「コミュニケーション的自由」と国家 : A・ホネッ トのヘーゲル法哲学解釈の検証
著者 石井 基博
雑誌名 文化學年報
号 68
ページ 119‑141
発行年 2019‑03‑15
権利 同志社大学文化学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2019.0000000105
﹁ コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 的 自 由 ﹂ と 国 家
│
│ A
・ ホ ネ ッ ト の ヘ ー ゲ ル 法 哲 学 解 釈 の 検 証
│
│
石 井 基 博
序
論
﹃ 自由 で あ るこ と の 苦し み
││ ヘ ー ゲ ル の﹃ 法 哲 学﹄ の 再 生
﹄︵ 二
〇
〇 一 年︶
︵ 以 下﹃ ヘ ー ゲ ル﹃ 法 哲 学﹄ の 再 生
﹄ と 略記
︶⑴
の中 で︑ 現代 ドイ ツの 哲学 者で あ る アク セ ル・ ホ ネ ット
︵AxelHonneth1949-
︶ は︑ 独 特の 方 法 論的 解 釈 ア プ ロ ー チ に よ っ て ヘ ー ゲ ル 法 哲 学 の 卓 越 し た 解 釈 を 示 し て い る
︒こ の 著 作 に お い て ホ ネ ッ ト は︑ 一 方 で ヘ ー ゲ ル
︵GeorgWillhelmFriedrichHegel,1770-1831
︶の
﹁人 倫
︵dieSittlichkeit
︶﹂ 理 論 の 意 義 と 固 有 性 を
﹁コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 的自 由︵kommunikativeFreiheit
︶﹂ の概 念の 展開 とし て読 み解 いて いる
⑵
︒ 他 方 で 彼 は︑ ヘ ー ゲ ル の 法 哲 学 を
﹁近 代 的 正 義 の 一 般 理 論﹂
︵S.45
︶な い し 端 的 に
﹁正 義 論﹂
︵S.52
︶ と み な し つ つ
︑そ の 法 哲学 に 対 して 我 々 の 社 会 的 生 活 世 界 に 引 き 起 こ さ れ る﹁ 無 規 定 態 の 苦 し み︵LeidenanUnbestimmtheit
︶﹂ と いう 病理 学的 影響 への
﹁時 代診 断︵Zeitdiagnose
︶﹂ に基 づく
﹁病 理学
︵Pathologien
︶﹂ とい う現 代的 解釈 アプ ロ ー チ を 展 開 して い る︵ 当 該著 作 の﹁ 第3 章﹂
︶︵S.45ff.,bes.S.52
︶︒ さ らに 彼 は
︑﹁ 法 的自 由﹂ と﹁ 道 徳 的 自 由﹂ と い う 二
― 119 ―
つ の 一 面的 で 不 完全 な 自 由 概念 そ れ ぞれ の
﹁自 立 化﹂ によ っ て も たら さ れ る︑ 上述 の よ う な﹁ 社 会 的 病 理﹂ か ら の
﹁解 放﹂ を 展望 し て︑
﹁ 人倫
﹂の 学 説 の持 つ
﹁治 療 的 機能
﹂に よ っ てそ の 病 理 の﹁ 批判 的 克 服﹂
︵S.76
︶が 可 能 で あ る と み な し︑ 人倫 理 論 の﹁ 治療 的 分 析﹂
︵Ibid.
︶を 試 みよ う と する の で あ る︵ 同﹁ 第4 章﹂
︶︒ 最 終 の 第Ⅲ 部 で は︑ ホ ネ ッ トの 独自 の解 釈視 点か らま ず三 つの 人倫 領域 の序 列 化お よ び 二つ の
﹁相 互 作用 の 範 型﹂
︵﹁ 相 互 承 認︵reziprokeAn-
erkennung
︶ と教 養形 成プ ロセ ス︵dieBildungsprozesse
︶﹂
︶に つい て論 じら れる
︵同
﹁第 5章
﹂︶
︒ その 後 そ の立 場 か ら ヘ ー ゲ ル の 人 倫 理 論 に お け る 制 度 論 お よ び ヘ ー ゲ ル 的 な﹁ 国 家︵derStaat
︶﹂ 概 念 へ の 批 判 が な さ れ る
︵同
﹁第 6 章
﹂︶ こ ︒ の よう に︑ ホネ ット は﹃ へー ゲル
﹃法 哲学
﹄の 再生
﹄に おい て︑ 上述 のよ うな 独特 の方 法論 的な アプ ロー チに よ っ て全 体と して ヘー ゲル の法 哲学 の積 極的 な再 評価
・解 釈を 行っ てい ると 言う こと がで きる
︒し かし なが ら︑ 反面 で
﹁相 互作 用の 範型
︵dieInterakitionsmuster
︶﹂
︵S.91ff.
︶ とみ なさ れる 上述 の両 概念 を軸 とし た 彼の 解 釈 視点 は
︑相 互 主 体 性 の 形式 を 過 度に 重 視 す る傾 向 が あり
︑ヘ ー ゲ ルが 眼 目 と する
﹁人 倫 化
︵dieVersittlichug
︶︵§255Zusatz
︶ や 倫 理 的 共同 態︵ 全体
︶の 観点 から の個 人の
﹁自 由﹂ の実 現の 究明 とい う︑ ヘー ゲル 自由 論の もう 一方 の重 要な 特質 が欠 落 し てし まっ てい る︒ そこ で本 稿で は︑ 以上 の観 点か ら従 前に なし た彼 のヘ ーゲ ル論 に関 する 研究 を引 き継 ぐ形 で︑ そ の 際に 論じ 切れ なか った 彼の ヘー ゲル 批判 につ いて の検 証を 行う こと を目 的と する
︒こ の課 題の 遂行 のた めに
︑ま ず 第 1節 では 従前 研究 で指 摘し えな かっ た彼 のヘ ーゲ ル法 哲学 解釈 の欠 落点 につ いて 論じ る︒ 次に 第2 節で は︑ ホネ ッ ト のヘ ーゲ ル解 釈を より 深く 掘り 下げ た形 で論 究す るた めに
︑そ の解 釈に おい て彼 と相 互承 認の 理論 を重 視す るな ど の 共通 点お よび 彼か らの 継承 点を 持ち なが ら︑ 彼と 一線 を画 する 独自 の解 釈視 点を 提示 して いる
︑R
・B
・ピ ピン の ヘ ーゲ ル解 釈の 中心 的諸 論点 を概 括す る︒ そし て最 後の 第3 節で は︑ 本稿 の主 題で ある ホネ ット のヘ ーゲ ル的 人倫 概
「コミュニケーション的自由」と国家 ― 120 ―
念 およ び国 家論 の批 判の 妥当 性に つい て検 証す る︒ 以上 の究 明を 通じ て本 稿は
︑ヘ ーゲ ルの 人倫 理論 およ び国 家論 の 核 心部 分を より 鮮明 に際 立た せる こと を目 指す もの であ る︒
第 1
節
﹃ ヘ ー ゲ ル ﹃ 法 哲 学 ﹄ の 再 生 ﹄ に お け る
﹁ コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 的 自 由
﹂
││ ホネ ット のヘ ーゲ ル法 哲学 解釈 の特 性と 問題 点│
│ 本節
では
︑従 前に なし たホ ネッ トの ヘー ゲル 法哲 学解 釈に 関す る研 究の 主要 論点 を確 認す ると とも に︑ その 問題 点 に つい て指 摘す る︒
︵1
︶二 つの
﹁不 完全 な自 由モ デル
﹂と その
﹁限 界﹂ ホネ ット は︑ ヘー ゲル の﹃ 法哲 学﹄ を構 成す る三 分法
︵著 作の 三部 構成 にそ のま ま対 応す る︶ の最 初の 二つ の﹁ 抽 象 な法
︵権 利︶
﹂ と﹁ 道徳 性﹂ の構 想が
﹁個 人的 自由
﹂の 二つ の不 十分 な規 定と して 提示 され た提 案を
︑﹃ 法哲 学﹄ の
﹁真 に独 創的 な核 心﹂
︵S.16
︶と みな し︑ その よう な不 十分 な規 定が もた らす
﹁無 規 定態 の 苦 しみ
