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自律的な日本語学習を目指した授業に対する教師のイメージ : 経験年数による比較

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自律的な日本語学習を目指した授業に対する教師のイメージ

―経験年数による比較―

藤田 裕子 要 旨  教師歴が長くても、新しい教育方法で授業を実施することは難しい。その理由として、 1つは自分が学習者であった頃の授業イメージを頼りに授業を行うことが難しいこと、も う 1 つはそれまで培ってきた実践的知識や能力の適用範囲が制限されることが考えられ る。本研究では、自律的な日本語学習を支援する経験年数が異なる教師を対象とし、自律 的な日本語学習を目指した授業のイメージの調査結果の比較から、教師の実践的知識を探 った。分析の結果、学習者の自律性を尊重することへの理解、教師の役割、視野において、 経験年数による違いが認められた。そして、自律的な日本語学習を支援する教師の実践的 知識として、1)教えることを待つこと、2)学習者の学習を観察すること、3)学習者の変 化を認めること、4)学習者を信じること、5)長期的視野を持つこと、の 5 点が抽出された。  【キーワード】 自律、日本語学習、実践的知識、授業イメージ、PAC 分析 1. はじめに  近年、外国語教育において学習者の自律性を尊重した教育が注目され、実施され始めて いる。Horec(1981)によれば、自律とは自己の学習に責任を持つ能力であり、自律的な学 習とは学習の目標を定め、内容と進度を決め、用いる方法を選び、言語習得が適切に進んで いるか否かを点検し、習得したことを評価する等、学習に関する全てのことについて学習 者が責任と決定権を持つことである。ただし、自律性は誰もが初めから持っているもので はなく教育の中で育てるものであり、教師は重要な役割を持つとされる(梅田 , 2005)。しか し、齋藤(1996)は日本語教師と日本語学習者に自律的な学習に関するビリーフスについて 質問紙で調査し、学習者より教師の方が自律的であるが、現実的には自律的な学習の実現 は難しいと考えていることを報告している。また、三宅・福島(2005)は教師にインタビュ ーを行い、自律的な日本語学習を目指した授業に対する戸惑いを明らかにした。これらは 自律的な日本語学習の支援は容易ではないことを示しているが、それはなぜであろうか。  教育方法のあり方について論じる際、授業の主導権が教師と学習者のどちらにあるかで 「教師主導型」と「学習者中心型」が区別されることがある。前者では教える側の作成した カリキュラムに沿って授業が進行し、基本的に知識・技能の習得が学習者に求められるの に対し、後者では学習者の興味・関心・要求が最大限に尊重され、教師は学習者の援助者 として位置づけられる(市川 , 1995)。以上の定義から考えると、自律的な日本語学習を目 指した授業は学習者中心型を志向する授業であり、多くの教師が経験してきたと想定され

̶研究論文̶

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る教師主導型の授業とは異なると言える。このような授業を行うに際し、教師がどのよう なことを体験し考えるのかを考察し、自律的な日本語学習の支援が難しい理由を考えたい。  秋田(1996)によれば、教師と他の職業における職業参加の仕方の違いは 2 点である。1 点目は、多くの人が教職生活の開始以前に学習者として長い被教育経験を持っているため、 強固な授業イメージが形成されている点である。2 点目は、教師は他の多くの職業のよう に先輩や同僚の仕事を観察し相互作用する中で仕事を学び、より高度で責任のある仕事を 任されるようになるのではなく、教室という閉鎖的空間の中で新任者も全責任を負い、他 者の仕事ぶりを観察する機会が少ない点である。以上 2 点より、新任者は自分が学習者で あった頃の授業イメージを頼りに授業を行わざるを得ない。しかし、自律的な日本語学習 を目指した授業において教師に求められることは学習を支援することであって知識伝達で はない。そのため、教師主導型の外国語の授業を多く受けてきた教師は、自分が学習者で あった頃の授業イメージを頼りに授業を行うことが難しい。また、実践の場で獲得、生成 され、領域固有、場面固有に働く実践的知識は、言語化した説明は難しく、本人にも自覚 されない暗黙知のような性格を持つ(秋田他 , 1991)。さらに、熟達者はそれぞれの領域で は優れた能力を習得しているが、その能力は領域特殊性による厳しい制約を受ける(大沢 , 1982)。これは、ある領域で熟達した能力はそれ以外の領域では適用範囲が制限されると いうことであり、教師主導型の授業を行ってきた教師も、自律的な学習の支援を行う際に はそれまで培ってきた実践的知識や能力の適用範囲が制限されることを意味する。つまり、 教師歴が長くても、新しい教育方法を実践する際には新任者が初めて授業を担当する際と 同様の体験をすると考えられるのである。このようなことが自律的な日本語学習の支援を 難しくしているのではないだろうか。  以上のことを踏まえると、「自律的な日本語学習を目指した授業」に対する教師のイメー ジを検討することが重要であり、経験を積むことによってそのイメージがどのように変化 するのかを調査し、その変化から教師の成長を考え、実践的知識を解明することが必要で あると考えられる。そこで本研究では、自律的な日本語学習の支援経験が異なる教師を対 象に調査を行い、結果の比較から教師の実践的知識を探る。 2 . 先行研究  新任者と熟達者の特徴を見出すための研究は多数行われている。どのような教師を新任 者、熟達者とするか、またその呼び方も研究者によって異なるため、ここでは呼び方に関 しては各研究で使用された名称を用い、〔 〕に経験年数を入れて紹介する。  佐藤(1989)は、初任教師〔1 年目〕は「子供との対応の難しさ」、「『教える』という概念の 未熟さ」、「授業の問題を的確に把握できない」という問題点を抱えていると指摘した。吉 崎(1997)は、初任教師〔1 年目〕の 1 学期目は授業を計画通りに進めたい気持ちが強いため に教師主導型の授業になりがちであり、子供の反応が予想できないことに対する不安があ るとして、佐藤(同)の知見を部分的に支持している。一方、木原(2004)は佐藤(同)の知 見に対してより詳しい 1 年間の追跡調査を行い、初任教師〔1 年目〕は 8 ヶ月を過ぎる頃か

