坪内逍遥が児童教育にもたらした偉業 : 家庭用児 童劇の導入的意義(2)坪内逍遥著『家庭用児童劇』
台帳の劇化の試み : 「鼠の會議」「?と芒」「こだ ま」を題材として (温故知新プロジェクト)
著者 花輪 充, 山本 直樹, 鴨志田 加奈, 高谷 温子, 川 合 沙弥香
雑誌名 東京家政大学生活科学研究所研究報告
巻 40
ページ 7‑15
発行年 2017‑07
出版者 東京家政大学生活科学研究所
URL http://id.nii.ac.jp/1653/00009999/
《温故知新プロジェクト》
坪内逍遥が児童教育にもたらした偉業―家庭用児童劇の導入的意義(2)
坪内逍遥著『家庭用児童劇』台帳の劇化の試み―「鼠の會議」「檞と芒」「こだま」を題材として 花 輪 充*1 山 本 直 樹*2 鴨志田加奈*3 高 谷 温 子*4 川合沙弥香*5
The great achievement Tsubouchi Shoyo brought to child education
―The introducing significance of KATEIYO-JIDOGEKI(2)
Trial of the dramatization of the written by Shouyou Tsubouchi KATEIYO-JIDOGEKI
― conference of the mouse evergreen oak and Japanese pampas grass echo as a subject
Mitsuru HANAWA, Naoki YAMAMOTO, and Kana KAMOSHIDA, and Atsuko TAKAYA, and Sayaka KAWAI
1. 問題の所在
坪内逍遥は、家庭用児童劇について「子供たち自身が、
家の人達や友だちに觀せるために演る劇の臺帳」(緒言)1)
であると論じている。逍遙の児童劇論は、その後小原国芳 の『学校劇論』等に引き継がれ、児童劇運動の「中心的役 割を果たした」と評されているが、子どもの目線に立ち、
演劇を生活芸術の範疇に位置づけようとするために逍遥の 果たした役割は大きい。同時代の幼児教育学者の倉橋惣三 は、「学校劇の教育効果は、『学習上の価値』と『美育上の 価値』の二つの側面を考える必要があり、逍遥の児童劇や 学校劇は美育上に価値を置いた教育的なものである」2)と 評価している。律動遊戯の提唱者である土川五郎も、「家 庭児童劇は確かに児童を捉へられたもので、(中略)大人 のつまらぬと感ずる所に、子供の真実さが表はれて居るの で、殊に尊いと思った。大人が見ては断片的部分的のやう で、あまり簡単であつけなさを感ずるのである。」3)などと 逍遥の主唱と活動に対して敬服している。一方、逍遥の家 庭用児童劇に対しては、物語性や脚色のすぐれた点を評価 しつつも、歌舞伎を演劇活動の主軸としたことへの限界を 指摘する意見(落合聡三郎)や、理論との矛盾を指摘する 意見(斎田喬、冨田博之)、子どもの感覚、心情、共感を 呼び起こすものに至らなかったという意見(河竹登志夫)、
舞台劇の臭いが濃厚すぎる脚本であり、依然として職業的 俳優の実演台本に過ぎないという意見(三浦藤作)などの
厳しい評価があったことも無視できない。事実、逍遥の脚 本は、旧劇(歌舞伎)調の言い回しで台詞が書かれている ため、どこか古めかしく子ども自身が扱うのには難解な要 素が多いともいえる。ただし、逍遥の児童劇運動に関する 啓蒙的理論的業績は高く評価されていた。当時文部省嘱託 であった青木誠四郎は、自身の論文の中で、逍遥の児童劇 の三種類を引用しながら「児童のための児童劇である。
(中略)児童劇は児童の本位とすべきものであって、しか も児童の精神的活動の過程を尊重するべきものである。
(中略)児童劇は児童の全人的教養に必要なる方法として 尊重されるべきものなることは明らかになると思ふ」4)と 論述しているが、逍遥の児童劇のあり方を自身の模範にし ていたことは明らかであり、当時の文部省の児童劇や学校 劇に関する根本思想に大きく反映していたと理解できる。
しかしながらその反面、家庭用児童劇の運用については苦 戦の連続であった。原因としては、当時の幼稚園や小学校 の教員には逍遥が指し示す児童劇上演の全容を思い描くこ とが困難であったこと、指針・指標が確立しておらず方法 論にいたっては未成熟であったこと、そして何よりも当時 の日本人の生活感覚や生活環境、生活習慣に馴染まなかっ たことがあげられる。だが、今日の日本において、逍遥の 思想と展望を読み解き、それを具現化していくための方略 を検討していくことはもはや難解な領域に非ず。まずは逍 遥がアプローチした取り組みを検証することにはじまり、
逍遥が主唱する「子供の為の、子供自身の子供劇」5)のモ デルケースの創作に励み、それらを幼稚園、保育園、小学 校で創演することを通じて、逍遥が目指した児童劇の効用 と効力について再評価するとともに、家庭用児童劇の今日 的役割や有用性について明らかにすることこそが、本プロ ジェクトにおけるミッションであると確信している。
*1 東京家政大学(Tokyo Kasei University)
*2 有明教育芸術短期大学(Ariake College of Education and Arts)
