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『三玉挑事抄』注釈 春部(上)

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(1)

『三玉挑事抄』注釈 春部(上)

著者 岩坪 健

雑誌名 人文學

号 193

ページ 113‑161

発行年 2014‑03‑15

権利 同志社大学人文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000013659

(2)

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 春 部

︵ 上

岩 坪

本 稿は

﹃三 玉挑 事抄

﹄春 部の 1番 から 58番 まで を掲 載す る︒ 担当 者は すべ て本 学博 士課 程在 学者 で︑ 以下 の通 りで ある

︒な お各 項目 末尾 の︵

︶ 内に は︑ 担当 者の 氏名 を示 した

︒ 森あ かね

・大 八木 宏枝

・風 岡む つみ

・城 阪早 紀・ 植田 彩郁

・吉 岡真 由美 凡例

一︑ 翻刻 は原 文の まま を原 則と して

︑誤 字・ 脱字

・濁 点・ 当て 字・ 仮名 遣い 等も 底本 の通 りに した が︑ 読解 や印 刷の 便 宜を 考慮 して 次の 操作 を行 った

︒ 1 句 読点 を付 け︑ 会話 文な どは

﹂で 括り

︑底 本の 旧漢 字・ 異体 字・ 略体 は通 常の 字体 に改 めた

︒ 2 誤 写か と思 われ る箇 所に は︑ 右側 行間 に︵ ママ

︶と 記し た︒ 3 和 歌の 上に

︑通 し番 号︵ 1〜 58︶ を付 けた

︒ 一︑

﹇ 出典

﹈の 欄に は︑ 和歌 と注 釈本 文の 典 拠 を示 す

︒和 歌 には

﹃新 編 国 歌大 観

﹄の 歌 番 号︵ 万葉 集 は 旧番 号 の み示

― 113 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 春 部

︵ 上

(3)

︶を 記 す が︑ 無 い 場 合 は﹁ 該 当 歌 な し﹂ と 表 記 し

︑﹃ 三 玉 和 歌 集 類 題﹄ に あ れ ば 部 立 な ど を 示 す

︒注 釈 本 文 が

﹃新 編日 本古 典文 学全 集﹄

︵ 小学 館

︒略 称

﹃新 編 全集

﹄︶

︑ ま たは

﹃新 釈 漢 文大 系

﹄︵ 明 治 書院

︶に 収 め られ て い る場 合 は︑ その ペー ジ数 も記 載す る︒ ただ し﹃ 新釈 漢文 大系

﹄の 白氏 文集 で未 刊の 巻は

︑続 国訳 漢文 大成

﹃白 楽天 全詩 集

﹄に よる

︒ 一︑

﹇ 異同

﹈の 欄に は︑ 翻刻 本文 との 異同 を 列 挙す る

︒た だ し︑ 濁点 や 送 り仮 名 の 有 無︑ 漢字 と 仮 名の 相 違︑ 仮 名遣 の 相違 は取 りあ げな い︒ 和歌 の本 文は

﹃新 編国 歌大 観﹄ と︑ 注釈 本文 は原 則と して 版本 と︑ それ ぞれ 比較 する

︒異 同 がな い場 合は

﹁ナ シ﹂ と記 し︑ ある 場合 は﹃ 三玉 挑事 抄﹄ の本 文│ 異文 の順 に列 挙す る︒ 複数 の作 品す べて に異 同 がな い場 合は

︑書 名を まと めて 列挙 して

︑末 尾に

﹁ナ シ﹂ と記 す︒

○ 源氏 物語 は︑ 絵入 り承 応版 本

︵略 称﹃ 承 応﹄

︒ 国文 学 研 究資 料 館 のホ ー ム ペ ージ に 公 開︶ と︑ 北村 季 吟﹃ 源 氏物 語 湖月 抄﹄

︵ 略称

﹃湖 月抄

﹄︒

﹃ 北村 季吟 古註 釈集 成﹄ 新典 社を 使用

︶に よる

○ 伊勢 物語

・大 和物 語・ 枕草 子・ 古今 集序

・八 代集

・和 漢朗 詠集 は︑

﹃ 北村 季吟 古註 釈集 成﹄

︵新 典社

︶に よる

○ 竹取 物語 は絵 入り 版本

︵無 刊記 版︒ 同志 社大 学所 蔵︶ によ る︒

○ うつ ほ物 語は 文化 三年

︵一 八〇 六年

︶補 刻本

︑狭 衣物 語は 承応 三年

︵一 六五 四年

︶版 本に より

︑い ずれ も三 谷栄 一

﹃平 安朝 物語 板本 叢書

﹄有 精堂 を使 用す る︒

○ 漢籍 も同 志社 大学 に版 本が ある 場合 は︑ それ を用 いる

︒な い場 合は

﹃新 釈漢 文大 系﹄ など によ る︒ 一︑

﹇ 訳﹈ の欄 には 翻刻 本文 の現 代語 訳︑

﹇考 察

﹈の 欄 に は和 歌 と 典拠 と の 関係 な ど︑

﹇ 参 考﹈ の欄 に は 参考 資 料 など を 記す

玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 春 部

︵ 上

― 114 ―

(4)

一︑ 歌題 が同 じで ある 和歌 が連 続す る場 合︑ 底本 では 二首 めか らの 歌題 は省 略し てい るが

︑本 稿で は﹇ 訳﹈ に限 りす べ ての 歌に 題を 示し た︒ ただ し補 足し た歌 題に は︵

︶ を付 けて

︑底 本に はな いこ とを 示す

︒ 三

玉 挑事 抄 巻 上 春

部 元日 宴 1も ろ人 の恵 隔ぬ 道し あれ や春 立け ふの 門ひ らく 声 江 次 第曰

︑元 日

会︑ 内

弁起 座

︑微

︑唯 経

宣 陽殿

壇 上

北 行︑ 出

軒 廊東 第 二 間

︑到

左近 陣

南頭

︑ 謝

座再

拝︑ 開

門云 云︒ 同 鈔曰

︑時

官︑ 皆在

門 外

︑ 至

︑令

放入

也︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑五 番︒ 江家 次第

︵神 道大 系︶

︑巻 一︑ 正月 甲︑ 元日 宴会

︒江 家次 第鈔

︵続 々群 書類 従︶

︑ 第一

︑正 月︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹃ 江 家次 第﹄

﹃江 家次 第鈔

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

元日 の宴 多 くの 人に 分け 隔て なく 恩恵 を施 す道 はあ るの だな あ︒ 立春 の今 日︑ 門を 開く 声︵ が聞 こえ る︶ よ︒ 江 家次 第に よる と︑ 元日 の宴 会で

︑内 弁は 起座 して 微音 で称 え︑ 一人 で宣 陽殿 の壇 上を 経て 北行 し︑ 軒廊 の東 の 第二 間よ り出 て斜 行し て︑ 左近 の陣 の南 頭に 到り

︑感 謝の 意を 表し て二 度礼 拝し て開 門す る云 々︒

― 115 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 春 部

︵ 上

(5)

