• 検索結果がありません。

地域リーダーの形成とその教育的基盤の変遷(その 1)

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2022

シェア "地域リーダーの形成とその教育的基盤の変遷(その 1)"

Copied!
14
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

地域リーダーの形成とその教育的基盤の変遷(その 1)

著者名(日) 丹野 朝栄

雑誌名 東洋大学社会学部紀要

巻 38

号 2

ページ 27‑39

発行年 2001‑02

URL http://id.nii.ac.jp/1060/00002245/

Creative Commons : 表示 ‑ 非営利 ‑ 改変禁止

(2)

      地域リーダーの形成と

その教育的基盤の変遷(その1)

     The Formation of Community Leaders

and Transformations of Education Bases(Part 1)

   丹野朝栄 TANNO Tomoei Abstract

1.This study’s purpose and subject

A.Purpose-In this study we intend to elucidate and analyze the relation between a

   region and its inhabitants, specifically the Shonai district of Yamagata Prefecture.

B.Subject-For this study we used graduates of Shonai Agricultural High School.

2.Four parts of this study

 *Part One-Introduction, background, and overview of three aspects of my

   relationship with this high schooL

*Part Two-We look at the relationship between general and special education and

   the signi五cance of the secondary school curriculum instituted a丑er World War 2.

 *Part Three-This is a chronological perusal of three facets of the relation between   educational and agricultural policy, after which we attempt to grasp the   fundamental changes in educational bases of our subjects.

 *Part Four-ln this final section we fbcus on the su均ects of this study and their   lasting impressions.

(3)

第1節 はじめに一この課題の周辺、そして問題の所在一

1

 世紀の替わり目。僅か2ヶ月で新たな世紀、21世紀を迎える。20世紀を特色づけるものは何か。

諸々のことが語られている。私は、敢えて、「日々の生活の基盤である土がさまざまなものにより蔽 われた世紀」とでも差し当たり規定して置こう。このことの持っている意味は、本研究と不可分に結 びついているので、論の展開で折に触れて言及することになろう。この意味は、全課題を包摂して いる。本課題に入る前に、直接的・間接的に関連する事柄を紹介し、問題点の掲示をしよう。(本稿 は、2000年10月末に脱稿している。)

2

 問題点の提示に入る前に、私にとって農業高校とは、どんな意味を有しているのか、少しく懐古 的になるが私的体験から播いてみよう。確か小学校の2年生か3年生の頃である。親戚の人が、近 くにある(自転車で通える距離6~7km)農業高校の普通科に入学したとの知らせを、母親から聞 いた。不確かな記憶ではあるが、「成績がいいから」という趣旨を述べていた。この高校は、浜田陽 太郎が『近代農民教育の系譜(東洋館出版社)』の中で述べているのだが、近くにある旧制中学(私 の母校であるが)に匹敵する、或いは凌駕する優秀な生徒(農家の長男)が入学していたのである。

このことは、この高校のみならず、旧制(1945年以前に創立された農業高校)農学校に該当するの である。農業高校に普通科があること、戦後教育改革(新制高校の発足は1948年)の柱である「総 合制」の如実な反映である。当時、私が生活していた場所での高校入学は珍しいことであり、それ だけ、子ども心に灼きついていたといえよう。

 私がふたたび、農業高校を身近かなものとして感じたのは、小・中学校時代の同級生の進学を巡 ってであった。長男は、自動的に家を継ぐ、家業を継ぐ、ということは、自明の理であり、何人か は、農業高校への道を歩んだ。この頃、私が育ったところでは、農業を生業としていなくても、長 男が家を継ぐというのが、自然の成行きであった。かくいう、私は次男(戸籍上は三男)であった ので、家からの呪縛から解き放されたのである。

 もう少し懐古談を続けよう。私(たち)が、中学校を卒業する頃(卒業は正確には1957年3月は、

「朝鮮特需」の影響もあり、経済が上昇気流に乗りはじめた時でもあった。経済を担う労働力が、工 業の中心である都市で必要になった。記憶を辿ると、「就職列車」が開始された時期と重なっている。

(4)

私の故郷の中心である古川駅から、古川市をはじめ、近隣の郡から集まった(集められた)中学卒 業生が都会へと船出していったのである。農村に滞留していた潜在的失業者(次・三男)が、都市 へ向かったのである。この後の好景気に支えられて、世帯主の都市への流出、その結果としての

「三ちゃん農業」「出稼ぎ」「過疎・過密」等々の問題郡が顕在化していくのである。

 今、私の研究室(15階にあり、東北東に向いている)の窓から、川口市から江東区に至るまでの 地区が見渡される。最近になって、高層ビルが建つようになったが、反対側(西)の、新宿・池 袋・渋谷と比すと大きな違いが読みとれる。私の中学の同級生の何人かは、研究室から見える風景 のところで生活している。集団就職で来た多くの人が、この地で生計を樹てているのである。故郷 の家は、長男が継いだ人たちである。農村・農業問題を考える一つの視点を提供しているといえよ

う。

 少し課題から逸れたかもしれない。農業高校に入学した人たちや、中学卒で、農業に就いた長男 は、現在、「後継者問題」に悩まされながら、営々と、農業を中心として家を継いでいる。

 次に農業高校を意識するようになったのは、1992年を起点として実施している今回の調査ととも にはじまる。多くの人たちと交わり、多くの示唆を受け、農業高校の戦後史の足跡に言及する機会 となった。そして現在に到っている。この点に関して、後に紹介する。私的体験を介在させ、三度 に亘っての農業高校との関与を述べてきた。その都度、農業高校への認識が深まってきたこと、い うまでもない。

