• 検索結果がありません。

に成功している 同様に 宗教を内面的なものとしてのみ捉えるのではなく 社会や国家を変革していく政治的で生きた信仰を実現するのに成功している しかし同時に 偏狭なナショナリズムを逸脱 超越するような普遍性を独自に創出することはかなわず 総力戦時には国家に組み込まれることにもなった 戦後のアメリカ的なキ

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2022

シェア "に成功している 同様に 宗教を内面的なものとしてのみ捉えるのではなく 社会や国家を変革していく政治的で生きた信仰を実現するのに成功している しかし同時に 偏狭なナショナリズムを逸脱 超越するような普遍性を独自に創出することはかなわず 総力戦時には国家に組み込まれることにもなった 戦後のアメリカ的なキ"

Copied!
7
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

立教大学異文化コミュニケーション学部 公開シンポジウム

国家・宗教・文化--キリスト教と日本の出会い

東京基督教大学 加藤喜之

キリスト教という宗教は日本とどのように関係してきたのだろうか。「キリスト教」も「日本」も時 間とともに変化し続けるものなので、歴史のなかで両者がどのように交流してきたかに注目しなけれ ばならないだろう。それゆえ本発表の前半では、日本におけるキリスト教の展開を戦国末期、戦前、

戦後の三つの局面を通して概観していく。後半では、キリスト教との出会いを通して見えてくる日本 人の宗教性と日本文化の発展について考えてみたい。

キリスト教と日本の出会いは歴史上三回あった。一度目は、戦国末期にイエズス会の宣教師たちが 西国を中心に行った布教活動である。彼らの宣教は、秀吉そして江戸幕府による禁教によって大打撃 を受けるまでは、乱世に苦しむ多くの人の心をつかむことに成功した。文化的にも初期近代・ルネサ ンスの書物や科学思想が翻訳され、キリシタン版という日本で初めての印刷機を使って刷られた書物 を通して流通することになったのである。多くの大名たちも、信仰心と貿易の活路を開くことを可能 にした宣教師たちのネットワークをもとめて、ローマ・カトリシズムに入信していった。しかし秀吉 の武力によって新しい秩序が構築されていくなか、特に西国と西欧の結託を恐れ、キリスト教の布教 は禁止される。江戸幕府は、禁教政策を強めキリシタン弾圧に着手することになり、1650年代までに は鎖国と仏教による民衆の徹底的な思想統制を行った。

幕末になり、開国を迫った諸外国は貿易とともにキリスト教諸派の布教活動も持ち込むことになる。

なかでもアメリカの宣教師たちのもたらした十九世紀的なプロテスタンティズムが新政府と戦った旧 幕臣を中心とする武士階級に受けいれられ、やがて神道や仏教とならび大きな社会的影響力を持つよ うになった。今日でも信者の数においては1パーセントに達しないといわれているが、立教大学を含 めて、高等教育の分野ではこの時代に導入されたキリスト教の文化的影響が色濃くのこっている。

第三の出会いは、敗戦と占領政策を通して勢力をのばしたアメリカの福音派とよばれる保守的なプ ロテスタント教会とである。大衆をターゲットにした伝道が特に戦後の混乱期には多くの信者を獲得 した。しかし、冷戦期のイデオロギー対立のなかで独自色を打ち出すことに失敗し、また高度経済成 長のなかで労働環境と教会活動に齟齬が生まれ、信者の数がのびることはなかった。

このようにキリスト教と日本の出会いを概観していくなかで、日本人の宗教性の特色と日本文化と の関係をみることはできるのだろうか。実利的で宗教に対してアレルギーをもっているとされる日本 人だが、歴史を紐解いてみるとこれは必ずしも正しくない。動乱のなかの戦国期においては、瞬く間 に多くの人々が様々な理由からキリスト教に入信した。宣教師たちの残した手紙から、入信した多く の日本人は宗教的に実直であり霊性に深い理解を示したことがわかっている。また徳川時代には、凄 惨を極めた殉教をも恐れない日本人信者が多くいたのも事実である。ここから命を賭して宗教を信じ、

