茨城大学教育学部紀要(教育科学)47号(1998)227−245
国立国会図書館法・議院法制局法・内閣法制局設置法一「立法」の論理(3)
佐藤 晋一
(1997年10月13日受理)
1、ogic of]Legis量ation (3)
Concern with Nationa置1)iet Library正aw, Giin−houseikyokuhou,
Naikakuhouseikyoku−settihou
Shinichi SATo
(Received October 13,1997)
IV.内閣法制局設置法
本稿では,1) 「法制局官制」に拠る法制局の解体,2) 「法務庁設置法」に拠る法務庁の設置,
3)同法の改正に基づく「法務府設置法」に拠る法務府の設置,そして4)「法制局設置法」に拠る 法制局の設置を経て,最終的に,5)法制局設置法の改正に基づく現行の「内閣法制局設置法」に拠 る内閣法制局に至るまでの経過を検討して行きたい。なお,本稿で言及する各種の法令等は, 〈立 法の論理(6)〉にまとめて載せることにする。
IV−1.法制局の解体一法務庁設置法成立まで
まず,何と言っても,1945.9.22.の「降伏後二於ケル米国ノ初期ノ対日方針」に基づいて日本側が 行うべきであった「法の整備」を考える時に,基本となるのは憲法問題調査委員会と臨時法制調査 会の存在及びその作業であろう。前者に関しては本稿で言及すべき必要はないだろうが,後者に関 しては,行政諸法の基礎的整備への根本構想を明確にする場合,とりわけ法制局の解体からく「内 閣」法制局〉までの展開を明確化しようとする場合に,極めて注目すべきものであろう。国会法と その附属法規は,憲法改正問題との関連で議院法規調査委員会で検討されて,国会に提出されたこ とは前稿で述べたとおりである。1)ところが,内閣法及びその附属法規は,それとは経過を異にする のである。それは実質的には,1945年までの大日本帝国憲法下での法制局のメンバー一を中心にした
「臨時法制調査会」(本稿(その4)で詳しく触れる。)が,要項を作成して内閣に提出したのであ る。勿論当然のこととして内閣はそれを第91回(臨時)帝国議会に内閣案として提出し可決された
(1946.12.18.衆議院 12.23.貴族院。)。しかもそこに,時間的な問題と論理的な問題が介在して
*茨城大学教育学部学校教育講座教育学教室(〒310−8512茨城県水戸市文京2丁目1−1).
くるのである。つまり,まず,憲法および国会法(1947.4.30.公布)が施行される以前に,内閣法は 上記の調査会で作成され公布(1947.1.16.法律第5号。)されてしまっていたのである。ただし,そ れらの施行はいずれも,1947。5.3.なのである。そしてこのことと関係して論理的には新しい内閣法 及びその附属法規は,憲法施行に伴う総選挙(選挙そのものは憲法施行以前の4月20日に参議院,
25日に衆議院選挙がなされている)で選出された「新しい内閣」によって運営されねばならないは ずなのであるが,事実上これが逆転してしまっていること,すなわち実際には〈引き続いて〉「古 い内閣」が,国会法の基本理念である「国民主権の立法権の確立」という最大の課題を避ける形で,
新しくできた内閣法を実践・運営しているという矛盾を含むことに注意しなければならない。1945 年以前の「内閣官制」による内閣の存在,そして天皇大権としての立法権を実質的に行使してきた
「法制局官制」による法制局の存在は〈経過措置的矛盾〉であり,憲法施行後は名実共に解消され るはずであった。しかし,実態はそれまでの行政組織とメンバーが〈継続的に存在〉したのである。
この矛盾は,いまだに牢固として抜きがたく存在する立法府・国会と行政府・内閣との間の根本的 矛盾である。けれども,主権者としての国民が「国権の最高機関であり,唯一の審議機関である」
国会の存在の意味を,観念的にではなくして政治的実践の中心的課題として明確に理解しうる段階 が到来するなら,この矛盾は解決できるのであろう。
1945年12月27日にモスクワで開催された三国外相会議により,極東委員会がワシントンに,対日 理事会が東京に設置され,そしてその会議に基づいて,極東委員会は政策指令(policy directive)
を,最高司令官宛に出している。すなわち,1946年7月2日に同委員会は次のような声明を発表し た。 「(一)日本国憲法は,主権は国民に存することを認めなければならない。 (イ)その権威が 選挙民ないし完全に代表的な立法部に由来し,そのいずれかに責任を負う執行府。 (ロ)選挙民を 完全に代表する立法府。それは,公の歳入の徴収と公費の支出を完全にコントロオルすることを含 む,完全な立法権を持つべきである。」また天皇制を国民が受け入れない場合は,憲法が以下の規 定を持つべきことが示されている。「(2)内閣総理大臣及び国務大臣は,すべて文民であり,その 過半数(総理大臣を含む)は,国会から選ばれ,連帯して立法府に責任を負う内閣を組織する。」
天皇制を受け入れる場合は,「(1)内閣は,立法府の信任を失えば,辞職するか選挙民に訴え る。」2)それまでの日本帝国の行政組織それ自体の改革こそが最大の問題であると,はっきり指摘し ているといえよう。
しかし,そうはならなかった。それどころか憲法施行後はこの矛盾が,まさしく戦後の歴史的な 変遷と共に複雑さを増し,1945年から1947年までの経過が,つまり憲法施行後の「国民主権の政治 の成立史」が十分検討され・実践されることなく,1947年以降の歴史的展開から,検討されること になってしまったことである。というよりも,1947年以降の,とりわけ講和条約締結・日米安全保 障条約締結の1951年以後の展開を正当化し,整合性を持たせるために〈成立史〉が歪められ,かっ
〈成立史〉が批判されてきているのである。これは法整備の面,特に立法府(国会)関係の法と行 政府関係の法整備(むろん人的整備も含む)の間のアンバランス・矛盾から見れば,否定しようの ない極めて明瞭なことがらなのである。
以上のような意味では「内閣法制局の歴史」というものが存在するのかどうか,厳密に解釈する と問題がある。大日本帝国憲法下の法制局官制に拠る「法制局」は,法務庁設置法に拠る法務庁,
それの改正に拠る法務府設置法に拠る法務府と異なることは無論のことであるが,新憲法下の内閣
佐藤:国立国会図書館法・議院法制局法・内閣法制局設置法一「立法」の論理(3) 229