*3 山村学園短期大学(Yamamura Gakuen Collge)
*4 東京家政大学非常勤(Tokyo Kasei University)
*5 東京家政大学大学院(Tokyo Kasei University)
花輪 充 山本直樹 鴨志田加奈 高谷温子 川合沙弥香 2. 「家庭用児童劇」の変遷と逍遥の一念
2–1. 家庭用児童劇第一集で言及した簡単、純樸、無邪気
の三綱領の普及と効果(第一集)
大正期は、童話劇たるものが新劇団体によって上演され る一方で、逍遥などにより児童劇運動が展開され、専門的 な児童劇団が誕生するなど隆盛を極めた時代である。第一 集緒言の冒頭で逍遥は「家の中で、子供たち自身が、家の 人達や友だちに觀せるために演る劇の臺帳」6)と定義して いるが、その目的は「家庭内で、家人及び、たかゞ親類か 近所の人々ぐらゐを主な見物人にして、子供ら自身が、ち よつとした庭か座敷かを舞臺にして演ずるため(中略)丁 年未滿の兄姉たちは、時としては一役二役を手傳ふことも あるが、まづ成るべく四五歳以上十三四歳以下の子供らば かりに演ぜさせる」7)ことや「わが國で行はれてゐるお伽 芝居や童話劇に對しては、(中略)其過半は餘りに興行本 位式のものであるらしく、其幾分は寧ろ成人向きのもので あるらしく、其餘の分とても、まだまだ、兒童心理や敎育 的原理の研究に於て、不足してゐる」8)ことを国民に提唱 し意識改革の必要性を周知させることであり、「現在のわ が國の童話、童話術、童話劇なぞといふものは(中略)餘 りに多く成人の心持や觀察や解釋や理窟や趣味や意匠や技 巧が加はり過ぎてゐるやうに思ふ。私はもつとずつと無邪 氣に、純に、無技巧になつて貰ひたい」9)といった3点に 集約される。逍遥は、家の中のどこでも出来て、小道具、
楽器、背景、衣装などなくても、数時間ほどの猶予があれ ば、作から振付から何もかもできることを家庭用児童劇の あり方とし、あくまでも歌舞伎や新派劇、新劇、童話劇と 混同されないように主唱し続けたのである。台帳(脚本)
についても、知識の注入とか、道徳的教訓といったものは 暗示程度にとどめ、筋立ては極めて大まかなものとしてい る。演出にかかる時間も6、7分以内ほどとし、年齢に応 じて筋立てや主題等を複雑にしていってもいいとする自由 度を持たせた。ただし、簡単、純樸、無邪気といった三綱 領が備わっている以上、シナリオの素材は、子どもたちが 日ごろ見慣れたり、聞き慣れたりしているものや、不思議 だったり、珍しかったり、奇異な感じを抱かせるエピソー ドが編みこまれていることも大切であるとし、「鳥や獸や 魚や蟲などが、人間と一しょになつて言動するやうなこと があるはうがよい。いひかへれば、非常と尋常、自然と不 思議、噓と實、卑近と高遠などといふ反對の物が、いは ば、當り前の事でゞもあるやうに、卽ち餘り刺戟的でな く、自然に滑かに調和されて作り込まれてあるやうなのが よい。」10)とも解説している。
2–2. 鑑賞教育への方向変換をはからざるを得なかった逍
遥の葛藤と決断(第一集〜第弐集)
逍遥が提唱した家庭内で演ずる児童劇の意図は、学者や 一部の文化人において推奨されたものの、民間の中に定着 するには至らず、多くの場合は幼稚園の遊戯会や小学校の 学芸会で使われることがほとんどであった。そのため逍遥 は、第二集刊行に際して、「私の主旨を廣く世間に理解し て貰ふためには―若し子供たち自身が自分で進んで喜ん で演じてくれさへすれば―それも決してわるいことでは ありませんから、其公演の仕方が營利的でなく、教育的で ある限り、すべてをさういふ希望をも歡迎する」(第弐集 大正12年1月)といった具合に、それまでの主張を翻し、
家庭用児童劇の試演と銘打って丁年に至る成人たちに第一 集・弐集に掲載の『田舎の鼠と東京の鼠』『メレー婆さん と其の飼犬ポチ』『わるい友達』『すこなびこな』『をろち 退治』など七つの脚本を大阪・新町演舞場や東京・有楽座 で演じさせるなど、創作の奨励よりも先ずは鑑賞力の涵養 に力点をおいたのである。具体性に乏しかった家庭用児童 劇の全容を具体的に紹介することで、観客である多くの父 兄母姉については、家庭内における児童劇の計画と展望を 抱かせたことは大きな成果であったが、これには批判も多 く、劇場に訪れた記者からは「博士自らがおっしゃってお いでの如く、家の中で子供たち自身が、道具や背景や扮装 は思ひ切り簡単にして、自分自身で工夫しながら演ずるた めのものなので、それを舞臺の上で演じたことは、多少本 來ぼ特色を傷つけた憂がないでもありません。」11)また、
坪内士行からは「出し物七つの中、最終の『をろち退治』
の他は公衆を相手の舞臺へ出すべきものではないと思いま す。あくまで家庭用であり児童自身が演じなくてはなりま せん。」12)といった厳しい感想が寄せられたのである。
2–3. 逍遥の児童劇観の混迷(第弐集〜第三集)
創作の奨励よりも鑑賞力の涵養に力点をおいた逍遥は、
家庭用児童劇第弐集に大勢で公演できる脚本を掲載してい る。『因幡うさぎ』『すくなびこな』『高まが原』『國ゆづ り』などの神話がそれであり、ここにおいて逍遥は、家庭 用児童劇の範囲を家庭・幼稚園・小学校までに拡大する。