その信仰心のために死をも厭わなかった日本人の宗教性がみえてくる。

明治維新以降においては、日本人キリスト者が記した書物から、より明確に日本人の宗教性の特徴 を理解することができる。特筆すべきことは、列強の宗教であったキリスト教を民族的なものとの融 合を通して独自のものに昇華していったことであろう。早い段階から明治期のキリスト者たちは、宣 教師や外国からの援助に頼らない主体的な教会や教育機関を組織することを目指しており、その事業

(2)

に成功している。同様に、宗教を内面的なものとしてのみ捉えるのではなく、社会や国家を変革して いく政治的で生きた信仰を実現するのに成功している。しかし同時に、偏狭なナショナリズムを逸脱・

超越するような普遍性を独自に創出することはかなわず、総力戦時には国家に組み込まれることにも なった。

戦後のアメリカ的なキリスト教の伝来時にも、明治期からの伝統を受け継ぎながら、アメリカの霊 性と一線を画した宗教性を育成している。熱狂的なキリスト教が持ち込まれ、それに感化されること もあるが、しばらくすると学究的にその宗教を考察して、冷静に捨象していくのも日本人の宗教性の 傾向である。また、日本的な資本主義によって地域社会や家族の紐帯が弱められていく中で、キリス ト教会は信者たちに地域や家族愛の重要さを説いてきたことも認められるべきであろう。

これらのことから、知性を伴った信仰心と共同体の重視が、キリスト教との出会いの中で見いだす ことのできる時代を超えた日本人の宗教性の一部だということが理解できる。

それではキリスト教と日本文化の関係は、どのようなものなのだろうか。近世以降の日本文化の発 展を考えるとき、キリスト教ぬきに理解することはできず、表面にあらわれなくとも様々な形で影響 を与えている。キリシタンの時代には、西洋の知識がキリスト教とともに日本に流入しており、当時 の科学技術の発展に貢献したことはあまり知られていない。禁教後も、多くのルートからキリスト教 と科学技術の知識は取り入れられており、江戸時代の文化的な発展に貢献したことは特筆されるべき ことだろう。近代において諸侯乱立するバラバラな列島を国民国家として統一し、列強に連なる助け の大きな一翼を担ったのは、江戸時代に流入したキリスト教の思想と枠組みであった。禁教が緩めら れた十八世紀以降、知識人たちの間ではキリスト教に関する書物が広く読まれていた。なかでも幾人 かの国学者たちは、キリスト教神学に大きな影響をうけ、理論的により組織立てられた神道を構築し ていった。幕末においてこのキリスト教に影響を受けた神道が、統一した国民意識を醸成することに なったのである。

明治維新以降も、近代的な日本「国民」としての意識を人々のあいだに浸透させるためにキリスト 教が果たした役割は小さくない。当時の初等教育には教育勅語、修身また唱歌などが導入されたが、

どれも西欧国家におけるキリスト教の社会的な役割を模倣したものである。またこの時期に憲法や自 由の概念も西洋から輸入されたとはいえ、キリスト教系の高等教育機関を通して成熟させられること がなければ、社会への影響力は最小限のものであっただろう。同様のことが、アメリカ的な民主主義 を目指した戦後の日本文化にもいえる。

もちろん日本の文化は、キリスト教以外の要素も多い。しかしキリスト教との出会いがなければ、

今日の日本文化はないといえるのではないだろうか。外来のものを自分たちに都合よく受容していく 島国の民族性が日本文化の根底にはあるのかもしれないが、それ以上に、キリスト教という世界宗教 とのぶつかり合いの中で、日本人の精神性が研ぎすまされ、文化が豊かになっていったという側面を 認めなくてはならない。

