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おける農民運動 一 一

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(1)

市民革命期のイングランド西部に おける農民運動

一 一

1 6 4 5

年のクラブメンの一撲の検討一一一但)

‑407

前稿ではクラブメンのー授の経過と地域的特徴を検討ど,ほぼ次の結論をえ

O

すなわち,

( 1 )  

このー授は国王軍の迫害に対する生活の防衛としづ地域住 民の切実,素朴な要求から生じしたがって当初は殆んどもつばら国王軍が攻 撃対象となったが,内戦の進展とともにー授が国王派寄りの地域と議会派寄り の地域に分化していく傾向がみられる。

( 2 )

これを農業構造上の差違に即して 区分すると,ウィルトシャ, ドーセットシャ,ハンフシャ,西サセックスの穀 作地域は国王派寄りであったが,牧畜地域ではサマセットシャの北部と中部,

ウィルトシャ西北部,グロスタシャ,ハンプシャ西部が議会派寄りであったの に対して,サマセットシャの西部,東南部とドーセットシャの牧畜地域は国王 派寄りであった。

そこで,ー授のこのような地域的差異を生ぜしめた事'情を追究することが次 の課題となる。この問題の解明のためには,少なくとも穀作地域,国王派寄り の牧畜地域,議会派寄りの牧畜地域のそれぞれについて住民の行動に影響した と思われる歴史的諸事情をさぐりだすことが必要である。本稿ではこうした観 点から若干の農村について革命前の状況を検討し,この問題に接近を試みよう

と思う。

( 1 )  

拙稿「市民革命期のイングランド西部における農民運動‑1645年のクラブメンのー

撲の検討一( l ) J c r

富大経済論集』第

2 6

巻第

2

号〉。以下,これを前稿と略称する。

‑79

(2)

1 .

穀 作 地 域

ウ ィ ル 卜 シ ャ , ベ ン ブ ル ッ ク 伯 領 マ ナ ー

ここでとり上げるべ

γ

プルック伯領

1 7

マ ナ ー は 殆 ん ど が ク ラ ブ メ ン の ー 撲 の 中心地域であったウイノ'レトシャ南部の白望質土壌の地域

( c h a l kd o w n s )

にあ り,おそらく,その多くはー授に関連したものと思われる。ここでは,

1 6 3 1 ' "  

2

年 の マ ナ ー 検 地 記 録 に よ っ て こ の 地 域 の 農 民 の 状 態 を 検 討 し , 農 民 が か か え ていたと思われる問題を明らかにすることにつとめたい。

1は 当 マ ナ ー に お け る 土 地 保 有 状 況 を 示 す も の で あ り , そ れ に よ っ て 以 下 の 諸 点 を 指 摘 す る こ と が で き る

O

①  こ れ ら の マ ナ ー で は 謄 本 保 有 が マ ナ ー 全 面 積 の

66.7%

(約

16

116 a

1 1

176a )を し め , 人 数 で は 定 期 借 地 人 7 6

人 に 対 し て

3 2 2

人 を 数 え る 。 さ らに,定期借地の約

8

割 は

1 0 0 α

以 上 の 大 保 有 者

1 6

人の手にあり, 表 に は

( 2 )  

クラブメンのー挨が拡大に向った

1645 年 5

月下旬,ベンブ、ノレック伯領マナーに属す

Dintonの住民に対して 5

26

日に

Uxbury(4マイノレ南方〉にくるよう回状が送

られている

(Underdown

D .

, 

The Chalk  and  t h e   C h e e s e :   C o n t r a s t s   among t h e   E n g l i s h  Clubmen

, 

P . ωt 仰 d P r e s e n t

, 

n o .   85

, 

p .   28

, 

1

前稿J

173

, 

182

ページ参照〉。

一段との直接の関連を示唆するものであろう。

( 3 )  

この史料は拙稿

117

世紀前半のイングランド西部における農村構造ーペンブローク 伯領マナーの土地調査記録の分析‑

(~富大経済論集』第 9 巻第 4 号〉でかなり詳 細に検討された。本稿での検討も詳細はこれに依存するが,ここではクラブメンのー 授との関連で再評価を試みようというねらいがある。以下,前記の論稿を「ベ

γ

ブル

ック伯領マナー」と略称する。

( 4 )  

1

の全保有者数

388

人は自由保有者

6

人(うち

1

名は謄本保有地,

1

名は定期借 地を保有〉を除いたものである。保有者の中には謄本保有地と定期借地の両方を有す る者があるが,表の謄本保有と定期借地の欄ではこの関係を無視して謄本保有地と定 期借地の保有者を別々に計算した。これは謄本保有地と定期借地の状況を比較するた めである。したがって保有者の合計は保有者総数よりやや多くなっているが,両方の 土地を保有する者は少数であり,大勢に影響はない。

‑ 8 0 ー

(3)