同 鈔 に よ ると

︑こ の 時 に百 官 は 皆︑ 門外 に お り︑ こ の時 に 至 ると 開 門 を命 じ る 者 は群 臣 を 放 入 さ せ る の で あ る

﹇ 考察

﹈﹃ 江家 次第

﹄は 元日 の宴 会で

︑開 門に 至 る ま での 手 順 を記 し た 部分

︒﹃ 江 家 次 第鈔

﹄は 一 条 兼良 の 注 釈書

︒当 歌 は︑ 新年 に開 門を 命じ る声 によ り群 臣が 入れ る儀 式を

︑多 くの 人々 に惠 みを もた らす と見 なし たも の︒

﹇ 参考

﹈﹃ 江家 次第

﹄の 異同 には

︑渡 辺 直 彦 校注

﹃神 道 大 系 江家 次 第﹄

︵ 底本 は 承 応 二年 版

︒神 道 大系 編 纂 会︑ 一九 九 一年

︶を 使用

︵森 あか ね︶ 元日 2け ふに あひ て吉 野の 国栖 も万 代の 春の はし めの 笛竹 の声 日 本 書紀 曰

︑応 神 天 皇︑ 十九 年 冬 戊戌

︑幸

吉野

︒ 時︑ 国栖 人

︑来

朝 之︒ 因

于 天皇

而 歌

之 曰云 云︒ 今︑ 国栖 人献

之日

︑歌

︑即

口以 仰咲

︒上 古

之遺

則 也︒ 延 喜︑ 宮内 式曰

︑吉 野国 栖献

御贄

歌曲

︑ 毎

節 以

十七 人

︒国 栖十 二人

︑笛 工五 人︒ 江 次第 曰︑ 元日 宴会

︑国 栖奏 歌笛

︑於 承明 門外

︑奏 之云 云︒

﹇ 出典

﹈雪 玉 集

︑四 番︒ 日 本 書 紀︑ 巻 一

〇︑ 応 神 天 皇

︑四 八 五 頁

︒延 喜 式

︵国 史 大 系

︶︑ 第 三 一

︑宮 内 省

︒江 家 次 第

︵神 道大 系︶

︑巻 第一

︑正 月甲

︑元 日宴 会︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新 編 国 歌大 観

﹄﹃ 江 家次 第

﹄ナ シ︒

﹃ 日本 書 紀

﹄﹁ 十 九 年 冬 戊 戌

│十 九 年 冬 十 月 戊 戌 朔

﹂﹁ 時 国 栖 人

│時 国 樔 人

﹂﹁ 国 栖人 献土 毛│ 国樔 献土 毛﹂

﹁咲 上古 之遺

│咲 者蓋 上古 遺﹂

︒﹃ 延 喜式

﹄﹁ 歌 曲│ 歌笛

﹂︒

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 春 部

︵ 上

― 116 ―

(6)

﹇ 訳﹈

元日 元 日の 今日

︑吉 野の 国栖 人も 来朝 して

︑限 りな く続 く世 の春 の初 めに

︑音 楽を 演奏 する こと よ︒ 日 本 書 紀 によ る と︑ 応 神天 皇

︑十 九 年冬 の 戊 戌 に︑ 吉野 宮 に 臨 幸 さ れ た

︒そ の 時

︑国 栖 人 が 来 朝 し た

︒そ し て

︑濃 い酒 を天 皇に 献じ て歌 を詠 んだ 云々

︒今

︑国 栖人 が土 地の 産物 を献 じる 日に

︑歌 い終 わっ てた だち に口 を 打ち

︑上 を向 いて 笑う のは

︑上 古の 遺風 であ ろう

︒ 延 喜式 の宮 内省 によ ると

︑吉 野の 国栖 は御 贄を 献じ

︑歌 曲を 演奏 する

︒節 会ご とに 十七 人と 定め る︒ 国栖 が十 二 人︑ 笛工 が五 人︒ 江 家次 第に よる と︑ 元日 宴会

︑国 栖は 歌笛 を奏 で︑ 承明 門の 外で これ を奏 でる 云々

﹇ 考察

﹈当 歌 は 元 旦に 吉 野 の国 栖 人 が奏 で る 音 楽を 聞 き︑ 永 き世 の 春 が始 ま る 喜 びを 詠 ん だ も の︒ 初 句 の﹁ あ ひ て﹂

︑国 栖人 に会 って と︑ 今日 とい う日 に出 会っ てを 掛け る︒ 国栖 は現 在も

︑奈 良県 吉野 町南 国栖 に名 を残 す︒

︵森 あか ね︶ 3立 かへ る春 はけ ふと や万 代の 月日 のは しめ 年の はし めに 玉 燭宝 典曰

︑正 月一 日

三 元

之 日

︑歳

之元

︑時

之 元︑ 日

之 元云 云︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑四 二五 四番

︒円 機活 法︑ 巻三

︑節 序門

︑元 日︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ 立 かへ る│ 立ち かは る﹂

︒﹃ 円 機活 法﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

︵ 元日

︶ 年 が改 まり 春は 今日 と言 うの だろ うか

︒限 りな く続 く世 の年 の初 めで あり

︑月 の初 めで あり

︑日 の初 めで ある 元日

― 117 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 春 部

︵ 上

(7)

に おい て︒ 玉 燭宝 典に よる と︑ 正月 一日 を三 元の 日と する

︒一 年の 初め であ り︑ 一月 の初 め︑ 一日 の初 めで ある 云々

﹇ 考察

﹈出 典と して 引用 され た箇 所は

﹃玉 燭宝 典﹄

︵古 逸叢 書本

︶に 見ら れな いた め︑

﹃ 円機 活法

﹄を 参照 した

︒ま た︑

﹃資 治通 鑑﹄

︵巻 一四

〇︑ 斉紀 六︑ 建武 三年 三月

︶の

﹁三 元﹂ の注 にも

︑﹁ 玉 燭宝 典曰

︑正 月為

端 月

︑ 其一 日為

上 日

︑亦 云

三元

︑謂

歳 之元

・月 之元

・時 之元

也︒

﹂と ある

﹇ 参考

﹈杜 台 卿 著﹃ 玉 燭宝 典

﹄は 北 周の 時 代 に成 立 し た 中国 年 中 行事 の 記 録で あ り

︑日 本 にも 伝 来 し て 現 存 す る が︑ 中 国で は明

・清 のこ ろに 散逸 した

︵ 大八 木宏 枝︶ 立春 暁 4お き出 てと なふ る星 の光 まて 春に 明行 空の 長閑 さ

江 次第 曰︑ 四方 拝︑ 次

上 於

︑端

北 面

︑称

御 属

名 字

云云

︒庶

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 六四 九番

︒江 家次 第︵ 神道 大系

︶︑ 巻一

︑正 月甲

︑四 方拝 事︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄ナ シ︒

﹃ 江家 次第

﹄﹁ 端

北 面│ 端

笏北 向﹂

﹁ 北

│北 向拝

属 星

﹂︒

﹇ 訳﹈

立春 の夜 明け 早 朝に 起き 出し て︑ 新年 の星 の名 前を 唱え てい ると

︑立 春の 今日

︑夜 が明 け年 も明 けて

︑星 の光 まで も穏 やか な空 で ある こと よ︒

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 春 部

︵ 上

― 118 ―

(8)

