第26表 旧
打
削 り移托者数 (足 =.1=)r
T 一 再
ー「¶ ‑一
二 \ 暫 次 \ \男 先 . ア メ リ 女 カl ‑ ハ 男 ワ 女 イt ; 男 カ ナ
女ダ I プ 男 ラ I J ̲ l J C L , 一 安 プ 男 チ 三 方
女心レ 男 か 女 溝
百男
五 ¶女 . ‖ 男
計女 】iL総 轡 l I
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n‑Il1
644 l
13 I l i6 [ 至 l
1816
223
16 2 4 1
6 4 7 1846 3 0
6 218 4 1 7 236 582
10 280 1 1 2 20 303 552
僻考 1. 現 勢 謁査特上b作 成
2. 大正 11年 以降は現 勢調査 簿の取扱 い地 域に変動 があったと考 え られるC
ー 263‑
第27表 旧町村別 移民者数 (岩 田 )
去‑
次聖 \\先 Iア メ リカ I罪 女 J千「輿 ン女つ lJ男、ワイ女 罪カ ナ ダ女 男 匡レドニア そ の 他輿 女i
男計!女 壬稔
戸牧 il明治 43 83 2 2 2 2 1 89 3
44 77 4 2I 2 2 2 ・83 6
大 正 45 75 5 2 2 4 2 83 7 316
2 77 6 2 2 4. 2 85 8 316
, 3 67 6 2 1 1
3
4 7̲4 10 3134 67 ll 2 1 1 5 4 76 15 318
5 60 12 2 1 1 5 2 69 14 31,.5
6 68 13 2 1 1 5 3 '77 16 31.2
7 73 15 4 1 1 5 3 84 18 如 7
8 75 19 3 1 1 5 4 85 23 303
9 71 21 3 1 1 5 4 81 25 297
10 7d 25 1 1 1 6 5. 79 30 297
ll 70 25 1 1 '2 ■1 不 明 : 292
12 69 23 1 1 .2 1 6 5ー 80 28 289
13 71 27 1 1 i 1 7 5 83 32 282
14 69 27 1 1 2 ・1 7 5 81 32 276
15 77 25 1 1 2 ・1 7 6 ・89 31 276
昭 和 2 56 27 I 1 2 1 ・4 ・4 65 31 276
3 56 27 1 1 2 1 5 ・4 66 31t 274
4 58 27 1 1 2 ll̀ L9 E 6 72 33 270 5 61 30 1 1■ 2 1 9 6 l 75 36l 268
I
6 58 27 1 1 2 1 12 8 75 35 2687 58 27 1 1 2 1 15 8 76 3Tt
8 56 23 1 1 2 1 13 8 74 31
9 49 23 1 1 2 2 1 1'3 8 67L 33
10 49 23 1 2 2 1 1 13 8 68 32
ll 48 21 1 2 1 1 1.3 8I 65 30
備考 1. 現勢咽登簿
エ
b佃荘
2. 岩田 村議K より一部補 正
‑ 21'..▲ 一・
かれらの距米の目的は何であったか。それを考 える前に旺米者の足守での社会的趣済的 を血 E 位 をみてお く必要 があるo陣屋 町としての旧足守町 の内 .お年まで純度村 と考 え られる中村の 場合を中心 として ,以 下移民者 の饗を考察す る。移民 として練米 した人達は ,どの よう{:階層
に用 していたて あろ うかo 明治4 2年 (この年は 足守町で最 も多 く移民を 出した時期 En:あたる ) 足 守町では ,戸数割 賦課を等外1上9 2 6等まで2 8区分 して紗 奴して いる (第2 8蓑 ).政 商 3 7円5銭エb尼 低 1銭ま て その登夷 に 3,7 00倍。 この点は 今論外として ,この内q]村 の各戸 (3 4戸 )は8 0勧 ゝら1鈍 まで ,全体か らみれば蔓仕tlA:少 で大体 自小作叉は小作僧で 占め られていた ことが うかが える。 内移民者を送少出してい るのは13戸 (もっとも渡米者の 実数は大正 5年の例からも1戸 上.I)数人の場合も多いので相当上 捌ろ )), この人連の 中村で a)暗軌 ま上位 もしくは中位で あって下層 ではない. 反面 どの程 度 であったかとい うと ,例えば 賦 課金32銭の B氏 は 自己所 有の田2反2畝 ,畑3軌 4歩, 24銭DF氏はEEll反 7畝3分 , 畑7畝2 8歩 ,即ち自小作腿 であ ったo明治36年波 米 した中村のA氏は 当時の金で約50円 冠
山D
W氏は南米 (ブラジル )軽 由で65円を純米
任用に草餅 したというO この班用e)ねん出 できる ものの みが姓米可能であったわけで ,多 くは 親元から米 粒を もらい ,音肝 して分家すべ く山指 したの である。殺JFBは 渡米の ための資金の肋 ;できず ,又上lEは現在の生活に何程 か rF促 して安住 し ,従 って賦課 金が甲板度 の自小 作層 が出穂 したの であろ う。生晴のための収入の多 くeJ部JJlを小 作にた上らざるをえ ない自ノJ、作曲に とっては ,自分の田 を増 し,完全 な自作jiとた か,あ るいは1塵進ん で
J
、作 させる身J分になることが ,7tず 出御 寺 の希 望で あった。先の宥 山の W氏に よれば .当時の小作料比定当5俵 (3斗5升俵 )で あったC上田で7俵の収勧 iやっ とで あった当時と して比 ,立件を考 え合せて も非 常 な高率 であるO上 1‑ 土田の皿氏は ,明削 5確 約 移民と して‑ ワイVC
渡
如 年 ,律放 して本土 オレゴ州 へ 渡 って鉄適へ 2 0棚 め昭和6年精国 した人であるか く明拍4 0年頃m氏の先がハ ワイ紅旗 9 ,輩 の父は明治35年頃 カ・)フォル こア州サクラメソ T・‑ ,その
娘
Lhよび弟は現 に在米 ),主 に岸 田の 小作地 を6反耕作 してい たのであるが ,「小 体 トが粛
く ,なか なか納 め得‑/=いo不糖分だ けは田 を適す時の雌 Iiに なる」 と旺米 の勅鹿 が自作曲への上昇の手段 にあること7r語 って いる,= , l アメ1)カで多 くは 鉄遊紐投 に従事 したのは ,先 に もふれたエ
うに ,LJlniとん ど日本 人だけの郵 1 . 生活であった こと ,又先行者の手 引があったこと ,あるいは カ リフォルニ アでの飽兼 経営は類本 を必斐 とし ,先の皿氏わいうどと
く
「タマネギ ,カソ ランを どを作 ってみて も ,投働 勺で1 0年に1回あ たれば エいた う。子供を木 に くくbつけて鼓か してかいて ,母親 も働かせるエD
は ,鉄道のt‑Llうが よか った」のである。gF実中 村の出辞書の大 部分旺 鉄過 重殻で軌 ユて帰国 し ,
・ 一 部の残 留者がそ こか ら盛場での労働者 と鐘営者に ,又 ,都市
‑
出て ,王 と して日本人相手の 商兼者へ と転進 したO鉄道のみで帰国 した者は在 米5年 ない し10年 ,凍留者の中には25年 ない し3 0年にか よん だ者 もみうけ られる。先 に一 寸ふれた記
し1‑の W氏の こときは ,明 治3 6 年喫航旺 米,31年間終始 鉄琴 に脚 系し ,そa欄 儀さなが ら早稲田大学の通信教 育 (英語 一滴‑ 2651
第28表中村における移民者の暗闇とそD変化 人数中村のうi等親金額人数中村e)ラ人数中村のう 等級金額旧足沖村守町ーのみち移民せるもの旧足.守町中村のみち移民せるもの金額謁冨冨ち移民せるも.JZ) 等外1■銭3705lf等外1描95701t銭1636001ーl 25681I等内112761I199001lI 等内11971255918400‑3400i5I 21673346623〔)003 314074373228001Jti 410583349225005 58051631752100〜20004i 657102726182180081A 739122A81868117001 8!32213a9130161400111! lI92819
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171 ll免!2I̲il20L252 l計i58615!I34i!+59938lII38 備考大正5年中村のうち移民せるものの鞠中叢生字は^数を示すQ 明治42年は,町会議決録戸数割等級表 大正5年は.役場会議録戸数割後期課串表 昭和7年は,議会数母特別税戸数割蹄麦にエ
i)作成科等 )を
勢
ナるなど涙 ぐま しい努j
p 甲斐あって 鉄道技師 と・ / 2
b ,やがて独立 して北 部鉄道会 社の 下対英者 となb 10O入金の 日本人 工夫を使用 して1日500ドルの収入 の ある時糊 もあ ったというO 南 光従EF者と して杜 ,中村のA氏 の とと く, 5年 の鉄道生 活ののち ,日本 人をLI王 じめ スエーデ ソ人 .ノ丁ル ウェ一人なt・の労 凝着 相手のホテル を経 営 して一応村 での成功者に 数 えあげ られ る人 もある (三世は現に在米 )o しか し ,この よ)を成功例はむ しろ例 外的 といわねばなるまい0 .
