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明治初期の翻訳図画教授書とその原本の研究

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茨城大学教育学部紀要(人文・社会科学・芸術)30号(1981) 19−34      19

明治初期の翻訳図画教授書とその原本の研究 ボルンとチャンプル原著の翻訳

金 子 一 夫*

(1980年10月20日受理)

On the Translations of Drawing Books in the Early Meiji Era         *

jazuo KANEKo

(Received October 20,1980)

Abstract

This paper examines Japanese translations of English originals:Robert Scott Burn sη261〃πs 剛ρ4 Dη癬㎎βooん, Chambers s Drawing−Painting・

SculPtu「e in C加祝∂θ四苫!蜘7規α ガoηノ∂7〃zθ勘oヵ♂召and Chambers s、F薦 βooんσZ)矯ω掬息 The translations introduced to Japan courses in European drawing and painting. The translations and originals are compared, and modifications of the text and figures are examined. The translation of Burn s book can be seen as almost correct, though with some additions and modifications of figures. The translation of Drawing−Painting・Sculp・

ture , though, contains many errors, probably because the content of the original was too advanced for the translator at the time. Although the F然 Boo々6ゾ∠加躍初g contains a small quantity of text, difficult words or sentences are omitted in translation.

1  は じ め に

近代日本における西洋画研究は西洋からのさまざまな情報を頼ってなされた。特にその黎明期にお いて銅版画を細筆で模写したり,絵具や道具を似た材料で自製した努力等には驚かされる。一方,西 洋の技法書から文字を通して学ぶ努力もなされていた。明治時代になって学校教育に「画学」等の名 称で西洋のdrawing(dessin)が導入されたことによって,この技法書等の研究は急速に必要となっ た。制度的に設定されることは,体系的に整備された内容と方法を前提とするからである。それまで のような個人的,あるいはそれに近い指導内容と方法では済まなくなるのである。そして,drawing が小学校,大学,師範学校,陸海軍の学校までほとんどすべての学校に教科として設定されたことは,

*茨城大学教育学部美術科教育研究室(Faculty of Education, Ibaraki University)

(2)

それまでとは比較にならないほど実践の量的拡大が方向づけられたことであった。どうしても口授で は間に合わず,印刷出版による普及が要求された。教科書とまでいかなくても,啓蒙書は絶対に必要 であった。なぜなら,学校教員の大部分は,「画学」がいかなるものであるかを知らなかったと思わ れるからだ。明治初年にあっては教授書を独自に編むこと自体さえ困難であったのである。それゆえ,

最初は西洋の教授書の翻訳出版が企てられたと言えよう。

西洋の図画教授書から図画のみを採り,図画教科書を編纂する例は多い。文章を翻訳することも,

少ないわけではない。本多錦吉郎の業績をはじめとしてかなりあると言ってよい。近代日本美術史研 究の進歩は,個々の作家の作品の成立については多くを明らかにしている。それに比べると翻訳につ いての研究は未開拓と言えよう。原本等の入手や閲覧が今となっては困難になっているとはいえ,作 品と同様,日本の近代美術及び図画教育の担い手の意識や西洋美術の理解状況を知るうえで重要な資 料である。実際に見たことのない物や事,あるいは見聞していても訳語がないもの,それらがどのよ うな日本語に置きかえられたのかは,非常に興味あることである。材料や道具についてはともかく,

技法や画面効果上の用語や概念は,訳者の理解を超えるものが多かったと思われる。西洋画の感覚を どの程度,文字を通して捉えることができたのかを見ることは重要になるであろう。また,原本内容 の取捨選択や訳注なども,訳者の絵画意識を示すものとして検討されよう。

本稿は最近,原本らしきものを知ることができた三種の翻訳図画教授書についての調査研究である。

すなわち「ロベルト・スコット・ボルン」原著,川上寛訳『西画指南』(前編,明治四年),そして,

「チャソブル」原著,内田弥一訳「画学及彫像」(明治九年),同じく宮野東洋訳「洋画初歩」(明 治十八年)である。原本といっても私が見ることができたのは訳者が翻訳の際に使用した現物では,

もちろんない。そして,版が翻訳に使用したものと同じであるかどうかも確定し難いのであるけれど も,一応原本として考えることのできる著書と翻訳の比較を試みる。

2 『西画指南』とThe IIIustrated Drawing Book

「西画指南」は明治四年秋に文部省より発行された上下二冊の和本である。扉に少助教川上寛纂訳 とあり,用紙には大学南校の名が入っている。発行されたことが確実な図画教授書のなかで最初の本 であり,相当数発行され教科書として使われた。いわば,近代美術教育の原点である。訳者の川上寛

(1827−1881)は旧幕府時代に蕃書調所(後に洋書調所,さらに開成所と改称)で絵図調役,画学出        1>

,そして画学局頭取をっとめた西洋画研究の第一人者である。幕府が倒れた後,沼津の兵学校に関 係したらしいが,開成所筆生を経て明治三年に大学南校図画御用掛となる。そこで晒画指南』が発 行される。その発行とほぼ同時に大学南校をやめ,文部省に移る。さらに明治五年十月に陸軍兵学寮

(明治六年より瞳士官学校となる)に勤務する。そこで「地図彩式』2)(騨文鼠明治六年)の製

作者の一人となったり,明治七年には図画教科書『写景法範』(陸軍文庫),明治八年にはr西画指 南』の後編として二冊付図一冊(文部省)を刊行した。その後,陸軍参謀局,さらに参謀本部地図課 勤務となり,地図作成に携ったらしい。しかし,明治十四年に自殺したとされる。川上の確実な洋画       3)