同時にキリスト教という外来の宗教を時の権力者が社会の一致を乱すものとしてみなし、排除しよ うとしたことも認識されるべきであろう。権力者が定義する「日本人」像から逸脱する精神・宗教性 は、どの時代においても暴力によって排除されてきた。宗教弾圧はキリスト教に限ったことではない が、「日本」と「キリスト教」の度重なる衝突とその狭間に苦しむ人々を思い起こすとき、違いを認め つつ共に生きていく努力の必要性を学ぶことができるのではないだろうか。

(3)

日本におけるイスラームの歴史からみる日本人の宗教性(スピリチュアリティ)について

上智大学アジア文化研究所客員所員 早稲田大学アジア・ムスリム研究所招聘研究員

小村 明子

本発表では、日本人のスピリチュアリティについてまずその特徴と本質を考察する。またイスラー ムという宗教について述べた上で、日本におけるイスラームの歴史の中でみられた、日本人のイスラ ーム理解について触れたいと思う。その後にイスラームから見た日本文化そして日本人の宗教性につ いて論じる。

1)日本人のスピリチュアリティとは何か?その特徴と本質とは何か?

まず一般的な意味での、現代における日本人のスピリチュアリティについて論じたい。日本で代表 される宗教は神道と仏教であり、日本人の宗教は、多神教で、かつ自然を神とする、シャーマニズム 的傾向が強いことがいわれている。しかしながら、近年みられる日本の宗教的特徴として、若者への アピールの手段として漫画やアニメを利用していることがいえるだろう。とりわけ、神を扱ったアニ メの多さや、寺院にキャラクターを使用することで若者層を取り込もうとする試み等があげられる。

このような現象は「聖なるもの」と「俗なるもの」が混在している状況、あるいは習合していること を示すものであろう。

一方で、占いブームやスピリチュアルなものの流行(例:女性雑誌記事での特集、パワースポット 巡り、癒しの場としての神社・仏閣参拝)もみられる。それは、特定の神社・仏閣を参拝するのでは なく、自分のお気に入りの所へ行くということ、言い換えれば先祖代々の宗教を信奉することもなく、

特定の宗教にもとらわれないという傾向をあらわすものであろう。また占いが流行するのも、社会全 体的に現世利益を追及する傾向が強いこともいえよう。

2)イスラームとは何か?日本のイスラームの歴史、日本人のイスラーム理解とは?

次にイスラームはどのような宗教なのかを述べる。イスラームは一神教であり、六信(唯一神、天 使、使徒、啓典、来世、定命)を信じ、五行(信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼)をすることを信 徒の義務としている。またイスラームはシャリーア(イスラーム法)によって日常生活および社会制 度が規定されている(例:家族法や財産法等)。いわば、日本人の宗教とは異なりイスラームの教義に 基づいた日常及び社会生活をおくることになる。

だが時代や社会状況が変化したとしても、また地域を超えたとしても、イスラームは永久不変の宗 教であるので時と状況に応じて教義を変更することはできない。とりわけ、これまでイスラーム圏で はない地域にイスラームが入ってきた時、異文化の地ではイスラームの教義の実践に社会との問題が 生じることになる(例:フランスにおけるスカーフ論争)。啓典である「クルアーン」や預言者ムハン マドの言行録「ハディース」の解釈は、まずイスラーム法に精通する学者たちにより議論されて「フ ァトア」という形で公表される。それ故、同じイスラーム圏であってもその地域で主流となる法学派 の違いによって教義の実践にもまた若干の違いが見られるのであるが、教義が完全に変更されていく ことはないのである。

イスラームという宗教と日本との関係性を考察してみると、日本にイスラームが本格的に入ってき たのが1890年以降のことである。しかも、戦前は日本の中国大陸における回教政策に従事するために

(4)

