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中央学術研究所紀要 第9号 109勝山恭男「宗教協力の諸問題に関する一考察」

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Academic year: 2021

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︿平和﹀は人類共通の緊急の課題である。いまや我々は、核戦 争による人類絶滅の脅威をはじめ、社会的暴力、経済的不平等の 増大、環境汚染および精神的和廃などさまざまな問題をかかえて いる。このような情況は人類にとって未曾有の危機であり、この 危機を克服し︿平和﹀を実現するためには、諸国民、諸民族およ び各分野の協力一致した努力が不可欠である。

研究ノト

宗教協力の諸問題に関する一考察

一宗教協力の新しい目覚め 一宗教協力の新

二聖書とコラ

三仏教経典から 四教学と実践の 教学と実践の両面にわたって 聖書とコランから 宗教協力の新しい目覚め 宗教は、本来、人間の幸福、人類の救済のためにあるが、今日 の人類の危機的状況の中にあって、︿平和﹀の実現のためにいか に貢献することが出来るのであろうか。︿平和﹀への貢献は、世 界の諸宗教にとって今やもっとも重要な課題である。 一九七○年京都で開催された世界宗教者平和会議は、この課題 に対して、世界の諸宗教の指導者を一堂に会する試みとして歴史 的意義をもつものであった。 この会議で採択された京都宣言は次のようにいう。

恭男

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﹁我々は、世界の諸宗教が、平和実現のために真に重要な役割 を果しうることを確信して世界各地から京都に集った。我 々は、緊急を要する平和問題を前にして、会合を重ねるにつれ て、我々を分裂させるものよりも、結合させるものの方が、よ り重要であることを見出した。すべての宗教者は男女を問 わず、平和と平和達成のために心を致し、平和のしもくとし て、全身全霊をもって働く特別の責務を与えられていると、我 ︵1︶ 々は信ずる﹂ この後一九七六年シンガポルで開催されたアジア宗教者平和 会議では、 ﹁諸国民の間における公正かつ恒久的平和のために、宗教と宗 教協力が不可欠のものであることをここに確信し、かつ宣言す る。正義と平和の追求にあたり、われわれは、宗教的信仰の多 様の中に、目的の一致をお互いに発見した。われわれは、 宗教間の理解と諸宗教の協力を、平和にいたる新たな道として ︵2︶ 開拓すべき使命を自覚する﹂と。 過去の宗教の歴史は、宗教者が自己の信ずる宗教を絶対化する あまり、しばしば他の宗教を外道異端として排するものであっ た。しかし、世界宗教者平和会議における宣言は、今日の人類の 危機を克服して︿平和﹀を実現するために宗教が協力一致してあ たるべきことを宗教者の新しい使命であるとうたい、宗教間に相 互理解と協力の新しい歴史を開こうとするものである。 世界宗教者平和会議の呼びかけに応じて、宗教協力の運動はや キリスト教は従来他教に対してもっとも不寛容の宗教であると きれてきた。 しかし、アレクサンドリアの教父クレメンス︵Qの日①ロ“油田弱︶ は﹁神的なロゴスは、旧約聖書の福音の歴史のうちにのみ現われ るのではない。それは予言者を通じてユダヤ人にのみ特殊な仕方 他の宗教に対する寛容乃至宥和の精神はほとんどすへての宗 教の教えの中に見出すことが出来るが、本稿ではキリスト教、イ スラム教および仏教の三宗教について考察する。 における宗教者の中心的課題となった。 り、︿平和﹀のために世界の諸宗教が相提携すべきことは、今日 点を互いに見出そうとする新たな目覚めと気運がおこりつつあ 間には過去に根ざす僑慢と偏見を克服し、各自の信仰の栄光と美 がて徐々に世界の諸宗教に影響を及ぼした。いまや世界の諸宗教 しからば、教義や伝統をおのおの異にする世界の諸宗教が、寛 容と宥和の精神を培い、相互の理解をふかめ協力提携していくこ とが、いかにして可能であろうか。 各宗教の教えは、どのようにこの問いにこたえ得るのであろう か。それぞれの宗教信仰の原点である聖典の中に異なる宗教・思 想に対する寛容と宥和の精神を見出し、宗教協力の可能性の一端 をたずね求めることはきわめて有益のことと思われる。 二聖書とコランから llC