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ら自己が抱える問題を把握しその解決の方途を意識はできるようになるものの、授業中に 実行するには至らないことを示した。芥川・澤本(2003)は、教職課程履修生は他の教師の 授業を見て規範的・情意的な判断を一方的に下すのに対し、熟練教師〔15 年以上〕は授業 者の話を聞きたいと考え、判断を保留する傾向があると報告した。八木・吉崎(1990)は、 同じ単元を教える新任教師〔1 年目〕と熟練教師〔21 年目〕の授業を比較し、教材内容につい ての知識、教授方法についての知識、学習者についての知識について両者に差異があるこ とを明らかにし、これらの組み合わせによる複合的な知識は教材内容との関わりの中で生 じる特殊的・具体的な知識であり、実践を通して獲得される実践的知識であるとした。佐 藤他(1990)は、初任教師〔2 ヶ月または 1 年 2 ヶ月〕と熟練教師〔18 年から 32 年〕を比較し、 後者には実践的知識が豊かに存在し、彼ら特有の実践的思考様式に支えられて機能してい ることを示した。なお、日本語教育においては小澤他(2005)や野口(2005)が佐藤他(同) の結果を支持している。  以上の研究から新任者と熟達者には、問題把握や対処の仕方、教材内容・教授方法・学 習についての知識、思考様式などの点で違いがあることが分かる。一方、授業イメージに 関しては、秋田(1996)が新任教員〔5 ヶ月〕は授業を「伝達の場」、中堅教員〔3 年から 20 年〕 は「共同作成の場」として捉える傾向があることを示し、両者に違いがあることを明らかに している。  しかし、このような研究の蓄積があるのは知識を伝達する一斉授業、もしくはそのよう な教育方法を前提とした授業を担当する教師を対象とした場合についてである。では、自 律的な日本語学習を支援する教師を対象とした場合はどうであろうか。熟達者の能力が領 域特殊性による制約を受けるのであれば、先行研究の知見は強固な授業イメージが形成さ れている新任者同士には重なる部分が多くても、熟達者同士には重ならない部分が生じる のではないだろうか。そして、その共通しない部分が自律的な日本語学習を支援する教師 の実践的知識に関わるのではないだろうか。また、先行研究では新任者と熟達者の 2 者を 比較するものが多いが、経験年数により 3 者を比較したらどうであろうか。このような疑 問を明らかにすべく、本研究ではこれまで取り上げられてこなかった大学における自律的 な日本語学習を支援する経験年数の異なる 3 者を対象とする。 3. 調査方法 3. 1 対象授業と調査協力者  本研究の対象授業は、東京の中規模私立大学の日本語プログラムにおける学部留学生と 上級の短期留学生に対する授業である。学習者は中国・韓国の出身者が約 9 割を占め、学 習者への聞き取り調査によれば教師主導型の教育に慣れた者が多い。授業では学習者の希 望により、日本人大学生のボランティア(以下「クラスゲスト」)を迎えることもある。  学部留学生対象の授業は「チュートリアル」という授業で、本研究の分析対象となる 2006 年度春学期には 6 クラスにおいて週 2 回の 90 分授業が行われていた。授業の目標は学 習者が自分に必要な学習を自分で行えるようになることであり、授業の流れは個別ニーズ

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の明確化、学習目標の設定、評価方法の決定、個別の学習、学習の評価である。授業では 学習者が自分で決めた内容を学習し、教師がそれを支援する。学習内容は様々であり、専 門の授業に必要な語彙の学習や新聞の読解、クラスゲストとの会話を行う者もいる。この 授業は 2003 年度春学期から開講されたが、学期開始前に授業に関わる教師全員が先行研究 を読み、実施に必要な配布物や資料を作成して授業に臨んだ。その後も 2 年間は勉強会が 自主的に開かれ、教師たちは自律的な学習に対する理解を深めていた。  一方、上級の短期留学生対象の授業は「上級コア」という授業で、本研究の分析対象とな る 2007 年度春学期には 4 クラスにおいて週 1 回の 90 分授業が行われていた。授業の目標は 留学生活のまとめを行うことであり、先週のハイライト・ポートフォリオ・発表の準備を 主な活動として行った。先週のハイライトとは、先週の学びについて学習者が作文を書き、 その中から教師が1つ選びクラス全体で話し合う活動である。ポートフォリオとは、自分 の学習成果が分かるよう目次を付け、学習過程が見える形にしてファイリングするもので ある。発表の準備とは、学期末の 4 クラス合同発表会に向け、グループでテーマを決めて 調べるものである。このように、活動は決まっているものの教師の教える内容が決まって いるわけではなく、学習者が題材を選び学習を進める。この授業は専任教員の提案により 2007 年度より開講された。担当教師 4 名は調査対象校に就任して日が浅く、このような授 業の担当は初めてであったため、学期開始前に専任教員から授業方針に関する説明があり、 教師主導型の授業とは異なることが確認された。ただし、学期中は専任教員からの強い提 案や指示等はなく、授業運営は担当教師に任された。  以上のように、対象者や授業の目的、活動内容、授業開始までの経緯等に違いがあるも のの、一斉授業で教師がいわゆる日本語の知識を教えるのではなく、学習者の自律性を尊 重する授業であるという点において 2 つの授業は同じ性格を持つ。  調査協力者は以下 3 名である。教師 A は短期留学生対象の授業の担当で、以前教師主導 型ではない授業を試み、タスクを与えて教師はできるだけ何もせず学習者から要求があれ ば答えるという形を採り、失敗した経験があるという。また、教師主導型の指導スタイル が自分の中である程度固まっており、学習者中心型の授業がどのようなものかよく分から ず試行錯誤しているとも述べた。調査を行った 2007 年 7 月時点で、教師 A は日本語教師歴 21 年、自律的な日本語学習の支援経験は 1 学期(4 ヶ月)であった。教師 B と C は学部留学 生対象の授業を 2003 年度から担当しており、教師 C は他校でもこのような授業の経験があ る。調査を行った 2006 年 7 月時点で教師 B は日本語教師歴 26 年、自律的な日本語学習の支 援経験は 7 学期(3 年半)、教師 C は日本語教師歴 17 年、自律的な日本語学習の支援経験は 11 学期(5 年半)であった。 3. 2 分析方法

 本研究では、PAC(Personal Attitude Construct:個人別態度構造)分析(内藤 , 2002) を用いる。PAC 分析とは、当該テーマに関する自由連想、連想項目間の類似度評定、類似 度距離行列によるクラスター分析、当人によるクラスター構造のイメージや解釈の報告、

