栂
尾
高
山
寺
所
蔵
『阿
弥
陀
并
極
楽
証
文
』に
つ
い
て
1
浄
法
房
兼
海
と
密
教
浄
土
教
1
苫
米
地
誠
一 ( 論 文 要 旨 V 京 都 府 栂 尾 の 高 山 寺 に 所 蔵 さ れ る 『 阿 弥 陀 并 極 楽 証 文 』 は、 外 題 や 内 題 に 「 阿 弥 陀 并 極 楽 証 文 」 と あ り、 は じ め に 真 言 密 教 に 於 る 阿 弥 陀 仏 と 極 楽 浄 土 と を 説 く 経 軌 の 名 前 を 列 挙 し て い る が、 第 二 丁 以 降 は、 高 野 御 室 覚 法 法 親 王 が 久 安 六 (=
五 〇 ) 年 に 高 野 山 に 於 て 修 さ れ た 御 逆 修 の 唱 導 文 で あ る 。 而 も こ の 唱 導 文 は 興 教 大 師 覚 鑁 聖 人 の 潟 瓶 の 弟 子 で あ る 浄 法 房 兼 海 聖 人 の 作 と 思 わ れ、 こ れ に よ り 兼 海 聖 人 の 浄 土 教 を 考 え て み た い 。 栂尾 高山 寺所蔵 『阿 弥 陀并極楽証文 』 につ い て 一 、 はじ
め に京
都府
栂
尾 の 高 山寺
に所
蔵 さ れ る 『 阿 弥陀
并
極
楽
証 文 』 の 写本
一 冊 は、表
紙 の 外題
や 第 一 丁 の 内 題 に 「 阿弥
陀并
極 楽証
文 」 と あ り 、 は じ め に真
言 密教
に於
い て 阿弥
陀 仏 や 極 楽 浄 土 へ の 往 生 な ど を 説 く 経 軌 十 四本
の 名前
を 列挙
し 、 ま た第
一 丁 左頁
に は 「汎
字
説 文 」 と し て 『法
華
儀
軌 』 の 文 を 引 用 し て い る 。 而 し 第 二 丁 以 降 に 就 て は 、 そ の奥
書
に は 「去
康 治 二年
月
日
ζ
上 人滅
了 久安
六 年 六 月/
( 覺 法 親 王 )/
御室
御
逆修
唱導
誰
乎
可尋
之 ( 若是
兼
海
上 人 歟/
將
又寛
信
法務
歟/
可糺
之 ) 」 ( 括 弧中
は 細 字、 割 注 。 以 下 同様
) と あ り 、 ま た第
六 丁 左 頁 の 終 わ り に は 「 久安
六年
六 月 廿 七 日 御室
御
仏 事勤
之 」 と あ り、 こ れ が 仁 和 寺 第 四 世高
野 御 室覚
法 法 親 王 ( 一 〇 九 一 〜 一 一 五 三 ) が 、 巳 に 興教
大
師覚
鑁
( 一 〇 九 五 ー=
四 三 ) の 没 し た後
の 久 安 六 ( 一 一 五 〇 〉 年 六 月 に、高
野 山 に 於 て 修 さ れ た御
逆
修
法
要
の 唱導
文
で あ る事
が 知 ら れ る 。 従 っ て こ の 文献
は 正 し く は 「 久 安 六 年 高 野御
室御
逆修
法 要 唱導
文 」 と称
す
べ き で あ ろう
。 ま た こ の奥
書
で は 、 こ の 逆修
法要
は 既 に覚
鑁 入滅
の 後 で あ る か ら、 唱導
は誰
が 勤 め た の か 、兼
一107
一智 山学報第四十三輯 平成六年三月 海 上 人 か 、
寛
信 法務
か、尋
ね る べ し と し て い る 。 こ こ に は前
後
二 種 の 唱導
文 が 収 め ら れ て い る が、 共 に 同 じ 逆修
法 要 時 のも
の で あ り、 「禅
定 太 皇 」 が新
し く造
立 し た等
身 の皆
金色
の 阿 弥 陀 如来
像
と新
写 の 『法
華
経 』 八巻
『無
量
義 経 』 闘 観 普 賢菩
薩
行法
経 』 各 一 巻 とを
開 眼 し、 開題
す る 旨 を述
べ て お り 、後
に触
れ る 如 く 、久
安 六 年 六 月 の 逆修
法 要 で は そ の 七 日 目 と 結 願 の 三 七B
目 ( 二 十 一 日 目 ) と に、特
に 阿 弥 陀像
と 『 法 華 経 』 と の供
養 を修
し て い る の で、 そ の 二度
の 供養
法
会 の夫
々 の 唱導
文
と 考 え ら れ る 。ま た 、 こ の 文 献 に
関
し て は 、 既 に中
野 達 慧 氏 が 「 興 教 大 師 御撰
述 に 対 す る 書 誌学
的 研 究 」 の中
で、東
寺 観 智 院 金 剛 蔵 よ り 発 見 さ れ た 写本
に就
て 紹介
さ れ て お り、 そ の 外題
・奥
書
・ 内 容等
の報
告 か ら す る と、 こ の高
山 寺 所 蔵 写 本 と同
本
で あ る 。 而 し京
都府
教
育
委
員
会
編 『 東 甞 観智
院金
剛
蔵
聖 教 目 録 』中
に は、 或 は筆
者
の見
落
と し が あ る か も し れ な い が、 現 在 迄 の 所 、 「 阿 弥 陀并
極
楽
証 文 」 の 名 は 発 見 で き て い な い 。従
っ て こ れ ま で の所
で は、 こ の高
山 寺 蔵 写本
が 唯 一 で あ る事
に な ろう
。 二、覚
法
親
王
の高
野
山
に於
る
法
事
仁 和毒
第
四 世 で あ る 覚 法 法親
王 は白
河 天 皇 の第
四 皇 子 で、 兄 で あ る第
三皇
子 仁 和寺
第
三 世中
御 室 覚 行 法親
薫 ⊃ 〇 七 五 〜 一 一 〇 四 ) の 下 に 出家
し 、成
就 院 寛 助僧
正 ( 一 〇 五 七 〜 一 一 二 五 ) に就
き、 天 仁 二 二 一 〇 九 ) 年 に 伝 法 潅 項 を受
け、 仁 和御
流 の 流 祖 と な る 。 ま た 天 永 元 (=
一 〇 ) 年 に 小 野曼
荼
羅
寺鳥
羽 僧 正範
俊
( 一 〇 三 八 〜 一ヨ
=
二 ) か ら 小 野 流 を 受 法 す る 。高
野御
室
と称
さ れ 、高
野 山 に 対す
る信
仰
が篤
く
、高
野 躓 上 に仁
和
寺
の 別 所 と し て の 勝蓮
華 院 を 建 立 し、 示 寂 の後
は勝
蓮
華
院 に葬
さ れ た 。ヰ
覚
法親
