家 口方 面 か ら や っ て 来 た 山西 ・河 北 の

出 身 者 で,と くに 山 西 商 人 が 大 きな 実 力 を保 持 し た 。 旅 蒙 商 は ドロ ン を拠

点 と して 蒙 古 草 原 で 牧 畜 民 に食 糧 ・日用 品 を供 給 し,そ の 見 返 り と して 皮

革 ・羊 毛 ・牲 畜 を外 部 に移 出 した 。 工 業 は皮 革 加 工 ・仏 具 製 造 が 中 心 で あ

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るが,東 西 ラ マ 廟 の 没 落 に よ り仏 具 の 販 路 が 縮 小 し た 。 農 業 は 寒 冷 な 気 候 の た め,小 麦 ・燕 麦 ・蕎 麦 ・馬 鈴 薯 が 耕 作 され た が,お も に 自給 用 で小 規 模 で あ った 。 漢 族 が 人 口 の 多数 を 占 め た が,回 族 が 牛 馬 商 ・牛 羊 肉 店 ・ラ

クダ輸 送 で 勢 力 を もっ て い た2°)。

外 蒙 貿 易 が 盛 ん な 頃,中 国 ・交 通 ・興 業 三 銀 行 が ドロ ン に支 店 を置 い て 金 融 業 務 を営 ん で い た が,1921年 に 中 国 ・交 通 両 銀 行 が支 店 を閉 鎖 し,興 業 銀行 の ドロ ン支 店 は規 模 が 小 さ か っ た の で,ド ロ ン商 会 が 商 票 を発 行 し て 金 融 の 必 要 を 満 た して いた 。 満 州 事 変 後,相 次 ぐ戦 乱 に よ っ て 商 民 は次 々

と張 家 口 ・平 津 方 面 に避 難 し,商 票 は発 行 責 任 者 が 逃 亡 して 流 通 を停 止 し た21)。

の ち,ド ロ ン商 会 の有 志 商 人 に よ っ て臨 時 維 持 会 が 組 織 さ れ た が,1933 年11月 に ドロ ン商 会 を再 建 した。翌 年7月,ド ロ ン特 務 機 関 は 商 会 の 請願 に基 づ い て 満 州 中 央 銀 行 と折衝 し,残 存 す る商 票 を満 州 国 幣 の 一 割 の相 場 で 回収 した 。12月,満 州 中 央 銀 行 は ドロ ン支店 を設 けた 。 これ 以 後,官 公 署 の 出納 に は満 州 国 弊 が 流 通 し,一 般 商 人 の張 家 口方 面 との 取 引 に は現 大 洋 が 流 通 した22)。

ドロ ンの 皮 革 ・羊 毛 は張 家 口 を経 由 し て天 津 か ら国 外 へ輸 送 さ れ た が, 李 守 信 軍 の ドロ ン 占 領 後,張 家 口 との取 引 は一 時 途 絶 した。 ドロ ン は満 州 国 と取 引 が あ っ た が,ド ロ ン と満 州 国 との 間 は険 し い 山岳 地 帯 で,赤 峰 ・ 承 徳 と の交 通 は極 め て 不 便 で あ っ た。 と くに,ド ロ ンか ら囲場 ま で が 難 所

で,満 州 国 国 道 建 設 局 は両 地 間 の国 道 建 設 を開 始 した23)。 ドロ ン特 務 機 関 は,ド ロ ン 県 の 経 済 復 興 計 画 を立 案 す る に あ た っ て,満 州 国 との 経 済 関 係 を 緊 密 に し よ う と した 。

満 州 国 は関 税 面 で ドロ ン県 に各 種 の 特 典 を付 与 した。1933年7月,ド ロ ン県 は承 徳 税 関 と協 定 を結 び,「蒙 古 産 貨 物 に して 多 倫 通 過 証 を有 す る もの に対 して は古 北 口 分 関 そ の輸 出税 を免 除 」 した。 この 措 置 の 恩 恵 を受 け る の は牲 畜 掲 で,こ れ は古 北 口 か ら平 津 方 面 に移 出 す る羊 に課 され る税 で あ

る24》 。

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ドロ ン の北 方 に は ウ ジ ュ ム チ ン草 原 が 広 が り,西 ウ ジ ュ ム チ ン旗 と東 ホ チ ト旗 の境 界 に ダ ブ ス ノ ー ル の 塩 湖 が あ って,牛 車 に よ っ て 張 家 口 ・熱 河 方 面 に青 塩 が輸 送 さ れ て い た 。 熱 河 へ輸 送 す る青 塩 は ドロ ンで 蒙 塩 税 が 徴 収 さ れ,多 額 の税 金 が 徴 収 され て い た25)。1934年7月,察 東 特 別 自 治 区 は 満 州 国赤 峰 塩 務 支 署 と 「多 倫 塩 搬 入 に関 す る仮 協 定 」 を締 結 し て,熱 河 に 移 出 す る蒙 塩 に科 せ られ る塩 税 の一 部 を察 東 特 別 自治 区 行 政 長 官 公 署 に払 い戻 した26)。

相 次 ぐ戦 火 と軍 隊 に よ る略 奪 に よ っ て ドロ ン県 の 商 業 は極 度 に疲 弊 し, 大 商 人 が 張 家 口 ・平 津 方 面 に避 難 した の で,租 税 収 入 に 占 め る営 業 税 の 比 率 は 急 減 し,主 要 財 源 は 対 満 州 国 交 易 の青 塩 に 課 す蒙 塩 税 と牲 畜 掲 で あ っ た 。1934年8月 の察 東 特 別 自治 区 の税 収 総 額(2万5228元)の 内訳 は,田 賦(な し),禁 煙 特 税(3787元),消 費 税(1万9683元),懸 証 税(342元), 所 得 税(1413元)で あ る。 ドロ ン 県 の税 収 総 額(1万1325元)の 内 訳 は, 土 地 家 屋 税(1153元),営 業 税(1904元),営 業 用 物 掲(755元),牲 畜 掲(2946 元),雑 掲(3955元),雑 収 入(561元),司 法 収 入(50元)で あ る 。 自 治 区 の 最 大 の収 入 源 は,消 費 税(お もに蒙 塩 税)と 禁 煙 特 税(阿 片 収 入)で,

ドロ ン県 の 最 大 の収 入 源 は,各 種 税 収 か らな る雑 税 を除 け ば,牲 畜 掲 で あ る27)。

1935年 前 半 年 の 自治 区 ・県 の歳 出 決 算(12万3695元)の 内 訳 は,経 常 部(4万3624元),臨 時 部(7569元),ク ラ ブ支 出(9598元),長 官 府 弁 公 費(6万2902元)で あ る。 ち な み に,ク ラ ブ は公 設 の 賭 場 で,そ の 粗 収 入

は1万3675元 で,純 収 入 は4077元 で あ る28)。

ドロ ン特 務 機 関 は 張 家 口 を中 心 とす る蒙 古 貿 易 ル ー トを,満 州 国 経 由 に

転 換 す る計 画 を立 案 した 。 これ は,大 商 人 を 呼 び 戻 し て ドロ ン 県 の 経 済 を

復 興 させ るた め で あ るが,よ り直 接 的 に は税 収 の 増 大 を期 待 し て い た の で

あ る。1935年 後 半 以 降,関 東 軍 の 内 蒙 工 作 の 方 針 が 急 進 化 し て,軍 事 ・ 政

治 工 作 の比 重 が 強 ま る中 で,ド ロ ン 県 の収 入 で必 要 経 費 を賄 う こ と は で き

ず,結 局 は満 州 国 軍 政 部 お よ び関 東 軍 の 機 密 費 か ら支 出 す る ほ か な か った 。

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三 大 蒙公 司

1933年11月 下 旬 か ら12月 上 旬 に か けて,満 鉄 経 済 調 査 会 の 調 査 員 木 原 林 二 は,ド ロ ン特 務 機 関 の 協 力 を得 て ドロ ン の兵 要 地 誌 調 査 を お こ な っ た 。 そ の 調 査 報 告 書 の 結 論 は,浅 田 少佐 の 報 告 に基 づ い て,商 品 館 の設 立,衛 生 設 備,獣 医 の 派 遣,航 空 路 新 設 お よび 情 義 の 連 携 を提 言 して い る29)。

関 東 軍 参 謀 部 「 対 察 施 策 」(1934年1月)は,「 通 商 公 益 に 関 す る調 査 並 び に之 が 実 施 方 法 は別 途 調 査 研 究 決 定 す る」と述 べ,そ の 実 施 機 関 と して, 東 亜 産 業 協 会 を予 定 し て い る。1月 末 か ら2月 末 に か け て 東 亜 産 業 協 会 チ ャハ ル調 査 団(団 長 和 田勤)は,シ リン ゴ ル 盟 か らチ ャハ ル部 一 帯 を 予 備 調 査 した3°)。5月下 旬 か ら7月 下 旬 にか け て,東 亜 産 業 協 会 チ ャハ ル連 絡 調 査 班 は詳 細 な 現 地 調 査 を実 施 した が,そ の 考 察 結 果 と して,「 吾 々 が 現 状 の ま ま対 蒙 貿 易 に従 事 す る事 は,只 労 多 く して効 無 く… … 諸 経 費 安 き漢 人

