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ロビンソン資本蓄積論の研究(1)

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(1)

ロビンソン資本蓄積論の研究(1)

その他のタイトル A Study of Mrs. Robinson's Theory of Capital Accumulation

著者 三谷 友吉

雑誌名 關西大學經済論集

巻 10

号 1

ページ 1‑18

発行年 1960‑07‑20

URL http://hdl.handle.net/10112/15560

(2)

理論経済学においては十九世紀の後半このかたマルクス経済学と近代経済学とが対立をつづけてきたが︑0

( 1 )  

ンゲは一九三五年の論文﹁マルクス経済学と近代経済理論﹂のなかでその対立のもとをなしている両者の基本的相

違のひとつを指摘している︒すなわち︑ランゲによれば︑近代プルジョア経済学︵オーストリア学派︑ローザンヌ学派︑

マアッャル学派の経済学︶は本質上︑静学的な経済均衡の理論であって︑不変的な諸与件のもとにおける経済過程と︑

これらの与件の変化に価格や生産量が適応する機構を分析する︒しかし諸与件すなわち心理的︑技術的および制度

的与件そのものは問題にしない︒しかるにマルクス経済学は制度的与件を分析の基礎とし︑資本主義経済が交換経

済の他の形態とことなるゆえんの特殊性への手がかりをみいだす︒またマルクス経済学の特徴はそれがただ経済均

衡の理論だけでなく︑経済発展の理論をもあたえるということである︒﹁近代﹃プルジョア﹄経済学にとつては︑経

済発展の問題は経済理論にではなく経済史に属する︒経済体系の諸与件における変化についての研究は経済理論の

さ ︑ は し カ

ロ ビ ン ソ

ン 資 本 蓄 積 論 の 研 究

(1

(3)

範囲外にあるものとみなされる︒なぜなれば︑

れ︑経済過程の結果とはかんがえられないからである︒この観点に反して︑

( 2 )  

論をもあたえる︒﹂

このようにランゲはマルクス経済学と近代経済学とが経済発展の問題にたいしてまったくちがった態度をとつて

いることを強調しているのである︒かれの叙述にはあいまいな点がないではないが︑いま資本蓄積の問題にしぼれ

資本の蓄積が生産の規模の拡大の︑労佑の生産力の増大の基礎となり︑逆に労佑の生産力の増大が資本の加速的蓄

積の方法となる資本主義的蓄積過程の徹底的な分析がなされているのに反して︑近代経済学によってはそういう分

析をおこなうところの真の意味において資本蓄積の理論とよばれうるものはしめされなかった︒

近代経済学のなかでもっとも優秀なものとみなされているボェーム・バウェルクの資本理論はだいたいにおいて

静態理論である︒ボェームは資本形成の問題にいくぶんかふれているけれども︑技術進歩による生産力の増加︵剰余

( 3 )

4) 収益度盛の改善︶がひきおこす諸結果についてはほとんど論じていない︒つぎにシュムペーターの有名な経済発展の

理論はどうであろうか︒シュムペーターによれば︑企業者の新結合︵革新︶によって経済循環の軌道そのものが変更

しかし企業者は資本家としての銀行からその信用創造にもとずく購買力を手にい

( 5 )  

れ︑現存の生産手段の転用によって革新をおこない︑企業者利潤を獲得するのである︒したがつて︑経済の発展は

ほんらいの資本蓄精にもとずいておこるのではない︒シュムペーターは経済の発展にたいする革新の影密をきわめ

て重視するが︑ されて

その某礎としての資太蓄精の軍要性をまったく無視しているのである︒要するに︑ボェームにおい 経済の発展がおこる︒ 6~' つぎのようにいえるであろう︒すなわち︑

これらの変化は経済学者の観点からは偶然的なものとかんがえら

マルクス経済学ではこの問題がきわめて重要な位置をしめており︑ マルクス経済学はさらに経済発展の理

(4)

ことができるであろう︒ てもシュムペーターにおいても真の意味における資本蓄積の理論は見出されないのである︒

﹁ケインズ理論の本質は

( 1

)

0.   L an ge ,  Ma rx ia n  E co no mi cs   an d  Mo de rn  E co no mi c  Th eo ry ,  Re vi ew   of c  E on om ic  S t u di e s ,  V ol .  

I I ,  

No . 

3,  

Ju ne

1 

93 5.  

( 2

)  

I b i d . ,   p p.  

192

19 3.

( 3

)  

Eu ge n  v on o  B hm

B

aw er k, P as i t iv e  T he or ie  d es   K a p it a l es ,

̀ 

 

B d. ,  4 . 