バ 斗

a

表 1 ベンプルック伯領諸マナーにおける土地保有状況

1 1 α 1 1   ~I 5  ~110~ 120~130~140~160~180~11~-1200a 1 

保 有 規 模

5a l

1 2 Oa 1 3 0 α │ 40a │

l

1 0 α1 1 0 2

み│以

i

人 数

1   1  4 3   1  2 3 2 3 . 1  

0   6

1 つ~12311212o

1  21  1

舗 の 保 有 面 積 │ 、 一 一 一 1 n l 4 . 8 1 1 0

0 . 9 1 1 5 . 1 1   l n   I A ~V--- 1 1 0 0 . 0  

%0.511VI 4 0 . 9 l 9 . 9 1 6 . 4 1 4 1 .   3 l ( 1 6

6 1 6   a)  集人 数 1 2 81  24 1 17 1541 寸~I2o 1  9

円 七

告各群2保有門~

面積 % I  L . O   1  1 1 L.~b05a)1   6 . 1 2 . 3

1i 3 8 3 α 了

1 IL~. 1 2 .   8 17 1 0 , . 0 1 . v l

( μ 5 ; 7 Oa) 1 ( 1 1 │  1 1 0 7 0 6 a 0  

2

人数!叶

8 16 1   6

o 1  1  1  7  1  4  1  3  1

5 1 1 1 1

2 T I 1 1 l l l │  !  1 1(47LlJJ) 

「ず地代

1 ~ 1 2 8 4

7.9

1 8 . 4 1 5 9 1 7 . 0 1

7.2

1 1 3 7 1 1 0

1 1 . 6

FP2│τ1251 4 . 0 7 . 1 1 J

162l841fil

O

「ベンプルック伯領マナー J

303~308, 321~322ページより作成。

示さなかったが,このうち

1 5

人は本領地の一括借地人である。他の定期借 地は本領地の分割借地か,謄本保有地から転化したかし、ずれかの形で形成 されたので、あろうが,面積の上でも人数の上でもその比重は小さし、。した がって,謄本保有は全体としてかなり強固に維持されてきたということが できる。

②  謄本保有地では6

0 " ‑ ' 8 0 a

以上の富農規模の保有者が

4 4

人(1

3.7%)

で保 有地の

4

1.

6%

をしめる一方,

1 0   a

以下の小零細保有者は

6 9

( 2

1.

4%)

数え,農民層分解の進行が推察される。しかし,

1 0 " ‑ ' 2 0   a

から

4 0 " ' 6 0 a

中農層はなお

1 9 9

( 6 5 . 2 % )

で全保有地の

54.4%

をしめ,中農層がなお かなりの厚味をもって存在している。

①  エーカー当り地代額は小零細保有層が最も高く,次いで大規模保有層が

(5) 

1"ベンブ、/レック伯領マナー

J1O~13ページ参照。

‑ 81

(4)

高いのに対して,中規模保有層は地代額も低く,地代負担率も人数,保有 面積に対していちだんと低し、。

④  表には示しえなかったが,農業生産の形態についてつけ加えておくと,

若干のマナーを除いて各耕圃への耕地分布状況は不均等で、あり,また,特 に大保有地において囲込が進んでいるというように,若干の変革の兆候が みられるが,全体としてはなお開放耕地制が十分に維持されているという 状況である。つまり,大多数の農民経営はそれなりの創意,工夫をこらし ていたかもしれないが,それもなお伝統的な農業生産の枠をこえるもので はなかったということになる。

以上の点から,この地域の農民層は分解をはらみながらもなおかなりのまと まりをもち,保有権の維持,低率の地代負担という点では相対的に安定した状 況にあったといえる。他方,前記の検地記録を検討したかぎりでは次のような 問題点を指摘することができる。

①  たしかに,検地の時点における地代額は特に中規模保有地では軽微であ るが,保有更新期の一時金(f

i n e )

の額は明らかにしうるかぎりでは全体 として約

2 . 3

倍に増加している。そして,ベンブルック伯領諸マナーにお いて謄本保有が世襲で一時金が固定していたのは

B i s h o p s t o n eだけであっ

た。したがって,年地代が比較的安定していたとしても,一時金は大巾に 引き上げられ,それによって領主収入は全体として上昇しえた。

②  本領地の一括借地人の多くは領主権の一部を移譲され,いわばこの地域 の農民の直接の領主

(immediatel a n d l o r d )

として存在し,かかる領主権の 中には慣習的賦役が含まれている場合がある

O

このことはこの地域の領主 支配の強さを示すとともに,農民が領主と一括借地人の二重の支配下にあ

(6) 

r 向上

j29~36ページ参照。

( 7 )   r 向上 j

20~21 ページ参照。

(8) 

r 向上

j,

2 0

, 

2 2

ページ参照。

( 9 )   r

ベンブ、ノレック伯領マナー j,

1 1

, 

1 2

ページ参照。

‑ 82‑

(5)

‑411‑

ったことを意味する。

①  領主権の一部が一括借地人に移譲されていた場合も後見権

( w a r d s )

,婚 姻許可料

( m a r r i a g e )

,一時金

( f i n e )

,相続上納物

( h e r i o t )

