――目次――
1,
神そのものから神に仕える者へ, 原田敏明, From the God incarnate to the Priest of the God, Toshiaki
HARADA, pp.1-16.
2,
初期大乗教団における塔寺の意味, 平川彰, The Significance of the Stūpa-Vihāra in Early Mahāyāna
Buddhist-Sa
ṅgha, Akira HIRAKAWA, pp.17-38.
3,
マックス・ウエーバー『古代ユダヤ教』における合理性の問題, 宇野光雄, A Study on Rationality in
Max Weber’s “The Ancient Judaism”, Mitsuo UNO, pp.39-59.
4,
ピウリタン的人間(その1):ジョン・バニヤンの「天路歴程」において, 小笠原政敏, Puritan Man,
Masatoshi OGASAWARA, pp.60-76.
5,
シャマニズムにおける中核的内容の特質, 諸井慶徳, “On the Characteristic Substance of Shamanism”,
Yoshinori MOROI, pp.77-99.
6,
馬鳴の著作, 金倉円照, On the Works of Aśvaghoṡa, Yenshō KANAKURA, pp.100-121.
7,
キヤケーゴーァ記念展覧会:Sϕren Kierkegaard Mindeudstilling, 大谷長, pp.122-129.
に
現
あ
召ノ 的にないということになる。
成
あ
に
で ・
えって対立的な生活をしているために、むし ろ
て 押 そのものから神に仕える者へ なるので、その 祀 われて来ないので まり認められない とうなことは比較 している社会すな るということも出 は殆んど個性とい あらりと思 う 。 客観的にば非常に 部落の個性が強く
原田敏明
考
へ
意識されるのに体ならないので そ れもいろいろの条件を件 つ 一層強く意識され、また強調さ うほどのものでなく、それより る 。 この自意識の存するところ、 な む ちこれあるがゆえに、自分 る 。 かつ部落のうちでの生活、 そ 給 日足の生活をなすものであっ 子の輩はむしろこれから除外さ これほ 恰 加も英語などでと﹁ 8 区別し、またさらにただ男子 て 形成される社会があるといっ に、あ - る 程度の階級的な差別が 0 社会生活を形成し運営する。 群生活を営むことにあるのであ そして専ら山仕事とか漁業を のは、経済的にも部落の一員としで 自 大 であり男子であるところから、婦女 たといつてもよいほどのものである。 では子供をの 日匡と 称して日ギ か そこにも男子中心の性会、男子によ つ 人 と子供との間、男子と女子との 問 子にして大人だけの集りが、その部落 と 、また部落において一般に共通な 農 る 。 関係からいつても容易にあり得ないこ 一 一 ある。 工の関係から、他と区別される個性が 落の特性は、実際に客観的にあるとい 0 集団的な自意識に基づくものであ として特別 覗し 、神聖 覗 して来る。 す も 近 い 人間であるとさえするのであ 136
ものであ
ものとの
る 。
なって
動作、 そ
たそれで
それを 以
である よう にも考えて来るのである。
を 強調
部落にと 象徴的な存在とされて来る。
れだけ
事 のような
さらに 一 内容を持った言語、服飾または行事ともなる。
人物もた
でもある になる。
るので 一 一 押 そのものから神に仕える者へ していく。 つて一極め でなく、 部 場合でも、 種の神聖な だそれだけ ということ なくて、 そ る 。 恰 かも 間も、その 来ると、そ の他環境や なくてもそ て 特異なも
四
が 如何なる形をとる
、 いろいろと特別な
る 。たとえばそ Ⅱ 小 レ目ョ口
する神聖な行事とな る 。
したがって村の紳
元 であり根拠となる
的な人物が現われて
ものとなるのであ る 。
るが、これはこと
るというような形を ここに見るのである。
いても祭事︵ マッ
。それよりも政治が
市 Ⅰ 八 いるハ ツ杯 ⅠあるⅠ
るように、祭り事
味から古 い 時代の祭 138
も
執り行うことに
肖
ることもあれば・
に
固定している場合もあるのである。
ものほ
、紳
そのも
を
明かに示して
L いると
L
Ⅵ っ
て
よ
Ⅰ い Ⅰ
る
。少くとも紳を
のである。したがっ
には
神
としてまたは
紳を背負うて村人に臨むものである。
単に宗教的な支配
が 必要であると思 う 。 一Ⅰ ";; といつてよかろう。 のものであったとい
トりⅠ 今日神主といつて実際に使われている意味は 、
れて、専ら紳に 奉 4 台 0 ず 一年交替で奉仕
む
ヨ大といつている のほこれに 肖 る。 年神主ともいつ て 祀 では十月十日の例榛原町山辺三の篠 幡
ならなかった。すな 官 ﹂二六 | 七頁︶。
て 神性奉仕に参与 する︵昭和十二年七月十日調︶。
のもその一で、 祭
0% 裕 があるという
のでなく、ここに 長 140
押 そのものから神に 仕え 者 へ 41 セ
ほ
ついては多くのの
移行を物語るもの 老 制の発端がある。 若君 制 が起るのもまた 警護を必要とするため、 また稚児制の如きも、 直接の奉仕者または 紳そ われるが、その役割か も は必 らずしも当番のとこ 神 に奉仕するもののとこ しかるに肥後和男氏の 供 が勤めることもあると 吐 師の大宮神社では、 座 牙軸肚の座人も一年交替 祀の神主は一年交替で、 二六八頁㌔ ここに挙げられた事例 はむしろ穏当でない。 が 。これを神主が当屋を兼ねていると見るの % 落との関係が強くなって来ると強い労力や 割を演ずるものとなって来る。 繁多となり世俗化されて来ると、特に神への れに選ばれる。子供である点から稚児ともい 主であるとされることもある。かつこの雅兄 でも世襲の場合でも・大凡そ神主といわれ﹁ 忌子などといつている場合も少くない。 あり、またそれ以外のもの、中老、若衆・ 子 があるとする。例えば京都府相楽郡相築 村西 屋である。また綴喜郡三山木村大字宮津の佐 ある。大阪府三島郡島本村大字大内の早 尾紳 ぅ とうに述べている︵肥後 氏 ﹁宮座の研究し八 下働きをなす地位に 今 には多く見ると る ︵昭和十二年十一 月 十五日調︶。 れたようなものは 替の当番が神主を勤 神主などともいわれ 替 の伸幸をい う ので ある︵肥後 氏 ﹁宮座の研究し二七二頁︶。 ある。奈良県生駒 圭 ﹂というのも 宍宮 なく、当番制の神主ということである, 第六巻第四号三一 神主の外に順︵ マヮ で 村人が交替に勤務 神主を字神主とい 座の研究 L 一七二頁︶。 1 ユ 2