多くの日本人がイスラームに改宗していった。それはあくまでも国家政策的な改宗であるといえるが、

中には自分の宗教としてイスラームを選び取った人もいる。彼ら日本人ムスリムはイスラームをいか に受容したのか、その事例として、イスラームにおける「日本的なもの」を捉える試み(「日本的イス ラーム」への試み)を取り上げたいと思う。とりわけ、戦前にイスラームに改宗した日本人(日本人 ムスリム)たちには、神道の神々と唯一神アッラーを同一視する傾向がみられた。例えば、戦前に日 本人ムスリムとして初めてメッカ巡礼をした山岡光太郎や、戦前に日本国内でイスラームの布教活動 をし、かつ「日本的イスラーム」についての著述がある有賀文八郎である。とりわけ有賀の「日本的 イスラーム」についての著述「日本イスラム敎信仰個絛」の中にみられる「日本イスラム教の道徳」

の記述に着目すると、日本人にわかりやすくイスラームを説こうとしているのだが、当時の日本の道 徳観や習慣と結び付けられて説明されていたことがわかる。その理由として、当時の日本の社会状況 は「天皇=現人神」であったこと、一神教のわかりにくさ、日本にない習慣(酒や豚肉といった禁忌 の飲食物等)が考えられるだろう。

戦前の時もそうであるが、終戦以降もイスラームに「日本的なもの」を見出してイスラームを理解 しようとする、似たような状況がみられた。それが1980年代にみられた「大乗イスラーム」であった。

ただし「大乗イスラーム」は、イスラームの教義を改変してしまうことになるので、他のイスラーム 団体や日本人ムスリムからも無視された。結果として、試みだけで終わったのである。なお現在にお いても日本人ムスリムは少ない。正確な統計によるものではないが、1 万人程度の日本人ムスリムが いるといわれている。しかもその多くがムスリムとの結婚による改宗であるため、改宗者自らが自分 の宗教としてイスラームを選んだわけではないことがいえる。

3)イスラームからみた日本文化と日本人の宗教性

以上を踏まえて、イスラームからみた日本文化と日本人の宗教性について考察したい。日本人は来 世ではなく、現世利益を追求する傾向が強い。またイスラームでは偶像を崇拝することは禁止してい るが、日本の宗教事情はそれとは異なり、若者向けのイラストで神道や仏教に興味を持ってもらうよ うにしていることや、アニメの中で神が語られる状況がみられる。それは、かつて神道と仏教が習合 したように、聖なるものと俗なるものが習合している状況にあるといえるのではないだろうか。

イスラームの視点では、神に対しての「畏怖の念」が、また預言者に対しての「敬愛の念」がある。

いいかえれば、神や預言者を聖なるものとする。これとは対照的に、日本の宗教では、偶像によって、

宗教に興味を示さない若者層を取り込もうとしており、若者受けすることをしている。

また、イスラームは日常や社会生活においても規範がある。それ故、人間の生き方それ自体が宗教 的であることがいえる。一方、日本人の宗教性においては、パワースポット巡礼に見られるように、

先祖代々から信奉する特定の神を崇めるために神社・仏閣に行くのではなく、自分の願いを叶えるた めに、あるいは癒しを求めてまた更に新たな神社・仏閣に行くケースがみられる。

まとめとして、日本人の宗教性において、以下のような、イスラームとは異なる点があるといえる だろう。

1.聖なるものと俗なるものの一体化

2.先祖代々が信奉している特定の宗教にこだわらず、その時に本人が気に入った神社・仏閣を訪 れて信奉する。すなわち、1人が複数の宗教を信じることになることがいえる。

3.現生利益や癒しを宗教に求める点

4.シャリーアのように、信徒の日常生活や社会を規定する法がなくとも、日本社会にもとからあ る道徳観・倫理観で社会が規範されている。

(5)

しかしながら、日本人は道徳観や倫理観が優れていることから、ムスリムの間では「日本人はイス ラーム的な生活をしている」ことがよくいわれる。日本人の宗教性は、宗教という形で明確に日常や 社会規範を創らなくとも、また特定の宗教という形をとらなくとも、ごく自然な営みとして身につけ ているのかもしれない。

(6)