王 は度
々 高 野 由 へ 参籠
さ れ て い る が 、 『 高 野春
秋
編 年輯
録
輪 に よ る と大
治 二 食 } 二 七 )年
十 一 月 に 白 河 院 と鳥
羽院
の 二 人 の 上 皇 が 高 野 登 山 を さ れ た時
に 従 わ れ、 こ れ よ り高
野 山 に留
住
さ れ、 こ の 事 に よ り 高 野御
室 と 一H108
一栂尾高山 寺 所 蔵 『阿 弥 陀并極 楽証文 』 につ い て
称
さ れ る よ う に な っ た と さ れ る 。 こ の時
の 両 塔 供養
で は座
主 三 宝 院 勝覚
が導
師 を 、検
校 阿 闍 梨 良 禅 が咒
願 を勤
め、奥
院納
経 供養
で は持
明 院真
誉
が白
河 院 の導
師、 聖仁
阿 闍 梨 が鳥
羽 院 の導
師 。 理 趣 三昧
で は 白 河 院 の 唱礼
師 を良
禅、鳥
羽 院 の 唱 礼 師 を中
川 上 人 実範
が勤
め た と さ れ る 。 ま た覚
法 親 王 は、 こ の後
、大
治 四年
二 月 に奥
院 の北
に御
室
庵
室
を 造営
し住
さ れ た と さ れ る が、 そ れ 以 上 の 記 載 は な い 。 而 し 『高
野 山 文 書 』 「 又 続 宝 簡集
」 三 十 の 「高
野 御室
御ヨ 参 籠 日 記 ( 御
室
御 所 高 野 山 御 参籠
日記
) 」 に は久
安
三 (=
四 七 ) 年 五 月 か ら 久 安 六 年 六 ・ 七 月 ま で の参
籠
の 記 録 が 残 さ れ て い る 。 こ の 記 録 に よ る と覚
法 親 王 は高
野 山 上 に於
て 多 く の法
事
を
修
さ れ て い る が 、 そ の中
か ら密
教浄
土教
に関
わ る 法 事 を 拾 う と次
の 如 く で あ る 。久
安 三 年 五月
の参
籠
で は 、 十 五 日 に 聖 人 三 十 六 人 に よ る 不断
尊
勝 陀 羅 尼 と金
剛 峰 寺 僧 六 口 に よ る 阿 弥 陀講
、 十 八 日 に 禅信
を導
師 と し て 阿 弥 陀 放 光像
の 供 養 を修
し て い る 。 久 安 四年
三月
の参
籠
で は、 十 七 日 に 塔 に 参 り、 二 十 四 口 聖 人 に よ っ て 百 日 の不
断
尊
勝
陀 羅 尼 を 始 め、 六 口僧
に よ り 阿弥
陀 講 。 同年
六 月 の 参籠
で は、 十 五 日 に 六 口僧
に よ り 阿 弥 陀 講 、 二十
六 日 よ り勝
蓮
華院
に逆
修
を始
め、 林賢
を導
師 と し、 金剛
峰
寺 僧 六 口 に よ り 三 尺 の尊
勝
像
を 供養
し 、 尊 勝 陀 羅尼
百遍
を
誦す
。 ま た 阿弥
陀講
を
行 じ、 毎 日 、 阿弥
陀絵
像 一体
と 『 理趣
経
』 『 阿弥
陀経
』 各 一巻
を 供 養 し、 ま た 阿 弥 陀悔
過 を 行 ず る 。 七 月 四 日 に 三 尺 阿 弥 陀像
一 体 と 色 紙 『 観無
量寿
経 』 一 巻 を供
養
、 七 日故
白 河 院 の 忌 日 に 十 二 口 の 聖 人 に よ り 一昼
夜
の 不 断尊
勝 陀 羅 尼 を 塔 に於
て 誦 せ し め る 。 こ れ は 院 の 忌 日 に仁
和
寺 に 於 て 行ず
る例
の 如く
で あ る と い い 、 そ の後
の 参籠
に も 不 断尊
勝 陀 羅尼
を
行 じ て い る 。 十 一旦
二 尺 弥勒
菩
薩
像
と 『 法華
経 』 一部
を 供 養 。 十 五 日 に 光 堂 に 阿 弥 陀悔
過 を 行ず
。 十 七 日 逆修
三 七 日 の結
願 に紺
泥 成 身 会 曼荼
羅
と 色 紙 『 理 趣 経 』 一巻
を 供 養 。 導 師 は 禅 信 で 「釈
経 之 詞、衆
人 感嘆
」 と さ れ る 。 一109
一智山学報第四十三輯 久 安 五
年
四 月 の 参籠
で は、 十 四 日故
御前
御
月 忌 に 六 口僧
に よ り 『 法 華 経 』 一部
を 講ず
。 十 五 日 塔 に 十 二 口 聖 人 に よ り 一 昼夜
不断
尊
勝 陀 羅 尼。 二十
二 日 よ り 故 御前
(白
河 院 ) の 為 に 阿弥
陀護
摩
を 行ず
。 こ の 間 に 四 月 十 日恒
例
の 舎 利 会 に導
師林
賢、 読 師行
恵 と し 、 五 月 五 日 別 所 聖 人 に菓
子等
を 分 与 、 八 日 別 所 聖 人 の中
の無
縁 の輩
に粮
米 を 引 く 。 九 日 長者
寛
信 が 林 賢 の執
行
職 を停
止 し 行 恵 に 改 補す
る 。 十 二 日 大 塔 に 落 雷 し、御
影
堂 を残
し 、大
塔
・金
堂 ・ 潅 頂 堂等
が 焼失
。 六 月 十 四 日 故御
前
御
月 忌 に 『 法 華 経 』 一部
を 供 養 、 阿弥
陀
三昧
を 行 じ、 十 二 口 別 所 聖 人 に よ り 一 昼 夜 不断
念 仏 、 十 五 日 毎 月 尊 勝 陀羅
尼
を 始 行 、 阿弥
陀講
を 行ず
。 七 月 七 日故
院
忌 日 に 別所
聖人
十 二 口 の 一 昼夜
不 断尊
勝
陀 羅 尼 と誦
経 。 十 四 日 故御
前
御
月 忌 に 『 法 華 経 』 一 部 供養
、 十 二 口別
所
聖 人 に よ り 一昼
夜
不断
念 仏、 十 五 日 恒例
尊
勝 陀羅
尼
を 始 め る 。 ま た こ の 日、 小 田 原教
懐
聖 人 堂 に於
て 七 口 聖 人 に よ り 盂蘭
盆講
を
、導
師 浄林
房、読
師 性蓮
房
、咒
願 大乗
房、 三 礼泉
勝 房、 唱 理覚
房、 散華
仏 厳 房 等 に よ っ て行
じ ら れ た 。 八月
四 日 阿弥
陀護
摩
と 百 万 遍念
仏を
結
願 す る 。 久 安 六年
六 月 の 参 籠 で は、 六 月 二 十 一 日 に 三 七 日 を 限 っ て 六 口 僧 に よ り 逆修
を 始 め、 維覚
を導
