論文の内容の要旨
氏名:伊藤 景
博士の専攻分野の名称:博士(芸術学)
論文題名:石ノ森章太郎研究──1960 年代作品を中心として──
本論文は「石ノ森章太郎研究──1960 年代作品を中心として──」と題し、マンガ家・石ノ森章太 郎(1938〜1998)の 1960 年代作品を中心に考察し、戦後のマンガ表現に対する革新者としてマンガ 史の中に新たに位置付けようとするものである。
マンガ研究における石ノ森の評価は、近年になってようやく検討されつつあるものの、その膨大な 作品群については詳細に検討されているとは言い難い。その上、石ノ森は時代の寵児としてマンガ界 の第一線で活躍していたにも関わらず、全体としての作品評価は必ずしも高いとはいえない。なぜ ならば、石ノ森の作品数が膨大であり、幅広いジャンルを取り上げていたことからも、一貫した主題 を作品中から見出すことが困難であるからだ。一方で、石ノ森がテレビ作品に原作者として関わるよ うになり、石ノ森作品を原作とするメディアミックス作品が増加したことで、1970 年以降のテレビ 作品の原作とマンガ作品の評価が混同していることも一因であると考えられる。以上のことから、
石ノ森作品は正当な評価がされておらず、その多くが埋没しているのが現状である。
本論の目的は、手塚治虫に代表される戦後のマンガ表現を解体し、再構築することによってマン ガ表現の新たなる可能性を開拓しようとする石ノ森の試みを、メディアミックス作品が興隆となる以 前の 1960 年代の作品を検討することによって、明らかにすることだ。一方で、「石ノ森章太郎」が
「石森章太郎」から改名して以来、作品の質が低下したと先行研究者たちが定説として語っている ことから、彼らが石ノ森の功績として挙げる作品を主として改めて検討、考察をすることで石ノ森の マンガ家としての意識を考察していく。
具体的に、本論文では 1960 年代作品の中でも代表作といわれる「二級天使」、「マンガ家入門」、
「龍神沼」、「サイボーグ 009」、「ジュン」を中心に考察を行なった。更に、1970 年以降のメデ ィアミックス作品である「人造人間キカイダー」を考察することによって、メディアミックスに積 極的に関わることで石ノ森が得た知見を明らかにするとともに、マンガ作品とテレビ作品の差異を検 証した。
第 1 章ではまず、石ノ森のデビュー作品を明確化した。石ノ森はデビュー作とされる「二級天使」
以前に、絵物語「狐のシッポをつけた兎の話」が『漫画少年』(学童社)に掲載された。一方で、
石ノ森は自身のデビュー作を「二級天使」だと公言していることから、先行研究者たちは石ノ森が「狐 のシッポをつけた兎の話」を失念しているのではないかと指摘している。しかしながら、石ノ森の言 葉を検証することで、彼は絵物語について失念していたわけではなく、自身の職業がマンガ家であ ることからデビュー作としての「狐のシッポをつけた兎の話」に過度に言及することがなかったこ とを明らかにした。これにより、石ノ森のマンガデビュー作は「二級天使」であり、雑誌デビュー作 品を「狐のシッポをつけた兎の話」と位置付けることにした。また、石ノ森はデビュー年が 1954 年 とも 1955 年とも公式の年表において記載されることがあったが、「二級天使」をマンガ家デビュー 作と位置付けることで、1955 年であることを明確にした。
「二級天使」にみられる石ノ森が開拓したマンガ表現については、映画演出からの影響を指摘し、
考察を行なった。第一章では、ディズニー作品の『ファンタジア』、『ピーター・パン』、『シリ ー・シンフォニー』シリーズから、キャラクター造形を中心にマンガ表現における影響を比較する ことで、ディズニー作品からの影響を検証した。一方で、先行研究において言及されていた『第三 の男』、『素晴らしき哉、人生!』、『文なし横丁の人々』と「二級天使」を比較することで、こ れらの作品から演出方法、作品設定、またストーリーについても影響を受けていたことを指摘し、
明らかにした。
石ノ森は先行の様々な芸術から影響を受け、それをマンガ表現改革の原動力として、後の作品に 生かしていったのだ。以上第 1 章においては、石ノ森の創作家としての姿勢がすでにデビュー作の「二 級天使」にみられることを証明した。
第 2 章においては、「マンガ家入門」が構成に与えた影響を後進のマンガ家の証言から検証し、
マンガの技法書における「マンガ家入門」の独自性を考察した。
