経済体制の移行に関する戦略論
福 田 敏 浩
1 はじめに
本稿は,ポスト社会主義諸国で現在進行中の 経済体制の移行に関してどのような学説が展開 されているかを概観しようとするものである。 この世紀末の大転換についてはすでに膨大な研 究が積み重ねられ,研究書や研究論文が大量に 生産されるに至っている。それらを筆者なりに 整理すると,経済体制の移行に関する一般論 (社会主義の崩壊をもたらした原因の究明,体制移行 の方向の確定,体制移行の予想など),経済体制の 移行戦略に関する提案,経済体制移行政策に関 する国別の実証的研究および実証的比較研究の 三つに分類することができる。数の上から言え ば,第3の研究がもっとも多く,第2の研究が これに次ぎ,第1の研究がもっとも少ない。 第3の研究は各国の移行政策の実際を時系列 的にフォローしたものが大半であり,当然のこ とながら抽象度の高い学説に値するものは皆無 に近い。第1の経済体制の移行に関する一般論 を代表するのはコルナイ(J.Kornai)の説であ る。コルナイ説の眼目は,共産党独裁の崩壊が 経済体制の移行を誘発したことと経済体制は資 本主義に移行するということを主張するところ にあった。このようなコルナイ説については筆 者はすでに別の機会に検討を加え,併せてコル ナイ説と対比する形で筆者の移行論を提示して のおいた。 本稿の対象とするのは第2の経済体制の移行 1)詳しくは福田〔6〕,福田〔7〕第4章および福 田〔9〕を参照されたい。 戦略に関する提案である。ポスト社会主義諸国 は1990年代初頭に資本主義への移行を開始した が,これに関して各国政府が採用した政策は私 有化,市場化,競争心および貨幣化であった。 私有化とは生産手段の私的所有の制度化にかか わる政策である。現存国有企業の私企業への転 換と私企業の新設がその柱をなす。市場化とは 市場経済の制度化にかかわる政策であり,市場 法制の整備,各種市場の制度化,価格の自由化 および国際市場への参加がその中心をなしてい る。競争化とは競争市場の形成にかかわる政策 である。独占的産業構造から競争的産業構造へ の転換がめざされてきた。貨幣化とは実物中心 の経済から貨幣中心の経済へのシフトにかかわ る政策である。その中心をなすのは金融市場お よび資本市場の創設である。これらに加えて, ポーランドが典型的にそうであるように,ショー ティジフレーションの克服を目的としたマクロ 安定政策を実施した国もある。以上の経済政策 のそれぞれについては経済体制移行の当初から 東西の専門家によってさまざまな具体策が提示 されてきた。その詳細については別の機会に紹 の 介しておいた。本稿ではそうした個別政策の具 体的提案ではなく,移行戦略に関するより一般 的な説を取り上げてみたい。内容的には,社会 主義から資本主義への移行のスピードと戦略の 基本方針にかかわる説である。 このような戦略論にはさまざまなものがある が,体制移行のスピードに注目して分類すると, 次の二つに大別することができる。ひとつは, 2)詳しくは福田〔7〕第4章を参照されたい。社会主義から資本主義への転換を時間をかけて ゆっくりと,かつ着実に行うべきであるとする 説である。通常グラデュアル(gradual)とか エヴォルーショナリィ(evolutionary)と言われ る戦略論である。その代表的論者は,西ではノー ヴ(ANove)やマーレル(P.Murrell),東ではハ ンガリーのコルナイや同じくハンガリーのチャ バ(LCsaba)である。これらの論者は最近流行 の進化論的経済学(evolutionary economics)の 立場に立ち,資本主義へのソフト・ランディン グを説いている。以下ではコルナイ説を中心に 見ていくことにしよう。 もうひとつは,社会主義から資本主義への転 換を可及的速やかに実現すべきだとする説であ る。ビッグ・バン(big−bang)とかラディカル (radical)と呼ばれる戦略論である。西ではサッ クス(J.Sachs)やオスルンド(A.Aslund)や リプトン(D.Lipton),東ではロシアのガイダ ル(E.Gaidar)やチェコのクラウス(V.Klaus) やポーランドのバルツェロヴィチ(LBalcero− wicz)やハンガリーのショーシュ(A.S60s)がそ の代表である。筆者の知る限り,これらの論者 のうちもっともまとまった説を唱えているのは バルッェロヴィチである。以下ではかれの説を 中心に見ていくことにしよう。
II グラデュアリズムの戦略論
1.コルナイ説 コルナイはハンガリーの人である。しかもハ ンガリーにおけるソ連型管理社会主義から市場 社会主義への移行,およびその崩壊と資本主義 への移行を身をもって体験した国際的に一級の 経済学者である。社会主義時代のコルナイはテ クノ・マルキシズムともいうべき改革派のスタ ンスを取り,1968年にハンガリーで始まる市場 社会主義建設の「改革理念の確固とした支持 の 者」であった。そのかれもハンガリーにおける 1989年の「静かな革命」以後は,資本主義への転 換を熱心に擁護するようになり,最近では新自 由主義者の立場にシフトしたと言っていいほど の変身ぶりである。原理原則に捕らわれないプ ラグマティストと言うべきか,状況に流される オプチュニストと言うべきか,評価の分かれる ところであろう。 コルナイは,ソ連・東欧諸国における社会主 義経済体制の崩壊を誘発した根本の原因は東欧 の革命による共産党独裁の倒壊にある,と見た。 政治体制の急変が経済体制の急変を招いたと考 えたのである。典型的な政治規定因説である。 社会主義崩壊後のソ連・東欧諸国はどこに向か おうとしているのか。コルナイの解答は,資本 の主義体制(capitalist system)へ,であった。 東欧革命以後のポスト社会主義諸国は現在,社 会主義から資本主義への過渡期にあるというの がコルナイの現状認識なのである。 資本主義への移行を成功させるにはどうした らよいか。体制移行の戦略はどうあるべきか。東欧革命直後の1990年に出した自著(The
