社会的望ましさが社内トレーニングにおけるトレーニーの自己報告に及ぼす影響
社内トレーニング トレーニングへの自己報告 達成目標 自己欺瞞 印象操作 行動システム専攻 王 一霖 問題と目的 自由時間の増大などの社会の成熟化に伴い、心の 豊かさや生きがいのための学習需要が増大して、学 校で行う学習だけではなく、生涯にわたって学習す る需要が増大している(文部科学省白書,2006)。文 部科学省はそのような生涯にわたって人々が行うあ らゆる学習を「生涯学習」と定義している。この生 涯学習の実現の一つとして、勤労者の職業上の能力 を高めるとともに、社会人としての豊かな教養を身 につけることをめざす「社内トレーニング」と呼ば れるものがある。社内トレーニングは、会社という 組織の生産力を高める手段であり、会社の競争力を 評価する指標と捉えられている。豊かな社内トレー ニングは社員の生産力の向上や離職率の減少に繋が っている(Noe et al. 2006)。なお、この社内トレー ニングに参加する学習者はトレーニーと呼ばれる。 ところで、社会人学生の平均学習時間は一般学生 より少ないが、学習の積極性や持続性は一般学生よ り高いことが示されている(郡谷,2008)。また、 社会人学生の学習態度は、他者との競争ではなく、 自己成長のツールとして捉えられている。 つまり、 社会人学習者は自己成長及び能力向上への欲求が一 般学生よりも高いと見なされている。 職場において、社会人トレーニーの学習意欲が高 いとはいえ、学校で勉強する一般学生より学習時間 は少なく、トレーニングの遂行も困難になっている。 また、学習の失敗は激しい失敗感や絶望感を引き起 こすことがある。職場において、業務能力の向上が 期待通りに行かず、知的能力が業務に合わない場合 は、「職場不適応症状」に陥る可能性も指摘されてい る(島津・小杉,1998)。学習に伴って喚起する無力 感や絶望感は、学習の失敗を能力不足に帰属するこ とによって生じてしまう。特に、学習の達成目標に ついて、非現実的な高い目標を設定し、それを達成 することで自分の価値を決定するという特徴を持つ 完全主義者は学習無力感を感じやすく、抑うつ状態 に陥る傾向が示されている(山下・福井,2011)。心 理学領域において、このような自己認識、評価を歪 め、社会的に最も受け入れやすいものに従い、自分 を反映する、或は信じてしまう傾向を「社会的望ま しさ」と呼ばれている。 そこで、本研究は、職場において、社会的望まし さがトレーニーの達成目標や社内トレーニングへの 自己報告に与える影響のメカニズムを調べることを 目的にした。その成果は、職場不適応症の予防やト レーニーのパフォーマンス向上に資すると考えてい る。 研究1:社内トレーニング自己報告尺度の作成 学習環境は職場であり、対象者は学習動機が一般 学生より高い社会人であるため(郡谷,2007)、従来 の学習への自己報告に関する尺度をそのまま使用す るのではなく、職場におけるトレーニングに対する 自己報告尺度を改めて作成する必要がある。 そこで、本研究では、実際に会社で働いている社 員を対象として、社内トレーニング自己報告尺度を 作成することにした。 方法 対象者 日本のメーカー企業が行った社内トレーニングに 参加したセールスマン 75 名(男 73 名,女 2 名)を 対象とした 調査内容 大学生を対象者とした授業自己報告の先行研究か ら、「トレーナーの努力」、「トレーニーの努力」、「ト レーニング自体の評価」、「トレーニングへの満足度」 に関する 4 因子 25 項目で構成された質問紙を作成し た。回答は「当てはまらない」、「やや当てはまらな い」、「どっちでもない」、「やや当てはまる」、「当て はまる」の 5 段階で求めた。 統計処理 統計分析は R version 3.5.1 を用いて、探索的因子分 析を行った。 結果 1. 「トレーニング効果の自己評価」、「トレーニン グ自体の評価」、「学習意欲」という 3 因子 19 項目か らなる社内トレーニングの自己報告尺度が作成され た。 