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『時規物語』巻之一におけるアメリカ捕鯨船について ; 2

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Academic year: 2021

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(1)(93). ﹃ 時 規物 語﹄巻之 一におけ る ア メリカ捕鯨 船 に ついて0. 三九 ︶、越 中 富 山 木 町浦 吉 岡屋 の北前 船 ﹁ 長 者 丸﹂が 仙. 化 論 集 第 Ⅶ巻 第 2号 ︵一九 九 一と で、天 保 九 年 ︵一八. 船 に つ いて0 ﹂ ︹ 名 古 屋 大 学 総合 言 語 セ ン タ ー言 語 文. ﹃ 筆者 は ﹁ 時 規 物 語 ﹄ 巻 之 一にお け る ア メ リ ヵ捕 鯨. 当 た った 旨 ヨa rε q 号が 太 平 洋 に描 い た 航 跡 を 再. を試 み た。 第 五節 で は航 海 日誌 の記 録 をも と に救 出 に. 民達 が 四グ ループ にわ かれ分 乗 し た捕 鯨 船 四隻 の同 定. 救 出当 日 の出 来 事 の再構 成 を試 み た。 第 四節 で は漂 流. 船 の航 海 日誌 、 ア メリ ヵ側 の港 湾 記録 、 新 聞 、雑 誌等. 時 規 物 語﹄ の記 述 と を比 較 検 討 し た。 側 の史 ・資 料 と ﹃. 経験 し た 日常 生 活 や捕 鯨 作 業 に焦 点 を絞 って ア メリ カ. 本 論 は0 の続 編 であ り、 漂 流 民達 が捕 鯨 船 上 で目 撃 、. の史 料 と 日本 側 の史 料 を比 較検 討 す る こと で、辿 って. の引 用 は ﹃日本 庶 民 生 活 史 料 集 成 ﹄ 所 牧 の ﹃時 規 物. 0 同様 、 本 論 でも 、 特 に指 示 しな いかぎ り漂 流 談 か ら 第 一節 で は利 用 し た史 料 の概 略 を述 べ、 第 二節 で は. み た。. さ れ て か ら ハワイ に つく ま で の経緯 を 、 主 と し て捕 鯨. 構 成 し、 地 図 を添 付 し た。. の同定 を行 な った。 第 三節 で は、 救 出 日時 、 救 出 地 点 、. 救 出 し た ア メリ カ捕 鯨 船 の船 歴、 船 長 の経 歴 、 乗 組 員. 昭. 台 唐 丹 沖 で漂 流 を はじ め、 翌年 ア メリ カ捕 鯨 船 に救 出. は じめに. 田.

(2) (94) 『時規物語』巻之 一 におけ るア メ リカ捕鯨船 につ いてll. 蕃 談 ﹄の翻 刻 版 であ る こ と を 断 って お 五置 な ら び に ﹃. た広 渤 な史料集 を 頂 いた。 ま た、 0 で頻繁 に引 用 さ せ. て いただ いた高 瀬 重 雄 氏 、矢 守 一彦 氏 から も激 励 の言. 日誌 等 の史 料 を提 供 し て いただ き 、本 論 に使 用 す る許. 〓彊 o﹁ 一 ∽ Я︼ ”き 3 から は 一九世 紀 捕 鯨 船 の航 海 8 一>∽. 昇2 旨 BB r8 Q 号 の母 港 であ るZ目 ご汀 けのZ営 け. 会 、 捕 鯨 博 物 館 、 図書 館 な ど から協 力 を いただ いた。. さ れ るが 、本 文 に 入 れ ると煩 雑 にな るた め、 ほと んど. 著 者 にあ る。 本 論 は基 本 的 に航 海 日誌 に基 づ いて展 開. xx姜半︶ で示 し た。判 読 の誤 り の責 任 は全 て 箇所 は ︵. あ り、著 者 によ る推 定 箇 所 は ︵   ︶ で、判 読 不 可能 な. 者 が判 読 した。 航 海 日誌 は時 と し て判読 困難 な も のが. 捕 鯨 船 の航 海 日誌 は原 本 の マイ ク ロフ ィル ムか ら著. 葉 を頂 いた。 感 謝 し た い。. 、 可 を 頂 いた。 同協 会 の〓 フ ﹃≡ デ ∽。〓①ヨ. 品 氏と. の場合 ︵ 註︶ に入 れ てお いた。. 本 論 執 筆 にあ た り、 0 同様 、 ア メリ カ各 地 の歴 史 協. 多 2 氏 か ら は、筆 者 から の度 重 な る問 い合 わ oミ げ 〓 一. ﹁ダ ー フ﹄と申 す も の有 之候 ﹂︱捕 鯨 船 の 日 常生 活 ︱. 長 者 丸 の乗 組 員 達 は捕 鯨 船 の生 活 に慣 れ る に従 って、. ハ エ. せ に対 す る 回答 と 激 励 を 頂 いた。 z①姜 ωa h oa のΩ Q ∪”﹁ ︼ 一 8 一∽Я 一 ヨ8 手 〓彊 o﹃ のこ ョ 訂 F ∞ 〓 5 8 ヨ から 記録 の提 供 を受 け 、 か つ本 論 に使 用 も 航 海 日誌 や港 湾 一 す る許 可 を頂 いた。 同 協 会 の≦ ∞ョ ”〓 >針 ヨ∽氏 か ら は多 く の情 報 、 助 言 、 激 励 を 頂 い た 。 ま た Cコ一 おT Lぞ 魚 〓”1盟 rσ﹃ ”c か ら は、当 時 の ハワイ の港 湾 記. 一 ン匡∽  でぃ ⊂コ一 〓︼〇﹁﹂  ω匡﹃ け くの﹁ ∽ の ”5匡∽ o■つ匡け ∽ ①”匡 ﹃ ”〓” ﹁”0〓一.   一日米 二合 を 一〇名 の食 事 て いる。 六か月 の漂 流 中 、. ﹃ 時 規 物 語﹄ で は、食 事 のこと が頻繁 に話 題 にな っ. 周 囲 の出来事 を事 細 か に観 察 す る よう にな る。. か ら も 多 く の参 考 史 料 の提 供 を受 け た。 慶 応 大 学 文 学. 量 と決 め、 ﹁ 夫 に昆布 を刻 込、 粥 に炊 、 塩 鮪 を 潮 に漬. 録 や 新 聞 等 の史 料 を 提 供 し て頂 い た 。 ご 計 邑. 部 川 澄 哲 夫 教 授 から は、 激 励 の連 絡 と 氏 が ま と め挙 げ.

(3) 昭 勝 田 森. (95). 9 た藤 壷 や俵 藻 、時 折捕 ま え る ことが出来 た 里目鰤﹂︵ 1 9 ①︵ ・下︶ な ど も 口にす る。 ﹁ 信 仰 す る虎 の神 ﹂ 1 o下︶. 生 でか じ ると いう 状 況 にな る。 そ の後 は、 船 に付 着 し. な く な った こ ろ に は、 そ れ ぞ れ に分 配 し、 各 人が時 折. 8 o上 ︶て食 べ て いる。そ の米 も 少 雨 水 に潮 を 足 し﹂ ︵ 1. 餅 ︶ 外 に塩 漬 の牛 、家 猪 類 の肉 を煮 てく れ、 四 五. ゛ 蓼 カ ル﹂ の食 事 方 と 同様 に て、粥 井 ﹁ フライ ル﹂ ︵. ﹃ ブ ライ ル﹄ と申 候︶ かね の皿 に盛 出 し候。 此 分. 度 く れ申 候 。 外 に蓼 園 子 や う の も の を ︵こ れ を. 其 翌 日 よ り粥 を半合ば か り、 四 五杯 宛 、 朝 書 夕 三. し、 木 に て能 々た ゝき 和 に いた し、在 合 の鰹 節 を 入、. であ る海 亀 さ え も仕方 な く 捉 え食 べよう と試 みたりも. 日毎 に家 猪鶏 等 の生 肉 、 ま た は芋 な ど も く れ申 候。. は心 の儘 に食 し申 事 に候 。 七 八 日過 候後 は ﹁ケ ツ. し て いる。 救 出 直後 、 前 述 の よう に船 長 から ワイ ンを. 食 物 に関 す る目 撃 談 が よ く 登 場 す る。 食 物 か ら ﹁ 異. 体 力 を 回復 し、 船 上 生 活 に次第 に慣 れ始 め てからも. ②様 な も のだ った。船 員 達 が 残 し 百 ってむ かむ かす る﹂ 一. て ま わ って いた。 端 的 に言 えば ﹁ まづ いし、 は っき り. 捕 鯨 船 に限 らず 、 当時 の船 で の食 事 に は悪 評 が つい. 、6 5 ︵ 2 o下 2 o上︶. 国﹂ に対 す る偏 見 が生 ま れ る ことが よくあ るが、長 者. た個 人 的 記 録 やそ の他 の航 海 記 、 あ る いは船 を舞 台 に. 4 振 る舞 わ れ ﹁ 今 一杯 呑 申 度 ﹂ ︵ 2 o上 ︶ と せ が ん で い る。 餓 え と 渇 き で瀕 死 の状 態 だ ったから無 理 も な い。. 丸 の乗 組 員 達 は極 限状 態 を 生 き 抜 いてき た から であ ろ. し た小 説 など で、 不平 不満 の集 中 す る のが食 事 の問 題. 雑 な 調 理 法 で特 長 づ け られ る。 当 時 の捕 鯨 船 には コ ッ. う か、 ほと んど抵 抗 な く ﹁ 異 国﹂ の食 べ物 を受 け 入れ、. 救 出 当 日、特 別 に ワイ ンと 、 砂糖 を かけ た米 の粥 を. クが 乗 り組 ん で いたが、 も ち ろ ん専 門 家 と いう わ け で. であ る。 そ れ は、 栄養 的 に片 寄 った単 調 な メ ニ ューと. 振 る舞 っても ら った漂 流 民 達 は、 翌 日 から の食 事 に関. は な く③、 ﹁ 生 で 出 し た ほ う が ま だ 食 べ や す い﹂④と. そ れ を賞 味 す るま で にな って いる。. し て次 のよう な証 言 を残 し て いる。.