フ作品は少ない。ただ,挿絵として有名なものがいくつかある。横山保三訳「魯敏遜漂行紀略』(安 政四年),内田正雄r輿地誌略』第一巻より第六巻(明治三年,四年),大槻修二編「追遠会誌」

(明治十年)などである。それらを見ると年代順に川上の技術の発展が感じられる。

      セノ

u西画指南』の凡例には「此書原本八千八百五十七年ノ鏡行英人ロベルト,スコットボルソ氏ノ 著ハセシ訓蒙ノ小冊子ニシテ・・一」とある。畏友,尾埼尚文氏はそれがRobert Scott Burnの

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金子:明治初期の翻訳図画教授書とその原本の研究       21

The Illustrated Drawing Bookであるらしいことを発見された。氏は本多錦吉郎の手沢本を調 査するうちに,BurnのSelf−aid Cyclopaedia, for Self−Taught Students.という合本中に ある同書に気づかれたのである碧氏の教示を得た後,私が調査した結果をまとめてみる。本文を対照 すると,ほぼ内容が一致し,過不足もほとんどないので,The Illustrated Drawing Bookが原 本であることは間違いないであろう。ただ,図版も大部分はそのまま移されているが,いくつかは変 更されている。そして,原本にはない図版もある。また,原本の何版が使われたかについては,多く の問題があり確定し難い。British Museum General Catalogue of Printed Booksや National Union Catalogue Pre−19561mprints等の目録を見ても,川上の言う1857年版は ない。それらの目録によれば,同書はThe Illustrated London Drawing Book(1852)の改 訂版であるらしい。そして,三版と四版が1856年に出ている。その後が大分離れて1893年に新版が出 ている。先の合本そのものは刊年不記であるが,その中にある同書には四版の序があり,1856年発行 のものと同じ内容と思われる。川上は小冊子と言っているので,合本を使ったとは考えにくい。川上 の言う1857年が間違っていなければ,四版かそれ以後の版を使用したのであろう。いずれにせよ,合 本中の同書と川上が用いた原著の版が近いことは言える。

Robert Scott Burnは先の目録によればかなり多数の著書を残している。しかし,経歴等は不 明である。多くの人名事典にも載っていない。著作が1850年のPractical Ventilationに始まり,

1899年頃のProfitabie Pig Keepingに終っているので,1820年代に生れ1900年頃没しているの ではないかと思う。そして,The IlIustrated Drawing Bookは初期の著作であることがわか る。そして著作目録より判断するに,Burnは画家やi美術家ではなく技術家,建築家,農学者といっ た方が適当である。初期の著作にはEngineerという肩書きをつけている。後の本では以前に書いた 本の著書という肩書をつけているので,ある職場に所属したことはないのかもしれな魂Burnの著 書は技術とか農業に関するものが多いせいか,明治初期に多く輸入されている。現在,国立国会図書 館や内閣文庫等にそれらが残っている。それらは純然たる研究書,学術書ではなく啓蒙的観点から書 かれている。特に民衆の啓蒙と厚生に寄与しようとする意識が強いように見える。たとえば,Practi一 cal Ventilationは,健康のために排気を考えた建築がいかに必要かを説き,その実際案を示した

ものである。また,On The Arrangement,Construction,&Fittings of School−Houses

(1856)にも,そのような観点がある。上流階級には排気や啓蒙は必要ないものである。確に当時の 英国では工業化による急激な人口集中で,労働者はひどい生活をしていた。

Burnの啓蒙対象は英国民衆であったけれども,はからずも日本民衆も啓蒙することになった。そ の一っが川上訳の『西画指南』なのである。Self−aid Cyclopaedia中のThe Illustrated Drawing Bookの内容を見よう。その目次と「西画指南」に訳出されている部分との対応を矢印で

示す。

INTRODUCTION

pREFAcE To THE FouRTH EDITIoN         上,凡例

SEcTloN I OuTLINE sKETcHING        →   第一章 輪郭ヲ描ク法

カゲヒナタ

SEcTloN五FIGuRE AND oBJEcT D㎜NG   → 下,第二章 物形ノ陰陽ヲ分ツ法 PART 皿 PRopoRTIoN oF HuMAN FIG疋RE   →   第三章 人物ノ描法

SEcTIoN 皿 PERsPEcTIvE DRAwlNG

PAR T I〜V.(それぞれのタイトルは省略)

SEcTloN 」V ENGRAvlNG

(4)

SEcTIoN V Woo卜ENGRAvING

以上のように訳出されているのはSEcTIoN Iと1[のみである。皿にPART Hとあるが, PART Iの方 はタイトルがつけられていない。川上が訳出した部分はBurnの本では基礎の部分にあたる。 Burn は皿1のPERspEcTlvE DRAwl NGを最もていねいに論じている。 WとVの銅版画や木口木版もBurnは 図画を広める方法として特に付加したのであるが,川上は訳していない。訳して出版するには内容が 高度すぎると川上は考えたのであろう。INTRODUCT【ONも凡例として訳されているのではなレ㌔

