長江下流域新石器文化の植物考古学的調査への参加 報告
著者 業天 唯正
雑誌名 金大考古
巻 43
ページ 4‑5
発行年 2003‑12‑20
URL http://hdl.handle.net/2297/2930
冒頭で、草原地帯における権力の発生を跡付けるために は積石塚の発掘が重要であると述べたが、正に「身を以て」
そうした重要性を実感させられた。
残念ながら、時間的な制約によって、最終的な結論は来 年度へ持ち越しとなった。しかしながら、鹿石の共伴、板 石墓文化の土器片など、ヘレクスルの年代を示唆する資料 が得られたことは重要な成果である。来年度のさらなる成 果を期待したい。
(註1)1999 年にも、モンゴル科学アカデミーと合同で調 査が行われている。その成果については、林俊雄「1999 年 度モンゴル調査報告―オラーン・オーシグ山周辺の遺跡調 査を中心に−」『草原考古通信』11 号(2000 年 5 月)の他 に、草原考古研究会のホームページに掲載されているので 参照されたい。
写真 1 河姆渡遺跡の高床式建物(復元)
(http://faculty.web.waseda.ac.jp/yukis/framepage.html)
(註2)鹿石やヘレクスルなど、モンゴル国の遺跡につい ては、高浜秀「モンゴリヤとブリヤーチヤの文化」藤川繁 彦(編)『中央ユーラシアの考古学』同成社(1999 年)
pp.85‑102 を参照。また、鹿石については、畠山禎「北ア ジアの鹿石」『古文化談叢』27: 207‑225(1992 年)があ り、年代について詳しく考察している。
長江下流域新石器文化の植物考古学的調査への参 加報告
業天唯正(修士課程 2 年)
今秋、10 月 25 日から 11 月 7 日までの日程で金沢大学の 中村慎一先生が研究代表者となっている「長江下流域新石 器文化の植物考古学的研究」の中国現地調査に参加させて いただいた。日本からの参加メンバーは鈴木三男(東北大 学)、金原正明(奈良教育大学)の両先生と他大学の院生 3 名の計 7 名である。鈴木先生は植物学、金原先生は環境 考古学、そして中村先生は農業考古学が御専門と先生方の 研究分野がそれぞれ異なり、学際的な調査となっているの が特色である。もちろん、現地の考古学者も調査に参加し ている。
今回の調査は、上海、江蘇、浙江の各省をまわり、来年 度以降の本格的な調査にむけて各遺跡から出土している植 物質の遺存体−木製品、種子、花粉といった遺物を実見し、
その保存・収蔵状況を確認することを目的としている。今 回は余姚市河姆渡遺跡、同鯔山遺跡、蕭山市跨湖橋遺跡、
寧波市慈湖遺跡(以上浙江省)、江蘇省蘇州市澄湖鞋墟遺 跡などから出土している遺物を観察し、また実際にこれら の遺跡をおとずれ、周辺の立地環境を把握することができ た。このうち河姆渡遺跡と跨湖橋遺跡について簡単にでは あるが紹介したい。
河姆渡遺跡[1] 杭州湾の南、姚江の北岸に位置する低湿
地遺跡で、時期は河姆渡文化から崧沢文化(前 5000〜前 3000 年頃)にあたる。豊富な木器や種子をはじめとする植 物遺存体の出土があり、河姆渡文化博物館に展示されてい る。また同博物館の屋外には建物跡や井戸などが復元・展 示されていてかなり見ごたえがある(写真 1・2)。こうし た建築物とともに当時の河姆渡人の生活を再現した人形た ちも多数展示されており、かれらのポーズを観ていてもお もしろい。出土した木製品を実見する機会をえたが、処理 がなされていないわりには、これが数千年前の遺物かと思 えるほど形をよく保っていた。また、最近正式報告書が刊 行され、さらなる研究の進展が期待されている。
写真2 河姆渡遺跡の井戸(復元)
跨湖橋遺跡[2] 「逆流する川」で有名な銭塘江の南側に ある遺跡で、もともとあった湘湖の堆積層にパックされて 遺跡が保存されたため多くの有機質の遺物が見つかった。
特筆すべきはこの遺跡で丸木舟が出土したことである。し かも丸木舟の周囲に木屑や石 が伴ったかたちで。いかに も製作途中の様子をしめしているようで生々しいが、当遺 跡は河姆渡文化よりも古い時期に属する遺跡であり(C14 では前 6 千年紀)、中国最古の丸木舟として重要な発見で ある。実見できた他の資料には図 1 のようなものがある。
図 1 は「槳(=櫂)形器」と報告されている組み合わせ式
−4−
のスキ先とみられている木製品で[3]、弥生時代のナスビ形 鍬を連想させるが、跨湖橋遺跡で使われていた石 類で作 られたとはなかなか思えない代物である。当時の木器製作 技術が一定のレベルにあったことをここから窺い知ること
ができる。
〈桜田・示野中遺跡〉
桜田・示野中遺跡は桜田町と示野中町との境に位置する。