との 競 争 は 日本 人 の為 し得 る所 で は な い 」と,消 極 的 結 論 を下 し て い る31)。

関 東 軍 参 謀 部 「 対 内 蒙 施 策 要 領 」(1935年7月)は,「 満 蒙 境 界 附 近 に於 て 若 干 地 点 を選 定 し対 蒙 貿 易 公 司 に依 り蒙 古 出産 物 を収 買 す 其 価 格 は妥 当 に 之 を定 め 当初 に 於 て は若 干 の 損 失 を予 期 す る も収 買 に努 む る」 と述 べ て い る。1935年8月,関 東 軍 第 二 課 は チ ャハ ル 経 済 工 作 機 関 と し て,大 倉 組 の 出 資 に よ り大 蒙 公 司(資 本 金 六 十 万 円)を 設 立 した 。 大 蒙 公 司 は 蒙 古 貿 易 を 目的 と し て,「多 倫 及 阿 巴 夏 二 交 易 所 ヲ設 ケ従 来 張 家 口 及 天 津 ヲ経 テ諸 外 国 二 輸 出 セ ラ レ タ ル 物 産 ヲ極 力 阻 止 ス ル 如 ク 工 作 ヲ進 ム ル 」32)予定 で あ っ た 。 す な わ ち,大 蒙 公 司 は ドロ ン を 中 心 と した 蒙 古 貿 易 の復 興 を 目的 と して お り,会 社 設 立 以 来,奉 天 出 張 所,赤 峰 出 張 所,ド ロ ン出 張 所 を置 い て,察 東 特 別 自 治 区 と満 州 国 との 経 済 的 連 携 の 強 化 を は か っ た 。

11月27日,田 中隆 吉 参 謀 は「 二 十 六 日 ノ会 議 ニ テ察 吟 爾 工 作 ハ 此 際 大 蒙

公 司 ト結 合 シテ 行 フ事 二 決 定 シタ 」 と通 告 した 。 この 頃,徳 王 と一 緒 に新

京 滞 在 中 の 西 ス ニ ト特 務 機 関 長 宍 浦 少佐 は大 蒙 公 司 に対 し,軍 の補 助 機 関

と して,損 失 を顧 み ず 奉 仕 す る よ う要 求 し,内 蒙 古 の 利 権 と引 き換 え に,

(9)

チ ャハ ル の 交 通 機 関 の 掌 握,自 動 車 修 理 工 場 の 建 設,徳 王 へ の 借 款 供 与 を 要 求 した33》 。

大 蒙 公 司 の 事 業 目的 は,蒙 古 貿 易 ル ー トを張 家 口経 由 か ら ドロ ン ・満 州 国 経 由 に転 換 す る こ とに あ っ た が,関 東 軍 の 内 蒙 工 作 の 重 点 が 文 化 ・経 済 工 作 か ら軍 事 謀 略 工 作 へ と移 行 して い くなか で,兵 姑 業 務 の 比 重 が増 大 し

て い った 。 大 蒙 公 司 の初 仕 事 は12月 初 旬 に発 生 し た 察 東事 件 の 際 の 軍 用 食 糧 の 調 達 で あ っ た34》 。

1)劉 映 元 編 『李 守 信 自述 』内 蒙 古 文 史 資 料,第 二 十 輯,1985年,124〜125頁 。 2)浅 田 彌 五 郎 「多 倫 附 近 ノ 情 況 」(満 州 事 変 第 百 六 十 一 情 報 附 録,関 東 軍 参 謀

部,1933年7月17日,17頁)。

3)『 李 守 信 自述 』131〜135頁 。

4)「 多 倫 附 近 ノ 情 況 」(前 掲 書,12〜17頁)。

5)『 日 中戦 争(一)』 現 代 史 資 料8,み す ず 書 房,1964年,447〜448頁 。 6)森 久 男 訳 「徳 王 自伝 」 岩 波 書 店,1994年,91〜92頁 。

7)『 日 中戦 争(一)」449〜464頁 。

8)木 原 林 二 「多 倫 及 郭 家 屯 地 方 農 業 調 査 報 告 」 満 鉄 経 済 調 査 会,1933年,6

〜7頁 。

9)「 多 倫 附 近 ノ情 況 」(前 掲 書,8〜9頁)。

10)韓 精 一 『 多 倫 県 政 概 要 」 多 倫 県 公 署 総 務 科 文 書 股,1935年,序2頁 。 11)同 上 書,総 務1,5頁 。

12)佐 藤 晴 雄 編 『多 倫,貝 子 廟 並 大 板 上 廟 会 事 情 』 鉄 路 総 局,1935年,9〜10 頁 。

13)「 砂 丘 の 都 多 倫 諾 爾 」(『善 隣 協 会 調 査 月 報 」第43号,1935年12月,62〜69 頁)。

14)『 日 中 戦 争(一)』492〜500頁 。 15)「 砂 丘 の 都 多 倫 諾 爾 」(前 掲 誌,44頁)。

16)「 多 倫,貝 子 廟 並 大 板 上 廟 会 事 情 』10頁 。 17)「 日 中 戦 争(一)』497頁 。

18)松 崎 陽 「内 蒙 古 軍 の 成 立 」(「日 本 とモ ン ゴル 』第17巻,第2号,1983年3

(10)

月,8〜9頁 。

19)松 井 忠 雄 『内 蒙 三 国 志 』 原 書 房,1966年,18〜19頁 。 20)『 多 倫,貝 子 廟 並 大 板 上 廟 会 事 情 」63〜66頁 。 21)22)同 上 書,29〜30頁 。

23)同 上 書,66〜67頁 。

24)「 多 倫,貝 子 廟 並 大 板 上 廟 会 事 情 」34頁 。 25)「 多 倫 及 郭 家 屯 地 方 農 業 調 査 報 告J49〜50頁 。 26)『 多 倫,貝 子 廟 並 大 板 上 廟 会 事 情 』32〜34頁 。 27)同 上 書,61〜62頁 。

28)『 多 倫 県 政 概 要 』 総 務4頁 。

29)『 多 倫 及 郭 家 屯 地 方 農 業 調 査 』81〜82頁 。

30)飯 塚 秀 編 『察 晧 爾 事 情 調 査 報 告 書 』 東 亜 産 業 協 会,1934年 。 31)飯 塚 秀 編 『察 吟 爾 蒙 古 の近 情J東 亜 産 業 協 会,1934年,115頁 。 32)関 東 軍 参 謀 長 「大 蒙 公 司 設 立 ノ件 通 牒 」1935年8月20日 。

33)池 田 龍 雄 「川 口 市 之 助 宛 書 簡 」 大 蒙 公 司 奉 天 出 張 所,1935年11月29日 。 34)川 口 市 之 助 「察 東 軍 食 料 品 調 達 ノ件 」大 蒙 公 司 多 倫 出 張 所,1935年12月12

日 。

II蒙 古軍政府 の専売事業

一 蒙 古 軍 政 府(チ ャハ ル盟 公 署)の 成 立

1935年6月27日,土 肥 原 ・ 秦 徳 純 協 定 が 締 結 され,宋 哲 元 軍 の 外 長 城 線

か らの移 駐 が 決 定 し,8月5日 に張 家 口 で 松 井 ・張 允 栄 協 定 が 調 印 され,

中 国 保 安 隊 と蒙 古 保 安 隊 が 共 同 で 察 北 の 治 安 維 持 に 当 た る こ と と な っ

た1)。同協 定 の保 安 隊 条 項 の履 行 を 口 実 と して,関 東 軍 は 「 察 東 事 件 」を 引

き起 こ した。12月7日,察 東 警 備 軍 は 作戦 を開 始 し,12日 まで に宝 昌 ・ 沽

源 を 占領 した。12月18日,翼 察 政 務 委 員会 が 成 立 す るや,土 肥 原 少 将 は察

北 六 県 に蒙 古 保 安 隊 を入 れ る よ う中 国 側 に 要 求 し,秦 徳 純 との 間 で 交 渉 が

妥 結 した の で,蒙 古 保 安 隊 の察 北 六 県 へ の 進 駐 を命 令 し,察 東 警 備 軍 は31

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日 まで に 察 北 六 県 を接 収 した2)。

1935年 末 に察 東 警 備 軍 が 察 北 六 県 へ 進 駐 す る や,関 東 軍 は徳 王 ・ 李 守 信 ・ チ ョ トバ ジ ャ ブ の 三 者 を結 合 し て独 立 政 権 を樹 立 す る構 想 を実 行 に移 し, その 最 初 の ス テ ッ プ と して,チ ャハ ル 盟 公 署 の 設 立 を急 い で,張 北 特 務 機 関(機 関 長 田 中 久 中 佐)が 新 設 され た 。1936年1月22日,張 北 で チ ャハ ル 盟 公 署(盟 長 チ ョ トバ ジ ャブ)が 成 立 した3》 。 チ ャハ ル 盟 公 署 の 管轄 区 域 は, 漢 族 居 住 地 域 が ドロ ン ・宝 源(宝 昌 と沽 源 を合 併)・ 崇 禮 ・張 北 ・商 都 ・康 保 ・尚 義 ・徳 化 の 八 県,蒙 古 族 居 住 地 域 が正 藍 旗 ・正 白旗 ・庸 白旗 ・廟 黄 旗 ・明 安 牧 群 ・商 都 牧 群 ・左 翼 牧 群 ・右 翼 牧 群 で,盟 公 署 の財 政 基 盤 は漢 人 地 帯 に あ った 。