2. 尺度の信頼性は、各因子の Cronbach のα係数 が 0.82~0.92 であった。尺度全体のα係数は 0.91 であった。従って、尺度の内的整合性は確認された。 3. 尺度の妥当性について、確認的因子分析を行っ た結果、GFI=.902、AGFI=.891、CFI=.912、RMSEA=.064 であった。この結果から、本尺度は、十分な構成概 念妥当性があると考えられる。 表 1 探索的因子分析(Varimax 回転後のパターン) 研究2:社会的望ましさが社内トレーニングへの自 己報告に及ぼす影響の調査 学習動機を表す達成目標は、能力向上を目的にし ているマスタリー目標、自分の有能さを他人に示し て、良い評価を貰うことを目的にしているパフォー マンス接近目標、自分の無能さが明らかになるよう な事態を避けて、他人からの悪い評価を回避するこ とを目的にしているパフォーマンス回避目標の3つ に分けられている(Elliot & Andrew, 1999)。田中・山 内(2000)は、パフォーマンス接近目標は、学習過 程において、自分の有能さが誇示できる際、学習に おける内発的興味にポジティブな影響があって、良 い学業遂行を導き出すと示唆している。マスタリー 目標を持つ人は、能力向上を志向しており、学習を 自尊心向上の手段として捉えるパフォーマンス接近 志向より、学習過程それ自体に注目しているマスタ リー志向の方が、一般的に、高い内的興味及び学業 遂行を示している。パフォーマンス回避目標は、ネ ガティブな結果を回避する性質で不適切な動機づけ や認知の過程に関連し、学習への内的興味や学業遂 行にネガティブな影響を与えている(Tanaka,2004) 以上より、達成目標傾向は学習者の学習過程にお いて重要な役割を果たしていると示唆されている。 田中・山内(2000)は、学習への成功願望及び失敗 恐怖が達成目標設定に影響を与えていると指摘して いる。三木・山内(2005)は、熟達的な教室雰囲気、 環境は個人の熟達的な志向にポジティブな影響を与 えていると言及している。そこでは、社会的望まし さは社会的影響より、個人の認知に影響を与えるも のと捉えられている。従って、社会的望ましさは企 業文化や団体の学習雰囲気によって、職場で行うト レーニングに参加した社会人達の学習への達成目標 設定に影響を及ぼしていることが推測される。 谷(2008)は、バランス型社会的望ましさ尺度を 構 成 す る 自 己 欺 瞞 ( Self-deception ) や 印 象 操 作 (Impression-management)に関して、自己欺瞞は、 自己充実達成動機や自尊感情と正の相関があり、印 象操作は、競争的達成動機と負の相関があることを 報告している。また、達成目標は動機づけを齎す重 要な要素であり、社会的望ましさは達成目標の設定 傾向に影響を及ぼしていると考えられることから、 達成目標を介して、トレーニングへの自己報告に影 響を与えると推測される。 これらを踏まえて、本研究では、社内トレーニン グにかかる仮説プロセスを図 2-1のように構成し、 点線の部分について検討することにした。すなわち、 社会的望ましさがトレーニングに対する自己報告に 影響するメカニズムを検討するために、相関分析や パス解析を行うことにした。 図 1 社会的望ましさが社内トレーニング自己報告 に及ぼす影響の仮説モデル 方法 対象者 調査対象者としたのは、日本国内のメーカー企業 に所属し、社内セールストレーニングに参加したセ ールスマン 75 名(男性 73 名,女性 2 名)である。 調査は 2018 年 4 月から 10 月に、トレーニングの時 間の一部を利用して実施した。 調査方法 調査は、「バランス型社会的望ましさ尺度」(谷, 2008)、「達成目標尺度」(田中,2004),そして,研 究 1 で作成した,トレーニング自己報告尺度を用い て実施した.