江 家次 第に よる と︑ 四方 拝に おい て︑ 次に 今上 がそ の年 に当 る星 を拝 礼す る場 所で

︑笏 を正 して 北を 向き

︑そ の 年 の 星 の名 字 を お唱 え に なる

︒こ れ を 七 遍く り 返 すの は

︑北 斗 七星 に ち な むか ら で あ る 云 云

︒庶 民 の 儀 式 は

︑午 前六 時前 後に 前庭 に敷 物を 敷き

︑北 を向 いて その 年の 星を 礼拝 する

﹇ 考察

﹈当 歌の 第四 句﹁ 春に 明け 行く

﹂の

﹁明 け﹂ に︑ 夜が 明け ると 年が 明け るを 掛け る︒

﹇ 参考

﹈﹃ 江家 次第

﹄の 後半 部

﹁庶 人 儀﹂ 以 下は

︑他 の 文 献に は 見 られ な い︒ 一 条 兼良 著

﹃公 事 根源

﹄に

︑﹁ 昔 は 殿上 の 侍臣 など も四 方拝 をば しけ るに や︒ 近頃 は内 裏仙 洞 摂 関 大臣 家 な どの ほ か はさ る 事 も なき な り﹂ と ある よ う に︑ 地 下で はさ れな くな った から であ ろう

︵ 吉岡 真由 美︶ 立春

5な へて 世の ちか らを もい れす 波風 をよ もに おさ めて 春や 立ら ん 古 今集 序︑ 力を もい れす して あめ つち をう こか し云 々︒

﹇ 出典

﹈柏 玉集

︑二 八番

︒古 今和 歌集

︑仮 名序

︑一 七頁

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄

﹃古 今和 歌集

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

立春 総 じて 世間 の力 ひと つ加 えな くて も︑ 波風 を至 ると ころ で落 ち着 かせ て︑ 立春 は来 るの だろ うか

︒ 古 今集 序に よる と︑ 力ひ とつ 入れ ない で天 地の 神々 の心 を動 かし 云々

﹇ 考察

﹈﹃ 古今 和歌 集﹄ 仮名 序は

︑和 歌が 力ひ とつ 入れ ない でも 天地 の神 々の 心を 動か し︑ 目に 見え ない 霊魂 を感 激さ せ

︑男 女の 仲を 親密 にし

︑勇 猛な 武人 の心 さえ も和 やか にす るこ とが 出来 るな どと 和歌 の効 力を 述べ た箇 所︒ 当歌

― 119 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 春 部

︵ 上

(9)

は 人的 な力 を一 切加 えな くて も︑ 春が 自然 に来 る様 子を 詠ん だも の︒

﹇ 参考

﹈仮 名序 の一 節は

︑﹁ 動

天 地

鬼 神

於 詩

﹂︵

﹃ 毛詩

﹄序

︶に 拠る

︵植 田彩 郁︶ 試書

6い さや こら 春に 心を のは へて ん八 十に はや もみ つの 浜松

万 葉集

︑巻 一︒ 在

大 唐

時憶

本郷

作 歌︑ 山上 憶良

去 来子 等 早 日 本 辺 大伴 乃御 津乃 浜松 待恋 奴良 武

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑七 番︒ 万葉 集︑ 巻一

︑六 三番

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄ナ シ︒

﹃ 万葉 集﹄

﹁山 上憶 良│ 山上 臣憶 良﹂

﹁ イサ トト モ│ イサ コト モ﹂

﹇ 訳﹈

試書 時 に八 十歳 さ あ 皆 の 者よ

︑新 春 に なっ た の で心 の 内 に ある こ と を述 べ て しま お う

︒早 く も八 十 歳 にな っ て しま っ た で は な い か

︑三 津の 浜松 よ︒ 万 葉集

︑巻 一︒ 山上 憶良 が唐 にい た時 に︑ 本国 を思 って 作っ た歌

︒ さ あ皆 の者 よ︑ 早く 日本 へ帰 ろう

︒大 伴の 三津 の浜 松も

︑さ ぞ待 ちわ びて いよ う︒

﹇ 考察

﹈﹃ 万葉 集﹄ は︑ 山上 憶良 が三 津︵ 海外 使節 船が 出発 する 難波 の港

︶を 偲ん で歌 った もの

︒当 歌で は﹁ 三津

﹂に

﹁満 つ﹂ を掛 ける

︵城 阪早 紀︶

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 春 部

︵ 上

― 120 ―

(10)

初春 7春 かす みた つや たゝ すや ふし のね の烟 にた れか わき てみ るら ん 古 今序

︑い まは ふし の山 もけ ふり たゝ すな り云 々︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑三 八番

︒古 今和 歌集

︑仮 名序

︑二 四頁

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄

﹃古 今和 歌集

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

初春 春 霞が 立っ てい るの だろ うか

︑そ れと も立 って いな いの だろ うか

︒富 士の 峰の 煙と 春霞 を︑ 誰が 見分 けら れる だろ う か︒ 古 今集 序に よる と︑ 今は 富士 の山 の煙 も絶 える こと なく 云々

﹇ 考察

﹈﹃ 古 今 和 歌集

﹄仮 名 序 の﹁ 煙た た ず﹂ の 解 釈 を め ぐ り︑ 二 条 家︵ 絶 た ず

︶と 冷 泉 家

︵立 た ず

︶で 対 立 し て い た

︒﹃ 雪 玉集

﹄の 三条 西実 隆は 宗祇 から 二条 派の 古今 伝授 を受 けて いる ので

︑富 士の 煙は 絶え ず立 って いる とす る︒ 当 歌は

︑春 霞が 富士 の煙 と見 分け られ ない ほど 立ち こめ てい る春 の景 色を 詠ん だも の︒

︵ 風岡 むつ み︶ 子日 8袖 はへ てゆ くや 子日 の小 松原 緑も あけ もむ らさ きの 野に

衣 服令 曰︑ 一位

服深

︑三 位以

︑四 位

深 緋

衣︑ 五位

浅 緋衣

︑六 位

緑衣

︑七 位

浅緑 衣

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑三 六五 六番

︒令 義解

︑巻 六︑ 衣服 令︑ 諸臣 礼服

・朝 服︒

― 121 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 春 部

︵ 上

(11)