(4) (96) 『時規物 語』巻之 一におけ るア メ リカ捕鯨船 につ いてl_l. も 、 捕 鯨 産 業 が衰 退 の坂 を転 げ 落 ち てゆ く 一九 世 紀 後. 事 に関 し て心 配 りが行 き 届 く ょう にな る の は、 皮 肉 に. の であ り⑥、 捕 鯨 船 も例 外 で はな か った。 捕 鯨 船 で食. ⑤。 船 の食 事 の劣 悪 さ は大 航 海 以 来 の伝 統 の よ う な も. た捕 鯨 船 で の待 遇 のひど さ に関 し て警 告 を発 し て いる. 一 梓 し た米 国 海 軍 の0訂 ﹃ 8 ■ 寿 S は、そ の中 で こう し. 年 にわ た る太 平 洋 一帯 の調 査 を終 え 膨 大 な報 告 書 を 上. い った状 態 が ほと んど だ った よう だ 。  一八 四 五年 、 四. は こ の時 期 から徐 々にジ ャガ イ モを積 み 込 む よう にな. 物 の ﹁レ モ ン ・ジ ュー ス﹂ を買 わさ れ たm。 捕 鯨 船 で. ただ 高 価 なも の であ り、経済 的 に余 裕 のな い人達 は偽. の中 に は ﹁レモ ン oジ ュー ス﹂ が 挙 げ ら れ て い るω。.   一七L 紀 、新 大陸 に渡 った移 民 達 の必 需 品 て いた⑩。. 効 薬 であ る こと は 一六世紀 辺 り から経 験 的 に気 づ かれ. 柑 橘 類 や ﹁スカ ーヴ イ ・グ ラ ス﹂ と 呼 ば れ る植 物 が特. 海 の環 境 そ のも のが 原 因と考 え ら れ て い たo。 た だ 、. こ る こ の病 気 は、   一九 世紀 のヴ イ タ ミ ンC発 見 ま で、. り、 壊 血病 の発病 率 は減 少 し た よう だ⑩。. 半 を 待 た な け れば な ら な いo。 食 事 の中 心 に な る の は 塩 漬 肉 、 塩 漬 豚 肉 で 、 8〓. 長 者 丸 の乗組員 が 日にし た のは、 こ の悪 名 高 い塩 漬 肉. 七 、 八 日後 に他 の船 乗 り達 と 同 じ食 事 にな ったとき 、. た。 これ は 一六世 紀 の大 航 海 以 来 の伝統 的 船 の食 糧 で. 牛 の乳汁 等 種 々の品 を 入れ煮 だ った。 こ の塩漬 肉 を ﹁. ぎ﹃ 塩 漬 の クズ︶ と呼 ば れ て い ∽ の ぁ る いは 8〓一 ︰戸︵. g ﹃を 出 港 し た 捕 鯨 船 あ る。   一八 三 一年 、 P ∞ 〓”﹃. ﹁フ ラ イ ル﹂ に ﹁ 蓼餅 ﹂ と註 を 付 け て いるが 、. 、 9 中 候﹂ ︵ 2 o上︶と あ るが 牛 乳 は捕 鯨 船 にな い食 品 の. う ち に塩 漬 肉 の品 質 は落 ち 、 腐 敗 同然 のも のを食 べ る. ゛ 野8 Q の事 だ ろう 。 ﹃ 番 談﹄ では ﹁ Z フイデ ン﹂と な っ. 一つだ った ので、 こ こ は記憶 違 いかも 知 れ な い。. こと も 稀 で は な か った。 ま た こ の塩漬 肉 中 心 の片 寄 っ. 東洋文 庫 ﹂で室 賀 ・矢 守 両 氏 も ﹁パ ン﹂と註 て いる。 ﹁. 、  ︰ ZI ﹁ & 号 は、 ︰ 二○樽 の塩 漬 肉 三〇樽 の塩 漬 豚 肉 を. た食 事 は、 大 航 海 以来 多 く の船 乗 り の命 を奪 った ﹁ 壊. を付 け て いる。 船 舶 保存 用 に堅 く焼 いた 一種 のパ ンで. 積 み 込 ん で いる③。 1年 な いし 四年 に及 ぶ 捕 鯨 航 海 の. 血病 ﹂ の原 因 でも あ った。 ヴ イ タ ミ ンC の欠 乏 か ら起.

(5) 昭 勝 田 森. (97). a 号 は 六〇 〇 〇 パ ウ ンド を積 み込 ん で いる0。 の 3 ヨ﹃. ト状 にな って いる の で X”σ一 X 匡〓とも 呼ば れ る。前 出. あ り、 塩 漬 肉 に次 ぐ 船 の主 要 な食 糧 であ る。 ビ スケ ッ. 3 o下︶ め、 ﹃ 蕃 談 ﹄ の次 郎吉 も ﹁ 味 極 テ甘 美 ナリ﹂ ︵ 7 2. 軟 ら か にな り味 わ いよ ろ しく候﹂ と褒 の乗 組 員 達 は ﹁. go8 〓 も船 乗 り達 の不平 の的 だ った⑩。 ただ、長 者 丸. 七 、八 日後 には 司 ケ ツカ ル﹄ の食 事 方 と 同様﹂とあ. と し て いる のは興味 深 い。 大 き さ 、 形 に関 し ても 記 述. る。 捕 鯨 船 で は高 級 船 員 と 普 通 船 員 の食 事 には差 が つ. 大 さ 三 四寸 厚 さ 六 七 分 そ の形 や 大 き さ に関 し て は、 ﹁. を 入れ た る湯 或 は茶 に ひた し候 へば、 和 ら か にな り、. け ら れ て いた。 船 長 や航 海 士 にはな にか別 のも のが 一. は正確 であ る。. 。 、9 8 味 わ ひよ ろ しく 候 ﹂ ︵ 2 ・下 2 o上︶ と述 べ て いる. 計 も有之 、 蓼 園 子 のやう 成 物 に候 。堅 く候 へ共 、 砂 糖. Qけ 確 か に堅 いも のだ った の で す”﹁ ”鮮 と も呼ば れ る 。. 品 ついた り、貴 重 品 の砂 糖 や バ タ ーが ついた。 平 水夫. ご∽ 器じ が配 給 さ れ た。 コー ヒーや茶 も 、こ の砂糖 蜜 で. 上 級船 員 は こ れ 以 外 に 普 通 の 軟 ら か な パ ン ︵ 8牢. パ ンは普 通 ﹁野 菜 ス ープ ﹂ の よう な 薄 い茶 ま た は. 甘味 を付 け た。 典型 的 な 一日 の、 職 階 別食 事 の例 を挙. 達 はバ タ ーな し で、 砂 糖 の代 わ り に安 い砂 糖 蜜 ︵ B?. コー ヒー に漬 け 軟 ら か く し て食 べ る。 茶 ま た は コー. げ てお く 。. ¶①a ︶ を食 べ る こと も あ る⑮。. ヒー には砂 糖 を 入 れ る。 砂 糖 黍 から つく った モラ スと 砂 いう も の で これ は全 員 に配 給 さ れ る。﹃ 蕃 談 ﹄に は ﹁. 午 前 7時︶ 朝食 ︵. ∽〇沖 W のと ︵ 軟 ら かな パ ン︶. 3 糖 湯 二混 和 ス レ ハ三倍 容 器 ト ナ ル﹂ ︵ 7 o下︶ と あ る。 2 長 期 間 保 存 し て いるう ち に虫 が つく ことが多 か った。. Fけ ”ざ 〓c多 父 シ ュド ・ポ テト︶. o3 け 塩漬 肉︶ ”一 ●\ o罫 日 ﹁  ∽”〓 〓o﹃ 円 ︵. パ ンを茶 ま た は コー ヒー に漬 け ると虫 が這 い出 し てく. ∪匡簿①﹃. Qけ ただ こ の食 べ方 に は別 の意 味 も あ った。訂 ﹃ 器 Fに は. る 。 そ れ を す く い 取 り 食 べ る の であ る 。 こ の X”.