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研究者による総合的解釈を通じ、個人別にイメージ構造を分析する方法である。調査協力 者が 1 名でも分析でき、個々の体験に関する個別のイメージの分析に適しており、調査協 力者自身の見方に沿った変数を取り出すことや、分析結果を調査協力者と協働して解釈す ることが可能である。  PAC 分析の手順は以下の通りである。1)「自律的な日本語学習を目指した授業」という 言葉から連想される項目を 1 枚のカードに 1 つずつ自由に書いてもらう。2)連想終了後、 内容の肯定・否定に関わらず、調査協力者にとって重要であると感じられる順にカードを 並べ替え、その順位をカードに記入してもらう。3)項目相互を比較し、2 つの項目が直感 的イメージでどの程度近いかを 7 段階で評定してもらう。4)研究者がカード間の評定結果 をクラスター分析(ウォード法)で処理し、分析結果(図 1 から 3 参照)に、調査協力者が書 いた項目を記入する。5)図に基づいて面接調査を実施し、図の分け方(以下分けられた項 目の固まりを「クラスター(CL)」とする)、各 CL から浮かぶイメージ、CL 間の関係、全 体のイメージ、各項目の意味とイメージ(+/ 0 /−で評価)1 について尋ねる。 4. 分析結果 4. 1 教師 A(短期留学生担当、自律的な日本語学習の支援経験 4 ヶ月) 4. 1. 1 教師 A による CL の解釈  図 1 は教師 A の分析結果である。図の左端の数字は項目の重要順位、横軸は項目間の距 離2、項目の後の(+/0/−)は各項目のイメージを表す。以下、調査協力者の連想項目 とそのイメージを[ ]、各 CL のイメージと全体のイメージを〈 〉に入れ、CL ごとに項 目と発話を整理して記載する。  CL1 は[何をやったらいいのか分からない]から[手探りでやっていた]までの 10 項目: 授業そのものというよりも、やることが決まってなくて、学生が書いてきたものについて 話すというので、何も予定が立たないということでしょうね。もちろん、出してもらった ものをチェックして後で学生に渡すということもありますけど、結局そういうのはあまり やりませんでした。というのは発表の方が中心になってきたので。あとはポートフォリオ がありますが、それについてやるというのはなかったです。  CL2 は[学生の考えが分からない]から[授業外活動が多い]までの 5 項目:[学生の考え が分からない]は[フィードバックがない]につながるんですが、授業をどう考えてるかで すね。普段の授業だったら、教えると「分かった、分からない」となるんですが、何をして いるのかが学生もよく分からなくて言いようがなかったんでしょう。学生に「どうして(授 業を)こういうやり方にしたのか。」と聞かれて、「そうなってる。」と答えました。「テキス トではなくて、何かやる中で日本語を使えるようになっていく。上級だから、もうそのく らいの段階ですよね。」というのは言いました。[何をしてたかな]は学生は発表が中心にな ってはっきりしたと思います。むしろ私の方が学生が今何を考えてどういうふうになって るか、何かプラスになってるのか、というのが見えないということです。教師のしたこと がよく分からなかった。結局、スケジュール調整と学生が書いて来たものをチェックする。

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あとアドバイスぐらいですね。  CL3 は[クラスゲストの扱いが難しい]の 1 項目:クラスゲストが時々来なくなるのが一 番大きいですね。私は発表をメインにして、クラスゲストも一緒に調べてくれるようなこ とをイメージしてたんですが、やっぱりゲストなんですよね。ちょっとお手伝いするとい うぐらいで。だからそれが最初に予定してたのと違うなという感じがありました。  CL4 は[バラバラ]・[多すぎる]の 2 項目:これはコース全体の構成、あるいは授業内容 かな。発表とポートフォリオと書いてきたもので話すという 3 つが全然リンクしてない。 最終的にポートフォリオを出したり、文集を出したり、その途中で何か書いたりというの で学生は結構大変だったと思います。全体に課題が多かった。  CL5 は[発表はおもしろかった]・[発表があって形になった]の 2 項目:私のクラスは発 表のクラスですね。発表を一番早く取り入れて、早い段階から学生にテーマを決めてもら って、グループに分かれて活動してたので。アンケートを取りに行くのに授業を当てたり もしてました。発表は満足いくものでした。ただ、[バラバラ]とつながるんですが、クラ ス全体の目的を発表会での発表に当てれば授業が組みやすかった。つまり、発表の練習を ここで入れるとか、プレゼンテーションの仕方について話すとかできたんですが、結局他 のことがいろいろあってそれができなかったという反省はあります。発表の活動自体は学 生によるだろうと思います。していることが自分の興味のあることだった学生は積極的だ ったし、いろいろ学んだと思うけれども、たまたまそのグループに入ってしまった学生は 少し退屈だったかもしれない。 図1 教師Aの結果 何をやったらいいのか分からない(−) どうしよう(−) 何が出てくるか分からない(0) 先が見えない(−) 不安 (−) 困った (−) 準備できない (−) 予定が立たない(−) システムがない (−) 手探りでやっていた(0) 学生の考えが分からない(−) フィードバックがない (−) 教師の役割が見えない(−) 何をしてたかな(−) 教室外活動が多い(+) クラスゲストの扱いが難しい(−) バラバラ(−) 多すぎる(−) 発表はおもしろかった(+) 発表があって形になった(+) 4) 6) 13) 19) 9) 10) 17) 18) 2) 14) 15) 16) 5) 12) 20) 11) 1) 3) 7) 8) 距離 10.27 0 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ CL1 CL2 CL3 CL4 CL5