法に基づく法である法制局設置法に拠る「法制局」,そして名称変更に基づく内閣法制局設置法に 拠る「内閣法制局」とは連続的なものとはとうてい言えないのである。ところが,〈内閣法制局〉
と名称が変更されたことを以て, 〈法制局の内閣復帰〉 〈内閣直属の法制局に復帰した〉というよ うな記述が関係者の間で使われている。しかしそれはそもそも「内閣法」が1945年以前には存在し なかったことを知らないことを示すのであろう。内閣という言葉は同じでも,国民主権を基礎とす る三権分立に根拠する内閣と明治憲法のもとでの内閣とはまったく概念が異なるものである。だか らそこには重大な概念の混乱がある。大日本帝国憲法に関しては〈濫用が容易なる制度〉であると いう批判(金森徳次郎)もあったのである。従って,本来的にはr内閣法制局史』r内閣法制局百 年史』というタイトルは厳密に言うならば,誤解を招くのであり間違いであろう。が,年表的に事 実経過を追うにはそれらの書物に拠らなければならない。
1) 〈法制局〉の変遷史
明治6年(1873) 5.2. 太政官正院に法制課設置 明治7年(1874) 2.12. 法制課太政官左院に移る 明治8年(1875) 4.14. 法制課太政官正院内史に移る
7.3. 法制局設置(参議伊藤博文,長官)
明治13年(1880) 3.3. 法制局,法制部となる
明治14年(1881)10.21. 法制部廃止,参事院設置(参事院に法制部を設ける)
明治17年(1884) 4.22. 参事院章程の全部改定(法制部については変更なし)
明治18年(1885)12.22. 「内閣職権」一内閣制度発足,参事院廃止 12.23. 「法制局官制」制定(山尾庸三,長官〈兼任〉)
第2条〈法制局ハ内閣総理大臣ノ管轄二属ス〉
明治22年(1889) 2.11. 大日本帝国憲法発布,皇室典範制定,議院法公布 12.24. 「内閣官制」
明治23年(1890) 6.12. 法制局官制の全部改正(法制局は内閣に属するものとされる(内閣総 理大臣の「管轄」から内閣に「属」するへ)
11.25。 第一回帝国議会召集,11.29.大日本帝国憲法施行 12.1. 衆議院規則可決
明治24年(1891) 2.10. 貴族院規則可決
明治26年(1893)ll.10. 法制局官制の全部改正(法制局は内閣に隷することになる,部制廃 止)〈「属」するから「隷」するへ〉
昭和16年(1941) 5.27. 法制局部規定の一部改正(部の所掌事務変更)
昭和18年(1943) 3.18. 戦時行政特例法,戦時行政職権特例公布
3.27. 音 臨時職口設 制公 (戦時だ 、例法の施だ に関する に従 させるため,法制局に参 官一人・ 二人を置く),11.1.内閣 部内臨時職員設置制の一部改正(国家総動員法く昭和13年4月1日公 布・5月5日施行〉の施行の総轄に関する事務に従事させるため,法制 局に参事官二人,属二人を置く)
昭和19年(1944 9.1. 法制局部設置規定制定
昭和20年(1945 1.21. 戦時統制法令の緊急整備を図るため,法制局に臨時に戦時統制法令調 査委員若干人を置く(閣議決定),2.4。ヤルタ会談(〜11日まで),
3.10.内閣部内臨時職員設置制の一部改正(戦時統制法令の整備等に従 事させるため,法制局に参事官五人・理事官一人・属五人を置く)
7.26. ポツダム宣言,8.14.終戦の詔書,8.26.終戦連絡事務局設置,9.2.ミズ リー号での降伏文書調印
9。6. 法制局部設置規定の一部改正,法制局事務規定制定 9.20. ポツダム宣言受諾に伴う緊急勅令の公布施行
(ポツダム宣言受諾に伴い発する命令に関する件公布)
9。22. 「降伏後二於ケル米国ノ初期対日方針」発表 10.2. 行政機構及び官吏制度の改革について閣議決定
10.3。 内閣部内臨時職員設置制の一部改正(法令整備の事務に従事させるた め,法制局に参事官五人・理事官一人・属五人を置く),105量AI 度曇A{松 (法U。 占 となる),10.15.治安維持法廃止 10.25. 憲法問題調査委員会設置(主任は松本蒸治国務大臣)
11.24. 法制局官制の一部改正(新たに第1条第1号「官吏制度,行政組織其ノ 他統治機構二関シ調査,審査及ビ立案スルコト」,第5号「法律命令ノ 施行状況ヲ考査スルコト」が追加)〈勅令646号〉,法制局事務規定の 全部改正
11.24. 音 群職口訟 1を 。 臨、 口 誕 唖と 称
昭和21年(1946) 2.1. 法制局官制の一部改正,2.13.GHQ憲法草案を政府に手交,3.6.憲法改 正草案要綱発表
3.19。 法制局事務規定の一部改正(部の所掌事務変更)
4.1. 法制局官制の一部改正(「参事官」が「事務官」となる)
5.8. 音 嘉、 口 塾 1の一音 正(憲法 正に う法1整庸のた め,法11。に 官四人を置く)
6.19. 憲法問題担当国務大臣金森徳次郎(もと法制局長官)
6.20. 政府,大日本帝国憲法改正案を衆議院に提出
7.3. 臨、法1言・査A出ll公 (法1振 出, となる)
7.6. 政府は国の呼称を「日本国」とする旨言明 10.21. だ 言・査。鴇、処 ll公 (法U。 古,主 ) 11.3. 日本国憲法公布
昭和22年(1947) 1.16. 内閣法公布(5月3日施行)
3.31. 旧憲法下最後の帝国議会(第92回)解散(衆議院解散)
4.16. 検察庁法(施行は5月3日)一最高検察庁の長は検事総長(7条)で,
次長検事,各検事長は内閣が任免を行い, 皇がこれを認証する(15
条)
一
佐藤:国立国会図書館法・議院法制局法・内閣法制局設置法一「立法」の論理(3) 231
4.16. 裁判所法(施行は5月3日)一長は最高裁判所長官,内閣の指名に基 いて天皇が任命(39条,また憲法6条),最高裁判所の裁判官は内閣 が任命(39条の2,また憲法79条,その は 皇が認証する39 の
3)
4.18. 行政官庁法公布(5月3日施行),4.20.第一回参議院選挙,4.25.新憲一
法下の衆議院選挙,4.30.国会法公布,5.3,日本国憲法施行
5.3. 内閣官房及び法制局職員等設置制公布「昭和二十二年五月三日,現行 憲法施行の時点において,法制局も内閣官房とともに内閣に置かれ た。法制局の所掌事務はr内閣提出の法律案及び政令案の審議立案並 びに条約案の審議その他法制一般に関すること』 (〈内閣法〉第十二 条第三項)とされ,法制局長官の設置は, 〈行政官庁法〉により定め られていた(第十条第一項)。」r内閣制度百年史(上巻)』p596.