A uf l

` .  

19 21 , 

s .  

136 

f f . ,  

46 3.  

( 4

)

ボェームの資本理論をうけついで発展させたウィクセルは﹁技術的発明の地代および貨銀にたいする影響﹂について諭

じているが

(K . Wi ck se ll

̀ 

 

Le ct ur es   on o l   P i ti c a l  E co no my ,  V o l.  

I, 

19 34 , 

p p.  

133 

f f .  

堀経夫・三谷友吉訳ニ︱八ページ

以下︶︑それは補論的なものにすぎない︒オイケンも﹁機械問題﹂について論じているが

(W .E uc ke n,   Ka p i ta l t he o r et i s ch e   Un te rs uc hu ng en , 

19 34 , 

S .  

161 

ff.) 、それは佃

m

吟〖的 i

なものにすぎない。

( 5

)  

J .   Sc hu mp et er ,  Th eo ri e  der   wi r t sc h a ft l i ch e n   Entwicklung, 

3.  A u f l. ,  1 93 1,  S .

88  

f f .

 

ページ以下︒

マルクス経済学と近代経済学とのあいだにはそのほかにもいろいろの重要な相違が存在するのであるが︑右にあ

げた資本蓄積の問題にかんする相違は二つの経済学の理論的性格の相違を心たらし︑両者の対立をいちじるしくす

るものであった︒そして二つの経済学はそういう対立のまま平行線的に発展してきて相交ることがなかったという

( 1 )  

もっとも︑ケインズの﹃一般理論﹄︵一九三六年︶

を︑ジョーン・ロビンソンは一九四八年の一論文のなかで主張している︒彼女によれば︑

ロピンソン資本蓄稼論の研究︵三谷︶ があらわれてから二つの経済学の関係が変つてきたということ

(5)

ロピンソン資本蓄積論の研究︵三谷︶

つぎのごときものである︒所得の分配が不平等であると︑財貨にたいする需要が産業の生産キャパシティに不足す

る慢性的な傾向が生ずる︒消費したいとおもうひとたちは買うための貨幣をもたないから︑かれらは有利な市場を

構成するものではない︒買うための貨幣をもつているひとたちは︑できるだけ多く消費しようとせず︑富の蓄積す

なわち貯蓄をしようとする︒あたらしい投資︵住宅︑産業設備︑運輸機関︑財貨のストックの増大などへの︶にたいす

る需要が十分に存在するかぎり︑貯蓄は利用され︑資本主義体制はうまくその機能をはたしていける︒しかし貯蓄

そのものは資本蓄積がおこることの保証とはならない︒反対に貯蓄は消費財にたいする需要を制限し︑かくして消

費財を生産するための資本にたいする需要を制限する︒活況がおこるのは有利な投資のはけ口があるときである︒

十九世紀において長期にわたる繁栄がおこりえたのは︑当時︑新発明の利用と新大陸の開発のために有利な投資機

会が多く存在したからであった︒戦時中に見せかけの繁栄がおこるのは︑戦争が無限の需要をつくりだすからであ

る︒しかしながら︑繁栄は高度に発展した資本主義体制にとつて常態ではないのであって︑資本の蓄稿がおこなわ

れるということそれじたいが一方では富を増加させて貯蓄を助長し︑他方では新資本にたいする需要を飽和させる

ことによって︑繁栄の達成をいつそう困難にするのである︒かくて恐慌は︑私企業制度の表面的な欠点としてでは

なくて︑慢性的で冗進性の病気の徴候としてあらわれる︒ケインズの理論は失業の問題からおこったけれども︑

の他の多くの問題にも適用することができる。•…••それは資本の長期的な供給や産業生産物の労佑と資本への分配

についての伝統的なアカデミックの理論をくつがえすような意味内容をもつている︒このようにしてアカデミック

の理論はそれみずからの途をあゆみながら結局はマルクスの体系にかなり類似したところまで到達したわけであ

る︒両者においても失業はかくことのできない役割を演じている︒両者とも資本主義はそれみずからの衰退の種を

,, 

.

.  

,,.•.

