――目次――
論文
1,
死のための団体形成:源信とその同志たち, 山折哲雄, Death and Eternal Rebirth, Tetsuo YAMAORI,
pp.1-29.
2,
大覚醒の時期のバプテスト派の理念について, 野村文子, On the Ideas of the Baptists in the Great
Awakening, Fumiko NOMURA, pp.31-50.
3,
種の論理と世界宗教の哲学, 氷見潔, Die “Logik der Art” und die Philosophie der Weltreligion, Kiyoshi
HIMI, pp.51-70.
特別寄稿
4,
儀礼・カーニバル・演劇:リミナルからリミノイドへ, ヴィクター・W.ターナー, Victor TURNER,
pp.71-94.
書評と紹介
5,
荒松雄著『インド史におけるイスラム聖廟―宗教権威と支配権力―』, 前田専学, Sengaku MAEDA,
pp.95-99.
6,
小野泰博著『「救い」の構造』, 塩谷政憲, Masanori SHIOYA, pp.99-104.
Posted in 1978
(昭和53)年
死のための団体形成
一死の思想
|絵 と説教 ホイジンガーは、日中世の秋﹂のなかでいって い る 。ヨーロッパの中世は死の思想を独自の形で それを代表するものは、十三世紀以降に盛んに なった托鉢修道会の説教における主要なテーマー 国 ごとに死を想え |もくじ
一、死の思想 |絵 と説教 二 ・ 械死と浄死| ﹁往生要集 し ︵記録 A ︶ 三 、肉と 霊|ヨ 一十五三昧起請し︵記録 B ︶ 四 、生者と死者 | ヨ一十五三昧 会 過去帳 ヒ 五 、死の エ トスーヨ一十五三昧式し (戸ロ--
ほ :録
C
)死のための団体形成
源信とその同志たち
山折哲雄
わが国において死の思想が急速に弥漫 し 、想像 的 世界に強烈な刺激を与えたのは、王朝の末期か ら 鎌倉の初期にか けてである。それは古代未から中世的世界の形 成親にかけて姿をあらわしたということができる が 、具体的には、 各 種の ﹁往生伝﹂の編述︵王朝 末 ︶と、地獄草紙 や 餓鬼草紙などの六道図の制作︵鎌倉 初 ︶となっ て 実を結んだ。 平安末期は、貴族政権に支えられた古代国家が危 殆 にひんした時代であるが、そのころになって ﹁日本往生極楽記﹂ や ﹁法華験記﹂をはじめとして、各種の﹁往生伝 ﹂が編纂され、争って読まれるよ う になった。 そこには名のある 高 僧の生涯と往生の奇瑞を示すものも収録されて いるが、そのほかに、無名の庶民の見事な死Ⅱ 往 生 のありさまがかな ︵ 3- り 多く採り入れられている。 往生伝というと、いかにも高僧伝、名僧侶の一変 種 であるかのような印象を与えるけれども・ 実 際には・人間の死 に 方のモデルを提供する、一種の教科書として 活 用 されていた点を無視する め げにはいかない。 一 貴僧伝や名僧 伝は、 人間の発心と修行、すなわちその聖なる生涯の 方 にもっばら主要な関心を寄せていたが、これに たいして往生伝の方
るからである。死の思想はそこでは画面
い
"" Ⅰ
タソス ・ の 訓戒と、十五世紀に発達した木版画である。 一 四八五年、パリの印刷業者 ギュョ ・マルシヤン は ﹁死の舞踏﹂の 初 版を出し、それに木版刷り飾り絵を付したが、 , ﹂れをみた当時の人々はは げ しい恐怖の感情を抱 教会が日常の説教でくり返し宣伝していた死の 思想は、肉体の腐敗因とあい呼応し、死の ィメ| シ ももっぱらそれ にもとづいていた。肉体の蔑視が 、 死を想え 、 の 聖なる合唱へと接続していた。そしてちょう どこのころ、世界の ﹁呪われた美術﹂のなかの第一級品といわれる ヒ ヱ p ニ ムス・ボス︵一四五 0 ワ ・︵一五一六︶が 、 その怪奇と恐怖の 極彩色のパネルを次ぎつぎと制作していたので ある。ボスの描く天国と地獄が、ダンテ︵一二 六五︵ 一 三二一︶ の ﹁神曲﹂に描かれている天国と地獄と異なって い るのは、ボスの肉体にグロテスクの腐臭 と詣謹 が 塗りこめられてい (2) 2
3 死 ための団体形成 て
一 世 "
セ台
卍コし も の以 托
前 鉢
修道
のこ と 士 で た あ ち各
存ブ し お
て
死
「
を想、
,え 」 の説
教
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力
的
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令 - よ つ @ @ ノ @ ヒ な る と ュぎ か ら数
え 3) 怪死の準備、死の覚悟、死の方法、死の意識 といった、﹁ 死 ﹂にかんする万般の理論と実 践を類型的に示すこ とを、ひそかな目標にしていたよさに私には思わ れるのである。 こうしてみるとき・ホイジンガーのい う 死の説 教は 、わが国においては往生伝の述作という 形 で 実現され、﹁死の 舞踏﹂などの木版画にあたるものが地獄草紙で あったという符合が、ここに成立する。 こ についてはとくにこ たわる必要はないが、小論がこれから扱お うとす る 死の思想の領域と位置を定めておく意味では 、このような限定も ある程度の有効性をもっであろう。 王朝末期に流行した浄土教や末法思想は、かな らずしも死の異常を競 う というのではなかったが 、しかし死への 決 研 が生への跳躍につながるという倒錯した救済 思想を生み出した。そこに往生伝の類が成立をみ る 歴史的根拠があっ たと思われるが、この時代の浄土教の精髄を要 約し、﹁死への凝視﹂を理論的に体系づけること に成功したのは、 い うまでもなく恵心僧都源信︵九四二 |一 0 一七︶ である。そして多くの往生伝における﹁往生Ⅱ 死の理論﹂を基礎 づ げた指南書が、その主著である﹁往生要集 ヒで あった。源信はこの著作において、人間の肉体の 腐敗図を独自に構想 し 、わが国における﹁死を想え﹂の説教をはじめ て 定式化したのである。浄土を欣求し、 械土を 厭離するための観想 念仏の方法がそれであった。三
%
死と浄死|
﹁往生要集
ヒ
︵記録
A
︶
からはじめられてい
る
。この場合地獄の凝視とは、直接に死を凝視す
るということよりも、むしろ死体のごとく生き
ることによって一つ
ここでい
う
生理学的実存とは、念仏し浄土を欣求
する修行者が、自己の生々しい肉体と
腐燗屍
体
とのアナロジ
l
を
、﹁視覚﹂をはじめとする五感のそれぞれの
様
式
にもとづいて実現しょうとすることである。
%
獄で白熱し燃え上
る