5.20. 第一回国会(特別会)召集,吉田内閣総辞職 5.24. 片山内閣成立6、14.佐藤達夫法制局長官となる
9.16. マッカーサー一帥亟,、暖 金を 示(法振 を示 )「警 察制度改革に関する片山内閣総理大臣宛の連合国軍最高司令官の書
簡」
10。21. 法制局長官は特別職となる,12.17.警察法公布(衆議院は6日,参議院 は8日可決,施行は翌年3月7日)
12.17. 法務庁設置法公布(1948.2.15.施行),この法律は「百法ノ と法U。と の系△を文る日高法 庁塾 己 」として提案された,「〈法務庁設 置法〉により,法制局と司法省とが合体して新設の法務総裁の下に,
法務庁が設けられた。」r内閣制度百年史(上巻)』p.596.
12.17. 法務庁設置に伴う法令の整備に関する法律公布
12.31. 内務省廃止(内務省及び内務省の機構…に関する勅令等を廃止する法
律)
昭和23年(1948) 2.9. 国立国会図書館法成立・公布・施行(6.5.開設)館長金森徳次郎,副館 長中井正一,2,10.片山内閣総辞職
2.11. ホイットニーから司法大臣宛の書簡(法制局から法務庁への職員の横 滑り禁止に関して)
2.15. 法務庁設置,法制局廃止(法制局の事務は,法務庁の所掌),佐藤達 夫法制長官となる,法務庁分課規定制定
3.10. 芦田内閣成立,7.10.国家行政組織法公布(1949.6.1.施行),7.15.教 育委員会法公布(地方教育行政の組織及び運営に関する法律,附則第 一条,第二条により1956.9.30.失効)
10.7. 芦田内閣総辞職,10.15.第二次吉田内閣成立
昭和24年(1949) 5.31. 法務庁設置法等の一部を改正する法律公布(6.1.施行),5.31.総理府 設置法
6.1. 法務庁は法務府となる(改称)一法務府設置法となる 佐藤達夫法制意見長官となる,法務府組織規定制定
昭和25年(1950) 6.25. 朝鮮戦争,7.8.マッカーサー元帥,警察予備隊創設・海上保安庁増員を 指令,7.25.東京に国連軍総司令部設置,8.10。警察予備隊令公布
(1952.10.15.保安隊,1954。7.1.自衛隊)予備隊令第一条「この政令 は,わが国の平和と秩序を維持し,公共の福祉を保障するに必要な限 度内で,国家地方警察及び自治体警察の警察力を補うため警察予備隊 を設け,その組織等に関し規定することを目的とする」3)
昭和26年(1951) 6.12. 改正警察法の公布・施行く人口5千人以上の市町村は,住民投票によっ て警察を維持しないことができる(40条,40条の3)〉一自治体警察 の廃止
9.8. 対日平和条約・安全保障条約調印(1952.4.28.発効)一サンフランシ スコ講和条約調印
昭和27年(1952) 2.28. 日米安全保障条約第3条に基づく行政協定署名,
4.11. ポツダム宣言の受諾にともない発する命令に関する件の廃止に関する 法律発効
4.28. 対日平和条約・安全保障条約発効,日華平和条約調印
7.31. 法制局設置法公布(8.1.施行),法制局設置法施行令公布(8,1.施行)
「八月一日法制局設置法が施行され,法制局は,再び内閣に置かれる こととなった。 〈法制局設置法〉は,法制局の所掌事務として,1)閣 議に付される法律案,政令及び条約を審査し,これに意見を付し,及 び所要の修正を加えて,内閣に上申すること,2)法律案及び政令案を 立案し,内閣に上申すること,3)法律問題に関し内閣並びに内閣総理 大臣及び各省大臣に対し意見を述べること,4)内外及び国際法制並び にその運用に関する調査研究を行うこと,及び5)その他法制一・般に関 するこを定めると共に,これらの事務を分掌させるため,第一部,第 二部,第三部及び長官総務室を置く旨を定めた。」r内閣制度百年史
(上巻)』P.597.
7.31. 法務府設置法等の一部を改正する法律一〈法務省〉と改称(8.1.施 行),8.1.佐藤達夫長官となる
8.1. 法務省設置
昭和28年(1953) 1.20. 法制局設置法施行令の一部改正(部の所掌事務の変更等)
12.1. 国立国会図書館支部図書館として法制局図書館開設
昭和29年(1954) 6.8. 警察法の全部改正(7.1.施行により,都道府県警察創設,警察庁設 置),6.17.法制局設置法の一部改正(定数減等),12.7.第五次吉田内 閣総辞職
昭和31年(1956) 6.30. 地方教育行政の組織及び運営に関する法律(10。1.施行),9.1.法制局 組織細則制定,10.19.日本・ソ連の国交回復共同宣言(12.12.批准書交
佐藤:国立国会図書館法・議院法制局法・内閣法制局設置法一「立法」の論理(3) 233
換)
12.8. 国連加盟可決(ただし6月加盟申請,9月の総会では否決されていた)
昭和32年(1957) 7.31. 法制局設置法施行令の一部改正(定数減)
8.1. 総理府総務長官設置
昭和34年(1959) 7.9. 法制局設置法・法制局設置法施行令の一部改正(常勤技能職員の定員
化)
昭和35年(1960)12.26. 法制局設置法の一部改正(参事官の定数増)
昭和36年(1961) 1.12. 法制局設置法施行令の一部改正(第二部・第三部の定数改定)
6.12. 法制局設置法の一部改正(定員外の職員の定員化,4月1日〈遡及〉適 用),法制局設置法施行令の一部改正(主幹は参事官を充てる・長官 秘書の設置等)
昭和37年(1962) 4.16. 法制局設置法施行令の一部改正(長官総務室の定数増,4月1日適用)
4.16. 総理府誕 の一。を 正する法 (7.1.施行)
「(法制局設置法の一部改正)
第六条法制局設置法(昭和二十七年法律第二百五十二号)の一部を 次のように改正する。
題名を次のように改める。
内閣法制局設置法
「法制局」を「内閣法制局」に改める。」
6.26. 法制局設置法施行令の一部を改正する政令(7.1.施行)「題名を次のよ うに改める。内閣法制局設置法施行令」
7.1. 法制局設置法の一部改正(題名変更・一部増設・定数増)
一ただし一部改正をするための法律の名称は「総理府設置等の一部を 改正する法律」(4.16.)
7.1. 法制局設置法施行令の一部改正(題名変更・部の所掌事務の変更・主 幹を総務主幹と改称・参事官の定数増)
7.1. 法制局組織細則の一部改正
7.1. 内閣法制局と改称,「昭和三十七年七月一日に〈法制局設置法〉の一 部が改正され(〈総理府設置法等の一部を改正する法律〉),名称が 内閣法制局と改められ,また,新たに第四部が置かれ,現在の内閣法 制局の組織となった。」r内閣制度百年史(上巻)』p.597.