3. 帰国後の生活 村への彫笹
在米5‑ 10年で10,0 00円前後を持 ち帰 った者は「応 目的を逮したとみな され た。 目標 は もっと申 、っ たが出竣良民は その郷里 に現 した父母要子の面倒をみねばな らぬ場合が多 く, 二 重生活を強 いられ ,月 50ドル亀鑑 送金 していた0 3万 円ほ ど貯 えて帰ると いう見 違 をいた
いて出発 した彼 等は10.000円蓄財す るの がホト一杯 というと ころで あった.
かれ ら姓そ れ を何に使 ったか。冠山のW氏は山尉 自作 Bは わずか2皮 ,他 は小作 田であ たが帰 国するヤ分家分と して もらっていた宅地 に新築し ,田2町,Ll淋 14町 を買 っ払 中村 のA触 24年の在米中子供の教育な どの ため敷皮榔 司し,その都碇 1反5畝8歩,○反2畝 29歩,5反 7畝29歩,6反4畝24歩 ,計2町1反余の 田を買 い入れ ていた..大部分の出 離 民は ,帰国の 瓶 に多か れ少 なか れ田畑 ,山林 を買って
か
b.土 地台場 の買売薬 約の成立 の約6
割は アj リカ帰 か薪期成金に よる ものであったo反面 アJ I)カ移民 の空 白に乾入した小 作 仙人層 も漸次蓄財 し自小作同へ と近づきつつ あったo Lかし帰 国者の騰入 した田畑は前に掲 げ たように 2町歩に もか よぶのは 軸外で ,全休的にみて決 して多いと結いえか ゝ(第29表 )O 帰国者は ,いわゆる飯 米di的 菜で きる種皮に耕作 し ,生活資は持 ち帰りた金の金利 で充当するとい う生活に転がれ ,そ れを実行 したのである。従って山林は比軌 的多 く買 うけれ ども#作 に 多大の労 力を要す る田畑 を今さ ら排やす気 化ならなか ったO又 出発時200円の 田が帰国 して みれば5oO円に もなっていた (m氏汝 )こと も,蓄財が あまは き く牢かった者に とっては 買お うにも買えなかったの も節 夫である。今一 つの購入 田畑 の少な い原軌
,
少数 の大地主の 手に 上って多 くの田
地 噴 く把 られていて .,買 うべき田がなか ったこと も理由 であろ うO なか には賭博に明け蕃れ ,出発の時手離 した田畑さえ帰馳 即 )も どせなかった例 もある。 これら は要するに足守町が移民の横束隠居村 的性格を帯び る忙いた った ブローセスである. 17.8 才で渡米 して,1 0年働 き30才前 に帰国 し,それか らす ーっと金印生活す る生活傾度は ,年 寄 と女子供が支送bK よって生活する亀倉 と適 って ,村の 発展にブ レーキをかけたといえェうo
移民の数が多数になれはな る474ど着年寄の村 としての性格は新著 となるQ この点和歌 山県三尾1 村は2 0年以上の長期にわたるものが多 く ,隠居村と しての特色をはっきり持 っていたことと
異なる。
以上 の 上)を串情 で ,先
k 掴
げ た第28表の とと く大正5年 ,昭和7年妖 艶金の移民および‑ 26E:一一 ーT:I‑
射 29衷 中村におけ る移民者の 不動 産
明4 5
I 大14
t昭 5昭
5RT 187秤 ′ 反 ■ 反
反
反 21雪上 さ122‑ 皮F 241 51,.371903 113 .101
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0 112 3.318403 3.52 3,218 222501
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Ⅰ 76 33,,811ーlo
o 6 . 80 5 4 . 9 2 4
1lI l.508 ・;1.、‑…;17:,6:501099
備考 賀陰部足 守町役 脇地租 名寄峨
上b
作成 一印は所存関係の継 続を表わす.なおこの童 では例えばCの ごと く大正5年6反の 田を買入 れ ,数年 のうち把手赦 した場 合は表われてい ない。
0・B
は他 町村に田を所有,T
は全月帰国せず,
flは現 在 南米,M
はアメ I)力で死亡‑ 269‑
帰国者の階層変化 は個人的にみれば上 昇者 もあるが .全休 と LT はたい して認 め られな し増 発 と となった。 ただ ,中村の ととく大正5年現在38戸中31名 もの出穣者 を出すと ・送金と帰国 者の持ち帰 った蕃財によ ..,て購買力が異常に高まっも 又留守中田畑の耕作を如 、され た']僻 傭人 層の勃興と相まって大地主の士湖 何故をは やめ た結果 とを っ㌔ 又′]\作田耕作者a)絶対 数 が不足 して くれは 小作料の 低下 もまぬかれえない。 藤田家 の地子米売上 状況は (
第 表参照 )米粒が 明治末3,900位か ら漸減し ,大正12年には約4分 の1の1,10 00俵 となってい るo
出稼 ぎ見 民は村の鯛 性に根本的 在銘轡を与えるまでには 致 らなか っも それは出穣移民の 上記の ようを生活舷 に も原因する ところが多いC
I 金利 生活者は戦後の貨 幣価値の 下落で永い鯉米生油の努力が水泡に帰 し .艶人かの 1町以上 の EEI畑の所有者 も多 くを小作に あてていたため虚地改革で耕 作艇を奪われタも
上土田M氏比帰国後3反の 田と二練のブ ドウ温室の経営を思いたち (在米中良薬の経 験はな かった ),この地方 と しては当時めず らしい多角鐘 宮に乗bだ したO との 温室 と .鹿家の間 に ちらほ らす る洋式の 尾根 ,早 くから行 なわれた台所 改野と椅子式 の食卓,‑把少の アメ リカ市 街社会尿陣受 給者 と ,あと数年在米すれば年金が受 けられたのに という糞 望の芦 ,これ らがわ ずかにかつての移民村足守 を忍び うる残金 といえ よう.