肉体を見ること、Ⅹ
、、、
地獄の亡者の阿鼻叫喚の声を
聞くこと、
、、、
・涙の苦
さと飢えを味わうこ
と
、火や鞭の呵責に触れること、、、、、・がそれである。
つまりそこでは、地獄の亡者たちと一体化して
、地獄の各情景を想
起しかつ地獄説話を生きることが目標にされて
いるのであって、そのとぎ修行者は念仏以外の言
語を放棄し、いわば
その失語症的な感覚のなかで﹁
死
﹂への道筋を模
索
しなけ・ればならない。
地獄や浄土の瞑想︵観想︶は・当初は今のべた
ような
異
次元世界のショートカットや眺望にみた
されている。たと
えば等活などの八大地獄や餓鬼などの六道がそ
れであり、浄土における仏菩薩の円舞や来迎など
の
諸形姿がそれにあ
たる。源信は門莫莫﹂の論理展開としては、
ま
ず
﹁地獄﹂など六道の蔵土性の観想をのべたの
ちに、﹁極楽﹂の観察
へと説きすすんでいる。この観想が
、
実は生理学
的
実存に迫る方法として自覚的に採用されてい
たことをさきにふれ
たけれども、そのことがもっとも精細に追究さ
れるのは、﹁地獄﹂の観想
に
おいてよりも、むし
ろ
六道中の一つ﹁
人
道
﹂の観想のなかにおいてである。
<4) 4楽の逸話を再現する多彩なヴィジョンにみたさ れているが・その終期の段階は、むしろイメージ をすべて漂白してし 成 まった視覚的な眺め、あるいは阿弥陀仏の光 明に包まれる浮揚感や飛翔感の神秘体験を生み 出すものとされている。 棚機死のイメージから 浄 死のイメ l シへの変化 は 、けっして一定した速度とりズムによって 行 なわれるもので忙ない 団
頗が
、その救済論的な軌道を決定しているのは 、 い う までもなく視覚の質的な転換と浄化であ る 。 死 た ﹁往生要集﹂における否定︵ 絨 土の厭離︶と肯定 ︵浄土の欣求︶の論理は、この ょう な視覚の質 的な転換と浄化と い う 経験を土台にして、そのしなやかな翼をひろ げる。否定と肯定の論理というのは、換言すれ ば 、 綴死と浄死 とい 5 (5) の 窮極は、いってみればこのような磯花と 浄 死の イメージを視覚的水準においていかに実現する か ・というところに 存していたのである。 源信は、機 上 ︵ 歳死 ︶を厭離し、浄土︵ 浄死 ︶ を 欣求する修行者にとって必須のものとされる 手 段を体系的にのべ ている。すなわち・浄土と阿弥陀仏にかんする ぼ 想の諸形式︵﹁正修念仏﹂︶と神秘主義的な 禁 欲の諸手段︵﹁ 助食め 方法﹂︶がそれである。この瞑想形式と禁欲手段 は 、通常は瞑想者の身心訓練を意味するけれども 、直接的には精神実 中に よ る視覚の純化をめざすものである。全体 三味によって精神の集中を得、視覚のうちに﹁ 仏 の 来迎﹂ | すなわち 神 約 顕現1 0 対 映される状態を準備することで もある。観想念仏における初期の視覚体験は 、階 層 的な地獄説話や極 移行は 、竜 れた死の世界の瞑想から、浄められ た 往生の世界の瞑想への転換を意味するが、 よ り 集約的にいえば、 そ れは、死にたいする 浄と 蔵の二元的な観念に媒介 された瞑想︵観想︶ということができるであろ ぅ 。地獄などの六道 世界は綴死のイメージに覆われており、極楽浄 土の光明世界は浄死のイメージを放射している。 地獄や浄土の﹁観想﹂ そこでは・人間の在り方が屍の腐 燭 過程として 把捉されているが、これが次章の﹁浄土﹂観の場 面 にらつると、 阿 弥陀仏の理想的な身体が巨視・ 微 視の 7 ィルター を 通して瞑想の対象とされている。この、前者 から後者への観察のう 対立する観念によって意味を付与された論理で あるが、通常、この 抜土 ︵磯花︶と浄土︵ 浄死 ︶の画境界は、連続 的なものとして感覚され表象されているという よさにいわれる。なぜなら此岸︵ 壷土 ︶と彼岸︵ 浄土︶とは、視覚の 質的転換によって相互に入れ換えが可能だから で 去の耳 ゐ ところが、困難な問題はまさしくそ エ から生じて くる。視覚の階層制約転移 仁 よって得られるの は 、客体としての 浄土や抜 土 であるにしても、しかし、その視覚 を内に埋蔵する心体 が 最終的に成就しょうとする のは、けっして視覚 にう つる浄土などではなくして、まさに浄土 往 生 ︵ 浄死 ︶の身心的な確証をおいてほかにはない からである。視覚の 質的転換の問題は、対象世界の変容をめざし、 し たがって対象の魔術的なデフォルメにその関心 を注ぐにとどまる。 それは 浄死 ということの客観的な認識にみちびく けれども、 浄死 そのものの実感や確証を直接に 生み出すもので忙な い 。観想念仏は、念仏する修行者が生ぎつづける かぎり、あくまでも視覚を媒介とする封地的な 意識活動の環から 脱 け 出ることができない。視覚の水準は往生の位 相を説明するだけであって、それを身体論的地平 においてほ十分に実 証することができないのである。 ﹁往生要集しにおける論理構造のアポリアがそこ にあることは、も ほや 明らかになったと思う げ れども、源信はこ 0% 路 をきり抜けるために、修行者の肉体が現 実に朽ちはてる﹁死の時点﹂︵臨終 時 ︶の問題を 、最後に提出してい る 。 紘死と浄 死にたいする生理的感覚は、視覚の 洗練によって可能となることはすでにくり返し の べたけれども、 浄 死の視覚経験から 浄 死の確証への転換は、現実 の 肉体の死の場面を抜きにしては成立しないだ る ぅ 、と源信は考える のである。いわばヴィジョンとしての 磯死と浄死 の間に肉体 死 ︵臨終︶の契機を挿入することに よって。前述のアポ リ ア をのり超えようとするわけである。現実の肉 体の死の場面は・修行者の死と再生の神話が成 就 する状況を意味す る 。そしてこの 死 と再生の神話は、観念的な 紘 死と浄 死を即物的な実感のレベル 仁 引きずりおろ す 働きをするであろ C6) 6