Roαd亡0α Free EcOπ0πiツ’S妨伽9∫roノηSO− ciαlist Sblstem: The Exαinple of Hun8αnl:y)の 中でコルナイは,マクロ安定政策と漸進的私有 化政策のポリシー・パッケージで資本主義への の移行を実現すべきだ,と主張した。社会主義時 代の産物であるショーティジフレーションは価 格自由化・財政の緊縮化・金融引き締めなどに よって解決し,資本主義の制度化にとって不可 欠の国有企業の民営化および私的セクターの拡 大は時間をかけてゆっくり行うべきだという提 案である。体制移行の当初にはまずもってマク ロの安定政策を行ってマクロのインバランスを 解決しておいて,しかる後に私的セクターの拡 大を漸進的に実施すべきだと言うのである。マ クロ安定政策に関する提案は,体制移行の初期 3)コルナイ〔11〕2ページ。 4) Kornai [13] pp.388−389. 5) Kornai (13) pp.xxv,90,389. 6)Kornai〔12〕pp.101−103,邦訳87.93ページ。局面で経済政策の陣頭指揮にあたったポーラン ドのバルッェロヴィチ,チェコスロヴァキアの クラウスおよびロシアのガイダルの描いた政策 構想と基本において同様のものであった。 コルナイ説の特徴がよく出ているのは私有化 の方である。コルナイの考えでは資本主義の制 度化の成否は私有化にかかっている。かれの言 う私有化とは,狭義には現存国有企業の所有権 の民間への移転を意味し,広義には私的セクター のの拡大を意味する。広狭二様の私有化とも漸進 的に行うべきだとする点にコルナイ説の特徴が あるが,そうした漸進主義が採られた背後には ポスト社会主義諸国には企業家(entreprenuer) が不在であるという現状認識がある。企業家不 在の現状では,現存国有企業の私有化は性急に 行うべきではなく,所有形態比率に占めるその 割合を時間をかけて減らしていくほかないこと, むしろ戦略の力点は「財務的損失を蒙ることを 辞さない」企業家の育成と市場規律の強化を通 して私的セクターの拡大を図る方に置くべきで ある,と言うのである。私有化に時間がかかる とすれば私的所有を根幹とする資本主義の制度 化も時間がかかることになる。 ポスト社会主義諸国で実際に私有化政策が展 開されるようになってからも,チェコスロヴァ キアやロシアやリトアニアでバウチャー方式に よる急進的な大量私有化政策が実施されるよう になってからでさえ,コルナイのグラデュアリ ストとしての立場はいささかも揺るぎをみせて いない。いや,むしろ,最近ではその立場はよ り徹底され,教条的とも言えるグラデュアリズ ムが主張されるに至っている。コルナイの最近 の著作で目につくのは進化論的経済学とハイエ ク(EA.v.Hayek)の学説の影響である。立ち 入ってみよう。 私的セクターはどのようにして制度化すべき か。最近のコルナイの議論はこの問いをめぐっ 7) Kornai [14) pp.79−80, Kornai [15) p.32. 8)Kornai〔12〕pp。101,103,邦訳87−93ページ。 て展開されている。結論を言うと,コルナイは 進化論的立場に立って私的セクターの有機的発 展プロセス(process of organic development) う の考えを提出している。つまり,私的セクター の制度化は政府主導の官僚的・規制的な方法に よるのではなく,自発的・分権的・有機的な発 展プロセスに委ねるべきであるという考えであ ユの る。資本主義においては,私的セクターおよび それを担う所有者や企業家に代表されるブルジョ アは時間の経過の中で自発的に形成され,登場 したのだから,ポスト社会主義諸国もこれに見 習うべきであると言う。これに関してコルナイ は,ソ連のスターリン時代は「富農(クラーク) 層を排除できたが,国法によって富農クラスを 作り出すことはできない。それは歴史的発展プ ユリロセスによってのみ登場するのである」とも, 「国家は収用を決定することはできるが,フォー ド,ロックフェラー,デュポンを指名すること ユの はできない」とも述べている。要するに官僚主 導ではなく,自営層や企業家の登場を促しつつ 下から自発的に私的セクターを制度化すべきだ と言うのである。 ポスト社会主義諸国で実際に行われた私有化 は,政府主導の上からの私有化であった。中欧 を例に取ると,ポーランドでは所有権移転省が, チェコスロヴァキアでは共和国国家資産管理・ 私有化省が,ハンガリーでは国家資産庁が新設 され,これらの行政機関の主導で主として現存 国有企業の所有権の民間への移転が推進されて きた。コルナイによれば,このような上からの 集権的方法は「ハイエクの言う設計主義の好例 ユの である」。中でも現存国有企業の所有権をいわ ば一夜にして民間に移転しようとするバウチャー 型大量私有二二は設計主義の最たるものである。 行政主導で設計された人工物は資本主義になじ 9) Kornai (15) p.38. 10) Kornai (14] pp.87,100,Kornai (15) p.38. 11) Kornai (i5] p.38. 12) Kornai (14) p.87, Kornai (15) p.38. 13) Kornai {15] p.38.