発掘に当たられている金沢市埋蔵文化センターの庄田さん に案内して頂いた。まずプレハブ内にて実際の遺物を前に して、遺跡概要や遺物の解説を聞くこととなった。この遺 跡は市道や農道を挟んで四つに区画分けされており、北側 から時計回りにA区、B区、C区、D区と呼称されている。
区画ごとに時代が特定されているわけではなく、弥生時代 から鎌倉、室町時代に至るまでの様々な遺構や遺物が複数 の区画にわたって出土している。
日程中は各地の都市をめぐって遺跡 や遺物をみるだけではなく、現地の研 究所、博物館の方々と飲食を共にする のもスケジュールのうちに入っている。
ある土地に着けば歓迎の、発つときに は送別の宴が待っている。むろん宴会 にはお酒がつきものであり、昼のお酒 が抜けきらないうちに夜の宴会に移行 するといった事態もおこる。が、慣れ てしまえば問題ない。こういった席で しか聞けない話を聞くことができるう え、現地の方々の人柄に接することも できる。第一、圧倒されつつも中国の 考古学文化ばかりではなく食文化にも 直接触れることができるのは貴重な体 験である。
遺跡の中で確認された最も古い時期は弥生時代中期で、
土器片が出土している。続く弥生時代後期には、溝や 4×5 mの掘立柱建物跡と考えられる柱穴が見つかっており、埋 土中からは弥生土器や石鏃なども出土している。また緑色 凝灰岩の破片も数多く出土している。これは隣接している 出雲じいさまだ遺跡から出土している刳貫円盤と併せて、
弥生時代後期から古墳時代前期にかけての石製装飾品の製 作を示唆すると考えられている。
古墳時代に属する遺構は、前期に属する4基のピットが A 区から発見された。ピットの底部は砂層で現在も湧水し ており、おそらくは井戸であったと思われる。うち 2 基の 底部からは土師器の壺や甕が置くように埋められていた。
湧水点祭祀の一例であろうと思われる。解説の際に「置か れたように出土した」とおっしゃられていたこれらの壺や 甕に私は非常に興味を覚えた。私は、祭祀に用いる土製品 は破砕されると考えていたので、完形で見つかったこの例 が珍しく思えたからである。どのような状態で出土したの か、自分の目で見てみたいと思った。残念ながら出土状況 を実見する機会に恵まれなかったが、これらの土製品は祭 祀用に特別に作られたものではなく使用痕の残る実用品で あるとのことであった。なお、古墳時代後期の須恵器も出 土しているが、この時期の建物は確認されていない。
今回の調査では、木製品については、
たとえば舟、井戸枠といった大型品にはマツなどの 図 1 跨湖橋遺
跡出土の「槳形 器」(S=1/10)
針葉樹が、斧柄のような小物にはケヤキなどの加工しやす い広葉樹が使用されていたこと判明した。おそらくは周辺 の山林から伐採されたものであろうが、木材ばかりではな くこうした長江下流域における新石器時代のイネに代表さ れる栽培植物を含めた植物の広範囲な利用形態が、樹種同 定や花粉分析を通した古環境の復元そして考古遺物からの 裏づけにより来年度以降の調査で明らかにされるものと思 われる。
[1] 浙江省文物考古研究所 2003『河姆渡』文物出版社 [2] 方向明・芮国耀 1997「蕭山跨湖橋新石器時代文化遺址」
『浙江省文物考古研究所 学刊』浙江省文物考古研究所(編)
長征出版社
[3]中村慎一 2002『稲の考古学』p45 同成社
遺跡見学会報告 宮崎浩輔(学部 3 年)
次の奈良時代は、この遺跡のもっとも繁栄した時代の一 つであろうと考えられる。A区から見つかっている掘立柱 建物は東西 4.5m、南北 9mと大型である。その柱穴は一辺 1mの方形で、深さ 60cm である。また、柱穴の一つからは 墨書土器が出土した。この建物の東西両脇には幅 70cm、深 さ 40cm の溝が西側の溝の中からは厚さ約 15cm の炭層が見 つかっている。炭層中からは焼土や土器の破片が多く出土 している。また、同建物の内側と西側にも一面に炭と土器 が広がる浅いピットが見つかり、火を用いた祭祀跡と考え られている。この大型掘立柱建物の周辺には4棟以上の掘 立柱建物も見つかっているが、検出状況から同時期のもの ではないと思われる。以上は A 区に見られる遺構だが、他 の区画に目を転じると、B 区北辺では溝に囲まれた掘立柱 建物が、C 区の南西隅では大型の柱穴がそれぞれ見つかっ ている。そのため、この遺跡における奈良時代の集落は北 東から南西にかけて帯状に分布していたと考えられる。
12 月 4 日、3 限・4 限の考古学実習の一環として、考古 学研究室の教官 4 名、学生 23 名での遺跡見学に出かけた。
寒風吹きすさぶ中、見学途中にはあいにくの雨となったが、
そんな天気の中で案内してくださった庄田さん、小西さん をはじめ市の文化財保護課や埋蔵文化財センターの方々に、
この場を借りて感謝します。 続く鎌倉・室町時代に関する遺物としては、13〜15 世紀