年表史的にクロノジカルな経過をたどってみても(アンダーライン部分に注意されたい),大き な問題が底流にあるということがはっきりと読み取れるのではないか。
『旧法令集』の〈はしがき〉にこうある。「いわゆる旧法令が,われわれの法律生活に無関係か というと決してそうではない。裁判所に係属中の事件の中には旧法令の解釈を中心とするものが少 なくないし,裁判や行政の実務にたずさわっている人々にとっては,現行法令以上に旧法令が必要 な場合さえ少なくない。講学上からいっても,旧法令を引き合いに出して説明しなければならない
場合が少からず生ずる。ところが,これらは法令全書や古い六法全書の中に探し求めなければなら ず,なかなか容易な仕事ではない。といって,これを六法全書の中に採録することは筋が通らない だけではなく,六法全書が彪大になり過ぎる嫌いもある。」4)まさしくこのとおりの感想を述べたい のである。法令の改正を含む変遷を簡単に参照し得ないというのは大いに問題である。
トクヴィルは言っている。「法律はどんなによいものであっても,法律がたびたび変わることは 大変な実害である。」5)また,鮫島眞男は次のように書いている。 「日本近代史の研究家でr日本に おける近代国家の成立』の著書で知られているE.H.ノーマンはr改革への道はかならずしも次から 次へと法律を制定することにあるのではない。そうすれば法律がいよいよ複雑錯綜して,人民を混 乱させるばかりであろう。前例がないと思われる紛争にもほどよく秩序の保たれた国ではたいてい 現存の立憲的な慣行によって公平な解釈がえられるものである。政令や規則を殖えるにまかせ,そ れで新しい紛争が解決できると思っていると,いつも立法上の混乱を巻き起こし人民を無感覚にし てしまう。』と述べたことがあるが(クリオの顔一歴史随想一のIIIクリオの顔八十三頁以下
<pp.83〜84>[岩波新書]),彼の批評には大いに我々の共感を呼ぶものがあるように思う。」6)
(この引用は,わざわざ鮫島氏のものからの重用にしてある。法制局関係の人がノーマンに言及す るというのは誠に珍しいことだからである。引用は正確である。なお、同書は現在岩波文庫に収め られている。)
1945年から単独講和条約(サンフランシスコ講和条約)発効までの,したがって1945年から1952 年までの勅令〈正しくはポッダム勅令〉や政令,そして憲法施行後の法律に関しては,その意図,
その実態,その結果を,明確にしなければならない。〈法制及び法制度の整備〉という表現に惑わ されてはならないのである。つまりそれは,単なる形式的整備ではなくして,立法権の所在に関し ての〈整備〉,故に二重の意味での「日本の行政権」の確立という形であったことを明らかにしな ければならないであろう。第一は,日本の人民大衆からの立法権の纂奪・あるいは掠取である。言 い方を換えれば,主権者である国民には立法権・行政権は与えないということである。そうして第 二がアメリカ占領軍からの,ではなくて,正しくは連合軍からの「立法権の相対的な自立」の貫徹 である。このためにサンフランシスコ講和条約と同時に,それと一体のものとして日米安全保障条 約が結ばれるのである。少なくとも法理学的にはそうである。この二点によっていわゆる立法権・
行政権が〈不変〉のものになるわけである。「立憲君主制」であろうが何であろうが,実質的な立 法権及び行政権を手中にすることが根本問題であったのである。この第二の点に関して,それを全 面に押し立てて日本の中枢は動いたのであるが,それに目を眩まされたのが残念ながら日本の政治 勢力,とりわけ革新勢力であったとも言えよう。端的に言えば,「それに引き続き」登場した内閣,
「連続した内閣」である吉田内閣の支配に甘んじてしまったのであり,日米安全保障条約に関して は1960年に至るまでは真にその戦略的意味が分からなかったのではないか。1950年の朝鮮戦争に対
して革新勢力が無力であったのは,したがって今現在の「沖縄問題」に関しても無力であるのは,
人民の立法権の確立という最大の課題を十分に理解できていないからではないだろうか。
このように見てくると,一方で中井が,国立国会図書館というところにおいてではあるが,「立 法機関」についての意識を持って,副館長として活動を始めるのは1948年からであるけれども,こ の立法機関の確立という意識を有していた点は十分評価されるべきであろう。結果的には,法務庁 との連携(中井は奇しくも,法制局設置法が成立する3か月前の1952年5月に死去するのである),
佐藤:国立国会図書館法・議院法制局法・内閣法制局設置法一「立法」の論理(3) 235
議院法制局との連携,国立国会図書館の調査及び立法考査局の充実及び支部図書館制度の確立(と りわけ,行政府に置かれるべき支部図書館の確立), (公共)図書館の改革・図書館法案の検討(単 なる〈読書機関〉ではなく,国民自身の〈調査・学習機関〉とすること),地方自治法に拠る議会 図書館の構想(国立国会図書館支部図書館制度からのアナロジーとして,確かに十分明確にではな かったが,中井には意識されていたのではなかったか。その設置が地方自治法の改正に拠り第100条 第14項,第15項に明文化されたのは中井の存命中の1947年12月になってからである。),日本図 書館協会(1949年,中井は金森の後を継いで理事長となる)の充実,それらのいずれをとっても,
その実現は今に至るもまだまだ〈課題〉ではあるが,中井の図書館論はそれまでのすべての図書館 論を越えうる展望を有していたのではないか。7)なお,1996年6月学校図書館法の一部が改正され て,司書教諭の配置に関して〈当分の間置かないことができる〉とされていた「但し書き」はよう やく「平成15年3月31日までの間(政令で定ある規模以下の学校にあっては,当分の間)」となっ た。が,この配置の問題も,学校図書館の基本的使命(学校図書館法第1条「学校教育において欠く ことのできない基本的な設備」)を,だから結局は国民・主権者としての基本的な権利の行使への 発展を十分に踏まえているかどうか,疑問は払拭されていない。
2)法制局解体の示唆一マッカーサー書簡(1947.9.16.)の前後
明治憲法に基づく,内閣官制としての法制局は,新憲法の基本精神である国民主権したがって議 会制民主主義の立法機関である立法府・国会に付属する立法補佐機関である両院の議院法制局とは まったく相容れないものであった。立法権が国民に固有の権利となったのであり,天皇の立法権は 消滅したのである。また,立法権が国民の固有の権利であるということから,国会が国権の最高機 関であり,唯一の立法機関とされたのである。つまり議員立法が根本に据えられている。この故に,
憲法には行政府である内閣の法案提出権に関する明文規定はないのである。憲法72条には「内閣総 理大臣は内閣を代表して議案を国会に提出し」とあるだけであり,この〈議案の提出〉の意味及び 構造に関しての本格的研究はあるのだろうか。また,内閣法は1947年1月16日に公布されており,
憲法施行の日から施行されているのであるが,憲法と内閣法の関係に関しては現在の筆者には触れ ることはできない。だが,ここには大きな意味・矛盾があると考えざるを得ない。内閣法第5条は
「内閣総理大臣は,内閣を代表して内閣提出の法律案,予算その他の議案を国会に提出し」となっ ているのである。内閣法の成立過程ということを憲法の成立過程と照らし合わせて検討する必要が あるのであろう。
それ故に本来的には,まず第一に明治憲法下の内閣官制としての法制局は自主的に解体されなけ ればならなかったのである。ところがこれがなされなかったのである。そうして,現実的にはさき に述べたように新憲法の施行まで,だから選挙法の実施まで,旧態依然としてではないとしてもく経 過措置としての政治過程〉が進行していたのである。