チ ャハ ル 盟 公 署 の 成 立 時,察 東 に は近 代 的 経 済 組 織 が 欠 如 して お り,満 州 国 の政 府 機 関 ・民 間 団体 が そ の 不 足 を補 った 。 行 政 機 構 を内面 指 導 し, 実 務 を担 当 した 日系 顧 問 も満 州 国 の 旧 官 吏 ・旧 警 察 官,関 東軍 の退 役 軍 人 等 が 多 数 を 占 め た 。 チ ャハ ル 盟 公署 は成 立 した が,一 地 方政 権 に す ぎな い の で,所 属 の 旗 ・県 を管 轄 す る に止 ま り,他 盟 に 命 令 を下 して軍 隊 を拡 充 で き な か っ た。

関 東 軍 参 謀 部 「 対 蒙(西 北)施 策 要 領 」(1936年1月14)は,施 策 の 重 点 を 「内 蒙 古 軍 政 府 」 の整 備 に置 き,弱 体 な組 織 を 補 うた め に民 間 機 関(満 州 国諸 機 関 ・満 鉄 ・善 隣協 会 ・大 蒙 公 司 等)の 協 力 を予 定 し,武 器 ・弾 薬

は極 力 関 東 軍 か ら無 償 で 交 付 し,必 要 な財 源 は軍 政 府 管 内(と くにチ ャハ ル 盟)の 収 入,満 州 国軍 政 部 の 支 出 を充 当 し,不 足 分 は 関 東 軍 が 負 担 す る

こ とに し て い る 。

2月10日,徳 王 は 各 盟 旗 の統 一 指 揮 機 構 を設 立 す る た め,西 スニ ト王 府

で蒙 古 軍 総 司 令 部 の 設 立 大 会 を開 催 した。 徳 王 は 蒙 古 軍 総 司 令 部 総 司令 に

就 任 した が,李 守 信 軍 を指 揮 下 に置 く こ とは で き ず,み ず か ら指 揮 で き る

軍 事 力 は蒙 政 会 保 安 隊 の み で,軍 事 力 が 決 定 的 に不 足 した。 蒙 古軍 総 司 令

部 の 設 立 後,兵 士 の 募 集 と軍 隊 の拡 大 が お もな 仕 事 とな っ た が,シ リン ゴ

ル 盟 ・チ ャハ ル 盟 各 旗 は兵 士 の 募 集 に協 力 しな い の で,満 州 国 の東 部 内 蒙

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古 で兵 員 を募 集 した5)。

蒙 古 軍 総 司 令 部 は徳 王 と特 務 機 関 が設 立 した もの で,シ リ ン ゴル 盟 を含 む各 盟 旗 か ら相 手 に され な か った の で,有 名 無 実 の 存 在 で あ った 。 徳 王 は 蒙 古 大 会 を開 催 し て 各 盟 旗 を団 結 させ,全 体 の 力 で 関 東 軍 に対 処 す る こ と に した。4月24日,第 一 回 蒙 古 大 会 が 開 催 さ れ た 。 大 会 は,徳 化(旧 名 化 徳)に 蒙 古 軍 政 府 を設 立 す る こ とを決 定 し,蒙 古 建 国 案,蒙 古 軍 政 府 組 織 案,兵 士 の 募 集 ・訓 練 案,経 済 統 制 案,借 款 案,満 州 国 との相 互 援 助 協 定 案 等 の議 案 を採 択 した6}。

1936年5月12日,徳 化 で 蒙 古 軍 政 府 の 成 立 式 典 が 開 催 され た 。蒙 古 軍 政 府 の首 脳 人 事 は,主 席 が 雲 王,副 主 席 が 沙 王 ・索 王 で,徳 王 は総 裁 に就 任 して軍 政 府 の 実 権 を 掌 握 した 。軍 政 府 の 組 織 は総 裁 の下 に 弁 公 庁 ・ 参 議 部 ・ 参 謀 部 を設 け,さ ら に軍 事 署 ・財 政 署 ・内務 署 ・実 業 署 ・教 育 署 ・交 通 署 ・ 司 法 署 ・外 交 署 を 設 置 した 。 顧 問 部 は総 数 二 十 二 名 で,各 部 署 に 配 置 され た 日系 顧 問 が 実 権 を握 った 。 政 治 指 導 の 面 で は,徳 化 特 務 機 関 長 田 中 久 中 佐 が 軍 政 府 最 高 顧 問 と し て軍 政 府 を内 面 指 導 した η。

蒙 古 軍 は二 個 軍 か ら な り,第 一 軍 は李 守 信 を軍 長 と して,第 一 師 〜 第 四 師 ・直 属 砲 兵 隊 を 指 揮 し,第 二 軍 は徳 王 を軍 長 と して,第 五 師 〜 第 八 師 ・ 警 衛 師(の ち 第 九 師)・ 砲 兵 団 ・憲 兵 隊 を指 揮 した 。 徳 王 は軍 政 府 総 裁 と蒙 古 軍 総 司 令 を兼 任 し,李 守 信 が 副総 司 令 に,鳥 古 廷 が 参 謀 長 に就 任 した 。 蒙 古軍 二 個 軍 の 編 成 が 完 了 す る や,八 月 に板 垣 参 謀 長 が 閲 兵 の た め徳 化 に 飛 来 した8》 。

蒙 古 軍 政 府 の 組 織 後,蒙 古 軍 編 成 の た め に軍 事 支 出 が 増 大 した が,軍 政 府 に は 独 自 の財 源 が な く,必 要 経 費 は チ ャハ ル 盟 公 署 の 収 入 に依 存 した。

大 蒙 公 司 は蒙 古 軍 政 府 の財 政 基 盤 を確 立 す るた め,チ ャハ ル の 主 要 産 業 の

統 制(阿 片 ・ 蒙 塩 ・ 亜 麻 仁)と 税 収 事 務 を代 行 す る と と も に,関 東 軍 の チ ャ

ハ ル工 作,緩 遠 工 作 の進 展 に伴 っ て,軍 政 府 の 兵 姑 業 務 を担 当 し,張 北 自

動 車 修 理 工 場 ・張 北 軍 用 製 粉 工 場 の 開 設,泰 平 組 合 を通 じた 兵 器 供 給,軍

用 物 資 の調 達 ・輸 送 等 の業 務 を実 施 した9》 。

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蒙 古 軍 政 府 の 支 配 地 域 は,名 目 的 に は チ ャ ハ ル 盟 ・シ リン ゴ ル 盟 ・ウ ラ ン チ ャ ブ盟 ・イ ク ジ ョウ盟 を含 むが,実 際 の 支 配 地 域 は チ ャハ ル 盟 の み で, 他 盟 に は軍 政 府 と して の 行 政 は 及 ば なか っ た 。 チ ャハ ル 部 は改 盟 され て盟 公 署 が 各 県 を統 括 した 。 日 系顧 問 は軍 政 府 とチ ャ ハ ル 盟 に配 置 され た だ け で,他 盟 に は置 か れ な か っ た 。 蒙 古 軍 政 府 は 中 央 政 府 と して の体 裁 を整 え た もの の,財 政 的 に は チ ャハ ル 盟 か らの上 納 金 に 依 存 し,蒙 古 国 建 設 とい

う壮 大 な将 来 構 想 は あ っ て も,実 際 に は あ ま りす る こ とが な か っ た。

二 軍政府 の財政難 と緩遠進 出計画

1936年 に 入 るや,内 蒙 工 作 は関 東 軍 参 謀 部 第 二 課 の み の 謀 略 とい う性 格 が 強 ま り,蒙 古 軍 政 府 の 樹 立 に あ た っ て,特 務 機 関 は 政 務 工 作 を 主 要 な任 務 と して い た が,後 方 支 援 部 門 が 弱 体 で あ った の で,満 鉄 ・ 満 州 中 央 銀 行 ・ 満 州 電 電 ・満 州 航 空 ・大 蒙 公 司 等 の協 力 を得 た 。 大 蒙 公 司 の 親 会 社 で あ る 合 名 会 社 大 倉 組 は 中 国 大 陸 で の広 範 な投 資 活 動 を お こ な っ て き た が,大 半 の 投 資 先 が 赤 字 企 業 で,自 由 に な る投 資 資 金 は 乏 しか っ た 。 特 務 機 関 は大 蒙 公 司 に対 して,国 策 の た め の犠 牲 的 出 資 を要 請 し,そ の 見 返 り と して 蒙 古 貿 易 の独 占権 を約 束 した が,同 公 司 は 資 金 難 か らそ の 期 待 に十 分 応 え る こ とは で きな か っ た 。

2月 に蒙 古 軍 総 司 令 部 が 西 ス ニ ト旗 で 成 立 した が,周 囲 は一 面 の 遊 牧 地 帯 で,財 源 と な る もの が 何 もな か っ た 。 総 司 令 部 が 受 領 した 経 費(1935年 12月 〜1936年4月)6万9500元 は,す べ て 西 ス ニ ト特 務 機 関 か ら支 給 さ れ た1°}。 蒙 古 軍 政 府 政 費(1936年5月 〜8月)25万9033元 は,西 ス ニ ト特 務 機 関 か ら満 州 中 央 銀 行 張 北 出 張所 の総 司 令 部 の 口座 に振 り込 ま れ た11)。

蒙 古 軍 政 府 は関 東 軍 第 二 課 の謀 略 の産 物 で あ り,正 規 の 経 費 支 出 が 認 め ら れ な い の で,関 東 軍 機 密 費 ・満 州 国軍 政 部 か ら一 部 費 用 を充 当 した が,蒙 古 軍 拡 充 の 経 費 は 大 幅 に不 足 した。