3

 1999(平成11)年、3月2日、本研究に関連する二つの記事(朝日新聞朝刊)が掲載された。次

の記事である。

 ひとつは、1961(昭和36)年、「農業の近代化」を標榜して制定された「農業基本法」が、38年ぶ りに改正(傍点筆者)され、「食料・農業・農村基本法案(通称、新農業基本法案)」として今国会 中に成立させるべく、来週早々、提出されるというものである。

 もう一つは、21世紀の「学校教育」を左右する筈の「高等学校学習指導要領(小・中学校は2002 年から全面実施)」が文部省から発表された。記事によれば、この案は3月中に官報に告示(「学習 指導要領」は省令であり立法府の審議を経ずとも拘束を有す)され、2003年度入学生から適応され

るというものである。

 この二つの記事は、一一見無関係な様相を呈しているかにみえるが、実は、美事に結びついたもの として捉えなければならないというのが、本研究の重要な視点である。

 二つの記事は、改めて説明するまでもないが、それぞれ農業と学校教育に関係したものである。

この二つが結びついている。このことに就いては第3節で言及するが、戦後史年表を播けば、一目

(5)

瞭然(資料として作成したものを参照)である。戦後改革の柱であった農地改革、教育改革を引き 合いに出せば、直ちに了解できることである。密接な関連を説明するための例として、1960(昭和 35)年前後を垣間見てみよう。

 農業に関していえば、1961(昭和36)年6月12日公布された「農業基本法」であり、(高校)教育 では、その前年、日本国中を沸き立たせた「日米新安保条約」が自然成立した年、10月に拘束力を 有することになった「高等学校学習指導要領」が官報に告示され、1963(昭和38)年から実施され たのである。この二つは、1961年、中央産業教育審議会(中央教育審議会でないことに注目)の建 議「農業の近代化に即応する高等学校農業教育の改善方策について」のなかに結実したのである。

N   N

稔り(傍点筆者)は、1964(昭和39)年から実施された「自営者養成学校」である。なお、本研究 で対象にしている庄内農業高校、盛岡農業高校、三本木農業高校、五所川原農林高校が、これに該 当している。

 38年隔てたなかで、新しい農業基本法(案から成立へ)の国会での審議、それと歩調を合わせた かのような「学習指導要領改訂案」の発表は、『60年代』の再来として捉えるのか、或いは、時代背 景も変わっているので、異質なものとして解するのか、本研究の中軸を占めているのである。この 点は、慎重な検討を要すること、いうまでもない。

第2節 新制高等学校発足の持つ意味

 新制高等学校は、1948(昭和48)年、発足した。最初に、新制の意味に就いて次の文を紹介しよ う。発足した「高等学校は、旧制度の高等学校はもちろん旧中等学校の戦後版ではなく、これらを 否定して出発した教育機関である。」ω

 戦前の旧制高等学校(その目的は大学教育の基礎をなすこと)や複雑に分化していた旧制中学・

実業学校とは、異質のものとして発足したのである。大上段に構えるならば、わが国の学校教育史 上、新たなページを色どるものとして位置づけられたのである。「新制」とは、ただ単に「旧制」に 対峙するものではなく、戦前の教育を否定し、教育改革を担う人材を育成する機関として、創られ たのである。しかしながら、論理的にはかかる役割を持った高等学校は、その後順風満帆な航海を 歩んだかといえば、歴史が証明しているように、その足跡は、危なっかしいものであった。

 歴史が証明していると述べたが、それだからといって、新制高等学校発足の意味(当然理念も含 まれるが)までも現状追認という形で否定されないこと、言わずもがなである。ここでは、条文に 照らして、この意味を確認することからはじめよう。このことが、本研究の重要な骨子になると確 信しているからである。

(1)内藤誉三郎著「学校教育法解説」(ひかり出版社)

(6)

新制高等学校の目的・目標

 新制高等学校(以下断らない場合を除いて高校と略す)の目的・目標を示そう。「学校教育法」は、

高校の目的を次のように規定している。

 第41条 高等学校は、中学校における教育の基礎の上に、心身の発達に応じて、高等普通教育及      び専門教育を施すことを目的とする。

 周知のことではあるが、本条文から次の3点が指摘できよう。

 第一は、「中学校における教育の基礎の上に」と明示されているように、中学校(義務教育)との 継続性が強調されている。高校の上にある大学の目的には、「高等学校の基礎の上に」という文言が ないことが示しているように、高校は、学校体系の中では、大学よりも中学を意識(ここでは、大 学独自の意味を意図的に捨象したのであるが)していることが条文から読みとれる。ここから、高 校が準義務教育的要素を有しているとの指摘が出てくるのである。さらに、1960年以降の進学率の 上昇、第一次ベビーブーム(団塊)世代の高校への入学等とあいまって登場する「高校全入」とい

う発想の礎になっていると解することが、本条の立法趣旨に叶っている。

 第二は、高校では、普通教育と専門教育を心身の発達に応じて施すことの意味に関してである。

文言通りに解するならば、中学校までの普通教育を前提にして、二つの目的を兼ね備えたものとし て位置づけられたのである。しかしながら、戦後の学校教育の歴史を通覧すれば、一目瞭然なので あるが、この二つの教育が、目的意識的に追求されてきたとはいえないのである。ここにも立法趣 旨と現実との乖離が窺えるc最近、総合制の学校や学科が増えてきている。この際に、戦後高校教 育発足にあたって、重要な柱の一つであった「総合制」との共通性及び差異性に言及すると同時に、