師 と し、 理 趣 会曼
荼
羅・ 『 理 趣 経 』 三巻
を 供養
し 、 供養
法
の後
に 諷 誦、 理 趣 三昧
、後
に 阿 弥 陀像
一体
・ 『 法 華 経 』第
一 巻 ・ 『 理 趣 経 』 三 巻 . 『 阿 弥 陀 経 』 三 巻 を 供 養 。 逆 修第
七 日 目 の 二 十 七 日 に等
身
皆
金色
阿 弥 陀像
一躯
・ 『 法華
経 』 一部
を兼
海 聖 人 を導
師 と し て供
養
。 七 月 八 日院
の御
祈 の為
に尊
勝
念
誦を
始
め 、 十 二 日 逆修
三 七 日 の 結 願 に、 先ず
兼
海
聖 人 を 以 て 等身
阿 弥 陀像
・ 『 法 華 経 』 ・尊
勝 陀 羅 尼 百 遍 を 供 養 し、 「説
法優
美
也 」 と さ れ る 。 次 に 理 趣 三昧
に よ り 結 願 。 ま た 十 五 日 に 七 人 聖 人 に よ り 孟 蘭 盆講
を 二 所 聖 霊 の為
に浄
林
房
を導
師 と し て行
じ、 次 に 十 二 口聖
人 に よ り 毎 月 恒 例尊
勝 陀羅
尼 を 始 め る 。 こ の 記 録 に よ る と、 久 安 六年
の 参 籠 に於
る 六 月 二 十 一 日 か ら 七 月 十 二 日 ま で の 逆修
法
要
に 於 て、 そ の 第 七 日 目 の 六 月 二 十 七 日 と 三 七 ( 二 十=
日 目 の 七 月 十 二 日 の 結 願 に、兼
海
上 人を
導
師 と し て、等
身
阿弥
陀 仏像
と 『 法 華 一110
一栂尾高山 寺 所 蔵 『阿 弥 陀并極 楽 証 文 』 につ い て 経 』 の 供 養 が 行 わ れ 、
導
師兼
海 の 説 法 が優
美
で あ っ た と 称賛
さ れ て い る 。 こ れ は 『 阿弥
陀并
極 楽 証 文 』 即 ち 『久
安
六年
高
野 御 室 御逆
修
法 要 唱導
文 』 の奥
書
と 一 致 し て お り、従
っ て こ の 『 御 逆 修 唱導
文 』 は 兼 海 の作
で あ る とす
る事
が で き る 。所
で 、 こ の 記 録 で は、 金 剛峰
寺 僧 に よ る 阿 弥 陀像
・尊
勝 像 ・ 弥勒
像
の 供 養、 阿弥
陀
講
、 阿弥
陀 悔 過、 『 法 華 経 』 ・『 阿 弥 陀 経 』 ・ 『 観
無
量 寿 経 』 ・ 『 理 趣 経 』 ・曼
荼
羅等
の供
養 と とも
に、 聖 人 に よ る 不断
尊
勝
陀
羅
尼 が 度 々修
さ れ て い る が、尊
勝 陀 羅 尼 は、 堕 悪 趣 の 罪 障 を 除 き、 極 楽往
生 の 利 益 の あ る 陀 羅 尼 と し て最
も多
く念
誦 さ れ る も の で あ り、 ま た こ の 陀 羅 尼 の念
誦 を 「念
仏 」 と 称 す る 例 も あ り、 久 安 五 年 六月
十 四 日 ・ 七 月 十 四 日 の 不 断 念 仏 も、 そ の前
後
の 記 録 か ら 見 て、 不断
尊
勝
陀
羅
尼 の 念 誦 で あ ろう
。 こ れ は故
臼河
院 の 亡 魂 精 霊 に 対す
る廻
向
で は あ る が 、大
乗
仏教
と し て の 廻 向 は 利 他行
でも
あ り、 当 人 に代
わ っ て修
し た 功 徳 を精
霊 に 廻 向す
る念
仏
を 、単
純 に 死 霊 鎮 送的
咒術
的
念
仏 と断
ず る 事 に は疑
問
が あ ろ う 。 ま た 阿弥
陀
像
・ 『 阿 弥 陀 経 』等
の供
養
と 共 に 『 法華
経 』 の 供 養 ・講
経 が行
わフ れ て お り、 更 に は 弥
勒
菩
薩
像
の 造 立 供 養 の 見 ら れ る こ と は、 覚法
親
王 の 浄 土教
が 『法
華経
』 信 仰 的 浄 土教
の側
面を
有
す
る 事 を 示 す も の と い え よ う 。ま た
尊
勝
陀 羅 尼 の念
誦
を
勤
め る 聖 人 達 は高
野 山上
に於
る 仁 和寺
別所
の 聖 人 で あ ろう
。 こ の 仁 和 寺 別所
は覚
法
親 王 の 建 立 し た 勝 蓮 華 院 とも
考
え ら れ る が 、 ま た密
厳
院 や 覚 皇 院 、 月 上 院、菩
提
心 院 な ど の大
伝 法 院 方 の 院家
も
や は り仁
和
寺
別 所 で あ っ て 、久
安 五 ・ 六 年 に 小 田原
谷 の教
懐 聖 人堂
に於
て行
じ ら れ た 盂蘭
盆講
出 仕 の 七 口 聖 人 は、 記 録 で は 「 実 名 知 らず
」 と さ れ る が 、 咒願
の大
乗
房
証 印 は 月 上 院 主 、 密 厳 院第
二 世 、第
六 ・ 十 五 代 伝法
院学
頭、 伝法
院
流
証 印 方 の 祖 であ
り、 覚 鑁 の 付法
の 弟 子 で あ る 。 ま た 散 華 の仏
厳 房 聖 人 は 九 条兼
実 の 帰 依 の 師 で あ り 、 『 十は
念
極
楽
易
往集
』 の 抄 出者
と し て 知 ら れ る が 、 や は り 第 十 一 ・ 十 八代
伝 法 院学
頭 で あ っ て、 『高
野 山 往 生伝
』 に よ ると 宝 生
房
教
尋
の 入寂
の時
に 随 侍 し た と さ れ 、 や は り 伝法
院 方 の学
僧
と 思 わ れ る 。 ま た 『霊
瑞
縁 起 』 に よ れ ば教
懐
111
智由学報第四十三輯 聖 人
堂
であ
る 浄 土 院 は大
伝
法
院
の 入箇
所 僧 院 の 一 と さ れ て お り 、 こ れ か らす
る と他
の 条林
房
、 性蓮
虜、泉
勝
厨 、 理覚
房
等
の 聖 人 も 伝 法院
方
の僧
侶
で あ る と考
え ら れ、覚
法
親
王 の 法事
に 勤 仕す
る 別所
聖 人ー
伝
法 院 方 僧 の 存在
と い うも
の が考
え ら れ よう
。但
し 先 に覚
鑁 と 共 に 根 来 に 去 っ て い た伝
法 院 方 の僧
達
は 、久
安
三年