ス ケl L,が小 さ く屯で.ltでの 7メ ・)カ碑密書 の少 ない足 守では ,和軌 山県三尾村
の
堪合 と比 較 して村の体質改着の ため に移 民がは たした役 割エさらに少 ない。そ れは三尾村が そ うであっ た ように移民者の意劫 が出壕 とい う吉葉 で典的的に表明 され る 上うに .い くらかの現金入手め あての ものであったか らで ・移民が移 住であっ たb
掛 磯 野の もとであっ たb ・強力な国賓的 指導 の もとに行 なわれた もの であれば結果は変 って いたであろ う。反面 Lb穣移民の帰国 によって村 の体 野地 をはた しえなか った陰には大地主の土地 占有があ ろ うo これが飽民の出稼忍缶 と掴まって村 の本質的改造 にま でいた
b
得 なか った といえる.註 (1) 福 武 直 編 アメ リカ付 (2)海外発牌略 史に 上る
(3)風 早 勝 一 雨加州岡山u<人 類展略史エb引用
‑ 270‑
窮 2
即 位近把
ふけ る人 口統L11亡人 口移動
」
河 合 明 菜ー rjに人口移動 と云 って も ・そ の範顔は広 いが ,ここICVi ,転入転出帝 をもとにして ,足御 J に爪 ける人口の 流出及び艶人の鵬 を平面的にでは あるが ,み ていきたいo
転 入転出箔 に記入 されている耶項は ,氏名 ,年 令又は生年 月日 ・性別 ・転入転出朋 ・転入先 及び転出先の任所 ・それ らの旧 住所 といっ た ものに と どまわ ,
恥
・:L・とか家庭 的地位 とい た もの につい Tl,i記入 されてい ないo又 ,これ らは ,届出のあったもののみに限 られること比勿論であ るが ,一応 ,これ らを兜料
に
凋蓋期 日よ れ放薪の 1年間 と して ,昭和3 4年8月 から3 5年7月ま でを取 出 して ,数甘的に分 析 しこみたO 伯 ,合併後4弔問の動きは ,転入転 出簿が ,揃 っていなかっ たため
,
「配 給に関す る管 内報告文杏府 bJ (役凝 析課 )に上って分析 して み上う.1. 拭少す る足守人 口
‑ 27 1‑‑‑
5ケ町村 合併 後 4年間 に択け る足守町の人口流入流 出の 状態 を示 した iJのが第6図で ある。
これは ,昭和3 1年4月か ら35年3月 ま での 4ヶ年 の動 きを
,
「霞船
に脚する報告 文私事帝bJ
よL),足守 ,大井 ,El近 ,岩田 ,福谷の5地区の転 入転 出者を処計 した もの である。
先ず ,この グラフをみ て気付 くことは,3・ 4月を ピー ク とする転 出の助きてあろ う.転入 の不税別 な動
き
に対 し ,転出は 典型的 な春 a)山と貫
の谷 を描 いている. 転入は 時に転出Ib
頭 を出す こともあるが ,全体的にみて転 出の方が ,Lrlるかに上 回ってい ることは明らかで あるtlこのことは ,足守町の人 口カ排 出の方向に 向 っていることを窟味する。
では ,どの位 の 尭横で 出てい くの ‑Tあろ うか。 これを第3 0表でみ ると ,転 入から転 地を差 引い た ものは常 にマイナスである ことは グ ラフの濁 bであるが ,その数 をみ ると ,侮年200人
〜 300人 の人 々が入 って来 るの把対 し,出てゆ く人 々は ,400人〜 500人 で ,年々200 前後 の人 口が ,足 守町の人 口か ら減少 L いっ てい るわけ である.
第30衷 4ケ牢罷外 ,県内別 転入 ,転 出者致及び転入 ,転 出基
この4ヶ年 で ,足 守町の人口は ,出生 ,死 亡 ,い わゆ る自然的鞄盛を除いた社会 的移
動
に お いて 800人に血 ゝ人 口の減少をみ てい るし この社会的 減少が足守町人 口把及 ぼす彰尊をみ る に当っ て ,第3 1嚢の足 守町 の人 口をみてみ る必要がある。 これ に よっても鞘濁 200人血 い第31表 足 守町人 ロ
人 口
昭和 31.4
N 3 3 . 4
ll1 1.66ll,850.53 56〝
3 4
・4
i l l,3 6 4減少をき たしてい る ことが わかる。即 ち,この場合 ,自然的 勅篠は足 守町人 Ljの増減へ影巷を及ぼす巻 大きを数 に仕 なら ないQ故 に ,社会的 減少の 影番は大 で ,足守町の人 口は減少 の方 向にむか っていること を指摘 できるO
第30表 をみ てい て気になることは ,転入転 出の差 を児 内 県外別に みた とき, 34年 の県内移助蓮が ,前年及 びその 節7 年と比べて ,半数ifくに織 って いること と県外への動 きが大 きくたっ た ことであるO これ らが .これか らの動きの何物か 杏;e・:味 す る もの であるそ らげ興味 深い o
Lか し ,何は ともあれ ,足 寄町 の人 口は 鈍少 Lてい るの であるが ,それでは ,これ らの人口 紘 ,何 処に向 ・,て出て行 くのであろ う7JIFo
●
‑ 2 7 17 ‑
2
.
岡EUと大阪 に流れ出 る人Lj班 1年髄の足 守町の人口の出入 bを窮32
豪及び
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見 ようO 約 32蓑 転 出I■‑ ‑ l ‑ ㌻ T 10 「 1 1
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.
2,5.7, 6,1, 3.0,3. 3.01, 0, 1. 1, 0.,J f負 内
l
I郡市 部部 65, 1,7.12..6, 37,3,1,.4
3,5
,3,9
. 6.6.5 ,
.01 . 2 .
6, 3.2
.9.4
,9. 2
,1,1
,,
53. 8, 4,9. 7,1,ll, 6,2,, I享市 部 13.ll.24,13.5, ll. 6,1
7 . 1
7. 0. 8. a,16.16. 2, 8.4,近.10.1, ..郡 部 9. 8,12, 4,2, 5,6.
山
,7,1 . 2
, 2,4
,2,1, 4.,8.12. 7, 2,外 国
2
, 0.2,2, 0,
1. 0,1,1, 0, 1, 0.I. 1,0.l 12 1 2 3
日 1市 部 1, 0.1,1, 0. 1.I..2,2,0
,
0,6.5,2,1, 2,3.5,6,0,ノrt 郡 部 1,0.1.1.0,
郡 部 4, 4, 8, 8, 0. 1,9.
1
0,1 0 , 0 ,
3,6,9,7 . 1 , 5 ,8 , 1 3 3 d
l 市 部 8,3.ll. 2, 6, ll.6.1
6 , 8 ,1
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9 , 1
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2.1,‑ 4
5
6 71 † 市 部 . 6,1. 6, 2. 2,
2 ,0 ,2 .2 ,0 . 1 ,0 ,1 ,1 ,0 , 2
,0.2,2, 0,I l 郡 部L日 外 ‑. 市 部 良. 5.13. 8,3, 5, 4, 9, 6,
2 . 1 ,3 ,4 .3 ,1 .
1,3,4,3,1,I̲‑T<
. 郡 部 2,5, 7, 3.1, 1,4.5,4, 1,
0 . 3 ,3 .3 , 0 ,
1, 1. 2,2,0.^ '市 部 過, 6.19.10,5, ?,4,ll.8, 2,
2 ,3 ,5 .4 ,1 .
3,3ー6,6,1.al I
l
. 罪 女 計 件 家 族l
冒 市 部 63 4 7 110 7 7 15l 郡 部 3 1 56 8 7 64 8
l I 座 外
I 市郡 部部 j 357 2 23 1 057 4 45 71
!
T!市 部 7
9 8 6 9 167 12 1 22・
郡 部 3 8 59 9 7 6 9 9外 国 4 0 4 4 0
‑ 274‑
ここでも ,転出が転入 を上回 ってい る ことは 同はであ るが ,流出及 び洗入率の上か らみ ると , この1年F''̲Bの 流出率は3・0渉 ,統人事は2・4¢ (3 5年1月1日現在 の人 口11,331に よる ), F そ の董妊 0.6滋で ,流出率の方が 大 きいことを示 している.