﹇ 異 同﹈

﹃新 編 国 歌 大 観﹄ ナ シ︒

﹃令 義 解﹄

﹁礼 服

│礼 服 冠

﹂﹁ 深 紫 衣

│深 紫 衣

︒牙 笏

︒白 袴

︒絛 帯

︒深 縹 紗 褶

︒錦 襪︒ 烏 皮舃

︒﹂

﹇ 訳﹈

子の 日 袖 を照 り輝 かせ て︑ 子の 日に 小松 を引 きに 松原 へ行 くこ とよ

︒緑 の衣 を着 た者 も赤 の衣 を着 た者 も︑ そし て紫 の衣 を 着た 者も

︑紫 草が 生え てい る紫 野へ

︒ 衣 服令 によ ると

︑一 位の 礼服 は深 い紫 の 衣︑ 三 位 以上 は 浅 い紫 の 衣︑ 四 位は 深 い 緋 の衣

︑五 位 は 浅い 緋 の 衣︑ 六 位は 深い 緑の 衣︑ 七位 は浅 い緑 の衣

﹇ 考察

﹈正 月最 初の 子の 日の 小松 引き は︑ 野に 出て 小 松 を引 き

︑若 菜 を摘 み 長 寿を 祝 う 野 遊び で

︑紫 野 や北 野 な どへ 出 かけ た︒ 当歌 は﹁ 小松 原﹂ に小 松と 松原

︑﹁ 紫 の 野﹂ に 衣の 紫 色 のほ か 地 名の 紫 野 と︑ 紫 草が 生 え てい る 野 を掛 け る︒

︵ 大八 木宏 枝︶ 若菜 9祝 ひ来 し野 への わか なも いま はわ れ仏 の道 につ みは やし てん 法 華経 提婆 品︒ 採

薪 及菓

!

︑ 隨

恭 敬与

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑七 二七 三番

︒妙 法蓮 華経

︑提 婆達 多品 第一 二︒

﹇異 同﹈

﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹃ 妙法 蓮華 経﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

若菜 子 の日 に長 寿を 祝っ て摘 んで 来た 野辺 の若 菜も

︑今 や私 は仏 道に おい て摘 み︑ 仏を 賛美 しよ う︒

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 春 部

︵ 上

― 122 ―

(12)

法 華経

︑提 婆品

︒薪

・木 の実

・草 の実 を採 り︑ 時に 応じ てつ つし み敬 って 献上 した

﹇ 考察

﹈﹃ 法華 経﹄ の一 節は

︑提 婆達 多と いう 仙人 から 妙法 蓮華 経を 得る ため

︑釈 迦が 仙人 に仕 えて

︑木 の実 など を採 っ た苦 労話

︒当 歌は

︑今 まで は若 菜を 摘み 長寿 を願 って いた が︑ 今は 仏に 帰依 する 心を 詠ん だも の︒

︵ 大八 木宏 枝︶ 毎家 有春 10時

しあ れは 花鴬 の数 なら ぬ垣 根の うち も雪 まみ ゆら ん 源 氏物 語︒ 初子 巻云

︑年 立か へる あし たの 空の けし き︑ なこ りな く︑ くも らぬ 空の うら らか けさ には 数な らぬ 垣 ねの うち たに 雪ま の草 わか やか に云 々︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑六 三九 番︒ 源氏 物語

︑初 音巻

︑一 四三 頁︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ 雪 まみ ゆら ん│ 雪ま ある らん

﹂︒

﹃ 承応

﹄﹃ 湖月 抄﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

家ご とに 春あ り 時 期が きた ら花 が咲 き︑ 鶯が 来る よう に︑ 庶民 の垣 根の 内側 にも 雪の 消え 間が 見え るだ ろう

︒ 源 氏物 語の 初音 の巻 によ ると

︑年 の改 まっ た元 日の 朝の 空の けし きが

︑一 片の 雲も ない うら らか さな ので

︑こ れ とい った 身分 のな い者 の垣 根の 内で さえ

︑雪 の消 え間 から のぞ く初 草が 若々 しく 云々

﹇ 考察

﹈﹃ 源氏 物語

﹄は 初音 の巻 頭で

︑六 条院 の造 営後 に初 めて 迎え た新 年︑ その 庭の 景色 を描 写し た場 面︒

︵ 風岡 むつ み︶ 霞

― 123 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 春 部

︵ 上

(13)

11釣 にと もす よる の火 より も明 石か た岩 こす 波に しく 霞か な

白 氏文 集︒ 霞

後 殷

於 火

︒ 草

!

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑四 八番

︒白 氏文 集︵ 白楽 天全 詩集 4︶ 二二 七頁

︑早 春憶 蘇州 寄夢 得︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄ナ シ︒

﹃ 白氏 文集

﹄﹁ 草色

│水 色﹂

﹇ 訳﹈

霞 夜

︑釣 りを する とき に灯 す火 より も明 るい

︑明 石潟 の岩 を越 すほ ど高 い波 一面 に広 がる 霞で ある なあ

︒ 白 氏文 集︒ 朝焼 けの 光は 夜が 明け るに つれ て雲 に映 じて 火よ りも 赤い

︒草 の色 も雨 上が りの 中で ぼう っと して い て一 面に もや がか かっ てい るよ うだ

﹇ 考察

﹈﹃ 白氏 文集

﹄の 一節 は︑ 早春 の時 節に 蘇州 を思 い︑ 蘇州 刺史 の劉 禹錫 に寄 せた もの

︒﹃ 和 漢朗 詠集

﹄︵ 上・ 春・ 霞

・七 五番

︶に 所収

︵ 風岡 むつ み︶ 朝鶯 12か

すか なる 谷に なら ひて 朝日 さす 木末 やい かに うつ る鶯

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑一

〇九 番︒

﹇異 同﹈

﹃ 新編 国歌 大観

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

朝の 鴬 ひ っそ りと した 谷に いる こと に慣 れて しま った 鶯は

︑朝 日が さす 梢に どの よう にし て移 るの だろ うか

﹇ 考察

﹈﹁ 谷の 鶯﹂ は︑ 中国 の唐 代に 幽谷 を出 る鶯 が早 春詩 の題 材と され てい たこ とを 受容 した もの であ る︒ 典拠 13は

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 春 部

︵ 上

― 124 ―

(14)

番 歌に 同じ

︵城 阪早 紀︶ 鶯為 友 13末

遠く たか きに うつ る道 しら は宿 にち きら ん谷 のう くひ す 詩 経︒ 伐

々鳥

︒出

于 喬木

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 六五 二番

︒詩 経︵ 中︶

︑小 雅︑ 伐木

︑一 八二 頁︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹃ 詩 経﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

鶯を 友と する 遙 か彼 方の 高木 に移 る谷 の鶯 よ︒ 出世 する 方法 を知 って いる なら ば︑ 私の 家に 来て 教え てほ しい

︒ 詩 経︒ 木を 伐る 音は こん こん と︑ 鳥鳴 く声 はお うお うと

︒深 き谷 間よ り出 て︑ 高き 木に 移る

﹇ 考察

﹈﹁ 丁々

﹂は 木を 切る 音を 模し たも ので

︑﹁ 嚶 々﹂ は 鶯 が互 い に 鳴き あ う 声の 擬 声 語 であ る

︒鶯 は 立春 の 日 に幽 谷 から 喬木 に遷 り︑ 人に 春の 訪れ を告 げる 鳥と して 和歌 に詠 まれ る︒

﹇ 参考

﹈菅 原道 真の 歌に

﹁谷 深み 春の 光の お そ け れば 雪 に つつ め る 鶯の 声

﹂︵ 新 古 今集

︑雑 上

︑一 四 四〇 番

︶が あ る︒

﹁谷 の鶯

﹂は 不遇 や籠 居の 隠喩 とさ れ︑ 谷を 出る 鶯は 出世 や昇 進を 意味 する

︵城 阪早 紀︶ 旧巣 鶯

14花 にな くな らひ わす れぬ 鶯は 古す なか らや 咲を まつ らん 古 今序

︑花 にな く鶯

︑水 にす むか はつ の声 をき けは 云々

― 125 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 春 部

︵ 上

(15)