死のための 目 体形成 らわれるかどうか 仁 かかっている。かれの求心 的な視覚にたいする阿弥陀仏の応答は、かれの 肉 体の死滅を前提にし てはじめて瞬時にとどけられる。視覚はそれ 自 体の根拠である身体の消滅とともに襲われるが、 しかしそのゆえに か えってもっとも切実な 浄 死の確証が約束される のである。 だが、この確証は残念ながらあくまでも可能性 ほ とどまる。なぜなら再生への道を発見でぎ ず に 終る臨終者は、 そ の 視覚のうちに 抜 死のイメージしか宿さない場ム ロ があるからである。肉体から最終的に 喪 われよ ぅ とする視覚が 、傲 死のイメージを映すか 浄 死のイメージを映すか はむしろ偶然に左右されている。 浄 死の確証は 、 磯 死の強制と平行し て かれの最期の枕頭に訪れるであろう。 ﹁ 要集 ﹂の巻末にとりあげられている﹁臨終の行 儀 ﹂の 章 こそは、右にかかげた課題に真正面か ら 取り組もうとし たものである。それは﹁ 要集 ﹂におけるもっとも 中心的かつ本質的なテーマであったといってよ @0 Ⅰ 病気にかかり、余命いくばくもないことがわか った 念仏行者は、﹁無常 院 ﹂とい分別所に収容さ れる。そして念仏 の 同志が寄り添って看取るのである。ここでこ の ﹁ 噌 病人﹂は、臨終にいたるまでの﹁病者﹂の 意識が浄土往生の サ イ ンを ぅるか ・あるいは 堕 地獄の恐怖に見舞われ るかを絶えず問いっ め 、その告白の仔細を記録 に 書きとどめなけれ 一 ばならない。この病者と看病人のあ い だに と り 交わされる共同の点検作業は、油断なく、 執劫 に続 げられる。臨終 念 一仏者の視覚は 、 死の意識と重なり合い、それ をのり越えようとするであろう。かれの視覚は 、 法悦の意識によって 死 の 意識を転換させようとするのである。それは ィ メージとしての 礒死と浄 死の周囲をかけめぐっ て ・最後の自己燃焼 をとげようとしている。かれの視覚は 、 死の 意識である 穣 死に包まれたまま消滅していくのか 、あるいは法悦の意識 にみたされて舞台を退いていくのか、その関頭に 立たされている。 7 C7) ヴ イソ コ ア ぅ 。かくて再生 | すなわち 浄 死への道 |を 発見 できるかどうかは、当の死にゃく修行者の視覚に 阿弥陀仏の来迎があ
かくして念仏者による最期の臨終念仏は、法悦 か死 かの二者択一を決するための、阿弥陀仏への 問いかけである。 病者は自分の前に安置されている阿弥陀 像 に向 かって横臥し、仏の手から引かれた五線 の テープ を手にして。浄土柱 生の可能性を不断に問いかけ ろ のである。そし てこの問いかげにたいする阿弥陀仏の応答は 、そ の 念仏者の視覚のう え にあらわれる。そこに仏があらわれるのを、 源 情は﹁迎接の想﹂といい、地獄の苦しみがあら われるのを﹁異相﹂ と 規定している。前者は浄死のイメージに包ま れた法悦の意識であり、後者は抜死のイメージに まとわりつかれた 死 そのものの意識である。 ﹁ 要集 ﹂の﹁臨終行儀﹂章は、臨終念仏者による 問いかけの信号と、それにたいする阿弥陀仏の 応答の信号、とい ぅ 二極構造にもとづいて﹁往生﹂の意味を追求 している章であるが、阿弥陀仏に よ る解答の信号 系が、 つねに法悦の 回路だけを選択するという保証は、さきにもの べた よう にどこにもない。臨終者の視覚の うえ に ﹁異相﹂のみがあら われる蓋然性は依然として高いのであり、それ を 回避する方法は、いかなる禁欲手段や瞑想手段 をもってしても絶対 に 掌中にすることはできない。こうして﹁ 要集ヒ はその巻末の﹁臨終行儀﹂章において、 秩 死の イメージ と浄 死の イ メージに引き裂かれたままの、不安定なニヒリズ ムの 闇に直面しているといわなければならない であろう。﹁往生 要 集 L のこのような性格に留意して、私はこの 資 料を仮に﹁記録 A ﹂と呼ばうと思 う 。 源信はっ 要集 ﹂において、伝統的な往生思想の 論理的な限界 点 を見 きね めたということができる が 、しかし、右に の べたごとき難所をそれのみによってはのり 越, えることのできないことを、よく自覚していた。 ﹁ 要集 ﹂の述作は 、 源信にとって 揮身の力 をふりしばった仕事であ 発 点を示すものにすぎなかったのである。 っ たが、念仏者の死と往生の課題を追求するとい ぅ 点では、かれの 出 -4- (85 8
﹁ 要集ヒ 三巻が書かれたのは永観二年︵九八四︶ から翌年にかけてであり、ときに源信は四十四 歳 であった。そし てその 翌 寛和二年︵九八六︶になって、横川の首 棚厳院 に二十五三昧 会 が発足した。 この年、文人貴族として知られた慶滋保胤が出家 して親心と称し、源信の弟子となったが、右の 二十五三昧会は 、 この 保胤と 源信とが指導者となって組織した念仏 結社である。かくして﹁往生要集﹂が、この 結 社を方向づけるため の 原典的な役割をはたすことになった。 ﹁ 要集 ﹂の理論構成に没頭しているときの源信は 、秘境に隠棲する孤独な求道者の顔をもち、 観 念の純血を保持し ているけれども、二十五三昧会を主宰するときの かれは、セクトの指導者としての仮面をつげ て 、同志たちの欲望に じかに接することになる。前者の顔は、体系的で 理論的なテキストの記述者のそれであるが、 後 者の仮面︵あるいは むしろ素面︶は、社会心理的コンテキストの解読 者 たることを強いられている。実際的な理論家 というものは、その 論理が鋭くかつ動い度合いに応じて、現実に立 ち向ぅ ときはいく っ かの仮面をその身にっけなげ ればならぬ。テキス
成トを
制作するとぎの 顔と 、コンテキストを 整 序しようとするとぎの 顔 とが異なってみえるの ほ そのためである。少数精鋭の集団であるがゆえに、内密 禅戒 の 総 ムロ神学を標 傍 する 天 ムロ 教
礎団
にたいしては異端的な念仏運動としての 側 面 をもっていた。だが、源信と三昧会の連動方 針 のなかには、天台教学 たのにたいする真正面からの批判は皇天もふくま れることはなかったし、運動自体が山︵比叡山 ︶ と 決別して、山から 里 死への志向性をもつこともなかった。その点で この三昧会は体制 内 改革派の拠点であったとい うべきであり、神秘主義 9 (9)三内
と皿|三十五三昧起請
ヒ釜録
B ︶信 であったことはほ ば 疑いない。 ﹁ 要集 ﹂が浄土往生の救済論的意義を体系的に論 じた 願典 であるとすれば・﹁起請﹂は、三昧 会 という念仏結社の 運動方針と組織論をまとめた綱領である。原典 作 者としての源信がその理論を実践の場に移すた めの綱領の作成にみ ずから参加するのは当然であるが、しかしここ で、その最初の綱領の作成にあたって 保胤が 責任 者の地位についてい たことは重要である。セクトの実質上の指導者で あり創設者である源信は、セクトの共同の意志 を 代表する専任者と して 保 胤を選んでいるのである。それはある面か らすれば、源信もしくは﹁ 要集 ﹂における理論 的 関心と、セクト 全 体の現実的関心との調停者としての役割を保 胤 がはたしていることを意味する。理想的な往生死 と 現実的な生とのあ ぃ だには越えがたい深淵が 横 わっているが、それ を 実践的にど う 解決するかというところに団体 形成の不可避の契機 が 存したのであり、したがってセクトの意志を こうして私は、﹁ 要集 ﹂を記録 A としたのに応じ 伝達する 保胤 のごとぎ人物が必要とされたのであ て 、この綱領的な地位をしめる﹁起請﹂二種を記 る 。 