六 月 二 十 西 日 の院
宣 と大
伝
法 院 座 主 禅 覚 ・ 別所
院
主兼
海 等 の 起 請 文 に よ っ て 帰 出 し た も の と考
え ら れ 、 そう
す
る と 久 安 三年
五 月 十 五 日 の 不 断尊
勝 陀 羅 尼 を 勤 め た 三 十 六 口 聖 人 は 伝 法 院 僧 で は な い の で あ ろ う か、 そ れ とも
こ の時
に 既 に伝
法院
僧
が 帰 山 し て い た の で あ ろ う か 。所
で 、覚
法 親 王 と 覚 鑁 方 と の 関係
に 就 て、 両 者 が 疎 遠 で あ っ た とす
る 説 が あ る 。 『 覚 鑁 上 入 縁起
』 に よ る と 、覚
鑁 は鳥
羽 法 皇 に 頼 っ て 諸 流 遍学
を
果 た そ う と し、 自 宗 に 於 て 醍 醐 座 主 三 宝 院 大僧
正定
海
( 一 〇 七 四 〜 一 一 四九
) と勧
修
寺
畏 吏 寛 信 法 務 ( 一 〇 入 四 〜 一 一 五 三 V と、 そ し て覚
鑁 に と っ て は寛
助 受 法 の 兄弟
子 と な る覚
法 親 王 と 仁 和寺
華蔵
院 宮 聖 恵 親 王 ( 一 〇九
四 ー 一 一 三 七 V か ち の 受 法 を 願 い、 そ れ を許
す 鳥 羽法
皇
の 返事
の中
に、 覚 法 親 王 に就
て は、覚
鑁 が 高 野 山 上 に復
興 し た 伝 法 大 会 を 喜 ば ざ る 人 で あ る か ら、受
法 は 出来
な
い で あ ろ う と 断 わ ら れ た と さ れ る 。櫛
田 良 洪 博 士 は こ の 記事
を 肯 定 さ れ 、覚
鑁 方 と は ま っ たく
異
な っ た 立 場 に あ っ た と さ れ て い る 。 而 し こ の 記事
は 『 霊 瑞 縁 起 』 に は 見 ら れ な い も の で 、 定 海 ・ 寛 信 か ら の受
法
が確
認 さ れ る も の の 、聖
恵 親 王 か ら の 受 法 の 記 録 も 存 在 し な い 。 そ も そ も覚
法 親 王 ・聖
恵 親 王 と も に 寛 助 の付
法
で あ り、 既 に 寛 助 よ り付
法 し た 覚鑁
が、 更 に改
め て 受 法 し よ う と す る事
は、 そ の様
な 重 受 の 例 が な い 訳 で は な い が 、 余 り 考 え ら れ な い事
で あ ろ う 。覚
法
親 王 は範
俊
か ら 小 野 流 を 相 承 し て は い る が 、覚
鑁
は 寛信
よ り 小 野流
を
受
法
し て い る の であ
る か ら 、 こ れ を覚
法
親
王 よ り受
け る べ き 理曲
は な い 。 即 ち こ の 『 上 人 縁 起 』 の 記 事 は信
用 し難
い と 思 わ れ る 。 ま た 既 に 見 て き た よう
に 覚法
親
王 の 法事
に 多 く の 伝 法 院僧
の勤
仕
し て い る事
は 、 仁 和 寺 門 跡 であ
る覚
法
親 王 と 仁 利 寺別
所
の 僧11
仁和
寺
僧
で あ る伝
法 院僧
と の 関係
が 緊密
で あ っ た と考
え る べ き相
当 な 理由
とな
ろう
。 一112
一栂尾 高山寺所蔵 『阿弥陀并極 楽証文 』 につ い て
三
、浄
法
房
兼
海
と
密
教
浄
土
教
久 安 六年
覚
法 親 王 の逆
修
法
要 に 於 て、 第 七 日 と 三 七 日 と に 供 養 を 修 し、 唱導
を勤
め た浄
法 房兼
海 は、 興教
大師
覚
鑁
聖 人 よ り伝
法
院流
の潅
頂
付 法 を 受 け た 伝 法 院 流 兼 海 方 の 祖 、 密 厳 院 院 主第
一 世、第
四代
大 伝 法 院学
頭 で あ り、ほ
覚
鑁
の 無言
行中
に随
侍
し た時
の 記 録 を 「覚
鑁 上 人 事 」 と し て 残 し て い る、 覚 鑁 の 瀉瓶
の直
弟 子 で あ る 。 こ ご で 『久
安 六年
高
野 御室
御
逆修
法 要 唱 導 文 』 ( 『 阿弥
陀并
極
楽 証 文 』 V に よ っ て、 こ の兼
海 の密
教
浄 土教
の 特色
を 、 師覚
鑁 の 浄 土教
と 比較
し な が ら考
え て み た い 。 勿論
、 資料
的
に 僅 か な も の で あ り 、兼
海
の 浄 土教
理解
の 全体
を
明 ら か にす
る事
は 出来
な い で あ ろう
。 ま た こ れ が覚
法 親 王 の 逆修
法
要 に 於 る 唱導
で あ る 所 か ら し て 、 そ の 逆修
法
要
を
行 っ た 覚 法 親 王 の信
仰
の 反 映 す る部
分 の存
在 が考
慮
さ れ る 。 先 ず 七 日 の 唱導
文 で は 、初
め に 着 座 ・普
礼
等
、次
に 開 眼 の為
に 仏 眼 真 言 ・ 大 日真
言
、次
い で事
由を
述
べ る と し て 「 弥 陀 羯 磨 の 聖 容 を黄
金
に磨
き、 『 妙 法 』 『尊
勝
』 の 真 文 を 素 紙 に 写 し て、 秘 密 の儀
軌
に 付 て 開 眼 ・ 開題
を
遂 げ、清
浄 の 叡 慮 を 廻 ら し て常
住
の 仏 徳 を 期 す 。然
れ ば 則 ち 現 に 宝算
を 遐 劫 に 保 ち、 久 しく
大 師 の 仏 法 を 弘 め 、 終 に 往 生 を 安養
に 遂 げ て、無
上 の 仏 果 を 成 ぜ む 。 」 と し て お り、 即 ち 金 色 の 阿 弥 陀 如 来像
を
造 立 し、 『法
華
経
』 『尊
勝 陀羅
尼 』 を書
写 し、 密教
の儀
軌
に よ っ て 開 眼 ・ 開題
を勤
め、 そ れ に よ っ て 現 に 寿 命 を 長 く し、 弘 法 大 師 空海
の 仏 法11
真
言密
教
を 弘 め、安
養
浄 土 (極
楽 浄 土 ) へ 往 生 し、無
上 の 仏果
を 成 じ よ う と す る 。 次 に 三 七 日 の 唱導