調査内容 バランス型社会的望ましさ尺度は、自己欺瞞と印 象操作の 2 因子 21 項目から構成されている。達成目 標尺度は、マスタリー目標、パフォーマンス接近目 標及びパフォーマンス回避目標の 3 因子 15 項目から 構成されている。トレーニング自己報告尺度は、ト レーニング自体の評価、トレーニング効果の自己評 価及び学習意欲の3因子 19 項目で構成されている。 回答方法は、「当てはまる」~「当てはまらない」 という 5 件法を用いた。 統計処理 統計処理としては、まず、各因子の相関関係を検 討するために相関分析を行った。さらに、トレーニ ングにおける社会的影響プロセスを検討するために、 パス解析を行った。すべての統計処理は、R を使用し た。 結果および考察 社会的望ましさの下位尺度の自己欺瞞及び印象操 作がトレーニングへの自己報告に与える影響プロセ スを検討するために、相関分析及びパス解析を行っ た。 まず、相関分析を行った結果、自己欺瞞について は、マスタリー目標、パフォーマンス接近目標、パ フォーマンス回避目標、トレーニング効果の自己評 価、トレーニング自体の評価及び学習意欲との間に 有意な正の相関が認められた。その一方で、印象操 作については、トレーニング自体の評価及び学習意 欲との間にのみ、有意な正の相関が認められた。 パス解析のモデルの適合度については、GFI = 0.99、 AGFI = 0.83、RMSEA = 0.074、SRMR = 0.065 という 値を示したため,本研究のモデルの設定が妥当であ ったと判断された。パス解析の結果は図 2-2 のパス 図で示す。その結果において、自己欺瞞からマスタ リー目標、パフォーマンス接近目標及びトレーニン グ効果の自己評価に直接的な正の影響が認められた。 そして、マスタリー目標を通して、トレーニング効 果の自己評価、トレーニング自体の評価及び学習意 欲に間接的な正の影響が認められた。印象操作はト レーニング自体の評価に直接的に正の影響を与えて いた。 最後に、各下位尺度の得点を表 2-1 に示す。達成 目標については、全体において、マスタリー目標の 平均得点が 3.87(やや当てはまる)で、他の達成目 標傾向より高いことが示された。社会的望ましさに ついては、自己欺瞞の平均得点が 3.74 であり、印象 操作の 3.41 より高かった。トレーニングの自己報告 については、トレーニング効果の自己評価が 3.31、 トレーニング自体の評価が 3.86、学習意欲が 3.45 で あり、いずれも「どちらでもない」と「やや当ては まる」の間に位置する得点であった。 表 2 各下位尺度の平均得点 これらの結果から、職場で行うトレーニングにつ いては、自己欺瞞傾向が高い人ほどより望ましい達 成目標を設定していることが示唆された。その中で、 マスタリー目標傾向が高い人は、先行研究と同様に、 トレーニングへの自己報告を全般的に良い方に捉え る傾向を示している。更に自己欺瞞傾向が高い人は パフォーマンス接近目標よりマスタリー目標を設定 する傾向が高いことが示されている。そして、自己 欺瞞、印象操作のいずれの社会的望ましさ傾向にお いても、トレーニングへの自己報告を良い方に示す 傾向が確認された。谷(2002)の大学生を対象とし た先行研究では、印象操作傾向は競争的動機づけと 有意な負の相関を示している(谷,2008)が、本研 究では、印象操作と達成目標設定の傾向、特に自分 の有能さの誇示を目的にするパフォーマンス接近目 標との有意な相関は認められなかった。これは、一 般学生と比べて、社会人トレーニーが他人との競争 より能力向上や個人のキャリア成長の方を目指して いるからだろう(浅野,2002)。その一方で、職場と いう上下関係や雇用関係が明らかに存在している学 習場面において、印象操作傾向が高いほどトレーニ ング自体の評価を高く評価する傾向があることが示 された。 図 2 社会的望ましさが社内トレーニング自己報告 に及ぼす影響のパス図 M EAN SD M edian マス タ リ ー目標 3.87 0.71 4.0 パフ ォ ーマン ス 接近目標 3.44 0.81 3.8 パフ ォ ーマン ス 回避目標 3.25 0.73 3.2 自己欺瞞 3.74 0.67 3.6 印象操作 3.41 0.77 3.6 ト レ ーニン グ 効果の自己評価 3.31 0.69 3.6 ト レ ーニン グ 自体の評価 3.86 0.62 3.4 学習意欲 3.45 0.71 3.8