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宗教協力の諸問題に関する一考察 で呼びかけているだけでなく、神の真理の火花は異教の哲学のう ちにもかがやく﹂と主張し、さらに﹁インド人の哲学﹂なるもの に言及して、かれらの教えおよび生活がキリスト教のそれとよく 一致することを指摘し、それを神のロゴスが異教徒のもとにあつ ︵3︶ ても現存し、はたらいていることの証拠と解したようである。 ヨハネの福音書は次のように説く。 ﹁初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。こと ばは神であった。 この方は、初めに神とともにおられた。 すべてのものは、この方によって造られたもので、この方に よらずにできたものは一つもない。 ︵4︶ この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった﹂ ︵一・一’四︶ ﹁すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしてい た。 ︵別訳︶ まことの光があった。それは世に来て、すべての人を照らす ものである﹂︵一・九︶ ﹁ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこ の方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとりの子として の栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた﹂︵一・ 一四︶ すなわち、神の言葉は全世界を被い、すべての人びとを照らす 生命の光であって、それは他宗教の人びとにも及ぶものである。 イスラム教においては、神の導きは、神の使者および予言者を 通じて、人類の雅史を通じ、各時代にあらゆる民族に対して現わ されるとい宏フ。 コランは次のように語る。 ﹁いかなる民族のところにも必ず警告者が行っておる﹂︵三五・ 一一一一︶ ﹁汝らはこう唱えるのじゃ、﹃われらはアッラを信じ、われ らに啓示されたものを、またイブラヒムとイスマィルと ヤアクブと︵イスラエルの十二︶支族に啓示されたものを、ま たムサ︵モセ︶とイサ︵イェろに与えられたものを、ま たすべての予言者たちに神様から与えられたものを信じます﹄ と﹂︵二・一三○︶ さらにコランは、聖書に述べられている数名の予言者たちの 名をあげたのち、つぎのように命じる。 ﹁ともかくこの人々はアッラの御導きを受けた人間ばかり 故、お前︵マホメット︶も彼らの導きに従うがよい﹂︵六九・一︶ したがってすべての宗教の中に真理性﹄霊性を見出すことが可 能であり、また他宗教は人びとをまことの神の道へ導く一階程で あるとみて、これを尊敬すべきであるとする。一方、人間の償い のために神の言葉がこの世に肉体となって現われたとする救済観 を強調して、キリスト教の特殊性および独自性を主張するのであ ︵5︶ ブつ。

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右の融用はほんの一例にすぎないか、従来とかく他宗教に対し て不寛容であるとされたキリスト教およびイスラム教において も、寛容と宥和の精神の萌芽をみることが出来るのである。 寛容と宥和の精神は、仏教においてはきわめて顕著である。 原始仏教経典のスッタニパタでは、自己の見解に執若し、自 己を絶対化することをきびしく戒めて次のように説く。 ︵7︶ ﹁真理は一つであって、第二のものは存在しない﹂︵八八四︶ 弓この︵わが説︶以外の教えを宣説する人々は、清浄に背き、 完き人︵如来︶ではない﹂と、一般の諸々の異説の徒はこのよ うに説く。 かれらは自己の見解に耽溺して汚れに染まっているが故であ る。 ここ︵わが説︶にのみ清浄があると説き、他の諸々の教えには 清浄がないと言う。 このように一般の諸々の異説の徒は執著し、かの自己の道を堅 くたもって論ずる。 のとされ、尊敬、尊崇されるべきである、とされる。 されているのであって、すべての偉大な宗教は神に起源をもつも かぎらず数多くの予言者および神の使者によって諸民族にもたら すなわち、イスラム教においては神の啓示峰マホメッ卜に 三仏教経典から 大乗経典の中でとくに法華経瞳宥和の精神において徹底して いる。 法華経迩門の中心思想である﹁開三顕一﹂すなわち三乗を開会 して一乗を開顕する教説について考察しよう。 ﹁如来は但一仏乗を以ての故に、衆生の為に法を説きたもう。 ︵8︶ 余乗の若しは二、若しは三あることなし﹂ ﹁諸の衆生に種々の欲・深心の所著あることを知って、其の本 性に随って、種々の因縁・警諭・言辞・方便力を以ての故に、 而も為に法を説く。舎利弗、此の如きは皆一仏乗の一切種智を 得せしめんが為の故なり。舎利弗、十方世界の中には尚お二乗 ︵9︶ なし。何に況んや三あらんや﹂ ﹁劫の濁乱の時は、衆生垢重く樫貫嫉妬にして、諸の不善根を 成就するが故に、諸仏、方便力を以て、一仏乗に於て分別して ︵、︶ 三と説きたもう﹂ すことがない﹂︵八九一八九四︶ 一切の︵哲学的︶断定を捨てたならば、人は世の中で確執を起 世の中で論争をなすに至る。 ︵学説の︶決定に立ってみずからよく量りつつ、さらにかれは はみずから確執をもたらすであろう。 他︵の説︶を愚かである、不浄の法であると説くならば、かれ 者であると見なすことができようぞ。 自己の道を堅くたもって論じているが、ここに他の何ぴとを愚 11藍