文 の 表 白 で は 「修
す
べ き も の は滅
罪 生善
の業
、勤
む べ き も の は抜
苦
与
楽
の 行 」 で あ り、 禅 定 太 皇 の 三 七 偏 の 逆 修 は 経 王 の 誠言
に依
り 、等
身 の 金色
阿弥
陀
像
を
顕 し、 大乗
の 妙典
十
軸
( 『 法華
経 』 開結
の 十巻
) を書
写 し て、 瑜伽
密
教
に 就 て、 開題
・ 開 眼す
る と し、等
身
の像
は 瑜伽
中
の 量 で あ っ て 、 入 我 我 入 の義
で あ り、曼
荼
羅
の行
は供
養 の 王 で あ る とす
る 。 こ こ で前
の 唱導
文 に見
ら れ る極
楽
浄 土 へ の往
生 は 、 現 身 往 生 か 順次
往
生 か は 明白
で は な い 。 而 し 阿弥
陀 如来
一113
一智山学報第四十三 輯
像
を羯
磨
曼
荼
羅 と し、 密教
の儀
軌
に よ る 事 を 主張
し て お り、 ま た後
の 唱導
文 に も 瑜 伽 密教
に よ る と し て お り 、等
身 の 量 と は 入 我 我 入 の 義 とす
る な ど、 密 教 に基
づ い た 浄 土 往 生 で あ る 事 は 明 ら か で あ る 。 ま た こ の 法事
そ のも
の が、 逆修
法
要
で あ る事
か らす
る と、 こ の 浄 土 往 生 は 順 次 往 生 と考
え る べ き で あ ろう
か 。 そ れ と 共 に こ こ で は 『法
華 経 』 の書
写
供 養 が 行 ぜ ら れ て い る点
が 注 目 さ れ る 。 し か も そ の 開 題 は 密 教 に よ る事
が 主 張 さ れ て お り 、密
教
に 於 る 『 法華
経 』 信 仰 の 問 題 が考
え ら れ な け れ ば な ら な い 。 こ こ で 唱導
の中
心 であ
る説
法 段、 開 題 の段
に 就 て 見 て み る と 、 先ず
七 日 の 唱 導文
で は 、 仏身
の 問 題 を中
心 に述
べ ら れ て い る 。 即 ち 「仏
は 仏 眼 大 日、大
日 を 読 み ( 談 じ ) 奉 る に 、 種智
万 徳 皆悉
く
円満
し て真
身
の 仏体
を
成就
し、 云 々 」 と い い 、 『 二教
論 』 『 声 字義
』 『吽
字
義
』 『 秘 鍵 』 『 金剛
頂 経 開 題 』等
、 空 海 の諸
著
作
を
典
拠
と し な が ら 、顕
密 二教
の教
主 の 仏身
の相
違 等、 空 海 説 そ の ま ま の教
判 論 を 述 べ、 そ こ で 「 弥 陀 仏 は 金剛
頂
五 智 三昧
の義
を 以 て無
量 光 の義
を 釈 す べ し 。 」 と し、 『 金 剛 頂 経 』 に よ る無
量甚
深 の義
理 功徳
は 五 種 三昧
・ 五種
光 明 に 摂 っ せ ら れ、 如来
無 量 の万
徳
は大
日 遍 照 の 法 界 体 性 三 昧 に 摂 っ せ ら れ る と し、 阿 弥 陀 如来
に 一 門 と 普 門 と の 二 種 の義
門 が あ る とす
る 。 即 ち こ こ で は 阿 弥 陀 如来
と 大 日 如 来 と を 一門
別
徳
と普
門 総 徳 と に よ っ て 解 釈 し よ う とす
る も の で あ り、極
め て伝
統 的 な 理 解 と 言 え よ う 。 そ し て、 三 七 日 の 唱導
文 で は 、 仏 に 自 性 ・ 受 用 ・ 変 化 ・等
流
法
身
の 四 種 法身
が あ り、 此等
の 四 種 法身
は 「 法 爾 法 然 に し て 三 世 に常
住 し、 法 界 に 周 遍 し て 平等
不 変 な る が故
に 、 皆 法 身 と 名く
る 歟 。 」 と い い 、 「今
の無
量 寿 仏 と は、 法 身 の 常恆
不壊
の徳
、 是 れ な り 。 然 れ ば 則 ち、 諸 仏 の 法 身 の名
を 得 る事
は、 皆 無 量寿
仏 の功
徳
な り 。 」 と す る 。覚
鑁 の 『虚
空蔵
宝劔
』 に も 「 帰命
」 の句
を 釈 し て 「命
」 を無
量寿
仏 と し 、 法身
の常
恆 不 壊 の徳
とす
る 。兼
海 の 理解
は こ の覚
鑁
説 を継
承 す る も の で あ る が 、 「 諸 仏 の 法 身 の 名を
得 る 事 は、 皆 無 量 寿 仏 の 功 徳 な り 。 」 と いう
主 張 は、兼
海
に よ る 発 展的
理 解 と い え よ う 。 一114
一栂尾 高山 寺所蔵 『阿弥陀并極 楽証 文 』 につ い て
め そ し て 『 観 無 量
寿
経 』 の中
に 阿弥
陀 一 仏 を念
ず
る 事 は 一 切 諸仏
を
念
ず
る事
で あ る と 見 え る の は こ の 故 で あ る と し 、 阿 弥 陀 は 大 悲 を体
と し 、 一 切諸
仏 は慈
悲
を 心 と す る か ら、 一 切 諸 仏 は 阿 弥 陀 を 心 とす
る の で あ り、 仏身
と い い 、 仏 心 と い う のも
、 阿弥
陀 の 功徳
に 外 な ら な い とす
る 。 こ の 阿弥
陀 を 諸 仏 の 慈 悲 心 とす
る解
釈 も 兼海
独自
の も の で あ ろう
。覚
鑁 は 阿弥
陀を
法 身 大 日 如来
の 妙 観察
智
と し、 専 ら智
慧 の 側 面 に 於 て 捉 え て お り 、 『 { 字 義抄
』 に は、 阿弥
陀
を受
用身
・ 利 他 門 の 仏 と し 、 「 大 悲 門 の尊
な る が 故 に 」 と は し て い る が、 こ れを
一 切 諸 仏 の慈
悲 とす
る 理 解 は見
ら れ な か っ た 。 或 は兼
海 は、 党 鑁 の 阿 弥 陀 を 大 悲 門 の尊
と す る 理 解 を 継 承 し て い る の か も 知 れ な い が 、 阿弥
陀
を
諸
仏 の 慈 悲 心 の 当 体 とす