﹂か ら の
﹁解 放﹂ の 意 味を ヘー ゲル の正 義論 とし ての 構想 に見 出そ うと して いる
︒こ のよ うな ヘー ゲル の法 哲学 体系 の再 構成 の位 相の も と で︑ ホネ ット は︑ 二つ の不 完 全な 自 由 モデ ル で ある
﹁抽 象 的 な 法︵ 権利
︶﹂ と
﹁道 徳 性﹂ の章 に 関 して
︑両 モ デ ル そ れぞ れの
﹁積 極的 な機 能﹂ と同 時に
︑﹁ そ れら の必 然的 な限 界﹂ を明 らか にし てい る︵S.53
︶︒ ここ で は 特に 従 前 の 研 究で は論 じる こと の でき な か った
﹁道 徳 性﹂ の﹁ 限 界﹂ に関 し て 見 ると
︑ホ ネ ッ トは
︑﹁ 道 徳 性﹂ の領 域 で
﹁人 倫 の 領域 へ の 移行 の 必 然性
﹂に 関 す る説 得 が 試 みら れ る と論 じ て いた
︵S.61
︶︒ す な わち
︑こ の
﹁移 行 の必 然 性
﹂の 根
― 121 ― 「コミュニケーション的自由」と国家
拠 とし て︑ 彼は 道徳 的立 場の
﹁受 容
﹂か ら﹁ す べて の 実 践的 決 意 の 消失
﹂・
﹁ 行 為の 喪 失﹂ へ 至ら ざ る を えな い
︑﹁ 社 会 的 病 理へ の 敷 居﹂ とい う
﹁限 界 の踏 み 越 え﹂ を 挙げ て い たの で あ る︵S.68
︶︒ と こ ろ が︑ この
﹁人 倫 の 領域 へ の 移 行
﹂に つ い て︑ 実際 に 論 じら れ て い る の は︑
﹃ 法 哲 学﹄ の﹁ 第 二 部 道 徳 性﹂ の﹁ 第 三 章 善 と 良 心︵DasGuteund
dasGewissen
︶﹂
︵§§129-141
︶で の﹁ 善﹂ とい う﹁ 普遍 的実 体﹂ と﹁ 良心
﹂と いう
﹁意 志の 主 観性
﹂と の
﹁相 関− 構 造
︵Verhältnis-Struktur
︶﹂⑶ の 理 論 の 展 開 の 結 末 で あ る⑷
︒﹁ 道 徳 性
﹂の 領 域 の 最 終 章 で あ る 当 該 箇 所 に お い て
︑﹁ 善﹂ と
﹁良 心﹂ とし て相 対立 する
︑二 つの 不等 性と いう 内的
﹁相 関﹂ の両 契機 は︑ 相互 に自 らの 特殊 態を
﹁止 揚﹂
・克 服し 合 う よ う な︑ 徹底 し た﹁ 相 関関 係
﹂に よ っ て初 め て︑
﹁ 真の 自 己
﹂│
│﹁ 活 け る 善
︵daslebendigeGute
︶﹂ で あ る﹁ 自 由 の 理念
﹂︵§141
︶ と﹁ 真の 良心
﹂で ある
﹁人 倫 的 心 術︵diesittlicheGesinnung
︶﹂
︵§137
︶│
│と し ての 存 立 が可 能 と な る
︒要 する に︑
﹁ 善﹂ と﹁ 良心
﹂と して 相対 立す る 両 契機 の
﹁相 関− 構 造﹂ とい う 枠 組 みの 中 で 展開 さ れ る道 徳 的 立 場 の﹁ 限界
﹂を
﹁止 揚﹂
・ 克服 する こと によ って 初め て︑ 普遍 的な
﹁善
﹂な いし
﹁義 務﹂ の現 実態 ある いは 客観 性と
︑ 道 徳 的 個別
﹁主 観
﹂の
﹁自 由﹂
︵ 理念 的 な﹁ 自 己 実現
﹂︶ と が 同 時 に
・両 立 的 に 存 立 し う る﹁ 真 の 自 己﹂ と い う べ き
﹁人 倫﹂ へ必 然的 に移 行す るの であ る︒ 以上 のよ うに
︑ホ ネッ トの 時代 診断 的 かつ 現 代 正義 論 的 な解 釈 視 点 から の
﹁道 徳 性﹂ の﹁ 限界
﹂に 関 す る 論究 は
︑ 上 述の
﹁善
﹂と
﹁良 心﹂ の両 契機 の﹁ 相関−
構 造﹂ とい う枠 組み の中 で展 開さ れる 道徳 的立 場の
﹁限 界﹂ とい う︑ ヘ ー ゲル が実 際に 提示 した 論理 に対 応し た正 確 な解 釈 と は言 い 難 い︒ 不完 全 な 自 由モ デ ル の﹁ 限界
﹂を 示 し な がら も
︑ 直 接的 で正 確な 対応 の欠 如と いう 点で は︑
﹁ 抽象 的な 法︵ 権利
︶﹂ に関 して ヘー ゲル が実 際に 近代 自然 法︵ 理性 法︶ 理 論 の﹁ 限界
﹂と して 示し た場 合と 同様 であ る⑸
︒ とは いえ
︑上 述 の よ うに 道 徳 的立 場 の﹁ 限 界﹂ をそ の
﹁受 容
﹂が も た ら す﹁ 社 会病 理
﹂に お ける
﹁限 界 の 踏 み越 え
﹂に 見 るよ う な︑ ア プロ ー チ の 仕方 の 距 離な い し 齟 齬 を 抱 え な が ら
「コミュニケーション的自由」と国家 ― 122 ―
も
︑﹁ 抽 象的 な法
︵権 利︶
﹂を も併 せた 二つ の不 完全 な自 由モ デル の不 可避 の﹁ 限界
﹂を 明示 して いる
︒そ して
︑そ の
﹁限 界﹂ によ って 生起 する
﹁社 会病 理﹂ から の﹁ 解放
﹂の 実現 が︑ 社会 的行 為に 関す る十 全な 規範 的理 念が 示さ れる
︑ よ り高 次の
﹁人 倫﹂ の領 域に おい て達 成さ れう ると いう ヘー ゲル 法哲 学の 全体 的体 系構 成の 理解 のも とに その 解釈 を 遂 行し てい る︒ その 限り で︑ ヘー ゲル 法哲 学の 体系 構成 の基 本的 な理 解に 基づ いた 妥当 とみ なし うる 再構 成で ある と 言 えよ う︒
︵2
︶コ ミュ ニケ ーシ ョン 領域 にお ける
﹁相 互承 認﹂ 範型 の検 証 次に
︑ホ ネッ トの ヘー ゲル 法哲 学解 釈の 核 心で あ る︑
﹁ 人倫
﹂領 域 で 具体 的 に 展 開さ れ る 彼の
﹁コ ミ ュ ニケ ー シ ョ ン 的 自 由
﹂の 理 論 に つ い て 検 証 す る︒
︵ と は い え︑ 彼 の 当 該 著 作 の 第Ⅲ 部 の
﹁第 5章
自 己 実 現 と 承 認
││
﹁ 人 倫
﹂ に とっ ての 諸制 約﹂ では
︑特 に﹁ コミ ュ ニケ ー シ ョン
﹂概 念 は︑ 非 主題 的 に の み登 場 す るに す ぎ な い︒ むし ろ
︑﹁ 個 人 的自 由の 実現
﹂が 目指 され る人 倫の 三 つの 具 体 的な 領 域 の序 列 化 を 論じ る こ の﹁ 第5 章﹂ 以降 で は︑
﹁ 社会 的 相 互 作 用︵diesozialeInteraktion
︶﹂
︵S.82ff.
︶と いう コミ ュニ ケー ショ ン行 為に 相当 する 術語 や︑ それ に類 義し た用 語が 多 用 され る︒ とい うの も︑ これ らの 類義 的な 術語 を 用い て
︑﹁ コ ミュ ニ ケ ーシ ョ ン 的 自由
﹂の 中 核 を担 う 諸 々の コ ミ ュ ニ ケー ショ ン相 関に おい て実 現す る︵ 個人 の︶ 自由 の内 実に つい て︑ より 内在 的・ 分析 的に 解明 がな され るか らで あ る
︒︶ 第
Ⅲ部 の﹁ 第5 章﹂ で論 じら れる
﹁コ ミュ ニケ ー シ ョン 的 自 由﹂ の理 論 の 主 要内 容 は︑ 人 倫の 三 つ の部 分 領 域 の
﹁序 列化
︵dieHierarchisierung
︶﹂
︵S.117
︶ と︑ すべ ての 社会 構成 員の 個 人 的自 由 の 実 現の た め の不 可 避 の諸 制 約 と み なさ れる
﹁相 互承 認﹂ と﹁ 教養 形成 プロ セス
﹂と いう 二 つ の﹁ 相互 作 用 の 範型
︵Interaktionsmuster
︶﹂ で あ る︵S.91
ff.