まない。「資本主義的発展のバイタリティは, その存命力のある諸制度が強制なしに,自然に ユの 発生するというところにある」。だから,上か らの私有化は控えなければならない。 最近のコルナイはハイエク流の進化論的経済 学の立場に身を置いていることは,上述のとこ ろがら知られるであろう。コルナイはかつては ハンガリーにおける市場社会主義の支持者であっ た。ハンガリー型市場社会主義の構想は,1960 年代の半ばに党の改革派エコノミストたちによっ て入念に設計された入曽物であった。1960年代 のコルナイは設計主義の立場に立っていた。と ころが,1968年以降実際に市場社会主義の実験 が展開されるようになると,かれの立場は徐々 に変化してくる。市場社会主義の実験は,時が 経つにつれて,所期の目的であった効率の改善 をもたらすどころか逆に経済の停滞を招くよう になった。市場社会主義に対するコルナイのス タンスは支持から懐疑に変化し,やがて市場社 会主義者の拠って立つ設計主義そのものを批判 するようになる。本来両立しえない国有と市場 を机上で組み合わせて市場社会主義を設計した ところに問題があったというのがコルナイの到 達した結論であった。そうした組み合わせば ユの「火と水を混ぜ合わせる試み」であったがため に市場社会主義は行き詰まってしまったのであ る。 コルナイの設計主義からの離脱を決定的にし たのは東欧革:命であった。それ以後のコルナイ は急速にハイエク的自然生成主義に接近し,そ の論理をもって移行戦略を説くに至った。テク ノ・マルキストからハイエキアンへの転向であ る。 コルナイの体制認識には変わらないものもあ る。グラデュアリズムである。コルナイは現在 に至るまで経済体制の改革もしくは転換のスピー ドに関してグラデュアリズムの立場を変えない できた。グラデュアリズムは,1960年代以降の ソ連・東欧で経済改革をリードしていたテクノ・ マルキスト コルナイもその一員であったが のスタンスであった。グラデュアリズムに関す る限り,コルナイは今もってテクノ・マルキス トだと言えよう。 2.マーレル説とチャバ説 コルナイと同様の漸進的な移行戦略を打ち出 しているのは,マーレルである。マーレルは, 進化論的アプローチ(evolutionary approach) の立場からポスト社会主義諸国の政府が採った ラディカルな移行戦略を痛烈に批判した。ラディ カルな移行戦略は,発達した資本主義の実現を 旗印にしてはいるが,その実は旧制度を破壊し ようとするものであり,私有化はその手段にほ ユのかならない,と言うのである。現存国有企業の 民間への移転という意味での私有化は破壊のた めの私有化であって,生産的でない。古い組織 は慣性の法則に支配されているので,環境が変 わったからといって急にその行動パターンを変 えることはできない。そのようであってみれば 現存国有企業の私有化よりも,新しい私的セク ターの育成に力点を置く戦略の方が資本主義の 制度化にとって有効である。マーレルによれば, 新しい私的セクターと市場システムの制度化に ユのよって「入退場のプロセス」 (process of entry and exit) 新組織の登場と旧組織の退場 が機能するようになる。つまり,経済体制 の移行の初期局面においてそれなりの役割を演 じる旧組織も,やがて新しい私的セクターとの 競争に晒され,徐々に排除されるようになる。 このようであれば現存国有企業の私有化よりも 私的セクター(私企業)の育成と市場システム の制度化の戦略を採った方が,時間がかかると しても,資本主義へのソフト・ランディングに 成功する確率が高くなろう,というのがマーレ 14) Kornai (15) p.38. 15) Kornai [14] p.viii. 16) Murrell (19) p.82. 17) Murrell [19) pp.85−86.
ルの描いたシナリオであった。 次にチャバの説を見てみよう。チャバはハン ガリーの人であり,コルナイと同様にハイエク 的グラデュアリズムの立場を取っている。チャ バは1990年代前半にいくつかのポスト社会主義 国で実施されたラディカルな移行戦略はことご とく失敗したと見る。「リプトンやサックスに よって宣伝された迅速な制度化の戦略,つまり 『市場へのジャンプ』の戦略は,それが試みら れたところではどこでも失敗した」。その失敗 の原因はショック・セラピストの社会工学的ス タンスにあると言う。チャバによれば,ショッ ク・セラピストのスタンスは社会主義時代の計 画主義者よりももっと社会工学的であり,資本 主義的な経済制度や行動規範をそれらがなかっ た社会へ短期間に導入することができると考え の ている。ところが,資本主義諸国の歴史が教え ているように,資本主義はデザインによって制 度化されたのではなく,有機的に生成した自生 的秩序である。このような認識を欠いたところ にショック・セラピストの根本的誤りがあった。 資本主義が自生的秩序であれば,ポスト社会主 義諸国での資本主義への移行戦略はグラデュア リズムのほかに選択の余地はない。 経済体制の移行戦略に関してチャバは「ハイ エク的転換のヴィジョン」を掲げる。それによ れば,これまでポスト社会主義諸国では所有権 の民間への移転の問題が誇張され,誤って体制 転換のバックボーンと見なされてきた。今後は むしろ,商業精神の滴養と市場システムの制度 化に力を注がなければならない。各国政府は, 市場適合的な経済エージェントの行動を助長し, 私的セクターの成長を促進するような政策を展 開しなければならない。基本においてコルナイ やマーレルと同様の戦略論である。 3.その他の説 グラデュアリズムの戦略論を唱える論者は比 較的多い。ポズナンスキー(K.Z.Poznanski) もそのひとりだが,漸進的アプローチを採る理 由として次のものを挙げている。ショック的政 策のような国家による大胆な政策は非現実的で あること。ポスト社会主義における弱い国家は, クラッシュ・プログラムを実施するよりも限定 的な政策を行う方が国民からの信用を得やすい こと。企業や家計の行動パターンは,長年のルー ティンのゆえにゆっくりとしか変化しないこと。 急進的戦略よりも漸進的戦略の方が移行のコス トが少なくてすむこと。 漸進的アプローチの立場を明言している論者 としてはほかにノーヴ(ANove)がいる。 スターク(D.Stark)は設計主義にもとずく の移行戦略は不可能と見る。その根拠としてかれ は社会主義の実験の失敗を挙げている。社会主 義の実験が失敗したのはグランド・デザインに よって経済プロセスを意識的に組織しようとし たためである。スタークによれば,市民がデザ インによる実験に対して懐疑的になっているポ スト社会主義諸国において,“cook book ca− pitalism”に依りながら資本主義を制度化する のは不可能であると言う。 漸進的な私有化戦略にウェイトを置いて資本 主義へのソフト・ランディングを説く論者もい る。たとえば,ダラーゴ(M.Dallago)はこれ までの現存国有企業の私有化は戦略ミスであっ て,今後は私企業の新設の方に政策の軸足を移 し,競争の拡大,企業家の養成および経済の構 造転換を図るべきであると述べている。 18>Csaba〔4〕pユ43. 19) Csaba (4) p.124. 20) Csaba (4) pp.99−100. 21) Csaba [3) p.524,Csaba {4) pp.176,298−3eO. 22) Poznanski (21) pp.206−207. 23) Nove (20) p.227. 24) Stark C25] pp.64−65. 25) Acta Oeconomica (1) p.274.