, 相続料

( r e ‑ l i e

f)等は領主に留保された。一時金については前述のとおりであるが,

その他の義務も農民の経営と生活を制約し,農民にとってかなりの負担を なしたことは明らかであろう。

1631‑2年の検地記録は各保有者の保有物件の内容を細かく記録した詳細で 包括的なものであった。このような検地が行われたこと自体が領主支配の機構 としてのマナーがかなり有効に機能していたことを示している。そして,前記 の一時金を始めとする封建的諸義務の残存はイングランド各地において領主と 農民の対立,紛争の種となっていたので、あるが, ここでは革命期にいたるまで にこのような対立がどのように発展したか明らかではない。 1631‑2年の記録 には含まれていないが, 同じベンプ、ルック伯領に属する

Aldbourneの領地は

16432月「多数の庶民の不穏で反逆的な集団によって」攻撃されず::これは 革命期にいたるまでに領主に対する農民層の不満が少なくとも潜在していたの であり,それが革命期における地方統治機構の崩壊とともに表面化したことを 示している。

2 .  

ハ ン プ シ ャ , ク ロ ー リ ィ ・ マ ナ ー

クローリィ

(Crawley)

はノ、ンプシャ州都ウインチェスター市の近郊にあり,

12世紀以来ウインチェスター僧院のマナーであった。 16459月この地域の住 民がウインチェスター市を包囲する議会軍と衝突するとしづ事件があったが,

クローリィ村民との関連は明白でなし、。だが,こうした行動はこの地域を通じ ての反議会派的感情を背景にうまれたものであろう。クローリィの経済的状況 の検討は,このマナーが置かれた位置からして,ハンプシャにおけるクラブメ

( 1 0 )   M o r r i l l

]. 

S .

, 

The R e v o l t  o f  t h e   P r o

7

lceS , 1 9 7 6

, p. 

1 0 2 .  

(6)

ンのー撲の経済的背景の一端を示すという意味をもつことになるだろう。

2 1 4

世紀末のクローリィ・マナーにおける土地保有規模 保 有 規 模 Is

叫 Crawley

Wodecote 

Northωley 

2 v i r g a t e s   1 人 1 人 〈 倒 的 1 v i r g a t e s   1 1 人 1 人 1 2 人 ( 3 8 4 α

す v i r g a t e s 1 3 人 1 人 1 4 人 ( 2 2 4 a)  1 f a r t h i n g   1 7 人 1 7 人(1 8 7 a) 

屋 1 人 3 人 4 人

計 2 5 人 3 人 2 0 人 4 8 人 ( 8 5 9 a)  備 考

I

1

ate=32 a

, 

1 f a r t h i n g = 1 7 α  

Gras

, 

0 ρ.  c i t .

, 

p p .  

287~288 より作成。

このマナーについての検討は主として

N .S .  B .

, 

Grasが収集した史料を利用

する

O

まず,表2は1389"'90年の農民保有地の保有規模を示すものである。保 有者の大部分は

1ヴァーゲイト ( v i r g a t e )

,半ヴァーゲイト,

1ファージング

の標準的保有地を保有し, こ の 段 階 で は な お 保 有 規 模 が ご く 斉 一 で あ っ た こ とが明らかである。しかし,

1409

1 4 1 0 " ‑ '  

11年

1448'" 9

年の執事会計録

( r e e v e ' s  accounts)

における賦役売却

(VendicioOperum)

の項をみると,そ こに現われた30名の保有者のうち

2 1

名の間で、保有地の移動が行われてお

F

1 5

世紀前半ようやく金納化が本格化するとともに農民層の階層分化も進行し始め たことを示している

O

だが,

16"'17

世紀前半の時期については農民層の全体的 構成を知りうる史料がないので大まかに推定するほかない。前述のように14 紀末の保有者数は48人,下って

1673

年の炉税記録

(hearthtax r e t u r n )

に現わ れた人数は36人で、ある:そこで,

17

世紀前半におけるクローリィの人口は40 族前後とみて大過ないであろう。この時期の経済的状況については散見される (11) 

Gras

, 

N .  

S.  B

The Economic and S o c i a l  H i s t o r yザ an E n g l i s h   V i l l a g e

, 1930.  (12) 

I b i d .

, 

p p .   2 9 6

, 

3 0 5

, 

3 0 6

, 

4 7 7

より算定。

(13) 

I b i d .

, 

p p .   1 5 3

, 459~460参照。

‑ 8 4 ー

(7)

‑413

部 分 的 史 料 の 分 析 に よ っ て で き る だ け 全 体 的 状 況 を 把 握 す る よ う に 努 力 し て み よう。

表 3 1 6 2 8

年 の 臨 時 税 納 税 者

者*1

奇襲 1

査定額者│課税額4

{ J 1 H  

S i r  G .  F1eetwood 

(Knight)  動産 A 1 2   3 2 s .  

1 6 (

括 C

G 5 r

1

a

s

2

0

p 1 括 6

4 c

8

z

t

p

p

1 6 産 1 場 0 4

6

0

‑ 3 役 1

2 0 4 代 2

1 0

5 1

1

。期

5

1 6

~518) 。

William  動産 A5  1 3 s .   4 d .  