録 B と 名づげて、 その死にかんするテキストとしての性格を限定 しておこうと思 う 。記録 B にあらわれる源信の往 生死にかんする議論 は 、記録 A に示されているものとは明らかに 昔 色を異にしている。その相違は、源信もまた 保胤 なととともに誓約 共 0 的 瞑想をその行動の規範としていたということ ができる。 1.1 二十五三昧 会 が発足したのは寛和二年の五月であ るが、その年の九月に・ 保胤は ﹁ 首拐厳院 二十 五三昧起請﹂八管︶ 条を作成した。ついでその二年後の水 延 二年︵ 九八八︶の六月になって、こんど根源信自身が﹁ 横川 首梼厳院 二十五 三昧起請﹂十二箇条を作った。源信の﹁十二条 起 請 ﹂はもとより 保胤の ﹁八条起請﹂にもとづい て 、それを 増 広した ものであり・したがって両者のあいだに基本方 針の差違があるわけではない。のみならず、 保 胤 による最初の﹁ 八 条 ﹂も﹁ 要集 ﹂の理論によって方向 づ げられて いたのであるから、﹁起請﹂の作成過程全般にわ たる真の演出者が 源
死のための団体形成
一 、結 衆 に病人が出れば・往生院に移して、当番 制 によって看護し見舞う。 一 、病者が死去したときは、墓所の安養 廟 ︵﹁ 八 条 ﹂では花台 廟 ︶に埋葬する。 一 、このとき、光明真言で加持をした土砂を死者 の 遺骸にふりかけて埋め、念仏を唱える。 二 結末 は 、身口意の一二業によって修善の功を積 んで極楽浄土を念じ、もしも結社の義務を怠る ことがあれば追放に Ⅰ 1 処 せられる。つ と は を メ 縮 約 ま
同
" 二 は し " に ン 領 な 「 は 記 体 の 一員であるというところに由来するであろう。 録 B には二種の﹁起請﹂︵ 保胤と 源信︶が含まれ 、その間に多少の異同、記述内容の差異がみ と められるが、 い とりあえず両者に共通の事項をあげて、﹁起請﹂ の 性格を明らかにしておきたい。 起請﹂は コ要 実目と同様に漢文で書かれている が 、その文体は﹁ 要集 ﹂の論理的文脈に比べてい ち じるしく主情 旋律にみたされている。さきに私は、﹁起請﹂の 文書的性質をセクトの綱領的なものと規定した。 だから各条項が としての定吉命令的な簡潔と厳しさを示してい るのは当然であるけれども、その各々の条文に 付属している コ トは 、いずれも病者にたいする優しさといたわ りにあふれ、同志として死んでいった者にたい する敬虔な祈り じませている。全体として波のうねりのような 無常感が表白されている。﹁ 要集 ﹂における 口 コス的な無常観 この﹁起請﹂においてはパトス的な無常感に置き 換えられているといってよいであろう。源信は ﹁ 要集 しでは 主 て 往生者の歓喜と苦悩に立ち合っていたが、﹁ 起 請 ﹂においては、 保 胤を自己とセクトとの媒介 者に仕立てても ら 病者の終末と死者の送葬に注意を向けている のである。 種の ﹁起請﹂に規定されている共通点をまとめ ると ・次のようになる。 毎月十五日に結 衆 が集合して、徹宵して不断念 仏の三昧儀礼を行な う 。右にまとめたのは五項目であるが、これを 保胤 は 八条に整序し、源信は十二条に時広している。 そこに多少の出入は あるが、いまは小論に直接の関係をもたないの で、そのことについての吟味は略する。右に掲 げた条目によって・ ﹁起請﹂の中心的テーマが、毎月定例の念仏三昧 ムム の開催と、臨終の行儀および送葬の儀礼の規 定から成り立って い ることがわかるであろう。 ﹁定例の念仏会﹂ 1 ﹁臨終﹂ 1 ﹁送葬﹂の連鎖は 一つづきに流れる通過儀礼、もしくは生死の 起承転結のコース を 象徴する枠組であるが、しかし実際の﹁起請﹂ に 記されている規定は、この儀礼的な流れを 中 途 で切断している。 すなわち死者の遺骸にたいする、光明真言に ょ る 土砂加持の儀礼規定が、冒頭第一項目の定例 念 仏会の規定のすぐ 次 に 挿入されているからである。 保胤の ﹁八条﹂で は 、文字通り第二の規定とされており、また﹁ 十二条﹂では第四番 目 に編入されているけれども、念仏会の規定が一 二条に分げられて詳述されているのであるから・ 実質的にはやはり 念 仏会に接続して第二の地位を占めていることに なり、その儀礼的地位は﹁八条﹂の場合と同様で ある。 光明真言に よ る土砂加持は、そもそも密教儀礼 に 由来し、臨終行儀につづく屍体埋葬のさいに 行 なわれる。光明 真 育 と土砂加持という、二重の秘教的な呪術形式 が 埋葬儀礼において占める意味については、歴史 的にも教理的にも 別 個の検討を必要とするが、小論の主題からいえ ば 、このような死体処理の独自の手段が、﹁起請 ﹂においてとくに 重 要 視されていたということが、さしあたっては 問題となる。この土砂加持規定は、本来ならば ﹁起請﹂の後段に記 されている﹁安養 廟し ︵埋葬場︶の案下に置かれ るのがもっともふさわしいのであるが、それが 意外なことに、第一 条の不断念仏会の規定に後続して、あるいはそ れ とほとんど並んで掲出されているのである。 しかもこの土砂加持 が 、記録 A の コ要集 ﹂においては 一 舌口半句ふれ られていなかったということから推しても、この 事実は見すごすこと ができない。 (12) 12
われわれはここではまずもって、セクトとしての
二
一味会の要求がそ
うい
5
形で表現されていたの
であり、源信も保
胤
とともにその要求の切実さを承認せざるをえ
なかったということを指摘しておかなければな
らない。﹁起請﹂は
光
明
真言による土砂加持の規定によって、結社の
メンバーに抱かれている個別的な﹁
死
﹂の観念に
たいして一つの強力
な
磁場をなしたということができるのである。
第二に、﹁起請﹂は光明真言の呪術を採用するこ
とによって、亡者の死後における﹁
戸骸
﹂と﹁
霊
︵ 酋ゃ壷 @
一正、亡霊︶﹂
0
分離を明確に証言していることに注目しなけれ
ばならない。亡者の霊は自己の屍体から遊離し
て
浄土に往生すると
い
う
構図がそこに成立するのであるが、この
ょぅ
な
霊肉二元の観念は門
要集
L
においては、その
仏教的正統の立場に
もとづいて徹底的に抑圧され秘匿されていたも
のである。かくして源信使﹁尊霊﹂の理論を導
入して往生儀礼の実
践
的な意味を補強しているのであり、それは
源
信が
セクトの救済論的願望に直面して被らなけれ
ばならなかった仮面
の
一
つ
である。
まず
保胤の
﹁八条起請﹂には、亡者は﹁土砂加持