蒙 古 軍 政 府 は 中央 政 府 の体 裁 を取 っ て い るが,シ リン ゴ ル 盟 を 含 む各 盟

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旗 は軍 政 府 を相 手 に せ ず,実 際 に管 轄 権 が 及 ぶ の は チ ャハ ル盟 の み で,し か も漢 族 が 居 住 す る 農 業 地 域 が 主 要 財 源 で あ っ た。 軍 政 府 は財 源 確 保 の た め,阿 片 ・蒙 塩 ・亜 麻 仁 の統 制 に よ る税 収 増 大 を期 待 した が,旧 来 の 流 通 ル ー トは漢 族 商 人 が 掌 握 して お り,彼 らの抵 抗 に よ って 統 制 を 円 滑 に 実 施 す る の は困 難 で あ っ た 。

そ こで,田 中 隆 吉 参 謀 と徳 王 は肥 沃 な穀 倉 地 帯 で あ る チ ャハ ル 右 翼 四 旗, お よ び西 北 阿 片 の 通 行 税 に着 目 し,繧 東 地 区 へ の 進 出 を計 画 した 。 田 中 参 謀 は蒙 古 軍 の兵 力 を 温 存 しな が ら,繧 東 へ の武 力 進 出 を容 易 に す るた め, 繧 西 の豪 族 出 身 の 王 英 に漢 族 謀 略 部 隊 を組 織 させ た。 謀 略 部 隊 を組 織 す る た め に は,さ ら に軍 事 支 出 が増 大 す るが,蒙 古軍 管 内 に は財 源 が存 在 しな か った 。 そ こ で,田 中 参 謀 は謀 略 部 隊 の 経 費 を賄 うた め に翼 東 密 貿 易 収 入 の 一 部 を使 用 し,必 要 な武 器 は 東北 軍 か ら接 収 した もの を流 用 した12)。

繧 遠 事 件 の 際,満 州 航 空 臨 時 独 立 飛 行 隊,関 東 軍 の暗 号 解 読 班 ・自動 車 修 理 班 が 到 着 し,満 州 電 々 の 通 信 施 設,満 鉄 の 自動 車 百 五 十 両 が 徴 用 され た。 兵 姑 を担 当 し た の は大 蒙 公 司 で,軍 用 小 麦 粉 の 運 搬,石 炭 の 運 搬 ・蓄 積 を担 当 した ほ か,同 公 司 の 張 北 自動 車 修 理 工 場 が 車 両 の整 備 を引 き受 け た13)。

繧 遠 事 件 の 失 敗 後,陸 軍 中 央 部 は関 東軍 の 内 蒙 工 作 へ の統 制 を強 化 し, 1937年1月25日 に 「内 蒙軍 整 備 要 綱 案 」14)を決 定 し,「 内蒙 の 防 衛 並 治 安 確 保 蛙 に 日蘇 戦 争 の 場 合 に処 す る謀 略 部 隊 の 基 幹 た ら し む る為 帝 国 軍 指 導 の 下 に 特 に 団 結 輩 個 な る内 蒙軍 を整 備 す」 と述 べ,今 年 限 り と して 中 央 部 よ り百 二 十 万 円 を 補 助 す る ほ か,来 年 以 降 の経 常 費 と して 三 百 五 十 万 円 の 経 費 支 出 を認 め て い る。 従 来,関 東 軍 の秘 密 謀 略 工 作 の 一 環 と して 設 立 さ れ た 蒙 古 軍 政 府 は,こ こに陸 軍 中央 部 か ら正 規 に 経 費 支 出 が 認 め られ た 公 認 の 存 在 とな った の で あ る。

第1表 は,1937年 甲 乙年 度 の 蒙 古 軍 政 府 歳 入 の 内訳 で あ る。 甲年 度 の 県

市 の 租 税 収 入(実 績)は 総 額112万2800元 で,主 要 財 源 の 構 成 比 を 見 れ ば,

牙 税15.6%,阿 片 税14.7%,蒙 塩 税12.7%,統 税11.9%,田 賦11.0%,

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牲 畜 屠 宰 税9.1%で あ る。 乙 年 度 の租 税 収 入(予 算)は 総 額128万2361元 で,主 要 財 源 の構 成 比 を 見 れ ば,阿 片 税21.4%,田 賦17.9%,牙 税16.0%, 統 税13.0%,牲 畜 屠 宰 税6.5%,蒙 塩 税2.4%で あ る。軍 政 府 は阿 片 収 入 ・ 蒙 塩 税 収 入 の増 大 を期 待 した が,実 際 に は 国 民 政 府 時 代 の 主 要 財 源 に頼 る ほ か な か っ た。

1937年 乙 年 度 の 蒙 古 軍 政 府 歳 出 予 算 は総 額151万4258元 で,そ の 内 訳 は経 常 部64万1379元,臨 時 部15万887元,察 盟 及 各 県公 署 費72万1991 元 で あ る。す な わ ち,軍 政 府 関 係 予 算52.3%,チ ャハ ル 盟 公 署 関 係 予 算47.

7%で,軍 政 府 予 算 が チ ャハ ル盟 の 財 政 収 入 に寄 生 して い る情 況 が 如 実 に読 み とれ る。 臨 時 部 予 算 の 主 要 な使 途 は政 府 建 物 の建 築 費 で あ るが,要 求 額 11万750元 に対 して,査 定 額 は7万9200元 に減 額 され て い る15)。

3月30日,チ ャハ ル 盟 盟 長 チ ョ トバ ジ ャ ブ は視 察 と見 学 を 目的 と して 訪 日旅 行 に 出 発 し,大 蒙 公 司 は この 旅 費 支 出 を求 め られ た16)。 張 北 出 張 所 か ら の 報 告 を受 け た大 倉 組 支 那 部 は,「軍 方 面 ノ… … 支 出 又 ハ 施 設 ガ 凡 テ 大 蒙 二 転 嫁 サ レ益 々 自立 困 難 ノ状 態 二 陥 ル コ ト」を懸 念 し て,「 事 後 承 諾 又 ハ 追 認 ノ例 ヲ作 ル コ トハ 此 後 絶 対 ニ ナ キ様 希 望 ス」 と い う 重 役 席 の 意 見 を 示 し た17)。

4月14日,大 蒙 公 司 奉 天 出 張 所 の 池 田 龍 雄 は,新 京 の 関 東 軍 司 令 部 で 田 中 参 謀 と会 見 した 際,東 条 参 謀 長 の意 向 と して,関 東 軍 の 北 方 工 作 に莫 大 な費 用 が 必 要 な の で,徳 化 の 特 務 機 関 ・顧 問 官 舎 は 大 蒙 公 司 が 建 設 す る こ と と し,そ の見 返 り と して,一 割 五 分 の 利 回 りに相 当 す る家 賃 を 支 払 う と い う条 件 を提 示 され た18)。 大 倉 組 支 那 部 は,こ の 要 求 を辞 退 す る よ う何 度 も 現 地 に 指 示 した が,関 東 軍 参 謀 大 橋 熊 雄 中 佐 の 強 い 要 求 に 抵 抗 で きず,6 月23日 に 十 万 円 の 資 金 を確 保 した 旨 を打 電 した19》 。

緩 遠 事 件 の失 敗 後,蒙 古 軍 政 府 は察 北 に 閉 塞 し,将 来 の 展 望 は暗 か っ た 。

と くに 軍 政 府 管 内 に有 力 な 財 源 を もた ず,チ ャハ ル 盟 公 署 の 財 源 に 寄 生 す

る状 態 で は,財 政 難 を解 消 で き なか っ た 。 特 務 機 関 は大 蒙 公 司 を 「 金 の成

る木 」 とみ な し,犠 牲 的 出 資 を要 請 した が,親 会 社 の大 倉 組 の 資 金 調 達 力

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第1表1937年 甲乙 年度蒙 古 軍政 府歳 入

(単位:元)

甲年度実績 乙年度 予 算 一 県市収 入 1,246,476 1,330,621

租税収入 1,122,800 1,282,361

田 賦 123,378 230,036

契 税 2,933 6,946

統 税 133,671 166,249

於 酒 税 58,461 58,093 印 花 税 14,830 15,158 蒙 塩 税 142,925 30,081

牙 税 175,119 205,316

営 業 税 47,623 45,691

牲畜屠宰税 101,773 83,173

斗 掲 61,271 66,567

車 牌 掲 33,390 29,961 阿 片 税 165,066 274,000

煤炭鉱業税 407

胡麻専売税 4,581

護 路 費 8,061 4,500

雑 税 54,291 61,600

税外収入 123,676 48,259

二 官 牧場 収 入 18,900

三 盟 公署 収 入 ... 9,760

四 盟立病院収入 1,387 6,000

五 雑 収 入 2,286

出 所:「 成 紀 七三 二 年 乙 年度 一 般会 計 歳 入 出 予算 書 」 蒙古 軍 政府 財 政 署,1937年8月14日 。

は小 さ く,こ の 要 請 に応 え る こ とは で き な か っ た 。 この よ うな 閉 塞 情 況 を

一 気 に吹 き飛 ば した の は ,盧 溝 橋 事 件 の 勃 発 で あ る。

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三 専 売事 業

1阿 片統 制

1935年12月12日,ド ロ ン特 務 機 関 は,大 蒙 公 司 ドロ ン出張 所(代 表 川 口市 之 助)に 察 東 警 備 軍 の た め の 食 糧 調 達 を命 じ た。 同 月 末,田 中 参 謀 は 察 北 各 県 接 収 の た め に ドロ ン に 集 結 した 日系 参 事 官 を前 に して,「察 省 ノ経 済 工 作 ハ 凡 テ大 蒙 公 司 ニ ヤ ラ セ ル 故 其 積 ニ テ居 ル 事 特 二阿 片 ノ収 買 ハ 重 大 問 題 ニ シ テ大 蒙 公 司 ハ 之 ヲ独 占 経 営 ス ル 事 」 と通 告 した2°)。