'し吋"

(6)

自己の内部にもつとみなしている︒正統派の均衡理論に反対するという否定的な面ではケインズの体系とマルクス

の体系とはおなじ立場にある︒いまやマルクス主義経済学者とアカデミック経済学者とのあいだの討論を可能なら

( 2 )  

しめるに十分な共通の広場がはじめて存在しているのである︒﹂

しかしロビンソンのこの見解には若干の註釈が必要である︒

または雇用の大きさの変化を決定する諸力を研究しようとするのであって︑

析をおこなうものであるといわれる︒そしてそのために限界消費性向︑資本の限界効率︑流動性選好︑投資乗数な

の新しい概念をつかつているのであるが︑

これまでの価格分析のかわりに所得分︐

そのさい不変的な資本ストックと生産技術とを仮定したうえで︑所得や

雇用を決定するものとしての有効需要の大きさとその変化を考究しているのである︒この意味においてケインズの

理論は短期的であるが︑しばしば巨視的静態理論とよばれる︒それにはいわゆる長期停滞の理論にまでひきのばさ

れる側面があるけれどもほんらいの資本蓄積の問題にかんする説明は見出されない︒しかしその後にケインジアン

のあいだでそういう問題についての動態理論的研究がさかんになってきて︑

( 3 )  

いたったのである︒いまや︑資本蓄稼の問題をめぐつて︑

p

いわゆる経済成長の理論が成立するに

マルクスの理論と共通の広場での討論が可能であるかも

( 1

)

J .  

M•

Ke yn es

̀  

Th e  G en er al  T he or y  o f  E mp lo ym en t, I n   t er e

s t

t d Mo ne y,

1 

93 6.  

( 2

)  

Jo an o  R bi ns on ,  C ol l e ct e d  E co no mi c  Papers, 

19 51 ,  pp .1 36

‑1 37 . 

( 3

)

R .

F•

Ha rr od ,  To

葵ミ

rd s

Dy na mi

c  E 8

0m ig

1948; 

E•

D.   Do ma r,   Es sa ys n     i t he   Th eo ry   of   Ec on om ic   Gr ow th , 

19 57 . 

ケインズの一般理論は全体としての産出物︵所得︶

·• ̲

̲̲―̲・̲̲̲̲̲̲̲̲̲ 

(7)

ん ︾ ︑

のようにのべてかれの批評をむすんでいる︒ 六年︶が公にされた︒

( 1 )  

さいきんロビンソンじしんの動態理論的研究︵マルクス研究をふくむ︶の結果である﹃資本蓄積論﹂(‑九五

そのなかでロビンソンはどのような新しい理論を展開しているのであろうか︒

うなマルクス的または反マルクス的の見解をのべているのであろうか︒これらの問題は学史的に興味のあるもの

であるが︑同時に学説の比校研究という意味においてもくわしく考察するにあたいするとかんがえられる︒

ロビンソンの右の著作はイギリスではともかくアメリカではかならずしも好評ではなかったようである︒ラーナ

ーのごときはそれに酷評をくわえている︒すなわち︑ラーナーによれば︑

るようにみえる諸々の抽象をおこない︑

けでなく著者の注意もしばしばほんらいの経済問題からただの演習問題にそらされる︒そしてたんにこの種のモデ

ルの使用から生ずるにすぎないいろいろの特異なことがらが経済学の実際問題とみなされるようになる︒

通読することは︑モデルの極端な抽象におそれず︑議論の錯綜にあまりおどかされない大学院の学生たちにとつて

( 2 )  

はよい経験となるであろう︒﹂

くみにおこなわれている諸々の混同とであるようにわたくしにはみえる︒これらの誤謬や混同の探究は大学院の学

( 3 )  

生たち︵および教授たち︶に最上の経済学演習をあたえることができる︒﹂

われわれは︑ そしてラーナーはロビンソンの理論の内容にごくかんたんにふれたのち最後につぎ

﹁本書のもつとも有益な部分をなしているものは︑諸々の誤謬と︑た

このようなラーナーの批評にかならずしも賛成することができない︒たしかにロビンソンの単純な

ロビンソンは必要の程度をはるかにこえ そしてどのよ

これらのモデルを美術趣味をもつていぢくりまわしている︒そこで読者だ

, . .   :」、.,.. 

(8)

ロピンソン資本菩稲論の研究︵三谷︶

モデルにはあまりにも抽象的なところがあり︑また彼女の議論のなかにはいろいろのなっとくできない点が見出さ

ロビンソンの理論は︑近代経済学においていまだかつてなかったような体系的な資本蓄積論れる︒しかしながら︑

である︒それはかんたんな方法的批判だけではかたずけることのできない豊富な内容をもつているのである︒

われわれはロビンソンの資本蓄積論の主要な内容について研究することとするが︑それは前述のような考え方

にもとずいてである︒それでわれわれはある特殊の問題にかんれんしてその理論の個々の部分を検討するのではな

くて右の見地からその理論の主要な部分の全体にわたつて研究するであろう︒

( 1 )

Jo an   Ro bi ns on ,  Th e  Acc1 

̀ 

mu ta ti on

  o

f  C a pi t a l,  

19 56 . 