以上の結果から、職場で行うトレーニングについ ては、自己欺瞞傾向が高い人ほどより望ましい達成 目標を設定していることが示唆された。その中で、 マスタリー目標傾向が高い人は、先行研究と同様に、 トレーニングへの自己報告を全般的に良い方に捉え る傾向が認められた。また、自己欺瞞傾向が高い人 はパフォーマンス接近目標よりマスタリー目標を設 定する傾向が高いことが示された。そして、自己欺 瞞、印象操作のいずれの社会的望ましさ傾向におい ても、トレーニングへの自己報告を良い方に示す傾向 が確認された。 社会的望ましさとは、自分の実際の姿に反して、他人 或は社会全体に都合が良いように自分を示そうとする 傾向である。しかしながら、本研究の結果より、自己欺 瞞という無意識的な社会的望ましさ傾向を持つトレー ニーはより良い学習の達成目標(マスタリー目標)を設 定する傾向が高いことが示された。先行研究によると、 マスタリー目標を持つ学習者はより望ましい学習効果 を齎す傾向が高いと示唆されている(田中,藤田,2004; 豊田,中村,2004)。つまり、自己欺瞞は少なくとも職 場での学習環境において、学習行為にポジティブな影響 を与えていることが示唆された。 達成目標の設定は、一般的に、学習者の学習遂行への 失敗感や成功願望に影響されていると考えられている。 藤井(2010)の社会的望ましさと知能観の関連性の研究 によると、自己欺瞞傾向を持つ学習者は「困難に対する 知能」が柔軟であり、失敗の原因を自身の努力不足に帰 属する傾向があると示唆している。この結論と本研究で 得られた知見に基づいて、筆者は、その無意識的な社会 的望ましさが社内トレーニングへのポジティブな影響 を齎す現象が会社文化や環境と社会的望ましさの相互 作用から生まれたものと考えている。従って、社内トレ ーニングに参加したトレーニーは、自分の内発的な学習 欲求に従うより、会社の文化や教育という外発的な客観 的事実に従う方が良いトレーニングパフォーマンスを 齎すかもしれない。 三木ら(2006)は、進歩や努力が評価される熟達志向 的雰囲気が知覚されれば、学生に自己の進歩、理解、知 識の習得などに関心を抱かせ、深い処理の方略の使用を もたらし、高い成績の自己認知につながる傾向が明らか となったと示唆している。本研究の結果から、自己欺瞞 傾向が高いトレーニーは、職場のトレーニング場面にお いて、より良い達成目標を設定することが示唆された。 従って、このような個人の達成目標の設定はトレーニン グ環境と会社の学習雰囲気によって影響されることが 規定されると考えられている。そのため、より良いトレ ーニングの効果を得るには、適切な学習環境の構築と、 正しい学習観に対する教育に力を入れることが重要な 役割がなっていることが示唆される。 また、会社側はトレーニングに対するフィードバック に基づき、トレーニングコースを改善しているため、フ ィードバックの正確性は非常に重要になってくる。しか し、トレーニングの参加者は印象操作反応の作用によっ て、故意に社会的に望ましい回答する可能性があるため、 フィードバックの正確性について疑問が残っている。特 に、本研究の参加者は、会社との雇用関係を考慮し、故 意に会社のトレーニングコースを肯定的に評価した可 能性が考えられる。 主要引用文献 藤井 勉(2010). 「暗黙の」 知能観と社会的望ましさ の関連 : 他の特性との関連も交えて. 学習院大学人 文科学論集, 19, 151-162. 三木かおり, 山内弘継(2005). 教室の目標構造の知覚, 個人の達成目標志向, 学習方略の関連性. 心理学研 究, 76(3), 260-268. 島津明人, 小杉正太郎 (1998). 職場不適応発生過程の 検討. 心理学研究, 69(3), 198-205.
Tanaka, A., & Fujita, T. (2004). Achievement goals, evaluation of instructions, and academic
performance of university students. Japan Journal of Educational Technology, 27, 397-403.
谷 伊織 (2008). バランス型社会的望ましさ反応尺度 日本語版 (BIDR-J) の作成と信頼性・妥当性の検討. パーソナリティ研究, 17, 18-28.
R Noe, J Hollenbeck, B Gerhart, P Wright(2006), Human Resources Management: Gaining a Competitive Advantage, Tenth Global Edition.
郡谷寿英 (2008). 社会人学生の学習態度に関する研 究 : 顕在性および潜在性レベルでの測定. 文教大学, 教育研究所紀要, 16, 121-134. 山下由紀子, 福井義一 (2011). 完全主義と先延ばしが 抑うつに及ぼす影響: 日本語版 General Procrastination Scale (GPS) の再検討を含めて. 甲 南大學紀要.文学編, 161, 223-230. 豊田秀樹, 中村健太郎(2004). 大学における授業評価 の信頼性-一般化可能性モデルと構造方程式モデリン グによる 4 相データの解析. 心理学研究, 75(2), 109-117.