﹇ 出典

﹈該 当歌 なし

︒古 今和 歌集

︑仮 名序

︑一 七頁

︒﹇ 異同

﹈﹃ 古 今和 歌集

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

古巣 の鶯 花 の咲 くな かで 鳴く とい う慣 わし を忘 れな い鶯 は︑ 古巣 にい なが ら花 が咲 くの を待 つの だろ うか

古 今和 歌集 の仮 名序 に︑ 花間 にさ えず る鶯

︑清 流に 住む 河鹿 蛙の 声を 聞け ば云 々︒

﹇ 考察

﹈﹃ 三玉 和歌 集類 題﹄ に﹁ 旧巣 鶯

﹂の 部 立 はあ る が︑ 当 歌は 収 録 され て い な い︒

﹃古 今 和 歌集

﹄仮 名 序 は︑ 鶯や 蛙 の声 を聞 けば 誰で も歌 を詠 むと して

︑和 歌の 本質 につ いて 述べ た箇 所︒

︵城 阪早 紀︶ 鶯知 万春

15よ ろつ 代の 春待 出て かし こき も谷 にの こら ぬう くひ すの 声 和 漢朗 詠集

︒鶯 未

出 遺

賢在

﹇ 出典

﹈柏 玉集

︑一 一五 番︒ 和漢 朗詠 集︑ 上︑ 春︑ 鶯︑ 六三 番︒

﹇異 同﹈

﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹃ 和漢 朗詠 集﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

鶯︑ 永遠 の春 を知 る ず っと 春を 待ち 受け て︑ よう やく 春に 出会 った 鶯が 谷に 残っ てい ない よう に︑ 永久 に続 く平 和な 世を 待ち 受け て出 会 った 賢者 は谷 に残 らず 朝廷 に仕 えて いる よ︒ 和 漢 朗 詠 集︒ 鶯が 谷 に 籠っ て ひ っそ り と し てい る の は︑ 賢者 が 民 間に い て い まだ 召 し 出さ れ な い の に 似 て い る

﹇ 考察

﹈﹃ 和漢 朗詠 集﹄ の句 は︑ 政治 が正 しけ れ ば 朝 廷に 出 て 仕え

︑正 し く なけ れ ば 山 野に 隠 れ 退く

﹁遺 賢

﹂︵ 民 間に

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 春 部

︵ 上

― 126 ―

(16)

埋 もれ てい る賢 者の 意︶ を鶯 に例 えた もの で︑ 当歌 もそ れを 踏ま える

︵植 田彩 郁︶ 春雪 16あ

つめ きて なれ しを した ふ身 にし あら は春 をや 枝の 雪に 恨む 蒙 求︒ 孫氏 世録 曰︑ 康家

油︑ 映

︒ 少

︒交

遊 不

︒後 至

史 大

︒ 乙 女巻 云︑ 窓の 蛍を むつ ひ︑ 枝の 雪を なら した まふ 心さ しの すく れた るさ まを 云々

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 六五 一番

︒蒙 求︑ 孫康 映雪

︑四 六〇 頁︒ 源氏 物語

︑少 女巻

︑二 六頁

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹃ 承 応﹄

﹃湖 月抄

﹄ナ シ︒

﹃ 蒙求

﹄﹁ 映雪

│常 映雪

﹂﹁ 少 々│ 少小

﹂︒

﹇ 訳﹈

春の 雪 雪 を集 めて 来て 冬の 間慣 れ親 しん だの を懐 かし く思 う身 の上 なら ば︑ 枝の 雪を 溶か す春 を恨 むだ ろう か︒ 蒙 求︒ 孫氏 世録 によ ると

︑晋 の孫 康は 家が 貧し いた め燈 油が 買え ず︑ 雪に 照ら して 書物 を読 んだ

︒幼 少よ り心 清 く節 操堅 かっ た︒ また

︑交 わり 遊ぶ にも 志を 同じ くし ない 者と は交 際し なか った

︒後

︑官 に仕 えて 御史 大夫 に まで 進ん だ︒ 乙 女巻 によ ると

︑窓 の蛍 を友 とし

︑枝 の雪 に親 しむ とい った 刻苦 勉励 の決 意が いか に殊 勝で ある かを 云々

﹇ 考察

﹈﹃ 蒙求

﹄の

﹁孫 康映 雪﹂

﹁ 車胤 聚 螢﹂ か ら生 ま れ た﹁ 蛍雪 の 功﹂ と いう 故 事 を︑ 乙 女の 巻 の 一節

﹁窓 の 蛍 をむ つ ひ︑ 枝の 雪を なら した まふ

﹂も 踏ま えて いる が︑

﹁ 窓の 蛍﹂

﹁枝 の雪

﹂の 本文 を含 む漢 籍は 見当 たら ない

︵植 田彩 郁︶

― 127 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 春 部

︵ 上

(17)

垣根 残雪 17山

さと はな へて の春 の数 なら ぬ垣 ねし らる ゝ雪 のか よひ ち 初 子巻 の詞

︒ま へに しる し侍 り︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑一 五五 番︒ 源氏 物語

︑初 音巻

︑一 四三 頁︒

﹇異 同﹈

﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹃ 承応

﹄﹃ 湖 月抄

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

垣根 に残 る雪 山 里一 面に も春 が来 て︑ 雪を 踏み しめ て通 った 粗末 な家 の︵ 雪に 埋も れて いた

︶垣 根も 現わ れて

︑あ りか が分 かる こ とだ

︒ 初 音の 巻の 文章

︒前 述し てお りま す︒

︵ 10番 歌︑ 参照

﹇ 考察

﹈初 音の 巻は

︑元 旦に 低い 身分 の者 の家 の垣 根の 内 で さえ

︑雪 の 消 えた 間 か ら草 が 色 づ いて い る 景色 を 描 写し た 場面

︒当 歌は それ を踏 まえ て︑ 都か ら離 れた 山里 にも 春が 来て

︑雪 に埋 もれ てい た垣 根も 姿を 現わ した と詠 む︒

︵ 吉岡 真由 美︶ 夜梅 18あ

くか るゝ 梅か 香な から 笛の 音は こゝ ろあ るへ き朧 月夜 を 三 躰詩

︒戒 昱︑ 聞

︑平

明 独

悵︒ 落

︒ 朗 詠集

︒落 梅 曲

唇吹

︒註

語林

!