5 1

6 5

7

5 I2

0

5 5

5

3 9

(W

2

。を

2 贈 P

a

g

e

(

I

t 2 n

4

d 0

R P

P

P

a

5 g 4

e 7 16

a 5

4

8 継

, , 

Godwine 

Richard Beech  動産 A3  8 s .  

( I

J

b i

d J

1 W

P PH

K 5 i

4 n

6

s1

6

( 1

5

5 4

7

)

2

。)

ヤー ド

な v

一 一 一 一 一 一

Richard A 1 1 e n   動産 A3  8 s .  

I

b

1 6 0

1 1 ィ

1

6

4 古 9 9

5

1 3 民 ナ 1

5 2

4

5 5

2 )

。。

1

団。

(

zd

, 

p

,,

Richard Page 

!動産 I A  3  I  8 s .  

¥

5 ( I

b i

d

p

P

5

3

f'

5 3

9

の出身。

1

ヤー

l 5 5 2 )

J  oseph Hewett 

動産

A  3 

8 s .  

I

詳細不明

J o a n e  Wayte  l 

土 地 │

8 s .  

t

6 (

I

b i dW

a P y P t e 5

2 1

の有

52

。集積, 又貸して

J a o l i h a n s    1 R f i l k i n s

, 

動産 A6  1 6 s .  

1

5 (

I

9

b 6 z

1

d 6 R

1

1 3 6

B P

3 P 6

1 c 4

h 5

4 7

5

A 3 2

D W

a

5 v 3

B

y

1 7 9 r

6

o

2 2

w

3 6 n

m

g

2

f

a l i a s J o h n  Monke 

( 査 定 者 〉

Rihard  動産 A5  1 3 s .   4 d .  

G 原 c

R 1

k 〔 6 e I 1

n f I b S 0 e f z e

l

d m l l r

5 y

1

e 1 1 s

P a

P

0:.

5

H

2

8

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0 5

c 1 3 k 6 グ 2 3

n 3

4 e 5

l 3

l

5

治 R

1

c

h I

a

r 娘 d

1hA

フ‑

P u c k n a 1 1  

( 査 定 者 〉

' ! ' G r a s

, 

o p .   c i t .

, 

p .   4 5 7 .  

(8)

3

1 6 2 8

年の臨時税課税記録

( s u b s i d ya s s e s s m e n t )

に現われた納税者を 示すもので、ぁ

2 1 0

この年の臨時税は 1'3以上の動産(穀物,家畜,農具,家財 等〉を所有する者に対して 1'1につき

2 s .8 d .

の率で, l' 

1

以上の年収をあげ る土地の保有者に対しては 1'1につき

2 s .

の率で課税されたのだが,記録に現 われた納税者は

9

人にすぎなし、。前述のように,当時のクローリィの人口を

4 0

家族前後とみてもその中で前記の課税基準に該当する者が 9人だけとは思われ ない。おそらく,これは課税対象がごく低く査定されたからであろうが,少な くともこれらの納税者がクローリィの富裕な層に属することはたしかである。

そこで,これらの納税者を個別的に検討しその経済的性格を明らかにするこ とによって当面の段階における農民層分解の程度と内容を推察しうるであろ

O  A

叙述の簡単化のために, これら納税者の経済活動等の詳細は表

3

の中に要約 されている。それによって,当時のクローリィの農村構造はほぼ次のように特 徴づけられよう。

①  マナーのほぼ半分をしめる大本領地は一括借地の形で領主に確保され,

かつ,その経営には羊毛の刈込,洗羊,肥料運搬等の残存賦役が導入され 農民経営の発展を制約していた。

②  土地保有農民についてみれば,査定額 1'

3

の層の経営規模はせいぜ、い 1 ヴァーゲイト程度と思われ, l' 5'"''6の層は知りうるかぎりでは金貸・小

I b i d .

, 

p .   4 5 7 .  

( 1 5 )   1 6 1 0

年のマナー法廷では

l

人の慣習保有農が羊毛刈込,洗羊義務不履行のかどで

6 8 .   8 d .

としみ高額の罰金を科せられ

(Gra8

ρ. c i t

p .   5 1 1 )

, また本領地農場への 肥料運搬義務は

1 6 9 0

年にようやく金納イじされた

( I b i d .

p .  

516~518) 。 これらの義務 が遅くまで残存し,その履行をきびしく強制されたことを示している。

(16)  表に現われた農民の経営内容を直接に示す史料はないが,

3の動産に課税される

Richard Beech

の場合はかなりの程度に推定しうる。彼の父

RichardBeech

の遺産

目録 ( 1 6 1 6

2

月死亡〉では

2

月に

1 7

α

に小麦とえんどうが作付されているのでこ れとほぼ同面積の大麦(春穀)用の耕地と休閑地があるものとみてよく,約5

2 . 5 a 

1ヴァーゲイト半〉を経営するものと推定され,そのうち半ヴァーゲイトは叉借地 一 部 一

(9)

