テューダ一朝イングランド宗教改革に関する一考察
教科・領域教育専攻 社会系コース
横山
勇 介はじめに
本研究では,イングランド宗教改革において,
プロテスタンテイズムがどのように取り入れら れたのか,という点を中心に検討する。
日本における先行研究には,法令や政治を中 心としたものが古くからあり,また近年では民 衆レヴェル,あるいは教区レヴェルで、の社会変 容に関する研究も行われている。本稿は,そう
した邦語文献に加えて クリストファー・へイ グの研究書に依拠しながら,プロテスタントや その思想、が政治に取り入れられた背景や意義を 示し,プロテスタントはどのように増えていっ たかを検討する。
第一章維持されていた伝統的信仰
本章では,イングランドの教会がローマ・カ トリック教会から分離する以前の民衆と教会の 関係を検討し,イングランドの社会状況が,プ ロテスタンテイズムを受け入れるような状態に あったのかどうかを,以下の
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点にわたって考 察したD①民衆の伝統的信仰に対する姿勢について,
教区教会への遺婚や寄付,宗教ギルドの状況な どから検討した。民衆は教区教会の設備や聖人 の肖像,あるいは死後のミサや祈りのために多 くのお金を使っていたことが明らかとなった。
民衆における伝統的信仰は衰退していなかった。
②民衆と聖職者の関係、について,巡回記録や 訴訟に関する先行研究から検討した。教区の聖 職者の務めに関して,不平はほとんどなかったD
指 導 教 官 田 中 優
また,聖職者へ支払われる料金や
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税 などの訴訟も一般的ではなかった。教区聖職者 は,司教たちによる規律の強化と,民衆による 義務の履行の要求との間にはさまれ,勤労聖職 者となることを強いられた。そうした聖職者の 要求が拒否されることはめったになかった。③教会法廷と世俗法廷の関係について,教会 法廷と世俗法廷は重複した司法権を持っていた ことを明らかにした。ヘンリW世治世下から,
世俗法律家は教皇尊信罪や禁止令状を使用する ことによって,教会法廷と世俗法廷の司法的境 界線を明確にしようとしていた。しかしそれら は内乱としづ政情的社会的不安定の後の,公共 秩序の回復のための運動の一部であり,教会と 国家との聞に根本的な衝突があったのではない。
以上から,分離前の民衆と国家と教会の関係 に,不和はなかったと考えられる。したがって,
分離前のイングランドは,プロテスタンテイズ ムを受け入れる状態にはなかった。
第二章 ヘンリ
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世治世における国王支配確 立としての宗教改革本章では,ヘンリ市世治世下における聖職者 権力の縮小,教皇権の排除について,これが国 王の離婚問題の解決のために行われていったこ とを明らかにした。プロテスタントはどのよう に扱われたのか,という点について検討した。
国王の離婚問題をイングランド園内で一方的 に解決することは,イングランドにおける教皇 権を認めないということを意味した。そのため,
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プロテスタントは反教皇主義者として昇進させ られたのであった。
教皇権の排除,修道院の解散は国王にとって,
政治的,経済的メリットを持っており,これが プロテスタントの利害と一致したが,修道院の 解散が終了した後は 六箇条によってプロテス タントは再び異端とされたD
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世治世においては,国王や民衆の大 多数は伝統主義を擁護したため,国教会のフ。ロ テスタント化は制限されたものでしかなく,信 仰や礼拝などの実践に関しては,ほとんど変化しなかった。
第三章 プロテスタント体制の成立
本章では,エドワードVI世治世とエリザベス I世治世において,国教会がプロテスタント化 したことを明らかにした。まず,エドワードVI 世治世におけるチャントリ解散法,礼拝統一法 を検討し,それらにプロテスタンテイズムが取 り入れられたこと,また,政治的な目的を含ん でいたことを明らかにした。
次にエリザベス I世治世における国王至上 法と礼拝統一法を取り上げ,それらに保守派 への譲歩がみられることを明らかにした。
さらにそれらの法令を社会に施行するための 巡回を検討したが,巡回にあたった者には,急 進的なプロテスタントが含まれており,祭壇や 肖像を破壊し,しばしばトラブルを起こしたこ とがわかった。また,命令を告げられた教区聖 職者の多くは,拒否して聖職録を剥奪されるこ
とはなかったが,巡回者による呼び出しに姿を みせなかった者が多かったことから,自発的な 受容というよりは不本意ながらの服従で、あった
と考えられる。
次に,国是とされたプロテスタンテイズムを 社会に広めるための存在として,聖職者につい
て検討した。エリザベス治世初期においては,
教区聖職者のほとんどはカトリックとして叙任 された者で,プロテスタンテイズムを広める役 割を果たせなかった。このことはエリザベス治 世初期の説教の不足,聖職者の不足,さらにカ トリック的礼拝様式を維持した聖職者などの例 から明らかである。
プロテスタント聖職者の育成と配置について は,大学がプロテスタント聖職者を育成する機 関となったことを明らかにした。主教の求める 教区聖職者の役割は,聖書の知識を教区民に教
えることであり,したがって教区聖職者になる ための基準は上昇した。これによって,教区聖 職者に占める大卒者の割合は増加していった。
プロテスタントは聖書を重視したため,民衆 に対してまず読み書きを教えねばならなかった。
これは民衆における識字率の上昇に示される。
逆にいえば,宗教改革によって民衆の識字率が 上昇したということも考えられる。しかし,プ ロテスタント聖職者の意図する信仰が民衆に受 け入れられたことは明らかとはいえず,むしろ カトリックのミサを惜しむ者 あるいは表面的 に服従した者が多数で、あったと考えられる。こ のことはプロテスタント聖職者の会議に示され ている。
おわりに
イングランド宗教改革は,プロテスタンテイ ズムではなく,政治権力によって進行した。そ のなかで,プロテスタントはまず政治的な理由 から取り入れられた。しかしプロテスタント体 制の国家を作ることと,プロテスタントからな る国家を作ることは必ずしも一致しない。その 意味で識字率は重要な視点であると考えられる。
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