而 作

︒ 有

柳 落

曲 等

云 云︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑一 八九 番︒ 三 躰 詩︑ 聞笛

︒和 漢 朗 詠集

︑下

︑管 弦

︑四 六 七番

︒和 漢 朗 詠 集私 注

︵和 漢 朗詠 集 古 注釈 集 成1

︶︒

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 春 部

︵ 上

― 128 ―

(18)

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹃ 三 躰詩

﹄﹃ 和漢 朗詠 集﹄

﹃ 和漢 朗詠 集私 注﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

夜の 梅 朧 月夜 に︑ 心ひ かれ る梅 の香 りを 漂わ せた まま

︑︵ 梅 花を 散ら さな いよ うに

︶笛 の音 色は 気を つけ てお くれ

︒ 三 躰 詩︒ 戒昱 の﹁ 笛 を 聞く

﹂詩 に

︑夜 明 け方 に 独 り嘆 き 悲 し む︒ 庭一 面 に 梅 の 花 が 散 っ て し ま っ た の を 見 る と

︒ 和 漢朗 詠集

︒﹁ 落 梅花

﹂と いう 笛の 古曲 を吹 いて いる と︑ 唇の まわ りに は雪 のよ うに 梅花 が舞 う︒ 註に

﹃語 林﹄ を 引用 して 言う には

!

が簫 を吹 いて 曲を いく つか 作っ た︒ 折柳 落梅 の曲 など がそ の中 にあ った 云云

﹇ 考察

﹈﹃ 和 漢 朗 詠集

﹄で は

︑梅 の 花が 散 る 様子 を 雪 に 例え て い る

︒﹃ 三 躰 詩

﹄は 漢 代 の 横 吹 曲

﹁梅 花 落﹂ に ち な む︒ 当 歌は それ らを 踏ま え︑ 梅花 を散 らさ ない よう に笛 を吹 いて ほし い︑ と願 った もの

︵ 吉岡 真由 美︶ 窓梅 19風

もま たお もへ や深 き窓 のう ち人 にし られ な梅 の匂 ひを 長 恨歌

︒楊

女初

︑ 養

人 未

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 二四 番︒ 白氏 文集

︑巻 一二

︑八

〇九 頁︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ し られ な│ しら れぬ

﹂︒

﹃ 白氏 文集

﹄︵ 金沢 文庫 本︶ ナシ

﹇ 訳﹈

深窓 の梅 風 もま た思 いや って 欲し いも のよ

︑深 窓に は人 に知 られ てい ない 梅の 香り があ るこ とを

― 129 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 春 部

︵ 上

(19)

長 恨歌

︒楊 家に は妙 齢と なっ たば かり の娘 がい て︑ 深窓 に養 われ た彼 女の 存在 は︑ 世の 人々 にま だ知 られ てい な かっ た︒

﹇ 考察

﹈引 用箇 所は

﹁長 恨歌

﹂の 第三

・四 句に あた り︑ 天性 の 麗 しさ を 持 った 楊 貴 妃が 深 窓 に 養わ れ て いた こ と を歌 う

︒当 歌は 梅を 深窓 の佳 人に 見立 てて

︑花 を散 らす 風に 呼び かけ たも の︒

﹇ 参考

﹈那 波 本

﹃白 氏 文 集﹄ と﹃ 古 文 真 宝 前 集

﹄巻 八

︵五 八 三 頁

︶で は

︑﹁ 深 窓

﹂で は な く

﹁深 閨

﹂の 異 同 が 見 ら れ る

︵ 大八 木宏 枝︶ 野梅 20な

をの こる 雪も それ かと 遠き 野の 夕日 かく れに 咲る 梅か 香 若 菜巻 上云

︑な をの これ る雪 と︑ 忍ひ やか にく ちす さみ たま ひつ ゝ︒ 白 氏文 集︒ 子城

処猶 残

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑六 七七 五番

︒源 氏物 語︑ 若菜 上巻

︑六 九頁

︒白 氏文 集︵ 白楽 天全 詩集 2︶

︑巻 一六

︑庾 楼暁 望︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹃ 承 応﹄

﹃湖 月抄

﹄﹃ 白 氏文 集﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

野の 梅 遠 くの 野に まだ 残っ てい る雪 も白 梅か と思 うこ とよ

︒夕 日が 当た らな い陰 に咲 いて いる 梅の 香り を感 じる と︒ 若 菜巻 上に よる と︑

﹁ なお 残れ る雪

﹂と 小声 でお 口ず さみ にな りな がら

︒ 白 氏文 集︒ 子城 の陰 には

︑な お雪 が残 る︒

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 春 部

︵ 上

― 130 ―

(20)

﹇ 考察

﹈﹁ 庾楼 暁望

﹂詩 の﹁ 子城

﹂と は︑ 本城 の外 に張 り出 して 築い た出 城︒

︵ 大八 木宏 枝︶ 梅有 佳色 21咲

から に色 も匂 ひも こる 花の 名に 高か れや 九重 の春 順

︑和 名鈔 曰︑ 凝華 舎在

飛香 舎北

牟 倍豆 保︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 三五 番︒ 倭名 類聚 抄︵ 二〇 巻本

︶︑ 巻一

〇︑ 居所 部第 一三

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹃ 倭 名類 聚鈔

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

梅に 佳色 あり 咲 くと すぐ に色 つや も香 りも 凝る 花︑ すな わち 凝華 舎の 名前 のよ うに

︑名 高く なれ よ︑ 春の 都で

︒ 源 順の

﹃倭 名類 聚鈔

﹄に よる と︑ 凝華 舎は 飛香 舎の 北に あり

︑梅 壺と いう

﹇ 考察

﹈当 歌は

︑梅 壺の 別名 であ る凝 華舎 の﹁ 凝華

﹂を 凝 る 華と 訓 読 みし て 詠 まれ た

︒凝 華 舎 は内 裏 の 後宮 五 舎 の一 つ で︑ 中庭

︵壺

︶に 梅の 木が 植え られ てい たこ とか ら梅 壺と も呼 ばれ た︒

︵ 風岡 むつ み︶ 里梅 22言

の葉 の花 そむ かし の春 に猶 にほ ふ初 瀬の 里の 梅か 香 古 今集 云︑ 初瀬 にま ふつ るこ とに

︑や とり ける 人の 家に

︑久 しく やと らて

︑程 へて のち にい たれ りけ れは

︑か の 家の ある し︑

﹁ かく さた かに なん

︑や とり は 有﹂ と いひ 出 し て侍 り け れは

︑そ こ に た てり け る 梅の 花 を 折て

― 131 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 春 部

︵ 上

(21)