2)−1.マッカーサーの「警察制度改革に関する片山首相宛の書簡」(1947.9.16.付け)
なんと,〈法制局の解体〉が示唆されたのは,マッカーサーの片山哲首相宛の「警察制度改革に 関する書簡」においてなのである。この書簡は内務省及び司法省の根本的改革を意図したものであ る。極めて重要な,しかも長文の書簡である。r内閣法制局史』もr内閣法制局百年史』も,この
書簡の意図についてはまったく触れていない。書簡のタイトルも記さずに,ただ「内閣総理大臣宛 の書簡において次のように述べ,ここに内務省と法制局の解体が問題となっていたことが明らかと なった。(p.126)」と記しているだけである(r内閣法制局百年史』もまったく同じ文章であ る)。なお,〈次のように述べ〉として引用している部分は以下に示すように〈〉で示した部分だ けである。
長くなるが,資料として引用しよう。
「(前略)過去に於て日本警察制度の誤った一つの面は警察官が犯罪調査または犯人の逮捕若は
(ママ)公安の維持に関係なき幾多の行政的機能を司ったことである。斯かる行政的機能は凡て当 該事項の主管省の非警察的代表者が之を行うべきで,また地方公共団体に分散委譲を適当とする時
はr地方公共団体はその財産を管理し,事務を処理し,及び行政を執行する機能を有する』と規定 した憲法の条章に従って地方公共団体に委譲すべきである。法の執行過程(law enforcement)と密 接に関連する問題は,貴下がその書簡に於て特に指摘した如く,司法,行政制度の改革問題である。
日本国憲法に依り最高裁判所は今や司法関係事項の行政及び規則を定める権限を有する。独立せる 司法部の設置に伴い司法省は最早訴訟手続きに関する規則,裁判所の内部規律又は司法に関する其 の他の事項に対し管轄権を有しない。加うるに,司法行政における検察官の任務の減少と検察官が 最高裁判所の規則制定権に服従することに寄り,司法省の管轄下にある検察制度の根本的要素は徹 底的に修正せられた。
他方く行政部門たる内閣には憲法の諸規定を実施し,国会の制定する法律を施行し,且つ恩赦,
減刑及び復権問題を決定する権限が与えられている。この三権分立の憲法の規定を充分に反映せし める為には従来とも行政権と共に裁判権に対する権限を併せ持っていた司法省を廃止し,法務長官
(Attomey General)を以て之に変えることが望ましい。法務長官は国務大臣として内閣に列し,行 政部門に対する主法律顧問となる。法規を有効に実施する為には,国法の違反者逮捕に当る警察官
と最も密接なる連絡調整が必要である。法務庁(Attorney General s Office)を設け,之をして政府の 直接関心を有する民事刑事の訴訟を行わせ,且総理大臣及び其他の国務大臣が任務遂行上必要とす
る凡ての法律的意見を具申させることは,上述の密接なる連絡調整を図る機構を整えることとなり,
且法規の忠実なる施行を容易ならしめ,更に人民の自由の擁i護者としての司法部の独立を助長する ものと信ずる。此の法務長官を置く思想の線に沿って,政府の能率と経済の見地から現在の内閣法 制局は之を廃止することが出来るであろう。〉(〈〉で示したこの部分だけが,r内閣法制局史』
r内閣法制局百年史』に引用されている。)
書簡に概述された計画案に余が右に示した如き修正を加えれば其の枠内に於て,日本の新たな法 律執行制度が創設されることと確信する。其の制度はあらゆる治安上の要件を満たすものであり,
司法より行政を明確に分離する道を設けたものであり,且又同時に憲法の諸原則に忠実に合致する ものである。 (後略)」8)
ここにはっきりと見てとれるのは,1)明治憲法下おいて法制局が1945年までどういうものとし て機能してきたかということの確i認であり,2)新憲法の下では法制局は新たな主権者に,つまり主 権者によって構成される立法機関に属するべきものであるということである。そして,3)行政権と 裁判権が一体であってはならないということである。正確に言えば,両者が一体のものとしてそれ
までは天皇制を支えてきたのであるが,新しい憲法の下では,〈三権の分立〉でなければならない
佐藤:国立国会図書館法・議院法制局法・内閣法制局設置法一「立法」の論理(3) 237
というのである。したがって,「内閣」に法制局を設置すべきであるとは言っていないのである。
むしろ,それまでの,官制としての法制局,また1945年8月15日以降この書簡が出るまでの約2年 間の,日本側のいわゆる「内閣に属した法制局」という構想自体が却けられているのである。
しかし,日本側には,そういう発想が全くないのである。〈天皇直属の法制局〉という点がく政 府に直接連なるもの〉というように変化しただけなのである。言うまでもなく,ここで言う政府と
は,国民の,主権者の国会を明確に指してはいないのである。国民主権の実現,国民の立法権の具 体化を図る,と言う観点が,この時点まではまったく存在していないのである。
他方で地方自治法はすでに1947年4月17日に公布され,憲法施行の日に施行されていたのであ る。しかし,詳述は避けるが「警察制度改革」は進展せず,このマッカーサーの書簡が,提出され て後の1947年12月17日にやっと警察法が公布されたのである。施行は実に1948年3月7日である
(附則第1条この法律の施行の期日は,その成立の日から九十日を超えない期間内において,各規定 について,政令で,これを定める)。この警察法は,自治体警察の設置を眼目にしていたのである。
そうしてこの警察法には,次のような前文が付されていた。「国民のために人間の自由の理想を保 障する日本国憲法の精神に従い,又,地方自治法の真義を推進する観点から,国会は,秩序を維持 し,法令の執行を強化し,個人と社会の責任の自覚を通じて人間の尊厳を最高度に確保し,個人の 権利と自由を保護するために,国民に属する民主的権威の組織を確立する目的を以て,ここに警察 法を制定する。」ちなみに,この警察法は,1954年に〈全部改正〉されて現行のものとなった。
2)−2. 「議会の立法手続き等の報告に関する覚書」(1945.10.22.)に関して
ところで,実はマッカーサーの「警察制度改革に関する書簡」が公表される約2年前の1945年10 月22日には,既に「議会の立法手続き等の報告に関する件」が覚書として提示されていたのであ る。この覚書においては,確かに直接的な形で法制局の解体に関しての言及はなされていないが,
立法手続き全般に関しての極めて重要な内容を含んでいたのであった。言うまでもなく,1945年ま での立法手続きの根本的改革という意味での覚書である。したがって,この〈覚書〉が出されてか ら,約2年後に改めて,しかも上記のような「警察制度改革」についての〈書簡〉の中で具体的に法 制局解体の示唆が公表されるまでの間は,日本側には,とりわけ行政府(内閣)には国民主権の立 法府に関するなんらの真剣な構想も改革もなかったということになるのであろう。言うまでもなく 正式な法律はまだ立法機関がないのであるから成立しないのである。つまり法律案に基づいての行 政はまだなし得ないのである。法制局も,その歴史(上述)を見てみればわかるように,憲法施行 までの時期の法制局は,来たるべき新憲法への方向を打ち固めるべき機関であることを予定されて いたはずなのであるが,内部的に肝心のこの点に関しては極めて問題があったのではないか。また 他方では,敗戦から少なくとも憲法施行まで,いや新憲法公布後の選挙(戦後初の選挙は1947.4.20.