別な内容である。それらは原著者と訳者,それぞれの図画に対する考えを示している。Burnの INTRODUCTIONの大要は次のようである。

Artが教育制度の中で無視されているので,この本がその有用な影響を拡大する方法をもたらすも のであるとされるであろう。図画は教育に欠くべからざる本質的なものではなく,芸能や装飾物とし て考えられていた。従来,それは富裕者のものであった。最近,多くのことが中流,労働者階級に美 術の知識を獲得させる方法を与えるためになされている。図画の技術は芸術家や図案家にのみ必要と されるのではなく,読み書きと同じように一般教育として毎日教えられるべきである。なぜなら,趣 味の開発は重要である。それによって諸芸術と手工業の改良もなされる。民衆に関して我々は大陸諸 国より遅れている。物に美的秩序をもたらすのに,第一の手助けとなるのは図画なのである。図画に よって美術を簡単に教えることができる方法が必要なのであるが,図画はしばしば不規則で散漫な課 程でもって教えられている。しかし,そのような経験的な法則にのっとったものでは効果がない。我 々は明確な第一原理の説明から教授を始めたい。すべての図画はある線と形に還元できるので,我々 は最も容易なそれらから練習させたい。それらを積重ねていって最後に最も複雑な課題が与えられる であろう。そして,さまざまな眺めを正確に描くために視覚の法則(透視法の基礎)が明らかにされ る。そしてすべての操作が何故そうするのかの理由も理解させたい。単に練習によって容易さが得ら れても,基本原理に基礎づけられてなければ彼の操作は曖昧で不確なものであろう。学生は先を急ぎ すぎる。単純な法則と例の組合せから教えられれば,進歩は遅いけれどもそれだけ確実である。そし て,複雑なものも単純な線の組合せにすぎないから,簡単に描けるであろう。

以上のようにBurnは図画教育の必要性と,その方法における系統性の必要を強調している。1851 年にロソドンで開かれた万国博覧会が英国に大陸諸国より趣味が遅れていることと,その対策として 図画教育の必要性を認識させたと言われている。Burnの著書もそういう意識から生れた本の一つな のであろう。それでは「西画指南」の凡例はどのようなものであろうか。

アキラカ

一、世二画図ノ有用欠ヘカラサルヤ文ノ盤ス能ハサルヲ補ヒ幽微ヲ晰ニシ教化ヲ稗ヶ功ヲ六籍ト同  ウス又其精絶微妙二至テハ当二工ヲ造化ト争フヘシ故二泰西諸国二於テハ画図ヲ以テー科学二充

@ツ

[、画学ノ書和漢固ヨリ之有而レトモ其原因ノ理ヲ究メサルカ故二各一家ノ言ヲ為シテ寛二公論二 坂(筆鷲)ス堵撫シ独リ泰西・画ヲ論ス・レ鮨暗室中鍵窮二映ス・レ物影・以テ法トス故

二古今数家ノ説ヲ合輯スルニ猶一人ノ説二出ルカコトシ是即チ和漢二優リテ精妙ナル所以ナリ

タダ       ナヌ      キ カ ガク

一、西画特暗室中ノ物影ヲ以法ト為ノミナラズ幾何学ヲ以テ規本トシ其理ヲ拡メテ遠近高低日月及       イワ妙        (智)

q燈火映影等万物ノ写真法ヲ発明ス所謂照景法是ナリ而メ映鏡ノ理ト暗合スルハ実二其術ノ精妙 ヲ微スルニ足レリ (以下略。引用文中の異字体,旧漢字の大部分は新漢字に改めた。)

西洋の画学は投影画法や透視図法という確固たる基準の上に体系づけられているので,東洋のそれ と違って客観性があるというのである。つまり,一つの科学であるというのである。西洋の画学がす べて投影画や透視画に基礎づけられた体系性を備えているわけではないが,それらが重要視されてい

(5)

金子:明治初期の翻訳図画教授書とその原本の研究       23

るのは事実である。多くの画学書は透視画にスペースをさいている。革新的な図画の練習方法を提示 したラスキソでさえ,透視図法があまりに無視されるのには賛成していない。徐々に絵画的表現と透 視図的なものとの分裂がひどくなり,図画教育上の大きな問題となるのであるけれども,Burn,そし て川上の時代はまだ透視図が基礎として十分な有効性を持っていた。実際,明治八年に刊行される

「西画指南』後編は透視図法である。 「前編」は透視図のそのまた基礎である。

Burnの著書は本文に入ってから「西画指南』に訳出される。まず,Burnの本からその大筋を拾 ってみよう。SEcTIoN Iは輪郭線の練習である。 INTRoDucTIoNで言われているように,忍耐を要 する基本的な線の練習が続く。手が目の指示に完全に従えるようにならなければならないとする。最 初はチ・一クと黒板か石板を用いる。容易に線が描けるようになったら紙と鉛筆で行う。定規を使わ ず目と手だけで直線を引く練習がまずあり,垂直線,水平線,斜線,平行線が一・気に容易に引けるま で続けられる。それができたら,カギ形,正方形,長方形,三角形などの練習に入る。これらの線で 額橡やドアの形が描ける。次に曲線の練習がある。円や楕円が完全にマスターされる。それから,体 得した直線,曲線を使って建物の部分の形の練習がある。そして,やっと立体的な外観を持つ物,た とえば斜めから見た本や箱を描く。もちろん,模写である。次いで円や楕円を基本形とする葉や花,

手足の輪郭図の模写があって,SECTION Iが終る。そこに至るまで幾度となく,これら無意味に見え かねない基本練習の重要性について念をおされる。

SECTION皿は陰影をつける練習である。紙と鉛筆を用いて陰影を十分につける。順序として輪郭 をまず描き,次に陰影を一気につける。タ・チを交又するようにすると丸みが出やすい。陰影,ある いは明暗の組合せによって,物が浮き出して見える効果(relief)が得られるとする。物の明暗の組 合せを工夫してこの効果を出さなくてはいけない。っまり,前にある物と後にある物とに明暗の差を っけるのである。その練習のため日常の器物の後に,樹木,風景などが提示される。また,模写の後 に似た題材を写生すべきことも指示される。大気によって遠景が淡く見えることも注意される。さら にSEcTloN五のPART Hが特に設けられ,人体の比例と石膏像の写生が説明される。人体の諸部分 の比例は古大家の作品から得られた標準がある。ただ,その規準によっていつも美が得られるとは限