﹂の効験によって﹁光明
身
﹂を得、浄土の蓮華
上に﹁化生﹂する
という真言経典の一文が引用されている。ここで
、化生した﹁光明
身
﹂がいかなる存在様態を有
するものであるのか
は
審らかではないが・﹁十二条起請﹂において、
源信は、極楽の蓮華上に﹁化生﹂すべきものを
ほ
づ
きりと﹁尊霊﹂
ればならない、と。かれはここで、浄土の蓮華
上に化生する光明骨
は亡
渚の霊であるといい切っている。しかもこの
霊
は
、光明
真
舌口による加持を
ぅ
けた土砂によって
一 刊
世の罪業を浄めら
13 (13)つ ともそれは、霊魂の存在を形而上学的に論議の 対象とはしないと 信 をもって否定し切ったのではない。 問題なのは、あくまでも求道者が覚者になるか 否 かという点にあ る 霊魂が宿っているかどらか、ということではな かった。 仏教思想の根本的命題の一つである﹁無我﹂と いうことも、 悟 る ところの﹁ 我 ﹂という存在を別 箇に 措定すること を 拒否する考え方 拠 を問 う たり、自意識を洗練させたりする態度 を 捨てなければなら いうことなのであって、霊魂の存在そのものを 罹 確 るのであって、求道者もしくは覚者の内部に聖な ヰは べき人間の当体の外に、自我とか自意識とかい う ハ @ ツ なのである。人間は主体を自覚したり、自我の根 根 ない。心身の統一体としての人間存在をおいて 外 ね 、かくて往生することのできた霊である。呪術 的に強化された﹁土砂﹂は、屍体の競れを除き 、霊肉の分離を促進 し、 霊の往生を活性化するための鎮魂の密 具 であ る 。 以上二つの事由にもとづいてまとめてみると、﹁ 要集 ﹂︵記録 A ︶において念仏者の死のイメージ は礒死 ︵厭離磯 土 ︶ と浄死 ︵欣求浄土︶の二極に分岐していたが、﹁ 起請﹂︵記録 B ︶において、この関係は、送葬の 儀礼を媒介にして 屍 体 ︵廟所︶と尊霊︵浄土︶の二元構造へと分解 している、ということができるであろう。それは イメージによる死の 水準から実体論的な死の水準への移行を意味す る 。 歳 死は屍体に繋留されて暗黒 界 に沈滞し、 浄 死は尊霊に先導され て 光明 界 に飛翔する。死をデフォルメする視覚の ぬ 想が 喪 われて、死を分解する 霊| 肉の化学反 広 がそこでは観測さ れる。この 霊| 肉の分解構造は、記紀万葉時代に 広く信じられていた 濱| 遊離魂の二元的な原理 によ るそれを 紡律 さ せるであろう。 霊| 肉の分離結合という働きを ダ ﹂ く 自然に受け入れていた古代的な﹁固有﹂信仰 が 、浄土教的な念仏 -5@ 結社の現実の利害にたいしても強い衝撃力をも っていたことが、これからもわかる。 プツダ そもそもイソ ド に成立した仏教は 、 建て前とし て 霊魂というものを前提にしない覚者の宗教思想 を生み出した。も (14) 14
死のための団体形成
らだ﹂は 、 悟りの種子を内包するところの有意味 的な媒体であり、それを離れて覚者の実現され る 場面はないのであ き方
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か で 15@ (15) 国 仏教に 、、、、 ての経験 居、そし めて共同 れらは、 であり・ 以上の おいても生じていたのである。しかし仏教の思想 的 影響力という観点からみた場合、何らかの形 で 覚者とし とそう をもたない人間は、仏教的世界においては尊敬 されなかった。かれらは三密加持とか禅定、山 林料轍 や油 て 百万遍念仏や断食断水などのはげしい久修練 行 を行な う ことによって特殊の神秘体験を得、 そ ぅ してはじ 体や信者たちの尊敬を集め崇拝の対象となるこ とができた。カリスマとして自立的な能力を身 に つげたか こうしてその 芽 そのままの姿のうちに覚者たるの 資格をこの世において手中にしている 0 すなわ ち 即身成仏 生ける覚者の現在往生の姿である。 ごとくであるとすれば、仏教の覚者の伝統は・ 一 方で霊魂の存在を止揚する無我の立場をとりっ つ 、もう 一 ある。わが国における神仏習合などはその代表 例 ということができるが、このような事態はイン ドの 大乗仏教でも 中 た は ょ が ろ は 、﹁悟り﹂の当体はないわげであるが。この当体 は ﹁ 我 ﹂や﹁ 霊 ﹂なるものの存在と意識を止揚 していなければな ない。 こうして仏教は、 我 的なものと霊的なものの双方 を 覚者の立場から否定する体系的な思想を打ち たてたということ できる。これは基本的にはインド、中国、日本の それぞれの段階の仏教思想をつらぬく立場であ った 。しかしこの うな原始仏教的な覚者の仏教思想は、いったん 民衆の宗教意識と接触し、かれらの宗教的願望を 吸収していくとき 必然的に雑多な民間信仰や呪術の要素と習合し ていかざるをえなかった。なかでも、民間に根強 く 信仰されてい 祖先崇拝と、それを根本的仁成り立たしめてい るところのかれらの霊魂観念こそは・その最有力 の 要素だったので﹁尊霊﹂には本来﹁ 妙 観察 智 ﹂︵神秘的洞察力︶ が 傭 わ はただちに九品浄土の境界を得るということであ る 。 は 上、﹁起請﹂ | 記録 B 1 のうち、 保胤の ﹁八条 ﹂。 ニ カ っており、それによって迷悟の本源を究明すれ ば 、﹁亡霊﹂ ﹁重一正﹂の問題を消極的に隠匿したの に たいし、 源 信の ﹁十二 も霊的啓示のこのような﹁訪れ﹂を意味したので の 典型例を示している。 あって 、 霊の他界︵浄土︶への浮揚や飛翔を示 そうとしたものでは こうしてみるとき、源信が﹁ 要集 ﹂において記し ている阿弥陀仏の来迎 | 救済のしるし︵迎接の 想 ︶は、あくまで けっしてなかった。原則的にいって霊的啓示は内 発 的な運動であり、晃次元空間への 腕 自運動で はな い 0 だが、それ にもかかわらず、浄土教的な臨終の行儀は、それ につづく送葬の儀礼を執行するにあたって 、実 際に浄土に往生する 卦体をいかに確認するかという問題に逢着した。 かくむ 語迩 啓示にかんする主観的確証の問題は 、遊離魂の実体的な 認定という儀礼手続へとその席をゆずることに なったのである。源信は、﹁ 要集 ﹂の著者から﹁ 起請﹂の共同提案者 という役割へ転身する過程で、霊の実定という 仕 事 を行なったということができる。 たとえば源信 撲 と伝えられるものに﹁引導法則﹂ 一巻があるが、これは﹁起請﹂のうちの埋葬 行 儀を 別出して・ そ の 儀礼的な意義を記したものである。すなわち 死 者の﹁聖霊﹂を極楽に引導して往生せしめる 作 法の綱要であるが、 冒頭に、大日如来、阿弥陀如来、釈迦如来をは じめとする諸仏諸菩薩と天神地祇の擁護を祈願し ている 0 うノ いで﹁ 亡 魂 ﹂を九品の浄土に引導するのに﹁ 事 ﹂と﹁ 理 ﹂ の方法があるという。前者の﹁ 事 ﹂の引導とは 、六道の冥界に沈滞 し行 律する﹁亡魂﹂を観音の﹁ 抜 済方﹂と弥陀 の ﹁引摂の誓﹂が救済することである。後者の ﹁ 理 ﹂の引導とは、