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 全体について:最初の段階で我々が納得してないまま進んでしまった。で、ちょっと予 定の立て方が甘かった感じがします。とにかく学生が書いて来たら見て、何するみたいな ので、それ以外結局何もないという。発表と言ったのは、発表が何日と決まっていると割 とパーッとシステムが出てくるんですよね。この辺で練習して、ここでアンケート作って みたいに。そういう感じは全然なかったですね。全体のイメージは〈暗中模索〉です。 4. 1. 2 教師 A についての総合的解釈  CL1:学生が書いてきたものを題材にして話すという活動のため授業計画が立てられな いという教師 A の不安や困惑が強く感じられ、CL1 は〈授業の不確定さに対する不安〉を表 すと考えられる。  CL2:教師 A は最後までこの授業における教師の役割が見出せず、学習者の考えや授業 が学習者のためになっているのかを把握できなかったようである。学習者に授業方法につ いて問われた際、開口一番「そうなってる」と答えたところに、この授業に納得していない ため責任は持てないというような教師 A の気持ちが読み取れる。CL2 は学習者の考えも授 業の意義も把握できず、教師の役割が果たせない教師 A の状態が表れているため〈見えな い教師役割〉と名づけられる。  CL3:クラスゲストをどの程度授業計画に組み込めるかの判断が難しく、さらにクラス ゲストが期待通りに動いてくれない等、自分のイメージとは異なるクラスゲストへの感情 が窺える。〈クラスゲストに対する失望感〉と命名できよう。  CL4:互いに関連付けられない 3 つの活動があり、授業計画が立たずに戸惑う教師 A の 様子が浮かび上がる。発表に加え、ポートフォリオや文集の原稿等、課題の多さに言及し ているが、その裏に発表の準備に十分時間が割けなかったという不満や授業そのものに対 する不満が読み取れる。CL4 は〈思い通りにならない授業への不満〉と解釈できる。  CL5:教師 A は発表の準備に率先して取り組み、他の活動がなければクラス全体の目的 を発表会に当てたかったとさえ述べている。発表の準備は教師 A にとって唯一確かな活動 であり、教師役割が果たせるものであったと考えられるため、CL5 は〈手探りの授業にお ける拠り所〉とまとめられる。  全体について:項目のイメージに[−]が多いのが特徴的である。これは、全体的イメー ジが〈暗中模索〉であり、予定が立たず何をすべきか分からない、教師の役割や学習者の気 持ちが分からない、クラスゲストが思うように活用できるか否か分からない、各授業活動 のつながりが分からない等、「分からない」ことから生じる不安が要因であると思われる。 一方、[+]は 3 項目であるが、そのうち 2 項目は発表についてであり、[教室外活動が多い] もアンケート調査を教室外で行う等、発表の準備に関わることを含むと考えられる。教師 A は発表の準備を主な活動としたが、それは「分からない」ことから生じる不安への対処で あると推察され、「グループ発表の良し悪しは学習者によって異なる」という意味の発話か らも、学習者のニーズを尊重して自律的な学習を支援するためとは言い難い。教師 A は以 前「教師主導型」ではない授業を試みた際、「教師主導型」の対極にあるものが「学習者中心

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型」・「学習者の自律性を尊重した教育」であり、前者の場合は教師が積極的に授業を進め るのであるから、後者の場合は教師は極力何もしないものであると考え、実行し、失敗し たのではないだろうか。そこで今回は何かをする必要を感じたが、授業の意義も学習者の 考えも把握できなかったため、教師としての役割が果たせると感じた発表の準備を主な活 動としたと推察できる。この教師 A の状態は、初任教師は「子供との対応の難しさ」、「授 業の問題を的確に把握できない」という問題点を抱えている(佐藤 , 1989)、初任教師の 1 学 期目は教師主導型の授業になりがちで子供の反応が予想できないことに対する不安がある (吉崎 , 1997)という結果を支持するものである。  以上のことから、教師 A は日本語教師歴は 21 年であるが、自律的な日本語学習を目指 した授業においては新任者と同様で、教師主導型の教育観を持ち、教師の役割が見出せて いない状態にあると考えられる。 4. 2 教師 B(学部留学生担当、自律的な日本語学習の支援経験 3 年半) 4. 2. 1 教師 B による CL の解釈  教師 B の分析結果が図 2 である。CL1 は[支援]から[情報へのアクセス]までの 5 項目: 学生が自分でニーズが分かっているとは限らないし、自分が感じたニーズが本当のニーズ なのかというのも難しいだろうと思います。でも、学生の自律性を尊重した支援というの は学生の自律性を信じた上での支援ですよね。そうした場合、本当に正しい方向に彼らが 行けるのかはやはり難しいなあと。「あなたには文法の勉強が必要なんです。」と言うこと が本当に学生のためになるとしても、それが正しいのか、自律性はどこにいくのかという 感じがします。・・・強制力が正しければやりたいですし、学生が「このやり方やってよかっ たな」と気づけば強制したことにならないと思います。でも学生が「やらされた」と思い続 けると強制されたことになるので、アドバイスすることには不安もあります。行使するこ とが指導なのか支援なのか分からないわけで、教師も「自由」が難しいですね。[情報への アクセス]は単なるネット検索よりも広いもの。生活全体で自分に必要な情報に自分でア クセスできる力、知的な生活力とも言えるかもしれませんが、そういう力をつけることが 自律性への道だと思うんですけど、アクセスすることが自分のやりたいことにつながるっ て学生が気づかなければだめだと思います。それは自由にして気づくのか・・・でもやっぱ り仕掛けみたいなものがある方がより気づくかなと感じます。  CL2 は[自分で決める]と[自分の状況の分析]の 2 項目:自分で自分の状況を分析して、 自分の方向に進むことはそんなに簡単なことではないですね。手段がない場合もあるだろ うし、簡単に目標に到達できないとなったときには大変だろうし。人から見たらこうすれ ばいいということがあっても、多分学生の中には説明できないいろんな要因があるから、 学生が状況の分析を自分でするのは難しいでしょうね。  CL3 は[何のため]と[(会話練習の際の)自然さ]の 2 項目:チュートリアルでクラスゲ ストとする会話練習は果たして自然なのか、日本語の授業の中のディスカッションとか意 見交換とかではなくて、会話の練習をここでやることが果たして本当のことにつながるん

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だろうかと思ってるんでしょうね。自分の問題を解決しなくちゃいけないとか、自分の意 見を通したいとか、切実な問題で人は話すだろうと思うから、そういうモチベーションが ない状況での会話練習に私自身がすごく確信を持てなくてこれを書いたように思います。  CL4 は[問うことで何かが引き出せる?]から[関わり方の深さ]までの 5 項目:この授業 では最初から問うことがすごく大きかった気がするんです。「何のために?何がしたいので すか?」みたいな、あなたの話を聞こうという態度。私はそういうふうには日本語教育で 関わっていませんでしたが、先行研究を読むとやはり問うことが大きい。自律的であるこ とを促したりその人に気づかせたりすることと関係あるようだと分かってるんですが、多 分相手の状況に対する想像力と関係があって、相手の主体性というか人格みたいなものを 信じつつ問わなきゃいけなくて、その辺が難しい。で、どうするかと言うと、学生の様子 を見て記録をつける。でも時間との戦いもあって一部しか残らない。・・・学期が終わった後、 「実は結婚してるんです。」と言われてショックを受けました。問うだけでは、結局問いた いことしか問えない。だから、「問うんだ、その材料を集めるために見るんだ」というので は多分だめなんでしょうね。・・・信頼関係は、授業を提供してる教師の方に責任があるわ けで、それがないところでは学習者は自律的であることを十分に伸ばせないだろうと思い ます。  全体について:自分の本当の状況を自分で認めなければ相手に認めさせることはできな いし、自分を裏切れば相手も裏切ることになるという意味では、かなり本音で向き合わな ければならない感じがします。いろいろと話してきて、今〈自分に向き合う〉という結論に 達しました。 図2 教師Bの結果 4. 2. 2 教師 B についての総合的解釈  CL1:教師 B は、学習者が自分で本当のニーズを見出し、正しい方向に進むことは難しい と感じ、学習者の考えが教師の考えと異なる場合、教師の強制力を行使すべきか否か悩ん 支援(+) 「自由」の難しさ(+) 学生のニーズ(+) 強制力があるか、行使することは正しいか(+) 情報へのアクセス(+) 自分で決める(+) 自分の状況の分析(0) 何のため(0) (会話練習の際の)自然さ(0) 問うことで何かが引き出せる?(0) 相手(学生)の状況に対する想像力(+) 学生の様子(0) 記録の意味(0) 関わり方の深さ(0) 1) 2) 3) 13) 5) 7) 12) 10) 14) 4) 6) 11) 8) 9) 距離 7.61 0 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ CL1 CL2 CL3 CL4