第41条の理念とどのような繋がりをもつのか、併せて考察する必要が生じよう。

 第三は、第二と密接に関連している、或いは、波及している次の指摘である。「必ず両者を併せ施 さなければならないのであって一方のみを施す高等学校は認められないのである。(中略)r高等普 通教育及び専門教育』といっても、それを等分に施さなければならないというのではなく、重点の 置き方によって各学校毎の創意があって差し支えないのであるω」

 ここに引用(注1・注2とも)したのは、1947(昭和22)年に発行された内藤誉三郎著『学校教育 法解説』(ひかり出版社)からである。引用の文を繰り返す必要もないが、41条の目的を説明したも のである。「両者を…ねばならない」と表現されているように、義務規定であり、一方を蔑ろにした ら、高校では失くなるということになる。さらに、重点の置き方については各高校の裁量に委ねれ られているが、裁量権の行使にあたっては、立法趣旨を当該学校がその判断の視座に入れていたの かが検討されなければならないのである。1のところで言及した改定された「学習指導要領改定案」

では、各学校での必修科目は、保健と体育に限定され、その他は、選択必修(例えば数学基礎・数 学1から一一つ)の形を採るので、各学校がどのように対応しようとしているのか、目的と絡ませて、

注目する必要がある。

(2)内藤誉三郎著「学校教育法解説』(ひかり出版社)

(7)

 本研究の対象になっている「自営者養成学校」は、専門教育の一翼を担うべく期待され、そのため に創られたのであるが、目的と関連させて考察するとき、いかなる論点が生じるのか、重要なテー マである。

 続いて、第42条(目標)をみることにする。

 第42条 高等学校における教育については前条の目的を実現するために、次の各号に掲げる目標      の達成に努めなければならない。

   1 学校における教育の成果をさらに発展拡充させて、国家及び社会の有為な形成者として     必要な資質を養うこと。

   2 社会において果たさなければならない使命の自覚に基づき、個性に応じて将来の進路を      決定させ、一般的な教養を高め、専門的な技能に習熟させること。

   3 社会について、広く深い理解と健全な批判力を養い、個性の確立に努めること。

 本研究の対象者は、農業高校の卒業生である。本人及び当該高校で受けた教育が、これらの目標 をどの程度認知したうえで実施されたのかは、今後の検証を経なければならないが、明示されてい る、しかも相互に関連すべき目標から、本研究にとってポイントとなるものを挙げておこう。明示 されている相互に関連している目標から、本研究にとってポイントとなることを挙げておこう。

 第一 ひとりひとりが、自らの意志に基づいて、将来の進路を主体的に選択しうる力を培うこと。

    そのために、高校での教育が位置づけられていること。極端な論ではという批判を受ける     ことは重々承知しつつも、専門教育を主として受けてきた、例えば農業科卒の生徒も、大     学への路が閉ざされていないことを含意している。特に昨今の新聞報道等からも、進路の     傾向として、「推薦」の枠が拡がり、それを活用して大学への進学が増えていることは、さ     まざまな要因を孕んでいたとしても、目標から導き出される帰結と解するべきである。

 第二 国家・社会の有為な形成者の一一員として、これらを正しく認識することにより、批判的視     点を育み、教育基本法で唱われている教育の目的の体現者になること。

    このように解釈することは、通史的に観た場合に、疑問符も生じようが、立法趣旨を正し     く理解するためにも、必要である。教育の目的・目標を紹介することにより、高校の役割     を浮上させるべく試みてきた。だが、ここでも確認すべきことは、現実追認に走ることな     く理念と現実との乖離を冷静にみつめ、ここから論を樹てることが肝腎である。

第3節 対象者の教育的基盤変遷把握への試み

 本研究の対象地域及び対象者は、東北地方にある農業高校の卒業生である。さらに研究を進める 基盤は3年間の科学研究費である。(1999年から2001年、まさに世紀を跨いだ研究である。)東北地 方の大学に勤めている研究者を含めて、計6人でプロジェクトチームを編成している。昨年度は、

(8)

五所川原、盛岡、小牛田、庄内を対象としたが、本年度は、新しいメンバーも加わり、大曲、三本 木をもその研究対象にした。福島県を除き、東北地方を網羅しているといってもよい(福島に関し ては来年度の検討事項に入れることは、確認されている)。

 対象者の選択は、各分担者の裁量に委ねられているいるが、次のことは確認されている。自営者 養成学校卒業生の動向、各高校の農業クラブ役員(委員長、副委員長)の在学時での活動、並びに 卒業後の動向、各自治体の長及び議員、農協や農業委員の経験者、地域でのサークル活動、農民大 学等の経験、生活協同組合(生産者と消費者のつながり)等へ、聴き取りを実施する。さらに、各 学校の卒業生に対し、ほぼ5年刻みで、郵送によるアンケート調査も行う。

 「教育的基盤」を考えるにあたり、皿の終わりに載せた年表を参考にする。年表は『職と農の戦 後史』(岸康彦著、日本経済新聞社、1996年)及び『日本教育史年表』(伊ヶ崎暁生・松島栄一編 三省堂、1990年)から作成した。

 第1節で簡単に言及した私的体験、違った角度から紹介することにしょう。私が小学校に入学し たのは、1949(昭和24)年である。この年は、私事とは関係なく極めて重要である。思いつくまま に記そう。その前年、1948年、新制高校が発足している。従って私の学校に関わる事柄は、よきに つけ悪しきにつけ戦後の教育改革の申し子として歩み出したのである。それから、今年で51年、意 識する否とに拘らず、戦後の教育を語る生き証人である。この年は、世界史的にみれば中華人民共 和国が樹立され、国内では謎の多い事件(松川事件・下山事件等)が起きた年でもある。この時期 から、冷戦構造が明確になり、わが国は、アメリカの戦略体制のなかに組み込まれ、それがさまざ まな形で教育に影響を及ぼし、対立が深まる時と重なっている。また、「団塊」の世代が生誕した年