原型で。かっ素朴 蚕 構成においても複雑
ることが出来る よう に恩 ぅ 。 多少ともその社会構成が単純なものであれば、
ることも出来よ 5 な場合にはⅠ一層
す 55 に思 う 。
のすべての人々が
た 同じことである。 神 そのものから神に仕える者へ 九
の とときは、 皆新 役割を勤めることも
して補助的な位置を ぅ ところもある。 奈 人を選び、任期三年
ることになって い る ︵昭和十二年十二月十九日調︶。 一 一
﹂ O し 一般人からかけ 離 も 強いのである 0 行 る 。 きせ 拾 いて、大祓と称し、我において 捧 なし、 覗を以て 鉢 とすと 神勅あり、差別御衣 祀 荷負 紳 氏の始祖なり﹂ 實 七年壮列記﹂にも、 安々﹂ とトⅥ っ て トリる Ⅰ 成文﹂がある。それに よ ると、 Ⅰ 牛 大明紳 - 云々﹂ , 牛 大明神 @ 々﹂ 紳 といつたり、すな わち 伸 そのものとなっているのである。 か 極めて特殊な人 という階級があると も 限らない。 Ⅰ 4
ブハ Ⅰ ノ こ し と 力、
も そ の 日 の の 代
る よ が 着 り 祭 へ も 市巳 、 を す 抑 . で ・ 当 に す 市中 ろ に 場 奉 命 仕 に す る 特 も に の 長 と 毛 め が
5
市中 意 圭 味 と が 呼 弼 は い れ め る で こ あ と っ は て あ " つ 一 こ て れ も に 対 こ し れ て は当紳
番 士 の と 方 ぃ う に る と ぅ が 紳。
なそま大主
こ 築年一都
で く の さ る れ で 役 の と 軋長年肘
ま 正 長 ら こ も も を 役 に に 君任相
た 人 名 に と 次 な 某 日 参党弐笘諦
在京
亡菅窒驚
。
。
牡為ゑ
8 車 揚 と あ に 接 につは
勤年村替か
荘充
とも二大の
・名阪長
し っ は 紳 め長の
し " そ ず府君
て て 一 に る 一 新 て 年 のつ北
が 、 定 奉の客
殿神長
担 を 河 州 ま そ の仕が
す本地
、
神主順当以内来
祀のにすて
郡 てたれ
特に
交 替 る則座
で役出
る 「 津 に よ 制 Ⅰ 8 で は ほ を て 付 神 田 そ 紳 つ に の あ 前 南助長
の幸打ね
め て よ の つ彼此
め 老 化」春が
,思階
る 穿た両
両 る 団 事 と 日 神 君 級 当 は 必隔地
る そ 務 制 で 当 と る し い ほ てう ど q れ も 勤 さ る 雑 つ も う よ の 年 も そ め ら と 多 て と に う も 間 紳 う る に
仙童
い も な な の だ 主 で こ 前 り に る と る 挽 で け で は と 後 最 な(東
と 明 8 % あ な と 二 年 っ弁座
- な な 生の役
し い。
" も を成 と ・ い す め る 上 そ こ げ れ
と た ほ そ そ が 身 は も ど し
両私
の れ る 制 い の に146 一一一
る 。
も 、座乗のうちで
つて家で祭る︵﹁ 奈
が 祭の中心である。
る 一年交替の当番の
のということになれ
である。
や 祠官などと同じ
5 な祭祀の担当者が
ぅ ことからみても 明
あったり﹁或は世襲
な 意味から、神主と
場合がある。
一九二頁㌔また 京
﹂一七八Ⅱ前記の紳 殿 と同じものである。
つている︵民族学
や 神主が 、紳 そのも
さ らのこと、 紳
村山田の新殿神社 神主は鍵 預 りとい て 鍵を管理する日吉留 志 ﹂ 新 、六 0 頁 ㌔ ぅ 役目からり ぅ ているのである。 ことになり、 つ ものとされるに 至
の 勤めを果してい
5 な意識は全然 持 れなくなっているといつた方がよい。 専門化されたも
を神主という代り
れる場合がある。
捺はど 専門 北 され
がある。
役目で、その 祀 一一一一 押 そのものから神に仕える者へ 守 た し に の た る つ い の っ は そ
一四
点じ、掃除をする。 どもする︵昭和十五年四月三日調㌔ 京都府相楽郡加茂町錦司の春日四社明神では、
当つて氏神に仕え
る 。 かよう に明治維
いったものである
位 することになっ ともなって来る。
などという場合も
態 のものと見られる
加 されたものではな
ものたることに ょっ
容 にも変遷があり、
県 滋賀郡木戸村市 舶
これを神主というの
祭祀についても 主
ほ ついてもその実力 がないことになる。 148
と に っ が 長
老つ
いなした行以
れか。
故上
も ぽ だ の 長 に よ 五 た に
る
す役
へ のる 害 U 導 政 と に 雑 自り 磯 た な に 地 関 と っ な 位 に
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手は
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ここ
あ つた り と
よ
の " か 部 っ で長庄
落 て あ 岩 屋 の " る の の 祀 そ が 仕 よ 会 の 事 ぅ 生 ぅ 実 は に 活 ち 際部為
の で に藩政
変 も お 0 者 化 重 い う の の 要 て ち 力 結 な 五 戸 % で が果部