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でいる。CL1 は〈学習者の自律性の尊重と教師の強制力の行使の難しさ〉とまとめられよう。  CL2:学習者の内面には学習者自身では説明が難しい様々な要因があると思うため、学 習者が自分で自分の状況を分析し、進むべき方向を決めることは容易ではないという教師 B の考えが表れている。そのため〈学習の方向性を見定めることの難しさ〉と命名できる。  CL3:教師 B は、人は本来何か切実な問題がある場合に話すと考えるため、そのような 動機がなく、知的でもない、雑談のような会話練習に疑問があり、さらにそれが自然であ るのか、意味があるのか確信が持てずにいるようである。CL3 は目的が希薄な活動を行う 学習者に対する教師 B の不信感が表れているため、〈目的意識の希薄な学習者への疑問〉と 名づけられる。  CL4:この授業に関わるまで、教師 B は「あなたの話を聞こう」という態度で学習者と向 き合ったことはなかったが、現在は学習者を信じて問うことの大きさと難しさを感じ、記 録をつけているという。しかし記録できるのはわずかであり、問うだけでは自分が問いた いこと以外は引き出せないと気づき、問うために見るだけではだめだと述べている。CL4 は〈問いの重要性と現時点における自分の力量への気づき〉と解釈できる。  全体について:CL 1と2は全て[+]であり、教師 B は自律的な学習は難しいとしつつ も肯定的に評価している。一方、CL3 と 4 はほぼ[0]である。これは目的意識の希薄な活 動を行う学習者に疑問を持ってはいるが、学習者のニーズを尊重するということを考え合 わせ、[+]と[−]が相殺された結果であり(CL3)、問いの重要性を知りつつも問いきれ ていない自分に気づいた結果である(CL4)と考えられる。全体的イメージが〈自分に向き 合う〉であるが、「自分を裏切れば相手も裏切ることになるという意味では、かなり本音で 向き合わなければならない」という発話から、学習者が自分に向き合うことだけでなく、 教師 B が自分自身や学習者に向き合うことも含まれると考えられ、教師 B のこの授業への 真剣な姿勢が窺える。ただし、「(学習者を信じ自律性を尊重して支援する場合)本当に正 しい方向に彼らが行けるのかはやはり難しい」、「(指導することが)本当に学生のためにな る(略)」、「(教師が指導した方法がよかったと学生が気づけば)強制したことにはならない」 からは、学習者を信じきれてはいないことや、教師の考えは正しい、教師は学習者を導く ものであると思っていることが読み取れ、ここに教師主導型の授業観が窺える。一方、教 師 B は教師と学習者の信頼関係には教師の方に責任があると述べており、学習者との信頼 関係の構築が教師の重要な役割であると考えているようである。ただし、教師 B は「知的 な生活力」が自律性につながり、それは教師が仕掛けることでより効率的に身につくので はないかと述べつつも、積極的に仕掛けるには至っていない。また、問いの重要性を認識し、 さらに問うために見るだけではだめだと述べているが、どうすべきかには思い至っていな い。初任教師は 8 ヶ月を過ぎる頃から自己が抱える問題を把握し、その解決の方途を意識 はできるようになるものの、授業中に実行するには至らないというが(木原 , 2004)、教師 B はその状態にあると言える。しかしこれは学習者に働きかけるための準備状態であると も考えられ、この後の働きかけが授業の成功を左右するものと予想される。  以上のことから、教師 B は教師主導型の授業観を持ちつつも、自律的な日本語学習を支

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援する教師の役割を自分なりに見出しており、新任者の初期の状態からの成長が見られる ため、熟達者への過渡期にあると考えられる。 4. 3 教師 C(学部留学生担当、自律的な日本語学習の支援経験 5 年半) 4. 3. 1 教師 C による CL の解釈  教師 C の分析結果が図 3 である。CL1 は[自由な時間]から[授業中トイレに行ってもい いよ]までの 5 項目:「自由な時間で何をしてもいいよ」というのが私のスタンスなんです。 でも、その結果は学生自身に跳ね返ってくる。逆に教師の立場から言えば、私はある学生 にとって何が一番いいのか分からない。だから自分で考えてほしいです。そこで遊んでい たり寝ていたりしたら損するかもしれない。損するにしても得にするにしても、あなたの 人生について私には分かりませんというスタンスです。  CL2 は[変化していく自分を自覚してほしい]から[いろいろな方法を試せる]の 3 項目: 学習方法にしても学習内容にしても、いろいろやってみることが必要だと思うんです。何 がいいのか学習者自身分かっていないだろうし、もちろん教師も分からないので、方法や 内容を試すチャンスがこの時間にはありますよということです。そして変わって行く自分 を出してもいいということですね。教師が全てを決める授業であれば自分が変わっても対 応してもらえないけれども、この授業では内容もやり方も変わっていく自分に合わせて変 えていい。むしろ自分が変わるということを自覚してほしいと思います。自分の変化を感 じてほしいなと。  CL3 は[幅広い学習内容]から[壁のない教室を目指す]までの 5 項目:学習環境を最大限 に利用した方がいいということです。学校とか教師が準備できるものはすごく限られてい るので、教師が気づかないとか自分で工夫したいものについては自分で持ってきてほしい です。[壁のない教室]というのは壁があってないようなものを目指しているというところ。 教室は学習者が生きている人生とか環境の中のほんの一部分であって、そこに壁を作って も何の意味もないと思ってます。学習リソースはむしろ教室外の方が多いだろうと思いま す。  CL4 は[学習について見通すのは学生には難しい]と[教師が見守っている]の 2 項目:こ れは教師の存在意義ですね。言語学習、日本語学習の専門家として教師にできることもた くさんあると思います。基本的には学習者が自分で決めて自分で責任を取れというのが私 のスタンスですが、それが十分できない学習者にアドバイスしたり、選択肢を見せてあげ るのは重要な教師の役割だと思ってます。それから学習者は変化しても自分で自覚できな い場合もあると思います。そこに気づかせてあげること、変化してもいいんだよと言って あげることも必要だと思います。  CL5 は[クラスメートと仲良くなれる]と[クラスメートが互いの個性を知り、認め合え る]の 2 項目:これは一人で図書館で勉強するのとの違いです。教師も支援するんですが、 他の学生から得るものもたくさんあると思います。いい方法を見て自分もやってみたいと 思ったり、友達も頑張っているから自分も頑張るとか。また、いろいろ変わるということ