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宗教協力の諸問題に関する一考察 すなわち、如来は一仏乗という仏になるための教えを人々のた めに説くのであって、他に第二、第三の教えというものはない。 如来は、人間のさまざまな慾望、深心の所著を見とおして、人々 の本性、機根に応じて、さまざまな巧妙な手段、方便を用いて法 を説くが、究極的には一切を知ることに達する仏の智慧を得させ るためである。乱れた時代においては人々は罪ぶかく、貧欲、嫉 卿にして、我慾、侃見にとらわれているので、諸仏は、巧妙な手 段、方便を用いて、一仏乗の教えを三つの乗物の教えに分別して 説くのである。 ここで三つの乗物の教えとは、声聞、縁覚、菩薩の三乗であっ て、仏教における三種の修行の在り方を説くものであるが、法華 経以前においては一般に別々の教えと考えられ、時に対立をみる こともあった。しかし法華経においては、この三つの実践の在り 方が、衆生の心の願いや機根に応じるための方便として説かれた ものであって、究極的には一乗に帰することを主張し、そのいず れにも意義と役割とを認めて、すべて仏の慈悲に救われると説い たのである。すなわち、﹁三乗方便一乗真実﹂を説き、さらに﹁方 便即真実﹂であると主張するのである。ここに法華経の徹底した 宥和の思想を見ることができる。 さらに法華経以後の経典においては、この思想を発展させて 仏教以外の思想についてもその意義を認めるに至った。 大薩遮尼乾子所説経においては ﹁第一義とは唯一乗のことなり。︵何となれば︶更に︵その他 に︶第二のもの無きが故に。わが仏国土のあらゆる外道︵すな わち︶サンキャ、ヴァイシェシヵ、チャリヵ、ニルグラ ︵u︶ ンタなどは、みな諸仏如来の方便なり﹂ 大般浬盤経においては ﹁仏またカシャパ︵迦葉︶に告ぐ、あらゆる種々の異端・呪 術・言語・文字は、みな仏説にして外道の説に非ず﹂ 大智度論においては ﹁世の諸の善き語はみな仏法より出づ。善き説にして失なく過 なきものは仏語なり。余処には善にして過ち無き語ありといえ のこり︵過︶ ども、一切皆仏法の余なり﹂ この立場においては、仏教はもはや外辿に対立した特殊な思想 ではなく、絶対の真理そのものであり、仏教以外の思想は、究極 の真理の顕現した一面であって、仏教と外道とが別であると見る のは相対的な見解であって、もし絶対内立場から観照するなら ば、宇宙の間には唯だ−つの真理があるのみであると、考えてい ︵u︶ たのである。 さらに法華経の本門においては、如来寿量品において釈迦牟尼 仏の久遠実成が開顕された後、如来は衆生の機根に応じてもろも ろの経説を説くが、それ等はすべて真実であって虚妄ではないこ とを次のように教示する。 ﹁猪の善男子、如来の波ぷる所の経典は、皆衆生を度脱せんが