落 も 村 で 門 の 特 の あ を ,一 行 に 生 9 把 - そ 活 、 当の を 当 す ト スド " も 香 る
sf
を 散 吏 制 も れ と 配 度 の て か し の と 氏 て 発 し 村舶来
歴 て の め る で も 長宗教
あ 老 つ で 事 は し 肖 る て な 清 か む か 番 。 そ 来 く が つ し も が本れ
を し 当 の ど と 味 も て 吹 の 弟 い 神 恵 に
こ第職
れに能はだ
でっ 事れ
肖 ら 直 接 に 当 が な も 香 れ に 伏 屋 刷 く の と た 奉 え 制 限 し が し に 仕 る の さ -C あ て し し 。 よ れ 、 0%
て か ぅ " か " 事 も ま つ な 圧 え と の " た 子 も 縮 つ れ 鋪 行 神 供 の さ て が 散 事 そ で のれ神神
に な の あ 煮 て 事 に 当 ど も る義来 当直
り の の と も る番接
う とに な 一 人 し ほ 古 る か つ 暦 の 、 主 い よ え て 強 う ま と 形 う つ 来 く ち た し が な て る な
か神
て浅性
そ た つ ら そ 長 さ 格 ね め て 別 の 老 れ は に に 来 に も す て 依 紳 望 そ " る。
奉のな
仕とわると
い 熱 性 う そ す い ち 場 し を し れ る っ 「 合 て 認 、 た も こ た お も ど め奈美
と 形 と 少 こ て 帝 巳 際 に に な く か " の 肚 な な し な にな 者 お い れ す し ど も い い 人 新
ぅ が し か て 今 こ 形 や い も い 日 と な る 生 そ る で が 採 の 括 れ 。 は あ
150 一幸、 ノ
とか杜宇、官世話と
祀を担当するものが
ら 遊離して来るの る 。
がしかれると、 か て 、在来の当番は紳
とによって、在来の る よ う になって来たのである。 の役目として残つ
とか当人子などと ぃ
ら 神主と呼ばれるこ
る 家でなければなら 幡宮 ﹂二六 | 七頁︶。
であって祭祀に 当
わち当番は紳そのも ぽ ならない。 むしろ 絵はど 其体
あると考えられる。
承認する所である。 一セ 初期大乗教団における 塔 寺の意味 にも困難が多く﹁ 思 に 努力すべきである に 評価し、これを活用する必要がある。 が 激減する危険が いしは三仙 紀 時代の 典の伝持 は 、口伝な れば なる程、 爽 雑物が
的な発展が起つてい 加に、 他の宗教や学 料
一釜
ことは、大乗仏教
平川
彰
の
意味
152
一八
のが多いの勿論すべ
に
即して決定されね
い
0
このことは同様
る
場合にも、考慮さ
料的
特性がある。
こ
後期大乗仏教の研究
蒜宙
ョ曲︵
曾
伽藍︶
や
この点を詳述する
会
若干の資料に基いて
する必要がある。その為には仕訳経典の中で、
第二には・千住
毘婆
も
検討されね
ば
なら
生活とも関連が無い
のめったことを考え
する説明があり、
出
の 存する羅什 訳妙 ゆ 法華の訳語例 は、
が 三回見られる。 二 勧 持口四
楊
丈の中である。 ハ 3 ︶ ゑび偕 坊を作り、受持読話する者は、
に 、 塔寺 ・ 僻坊 ・ 衆 口ぃ 換えられている。
ることが推知される 一九 初期大乗教団における 塔 寺の意味
行 品等は、土佐 毘婆
塔 寺を重要 覗 してい
旧訳・新訳等の翻訳
は 漢訳に三本、並び
口木、及び西蔵 訳を 有し、それぞれの経典の歴史的発展に即して、
合する有力な資料で ある。
経巻を供養すること 寺 が借 坊 ・衆情供養
二
O
254
部分を諸訳を対照
し
へ
5
︶
ゆ
法華
正法華
の曲隼斗
オの
Ⅱ︵
コの
同仁中立円円
坤肛
柑
片白
ロひ由由
ゴロ
拝
Ⅰ 曲
我
、
復起塔寺
、友佳
借坊
、
づせ
川口の
づ Ⅱす川Ⅱ
川オ岸ひ
Ⅰ侍のづ田
倒臣が
は
四事供養衆俗。
が的ロ
川口のでⅠ曲目
いせ
が・
ヴゴ
生りど
せ
の・
づ曲
Ⅰ あガ曲
Ⅱ沖の計
0 口
曲 コロ
ロ
Ⅱの
年
0 ド曲
ヴゴ
のづり
巨ゑ
となっていること
講堂﹂と訳されて
ぃ
ぃ片
。 免
︵塔を作るを
抽打仁幅
す幅
ガダ
のかは
べて合致するのである
宙
たることを決定し
てよいと思
う
。
は
説く、如来の滅
一一一 初期大乗教団における 塔 寺の意味
いる。西蔵
訳
8
発
本
つい隼オ川 ⅡⅡ 遠離船橋 寺 。 数数 犯 本営。 濁世 悪 比丘、不知 佛 方便、 悪口前 奪寮 、数数 見旗 出、如拙悪比丘、
然
後来末世、
ガ目古曲
卸ゅぜ づ
Ⅰ包目の
麗日
で 拙曲コリ 由江
づ ガ 白戸 ゆ廿
曲下で由コ肛甘 ⅡⅡ
ヴす円
Ⅱ
華
にも﹁
佛
滅度後、
共有得
聞
此経典者、持
諌
害鳥老分別
説
、云々﹂
法華に全局でない。
に
近いが、しかし
同
せしめる人あらん
片の
づ 田川口ののが目的
す pJ
る
語を敢えて求めると
ァ
キストの不一致によ
決定することはできない。
如くである。
のの
宙隼プが
Ⅱ ヨのづ
口目生
り ⅡⅡ
ガの
正法華
ゆ
法華
在藩 虎 ﹂と訳し、菊本には: ゑ肝 Wqp ㏄ 曲 ︵ 0 づ川 幅内 す曲 的ゆ 圧 0 づ柑 、 q 曲中Ⅰ 兜木 は 4 日 WqP ︵ 借 かしこの場合にも 三 ァ 叩いであると決定してよいであらう。 。しかし現存菊本 ミコののの由の ロ 甘のひ す舶 若松房中、若経行 虔 、 る 。この場合三本 は
訳に
﹁
若
在俗
坊
、
若
、正法華には﹁
若居
となっている。故に
い 。その二三を示 るが、正法華でぼ ︵ 4 レ のヨ の ぜ目 :,とな に、ほ ︵ 騰 ︶ ﹁ 偕 一一一一 弱 4
この例のみからすれ
く 、しかも第一例と
が 多い。既に第一
以
いる
。
。
一 致ね ぽ
合のし沢川
」訳の語でぼろはの
でれに叩にのの
他如テの、
本ず
な と語訳
例 き 、 の 原 に の く キ 3%いる
。
の見あ
難 6点でを
ぅげ例り
、
現すが・の
有る晃玉木
S の は馨尖
v
、
;
苦茗
玲若葉亡ゑ
肇姦矩
9.