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で不安を感じると思うし、自分を律して勉強を続けて行くことは実は厳しいので、話し合 える仲間がいるといいなと思います。いろんな意味でクラスメートといることはすごく重 要だと思います。  全体について:私にとって「学習者のことは分かっているなんて思ってはいけない」、「学 習者の人生は私には分からない」ということが一番のキーワードですね。チュートリアル には学習者が自分の学習を持ち込んで来るわけで、それは彼、彼女の人生にそれぞれつな がっているので、それをコントロールすることはとてもできないと思うんです。なので、 学習者の決定権、決定した内容を尊重することが教師にとって大切なことだと思っていま す。時々支援しすぎるんですね。「何でも持ち込んでいいよ。」と言いながら、教師は自分 に理解できないものを学習者が持ち込んでくると、「それは役に立たないんじゃないの。」 と言うことがあると思います。「それはいけないぞ。」と教師自身を戒める。一言で言えば〈学 習者を信じよう〉かなあ。 図3 教師Cの結果 4. 3. 2 教師 C についての総合的解釈  CL1:自律的な学習においては学習者が全てのことを決定する自由があるが、その結果 についての責任は学習者自身が負わなければならないという教師 C の考え方が窺えるた め、CL1 は〈自律的な学習における自由の厳しさ〉と名づけられる。  CL2:学習者が自分にとってよい学習方法や内容を見つけるため、この時間でいろいろ と試し、自分の変化を自覚してほしいという教師 C の思いが読み取れる。〈試し、変化する ことへの期待〉とまとめられよう。  CL3:教師 C は、教室は学習者の環境や人生の一部に過ぎず、リソースは教室外の方が 多いとして、人も物も行き来が自由な[壁のない教室]について語っている。CL3 は〈外に 自由な時間(+) 自分で決める(+) 自分のしたことに自分で責任を取る(+) 自由こそ最も厳しい環境(+) 授業中トイレに行ってもいいよ(+) 変化していく自分を自覚してほしい(0) 固定していない(0) いろいろな方法を試せる(+) 幅広い学習内容(+) リソース持ち込み可(+) 何でもいいけど自分で責任を取ってね(0) 一番快適な学習スタイルを見つける(+) 壁のない教室を目指す(+) 学習について見通すのは学生には難しい(0) 教師が見守っている(+) クラスメートと仲良くなれる(+) クラスメートが互いの個性を知り、認め合える(+) 1) 2) 3) 7) 11) 4) 5) 13) 6) 8) 12) 14) 15) 9) 10) 16) 17) 距離 7.65 0 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ CL1 CL2 CL3 CL4 CL5 ・

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開かれた教室〉と命名でき、教師 C の理想の教室のイメージが表れていると言える。  CL4:アドバイスをすること、選択肢を提示すること、学習者に変化したことを気づか せること、変化してもいいと言うこと等、教師 C が考える教師の役割がまとまっており、〈自 律的な学習支援における教師の役割〉と名づけられる。  CL5:教師 C は、様々な変化に不安を感じつつ自分を律して学習し続けるのは難しいと 考え、励まし合ったり話し合ったりできる仲間がいることを重視しているようである。自 律的な学習は個別の学習であるが、図書館での個人学習とは異なるということが示されて いるため、CL5 は〈仲間がいることの意味〉と命名できる。  全体について:項目のイメージに[+]が多いのが特徴的である。学習者を信じ、学習者 に責任を預けているため、授業について思い悩むことが少ないからであろう。教師 C は、 学習者にとって最善のことを学習者自身が考え、試してほしいと繰り返し述べている。こ れは一見無責任のようであるが、学習者の自律性を尊重するのであれば、学習者に学習者 自身の学習を任せることは重要なことである。一方で、教師 C が単に責任を放棄している のではないことは、教師には日本語学習の専門家としてできることも多いと述べ、アドバ イスや選択肢の提示に加え、学習者に学習者自身の変化を気づかせたり、変化してもいい と伝えたりすることも教師の役割であると考えていることから分かる。また教師 C は、理 解不能なものを学習者が持ち込んで来ると教師は役に立たないと言ってしまうことがある とし、教師の余計な介入を戒めてもいる。熟練教師は判断を保留する傾向があるというが (芥川・澤本 , 2003)、教師 C は学習者が取る行動に対してすぐに強制力を行使するのでは なく、アドバイスや選択肢の提示に留め、学習者の変化を見守っていると考えられる。さ らに、教室の内と外とのつながりや、図書館での個人学習との差異、さらには学習者の人 生にまで言及しており、教師 C が一歩離れた所からこの授業を見ているような余裕が感じ られる。  以上のことから、教師 C は 3 名の中では最も日本語教師歴は短いが、学習者中心型の教 育観を持ち、自律的な日本語学習を支援する教師の役割についても明確に認識し、余裕を 持って授業に臨んでいると考えられる。 5. 考察 5. 1 自律的な日本語学習の支援の経験年数による比較  以上、自律的な日本語学習の支援経験が異なる教師 3 名の PAC 分析の結果を見てきた。 本節では 3 名に違いが見られる 3 点について比較し、考察する。  第一に、学習者の自律性を尊重することへの理解の深さである。教師 A は発表の準備に 時間を費やしたが、学習者の自律性を尊重したためとは言い難い。教師 A は発表を取り入 れるまで授業に体系的な感じがなかったと述べているが、学習者の自律性を尊重した場合、 そもそも教師 A が考えるような体系的な授業は実現しないのではないだろうか。この点に 関して、教師 C が授業の枠組みを超えて「壁のない教室」にまで言及しているのは興味深い。 また、教師 C は学習者個々人が授業に持ち込んでくる学習はその学習者の人生につながっ