一方で、「マンガ家入門」を用いて、彼が構想したマンガ家像に二つの類型が存在することを明 らかにした。一つは商業的成功を第一と考える型であり、これを筆者は「マンガ作家」と新たに命 名した。これの対となるものとして、自身の作品の完成度を第一と考え、商業的成功には価値を見 出さない型を「マンガ作者」と命名した。石ノ森はこれらの二つの型を「マンガ家入門」において考 察し、示していることからも、このどちらかの一方の型のみに当てはめて考究することは不可能と いえる。このため、彼はこの二つの型を兼ね備えた複合的なマンガ家を目指したものと考察し、レ ヴィ=ストロースの提唱した「器用人(ブリコルール)」の概念を応用して石ノ森のマンガ家として のタイプを明確化した。
第 3 章においては「マンガ作者」としての一面が強く現れている作品として、「龍神沼」を分析 するとともに、石ノ森が少女マンガ界にもたらしたジャンル越境性を明確化した。
少女マンガでありながら、男女ともに人気の高い作品である一因に「共感」が基軸としてあるこ とについて指摘し、考察を行なった。石ノ森は姉一人のために作品を描いてきたことを明言しており、
この時点では「読者」を意識して作品を描いてはいなかった。石ノ森が自身の「故郷」を描いたと される「龍神沼」から、自身の故郷を象徴するものとして姉の存在がいかに重要であったのかを検 証し、考察を行なった。これにより、石ノ森が「龍神沼」に込めた姉への私的ともいえる思慕の念に 読者が共感したことによって、少女マンガというジャンルを超越して、幅広い読者を獲得したこと を明らかにした。これらの考察の結果として、「マンガ作者」は自身の「心象風景」を描き、私情 の発露として作品を創作していることを示した。
第 4 章においては「マンガ作者」の対となる「マンガ作家」としての一面を「サイボーグ 009」を 検証することによって明らかにした。
「マンガ作家」は「マンガ作者」が読者に向けてではなく、私的な感情により作品を創作してい る点と異なり、「読者」に寄り添うことでマンガを娯楽として享受させることを目的としている。
石ノ森は、「世界一周旅行」の体験から、それ以前には想定することもなかった「エンターテイメン ト」としてのマンガを意識するようになった。この結果、「マンガ家」として再起した際に「マン ガ作者」と「マンガ作家」を兼ね備えた特異なマンガ家へと転身したことを明確にした。
一方で、「マンガ作家」として石ノ森が試行した点として、雑誌の読者の関心を集めるために国内 外の最先端の技術を作品内で随所にちりばめていることを検証した。また、「キャラクターマンガ」
への一計として行なったキャラクター造形におけるシンボライズの検証を行ない、これを明らかに した。
第 5 章においては石ノ森の作品の中で最も「革新的」であると評価された作品「ジュン」の考察を 行なった。この作品は、戦後マンガ界を代表する手塚治虫が確立したマンガ表現を解体し、新たな る表現の構想へと意欲的に取り組んだものである。「ジュン」はマンガ界に大きな衝撃を与える作 品となった。しかし、この新たなる手法は手塚との騒動により広く浸透することはなかった。
一方で、「ジュン」はマンガの読みについての可能性を広げた作品でもある。マンガを読む際に、
自身の内面に目を向けることで「読者参加型」の読みが展開されるようになるが「ジュン」はこの 読み方を促す構造を持つ作品であったといえる。石ノ森自身は従来のマンガからの脱却を「ジュン」
では伝播することができなかったが、「手塚からの脱却」を課題に晩年に至るまで革新的な作品を 発表していったと考えられ、石ノ森の改革的姿勢が終生失われることがなかったことを確認した。
第 6 章では、石ノ森章太郎研究の先行者たちが検討することが滅多にない「人造人間キカイダー」
からメディアミックス作品とマンガ作品の差異を検討することで、石ノ森がそれぞれのメディアをど のように使い分けていたのかを明らかにした。
石ノ森は「機械と人間」を主題として、人間というものを追究してきたマンガ家である。この主題 を直接的に取り扱った「人造人間キカイダー」から、石ノ森が現代における人間の定義のゆらぎに関 わる問題提起を行なっていたことを明らかにした。人間の定義に言及した先行する文学作品『ピノ ッキオの冒険』、『まだ人間じゃない』、『R.U.R』、『ロボットの魂』、『未来のイヴ』とロボッ トと人間の描き方を比較することで、石ノ森は「人間」はロボットと差異はないとする新たな「人間 性」の提示を行なったことを指摘した。その上で、かつては娯楽としかみなされていなかったマン ガ媒体において、哲学的懐疑を提示することでマンガを深奥なテーマを取り上げるに値する作品に 昇華させたと結論付けた。
終章においては、本論各章での考察と結論を踏まえ、石ノ森が「マンガ」媒体に対していかに「革
新的」な存在であり、マンガ史において改めて功績に対する評価の検討をすべき存在であると結論 付けた。その上で、石ノ森が晩年に説いた「萬画宣言」の構想に至る過程を 1960 年代作品から見出 し、「萬画宣言」が一過性のものではなかったことを結論付けた。