そ で 「 はで こ る 文 が る の め る
で舎
と に あ の は は ら内で磨
の 寺
が訳 がれ
語 ぃが て の 塔 」 難
詰姉教
こ 本 お な い 羅 什数 に 団 は 皓 の
な い Ⅰ カ ヰ や 研 - 一
法 護 の 正 法 華 に は ( 由 の ㌧ を 塔 寺 と 訳 し て 一 い 三 る 一 例 は 巨卜 常 に 多 い そ
﹁青二の訳語を 、
これを簡単に云 う なら ぽ 、翻訳者はの︵ 口 bp に 関して、﹁それは舎利 、 寺の訳語にはその
用いた点に考慮すべ 意味を含めしめよ 5 か ぜのの曲目 賓格中し ︵ お ︶ 二法護は
侍 Ⅰの 日 ハン・・︶
があり、 更
のである。
二四
158
か来
品には﹁
如佛塔
ハ 5 り
寺
﹂︵仕訳﹁宝塔﹂菊本日
曲す
WqD
︵ ロ のの︵
0 つのし。
つの
甘 ︶。﹁奇妙
ハ 7 。 佗 り 、
塔寺
﹂
梵本 の︵ロ口じがあり、︵仕訳﹁七宝塔﹂菊本︵
8 ︶:
れる。この外にも
正
ある。しかし正法華
訳
﹁城君
指開
七宝塔
呼ぶ場合がある﹂と 云
って 、 増と訳された
塔を指すことは勿論
側 がある。そのこと
たことを示す碑文が
戸を掘ることは考え
井戸を掘ることは、
も 、しかもそれに 附 解さね ば ならない。
掘肚 等から 確め得
て 、その周囲を取巻
建てられている。 恐 口々はの︵目 で
がには
広般 のの 日づ 曲の用例
二の広義のの︵ 目 ものの用例は上述の如くであり 、これはの日召 を 中
われる。即ち佳所が 附属してからの転義である。
けていることが 理 二五 ゆ 翔大乗教団における 塔 寺の意味
ぃ 。しかも現存の曇 童 詩経についても、 四 ︵㏄︶ 開元銭 によ れ 竺法護 課郁 伽羅 毘 稚拙 牡明 Ⅲ生口 古匪描 仁一 り 、訳者は開元 打紐︵太始 中ょ た 内容から見て 但し 康偕鎧訳 康健鎧の訳出と く 、訳文から 見 出 ﹂と断じてお たと云 う から、 ︵ 仙 ︶ ず 、 法経録 に至 これに無量詩経 解される。同時 郁伽 長者経における廟の意味 一巻、
郁伽
てお
仲立口 か陸 、ま 6 課 者 ・ 訳時 を疑 う 余地はない。
云 う はな の訳 あ っ 彼に 郁伽 長者経の訳出があったかも知れない。
せ
自ゴ Ⅰ 二 巨 Ⅱ ユ Ⅰ っ て なっ 一一Ⅰ 、ノ いても確認されるものである。 16 Ⅰ初 期 大 乗 教 団 に お げ 塔 寺 意 味 セ
のように見るのは 早 鏡径では、この部分 入るべししと訳出さ ︵ 弼 ︶ 舎 に入るときは、 当 仏寺精舎しと訳され に散 乱し、然して後 幅侍 の 仁抽 ︶ 曲抽 ︵Ⅰ︶のか 隼屈 かが つぎ叩 舶の訳語 くである。 見ることも可能で
の日 せのと見てよいが、他の四課
ることが説かれてい れるに至ったのであらう。 ぼ 紀の訳出となり、 雲塵蜜多訳は 失調とさ 研 やへ , Ⅰともかく経錦 も 会は宋馬糞三蔵 曇摩
す 為に訳者が附加 交会に移る過渡期 主要な問 輻 ではな
沖 て て
義 の外曲 づ のである。 ︵㊧ レ
Ⅰ曲では、門外で信者
塔 がある。故に信者
かしそれは用語が変
るのである。
の ﹁仏寺しは、正法
住処のあることる 示 ほ ない。故に吾人 訳 の 郁伽 長者会の 経の﹁ 廟 しと 法護 あって、乱辞 物 を 労する支那 語 を求 塔廟と 訳されてい の 如き言葉が有っ
い 鏡 処で に柑 が 田ド曲
す 二八 Ⅰ㏄
な かつたという保証
五
華厳
経
浄行器における仏の宗廟
華厳経浄行
品
に関しては、
吾
々は漢訳に四課、
此等の費料の性格
一巻である。これは
月
れる。故にこれは三世
浄行
品
に相当する部
ある。これは浄行
品
あるか
ほ
不明であ
い
。
春
﹂挙げている。
ぼ
道眞が
父の爵
永
遠
と
筆受をなしつつ、
自
ハ
6
︶
の
経は法誰時代の訳
年から
永嘉
の
末
︵ 二
八
01三一三︶であったと云
う
。
初期大乗教団における
塔
寺の意味
二九
いることを注意すべきである。
菩薩と田家菩薩の
、ヰ化由味 ふ立ロ露 汁岐 中本る C ぬ 一拍
いるのであるのこの 第四は実父難陀訳の八十華厳︵唐沢︶ 巻 十四、 二年亡八九五 |六 九九︶に 亙 って訳出せられた。 この浄行 品 のみに 口薩 本業経しと呼ばれ 一口 叩で 小のる。浄行 ロ叩 、 次にこれに対する 一瀬を一偏に纏め 褐 晋註 百四十 願 、唐澤 分れたことは明らか ] プ である 0 此等の らここには省略する。 ( 匹 夫 一 に 入 津
訳 - 一 正士 丑 ) は の 仏 訳 陀 出 域 で 陀 あ 羅
るの
o こ - / Ⅰ 十 華 嚴 皿甘 ( 訳春 / Ⅹ 第 七 Ⅰ 甘 の 浄 行品 で あ る 。 れ は
四 年 力下 ら 水 初
召, - I6%
徒 つ らう。 法華の 廟 ﹂は 恐らく て 西蔵 訳は唐調め ﹁僧伽藍﹂に今 、これを つ ぎ 甲 りの訳語と見るこ 更に道 眞訳の ﹁仏寺﹂は
、
彼が 竺 塔寺・
寺 等の訳語より見て、この 仏 原語はのⅠ口口のであったであらう。 初期大乗教団における 塔 寺の意味 と 手 法 政 は の 護 す下原のる
耳語
筆。
首邑 を 受 こ で " る れ あ 目 し に60
%
ていし
対 そ と た ての見点
理てよ
背 訳 白 も り の は無考「
安理
え 偕鏡 。
譲原
経史 訳語
の に 郁 はの い 経 曲
揚支
の と 合 ・ 謙 「 見 と 訳 仏 " る宗 正 あ
に
願
う
べし、衆生、
衆生、仏の行法に近
ている。
へ四 逆眞詫
では
すること
莫く、
復を
悉く諸経中に入り
信を以
つて家を捨て
種
に演説して
乖詮の
、菩薩は、一切衆生
衆生が法を行じ
、法
の 田内
サ曲
Ⅱ岡目舶の訳語
である。
が 、時代が下るに 見るべきであらう。 ばれるとうになった 起つたことが ハ影笘
一一一一一
講ずることがに
願うべし、衆生 第百三十一掃に
第百三十二何に 0か
す
牛ロ
汀汀、
に
五根、讃仏に %め
訳語を用 いず している。道理 ていたのに対応するものであらう。 が 重要な日課 訳語の変遷につ大用語の変遷の意味
い と 本 " 四 「 「 " 重 て さ が軋偶
・,見仏 施要
I ⅠⅠ
とに
影
害されて、
であらう。かかる
用
いたものなどが、
う
。ともかく大乗