皿 ラディカリズムの戦略論
次にラディカリズムの戦略論を取り上げてみ よう。筆者の知る限り,もっとも体系的な説を 唱えているのはバルツェロヴィチである。バル ッェロヴィチは経済学者であると同時に実際家 でもある。かれがポーランドにおける経済体制 移行の初期局面で副首相兼蔵相として腕を振るっ たことは,われわれの記憶に新しいところであ る。バルツェロヴィチの戦略論はそうした実務 体験に裏付けられているだけに現実的である。 上に見たグラデュアリストたちはどちらかと言 えば書斎の人であり,その戦略論はともすれば 現実遊離の机上論に流れるところがある。これ に対し,バルッェロヴィチの戦略論は実際的で ある。 1.バルツェロヴィチの戦略 バルツェロヴィチは,1978年に10人の若いエ コノミストたちとインフォーマルな経済改革の 研究グループを結成した。後に「バルッェロヴィ チ・グループ」と呼ばれるようになったこのグ ループは経済改革のシンクタンクとして国内外 の注目を集めるようになり,アドバイザーに外 国の専門家が加わるほどになった。サックス, リプトン,ブルゼスキー(W.Brzeski),ゴム ルカ(S.Gomu}ka),ロストウスキー(J.Ros− towski),ウェリス(S.Welisz)がアドバイザー に名を連ねた。1981年にバルツェロヴィチはポー ランド経済学会の副会長に就任した。 1989年9月にマゾヴィエツキ政権が誕生する と同時にバルッェロヴィチは副首相兼蔵相とし て入閣した。以後バルツェロヴィチは1991年12 月末に退任するまでの2年余にわたって経済体 制移行政策の指揮を執った。 政権への参加にあたってバルッェロヴィチが 描いた体制移行の戦略は,ラディカリズムであっ た。かれはそうした戦略を採るに至った理由と して次の二つのものを挙げている。ひとつはポー ランドにおける過去の経済改革の経験である。 バルッェロヴィチによれば,過去の経済改革は ことごとく失敗したが,それはいずれの改革も ラディカルでなく,体制転換の閾値に到達して いなかったことに因ると言う。もうひとつは理 論的なものである。かれが依拠したのは社会心 理学者フェステインジャー(L.Festinger)の説 である。人間は環境が根本から変化するとその 態度や行動のパターンを変えるというものであ る。 バルッェロヴィチは「ラディカルな改革戦略 が容れられないならば辞める」覚悟で政権に参 加した。かれの固い決意のもとに作成された政 府の「経済プログラム」は1989年末に議会の承 認を受け,1990年1月1日から実施された。 「競争的資本主義市場経済」の実現をめざして マクロの安定政策,ミクロの自由化政策および 制度改革が同時に実行された。バルッェロヴィ チの思い描いたラディカルな移行戦略が始動し たのである。 2.経済体制の分類 バルツェロヴィチのラディカルな戦略論を検 討する前に,回り道をしてかれによる経済体制 の分類を見ておこう。そうした分類によってポ スト社会主義における移行期経済の体制的特質 の把握が試みられているからである。 バルッェロヴィチによれば,経済体制(eco− nomic system)とは生産,貯蓄,投資,消費に 関する決定とその実行にかかわる諸制度と定義 される。経済体制を構成する主要な制度一バ ルッェロヴィチはこれを制度変数(institutional variable)と呼ぶ一は,企業制度,所有構造お よび調整メカニズムの三つである。 26) Balcerowicz (2) p.304. 27) Balcerowicz [2) p.342. 28) Balcerowicz (2) p.344. 29) Balcerowicz (2) pp.125,167. 30) Balcerowicz (2] p.128.企業制度は,企業形態を決定する一般的な法 的フレームワークを意味する。その基本タイプ は次の三つである。第1は閉鎖型である。つま り,私企業は禁止され,国有企業または労働者 自主管理企業のみが認められるケースである。 第2は開放型である。つまり,企業形態の選択 の自由が認められるケースで,私企業および非 私企業のいずれもが認められる。第3は制限的 私有型である。つまり,私企業が原則であるが, 戦略的セクターについて国有企業が認められる ばあいである。 所有構造の基本型は次の三つである。第1は 私的セクターの支配,つまり資本主義型である。 第2は国有企業または労働者自主管理の支配, つまり社会主義型である。第3は第1および第 2の混合型である。 調整メカニズムの基本型は次の三つである。 第1は市場メカニズムである。第2は指令メカ ニズムである。第3は「計画でも,市場でもな い」制限された市場である。つまり,政府の許 認可や基礎的インプット財・消費財の価格統制 が市場と混在するタイプである。 バルッェロヴィチは以上の分類をもとにして ラ 経済体制を次の表のように類型化している。表 のうち歪められた資本主義とは,いわゆる福祉 国家をさしている。移行期経済は自由な移行経 済と制限された移行経済に区別されている。ポ スト社会主義各国がいずれに分類されるかにつ いて説明がないので断定はできないが,たとえ ばチェコは自由な移行経済に,ルーマニアは制 限された移行経済に分類されることになろう。 バルツェロヴィチの経済体制論は,企業制度, 所有構造および調整メカニズムを経済体制の基 本的構成要素と見るという意味で,「企業・所 有・調整の三元論」である。学説史的に振り返っ 31) Balcerowicz (2] p.128. 32) Balcerowicz (2] p.128. 33) Balcerowicz (2] p.128. 34) Balcerowicz (2) p.129. 企業制度 所有構造 調整メカニズム 経 済 体 制 開 放 資本主義 市 場 市場資本主義 閉 鎖 社会主義 指 令 指令社会主義 閉 鎖 社会主義 制限された市場 市場社会主義 制 限 混 合 歪められた市場 歪められた資本主義 開 放 社会主義から 未成熟市場 自由な移行経済 資本主義へ 制 限 遅行的移行 制限された市場 制限された移行経済 てみると,このような三元論は他に例がない。 とりわけ企業制度にスポットをあてたところに バルツェロヴィチ説の個性がある。もっとも, 企業制度と所有構造とは密接な関係にあり,従 来から企業制度の問題は所有構造の一環として 論じられることが多かった。このように見ると, バルツェロヴィチ説は「所有・調整の二元論」 のヴァリアントと規定することもできよう。 移行期の経済の体制的特質は,体制的輪郭の 不鮮明さにある。バルツェロヴィチの三元論は, そうした不鮮明さをそれなりに把握しえている。 しかも,移行期経済を二つに定型化しえたとこ ろに個性がある。 3.ラディカルな移行戦略論 バルッェロヴィチは1990年代におけるポスト 社会主義への移行の特徴を次の5点にまとめて いる。 ①転換の規模が大きいこと。 ②最初に大衆民主主義が成立し,しかる後に 市場資本主義が成立すること。つまり, “democracy first,capitalism later”であ ること。 ③市場志向の改革は民主主義の政治システム のもとで実施されていること。 ④ルーマニアを別として暴力なき移行である こと。 ⑤経済的移行の一般的方向は私企業・市場志 35)詳しくは福田〔5〕第1章を参照されたい。 36) Balcerowicz (2) pp.146,150,155.