‑415‑

地主の性格が強いが,その規模がさして大きいとも思われなど。この程度 の上層が

4 0

家族前後と思われるクローリィ農民のうち

8

名 を し め る だ け で ある

O

なお,中小農民の比率が高いことを示すものであろう。

①  保有地抵当による貸付けの内容を検討してみると,前述のように,上層 部に属する

JohnWilkinsは抵当権者として多額の資金を貸付けながら,

後には保有地を抵当に入れ,また, この

WilkinsV

こ対する抵当権者となっ

WilliamBrowning

,同じく上層に属する

RichardPucknallに 対 す る 抵

当権者となった

RichardSimesはし、ずれも 16

世 紀 以 来 の 土 地 保 有 農 民 で あるが,

1628

年 の 臨 時 税 納 税 者 の 中 に は 見 い だ さ れ ず ¥ 課 税 基 準 以 下 の 存 在とみなされていたことになる。このことは農民層の聞にさして大きな財 力の差はなく,中農層も経営努力如何によっては或程度の蓄積をなしえた

ことを示している。

他方,残存する封建的諸義務は農民層にとっての問題点を成してし、たように 思われる。地代,一時金の動向については明らかにしえないが,本領地農場で であった

( G r a s

ρ. c i t

546~547) 。息子の Richard が相続したときには又借の期

限はきれていたが,少なくとも相続した保有地

1

ヴァーゲイトは経営したで、あろう。

A3

に課税される他の

3

人もこれと同程度とみて大過ないであろう。

仕 切 A6

に課税される

J o h nW i l k i n sと A5

に課税される

W.Godwine

は金貸の性格が 強いが,前者は後に自らの土地を抵当に貸付を受けるなど成功者とは思われない。後 者はかなりの現金を残したが,おそらく土地取引によってえた小金を蓄積したもので あろう。

A5

に課税される

R i c h a r dP u c k n a l lは鍛治屋の仕事を継いだかどうか明ら

かでないが,中規模の農業を営なむか, あるいはこれと小営業を兼営するものであ ろう。ただひとり土地に課税される

J o a n eWayteは 1 6

世紀に多くの保有地を集積,

又貸していた

Wayte家の子孫である。この年の保有規模は明らかでないが,課税額

からみてそう大きな規模とは思われない。

( 1 8 )   .  W i 1 l iam Browning 

1 6 4 9

年のマナー法廷の陪審員の中に名を連ねている

( G r a s

ρ

c i t .

p .   5 1 3 ) 0   S i m e sの名は 1 6

1 7

世紀の記録の中にしばしば現われている。例え

1 5 6 0

年の一時金の記録によれば,

Edmundus Simmesは 1

ヴァーゲイト半の保有 地をもち (I

b i d .

p .  5 2 1 )

, 

1 6 0 1

年のマナー法廷で、本領地農場で、の賦役義務不履行のた め罰金を科されたのはEdmundusSymesであった (I

b i d .

p

p .   5 1 1 )

‑ 87‑

(10)

の羊毛の刈込,洗羊義務,肥料運搬義務等の慣習的賦役,マナー裁判所への出 仕義務,相続上納物の納入義務等はかなりきびしく強制されたようである

O

らに,ここでは保有地の叉貸

( s u h l e t )

の事例が幾つか見いだされるが,叉貸

に対しては領主の許可を要する等厳重に規制されたことが特徴的である

O

そし これらの義務に対する違反はきびしく処罰されたが,違反者の存在はまた 領主の規制に対する農民の不満を示すものでもあった。

(3) 

ベトワース・マナー

ベトワース・マナー

( P e t w o r t hManor)

は 西 サ セ ッ ク ス の ほ ぼ 中 央 に 位 置 する。

1 6 4 5

9

月1

1

日当地のすぐ南方

DunctonDown

でクラブメンの集会が 行われたところかど,当地住民もこれに関係していた可能性が大きいが,その 詳細は明らかでない。しかし,その位置からして, このマナーの状態の検討は 西サセックスにおけるクラブメンのー授の経済的背景の一端を明らかにする意 味はもちえよう。なお,ここでの検討は主としてレコンフィールド卿の研究に 依存する。

ここではまず謄本保有農の状況の検討から始める

o 1 6 1 0

年の調査によれば,

マナーの土地は猟園

( P a r k ) 1

, 

207  a 

,本 領 地

3

794 a

, 謄 本 保 有 地

3

010 a

, 

ω 

前掲注側,

( 1 8 )

に示したように,

1 6 0 1

年のマナー法廷では本領地農場での賦役義務不 履行の他にマナー法廷への出仕義務違反のかどで

1

人の慣習保有農が罰金を科されて いる

( G r a s

o p .   c i t .

, 

p .   5 1 1 )

。また,

1 5 9 9

年のマナー法廷では相続物は半ヴァーゲイ

トにつき時価3

0 s .の価値ある乳牛 ( c o w )

1頭とすることが確認されている (I

b i d . ,  p

5 0 9 )

1 5 5 3

年の一時金の記録によれば,

R a n d o l p h u s  d a u y

なる者が領主の許可なくして屋 敷1,

1

ファージングの土地を又貸したためその保有地を没収され,

5 s . 3 d .