り
重要である。
ることを明らかにし
が
、この推定は如
斡 ︵ 7 1
谷底力多くの ︶
。、
碑
Wnm
の中には、
名
経
や郡
伽
長者経・
。この事情は般若
は軽現
していると
を
基盤とする人々
て
、初期の大乗数
譲りたい。
初期大乗教団における
塔
寺の意味
一一一一一一
徒に
か経乗
こ 法秘文上
そ 仏雅語詞大
し︵ m ︶ ︵ りり ︶ ︵ れ M ︶ ︵ リリレ ︵ 巧 ︶ ︵ M ︶ ︵ け ︶ ︵ⅡⅡ︶ ︵ 00 ︶ ︵ 9 ︶ ︵ 竹 Ⅲ︶ 一証 ︵ 1 ︶ ︵ 2 ︶ ︵ 3 ︶ ︵ 4 ︶ ︵ 5 ︶ ︵ 6 ︶ ︵ 7 ︶ 三四
正正 0 、三三二中にも云い、諸経 録 にも異説はない。 妙法蓮華経巻 五 、分別功徳 品 、大正元、四五十。
き m?. の・ 毛 0 四 オの ︵ 甲ガ斥 江守キ・ ロ ・ N の q. ミ ・
Ⅰ
心 あ 正法華経巻尺、御福 事品 、大正元、一一 セ上 。 添品 妙法蓮華経巻 五 、大正元、一 セ 九丁。が ︵ ゴ 0 ㏄ l ロの
一行。 妙法蓮華経巻 五 、分別功徳 品 、大正元、四五丁。 正法華経巻尺、御福 事品 、大正元、一一 ゼ上 。
か す のⅠ 0 目 ぬ Ⅱ ロ
、五行とあ り 、梵文に合する。
、勧説 品 、
田本、二三三頁。
、上一一八、 セ行 。 ゆ法 蓮華経巻 五 、分別功徳 品 、大正元、四五丁六行。 正法華経巻 八 、御福 事品 、大正元、一一 セ 正二二一行。
七頁一七
|
一八行。五 、八行。
大正元、一 一九七六行。袴木荻原土田本二九八頁十一行。
、随喜功徳 Ⅰ㏄
初期大乗教団における 塔 寺の意味 三五 169
卑 摩羅文 が 関係し
為 であり、
。荻原土田本 四セ 頁
五八行。
0 一頁 三 一行。
原土田本 二 0 セ頁 一 0 行 。
土田本 二 0 セ 貞一 八・一九行。
正元、三二丁八行。蛭木 二 0 八頁八・九行。 三 二丁一六行。菊本 二 0 八頁三一・二二行。 三三下九行。楚水二一五頁一六行。
二八 セ頁 八行。
行 。楚水 三 0 五頁 二行。
行 。 梵本 三丁二ハ 頁 一九 | 三一行。
本 二一四頁一行。 三三下五行。楚水二一四頁二五行。
。荻原土田本二九二頁十四行。
品 、大正元、一 0 セ 中丁。
( ( ( ( ( (
83
( 44 % 42 ) ) ) 41@ 40@ 39 ) ) )%
633六ハ
( 7 ( ( 3 5 3 (Ⅰ al 何 ) ) ) ) )上 バ 一
Ⅹ( お 内一 興一
o
口 旨 内正僧 録 大典九玉
典正
鎧苦口 二
- て
大毒
、寿五
は工銭
大銭 八 Ⅱ 臣 大丸 法 O Ⅰ)五巻
五二
五巻五
五二ヒ
- 五 "六五
" . つ ま 。 = 大=
録に
o ヰ = 春田 ( プ ) のが Ⅰ コ / - ト
H8.
番一
は 尚 一五郎 のゴ の 碑四大
文
の 元正 田 正 年 170
︵ 蝸 ︶漢鏡経、大正一二、一九 上 。 ︵㏄︶ 郁 伽羅越 問 菩薩石経、大正一二、二七上。
ハ丁。
穂径第四巻、千三百十三、二行。
研究第五巻第二号 一 0 五頁。
れる。漢鏡径はそ
婆沙 論所司の 耶伽 長者経でも﹁ 塔寺 ﹂と訳している。 回春 八 、一
伽 長者会で
所では﹁ 是
の 念を作 す
因りて三心
︶等の記述
正 五五、二三六丁・大周 録 養三、大正岡、三八 0 下 。 であるから、此等は同じ語を訳したものと考えたい。 開元銀替 二 、大正
葉 巻 こ 、大正正
中 。静養 録
正岡、四八 八王。貞元銀替 三 、大正司、 セ 八五上。
二 、大正岡、一五 元中。博泰 録 巻 こ 、大正岡、一九 0 下 。
呵五
00 中 。貞元銀 券四 、大正岡、 セ九セ下 。中 。 ︵ 的 ︶高僧伝番一、大正正 0 、三二 ゼ上 ・ 初期大乗教団における 塔 寺の意味 三七
り
等ととす(㏄
謝意 の原 教学 記 (㌍) ( 打 ) 托 ) ( (㏄) (㏄)M
) ( (㏄) (㏄) (⑲) 騰 ) (W
( ) せ """行 。 はこ 「で し 義 充 の 尚 あ か と すセ目
ヴの サ Ⅰ ヰ の。 ゴ
雨後にこ
l で漢簾の」
1 ワ g
得 なか ている 次の如く述べ 段目新しい 事 0 間 題 三九 心 の を す 専 己 る ? 門 が 」)化 導 こ の 間 と 段 領 を
階域
主 に と 張 は す し い る た っ 学 ゥ て 者 ヱ お でぼな
/.@
Ⅹ り」、
( し 3 なに 「 で
対ひ
あ し た るを
専有
主義の精神﹂を 発 ば ・﹁世界宗教の経済 代 ユダヤ教﹂二九一 一 バ ー 自身は宗教学
である。周知の如
宇野光雄
﹁古代ユダヤ拳における
合理性
の
問題
マックス・ クヱ ーメー俺
四 O
。この理想をどれ 位
記録的文書による 史
史料的価値 | これら
について大いに謙遜
自分のようなか ムる
ないのである﹂。 ハ 5 ︶
、すぐれた成果を
目ぅ ことが出来るので
当然妥当する よう に 思われる。 ︵ 6 ︶
究は 、それ迄の旧
的 関心に導かれて 研 究 が進められたと考えられるのである。即ち 、
方向を有するもので あると言 う ことが出来るであろう。
代 ユダヤ教 L 研究
ならないのである。
口, ︵二 % 巴ェ gen 甲 ︶ゆめ H. ︵以下し帯の巨 甲 0 Ⅰ 由由 0 口 日ヨと 略記す。︶ l%
一 瞭に 理解せしめ
の賎民 民族︵Ⅰの ユ
あ れ1社会的環境 、 特に久しき間 強
り 方は﹁ こム から
要 な点に求めら
つた ︶ということ
く興 っていたこと
は 、未来に約束さ
に 、その世界の支
あり、その現在の 0 間 題 四一 秩
配れ
で 。れ尊
制 か 甲 ら0% ㍉ オキ ぬノ oD の O
れた。
むま口抽のダ ︶ Su のの・㍼の 0 ヰ
づ由ヴ ロ口 幅 e り ・ トゆ 0% Ⅱ せ 0 Ⅰ ヴ e ヨ er ガ岸弓杖・の・ ロの ︵ 6 ︶ ノ ミの メセデ 0 ヴ 0q 、 0 づ ・ 出 ︵・の・ い の・レロ ヨ
一 い た パ 事 そ つ な 我 丈 Ⅱ に 一 に 定 治・ 席
典 侍 あ ら ュ 序 し ゥ い に 数 な 令 で の に 為 白 9 、 る し 諸 辮 。 め 条 々
伸 明 に 取 一 、 1 の ジ 教 木 画 何 よ れ っ の 瞭 ダ 決 り 応 " の で ァ の め に