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ており、教師はコントロールできないと考え、自分にとって最も必要なことを学習者自身 が考えることを望んでいる。さらに、学習者の決定権や決定した内容を尊重することが大 切であるとして、学習者の自律性を尊重している。一方、教師 B は学習者のニーズに従っ て支援を行うことに難しさを感じており、学習者の自律性の尊重と教師の強制力の行使に 矛盾が生じないか悩んでいる。これは学習者の自律性の尊重への理解が進んだが故の悩み であると言えるが、教師 B が教師の考えは正しい、教師は学習者を導くものであると信じ ていることに起因するとも考えられる。この点に関して教師 C は、何が最善であるのか教 師には分からないと認め、いろいろ試すことが必要であるとし、さらに教師が強制力を行 使することを戒めている。  第二に、自律的な日本語学習を支援する教師の役割の広がりである。教師 A は実際に何 をすればよいか分からず、教師の役割が見えずにいる。教師 B は学習者に問うこと、学習 者と信頼関係を築くこと、学習者が自律性を身につけられるよう仕掛けることに教師の役 割を見出している。教師 C は学習者を信じ、基本的に学習者に責任を預けているが、日本 語学習の専門家として教師にできることも多いと考え、アドバイスや選択肢の提示を挙げ ている。さらに、学習者自身の変化に気づかせること、変化してもいいと伝えることも教 師の役割であると認識している。  第三に、視野の広さである。教師 A は自分が何をすべきかということに注意が向いてお り、視野にあるのは主に教師自身である。教師 B は自分にも学習者にも問うことを重視し ており、視野にあるのは教師と学習者である。加えて、知的な生活力を身につけることが 自律性につながると述べており、教室外も視野に入ってきている。そして教師 C は教室内 外のつながりや、図書館における個人学習との差異、さらには学習者の人生にまで視野が 広がっている。  以上をまとめたものが表 1 である。学習者の自律性を尊重することへの理解、教師の役割、 視野において、自律的な日本語学習を支援する経験年数による違いを読み取ることができ る。   表1 自律的な日本語学習を支援する教師の経験年数による比較 教師 A(4 ヶ月) 教師 B(3 年半) 教師 C(5 年半) 学習者の自 律性を尊重 することへ の理解 ・ 学習者の自律性を 尊重していない ・ シラバスや内容を コントロールしよ うとする ・ 学習者の自律性の尊重と 教師の強制力の行使に悩 む ・ 教師は正しい、学習者を 導くべきだと思っている ・ 学習者の自律性を尊重して いる ・ 何が最善かは教師も分から ないと認め、シラバスや内 容をコントロールしない 教師の役割 ・ 何をすればよいか 分からない ・ 学習者に問う ・ 学習者と信頼関係を築く ・ 学習者が自律性を身につ けられるように仕掛ける ・ アドバイスや選択肢の提示 ・ 学習者の変化に気づかせる ・ 変化を認める 視野 ・ 主に教師自身 ・ 主に教師と学習者 ・ 教室外にも目が向いてい る ・ 教室内外のつながり ・ 個人学習との差異 ・ 学習者の人生 ( )内は経験年数

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5. 2 自律的な日本語学習を支援する教師の実践的知識  本研究の結果を 2 章の知見と比較すると、教師 A に関しては初任教師の 1 学期目、教師 B に関しては初任教師の 8 ヶ月を過ぎる頃からの知見が重なったが、これは新しい教育方 法で行う授業を担当する際には、教師歴が長くても新任者と同様の体験をするためではな いかと考えられる。しかし、教師 B と C の結果には 2 章の知見と重ならない部分も見られる。 これは、自律的な日本語学習を支援する教師が、知識を伝達する一斉授業を担当する教師 とは異なる実践的知識を持つためであると考えられる。その実践的知識として以下 5 点が 挙げられる。  第一に、教えることを待つことである。教師主導型の授業に教師も学習者も慣れている 場合、教師は教えないことに不安になり、学習者も教えない教師に戸惑うと予想される。 しかし、自律的な日本語学習を支援する教師には、教えることを待つことが重要となる。 ただし何もしないのではない。教師 B と C が述べたように、学習者が自分で自分の状況を 分析し、進むべき方向を決めることは容易ではない。そのため教師はいつでも適切なアド バイスや選択肢の提示ができるよう専門性を高めておき、学習者が安心して助けを求めら れるよう信頼関係を構築しておくのである。  第二に、学習者の学習を観察することである。教師 C は学習内容や方法について何が最 善であるか学習者自身も教師も分からないため、いろいろと試すことが必要であるという。 それが教師には理解しがたいものであっても学習者には最善のものである可能性もある し、教師が強制力を行使してしまっては学習者の自律性の育成を阻むことにつながる可能 性もある。そのため、まずは学習者の考えを受け入れ、学習者がどのように学習するのか を観察するのである。  第三に、学習者の変化を認めることである。自律的な学習に慣れていない学習者は、最 初は戸惑い、自分の真のニーズが分からないため目標がうまく設定できず、学習が進まな いこともある。さらに、教師から見ると最善のものとは思えない計画を立てることもある。 しかしその後、他の授業での経験や日常生活での出来事、仲間との交流や教師のアドバイ スから自分の真のニーズに気づいて計画を改善したり、学習の過程でニーズが変化したり することもある。その際、計画の変更理由を確認した上で、学習者の変化を認めることが 必要である。この点に関して教師 C は、この授業は教師が内容や方法を決める授業と異な り、変化する自分に合わせて内容も方法も変えることが可能であり、自分の変化を感じて ほしいと述べ、学習者が変化することを推奨している。  第四に、学習者を信じることである。学習者の決定した内容が受け入れ難いものである 場合、教師は強制力を行使しがちである。しかし、青木(2001)は学習者は往々にして教師 が考えるよりも賢い選択をする能力を持っているものであり、選択に失敗してもそこから 学べることはあるとし、信じて任せることは教師にとっては難しいが、大切であると述べ ている。教師 C は、学習はその学習者の人生につながっていて教師はコントロールできな いと考え、教師の強制力の行使を戒めている。そして学習者を信じ、学習者に自分の学習 を任せているのである。