る 事 は、 更 に そ の 理 解 を 進 め て い る と い え よ う 。 特 に兼
海 が 一 切 諸仏
と し 、大
日 如来
と し て い な い 事 は、 勿 論、 阿 弥 陀 即 大 日 の 立 場 か ら、 一 切 諸 仏 に 共 通 し、 遍 満す
る 大 日 如来
に 即 し て 阿弥
陀 を捉
え
て い る 訳 で は あ る が、覚
鑁
が 法 身 大 日 へ 一 元化
・ 集 約 化す
る の に 対 し、 こ こ に 見 ら れ る兼
海
の 立 場 は 一 切諸
仏
の 方 向 へ 拡 散 し て い る と言
え よ う か 。そ し て 『
潅
頂
経 』 巻 十 一 を引
い て、 仏 は 十 方 浄 土 へ願
に 随 っ て往
生す
る事
を 説 く が、 十 方 浄 土 に 若 し 差 別 が無
け れ ば、 何 故 に 経 典中
に 阿弥
陀
の 浄 土 を讃
嘆
す
る の か と い う 疑問
に 対 し 、娑
婆
世 界 の 人 は貪
渇
が多
く、 信 に向
か う も の は 少 なく
、 邪 見 を 習 い 、 正 法 を 信 ぜず
、専
一 にな
れ な い の で 、衆
生を
専
心 な ら し め ん が故
に、 阿 弥 陀 の 浄 土 を讃
嘆
す
る の で あ り 、 諸 の 往 生 者 は、 彼 の 願 に随
っ て果
を 獲 ざ る も の は無
い とす
る 。 そ し て此
の 説 に よ れ ば、 阿 弥 陀 が そ の余
の 仏 に 勝 れ て い る の は、 そ の 機縁
に あ る の だ とす
る 。 そ し て 『 心 地 観経
』 にも
同
じ 事 が 見 え、 先徳
も 、 阿弥
陀
以外
に、 た と え 余 土 ・ 余 仏 を 説 い ても
同 じ事
で あ る と す る と いう
説 を 引く
。 こ の箇
所 は、 全 く 慧 心 院僧
都源
信
の 『 往 生 要集
』 の 大 文 第 三 「 極 楽 証 拠 」 の 一 「 十 方 に 対 す 」 に 『 随 願 往 生 経 ( ー 『潅
頂 経 』 巻 十 一 ) と 『 心 地観
経 』 の 同 文 を 引 用 し て論
じ て い る の に 拠 っ た も の で あ り、 こ の 「 先 徳 」 は 源信
を指
し て い る 。 こ の よう
な 極楽
と 十方
浄 土 と を 対 比す
る問
題 意 識 は、 大 日 如 来 と 密 巌 浄 土 を中
心 とす
る 覚 鑁 に は 見 ら れ な か っ た も の で、 一115
一智 山学報第四十三 輯 こ こ に 見 ら れ る
兼
海
の 浄 土教
が 阿弥
陀 仏 を中
心 と し て い る事
の 顕 わ れ と い え よ う 。更
に、真
言 の 深 秘 の義
に よ れ ば 、 阿弥
陀仏
を 念 じ て 浄 土 へ 生ず
と 説 い て、 余 仏 を 表 さ ざ る事
は、 阿弥
陀 仏 は蓮
華
部
・ 大悲
行 願 の身
で あ り 、大
智
門 に は制
し て 開 け な い (智
を
主 とす
る 法 門 は 、機
根
の優
劣 を 簡 択 し 、制
し て 、 そ の法
門 を 秘密
と し、 開 授 し な い ) が 、大
悲
門 に は 開 け て 制 せず
、 十 悪 五 逆 の罪
障
や機
根 の 鈍 や 障 の 重 さを
い わ ざ る の であ
る と し、 諸 仏 の大
悲 は 済 度 さ れ る べ き衆
生 の存
在 に よ っ て 生ず
る の であ
り 、 衆 生 の 身 中 に は 煩悩
に よ っ て染
汚 さ れ ざ る 仏 性 の 蓮 華 が あ り、諸
仏 は こ れ を 加 持 し て大
悲 胎 蔵 に 引 入す
る の であ
り、 諸 仏 に は 皆 こ の大
悲 の徳
が あ っ て、 こ れ を 一体
に 密 合 し て 阿 弥 陀 仏 を 成 ず る の で あ る と す る 。 そ し て 阿 字 を 以 て 諸 字 の 本 とす
る 如 く、 一 切 諸 仏 の 随 願 往 生 の義
は、 阿 弥 陀 仏 の 三 摩 地 に よ っ て 顕 現す
る とす
る 。 一 則 ち 一 切 諸 仏 の大
悲 の徳
を 阿 弥 陀 仏 とす
る の で あ り、 十 方 浄 土 へ の往
生 も、 全 て 阿 弥 陀 仏 (11
法 身 大 日 の 大 悲 ) の 三 摩 地 に よ る と いう
の で あ る 。 ま た 阿弥
陀 仏 は法
部 で あ り 、 磯 字 を 法 体 と し、 一 切 諸 法 本 性清
浄
の義
を 顕 わ す の は こ の字
の 加 持力
に よ り、諸
法 が 一清
浄
の 法界
で あ れ ば、往
生 浄 土 も 頓証
菩提
も
簡
単 で あ り 、 こ の法
を ま た 観 自 在 王 と 名 付 け、 こ の 三摩
地 門 を 説 く を 『 妙 法蓮
華 経 』 と名
付
け る と す る 。 こ こ で 観 自 在 王 と は無
量
寿
仏ー
−
阿弥
陀仏
の事
で あ る が、 以 下 に空
海
の 『法
華
経
開 題 』 を 引 用 し て 『 法 華 経 』 が 阿弥
陀
仏
の 三 摩 地 門 であ
り蓮
華 三昧
で あ る事
が 説 か れ る 。 ま た こ こ で は 観自
在
王 如 来11
陬 弥 陀 仏 が 妙 観 察智
で あ る事
が 示 さ れ て お り 、 こ れ は 五仏
を 五智
に 配 当 し た時
に 阿 弥 陀 仏 が 妙 観察
智
に当
た る か ら で あ り、覚
鑁 も 空 海 説を
継
承 し て こ の 理 解 を 取 る 、更
に第
三 入 門 判 釈 の 段 で は、 『 法華
経
』 は 蓮華
三昧
を宗
と し て お り 、 そ う で あ れ ば 、依
・ 正、 浄 ・穢
、 す べ て が蓮
華 に 非 ざ る は な く、穢
土 も蓮
華
で あ り、 西方
浄 土 も 九 品 蓮 台 を 体 と し て お り、 一 切 は蓮
華 三昧