向であること。 経済体制の移行戦略は出発時点での状況,つ まり初期条件に制約される。バルツェロヴィチ は,ポスト社会主義諸国に共通する初期条件と ヨのして次のものを挙げている。 ①政府による経済の広範なコントロール ②国家セクターの支配 ③マクロ経済のインバランス ④私的セクターのインフラストラクチャーの 欠如 ⑤資本市場の欠如 ⑥工業偏重の産業構造 ⑦コメコン中心の対外貿易構造 共通の初期条件のほかに,各国に固有の初期 おう 条件もあった。たとえば,労働者自主管理を制 度化していたポーランド,スロヴェニアおよび クロアティアでは企業内および社会における労 働者のパワーは相対的に強力であった。自由労 働組合「連帯」の活動が盛んであったポーラン ドではとくにそうであった。このためポーラン ドには強力な賃金圧力と体制移行に対する労働 組合の抵抗がある。ポーランドとハンガリーに は私的セクターがすでに存在していた。ポーラ ンドの農地の約78%は私的に所有されていた。 対外債務残高はポーランド,ハンガリーおよび ブルガリアで大きく,GDPに占める割合はそれ ぞれ44%,6196,63%であった(1989年)。これ に対してルーマニアの対外債務残高は低く,そ のGDPに占める割合は2%であった(1989年)。 以上の初期条件の制約のもとで資本主義への 移行を実現するためには有効な経済政策を実施 する必要がある。バルッェロヴィチが重視して いる経済政策はマクロの安定化,ミクロの自由 化および制度転換の三つである。 マクロの安定化はショーティジフレーション の解決のための政策である。金融および財政の 37) Balcerowicz (2) pp.190,2eO,312−316. 38) Balcerowicz (2) pp.190,316. 39) Balcerowicz (2) pp.155−157,318−319. 引き締め,賃金抑制がその主たる手段である。 マクロの安定化は,とりわけ高度のオープンイ ンフレーションおよび抑圧されたインフレーショ ンのもとで極端な物不足に見舞われていたポー ランド,旧ソ連およびアルバニアで緊急に実施 される必要があった。 ミクロの自由化はショーティジフレーション の解決および市場化のための政策である。供給 の自由化,価格の自由化,私的経済活動に対す る制限の撤廃,インプット財の中央配分の廃止, 輸出入の数量制限の撤廃,為替レートの統一, 通貨の交換性の回復などがその主たる内容であ る。 制度転換は根本的な経済制度のリストラクチャ リングにかかわる政策である。具体的には,私 有化,反独占政策,中央銀行の独立化,ファイ ナンス・セクターの改革,税制改革,保険制度 の改革,社会的安全ネットの構築などが含まれ る。 マクロの安定化は量的経過政策に,ミクロの 自由化と制度転換は質的秩序政策に分類される と見てよい。 移行戦略にとって問題となるのは,安定化, 自由化および制度転換のポリシー・パッケージ をどのような時間的順序で,いつまで実施する かである。つまり,実施のタイミングとスピー ドである。これらに対するバルツェロヴィチの 解答は,三つの政策を同時に,かつ可及的速や かに実施すべきであるというものであった。 まず,スピードから見てみよう。この点に関 してバルツェロヴィチは最高実行可能速度 (maximum possible speed of implementa一 ラtion)というコンセプトを持ち出す。最高実行 可能速度とは,政策の開始から終了までに要す る理論的に可能な最短時間を意味する。具体的 にそれをどのように計測するかについては説明 はないが,最高実行可能速度を究極的に決定す るのは人間の情報加工能力および学習能力であ 40) Balcerowiez [2] p.320.
ると言う。最高実行可能速度は政策ごとに異な る。制度転換の最高実行可能速度は自由化およ び安定化のそれよりも遅くなる。つまり,時間 がかかる。制度転換に必要な情報量および学習 量は,残りの二つの政策のばあいよりも多くな らざるをえないからである。各政策の最高実行 可能速度を速い方から並べると,安定化,自由 化,制度転換の順ということになる。 バルッェロヴィチは最高実行可能速度に近い 政策オプションをラディカルと呼ぶ。実際に実 行される政策の速度は最高実行可能速度よりも 遅く,しかも国ごとに違いが出てくることは言 うまでもない。 政策の実施に関する時問的順序についてバル ッェロヴィチはどのように考えているか。移行 の出発の時点で安定化,自由化および制度転換 を同時に実施すべきであるというのがバルツェ ロヴィチの考えである。安定化→自由化→制度 転換のように時問的に順を追って実施するとい う漸進的な考えは斥けられる。そうしたグラデュ アリズムは,国有企業におけるソフトな予算制 約および隠された失業(hidden unemployme− nt)を温存し,マクロ経済を不安定にし,歪め られた価格システムを温存し,細目的かつ無定 見な国家干渉を招き,行政に対する経済エージェ ントのレソト・シーキングを増幅させるという 理由からである。もっとも,三つの政策を同時 に実施すると言ってもそれらの間には最高実行 可能速度に違いがあるので,各政策の実効が現 れ,所期の目的を達成するまでに要する時間に は差が出てくる。安定化,自由化,制度転換の 順に効果が出てくることになろう。 バルツェロヴィチのラディカルな戦略論は, 一言で言うと,体制移行の出発時点で安定化, 自由化および制度転換を同時に,しかもトップ 41) Balcerowicz (2] pp.179,241. 