の旧一時

A4

4 s .

の科料支払を条件に保有地を返還され,向う

5

年間当該保有地の叉貸 を許可された

( G r a s

ρ

c i t .

, 

p .   5 1 9 ) 0   1

ファージング

( 1 7a)の土地がこれだけの

価値をもつかは疑問であり,かかる高額の科料の徴収は叉貸に対する規制,したがっ てまた土地利用に対する領主の規制の強さを示すものであろう。さらに,

1 5 9 9

年のマ ナー法廷では改めて叉貸に対する規制措置を定めている (I

b i d .

p p .   5 0 8

, 

5 1 0参照〉。

ω 「前稿J

2 9 5

ページ参照。

~2)

L o r d  L e c o n f i e l d

, 

P e t w o r t h  Manor i n   t h e  S e v e n t e e n t h  C e n t u r y

, 

1 9 5 4 .  

(11)

‑417‑

合計

8

351 a

である。マナーの土地は

1 7

のブロックに分かれ,

共同地

340a

, 

XV

は猟閣と本領地に属し,猟園として留保されるか,定期

XVII

の諸ブロックは保有面積の推定が困

X I I

, 

そのうち

I I

XVI

,  借地として貸出された。

X I I

難であるので省略し,残り

1 0

ブロックについて検討することにする

O

4

は保有者名と保有面積を知りえた

1 0

ブロックにおける謄本保有農の保有

似)

規模を示すものである。面積を確認しえた47人のうち

80a

以 上 の 富 農 規 模 の 保 謄 本 保 有 農 の 保 有 規 模

tf│Ilz1513 1

LX 

~

~ 1 5 0  

3  80 

~ 1~_

1 ② [  

1

2

1

2

2 0  ‑‑ 40 

8  1 0  ‑‑ 20 

5 以 下

I

1

9

〉、

I

1 3  

1 2  

4 7

(1

3 9 7  a)  面 積 不 明

I

4 ③

3 ④

1 1 ⑤

4

このブロックには他に2

9 a

1 9 a

の自由保有地あり。

この保有者はX

I I

,X

I I r

のブロックに

3 a ,  15α

の自由保有地をもっ。

このうち

2

名は各々

53α+α

4 1  a  + α

を保有。

このうち

1

名は

52a

+αを保有。

この

1 1

人は全部で

82 a  ( 3 5

地片〉を保有。内約は次のとおり。

地 片 数 I

1  4  5  7  8  1 0  

人 数

1 5 1 1 2 1  1  L e c o n f i e l d

, 

0 ρ.  c i t .

, 

p p .   68‑‑92

, 

Maps  1

, 

N  ‑‑X I

より作成。

⑤   ( 注 〉

次のようにして算定し

I b i d .

, 

p .   4 5 .  

謄本保有農の保有規模については直接的史料がないので,

8 9 ー ( 2 3 )  

(12)

有地を有する者

1 0

人に対し

5 a

以下の零細保有者は

1 4

人をしめ,農民層分解の 進行は明白である。しかし,

1 0 ' " ' ‑ ' 2 0   a

から

4 0 ' " ' ‑ ' 6 0 α

の中農層も

2 2

人を数え,ま た,保有規模の上限もさして大きくなし、。面積を確定しえなかった

2 5

人も,備 考に示したところからみて,過半は中農であり,若干の貧農を含むものと思わ れる。また,この表は全謄本保有地の半分を示すだけであるが,各農民の保有 地は一般に特定のブロックに集中しており,

2

ブロック以上にわたって土地を 保有する者は殆んどないところから,全体としても状況は大きく変ることはな いだろう。そこで,分解の傾向を示しながらも,農民層はなお一つのまとまり をもっていたとみてよいだろう。後述のように,

1 5 9 0

年代に生じた領主による 共同地囲込をめぐる紛争において殆んどすべての保有者が団結して領主に対抗

したのもこのことを裏書するものであろう。

次に,定期借地の経営状況をみよう。定期借地は①旧直営地

(demesne)

②  本領地に属する林地

(demesnewood) 

,①  かつての猟園が廃林されて貸 出された土地

( d i s p a r k e dl a n d )  

, ④   謄本保有地から転化した土地等から成 る。以下, これらの土地のそれぞれについて順次に検討していくことにする。

① 旧 直 営 地

5

は旧直営地借地の概要を示すものである。表に現われたかぎりでは,直 営地の貸出は

1 5

世紀後半に始まり,初めは一括借地に出されたが,後に分割し て貸出されるようになったと思われる。そして,その貸出面積は徐々に増大 しその中で借地はたえず再編,集中され,次第に大借地が形成されていく一 方,借地が細分され,小借地もうみだされていた。

1 6 1 0

年の

FrogFarm

の状

1 6 1 0

年の検地記録にはそれぞれのブロックにおける保有地名と保有者名を明示し た詳細な地図が附されており,それによって各保有地の保有者名を知りうる。 しか しこの地図には保有地の面積が示されていない。レコンフィールド『前掲書

J

では 各謄本保有地の状態を詳細に説明しており,それによって各保有地の面積も知りう

る。そこで,地図と本文中の関連部分を対照していくことによって保有規模を或程度 まで明らかにしうるのである。

‑ 9 0 ー

(13)

‑419‑

5 旧 直 営 地 貸 出 の 経 過

期 │ 貸 出 の 内

r

手 合

1460~90

│旧直営地中の F 叫 Farm を

w.