の 功 徳 で あ る と す る 。 そ し て 高 祖 大 師 空 海 の 除 災与
楽 の 道場
を
建立
し た 当 山 (高
野 山 ) は、 周 囲 の蓮
峰
は報
仏
の 華 台 を 表 し 、平
〜 正 の 幽原
( 盆 地 ) は 化 仏 の 浄 土 に 類 す る 日 域 ( 日本
国 ) の 仏 土 で あ り、 往 生 の 業 を修
す
の に適
し た 地 で あ っ て 、 〜 一 王16
一栂尾高山寺所蔵 『阿弥陀并極 楽 証 文 』 につい て
禅
定
太
皇覚
法 親 王 は こ こ に 証 (勝
)蓮
華 院 を 建 立 し、 そ の 荘 厳 は蓮
華 に 非 ざ る は な い とす
る 。 そ し て 蓮 華 三 昧 をぬ
修
す
人 は 人 中 の 分荼
利 花 で あ り、 『 観無
量 寿 経 』中
に念
仏 の 人 を 人中
の 分荼
利 花 と 称 す と 説 く と す る 。 即 ち こ こ で高
野 山 は 日 域 の 浄 土 で あ り、 往 生 の業
を修
す
べ き 地 で あ っ て、 こ こ に修
さ れ る 蓮華
三昧
11
『 法 華 経 』 の 三昧
は往
生 業 と さ れ る の で あ る 。 そ し て こ の蓮
華 三 昧 を修
し て 得 ら れ る悉
地 と し て 、現
世 に 歓 喜 地 を 証得
し、 即身
に 仏 道 を証
し、 現 世 に無
上覚
を証
得
す
る と し、 こ の悉
地 を得
て後
は、 十方
浄 土 に願
に 随 っ て 遊 暦す
る も の とす
る 。 そ し て 現 生 に 悉 地 を得
て後
に は 、 化 縁 が 尽 き れ ば 滅 に 非 ざ る に滅
を 現 じ て 極 楽 に 遊 ぷ の で あ り、 現 世 証 得歓
喜 地 の 後 の 十 六 生 と は 安 楽国
(極
楽
) であ
り、不
壊 の法
身
を
証 し て後
は 機 縁 に 随 っ て 生滅
を 現 ず る の で あ る とす
る 。 更 に 『法
華経
』 や 弥勒
の 三摩
地 、 一 字 頂論
王 の 三 摩 地 な ど、 現 生 成 仏 を 説 く が 、 独 り 阿 弥 陀 の 三摩
地11
『 法華
経 』 の み決
定
し て 上 品蓮
台 に 往 生す
る と 説く
事
は 、 世 間 の 人 に は 生 死 の 無常
を 観ず
る 時 に 遠 離穢
土 ・欣
求 浄 土 の 心 を 生 じ 、菩
提
心 を 発 起 す る 因 縁 と為
す た め で あ る が、 実 義 に は、 臨 終 と は 「 生 死 妄 想 の 心 の 終 る 時を
臨 終 と 云 」 い 、 往 生 と は 「 仏 菩 提 智 の 生ず
る と こ ろを
以 て 往 生 と 云 」 う の で あ る とす
る 。 即 ち 臨 終 と は 現 生 の 死 で は なく
、 往 生 と は 浄 土 へ 生 ず る 事 で は な く、従
っ て そ の往
生 は 順次
生 の往
生 で は な く、 現身
に 三摩
地 を 成 就 し、悉
地を
成 就 し て 不 壊 の 法 身 を 証 得 す る事
で あ り 、 現 身往
生11
現身
成 仏 で あ る 事 に な ろ う 。 そ し て 現 身 往 生11
即身
成仏
し て後
に は、 肉 身 の 生 滅 は機
縁 に随
順 し て 現ず
る の み と いう
事
に な り 、 従 っ て、 現身
往
生 し た 人 は 、 生 死 を超
越
し て 不滅
で あ る 事 に な る の で あ ろう
。 ま た こ の 立場
か ら、蓮
華 三昧
に よ り 即身
に無
量寿
を
証得
し、慈
尊11
弥
勒
仏
の 三 庭 に 至 り 仏法
を興
隆す
る事
は 、高
祖 大 師 空海
が肉
身
を 高 野 山 に 留 ど め て 三会
の 暁 を 待 つ が 如 く で あ る と し、無
量 寿 を 獲 得 し て 仏法
を 興 隆す
る事
こ そ 至要
で あ り 、 現 生 に 無 量 寿 の 三 摩 地 を 獲 得 す れ ば、 長 遠 の 寿 命 を 保 ち、 数 百 歳 の 後 に 安楽
国
に 遊 ぶ と す る 。覚
鑁 の往
生論
に於
て、往
生 と は 現身
往
生11
即 身 成 仏 で あ り、 兼 海 の 往 生 論 も こ れ を 継 承 す る も の と考
え ら れ る 。117
智山学報第四十三輯 而 し 「
仏
菩
提
智
の 生ず
る と こ ろ 」 を 往 生 と 云う
とす
る の は 、 往 生11
成 仏 の 意 味 か ち 当 然 と し て も、更
に 臨 終 を 「 生 死妄
想 の 終 る 時 」 と 定義
す る事
は 覚 鑁 説 に は 見 え な い 所 で あ る 。更
に 現 身 往 生 し た 人 が 願 に随
っ て 十 方 浄 土 に 遊 戯 し、 機 縁 に 随 っ て 生 死 を 現ず
る と いう
理 解 は、 台 密事
相
の大
家
で あ る 谷 阿 闍 梨皇
慶
の 口決
を集
め た 『 四 十 帖 決 』 に 「真
言 の 意 は 修 行 成 就 し て持
明 仙 と 成 り、 十方
に 遊戯
し て密
厳
浄 土 に 生 ず 。 之 れ を 以 て其
の 素 意 と 為 す 耳 。 」 と あ る 記述
と相
似 す る 。兼
海
は 十 方 浄 土 に 遊戯
す
る とす
る が、十
方
浄 土 は 密 厳 浄 土 の 中 に有
り、 現 身 往 生 の 浄 土 は 密 厳 浄 土 で あ る か ら、 皇慶
の密
厳
浄
土 に 生 ず る事
と 同 じ で あ ろう
。 更 に そ の 密厳
浄 土 の中
の 十方
浄 土 に 遊戯
す る と は 、皇
慶
が 十 方 に 遊 戯 す る と 言う
事
と 同 じ 事 に な ろう
。 ま た 皇慶
で は 持 明 仙 と 成 っ て 十方
に 遊 戯す
る の で あ る が、 こ れ は 『 大 日 経 疏 』 ( 『大