(前年も含めて)でもある。この世代が、高校の門をたたくとき、教育をめぐる問題が、新しい視界 を提供するのである。このような年、今振り返ってみれば、極めて歴史的な重要な年に、教育への 途を歩み出したのである。本研究の中心は、20世紀の後半であり、生き証人と交錯させつつ論じる ことは、的をはずれてはいないだろう。

 さて、ここでポイントとなる「教育的基盤」の変遷を考察する際の時期を言及することにしょう。

 第一一、最大のポイントは、前述した1960年代前半である。学校教育をめぐっては戦後当初「試案」

であった「学習指導要領」が法的拘束力(傍点筆者)を持つようになり、高校には1963年から適応さ れるようになったeこの「指導要領」は内容盛沢山で、特に理科・数学への格別なる配慮がなされだ

のであるc、

 理工系の重視(大学においては修士課程の増員、新産業都市の指定もあり、それを支える人員の 確保、この人員を育成する3年間の臨時工業教員育成所の設置、さらに戦後教育改革のはしらであ       h   N   }った単線型(6・3・3・4)をくずす5年制の高等専門学校の設置)対極に農業の近代化を標榜し、

公布された「農業基本法」が皮肉にも、農業、農村、農業高校をおおい、工業高校の隆盛とは裏腹に、

衰退への、下り坂をゆっくり、そして、加速度を増して落ちてゆくのである。

 しかも、この時期は、池田首相の登場により「所得倍増計画」、経済の視点から、経済効率の視点

(9)

から、教育を捉える考え方が大きな影響を及ぼすことになる。この帰結が「多様化」の名のもとに、

後期中等教育を位置づけるようになってくる。さらに「団塊」の世代が、高校に入学する時期であり、

大量の人材をどのように配分するかで、学校の選抜機能が強められてくるのである。

 他にも語るべき事柄はある。勿論、この時期を分岐点にすることに異を唱える人もいるだろう。

しかし「教育的基盤」を語るとすれば、ここに区切りを設定することは、暴論、空論の類でないこと も明らかである。

 第二、第一で述べた時期より前に簡単に触れよう。まず、旧制農学校での、教育わ体験した人た ちからの聴き取りは、情報提供者の援助のもとに行う必要がある。庄内地方では、前同窓会会長及 び、新制高校発足前に卒業された方々から貴重なお話を聴いている。

 続いて、新制高校発足から、1955年までの人たちを、同じ基盤で捉えることが可能かどうかが問 題になる。これまで、調査してきた庄内農業高校、盛岡農業高校、小牛田農林高等学校のうち、新 制高校の柱である「総合制」の影響を受け、前二者は、校名の変更を行っている。このことが何を

もたらしたのかも、高校教育を考える点で大切なのである。

 いつれにせよ、この時期までの人たちの学校に対する愛着は強いし、自ら誇りを有し、旧制中学 と肩を並べる、或いはそれ以上だと断言する人も存している。この人たちは、士族の出であったり、

農地改革で土地を手放しても、(旧)地主として、地域で大きな信頼を得ているのである。

 1955年から、1962年までの時期をみよう。何よりも経済の復興が大きい。神武景気、岩と景気と 称され、電化製品が各家庭に普及してくるのである。高校では、「学習指導要領」に手が加えられ、

「コース制」が導入されてくる。私が高校に入学したのは、「コース制」導入2年目であった。この時 期あたりから、長男と次三男の役割分担の分化が明確にはじまるのである。

 第三、1963年以降では、「70年」前後に重点を置きたい。教育の視点では、中央教育審議会が、

「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策」を出した。高校に関していえば「後 期中等教育の多様化」を認知したといえる。私からすれば、多様化=固定化であり、高校の分化に政 策的な根拠を提供したと解するのが妥当である、と確信している。

 農業に関すれば、「自営者養成学校」が「60年代」半ばから後半にかけて創られた時でもある。政 策側の意図にも拘らず、私が聴き取りした、第一回目の同校の卒業生で就農したのは、僅かであり、

従って、発足時から問題を抱えていたのであった。そして「生産調整」という美名のもとでの減反政 策がはじまる。一年休耕すると復原するまでには、早くて3年、ほぼ5年間は要するといわれてい る。土と水を壊すのである。田が荒れるということは、かかる視点を入れ、長期的に観る作風が必 要である。農業を担う人のみならず、多くの人が「石油ショック」の影響を受け、順風満帆と誰もが 思っていたことに、冷水を浴びせることになる。この時期、高校で学んだ人たちも、一つの類とし て解すれば、何が主張できるか、視野に入れる必要がある。

(10)

教育関係 経済関係等 1945    9月15日

(昭和20)年

      9月16日 1946

(昭和23)年

文部省、「新日本建設ノ教育方針」発表

(国体護持・平和国家建設・科学的思考力など強調)

文部省、「終戦二伴フ教科用図書取扱方二関スル件」 12月9日 GHQ、農地改革を指令 2月7日「米国教育使節団に協力すべき日本側教育家の委員会」発 2月9日

    足(3月終わり頃6・3・3・4制などGHQ、文部大臣に報3月6日     告書)