42) Balcerowicz [2) p.243. 43) Balcerowicz (2) p.158. 44) Balcerowicz (2] pp.160,162,247,256,326. スピードで実施すべきであるということになる。 バルッェロヴィチはなぜこのような戦略を採る に至ったのだろうか。ポーランドにおける過去 の経済改革の失敗からの教訓と環境の根本的な 変化は人間の行動パターンを変えるという社会 心理学的な理論がその理由となっていることは, 前述の通りである。これらのほかにもうひとつ, 大きな理由がある。1990年代初頭のポスト社会 主義諸国における政治・経済システムの転換に 伴う社会心理的および政治的な状況である。 一般に,政治・経済システムの崩壊やそのド ラスティックな転換,外国の支配からの解放, 終戦などのような社会的大変動の時期には政治 エリートや大衆は平時のばあいよりもより強く 公益のために考えたり,行動したりする社会心 理的傾向がある。このような異常な社会心理的 状況下では通常は受容されそうにもない経済政 策を公益のための犠牲として人々が受け入れる ぺゆ 蓋然性が高まる。同時に旧政治エリートと利害 集団との利害ネットワークが崩れ,利害集団の 圧力から解放された政治状況が出現する。そう した政治状況はテクノクラート的政治エリート おうに対して活動のチャンスを与える。バルッェロ ヴィチは,1989年の東欧革命直後の中・東欧諸 国や1991年のソ連の消滅直後の旧ソ連邦諸国は 丁度このような状況にあてはまると見た。 こうした非常時の社会心理状況は,テクノ・ ポリティシャンに対してラディカルかつ包括的 な経済政策を実施するチャンスを与える。とこ ろが,経験は非常時の状況は長続きしないこと を教えている。ラディカルな戦略の実行可能な 期間は限られている。漸進的な道を選ぶと,時 間の経過とともに公益優先の社会心理が後退し, 利害集団の抵抗も強くなり,体制移行戦略は翻 齪をきたし,ばあいによっては挫折する可能性 ヰのも出てくる。バルッェロヴィチが安定化,自由 45) Balcerowicz C2] pp.209,311. 46) Balcerowicz (2) p.209. 47) Balcerowicz (2) pp.209,312.
r t(時間) 化および制度転換を同時にかつ可及的速やかに 実施すべきだと考えたゆえんである。 バルッェロヴィチは以上の考えを上のように が図示している。図中のrはラディカルな経済政 策の受容のレベルを示している。r=r(t>は時 間の経過とともに受容レベルが低下することを 表現している。図中の政治的資本(political capital)とは,「正常なレベルを超えるrのサー の プラス」である。それは歴史によって贈られる 再生不可能な貴重資源であり,一定の時間の経 過後に急減するという性質をもっている。ラディ カルな経済政策の実行を政治的に容易にする文 字どおりの資本である。政治的資本の存在する 期間が「非常時の政治の期間」であるが,その 存続期間はきわめて短い。政治的資本が消滅し て正常なレベルのrが支配する期間が「平時の 政治の期間」であり,その存続期間ははるかに 長い。バルッェロヴィチは,「非常時の政治の 期間」こそがラディカルな経済政策の実施を可 能にする,と考えたのである。バルッェロヴィ チの考えに立てば,上に見たグラデュアリズム の移行戦略論は政治的資本という非常時のメリッ トを活用しようともしない非生産的な戦略論と いうことになる。 4.その他の説 ラディカリズムの移行戦略を主張する論者は ほかにもいる。シュナイダー(H.K.Schneider) もそのひとりであり,ビッグ・バンの体制転換 らの の利点として次の三つのものを挙げている。第 1に,体制転換の初期の段階では社会主義の排 除が不可欠だが,そのためにはビッグ・バンの 方が有利であり,早期に旧制度が排除されると 体制転換に逆戻りが生じる可能性はなくなる。 第2に,ビッグ・バンの方が人々の考えや行動 を変えやすい。第3に,ビッグ・バンによる社 会主義の排除で資本家の信頼を獲得することが できる。 サックスは,バルツェロヴィチ・グループの アドバイザーの後,ポーランド政府の経済改革 のアドバイザーを務めたことから知られるよう に,ラディカリズムの熱心な唱導者である。ショッ クセラピーの安定化政策とラディカルな制度転 らっ換が彼の戦略論の中核をなしている。 ハンガリーのコヴァーチ(」.M.Kovacs)は, 進化論的グラデュアリズムに対して「設計主義 的合理主義なしに非自発的秩序から出発して自 発的秩序に到達しうるか」という疑問を投げか ける。非自発的秩序からいかにして自発的秩序 に移行しうるのかという点にハイエキアンのディ お レンマがある。設計された社会主義から自発的 資本主義への移行を自然生成の有機的プロセス に委ねるだけで問題は解決するだろうかと言う。 私有化を例にとると,それを自発性に委ねるな らばノメンクラトゥーラを利するだけに終わっ てしまう。万人に平等のチャンスを与えるとす れば,移行の初期局面でノメンクラトゥーラを 差別する必要があるが,そのためには政府によ る上からの私有化を推進しなければならない。 こうしてコヴァーチは一種のdelayed liberal一 48) Balcerowicz {2) p.161. 49) Balcerowicz (2) p.256. 50) Schneider (23) S.9. 51) Sachs (22) 52) KovAcs (16) p.35. 53) Kovacs (16) p.40.