らないとも注意している。そして,顔の諸部分相互の比例,頭や手足と全身との比例などが説明され る。それが終ると石膏像の写生がある。まず木炭で輪郭を探り,確実な輪郭が得られたらその上を黒 チ・一クでなぞる。ハンカチでたたいて木炭粉を落すと,黒チ・一クの正しい輪郭が残る。そして黒 チ・一クで陰影がつけられる。擦筆を使って柔い調子の下地をつくり,その上に鋭く削ったチ・一ク で陰影を完成する。誤った部分はパンで消す。

以上がBurnの本のSEcTloN I,豆の内容である。川上はそれをどのように訳したのであろうか。

前に述べたように,原文の内容の削除や訳者の補足はほとんどない。もちろん,文の一部を省略した り,原文の感じから大分離れた,かなりの意訳もある。けれども,一つの文全部を省略してしまった 所はないように見える。そして,純粋に補足と思われるのはいくっかの割注と,第二章の末尾にある

「夫墨画ハ此術ノ基本ナレハ是ヨリ油画又ハ彩画ノ高上ナル科二登ルヘキ階梯ト謂フヘシ」という文 である。であるから,形式的には忠実な訳というべきであろう。ただ,図版は変更や追加がある。訳 が完全に間違っていると断定できる所はないけれども,原文と対照しないと訳が何を言おうとしてい るのか理解し難い所はいくつかある。その原因の一つは訳語である。訳に使われた当時の言葉が今日 使われている言葉と外面的には同じであっても,意味が違う場合があるのである。また,川上が苦心 してつくりだした訳語もある。さらに,川上の訳の特徴として同じ単語をいろいろに訳し分けること

ケイコニン

がある。たとえば,pupilは「此学二従事スル者」(一丁), 「初学ノ人」(二丁),「生徒」(三,

(6)

七丁), 「初学ノ者」(十丁), 「初学ノ輩」(十八丁), 「初学」(下の一丁), 「画家」(下の

ケイコニン

六,九,十四丁),「学者」(下の二十二丁)のごとくである。 「学者」などは「ケィコニソ」とル ビがなければ意味を誤ってしまう。当然,川一ヒが単語の意味を誤っている場合もある。それらが錯綜 しているので意味不明の訳をただちに誤訳とすることはできない。ここでいくつかの重要な訳語を検 討してみよう。具体的な用具の訳から見る。

ケレヨン   ヤキフデ

訳には「筆」,「石筆」,「灰筆」,「朽木」などの描材が出てくる。それらを原文で対照してみ ると,問題がいくつかある。一番の問題はpencilが毛筆の意味に訳されていることである。 pencil sketchingやpencil drawingは「墨画」,pencil or chalk(P.15)は「筆又ハ灰筆」(十七丁)

と訳されている。さらにfree penciI sketching(P.26)を「筆画」(三十三丁)とし,その後に割       筆者注

高ニして「西画ニハ鉱(=鉛)筆灰筆等ノ各種ヲ用テ画ヲナスナリ今此処ニハ通常ノ毛筆ヲ以テ画ク モノヲ云フ」と加えている。これによりpencilを毛筆としているのは明らかである。意図的な変更か 誤訳か,それともpencilに毛筆の意味を認めて訳したのかは,にわかに決定し難い。 Burn自身も陰 影をつける段階になるとpencilではなくblack lead pencilと特に言っているからである。川上も 後者は「石筆」と訳している。 「石筆」が今日の鉛筆を指すことは,多くの用例もあり間違いではな いであろう曽明治初年の英和辞書を見ると,1ead pencilはほぼ「石筆」になっている。なかには

       7)

u鉛筆」とし「セキヒツ」とルビをふっているものがある。ただcrayonも「石筆」としている辞書が いくっかある。とにかく,black lead penci1は原著者も訳者も今日の鉛筆を考えていたのである。

       8>

竭閧ヘpencilである。語源的には毛筆を指すらしい。仏語のpinceau(筆)と同系列の言葉である。      9)

実際,hair pencilという言葉は今日の辞書にもある。細い筆記具一般を指すのであるらしい。

Burn自身, pencilで何を指していたのであろうカ㌔毛筆の意味もあるとはいえ,基本的練習にペン ならまだしも,毛筆を使うとは考えにくい。当時の英国で鉛筆がそれほど貴重品であったとは思えな い。メタルポイントの可能性も残るが,少くとも毛筆を考えていたのではないであろう。Burnが

pencilとblack lead penciIとの使い分けをしているようにも見えるので,一抹の不安は残る。       10)

セ治初年の英和辞書の多くはpencilに「毛筆」と「石筆」の両方の意味を書いている。川上が毛筆と 訳すのもおかしくはない。川上がpencilを「石筆」と考えていても,それを意図的に毛筆に変更し た可能性は+分に考えられ潔当時の日本人は筆雄肌ていたのであり灘解轍学の計算なども 筆でしたのである。むしろ,鉛筆はめったにない貴重品である。基本練習としては筆の方が適当であ

ったろう。銅版画を面相筆で模写したくらいであるから,Burnの本の図を写すくらい簡単であろう。

もう一つ疑問が残る。鉛筆が「石筆」なら,割注にある「鉱筆」は何であろうか。メタルポイソトも 考えられるが,それを指すには唐突すぎるように思える。文字通り鉛筆の意味にとっておくのがよい であろう。

次に「灰筆」が問題になる。Burnがpencil,chalk or crayon(p.9)としている部分を川上 は「筆ト灰鱗隷襲鱗料卜石筆」に丁)と訳している.幡からすると「灰筆」は・ha一 lkである。しかし,ルビはcrayonからとったものであり,割注の内容もcrayonにあてはまる。