3月5日 8月IO日 10月9日 10月16日 11月29日 12月27日

1947    1月17日

(昭和22)年

      2月5日 3月20日 3月31日 4月1日 9月11日 1948     1月27日

(H召ポロ23)f# 2月7日       2月23日       4月1日       6月19H 7月15日

1949        3月18日

(昭和25)年

      6月1日 7月5日

第一次米国教育使節団来日(3月30日報告書提出)

総理大臣の諮問機関として教育刷新委員会設置 文部省、男女共学について指示

教育刷新委員会、6・3制(義務教育9年)の原案を決定 教育刷新委員会、教育基本法の要綱を決定

教育刷新委員会第一回建議(教育の理念及び教育基本法 に関すること、学制(6・3・3・4)に関すること等)

教育刷新委員会、6・3制義務教育制度を昭和22年度実施 について建議

文部省、新学制の実施方針発表(小中、昭和22年度から、

高校、昭和23年度から、大学、昭和24年度から)

文部省、「学習指導要領一般編(試案)」発行 教育基本法・学校教育法公布、国民学校令など廃止、

6・3・3・4制を規定

新学制による小学校(国民学校初等科を改正)・中学校 発足

文部省、教科書検定制度を発表 高等学校設置基準判定

文部省・労働省「新制中学校の職業指導に関する件」通達 大学設置委員会、大学設置基準を答申

新制高等学校(全日制・定時制)発足 衆議院「教育勅語等排除に関する決議」可決 参議院「教育勅語等の失効確認に関する決議」可決 教育委員会法公布、都道府県・市町村に公選教委を置く 大学設置委員会、新制大学94校

(国立69校、公立4校、私立21校)を決定答申 教育刷新委員会を教育刷新審議会と改称 社会教育法公布

日本教育社会学会第一回大会開催

日日日日日 (ソ60ノー

558810

月月月月月

 1112

3

tl月3日

日本農民組合(日農)結成 政府、憲法改正案要綱を発表

(主権在民・象徴天皇・戦争放棄を 規定)

極東国際軍事裁判 食料メーデーに25万人参加 経済団体連合会(経団連)発足 全日本産業別労働組合会議結成 小作地80%解放の第2次農地改 革自作農創設特別措置法公布

日本国憲法公布

1月31日 GHQ、2・1ゼネスト中止命令

日日日日717319月月月月

4455

6月1日

労働基準法公布 地方自治法公布 日本国憲法施行 経営者団休連合会創設

(1948年4月12日、日経連)

社会党片山内閣成立 11月19日 農業協同組合法公布

日日日日

7152

月月月月

15911

12月8日

6月10日 9月15日 10月1日 il月1日

財閥同族支配力排除法公布 美空ひばりデビュー 主婦連結成

極東国際軍事裁判所、25被告に 有罪判決

人事院発足

日本国有鉄道・日本専売公社発

GHQ、シャウプ勧告書を発表

(税制の根本的改革)

中華人民共和国成立 湯川秀樹、ノーベル物理学賞受賞

「バヤリース・オレンジ」初輸入 1950    5月20日

(昭和25)年 8月27日       9月1日

矢川徳光「新教育への批判」

第2次米国使節団来日(9月22日報告書提出)

天野貞祐文相、教職員のレッド・パージ実施を声明

R口日口口

50

  1

21

月月月680立

10月1日 12月7日

朝鮮戦争始まる 警察予備隊令公布

閣議、公務員のレッド・パージ の基本方針を決定

第6回国勢調査

(戦後初の本格的調査)

池田蔵相「貧乏人は麦を食え」

発言 1951     1月24日

(昭和26)年

      6月ll日

1952

(昭和27)年

6月30日 7月10日 8月7日

Il月12日 ll月14日 11月16日

日教組第18回中央委員会で、スローガン「教え子を再び 戦場に送るな」を決定

産業教育振興会法公布

(中学・高校の産業教育に対する国庫補助など)

中央産業教育審議会設置

「学習指導要領一般論」(試案)改訂発行 日教組、「教師の倫理綱領」草案発表 教育刷新審議会、中央教育審議会設置を建議 天野文相、「国民実践要領」大綱発表(28日白紙撤回)

政令改正諮問委員会、「教育制度の改革に関する答申」

を決定(複線型制度・教育委を任命制など提案)

6月6日 中央教育審議会令制定

    (文相の諮問機関、6・i2教育刷新審議会廃止、1953、!・6     中教審発足)

1月3日 NHK、第1回紅白歌合戦を放送 4月11日

5月13日 9月8日

日日﹇ロー23月月月ロ」7【’

連合国最高司令官マッカーサー 解任、後任、リッジウェイ ラジオ体操復活

サンフランシスコ講和条約調印 日米安全保障条約調印 DDT、パラチオンなどの農薬と 除草剤2・4-D2普及

メーデー事件 破壊活動防止法公布 保安庁法公布

(11)

10月16日 日経連教育部会「新教育制度の再検討に関する要望」発     表(実業教育の充実、大学教育計画の画一化打破、専修 10月21日     大学の設置等)

(10・15 保安隊発足)

農地法施行

1953

(昭和28)年

1954

(昭和29)年

1月21日 6月3日 7月8日 7月25日 8月5日

10月30日 12月25日

中央教育審議会第1回総会       7月27[1 岩国市教委「小学生日記」「中学生日記」を回収     8月17日 文部省、教育の中立性維持に関し次官通達       8月27日 中教審、6・3制の堅持、教育委員会の現状維持を答案

学校教育法等の一部改正法公布(文相の教科書検定権明示)

池田・ロバートソン会談

文部省fわが国教育の現状についてj(初の「教育白書」)