( 2

)  

A .  

P .

 

L

er ne r, T  he   Ac cu mu la ti on   of   C ap i t al .  B y  J oa n  Ro bi ns on ,  Am er ic an   Ec on om ic   Re vi ew ,  S ep te mb er  1 95 7,  

p p.  

693

694.

( 3

)  

I b i d . ,   p . 

69 9.  

マルクス経済学の研究をふくむながいあいだの彼女の動態理論的研究の結果で

その書名そのものが近代経済学においてはめずらしいものである︒ここでまず同吾の序文によってロビン

ソンの分析がどのような特色をもつているかをうかがうこととしよう︒その冒頭において彼女はいう︑

ニム

祠U

(9)

だしい離反であるからである︒ ロピソソン資本蓄積論の研究︵三谷︶

実際に興味のある諸問題の多くにかんする論議を排除 あいだ諸国民の富の性質と原因についての理解をえることに奉仕している経済分折が︑価値の理論といういまひとりの花嫁をおしつけられた︒こういう収りかえがおこったことについてはもちろん根ぶかい政治的理由があったのであるが︑しかしまた純粋に技術的な知力上の理由もあったのである︒人口の変化︑資本の蓄積および技術の変化をふくむところの︑経済の全般的運動についての分析を︑特定の諸商品の産出量と価格とのあいだのこまかい諸関係についての分析と同時におこなうことは︑はなはだ困難である︒二組の諸問題を解決しなければならないが︑し

かしどちらについても他方を単純化の仮定によって除外しておいてそれを単独にとりあつかわなければならない︒

どちらをまずさきに犠牲にするかの選択に直面して︑過去百年間の経済学者たちは︑相対的価格を論ずるために︑

動態理論を犠牲にしてきたのである︒これは不幸なことであった︒その理由は︑第一には︑全般的な静態的の諸条

件を仮定することは︑現実のなかに進展しているいかなるものの検証をも不可能にするような︑現実からのはなは

し︑経済学にJ.H・クラ︒ハムがその論文﹃経済学の空箱﹄のなかで皮肉ったような無味乾燥な形式主義という汚

名をきせるからである︒

﹁ケインズの﹃一般理論﹄は︑ひとつの現実問題1失業の諸原因ー—ーを論じうるようにするために、静態理論

というガラス張りの温室をぶちこわしてしまった︒だが︑かれの分析は︑資本ストックと生産技術があたえられて

いる短期ということによって枠をつけられていた︒それは長期の諸問題の広大な領域を静態理論のガラスの破片で

おおわれたままにのこしておき︑粉砕された建物がどうして再建されうるかについてはただ漠然としたヒントをあ

(1 ) 

たえたにすぎない︒﹂

• 一,•... ,, .. ,1 

(10)

︐ 

﹁資本のストックと技術的知識の貯えが時のたつに

( 3 )  

つれて増加するばあいの前進運動﹂︑その結果としての各商品の︵潜在的︶産出量の増大を意味する︒ロビンソンは

それにかんする諸問題を古典派的なものとみなしているが︑それらの問題のなかでなにに重点をおくかは古典派の

諸学者においてかならずしもひとしくない︒その重点をロビンソンはどこにもとめているのだろうか︒この点につ

いては彼女がマルクスの問題提起にかんれんしてのべている左のような見解が参考になるであろう︒

ロビンソンが経済の成長または発展というのは︑ て巨視的分析がおこなわれるわけである︒ ﹁さいきんにおいては︑興味の中心は︑経済の全般

的成長にかんする古典派的な諸問題にかえつてきている︒この変化の主要な実例はR.F・ハロッドの﹃動態経済

学への途﹄である︒単純な方法で動態問題を論ずるためにハロッドは相対的価格の全問題を放逐し︑

そして価値の

理論に注意をはらうことなしに経済の全般的発展の分析をはじめている︒本書はかれの例にしたがうものである︒

古典派的な諸問題への興味の復活は古典派理論の復活をもたらす︒本書においてこれからのべる多くのことがらは

おいているということ︑ ロビンソンの分析は︑従来の近代経済学における静態分析とことなり︑左のような特 博学な読者たちにはよくしられているであろう︒わたくしじしんは古典派を研究することによってこれらのアイデアに到達したのではない︒問題の提起は︑わたくしには﹃一般理論﹄の一般化︑すなわちケインズの短期分析の長

