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「あ りが と う」 と 「す み ま せ ん 」 坂 本 恵

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Academic year: 2021

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「あ りが と う」 と 「す み ま せ ん 」

1 は じめに

「あ りが と う」 は感謝で "Thank you"、 「すみ ません」 は陳謝 で "I am sorry"などと言われ る。英語 の訳 もその よ うにつけ られてい ることが多い。

(ここでは 「あ りがと う」 を 「あ りが と うございま した

「あ りが と」 などを代 表す るもの として扱 う。 これに対 し、 「すみ ません」 はせいぜい 「す まない」程 度のバ リューシ ョソしかない。)そ う思 ってい る非 日本語母語話者 は、感謝すべ き時になぜ 「あ りがと う」でな く 「すみ ません」 といわれ るのか理解 で きないこ とになる。一般的に短 いあいさつ言葉 は他 の言語でそれに相 当す るものをあげて も、使 い方が異なるために母語話者 か ら見 ると違和感 のある使 い方 になって しま うことが多い。例 えば、 「こんにちは」 と "Hello"は同 じではない。夜使 え る か、電話で使 えるかなどの具体的な使 い方 を考 えればわか るだろ う。 「あ りがと

う」 と 「すみません」 もその意味で誤解 の多い ものであ る

そ もそ も 「あ りがと う」 に感謝、 「すみ ません」 に陳謝 の用法 があるとい うわ けではない。それぞれ固有の独 自の意味、用法 を持 ち、それが異 なった場面で使 われ るとい うことなのである。それではそれぞれの意味、用法は どの よ うな もの であろ うか。

2 「あ りがとう」

「あ りがとう」 はある終結 した相手の動作 に対 して、 プラスの評価 を している とい うことを示す、と考 えるのが適 当であ る。 また、その動作は当然性の高 い も のであることが多い。当然性が高い、 とい うのは、 自分 と相手 との社会的な関係 の中で相手の行 った行動 を、 して当然 の ことと捉 えることがで きるとい うことで ある。例 えば、学生が教員に授業に関す ることを質問 して答 えて もらった、子供 が親 か ら誕生 日のプ レゼ ソ トを もらった、等の ことである ものを もらった、教 えを受けた、など、受けた ことがはっきりしてい る場合 はその、有形 、無形 の も のを受け取 ったお礼 と して使われ る。 はめて もらった、祝 って もらった、招待 さ

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れた (とい う形 での配慮) とい うよ うな無形 の好意 に対 して も使 われ る。 「誕生 日おめで と うござい ます」 に対 しては 「あ りが と うござい ます」 が適 当であ る。

「新年 おめで と うござい ます」 はお互 いに祝 う表現 であって、相手 の何 らかの祝 い事 に対す る配慮 か らの ものではないため、 この返事 と しては 「あ りがと うござ います」 は適 当ではな く、相手 と同様 「おめで と うござい ます」 で受 け ることに な る。 また、 「一度家 に遊 びに来 て くだ さい」 に対 して丁寧 に応 じた ければ、

「あ りが と うござい ます」 が適 当で あろ う。 この 「遊 びに来て くだ さい」 は、本 当の意味での招待で はない ことが多 く、相手 に好意 を持 ってい る、相手 に配慮 し てい るとい うことを示す ものだ と言 え るか らであ る。従 って、 この配慮 に対 して

「あ りが と う」 が適 当だ とい うことになるので あ る。

また、 「あ りが と う」 は相手 の動作 を終結 した もの と捉 えた時 に出 るため、棉 手 の 自分 に対 して 向け られた動作 が行 われ る前 には出に くく、その動作の終 わ っ た後 で出 ることが多 い。終結 した動作 に使 われ るとい うことか ら、談話 の終 わ り を示す こともあ る。 イ ソタビューな どの終 わ りに使 われ る 「あ りが と う」 は これ で終 了す ることを示す。 同様 にス ピーチな どは 「あ りが と う」 が終 了の合図 と し て使 われ る。 イ ソタビューの最後 の 「あ りが と う」 に対す る 「ど ういた しま して」

な どが不 自然 なのは、それが本当に感謝 を表 してい るだけではないか らであ る

終結 した動作 に対す るもので あ るため、 「あ りが と うござい ます」 と 「あ りが と うござい ま した」 は同様 に使 われ ることが多 い。 「あ りが と うございま した」

は過去の行為であ ることが明確 な時 にのみ用 い られ る。 「先 日は ど うも」 など、

以前 に会 った時の ことに言及す る場合 などに使 われ るわけであ る。

授業や講演 の後 で講師 に 「あ りが と う」 が適 当なのは、学生 の立場 と しては教 師、講師 か ら知識 を受 け るのは当然性 が高 いわけで、その受 けた講義 を終 わ った ことと して とらえたか らで あ る。 ここでは対等 な立場で使 われ る 「お疲れ さま」

や上 か ら下 ‑ とい う方 向性 を持 つ 「ご苦労 さま」 は不適当であ る。

3 「すみません」

基本的 には 自分 が相手 に何 らかの迷惑 をかけてい ることを認識 してい ることを 示す。 その 「迷惑」 はかな り広義 の もので、直接 的 に 自分 の何 らかの行動 が相手 を困 らせ ることにな った、 自分 の行動 がい ろい ろな理 由か ら許 されない ものであ