1月8日 中教審、教育の中立性維持について答申 3月20日

5月14日 6月1日

12月23日

「旭が丘事件」

教育2法公布

へき地教育振興法公布、学校給食法公布(3日)

日経連、「当面教育制度改善に関する要望」発表 法文系偏重の打破、専門教育の充実、6年制専門大学の 設置など

3月1日

n口日日8129月月月

336

朝鮮休戦協定 農産物価格安定法公布 農業機械化促進法公布

第五福竜丸、ビキニの米水爆実 験により被爆

MSA協定

自由党憲法調査会発足 自衛隊法公布

1955    2月3日

(昭和30)年

6月27日 8月13日 12月5日

1956     6月30日

(昭和31)年 9月28日       10月1日       10月10日       10月22日       tl月1日       11月9日

1957    4月1日

(昭和32)年 9月27日 10月22日 ll月lt日 H月29日 12月4日

12月 19日 12月26日

1958   3月15日

(昭和33)年

3月18日 4月28日 6月11日 7月27H 10月1日 1959     6月26日

(昭和34)年

      8月1日 9月26日

1960    10月15日

(昭和35)年       II月1日

教育課程審議会「高等学校普通課程における教育課程編 制の具体例」を答申

(普通課程の第2学年以降において重点をおき学習すべ き教科・科目群や類型を示す)

教育課程審議会、高等学校職業課程における教育課程に ついて答申

日本民主党「うれうべき教科書の問題』第1集を刊行 高等学校学習指導要領(一般論)発行

(「試案」の文字が消え、コース制採用、昭和31年度より実施)

地方教育行政法公布(教育委員の任命制)

文部省、全国抽出学力調査を初めて実施 地方教育行政法による任命制教育委員会発足 文部省、教科書調査官制度創設(定員40人)

文部省、大学設置基準を判定

愛媛県教育委員会勤務評定の実施を決定

日経連、「新時代の要請に対応する技術教育に関する意 見」発表

科学技術学生8000人増員計画の実施に着手(昭和35年まで)

文部省、小・中高等学校の全国抽出学力調査(社会・理 科)を実施

中央産業教育審議会「高等学校における産業教育のあり 方について」建議

中教審、「科学技術教育振興方策について」答申 文部省、科学技術教育振興方策を発表

文部省、学校教育法施行規則改正、「教頭」の設置 理科教育審議会「科学教育のあり方について」建議

日経連、「科学技術教育振興に関する意見」発表 教育課程審議会、「小・中学校の教育課程の改善につい て」答申(「道徳教育の徹底」「基礎学力の充実」「科学 技術教育向上」)

文部省、「小・中学校r道徳」の実施要領」を通達

「勤労青年教育の振興方策について」答申(道徳の特設)

日経連、内閣に科学技術積極化と日教組対策を要望 文相、全国知事会議で勤務評定完全実施を要望 文部省、小・中学校学習指導要領を官報に告示 理科教育審議会「小学校、中学校および高等学校におけ る理科教育振興の具体的方策について」答申

理科教育審議会「理科教育設備の充実と理科教員の現職 強化について」建議

中央産業教育審議会「高等学校における産業教育の改善 について」答申

高等学校学習指導要領官報告示

(コース制強化、昭和38年から実施)

経済審議会「国民所得倍増計画による長期教育拡充計画」

を首相に答申

7月20日 経済企画庁設置

8月6日 第1回原水爆禁止世界大会 10月13日 社会党統一大会 11月15日

6月1旧 7月17日

12月18日

8月6日 8月27日

】0月4日

自由民主党(自民党,結成

「神武景気」「家庭電化時代」始 まる

憲法調査会法公布、施行 第to回「経済白書』

「日本経済の成長と近代化」発表

(もはや戦後ではない)

国連総会、日本の国連加盟可決 石墨慶一郎ら、水稲「コシヒカ リ」育成

日米安保委員会が発足 茨城県東海村、原子力研究所に

「原子の火」ともる

ソ連、世界最初の人工衛星スプ ートニク1号打ち上げ

8月20日 国営八郎潟干拓事業着手

12月1日 一万円札発行 12月23H 東京タワー完成 4月20日

11月20日

農林漁業基本問題調査会設置法 公布

国連「児童の権利宣言」採択 日産、ブルーバード、ダットサ ン発売

マイカー時代開幕  「岩戸景気」

6月19日 新安保条約自然調印

12月27日 政府「国民所得倍増計画」を決 定(高度成長政策)

(12)

1961    4月1日

(昭和36)年       5月19日

6月17日 8月25日 8月30日 9月1日

10月26日 to月30日

文部省、昭和36年度から科学技術学生16,000人増員計画 に着手(昭和45年まで)

「国立工業教員養成所の設置等に関する臨時措置法」公 布(3年制)

学校教育法一部改正

(5年制高等専門学校を昭和37年度より設置)公布 日経連・経団連「技術教育の画期的振興策の確立推進に 関する要望」を政府・国会へ提出

高等専門学校設置基準を公布(省令)

文部省、科学技術系学生増募計画を16,000人から2万人 に改訂し、目標年次を昭和39年度に繰り上げる 文部省、中学2・3年生全員に対し全国一斉学力調査実施 中央産業教育審議会「農業の近代化に即応する高等学校 農業教育の改善方策について」建議