の参議院選挙〈これが第1回〉であり,憲法公布後初めての衆議院選挙は〈通算第23回になる〉
4.25.である)も実施されていない間は,主権者が登場してきていないのである。第一回国会は 1947.6.23.開会された。それ故,この間の〈行政府(内閣)〉は,主権者を厳密にそして正確には代 表していないのであり,法制局も従来からの書記官が経過措置として法制局を担当していたのであ
る。そしてこのことと関連するのであろうが,先回りして指摘しておけば,この〈書簡〉の後にも,
何と1950年7月6日になってからであるのだが,総司令部からの「議員立法及び法律案に対する修
正について,両院法制局長に対して要望された事項」がある。この時点では,新憲法を支えるべき 三権のひとつである行政権を根拠づける内閣法に基づく法制局設置法(後に「内閣法制局設置法」
と改称)はまだ成立していないことを注意しておきたいのである(成立は1952年7月31日であ る)。いってみれば,憲法施行後も,立法権の問題については大きな問題が存在していたのではな いか(尚,この〈要望された事項〉については前稿ですでにその全文を取り上げている)。
「議会の立法手続き等の報告に関する件」の内容とそれに対する日本側の反応はどのようなもの であったのだろうか。まず,肝心の1945年10月22日,連合軍民政局(Government section)の指令
「議会の立法手続き等の報告に関する覚書」(Proceedlngs of the Diet)はいかなる内容を持っていた のかを見て行こう。
r内閣法制局史』 (1974年)はこう書いている。
「ところで,法令に関する総司令部との連絡関係を定めた基本的なものは,法律案についての 1945年」0月22日付け覚書A・G・601号r議会における立法手続き等の報告に関する件』
(Proceedings of the Diet)であった。総司令部に対する連絡の具体的方法については,終戦連絡中央 事務局からの通知によれば,r政府提出法律案ニアリテハ内閣二於イテ法律案ヲ両院ノ執レカー方 へ提出スルト同時二内閣ハ之ガ写ヲ終戦連絡中央事務局へ送付スルモノトス』とされた。そして,
特に当局に対する通知には, r政府提出法律案ニシテ貴局二於ケル審査概ネ完了シタルトキハ担当 参事官各位二於テ主務省卜連絡ノ上不取敢之ガ写一部ヲ成ルベク速二送付アリタ(ママ,原文は,
度)キコト』と付け加えられた。(注4)。もっとも,この種の要求についての総司令部からの文書 は,これだけのようで,その後,この種の取扱が拡充されていったのは,すべて総司令部からの非 公式な申入れによるものであった。右は法律についてであるが,勅令以下についても,昭和20年11 月17日付けで,終戦連絡中央事務局から,昭和20年勅令第542号(ポツダム宣言に伴ひ発する命令
に関する件)と関連を有する等重要な命令については,その制定について方針ないし要綱一・部を,
法文交付のときはその写し一部を同局あて送付するよう通知を受けた(注5)。
このような状態は,講和条約の発効による独立(昭和27年4月28日)まで続くわけであるが,法 令に関する総司令部に対する連絡の必要性は,占領後時間の経過とともに暫次緩和されていった
(151頁〈注1>参照一これはr内閣法制局史』のページのことである)。ただこの間の事情を示 す資料がそれほど残っていないのは残念である(注6)(注7)(注8)。(pp.102〜103.)」
なお,この間の事情は佐藤達夫r日本国憲法成立史(第1巻)』有斐閣,1962,ではこうなって いる。読みにくくなるのであるが,注5)との関係もあるので引用しておこう。「なお,占領中少な くとも一九四五年十一月以後においては,すべての法律案及び勅令案(政令案)について総司令部 への報告を必要とした。一九四六年五月から,さらにそれが厳重になって,法律案については,要 綱の段階において総司令部に連絡し,先方の承認をえてはじめて議会(国会)に提出する扱いとな った。政令案については,一一九四七年七月以後,翌年の八月までのあいだは,やはり事前の承認が 必要とされた。この場合において,司令部の意向により法令案の内容が修正され,あるいは,廃棄
とされたこともたびたびあった。(p.141)」この指摘は重要である。r内閣法制局史』はまさしく この勅令案(政令案)についてはあいまいに記載しているのである。
「(注4)終戦連絡中央事務局が,総司令部の覚え書きに対応して作成し,関係当局に対して通知 したものは,次のようなものであった。(p.104)」r内閣法制局史』
佐藤:国立国会図書館法・議院法制局法・内閣法制局設置法一「立法」の論理(3) 239
ただし,以下は,佐藤r日本国憲法成立史(第1巻)』pp.142〜143からの引用である。
「法律案の関係では,まず,1945年10月22日付覚書A・G・601号く議会における立法手続 き等の報告に関する件〉(Proceedings of the Diet)がある。終戦連絡中央事務局は,これに応じ て報告に関する具体案を作り,11月2日,先方に提出してその了解をうるとともに,これを関 係当局に通知している。その内容は次のとおりである。
記 一,資料の蒐集方法
(一)法律案(原案)
(イ)政府提出法律案ニアリテハ
内閣二於テ法律案ヲ両院ノ敦レカーへ提出スルト同時二内閣ハ之ガ写ヲ終戦連絡中 央事務局へ送付スルモノトス
(ロ)議員提出法律案ニアリテハ
当該議院事務局ヵ所属議員二対シ法律案写ヲ配布スルト同時二同事務局ハ右ヲ終戦 連絡中央事務局へ送付スルモノトス
(二)議事経過
両院事務局ハ貴族院彙報衆議院広報及修正案ヲ所属議員二配布スルト同時二之ヲ終戦 連絡中央事務局へ送付シ又両院事務局ハ夫々各法律案二付自院二於ケル議事終了シ議 決法律案ヲ他院へ送付シ或ハ奏上手続ヲ執ル為内閣へ送付スルト同時二之ガ写ヲ終戦 連絡中央事務局へ送付スルモノトス
(三)法律ノ公布