( 2 )  

期発展への拡充として︑おこってきた︒﹂

色をもつているということができよう︒すなわち︑経済の成長または発展の問題についての巨視的分析におもきを

ロビンソンによってはそういう問題が資本蓄梢の問題とみなされ︑これつい そしてロビンソンはひきつづいてつぎのようにのべている︒

(11)

10 

第 四 篇 資

第三篇

第 二 篇 長 期 蓄 積

第 一 篇 序

ロ ピ ン ソ ン 資 本 蓄 積 論 の 研 究 ︵ 三 谷

これによってロビンソンの問題の焦点も

﹁マルクスは︑経済理論の使命は経済発展と資本蓄積が社会の諸階級間における生産物の分配にどう影響するかを 発見することであると主張したリカアドウの︑真の直系にあたる経済学者であった︒新古典派の経済学者はこの大 がかりの構想をほとんど放棄してしまい︑均衡の状態︑すなわち一定量の資本をもつ静態的な社会における価格の

( 4 )  

動きについて︑微細にわたる空想めいた討議にしゅうししてしまった︒﹂

リカアドウやマルクスにおけるとだいたいおなじようなところにおかれていることが推知されるのである︒

なおロビンソンの巨視的分析の方法にはのちにふれるであろう︒

(1 )

J. 

Ro bi ns on ,  Th e  A cc um ul at io n  o f  C a pi t a l,  

p .  

v .  

杉 山 消 訳 ︑ 原 著 序 文 三 ー 四 ペ ー ジ ︒

( 2

)  

I b i d . ,  

p .  

v i .

 

訳 ︑ 同 上

︑ 四 ペ ー ジ ︒

( 3

)  

C f.  

J.  R ob in so n, T  he   Ra te   of n t   I e re s t  a nd   Ot he r Essays, 

19 52 , 

p .  

7 1 .  

大 川 一 司

・ 梅 村 又 次 訳 八 八 ペ ー ジ ︒

( 4

)  

J.

 R

ob in so n,

An  

Es sa y  o n  M ar xi an   Economics, 

19 42 . 

戸 田 武 雄 ・ 赤 谷 良 雄 訳 ︑ 日 本 阪 へ の 序 文 ニ ー 三 ベ ー ジ ︒

ロビンソンの﹃資本蓄禎論﹄の篇別は左記のようになっている︒

10

 

(12)

I I 

ロピンソン資本蓄積論の研究︵三谷︶ われわれは︑以下において︑ 相対的価格

ロビンソンによれば︑第二篇﹁長期蓄積﹂は本甚の中心部分をふくんでいる︒その分析の仕方は︑もつとも単純

な仮定からいつそう複雑なものヘ一歩一歩すすんでゆくというやり方である︒第二篇第一部﹁単一の技術での蓄

積﹂はこういうやり方で呈示しうるもっとも重要な諸命題をふくんでおり︑本書の残余の部分はこの中心核をとり

まく諸々の複雑な場合や制限的な場合とみなされてよい︒

のあたえられた発展段階における固定的な技術係数の仮定﹂である︒したがつて︑消費の︒ハターンがあたえられて

いる場合には、労佑の設備にたいする比率は、賃銀と利潤の水準に無関係にあたえられている。技術進歩ー~中立

的進歩ならびに偏俺的進歩││'もこの仮定のもとにとりあっかわれる︒第二部においては右の仮定はとりさられ︑

そして技術選択にたいする賃銀水準の影響が議論のなかにとりいれられる︒第三部においては︑技術進歩の分析が

技術への賃銀の影署についての分折とふたたびむすびつけられる︒

第三篇﹁短期﹂は︑不確実性が支配しており︑

ような経済の進展をとりあつかう︒こういう予想の状態は経済活動において短期的動揺をおこさせるのである︒投

( 1 )  

資率の年々の変動とその長期的趨勢との関係は最後の章で論じられる︒

貿

第七篇

この第一部でおこなわれるひとつの単純化は﹁なんらか

そして将来にかんする予想が現在の経験によって左右されすぎる

ロビンソンの﹃資本蓄積論﹄の中心部分をなしている第二篇の内容について考察す

(13)
(14)

13 

ることができるようにするということ︑ 労佑の完全雇用での︵その不足も過剰もない︶調和的な発展にとつて必要な諸条件をはつきりさせ︑かくして経済が調和の状態を達成することをさまたげたり経済をして調和の状態をうしなわしめたりする諸影響について論議す