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為なり。或は己身を説き、或は他身を説き、或は己身を示し、 或は他身を示し、或は己事を示し、或は他事を示す。猪の言説 ︵喝︶ する所は皆実にして虚しからず﹂ この経説は或が六つあるので﹁六或示現﹂といわれ諸説の解釈 がある。 ﹁己身を説く﹂とは本仏釈尊が自らの因縁を説くこと、﹁他身 を説く﹂とは本仏が阿弥陀仏、薬師如来等の他の相をとって現わ れた諸仏の因縁を説くこと。 ﹁己身を示し﹂とは本仏が仏の身としてこの世に現われること で、インド出現の釈尊を示し、﹁他身を示す﹂とは本仏が阿弥陀 仏、阿閑仏等となって現われること、或いは聖人・賢人としてこ の世に現われることをいう。 ﹁己事を示す﹂とは仏の事業すなわち成道、説法、浬盤等を示 し、或いは仏の慈悲を﹁順﹂のかたちで示すこと、﹁他事を示す﹂ とは稗薩乃至地獄の衆生の事業を示し、或いは仏の慈悲を﹁逆﹂ のかたちで示すことである、と解釈される。すなわち、仏の慈悲 が順逆いずれのかたちにおいても現われるが、本仏を信ずる者に は、それらの現象をすべて仏の慈悲の説法として受け取ることが 出来るので、人生の善悪・苦楽を克服する力が与えられるのであ る。 この解釈によれば、仏教経典で説かれる諸仏はすべて本仏釈尊 に帰一され、さらに仏教以外の聖人・賢人もまた仏の現われであ り、その教えも仏の教えの現われにほかならない。したがって、 諸宗教の聖典の中に異なる宗教・思想に対する寛容および宥和 の精神の萌芽を見出すことは、前項までの考察によって明白であ るが、現実の宗教協力を一層力強く推進していくためには、各宗 教および各宗教間における対話と交流が、教学と実践の両面にわ たって継続的に行われなければなるまい。 宗教間の対話と交流を進めるにあたっては、従来の伝統的な教 学の体系や神学の組織を超えた新しい祝雁が要求されるであろ う。その視座を先ず現実の人間の間脳に即して設定することが、 各宗教が共通の立場において問題に取り組み得る有効な手段のよ うに思う。 一例として、ここに三つの問題を提示する。第一は、﹁人間と は何であるか﹂という問題である。各宗教が人間について徹底し た主体的反省を行い、さらに人間によって構成される﹁人間社 会﹂についての問題把握と、人間を取り巻く﹁人間環境﹂につい ての問題把握を行うことである。 第二は、﹁人間の願いは何か﹂という間脳である。人間にとっ て人間の幸福ほど願わしいことはあるまい。人間の幸福を、﹁人 が可能となるのである。 的な対立を超えた、絶対的な立場における統一的な世界観の確立 いて、究極の真理の一分を具現するものであって、そこには相対 仏教以外のすべての宗教および思想はそれぞれの立場害立場にお 四教学と実践の両面にわたって 114

