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イ タ リ ア 語 事始 め 、
そ して 、 そ の 後 ‑ ‑
倉 田 清
大学の3年 目だった。イタリア語 を勉強 しよう と、イタリア学科 の授業 に もぐり込んだ。教官 は イタリア女性。大 きな 目玉 をむいて、つかつか と 一番後 ろの席 にいる僕 の ところ‑やって来て、僕
を指差 して、突然 、大声 をあげた。「ドンナオ ン ナ、 ドンナオ ンナ !」。 きょとん としている僕 に、
さらに、「ドンナオ ンナ !ドンナオ ンナ !ドンナ オ ンナ !」である。そ して、今度 はフランス語で
「あなたはフランス科 の学生 で しょう」 と尋 ね ら れた。「ウイ、マ ダム」 と返事 をす る と、 さらに 今度 は、流暢 な日本語 で、「ドンナ とい うのは、
女 とい うことです」 と説明。「なあーんだ」 と思 っ たが、冷汗 をかいた。そ して、二 ケ月発音 を中心 にス トラミジ ョリ先生か らイタリア語会話 を習 っ た。その年の夏休み、イタリア語の文法 と短文の 読解 を夢 中になって勉強 した。幸い、フランス語 の知識 も借 りてや さしい詩や随筆 などが読めるよ うになった。 ラテ ン語 を少 しか じっていることも 役立 って、次第にイタリア語の魅力 にとりつかれ
ていったことは勿論である。
その後、 フィレンツェ、 ヴェネツィア、ローマ な どの美術館 をしば し訪れた。積極的にイタリア 人 とお しゃべ りを し、た どた どしい表現で議論 も した。その度 に、会話 は上達 していった‑‑・ロー マ伝統の美 に魅惑 され、庄倒 されてい く自分 を嬉
しく思 うのだった。
ある年、シチ リアのバ レルモ大学で フランス文 学専攻の学生たちにフランス語で現代 フランス文 学のペギーやモー リヤ ックの話 を した。快活 な、
そ して、研 究心旺盛 な若者 たちだった。質問がた
くさん出 され、私 を満足 させて くれた。 ところで バ レルモ大学の語学教育 はイタリアでは定評があ る。初習外 国語の教室は15人単位の小 さなもので、
小 さな教壇 に小 さな黒板が印象的。その ミニ教室 がず らりと並 んでいる。履修者15人以内で徹底 し た語学教育が施 されているそ うだ。同 じラテ ン系 の フランス語やスペ イ ン語 は簡単 に履修 して しま
うとのことである。
文学部長ブ ッピッタ教授 は著名 なアナ‑ル学派 の文化人類学者。彼の研究室は美術館 さなが らで、
発掘 された さまざまな紀元前の壷やルネサ ンスや 17世紀だ とい う肖像画や武器 までが ところ狭 Lと 置いてある。髭面の先生 と歴史や文学 について話 し合 っているうちに、話題 は "死" について、 日 本の武士 の死生観や特攻隊のパ イロ ッ トたちの心 情 に及 んだ。「武士 たちは 日常坐 臥 自らの死 と親 和 していったのだ。 ことに特攻のパ イロッ トたち は一週間、二週間 とい う短い時間に確実 な死 を前 に して、 自分の生 と死の意義 を考 えなが ら死 を生 きていたのだ」 と言 うと、ブ ッピッタ先生 は大い に興味 を示 された。ヘ ミングウェ イや三島由紀夫 の "激烈 な死" について も話がはずんだ ・
イタリア語の方は、最近必要があって、 ダンテ の 「神 曲』(LaDivinaCommedia)の 「地獄篇」
(inferno)を少 しづつ読 んでい る。 ダ ンテの芸術 的手法が果 た して 「考案す る」 (inventer)のか夏 目軟石やペギーの ように 「発見す る
」(
d6couvrir) のか を確 かめるため、また、彼が人間の罪 をどの ように扱 っているのか を知 るためであるが、 とに か く難 しいか ぎりである ・l=IlM lHM 日日 M tH Hm ‖ lHHHM ‖ l川 H M M lHLJH日日MllHJM 川 lIHm L‖ J日 日 日日 H日日lHHIl日日l日 暮HHM H l日 日 日日 日 日M tllH‖ M M H日 暮日日川 日 日 I= ILml
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