よ める

︒貫 之︑ 人は いさ

│︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 一二 番︒ 古今 和歌 集︑ 春上

︑四 二番

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄

﹃古 今和 歌集

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

里の 梅 紀 貫之 が詠 んだ 梅花 の名 歌は 昔の もの にな って しま った が︑ 初瀬 の里 の梅 の香 りは

︑毎 年春 にな ると 今も なお 香る こ とだ なあ

︒ 古 今和 歌集 によ ると

︑長 谷寺 に参 詣す るた びに 宿に とっ てい た家 があ った が︑ 長ら く泊 まら なか った

︒し ばら く して また 訪れ たと ころ

︑そ の家 の主 人が

︑﹁ お 宿は この よう にち ゃん とあ りま すよ

﹂と 言い かけ まし たの で︑ そ こに 植え てあ った 梅の 花を 折っ て詠 んだ 歌︒ 紀貫 之︒ 人の 心と いう 物は

│︒

﹇ 考察

﹈当 歌は 貫之 の﹁ 人は いさ 心も 知ら ずふ るさ と は 花ぞ 昔 の 香に に ほ ひけ る

﹂の 歌 を 踏ま え て︑ 長 谷寺 の あ る初 瀬 の梅 を詠 んだ もの

︵ 風岡 むつ み︶ 夜梅 23あ

はら なる 板間 そひ 行月 影に こそ はと 忍ふ むめ のし た風 い せ物 かた り云

︑又 の年 のむ 月に

︑梅 の花 さか りに

︑こ そを こひ てい きて

︑立 てみ ゐて み見 れと

︑こ そに 似る へ くも あら す︒ 打な きて

︑あ はら なる 板し きに

︑月 のか たふ くま てふ せり て︑ こそ をお もひ 出て よめ る云 々︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑三 九六 二番

︒伊 勢物 語︑ 四段

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄

﹃伊 勢物 語﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

夜の 梅

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 春 部

︵ 上

― 132 ―

(22)

が らん とし た板 間に 沿っ て移 り行 く月 の光 を見 て︑ 去年 のこ とを 思い 出し て耐 え忍 んで いる と︑ 梅の 木の 下か ら風 が 吹い てく るよ

︒ 伊 勢物 語に よる と︑ 翌年 の正 月が めぐ って きて

︑梅 の花 が盛 りと 咲い てい る︒ そう した 時に

︑男 は去 年を 恋し く 思い

︑︵ 五 条の 西の 対に 行っ て︶

︑立 って 見た り座 って 見た りな どし て︑ 辺り を見 まわ した が︑ 去年 と眺 めた 感 じと はま るで ちが う︒ 男は さめ ざめ と 泣 い て︑ 住む 人 も なく

︑︵ 几 張 や敷 物 な ど を取 り 払 って

︶が ら ん とし た 板敷 きに

︑月 が西 の方 に傾 くま でじ っと 臥せ って

︑わ いて くる 去年 の思 い出 を歌 にし た云 々︒

﹇ 考察

﹈﹃ 伊勢 物語

﹄四 段は

︑男 が想 い慕 って いた 女人 が︑ 姿を 消し てし まう

︒男 は︑ かつ て女 が住 んで いた 西の 対に 行 き︑ 去年 とは 違う 屋敷 の寂 し気 な様 子に 涙し

︑﹁ 月 やあ ら ぬ 春や む か しの 春 な らぬ わ が 身 ひと つ は もと の 身 にし て

﹂の 名歌 を詠 むと いう 内容 であ る︒ 当歌 の﹁ 忍ぶ

﹂︵ 耐 える

︶に

﹁偲 ぶ﹂

︵恋 い慕 う︶ を掛 ける

︵城 阪早 紀︶ 岸柳 24き

し陰 に春 ゆく 水は あゐ より もな を青 柳の なひ く川 風 筍 子曰

︑学 不

︒青

於 藍

而青

於藍

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑二 五四 番︒ 荀子

︑巻 一︑ 勧学 篇第 一︑ 一五 頁︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄ナ シ︒

﹃ 荀子

﹄﹁ 学不

己│ 学不

以已

﹂﹁ 出│ 取之

﹂︒

﹇ 訳﹈

岸の 柳 春 の岸 辺の 陰を 流れ てゆ く水 は︑ 藍よ りも いっ そう 青く

︑青 々と した 柳が 川風 にな びい てい るよ

― 133 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 春 部

︵ 上

(23)

荀 子に よる と︑ 学問 は途 中で 止め ても 構わ ない よう なも ので はな い︒ 青色 の染 料は 藍の 草か ら取 るが

︑原 料の 藍 より もい っそ う青 い︒

﹇ 考察

﹈﹃ 荀子

﹄の 引用 部は

︑弟 子が 師よ り優 るこ との 例え に用 いら れる

︒当 歌の

﹁青 柳﹂ に﹁ 青﹂ を掛 ける

︵城 阪早 紀︶ 門柳

25浅 みと り柳 の髪 も打 はへ て老 せぬ 門の 春や しる らん 朗 詠集

︑不 老門 前日 月遅

﹇ 出典

﹈柏 玉集

︑一 八六 番︒ 和漢 朗詠 集︑ 下︑ 祝︑ 七七 四番

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ 打 はへ て│ 折り そへ て﹂

﹁老 せぬ

│老 いぬ る﹂

︒﹃ 和 漢朗 詠集

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

門の 柳 浅 緑 色 の 柳の 葉 は ずっ と ど こま で も 伸 びて い き︑ い つま で も 老い を 迎 え るこ と の ない 門 の 春を 知 っ て いる だ ろ う か 和 ︒ 漢朗 詠集

︒不 老門 のあ たり でも

︑時 はゆ っく り流 れて

︑天 子は 老い を迎 える こと はな いの だ︒

﹇ 考察

﹈﹁ 不老 門﹂ とは

︑洛 陽に あっ た漢 代の 宮門 の名

︒当 歌は

﹃和 漢朗 詠集

﹄の 天子 の治 世が 平和 で万 年も 続く こと を 祝っ た句 を受 け︑ 伸び てい く柳 にな ぞら えて 永久 に続 く春 を詠 んだ もの

︵植 田彩 郁︶ 古柳

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 春 部

︵ 上

― 134 ―

(24)

26ふ りに けり いく その 人の わか れち をあ はれ とか みし 青柳 の陰 劉 商詩

︒幾

別折

︑一

夜東 風吹

又 長︒

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑六 七七 七番

︒﹃ 対床 夜語

﹄︵ 四 庫全 書︶ 巻三

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄ナ シ︒

﹃ 対床 夜語

﹄﹁ 劉商 詩│ 劉商 柳詩

﹂﹁ 東 風│ 春風

﹂︒

﹇ 訳﹈

古柳 柳 の木 は古 びて しま った なあ

︒何 度も 青柳 の小 蔭で 人と 別れ たこ とを

︑柳 はし みじ みと 見た のだ ろう か︒ 劉 商の 詩︒ 何度 も別 れを 繰り 返し て︑ その たび に柳 の枝 を折 り︑ はな むけ とし たの で︑ 柳の 枝は 無く なり そう だ

︒一 晩中

︑東 から 春風 が吹 いて

︑そ れが 長く 感じ られ る︒

﹇ 考察

﹈﹃ 対床 夜語

﹄は 宋の 范晞 文の 撰︑ 漢か ら宋 まで の詩 を論 じた もの

︒劉 商は 中唐 の詩 人︒ 漢代

︑長 安の 都を 旅立 つ 人を 見送 ると き︑ 柳の 枝を 折り 餞別 にし た故 事を 踏ま える

︵植 田彩 郁︶ 海上 暮霞

27波 間よ りよ る舟 近し 雲か へる 山は それ とも わか ぬか すみ に 文 選︑ 巻二 十二

︒謝 霊運

︑遊

南亭

︑雲 帰

日 西

︒ 古 文後 集︒ 酔翁 亭記

︒日

而林 霏開

︑ 雲

而岩 穴 瞑

﹇ 出典

﹈該 当歌 なし

︒文 選︑ 遊南 亭︑ 一七 二頁

︒古 文真 宝後 集︑ 酔翁 亭記

︑一 六五 頁︒

﹇ 異同

﹈﹃ 文選

﹄ナ シ︒

﹃ 古文 真宝 後集

﹄﹁ 岩

穴│ 巖穴

﹂︒

― 135 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 春 部

︵ 上

(25)