6月12日 農業基本法公布 11月10日

12月26日

農業近代化資金助成法公布・施 農業基本法に基づく 「第一回農 業白書」発表

1962    4月1日 1昭和37)年

      5月9日 1963    1月14日

(昭和38)年

      6月24日       10月19日

1964

(昭和39)年 12月21日

国立学校設置法改正に基づき工業高等専門学校発足    5月10日

(国立12校・公立2校’私立5校)      IO月5日 文部省、「高校生急増対策と高校全入運動」と題するパ

ンフレットを配布して高校全入運動を非難

経済審議会「経済発展における人的能力開発の課題と対  7月12日 策」答申(3-5%のハイタレント〉

文相、中教審に「後期中等教育の拡充整備について」諮問

「高等学校における農業自営者養成及び確保のための農 業教育の改善方策について」文部大臣から中央産業教育 審議会に対して諮問 翌年答申(4月20日)

教科書無償法公布(広域採択・検定強化等)

7月4日 能力開発研究所、「進学適正能力テスト」実施 10月14日 文部省、全国学力調査を悉皆から2%抽出に改めると発表     自営者養成農業高校学校設置(盛農同年、庄内農)

1965    2月5日 日経連教育特別委「後期中等教育に対する要望」発表

(昭和40)年      (職業訓練制度の重視)

1966    2月19日

(昭和4E)年

      7月2日 to月3旧

第1回山形県民大学開講(農業近代化による危機に対し て、農村における学習運動提起)

能力開発研究所、進学適正能力テスト・職業適正能力テ スト実施

中教審、「後期中等教育の拡充整備について」最終答申

(技術学科・家政高校設置等「多様化」を強調)確認

「期待される人間像」

6月22日 10月1日 10月10日

新産業建設促進法公布 政府、「全国総合開発計画」を決定 この年、文学部女子学生比率 37%「女子学生亡国論」話題 閣議、新産業都市13カ所、工業 整備特別地区6カ所を決定 鉄腕アトム放送開始

集団就職の中卒者を運ぶ就職列 車ピーク

「吉展ちゃん事件」「狭山事件」

カーソン「生と死の妙薬」

(原題「沈黙の春」)翻訳発行 東海道新幹線開業

東京オリンピック開催

12月1旧  日韓基本条約

1968

(昭和43)年

1969

(日召干044▲年

3月12日学校教育法改正(教頭制設置)

ll月29日 理科教育及び産業教育審議会「高等学校における職業教 12月IO日     育の多様化について(第2次)」

6月5日 9月18日

都道府県教委連合会「高等学校教育の多様化について」  1月23日

(普通科における類型・コース制の導入)

日経連「教育の基本問題対する提言」「教育の基本問題 に対する産業界の見解」発表

3億事件がおこる

水稲作付面積最高の328万ha、

これ以後生産調整で減少 農林省、1万haの稲作転換対策 発表

1970

(H召禾045)年

1971

(日召矛046、年

1972

CH召禾U47) 年

2月20日 農業特別専攻科設置(盛農は翌年、庄内農は翌々年)

6月ll日

6月8口

2月20日 8月3日

政府、総合農政の基本方針了承

(米の減産など)

公害対策基本法公布 中教審、「今後における学校教育の総合的な拡充整備の 6月17日 沖縄返還協定調印 ための基本的施策」答申「第3の教育改革」「四六答申」 7月1日 環境庁発足 経済審議会人的開発研究委員会「教育に関する報告」をま

とめる(生涯教育を計画経済に盛り込む)

2月19日 2月21日 6月11日

連合赤軍の5人、軽井沢の浅間 山荘に篭城

ニクソン大統領訪中 田中角栄通産相 r日本列島改造論』発表 1973    3月1[1高等教育懇親会「高等教育拡充整備計画に関する基本構

(昭和48)年     想」発表、1980年代後半の大学進学率を40%と予想

2月14日 10月6日 10月23日

大蔵省、外国為替相場を変動相 場制に移行

第四次中東戦争 オイルショック

江崎玲於奈にノーベル物理学賞

(13)

1974    2月25日

(昭和49)年       7月16日

1975

(昭和50)年

1976    3月1日

(昭和5D年 1977

(昭和52)年

学校教員の水準維持向上のための義務教育学校の教育職員  6月26日 国土庁設置 人材確保に関する特別措置法(教員人材確保法)公布

東京地裁、家永三郎の国家賠償請求(第一次訴訟)で教 科書検定制度は憲法・教育基本法に違反せずと判決

(高津判決)

学校教育法施行規則改正(主任制度化)施行

7月19日 沖縄国際海洋博覧会開幕 7月27日 ロッキード事件 5月2日 大学入試センター発足      8月3日

7月23日 文部省、小学校新学習指導要領を官報告示、君が代の国     歌化など問題点

1978    6月22日 文部省新高等学校学習指導要領を発表。多様化・弾力 5月20日

(昭和53)年      化・学校裁量権の拡大を発表       ll月27日 1979

(昭和54)年 1980     8月22日

(昭和55)年 1981

(昭和56)年 1982

(昭和57)年 1983

(日召矛n58) 年

1984

(昭和59)年 1985

(昭和60)年

1986

(昭和6D年 1987

(昭和62)年

1988

(昭和63)年

1989

(平成元)年 1991

(平成3)年 1992

(平成4)年 1994

(平成6)年

2月24日

文部省、来年度より全国的に新「学力調査」実施を決定

文部省、新「学力調査」(国・算)

象に実施

原水爆禁止世界大会開催

罐翻濃籠霧還魏欝+

(ガイドライン)」決定 7月15日 生産者米価2年連続据え置き

1月20日 レーガン、米大統領に就任 を小学5・6年の1%対  6月23日 東北新幹線開業

1月26日 文部省、新「学力調査」を実施(中学3年対象>

6月3°日

T鱗警鵠認難ぷ摯曙箒繍聾薔

    方について」を文相に提出 2月1日 首相直属の「教育臨調」設置を決定

(8月8日臨時教育審議会設置法公布)