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てほかに信頼するに足る儀礼はない。かくて
記録
B
において﹁起請﹂の原理を
よ
りよく示す
のは﹁十二条﹂であり、
論理的に純化していたということができるであ
ろ
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。
I@ (17)個体形成
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ら に な お い ⅠⅩ て 死、 は の、 亡 イ、 魂 メ、 0 l 、 鎮 ジ、 送 に な お お い い て 条 ﹂が霊の機能を明示的に承認したということの 対照牲から出発して、若干の関連事項にふれて きたのであるが、この 対照性は、﹁起請﹂においてはもう一つ別の ニュ アンス 仁 富む照応によって裏打ちされている。 すなわち 保胤の ﹁ 八 条 ﹂は、﹁ 要集 ﹂巻末の臨終行儀の方式を継承し て 、看病人は病人の視覚にうつる所見︵痛恨 所 見 ︶をきいて記録す べ ぎであると規定しているが︵第五条︶、これに た いし 源信の﹁十二条﹂は、病人の末期に映 ず る ﹁ ロポ相 ﹂と﹁迎接 想 ﹂の有無について一切ふれていない、という 事実がそれである。すでにのべてきた よう に 、 ﹁ 起請﹂を彩る根本 テ 1% は 、臨終の行儀にたいして送葬の儀礼を強調 し 、光明真言の土砂加持によって往生者におけ る 霊肉の二元的分解 を 実現させることにあったのであるから、そのよ う な観点からすれば、臨終時における異相や辺 接 想の有無の問題は 当然第二義的なものとなるであろう。臨終時の ﹁痛恨所見﹂が不可欠のテーマとなるのは、臨終 0 行儀をもって﹁ 死 ﹂ の 儀礼の最大の焦点とする㍉ 要 集ヒにおいてであ って・それは﹁起請﹂においては最終最重要の 場面ではないからで ある。したがって 保胤の ﹁八条﹂が﹁莫莫﹂ の 精神を継承しつつ 病 眼の所見にこだわっているの は 、先師源信の著作 への敬意を示すものであるとしても、それは﹁ 起 請 ﹂が本来的に志向している世界観を真に具体 化するのえんのもの ではない。 かくして源信がこの﹁起請﹂において、 コ要集 L での最大の究明課題であった﹁ 罪相 ﹂ 1 ﹁迎接 想 ﹂の問題・を一点霊
たちの導きによって、現世的な死の境界を彼
方
に向けて乗りこ
え
よ
うと
希求している。
生き残った者たちのこのような想起と連帯と席
永は
、
遠くへ去ってしまった尊霊たちの名と事蹟
を
書き記すことに
よって、不断に再生され反覆されるであろう。
亡魂たちの死を記念する記録がこうしてそこに
誕生する。すなわち
﹁過去帳﹂の制作がそれである。生者たちは死者
たちの過去の記録をこの世にとどめることに
ょ
って、未来における
自己のたしかな存在様式を確認するのであり、
死
者たちはその過去帳に写しとられた幻影を通し
て
、生者たちに生の
は
自分たちの結社を統合するシンボルを見出す。
ただし霊の人格化としての過去帳は、実際には
生者の人格を脅かす
る
。
この
ょ
3
な性格をもつ死者の書としての﹁過去帳
﹂を
、
私は前例にならって記録
C
と
名づけよう
と
思
う
。それは
全
体
として、死の観念、意味、そして儀礼などに
ついて、第三段階の水準を示しているからである
志 界 こ た は の 「 ち い
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可十
五
昧
ム ・コ
過
去
帳
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印
口-
: Ⅰ録
C
) ci8)@ 18﹁起請﹂の十二条文書︵源信
撰 ︶が作成されたの
は 永延二年︵九八八︶であるが、長和二年︵
一
0
一
三︶七月十八
日 になって、﹁
首梼厳院
二十五三昧結縁過去帳﹂
なるものが書きはじめられた。﹁起請﹂の制作か
ら 約四半世紀ほど
経
に 伏していて、起居もままならぬ状態であった。
あるいは源信の病臥が一つの契機になって
、 ﹁
過去帳﹂の作成が実
行 に移されたのであったのかもしれない。
しかし長和二年にこの﹁過去帳﹂が
書 ぎはじめら
れたということは、それ以前に亡くなっていた
結縁衆の記録が書
ぎ 残されていなかったことを意味するのではも
ちろんない。すでに三昧
ムム
発足の時点で、死者の
埋葬儀礼は不可欠の
い 。そしてその
ょう
な文書には過去帳という名が
冠せられていたのであって・現存のものとして
は ﹁二十五三昧根本
﹁
首梼厳
過去帳﹂と略記することにする。
まず﹁根本過去帳﹂は、最初期の根本結
衆 をはじ
めとして遥か後代・の結縁者の名前だけが列記さ
れているものであ
成
げられているが、前半には四十四人の根本結
縁 衆の名が記され、後半にはそれ以降の俗人を
も湛
えた結縁家八十人の
形
@6-
ゆされていたと思われるが、死者と新入会員と
の 増減によって
、
時の経過とともに多少の異動が
あったよ
う である。
死の -@
根本結縁
衆 四十四名の
、僧
としての身分の
﹂
内訳を示すと、禅定法皇
1
︵花山法皇︶、
前 権
太 僧都
1 ︵蔵人︶、朝権
小
9
ヰ @
僧都
2
︵
覚超
、源信︶、
阿闇梨
6
︵
梵照
、真人、明
普
、
良運
、良
陳
、
聖金
︶、そして大徳
綴 となる。
このうち大徳という