化され︑そしてそのつぎにはみずからのひきおこす短期的反作用のために逆転されるかたむきがある﹂のである︒

( 5 )  

このことは短期の諸問題について考察するときにあきらかになるのである︒

上記のようにロビンソンは完全雇用での調和的な発展の場合について云々しているが︑

のいわゆる﹁平穏﹂の仮定にふれておこう︒ロビンソンは︑﹁ある経済が内的矛盾や外的衝撃がなく円滑にかつ規則

ために過去の経験にもとずく諸々の予想がきわめて確信的に保持され︑

れ︑したがつて時のたつにつれて更新されてゆく場合には︑

とのべている︒そして彼女によれば﹁ある経済が平穏の状態で拡大し︑すべての関係ある量︵産出量の流れ︑資本

ロピンソン資本蓄積論の研究︵三谷︶ のような叙述も注目にあたいする︒

そして実際にたえず実現さ ただしロビンソンによれば﹁そのような各々の影轡は過大 ところで右の主題を解明するにあたつてロビンソンはいわゆるアカデミックの方法をもちいる︒この方法がどんなものであるかは彼女の分析の方法そのものによってこれをしるよりほかはない︒しかしここにその分析の方法を端的にいいあらわしているロビンソンの若干の文章をあげておこう︒すなわち︑上掲の

(1

)

について彼女はこう

﹁われわれは蓄積と労佑力の増加とを相互に独立なものとしてとりあっかうから︑議論の重要な部分

は両者のあいだの関係にかんれんする︒分析の各段階において︑われわれは︑両者が調和をたもつているような位

置と︑資本にくらべて労佑の過剰または不足への傾向が存在するような位置とを︑考察する︒﹂

﹁ひとつの分析上の工夫としてつぎのようなやり方は有益である︒すなわち︑

それにかんれんして彼女

その経済は平穏の状態にあるということができよう﹂ さらに彼女のつぎ

(15)

, I   4 

( 6 )  

のストック︑消費率︶が相互に歩調をあわせて拡大してゆくとかんがえることは可能である︒﹂

,'(7) ここでロビンソンがのべている平穏の状態は彼女が旧著のなかで論じている恒常的進歩または恒常的蓄積の場合

( 8 )  

を想起せしめるであろう︒しかし︑すでに指摘しておいたように︑その場合は実質賃銀の上昇と失業の増加とを同

時にみとめるという理論的な矛盾をふくんでいる︒そこでそういった矛盾をさけるためには平穏の状態は完全雇用

での調和的な発展の場合において生ずるものであるとかんがえることが必要なのである︒

(1 )

ロ ピ ン ソ ン は

﹁ 長 期 蓄 猿

﹂ と い つ て い る が

︑ 長 期 と い う の は

︑ の ち に 考 察 す る 短 期 の 概 念 と く ら ぺ て み る と

︑ 資 本 設 備 のストックにおける変化を無視することができないような期間を意味することとなる︒

( 2

)  

J. 

Ro bi ns on ,  Th e  A cc um ul at io n  o f  C a pi t a l,   p .  70 . 

邦訳七八ページ︒

︑︑︑︑

( 3

) ロ ピ ン ソ ン は い う

﹁ 談 論 の 全 体 を つ う じ て 差 異 を 変 化 か ら 区 別 す る こ と が 必 要 で あ る

︒ た と え ば

︑ 高 い 蓄 被 率 ま た は 高 い 独 占 度 を 過 去 に お い て も つ て い た し

︑ 現 在 も ま た も ち つ づ け て い る と い う こ と の 効 果 は

︑ 菩 積 率 の 上 昇 ま た は 独 占 度 の増大ということの効果とおなじではない︒それゆえに︑分析は︑永続的にことなった諸特徴をもつ諸経済のあいだの比 較にかんれんして︑またある変化がある時点においておこる単'一の経済にかんれんしておこなわれる︒﹂

( I b i d . , .

p .  

71 . 

邦訳七九ページ︒︶

( 4

) ロ ピ ソ ソ ン は か つ て つ ぎ の よ う に の べ た こ と が あ る

﹁ マ ル ク ス は 資 本 主 義 の 運 動 法 則 を 発 見 す る と い う 課 題 を み ず か ら に 課 し た

︒ い や し く も 経 済 学 の 進 歩 に つ い て 望 み が あ る と す れ ば

︑ そ れ は た し か に マ ル ク ス が 提 起 し た 諸 問 題 を 解 決 するためにアカデミックの方法をもちいるにある︒﹂

(J.