︶︒
― 123 ― 「コミュニケーション的自由」と国家
しか しな がら
︑こ の章 で確 認さ れた
﹁自 己 実現 と 承 認﹂ の関 係 に 関す る こ の 範型 な い し原 則 が︑
﹁ 国家
﹂に つ い て 主 題的 に論 じら れる
﹁第 6章
﹂の 論究 では あ っさ り と 放棄 さ れ てし ま っ て いる
︒例 え ば︑
﹁ 国家
﹂の 章 で の共 同 の 財 の 産 出 のた め の 協力 の 際 の﹁ 承 認相 関
︵dasAnerkennungsverhältnis
︶﹂ に 関し て
︑ホ ネ ット は
︑﹁ 垂 直的 関 係
﹂が 突 然
﹁水 平 的 関 係
﹂に と っ て 代 わ る と 述 べ る︒ そ し て︑
﹁国 家 は 具 体 的 自 由 の 現 実 態
︵dieWirklichkeit
︶で あ る﹂
︵§260
︶ と い う 周 知 の 一 文 で 始 ま る︑ 第 二 六
〇 節 に お け る
﹁個 人 的 諸 人 格
﹂に 関 す る 次 の ヘ ー ゲ ル の 論 述 を 例 示 し て い る
︵S.125
︶︒ す なわ ち︑
﹁ それ ら︵ 人格 的個 別態 とそ の特 殊な 利害 関心
︶は 自己 自身 を通 して
︑一 面 では 普 遍 的な も の の 利 害関 心と な! り!
︑他 面で は知 と意 志で もっ て普 遍 的な も の を承! 認! し!
︹ 後 者の 強 調 の みホ ネ ッ ト︺
︑し か も 自分 自 身 の 実! 体! 的! 精! 神! とし て承! 認! し!
︹同 上︺
︑ 自ら の究 極目 的と して の普 遍的 なも のの ため に働 くの であ る﹂
︵丸 括弧 内は ヘー ゲ ル の原 文の 指示 内容 の補 足︶
︵§260
︶︒ この 論述 につ いて ホネ ット は︑ ここ では 諸主 体が 普遍 的な もの を﹁ 共同 的諸 活 動 を通 じて
﹂初 めて 産出 する ため に﹁ 相互 に承 認 し なが ら
︵anerkennendaufeinander
︶﹂ 関係 し 合 って い る ので は な い と いう
︵S.125
︶︒ そう では なく
︑こ の普 遍的 なも のは
﹁何 か実 体の よう なも の﹂ とし てあ らか じ め与 え ら れて い る よ う に 見 える が ゆ えに
︑そ の 結 果 承 認 は︑
﹁ 下 か ら 上 へ と 遂 行 さ れ る 確 証
﹂と い う 意 味 を 保 持 し て い る と 述 べ て い る
︵S.125f.
︶︒ さら に︑ この 直前 の箇 所で も彼 は︑
︵実 際に はそ う でな か っ た こと を 示 す︶ 仮定 法 の 表現 で
︑も し
﹁共 同 で 追 求 さ れ る 諸 目 的﹂ へ 貢 献 し よ う と す る 個 々 人 に よ る﹁ 協 同 的 実 践
︵kooperativePraxis
︶﹂ な い し
﹁共 同 作 用
︵Zusammenwirken
︶﹂ を 通じ た﹁ 普遍 的な もの
﹂の 実現 によ って 達成 され る よ う な︑
﹁共 同 的﹂ 自 由の 概 念 をヘ ー ゲ ル が 明瞭 に思 い描 いて いた なら ば︑ 国家 を﹁ 相互 承認 の第 三領 域﹂ とし て構 想す るこ とが 彼に とっ て容 易で あっ ただ ろ う と論 じて いる
︵S.125
︶︒ 要 する に
︑ホ ネ ット は 国 家 にお い て は諸 個 人 が自 ら の 究 極目 的 と して の
﹁普 遍 的 なも の
﹂ を 共 同 的諸 活 動 ある い は 協 同的 実 践 を通 じ た 対等 な 諸 個 人相 互 の﹁ 水 平的
﹂な 承 認 相関 に よ っ て産 み 出 す の で は な
「コミュニケーション的自由」と国家 ― 124 ―
く
︑﹁ 実 体の よう なも の﹂ とし てあ ら かじ め 与 えら れ た﹁ 普 遍 的な も の﹂ を 諸個 人 が﹁ 下 から 上 へ と﹂
﹁ 垂直 的
﹂︑ 一 方 的に 承認 する にす ぎな いと
︑国 家領 域に おけ る﹁ 相互 承認
﹂の 破綻 を指 摘し
︑批 判し てい るの であ る︒ けれ ども
︑国 家領 域に おけ る承 認相 関に 関す る諸 個人 によ る普 遍的 なも のの この
﹁下 から 上へ
﹂の 垂直 的・ 一方 的 な 承 認 とい う 彼 の批 判 は︑ 妥 当 性を 欠 い てい る よ うに 思 わ れ る︒ とい う の も︑ ま ず 第 一 に そ の 批 判 は
︑彼 が
﹁第 5 章
﹂で なさ れた 人倫 領域 の﹁ 序列 化﹂ をめ ぐる
﹁市 民社 会﹂ に対 する
﹁国 家﹂ の優 位に 関す る論 究に おい て示 した 相 互 承認 範型 の定 式と 相容 れな い主 張に なっ てい るよ うに 思わ れる から であ る︒ 従前 の研 究で 論じ た﹁ 第5 章﹂ での 相 互 承認 範型 の定 式は
︑個 々人 のな す︑ 国家 にお ける
﹁普 遍的 なも の﹂ への 寄与 は︑ 個々 人の 諸々 の才 能・ 能力 を用 い て 共同 体 の﹁ 共 通の 目 的﹂ を 達成 し よ うと す る 取 り組 み
︵S.98
︶︑ いわ ば
﹁共 同 で 追求 さ れ る諸 目 的﹂ に 貢献 し よ う と する 個々 人に よる
﹁協 同的 実践
﹂で あ り︑ それ は 他 の社 会 構 成員 か ら
﹁自 ら の承 認
﹂と い う﹁ 相互 主 体 的 な確 証
﹂ を 通じ て行 わ れる と い うも の で あ った
︵Ibid.
︶︒ この 定 式 は︑ 国家 に お け る﹁ 普遍 的 な もの
﹂の 遂 行 の際 の
﹁最 も 正 確 に﹂ なさ れた 説明 とし て示 され てい た︵S.97
︶︒ つ まり
︑﹁ 第 5章
﹂で 国家 にお ける 相互 承認 の 範型 と し て示 さ れ た 定 式と
︑﹁ 第 6章
﹂で の国 家に おけ る﹁ 相互 承認
﹂の 破綻 と し て論 じ ら れた 批 判 と が呼 応 し てい な い ので あ る
︒こ の 両 者の 論究 の不 整合 はど う理 解す れば よい ので あろ うか
︒一 見す ると 論旨 の変 更と しか 言え ない 批判 に見 える が︑ こ こ での コン テク スト を丁 寧に 追う と︑ ホネ ット が導 出さ れる べき であ った とみ なす
﹁共 同的
﹂自 由の 概念 の想 定の 下 で 考え られ る︑ そう ある べき であ った
︵範 型と し ての
︶﹁ 相 互 承認
﹂に 基 づ いて 彼 が 批 判を 行 っ てい る こ とが 判 明 す る
︒﹁ 第 5章
﹂で 定式 化さ れた 国家 に お ける 相 互 承認 範 型 は︑ 正 確に は
﹁市 民 社会
﹂章 の
﹁職 業 団体
﹂と い う
﹁共 同 体
﹂に おけ る相 互承 認を モデ ルと して おり
︑実 際 の﹁ 国家
﹂の 章 に おけ る も ので は な か った と い うこ と に 決 着す る
︒ す なわ ち︑ 彼が 範型 とみ なす
﹁相 互承 認﹂ の定 式に 基づ いて 批判 がな され てお り︑ その 限り で﹁ 国家
﹂の 章に 関す る
― 125 ― 「コミュニケーション的自由」と国家
彼 の解 釈に 則っ た整 合的 な批 判で ある とみ なす こと がで きる
︒ とこ ろが
︑相 互承 認範 型に 基づ く批 判が な され て い るに せ よ︑ 第 二に 当 該 の 批判 は
︑そ も そも ヘ ー ゲ ルの
﹁国 家
﹂ 概 念の 十全 な理 解の もと にな され てい ると は言 い難 い︒ ホネ ット は︑ 上述 のよ うに 実際 にヘ ーゲ ル﹃ 法哲 学﹄ の第 二 六
〇節 を例 示し
︑﹁ 個 人的 諸人 格﹂ が国 家に おけ る﹁ 普遍 的な もの
﹂を 自分 自身 の﹁ 実体 的精 神﹂ とし て﹁ 承認 する
﹂ 仕 方を
﹁下 から 上へ
﹂の 垂直 的・ 一方 的な 承認 にす ぎな いと 批判 して い た︒ しか し
︑ヘ ー ゲ ルは
︑こ の 直 前の 第258 節 で 国 家 の﹁ 個 人 に 対 す る 相 関 関 係﹂ に つ い て 論 じ る コ ン テ ク ス ト に お い て︑ 国 家 は
﹁客 観 的 精 神︵objektiver
Geist
︶﹂ で あ る が ゆ え に
︑﹁ 個 人﹂ 自 身 は 国 家 の 一 員 で あ る と き に の み︑
﹁客 観 性︑ 真 理 性 お よ び 人 倫 性
﹂を 持 ち
︑
﹁合 一︵dieVereinigung
︶そ の もの
﹂が そ れ 自 身 諸 個 人 の﹁ 真 な る 内 容 と 目 的﹂ で あ る
︵§258
︶ と 論 じ て い る︒ さ ら に 彼は
︑抽 象的 に 考 察す る と と 断り つ つ︑
﹁ 理性 態
︵dieVernünftigkeit
︶﹂ に つ いて
︑そ れ は﹁ 総 じて 普 遍 態と 個 別 態 と の相 互浸 透し 合 っ た 統一
︵dieEinheit
︶に あ り︑
⁝︵ 中略
︶⁝ 客 観的 自 由
︑す な わち 普 遍 的で 実 体 的な 意 志 と︑ 個 人 的な 知識 およ び特 殊的 な諸 目的 を追 求す る 意 志と し て の主 体 的 自 由と の 統 一に あ る﹂
︵§258
︶と い う︒ この 箇 所 で は
︑国 家と 諸個 人と の相 関関 係に つい て︑
﹁ 普遍 的で 実体 的な 意志
﹂と して の普 遍態
︵国 家に おけ る﹁ 普遍 的な もの
﹂
︵人 倫的 共同 体に おけ る共 通善 と して の 理 念的
・社 会 的 な 価値
・秩 序
︶︶ と︑
﹁ 個人 的 な 知識
﹂お よ び﹁ 特 殊的 な 諸 目 的 を追 求す る意 志﹂ であ る﹁ 個別 態﹂ とが
︑相 互浸 透す る形 で一 体化 する こと
︵諸 個人 が特 殊的 な諸 目的 の追 求の み な ら ず︑ そ の﹁ 合一
﹂を も 目 的と し て﹁ 普 遍 的な も の﹂ の ため に 働 く﹁ 普遍 的 生 活﹂
︵Ibid.