ismを主張する。つまり,移行の初期局面では 政府が前面に出て資本主義への移行政策を積極 的に展開し,資本主義の経済的・法的インフラ ストラクチャーを整備したならば退場すべきで ある,と言うのである。 グロスフェルト(1.Grosfeld)も,コヴァー チと同様に,新しい制度や組織を創造するには ラディカルでなければならないし,そうしてこ そ進化的プロセスが真にスタートしうると主張 みする。体制移行の中核をなす私有化については バウチャー型大量私有化が支持され,進化論者 の私有化案は実行不可能なファーストベストと して斥けられている。私有化についてはシュヴァ ルツ(G.Schwarz)もラディカリズムの立場を 取り,急速かつ包括的な私有化,つまり大量私 有化こそが計画から市場への移行を速め,企業 効率を改善すると主張している。
IV まとめと提言
以上,社会主義から資本主義への体制移行に 関して二つの代表的な戦略論を見てきたが,最 後に筆者の立場から総括を行い,筆者なりの戦 略論を述べておこう。 グラデュアリズムの戦略論を唱えるコルナイ とチャバがハンガリー人であることはすでに述 べたが,そのハンガリーでは1990年から漸進的 な体制移行政策が実施された。と言うよりも, ハンガリー政府は急進的戦略を採る必要がなかっ たという方が正確である。ハンガリーでは1968 年から22年間にわたって市場社会主義が実験さ れ,そのプロセスの中で市場化,競争化,貨幣 化および私有化が推進されていたからである。 市場社会主義の時代は資本主義への移行の準備 の時代であった。1990年3月に登場した民主フォー ラムを中核とする連立政権は,共産党政権のぞ 54) Kovacs (16) p.40. 55) Grosfeld [10) pp.212,224. 56) Schwarz (24) p.37. うした戦略を踏襲するだけでよかったのである。 もっとも,私有化についてだけは4−5年以内 に所有形態に占める私有の割合を50%以上にす るというラディカルな戦略が採られた。過去の 実践において私有化が遅れていたからにほかな らない。1990年以後の私有化は国有企業の株式 の資本市場での売却を主要手段としていたため に予想よりもかなり遅れが出,政府は私有化の 期間を10年に延長した。国有企業のソフトな予 算制約の存続と資本市場の未整備という状況の もとでは売却戦略が遅れるのは当然であった。 手段選択のミスと言わねばならない。 コルナイとチャバのグラデュアリズムは, 1968年から今日に至るまでのハンガリーにおけ るグラデュアルな体制改革戦略と無縁ではない。 ハイエキアン的進化論経済学の論理をもってハ ンガリー型戦略を理想化しようとしたものと言 えば言いすぎだろうか。 グラデュアリストはすべてのポスト社会主義 国で漸進的な体制移行戦略を採るべきだと主張 する。戦略論は,抽象性の高い経済理論の世界 に属するのではなく,実践性の高い経済政策の 範躊に属するものである。抽象性よりも実現可 能性が問われる世界である。実現可能性の面か ら見ると,グラデュアリズムの戦略論はどの国 にも適用できるという性質のものではないこと がすぐ分かる。各国の初期条件がまちまちだか らである。1990年のスタート時点で資本主義の 制度的条件がほとんど存在しなかったチェコス ロヴァキア,東ドイツ,ソ連,ポーランドで資 本主義への移行を自然生成的な有機的発展プロ セスに委ねることができたであろうか。もしも これらの国がグラデュアリズムの道を選んだと すれば,その経済はカオスの道を歩んだであろ う。スタートの時点で基本的な資本主義の制度 的条件が整いつつあったハンガリーであったか らこそグラデュアリズムの戦略が可能だったの である。そのハンガリーにおいてさえ国有企業 の私有化は難航し,最近では私有化の軸足をグ ラデュアルな売却方式からラディカルな大量私有化方式へ移す動きが出ている。国有企業の私 有化はラディカルな方が効果があることがはっ きりした。歴史的経路依存(historical path dependence)を強調し,国別・地域別の特殊事 情を重視する進化論的経済学を奉じているはず のコルナイとチャバはこのような事実に気づか なかったのであろうか。コルナイやチャバの戦 略論の難点はポスト社会主義諸国における初期 条件の多様性を無視したところにある。 バルッェロヴィチの戦略論は,ポーランドの 体制移行政策のリーダーとしての体験に裏打ち されているだけに現実的である。副首相兼蔵相 としての実績を正当化しようとする嫌いがない わけではないが,国ごとの初期条件の違いを認 識しつつ自分の戦略論の妥当性を慎重に見極め ようとする姿勢には好感がもてる。ショーティ ジフレーション,多額の対外債務残高,資本主 義的な制度的条件の不在というポーランドの初 期条件のもとではラディカルな戦略しか選択の 余地がなかったと言うのである。ハイエク的自 然生成主義に呪縛:され,初期条件を無視してそ の戦略論のいわば普遍妥当性を主張するグラデュ アリストよりもはるかに科学的な態度であると 言わねばならない。 もっともグラデュアリストもラディカリスト も自由主義者であることに変わりはない。両者 とも資本主義の擁護者であることに変わりはな い。異なるのは資本主義への移行の戦略である。 グラデュァリストは市場主導の下からの移行を 主張し,ラディカリストは国家主導の上からの移 行を強調する。このような意味でグラデュアリ ストはハイエク的自由主義の立場を取り,ラディ カリストは国権的自由主義(etatist liberal一
ism)の立場に立つと言える。実践性や実現可 能性が問われる戦略論として見れば,ハイエク 的自由主義よりも国権的自由主義の方に軍配を 上げざるをえないであろう。強力な国家権力の 行使なしに資本主義への転換を実現できると言 57) Kornai [15) p.38. うのは現実遊離のドグマ以外の何ものでもない。 筆者の立場は国権的自由主義に近い。ポスト 社会主義諸国における資本主義への初期局面で はラディカルな戦略を採るべきであるという意 味においてである。スタートの時点で基本的な 資本主義的制度条件が不在の国々では私有化, 市場化,競争化および貨幣化を同時に,かつトッ プスピードで実施する方が得策である。私有制 度,市場価格メカニズム,競争市;場および貨幣 経済(金融市場,資本市場)は資本主義の基本的 フレームワークである。そうした基本的フレー ムワークは可及的速やかに制度化することが望 ましい。 とりわけ,資本主義の根幹をなす生産手段の 私有方式のフレームワークは早急に制度化しな ければならない。私有化は二つの部分から成る。 現存国有企業の私有化と私企業の新設である。 前者はさらに所有権の民間への移転と私的営利 会社への転換の二つの部分から成る。ポスト社 会主義諸国の政府が重点を置いたのは,そして また専門家たちが問題にしたのは,国有企業の 所有権の民間への移転であった。ラディカリス トはバウチャーによって一度に大量の国有企業 の所有権を民間へ移転することを主張した。そ うした意見を容れてチェコスロヴァキア,ロシ アおよびリトアニアの政府はバウチャー私有化 を実施した。チェコスロヴァキアでは1992年3 月から12月前かけて1回目のバウチャー私有化 が実施され,1491の中・大型国有企業の所有権 が民間へ移転された。1993年に独立したチェコ 共和国では第2回目のバウチャー私有化が1994 年の3月から11月にかけて実施され,861の中・ 大型国有企業の所有権が民間へ渡った。ロシア のバウチャー私有化は1992年6月から1994年7 月にかけて行われ,約1万6000の中・大型国有企 業の所有権が民間へ移転され,約4000万人の株 主が登場した。バウチャー型大量私有化は資本 58) Lieberman (17) p.7. 59) Lieberman (17) p.16.