(6) (98) 0. 『時規物 語』巻之 一 におけ るア メ リカ捕鯨船 につ いてl. ωo”お け Q 妻 ﹃. 0お 要. 昼食 ︵ 正午 ︶ 0”oけ Lぎ\〇〓汀①﹃. O o〓 ①①. ∽o牢 ”﹃ ①”Q. ↓①” o﹃ Oo〓①①. ωc諄①﹃. 同右. ∽匡∞”﹃. ∽ C∞”﹃. た だ し 、 ω二 け Q は無 し 。. ﹁お o﹃〓⊆∽〓. 0﹃ ①■        ∽Lけ〓oあの. た だ し 、 バ タ ー と 砂 糖 は無 し 。. ”8 け ∽け 8﹃ ①﹃        同 上. ∽話 鶏 の代 わ り に安 い 〓o一 ”∽ ∽ 8 ”o”け こ同下し。 け ∽ のの﹁ の﹁し た だ し 、 ∽o車 甲 8 Q の代 わ り 〓 ” ﹃Q 一”oド. ︼ 出”﹃ Qけ ”0声. 弓①” o﹃Oo〓①① m. a時 規 物 五四 巻 之 九 の ﹁ 言 語 対 照 表 ﹂ に は、高 級 船. 員 用 の砂 糖 を ﹁シ ョー カ ラ﹂、平 水 夫 用 の黍 砂 糖 を ﹁ム. ∽L 一 〓 〇あ の ︵” ①の﹁ 〇﹃ ﹁ 〇﹁こ 〓 ”﹃Qけ”oF. ラ シ シ﹂ と し て い る 。 も ち ろ ん そ れ ぞ れ 、 〓 器 ﹃、 X ∽ に対応 す る。︶ ヨo一 ”∽. 〓①”くヽ ∪①∽∽のュ. ωo”け ω①の﹁〇﹁﹃〇﹃ 声︶ ∽け ①の﹁ の﹁     ∽Lけ〓o﹃ ∽① ︵ 〓”﹃ Q一 ”o声. 以 上 が 捕 鯨 船 の基 本 的 な 食 事 であ り 、 長 者 丸 乗 り組. 捕 鯨 船 で は 、 変 化 を も た せ る た め に、   一週 間 の 日変 わ. じ 0﹃ の1        ”o聟 峰のの﹃ のヽと 同¨. 午 後 四時 ︶ 夕食 ︵. リ メ ニ ュー を 設 け て お く のが 通 例 だ った 。 例 え ば 、 月. 員 も 同 じ よ う な 食 事 を し て い た と 考 え ら れ る。 た だ し 、. 0”oけ Lぎ\〇〓汀①﹃   ∽﹂一〓oあの.

(7) 昭 勝 田 森. (99). 四五 日ごと に家 猪 鶏 の呼 び 名 にな る こと も あ った⑬。 ﹁. メ ニ ューは固定 さ れ る こと が 多 い ので、料 理 の名 が 週. 述 ︶、 金 曜 ・米 、土 曜 ・鱈 等 であ る⑩。船 によ って こ の. 後 曜 ・豆 、 火 曜 o米 、 水 曜 ・ポ テ ト、 木 曜 ・ダ フ ︵. 9 切 て食 し申 候。 ︵ 2 o上︶. 渡 し七 八寸 計 のま んじう のご と く にし て蒸 焼 にし、. へ砂 糖 漬 け の葡 萄 、 杏 な ど を 入れ 、 よく包 み、指. 小 蓼 の粉 を よく こね、 う す く 平 め に押 のば し、夫. 区 で暮 ら し て いたと 思 わ れ る の で、生 肉 など は特 別 配. 後 述 す る よう に長 者 丸 の乗 組 員 は、 上 級船員 用 の居 住. の 日変 わ リ メ ニ ューを 指 し て いると思 われ る。 ただ 、. よく似 て いるが 別 のも のであ る。. ﹁ ダ ー フ﹂は通常 2 〓と 綴 ら れ る食 品 で、き 匡∞3 C と. 煮 生 パ ン︶であ るが 、こ こ で は Q8 ∞〓g Ч ︵ c∞〓 ︵ , 団 子 ︶ の略 であ ろ う と 思 わ れ る ﹂ぃと 註 を 付 け て る。. ダ フは ﹁ ダ ー フ﹂に関 し て は、室 賀 ・矢 守 両 氏 が 、 ﹁. 等 の生 肉、 ま た は芋 な ど も く れ申 候﹂ とあ る のは、 こ. 9 o上︶ と いう証 菜 は 玉 子﹂ ︵ 給 品 の可能 性 も あ る。 ﹁ 2. イ ー スト、細 かく刻 んだ 塩 漬 豚 肉 の脂 身 を 入れ. 、真 水. き 欧 の作 り方 は証 言 ど お り で 、 小 麦 粉 に ラ ード 、. 言 が あ る が 、 ﹁玉 子 ﹂ は高 級 船 員 達 の贅 沢 品 の 一つ だ った からだの。 長 者 丸 の乗 組 員 達 は 日変 わ リ メ ニューに関 し て こ ん. と 塩 水 半 々にし たも のを加 え て よく 捏 ね、 団 子状 に丸. 粉 を水 に て和 ら か に こね、布 の袋 へ入れ ゆ で候 へ. ﹁ ダ ー フ﹂ ︵ 蓼 餅 ︶と申 物 有 之候 。これ は小蓼 の. ②﹃ 江豚 ︵ 蕃 談 ﹄ で は、 ﹁ イ 包 み、 スープ で煮 て食 べ る。. 8︲ の と も 呼ば れ、 骨 付 き のイ ル カ 肉 等 を 小 麦 粉 で ∽ 0一. 黍 砂 糖 蜜 ︵モ ラ ス︶ を 添 え て食 べ る 。 2 話 3 長 は. な証 言 を残 し て いる。. ば 、 か たま り候 を 取 出 し、 小 口ぎ り にし て、 砂 糖. め て塩 水 の中 でゆが き 、 火 が 通 ったと ころ で取 り出 し、. 蜜 を かけ て食 し申 候 。 叉最 初 に玉 子沙糖 を 入れ 、. 3 7 o下︶と こ のイ ルカ食 を認 め て ルカ︶ ハ少 ク食 フ﹂︵ 2 いる。 当 時 の捕 鯨 船 で はイ ルカを 時 々遊 び と し て捕 え、 ポ リ ン﹂ ︵ 蓼 餅︶ と申 す は、 こね申 事 も 有 之 候 。 ﹁.

(8) (100) 『時規物 語』巻之一 におけ るア メ リカ捕鯨船 につ いて(I⇒. い長 期 の航 海 で は、当 然 一つの代替 品 とな ったはずだの。. 捕 ま え やす い新 鮮 な 蛋 白 源 であ り、 新 鮮 な食 品 が 少 な. で はな か った よう に思 わ れ る。 イ ルカ は確 か に比 較 的. カを食 べ る こと は特 に船 の生 活 で は特 別変 わ った こと. 七 世 紀 初 期 の ア メリ カ移 民 船 記 録 にも 登 場 す る∽イ ル. 楽 し み にし て いた よう だ 0。 イ ルカを食 べ る 記 事 は 一. から は油 を絞 った と 記 し て いる。 彼 女 は こ の御 馳 走 を. んだ 〓”長 0 一 の38 はそ の 日記 に、イ ルカ o日営 r”要﹃ , を捕 ま え フライと ソ ー セ ージ にし て食 べ たあ と 、皮 脂. 食 べ て いた。一八 五 八年 、夫 の指 揮 す る捕 鯨 船 に乗 り組. べ物 に ﹁ く じら の油身 のや う な るも の 一切 ﹂oと あ り、. 督 乗 丸 の記録 ﹃ 船 長 J記﹄ に は、 救 出 時 にだ さ れ た食. 漂 流 の末 、 ア メリ カ捕 鯨 船 に救 出 さ れ た尾 張 名 古 屋 の.  1年 近 い太 平 洋 上 年 ︵一八 一︰︶ 御 前崎 沖 合 で遭 難 、. 九 州 や大 阪 で食 べ る機 会 はあ った はず だ m。 文 化 一〇. で食 べ た ことが な か ったと し ても 、 北 前 船 が 立 ち寄 る. あり ﹁ 肉 食 ﹂ には当 たら な か った か ら だ 。 たと え郷 里. た こと が あ った かも しれ な い。 鯨 は伝 統 的 に ﹁ 魚﹂ で. るm。 彼 ら は時 には生 の肉 や、 塩 漬 に し た 鯨 肉 を 食 べ. 江 戸 時 代 、 突捕 式 小型 捕 鯨 が 行 な わ れ て いた形跡 があ. が あ った のだ ろう。能 登半 島 に囲 ま れ た富 山湾 一帯 は. 日本 で鯨 の脂身 を食 べ て いた こと を 偲 ば せ て いる。. 捕 鯨 船 の食 事 で 不思 議 な のが 鯨 を あ ま り食 べな いこ と であ る。 長者 丸 の乗 組 員 達 も そ の こと が 不思議 だ っ. し た の であ る。 捕 鯨 船 員 達 はそ れ を 押 しと ど め、鯨 の. 3 ス。 客 等 可惜 卜云 フ。 海 二下 リ テ 取 嗽 ン ト ス﹂ ︵2 7o L ︶ と あ る。 も った いな いから船 か ら お り て取 ろう と. 特 に切 り分 け、食 品 と し て珍 重 し たの。 ジ ャガ イ モと. 背 美 鯨 を捕 り始 め ると、﹁ 一 匡汀 と 呼 ば れ る 尾 の部 分 は. か った。 例 えば 一八四〇年 代 から ベ ー リ ング 海 で北極. 一九 陛 紀 のア メリ カ捕 鯨 船 は ほと んど の鯨 肉 を海 に. 肉 に は毒 が あ ると 言 った と 、﹃ 蕃 談 ﹄は伝 え て いる。長. こ の鯨 肉 のおかげ で、壊 血病 が減 った と す る研 究 者 も. た ら し い。 ﹃ 蕃談 ﹄ に は ﹁ 米 ノ鰍 肉 ヲ郷 棄 シ テ、 顧 ミ. 者 丸 の乗 組 員 達 が 捕 鯨 船 で鯨 肉 を食 べ た かど う か はわ. いる⑩。 第 一次世界 大 戦 前後 ア メリ カ は大 量 の鯨 を 食. 放棄 し た ようだ が 、 全 く 食 べ な いと いう こと でも な. から な い。 ただ 、 彼 ら に は 日本 で食 べ た鯨 の肉 の記憶.