︶を 営 むこ と で︵ 国 家 と い う︶
﹁ 客観 的精 神﹂ の形 成に おい て成 し遂 げら れる
﹁合 一﹂
︶が 理性 的な 在り 方で ある と論 じら れて いる
︒ それ ゆえ
︑い ま見 た第 二五 八節 のヘ ーゲ ルの 論述 をも 併せ て考 慮す るな らば
︑上 述の ホネ ット によ る国 家領 域に お け る承 認相 関に 関す る諸 個人 によ る普 遍的 なも のの 垂直 的・ 一方 的な 承認 とい う批 判点 は︑ 換言 すれ ば︑ 国家 とい う
「コミュニケーション的自由」と国家 ― 126 ―
﹁客 観的 精神
﹂に おけ る普 遍態 と﹁ 普遍 的な もの
﹂の ため に働 く 諸 個人 に お ける 個 別 態 との 統 一 ない し 合 一の 仕 方 を 巡 る問 題に 関す るも ので ある こと は明 らか であ ろう
︒こ の点 に関 して 第二 五八 節で は上 述の 引用 文の 直後 には
︑ル ソ ー など の近 代自 然法
︵理 性法
︶理 論に おけ る︑ 社会 契約 論の 立場 を実 際に 例示 した
︑ヘ ーゲ ルの 近代 国家 論批 判が 展 開 さ れ てい る
︒す な わち
︑ル ソ ー な どの 社 会 契約 論 の 立場 に お け る
﹁個 別 的 意 志﹂
︵§258
︶ に 基 づ く﹁ 主 体 的 自 由
﹂ の 側面 は︑ 確か に古 典古 代に はな かっ た人 間の
﹁自 由な 精神 性﹂⑹
に おけ る新 たな 特殊 的 な﹁ 主体 性 の 原理
︵dasPrin-
zipderSubjektivität
︶︵§260
︶ を獲 得し て いる
⑺
︒そ れ に もか か わ ら ず︑ それ は
︑﹁ 理 性的 な も ので あ る﹂
﹁ 普遍 的 で 実 体 的 な 意志
﹂に 対 置 され た
︑﹁ 一 面 的な 契 機﹂ に すぎ な い と 論 じ ら れ て い る
︵§258
︶︒ つ ま り︑ 近 代 の 自 然 法︵ 理 性 法
︶の 契 約 論に お け る︑ 個人 主 義 的 な﹁ 自由 の 原 理
﹂な い し
﹁国 家 の 原 理
﹂は
︑国 家 の
﹁理 性 態﹂ に お い て 示 さ れ る
︑﹁ 国 家の 理念 その もの
﹂を 実現 しえ ない ので あ る︒ と いう の も︑ そ のよ う な 一 面的 な 個 人主 義 的 原理 は
︑普 遍 的 な 意 志 をた だ 特 殊的 な 諸 個 人の 個 別 的意 志 か ら生 じ る
︑﹁ 共 通 的 な も の
︵dasGemeinschaftliche
︶﹂
︵﹁ 契 約﹂ と し て の
﹁国 家に おけ る諸 個人 の 合一
﹂︶ と し ての み
︑捉 え る にす ぎ な いか ら で ある
︵Ibid.
︶︒ い ま論 じ た ヘー ゲ ル の近 代 国 家 論 批判 の主 旨は
︑当 該の ホネ ット の批 判と の関 連で は︑ 国家
︵に おけ る﹁ 普遍 的な もの
﹂︶ と 諸個 人と の相 関関 係は
︑ 特 殊的 な諸 個人 の個 別的 意 志か ら 成 る﹁ 共通 的 な もの
﹂と し て の﹁ 合 一﹂
︵﹁ 原 子 論的 に 解 体し た
﹂︵§308
︶ば ら ば ら の 諸個 人の 単な る集 合体
︶で あっ ては な らず
︑諸 個 人 の個 別 的 意志 と
﹁普 遍 的 で実 体 的 な意 志
﹂︵ あ るい は
﹁実 体 的 精 神﹂
︶ とが
︑一 体と なり 相互 浸透 し合 った もの でな けれ ばな らな いと いう こと であ る︒ 逆に 言え ば︑
﹁普 遍的 な実 体 的 意志
﹂は それ 自体 とし て固 定的 な﹁ 実体 のよ うな もの
﹂と して 諸個 人の 個別 的意 志か ら切 り離 され 隔絶 して 存立 し て いる もの では なく
︑諸 個人 の個 別的 意志 相 互の
︵﹁ 協 同 的実 践
﹂と い う形 で の
︶相 関 関係 な い し相 互 作 用に よ っ て 形 成さ れて 初め て存 立し うる こと にな る︒ した がっ て︑ 論議 の出 発点 とな った
︑国 家に おい て諸 個人 が自 らの
﹁実 体
― 127 ― 「コミュニケーション的自由」と国家
的 精神
﹂と して 普遍 的な もの を承 認す る際 の相 関関 係は
︑決 して ホネ ット が批 判す るよ うな 諸個 人に よる
﹁下 から 上 へ の﹂ 垂直 的・ 一方 的な 承認 とは なり えず
︑相 互浸 透的 な合 一に よっ て︑ すな わち その 限り で諸 個人 相互 の協 同的 実 践 とい う対 等な 水平 的承 認相 関を 通じ て実 体的 精神 を形 成す るよ うな 仕方 で初 めて 成立 する とい うこ とが でき るの で あ る︒ かく して
︑国 家と 諸個 人と の承 認相 関に 関す るホ ネッ トの 批判 は妥 当性 を欠 いて いる と言 わざ るを えな い︒ とは い え
︑国 家 領 域を
﹁相 互 承 認の 第 三 領 域﹂ に位 置 づ けう る か 否か と い う ホネ ッ ト が提 起 し た問 題 は︑ 当 該 箇 所 に 続 く
﹁政 治 的な 共 同 形成
︵diepolitischeMitgestaltung
︶﹂
︵S.126
︶ など を 巡 る彼 の ヘ ー ゲル 国 家 論に 対 す る 具 体 的 な 批 判 に も つ な がる 重 要 なテ ー マ で ある の で︑ こ の問 題 を 社会 秩 序 の﹁ 客 観的 理 性 態﹂⑻
と いう 観 点 で捉 え た R・ B・ ピ ピ ン の 解釈 を手 掛か りに して さら に熟 考し てい きた い︒
第 2
節 R ・ B
・ ピ ピ ン の ヘ ー ゲ ル 解 釈
││ 実践 的理 性態 の理 論│
│ 上述
のよ うに
︑ホ ネッ トの ヘー ゲル 法哲 学解 釈の 結論 と言 いう る主 張は
︑最 終の
﹁第 6章
﹂で 展開 され るヘ ーゲ ル の 制度 論・ 国家 論批 判で ある
︒ホ ネッ トの 主張 のこ の主 旨に 真っ 向か ら反 対す るヘ ーゲ ル哲 学に おけ る﹁ 制度 に拘 束 さ れた
︵institution-bound
︶﹂
﹁実 践的 理性 態﹂
︵p.263
︶⑼
の概 念を 駆使 して
︑R
・B
・ピ ピン は 人間 精 神 の﹁ 歴史 を 通 じ た 自 己 教 育 を 具 体 化 す る﹂
︵p.272
︶諸 制 度 の 重 要 性 な い し
﹁社 会 的 諸 制 度 の 理 性 態︵therationalityofsocialinstitu-
tions
︶﹂
︵p.263
︶に つ い て論 じ て い る︒ そこ で
︑ホ ネ ット の ヘ ーゲ ル の 制 度論
・国 家 論 批判 の 妥 当性 を よ り 深 く 掘 り 下 げて 検証 する べく
︑ピ ピン のこ の実 践的 理性 態の 理論 の要 点を 以下 に概 括し てみ るこ とに する
