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大塚和夫先生のこと――あるいは、

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Academic year: 2021

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Field+ 2010 01 no.3

 2008年秋のある朝だった。相変わらずの休日出勤に鬱々としながら、

誰もいない研究棟に辿り着いた。山積した事務仕事に直ぐに取り掛か る気分には到底なれず、インスタントコーヒーを淹れて、持参した朝 刊に目を落としていた。何気なくページを繰るうちに、ひとつの記事 に目が釘付けになった。それは、「社会人類学研究」の功績により大 塚先生が紫綬褒章を受章なさったことを伝える一文だった。矢も盾も たまらず、大塚先生の携帯電話の番号を押し始めていたが、休日の早 朝であることに気づいて受話器を置き、eメールでお祝いをお伝えする ことにした。その時は確か、受賞のお祝いを申し上げても、「〈ウゥっ、

どうせ褒章なんてのは、ジイさんがもらうもんだと棚橋は思ってんだ ろ〉とニコニコしながら大塚先生に返されるのがオチかな」などと考 えながら、eメールの文章を認めていたと思う。ところが、その数日後、

奥様から大塚先生の闘病の現状を綴ったeメールを頂戴して、愕然とし た。大塚先生のご快復を祈ることしか私にはできなかったが、一方で は、先生のご病状をつぶさに理解していなかったため、もしかしたら、

これで怒涛のような激務から久々に解放され、ご快復の過程で、先生 が以前から話しておられたご研究に着手する時間が確保できるように なるのではないかという漠然とした希望も抱いていた。

 2001年4月から2005年3月までの4年間、私は東京都立大学社会人 類学研究室のスタッフとして大塚先生と一緒に仕事をさせて頂いた。

石原都政の都立大バッシングの渦中にあって、実のところ、大塚先生 と学内で研究に関する議論を交わす機会はさほど多くはなかった。学 内で言葉を交わすと、なかば必然的に大学・研究室の存続をめぐる「戦 略」や「戦術」の極めて生臭い話題に帰着せざるを得なかった。しかし、

ひとたびキャンパスを離れて南大沢や本郷界隈に繰り出した時には、

お互い生臭い話は意図的に打ち切り、膝を交えて、さまざまな研究の 話題に没頭した。そうした機会に大塚先生が幾度となく口になさった のが、ロバートソン・スミスの宗教研究をめぐる話題だった。

 スコットランドの自由教会の牧師を父に生まれたロバートソン・ス ミス(William Robertson Smith、1846年生-1894年没)は早成にして

稀代の旧約聖書学者・オリエント学者だった。15歳でアバディーン大 学に学び、20歳の時にエジンバラのニュー・カレッジに移って聖職者 の訓練を受け、24歳でアバディーン自由教会カレッジのヘブライ語主 任を務めたほどだった。一方、『ブリタニカ百科事典第9版』(1875年)

に執筆した「聖書」において聖書の歴史的・批判的再検討を提示した ために、スコットランド自由教会の逆鱗に触れて異端審理にかけられ、

訓戒を受けて1881年にヘブライ語主任を解かれるという波乱も経験し た。しかし、その後にケンブリッジ大学のアラビア語教授に就任して 返り咲きを果たしている。『セム人の宗教』(1889年)では、儀礼が神 話に先行したことを主張して神話儀礼説の論陣を張り、そこに示され た宗教の比較社会学的研究の方法は『金枝篇』の著者J. G. フレイザー をはじめ、E. デュルケムやS. フロイトなど多分野の多くの研究者に影 響を及ぼしたことが知られている。

 大塚先生は、都立大の騒動が一段落したら、このロバートソン・ス ミスの仕事をまとめてじっくりと読み直したいのだと、笑顔で仰って いた。この研究プランに話が及ぶと、先生が燻らせていた細巻きメン ソール・タバコの紫煙も心なしか生き生きと立ちのぼるように見えた。

そうした光景を眺めつつ、先生が怒涛の激務から解放された暁には、

比較研究として創始された宗教学の根幹的な学説史の再検討までを含 み込んで、ご研究をさらに深化なさる心積りでおいでなのだなと私は 確信した。

 私には、未完にして壮大な大塚宗教人類学の全体像を語る資格も能 力もない。しかし、これから先も、大塚先生がスコットランドの稀代 の宗教研究者に魅かれていた理由を考えてみたいと思っている。その 作業の先に大塚宗教人類学の全体像に接近するための一歩を手にする 方途があるように思われてならないからだ。

大塚和夫先生のこと――あるいは、

ロバートソン・スミスの想い出

棚橋 訓

たなはし さとし/お茶の水女子大学大学院、AA研共同研究員

セネガル。ダカール - ゴレ島へ のフェリー。2005 年。

家族・親族論に関 してはとくに、熱 のこもった講義を さ れ た。AA 研 中 東イスラーム研究 セミナーにて。

参照

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