(9) 昭 勝 田 森. (101). 糧 と し て消 費 し て いた こと を考 え ると 、 なぜ捕 鯨 船 が. は食 用 で はな く、 主 に産 業 用 に消 費 さ れ て行 く と ころ. び 、 かさ だ か い肉 か ら 油 ヘロ的 が 移行 し てゆく。 鯨 油. 地 で鯨 肉 を食 べ る習 慣 が 確 認 さ れ る。 そ の後 船 足 が延. が な い。   I ハ世 紀 の近 代 帆 船 捕 鯨 以前 は ヨー ロッパ各. 原 因 の 一つかも しれ な いが 、 これ もも う ひと つ説 得 力. 力 だ った抹 香鯨 はあ ま り う まく な か ったと いう こと も. ﹁   一九 世 紀 の捕 鯨 の主 美 味 ﹂ な鯨 と し て有 名 であ り、.  一八 三九 年 三 旨ヨa r8 2 号 が 長者 丸 の遭 遇 す る前 、. 。 9 仏手柑 ﹂ ︵ 員達 は ﹁ 2 ・上︶ を食 べ たと 口述 し て いる. 善 が あ った。 熱 帯 の果物 も役 にた った。 長 者 丸 の乗 組. ジ ャガ イ モが 積 み込 まれ る こと にな り、 多 少 の待 遇改. 壊 血病 の原 因 でも あ った。 野菜 に関 し て は 一九世 紀 に. 給 す るが 、 そ れ も瞬 く間 に尽 き た。 生 鮮 食 糧 の不足 は. の割 合 で太 平 洋 上 に浮 かぶ島 々に寄 港 し生 鮮 食 糧 を補. 捕 鯨 船 では生 鮮 食 糧 が最 も 不足 し た。 数 ヶ月 に 一度. と し て不定 期 にだ さ れ る場合 が あ った。. から 、 鯨 は非 食 用 の動 物 と いう 習 慣的 考 え が 出来 た の. 月 に は タ ヒチ に寄 港 し て いるm。 そ の後 さ ら に も う 一. 鯨 を食 べな か った か う ま く 説 明 でき な い。 背 美 鯨 は. で はな いだ ろう か。. 度 補 給 を し た形 跡 が見 ら れ る ので、 こ の仏 手 柑 は タ ヒ. の乗 組 員 達 の咽 を潤 した 可能 性 が あ る。. チ よ り 西 の南 太 平洋 のど こか の島 から運 ば れ 、長 者 丸. ﹁ ポ リ ン﹂ は り邑 Q一 ●∞ を指 す 。 いわ ゆ る 0乱 Q一 記︲ 。 、 oお で 前 述 の メ ニ ュー で ①と あ るも のだ 多 く の場 , ︿口、 高 級 船 員 用 の特 別食 と な る。そ のほ か漂 流 民 の記 述. あ る①。細 かく砕 いた ”aけ 円 Fと塩漬 肉 に、胡 椒 を振 , り かけ 水 を加 え てと ろ と ろ に な る ま で煮 た 一種 の シ. 型 凶を 時 は、船 中 の品 を歯 が け候 ゆ ゑ 、釘 貫 に て一. 又食 料 に家 猪 鶏 を畜 置 候 。 ぶ た に餌 の宛 行 おそき. 動 物 性 の生 鮮 食 糧 に関 し て は次 の記 述 が あ る。. チ ュー であ る。 こう し た も のは 日変 わ リ メ ニ ューと し. 抜 き おき 申 候 。 親家 猪 弐 十 匹計 も畜 有 之 候 処 、 毎. に はな いが 、捕 鯨 船 料 理 の有 名 な も の に ざF8 5のが. て定 期 的 にだ さ れ る場 合 と 、 気 分転換 のた め特 別料 理.

(10) (102) 『時規物語』巻之 一 におけ るア メ リカ捕鯨船 につ いて0. 度 子 を う み申 候 。 書 は矢 倉 へ出 し おき 、 夜 中 は囲. に供 給 し て いる①。 ま た野生 の動 物 も捕 ま え る こと が. 入植 で農 業 が始 ま る小笠 原諸島 でも 、 豚 な ど を さ か ん. と 絶 賛 し て いる。 長 者 丸 の乗 組 員 達 は、 故 国 で豚 肉 を. 4 7 o上︶ 璽 醤 等 ヲ調 シ咬 フ。 脆 美 名 ケ難 シ﹂ ︵2 にし、 ﹁. 4 7 ・上︶。野菜 を 詰 め、油 を塗 ったあ と 丸 焼 き て いる ︵2. す と いう 豚 の屠 殺方 法 と 、 豚 の丸 焼 き 料 理 が 紹 介 さ れ. 蕃 談 ﹄ に は足 を つか ん で咽 を刺 は食 料 に し て いた0。 ﹃. 捕 鯨 船 で は こ のよう に豚 や鶏 を飼 い、 時 々屠 殺 し て. 8 ユ 率 いる捕鯨 船 国B①■ Q 号 ︵三 五 九 ト ン ・Z︰ ご︲. T いるぃ。   一八四 四年 、 小 笠 原 に寄 港 し た oF Q o”一. ルは捕 鯨 船 場 の象 ガ メを印 象 的 に描 いた作 品 を残 し て. 頭 の象 ガ メを積 み込 む こと はあ った と いう 。 メ ルヴ ィ. 貝重 な 蛋 白 源 と な った。数 百 メは、捕 鯨 船 上 で放 たれ、上. に積 み込 まれ た。 餌 、 水無 し で長 期 間 生 き て いる象 ガ. ゴ ス諸 島 で は、 いわ ゆ る象 ガ メが 大 量 に捕 獲 さ れ、 船. あ った。 捕 鯨 場 でも あ り、補 給 基 地 でも あ った ガ ラパ. 7 い の内 へ入、鶏 は籠 に飼 置 中 候。 ︵ 2 o下 ︶. 食 べ た こと が あ った のだ ろ う か。 江戸 時 代 後 期 の人 々. 室 ︶ と よば れ る船 尾模 の部 屋 でと る。 そ の後 同 じ部 屋. ︶ も 、 さ か ん に海亀 を捕 まえ よう と し て いるm。 oF け. なく ﹁ 山 鯨 ﹂ と言 う名 で食 べさ せ ると こ ろが 多 か った。. ”8 一 で鈷 手 ︵ け ∽ 円﹃ ①じ が食 事 をと る。平 水 夫達 は船 首. の肉 食 習 慣 に ついて は こ こ で議 論 す る能 力 はな いが 、. 長 者 丸 の乗 組 員 は少 な く と も 肉 食 に対 す る嫌 悪 感 を見. 模 ︵フ ォク スル=﹃o﹃ 8 ”■ のと呼 ば れ 、船 首 甲 板 下 に. 食 事 は船 長 と 〓”8 が ま ず 〇聾 日 あ o諄 ョ ︵士 官. せ た こと はな い。 豚 と 並 ん で鶏 も 一般 的 な家 畜 だ った。. あ る平 水 夫 の居 住 区 。 不衛 生 な こと で悪 名 が高 い︶ か. 少 な く と も 猪 肉 は公認 さ れ て は いた。 も ち ろ ん猪 では. 鶏 の卵 は船 長 用 のこと が 多 か った。 前 述 のよう に長者. る こと が多 か った ようだ。 士官 室 で は 皿、 カ ップ 、 ナ. 甲 板 の上 で食事 をと る。 晴 れ て いる かぎ り甲板 で食 べ 捕 鯨 船 は太 平 洋 の島 々に立 ち寄 りな が ら、 豚 や 山羊. イ フ、 フ ォーク、 スプ ー ンを使 う 。 船 首 模 、 あ る いは. 丸 の乗 組 員 達 は こ の卵 を 支 給 さ れ て いる。.   ハワイ か ら の   一八 三〇年 代 、 や鶏 を 入手 し て い った。.

