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序章 本研究の目的と方法

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Academic year: 2021

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論文題目: 「共同体なき社会の<韻律>――中国南京市郊外農村における非境界的集合をめ ぐる民族誌的研究――」

氏名: 川瀬由高

論文の構成

序章 本研究の目的と方法

第一章 漢族農村研究における<集合>論の系譜

第二章 渦中の無形文化遺産――高淳三か村における祭祀芸能と機運 第三章 流しのコンバイン――収穫期

Q

村における即興的分業 第四章 村のたまり場――日常的交流にみる村民生活の韻律

第五章 「このトマトは都会人が一番好きなものだ」――日常会話における二分法的境界 第六章 粽をつくる、粽を贈る――端午節における儀礼食の贈与と「関係」

第七章 「家」と食卓――日常/非日常的共食にみる「家」の伸縮と<備え>

終章 <韻律>と社会

論文の要旨

筆者の調査村では、ふだん、各家の門は開け放たれたままとなっている。そして、何の 前触れもなく、勝手に扉を開けるなどして、時に友人が、時に親戚がそれぞれの家を訪れ る。それは、何か用件を話すためであったり、ただの暇つぶしであったりするが、人々は、

家主に勧められたイスに腰かけ、ひとしきり話をすると、すっと立ち去る。

このような光景は、おそらくは中国の(少なくとも漢民族の)農村部ではごく普遍的に 見られるものであり、中国農村の研究者ならば、ごく馴染みのあるものだろう。しかしな がら、従来までの中国農村研究はこのような人々の往来を社会現象として正面から議論し てはこなかった。そして本論が主張するのは、このような日常生活の情景にこそ、今日の 中国の農民生活(Peasant Life in China)の息遣い、ひいては社会組成のありようを理解 する手がかりがあるということである。

本論は、中国江蘇省南京市高 淳

こうじゅん

区の一自然村

Q

村における延べ

23

ヶ月に亘る現地調査 に基づく民族誌的研究である。本論では、これまでしばしば「共同体がない」と形容され てきた中国農村の社会様態を理解し記述するために、そして上述のような社会生活の情景 を捉えるために、新たな分析枠組みを提起する。即ち、現地の社会生活を、境界の存在を 所与の前提とする「集団」(group)や「組織」の発想からではなく、むしろ、境界が時と 場合に応じて顕在化/潜在化し、その規模も伸縮に富むような「集合」 (assemblage)とし て捉えるというアプローチである。

序章では、上記の問題設定に至ったフィールドワークの過程での気づきについて述べ、

(2)

「共同性」 (communality)の欠如を常態としている農民生活のあり方そのものを、現地の 文脈に即して理解し記述するという課題を提示した。続いて、本研究の位置づけを明確化 するために、人類学的なコミュニティ論および中国民族誌学における農村研究の動向につ いて概観した。とくに分析の指針として取り上げたのが、V・アミットのコミュニティ論 における「離接」概念や、堀内正樹の中東研究における「非境界的世界」や「断」の議論 である。これらの研究では、従来までのコミュニティ論が焦点化してこなかった関係が「途 切れる」局面に着目するという視点が提起されていることを指摘し、日常性をより十全に 捉える上では、人々の関係が紡がれ/途切れる、その双方の局面に着目するアプローチが 必要となると論じた。また、中国民族誌学においては、近年の農村社会の変貌や理論的潮 流の変化にも拘わらず、伝統期中国に関する古典的な社会モデルである「差序格局」概念 が再び着目されてきているが、その理由は、西洋由来の概念に拠らずに「現地で生きられ た社会関係」を捉えることの重要性が広く認識されつつある為だと指摘した。そして、既 往の差序格局論に対する本論の立場について言及し、この理論が比喩的に提示していた社 会モデル――中国社会における人々の集合体は「団体」ではなく「水面の波紋」のような ものだ――を批判的に継承することが重要になると論じた。

第一章では、本論の「非境界的集団」という分析視点を提示することを目的に、日本の 漢族農村研究における<集合>論の系譜を跡付けた。第一章前半部では、漢族の村落には

「共同体的性格」が見られないという学的通説を再検討し、一連の共同体論的研究では日 本を鏡像とする形で「共同性の不在」という観点が構築されてきたことを指摘した。後半 部では、中国農民が時と場合に応じて柔軟に個人として/村民として振る舞うことに着目 してきた人類学者らの知見のレビューから、漢族の「群体」 (

qunti

)を論じるうえでは、西 欧近代の概念である「集団」 (group)や日本のムラ(=村落共同体)の発想ではなく、 「集 まり」や「集合」 (assemblage)の語彙を前提とする必要があることを指摘した。また、こ れらの研究が費孝通の「差序格局」論の発展的継承にとって有益な知見となることを指摘 し、中国社会における集合現象を捉えるためには、境界が時と場合に応じて顕在化/潜在 化する集合体として、また求心力に応じて伸縮する「渦」のような集合体として捉えると いう視座が有効となると論じた。