奇しくも大正12年に逍遥は、『わがページェント劇』と
『芸術ト家庭ト社会』を発行しているが、幼少期から成人 にいたるまで生涯にわたる教育としての演劇を考え、児童 劇からページェントまでを教育のうえで一つの連続体(家 庭–幼稚園–小学校–一般民衆)と考える逍遥にとっては、
納得のいくことであり、自身の主唱を俯瞰し省察するため の絶好の機会であったと思われる。また逍遥は、第弐集の 序において再び五六歳の子供たちに対応する脚本の復活を 促している。「家庭用を主にして、五六歳の子供たちに適
當するやうなイソップ風の短い物を、更にいろいろ載せよ うと思ってゐます。」13)とし、第三集の序においては「私 の所謂家庭用兒童劇に懇篤な同感を寄せられる各地方の諸 君から、願はくは、此際は、寧ろあのたぐひの、極平易 な、眞に家庭内で子供の力で演じられるものを、もつと提 供して貰ひたいといふ注文が出版部へ到來するよしで、當 局者から、せめてもう一冊家庭用の分を書き足してくれと いふ需めがあった。」14)その殆どはイソップやアンデルセ ンなどの外国の童話をモチーフとした作品であり、それら を逍遥は、国民性と時代の要求とに適応させる題材と位置 付けたのである。本来逍遥の提唱する「私の所謂兒童劇は 飽迄も、家庭的でなければならぬ。(中略)でないと、勢 いすべてが注入的、干渉的、口移し、手写し式の敎練と なってしまつて、私の云う意味の敎育的効果は擧らないこ とになる。」15)といった主旨からは逸脱するにしても、家 庭用児童劇運動を推進させていくためには避けられぬ手立 てであったのであろう。それゆえ逍遥は、『大きな魚せん べい』『なめくじとばった』『太陽と風』『正直なきこり』
『みえ坊のあほうがらす』などの戯曲も、室外庭内問わず、
子どもたちが自身の創意工夫によって手軽に演じられるよ うな構造をもっている。
2–4. 模範・標本の提示から劇趣味性の涵養へと舵を取っ
た逍遥の展望
家庭教育における芸術教育の取り組みを児童劇の創作や 創演に期待する逍遥は、鑑賞性を涵養することを以て芸術 教育の第一歩にせよとする意見に対して寛容な対応を示し ながらも「児童劇だけは、どうしても鑑賞よりも創作、創 演を先にせないわけにはいかない」16)という考えを崩さな かった。逍遥は「歌舞伎などの旧派、新派、新劇のみなら ず、子どものためのお伽芝居や童話劇にいたるまで、当時 最も一般的であった演劇は、鑑賞教育用には耐えられな い」17)と公言し、鑑賞さすべき目的物がないことに苛立ち を覚えていたのである。それが契機となって、逍遥は、脚 本や解説書の執筆と講演活動及び児童劇の公演といった理 論と実践に跨った児童劇運動を展開していったのである。
これが逍遥の手掛けた鑑賞教育の模範・標本づくりといえ るものである。しかしながらそれは、児童劇を子どもが自 ら作り出し家庭で演じられるように主唱してきた逍遥に とって矛盾を孕む決断ともなった。なぜなら、逍遥は上演 に際して、数名の子どもを除いては女優養成学校の学生を 多く出演させているばかりか「児童みづからの自発に俟つ べきもの」18)とする主唱にも反して、演技、舞台装置、小 道具、衣装までも一切支持するに至っている。そのことに ついて逍遥は「本来のあり方ではないが、世間にモデルを 示すために止むを得なかった」19)と弁明しているが、結果
としてそのことが幼稚園や小学校での演劇活動の盛行に繋 がったことは事実であった。
3. 研究目的
問題の所在を拠り所として、2年次プロジェクトでは、
「坪内逍遥著『家庭用児童劇』台帳の劇化の試み」につい て、創作と創演の取り組みより導きだされた成果及び課題 について次の要点を視座として明らかにする。
3–1. 家庭用児童劇の著作より坪内逍遥が抱いていた構想
を概観する。
3–2. 家庭用児童劇の劇化について、理論と整合した実演
の調和的方法を検討する。
4. 研究方法
4–1. 「遊びの中の演劇学習会」の開催
*日 程/平成28年8月13日〜15日
*会 場/練馬区立厚生文化会館
*参加者/[講師]:花輪 充(東京家政大学)、山本直樹
(有明教育芸術短期大学)、鴨志田加奈(山村学園短期大 学)、吉村温子(東京家政大学非常勤講師)、川合沙弥香
(東京家政大学大学院)、[アシスタント]:髙﨑みさと(東 京家政大学)、[その他]:岩井真澄(東京家政大学大学院)、
佐伯眞衣(元花輪ゼミ)、河合真悠子(元花輪ゼミ)、小西 太知(山本ゼミ)、[参加者]:学生13名(東京家政大学6、
有明教育芸術短期大学6、文京学院大学1)
*内 容/[13日]:東京家政大学4年花輪ゼミ7名、有明 教育芸術短期大学3年山本ゼミ5名による創作劇「太一の きつね退治」「めっきらもっきらどおんどん」のデモンス トレーションと省察。[14日]:東京家政大学花輪ゼミ4年 7名、3年2名、有明教育芸術短期大学山本ゼミ3年5名、
2年1名、文京学院大学3年有志1名を加えた3大学合同3 グループによる劇台本「こだま」「檞と芒」「鼠の會議」
(坪内逍遥『家庭用児童劇第一集』『家庭用児童劇第二集』)
の劇化とデモンストレーションと省察。[15日]:練馬区厚 生文化会館事業「おはなしいっぱい、げきまつり」にて、