次lR:市部 ・邦 籾 Uの移動 状況をみ ると ,県外へ 出て行 くものはtl芝とん ど市部へ 向い ,又入っ て くる もの も市部か ら入 って来る。 しか し出てい くもの紘入っ て くる もののか 上そ2倍に当 るo L そ して県外郡部への政幸 はほとんどないとす って 上い。 ここで家 族 ぐるみの働きをみ る と ,転
入7,転出8とほほ同数 であ るが ,県外市 部への転 入 ・転出件数 はそれぞ れ44と1 04であ r ることか らみて ,転 出の方が は るかに奴族 ぐるみの動 きが少 な く
,
胤人
の助 きの大 きい ことがわかる。
県 内
趣
軌の 場合,ここには 1つ
の特性 がみ られる。盤外移動で少たか った女子綻 ,県内移動 でf触 その数を増す。県内市部か らの 施人 を除 いて .店 内郡部 よりe)施入 ,市部及び iil灘 ‑ め 親出にか いて ,女性は圧 倒的な数 を示す。県内a)如きであ るil)J
=郡 部の鋤 きが 大 きい ことは勿 論であ るが ,他県の郡部へ は あまi)出て行か 机 上人 々 も自分 の県 の郡 部には 出て行 かざるを得ない らしい。 この ことは ,人 口移動 に
悼
する ペ ソシ lタイソ
の法則に適合する と貰え よ う。約 7
,
第 8,I:.‑,9,第10図仕 ,日本地 図及び岡山舶地 図に転入転 出者 の分 布を示 した もの である。 第7,第8図比県 別 に ,箭 9,第1 0封は TF部の境界 をと b除 いて点1つを1人 と し て配 大してみ た。‑ 275‑
了十
(官邸→Jig
か 叫 ) 召 凝
固オ
東
(白砂 唄 ‑ 百 % ) Y 収
図 5
/束第7図 か ら第10図 までを比瞬 して みると ,その移動 朝田 が非 常に限 定されてい ること 峨 付 く。 先ず県 内移 動 をみ ようO転 入は足守周辺の郡 部
上b
の転入 がか なb
日立 つが ,千. Z i
p ,帆 山市の ウ ェイ トは大 きい.庶 LLlになると南部1本 といって もよい位で ,岡山7fh の動 きは大で ある. ここに ラペ ソシ ュクイソの 法則をみ ると と もに ,それを越 えた都市集中の メカニズムの‑iL'Rを見 る ことが でき ようO これが県別移動VE在ると更に明 らか であるO 岡山 近県への移動 (rl 多い とはいいnj=が ら ,広島 と東京 を比べ ると ,東和 方が わずか では あるが上回 ってい るC そ
して ,山陰 ,四国への動 きLは殆ん どゼロに立iいo北海逝 ,17f北 ,九州‑虻,ムー巨細的に遠 い上 に 大都市の魅力 もか )のて 人 々の足 は 向かないo富京は その吸引力 を&L大阪にLbして ,人 口を
l
L 内に於 いては岡山,脱外に択いては 大願で あるQ これを数的にみ ると ,PL.i日勺転出者214人 中 矧 1価 が 占める割 合は97人で ,約45%・である。大阪拡県外転出者122人lp46人 を占め 約38多である。 全体的に大阪 と岡山の 占め る割合比 ・13再で ,半 数血 )割合 を埋荷して いる。
転入の場合 もf・7̲Ii,富同様で あるが ,大阪とほほ 同数 に神戸が来 ていて.これ ら2つ で取外転入者 の約6 0多を 占める。 岡 山の墳触 31車で 転出
エb
少 ない. これ らの ことから も ,足 守人 Lj の統 出先 として .岡山 ・大阪 の占める ウエイ ト比 大 きいCと ころで ,足 守町 の どの地 区が押 し出 しに力をそそいで いるの で あろ うか .
3.人 の動 く足 守 ・大井 ,押 しだナ岩田
足守5地夏の 社会的動感 を ,月別 ・男女別にみ ると .転出に お小 て3月,4月を ビ‑ク とす る動 きは5地区共 通 にみられ るが ,大邦 =か なDの萌 2ピークを11月 にもってい るO転入は L
tbの
ない移動 を続ける.次 に男女別のEb善をみる と ,転入 ,転出と もに女子 が上回 ってい るのは 日近 ・福谷 であ る。 岩田 も転入は同数 であJhが ,転出にか いて女子の方が 多 いO足 守 ・ 大井は好 の方が転 出入 と もに上 回ってい る。これ ら5地 区の秩 助状況 を鰐 11,第12園 でみる と ,転LLiにかいて比 ,南部 の足守 ・大井 の動 きは 大 きいが ,それ儲 け る甲 ・北部の動 き も .か
なb
大 き く適 ってい る。 Lかし,転 入Ltf.Lると ると,こTL,i全 く南部へ入 ってくるも由ブある. これを窮 3 4表 でみ ると ,流出率工
如流
入 率 の方 が商 いのは足守 で ,他は流 出の方が大 きい。 特に岩 田の排出力は 大であ るo参 考まで に地 区別第34表 地区別流 出入串
ト ー ‑
流 入 率 I総 出 率 .t流 出率 ‑流入率足
守 4.3E 3.4妬 ‑ 0.9r T
井 2.4L '
3.0 0.6日 正 1.Si 2.4 0.9
i岩 田 1.8F 3.9 乙10.7 S 35, 1. 1.現 在
足 守 2.7 68 大 井 2,36 1 日 近 1,782 岩 田 1,474 福 谷 2.946 ll,3 3 1
‑ 276‑
の人 口を あげてお こうO二番人 口の/少な い 岩田が人 口を多 く排出
してい る の
は 如何な る理 由 に よる もの であろ うか。
岩 田 ・日出 ・禰谷が 女子の移動数の大 き い こと比 ,碍 出がその大半 を占めるので は なか ろ うかO又一番 動き の大きい足守 が辿 K:流入の方が大 である とい う
の
は 何 を昔昧するの で あろ うかO これ把対 する 答は 桶怒 されてい ないが興 味深い点で ある 。
ついでに ,どういう年令層 が動くのか をみて ゆきたし ㌔
節 3 5裏の劫 .uiの垂でみ る と,15‑
29才 までのいわ ゆる若者 の動き が圧 倒 的に多 い ことが El立 つ
0
0‑ 14才 と30第35表 転 出 .転入地 区別移動 状況
1 .