︒
「コミュニケーション的自由」と国家 ― 128 ―
ピピ ンは
︑あ る社 会秩 序を 具体 化・ 反映 する
﹁社 会的 諸制 約﹂ を拡 張す る﹁ より 野心 的な 試み
﹂と して
︑直 接に ヘ ー ゲ ル﹃ 法 哲学
﹄の
﹁再 生
﹂に 関 する ホ ネ ッ トの 当 該 著作 を 取 り 上 げ て 論 究 し て い る
︵pp.255-7
︶︒ ピ ピ ン は︑ そ こ で ヘー ゲル が﹁ 現実 的な 自由
﹂に と って
﹁最 も 重 要な 制 約﹂
︑ すな わ ち
︑主 体 が﹁ 他者 の 自 由﹂ を自 分 た ち自 身 の 自 由 の制 約と して 適切 に経 験す るこ とを 可能 にし
︑し たが って また
﹁諸 々の 主体 的に 理性 的な 社会 的行 為者
﹂と して 行 為 する こと を可 能に する であ ろう
︑﹁ 客 観的 な社 会的 諸 制 約﹂ を示 し た とし て
︑ホ ネ ッ トが ヘ ー ゲル を 援 用し た 点 を 指 摘し てい
る︵p.256
︶︒ そ して
︑ピ ピン は︑ ホネ ット が究 明し たヘ ーゲ ル法 哲学 解 釈の 箇 所 に即 応 さ せな が ら
︑自 説 を 展開 する コン テク スト の中 で︑ 次の よう にホ ネッ トの 論述 内容 を明 示し つつ その 問題 点を 指摘
・批 判し てい る︒ す な わち
︑﹁ 諸 々の 社会 的な 現存 在形 態︵socialformsofexistence
︶﹂⑽
は
︑﹁ 諸々 の近 代社 会の 制度 的秩 序の 中で 正当 な 位 置 を占 める 権利 を有 する
﹂︵p.257,
以 上ピ ピ ン に よる ホ ネ ット か ら の引 用
︶と い う 意味 で
︑諸 権 利を 有 す ると 言 う こ と がで きる と 論じ て も﹁ あ まり 役 に 立 たな い
﹂と
︵Ibid.
︶︒ と い う のも
︑そ の よ う な現 存 在 の諸 形 態 は︑ いか な る 意 味 でも
﹁諸 々の 権利 要求 の実 現﹂ では あり えず
︑む しろ 権利 の諸 要求 が﹁ 現実 性を もつ ため の制 約﹂ に他 なら ない か ら であ ると
︑ピ ピン は 論じ て い
る︵Ibid.
︶︒ 彼 の 理解 で は︑ 上 述の よ う に社 会 的 な 現存 在 の 諸形 態 が﹁ 現 存在 す る 権 利
﹂を 有す ると 主張 しう るの であ れ ば︑ 根本 的 に はさ ら に その よ う な 権原
︵entitelment
︶の 要 求 が拘 束 力 ない し 現 実 的 な効 力を 持ち うる のは
︑さ らな る前 提と なる いか なる 社会 的前 提諸 条件
︵socialpre-pre-conditions
︶ の下 にお いて で あ るか が問 われ ねば なら ない とい う︒ 具体 的に 換言 すれ ば
︑そ の よう な
﹁諸 々 の承 認 相 関︵recognitiverelations
︶﹂ が
﹁自 由の 実現 のた めの 不可 欠の 諸制 約﹂ とし て経 験さ れる よ う にな る の は︑ いか な る 社 会的 諸 制 約の 下 に おい て で あ る のか と︵pp.257-8
︶︒ 以上 のよ うに
︑ピ ピン はホ ネッ トの ヘー ゲル 法哲 学解 釈の アプ ロー チの 不十 分性 を指 摘す ると とも に︑ 他方 で︑ 当
― 129 ― 「コミュニケーション的自由」と国家
該 テー マに おけ る社 会秩 序な いし 人間 的共 同世 界の 在り 方の 理性 的・ 正当 的な 規範 性に 関し て彼 独自 の﹁ 社会 秩序 の 客 観 的 理 性 態
︵theobjectiverationality
︶﹂ と い う﹁ 規 範 的 権 威 の 資 格 要 件
﹂を 提 示 し て い る
︵p.262
︶︒ す な わ ち︑ 彼 は
︑ヘ ーゲ ルが 示し た社 会秩 序に 関す る﹁ 客観 的 理性 態
﹂と い う資 格 要 件の 一 般 的 本性 に つ いて
︑﹁ 不 可 避的 な 諸 々 の 相 互 承認 相 関﹂ の うち に あ る﹁ 理 性的 に 自 己規 定 す る諸 々 の 自 由な 行 為 者﹂ とい う 規 範的 権 威 の﹁ 唯 一 可 能 な 起 源
﹂と 矛盾 しな い仕 方で
︑社 会 秩序 の 規 範的 権 威 の 資格 要 件 が具 体 化 され る 必 要 があ る と 主張 し て いる
︵Ibid.
︶︒ こ の 客観 的理 性態 につ いて は︑ すで にヘ ーゲ ルの 法哲 学の 第二 五八 節に おけ る﹁ 国家 の概 念諸 規定
﹂な いし
﹁国 家の 規 範 的地 位に 対す る査 定﹂ とし て第 1節 の︵ 2︶ で 考察 し た︒ 当 該箇 所 に つい て の ピ ピン の 見 解と し て は︑
﹁実 在 性 の 基 底 に ある 構 造﹂ は︑ 究 極的 に
﹁理 性︵reasen
︶﹂ で あ る と いう 想 定 のも と に
︑客 観 的 理 性 態 の 資 格 要 件 の﹁ 青 写 真 の モデ ル﹂ が導 入さ れて いる よう に見 える と述 べら れて いる
︵p.259
︶︒ すな わち
︑近 代 の人 倫 と 国家 の 在 り方 に 見 ら れ るよ うに
︑何 らか の﹁ 十全 に現 実化 され た 存在 者
﹂で あ るな ら ば︑
﹁ 客体 の 普 遍 的諸 様 相 とそ の 特 殊態
﹂と の 間 の
﹁適 切 かつ 十 全 に発 展 し た 論理 的 相 関関 係
﹂を 反 映し て い る とい う
︵Ibid.
︶︒ こ の 国 家 概 念 の 規 定 な い し 査 定 に 関 し て
︑さ らに
﹃エ ンツ ュク ロ ペデ ィ ー﹄ で は︑
﹁国 家 の 本質 は
︑即 自 的 かつ 対 自 的に 普 遍 的な も の︵dasanundfürsich
Allgemeine
︶ であ り
︑意 志 にお け る 理性 的 な も ので あ る﹂ が︑ し かし そ れ は︑
﹁自 己 を 知 り自 己 を 活 動 さ せ る も の と し ては
︑端 的 に主 体 性
︵Subjektivität
︶﹂⑾
で あ り︑ か つ﹁ 現実 態 と して は 一 つ の個 体
﹂で あ ると 論 じ られ て い る⑿
︒ ヘ ー ゲル のこ の論 述に つい て﹁ 極め て重 要だ
﹂と して ピピ ンが 強調 して いる のは
︑国 家が
﹁即 自的 かつ
﹃対 自的 に﹄ 普 遍 的 なも の
﹂で あ る とい う 点 であ る
︵p.260
︶︒ つ まり
︑﹁ い か にし て 普 遍態 の 資 格 要件 は そ れに 賛 同 する
︹そ れ を 承 認 する
︺諸 主体 によ って 明示 的に
︹相 互に 明確 な仕 方で
︺支 えら れる か﹂ とい うこ とを
︑ヘ ーゲ ルは 示そ うと して い る とい う
︵Ibid.