「太一のきつね退治」「めっきらもっきらどおんどん」「こ だま」「かしとすすき」「ねずみのかいぎ」のデモンスト レーションと省察。
4–2. 「遊びのなかの演劇学習会」の振り返り
*日 程/平成28年9月16日
*会 場/東京家政大学
*参加者/[講師]:花輪 充(東京家政大学)、山本直樹
(有明教育芸術短期大学)、川合沙弥香(東京家政大学大学 院)、[アシスタント]:岩井真澄(東京家政大学大学院)、
花輪 充 山本直樹 鴨志田加奈 高谷温子 川合沙弥香
[参加者]:学生/11名(東京家政大学7、有明教育芸術短 期大学4)
*内 容/記録映像を鑑賞しながら省察を行う。
5. 研究の要点
5–1. 家庭用児童劇に対する坪内逍遥の構想に着目する
坪内逍遥は、家庭用児童劇第一集の附録の中で、明治・
大正に興業されてきた日本の童話劇が、大人の主観(心 持、解釈、理屈、趣味、意匠等)に傾倒していることを憂 い、もっと無邪気に、純に、無技巧であるべきこと、その ためには、話術、台本の解釈、演技指導、舞台美術に関し て大人の過剰な介入は避けること、似非写実的な表現や子 どもの虚栄心を煽るような指導をしないこと、観せること に主体があるのではなく、自ら娯しむことを大切にするこ と提唱し、子どもたちの天真を損なわないことを家庭用児 童劇の根幹としている。
5–2. 坪内逍遥の児童劇批判を検証する
極めて活動の領域を広範囲に及ばし、多彩な業績を残し た坪内逍遥だが、彼に対する批判は少なくなかった。津野 は「程度の差こそあるものの、どの実験も失敗に終わった といわざるを得ない。それは逍遥になにか(たとえば個人 や国家の意識)が足りなかったからではなく、反対になに かが多すぎたからである。―その古さも新しさもひっくる めてのなにか―逍遥の多すぎる夢を読みとく枠ぐみを近代 日本はもっていなかった。」20)と自著『滑稽な巨人』の中 で触れているが、とりわけ児童劇に対する批判は、「一、
児童に見せる、鑑賞させることを目的とした児童劇と、児 童が演ずる児童劇の区別が明瞭でないこと。二、児童が演 ずる児童劇といっても、児童の生活感覚とはほど遠く、歌 舞伎調で書かれたものが多く、家庭児童劇といっても、日 本人の生活環境や生活習慣とは馴染まぬこと。」21)と厳し いものであった。
5–3. 劇化に伴い、表現方法(演技)を検討する
南は、坪内逍遥が児童演劇運動で伝えたかったことを、
「声の身体性、身体の表現力を重視すること」22)と「物語 を伝えるだけでなく、体を動かすこと、体を使って表現す ること、声を使って表現すること」23)としている。それは、
脚本に従事するのではなく、演劇的表現の身体性に重きを おくことであり、全人格的修養を主体的に楽しみながら行 うことを可能にすることを示唆する。学習会では、逍遥が 実践した模範実演の取り組みに準え、参加した学生たちと 戯曲の劇化に邁進することで、参加者全員が深い感興を持 ち得ることで、家庭用児童劇の導入的意義を体験的に知る ことにある。そこで、研究員は専門性を活かし、『家庭用
児童劇』台帳にある戯曲「こだま」「鼠の會議」「檞と芒」
の劇化及び逍遥の児童演劇世界を具現化のために寄与し、
参加者に対して上演形式に対する提案を行う。鴨志田の コーチングにより「檞と芒」を舞踊劇に、山本のコーチン グにより「こだま」を朗読劇に、川合のコーチングにより
「鼠の會議」を人形劇の創作、創演に向かわせる。
6. 結果と考察 6–1. 朗読劇について
「朗読劇」という演劇的手法は、童話や民話や、絵本な どの文学作品を題材に、解釈の仕方や感情表現を工夫して 複数で朗読し味わうための方法である。
6–2. 朗読劇創作の経過
今回は、家庭用児童劇台本「こだま」を題材として、5 人の学生を対象として読み合わせから始めた。読み合わせ 後に一人一人気づいたことや感想を出し合い、作品に対す る分析・解釈、工夫の視点、アイディアを深めながら進行 させるというコーチング的な方法をとった。指導を行う上 での事前準備として、全員で作品のテーマ分析をしたり、
椅子の配置を変えるなどステージングに意識を向かわせる などした。中でも皆がこだわったのが「母、子、こだま」
の関係性を意識した椅子の配置である。向かい合って座っ てみたり、背中ごしに座ってみたりしながら、演じた本人 はどう感じたか、見ていた人たちはどう感じたかを伝え合 い、その追求を楽しむことができたように思う。当然、そ れぞれの解釈は個々に違う。関係性をどう捉えるか、それ
は感性の問題、個人の問題であるからである。配役を決め て、台詞割りをした段階でチームでの稽古時間が終了す る。終了後はステージを使っての稽古であったが、舞台上 での役者の立ち位置と演技範囲について花輪からアドバイ スがあった。
6–3. 朗読劇創作の成果
「朗読劇」は初心者でも取り組みやすく簡単に出来ると 言われているものの、実際は侮れない演技様式でもある。
制約(ルール)がかなりあり、それを遵守するだけでも労 力を要するからである。朗読劇では演者が過度に動かない 分、観客は語り手の一挙手一投足に注目する。したがっ て、演者は、細かいところまで作り込むための集中力や自 己制御を求められる。「朗読劇」の特徴は、台本を持ち、