西 部 内 蒙 古 に地 方 政 権 を樹 立 し よ う とい う関 東 軍 参 謀 部 の 方 針 は陸 軍 中 央 部 の 同 意 が得 られ ず,田 中参 謀 は 察 北 で 阿 片 を栽 培 して財 源 を確 保 し よ う と し た。1936年2月26日,板 垣 征 四 郎 参 謀 長 は 張 北 機 関 長 へ の 命 令 の な か で,阿 片 の収 買 に関 して は,チ ャハ ル 盟 九 県 の 農 家 に栽 培 させ,政 府 は 農 家 よ り植 付 面 積 に応 じて栽 培 税 を 徴 収 し,そ の 採 集 阿 片 を大 蒙 公 司 が 買 収 し て販 売 す る,と 指 示 して い る21》 。

徳 化 特 務 機 関 長 田 中久 中佐 は大 蒙 公 司 に反 感 を抱 き,チ ャハ ル 盟 の西 崎 主 席 顧 問 を通 じ て,満 州 国 専 売 局 の 代 行 機 関 大 満 号 が よ り低 価 格 で 阿 片 を 買 収 で き る と関 東 軍 に上 申 した 結 果,大 満 号 が 阿 片 専 売 を請 け負 っ た 。8 月,蒙 古 軍 閲 兵 の た め に徳 化 へ 飛 来 した 板 垣 参 謀 長 一 行 は,緩 東 進 出 の 作 戦 会 議 を開 いた 。 田 中 久 中 佐 は この 作 戦 に反 対 し た た め,9月 初 旬 に新 京 軍 事 顧 問 部 へ 異 動 させ られ,田 中 参 謀 が 現 職 の ま ま機 関 長 を兼 任 した 。 西 崎 主 席 顧 問 も同 時 に更 迭 され,大 蒙 公 司 に理 解 が あ る安 斎 金 治 が 新 主 席 顧 問 に 就 任 した22)。

田 中 参 謀 は耕 地 面 積 に単 収 を掛 けた だ けで安 心 し て い たが,察 北 各 県 で は これ ま で阿 片 を栽 培 して お らず,収 穫 高 は 未 知 数 で あ っ た。1936年 度 の 大 満 号 の 阿 片 収 買成 績 は予 想 収 穫 高 の 一 割 に 達 せ ず,失 敗 した。 安 斎 主 席 顧 問 は大 満 号 との 契 約 を破 棄 し,1937年 度 の 阿 片 専 売 は大 蒙 公 司 に任 せ る 意 向 を示 した23)。

1937年4月13日,関 東 軍 参 謀 大 橋 熊 雄 中 佐 は,阿 片 の件 を大 蒙 公 司 に内

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命 した と通 告 し,阿 片 買 収 資 金五 十 万 円 を用 意 す る よ う要 求 した 。 これ は 徳 化 の 官 舎 建 設 の交 換 条 件 で あ っ た24)。この 五 十 万 円 に は大 倉 組 の 支 払 保 証 を求 め られ た が,こ の よ うな資 金 を捻 出 す る余 裕 が な い の で,21日 に大 倉 組 支 那 部 は重 役 席 の意 見 と して,現 地 出 張 所 に阿 片 専 売 を辞 退 せ よ と打 電 した25,。

阿 片 専 売 を辞 退 す れ ば,関 東 軍 参 謀 部 ・特 務 機 関 との 関 係 が 険 悪 に な る た め,川 口 は 必死 で 大 倉 組 の 出 資 を訴 えた 。6月27日,阿 片 収 買 の時 期 が 近 づ い た の で,チ ャハ ル 盟 公 署 で 阿 片 会 議 が 開催 さ れ,大 蒙 公 司 は各 県 指 定 収 買 人 の 一 員 と し て取 り扱 わ せ る とい う方針 が 提 案 され た 。 大 蒙 公 司 は 明確 な対 応 方 針 を提 起 で き ず,苦 慮 して い た26》 。しか し,盧 溝 橋 事 件 の勃 発 に よ って,す べ て の 問 題 は雲 散 霧 消 した。

2塩 務 統 制

1936年2月23日,大 蒙 公 司 は 「 察 吟 爾 塩 務 統 制 私 見 」27)を 関 東 軍 へ 提 出 して,ダ ブ ス ノ ー ル の 産 塩 統 制 と課 税 は 軍 政 府 収 入 の増 加 に寄 与 す るの で, 当初 大 蒙 公 司 が 軍 政 府 か ら塩 務 統 制 の 委 任 を受 け,後 日政 府 の 直 営 に移 す こ と を建 議 した 。3月5日,関 東 軍 参 謀 部 第 二 課 は,「 察 吟 爾 産 塩 統 制 二 関 ス ル件 」28)を 大 蒙 公 司 に 内 示 し,塩 務 統 制 を実 施 し,塩 湖 の 管 理 統 制 は他 日 同政 府 の直 営 に変 更 す る こ とを 条 件 と して,暫 定 的 に大 蒙 公 司 が 管 理 に 当 た る よ う指 示 した 。

塩 務 統 制 の 現 地 調 査(4月 末 〜8月)の 結 果,原 産 地 の 西 ウ ジ ュム チ ン は な お軍 政 府 の威 令 に服 さず,中 国 方 面 へ の 蒙 塩 の 統 制 に は 張 家 口 の 塩 商 の賛 否 が錯 綜 し,経 験 が な い大 蒙 公 司 が 単 独 で 全 責 任 を負 うの は困 難 とい う見 通 しを得 た 。 そ こで,大 蒙 公 司 は以 下 の 計 画 を立 案 した 。 第 一,ウ ォ ル トタ ー ラ ー に 収 買 地 点 を設 け,塩 商 を網 羅 した 運 通 公 司 を組 織 し,原 産 地 の蒙 塩 を収 買 地 点 に運 び,運 通 公 司 を通 じて華 北 市 場 で 売 り捌 く。第 二, 税 収 の実 務 を大 蒙 公 司 が代 行 す る。 第 三,大 蒙 は ほ とん ど 自 己 資 本 を投 ず

る こ とな く,手 数 料 の み を入 手 す る29)。

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塩 務 統 制 は田 中 久 中 佐 の 指 揮 下 に入 った が,「同 中佐 ハ 本 年 一 月 張 北 二着 任 以 来 事 毎 二 当公 司 ヲ 白 眼 視 シ此 蒙 塩 ノ件 二 関 シ テ モ 之 ヲ快 シ トセ ザ ル ノ 風 ア リ」 と い う状 態 で あ っ た。 しか し,田 中久 中 佐 の 更 迭 後,塩 務 統 制 は 進 捗 した3°)。8月30日,大 蒙 公 司 は 「 蒙 塩 ノ ー 手 取 扱 二 関 スル 件 」31)を徳 化 機 関 長 に提 出 し,3月5日 の 内 命 を修 正 し,現 地 統 制 を放 棄 し て,流 通 過 程 の み の 間 接 統 制 とす る よ う要 求 した 。10月18日,大 蒙 公 司 は「 蒙 塩 専 売 実施 要 領 」32)を盟 公 署 へ 提 出 した 。11月,ウ ォ ル トタ ー ラ ー に蒙 塩 収 買 所 が 開 設 さ れ た が,1936年 度 は時 期 を失 して,充 分 な 成 果 を挙 げ る こ とが で きず,塩 商 は張 家 口 向 け蒙 塩 輸 出 に対 して 反 対 の 気 勢 を示 し,大 蒙 公 司

は そ の融 和 に苦 慮 した 。

1937年 に入 る や,チ ャハ ル 盟公 署 は 「 塩 税 ヲ 支 那 ノ 旧 税 二従 ヒ包税 」 と し,大 蒙 公 司 が 納 税 を請 け負 う方針 を指 示 した 。 大 蒙 公 司 は運 通 公 司 を通 じて 蒙塩 を買 収 し,張 家 口方 面 で 売 り捌 く計 画 を 立 案 した が,関 東 軍 の緩 遠 工 作 の 失 敗 は 中 国 人 塩 商 の チ ャハ ル 盟 の 将 来 に 対 す る 杞 憂 の念 を呼 び起 こ した33)。 大 蒙 公 司 は3月 に 大 倉組 支 那 部 か ら三 万 円 の 送 金 を 得 て,蒙 塩 の 買収 準 備 を開 始 し た34)。

6月,蒙 古 軍 政 府 の 財 源 強 化 を はか る徳 王 は,塩 務 統 制 を軍 政 府 の 直 営 に し よ う と計 画 し,ト ラ ック を備 えた 専 売 班 を徳 化 か ら蒙 塩 の 収 買 地 点 へ 派 遣 し た の で,大 蒙 公 司 は 困 難 な 立 場 に陥 っ た。 徳 化 特 務 機 関 に よ る徳 王 の 説 得 は う ま くい か ず,関 東 軍 に よ る根 本 方 針 の 確 立 以 外 に解 決 の 方 法 が な か っ た35)。の ち,田 中 参 謀 ・ 桑 原 張 北 機 関長 が 斡 旋 した 結 果,大 蒙 公 司 と 蒙 古 軍 政 府 の 間 で 妥 協 が 成 立 し,察 北 ・張 家 口 の 塩 商 と大 蒙 公 司 が 設 立 し た 組 合 が軍 政 府 専 売 所 か ら蒙 塩 を買 い受 け る条 件 で 合 意 し た36)。