︶︵ 括 弧 内 は 引用 者
︶︒
││ ホ ネッ ト 的 な論 理 で 換言 す れ ば︑ 国 家に お け る﹁ 普遍 的 な も の﹂
︵の 妥 当
「コミュニケーション的自由」と国家 ― 130 ―
性
︶は
︑諸 主体 が﹁ 下か ら上 へ﹂ 垂直 的・ 一方 的に 承認
・従 属さ せら れる ので はな く︑ 対等 な諸 主体 相互 の水 平的 な 承 認相 関を 通じ た諸 主体 によ る意 思表 示に 支 えら れ る とい う こ とに な ろ う︒
││ ま た︑ ピピ ン の 国家 理 解 に 関す る
︑
﹁客 観 的 理 性 態
﹂と 並 ぶ も う 一 つ の 鍵 概 念 は︑
﹁理 性 的 な 自 己 立 法︵rationalself-legislation
︶﹂ と い う 概 念 で あ る
︵Ibid.
︶︒ 当 該 問 題 に つ い て︑ 国 家 の
﹁普 遍 的 権 威
﹂は
︑﹁
﹃ 自 己 認 識 さ れ﹄
﹂︑
﹁﹃ 自! 己! 確! 証!
︵self-confirmed
︶﹄ な い し
﹃自! 己! 確! 認!
︵self-validated
︶﹄ さ れる
﹂の で あ り︑
﹁ 国家 の 構 造組 織
﹂は
﹁自 己 立 法 的 で 理 性 的 な 有 限 な 存 在 者﹂ に 相 応 しい 形式 を持 つ︑ と論 じら れて いる
︵Ibid.
︶︒ つま り︑
﹁意 志﹂ が諸 規範 を自 主的 なも のな ら しめ る
︑﹁
﹃ 他者 関 係 に お ける 自己 関係
﹄と して
﹂適 切に 理解 され ると きに
︑国 家は
﹁彼 らの
︹そ の普 遍的 な在 り方 に賛 同す る諸 主体 の︺ 意 志 の実 現﹂
︵ 括弧 内は 引用 者︶ なの であ ると いう
︒ かく して
︑以 上の よう に社 会秩 序の
﹁客 観的 な理 性態
﹂と いう 要件 を論 拠と して
﹁人 倫﹂ や﹁ 国家
﹂の 意義 につ い て 論じ た後
︑ピ ピン はさ らに 論議 を敷 衍し て社 会秩 序の
﹁主 観的 理性 態﹂ に言 及す る︒ 上述 のよ うに
︑人 倫や 国家 に お ける
﹁理 性態
﹂は
︑そ の対 自性 や﹁ 自己 立法
﹂な いし
﹁自 己関 係﹂ が資 格要 件成 立の ため の動 因と なっ てい た︒ ピ ピ ンは 社会 秩序 の客 観的 理性 態の 特性 をよ り深 化さ せる ため に︑ この 理性 態の 資格 要件 の主 観的 な側 面の 究明 へと 進 む こと にな る︒ 彼が 捉え る理 性態 の主 観性 とは
︑具 体的 には
﹁規 則に 律せ られ た社 会実 践﹂ にお ける 諸要 素と して の
﹁諸 々の 実 践 的 理由
﹂の こ と であ る
︵p.270
︶︒ 社 会に お い て行 為 実 践す る 際 に 実践 的 諸 理由 を 求 め・ 与え
・受 け 容 れ
・ 退け ると いっ たこ とす べて がそ の諸 要素 とみ な され て い る︒ その よ う な諸 々 の 正 当化 は
︑﹁ 他 者た ち が なす 共 通 の 実 践を 律す る諸 規則
﹂に 従っ てい ると いう 主張 とし て他 者た ちに 提示 され ると い
う︵Ibid.
︶︒
﹁ 私﹂ が そも そ も
﹁実 践 的 諸理 由﹂ を持 つと 言い うる のは
︑﹁ 演 繹的 にで はな く︑ 発展 史的 に﹂ 形成 され 理解 され る﹁ 社会 的諸 制度 への 寄与
﹂ に よ っ ての み で ある と さ れ る︵pp.263-4
︶︒ そ の 限り で
︑社 会 的 諸相 関 の 中で 生 じ る﹁ 行為 者 性 の 諸 制 約﹂ が そ れ ら
― 131 ― 「コミュニケーション的自由」と国家
の 諸制 度に よっ て与 えら れる から など とい う︑ 社会 的諸 制度 に﹁ 参与 する 諸理 由﹂ があ るこ とを 意味 する
﹁社 会的 諸 制 度 の 理性 態
︵therationalityofsocialinstitutions
︶﹂ が重 要 視 さ れ て い
る︵p.263
︶⒀
︒こ の よ う に し て︑ ピ ピ ン は︑ こ れ まで の論 議か ら受 け取 るべ き教 訓と し て︑
﹁実 践 的 理性 態
﹂は
﹁常 に 制度 に 拘 束 され て い る﹂ とい う 結 論を 導 出 す る
︵Ibid.
︶︒ つま り︑ 制度 に 拘 束 され て い るこ と に 根拠 づ け ら れる
︑﹁ 実 践 的理 性 態﹂ は︑ そ の行 使 に よ って
︑﹁ 自 由 を 構成 し﹂ たり
︑﹁ 私 が自 分の 諸行 為を 真に 自分 のも の と 経験 し う るよ う な 制 約﹂ を確 立 し たり す る 論拠 と し て︑ 制 度 論の 重要 性を 示す 中心 的 概念 に 位 置づ け ら れ るこ と が でき る と いう
︵Ibid.
︶︒ こ の了 解 の もと で 初 めて
︑ヘ ー ゲ ル が
﹁人 倫﹂ ない し﹁ 国家
﹂に おけ る﹁ 諸々 の制 度的 な生 活形 態﹂ への 注視 を促 した 理由 を十 全に 理解 しう るの であ る
︵p.272
︶︒
第 3 節 ヘ ー ゲ ル の 国 家 論 に お け る コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 的 自 由
最後に︑ 上述 のピ ピン によ るホ ネッ ト批 判の 論旨 も援 用し なが ら︑ 主題 で あ るホ ネ ッ トの ヘ ー ゲル 国 家 論 批判
⒁
を 概 括す ると とも に︑ その 批判 の検 証を 行う
︒
︵1
︶ホ ネッ トの ヘー ゲル 的人 倫概 念批 判 すで に第 1節
︵2
︶で 論じ たよ うに
︑ヘ ーゲ ル国 家論 にお ける 国家 と諸 個人 との 承認 相関 に関 する ホネ ット の批 判 は
︑﹁ 人 倫﹂ ない し﹁ 国家
﹂の
﹁理 性態
﹂理 解の 不 十 分性 の ゆ えに
︑妥 当 性 を 欠い て い た︒ それ で は︑ そ もそ も ホ ネ ッ トは なぜ ヘー ゲル の人 倫理 論な いし 国家 論を 批判 し︑ ヘー ゲル 的人 倫概 念の 何を 問題 視し てい るの であ ろう か︒ こ
「コミュニケーション的自由」と国家 ― 132 ―
の 問題 を解 明す るた めに は︑ ヘー ゲル 国家 論の 基底 にあ る制 度論 に対 する ホネ ット の批 判の 論拠 を明 らか にす る必 要 が ある
︒そ の際 には
︑彼 のそ の制 度論 批判 は︑ 彼が 掲げ る人 倫領 域の 在り 方の 理念 的な 範型 と表 裏一 体と なっ てい る が ゆ え に
︑そ の 範 型 の 中 心 と な る 人 倫 領 域 が 包 含 す べ き
﹁諸 々 の コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 相 関︵dieKommunikations-
verhältnisse
︶﹂
︵S.111f.
︶や
﹁諸 々 の承 認 規 範︵dieAnerkennungsnormen
︶﹂
︵S.122
︶ など と 対 比し な が ら︑ 彼の 批 判 の 論 拠を 際立 たせ る形 で行 う︒ ホネ ット の﹃ ヘー ゲル
﹃法 哲学
﹄の 再生
﹄の 最終 章の
﹁第 6章
﹂で の彼 のヘ ーゲ ル制 度論 への 批判 の主 旨は
︑上 述 の よ う に規 範 と は﹁ 逆方 向 の 制 度的 形 成 物﹂ を人 倫 領 域 に 組 み 込 も う と し て い る と い う 点 に あ
る︵S.122
︶︒
﹁人 倫
﹂ に お ける そ の 本格 的 な 制 度批 判 に 先立 っ て まず
︑当 該 の 章 では 人 倫 の第 一 領 域で あ る
﹁家 族﹂ に おけ る
﹁婚 姻︵die
Ehre
︶﹂ につ いて
︑﹁ 愛 の相 関︵dasLiebesverhältnis
︶﹂ が﹁ 婚姻 契約
﹂に お い て﹁ 法 的制 度 の 形式
﹂を 受 け 容れ る こ と で
︵S.112
︶︑
﹁情 熱﹂ の﹁ 激し さ﹂ とい う感 情に 不可 避的 な﹁ 偶然 性﹂
︵§162
︶か ら解 放さ れて い る点 が 指 摘さ れ て い る
︵S.112
︶︒ とい うの も︑ 総じ て近 代社 会に おけ る一 定の
﹁諸 々の コミ ュニ ケー ショ ン 相関
﹂に つ い て︑ それ ら の 相 関 が
﹁自 由 の実 現 の 諸領 域
﹂を 表 現 して い る と言 う こ とが で き る のは
︑﹁ 愛
﹂の よ う な 感 情 に お け る﹁ 移 ろ い 易 さ
︑ 気 まぐ れさ
﹂と いっ た﹁ 諸々 の主 観的 な行 為 動機
﹂の 向 こ う側 に
︑﹁ 諸 々の 法 的 同 意﹂ を通 じ て のみ 保 証 しう る よ う な
︑﹁ 社 会的 安定 性﹂ ない し﹁ 安定 した
⁝自 由の 制約
﹂︵ であ る婚 姻契 約︶ を明 示し うる こと によ って のみ だか らで あ る
︵Ibid.