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 最後に、長期的視野を持つことである。自律的な学習が必要な理由の1つとして、急速 な社会変化がある。人は自己実現のために社会変化に対応すべく、生涯主体的に学ぶ必要 に迫られており、教師 C の言葉にあるように、教室は学習者が生きている人生や環境のほ んの一部分に過ぎない。また、教師が学習者をうまく支援できるようになるまでに時間が かかるのと同様に、学習者もうまく学習できるようになるには時間がかかると考えられる。 したがって、教師は自分が担当する授業期間のみで自律的な学習の支援を考えるのではな く、長期的視野を持って教えることを待ち、学習者の学習を観察し、学習者の変化を認め、 学習者を信じるのである。 6. おわりに  本研究の対象者は日本語教師歴 17 年以上であるが、自律的な日本語学習の支援に関して は経験により違いが出ることが判明した。これは、教師歴が長くても、新しい教育方法を すぐにうまく実践できるとは限らないことを意味している。この問題に関しては上記の実 践的知識を学ぶことが解決の一手段となると考えられる。  加えて、自律的な学習についての理論的知識を学ぶことも必要であると思われる。教師 B と C は、学期開始前に先行研究を読み、学期開始後も勉強会を通して自律的な学習に対 する理解を深めていた。このことも授業に納得せずに担当した教師 A との違いを生んだと 考えられるためである。自律的な学習は、1)現実問題への対応、2)学習者特性への対応、3) 第 2 言語学習/習得への個別性への対応から必要である(梅田 , 2005)。1)は急速な社会変 化への対応と学習者の多様化への対応を指し、2)の特性とは学習方法・学習に関わる信念・ 動機づけ等であり、3)は学習者・学習環境・社会的文脈が相互作用し、数多くの要因が学 習/習得過程に複雑に関わりあう様子が一人一人異なることを指す。特に 2)、3)に関して は言語教育において研究の積み重ねがあり、その知見を学ぶことで自律的な学習への理解 が深まると考えられる。  坂本(2007)は、多くの学習者に同時に対応しなければならない等、授業の状況の複雑さ のため、教師は言葉の上で獲得した知識を容易に実践できないと指摘しているが、Hiebelt, Gallimore & Stigler(2002)は、教師同士による議論には、ある教師の実践的知識を他の 教師にも共有できるようにする働きがあるとしている。また青木(2006)は、教師としての 自分の言動や思考や感情に影響を与えているものを意識化することで、教師は自分の言動 や感情を意識的にコントロールできるようになり、思考を明確にすることもできるだろう と述べている。  以上のことから、先行研究の知見を学び、自律的な学習の支援に対する自分の考えや実 践を振り返り、教師同士で議論をすることが、実践的知識の獲得に有効であると考えられ る。 今後は、教師 A、B、C の縦断的調査に加え、調査協力者の人数を増やしたり異なる分析 方法を併用したりして、教師の成長や実践的知識について追究していきたい。

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付記  本研究は、桜美林大学言語教育研究所より研究運営助成を受けたものである。 1 各 CL 内、また全体の+と−が拮抗するほど葛藤状態が強いことを示す(内藤 , 2002)。 2 項目間の類似度を 1 から 7 で判定する際、尺度の端(1 や 7)につけるか中央(4)につける かの傾向には個人差があるが、他人と比較するわけではなく同一人物内での相対距離が 意味を持つため、絶対距離よりも相対距離の方が解釈に貢献する(内藤 , 2002)。 参考文献

Hiebelt, J., Gallimore, R., & Stigler, W. (2002) A knowledge base for the teaching profession: What would it look like and how can we get one? Educational Researcher, 31, pp.3-15

Horec, H. (1981) Autonomy in Foreign Language Learning. Pergamon. (Oxford)

青木直子(2006)「教師オートノミー」春原憲一郎・横溝紳一郎編『日本語教師の成長と自己 研修|新たな教師研究ストラテジーの可能性をめざして|』凡人社、pp.138-157. 青木直子(2001)「教師の役割」青木直子・尾崎明人・土岐哲編『日本語教育学を学ぶ人のた めに』世界思想社、p.182-197. 秋田喜代美(1996)「教える経験に伴う授業イメージの変容|比喩生成課題による検討|」 『教育心理学研究』44(2), pp.176-186. 秋田喜代美・佐藤学・岩川直樹(1991)「教師の授業に関する実践的知識の成長−熟練教師 と初任教師の比較検討−」『発達心理学研究』2(2), pp.88-98. 芥川元喜・澤本和子(2003)「新卒臨時採用教師における実践的知識の形成|カード構造化法 を適用した事例の考察」『日本教育工学会論文誌・日本教育工学雑誌』27(1), pp.93-104. 市川伸一(1995)『学習と教育の心理学』岩波書店 . 梅田康子(2005)「学習者の自律性を重視した日本語教育コースにおける教師の役割|学部 留学生に対する自律的な学習コース展開の可能性を探る|」 『言語と文化』(愛知大学 語学教育研究室)12, pp.59-77. 大沢啓子(1982)「熟達者|初心者の差異」波多野誼余夫編『学習と発達(認知心理学講座第 4巻)』東京大学出版会、pp.135-153. 小澤伊久美・嶽肩志江・坪根由香里(2005)「日本語教育における教師の実践的思考に関す る研究(2)|新人・ベテラン教師の授業観察時のプロトコルと観察後のレポートの比 較より|」 『ICU 日本語教育研究』2, pp.3-21. 木原俊行(2004)『授業研究と教師の成長』日本文教出版 . 齋藤ひろみ(1996)「日本語学習者と教師のビリーフス|自律的学習に関わるビリーフスの 調査を通して|」『言語文化と日本語教育』(お茶の水女子大学日本言語文化研究会) 12, pp.58-69. 坂本篤史(2007)「現職教師は授業経験から如何に学ぶか」『教育心理学研究』(55),pp.584-596.

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佐藤学(1989)『教室からの改革』国土社 . 佐藤学・岩川直樹・秋田喜代美(1990)「教師の実践的思考様式に関する研究(1)|熟練教師 と初任教師のモニタリングの比較を中心に|」『東京大学教育学部紀要』30, pp.177-198. 内藤哲雄(2002)『PAC 分析実施法入門「改訂版」 |個を科学する新技法への招待|』ナカニ シヤ出版 . 野口雅司(2005)「日本語教師の実践的思考様式に関する一考察|熟練教師の場合|」『神戸 国際大学紀要』68, pp.127-141. 三宅若菜・福島智子(2005)「自律的な学習を基盤とした個別対応型日本語授業に関する一 考察|教師の役割を手がかりに|」 『日本語教育論集』21, pp.45-53, 国立国語研究所 . 八木節夫・吉崎静夫(1990)「高校理科授業における教師の知識に関する研究|ベテラン教 師と若手教師との比較を通して|」 『科学教育研究』14(1), pp.26-32. 吉崎静夫(1997)『デザイナーとしての教師・アクターとしての教師』金子書房 .

参照

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