市場の拡充を促した。チェコスロヴァキアでは バウチャー私有化に伴う大量の株式取引を仲介 する投資会社が1992年の第1回目のバウチャー 私有化の期間に436も登場した。これらの投資会 社は民間主導で設立されたものである。資本市 場への参入の自由が認められたことが投資会社 の群生を招いたのである。1993年4月置およそ 50年ぶりに営業を再開したプラハ証券取引所で は,第1回目のバウチャー私有化の意図せざる 結果として約1000社の株式が取引されるように の なった。 チェコスロヴァキアの経験が教えるように, 大量私有化は資本市場の拡充に貢献し,逆に資 本市場の拡充は大量私有化を容易にすると同時 に私有化された企業(所有権が民間へ移転された 企業)の私的営利会社化をも促進する。資本市 場(とりわけ投資会社)によるコーポレート・ガ バナンスは私有化された企業の財務リストラク チャリングを促し,営利会社への転換を加速す るであろう。 コルナイやポズナンスキーやチャバらのグラ デュアリストの私有化戦略は,市場メカニズム を過信したものである。市場メカニズムによっ て国有企業が淘汰されたり,自然に私的営利会 社へ転換したりするだろうか。むしろハンガリー の市場社会主義の経験は国有企業の存続は市場 メカニズムを阻害することを教えている。筆者 が別の機会に詳述したように,国有企業は市場 メカニズムのブレーキとなる。体制移行の出発 時点でロシアには大型国有企業だけで約2万 5000,ポーランドには約8500,チェコスロヴァ キアには約6000のものがあった。これらを市場 の有機的発展プロセスに委ねるとしたらどうな るであろうか。市場メカニズムの機能が著しく 阻害されたり,その制度化が大幅に遅れてしまつ 60) Lieberman {17) p.8. 61)私有化戦略に関する筆者の見解については福田 〔8〕を参照されたい。 62)市場メカニズムに対する国有制のブレーキ効果 については福田〔7〕第3章を参照されたい。 たりするであろう。バルツェロヴィチの言うよ うに,利害集団の抵抗にあって営利会社化はお ろか所有権の移転すら阻害されることにもなろ う。このような状況は実際にも生じている。ポー ランド政府は国有大企業の所有権の民間への移 転の方法として資本市場(証券取引所,店頭市場) での株式の売却を選択したが,「連帯」をバック にした労働者の抵抗にあって大幅に遅れてしまっ た。ハンガリーでも国有大企業の株式の売却方 式が選択されたために国家官僚に巻き返しのチャ ンスを与えてしまった。その結果,1992年6月 に恒久国家所有に関する法律が制定され,冶金・ 車両・公益・電気通信などの重点産業に属する 160の大企業が引き続き国家官僚の統制に服す ることになった。売却方式でさえこのような抵 抗や逆流を生じさせる。国有企業の私有化を市 場に委ねてしまったら,一体どうなるだろうか。 官僚や労働者や利益団体の抵抗・反対の社会的 費用は膨大になるであろうし,国有企業のレソ ト・シーキングやソフトな予算制約は温存され, 経営効率は改善されず,国有企業の私有化は難 航することになるだろう。 グラデュアリストの私有化戦略は,国有企業 の所有権移転の手続きを飛ばして,いきなり私 的営利会社化を問題にしているような印象を受 ける。国有企業の営利会社化は国有企業の自助 努力だけでは不十分でファイナンス市場による コーポレート・ガバナンスを必要とする。この 限りではグラデュアリストの言うように市場の 有機的発展に頼らざるをえないであろう。しか し,有機的発展プロセスが始動するためにはそ の前段階として国有企業の所有権を一挙に,か つ大量に民間に移転しておく必要がある。グラ デュアリストの戦略論はこのような手続きを省 略した実効性の乏しい観念論と言わざるをえな い。 ポスト社会主義諸国における体制移行に関す る最近の論調を展望すると,ハイエク流の2分 63)Major〔18〕pユ24.
法が流行していることが気にかかる。資本主義 は自発的秩序であり,社会主義は設計された秩 序であるという2分遅である。グラデュアリス トが好んで口にする論法である。資本主義は自 然に生成した秩序なのか。1940年代末にドイツ は国家社会主義という名の統制経済体制から二 つの経済体制を選択した。東ドイツはソ連型社 会主義.を,西ドイツは資本主義を選択した。両 国政府はともにこれらの経済体制を設計したと 言えないだろうか。西ドイツ政府はアメリカの 支援のもとに社会的市場経済を設計したのでは なかったか。同じく日本政府は第2次大戦後に アメリカの支援のもとに日本型資本主義をデザ インしたのではなかったか。資本主義は自生的 秩序というハイエク的解釈は再検討する必要が あろう。 体制移行の初期局面では国家が積極的に前面 に出て資本主義の基本的制度を建設すべきであ るが,その建設が完了したならば国家は徐々に 経済の運営から身を引くべきであるというのが 筆者の戦略論である。チェコのクラウス・グルー プと同様の戦略論である。筆者の戦略論の背後 には国家の役割は原則として制度的フレームワー クの形成・維持・改変という経済秩序政策に限 定し,生産・投資・貯蓄・消費などの経済経過 は民間主導に委ねるべきであるというオイケン (W.Eucken)流の考えがある。資本主義の制 度がほとんど不在のポスト社会主義諸国では当 面国家が,民間主導の経済運営が可能となるよ うな制度的フレームワークを可及的速やかに形 成せざるをえない。資本主義はそうしてこそ成 立し機能するのであり,政治システムがオート クラシーからデモクラシーに転換すればひとり でに生成するというようなものではないのであ る。
参照文献
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