放っ
て を も に ャ 定 あ 明 論 あ の 一 方 し な て い れ と な 教 約げ陳述
る宗切
の か ら 視 た に に る は に る にかピ 教の
形通儀
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ュ ラ] で が ヤ ェ な 絶 な 、 ら 、 の ュ の 一 か Ⅰ る
。
合 理 ス あ 円 教 ]しせ
此 ' で そ でダ所
ム 尺・『 自り る ち な 特 、 此 疎 水 自坤 こ れ 生 っ な 支 Ⅲ 性 ( 内頁 に
高 士 - 向 の パ の ) 教 そ こ 教、
で約
ュ 態 頭 の さ 一て こ 形 ヤ け 壮 と 問
調教
し 、術隔
一市ト煮
た76
の
アジア
的
救済諸士示教
論証さるべき中心
課
とが明瞭に推測出来るのである。
るのであるが・
し
に﹁知るに値する﹂︵
3
︶
心
が向けられている
容を有するのか・
と
中心課題として提起
0 。既に見た如く︵
本
それ独自の日
標
と方
ことは・我々が
、本
ると考えられるので
特に﹁知るに
伯す
を、先づ
尋ねなくて
ぼ
ならないであろう。
円
むま
目抽
0
ロ、いの
肚 Ⅱ
0
間
題
四三
177
けであ
、しかし
にして
行
50
りたムし
ことは、
るが、今我 ながら全く こうと 思 その特性 て﹁プロテ めたもの 一 一 ( ( 3 2 ) Ⅹ )四 0 目) 四
l ワ 8
]D ッパ の経済界 制 として﹁我々の現代 ハ m り は 現在の人間、それ
性 をもつたものとし ハ 4U
伏ョ 一 p ッパ のみが
を 最も明瞭に刻印し ハ 5 ︶
、 一つの 豆 大な組織
機構 は 、人間から 独
たのこの機構のうち
| 生れながらにして
もって規定されてい ︵ 6 レ
機構の成立していな それ ば 、営利の為の
、労働を人生におけ
うした ヱ Ⅰトスに 着
を 得ず 、 而も 、 こ う
においても見出すこ
範 に従って生きる 外 四五 0 間 題
四土 ハ 近代資本主義の発生 為にば 、又 こうした ェ
いのである D しから ぽ それは、 佃 んであったであろうか。
因 の一つであると
代 資本主義成立に果 ﹂は、まさしく、 こ れに対する彼の割 期的 労作であったのである。 が教 祀 全学的研究、即 と祀 余生活のあらゆる
る 。即ち、近代西欧 つとして、宗教の役 締約事情の許す所で
ぽかったのか、 又近 点 に対して、当該文化 るのであるり 何なる役割を果したであろうか。 においては、経済 は、殆 んど農業に従事 180
四ゼ
0 間 題
に
至ったのである。
曲甘 毛色の選民とし る 宗教団体として、 た儀礼的、倫理的 規 かムる 事態は、必然的に彼等の生活を規定し 、 この教団のあり方を祀的 食事規則、厳格
しめ、客人民族とし
者を必要ならしめ、 であろうか。
有 な諸相を発展せし ︵照り めなかつたのである﹂と。 することなく、大都市に居住し、職業として、 済 的実力は、無視す 、近代資本主義の成 如く言っているので 発生したような合理 ハ 9 り ダャ 人もいない﹂の ら、 而も多く土着していた、彼のオリエント、 南部 ョ一 p ツバ、 東
註 ︵ vl{ ︶ ︵ 2 ︶ ︵ 00 ︶ ︵ア サ ︶ ︵ 二リ ︶ ︵Ⅰ 0 ︶ ︵ 7 ︶ ︵ 00 ︶ ︵ 9 ︶
の ・ N. 毛 P. の・ ま 。
の す の下の す 中ら・ 心曲 ま巨 9 の ロ ・Ⅱゆめ m. の・のかゆ 目交毛ま 縛 , 0 づ ・ 堅 ・の・ か
、安藤共訳弘文室昭利二十五年四頁。 のナヲ 円いが毛の ヴ の n. o Ⅰ・ 往ダづ 0 Ⅰ ヴ 0 Ⅰ ヨ 0 Ⅰ 片局目仮 ヴやパ毛 0 ヴの q. 0 や・ nw ︵・のの・ No のん 0 も
木 評論社昭和九年八九頁 | 九三頁参照。
二十四年三一頁参照。
五頁。
0
発展に対する
ュ
著しく基づいているのである﹂と。︵㎎︶
である。即ち 、そ ︵Ⅰ し
貨幣取引業務に従事 ︵ 旺し
では、克服されず、 ハ 旧し
家資本主義、掠奪 費 ハ Ⅱ︶
義 に特有なる諸相、
す 余地は全くなかつたと言えるのである。 を 自党し、 又 確証す 異教徒との共同作業を四難ならしめたので ある。ハ % ︶ 四 八 ュ ㏄ ,
四 てヵ ーストなき環境における バ ︶リア民族 のであり、更に、この宗教は、ユダヤ人をし 加 することを不可能ならしめたものであった。 しかし、それにもか ム わらず、この宗教は 、 の 発展に対して、決定的役割を果したと考え ぽ それは、如何なる点においてであろう 代 ユダヤ教 b 研究にあたって提起せる第一一 成 ﹂と 言 5 点に求められる よう に思われる。 が 出来ると思われるからである。即ち 、ユ ダ 0 間 題 ︵ M ︶ H 江口・の・ u ぺの ・一般経済史要論下巻四頁。 ︵ 騰 ︶目付Ⅹ 毛 。 ヴ er. しむのが 臣斤庁 のり 目 あの 目 ︵ 由ヨ ・の・ののう ︵Ⅱ︶ 綴 皮毛の す e こ o っ ・ 黛 ダリおの ︵は︶の小円ヰり田上 ト ・ か り m ツ ・ののべん お ︵ B ︶の h.H ヴぃ隼 ・のの・のののも 虫 0
、 のの か ・一般経済史要論下巻五頁。
執 0i ㏄ 収べ
倖 00 の上 乙 0 ゴ の 曲 ・のの・㏄ 白ト日 一般経済史要論下巻二四五頁参照。 ︵ m ︶目銭 毛字 の二ロがの曲巨守の古よ 巨 ミヨ・の・ お 。 たらしめ、且つ、その 脛 て 近代資本主義成立に参 ある観点から見る時近代 られるのである。しから の事項、即ち、﹁此の世 何故なら、我々は 、ウニ ャ 教が旧約聖書の成立を 四九
183
えて行こうと思 う 。 ︵本論文四五頁参照︶
し 、そこにのみ 特
主義に見出して
この西洋ムロ 理
︵ り乙 ︶の h.H ヴ日・の・ q. のの・の 目 O h ︵ 3 ︶ テ般 経済史要論下巻二四六頁。 目 ・のの・めか,ゆ り ︵ 5 ︶ 目 ・目安宅 乎呼 ・ 0 ゃ ・ 臼 h. 乙 ,︶ ム ︶ た 近代資本主義の 釆
の 関聯から 検当 を加
ろ うか 、と。 が Ⅲ来る よう に思わ れる。
ることになったので ︵ 4 ︶ 示教倫理﹂の形成を重 性
倫通
格 理 し を と て キ な リ つ キ スト て、