3亜 麻 仁 統 制

亜 麻 仁(胡 麻)は チ ャハ ル の 特 産 物(チ ャハ ル 盟 各 県 五 十 万 坦,緩 遠 東

部 十 万 坦)で,京 包 線 に沿 っ た 平 地 泉,豊 鎮,張 家 口か ら積 み 出 され,毎

年 六 十 万 坦 が 天 津 か ら輸 出 され て い た 。輸 出 先 は 英 仏 等 の 欧 州 各 国 ・日本 ・

(20)

ア メ リカ で,チ ャハ ル 盟 の 亜麻 仁 を支 配 す れ ば,東 洋 の 亜 麻 仁 市場 を支 配 で きた 。 亜 麻 仁 の 取 引 を張 北 経 由 の み とす れ ば,盟 収 入 は増 加 す る はず で あ っ た37)。

1936年8月30日,大 蒙 公 司 は 「 胡麻 専 売 に 関 す る件 」38)を 特 務 機 関 長 に 提 出 し,以 下 の提 案 を した。 第 一,大 蒙 公 司 を亜 麻 仁 専 売 の 実 行 機 関 と し て,盟 政 府 に 税 金 を 納 付 す る。 第 二,大 蒙 公 司 は亜 麻 仁 の 買 収 価 格 を決 定 し,各 市 県 に 収 買 所 を開 設 して,従 来 の 糧 桟 は収 買 機 関 と して 利 用 す る。

第 三,亜 麻 仁 は す べ て 張 北 経 由 で輸 送 し,商 都 方 面 か ら平 地 泉 方 面 へ の輸 出 を禁 止 す る 。

1936年10月24日,大 蒙 公 司 は 「 胡 麻 専 売 弁 法 大 綱 」39)をチ ャハ ル 盟 公 署 へ 提 出 し,以 下 の 建 議 を お こな っ た。 第 一,チ ャハ ル 盟 管 内 の 亜 麻 仁 は 専 売 制 度 を実 施 し,政 府 指 定 の商 人 が専 弁 す る 。 第 二,大 蒙 公 司 を指 定 商 人 と して,各 産 地 に収 買 機 関 を設 置 し,現 有 の糧 桟 は収 買 の 補 助 機 関 と し て利 用 す る。収 買 に あ た っ て,従 来 の商 習 慣 を尊 重 す る が,糧 桟 の 手 数 料, 生 産 者 の 負 担 は 適 宜 軽 減 す る。 第 三,大 蒙 公 司 は収 買 数 量 に応 じて,毎 月 納 税 す る。

1937年1月,チ ャ ハ ル 盟 公 署 は 「 胡 麻 専 売 暫 行 弁 法 」4°)を 発 令 し,第 二 条 で,「 本 盟 二 産 出 ス ル 胡 麻 ハ 本 盟 ノ専 売 トナ ス 」と定 め て い る。 そ れ と同 時 に公 布 さ れ た 「 胡 麻 収 買 人 規 則 」は,「 農 民 ハ 本 弁 法 施 行 後 ハ所 産 ノ胡 麻 ヲー 律 二 盟 長 指 定 ノ 収 買 人 タ ル 大 蒙 公 司 及 其 ノ 各 地 収 買 処 二 販 売 ス可 シ 」 と定 め て い る。

大 蒙 公 司 は チ ャハ ル 盟 公 署 か ら亜麻 仁 の 独 占 的 収 買権 を認 め られ た が, 1936年 度 の 収 買 実 績 を見 れ ば,弁 法 の 発 令 が遅 れ た た め,盟 内 産 亜 麻 仁 の 大 部 分 はす で に華 北 に輸 出 さ れ,商 都 方 面 で 多 少 の 残 貨 を収 買 し えた の み で あ っ た 。 この よ う な 不 成 績 を前 に して,1937年 度 の大 蒙 公 司 の 事 業 見 通

しに よれ ば,亜 麻 仁 専 売 は利 益 に な らな い と判 断 され た41)。

(21)

1)『 日 中 戦 争(一)』597頁 。

2)察 東 事 件 の 経 緯 に っ い て は,『 内 蒙 三 国 志 』第 二 部 「察 東 事 変 」,『李 守 信 自 述 』 第 八 章 「(四)察 北 六 県 を 占 領 した 経 緯 」 を 参 照 。

3) 4) 5) 6) 7)

8)同 上 書,

9)大 蒙 公 司 「昭 和 十 一 年 度 営 業 経 過 並 二 十 二 年 度 二 於 ケ ル 施 設 概 要 」。

10)「 蒙 古 軍 総 司 令 部 経 費 収 支 報 告 書 」 蒙 古 軍 政 府 財 政 署 出 納 科,成 紀730年 12月 起 至731年5月 分 止 。

11)「 蒙 古 軍 政 府 政 費 収 支 報 告 表 」 蒙 古 軍 政 府 財 政 署 出 納 科,成 紀731年5月 分 起 至8月 中 旬 止 。

12)『 内 蒙 三 国 志 』172,181〜182頁 。

13)川 口市 之 助 「所 謂 繧 遠 工 作 ト大 蒙 公 司 」 大 蒙 公 司 張 北 出 張 所,1936年 。 14)『 日 中 戦 争(一)』610頁 。

15)「 成 紀 七 三 二 年 乙 年 度 一 般 会 計 歳 入 出 予 算 書 」 蒙 古 軍 政 府 財 政 署,1937年 8月14日 。

16)川 口 市 之 助 「卓 総 管 東 遊 旅 費 ノ件 」大 蒙 公 司 張 北 出 張 所,1937年4月18日 。 17)「 察 王 旅 費 ノ 件 」 合 名 会 社 大 倉 組 支 那 部,1937年5月22日 。

18)池 田 龍 雄 「川 口 市 之 助 宛 書 簡 」 大 蒙 公 司 奉 天 出 張 所,1937年4月15日 。 19)石 田健 一 郎 「永 井 忠 一 宛 電 報 」 合 名 会 社 大 倉 組 支 那 部,1937年6月24日 。 20)川 口 市 之 助 「河 野 久 太 郎 宛 書 簡 」 大 蒙 公 司 ド ロ ン出 張 所,1935年12月29

日 。

21)川 口 市 之 助 「河 野 久 太 郎 宛 書 簡 」 奉 天,1936年2月27日 。 22)23)川 口 市 之 助 「阿 片 専 売 ノ経 緯 」 大 蒙 公 司 張 北 出 張 所,1936年 。 24)池 田 龍 雄 「阿 片 ノ 件 」 大 蒙 公 司 奉 天 出 張 所,1937年4月14日 。 25)「 川 口市 之 助 宛 電 報 」 合 名 会 社 大 倉 組 支 那 部,1937年4月21日 。 26)永 井 忠 一 「川 口 市 之 助 宛 電 報 」 大 蒙 公 司 張 北 出 張 所,1937年6月27日 。 27)「 察 吟 爾 塩 務 統 制 私 見 」 大 蒙 公 司 張 北 出 張 所,1936年2月23日 。

『 李 守 信 自 述 』151頁

『日 中 戦 争(一)』540〜546頁 。

『 徳 王 自 伝 』125〜127頁 。

『日 中 戦 争(一)』552頁 。

『 徳 王 自 伝 』138頁

139頁 。

(22)

28)関 東 軍 参 謀 部 「察 吟 爾 産 塩 統 制 二 関 ス ル 件 」1936年3月5日 。

29)「 蒙 塩 ノ ー 手 取 扱 二 関 ス ル 件 」 大 蒙 公 司 張 北 出 張 所,1936年8月30日 。 30)「 蒙 塩 一 手 取 扱 ノ件 」 大 蒙 公 司 張 北 出 張 所,1936年 。

31)注29)参 照 。

32)「 蒙 塩 専 売 実 施 要 領 」 大 蒙 公 司 張 北 出 張 所,1936年10月18日 。 33)川 口 市 之 助 「塩 専 売 ノ件 」 大 蒙 公 司 張 北 出 張 所,1937年1月28日 。 34)「 大 蒙 公 司 張 北 出 張 所 宛 電 報 」 合 名 会 社 大 倉 組 支 那 部,1937年3月11日 。 35)川 野 末 吉 「蒙 塩 収 買 対 徳 王 一 派 二 関 ス ル 処 置 ノ 件 」 大 蒙 公 司 張 北 出 張 所,

1937年6月16日 。

36)川 口 市 之 助 「 蒙 塩 組 合 結 成 二 関 ス ル 件 」大 蒙 公 司 張 北 出 張 所,1937年11月 4日 。

37)「 亜 麻 仁(支 那 名 胡 麻)専 売 ノ件 」 大 蒙 公 司 張 北 出 張 所,1936年 。 38)「 胡 麻 専 売 二 関 ス ル 件 」 大 蒙 公 司 張 北 出 張 所,1936年8月30日 。 39)「 胡 麻 専 売 弁 法 大 綱 」 大 蒙 公 司 張 北 出 張 所,1936年10月24日 。 40)察 吟 爾 盟 公 署 「 胡 麻 専 売 暫 行 弁 法 」1937年1月 。