Burnの本ではcrayonはこの部分しか出てこない。あとは陰影用のblack chalk,chalkだけが使 われ,訳では「黒灰筆」,「灰筆」となっている。だから,chalk or crayonを「灰筆」と考える

12)

のが適当であろう。現在でも,chalkと仏語のcont6 crayonは同じものを指すと考えられる。そ れから原著にはPort−crayon(p。47)が出てくる。訳では「ボルトケレヨソ」と発音をそのまま使

っている。これはクレヨソばさみ(ホルダー)のことである。その割注に「ボルトハ厚紙力」とある が,これは誤りである。しかし,そこにある図版はクレヨンホルダーそのものである(図版9)。こ

(7)

金子:明治初期の翻訳図画教授書とその原本の研究      25

の図版はBurnの本にはなく,川上がどこからか持ってきたものである。なお,松川半山著「西画早 学」(明治七年),トーマス・テート原著,本多錦吉郎訳r梯氏画学教授法』(明治十二年)にも同

じ図がある。発行年から言って川上がこれらの本を参考にしたのではない。逆に川上の本が参考にさ れた可能性がある。また,本多の訳した原著にもこの図はないと思われる碧〉

ヤキフデ

「朽木」は従来,日本画であたりをつけるのに用いた木炭のことである。Burnの本では古の大家 が材料に苦労した時に使ったburnt stickと画用木炭の意味で使ったcharcoa1が出てくるが, 『西

ヤキフデ      ヤキフデ

画指南」では,どちらも「模」または「朽木」としている。その他の用具は訳はそれほど問題がない。

たとえばIeather stump r擦筆」,black board r塗板」,slate r石板」,scale or ruler

フンマハシサシガネ

「規矩」,などである。また,cast, plaster cast of human figureは,それぞれ「塑像」,

「白亜細工ノ人形」と訳されている。

Burnの本は絵画というより正確な図画の能力を養うための系統的な練習を目的にしているので,

描写方法や画面効果に関する記述は少ない。それでも全くないわけではない。たとえば,訳書中に

「写真」という言葉がある。もちろん,これは今日の写真の意味ではなく,写実,写生といった意味 である。copy object as they appear(p.18), sketch by assistance of eye(p.28),

sketch from nature(p.30)などが障真」と訳されている。そして,訳出が困難であったと思 われるのは,reliefということである。原著では浮彫りの意味ではなく,物が明暗の組み合わせによ

って奥行きを持って浮き出して見えるような効果を意味している。第十一図に関して訳書は次のよう に言う。

カゲヒナタ

「第十一図ハ尋常ノ家具ニテ唯陰陽ノ理ヲ示スモノナリ其陰影ニヨリテ向陽ノ処ヲ凸起シテ見スル

タカヒク

ナリ。此法ヲレリーフト云訳シ反対凸凹ノ義ナリ○此法ハ画家二在テー大秘訣ナリO因二云フ画匠

テガルキ

ハ人ヲ反対スルヤウニ置テ右ノ法ニテ簡易ノ図ヲ数試ミ習フヘシ極メテ益アリトスサレハ此法ヲ悟 ル「モ亦甚速力ナリ」(下巻,四一五丁。異字体,旧漢字は新漢字に改めた。)

この部分は原著では次のようになっている。

Fig.11, which is the representation of a familiar object, is treated under a very simple effect of light and shade, the shaded parts bringing forward the light ones:this effect is called relief。 It is of utmost importance that the pupil should have a clear knowledge of the mode of producing this effect。

We would recommend him to try the experiment of placing simple objects so as to relieve each oher, and to sketch them in this by which the effect may be obtained。(p。29)

前半の部分は名訳であるが,「反対脳」とは何であろうか。また「人ヲ反対スルヤウニ置テ」と いうのもおかしい。おそらく,「人」は「物」の誤りで,そして明暗の対比を「反対」とし,それに

よる奥行の効果を「凸凹」としたのではないだろうか。いわば,川上苦心の訳であろう。

その他,,。mbinati。n。f li。, r結構」,desig。 r魏」,P,。P。,ti。n r縮⊥pi,t。,e、que

「画の景色」なども気になる訳である。proportionは人体各部の長さの此の意味で使われている。

ツリアイ

けれども,「平衡」ではわかりにくいのではないだろうか。picturesqueも「想像を満足させるほど 絵画的,装飾的ではないが」という文の中で使われている。川上はそれを「直二画ノ景色ニモ装飾二 モナラサルニテ」で訳している。当時の人はわかったのであろうか。また,川上の訳には何回か「想 像」という言葉がある。原著ではideaである。それから, Architecture, Geometry, Perspec一 tiveといった言葉は,それぞれ「工匠学」,「測量術」,「照景法」と訳されている。「照景法」の

(8)

後に割注として「此法ハ屋宇器物及山水ノ遠近或ハ映影反射等ヲ幾何学二拠リ写真スルー画科ノ名目 ナリ」(十五丁)とある。その中に「幾何学」という言葉はあるが,geometryには使われていない。

ただ,当時の英和辞書も私の調査した範囲ではすべて「測量術」となっている。

以上のように川上の訳では,訳語が今日の日本語の意味や感覚と違っているのでわかりにくい面が ある。それゆえ,ある部分がただちに訳の誤りであると判定はできない。前に述べたように,一っの 文の訳が完全に誤っていると断定できる部分は,ほとんどないのである。今日の我々にとっては読み にくいけれども当時としてはBurnの考えをほぼ正確に伝える訳文であったと思われる。ただ,当時 の人々がその内容を理解したかどうかは別問題である。