( るス り 教 lk ト に の 教 附 票 の年数号
す の 胎 ろ う と こ ち し と に て に 生 、 な き こ つ 続 の た け 新 の る 宗 で こ 教 あ (と に且 つ 取 っ
、
たら
。
れう こ 此 し れ の
「合
た性 が 格我理
は 々 的 、 0 な ギ 世 宗 リ 外 教 シ 史 倫,思 ら キ 想 、 見 リ
つ る 常 ・ 1%
して、次の如く 言
化 L ということは、
、技術、科学的 労
だ 種々なる究極的価
、 円 非合理的目であ
する。文化史的観点 からそれらの相違を特徴づ け んとするなら ぽ、
て 合理化されたかと - 力 多様に 、 而も矛盾し 極々なる意味において ダャ 氏族が、周囲の
基礎 づ げられた彼等の に 立ち入って、西洋
生
・ を 尋ねなくてはならな いであろう。ろ うか 。それは、 五一
の 問題 五 ︵ 6 ︶ ツミ uqwu ロロの 毛 0 ヴ mq. OD.n ロ ︵・の・の き
の役
もに織
る 値 に等等に
り 程経理
知 領 割 " 携 さ で 合理機
と か 利 "皮済性
ヴ 何五二
関するものであ
の
結果を評価的
ろ
う
。即ち
、何
又
、価値、理想
ね
、各構成要素
なる。前者は価
一口 ぅトく
とが
W
来る市
巳 あろう。
言
う
ことが出来
ゆが機能的に組
のである。これ
し
、その行為
と
技術が支配的
は
、ひとり経済
り、
他の丈化
領
Ⅰ㏄である。
いて、実質的に合 理化されていると考えられるであろうか。
社会の特徴であ
間 には、 神 と悪魔 と
理念の客観性を証明
﹂要するに、これが
くの如く見て来る
の 究極的価値観点か
り、 我々は、この 範 ことは出来ないと考えられるのである。
ているという点に 求められるであろう。
中に生活する人間
︵四五頁︶この機構
は 、どこに求められ るであろうか。
的に己が職務に没 五三
0 間 題
N. 毛 P. のの・ おま
Ⅱ・㏄の・ め巾 ㏄ ヰ ︵ 8 ︶Ⅱ サ Ⅰ 隼 ・の , ㏄ べ
㏄・白のの 五四
経済的淘汰 を 発かれ ることである 0 即ち ︵ 8 ︶
、 己が責任にお い
るであろう。かくの
機構内で生を全 うす
ことは、更に、人間が
意味する、即ち 、ゥ
ぅ こと、そこには 何
事柄は原則上鞍 側 に
ぅ ことを意味する であろう。
の ・ぃ円 片 , ︵ 2 ︶の h. ミ笘 Ⅹ毛の す er. o づ ・ 住 ︵・の・の m. 中ロ ヨ ︵ 3 ︶ い - h. ノミ pN セマ のす 市 q.OM ︶: 巾 w ︵・の・さつ・やロ ヨ
駐 ・一般経済史要論上巻五五頁以下参照。
胡か 188
したかを考察した
たのであった。 又そ
事態を如何に考えた
シャからはじまる 西
ある 0 クエ Ⅰバーが
﹁この何千年来西欧
もし 来 つた﹁進歩﹂
のみでなく、 クエ| ︵ 4 ︶
において考えることが出来るであろう。 のであった 0 勿論 か
特有な現象であり、
化 領域が合理化をこ
いるということを 意 ︵ 5 ︶
ゥヱ一 バーが、西洋
の 文化領域におい
過 のうちで、かム る 五五
の 問題 """ ﹃Ⅹ フ
五
Ⅰ ハ
合理化へと促進せる歴史的要因は何んであり、
道を阻止したものは
何
んであったであろうか。
、宗教社会学的
諸
よ
う
に思われるので
ある。
関してふれなくてはならない。
、それに対する
重
さきに、近代資本主
構成要素の一つを
形
出現に対する原因を
、同時に清教徒の生
組織の上に実現した
ものに
多
ならなかつたと考えられるのである。
たる紳に対して
激
プロテスタンテイ
ズ
190五セ
の 問題 た る l 旧 く
間適にに人と
リ が は し で ダ
ダ生の
勿 更 け 。 お を 、 に を ス キ " て あ ヤ ヤ 誕 歴 諦 め る け件紳
、 認 ト リ ュ 受 6 人 教 に 史 、合金
教 ス ダ 取 。 に の 栗 駒 こ理運
は ト マ る そ対案
し 要 う化化
、数人
こ れ し教た
因 し 過 lか 常 ] ょ
救済
は の総数
お か ら 倫 りつ済の
、役検倫
い らを な 故 こ 投 網 る 経 れ み 特 赦 知 る の の と 対
西天ね
が に l ら こ 状 宗し条洋
でぽ近近の
ざ と態教て
件合
あ な代代
意 る に を は の と 理 ・つ ら的的
味 宗 ょ 儀 、 聖 し 主 た な今今
を教つ
軋 ュ 軋 て 義 と い理理
以 と て一的 ダ典殿 に言
。 主 主 上の事
してに根
キ、
教 ャ 式鹿 す 守 対し い得 ホ し 義を 義 と ) 円 3 発 ソ拠の
術 る て る し 生 ウ カ、 展 ス づ 宗 を こ 如 で 、 み ェ ら す ト け教認
と 何 あ そ 出 ] 推 る 教 て 倫 め を な ろ れ し バ 測な な う 取 た れ を の で 特 で つ る な る の た 時 間 な 徴 あ
な 伐 点 そ あ ( 2
除つ
キ魔ろ
い 自 り を し 。全知て
い 埋 るづ主
れ義と
ここ
に め が ムせ 全 由 か ろ う の 弛 め 聴 許 栄 上 、 菜 圃
九曲
教 持 と を な 会 働 配 あ 一 酌 に 慮 ら 切 救 専 の わ の 済 心 も す 権 教 し と こ威義
た に と を の 0 組 を 拒 あ で 織 目 杏 ら あ 的標せ
ゆ る に と し る 。 拝 し め 残 そ 形 て 、 津 し 成 、 理 を て せ 此 性 掃 、 し の を 蕩 か む 肚 重 す ム る の ん る る に 「 ぜ に 禁 至 日し至
欲 つ 然 め つ)
合へ
的地たの的、感
た。
9 魂主あ
で(」圭姉
位構築
8 %
服忌
自自
捷恵嘉
第律
立 に 性 四 百 り五八 ︵ 却 ︶ とするあの著しい 過 る 魔術的方法を迷信 ャの豫 言者によ つ のであった。かく 呼 ぴ かけられたユダヤ人は、 補囚 後、救済の為 、 環境から自らを閉鎖 る 。 き 中心課題として よう に思われる。 我 宗教倫理を形成する 関しては、 ぃ づれ 発 表の機会を待ちたいと思 う 。 ぎ隼 0q の O ふ 0 ︶ 0 魎の目皮毛 O ヴ mq の。︶ QN べ 呑屈 ㏄ す ﹁・ Oe の・ レ 屈み・ N. 毛目 ・㏄のかのの 味 の ・ 朕 ㏄ の 昭和二十五年三三頁参照。 Ⅰ
9?