(11) 昭 勝 田 森. (103). 一九 世 紀 始 め の捕 鯨 船 は ラ ム酒 と ウ イ スキ ーを中 心. ラ ー ム﹂ は ラ ム酒 、 ﹁ラ おそ ら く 記 憶 の混 乱 が あ る。 ﹁. ナイ フ、 フ ォー ク、 4 フー ンを使 って、 し ゃが み込 ん. に酒 を積 み 込 み、 毎 日船 員 に決 ま った量 を配 給 し て い. 蚕 けあ る い 甲 板 で は、 塩 漬 肉 と ハード タ ック は、 桶 ︵. で食 事 をす る。 使 ったあ と の食 器 は洗 わず 、 寝 床 の上. た。 普 通 は水 と ラ ム酒 を割 ったも の ︵これ を ∞﹃ 品 と. ウ ム ワイ ナ﹂ は ワイ ンの 一種 、﹁スペリ スペ ル﹂は スピ. あ と は ゴ キブ リ が 掃 除 を す の網 棚 に 片 付 け ら れ 、 ﹁. 呼 ぶ︶ だ った。 船 長 や高 級 船 員達 には特 別 に ワイ ンや. は パ一 e に入れ ら れ 、茶 ま た は コー ヒーはバ ヶ ツで出. ∞長 者 丸 の乗 組 員 達 は、 ﹁いづ れも ﹃ケ ツ カ ル﹄部 る。﹂. ビ ー ルが 積 み込 まれ て いた。   一八 三〇年 代 か ら禁 酒 運. リ ッツ の こと だ ろう。. 6 o下︶と言 って いる よう に、一 日級 船 屋 邊 に居 申 候 ﹂ ︵2. 動 が さ か ん にな る に つれ て、 酒類 を積 込 む こと は序 々. さ れ る。 各 自 桶 から争 って取 り、 自 前 の真 鍮 製 の皿と. 員 居 住 地 区 で生 活 し た様 子 で、 こ の劣 悪 な平 水 夫 の生. に減 ったが 、 そ れ でも 酒 が 船 に入 り込 む のは避 け ら れ. 禁 酒 運 動 にも か か わ らず 、捕 鯨 船 に よ って酒 が 例 え. 活 は経 験 し な か った ので はな いだ ろう か。 や はり、特. ば イ ヌイ ット達 にも たらされ、彼ら の健 康 を損 な い文 化. な か った。 船 長 にと って洋 上 で捕 鯨 船 と合 ったと き や、. も う い っば い﹂ と せ が 救 出 当 日飲 ま せ ても ら い、 ﹁. 的 基 盤 を破 壊 したと いう説があ るが、最近 は、酒 を大 量. 配 慮 ﹂ のも と に暮 ら し て たと考 え られ る。 食 事 別な ﹁. 巻 之 九 ﹂ の言 ん でみ せ た酒 に関 し てはど う だ ろ う 。 ﹁. に持 ち 込 んだ の は捕 鯨 船 と いうよりむ し ろ交 易 船 だ と. 太 平 洋 の島 々で首 長 達 をも てなす とき 酒 は 不 可欠 だ っ. 語 対 照表 に は、 酒 と 葡 萄 酒 両 方 に ﹁ラ ー ム﹂ と いう. いう 説 が 有 力 にな っている①。 た だ 捕 鯨 船 の果 た し た. も おそ ら く 士官 室 で、鈷 手 が 食 べ たあ と取 った のでは. ﹃ラウ ム ﹁ 蕃 談﹄ には ﹁ 亜墨 利 加 語 ﹂ を充 て て いる。 ﹃. 文 化 史 的 側 面 研 究 はま だ ほと んど 手着 かず と いう と こ. た。 船 員 達 も港 々で こ っそ り酒 を持 ち 込 んだ 。. 3 o上︶ とあ る。 ﹁ 焼酎 ﹂ に 7 ワイ ナ﹄ 酒 ヲ上 等 ト ス﹂ ︵ 2. な いだ ろう か。. 魯 西 亜語﹂ と し て いる。 は ﹁スペ リ スペ ル﹂ を充 て、 ﹁.

(12) ろ で、 今 後 さ ら に調 査 す る 必要 が あ る。 いず れ にし て. ・∽ヽミοヽ ﹃ヽヽ・ ≫ωに く﹂ ヽ Qヽ ωo∽ い 一 いヽい∽ヽ ヽ﹂ ヽい ヽヽ ω s ヽい おい ミヽ o5 文︵. cコ一 ■ ド こ曽︶ を挙 げ てお く。 お﹃ 食 事 の不美味 さ に関 し て は 、 〓2ヨ〓 くの三 〒 ヽ﹁ヽR ヽ c多 コく〓C 一r8 P あふ ︶にも印 象 的 な 場 面 が 描 か れ て , いるが 、 興味 深 いこと に逆 ρ証言 も残 って いる。   一八 三 三. も 長 者 丸 の乗 組 員 達 は救 出 直 後 、 客 官 太 洋 の特 別 ワイ. 年 か ら 一八 三六年 にかけ て捕 鯨 船 に乗 り組 ん だ ﹁﹃ &■ 算. ンを振 る舞 っても ら った のだ ろ う 。 そ れ も おそ ら く高 級 品 だ った マデ イ ラ辺 り のポ ー ト ・ワイ ンだ った の で. う食 事 が 続 いたとき 、 塩 漬 肉中 心 の本来 の食 事 L 戻し て欲. ・ くοヽヽ”ヽ  力oミミヽ い  Qヽ 卜ヽ ﹁ 卜   く   ヽ ぬ ω ω     い い o中ヽ ・ ヽ 9 ざ s ヽ ヽ ヽ o L、 ヽ ∞ωQ ︵ 卿一 ∞卜〇︶くOr  ︼ ∞〇  ro●Qo5ヽ  メ  一 のコ”﹃ω①3け ﹃ ① マ一  o・一 ヽ ピ ト ケ ー ン島 を でた後 しば ら く の間 、新 鮮 な 肉 や果 物 と い. ∪①σ①〓 ”①55①〓 は 、 く卜ヽヽ  みヽの 十 ﹂ 者圭ロン﹁ ヽヽ ヽ ヽヽ電嗚  οゝ ヽ 一 ヽい. はな いだ ろう か。 日本 人漂 流 民 達 は 日常 生 活 の レヴ ェ ルか ら、寛 容 の精 神 に満 ち た無 私 の援 助 を受 け て いた。. 調 査中. し いと いう要望 が 船員 のな か から挙 が った こと を記 し て い る。 ω8 用 〓 は、 船員 達 が 塩漬 肉 の方 が健 康 を維 持 す る の に適 し て いると考 え て いると、観 察 し て いる。. 0  ■ P ﹁”F F ふミ ・3 L ざ ︱︼ コ  コ ック は素 人 が 多 か った。 捕 鯨作 業 に向 かな いと判 断 さ れ たも のが食 事 係 を. 任 さ れ た。 給 料 は船 員 の中 でも っと も低 く、   一八 四七年 の. 数 値 に よ ると 一六〇 レイ ︵ 航 海 の総 収 人 の 一六〇 分 の 一と いう こと︶ と な って いる ︵ 国﹁F O 器 じ。新 米 船 員 で 一. 五か ら 一五〇 レイだ った か ら、捕 鯨 船 ではも っと も 経 済 効. な 研 究 は ほと んど な いと言 って よ い。 同書 はそ の中 で特 に 労働 条 件 や 日常 生 活 に焦 点 を絞 った 研 究許 で、 現 在 でも 高. 率 の悪 い船 員 と見 倣 さ れ て いた わけ であ る。. 鯨 産 業 の社 会 史 的 研 究 と し て ヨ フ ﹁”I P ﹃き く卜ヽヽ ﹂ ヽい ﹁Rいoゝ∽ヽ” 職ミ ツ ヽ6 oごヨσ耐 cコ一 鷹 ■ F こ認 ン ま た、 捕 鯨 船 を 含 む 一九 世 紀 全 般 の 船 員 生 活 に 関 し て は 、 ィF﹃  ∽〇〇〓 0﹁ 2∞〓一  い﹂  Qゝ ゝSヽお ゝヽ の一 oP ﹃卜ヽ ﹁ミcヽい ヽ ∞”﹃. ヽ∞へもヽ ﹁す〓”Q①〓oす一 ∞ヽい︶ くOr く・   ヽぬへヽヽ  一   ヽのた時 ︵ ”︶  oo・. 一 D   o 営 F∽ ゴ﹁ 焉①   を ヽミ ミ ざ ヽ  οゝ  い 卜ヽ  Qミ さヽ  ∽い P ヽお% , ﹄精ヽヽ ﹂ 町精ヽへヽぉい ﹂ 卜ヽ  くヽヽヽい ヽぬω∽も  ヽのωω︶ οヽヽい ヽい ヽ oヽ ヽミヽ﹂ ヽい い. 8 四 国﹃〓・マ ︼. い価 値 を持 つ。 本 論 で は以降 国﹁〓 と 略 記 す る。 そ の他 捕. や個 人 的 日記 、 あ る いは小 説 な ど に散 見 さ れ るが 、 体 系 的. す る経済 史 的 な も のが多 く、 いわ ゆ る社 会 史 的 研 究 は少 な い。 捕 鯨 船 の 日常 生 活 に関 し て は当 時 の捕 鯨 に関 す る書 物. 0 8 ∞ヨ”ヨ 一z①l くo﹃ F こ器 ンフ 〓o ア メリ カ捕 鯨 産 業 の 研 究 で は、 著 名 な 出 来 事 を追 う 事 件 史 や、産 業 構 造 を記 述. ・ゝ 里 ﹁ 邑 〓多 ﹁卜 ゝ ﹂ くヽミ ヨ ヨ o ” ” ヽ 灘 P ミ 6 ヽ ヽ ヽ ミ ヽ お ヽ ∽い く卜ヽコミ” ヽおヽミ% 卜ヽ 一 ゝ い﹂ ゝヽ い ミヽk ο  ヽおヽ いヽいoヽ ﹂ ミ ﹂ ヽ マ. (2)(1)註. (104) 『時規物語』巻之一 におけるアメ リカ捕鯨船 について0.