次に図版の異同である。前に述べたように大部分はBurnの著にある図版そのままである。しかし,

番号や符号がついていない図は,原著にないもので川上が別な本からとったものと思われる。上巻に ある「生徒塗板上二向テ線画ヲ習フ図」にっいては,熊本高工氏がChapmanのAmerican Draw一 ing Book(1870)に同様の図のあることを指摘している14)その他,二章の最後にある「毛筆或ハ灰 筆ヲ以テ臨画スル図」,三章の最後にある「擦筆ノ図」, 「灰筆挿」,そして無題の女性像は,原著 にない図である。番号か符号のある図は,ほとんど原著にある。しかし,そのまま一線も違わずに移 しているわけではなく,下巻にはかなりの省略あるいは加筆をしている図版がいくつかある。全く入 れ代えているものもある。一部を変更しているのは第十,二十図である。全く違うのは第十八,二十 四,二十五,三十七(fig.18を使っている),三十九図である。なかには,第二十三図のように不注 意で転倒したと思われる図版もある。その他にもいくつか違っている図版がある。不注意で転倒して

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図版1.Burn(P.13) 図版2 川上(上巻,12丁)

(9)

金子: 明治初期の翻訳図画教授書とその原本の研究 27

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図版5。 川上(第23図) 図版6.Burn(fig.23) 図版7。 川上(第25図) 図版8.Burn(fig.25)

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図版9. 川上「ボルトケレヨ判/ 図版10.Burn(μ48) 図版ll.川上(廿八丁)

(10)

いるのはともかく,このような変更は川上の自信を示すものではないだろうか。一線一画もおろそか にしない模写よりは,気持に余裕があろう。たとえば,fig.25はwillowの図(図版8)であるが川 上はそれをシダレヤナギの図(図版7)に代えているのである。日本人になじみ深い種類のヤナギに

したのであろう。ちなみに原著の図版は,すべてがBurnの筆になるわけではないらしく,風景画の 七つくらいは,C. E. Johnsonの署名が入っている。

3 『画学及彫像』とChambers s Imformation

明治六年,文部省は「百科全書」と称する小冊子を刊行し始める。明治十六年までに九十二冊を刊 行したとされる。そのうちの一冊が内田弥一訳「画学及彫像』である。明治九年に出版されたと思わ

  15)

黷驕B 『百科全書」の原本がChambers編のChambersもInformation for the Peopleである ことは知られている。それゆえ,「画学及彫像』がその中にあるDrawing−Painting−Sculptureの 訳であることはすぐわかる。当時の日本でチャンプルと呼ばれたChambersは,出版人として有名な

16)

William(1800−1883)とRobert(1802…1871)の兄弟である。十九世紀の英国で数多くの出版を した。Chambers s Informationの内容すべてを, Chambersが書いたのかどうかはわからない けれども,天文学,数学,動植学から室内外の遊戯に到るまで多岐にわたる書目をそろえている。文 部省が啓蒙策として訳出を考えたのも当然と言えよう。

訳者の内田弥一については,よくわからない。ただ,明治十年から二十年にかけていくっかの教科       17)

曹ニ雑誌論文を発表している。それらすべてが訳である。内容も博物学,音楽,画学とさまざまであ る。おそらく江戸末期に英学を学んだ人なのであろう。

さて,Chambers s I nformationは1835年に刊行され1870年代まで版を重ねていることが,先 の目録等からわかる。日本の国立国会図書館には三種の版が所蔵されている。塩田三郎寄贈の1860年       18)

フアメリカ版(ただし合本二冊のうちVol.Hのみ),教育博物館印のある1875年版(5thed.合本二 冊),東京書籍館長畠山義成遺書とある刊年不記本(合本二冊)である。Drawing−Painting一 Sculptureが含まれているのは,後の二種である。それらを『画学及彫像」と対照すると,ほぼ刊年 不記本に一致する。1875年版は訳書と違う図版があったり,訳に対応する原文がなかったりするので,

原本ではあり得ない。刊年不記本のVol.1にはNew editionという文字が入っている。British Museum General Catalogueによれば, New ed.は1856−59に刊行になっている。残念なが ら,Drawingが入っているのはVol』で,そこにはNew ed.の文字は印刷されていない。そし て,1860年のアメリカ版はVol.皿であるが, Drawing−.は含まれていない。『百科全書』の刊行 開始が明治六年(1873),「画学及彫像」の刊行が明治九年(1876)と思われ,そして1875年版は原 本でないから,原本は1875年以前に刊行されていることは間違いない。刊年不記本も原著とは断定で

きないが,1875年以前に発行されたものと思われる。

刊年不記本中のDrawing−Painting−Sculptureをもとにして内容を見る。見出しと訳の目次 との対応は次のとおりである。

DRAWING PENCIL DRAWING      画筆ノ事 LIGHT AND SHADE       陰影ト陽影ノ事 VEGETATION       植物ノ事 TREES      樹木ノ事 PERSPECTIVE      遠景写法ノ事

(11)

金子:明治初期の翻訳図画教授書とその原本の研究      2g

SKETCHING FROM NATURE      天然景ヲ模スル事 ARRANGEMENT OR COMPOSITION      画ノ位置及集成ノ事 GENERAL PRINCIPLE OF LIGHT AND SHADE  陽影陰影大理ノ事 PAINTING W\TER COLOUR DRAW       水画具ノ事

OIL PAINTING       油画具ノ事 SCULPTURE      彫像ノ事

以上のように全章が訳されている。なお,ChambersにはChambersも Educational Course というシリ ズものがある。その中にSecond Book of Drawing(1877)という一一冊がある。これ は,Chambers s Imtormation中のDrawing−Painting−Sculptureから油絵と彫刻の部分 を削り,drawingの部分を大幅に増補したものである。