第二章から第七章では、現地農民の社会生活を文脈に即して描き出すという上記の理論 的課題に対し、民族誌というジャンルの強みを活かすことで取り組んだ。すなわち、集団 的・共同体論的な発想では掬い上げることのできない現地社会の生活の質感や人々の息遣 い――これを本論では<韻律>と表現する――を焦点化しまた描写するために、本論では、

現地の人々が特に重視しているモノ/コトを各章の主題として配置するという実験的試み

を行った。それぞれの章で扱う祭祀芸能や農作物の収穫、イス、モノの価格、粽、ご飯と

いったトピックスは、日常・非日常生活の特定の側面を照らし出すものであり、そこで記

述された現象にはそれぞれ陰影ができている。そして、各章において垣間見えた部分的な

社会生活の姿を全体を通して重ね合わせていくことで、調査村における生活の<韻律>を

(3)

浮かび上がらせることを試みた。

第二章では、高淳で見られる祭祀芸能「跳 五 猖

ちょうごしょう

」 (五方位神をモチーフとする仮面パフォ ーマンス)と「小馬燈

しょうばとう

」(子供たちが馬に乗った将軍に扮するパフォーマンス)を取り上げ た。これら祭祀芸能は、近年、無形文化遺産に登録され、一見すると観光資源化の影響を 受けているようである。しかし、祭祀芸能の実践をつぶさに見るならば、変化は表面的な ものだと言え、「文化遺産登録を契機とする民俗の変質」という語り口には馴染まない。ま た高淳では現在、祭祀芸能の興隆/新興/衰退が同時並行的に進展しているが、これを廟 会の浮沈に関する理論的知見――「見物客が多い→噂になる→更に人が増える」――を踏 まえて述べるならば、祭祀芸能という集合活動を支えてきた「渦」の生成と消滅のロジッ クは不変であると言える。中国特有の政治環境のなかで育まれてきた祭祀芸能には、 「機運」

を掴むような柔軟な実践が見られることを指摘した。

第三章では、調査村

Q

村の農業の事例を取り上げた。Q 村では、若い世代は出稼ぎのた め一年の大半を村外に暮らし、村に残るのは高齢者とその孫世代だけとなっている。そし て、麦や稲の収穫は、370km も離れた外地から「流し」で来ているコンバインによる収穫 代行業者に依存していた。即ち、農作業のうちでも特に重要な収穫という工程は、農村の 組織(association)などではなく、たまたま出会う「よそ者」の来訪に依存して行われて いるのである。このような分業形態を理解する上で着目すべきは、あたかも未収穫田を起 点として渦のように出現する流しのコンバインの群れの存在である。誰との 、、、

仕事になるの かはわからなくとも、誰かとの 、、、、

仕事はできるだろうという確信が、流しの人々を一群の人 間の集合(assemblage)として調査村付近に出現させている。そして、このような集合的 現象があるからこそ、農民らは、予約や確証がないままでも、自家の農作物の収穫にとっ て都合のいい協力者を選ぶことができている。現地農民と流しのコンバインとのあいだで 執り行われている「即興的分業」とは、不特定多数の農民と、不特定多数の流しの人々と の間においてはじめて生起するような集合的現象なのである。

第四章では、Q 村の日常生活、とりわけ村民間の交流の事例を検討した。人々は、一見 するとぶしつけに勝手に友人・知人宅にやってきては、世間話をして、ほどなくすると立 ち去る。また村に一軒ある売店は村民のたまり場となっており、そこでは博打が行われ、

雑談が交わされている。このような光景を成り立たせているのが、①「イスを勧める」と いう他者歓待のモラルであり、②現地語でいう/baʔ ɕiaŋ/(「白相」、直訳は「遊び」)、即ち 集うことを楽しむという動機であり、そして、③村民の間に通底する時間秩序である。特 に注目されるのは、村民間交流は個々人それぞれの都合 、、、、、、、、、、