転 出 、l足 守 大 井 日 近 岩 町 村 谷 【! 年 令 別 「ー 年 月
男 「
r一女I 罪 女 男 l女 刀 女 男 f女 .F 0‑14才 15‑29才 30〜■59才 60 〜34̲ 8 1 1 2 1 1
000 0
1 2 3 2 10
9 1 1 2 1 1
0
.̲ 1 12
3 4 4 2 310 3 4 1 1 1 1
0
1I
35
9 3 1ll 2
0
7 5 2 3!000
1l 3
1】 4 23 ll) 8 7 6 6 8 6 4 A 7 14 41 ll 4
r 4 13 8 9 7 2 2 2 12 7 8 17 41 12
0
5 9 4 1 1 2 4 4 1
0
3 Io
24 3 26 6 3 5 1
0
0 1 1 I 1ー0
13 60
34. 89 109 55; 47 63 ..0 r 14 1 11 lL l1 I
3 2
1 111I, 1̲38 l l12◆1 ll4 16ll 6 4 1 1 1 3 3
0
2 5 I! 5 . 14 5 12 3 8 2
≡
1 1 1 2 I 2酌
5 15 30
3 6 7
00
3 2 2 2 ら 3皇
5 20 41
4 8 6. 4 3 1
000
.2 2 8 10 8 05 3 4
0 l0030 0
I 5 3 8 50
‑
6
0
4. 1 10
0 . 1 200 0
7 20
7 1 1 2 1
0
1 ・100
10
7 10
1 279‑
才以上 のクラス壮転入の方が転出
エb
わずか に下回 るだけで ,大きな変化 はみ られ ないが ,宵年 年の動 きは転入転 出で大きな轟を示ナ. この ことは 当然の動 きで あるが一応示 してかきたい.亡
第 Ⅶ 章 マ ス コ ミ と 教 育
「‑鯨捻白痴化」 とい う官集 は .多 少の誇張はあるほ して も .近 代杜会におけ るマス ・コミの Le僻 力を正 し くいい 当てた ものといっても決 して過 す ではないC マス ・コ ミの対象 とす るところ は演劇や音楽が特定 の教葦人 を顧客 とす るのに対比 して一 般人 ,いわ ゆるマスであ る。そ の対象 は腔 民で も洲 f,孤全人でもfdLlく ,あくまでマスソサイ7ティづこ封1ろマスである。資本主点o)進 展は地 域礼金 Fこおける人々の輿背任 と階層差 を拡大 ,増加するが ,それ と何 時に大 植生賭様式 に代表 され るようにノ鳩Rの規格化 と平嘩化 を推 進
し
,輿筋 化 のなか におけ る等骨 化を促す。つ ・5り幣 本主義に
本館的な階層善の常在化 を俄 う作用を 掛 T。 この藩味にL,・いて,地
域
社 会研 究 ,分けて も都市化 がNTく苦 しくIJった足守地区 のマスコ ミ渦 糞 はそれ IJL'りと恵 勘 は ,ると考 え一章を設 けた。ところで都市化 の進 展ほつれて間切 となる ものに如訂 ・J;あ.&。都 市的生活様式 に適応す るオー 歩 に教背があげ らJl・るか らであ ).'‑Q と くに芽の継 承 ナ中 心に長子相続 を固執 して来た鮒 地区 に かいてIt単に次三 男を どう処理するかの側屈 たけでな く .皿fll'圧 のため次 掛 こ境地が節少 される 状況下にお小 て自己の経営脊 どうす るか. あるいは鰍 {腿菜を継 承せしむるかも大 きな演題 とll'ら ざるを得な いか らであるo この恵 味にかいて教科 ・1小骨Id一.役割 ‑lf・坦 巾て いる
。
新叫 'd掛て こ、いて も然 り .子弟に謙 りうるもののIcこい彼等にとって li:し うる温 大の ことは f一弟に教育争与え .よ9
有 利Ii条件 で生 第につか しめ る {̲とであろう。従 って .一 体 足守t翼住民が次世代(こ何 を期待 し . どoJような次代像か描 いているか を階 層的 に考案す ることけ恰好Jjテー マであるC そ して彼等の 描 く次代像を何 が阻ん でいるか を究明す る ことも侵Allて大97で亨,って以下で は マ スコ りこつ いで 教 帝問題 を救 うことに したい。
米 村 旧
第 1 節 マ ス ・ メ デ ィ ア の 郎 人 と 受 容
中
川
範新t甥・推誌 ・ラ.}オ ・テ1/ビ ・映画等々の†ス ・ノデ '‑Fは私達の 日常生 活で不可 欠の もの と なって果 た。
マス・メデ .7が私達
に
正僻 に作用 して くるな らErl.臥連 の生活 に非 常 に役 立つ。 逆 に一部 の特 櫛階級の支配の臭 と化 した時.
私達 の生活 は帝やか されるo この ことは大 き くは牙二 次大 槻中に 如実 に組映された し今 日て ・しこの危懲すべ き状乃削t否 定出来 ない。鮮 f町 こ於いてマス ・,,チ .,アlf‑9.口lplに、入 っ‑L亀ていもだろ うか.人 々は如TtTJなる鳩度 で接 触
一・?よ い 一
しているか
T
出来 るだけ昨年度地域研究親蛮地 の川上郡碗中 町の状況 と比較 しなが ら足守町の 問題を・考えていきたい。 尚渦糞 は質 問紙 と聞 きと りに1る もので .淵奮 対 象地 は .足守町足守 ・ 大井 ・符 谷 ・日近 て噂 に下布田 ・上 土田は別に取 り扱 った。1、 新 聞 の 購 祝 状 況 と 受 零 限 度 (i) 新 聞 へ の 接 触 庶 '・
比較的安価で しか も大 きい役割 を果 して いるマス ・メデ ィアに新潮がある。 足守町で新 聞の J ..
オ 1衰 新 聞 月 ぎ め 鵬 耽 者
「 足 守 大 井 福 谷 日 近 下高田 上 土田 桧 計
回 答 数 9 3 61 2 6 td 18 1 6 2 2 1
舵 観 者 7 5 4 0 16 8 16 14 18 9
非鵬軌 者 1 2 1 8 7
0
2 1 4 0撫 解 答 6 3 3
0 0
1 1 3◆i 購 読 串‑‑‑ ‑ 8 0.6% 65.6
9
6 6 1.5% lo o拓 88.9% 87.5.96l 8 1% IF偲統帥 どうだろ うか。牙 1表 は ・月 ぎめ肪執着(I)についてみ た もので ある。蓑に示す ととく 足守町全体の郭 拙賦禿郵ゴ8I9打 ある。 これ を船中 PT(2)t比 紋すると月 ぎめ購配皐は ・54・
5I,婿‑1:非常 に差がある。 足守町でilかな b新 聞が統せれている とみ て よ
い O
夕刊Ji=含め7t‑足守町全休の購読紙散は郎 ・0 0 0部 で あるo 足守町掩戸数が2・3 6O戸 (3)で あるか ら1戸赦 0.9部平均 でかな りDj貯及女物 幣 【て いる。
し,か しこの場合 1年間に 2.0 0 0部の購読者が常にあるのではな く .周期的な増減 がある 0
6.5弓の顔繋期. 1 1月頃の幽
繋
糊を通 じて約 45O許の跡 靴数 の減少 があ る。又一 万. 1月 7・8月頃にilI30 0部位 の蛸加 ・,51あるG ' ‑
Cv+tるL41。 こうい う状態で明 白な固定訳者 は剛 ・500部の よう‑L.ある。
増 減 √ 和風1.との地域 の特 色の1つで ある。 詫言谷 ・岩 凪等の良米地域特 に岩田に於 いて 目 立つ 減少 があ る。 これ もLj本の戯村 が .lbLl何 に農繁期 の懲 字が示す通 り. 5 .6 . 1 1月 に多 忙 であるか とい う一面 を端的 に示 している もので あるb
升 2の特色 は ,統合版 とい う新 聞が非 常 Iこ拓率で読 まれて いる ことである。地理的悪灸件か らくる的連面の不備で .夕刊 が戒め る地域が限 定 されて い る。足守町足守 ・大井の一部 のみ に 制限 され ている。 従 って他 の地域で は夕刊を含 めた統合版が多 く靴 せれ ているのである。総僻 醜航数21‑ 0部 の つ場 合版‑ 7OF(5)I‑t ッ Ir版2 5U凱 tJ刊4 50部 の数字が端 的
'二物許 Jていこ ¢
:ll‑
(21 地 理 的 灸 件 と新 聞 肪 晩
年的 8時‑.tで に配達 され る地域 足守 ・粟井 ・大 井 .福谷 の一部。
午 前10時頓配送 される地域 福谷地区 掛畑 午后3時頃配達 される地域 日近
郵送 される地域 (午 后5時頃配達 ) 間食 .樹畑 .束山内の一 部舌・除 く福谷
午前8時頃配達 され .朝食 時に読める地域 が非常 に少 い こと .又郵送地域 がかな りあ ること で薪.q肺秋着 にとって不利lJ.'状態 であることが分 る。これ が1つ には .農繁 期に脚 着手・減少
させて いる原因にもなって いると云える。
し.,11しこの .EうIAL条件の中で も8 I% もの僻成毛がいるととは注 目させ られる.