「西画指南』として訳されたBurnのThe Illustrated Drawing Bookは,絵画というよりは 正確な描写技術や透視図的表現についての記述が中心になっている。これに対してChambersの本は,

はっきりと美術としての絵画を目指している。絵づくりの方法を体系的に論じているのである。これ だけの体系的な内容が訳され出版されたのは,「画学及彫像」が初めてではないかと思う。その意味 で日本の近代洋画に大きな寄与するはずであった。しかし,明治九年末に工部美術学校が開校され,

イタリア人フォソタネージの本格的な洋画教育が始まったため,当時の洋画研究者の多くはそちらを 注目してこの訳書にはあまり注意しなかったのではないかと思われる。

Drawing−Painting−Sculptureの大要を紹介する。まず,図画が趣味洗練の手段として重要 なこと,楽しみの源泉ともなり,かつ有用な技術でもあることが述べられる。最初の練習は例によっ て鉛筆で線を引くことである。基本形を正確に描くことが強調される。基本形をマスターしていれば,

複雑な図形はその変形でしかないから,そのずれの度合を知るだけで簡単に描けるというのである。

そして変化のある線の方が絵画的であると言う。たとえば,新築家屋よりも年を経た家の方が美的で あるとする。また,用いる線の性格や,複雑なものを分割して描く法,紙面を汚さないため左から右 へ描く方法などが説明される。線の次は面の描き方がLIGHT AND SHADEというタイトルの下 に説明される。明暗と立体,明暗とテクスチュアの関係が説明される。たとえば,明部ではテクスチ ユアがなくなり,暗部が始まるあたりが最も荒く見えることなどである。そして線描による面の塗り 方を説明する。その次は草や樹木の描き方である。それらによく使われる線の練習方法,樹幹の円筒 形に注意すること,葉は木の種類によって描き方が違うことなどが言われる。そして透視図法に入る。

そこでは透視図の原理や種類,視点や円の透視などが説明される。透視図が手段であることも言われ る。ここまでは模写や机上の作業である。次は写生である。まず,遠近法に関連して画面に取入れる 視角,見取り枠の利用などの具体的提案がある。そして画面における物の構成(Arrangement or Composition)の説明に入る。絵と写真の違いは意識的な構成の有無にあると言う。変化が重要で あり,単なる繰り返しは避けること,主対象を画面中央に持ってこないこと,バランスの重要性など が注意される。次に画面上の明暗の構成についても言われる。単に描かれる物の構成だけでなく,それ

らが持つ明暗についても構成意識を持つべきとする。以上がDrawingの部分の大略である。

Paintingは水彩画の道具や材料についての説明から始まる。筆のこと,紙を水貼りすること,顔 料がそれぞれ別な色味を持っているので混色や色彩調和に注意することなどが言われる。次いで三原 色とそれからつくられる二次色を使った対比とか調和のこと,全体的色調のことなどが説明される。

さらに,絵具を塗る時の具体的なコツが続けられる。たとえば,彩色順序,訂正の仕方,葉の色や大 気の感じの出し方などが指示される。油絵でも,まず最初はキャンバス,パネル,パレット,イーゼ

(12)

ルといった道具の説明がある。次いで油絵具の顔料やメギルプという媒剤,グレージングやスカンブ リングといった技法にっいて言う。油焼けや絵具層が砕けやすくなるのを防ぐため,過度に媒剤を使 わないことも注意される。それから絵画の研究方法と学ぶべき巨匠とその作風の説明がなされる。巨 匠のスタイルを模倣するよりも自然に赴き,そこで解決できない問題が出てきたら巨匠の作品を参照 するのがよいと言う。そして,ルネサンス以後の巨匠が説明される。レオナルド・ダ・ヴィンチ,ミ ケランジェロ,ラファエロから,デュ ラー,レソブラソト等を経てイギリスのケインズボP−,タ 一ナー,ボニソトンあたりまで多数の画家が紹介される。

Sculptureにおいては,大理石やブロンズの像の一般的な製作過程が略説され,レリーフの説明 がなされた後,すぐに古代ギリシャの彫刻家と作品の説明に入ってしまう。エルギンマーブル中のフ

イデアスの作品,ミロソ,プラクシテレス,スコパス,ポリドロスの作品及び作風などが紹介される。

近代ではダンネッカー一,トルヴァルセンなどに言及される。

以上のように絵画にっいてはかなり体系的に記述されている。彫刻の方はいかにもつけ足しといっ た感じであるけれども。このような内容を内田はどのように訳したのであろうか。大幅な文章の変更 や省略,あるいは「西画指南」に見られるような図版の変更はない。ただ,短い省略や誤訳,または それに近い所はかなりある。内田は実際の製作をした人ではないと思われるし,明治九年という段階 ではやむを得ないのかもしれない。まず,道具や材料の訳語から見ていこう。

Black lead pencil「黒キ石筆」,Drawing−board「画図盤」, penknife to point the penci1「石筆刀」, sketching stool r模写台」,sketchbook r図式本」「描画本」,brush

「刷子」,canvas「綿布」,palette r顔料板」,ease1「絵絹架」,vernish「仮漆」などが挙げ られよう。また,顔料名の訳は示されても見当がつかないものが多い。たとえば,Yellow orchre

「黄赫石」,Gafnboge「藤黄」,Raw umber「蒲鉄磯」,Madderlake「茜根紅」,Madder brown「茜根鳶」,Light red「浅紅」,Vandyke brown「ハンヂ ケ鳶」, Lampblack 「姻 煤」,Chinese white「唐白粉」, Chrome yellow「灰色金」, Asphaltum「地松香」などは,