︶︒ その 限り で婚 姻は
︑﹁ 法的 に人 倫的 な愛
﹂と いう
﹁人 倫的 相関 関係
﹂と して 規定 され ねば な ら ない と い う の であ る︒ とこ ろ が︑
﹁不 思 議 な﹂ こと に
︑以 前 には
﹁人 倫
﹂を
﹁第 二 の 自然
﹂な い し﹁ 完 全に 安 定 した も の
﹂と し て 表明 して いた にも かか わら ず︑ ヘー ゲル はあ まり にも
﹁頑 迷﹂ に﹁ 実定 法的 制度 化の 必然 性﹂ を強 調し てい る︑ と し て ホ ネッ ト は 非難 す る︵S.112f.
︶︒ 彼に よ れ ば︑ その よ う な 実定 法 的 制度 化 で なく と も︑
﹁ 相 互主 体 的 に 共 有 さ れ
― 133 ― 「コミュニケーション的自由」と国家
た 諸々 のル ーテ ィン
・習 慣﹂ とい った
﹁﹃ 習 俗﹄
︵Sitten
︶⁝ の形 態﹂ をと る﹁ 諸々 の行 為 実践
﹂で あ る な らば
︑﹁ 諸 々 の 国 家 的 な 法 の 同 意
﹂に 頼 ら ず に︑
﹁我 々 の 諸 感 情 の﹃ 移 ろ い 易 さ
﹄﹂ に 支 配 さ れ な い 安 定 性 を 持 ち う る と い う
︵S.113
︶︒ さ らに 彼は
︑人 倫領 域全 体が 歴史 的に 発生 し︑ 合理 的に 特徴 づけ られ た﹁ 諸々 の行 為 習 慣の 社 会 的 具現 化
﹂ と して 把握 され ねば なら ない と︑ ヘー ゲル が強 調し てい る点 に関 して
︑近 代的 なコ ミュ ニケ ーシ ョン 諸相 関に おけ る こ の﹁ 核心 領域
﹂は 過度 に固 定化 され たり
︑不 変的 なも のと して 表象 され ては なら な い と 付言 し て いる
︵S.114
︶︒ と い うの も︑ その 核心 領域 の固 定化
・不 変化 は︑ それ に特 有な すべ ての
﹁可 塑性
﹂を 失う こと に他 なら ず︑ 核心 領域 は 各 々の 主体 が自 由を 根拠 に等 しく 参加 可 能な
﹁社 会 的 相互 作 用 の諸 相 関
﹂を 通 じて 形 成 され る
﹁﹃ 習 俗﹄ のそ れ ぞ れ の 特 性
﹂︑ す な わ ち 完 全 に は 規 制 し え な い﹁ 習 慣 形 成
︵Gewohnheitsbildung
︶﹂ の 特 性 を 失 う で あ ろ う か ら で あ る
︵S.115
︶︒ か く し て︑ ホ ネッ ト は︑ こ のテ ク ス トで の さ し あた り の 帰結 と し て 人 倫 領 域 が 包 含 す べ き は ず の も の は
︑ 社 会の 近代 化の 過程 で生 み出 され た︑
﹁ コミ ュニ ケー ショ ン諸 相関
﹂で ある と論 じて いる
︵Ibid.
︶︒ 彼 の 以 上の 論 述 か ら まず 確認 する 必要 のあ る点 は︑ 彼は 制度 の固 定化
・不 変化 に関 して ヘー ゲル の制 度論 を批 判す るに せよ
︑そ れほ ど 単 純に は行 って はい ない とい うこ とで ある
︒彼 は︑ 上に 見た よう に︑ 人倫 領域 全体 でな され る諸 々の 行為 習慣 の具 現 化 にお ける
﹁習 慣形 成の 特性
﹂の 意義 を十 二分 に評 価し てい るの であ る︒ それ では 彼は
︑一 体ヘ ーゲ ルの 制度 論の 何を 問題 にし てい るの であ ろう か︒ それ は︑ コミ ュニ ケー ショ ン諸 相関 の 一 方の 特性 であ る︑ 習慣 形成 にお いて 安 定性 を 与 える
﹁制 度 的 性格
﹂か ら 由 来 する
︑︵ 国 家 によ っ て 制定 さ れ た︶ 法 が 持つ
﹁特 定の 支持 機能
﹂と
︑﹁ 法 的に 把 握 され た 諸 制度
﹂と を 全 体 とし て
﹁同 一 視﹂ する と い う﹁ 誤り
﹂が な さ れ て い る 点 で あ
る︵Ibid.
︶︒ す な わ ち︑ 人 倫 領 域 は 一 方 で 確 か に 家 族 に お け る﹁ 相 互 の 愛 に よ る 自 己 実 現﹂ の よ う な
﹁諸 々の 社会 的価 値領 域﹂ を再 構成 する ため には
︑安 定 性 と強 固 さ をも た ら す﹁ 適 切な 法 的 諸前 提 の 設立
﹂を 必 要 と
「コミュニケーション的自由」と国家 ― 134 ―
す る
︵S.115f.
︶︒ だが
︑そ の よ う な事 態 と﹁ 制 度︵eineInstitution
︶﹂ がた だ
﹁国 家 的に 認 可 さ れ た 契 約﹂ に の み 負 っ て いる とい う事 実と を︑ ヘー ゲル は十 分に 明確 には 区別 して いな いと いう
︵S.115
︶︒ ホネ ッ トの 考 え では
︑ヘ ー ゲ ル は 近代 社会 を例 えば
﹁友 情
﹂と い う 相互 作 用 範型 の よ うな 他 の 変 容し た 諸 形態
︵Spielformen
︶と い っ た︑
﹁社 会 的 制 度 化﹂ の異 なる 諸形 態に も十 分に 余地 を与 える
︑﹁ 諸 々の 承 認 領域 の 複 合体
﹂と し て 想 起す る 必 要が あ っ たの で あ る
︵S.115f.
︶︒ 換言 す れ ば︑ 人倫 領 域 の それ ぞ れ が固 有 の﹁ 社 会 的諸 実 践 の一 定 の 範型
﹂︵
﹁ 家 族﹂ に お け る 婚 姻 契 約 や
﹁欲 求 の体 系
﹂に お ける 取 引 の 契約 な ど︶ に よっ て 性 格づ け ら れ︑ さ らに そ の 範 型 は ま た﹁ 相 互 承 認 と︹ 個 人 的 な
︺ 自 己実 現﹂ との それ ぞれ に﹁ 特有 な交 差﹂ によ って 特徴 づけ られ ると みな され て い
る︵S.121
︶︒ と こ ろが
︑ホ ネ ッ ト は
︑人 倫領 域の 第二 領域 であ る市 場 に 媒 介さ れ た 取引 が 行 われ る
﹁市 民 社 会﹂ の章 の 最 終節 に
﹁職 業 団体
︵dieKor-
poration
︶﹂⒂
をヘ ーゲ ルが 導入 した こと に対 して
︑﹁ 規 範と し て 異な っ た︑ そ れど こ ろ か 逆方 向 の 制度 的 形 成物 を 人 倫 領 域に 組み 込も うと して いる
﹂と して 強く 反対 して いる
︵S.122
︶︒ とい うの も︑ その こと に よっ て
︑人 倫 領域 を 全 体 と して
﹁諸 々の 社会 的な 行為 実践 の特 有の 調和 的集 合体
︵einEnsemble
︶﹂ と同 一視 しう る可 能性 が少 なく なる から だ と いう
︵Ibid.