日 経義
釈
』 ) の 三 品悉
地 説 に 基 づく
も
の と考
え ら れ る 。 『 大 日 経 疏 』 で は 「 此 の中
に悉
地宮
と 言 ふ に 上中
下有
り 。 上 は謂
く
密 厳 仏 国、 三 界 を 出 過 し て 二乗
の 見 聞 す る を 得 る 所 に 非 。中
は 謂 く 十方
浄 厳 。 下 は謂
く
諸 天 修 羅 窟等
な り 。若
し 行 者、 三 品 持 明 仙 と 成 る時
、是
の 如 き悉
地宮
中
に 安住
す
。 」 と あ る 。 こ れ は 密 厳 浄 土 の 典拠
で も あ っ て 、 こ れ か らす
れ ば 密 厳 浄 土 ・ 十方
浄 土 へ往
生す
る の は 持 明 仙 と 成 る こ と であ
ろう
。 そ し て こ の持
明 仙 に 就 て は、覚
鑁
の 『打
聞集
』 の 五相
成身
観 に 就 て 述 べ る中
に、 持 明悉
地 の 身 は 即身
成菩
提
の身
と さ れ、 ま た 法 仏 の 位 を 証 し ても
、修
行
の 肉 身 を 以 て 結 縁 す べ き衆
生界
は 無 尽 で あ る か ら、 そ の身
を 捨 てず
、 更 に 生 を受
け る が 、 そ れ よ り は直
ち に持
明 の 身 を 以 て衆
生 を 化 度 し、 し かも
化 縁 の事
が 了 れ ば そ の 持 明 の 身 は 見 えな
く な り 、 見 えな
い が 故 に 凡夫
は 死す
と 思 う が、 持 明 行 者 は 十 方 に 化 を 設 け て、 其 の身
の 終 る こ と な く衆
生 を化
度
す る と さ れ る 。前
に も 述 べ た ご とく
、 こ の箇
所 の 記 述 に は 説 明 がザ 不 十 分 で 理
解
し 難 い部
分 が あ る が 、 こ こ で持
明 行 者 が 『 大 日経
疏
』 や 皇慶
の 言う
密 厳浄
土 へ 往 生 し た 持 明 仙 と 同 じ とす
る と、 そ の持
明行
者 が 身 の 終 る こ とな
く
十 方 に化
を設
け 、 し か も 化 縁 が尽
き れ ば そ の 身 が 見 え な く な り、 こ れ を 凡 夫 が 死 と 見 る と い う の は 、兼
海
が 、 現 身 往 生 し た 人 が 十方
浄 土 に 遊戯
し 、機
縁
に 随 っ て 生 死 を 現 ず る と 一118
一栂尾高山寺所蔵 『阿弥陀并極楽証文 』 につい て 述 べ る 所 と 全
く
一 致す
る事
に な ろう
。 とす
る と覚
鑁
に は 密 厳浄
土 往 生11
現 身 往 生 と 持 明 仙 の 記 事 と は 直 接 に は結
び 付 い て お らず
、兼
海
も持
明仙
と は言
っ て い な い が 、 こ こ に見
ら れ る兼
海
説 が 、覚
鑁 説を
継
承 し た 可 能 性 が考
え ら れ る 。 所 で こ の兼
海
の 唱導
文 で は 『 法 華 経 』 が 阿弥
陀 の 三 摩 地 門11
蓮
華 三昧
で あ り 、 こ の 三昧
を修
す
事 に よ り 極 楽往
生 を す る 事 が述
べ ら れ、 ま た 弥勒
の 下 生 を 待 つ 事 が 述 べ ら れ 、極
楽
往 生 と弥
勒
の 下 生 の 結 び 付 い た 『法
華 経 』信
仰 的 浄 土
教
の姿
が 表 れ て い る と い え る 。 先 に も 述 べ た 如 く 、覚
鑁
に も 『法
華経
秘
釈
』 が あ り、 そ こ で 空海
説 を 継 承 し、 空 海 の 『 法 華 経 開 題 』 を 引 用 し て 同様
に 『 法 華 経 』 を 観自
在
王 如来
ー
阿弥
陀 如来
の 三摩
地 法 門 とす
る 。 而 し そ こ で 経 題 の梵
字 を 九 仏 の 種 子真
言 と し て 解 釈 を 進 め、 こ れ を極
楽 浄 土 往 生 に 結 び 付 け る 事 は な い 。従
っ て 覚 鑁 に は 『 法 華経
』 と 浄 土教
と が 結 び 付 い た 『 法 華 経 』 信 仰 的 浄 土教
の 側 面 が 見 ら れ な い と い え る 。兼
海
に 見 ら れ る 『 法 華 経 』信
仰
的
浄 土教
が、 果 た し て兼
海
自
身
の 信 仰 で あ る の か、 ま た は こ の 逆 修 を 修 し た覚
法 親 王 の信
仰 の 反映
に 過 ぎ な い の か は 、 こ の 唱導
文 の み で は 明 ら か と は い え な い 。 而 し兼
海 が 『 法華
経 』 を 中 心 に こ れ だ け の 浄 土 往 生 論を
展開
し て い る事
は、兼
海
に と っ て も 『 法 華経
』 信 仰 的 浄 土教
と いう
も の が、 そ の 密教
浄 土 教 の中
で 大 き な 比 重を
占
め て い た よ う に 思 わ れ る の で あ る 。 最後
に 『 阿 弥 陀并
極
楽証
文 』 の 翻刻
を 掲 げ て お く 。 ま た本
稿
を作
成す
る に当
り 、高
山寺
聖教
の 調 査 閲 覧 と 掲 載 を 快 く 御許
可 賜 わ り ま し た 高 山 寺御
当 局 、 特 に は高
山寺
御
住
職
小 川 千 恵様
、 な ら び に 聖教
調 査 に 際 し て 種 々 御 高 配 賜 わ り ま し た 築島
裕 先 生 を は じ め と す る 高 山 寺 典籍
文書
綜
合
調 査団
の皆
様
方
に衷
心 よ り甚
深 の感
謝
を
申 し 上 げ ま す 。 一119
一智山学報第四十三輯 註 1、 『 法 華 儀 軌 』 、 不 空 訳 『 成 就 妙 法 蓮 華 経 王 瑜 伽 観 智 儀 軌 』 大 正 蔵 一 九 ・ 五 九 六 c 2、 中 野 達 慧 「 興 教 大 師 御 撰 述 に 対 す る 書 誌 学 的 研 究 ( 完 V 」 『 密 教 研 究 』 三 六 ( 昭 五 / 五 V