(13) 料 を配 給 す る こと を進 め て いる。 こ の大 著 は、 頂 点 を む か. て いる こと を指摘 し、 と りわけ船 員 の健 康 のた め新 鮮 な食. い8 18 P ヨ 弄 8 は、捕 鯨 船 のす べ て の労働 条 件 が 間 違 っ. よ ると 牛 肉 と 豚 肉合 わ せ て 二四〇 バ ー レ ルが 挙 が って いる。 こ のと き の費 用 が 二〇 四〇 ド ルで、装備 全 体 の費 用 が 五〇. 当 時 の捕 鯨 船 の積 み荷 リ ストが まと めら れ て いる。 そ れ に. い﹂ ③ ョ 刀 ﹃”一 卜 o二 鴫 国り〓 や 露 いには 一八 四 四年 ヨ①F ﹂. 。 海 のご o一のあ r N 等 を 参 照. ら、 も っと も 手 取 り早 い治療 方 法 は病 人 を 上陸 さ せ る こと. の環境 そ のも のが壊 血病 を引 き 起 こすと考 え ら れ て いた か. 3ミ. 九 九 九 ド ルと な って いる か ら、 ほぼ 四% に当 た る。. 一 ① > コ咀 ? > ヨ ロ 一 o””. ︸ o ”﹃罵 ユ P. え つ つあ った ア メリ カ捕 鯨 産 業 と 密 接 な 関 係 を持 つも ので、. 一 ① く ”5∞cミ Q 2. 0   パ8 認 手. 太 平 洋 、 イ ンド 洋 、 大 西洋 一帯 の鯨 資 源 と海 流 の関 係 を丹 、  ヘ ゴ ゞ ”一 Q∽鮮. 念 に調 べたも のと し ても 価 値 が あ る。 こ の意 義 に関 し て は 抽響 論. 2 z品 C ”聟 霧´ 38 ︶ ︺ ooL ミ ー〓oあ る いは同 じく拙. 草 が壊 血病 に効 果 が あ る こと は多 く の航 海 者 が報 告 し て い る。例 えば o8 ュ コマ 路 のは 一五七 七 から 九年 に かけ て の. ⑩   ライ ムや レ モ ンあ る いは スカ ーヴ イ ・グ ラ スと 呼 ば れ る. だ った。. 論 ﹁ケ ープ oホ ー ンと捕 鯨 ﹂ 電環 太 平洋 圏 におけ る文 化 的.  スカ ーヴ ィ ・グ ラ ス ︵ おそ らく は アブ ラ ナ科 ト モ 航 海 で、. , , ヽ﹂ 国X ”3資o5おヨ“  ︹ ﹁ヽ s ヽ%  oゝ ヽ いい ヽヽ おヽこοおヽ﹂ ﹁οヽ 民ぎ ο6s ” U 弓ゴのCュくのあ一 ﹁οヽ∽ヽ 卜ヽ﹁ヽ6﹂ け ヽお ヽ■3カs ミヽど∽οお い ”ざざ ︵ ×. o社 会 的 構 造 に関 す る研 究﹄ ︵ 名 古 屋大 学 環 太 平 洋 問 題 研. シリ ソウ︶ に言 及 し、 東 イ ンド会 社 は レ モ ン水 を積 む こと. を指 示 し て いる ︵一六〇 七年 ︶。. 0   十 七世 紀 初 頭 には ∽一 ﹃〓話 〓型”〓 が レ モ ンジ ュー スの瓶. 詰 め ︵あ る い は 缶 詰 ︶ を 発 明 し た こ と が 不 ヨ の手 ︸. 。 0”又”F ピ〓● っ ⊆争 N﹃ N∞ o に が い L I 挙 ユ て る 聟 ” ① G フ ∽ヨ一 手ヽヽR 逮ミ R 0 8 8 P 〓X ︶フ曽 卜で は、  ニ ューイ ン グ ラ ンド ヘの移 民 に対 し レ モ ンを携 帯 す る こと を奨 励 し て いる。. 食 料 不足 か ら来 る壊 血病 が後 を絶 たな か った こと が 報 告 さ. ⑭   国﹁F o 路 o によ ると 、   一八 四 四年 当 時 の マ ッ コウ捕 鯨. o∞﹃︶o・︼ ”﹃ ﹃ ①P ︻ , い﹂ ヽフ︼ 8 0   バ3 澪 手 ︺ o”む8 一 ①F ﹂. Q O﹃ 0”ヨσ﹃  Cコ一 一 己∞の ︵ 聞  ∪”く一  Qoミ﹂ け ①∽ ∽ ヽ” Ocs くの﹁ ∽ ヽ︵ ゝ ゝヽ. れ て いる。. さ れず 、   一八七年 代 の北 極 圏捕 鯨 時代 にも依 然 と し て生 鮮. と、   一八 四〇 年 代 か ら捕 鯨 船 に新 鮮 な食 料 を積 む よう警 告 が 発 せら れ は じ め て いる。 し かし、 状 況 は、 ほと んど改 善. し て ﹂工 ﹁”﹃ 3 ミ ね﹂ % 毬 べ ω﹂じ﹂ ● 3RCヽ f ﹃ざ ゝ飛 ミ カo 。 。 Cコ一 間 ヽ ミ ヽ ∽ 駐ヽ RQら い ヽ6軌0︵ いヽ く 空け ヽ ぶ ヽ ヽ o の ﹃ い ヽ ο 3 ο ミ ヽ お ヽ 飛 ヽo﹄ ■ o 3 聟 器 ﹃ ︼0 ︼ お を 挙 げ 一 一 て じ く。 3 ① ” ﹃ ① く ” ﹃ μ S , 〓 ﹁・0”﹃ ミ﹂ ∪  バ①●コの一 ︹ い の﹃  ﹂ % oヽ Ct S、驚  ・﹃卜ヽ セ οゝ ∽ヽミヽ oのコ一 Q鴨 cコ一 ミざヾき Q 6 ”ヨマ一 お ≧ ぞ ﹁﹃ の∽ P こ曽 ︶やこ に よ る. 当 時 の社 会 海 事 史 的 研 究 でも っと も優 れ たも の のひと つと. ⑥   大 航 海 時 代 の船 員 の 日常 生活 に ついて は 不明 の点 が 多 い。. 勝. 究 会 、 平 成 二年 ︺ 二六 一∼ 二八 三頁参 照 。. 昭 田 森. (105).

(14) (106) 『時規物語』巻之一 におけ るア メ リカ捕鯨船 につ いて0. 船 は平 均 し て 三 二〇 バ ー レ ルの小麦 粉 を 積 み込 ん で いた。. 立 て て い る。 捕 鯨 産 業 の社 会 史 を 研 究 す る際 の重 要 な 資 料 の ひ と つと 言 え る 。. 忠 実 に捕 鯨 産 業 の 日常 を 描 き 、 し か も 興 味 深 い読 み 物 に仕. ヽミヽ辞οヽヽ ω﹃ 2一 ooo︶ ム  ヽぬQの︱ ヽぬQO ︵ グ くの﹃ ol5Cコ一 ①∽P ︼ ︶ ﹁﹃ 照 。 例 え ば 彼 女 は 一八 五 六年 一二月 二八 日 の 日記 に こ う 記 .い る 。 して. ・﹃卜ヽ くヽお ヽ ︵ 閉   ∽Sコ一 れ ﹂ o● 〇”﹃ 5①﹃ ① ヽ﹁卜ヽ Qヽヽい ヽ﹂ ヽ、 % ωQ , 、 、 ヽミヽヽヽヽ  οゝ K くざヽ 卜ヽヽ 卜ヽ “ J ヽミ︺ ヽお ぃヽSヽ ヽ86s oヽ い Sヽ ︶ Q卜﹂. ロ   ョ フ ”2ヨQし いミ フ 葛 ド. ω  東 洋文 庫 三八 ﹃ 蕃 談 ﹄、 平 凡 社 、   一九 七 八年 、 二〇 七 頁 。. お そ ら く そ の半 分 く ら いはす で に焼 いた 部”g 一 ∽ 2 〓だ っ た と 考 え ら れ る。 0   国﹃F oフ 〓 ︼︱ 〓り お そ ら く保存 し た も の で はな く、そ の都 度 コ ックが 焼 いた も のであ る。 ①   国﹃F フ 〓” 0   国﹁F E L 8 1 冨 r O   国﹁F oL 〓 0   国﹁F フ 〓 r ⑩  一 局級 船 員 用 の食 料 と し て、 バ タ ー、 チ ーズ 、 千葡 萄 、 乾  コー ヒー、 胡 椒 、  マスタ ー 燥 林 檎 、 砂 糖 、 チ ョ コレー ト、. ↓コ一 ﹁①  一  ” oO﹃ ∽  一﹁︺ o﹃ コ一 コ∞ o”C∞ 一 ∽ の・コ  コ︺ ①”一 〇〇声∽  くの﹃ oO一 ︼ , , 一 戸の  σ①①P 日′①O〓一 声一 ヨCのコ 一 ∽〇〇5一 ”一 ●のQ 一 ● 一①∽ く一 コ︶♂ のコ , , ,. 翌年 一月 二六 日 に は再 び イ ルカを捕 まえ、 二月 一二日 に は. ま た 一八 五 六年 か ら 一八 六〇 年 にかけ て夫 であ る捕 鯨 船 長. ド 、 ジ ンジ ャー、 ブ ラ ンデ ィ、 ワイ ン、 な ど が 挙 げ ら れ る。 r ヨ用 一r”姜﹃ 8 8 に従 い七 回 の捕 鯨 航 海 に従 った 〓”長 r”妻﹃   一八 五 六年 一二月 二五 日 の クリ ス マス に、 3 8 は、 ロー スト チキ ン、 ポ テ ト、 カブ 、 タ マネ ギ 、 ク ラ ンベ リ シ. イ ルカを捕 まえ よう と し たが 失 敗 し て いる。 こ の 日イ ルカ. 一 〓 σ 〓 〓 Q oヨ o o﹄ 一すの ﹃ 一 一一 要 ① o O C 〇 ヨ 〇 〇 ■ ” ∽ コ ヨ①”一 × ・ , ﹁■のα ﹄〇﹃ Q一 ●コの﹃ ””Q ∽〇ヨ の ﹁︺ つ一〇 ∽”C∽”∞① の”戸①∽ ”αの 一. チ ュー、 ビ ー ト の漬 物 、 キ ュウ リ、 プ ラ ム入 リダ フを食 べ. を捕 まえ る騒ぎ の最 中 鶏 が 海 に落 ち、彼 女 は ﹁ 可愛 そ う な こと を し た。 船 の上 の生 き 物 み んな に対 し、私 は愛 情 を感. じ て いる﹂ と書 いて いる。 二月 一四日 には再び イ ルカを捕. ,. ′ ﹄〇﹃  ∽﹂oつのF 目 ①ゝ ”﹃① ”∽ コ一 のの ”∽ 00﹃声 ∽”C∽””の∽・. て いる。 これ も 特 別 配 給 だ ったが、 これ は ま れ な ケ ー スで 玉 子 も 貴 重 な 生 鮮 食 料 品 だ った よ う だ 。 ■ 一 一 一 一 ”ヨ K. い﹂ 葛 や 帥  ∪ミ a 9 ①∽ 七 世 の 卜 一 紀 移 民 船 で は イ ルカ くヽ﹂ p を時 々捕 え て いた が 、 フライ にす ると ﹁ ベ ー コン﹂ のよう. あ る。 ・oヽ ﹁卜ヽ ゝ毯ミ﹂ ∪”く一 ≧﹂ ゝ 蓼ヽ ∽ミ ヽ 毯むヽ ο P ヽヽヽ くヽミや ミヽお3 8一 8 L 駕 O oフ 田 い︱田 ∞に は、玉 子 が特 別 配 給 品 だ った こと を茶 化 す 話 が 描 かれ て いる。 同書 の初 版 は 一八. 大喜 び で食 べ、 そ の解 体 の様 子 を ﹁ 豚 の屠 殺﹂ のよう だ と. だ と いう証 言 が 残 って いる。P3 ”己 〓”け 汀 ﹃はイ ルカ肉 を. え て いる。. 七 四年 に出 版 さ れ て お り、 出 版 当 時 人 気 を博 し たも のであ る。 著 者 は実 際 捕 鯨 の黄 金 時 代 を経 験 し 、 そ れ に基 づ いて.