榔申 叫で
は .
・lf故で遅 れる碗合以QL'i全て午 前中 に虎連 されていIiが ら54.5%とい う低 い 脚nrJe皐 を示 しているのと大 きい差がある。(37 どん /i新 聞 や 求 め て い る か オ2衷 鵬 駅 新 聞 の
称
頬ー〜
「完
一 言大 井
楯 谷 日 近 下高用
.i 上 土 田 汁f山
I 3 . I ( 4 1 ) 2 5 ( 6 3
) 15(94恒 (loo) 12(75j 12(ヒ6) 1.C3(59.9 朝 日1 5 ( 2 0 ) 2
1o 呈 o 2 I , ; 0 ( i l ̲ 6
あと
禿 5 ( 7) 10 0 0
I)
6.I ;1.5好 日 4( 5) 5
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ユ( ̲I̲̲持拝
.‑で O‑.他 1す 「√
I 6 (8%):1 0i ll0 0 0 0
141
11U 0 二 l f6 l . 9 ,
那
2兼か ら分Z,ように山脇新聞の粥読串 は60%粥 L溜 りの大部分 卓.中央紙 が 占めて いる。これは山脇新 聞の弼競率が7 【).7%を占める輔車町上むも ,中央紙へ の接 触が少 し高 く .この 地域 のほうが都市化の程度の少 し高い ことのあ ら7加 であろ う。
しか し地方紅‑ の依存度 は ,依然 として r‑97‑く地域 の性格 をあ らわ している。
■▼
‑'}i.7.‑
(L= 桝況 理 由 か らみ た 壕 触 態 度 オ 3表
新 脚
弼 駅 理 由足 可 大 井 福 谷 日 近 下浦 田 上土田 汁 内等 が よい 2 7 12: 5 2 8 5 59(32.5)0/ 版‑,Jr己店のす ゝめで 3 3 I
0 0 0
7( 3.9)TT間杜が立派だか ら
2 0 0 0 0
1 3( 1.7)T‑ LI
;
糾
判が よい 1 10 0 0 0
2( 1.I)野 放
.友 人 のす ゝ衿でO
10 0 0 0
1( O.6)嘘 FiiLがLLF‑い 5 1 1
0
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卜‑,1所 が珊んで いる
0
I 1 10
一一 5( 2.8)i娯楽
朋が よい 20 0 0 0 0
2( 1.1)Iiド
音か らと っている 2 1 1 ll 5 3 4 6 50(28.4)温
准記屯が多い0
2 2 1 l I 2 8( 4.5)
iff'f聞拡 'Jl解答を 1 1項 目飽 示 し .そ の中か ら潤んで甘 .さたo この枠 の中で解答 する形Jこなったの でγ・¥'LSも制限 されたものとな ったか もしれ= fi:い。
「内容7):よい」 (33.5タJo')「菅か ら取 っているので」 (2臥4% )とい う理 由が過半数 を占め ている。 .r盛 筆記grが多 い」 (4.5
, 0 6)
「値段が安い」(
5.1.% )「販売店のす ゝめで」 (
3.9%') F近 所が莞虎んで いるので
」(
3.9%)等々の数 字が出ている。「!勺答‑/,iよい」 とい う理 由は 「腰紫記粥が多 い」 という理 由 とも的係 があ t),内容で選択す るの :i一 面hp‑極性 が伺われ 琉 ゝこともfJ い 。
しか しこれ と越 に 「音か ら取 っているので」 とい う理 由 も大 きい比率 を 占めてい る。 足守町で は .購読者が槻後5年位で上 昇 したがそrf.も30O部程度 の増加 で固定読者 は ,かIより古 くか ら 存在 しているC.ii:村 に硬い 伝矧 〕つ生活感度‑,,、ら生 まれ た膿耽儲度 が表 われているのであろ う。
同 時 に各新 聞社 の防篠 的売込み が版究店 を通 じて行 なわれ ている嚇雫 も牌観音 を固定 させ てい Jrも壁幕 といえ る。
新規が大 衆を啓鷲す る役割i・もち出発 したが新 聞が 企菜 叱するにつれ .大政 の軌者 を求め なけ ればな らな くな り ,内容 も政治
・
捷済等の貰要 なものに対 して .小説 ,マソガ ,スポー ツ等 の娯 楽的uIEIBが大 きく紙面で占める傾 向が助長 され .飢 こ広 常を入れるな ll内竿 の唱半分 がこれ らのもLl)C占J・bらIhていJb現 状であ ら。 ウfz1.、に升 3丑 や見るとそT・it明 らかに新明 され ているJ
Ir
ヽ=
L
端 3本 粁 間 鴨 有 利 fl‑
I‑::̲̲‑' i ;;
TI.I 「.≡.≡.金 卜剰 蕃
2.維 誌 の購現 と 受 容 態 度
(日 経 誌 へ の 接 触 変
オ 4表 雑 誌 月 ぎ め 賎 靴 音
く/Clf才キ路 新明在銘 iり)
,,.;・・'. T♂./
⊥こ し 刀 紘
‑
i i i i i i h
一 一 ] ‑ 一
一
† I‑ I 「 一 一 ・ 一
‑
1
雑誌の月
ぎめ 的
統 率は .42.1%で新拙
L比接 す 'L非舟 に低い。 現在 は週 刊 鑑ブー ムとい I,JLる時 代・であ り .雑 誌 もあ らゆ る範虻=こ わ たかtLi超1 てい.三.I. しか しそ の筈.rjv̲,@守 町 では 固 定故老 が少 li・)ことが うか がえ る。脚叫 の細 誌(8十 r :‑二一■.二5 69
1で 前 脚'J梢 畠だ率 54・5
,%'i=大 差 EiTiくi掛・=‑pゝ上 回 【て いる。 これ は .交 過不1.IJl山間 のためか え っT月 きめ 読 者が 多 い と思 われ ろ。
#・藩の払 妊=こもよる が ,現 代
の状
勢 け雅語が''F・
r・
て丁に あ ふ JJてい る fl̲Y)娃守 町 の 上うTll地域 で は田 記 して ・.afro)で(・1‑く色 ・JIと.虎ん でい く他称√
あ ることが.