Ford o f   P i p p e t s に一括貸出。

1490~1

1 5 0 9   │旧直営地中の F 時 Farm を 3 人に貸出。

1 5 5 7   [  1 8 人に

2 計 十 貸 3 出;それぞれ

8 9 a,  6 6   a

, 

5 1   a,  42 α  4 ω O α 久 , 2 μ 4 α 凧 ,

1  a,  l i t 3 3 0 α  

1 5 7 7   [  6 人に貸出;それぞれ 9 9 a,  9 6   a

仇 伽 4 5 a,  4 2   a

計384 a  1 5 9 7   [ 6 人 に 貸 出 ; そ れ ぞ れ 山 , 仇 7 0 α , 49 a

れ 加 計403 a 

残 貸 最 片 こ 出 大 は の り 長 面 の の 1 場 積 借 部 を 地 除 分 は に 面 1 隣 き 5 ( 積 す 接 1 1 6 a べ 地 は す 4 片 ( る て 3 1 5 隣 , a 5 7 接 8 年 9 ( 。 1 a

5 ) 5 か 7 年 ら 〕 157a

地に増片数加は 1 7 か当らお借地に増の加。地 ¥ 

1 6 1 0   から63 a 

vCj;~7Jfl ,かつ

の (F 部 r o 分 g  Farm 

のみ〉 は 8 人 保 有 に 貸 な 出 5 3 α は 1 1 人が いし借地。

備 考 │ エ ー カ ー 当 り 平 均 地 代 は 問 年 に 約 札 問 年 に 約 6 s L e c o n f i e l d , 

0.

ρ c i t .

, 

p p .  

46~49,

9 1 より作成。

態 は こ の こ と を よ く 示 し て い る O 下 っ て 1760 年 代 に は こ の FrogFarm と 隣 接

す る 53 a を 合 わ せ た 210 a の 農 場 が

1

人 の 借 地 人 に 貸 出 さ れ , 大 借 地 農 業 経 営 の 発 展 を 示 し て い る 。 し か し , 当 面 の 段 階 で は 直 営 地 貸 出 は 借 地 に も と づ く 農 業 経 営 を 発 展 さ せ た が , 借 地 そ の も の は た え ず 分 割 , 再 編 さ れ る と い う 状 況 で あったといえよう。

② 

林 地 (woodland) と 猟 園 (park)

林 地 と 猟 園 は 類 似 の 経 過 を た ど っ て い る の で 一 括 し て 扱 う 。 表 6 は 1557 年 と 1610 年 の 記 録 に 現 わ れ た 林 地 と 猟 園 の 状 況 を 示 す も の で あ り , そ れ に よ っ て こ の 二 つ の 時 期 の 聞 に 生 じ た 変 化 が わ か る O 七 つ の 林 地 , 四 つ の 猟 閣 の う ち , 猟 園 と し て 保 留 さ れ た Outwood , 林 地 と し て 保 留 さ れ た Colehookwood , Chaw

foldwood ,前記 Outwood 囲 込 の 代 償 と し て 共 同 地 に 転 化 さ せ ら れ た Middlekorn を 除 き , 他 の 多 く は 製 鉄 業 の 発 展 等 に 伴 う 樹 木 の 伐 採 が 進 む と と も に そ の 本 来

L e c o n f i e l d

,o.p. 

c i t .

, 

p .   4 9 .  

‑ 91

(14)

6 林地と猟園の使用状況

名|面積作~I

1 5 5 7  11610 

使 ?

0

u t

wo

od  1 2

1 2 0 0  1

雌 紀 末 に 共 剛 か ら 囲 込 猟 固 と し て 保 留 。

F r i t h   1 11311578

2

人の製鉄業者に溶鉱炉

1

基とともに貸出。

Colehookwood  761  1081161

恥新植林,面積増大。

Chaw

wood 1 

│最も価値ある林地として保留。

R a t f a l i n g w o o d   1  9 7  

。本保有地を附加して増大,伐採とともに農地化,

1 i d d l e k o r n 9 1   1 1 7 31

前記

Outw

州囲込の代償として共同地に転化。

I d e h u r s t   7 51

囲込まれた荒れた放牧地

( r

叫 附

t

耐 と 記 録 さ れ るのみ。

C〔以on下y'P~猟rk

1 8 0  1 

│廃林貸出。

Li

t t 1 e  Park 

│向上。

G r e a t  Park  4 0 0   6 9 1  

1 2 1 5 6 7 9

1 2 3 4

期園と1

5

7 8

年牧権に製を鉄地業代者£印に貸昨出。間の条件て貸 出1

0

A2

9 分 5

。許可。

F r i t h h o l d  

lU4115691

3

年,地新代た£に貸

1 7

出2

1

年 間 件 鳴 地 と し て 貸 出 。

L e c o n f i e l d

, 

o p .   c i t .