41)注9)参 照 。

III蒙 彊 政 権 の 専 売 事 業

一 蒙 彊政権 の成 立

1937年7月7日 の 盧 溝 橋 事 件 後,中 国 軍 が 察 北 へ 進 攻 す る動 き を見 せ る や,8月9日 に関 東 軍 は チ ャハ ル 派 遣 兵 団(東 条 兵 団)を 察 北 に 派 遣 し, 27日 に張 家 口 を攻 略 して,9月4日 に察 南 自治 政 府 が 成 立 した。東 条 兵 団 は 北 京 方 面 か ら北 上 した第 五 師 団 ・独 立 混 成 第 十 一 旅 団 と呼 応 して,さ ら に 京 包 線 に沿 って 山 西 省 北 部 へ 進 撃 し,9月13日 に大 同 を 占 領 し,10月15

日 に晋 北 自治 政 府 が 成 立 した。 蒙 古 軍 は関 東 軍 と と もに緩 遠 省 に進 撃 し, 14日 に 帰 緩 を,17日 に 包 頭 を 占領 し た。10月27・28日,第 二 回 蒙 古 大 会 が 帰 緩 で 開 催 され,蒙 古 軍 政 府 を改組 して 蒙 古 連 盟 自治政 府 が 成 立 した1}。

東 条 兵 団 の察 北 へ の 進 撃 の最 中,関 東 軍 参 謀 片 倉 衷 少 佐 は新 占領 地 統 治

(23)

の 当面 の 方 針 と し て,「 察 吟 爾 方 面 政 治 工 作 緊 急 処 理 要 綱 」(8月13日)2}

を起 草 し た。 従 来,蒙 古 独 立 に否 定 的 な考 え を もつ片 倉 参謀 は,蒙 古 軍 政 府 の 日系 顧 問 の よ うな 「 蒙 古 人 を 溺 愛 す る蒙 古 通 」 を避 け,蒙 古 問 題 に つ い て は 「白紙 」 の満 州 国 間 島 省 省 長 金 井 章 次 を政 治工 作 班(14名)の 代 表 と し て張 家 口 に派 遣 し,新 政 権 樹 立 構 想 の 策 定 を 委 ね た3)。9月 下 旬,片 倉 参 謀 は張 家 口 ・大 同 ・緩 遠 等 を視 察 し,蒙 彊 支 配 の 基 本 構 想 と して 「 蒙 彊 方 面 政 治 工 作 指 導 要 綱 」(10月1日)4》 を起 草 し,蒙 彊 連 合 委 員 会 を通 じて 蒙 彊 三 自治 政 府 を広 域 的 に支 配 す る こ と を決 め た 。11月22日,蒙 彊 連 合 委 員 会(最 高 顧 問 金 井 章 次)が 成 立 し,総 務 委 員 会 の 下 に金 融 ・交 通 ・産 業 の 各 専 門 委 員 会 が 置 か れ た 。

金 井 は蒙 彊 三 自治 政 府 の樹 立 を指 導 した 最 高 責 任 者 で あ り,察 南 自 治 政 府 の 樹 立 工 作 の な か で 蒙 古 人 を漢 族 地 域 の 統 治 に あ て る こ との有 害 性 を認 識 し,ま た 晋 北 地 域 の 政権 樹 立 過 程 で 同 地 域 が 山 西 省 他 地 域 との 経 済 的 連 携 が 乏 し く,京 包 線 沿 線 との 商 品 流 通 が 主 で あ る こ とを知 り,さ ら に 緩 遠 接 収 の 過 程 で 徳 王 が 漢 族 有 力 者 の 支 持 を得 て い な い こ と を認 識 し た5)。蒙 彊 地 域 は 京 包 線 に 沿 って 交 通 面 ・経 済 面 で 緊 密 な 関 係 を もち,財 政 基 盤 は 漢 族 が 居 住 す る農 村 地 帯 に あ り,蒙 古 族 が 居 住 す る遊 牧 地 帯 は 財 政 収 入 が 期 待 で きな か っ た6)。金 井 は漢 族 ・蒙 古 族 ・回族 ・満 州 族 等 を 含 む 多 民 族 地 域 で あ る蒙 彊 地 域 の 一 体 的 支 配 を 目指 し,「 民 族 協 和 」の観 点 か ら蒙 古 独 立

を否 定 した 。

関 東 軍 の 主 要 な 任 務 は対 ソ防 衛 に あ り,い つ ま で も蒙彊 地 域 に関 与 し続 け る こ と はで き な か った 。 そ こで,関 東 軍 は 蒙 彊 地 域 の特 殊 性 を保 証 す る た め,北 支 那 方 面 軍 か ら相 対 的 に 自立 した 独 立 軍 の設 置 を目 指 した 。1938 年1月,関 東 軍 の 意 向 に添 っ て,第 二 十 六 師 団 を基 幹 兵 力 と して 駐 蒙 兵 団

(7月,駐 蒙 軍 に 改 組)が 編 成 され た7)。蒙 彊 方 面 の政 務 指 導 の 引 き継 ぎ に

際 して,関 東 軍 司 令 官 植 田謙 吉 大 将 は駐 蒙 兵 団 司 令 官 蓮 沼 蕃 中 将 に対 し て,

将 来 の 中 央 政 権 との 関 係 を考 慮 し,蒙 古 連 盟 自 治 政 府 に 実力 が な い 現 状 の

下 で,蒙 古 独 立 運 動 を と くに抑 止 して きた 事 情 を 申 し送 っ た8)。

(24)

蒙 彊 政 権 は蒙 古 軍 政 府 ・蒙 古 連 盟 自 治 政 府 が 発 展 し て で きた 政 権 の よ う に 見 え るが,実 際 に は そ う で は な い。 蒙 彊 政 権 の樹 立 を推 進 した の は 金 井 が 率 い る政 治 工 作 班 で,そ の前 身 は1937年8月30日 に設 立 され た チ ャハ ル 治 安 維 持 委 員 会 な らび に チ ャハ ル 財 政 金 融 委 員 会 ・チ ャハ ル 交 通 委 員 会 で あ る。9月4日,以 上 の三 委 員 会 を整 備 して察 南 自治 政 府 が 成 立 した が, これ ら委 員 会 は そ の ま ま存 続 し,11月22日 の 蒙 彊 連 合 委 員 会 の 成 立 を 待 っ て,30日 に は じ め て 解 散 さ れ,そ の 業務 は蒙 彊 連 合 委 員 会 に 委 譲 さ れ た9)。

当 初,蒙 彊 連 合 委 員 会 は通 貨 制 度 の統 一,龍 煙 鉄 鉱 ・大 同 炭 坑 の 開 発, 京 包 線 の 運 営,郵 政 ・通 信 等 に責 任 を もち,蒙 彊 三 自治 政 府 に共 通 す る 問 題 を処 理 す る連 絡 調 整 機 関 で あ っ た が,し だ い に三 自 治政 府 の 上 に 君 臨 す る 中 央 政 府 と して の 性 格 を強 め て い っ た。1938年8月1日,蒙 彊 連 合 委 員 会 の 機 構 改 革 が 実 施 さ れ,総 務 ・産 業 ・金 融 ・交 通 の 四 委 員 会 制 か ら,総 務 ・産 業 ・財 政 ・交 通 ・民 生 ・保 安 の 六 部 制 に 改 組 され,三 自治 政 府 の 自 主 性 は 大 幅 に 制 限 さ れ て い ったi° 〉 。

1938年12月,占 領 地 の軍 政 を避 け るた め,政 治 ・ 経 済 ・ 文 化 面 で の 統 一 的 指 導 機 関 と して 興 亜 院 が 設 け られ,1939年3月 に北 京 ・上 海 ・屓 門 ・張 家 口 の 四 カ所 に連 絡 部 が設 け られ た。 こ う して,従 来 張 家 口(お よ び大 同 ・ 厚 和)特 務 機 関 を通 じ て 実施 され て きた 蒙 彊 政 権 に対 す る政 務 指 導 は,興 亜 院 蒙 彊連 絡 部 を通 じ て行 わ れ る こ と に な った11》 。の ち,重 要 事 項 の 決 定 に あ た っ て は,駐 蒙 軍 司 令 官 の 管 理 下 で,駐 蒙 軍 参 謀 長 ・興 亜 院 蒙 彊 連 絡 部 長 官 ・蒙 彊 連 合 委 員 会 最 高 顧 問 の 三 者 か ら な る蒙 彊 連 絡 会 議 で 審 議 さ れ る こ とに な っ た12)。

1939年4月2日,第 一 回蒙 彊 連 絡 会 議 審 議 案 が 成 立 し,蒙 彊 を一 体 と し

て 育 成 し,高 度 自 治 の 程 度 は 中華 民 国 の 宗 主権 は認 め る が,外 蒙 古 の 現 状

に 準 ず る もの と した13》 。3日,駐 蒙 軍 司令 部 は 「 蒙 彊 政 権 統 合 ノ必 要 二 就

テ 」14》 と題 す る文 書 を陸 軍 省 に送 付 し,「 統 一 政 府 ヲ組 織 シ テ民 族 協 和 ヲ促

進 シ其 地 域 的 結 合 強 化 ヲ図 ル 」 こ と を主 張 した。 徳 王 は蒙 彊 連 合 委 員 会 を

(25)

嫌 っ て,そ の 総 務 委 員 長 へ の 就 任 を固 辞 して い た の で,最 高 顧 問 金 井 が そ の 職 務 を一 時 代 行 した 。29日,駐 蒙 軍 の強 い 圧 力 に屈 し て,徳 王 は蒙 彊 連 合 委 員 会 総 務 委 員 長 へ の就 任 を余 儀 な くされ た15)。9月1日,蒙 古 連 合 自治 政 府(主 席 徳 王)が 成 立 し,張 家 口が 首 都 と定 め られ,年 号 は ジ ンギ ス カ