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宗教協力の猪問題に関する一考察 間仙人﹂にかぎらず﹁人間社会﹂と﹁人間環境﹂をふまえて洞察 する場合、それはく平和﹀という言葉におきかえることも可能で あろう。 この人間の願いについて、それを具体的に解明することであ る。 第三は、この人間の願いを実現するために﹁われは何を為すべ きか﹂という問題である。宗教者としてまた人間としての実践の 課題である。実践の課題は、単に規範的な規定だけでは用をなさ ない。﹁われは何をなし得るか﹂を現実に即して解明し、且つ行 わなければならないのである。 さて、これらの問題は、宗教者に限らず嫁仙界の諸国民、諸民族お よび各分野における指導者の等しく取り組むべき人類共通の課題 であろう。宗教者としてはなおの事である。何となれば宗教者は ﹁宗教のいかんを問わず、我々は全人類と一体であり、人類の問 ︵Ⅳ︶ 題はすべてまた我々の問題であることを認識する﹂べきであり、 さらに﹁平和のしもくとして、全身全霊をもって働く特別の責務 ︵略︶ を与えられている﹂からである。 おわりに︿平和﹀のための宗教協力に取り組むにあたって、宗教 者として自覚すべき基本的な姿勢があるように思われる。それは ﹁我は何を以て宗教者と呼ばれ得るか﹂ということである。法服 を着たからと言って宗教者ではなく、儀式を執り行うからと言っ て宗教者でなく、経典を読涌するからと言って宗教者ではあり得 ない。宗教者とは、それぞれの信奉する宗教の教えを己の人生の 一実践原理﹂としてふみ行う者である︾仏教者は仏陀の教えを キリスト者はイエスの教えをそれぞれ己の人生の実践原理として ふみ行うことである。 イエスは弟子たちに訓した。 ﹁わたしに向かって、﹃主よ、主よ。﹂と言う者がみな天の御国 にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行 ︵岨︶ なう者がはいるのです﹂ また仏陀は、比丘たちに語った。 ﹁他人に行乞するのゆえをもって、人は比丘たるのではない。 行乞のゆえに、しかるのではない。ただ、一切の法を服暦せる ︵別︶ 者のみが比丘である﹂と。 仏教者とキリスト者は、それぞれ相異なる宗教を信奉する者で ある。しかし、彼らが真に仏教者と呼ばれ、また真にキリスト者 たる事において、両者の相対的な相違は超克され、絶対的な立場 において一致を見出すことが可能となるのではあるまいか。ここ にこそ宗教協力の要諦が在るといえよう。 宗教者がそれぞれの信ずる宗教に徹し切ることによって推進さ れる︿平和﹀のための宗教協力の運動は、人類の相互理解と一 致、および世界平和を実現する上で、はかり知れない貢献をもた らすであろう。 ︹参考文献︺ 本稿をまとめるにあたり、次の文献から多大のご教示を頂戴した。 著者の方々に対して深甚の謝意を表する次第である。

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三イン序思想の諸問題﹂中村元著 ﹁インドとギリシャとの思想交流﹂中村元著 ﹁仏教とキリスト教の比較研究﹂琳谷文雄著 ﹁法華経の新しい解釈﹂庭野日敬著 ﹁世界宗教者平和会議・会議記録﹂枇界宗教者会議日本委員会編 ﹁アジア宗教者平和会議・決定事項﹂世界宗教者会議日本委員会編 ︹注︺ ︵1︶世界宗教者平和会議・会議宣言︵同会議記録一七三頁︶。 ︵2︶アジア宗教者平和会議・会議宣言︵同決定事項一七、一八頁︶。 ︵3︶中村元著インドとギリシアとの思想交流二○九頁以下。 ︵唯︶ ︵皿︶ ︵B︶ ︵皿︶ ︵略︶ 〆 ー 、 10 、=〆 ︵9︶羅什訳、方便品第二、大正蔵九巻七頁中。訓訳平楽寺書店版 ︵8︶羅什訳、方便品第二、大正蔵九巻七頁中。訓訳平楽寺書店版 ︵7︶中村元訳、以下同じ。 ︵6︶井筒俊彦訳以下同咋︵6︶井筒俊彦訳、以下同じ。 ︵5︶ロ同シ制吾員巨幻画日のg訓義。 ︵4︶新改訳聖書刊行会訳一以下同じ。 羅 中 大 大 大 六 羅 六 什 村 正 正 正 八 什 八 訳 元 蔵 蔵 蔵 、 訳 頁 、 亘 竺 六 、 。= 白 羅什訳考 六七頁。 六九頁。 インド思想の諸問題二四五頁。 如来寿量品第十六、大正蔵九巻四二頁下。訓訳平楽寺 二五巻六六頁中。 一二巻六五三頁下。一二巻六五三頁一 九巻三二六頁中塗一 方便品第二、大正蔵九巻七頁中。訓訳平楽寺書店版 ヘ ヘ ヘ ー 、 20191817 … … 、 〆 ︵妬︶ 書店版二七四、二七五頁。 法華文句十上、義疏巻十、玄賛九末。坂本幸男訳注、法華経 三四二頁。庭野日敬著法華経の新しい解釈三八四、三八五 頁。 第二回世界宗教者平和会議・会議宣言︵同決定事項一三頁︶c 世界宗教者平和会議・会議宙言︵同会議記録一七三頁︶。 マタイ伝七・一二・ 小部経典法句経二六六︵南伝大蔵経二三巻五八頁︶。 115

参照

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