月 ぎめ 弛 成
智 5・かえ って 減少 さ せ る よ うで もある。従 1て次 の唄でみ るが貯 ま・Jlん雑誌 も部数 は いろ いろ と孝け られ て い る ことに も .この こ と は反 映 されて い る。
(27 どの ような雑 誌 が読 ま れて い るか
Y
鵬中 町で は .虚菓雑
読「
芽 の光 」 が圧 倒 的 に嘱馳 されてい る。 ( 4 0%
')一 方 足守 町 でEl .I‑ 2舛 J'.一
細入雑誌が足守 .大井を中心にして原 もよ く挑まれている。
地理的 .良済的̀こ岡山市 ・絵杜市 との頼地産はか な り高 く .一定の組織を通 じて旅 される本 に頼 らず とも自 ら選択出来ること ,足守町が農薬では限界があることが .思策雑 誌が他 の椎誌 と比べて耽 まれ な くなる曹因とな1ている. しか し未 だ現状では虚業雑誌が婦人維 軌 こ櫛いて lg̲い耽者層を もって いる ことが升 5妾で端 的に出て来ている。
牙 5表 3地域 の比較 に 上るq柵 雑誌の租税と比較
i
I
足 守 備 中 町 浸 口 郡 船 穂 町l
婦 人 一無 蓋 46 ( 29%) 2一 ( 15,6) 16 ( 27%) 脳 梁 雑 転 42 ( 26,g) 82 ( 52% ) 18 ( 3O/U,o')( 寮 の 光 )
t (33) (6Ll) (ll)
夙 楽 碓 転 21 ( i3%) ・ 9 6
l廃 合 姓 転 21 ( 13タo')! 7ー 5 学 生 , 子 供 も の ll ( 6.9%) 27 ( 179
L 1 ) 】 ▼
蒋 門 鮮 麗 9 ( r).7
%)
6I
3野 庭 繊 毛 4 ( 39Jo')
0 0
オ 5衷n ・足守町 ・婦中 町 ・祝日郡舶磯町 (?)の三地域での購統雑鰭の比較 した ものである。
三地域を比夜 してみ ると傭申 町代将 にEF倒帥 こE3薬経薩が乾 7fれている。 これは .備中 町が親 /ri3村 であ り.交通 不便の山間地帯であ,あことか らすh')・ir当然か もしれない。
風脚 て の施 鼓柵 H・03才之の特色は ・綜合gi=t8)・尋問喝 p,が脇申町 ・船憩町
エ
・r多 く軌 Eれ ていることである。婦人雑誌が足守FJ'足守 ・大井 とい う中心地の蛸人によく取せれているB以 上要約すれば .a
腿非雑誌の隅親 は足守町では .備中町の如 く圧倒的ではないが .婦人雑髭 と共 に根強く「
君の光」を中心にして統 まれていることである。
b 婦人会活動が 足守町は活発fJl万であるが .それを反映 してか6711人雑 憩が虫 もよ く軌 まれ て いるd
c 綜合告 .専門箆的fl比較舶娯楽性 の少ない維鯨が他地域 上りは エ(読まれている。
‑ T.i:Ci・‑
(31 畔 軌 理 由 か ら 見 た 雑 誌 へ の 頼 触 態 度
オ 6去 月 ぎ め 雑
碇
購 読 理 由足 守 大 井 福 谷 日 近 下布田 上土 田 総 計 内答が よいので 3 4 18 7一 丁J 1 0 7 78 (52.4)
娯楽 ものが多いので 6 3 3 I 2 0 i5(10ー5)
昔か ら取 1ているので 8 5
20 t l1 1 7 ( l
l.1)他 段が安 い 4.t
0 20 IO1 7 ( 4
.9),宗族 .友人 のす ゝめで 2
0 0300 5
( 3̲5)峯ていが よいので
4
02n 0 ∩ 0 0 4
( 2.8)評 判 が よ い の で 0 0 0 ー 1 2
( 1.4)・ 発 行 牡 が 立 派 だ か ら11 I fO I C I ー
4( .2̲8)52%が 「内容 の良
さ
」か ら錐鼓を戎ん でいる。そ れに描 いて 「昔か ら取 っているので」「
娯禁 ものが多いので」 が各々1 1%前 政争占めていklo この よ うTi傾 向
i
l新崎の庸就理由 と非 常 に類似 している。内零 の,良 し越 しは重旭的 判断 でTtL定 7‑る鵜合79:多いが .これ 't‑:Lr1‑亡;'‑非常 に漠 然 として し}云 む しろ 「内等 の良 さ .とい う理由 上り他 の ・2つ の首 tに注 目すべ きであろ う。現代の雑 誌 .週刊 誌は娯楽 的内容が非常
I こ 増 C n
して いる。 こうい う傾 向の中 で晩発 もの号求 めこいる人・,ji1 O%ある。現実 の日常生 活 に於ける竹 ,心南面の圧 迫があればあ う程 逃避的 に な り .娯楽や利敵のある ものを求 める し父送 り手 も巧み に大衆の感求 予呼,J■増 しなが ら娯楽番 組牛用悲 しているか らで ある。.3. ラ ジ オ テ レ ビ 映 癖
新関
・
雅 語 という軟む努力を必要 とす るマス ・メギ ィ7 の流入状態 かみ て きたが .次 に も1と感
噌的 に受けとめ られる ラジオ ,テ レ.ど .映 画寺へ の 蛭民の接 触 と愛等態度 をみ たい。(I) ラ ジ オ
a
ラジオの所有率‑2
乞う‑
オ 7表 ラ ジ オ の 所 有 率
1
1
I
足 守 大 井1 棉 谷 日 近 下高 田 上土 田 総 計総 回 答 数 9 0 6 4 2 6 8 ・18 1 6 2 2 2 [ 持 ‑ て守 る 8 4 5B 2 3 8 18 1 6 2 0 7
持 って いな い G 6 3
0 0 0
1 5新 聞の暗講盤dL%/に対 して ラジオ の所有率 は .はるか に高 い9 ・3.296とい う数 字を全 体で 示 7ノて い,‑i,ぐ
こLT)よう'i:題は .ラ・}オ CT?もつ 魅力 fj:い し .それ はこれ が身 甘鹿 じて感覚 的 に把 え うる こと . tJ:位の合 HE.llに或いは楽 しみ 乍 ら接 触出来ることな どによる 必袋感か ら生 じた鹿瀬 であろ う.
これ と同様 lil結果 が肺甲 町で も明 白に示 されている。即 ち新 聞の雌 統率 5 I.5%に対 して ラ ジ オの所 有率は 9 1%と大 きな差がzF'D,非常 にラジオが普及 している こと女物雷 【ている o
t) Lf例的
f d : NHl / .・f tS IR
捲収放送 局 .高い所 有率 を示 す ラ'}オへの接触
は .大半 がiJt iK f t SK
に向け られ ている。腐取鍋 の発運 していれば こそ のこ とで あろ う。
塙
∫ 表A/.I/F<
I t s . ‑
丸7叔連Il
環 耐 7 ‑ I . J T J r 7 鋲
/tTF三一・l】
‑ 7 3
/
和也 手1
慮為 ′殊
E .,
(
牙 9衰 聴 視 放 送 局
足 守 大 井 福 谷 I R 近 J 下布 田 上土 田 総 計
N H K 57 36 13 5 15 10 136(48.3
R S
K 5 5 3 4 18 2 1 5 8 132(4‑3̲4I:'
、 3
【‑第8丑加 鴫みたNtlEと民放の番組 t比掛 ると.NHKオ 1.才 2の杓38%が娯兼的者 組 で ・民放が= %(1)とい う換地 にみえる蓋 と報 櫛 でlま殆ん ど卦 まない が ・社 会教養書組 での47%のN月Eと19%の民放 との差で端 的に放送 内容の相異が出て いる。
この 上うなか らみ 合せが聴取放送 局を 2つ求めた曾開先 の回答の中で出て きた, しか し‑
休 どちらが上 く求め られているかは全体 的 には大差はな い. 珪LIJ その うち34%が軟葡曲が大半 の青年である。
吐く=J NHX 36.7
%
RSK 34.9%C
何故NIIK .RSKに集中す るか。第10表 聴 取 理 由
t21
】
よく聞えるので
3
1 16ll 3 3
67 0 ( 3 6 . 8 ) 9 6
番組が よいので 29 l 2 1 S
十
Il l l ̲̲.7L…7 5(3
9.5)是非 聞きたい番組があるので ll ll
0 O
llll 3I
15 (7.9)「よく聞える」とい うのが36・8%を 占めて いる。これはラ ジオす 聞 く場合 に不 可欠 の条件 であ り .特 に他の放送 局のヰ・被 が入 ()に くい山間 地方 でH当然程 きて くる ものであろ う。 な には ともあれ .地元 のNl・IK ・RSKが一 番入b.聞 き易 'J,ため これ らに弊中 ナる歯向にIJ:
りがちな ので あろ う。
r
放送 内容の よさ
」による理由托 40%近 い。 これは 「是非 棚 きたい番組 があるか ら」 と い う瑞由 と胸係がある。
「是非 聞きたい番組 があ うのでJrこ:い う声が15.8.qdある所 か らみ るな らば .足守 町o)人々は ラ・)オ聴取に当 りL'
・芸妓か よく人ihHLV/ 上とSKに集中 してい るが ,聴取するに当.,.ては番組が問題 になるOやItり鞄 韓ある番 組でId'い限 り聴取 しない。しか し現在 の所 「是非 開 きたい番組を
J
とい う迦由 で上 l)併 橿的 に接触す る人々は少 ない.以上 の点 が .ラジオへ の接触態度 の並木 的な ものとして流れているのであろ う。
a. 是非 聞 きたい番机は何か.