代 においても生きつづけていたことをそれは ょ く 証言しているといえよう。 さて、記録 C のもう一つの﹁ 首梼厳 過去帳﹂は 、 さきにのべた よう に長和二年に書きはじめられ たとする日付 つが、これは﹁根本過去帳﹂のうち、根本結縁 衆 から五人の往生者を選んで、その生涯の事蹟 と 臨終時のありさ 記録したものである。 五人とは、冒頭に源信をおき、順次に 貞 久大徳、 相助 大徳、花山法皇、良 範 大徳と並べているが 、記事の分量 信 のものが圧倒的に長い。またこの五人にはそ の 死没年が付記されており、源信は 一 0 一七年︵ 寛仁 兄 、六月十 生年 セ 十六歳︶、 貞 久は九八 セ ︵永延元、正月九 日 、二十五歳︶、相助は九九三︵正暦 四 、生年 不明︶、花山法皇 00 八 ︵寛弘 五 、二月八日、四十一歳︶、 良範は 一 00 一 ︵長保 二 、五月十四日、二十歳︶であ る 。したがって 配列はかならずしも入滅午時の順になっていな いし、一番最後の往生者である源信が冒頭にきて いる。こ九はお そ そ は 日 は ま を ら の 一 、 源 な も のは僧都や阿 闇 梨などの僧綱位とはちがって 、た ん なる僧の敬称を示すものであり、そのほとん どが無名無位の修行 僧 であったと考えられる。花山法皇の場合は政 争 の犠牲となって退位を余儀なくされたのち、 源信に結縁したとい う 、まったくの例外現象であって、法皇自身が一一 一抹会の結社規定にもとづく生活をしていたわけ ではない。また僧職 ほ ついていた蔵人、 覚超 、源信はすべてその職を 辞しているのであるから、全体として三昧 会が 無位無官の念仏行者 の 団体として形成されていたことがわかるであ 狂 次に、結縁 衆 に名を列ねる後半の八十八名の内 訳は 、座主︵ 前 大僧正︶ 2 、法印 4 、法眼 4 、法橋 2 、 権 小僧都 3 、 権 律師 1 、 阿闇梨 3 、 僧 8 、沙弥 硲 、比丘尼 舛 、 俗人︵ 男 ︶ 7 、俗人︵ 女 ︶ 6 、である。この﹁ 根本過去帳﹂の後半 を 占める八十名の生存 年 ︵もしくは死没年︶が ﹁過去帳﹂の下限年代をどの程度暗示するかは 不 明 であるが・とにか く 沙弥と比丘尼と俗人の占める比率が圧倒的 聖 局 いのが特徴をなしている。源信を含む原始セク トの 精神原理が 、後 (20) 20
死のための団体形成
し っ 極 限 の の で 生 日 せ で 、 た 楽 に 場 花 蓮 あ し の て あ 右く
ぎ、しなの秘
源信
合 山 ム る た 朝 い る の 花 い 密 の さで が 性 迫 の に と に 勢 の が 源 の は に 思 期 れ 静 、 が っ 猛 お い 記 は ご 随 信 場 「 削 わ の た か い
希 た 大
い っ録
、
と所 は 合 崩 除 れ 経
よには
臨むやいったな伝記
測 され 」が 想 かれて たので とい分 として 北、面
鼻毛 病 また んする帳
と21 (21)
ぬ去帳 という死の記録にかんする歴史的系譜を 日本宗教史の うえ仁 探る仕事は、いまは断念し なければならない し て
る ことがわかる。﹁ 要集 ﹂の﹁臨終行儀﹂において 予想され期待されている﹁迎接 想 ﹂の顕現する 可能性が 定 であることをそれは示している。死相の不安 は 、臨終を迎えた念仏者の人間的な資質や病態 の 違いを むしろ当然のことであったとしなければならない 。だがここで注意すべきは、源信や相助の事例 において 5 に、臨終者の死後、当の死者の弟子や親縁者 にぁダ生口や霊的示現が生じたことを記して、そのし るしに ょ の 往生浄土を確証しょうとしている点である。 生 者は、奇跡の訪れを予感し・ひとたびその徴候 が 発現す をもってただちに死者の行方︵浄土︶を探知し 確 走 するための聖なる根拠とみなす。かれらは、 現実の死 げ ろぺ シミスティックな状況︵死の苦悶や絶望︶ をのり超え止揚するものとして、霊夢との 遊逓 を 実現し 者︵往生者︶との連帯を回復しょうとする。 記 録 C としての﹁過去帳﹂は、霊的啓示を媒介とし て 生者と 共同体を証明する文書となるのである。 前節に記した﹁起請﹂︵記録 B ︶は、往生Ⅱ死の 局面を霊肉の分離によって儀礼的に実現するた めの 綱 尊霊︵記録 B ︶の二元的構造は、生者︵ 紘 土への が ・ここにい う ﹁過去帳﹂︵記録 C ︶は、儀礼的 処理を施こされたのちの死者︵尊霊︶とセクト 残留者︶1死者︵浄土への完走者︶の二極構造 の パター の メンバ の 両者を、いわば神話論的文脈において再結合す るための連判状なのである。ここでは、 礒死| 浄死 ︵記録 かなり不 考慮すれば みられたよ って命終者 るや、それ の場面にお かくて 死 死者の誓約 領 であった | たる生者 A ︶、屍体 | ン へと転換 達 死 以 Ⅲ こ P こ
上 田 あ
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(22)@ 22死のための団体形成
が
、しかし・二十五三昧
会
との連関でいえば、
す
くなくとも﹁起請﹂成立の段階でそれが問題視
されていたことは
確
実である。源信の﹁十二条起請﹂ではそれにつ
い
て一切ふれていないが、
保胤の
﹁八条起請﹂で
は
、その第八条の最
後尾がそれに関税している。この第八条に
よ
れ
ば
、結縁者は死者にたいして、生前の義を守って
修善、供養をなすべ
ぎであるという。すなわち死者の世界と生者の
世界とはへだたっているけれども、生前の交わ
りを忘れてはならな
い
。だから、死者の名を過去帳に記し、その命日
を
往生院に記録しておいて、毎月の定例念仏に
はかならず阿弥陀如
縁家のなかで浄土往生をとげる者が出た場合、
あ
とに残された者たち
また﹁八条起請﹂は、その後書の部分で、比丘尼
や
在俗の人間でも三昧
会
に結縁できることをの
べている。さきに
みた﹁根本過去帳﹂後半部の八十名中に、男女の
在俗者と比丘尼が多数見出されるところからも
、そのことはわかる
ほ
ことごとくその往生者による﹁引摂﹂を得た
いと願
う
ものだ、と︵一人若生
二 浄土一。余人悪
欲得三共引摂一︶。
﹁ 要集
﹂の本義からすれば、
絨
上にいる人間を引
摂し救済するのは阿弥陀仏をおいて外にはない
のであるから・源信
流の浄土教神学の立場からいって
、
右の﹁八条
起請﹂にい
5
往生者引摂論は異端的見解の最
た
るものというべきで
あろう。したがって源信の﹁十二条起請﹂がそ
のことに一言半句ふれていないのは、あるいはそ
のことに関係してい
るのかもしれない。
しかし、ひるがえって考えれば・セクトにおける
抜
土への残留者が、迎接想を得て往生した仲間
の
縁にすがって
、
浄土往生の引摂を得ようと考えたことは・まこ
とに自然の情の発露であった。﹁過去帳﹂を作成
した背後の動機とし
て
死者にたいする生者の側の、このような期待が
あったであろうことを推測するのは困難ではな
2
返しのべてきた
よう
に、臨終者に死が訪れるの
は
確実ではあっても、しかしそのかれが迎接
想を
得て浄土往生できる