内閣二於テハ帝国議会ノ議決ヲ経タル法律案ガ法律トシテ交付セラレタトキハ直二其 ノ旨ヲ終戦連絡中央事務局へ通報スルト共二右法律(写)ヲ送付スルモノトス 二,報告形式及内容(佐藤達夫省略)
三,報告提出期日
(一)終戦連絡中央事務局二於テハ報告提出二当リテ左ノ通努力スルモノトス
(イ)法律原案二関スル報告ハ法律案ガ議院二提出セラレタル後可能ナ限リ速二之ヲ提 出スルモノトス但シ提出セラレタル法律案ノー般的目的ヲ表示スベキ簡単ナル表題 ハ提出ノ翌日二之ヲ報告スルモノトス
(ロ)議事経過二関スル報告ハ各院二於ケル議事終了ノ日ヨリ三日以内二之ヲ行フモノ
トス
(ハ)公布セラレタル法律二関スル報告ハ法律公布ノ日ヨリ三日以内二之ヲ行フモノト ス但シ交付セラレタル法律ノ名称及番号ハ直二之ヲ報告スルモノトス
(二)貴族院彙報及衆議院広報ハ発行後直二之ヲ送付スルモノトス 四,法律案及法律ノ全文ヲ含ムー切ノ報告ハ英語ヲ以テ行ハルルモノトス
五,本件聯合国最高司令部覚書二依リ要求セラルルー切ノ資料ハ各五部提供セラルルモノ
トス
これについての終戦連絡中央事務局から法制局に対する通知には,「政府提出法律案ニシテ貴 局二於ケル審査概ネ完了シタルトキハ担当参事官各位二於テ主務省ト連絡ノ上不取敢之力写一
部ヲ成ルヘク速二送付アリ度キコト」というのが付加されている。なお,十月二十五日付「朝 日」には「十月二十四日に総司令部は次の議会に提出される法律案およびその審議状況(法制 局の審議にかけられてから法案の成立に至るまでの)を英文をもって報告することを命じた」
ことが報道されているが,これはこの覚書を指したものであろう。」
「<(注5)はr内閣法制局史』では,上に引用した通知のみが記されているのでこの注も佐藤 r日本国憲法成立史(第1巻)』から補充引用した。>r勅令(案)以下については,同年十一 月十七日付(絡普通合485号)で,やはり終戦連絡中央事務局から,内閣書記官長および各省次 官あてに次の通知が出ている。
一九四七年七月司令部二対スル重要勅令,閣令及省令報告ノ資料二関スル件
議会二於ケル立法手続等ノ聯合国最高司令部宛報告二関シテハ昭和二十年十一月十一日附往信 絡合第四六九号ヲ以テ貴意ヲ得置キタル所ナルカ更二今般同司令部ヨリr法規ノ効力ヲ有スル閣
令又ハ省令(Cabinet Ordinance or any other Govemment Decrees which have the force law)二付テ
モ能フ限リ同様ノ報告ヲ得度』旨要求越セル処察スルニ右要求ハ緊急勅令其他ノ重要勅令並二特 二重要ナル閣令及省令(就中昭和二十年勅令第五百四十二号「ポツダム」宣言受諾二伴ヒ発スル 命令二関スル件ト関聯ヲ有スル命令)二付其ノ交付前後二於テ速カニ報告ヲ受ケ度意向ト認メラ ルルニ付テハ今後貴庁主管ノ勅令,閣令及省令ニシテ右二該当スルモノニ付テハ其ノ立法二付方 針乃至要綱決定セルトキハ速二右方針乃至要綱案一部ヲ尚其ノ後法文交付ト同時二右命令ノ写一一 部ヲ当局宛送付セラルル様特二御高配賜度右御依頼申進ス(以下佐藤達夫省略)
以上の二つが司令部に対する法令の連絡についての基本的のものであるが,予算は別として,
この種の要求についての司令部からの文書は,10月22日の覚書だけのようであり,その後この扱 いが拡充されていったのは,すべて先方の非公式な申入れにもとつくものであったとみられる。
(P.144)』」
「(注6)この間の事情を示す資料で法制局に保存されているのもとして,次のようなものがあ る(全文はr内閣法制局史』pp.106〜126,ここでは主な項目のみを掲げる)。
o政令のSCAPの承認に付いて(法制局 昭二十二,七,二)
一,政令で,実質的な内容を有するものは,その公布前G・Sを通じてSCAPえ提出し承認 を得ること。(以下略)
○調合第五十九号
昭和二十三年八月六日
連絡調整中央事務局次長 法務総裁官房長殿
政令案の連合軍総司令部に対する提出に関する件
本件に関し当事務局第二部調整課に対する関係書類提出手続きは屡々公信により連絡した ところであるが,八月五日ガヴァーメントセクションよりの口頭の指示(別紙参照)に基づ き,法務庁法制長官の判断に基づく重要政令案は「報告」としてガヴァーメントセクション に提出することになったので,本件手続きを左記の通り変更することとしたい。就いては今 後本信に従い措置せられたい。
佐藤:国立国会図書館法・議院法制局法・内閣法制局設置法一「立法」の論理(3) 241
左記
(二)右提出に当っては必ず,法務庁法制長官の審査承認証票(英文)を添付のこと なお証票の様式等については法務庁において準備している
(三)提出の時期
法務長の承認後,閣議決定の有無にかかわらず速かに送付のこと
(別紙)
国会政治課よりの口頭指示要旨(国会課長のウィリアムズの関与がある一引用者)
(一)政令(ポッダム勅令も含む)は今後ガヴァーメントセクションの事前承認を要せず日 本政府の責任において公布施行を認める。
(五)以上の新手続き実施に際し法務庁に於て政令案を審査する際に於ては特に左記の点に つき特に留意し厳格に実行につとめること
第一,政令案の条項が連合軍最高司令官指令及び憲法その他基本諸法律を侵害するこ となきや否や
第二,政令案の各条項は根拠法の規定せる法的範囲を逸脱することなきや否や 第三,政令案の各条項が立法事項たる実質的事項に立ち入って規定していることなき
や否や
○政令のSCAPへの報告について
法務庁法制総務室(23,8,10)
一,日 七 二日G・Sと当、の法幅との に政令案で実質的な内容を有するものは,その交付 前G・Sを通じてSCAPへ,提出し,その承認を得ることとされたが,本月五日G・Sの申出によ り,今後は,事前の承認を要せず,閣議決定がなされた後に政令案(英文)に,法制長官が署名 した別紙様式の符箋を添え,これをSCAPへ報告することとなり,ポッダム政令もこの例によるこ ととなった(政令の交付は,報告と関係なく行われる)(アンダーラインは引用者。)。
従来左の各号に該当する政令は,承認を要するものと特に諒解されてゐる(ママ)。したがっ て今後も報告を要する。