0 間 題 五九
ダさ は ︵ 7 ︶ | ︵ M ︶の h. ワミ
寅毛
0 サの ︵・ 0 づ ・ 往 ︵・の・㏄の ヰの ・㏄ ド 0 ト
鞍 ・ ト 下目 イ ・㏄
︵Ⅱ︶ ツ ミ % 毛 0 ヴのク 0 づ ・ ユ 侍の・ N. のの・㏄︶ O h ︵ m ︶一般経済史要論下巻二四六頁参照。
の ・Ⅱ いし
ム 8 ︵ 幻 ︶ ひ宙 ・のの・ ゆぬヰ 93
敏
小笠原
政
を手にし、背には開いて中を読んでい
、 悲しそうな声をあ いだらり﹂Ⅰ ィ が、 彼のおさ え が るものであらうか。 町は天からの火で お前 達 私の可愛いい からだ。
す ﹂。死の彼岸に た 魂は絶望的問い、
。
ヒウ
リタン的
人
商用をの
一
い
て
六 O 194
遇し、どの様に克服
﹁クリスチャン﹂がⅠ
た 。
きさえも、 圧 えつけ
の手にすがってのみ 引きⅢされる。
門 ﹂がある。急い ピタリ タソ 酌人間その 一
山 、一 ノ 荷 を負ったわわれな は 再三叩かぬ ぽ なら
、 空しく左右を見まわし、野原に 、 独り 、も 物 ﹂即ち、﹁聖書﹂を読んだことにあった。
を 、と叫びながら凡てを後にして独り走り去 救極| 天国へと始まるのである。 だえ 立つの ﹁聖書﹂に 人も、その である。 そ チャン﹂は つていく。 よって彼自 罪の為に審 こに救いの 気違いの 様 そしてこれ
上 、一一 /
行こ う としているの 入れられてから、﹁ ク 想 する。︵ 4 ︶
呂
に川遭った。とんだ。重荷を負 う
危険なしで欲しいも
ころにいくことだ。彼はじき 向 うの﹁道徳村﹂ 旨 on ひロめ ︵ ぜに 住んでい
す 手腕がある。文そ
するのである。﹁ ク
みると丘は火を噴
又 後悔する。この 危 ︵ 5 ︶ 機に ﹁伝道者﹂に遭遇して教導される。
だ。﹁違法者﹂は
い 0 ﹁律法の行によ
﹂ 巴
。そこでは律法と
るどころ,あたり
、暴露され、 禁 示さ 196
土 、二一 ノ ヒウ リタン的人間その 一 身軽になった﹁ 目ヨ の 三ミ を 登り し、﹁疑惑の城﹂ に到達する。其の ルサレムに迎え人 思えば十字架の るところ肉は未だ の 高揚に続く反動
o 片
過
ざぺ
のェ れられる、
得す
精神
に切 ね 、反って 延 えらせられ、 を 撒くと挨は鎮まり大広間 キリストの住み 家 とする。 律法は安住の魂には警告 であり、キリストによって 罪の重荷と律法の呪いと 祀幅る 受けて別れを 吉げ、 基 のある所にやりてくる。 に荘然 と立っ彼の眼から 歓 い 衣で包み、印を額におし する力を与えない。一人の少女が現われ 水 いる。福音は内的腐敗をきよめ 、 魂をして に 殴り倒すもの﹂ コ佛 みを知らないもの﹂ ある。﹁クリスチャン﹂は﹁解説 若 ﹂ の の巴づ NH め o さの道を駈けのぼり、十字架と に 墓の申に落ち込んでしまう。その小恩 儀 人の天使が輝き現われ、彼を祀 幅し、 新し
つ 干も圭キリストの
ぇ 入れられる。 & 目 とおの誘惑に近 かくなる頃、族人は が 試練の前に反転し のざ 戸叶 ロ のので 舘ドの鞭
﹁ 所り ﹂の道 はよっ
こを抜け出し﹁歓楽 00 臣 0 の︶付の傍を通り
もの、として捕えられ、裁かれ、苦しめられ、
となった﹁クリスチ
それから﹁
御
都合
信
六四 198 は ﹁死の陰の谷間﹂。﹁汝の天に昇る道
が 共にいることを 知
か とり、犯罪が無料
の 混乱をひきおこす
もので﹁巡礼者の
ののの 片 Ⅱ 0 日田 す 田の七 く 0 Ⅰ 目由
それが来るべきもの・
てあるところに注目
しにもどる可能性を
と 同様に、地獄に通 ︵ u ︶ ずる道のあることがわかつた﹂と言っている。
しながら辿りゆく 基
吾 びを 味い 、感謝の念
処 に来ているのであ
と 希望とをもつて 待
。恩恵の舐喜の中に
意 がなくてはいけな
利 であった。天路 歴 程はビウ リタンの生の古典的寓意物語である。
為に鳴りひびいた﹂ ︵ⅡⅠ
読むことによって ︵ 60 ︶ Ⅰ八五 ピタリ タソ 酌人間その 一 一
受けとめられる。 聖