Ro bi ns on ,  An 

Es sa y  on a   M rx ia n  Economics, 

p .  

95 . 

邦 訳 一

三〇ページ︒︶

( 5 )  

J. 

Ro bi ns on ,  Th e  A cc um ul at io n  o

f  C a pi t a l,   pp .  70 ,  71 . 

邦訳七八︑七九ページ︒

( 6

)  

I b i d . ,  

p p

.  

59 ,  60 . 

邦訳六六ー六七︑六七ページ︒

( 7

)  

J. 

Ro bi ns on ,  Th e  R at e  of   In t e re s t , 

p p

.  

93

94 .

邦 訳

l

︱六ページ︒

( 8

) 三谷﹁ロビンソンの動態理論﹂本誌第八巻第四号︵昭和三十三年十二月)二六ーニ七ページ参照︒

ロピンソン資本蓄稼論の研究︵三谷︶

一 四

‑‑

‑‑ ‑‑ ‑‑ ‑ ‑ ‑ ‑

‑ ‑ ̲ ̲ ̲ ̲ ̲ ̲   , 

(16)

15 

デルについて彼女はつぎのようなことをのべている︒すなわち︑

ひとつの経済について高度に単純化されたモデルを設定することである︒このモデルは︑現実においておこると期

待されるかもしれない主要な変動をば︑無数の微細にわたる複雑な問題を除外しながら︑整然たる思考の図式のな

かにとりいれるためにくわだてられるものである︒かような単純化されたモデルのふるまいについてかんがえるこ

とによって︑われわれは︑広汎な諸運動をときほぐし︑

( 1 )  

ができると期待する︒﹂

前述のように︑ロビンソンは完全雇用での調和的な発展の場合について論ずるのであるが︑

ような単純なモデルにほかならない︒

つぎにロビンソンがもうけている諸仮定の要点を記しておこう︒

うけられる︒すなわち︑

そしてそれらは固定的な割合で消費される︒したがつて︑消費財の産出量は実際に固定的合成商品の諸単位からな

るものとみてよい︒﹂﹁ある所与の生産技術は︑特殊な数量や設計の設備︵工場建物︑機械︑等々︶と生産の循環に

おける特殊のタイム・パターンとを必要とする︒ここに特殊なタイム・パターンというのは︑特定の財貨群につい

ロピンソン資本蓄甜論の研究︵三谷︶

﹁すべての労佑者たちが同一である︒﹂

﹁消費のために購入される諸面品は変化しない︒ ロビンソンは分析のために単純なモデルを設定し︑またそのために多くの仮定をもうける︒まず単純なモ

かくして現実の複雑な経済のふるまいへの洞察をえること

﹁指数問題がどんな菌難をもひきおこさないような想像的経済﹂が想定され︑ そういう場合も右の

そのさい諸々の仮定がも ﹁経済理論において発展してきた分析の方法はヘ

(17)

16 

それから﹁天与の自然資源﹂は度外視される︒ がもうけられる︒すなわち︑ ロビンソン資本蓄稼論の研究︵三谷︶

て各々の生産過程は一定の時間を要し︑

う意味である︒したがつて︑ そして種々の諸過程が一定の方法で平行的にまた継起的に適用されるとい

いかなる時点においても︑所与の産出量の流れを生産するために要するところの︑設

備︑仕掛品︑技術的に必要な原料在庫量などをふくむ︑資本財のストックは︑実施中の技術によって決定される︒

諸商品は固定した割合で生産されるから︑あらゆる種類の設備のストックは適当な割合において存在しなければな

らない︒おなじ規則は設備を生産するために要する設備にもあてはまる︒したがつて︑所与の消費の流れに資本財

( 2 )  

ストックの増大をくわえたものは一定の資本財装備を必要とする︒﹂

ついで﹁ある抽象的な技術進歩の概念﹂が導入される︒それは﹁消費財産出量を代表する合成商品におけるいか

なる変化をもともなわない生産方法の改善﹂ということである︒﹁かくて技術進歩が特定の消費財においておこる

( 3 )  

ならば︑合成商品の費用はそれだけ減少するが︑しかしその合成はすこしも影響をうけないのである︒﹂

また.﹁平穏の諸条件のなかで発展する経済﹂という想定がもちいられる︒そうでない場合にもつぎのような仮定

﹁いかなる時点においても︑企業者たちは︑投資からえられる将来の利潤率が︑

かがおこったときには︑予想はただちに調整されて︑

時点において支配的である水準でもつて︑無限に継続するものと予想していること︑そしてかれらは技術進歩の率

︵それは零であることもありうる︶が恒常的であると予想していること︑﹂それから﹁かれらは寿命の長いプラン

トにたいしてそれ相応の償却準備額をさだめていること﹂これである︒そして﹁ある変化をひきおこすようななに

( 4 )  