(15) 述 べ る。 イ ルカ の解 体 は多 く の移 民 にと って 一種 の娯 楽 の よう に捉 え ら れ て いた よう だ 。. 有無 二拘 ワラズ 不断 海 上 ヲ乗 廻 り﹂ と あ り、 尾 張 藩 船 手奉. 尾 張 二鯨 方 アリ テ獲 物 ノ て いる。 前 出 の ﹃ 鯨 史 稿 ﹄ には ﹁. は ﹃ 尾 張 名 所 固會 ﹄ な ど に は知 多 半 島 師崎 の捕 鯨 が 描 かれ. いた。 日本 でも最 古 の組 織 的 突 捕 り捕 鯨 だ った 可能 性 が あ 張 州 雑 志 ﹄、 あ る い る。 松 平 君 山 ﹃ 張 州 府 志 ﹄、 内 藤 東 甫 ﹃. し て いる。 四〇 〇年 の伝 統 を持 つデ ン マー ク領 フ ェロー諸. の   イ ルカを食 べ る習 慣 は全 世 界 に散 らば って、 現 在 も 存 在 島 のゴ ンド ウ漁 、  エスキ モー の シ ロイ ルカ漁 、 あ る いは 日. 食 べ物 と言 う わけ で はな か ったと考 え られ る。 な お、 尾 張. 行 千賀 氏 に率 いら れ た水 軍 を か ね た鯨 方 の存 在 が 報 告 さ れ て いる。 獲 物 は少 しず つ減 って いた のだ ろう が 、 そ れ以外. 五島 で は打 ち上 が った イ ルカを食 用と し て 一部 を利 用 す る  ニ ュl oフ ァウ ンド ラ ンド で は レ スト こと が あ る。 ま た、 ラ ンの メ ニ ュー にイ ルカ ステ ーキが載 る。 ア メリ カ捕 鯨 船. 氏の ﹃ 知 多 半 島 を読 む ︱海 ・山 ・いき も の ・村 の歴史 ︱﹄. 藩 の捕 鯨 に関 し て は郷 土 史 家 木 原克 之 氏 の教 え を頂 いた。. 本 の大 地 を中 心と し た追 い込 み漁 などが 有 名 だ し、 長 崎 県. も 少 な く と も 一八 六〇年 代 ま で はイ ルカを何 の抵 抗 も な く. 能 登 州   小 木 浦   此 処 二鯨 捕 ル者 アリ、 然 レド モ南 海 西海. 地 浦 捕 鯨 史﹄平 凡 社 、昭 和 四 四年 一八八頁︶ に は、﹁ 北陸 道. 熊 野太 槻清準 ﹃ 熊 野 太 地 浦 捕 鯨 史編纂 委 員 会 編 ﹃ 鯨 史 稿 ﹄︵. 、 、 C●一 資一 卜ヽ ︺ で や 卜ヽヽ ﹂ ゝ “ い くの﹃ ヽ ヽ お 、ヽ o ヽ い へ % 6ミ6 ︵ ヽ  ﹂ ︼ 〇﹄ い ヨ ”多 一   一八 五〇 年 代 から本 ●咀Ξ ﹃﹃ ①∽ ″ 〓器 ︶フ 曽 に は、. トミや ヽい ヽ38 ﹃ドヽこ﹂ ②  ピ〓3 ″ ω8o万∽ ざヽ ざop 専、 ヽヽい ﹂ ︶. 愛知 県 郷 土 史 料 刊 行 会 に は お お いに教 え られ た。 感 謝 し た い。. にも紀 州 から の鯨 肉 の流 入もあ り、 尾張 藩 では鯨 は珍 し い. 食 べ て いた。. ノ如 ク組 方 ノ法 備 リ タ ル事 ニ ハ非 ズ﹂ と あ り、 捕 鯨 が 行 な. の尾 の部 分 か ら 六〇 〇 ポ ンド ほど のテ ンダ ー ロイ ンを切 り. 格 化 す る ベ ー リ ング海 で の北 極 海 捕 鯨 で、解 体 し た後 、鯨. ②   寛 政 か ら文 化 年 間 にかけ て成 立 したと考 え ら れ て いる大. わ れ て いたら し い事 を伝 え て いる。 こ の件 に関 し て は筆 者. おL ∽o22× ゴFじF∞ トは、  〇こ ∪”詳ヨo匡一 〓 工一 聟o﹃. ① ︺ ”ヨa r8 Q 号 の航 海 日誌 の マイ ク ロフ ル ムの ク レジ ッ. い﹂ ① ョ ″ ﹁”一 卜 oL 記 ヨ①F ﹂. に言 及す る。. 少数 の捕 鯨 者 が鯨 の ステ ーキを賞 味 し た こと を記 し て いる。 〓の三 〒 は、そ の作 品 の中 で 二章 をさき ﹁ 美 味 と し て の鯨 ﹂. 取 り食 用 にし たと の報 告 が 記 さ れ て いる。 国”F OL 組 は. も 現 在 調査 中 であ る。. 張 地 方 は知 多 半 島 を中 心 にし て突捕 り式 捕 鯨 が 行 な わ れ て. 船長 日記﹄、五 一八頁 。尾 ②   日本 庶 民生 活 史 料集 成 第 五巻 ﹃. 鯨 肉 調味方﹄ に は、 約 一二〇 種 食 し方 が 記 述 さ れ 、 ま た ﹃ 類 に のぼ る料 理法 が描 か れ て いる。. 理 法 が 発 達 す る。﹃ 本 朝 食 鑑 ﹄には捕獲 方 法 か ら 、各 部 位 の. ②   江 戸 時 代 におけ る鯨 肉 食 の習 慣 は関 西 、 九 州 から始 ま り、 徐 々に東 へと広 が った も のら し い。江戸 時 代 に は鯨 肉 の調. 勝. 昭 田 森. (107).