, 

p p .

, 50~65 より作成。

の 性 格 を 失 っ て 農 地 化 し 定 期 借 地 と し て 貸 出 さ れ , こ こ で も 借 地 に も と づ く 農業経営が発展することになった。その全貌は明らかにしえないが,

Frithhold 

のように一 括借地 された場合も

GreatParkの よ う に 分 割 借 地 さ れ た 場 合 も あ

り,直営地借地の場合と同様の状況であったと思われる。

①  謄 本 保 有 地 か ら 転 化 し た 定 期 借 地

7

は 謄 本 保 有 地 か ら 転 化 し た 定 期 借 地 の 事 例 を 示 す も の で あ る

O

それによ れ ば1620年 代 ま で に11の 謄 本 保 有 地 が 本 領 地 に 編 入 さ れ , 定 期 借 地 と し て 新 た に 貸 出 さ れ , そ の 面 積 は

8 1 0 α

で 全 本 領 地 の ほ ぼ

2

割 に 達 し て い る

O

定 期 借 地 へ 転 化 後 の 借 地 料 は 旧 地 代 の2

2 ' " ' ‑ ' 3 0

倍 に 増 大 し て お り , 殆 ん ど の 場 合 に 転 化 は 領 主 の 保 有 地 買 上 に よ っ て 行 わ れ た 点 か ら み て , こ の マ ナ ー で は 領 主 に よ る 積

‑ 9 2 ー

(15)

‑421‑

極的な所領経営改善の政策が進められ,それが農民を圧迫しつつあったことが 推察されるのである

O

こうして,借地にもとづく経営が次第に普及しつつあったが,謄本保有農は

表 7 旧謄本保有地から転化した借地

名 tklifUH 罷高島町田引 IBf*if~~

ω 1   9 5 3 5 1 1 1 8 3

,盟後半

[ ! 5 1 2 f

l

j 1 1

17

r

l ;

i

2

岱説

t

1 1

2 2 1

2 2 1

r

?

Z r

i

: i

R5

i ; ;

1 8

2 2

0

1 12   1

l

r

l;:;:j盟翠叶

l

!

1 2 い 1 卜 2

1 7

1 9 5 1

5

│F

1

i

i

:

d J

││い

1 1 1 1 1  5

3

1 J .   Shude 

12 3 11 6 1 1 1   3   4 1 3 1 昔話以後[吟砕明 l 蹴 W

│ 3 1 1   2   1 11 6 1  4 9

臨 明 l

1  R .  G ぬ C

ω ω

凶刷

ω h i

江 山 山

1 i 1

ωt

1 3 2

1 1 0 1 1 1 

作宝鵠

3 1 号 R

l

:t

M

山 比 耐 山

h

h u

山 附

r r

s s t

i

2

5 1 1 1

4

3

IT

e

町悶削叫

L r

町凶山

r i i c

l

ド 阿 2 川

T

3 司 2

i

8 1 0

O s i e r s  

JJ 

A s h f o l d ① 

L a c e s ② 

Uplands 

BuUyns 

B i s h o p s  1 

B i s h o p s  2 

t ‑

(

①  この借地は]. S t e n t 保有の8 1 a の保有地の 1 部 。

②  最初の借地人は 2 人でエーカー当年借地料は 7 s .l l d .  

③  耕地と放牧地の部分のみ貸出。

L e c o n f i e l d

, 

o p .   c i t .

, 

p p .  

65~67,

7 1  

~72,

7 5

, 

7 9

, 

8 8

, 90~91 , 107~

1 0 8 より作成。

‑9 3 ‑

表 2 1 4 世紀末のクローリィ・マナーにおける土地保有規模 保 有 規 模 Is 叫 Crawley I  Wodecote  I  Northωley  1  計
表 4 このブロックには他に2 9 a と 1 9 a の自由保有地あり。 この保有者はX I I ,X I I r のブロックに 3 a ,  15α の自由保有地をもっ。 このうち 2 名は各々 53α+α , 4 1  a  + α を保有。 このうち 1 名は 52a + α を保有。 この 1 1 人は全部で 82 a  ( 3 5 地片〉を保有。内約は次のとおり。 地 片 数 I 1  4  5  7  8  1 0  人 数 1 5 1 1 2 1  1  L e c o n f i e l
表 6 林地と猟園の使用状況 地 名|面積作~I 1 5 5 7  11610  使 用 状 兄 ? 0〔 林 u t 地 wo〉 od  1 2 ∞ 1 2 0 0  1 雌 紀 末 に 共 剛 か ら 囲 込 猟 固 と し て 保 留 。 F r i t h  1 11311578 年 , 2 人の製鉄業者に溶鉱炉 1 基とともに貸出。 Colehookwood  761  1081161 恥新植林,面積増大。 Chaw 凶 wood 1  │最も価値ある林地として保留。 R a t f a l i

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