それ以上の変化は予想されないものと仮定される︒﹂

﹁人口の変化﹂はそれじしんの法則にしたがうものとみなされ︑

労佑力の増加は資本の蓄積から独立した要因としてとりあっかわれる︒そして﹁労佑者と企業者だけからなる二階

(18)

17 

ロピンソン資本蓄積論の研究︵三谷︶ 地が自由である場合には︶生産費は︑長期においては︵設備が所与である短期においてはそうではないが︶産出率

( 7 )  

から独立である﹂ことが仮定される︒

右のような単純化の諸仮定を列挙したのちロビンソンは﹁これらの高度に抽象的な諸仮定﹂にもとずいて形式的

級のモデル﹂が設定されるが︑﹁労佑者は⁝⁝消費財の若干の貯え︵かれらがきている衣類︶以上にはなんら財産を

もつていないのである︒企業者は企業の管理にかんする諸決意をおこなう抽象的な非人格的人物である︒かれらは

かれらの企業の資本として財産を所有し︑相互に資金を借りあう︒しかしかれらの消費はまった<捨象される︒﹂

また﹁金利生活者︵すなわち︑金融的財産の所有者︶﹂や﹁職人や自由職業の専門家のような中間的階級﹂はその

( 5 )  

モデルのなかに導入されない︒

さらに﹁分業にともなう節約のために︑いずれの型の生産的企業も︑その極小の大きさはかなり大きい﹂と仮定

される︒しかし﹁個々の企業の大きさ︵極小のもの以上の︶は厳密に決定されない︒自分の企業に愛着をもつ各企

業者はかれの営業を拡張しようとたえず努力している︒そして新しい企業がときどきおこされている︒競争的な諸

条件は︑かれらの努力がたがいに制御しあい︑したがつて多数の独立的販売者が各商品にたいする市場に供給する

ということを必要とする︒ある特定市場にたいすゑ叢争が︑ごく少数の︑またはただひとりの残存者をのこした場

合には︑寡占または独占が存在する︒以前の競争者間の協定によって確立された独占的な状態もまた存在するであ

( 6 )  

なお﹁厳密な自由放任主義が支配している﹂とみなされ︑

﹁個々の商品または全体としての経済の総生産規模から生ずる節約はまったく存在せず︑

一 七

それから﹁経済は孤立的に存在する閉鎖体系である﹂

したがつて︵土

(19)

I 8 

りあつかわれているのである︒ ロピソソン資本蓄積論の研究︵三谷︶

(8 ) 

な議論をおこなうといつているが︑ここであらかじめつぎのことを指摘しておこう︒すなわち︑平穏の諸条件のな

かでの発展ということは重要な仮定であるが︑それは労佑力の増加を資本の蓄積から独立した要因としてとりあっ

かうということとかならずしも両立しないのである︒その仮定のためには︑前辿のように︑完全屈用での調和的な

発展の場合を予定しなければならないが︑こういう発展の前提として︑﹁人口が資本の蓄積される率とほぼおなじ率

( 9 )

1 0

)  

で増加する﹂こと︑したがつて﹁労佑供給がその需要に適応する﹂ことが想定される︒しかし労佑力の増加が独立

的に生ずるとすれば︑この前提はかならずしもみたされない︒そこでのちには﹁労佑力の増加率によって可能的蓄

( 1 1 )  

積率の極大がきめられる﹂とみなされるにいたる︒そしてこのあとの問題は短期的な問題をもふくむものとしてと

( 1

)

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( 2

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65 . 

( 3

)  

Ib id .,  

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65

66 .

邦訳七四ページ︒

( 4

)  

Ib id .,  

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67 . 

邦訳七五ページ︒

•(5)Ib

笠,

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67 ,  68

69.

邦訳七五︑七六ー七七ページ︒

( 6

)  

Ib id .,  

p .  

69 . 

邦訳七七ページ︒

(7 )  Ib id . 

(8 )I bi d.

p . 70 . 

(9)Ib

p .

79 . 

邦訳八六ページ︒

(10)I

奇 .

p .

83 . 

邦訳九一ページ︒

( 1 1 )

 

I

bi d. ,  p .  84 . 

邦訳九一ページ︒ 邦訳七一ー七ニページ︒

参照

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