スツールに座って演じられることである。はじめのうちは このやり方がいい。シンプル・リーディングといったこう したやり方に慣れてきたら、台本をはずしたり、スツール にも座らず、自由度の高い表現方法に切り替えていくのも よい。朗読劇というのは、それだけ表現者の力量なりに適 応できる劇様式である。今回のように時間が限られ、発表 を前提とした場合には、シンプル・リーディング様式の朗 読劇は最適といえる。ある程度の完成形を見いだせるから である。また、こうした様式は、自己目的的な演劇の在り 方と他者伝達的な演劇の在り方に気づかせてくれる。坪内 逍遥に言わせるならば、論理的読法といったものである。
すらすらとよどみなく読み進めることではなく、文法的に 正しく読むことでもなく、内面にあるものを心をこめて相 手に伝えようとする読法のことである。学習会では、内容 の掘り下げ(イメージング)に時間を費やし、キャラクタ ライゼーションから読み合わせといったプロセスを経て発 表会へと向かったが、学生たちにとっては手元に脚本があ り、スツールに座って演じられるといったことに安堵感を 感じていたようであった。
6–4. 舞踊劇について
舞踊劇とは、舞い踊るといった身体表現を用いて物語る
演劇的表現手法であるが、それは単なる日常的な動きの再 現ではなく、物語の情景、登場人物の情感等を舞踊表現を 通して抽象化し、叙情的表現に再構築する作業であるとい える。今回のように、表現活動経験にばらつきのある学生 を対象とした学習会で舞踊劇を学びの題材にするにあたっ ては、その創作過程での引き出し方、導き方が大きな要と なることが予想された。身体とイメージを結びつける力 や、共演者・観客との柔軟なノンバーバルコミュニケー ションを求められる表現手法であり、言語表現や視覚化さ れた情報に慣れ親しんでいる学生にとっては、かなり難易 度の高いものであると考えられる。しかし試行錯誤しなが ら自身の身体性に対峙し他者との共振を体得していく過程 そのものが、身体から発せられる表現の力強さやノンバー バルコミュニケーションの可能性についての気づきを得る 機会となると考えられ、学びの題材としての多くの価値を 内在していると感じる。指導担当の鴨志田はダンサー・俳 優として、舞台作品への出演、振付及びダンス指導の経験 を積んできた。しかし自身の振付をトップダウン型で指導 するのではなく、学習者の創造性を引き出しながら導くと いう作業においては目下自身の課題でもあった。学習会の 事前準備として、自身が今まで行って来た創作過程を今一 度振返り、自分の中で感覚的に行っていることを具体化 し、学習者を対象とした活動に置き換えた時にどのような プロセスを構築できるのかについて検討を試みた。また、
学生のイメージを刺激し動きを引き出す為に効果的と考え られる小道具(布、枝)を用意し、音源については現場で 応用しやすいように自身で幾つかの音のフレーズをPCソ フトで制作し準備にあたった。
6–5. 舞踊劇創作の経過
坪内逍遙作、花輪充脚色「カシとススキ」を題材とし て、舞踊劇の創作実演にあたった。3人の学生が舞踊劇創 作を選択し、鴨志田を含め4人での創作活動を行うことと なった。そのうち2人はクラシックバレエ、モダンバレエ の舞踊経験者、もう1人は、経験は少ないものの身体表現 に関して積極的な学生であった。経験の種類、経験値の差 はあったが3人とも舞踊について関心の高い学生であっ た。
6–5–1. 導入 物語を読む活動(言語表現から身体表現へ)
いきなり創作に入るのではなく、物語の流れを把握し作 品全体の色合いを共通に認識することを目的とし、物語を 読むといった言語表現を主とした活動から始めた。黙読、
音読、輪読、朗読、立ち回り付きの語り、といった段階を 踏み、読み合わせをしては、お互いの考えたこと感じたこ とを伝え合うといった取り組みを重ねた。次第に物語自体 の面白さやメッセージ性について、物語全体を流れる空気
花輪 充 山本直樹 鴨志田加奈 高谷温子 川合沙弥香 感等、共通のイメージについて学生間で自発的に会話が弾
み、イメージを共有する度に3人の表情も和らいでいっ た。
6–5–2. 即興表現からシーン作りへ
コミュニケーションが円滑になってきたところで身体表 現へと活動を移していった。ここでは鴨志田が事前に検討 してきた内容(学生のイメージを引き出し、それを身体で の表現にしていくプロセス)について、指導者から投げか ける形で活動を行った。第一段階は役の特徴を形容詞で挙 げ、即興的にポースや動きで表現するワーク、第二段階と してシーン設定(季節・時間・関係性・温度・湿度・匂 い・空間配置)についてメンバーで話し合い、展開を考 え、場面の中で登場人物の関係性を踏まえたステージン グ、そして台詞にあるような役同士の応答的な掛合い(風 によって揺れるススキ、最後には風の力で折れてしまうカ シの木など)を動きで表現へと内容を深化させていった。
6–5–3. 模倣からノンバーバルコミュニケーションへ
当初、他者の動きを気にしながら探り探りといった状態 にあった学生であったが、動きを通して互いにコミュニ ケーションをはかる姿が見られだした。この時点において は、鴨志田は言葉がけを中心に行うことが多かったが、学 生の動きが止まったり、言葉での表現が長く続いたり、