(一)官庁,委員会等にあらたなる権限を附加するもので重要なもの
(二)警察上の権限を付与するもの
(三)官庁と地方公共団体との権限の調整に関するもの
(備考)
符箋の処理は,次のようにする。
1 法務庁の審議を終え,政令案が閣議に附される際その報告を要するものについては,各 議案に, r要報告』の旨を記載し,これに付箋を添附する。
2 政令案について閣議決定があった後,内閣官房において右の付箋に交付予定日等を附記し,
議案の請議庁に交付する。もし,政令案が閣議において修正された時は,内閣官房は,付箋 を請議庁に交付する前に,その旨を法務庁に,通報する。
3 請議庁は,従来の手続により,政令案(英文)をG・Sに提出する際これに,付箋を添付
する。
○二調合第三〇四号
昭和二十四年四月二十日
連絡調整中央事務局次長 連合国総司令部に対する法案連絡の件
一,四月十八日総司令部民政局国会政治課係官より左記口頭指示があった。
記
連調を経由正式に総司令部民政局に提出した法案につき,その後各省庁代表が,総司令部関係 部局課と話し合いの結果原案に修正を加えることになっても,民政局としては先ず右修正につき 総司令部関係部局課より正式に通知を受け,その旨連調を通じ関係各省庁に通知した上で作成さ れた修正案以外の一切の修正案は受取らないことに決めたから,この旨各省庁に徹底ありたい。
右は審査を迅速にするためである。
二,ついては,正式に法案を総司令部に提出した後においては,右の手続きを遵守されたい。若し 総司令部関係部局課より直接修正の指示があった場合には必ず当該関係部局課より正式に民政 局国会政治課係官(ハリス少佐及びギダー大尉)に修正点を連絡するよう要請願いたい。
なお,総司令部関係部局課の指示に基かずに総司令部提出法案に正誤を要する場合,極めて 簡単な字句ならば再提出を要しないが,相当訂正が広汎に亘ると法案の再提出を要求せられ,
結局承認が遅れることになるから正式に法案を総司令部に提出する前にご検討の上訂正なきよ うご留意願いたい。
o二調合第三一七号
昭和二十四年四月二十五日
連絡調整中央事務局次長 法務総裁官房長殿
連合国最高司令部に対する法案連絡の件
一,連調を経由正式に総司令部民政局に提出した法案の修正については四月二十一日附拙信二調合 第三〇四号までお知らせしたとおりであるが,同民政局が正式に承認を下した法案に対して,更 に内容または法制的な表現方法或いは英文翻訳において修正を申出られる場合が最近少なからざ る数に上ったので,その取扱について四月二十三日は民政局と協議したところ,左記のごとく指 示を受けたので,ここにご通知する。
記
民政局において承認を与えた法案については,国会が修正を行う場合は別として,絶対に修正 を認めない。英語翻訳については間違いのあった時其責任は各省にある。尤も翻訳訂正について 総司令部関係セクションと話合いついたもの(ママ)については考慮する。
二,民政局の方針が右の如くであるから提出法案については,提出前に徹底的に御検討の上,承認 を受けた上は原形のまま国会に提出するよう十分御注意ありたい。
○連法合第六七九号
昭和二十四年九月十四日
佐藤:国立国会図書館法・議院法制局法・内閣法制局設置法一「立法」の論理(3) 243
外務事務次官 法務総裁官房長殿
連合国総司令部ガヴァメント・セクションによる法令等の審査手続きに関する件
一,今般第六国会に備えてGSによる法令等の事前審査手続につき累次の公信で連絡したところ別紙 要綱の通り取りまとめたから今後は右により諸般の手続ならびにその準備を進められたい。
(別紙)
連合国総司令部ガヴァメント・セクションによる法令等の審査手続要綱
(纏撫鋤
連合国総司令部ガヴァメント・セクションによる法令等の審査手続について
すべて法律案,予算案,国会の承認を求むる件等は,国会上程前に,政令,決算等は事後に,外 務省連絡局法制課(以下法制課という。)を通じ,連合国総司令部ガヴァメント・セクション(以 下GSという)の審査承認を受け,又勅語,詔書,内閣総理大臣の施政方針演説等は事前にGSに報 告し了解をうけなければならない。これらGSの審査を受けるための手続き,法制課当て提出書類は 左記のとおりである。
記 一,法律案のGS事前審査手続要項
(一) GS承認取付までの手続各府省庁本部提出の法律案は閣議決定の確認の後(二)に記載し た書類をそえ速かに法制課に提出する。法制課においては,書類が完備しているかおよび英 訳文が法律案文の正確な翻訳であるかどうかを確認した上でGSに提出その事前審査を受け
る。
(イ)従来事前承認取付けを急ぐあまり閣議決定を受ける前にこれを受けたものとして提出,そ のために事故をおこし却って遅延した例がおおいから,右のごときは絶対に避けられたい。
(ロ)英訳文が正確な翻訳でないときは,法制課において主管官庁に返却,訂正をうけたのちに おいて,GSに提出するよう,とくに注意をうけたから,今後は翻訳が正確か否かを確かめる 時間的余裕を法制課に与えるよう閣議決定後速かに提出せられたい。またとくに英訳の正確
さを期されたい。
(ハ)一旦GSに提出せられた法律案は総司令部または国会において修正せられない限り,一切の 修正は認められないから,英訳文の正確さのほか正文の正確さについても格段の注意をせら
れたい。
(二)法制課に提出すべき書類及び部数
(1)和文五部 (2)英文十三部 (3)参照法律英文七部(和文不要) (4)行政管理庁 o o o o o o o
承認書一通 (5)当該法律案梗概説明書又は提案理由書(和文)一通 (6)要目票二通 o o
(三)承認通告
GSは法制課より提出を受けた前記法案をGHQ内関係セクションに配布の上総合的審査を行 い,総司令部としての最後的承認を法制課に通告する。右GSの承認通告は,すべて法制課より 当該府省庁及び内閣官房あて電話その他口頭をもって連絡せられ,文書にはよらない。
法律原案につきGSにより法制課を通じて大幅の修正がサゼストせられて修正が行われた場合