ン暦(成 紀)が 用 い られ た 。

二 蒙 彊地域の経済統 合

1937年8月28日,金 井 が 率 い る政 治 接 収 班 は 占領 直 後 の張 家 口 で 「 支 払 猶 予 令 」を布 告 した 。9月27日,察 南 銀 行 が 設 立 され た。10月1日,チ ャ ハ ル 財 政 金 融 委 員 会 は 「 緊 急 通 貨 防 衛 令 」を布 告 し,同 日 か ら20日 の 期 限 で 旧政 権 下 の チ ャ ハ ル 商 業 銭 局 券 ・中 国 銀 行 券 ・交 通 銀 行 券 等 の 通 貨 を察 南 銀 行 券 に よ っ て 回 収 す る こ と を声 明 した。11月22日,蒙 彊 地 域 の 通 貨 制 度 を統 一 す る た め,察 南 銀 行 を基 礎 と して 蒙 彊 銀 行 が 成 立 し,晋 北 地 区 は 12月5日 か ら,繧 遠 地 区 は1938年1月 か ら旧政 権 紙 幣 の 回収 に着 手 し,蒙 彊 銀 行 券 に よっ て 蒙 彊 地 域 の 幣 制 を統 一 した16)。

当 初,関 東 軍 は察 北 と察 南 を一 体 化 した チ ャハ ル政 権 の 樹 立 を予 定 して い た が,察 南 か ら晋 北,さ ら に繧 遠 へ 占領 地 が 拡 大 す る過 程 で,蒙 彊 地 域 を一 体 と して 支 配 す る構 想 が 浮 上 した 。 しか し,治 安 維 持 会 を基 礎 と して 漢 族 居 住 地 域 に成 立 した 察 南 ・晋 北 両 自 治 政 府 と は異 な っ て,蒙 古 連 盟 自 治 政 府 は,関 東 軍 と 「 協 力 」 す る蒙 古 軍 政 府 の政 治 接 収 班 が 緩 遠 各 県 を接 収 し て で きた 政 権 で あ り,蒙 彊 三 自治 政 府 をた だ ち に 政 治 的 に統 合 す る こ

と はで きな か った1η。

蒙 彊 三 自 治 政 府 の連 絡 ・調 整 機 関 と して 成 立 し た蒙 彊 連 合 委 員 会 は,短

期 間 で蒙 彊 地 域 の 幣 制 統 一 に成 功 す る と と も に,占 領 地 域 内 の 政 府 資 産,

龍 煙 鉄 鉱 ・大 同 炭 坑 等 の有 力 な 鉱 業 権,交 通 の動 脈 で あ る京 包 線,通 信 施

設 を逆 産 と して 相 次 い で接 収 し,産 業 ・金 融 ・交 通 三 専 門 委 員 会 の 管 理 下

に 置 い た。

(26)

金 融 面 の 統 一 工 作 は比 較 的 は や くす す め る こ とが で きた が,財 政 工 作 は 蒙 彊 三 自治 政 府 が そ れ ぞれ 分 立状 態 に あ っ た の で,た だ ち に統 一 工 作 を す す め る こ と はで き な か っ た。 しか も,察 南 ・晋 北 両 自治 政 府 は純 粋 な{鬼偶 政 権 で あ った の に 対 し て,蒙 古 連 盟 自治 政 府 は 徳 王 を首 班 とす る蒙 古 軍 政 府 が征 服 者 と して の 立 場 か ら樹 立 した 新 政 権 で,関 東 軍(の ち,駐 蒙 軍)

もそ の意 向 を多 少 は尊 重 す る 必 要 が あ った 。

1938年8月1日,蒙 彊 連 合 委 員 会 は機 構 改 革 を実 施 して,四 委 員 会 制 か ら六 部 制 へ と改 組 さ れ,財 政 部 ・民 政 部 ・保 安 部 の よ うな 蒙 彊 三 自治 政 府 か ら自 主性 を奪 う よ う な部 局 が新 設 され た 。 当 時,駐 蒙 軍 は 「防 共 自 治 区 域 」 と して の 特 殊 性 を強 調 しな が ら,蒙 彊 地 域 を 「 新 支 那 中 央 政 府 」 か ら 半 ば独 立 した 高 度 自治 区 域 に し よ う と意 図 して お り,政 治 ・経 済 の 両 面 で 察 南 ・晋 北 ・iT3C遠 の 一 体 化 を推 進 して い た 。

政 権 存 立 の 前 提 条 件 は,安 定 した 財 源 を確 保 して 財 政 基 盤 を確 立 す る こ とに あ る。租 税 収 入 を確 保 す る に は治 安 統 治機 構 を確 立 す る必 要 が あ るが, 1938年 度 は蒙 彊 三 自 治 政 府 と も に徴 税 機 構 を整 備 す る余 裕 が な く,国 民 政 府 時 代 の 旧慣 を援 用 して 徴 収 した 。戦 乱 に慣 れ た 中 国 の 民 は,新 支 配 者 に 積 極 的 に納 税 し て み ず か ら の私 有 財 産 を守 ろ う と した の で,予 想 以 上 の 税 収 を挙 げ る こ とが で きた 。

1939年 に入 る と,駐 蒙 軍 は蒙 彊 地 域 の 政 治 統 合 の 動 き を強 め た 。 前 掲 の 駐 蒙 軍 司 令 部 「蒙 彊 政 権 統 合 ノ必 要 二 就 テ」は,「 事 変 直 後 ノ財 政 復 旧 二 分 治 主 義 力極 メ テ 有 効 二 作 用 シ タ」と評 価 し なが ら,「 事 態 ノ平 静 二 復 ス ル ニ 従 ヒ之 レ ヨ リ起 ル 弊 害 ハ 之 レ ヲ排 除 セ サ ル ヘ カ ラ ス」 と述 べ,さ ら に 「 財 政 収 入 ノ重 要 部 門 タ ル 阿 片 及 塩 税 モ亦 三 政 権 分 立 ノ関 係 ト税 追 及 ノ関 係 上 当 ヲ失 シ将 来 重 大 ナ ル 結 果 を招 来 スル ヲ虞 ル ル 所 ナ リ」と論 じて,「 速 二蒙 彊 全 体 ノ財 政 権 ノー 元 化 即 チ 政 治 機 構 ノ ー 元 的 改 革 ヲ断 行 セ サ ル ヘ カ ラ ス 」 と主 張 して い る 。

旧 慣 に従 っ て租 税 を徴 収 して も,行 政 経 費 を賄 い 得 る の み で,戦 争 経 済

が 必 要 とす る彪 大 な 資 金 需 要 に応 え る こ とは で きな か った 。 直 接 税 の 大 幅

(27)

な引 き上 げ は,占 領 直 後 の 時 期 に は 困難 で あ り,当 初 の 有 望 な財 源 は蒙 彊 地 域 の 特 産 物 に課 す 間 接 税 で あ った 。 蒙 彊 連 合 委 員 会 は蒙 彊 地 域 に有 望 な 財 源 と し て阿 片 と蒙 塩 に着 目 した 。阿 片 は蒙 彊 三 自 治政 府 の 重 要 な財 源 で, しか も緩 遠 は華 北 方 面 へ 阿 片 を供 給 す る重 要 な阿 片 産 地 で あ っ た 。 また, 蒙 彊 の 食 塩 は供 給 地 が 限 られ て お り,専 売 制 を実 施 し て確 実 な税 収 の拡 大 が 期 待 で きた 。

1939年9月1日,蒙 彊 三 自治 政 府 を合 併 して蒙 古 連 合 自治 政 府 が 成 立 し た 。蒙 古 連 合 自治 政 府 に お い て,察 南 ・ 晋 北 両 自治 政 府 の 管 内 は 察 南 政 庁 ・ 晋 北 政 庁 に 格 下 げ され,蒙 古 連 盟 自治 政 府 の管 内 は五 盟 の 地 方 行 政 組 織 に 分 割 され た 。 従 来,蒙 古 連 盟 自 治政 府 で は主 席 徳 王 に蒙 古 独 立 の 志 向 が 強 く,ま た,同 政 府 の 日系 顧 問 は 蒙 古 軍 政 府 以 来 の 日系 顧 問 が 留 任 して お り,

第2表1939〜1941年 度 清 査 権 運 特 別 会 計 予 算

(単 位:円)

1939年 度 1940年 度 1941年 度

歳 入 25,299,534 42,502,108 53,746,434 清査 収入 24,605,000 41,400,000 52,500,000

塩税収入 694,534 1,102,108 1,246,434

歳 出 22,176,167 36,800,183

経常部歳出 18,298,458 31,137,013

購買諸費 16,785,000 27,500,000 48,000,000

その他 1,513,458 3,637,013

臨時部歳出 3,877,709 5,663,170

一般 会計 繰入 3,000,000 5,100,000 8,500,000

その他 877,709 563,170

利 益 金 3,123,367 5,701,925

一般 会計歳 入 25,289,551 48,940,997 48,367,414 一般 会計歳 出 25,289,551 48,940,997 48,367,414

出 所:江 口 圭 一 編 著 「資 料 日 中 戦 争 期 阿 片 政 策 』1985年,岩 波 書 店,99,119,

136頁 。

参照

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