日本人のスピリチュアリティ

—仏教,キリスト教,イスラームからみた日本文化—

仏教の視点から

大正大学綜合佛教研究所 研究員 平林 二郎

もし、私が僧侶であったなら「仏教者がスピリチュアリティなんていう問題を考える必要はない」

として、それをバッサリ切り捨ててしまっただろう。なぜなら、「日本人のスピリチュアリティ」は確 かに重要な問題ではあるが、それは「形而上学的な問題」を孕んでいるからである。仏教は「形而上 学的な問題」を考える際に、基本的には「無記」という態度、すなわち「沈黙」をつらぬかなければ ならない。この「無記」という考え方には、釈尊が他の諸宗教諸学派から向けられた形而上学的な質 問に対して黙して何も答えを与えなかった、という態度がその根底にある。そして、その態度の裏に は「考えてもわからないムダな議論に時間を割くより、実際に早く人を救うべきだ」という意図が隠 されているのである。

つまり、本来の仏教の視点からこの問題を考えると「そんな問題はどうでもいいから、早く困って いる人を助けるべきだ!」ということになるのである。

でも、このまま仏教は「無記だ!」と言い張って終わらせてしまうと、ページが真っ白で怒られそ うなので、ここからは僧侶ではない、仏教学者の私がこの問題をどのように考えたか述べていきたい。

日本における歴史的宗教の役割

東日本大震災以降、日本人の宗教に対する関心は高まっている。このような関心の高まりを裏付け るデータとしては『学生宗教意識調査報告書』1において、「現在、信仰をもっている」と答えた学生 の数が、2007年11.0%、2010年は11.9%であるのに対し、震災以降の調査結果(2012年)では16.1%

と大きくその数字が上がっていることが挙げられる。

つまり、震災後、宗教に関心を持っている人が増えたのは明らかなのである。

では、何故、日本において震災後に、宗教に関心を持つ人が増えたのか。そこには日本において宗 教(おもに仏教)が果たしていた「ある役割」があるからだと、私は考えている。

歴史的に日本における仏教の動向をみると、遷都の際2、幕府に移り変わる際3、元寇の際4などに仏 教が重視されている。つまり、これは国や地域コミュニティに何かの問題が起きた際に、仏教によっ てそれを鎮めてきたということであり、換言すれば、「日本の仏教は共同体を維持するスタビライザー

(安全装置)の役割を果たしていた」と言えるだろう。

日本人は「無宗教」か

宗教がスタビライザーの役割だったと考えれば、平和なときにその必要性を問われなくなる。だか ら、日本で宗教は「無宗教」化していったというのも、日本人が「無宗教である」という要因の1つ だと考えられる。だが、私はこの他にも、日本人には独自の宗教性があるのではないかと考えている。

今よりも急速に国際化が進んだ近代、芥川龍之介は『神神の微笑』5という小説のなかで、日本人が 仏教をどのように受け入れてきたを婉曲的に表現している。

その内容の1つは本地垂迹6による大日孁貴7は大日如来の権現8であるという考えの否定にあり、日 本人は大日如来にでさえ、大日孁貴にその姿を重ねていると述べている。さらに、親鸞や日蓮が思い

(7)

描いていた仏は釈尊ではなく、上宮太子9に仏の姿を重ねていたと、芥川は小説に出てくる人物に考え を附託し語らせているのである。そして、そのなかでも象徴的な台詞が以下のものがある。

ただ帰依したと云う事だけならば、この国の土人は大部分悉達多10の教えに帰依しています。し かし我々の力と云うのは、破壊する力ではありません。造り変える力なのです。(下線発表者)

私は、この「宗教を造り変える力」こそが日本人の宗教的特徴でないかと考えている。

日本で最初に「スピリチュアリティ」という言葉を「霊性」と翻訳した鈴木大拙はその代表作『日 本的霊性』11で「スピリチュアリティ=宗教性」を鎌倉時代の禅と浄土系思想に求めている。