︶︒
﹁家 族﹂ の領 域は
︑唯 一の 相互 作用 範型 によ って 特徴 づけ られ るが ゆえ に︑ それ を仮 設 的 に他 の 実 現 諸 形態 をも 表象 可能 にす るよ うな 範型 とし て︑
﹁ 愛﹂ の諸 相関 の中 に確 認す るこ とが 許容 され た︒ けれ ども
︑﹁ 職業 団 体
﹂は
︑コ ミュ ニケ ーシ ョン 領域 の﹁ 承認 諸規 範﹂ とし て﹁ 完全 に独 自の 種類 のも の﹂ であ るが ゆえ に︑ 市場 の相 互 作 用 相 関と 並 ん で﹁ 全く 別 の コ ミュ ニ ケ ーシ ョ ン 領域
﹂が 登 場 し た こ と に な る と
︑ホ ネ ッ ト は 論 じ て い
る︵Ibid.
︶︒ つ まり
︑彼 は︑ 三つ のそ れぞ れの 人倫 領域 はそ れぞ れに 固有 の﹁ 唯一 の相 互作 用範 型﹂ によ って 特徴 づけ られ てあ る べ きで あり
︑そ の観 点か らす ると 上述 のよ うに
﹁市 民社 会﹂ の領 域に おけ る﹁ 職業 団体
﹂の 位置 づけ は︑ この 領域 の
﹁承 認 範型
﹂と し て は﹁ 完全 に 独 自 の種 類 の もの
﹂の 導 入 であ り
︑﹃ 法 哲 学
﹄の
﹁体 系 的 水 準
﹂に 関 し て そ の 内 部 で
― 135 ― 「コミュニケーション的自由」と国家
﹁簡 単に は解 消で きな い⁝ 問題
﹂を 生起 させ てい ると
︑論 難し てい るの であ
る︵S.121
︶︒ 次 に︑ ホネ ッ ト によ る ヘ ーゲ ル 国 家 論の 批 判 につ い て︑ そ の 批 判 の 鍵 概 念 と な る の は
﹁政 治 的 公 共 性
︵einepoli-
tischeÖffentlichkeit
︶﹂ と
﹁民 主的 意志 形成
︵diedemokratischeWillensbildung
︶﹂ と いう 二つ の概 念で ある
︵S.127
︶︒ 彼 の 国家 論批 判は
︑上 述の
﹁職 業団 体﹂ 批判 の展 開の 後に 当該 著作
﹁第 6章
﹂の 最終 盤に おい て極 めて 簡潔 に行 われ て い るに すぎ ない
︒そ の具 体的 論点 をこ の鍵 概念 に関 して 見る と︑ まず
﹁政 治的 公共 性﹂ につ いて はこ の術 語に 関連 す る
﹁公 共的 自由
︵dieöffenlicheFreiheit
︶﹂ の 概念 が︑ 本稿 の主 題 で ある
﹁コ ミ ュ ニ ケー シ ョ ン的 自 由﹂ の 概念 に 包 括 さ れる その 政治 的側 面の 概念 とみ なし うる とと もに
︑他 のコ ンテ クス トで も多 用さ れ︑ 彼の 解釈 視点 を明 示す るも の と 考え られ る︵S.124ff.
︶が ゆえ に︑ この 概念 の考 察か ら始 める
︒﹁ 国家 の人 倫的 意義
﹂に 関す る理 解の 鍵と なる 表 現 に つい て述 べら れる 箇所 で︑ この
﹁公 共的
﹂自 由は
︑個 々人 が他 者の 活動 の中 に﹁ 共同 で追 求さ れる 諸目 的﹂ への 貢 献 を認 識し うる
︑﹁ 協 同的
︵kooperativ
︶実 践の 形式
﹂を 指示 する もの とし て論 じら れる
︵S.124f.
︶︒ こ こ で﹁ 公共 的
﹂ 自 由と は︑ 諸主 体が
﹁思 考さ れた
︑す なわ ち 普 遍的 な 諸 法則 と 諸 原 則に 従 っ て﹂
︵§258
︶ 互 いに
︵相 互 作 用範 型 に お い て︶ 交差 し合 い︑ その 結果 彼ら 諸 主 体の
﹁共 同 作 用﹂ が︵ 国家 に お け る︶
﹁﹃ 普 遍 的な も の﹄
﹂ の実 現 に 役立 つ よ う な
︑諸 行為 をそ の都 度彼 らが 全う する こと によ って 到達 する
﹁自 由﹂ とし て規 定さ れ て い
る︵S.125
︶︒ こ のよ う な 公 共 的自 由の 概念 をヘ ーゲ ルが 実際 に想 起し てい たな らば
︑国 家を
﹁相 互承 認﹂ の第 三領 域と して 構想 する こと が彼 に と って 容 易で あ っ ただ ろ う と︑ ホ ネッ ト は 付言 し て いる
︵Ibid.
︶︒ さ らに
︑自 由 主 義的 な
﹁強 制− 悟 性国 家
﹂に 対 す る ヘー ゲル の批 判︵§258
︶か ら﹁ 憲法 愛国 主義 の必 然性
﹂の 素描
︵§268
︶ へま で延 びる
︑ホ ネッ トが
﹁共 和主 義的 読 解 のラ イン
﹂と 呼 ぶ コン テ ク スト に お いて は
︑政 治 的 諸利 益 の ため の 活 動で あ る﹁ 相 互 主体 的 実 践︵dieintersubjek-
tivePraxis
︶﹂ に その 実体 があ ると され る︑
﹁ 公共 的自 由﹂ の表 象 が 見ら れ る とい う
︵S.126
︶︒ かく し て︑
﹁ 政治 的 公 共
「コミュニケーション的自由」と国家 ― 136 ―
性
﹂と いう 鍵概 念に 関し て︑
﹁ 公共 的自 由﹂ とい う 理 念的 な も のと は
﹁全 く 別 の読 解
﹂が 見 出さ れ る とし て
︑ヘ ー ゲ ル が国 家公 民を
﹁奉 仕す る臣 民﹂ の役 割に おい て見 る 箇所 を 含 むと さ れ る第 二 五 七 節と 第 二 六〇 節 で は︑
﹁権 威 主 義 的 な自 由主 義﹂ が現 われ るが
︑そ れは
﹁政 治的 な共 同形 成﹂ の機 会を 彼ら に委 ねて はい ない と︑ ホネ ット は指 摘し て い
る︵Ibid.
︶︒ ま た︑ この よう にヘ ーゲ ル国 家論 の中 には
﹁政 治的 公共 性﹂ の理 念お よび
︑﹁ 民主 的 意 志形 成
﹂の 表 象 の 極わ ずか な痕 跡す ら見 出さ れな いと
︑端 的に 彼は 論じ てい る︵S.126f.
︶︒ もう 一方 の﹁ 民主 的意 志形 成﹂ 概念 につ いて は︑ 当該 章の 最終 盤の 限定 され た箇 所で 多用 され てお り︑ ホネ ット が ヘ ーゲ ル国 家論 の批 判点 とし て最 も主 張し たい 中心 的論 点と みな しう る︒ この 概念 に関 する 彼の 論旨 は︑ 基本 的に 上 述 の﹁ 共和 主義 的諸 傾向
﹂に もか かわ らず
︑ヘ ーゲ ルが 国家 領域 を民 主的 意志 形成 の﹁ 政治 的相 関関 係﹂ とし て解 釈 し なか った とい う点 にあ
る︵S.127
︶︒ 確 かに ヘー ゲル は︑ 自由 主義 者と して
﹁国 家秩 序の 正 当性
﹂を そ れ ぞれ の 個 々 の 市民 の﹁ 自由 な同 意﹂ に依 拠さ せて いる とい う︵§262
︶︒ し かし なが ら︑ 彼は 市民 に共 通に
﹁主 権者 の集 団的 役割
﹂ を 与え てい ない と︑ ホネ ット は述 べる
︵S.127
︶︒ 要す るに
︑承 認諸 相関 とし ての 三つ の人 倫 領域 が 形 成す る
﹁道 徳 的 で 自由 を保 証す る秩 序連 関﹂ に国 家が 組み 込ま れ てい た な らば
︑﹁ 自 由 の諸 空 間 の 制度 的 形 成﹂ につ い て 判定 す る こ と が︑ 最終 的か つ本 来 的な 政 治 的領 域 に お ける
﹁民 主 的 意志 形 成﹂ の 課題 で あ っ たで あ ろ うが
︵Ibid.
︶︑ その よ う な 国 家領 域の 最重 要と みな しう る課 題は
︑実 際に はヘ ーゲ ル国 家論 にお いて は果 たさ れて いな いと 指摘 され てい る︒
︵2
︶ホ ネッ トの ヘー ゲル 国家 論批 判の 検証
││ ホネ ット vs.
ピピ ン│
│ こ れま で に︑ ホ ネッ ト の﹃ ヘ ーゲ ル
﹃法 哲 学﹄ の 再生
﹄に お け る中 心 概 念 で あ る︑
﹁ コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 的 自 由
﹂ 概 念の 中核 を占 める コミ ュニ ケー ショ ン諸 相関 を基 軸と した
︑彼 のヘ ーゲ ル法 哲学 解釈 の特 性お よび
︑そ の主 題と 言
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