しっくりと来ない表情を浮かべながら動きを繰り返してい る姿を発見した時等には、筆者自身も演者として身体で表 現し活動に加わってみることにしたが、危惧していたよう な指導者の動きを正解とするような解釈に学生が陥ること
はなかった。真似ではなく、伝染といったような感覚で、
動きの質感を学生たちが感覚的に掴みとり、学生自身の頭 と身体の間のわだかまりを解く糸口になっていたように感 じられた。学生間、学生と筆者の間にノンバーバルコミュ ニケーションを介した創造が見え隠れしだした瞬間であっ た。
6–5–4. 仕上げ・本番
その後、活動を観察していた花輪から、叙情的表現とい う、舞踊表現の特性に立ち返る必要性ついて学生へメッ セージがあった。学生たちは話の内容について感銘し、舞 踊表現の魅力を改めて認識している様子であった。しかし 肝腎の自分達の表現についてアドバイスをどのように活か せば良いかについては頭を悩ませている様子であった。午 後は花輪の指導のもと、台詞を語りながら作品を仕上げて いく作業が中心となった。実際に他のグループや教員の前 で発表するとなった時、始めのうちは特に自分達の頭の中 で解決されていないことや台詞での表現とのバランスに不 安を覚え、身体も硬くなっていたように感じられた。花輪 は客観的視点から、学生それぞれの課題を明確に示すとと もに、作品についても演出を加えた。本番では、互いの空 気を感じ取ろうとする意識が強く感じられた。見ていた子 どもたちにも、言語表現とは違った独特の空気感を伝える ことができたのではないかと考える。
6–6. 舞踊劇創作の成果
舞踊劇について、学びの題材として第一に考えられる可 能性は、型(身体性・技術)と自由な表現(即興表現)と いう事柄の中で、自身の経験値や身体性と向き合うなか で、今ある自身の力を解体したり再構築することの必要性 について気づく機会となるという点にあるのではないか。
舞踊表現は、他者伝達性を念頭においた作品に仕上げるこ とにおいては、一般的には演者自身の身体性や舞踊経験が ある程度必要になると考えられる。そういった意味では、
技術を身につけた舞踊経験者であれば、創作しやすいもの とも考えられるが、必ずしもそうではない。舞踊劇といっ た演劇的表現となった場合、「物語」という演劇的要素を
媒介としイメージや背景を総合的に伝えるといった事が先 立つ目標となる。今回の参加者にも、舞踊経験を有し自分 の中に動きの型がある程度出来上がっていた学生がいた が、物語や台詞のイメージを抽象化し自由に表現するとな ると途端に身体が硬くなり、型から抜け出せない自分にも どかしさを感じているような場面も見られた。反対に、舞 踊経験の少ない学生は、自由に動くことは出来ても、他者 伝達性ということを考えた時に何か具体的にならない自身 の身体表現に違和感を感じ、自身の内面にあるイメージが 身体に投影されないもどかしさを感じている様子が見られ た。両者ともに、実際に振返りでもそのように語ってい た。技術だけでも上手くいかない、自由な表現だけでも上 手くいかないといった問いは、どの表現手法にも共通する ものではある。しかし言語表現に比べ非日常的要素を含 み、型や技術が明確に現れやすい舞踊表現だからこそ、型 と自由について学習者自らが必然と気づいていくような過 程を構築しやすいと考えられる。それぞれの弱点が強みに も成り得る事にも気づけるよう、互いが補完し合うような かかわり合いの場を生み出していくことが重要だと考えら れる。
6–7. 人形劇について
人形劇とは、人形を表現主体とした演劇のことである。
世界各地には、その土地の民俗文化と強い結びつきをもっ た多種多様な形態の人形劇が存在している。日本における 人形劇の源流は神事、祭事にあり、神と人間との間をとり もつのが人形の役目であった。古来より、人々は生活の中 で生起する多様な感情や思いを人形に投影し、表現してき たのである。既成概念に囚われない新たな舞台芸術が次々 と生み出されている現代においては、人形劇もジャンルを 超えた人形による現代的な演劇表現を「人形演劇」24)と呼 び、新たな概念を追求する団体も現れてきている。
6–8. 人形劇創作の経過
当日は人形遊びから始められるよう、学生にも人形作り への参加を呼びかけた。人形をあえて劇人形ではなく、ぬ いぐるみ状の人形としたが、それは遣い手が人形との交流 の中で表情を発見し、動かし方を試行錯誤する過程を重視 しようと考えたためである。動きの可能性を広げるため、
手足の付け根に柔軟性をもたせたり、後頭部にリング状の 突起をつけ、持ちやすいようにする等の工夫を凝らし、人 形遊びの延長線上に人形劇を捉えるため、「出遣い」の様 式をとることとした。また、情景を表すための舞台装置と して、積み木、パネル、布といった抽象度の高い物を用意 し、創作の状況に合わせて柔軟に対応できるようにした。
6–8–1. 自己紹介・ガイダンス
はじめに5名の学生と懇談の時間をもち、自己紹介と人
形劇を選択した理由について述べてもらった。選択の動機 としては、「保育実習で人形をつかった経験や他の人形劇 のワークショップへ参加した経験から人形に興味をもっ た。」「身体表現の経験は豊富だが、物を介在させた表現は 苦手あるいは経験がなく、表現の幅を広げたいと思った。」