﹇ 訳﹈

海上 の暮 霞 波 間か ら帰 って 来る 舟は 近い

︵が 霞に 隠れ て見 え な い︶

︒ 夕暮 れ に なる と 雲 が帰 る 山 は︑ ど こと も 分 から な い ほど 霞 んで いる

︒ 文 選︑ 巻二 十二

︒謝 霊運 の﹁ 南亭 に遊 ぶ﹂ によ ると

︑雲 は山 に帰 り日 は西 に馳 せ隠 れよ うと して いる

︒ 古 文真 宝後 集︒ 酔翁 亭記

︒朝 には 日が 出て 林の もや が晴 れて 開け

︑暮 には 雲が 山に 帰っ て岩 穴が 暗く なる

﹇ 考察

﹈﹃ 三玉 和歌 集類 題﹄ に﹁ 海上 暮霞

﹂の 部 立 は ない

︒﹁ 遊 南 亭﹂ は晩 春 の 夕暮 れ 時︑ 雨 が 止ん だ 後 に広 が る すが す がし い景 色を

︑﹁ 酔 翁亭 記﹂ は山 間の 朝暮 や四 季の 景の 素晴 らし さを 詠ん でい る︒

︵ 吉岡 真由 美︶ 帰雁 28ゆ

く雁 のお もひ はさ そな 同し 枝も 南に 巣く ふ鳥 をみ るに も 文 選︑ 古詩

︒胡 馬 依

鳥 巣

南 枝

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑三 四四 番︒ 文選

︑雑 詩︑ 上︑ 五五 四頁

︒﹇ 異同

﹈﹃ 新 編国 歌大 観﹄

﹃文 選﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

帰雁 春 にな ると 北へ 帰る 雁は

︑き っと 故郷 が恋 しい のだ ろう

︒同 じ木 の枝 でも

︑南 の枝 を求 めて 巣を 作る 鳥を 見る につ け ても

︒ 文 選︑ 古詩

︒胡 の馬 は北 風に 身を よせ てい なな き︑ 越の 鳥は 南の 枝を 求め て巣 を作 る︒

﹇ 考察

﹈出 典 の

﹁文 選 古詩

﹂は

︑遠 行 の 夫を 思 う 妻の 詩 と さ れて い る

︒﹁ 帰 雁﹂ と は︑ 春 に な る と 北 国 へ 帰 る 雁 の こ

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 春 部

︵ 上

― 136 ―

(26)

︵ 吉岡 真由 美︶

29さ く花 の春 をそ むけ て行 雁は いか に色 なき 心な るら ん 白 氏詩 句︒ 背

﹇ 出典

﹈碧 玉集

︑一 三七 番︒ 白氏 文集

︵白 楽天 全詩 集2

︶︑ 巻一 一︑ 初到

忠州

東楼

万州 楊八 使君

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹃ 白 氏文 集﹄ ナシ

﹇ 訳﹈

︵ 帰雁

︶ 花 の咲 く春 に背 いて 去る 雁は

︑ど れほ ど情 趣の ない 心を 持っ てい るの であ ろう か︒ 白 氏詩 句︒ 春に 背い て去 る雁 がい る︒

﹇ 考察

﹈出 典の 詩句 は︑ 忠州 の東 楼に 登る と憂 いを 増 す ばか り で︑ 春 に背 い て 去る 雁 は あ って も

︑川 を 上っ て 来 る船 は ない

︑と 詠ま れた 部分

︒当 歌は 来る 春と 行く 雁を 対比 して

︑そ れは 雁の

﹁色 なき 心﹂ によ ると 詠む

︵ ︒ 大八 木宏 枝︶ 春雨 30わ

つか なる かは らの 色も さひ しき はか すみ をお つる 夕く れの 雨 朗 詠集

︒都

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑三 三一 番︒ 和漢 朗詠 集︑ 下︑ 閑居

︑六 二〇 番︒ 菅家 後集

︑四 七八 番︑ 不出 門︒

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹃ 和 漢朗 詠集

﹄ナ シ︒

― 137 ―

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 春 部

︵ 上

(27)

﹇ 訳﹈

春雨 わ ずか に望 める 瓦の 色も さみ しく 見え

︑夕 暮れ にな ると 霞の 中を 落ち るよ うに 雨が 降る こと だ︒ 和 漢朗 詠集

︒大 宰府 政庁 の楼 門は

︑わ ずか に瓦 の色 を遠 く眺 めや るだ け︵ で私 は閉 じこ もっ たま ま︶ だ︒

﹇ 考察

﹈出 典の 詩句 は︑ 菅原 道真 が大 宰府 に左 遷さ れ謹 慎蟄 居の さま を歌 った もの

﹇ 参考

﹈﹁ 霞を おつ

﹂の 例は 他に 見当 たら ない が

︑﹁ 霞 に おつ

﹂な ら ば 寂蓮 法 師 の名 歌

﹁暮 れ て 行く 春 の みな と は 知ら ね ども 霞 にお つ る 宇 治の 柴 舟﹂

︵ 新古 今 集︑ 巻 二︑ 春下

︑一 六 九 番︶ が ある

︒ま た

︑﹁ 霞 を〜 おつ

﹂で あ れ ば︑

﹁野 べ にし く草 のみ どり の末 遠み 霞 を 分 けて ひ ば りお つ な り﹂

︵新 拾 遺 集︑ 巻 一八

︑雑 上

︑一 五 四二 番

︑花 園 院︶ があ る

︵ 大八 木宏 枝︶ 庭春 雨 31ま

さこ しく 深さ 浅さ も庭 にみ て草 あを み行 春の 雨か な 朗 詠集

︒鑚

只 三

分計

﹇ 出典

﹈雪 玉集

︑五 七五 二番

︒和 漢朗 詠集

︑上

︑春

︑霞

︑七 六番

︒菅 家文 草︑ 四四 五番

︑同 賦春 浅帯 軽寒 応製

﹇ 異同

﹈﹃ 新編 国歌 大観

﹄﹁ み て│ 見え て﹂

︒﹃ 和 漢朗 詠集

﹄ナ シ︒

﹇ 訳﹈

庭の 春雨 庭 に敷 き詰 めた 砂の 深さ や浅 さも 目に 見え て︑ 春雨 が降 り︑ 草が 青く なっ てい くこ とよ

︒ 和 漢朗 詠集

︒砂 を突 き破 るよ うに して 芽を 出し た草 はま だ三 分︵ 一セ ンチ 弱︶ ほど であ る︒

﹃ 三 玉 挑 事 抄

﹄ 注 釈 春 部

︵ 上

― 138 ―

参照

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