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り相手 に迷惑 をかけ ることになった、 とい う重大 な ものか ら非常 に軽 い もの まで ある。 自分の行動 が相手に迷惑 をかけ、それを遺憾 に感 じているとい うことを示 す もので、その意味では 「すみ ません」 は 「陳謝」 とも言 える。 しか し、本当に 自分 が悪 い ことを した とい う認識 の場合 には、別 の言葉であ る 「申 し訳 ない」、

「ごめんなさ」等の詫 びる表現 を使 うはずである。相手 に対す る迷惑 が非常 に 軽い ものである場合 にも使 われ る。呼びかけなど相手 に声 をかけ る場合、談話 の 開始 に使 われ るような場合は、 自分 が相手の領域 を侵 してい るとい う認識 を示す ものであろ う。

また、 自分の存在その ものが相手 に迷惑 をかけてい る、 自分 に対 して相手 が配 慮 して くれた ことを 自分の過失 と して認識 しているとい うものまで含 まれ る。具 体的には、相手が しな くて もいい こと (当然性 が低 い) ことを自分のために して くれたと感 じた とき、その ような配慮 をさせてい ることを 自分側 の過失 の よ うに 感 じるとい うことである。 この場合、相手の してい ることが当然性 の低 い動作で あるに もかかわ らず、相手は自分 に対す る好意か ら行 ってい る、 自分 がその よ う な配慮 をさせてい ることに対 して、それを認識 してい る、それを 自分側 の痛み と して とらえてい ることを示す ことが 目的である。 ここがある意味では 「陳謝」で あ り、 「感謝」であるといえる場合であるが、 この場合、む しろ相手の行 った配 慮 に対 して 「感謝」 しているのであ り、その 「好意」はそ こで終 わ るのではな く、

継続 した ものだ とい う認識がある。それが、 「す まない」 とい うことであ り、 自 分、相手の行為はある意味で、 自分側 の 「借 り」 であって、いずれ何 らかの形で 相手に返 さねばな らない ものであるとい うことを 自分 が認識 してい ることを示 し ているわけである。 したがって、 この言葉 を言 うタイ ミソグと しては相手 の動作 が終わったかどうかはあま り重要ではな く、動作 の行われ る前であることもある。

(自分側の過失に対 して言 う場合には、その行動は既 に終 わ っていることが多い。

「すみませんで した」 はその意味で、 「すみ ません」 とは異 なってい る。 「すみ ませんで した」 はこの、 「感謝」 に見 える用法では使 われに くいだ ろ う。)

4 「あ りがとう」か 「すみません」か

相手の行為に対す る 「すみません」 は一見 「感謝」 ともとれ、 「あ りが と う」

との使 い分けがなされているところである。例 えば、 ものを もらった時 などは、

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「すみません」 と 「あ りがと う」 が同時 に出 ると思われ る。 それは、 ものをもらっ た こと (事実 、動作) に対 して 「あ りが と う」、 ものを 自分 に くれ るとい う配慮 を して くれた 「好意」、その よ うな配慮 を させて しまった ことに対 して 「すみ ま せん」 が出 るとい うことであ る。 ここで 「あ りが と う」 しかなか ったな らば、そ の人 が 自分 に何 かを くれ ることは当然であ るとみな してい る (当然性 が高 い) こ とを示 してい るといえる。子供 が親 か ら誕生 日のプ レゼ ソ トを もらった時 「すみ ません」 は出ない し、親 もそれを期待 しない。子供 が親 か ら誕生 日のプ レゼ ソ ト を もらうことは当然性 の高 い ことで あ ると考 え られ る。 しか し、毎年 プ レゼ ソ ト を交換 し合 うよ うな友人で ない、それほど親 しくない友人 か ら誕生 日プ レゼ ソ ト を もらった と した ら、 「あ りが と う」 と同時 に、 「すみ ません」 が出 るのではな いか。 これが旅行 のおみやげな どで あれば、小 さい もので も 「すみ ません」 が出 るだ ろ う。

同 じ教室 内での出来事で も、例 えば、教師の立場 と して、余 ったプ リソ トを学 生 が返 しに きた ら 「あ りが と う」 で応 じるが、講習会 、カルチ ャーセ ソクーの よ うな大人 を対象 に した場合 には、大人 の受講生 に対 しては、 「すみ ません」 が出 るのではないか。

バスで席 をゆず って もらった よ うな時は、当然性 の低 い ことを して くれた、そ の よ うな配慮 を させた ことに対 して 「すみ ません」 が出 る。 「あ りがと う」 だけ な ら、席 をゆず るのは当然 だ と思 ってい ることを示す ことになって しま う。従 っ て、 ここでは 「すみ ません」 が必須 なのであ る。

相手 が子供 の場合 は、 自分 に対す る配慮 とい う面 は考 えに くいので、 「あ りが と う」 が よ く使 われ る。 「すみ ません」 はお互 いの配慮 を よ く示す もので あるた め、子供 が使 うことも少 な く、 これが使 え るよ うになった時 が大人 の仲間入 りな のか もしれ ない。

「あ りが と う」 と 「すみ ません」 は同 じよ うな状況で使 われ、 どち らも 「感謝」

とされ るが、実際 には相手 と自分 との立場 、社会的役割 か ら生 まれ る当然性の違 いに よって使 い分 け られてい る。非 日本語母語話者 に対す る教育上 の配慮 か ら言 えば、 「すみ ません」 を 「陳謝」 と表すのは適 当ではない。 「感謝」 には 「あ り が と う」 と 「すみ ません」 があ り、状況 に よって使 い分 け られ ることを示す必要 があ ると考 える

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