でなされるものながら、一日の特 定の時間帯のみ行われるという「共通性」である。このような特徴は、言語学の「韻律」

(prosody)との比較によってより良く理解できるだろう。すなわち、村民が集まり、立ち

去る様には、ブルデューが『資本主義のハビトゥス』のなかで指摘していた「共同性」に

基づくような時間秩序ではなく、むしろ、明文化しえないが通底する、しかしその時その

場所によって可変的な、「韻律」的な時間秩序が働いていたのである。

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第五章では、筆者がフィールドワークの過程で出会った「このトマトは都会人が一番好 きなものだ」という一見すると奇妙なフレーズを手がかりに、Q 村での日常会話における 語りの特徴について考察した。我々/彼ら、いま/むかし、ここ/あそこ、といった二分 法的語り口の鋳型に押し込まれた「都市」は参照項としての鏡像であり、トマトや肉など のモノの価格を統一基準とした「農村」との比較がなされている。このような二分法的レ トリックは、自/他の境界をはっきりと区画するものであるとはいえ、対面的状況におい て境界線は場面ごとに柔軟に変更されており、それゆえに、我々/他者の範疇を固定化し たり分断をもたらす契機とはなっていない。モノの価格を把握しておくこと、そして「我々」

というカテゴリーの内実を場面ごとに伸縮させることが、他者との交渉の円滑化に寄与し ていると指摘した。

第六章では、端午節にあわせて用意される儀礼食である粽に着目し、粽をめぐって織り なされる人間関係について議論した。Q 村の生活文脈における粽を理解する上では、民俗 の淵源を探る伝播論的・象徴論的なアプローチは有効性を持たない。粽は、端午節という 祭日にあわせ各家庭で、時に村民間での協力をしながら製作され、また、贈られる。この 粽の贈与の流れを追うことで明らかになるのは、規範的な親族関係や相互扶助的な関係性 ではなく、個人を起点に同心円的に広がる人間関係であると同時に、「不憫な」個々人の顔 を想定するような関係性である。伝統的な儀礼食としての粽が時代に呼応した様々な社会 変化にも拘わらず作られ続けているのは、これがバレンタインデーのチョコレートのよう に、贈与関係の中で重要性を帯びるモノであるからであり、その贈与が、親しき人と集う ことという目的に合致したモノであるからだと論じた。

第七章では、最も「団体」的な性格が強いと目されてきた家族・親族の事例について取 り上げた。たしかに家族の境界線は比較的リジットかもしれない。しかし、現地語で「一 家人(/iɪʔkaŋiŋ/)」(同じ「家」の者)と呼ばれる集合範疇は、その時々で核家族、血族、

親類、父系集団と意味合いが異なるものとなっており、費孝通の指摘通り、成員範囲は伸 縮に富む。このような伸縮自在な渦の様相を端的に示すのが、共食の場面である。日本の 食事は典型的には銘々膳(一人一膳)だが、中国の場合「大皿料理を皆でつつく」という ものであり、食事時に急な来客があったとしても、各家庭で常備されているイス(板凳)

を追加すれば共食が可能となる。さらに人数が多い場合も、各家庭で常備されている

2m

弱 の円板をテーブルの上に置けば巨大な円卓となり、着席可能となる。即ち、食事マナー、

イスの座り方、家屋前の広い庭の使い方といった農村ならではの習慣が村民間で共通して いることが、突発的な人の集合を可能ならしめる<備え>となっているのである。

終章では、以上の各章における議論――渦、機運、即興性、「韻律」、二分法的境界、差

序格局、<備え>――を総括することで、①これまでの民族誌記述において垣間見えた調

査村における社会生活の情景を捉えるための視点として、また、②既往のコミュニティ論

では捉えきれない社会現象を焦点化するための一つの分析的視点として、<韻律>という

視座が有する理論的可能性について検討した。本論が着目してきた調査村の人々の集合は、

(5)

時と場合に応じて伸縮し、その境界も前景化/後景化するものであった。このような集合 体を発現させているものが、偶発的な他者との交流を「織り込み済み」のものとするよう な中国の農民らの<身構え>であり、また、イスを蓄えておくことに象徴されるような、

他者の来訪の余地を残しておく<備え>である。現地社会における生活の<韻律>とは、

――「流しの人々」と村民との邂逅には、誰か 、、

との分業はできるだろうという村民らの態 度と、一連の分業を成すのに十分な広さの空間の双方が必要であったように――<身構え

>と<備え>が相補的に作用している情景において生起しているものだったのである。

これは、「村落共同体論」が想定するような共同性(communality)、つまり、明示的な 規約として労働交換や相互扶助が共有されている状況とは全く異なる、いわば、農業を基 盤とする生活リズムや食事マナー、イスや食卓の利用法といった諸慣習の「単なる共通性」

である。だが、このような日常的かつ些細なふるまいの共通性に基づく<韻律>こそ、Q

村における社交や生業、家族生活などの様々な場面で突発的に立ち現れる人々の集いの即

興性、柔軟性、包容力を担保する、必要不可欠な役割を果たしているのである。

参照

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