この禅と浄土系思想を「造り変え」という視点からみると、中国で滅びてしまった禅を日本では武 道、茶道、華道などと同じ枠に入れて造り変え、いつしかワビサビといった「禅的な知性や生活」そ のものが日本の思想や文化になったと考えられる。

また、インドの仏教にはなかった浄土系思想、特に親鸞のいう絶対者の無縁の慈悲によってすべて の人々が救われるという浄土真宗の「横超」という考えは、悪人12も、善人13も誰でも救われるという 日本独自の情性・感情的方向性を作っていった。このようにして、日本人は仏教の思想・教理をより 自分たちが近づきやすい方向に変移させていき、いつしかそれと同化していったと考えられる

まとめ

本発題の要旨を再整理するなら、日本人は外国の宗教として伝来した仏教を、国や村などコミュニ ティーに何か問題があったときのためのスタビライザーとして使用しきた。そして、日本人はことあ るごとに仏教を自分たちが保持しやすい新たな仏教に造り変えていった。その後、いつしか宗教色が 消えるまでに仏教と日本人の思想・文化は同化していき、現代では「無宗教だ」と言えるほどになっ たのだと考えられる。つまり、日本人は「無宗教」などではなく、宗教を「非宗教的なもの」へと造 り変えてきたのであり、それはこれからも続いていくと考えられる。

1 井上順孝、『学生宗教意識調査報告書』(「宗教と社会」学会・宗教意識調査プロジェクト第11回アンケ ート結果)、2013.参考URL: http://www.familyforum.jp/2013021617089

2 空海(774-835)・最澄(767-822)が活躍した時代は平城京から平安京へ遷都した頃である.

3 法然(1133-1212)・親鸞(1173-1262)が活躍した時代は平安時代から鎌倉時代へ移り変わる期間である.

4 日蓮(1222-1282)が活躍した時代は元寇(1274, 1281)の時代である.

5 芥川龍之介、『芥川龍之介全集4』、ちくま文庫、筑摩書房、1987.

http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/68_15177.html

6 日本の八百万の神々は、仏教の菩薩や天(sanskrit: deva)の化身として日本に現れた権現であるとした説.

7 大日孁貴(おおひるめむち): 天照大御神(あまてらすおおみかみ)の別称.

8 権現:仏教の天などが化身(sanskrit: avatāra)として日本に現れた神号(みこと).

9 上宮太子:聖徳太子の異称.

10 悉達多:釈尊のサンスクリット語の名前であるGautama Siddhārthaの音写。目的を達成する人の意.

11 鈴木大拙、『日本的霊性』、岩波文庫、1972.

12 今の道徳的な善悪ではなく、仏の視点による「善悪」の判断ができない、末法に生きる凡夫(一般の人)

を悪人と言う。

13 親鸞はすべての凡夫は悪人であると述べており、このなかの善人は仏が救ってくれると絶対的に信じず、

ふとした時に善行(良い行ない)を積もうとする人を指す。

参照

関連したドキュメント

点から見たときに、 債務者に、 複数債権者の有する債権額を考慮することなく弁済することを可能にしているものとしては、

このような情念の側面を取り扱わないことには それなりの理由がある。しかし、リードもまた

子どもたちは、全5回のプログラムで学習したこと を思い出しながら、 「昔の人は霧ヶ峰に何をしにきてい

   遠くに住んでいる、家に入られることに抵抗感があるなどの 療養中の子どもへの直接支援の難しさを、 IT という手段を使えば

 筆記試験は与えられた課題に対して、時間 内に回答 しなければなりません。時間内に答 え を出すことは働 くことと 同様です。 だから分からな い問題は後回しでもいいので

神はこのように隠れておられるので、神は隠 れていると言わない宗教はどれも正しくな

自分ではおかしいと思って も、「自分の体は汚れてい るのではないか」「ひどい ことを周りの人にしたので

のニーズを伝え、そんなにたぶんこうしてほしいねんみたいな話しを具体的にしてるわけではない し、まぁそのあとは