4月4日 東京ディズニーランド開園

2月11日 臨教審第1部会「自由化」に代わり「個性主義」を打ち出す  3月17日 2月19

サ難鍵聾欝難轡馨曇校ξ熱磐覆磯,月17日

    業教育のあり方について」答申 1月22日 臨教審、「初任者研修制度」の創設を提言

臨教審、「生涯学習体系への移行」を提唱

コメ新品種「あきたこまち」

育成

国際科学技術博覧会

「科学万博つくば85」

男女雇用機会均等法成立 1月27日 中曽根首相、

    「戦後政治の総決算」路線を強調      ウルグアイ・ラウンド開始

審社取 議会り 4

関設歌ゆご 豫国改科膓の活必準生史

絵猿 ㌦科 額紛 課繋

審∬°ヒ   イ程め歴確課と地明育まをい教の科扱

 

1

7月1日 文部省機構改革で生涯学習局発足

2月10日 文部省、小中高学習指導要領改訂、幼稚園教育要領公表 4月4日牛肉・オレンジの輸入自由化

3月13日 3月t8H

国鉄分割・民営化、jRに

青函トンネル、

JR津軽海峡線開業

日本初の屋根つき球場東京ドー ム完成

2月9日 手塚治虫死去 4月ユ日 消費税実施

4月1日 農協の愛称「JA」に 6月3日 地球サミット 12月14日 新食糧法公布 1998

(平成10)年 12月14日 文部省、小中高学習指導要領改訂 1999

(平成11)年 7月11日 新農業基本法制定

※本年表は「日本教育史年表」(三省堂)、「食と農の戦後史」(日本経済新聞社)より作成。

(14)

第4節 調査で出会った人、そして印象に残り体に染みついていること

 8月、広域農道を対象者の車に乗せられて走る。稲の花が咲き、出穂が揃う頃、水田では、貯水 の必要がなくなる。田と田との間を駆ける。下旬、個々の農家の仕事の仕様が如実に分る。稲の上 に稗が見えるところと、全く見えないところもある。管理の状況が、具に理解できる。稗が乱舞し ている田をみて、運転している対象者に語りかける。「ここは荒れていますね」と語りかける。農業 委員をやり、集落の仕事としている彼からすれば、どこの田で、どうして荒れているのか、その理 由が直ちに了解しうるのである,地域に密着し、生活の様を、手近かに考えることの手立てを提供

してくれるといってよい。相手(対象者)の心情を解する原点である。一昨年彼は還らぬ人となっ た。農業に心底から愛着を示していたが、愛着と現実との乖離に失望したままであった。若い頃、

農学校ではなく旧制中学そして、大学へという想いを懐いていたのであるが、その夢は、ご子息が 継いでいる。さまざまなことを教えられた。学生に対しても厳しいが優しい目で学ぶ考えることの 意味を教えてくれた。大学に、然も東京のド真ン中にいると、看過することが多くなり、感性が鈍 磨してゆくなか、今、記した人を含め、多くの人との避遁は、清涼剤を飛び越えて、研究の有り様

を考える素材を提供してくれる。

 視点を変えてみよう。私の家は、父親が戦前に手間どりしていた地主から、農地改革により、山 林を譲りうけ2反3畝(23アール)の田を開墾したことが出発点になっている。この田の恩恵で飯 米に苦労せず、しかも川魚(鰻、泥鰯、ウグイ等)や、肉類(キッネ、ブタ、野ウサギ等)、そして 野菜等をおかずにし、時に海の魚と出会うこともあった。お蔭げで今の生活が存していると確信し

ている。

 子どもの時から、堆肥づくり、代かき、田植えの手伝い、稲刈りの補助等、対象者と屈託なく話 しが出来たのも、このような体験が存していたからに違いない。その頃、水田は1反歩(10アール)

が一番大きく、5畝、3畝などであったが、今思い出してみても休耕田はなかった。60年代、構造 改善事業のなかで、水田は3反歩(30アール)に拡充され、広域農道がつくられ、通勤用の車道へ

となっていった。現在、生産調整の影響もあり、水田は宅地となり、水の行き場はなくなってきて いる。休耕田も多い。米に代る作物として大豆が奨励されている。一度は無くなったというのに。

 都会でも、農村でも、土はアスファルト、コンクリートで蔽われている。以前読んだ本の中に、

土を舌で味わい、感触を確かめる話があった。「土は生きている」、「土は呼吸している」ことを実感 させる話である。土と水、21世紀を見据える長期的視点から捉え直す時期に来ている。調査はこの ことを考える重要な手段といってよい。

参照

関連したドキュメント

と言っても、事例ごとに意味がかなり異なるのは、子どもの性格が異なることと同じである。その

市民的その他のあらゆる分野において、他の 者との平等を基礎として全ての人権及び基本

黒い、太く示しているところが敷地の区域という形になります。区域としては、中央のほう に A、B 街区、そして北側のほうに C、D、E

LUNA 上に図、表、数式などを含んだ問題と回答を LUNA の画面上に同一で表示する機能の必要性 などについての意見があった。そのため、 LUNA

● 生徒のキリスト教に関する理解の向上を目的とした活動を今年度も引き続き

● 生徒のキリスト教に関する理解の向上を目的とした活動を今年度も引き続き

 講義後の時点において、性感染症に対する知識をもっと早く習得しておきたかったと思うか、その場

大村 その場合に、なぜ成り立たなくなったのか ということ、つまりあの図式でいうと基本的には S1 という 場