ぬ 行為︵呪術・宗教的儀礼︶によって結節する ための暗号である。そしてそのかぎりにおいて、 わが 国 古代末期の往 生死の問題は、源信および三昧 会 に固有の信念 体系から解放されて、むしろわが国における元一 般の機能とその変換 を 解読するための、抽象的な構造式をすら開示し ているといえる。 かどうかはけっして明証的ではない 0 かくて記録 C としての﹁ 首梼厳 過去帳﹂は、霊的啓示とい ぅ 神話要素を注入す ることによってその不可視の障壁をのり超えよ ぅ としたのである。﹁ 首棚厳 過去帳﹂に記された 往生者の列伝パター ン こそは、いわゆる﹁往生伝﹂や﹁高僧伝﹂、﹁ 毒 並験記 ﹂や﹁縁起﹂などにあらわれる ヵ リスマの 神話化という事態の 原初形態を示すものであり、往生説話としての 伝説的な枠組を提供するものであったといえ よう は上 私は、源信の神学を媒介とする往生死の間 題 せ 、記録 A 、 B 、 C を分析することによって 明らかにしてきた が 、その結果、各文書の基底部において見出さ れたそれぞれの特徴にもとづ い て 、 次のごとぎ 概 念 図式を得ることが できるのではないかと思 う 。 ﹁ 要 巣口︵ A ︶において思念されている死は、その 視覚としての宗教経験の特質からして 礒死と 浄 死のイメージの 緊張を内包 し 、﹁起請﹂︵ B ︶のそれは、右の対 抗 関係を鎮魂 鎮 送の儀礼によって屍体︵廟所︶ と 尊霊︵浄土︶へと 分 解し、﹁過去帳﹂︵ C ︶のそれは、いま記したよ う に、生者と死者を二極限とするところの、 時 空の拡がりをもつ 神 詩的共同体を構想しているのである。 記録 AfBtC の継起的な制作過程は 、 死にか んする個人史的経験とその観念の一定の干満現象 を 示し、宗教学的 もしくは人類学的な位相としては表象上儀礼 士 神話のそれぞれに対応する類型を形成している。 一般に表象 | 儀礼 | 神話の関係式は 、、、 、クロコスモス︵個体にお け る 表象︶とマクロコスモス︵巨大空間における 神 話 ︶の二項を、操作 ( ぬ ) 射
死のための団体形成
A
[
要集コ
B
C
起請
)
C
[
過去帳 コ 死 表死
L
俵 ネ 垂並 肉 神話
生死 者 者 で 述す
自部
る願 局
に キ巴 廻 じ 、 高窓 り コ / " Ⅰあ っ
てか れ 統
か
も意 の
る合
と識 観
わ
も し こや 念
るの た の
目 と 素 で り よ巳 儀
材 あ 抽
ぅ意 礼
が る 豪 な 識 を ある、
がし意の包
た識深括
25@ (25)
次に﹁起請﹂についてみると、まず﹁八条起請﹂ は 、六道に堕ちた衆生を死者儀礼によって浄土 に 導くべ き ことを 指摘し︵第一、第二条︶・﹁十二条起請﹂もまた 往生院に入院した病者が、その死後、地獄、 餓 鬼 、畜生の三悪道に ちないよう看護し、念仏を唱えてやらなければ ならぬことを勧めている︵第八条︶。この﹁起請 ﹂文献において・ 堕 六道は儀礼的に回避されるべき暗黒のタブー空間 を 象徴する。 そして第三に﹁過去帳﹂においては、とくに﹁ 首 梼厳 過去帳﹂中の﹁ 良範 大徳﹂にみられる往生 の 記述が問題とな ろ 5 。これは前節にもふれた よう に、 良 範の死後 、源信は亡魂のために願文を作って 楓 話してい るが、その願文の主 旨は、 霊が六道に堕ちることなく浄土に赴りつく ことを祈願することにあった。 この ょう に記録 A 、 B 、 C は、それぞれの立場や 視点から﹁六道﹂の問題をとりあげているわけ であるが、それら はいずれも、死に行く人間の罪意識と死後の亡魂 の 他界遍歴の両局面にかかわりをもっている。 命終者がその死の前 後において経験する死の道行ぎをどのようにし て のり超えるかという課題がそこには 横 わって お り 、一人の人間の生 霊と 死霊によって構成される 逆 ユートピアの時間 と 空間が写し出されている。そしてこのような ﹁六道﹂についての 観念を一文にまとめて 別 出したのが・同じく 源 信撰 とされる﹁二十五三昧 式 ﹂なのである。 この一文 は 、二十五三昧会の結縁家︵二十五人︶ が 連署した﹁発願文﹂を 冒 和仁おぎ、それに っ つけて六道の各界 を 簡潔に描く文章が配され、全体として講経と 念 仏 とともに唱和できるような形式にととの え ら れている。﹁発願文﹂ の 連署の日付 けほ 寛和二年五月二十三日で、 保胤 の ﹁八条起請﹂の作成に四 ケ月 ほど先立って お り 、この発願文に連 署 がなされた時点が、すなわち二十五三昧 会 が正 式 に発足したときであったと考えられる。 この文書によると、毎月の定例日に集って不断 念仏を修し、﹁阿弥陀経﹂などを 読諒 するのは、 死後・六道の各 処 に 堕ちて、生死の間をさまよっている衆生を救済 するためであるという。すな ね ち、すでに六道 に 堕ちた亡者にたい (26) 笏
する回向のために、念仏と読経の功徳を施すこ
とであるが、しかし六道の責め苦は同時に生き残
っている者にとって
も
・いずれは避けることのできない難所である。
老いはてた落日、気がついてみるとわれわれは
行体の知れぬ﹁不安﹂
に
取りまかれ、﹁生死﹂のあいだを流浪
し
、﹁六道
﹂のあいだを輪転して﹁善悪﹂がこもごも起っ
てくるではないか、
﹁三昧
式
﹂はこうのべてから、次に、その
主文である地獄、餓鬼、畜生などの六道の描写に
入っていく。かくし
て
﹁六道﹂の道のりは、生から死へ、死から
再
生
へという、二つの
隊道
の累次元的な暗闇を照ら
し
出すための、いわ
ば
形而上学的な戯画なのである。それは、この
世
とあの世との面壁によって挟撃され、凝縮され
た
グロテスクな
異
カエ
間であり、抑圧された観念が狂奔する病める
想
像界
である。
﹁三昧
式
﹂に定型化されている六道は、﹁
要集
﹂
に
描かれた六道を精選し要約したものであるが、
そのことによっ
てそれは、﹁三昧
式
﹂における死の
エ
トスを求心
的な写実力によって定着させているということ
ができる。醒めた
意
識
が死に向かって次第に馴致されていくこのよ
うな中間領域
C
八道︶は、﹁
罪相
﹂の浮上によっ
て
、恐怖と痛苦に
包
まれた幻覚、幻聴、幻視をひ
き
おこすであろうが
、しかしまた﹁迎接
想
﹂の顕現とともに、意識
の
沈静を経て夢幻の
境仕
へと交替し、やがて熟睡の水遠の闇に覆わ
れるであろう。
生
と死の中間領域である六道の意
識は
、このとぎ美的
快感の
ェ
グスタシーを現出するのであり、いま
わ
のきわにおけるこの極度の酩酊状態もしくは
法
悦の幻覚こそは、
無
さってゆく過程を映し出していて、比類なく美し
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死のための団体形成 ︵ ノ廿 ︶ ︵ ミリ ︶ ︵ 6 ︶ ︵ 7 つ ︶