「事前の人形作りに参加し、人形への愛着が湧いた。」等、
様々であった。人形劇を創作した経験のない学生たちで あったが、人形を用いた表現の魅力を各々が感じていると いった様子であった。次に、今回使用するネズミの人形を 登場させたが、場の雰囲気は一瞬にして和やかになり、
各々人形を手にとり、目や口などの部位を触って感触を確 かめたり、動かしてみたりして遊ぶ姿が見られた。次に、
活動全体の方向性を示し、学生の意識を明確化することを 目的としたガイダンスを行った。まずは今回取り組む人形 劇の概要について、映像(筆者らの出演する保育所での人 形劇公演映像)を用いて説明を行い、劇人形ありき、額縁 舞台ありきという様式ではなく、素朴な表現行為である人 形遊びを活動の中心に据え、学生たちの創造性を核として 劇を構成していくことについての共通認識をもった。そし て、劇発表では、人形で遊ぶ大人たちの姿を観て、観客で ある子どもたちもそこに参加したくなるような空気感に溢 れ、子どもたちが自らの生活文化に取り入れていきたくな るような魅力あるパフォーマンスを目指すことを目標とし て掲げた。
6–8–2. 読み合わせ
各自の黙読、音読に続いて全員で輪読を行った。ここで は、文字を音声化するだけでなく、物語全体を包み込むウ イットやキャラクター同士の関係性についてイメージを膨 らませる作業を行った。引き続き配役であったが、川合が 母親ネズミの役を担当することとし、学生たちには子ネズ
ミ5匹の役を決定するよう促した。初めのうち学生たちか
らは主人公のネズミ5匹のキャラクターが語られるだけで あった。周囲に対する遠慮もあっただろうが、自分はどの 役に適しているのか、普段の自分とは違うキャラクターに もチャレンジしてみたい等、様々な迷いがあることが読み とれたため、時間がかかることを覚悟して学生自身の決定 を待つことにした。やがて、一人が役を選んだことをきっ かけに次々と手があがり、配役が決定した。その後の読み 合わせにおいて印象的だったのが、人形を手にしたこと で、輪読の時とは声のトーンや表情が全く変わり、台詞に 合わせて自然と人形を動かす等、人形をもつことで表現が 伸びやかになったことである。
花輪 充 山本直樹 鴨志田加奈 高谷温子 川合沙弥香 6–8–3. 人形遊び
人形あそびとは、物語の大筋を頭に入れて、人形の心情 になって即興的に振舞うことである。表現行為には、自己 目的性と伝達性という二つの要因があるが、まずは自己目 的的活動、つまり、個人の内面活動を活性化させ、それを 当事者同士の関係の中で表現し合い、分かち合う経験を大 切にしたいと考えた。そこで、当事者(演者)同士の関係 の中でドラマを展開できるよう、円状になって活動を行っ た。ここでは、言葉を発さない時も人形は生きているとい うことを意識させた。また、それぞれのキャラクター像に ついて問いを投げかけたり、実際の子どもの姿や親子関係 等について役作りのヒントとなり得るメッセージを活動の 中に挿入した。このように、各々がイメージを膨らませた り、互いにイメージを共有したりする過程を経ながら、次 第に生きた言葉のやり取りや人形の動かし方の工夫が生ま れていったことは収穫であった。
6–8–4. 構成・演出
午後は舞台上での稽古となった。午前中の活動をベース にしながらも、観客の視点を意識し、伝達性に重きを置い た活動へと移行した。舞台上に立つと、若干の緊張感が 漂った。ここでは、花輪が総合監修といった立場をとり、
筆者は演者として学生の伴走者という立場をとった。まず は、花輪より「舞台づくりにユーモアが欲しい!子どもた ちの遊び場を想像してもっと奇天烈な空間にすれば、人形 で遊びたくなるのでは。」といった課題の提供があった。
そこで均衡をあえて崩し、パネルをトンネル状にしたり、
積み木を縦、横、斜めと不揃いに並べたりして、子ネズミ たちの遊び空間を表現することを試みた。また、花輪は、
各キャラクターの個性や心情、関係性等について、学生た ちのイメージを触発するような投げかけを行うと同時に、
出遣いにおいては、表現主体である人形だけでなく、その 遣い手の所作や遣い手と人形との関係性も観客は捉えてい るため、演者には多面的な見方が必要となってくるとの指 摘をした。その後は、休む間もなく、動きを確認し合った り、人形の動かし方を指摘し合ったりする学生たちの姿が 見られた。こうした作業を通して自身の表現を多面的に捉 える意識が高まり、学生同士のコミュニケーションは活発 になっていったようであった。
6–9. 人形劇創作の成果
学生自身の個性を認め、表現を引き出していくことを心 がけて創作作業に関わったが、表現行為から表現活動へと 移行できる学生もいれば難しい学生もいた。ただし、人形 を表現主体としたことにより、学生の表現が素直に引き出 されたのではないかと推察する。自己紹介の際、緊張した 面持ちで向かい合っていた学生たちに人形を手渡すと、表 情がほころび、幼児のようにコミュニケーションをとり始 める姿があった。読み合わせの時も、人形を傍らに置いた だけで瞬く間にネズミの心情・態度になり変わり、我が事 のように人形を動かして遊ぶ姿が見られたのは印象的で あった。事後の省察においても、学生より「子どもの頃、