r是非 聞 きたい番 組が あるので」 とい う理由 と共 に出 され た蕎姐 を縞捷す ると .純娯兼か らスポーツ .ドラマ等 を11じめ娯楽番 組が28人か ら出 されている. (
40%
) 次 にニュ ース ・時¢解説 ・政治 ・縫済的lilものが2 5人か ら出されてい る。u o
・' 3Rp‑
オ 1 1表 是 非 聞 き た い 番 組 r"
l
!
I 足 守 大 井 l福 谷 日 近 下 布田 上土 田 稔 計
ニ ユ .‑ ス 人 人I I1 人 人 人
10̲ 3 1 2 16T
;
iE(‑25.6,人̀)ニュ ー ス 解 説 3 2 1
0
政 治 . 経 済
0 0
2 1) ス ポ ー ツ 4 2 1
0
17:i
7JI(44.42O,R^a')娯 楽 . 芸 能ド ラ マ 43 3I一/一
0 0
3一▲一■0
鵬紫番
組
を求 める串が高 いのは .何処 も同 じて圧倒的 に求 め られ .又マス ・メデ ィアの送 り手帆 も壌娼 して きて いる0)代は lこ述べ てい る通 りで ある。 七 衆が少 とD
を もち舷穣 的 に教 養番 組 を聴取す る こと が出来 る帆 虚を生 み 出す にIl..生 活 水車の向上 等 の根本的問題 に触れ て く,S。足守 町の場合 .政治 .経済 ,社会番組 は求め る6 5の番組 の内2 51で 占めるd'(3815
%‑ 1
父そ LT)中 で もニ ̲I‑久は 1 6と十半 占めて LL・る。 嘩申町 をみ るな らば .よ くuflか れてい るを姐の順序 は ①こ 、‑ ス ・天気予 報 ㊤落 帝 ・浪曲 ⑤鮮 番 組 ④ 計略 曲とニ ̲1‑ス 解 説 とな って いる。j
it守町に於 いては .① .②ま で・t・lL結果 を示 して いるが.
偽 薬番組づ;5人に しか求 め られ ていないこと.これ は足守町で の盟 濃の仕 度 5・示 十 もLTJで あろ う。タ ラ・}オ とい うものの うけ と り方 に於い て .新 聞 ,推乾 で生 活 に役 立つ もの争吸収 し .ラ ジオ ,テt/E=.は娯 楽織田 としている塘合 ≠多く ,Bt巾帯締 Fj略取 者 が少 ないとい う一 面 も物 幣 ,Lている とまえ る。
12) テ レ ビ
a
低 い テ レ ビ の 所 有 率 オ 12糞 テ レ ビ' 所 有tlI l足 守 大 井 福 谷 f 日 近 下 布 田 上 土 田 総 計
所 有 して い る 9 10 2 】 1 5
2 8
1TTl‑有 して い1‑I‑い
81
5 4 24 7 7 ll 18 . 4
‑J f ・ . ̲ 3
諏査対象の222戸 の巾 でのテ レビを所 有 しているの は12.6%の28戸 のみ で普 及率 は . 既に見て きた新聞 .雑誌 .ラジオ と比す れば非 借 に低 い。
現在絵所有台数30の日近ほ .昭和 34年I乙は 17台 .現在45台 の福谷は 17台 であ ., た。 この2地域 の2年‑間の普 及状態は ,昭 和34年を100%とす るな らば .日近17
6%.
福谷265%ということLこなる。
従 って現在足守町全体でみ るな らば
.
館及度 は任いがかな りの早 さ‑rlテ レビは普 及 して い ることを軌みとれる,.テレL‑・'普及の原因 と してほ .様済的条 件が好調である ことよね も地理的 に剛 山 ・総社市特 に開山市 との接 触が多 く .そ のために都市の生活様式 が比較的流入 しテ レビの普及 を促進 し ている大 きい安野であろ う。又この地域 では .LB雨 知の都 市 と聴牧 条件は殆ん ど差はfiく屯 波 も
エ
iI入 り.聴取
状況計容易 に している こと もあろ う。このようlutテレビの普及 状態 と第1良;のラ‑}オ所 有状況 q)変晋 と比辞 してみ る な らば ,チ レビが入 りだ した哨細.13年 .34fF・頃か らラジオLD所有数 が減少 .或いは伸途 しているを み ることが出来 る。 ラジオの時代からテ レどの時ftへ の拒趣 の如 き・̲してとらえる ことが出L 盤るQ
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1̲111.̲〜̲1̲̲‑̲⁝.I.I‑̲̲⁝
b テレビへ の淳鵬 度
2つ 上く見る放送 局を求めた時.NHX 27.RSK ltl.これ に続 いて西日本放送が1 3の割合で 聴視されている。
オ 13表 テ レ ビ #.視 放 送 局
足 守 大 井 福 谷 日 近 下 布 田 上 土 田 捨 計 pHXテ レビ 9人 10人 0人 2人 2人 一人 27人
RSKテレビ 5
A
0 1 2 l 2 18西日本テ レビ I 一 7
0
0 0 2 13第1 4頚 テ レ ビ'聴 視 理 由
足 守 大 井 冶 谷 田 近 I下 布 田 上 土 用 鎗
R,
よく抑えるので 2人 7人 0人
2
人 I人 0人 12人番組が よいので 6 3 0 4 OL
2
15是非RFlきたい番
.
組があるので I l O 0 0 0 1 2lr
この地域では .香 岡山軌 と於 いては.hyfrE‑・RSIE ・西日本放送の3局以外 は聴視不 可 龍の状態だか ら当銭この3局に水中す る。 NEEがヤゝ多
く釆
あ られているが余b
大差はなく聴取 されているといえ ようd
聴視理由について考察するな らば .この ようfJ‑条件 を背. 丑に してラ'}オと同様な傾 向が出 て くる。明確 に 「.是非 見たい番
絶
」を出 毒す に溌銭 とした理由を挙げている。 ラ.)オ よb一旬 軽い傾向ともいえ る。
テ L'どが本格的に普及する前の段階 ということもあ り,題額的に見 たい番組を繰奄す る人 fJ非常にせれ・L4.若干 「ニ丘一一ス
J .
「天気・T,報J
「カブキ」
「日曜射場」等が一 部の人から出されているに過 ぎない。
現状 の所 一寸.見たい時に見るとい う聴 視態度 が伺えるが .も1と明白な傾 向はテレビが こ の地域で より‑層大衆化 した時出て くるで あろう。
131 映 画
ラ・}オ .テl/亡と同様 lこ視聴覚 に訴え る映画 も咽々普及 して来た. この映画 も時代の社会状 況 を把 え .その中で生きる人間 の心理を巧み に把握す る技 術をもち .関原 を投げているが .走 塁な}デ.!7 ,時 に娯楽 LL‑7'・Jl更重 な放射を担.9ていることは明 r;かである6
‑L/ tlAJ ‑
′