原語の方が現在ではわかる。また,紙のどうさ引き(size)を判の大きさの意味に訳しているが,こ れは間違いである。画面の効果や技法などについての訳語も苦心したのであろう。1ight and sha一 de「陽影ト陰影」,touch「筆意」,perspective「遠景ノ写法」,balance「調均」,primary colour「要色」, secondary colour「和色」, contrast of colour r不和色」,glazing r光艶色」,

scumbling「消艶色」などは,一部を除き原義が伝わらないのではないかと思う。

また,内田の訳はニュアンスを誤っていることが多い。たとえば,「十分である」が「常用トス」

となっていたり,あまりすすめられないということが,条件づきで勧めるとなっていたりする。次の 文は建物を描く時,画面の両端では遠近法によるゆがみが目立つので,多くを描きたいなら視点を遠

くにとるのがよいという意味である。その次に内田の訳も示そう。

When the sublect is architectural, this is of still greater importance, as the distortion is more evident. If much is wished to be enclosed, it is better to take a more distant point of view.

「築造物ノ遠景画ニハ傾キノ大ナルヲ好ムニ因リ却リテ其度二過クルモ亦可ナリトス故二此ノ如キ 者ヲ画カソト欲セハ遙二望遠スル図ヲ最モ宜シトス」(五十二頁)

どうしてこのような訳になるのかわからない。また,GENERAL pRiNcIpLE oF LIGHT AND sHADE の所ではクロードの作品(図版14)を例にして,明暗(陰影)の構成が論じられている。訳書にはそ の図版も載っている。が,肝心の明暗の調子が写されていず平板な画面になってしまっている。画面

(13)

金子:明治初期の翻訳図画教授書とその原本の研究       31

を物の形と色の構成ではなく明暗の構成と見る習慣は日本人になかったのであるから,文章が何を言 っているのか読者にはさらにわからなかったであろう。同じ所のbreadthは調子の統一感を表す言葉 で,「多様性」に対比して使われる。内田はそれを「広景」と訳し,多くの物が画面に描かれる意味に解し ている。画面の効果はどうしても誤訳になりやすい。色彩の柔かさについての原文と訳を並べてみよ

う。

Softness of tint is very important in all drawings;this is best attained by studying to keep a gradation in each by itse1£and among all collectively giv一 ing sufficient decision when required, to prevent woolliness. Hardness of tint is produced by a monotonous cutting edge to portion in a drawing, and is re一 medied by lightening some portions, Ieaving merely enough sharpness to pre一 Serve ClearneSS.

「淡色ハ画中最要ノ者ナレハ之ヲ功二画カソト欲セハ常二濃キヨリ淡二移リ淡ヨリ濃二移リテ其色 ノ段階ヲ学ヒ次二其線ノ絨毛状二連接スルヲ防クニ注意スヘク又濃色ハ画中ノ或ル部分二唯太ク短 キ線ヲ画キ而シテ之ヲ分明ナラシムル為メ他ノ部分二淡キ陽影ノ線ヲ画キテ之二相対セシムルノミ」

原文は私にも意味不明の所があるが,おそらく次のような意味ではないかと思う。彩色の柔かさはす べての図画において重要である。これはそれぞれの絵を明暗段階のみで描くことを研究することによ って最もよく得られる。全体的に見てふわふわした感じを避けるために必要な時は,十分な明確さを 与える。彩色の堅さはどんな場所でも輪郭を単調に切りとることによっておこる。鮮明さを保つに必 要な鋭さを残し輪郭の一部分を淡くすることによって,堅さは矯正することができる。

画面の効果の他に,油絵具等についてもよくわからなかったらしい。

__the pigments are ground with fine nut, poppy or linseed oil, and ordi一 nary purchased ln tubes in a state rθady for use. In painting, a small por一 tion of each required is placed on a thin  hard board called a palettle.

「此ノ画二用ヰル油ハ胡桃油,嬰粟油,或ハ亜麻仁油ナレハ凡ソ画二着色セントスルトキハ先ツ之 レニ画具ヲ和シ適宜ノ管中二納メ置クヘシ而シテ其油ヲ用ヰルニ当リテ顔料板ト名ツクル鶏印状ノ 皿ヲ取リ・・…其管中ヨリ適宜二此1皿中二油液ヲ分チ……」

原文は顔料は油で練られるが,普通はチューブに入って使える状態で売られている。描く時に必要 量をパレットの上に出すという意味である。訳文を見ると油を水彩絵具の水のように考えているよう だ。メギルプの説明で,原文には油は画面を黄変させ樹脂は砕けやすくするので,できるだけ少なく 使えという指示がある。そして,原本は画面を洗浄する時表面が損傷されるので,画面にはニスを塗 ると言う。だが,内田の訳では油や樹脂による害を防ぐためにニスを塗るとしている。また,グレー ジングやスカソブリングなども本来の意味はわからなかったであろう。正確に訳せていたら,工部美 術学校でフォンタネージが教えようとしていたことと似た内容になっていただろう11)

ルネサンス以後の絵画の巨匠,ギリシヤの彫刻家などの美術史的な内容についても, 「画学及彫像』

が初めての訳だと思われる。ただ残念なことに,流派(school)を「画学校」と訳し,それぞれの大 家がそこで教鞭をとっていたように訳している。

以上のように『画学及彫像』は「西画指南」と比べるとはっきりと誤訳であると断定できる部分が かなりある。けれども,絵画づくりについての体系的な内容が訳出されたことの意義は認めねばなら ないであろう。

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