人形に対して抱いていた愛着に似た感覚が呼び起された。」
とのコメントがあったが、人形が学生を生かす契機とな り、童心に返ったような感覚で表現することができた様子 がうかがえる。学生たちは稽古の中で常に人形を生かそう と努めていたが、それは同時に、人形によって自らが生か されていることでもあり、そうした相互的な関係性が涵養 される中で学生の表現力の高まりと可能性を見出すことが できた。
7. まとめ
28年度は「遊びのなかの演劇学習会」(他大学の教員や
学生たちと演劇・舞踊と教育に関する理論と実践学習会)
を開催した。学習会の眼目は家庭用児童劇第一集掲載の
「こだま」と、第弐集掲載の「鼠の會議」と「檞と芒」を、
朗読劇、人形劇、舞踊劇の様式に則って再現することで あったが、参加者全員が工夫を凝らしながら、戯曲を立体 化していく過程は実に楽しく、発見の連続であった。大仰 な舞台装置ときらびやかな衣装に身を包んで、これ見よが しと演ずるのではない。平常心で仲間と交流しながら、遊 びながら、集中力を保ちながら場面を即興的に演じるとい うダイナミクスは格別であった。今回参加してくれた学生 からは、悲喜交々の感想が寄せられた。そもそも学習会の 意図を間違って認識していたという意見もあれば、児童劇 の創作を巡って冒頭から行き違いを感じたなどの感想も寄 せられた。しかしながら、参加者との交流を深めていくう ちに、気取りや警戒心が解け、劇作りを巡った多くの会話 がコミュニケーションを深化させていったようである。児 童劇の創作・創演にあたっては、他大学の学生と交流せざ るを得ない状況の中で、自分自身のコンディションを見つ める絶好の機会になったこと、協働作業をしていく中で新 たな発想に出会うことができたなどの声も聞こえた。ま た、人形劇に取り組んだ者からは、子どものごっこあそび の渦中にいるかのような楽しさと充実感を感じたことや、
人形の扱い手であるはずの自分が、不思議と人形にリード されているような気持ちとなり、安心して表現に浸れたな どの感想もあった。朗読劇のメンバーからは、朗読劇のも つ魅力を再認識出来たと同時に、それが逍遥の唱える三綱 領「簡単」「純樸」「無邪気」の概念と繋がることに喜びを 感じるとのコメントが寄せられた。舞踊劇のメンバーから は、舞踊といった概念に対する認識のちがいがあったから こそ、協奏的で創造的な作品作りに集中できたのではない か、協働の難しさと面白さの渦中に身を置くことにどこか 心地よさを感じたとの感想を聞けたことは、家庭用児童劇 の創作・創演のプロセスにおいて問われる台本と表現方法
(演技)の調和に関する気づきとして高く評価できる。
8. 今後の課題
平成29年度は、新たな作品の創作・創演に取り掛かる とともに、28年度に創作した「鼠の會議」「檞と芒」「こ だま」を幼稚園、保育園、小学校、児童館等において巡回 公演する計画である。様式としては、研究員それぞれの専 門性を活かし、逍遥の唱える表現形式(パントマイム式、
小喜歌劇式、戸外劇式、ページェント式、操り人形式、旧 劇式)に沿っての劇化、また現代の児童青少年演劇におけ る表現形式(素劇式、朗読劇式、参加劇式、人形劇式、立 絵芝居式、ミュージカル式、舞踊劇式)を用いながら、逍
遥世界を具現化するとともに、逍遥が標榜した演劇教育の 意義や課題を明らかにすることである。
謝 辞
本研究の実施にあたり、研究目的を理解し協力いただい た山崎素裕さんをはじめとして練馬区立厚生文化会館の職 員の皆様に感謝の意を評します。
付 記
本報告書では、以下の紀要集の一部を編集加筆してい る。
*花輪 充・山本直樹・鴨志田加奈・川合沙弥香「アク ティブ・ラナーの育成を目指した演劇的手法を活用した コーチングの可能性と課題―大学間連携等によるワーク ショップ型演習の実践を通して―」東京家政大学博物館紀 要第二十二集、2017年2月、p. 39–51
文 献
1)坪内逍遥著『家庭用児童劇』早稲田大學出版部,1922年,
p. 1
2)南元子著『近代日本の幼児教育における劇活動の意義と変遷』
あるむ,2014年9月,p. 56 3)同上書,p. 56
4)前掲書2),p. 54
5)坪内逍遥著「児童劇の三種類」『逍遥選集』第九巻,春陽堂,
1926年,p. 470 6)前掲書1),p. 1 7)前掲書1),p. 188 8)前掲書1),pp. 177–178 9)前掲書1),p. 184 10)前掲書1),p. 197
11)坪内逍遥著『家庭用児童劇 第弐集』早稲田大學出版部,
1923年,pp. 163–164 12)同上書,p. 185 13)前掲書12),p. 2
14)坪内逍遥著『家庭用児童劇 第参集』早稲田大学出版部,
1924年,pp. 1–2 15)同上書,p. 193 16)前掲書2),p. 47 17)前掲書2),p. 48 18)前掲書2),p. 50 19)前掲書2),pp. 50–51
20)岡田陽著『日本の児童青少年演劇の歩み』日本児童演劇協会,
2005,pp. 299 21)同上書,pp. 300–301 22)前掲書2),p. 67 23)前掲書2),p. 67
24)加藤暁子著,『日本の人形劇 1867–2007』法政大学出版局,
2007,p. 235