(16) (108) 『時規物 語』巻之 一 にお け るア メ リカ捕鯨船 につ いて0. マ︻ 〇︼ oヽ﹁でい ” Z9 oい∞ ︶︼ N∞o”∞①∽ 匡∽ のc﹁一一卿①﹄ の﹃ の3の①Z9 ︻ と な って お り、   一九 八 一年 一月 二三日 に撮 影 さ れ たも の で あ る。 こ の航 海 日誌 に関 し て は 、 Ω Q ∪”﹃ 一 一 ヨ2 ∞コ 要 ∽ o手 ①ぞ ゴF聾 5m 〓c器cヨ のく一 のL ∽8 一 混ョ ”く >計 ヨ∽氏 か ら す べ て を 利 用 し引 用 し ても よ いと いう許 可 を頂 いた。 本 rrω と 略 記 す る。判 読 はす べ て筆 論 で は こ の航 海 日誌 を ﹂ 者 が 行 な った た め、 判 読 に誤 りが あ れば す べ て筆 者 の責 任 であ る。 rrω に拠 れば 、Fヨa rC 聟 号 は 一八 三九 年 二月 二 一 ﹂ 日午 前 一 一時 に タ ヒチを 日視 し、 三三 日 に パ イ ロ ットを雇 い、 午 前 一 一時 に タ ヒチ に錨 を降 ろ し て いる。 同 船 は以降 四月 四 日 の出 港 ま で ほぼ 二週 間 タ ヒチ に停 泊 し て いる。 タ. と だ った 。 国﹁F フ ∞器 の リ ス ト に は 、 コ 算 〓①ミ ︼ oξ 一 ス 8 ∪ス π F 〓 ∞ぽ 一 8 8 が挙 が って いる。 ∞ ヽ 側   大 久保 利兼序  大 熊 良 一著 ﹃ 小 笠 原 諸 島 異 国船 来 航 記 ﹄. 近 藤 出 版 、昭和 六o年 、九 七頁 には小笠 原 の 人 植 者 が 来 航 す る船 舶 に食料 を売 る際 の値 段 が 記 さ れ て いる。 豚 に関 し て. く の三 〒   ヽ 両 ス ︰ 一注 器 ・. Z 翌 けR 汀 一 要 ∽一o汁 L. 一 〇﹃ 手 の 国 蔵 訂 ュ &. は大 き さ によ ってそ の都 度値 段 を交 渉 し た ら し い。 前 出 の フ ロ ∪8 澪 F く争 r フ 器 にも豚 を積 み込 む記 述 が あ る。 ﹂ 器 ヨ∽rε 2 号 も タ ヒチ で豚 を 入手 し た のかも しれ な い。 〓①∽こ. 制   〓 ①﹃ヨ 翌. 閲   国 ヨ のュ α 号 の 航 海 日 誌 に 例 し て は. し 用 す る 許 可 を 頂 いた 。 > 一ま り前 よ 文 を 利 用 引 ∽ ∽ 8 や 3 ^´ 国ヨの﹁ ”こ 号 の 一人 四 四 年 六 月 ^ f ・日 の航 海 日誌 は 次 の よ う に判 読 でき る 。. でい 三の声 手 ∽け oコQミ 手の だ 00ヨヨの“R ∽要一 5Q 鮨 一 85∞ 要一. ヒ チ出 帆 後 船 は西 北 西 に進 路 を と ったが、 そ の後 の位 置 観 測 の記 載 が しば しば 欠 落 す る た め詳 し い位 置 は特 定 でき な い。 し か し、 途中 ど こ か の島 へ上陸 し た形 跡 が 次 のよう な.  N 戸  O 一 ﹁ Q ■oF     一 ﹃ ”一 ①”け の﹁ ●︼ ゴ﹁  ”け コ ロ   ∽ O の ﹃ ① ∽ ﹃ ① の ① ” o o , , , Q O”o一>一 下3 N卜 で♂5一 ∞oo す∽ oc一夏〓コ ︻ o﹄Z①夏 ∞①Q一 o﹁. 曾汀︶鮮 o●. 姜姜キ姜 ︶ ︵. ,. 一 ①. ”o”一﹂”ヨ①∽ ∞﹃ ≦の Zの2 のコQ∽ ぞI∞ o﹂ o要” 鮨 ∽”ヨc2 ︼. 半 キキ ︵ ︶ 鮨   一妻 〇  一匡 二 下   一夏 o  σ oゝ ∽  ” σ ∽のO” α ①Q .. ヨ oQの﹁”お 一す﹁①夏 ①→ お ︶ 一 ① 5置 す一 ”一 o ”ヨ oF ”∽””一 要 ①3一 , 一 〓〓 一〓の 一くくO σσ一   ”一  3005 ﹃の一C﹃5のα メヽ ● ♂ く〓  一 ① σO”一 ∽ , ,. 2万 ︵ すのコQ①Q︶一①﹃〇﹃ 主一﹂ ぴ ”5Q ∽ ”コ戸∽ヨFQ 一 ① ↓o ∽ ①∽ o o , , 姜 ∽ σ︼ ♂ く ∽ く σ︼ ∽ 一 け ”コQ一 ●∞ 一 〇 ´ くのα 一 〇﹃ o♂  ”  ︵ .. .︶. σσお ∽o①﹃ o︶ oヨ のご■① ︵ 生3 ﹁ ヨ 〇〓“一すL﹂o”峰 ︵ ①の﹁ ①Q. 形 で航 海 日誌 に記 さ れ て いる。 四月 八 日 に はボ ー トが陸 ヘ 向 か い、 九 日 にはそ のボ ー トが 帰 ってき て いる。 そ の地 点 は南 緯 一七 度 、 西経 一五 三度 であ る。 四月 一四 日 にも ボ ー トが 陸 へ向 か い、 翌 日戻 り、   一五 日 に はも う 一度 ボ ー トが 陸 へ向 か って いる。 明 ら か に これ は交 易 が あ った と いえ る。 一六 日 に は こ のボ ー トも 戻 って いる。 四月 に 四 日 か ら 五月 一八 日 ま で の航 海 日誌 は 残 って お ら ず 、 こ の間 、 交 易 が あ った か ど う か は判 断 でき な い。 そ の後 、 長 者 丸 を救 出 し ハワイ に つく ま で、 島 に立 ち寄 った形 跡 は な い。 田   鶏 、 鶴 、 豚 な ど を船 に積 み 込 み甲板 で飼 う の は普 通 の こ.

(17) 昭 勝 田 森. (109). IF さ﹂ ① ∪﹃F oL コ あるいは ョ フ ﹃” > o二 だ 等を 参照。 多コP ω8源一 ① ﹁ 卜 oフ 冨NI“∞参照。 月p S﹂ 七   ﹁この水 目 に し み申 候 ﹂ ︱捕 鯨船 の 日常 生 活. じ て募 集 さ れ る。 ﹁ 代 理 人 ﹂ は船 主 の 一人 であ る こ と. が 多 い。 船 員 は ﹁ 代 理 人﹂ が 用意 し た契 約書 に サイ ン. 〇二 ﹃I ①じ が 経 営 す る を済 せると、次 は ﹁ 仕 立 人﹂ ︵. 店 で航 海 に必要 な 衣 類 や 日常 品 を買 い揃 え る。 粗 悪 品. に不当 な高 値 を付 け た場 合 が 多 いが 、事 情 を知 ら な い. 船捕 鯨 が イギ リ スと オ ラ ンダ を中 心 にか しさ れ て から. 帽 子 を被 って いる のが 特 長 であ る。   一七世 紀 に大 型 帆. て いる。 いず れ も ジ ャケ ット、 ズ ボ ン、靴 を身 に付 け 、. 員 の服 装 に ついて は漂 流 民 達 の証 言と共 に挿 画 が 残 っ. 与 え ら れ、 ﹁ 異 国 人 同様 の姿 ﹂ にな って いる①。捕 鯨 船. に乗 り 込 ん で いるが 、 数 日後 に は アメリ カ風 の衣 類 を. て いる。 平 四郎 な ど は紋 付 を着 、威儀 を正 し て捕 鯨 船. 漂 流 民 た ち は救 出 当 日、 と っておき の着 物 に着 替 え. ツ、 下着 、靴 下 、 靴 な ど であ る。 こう し た品 を ﹁ 代理. フ ロック コー ト 一着 、 雨合 羽 一着 、 ズ ボ ン数 本 、 シ ャ. て いた。 典型 的 な も のを挙 げ ると 、 ジ ャケ ット ニ着 、. ベ ルト、 石鹸 、 毛 布 、 枕 等 と 共 に、 安 い衣料 品 が 入 っ. 事 用 ナイ フ、 フ ォー ク、 スプ ー ン、 皿、作 業 用 ナイ フ、. ま れ る。 そ の中 に は、 針 、 糸 、 ボ タ ン、Z 剃 道 具、食. 通 称 ∪8 汀 Чと呼 ば れ る船 桑 折 3 8 oF ∽ し に詰 め込. ド ルか か った よう だ③。 こう し てそ ろえ た 必 需 品 は 、. 者 は自 前 で、 別 の店 で調 達 す る。 平 均 七〇 から 一〇 〇. 新 米 た ち は こ こ で衣 類 を揃 え る こと が 多 か った。 経 験. 多 く の捕 鯨 図 が 描 か れ 、   一八 五 〇 年 代 か ら は 写 真 も. 人﹂ から購 入す ると き は前 借 り で、 航 海終 了後 清 算 さ. ︵ 衣 ・住 篇 ︶ ︱. 残 って いるが 、捕 鯨 船 員 達 は例 外 なく帽 子 を被 って い. れ る事 にな って いた④。. な ど を し た よう だ が 、 そ の他 は暇 だ った よう で、 船 長. 長 者 丸 の乗 組 員 達 は捕 鯨 船 上 で は砥 石を 回す 手 伝 い. る②。 帽 子 を被 る のは当 時 の風 俗 でもあ った が 事 故 を 防 ぐ 意 味 も あ った。 捕 鯨 船員 達 は ﹁ 乗 船 代 理 人 ﹂a コ一 コ∞>﹃ コし を通 署一.

(18) (110) 0. 『時規物 語』巻之 一 におけ るア メ リカ捕鯨船 につ いてl. 給 三 五 セ ント、 グ リ ー ン ハンド と 呼 ば れ る新 米 船 員 で. 立 着 いた し候 へと申 外 に色 々手真 似 いた し候 。 そ. 長 持 よう の内 に多 く貯 候 木 綿 を取 出 し、 勝 手 に仕. 動 で はな か った。 も ち ろ ん漂 流 民達 は こ の搾 取 の シ ス. ほう に は いる⑥。 捕 鯨 業 は経済 的 に は決 し て有 利 な 活. 工場 の平 均給与 と 比 べ て、 よ いど ころ か、 む し ろ悪 い. は見 か ね て声 を かけ て いる。. れ も いか ゞと 見 合 居 候 へど も 、後 には切 裁 候 て、. テ ムか ら は除外 さ れ て いた。 過 酷 な 労働 条 件 化 で働 く. は 一八 セ ントと いう 試 算 が あ る。 これ は当 時 の農 場 や. 6 ・ 彼 等 の着 し た る 服 の様 に こ し ら へ着 申 候 ︵2. 船 員 達 を横 日 で見 な が ら 、 見 よう見 真 似 で洋 服 を こし. 夜 中 七人 の者 共 を 船 の脂 へ連 行 、 人 々集 り た る虎. ﹁ 住 ﹂ に関 し て は救 出 直 後 の次 の証 言 が残 って いる。. ら え 、 着 用 した の であ る。. 下︶. 長 持 様 ﹂ のも のは、 ∽︼ 木 綿 を蓄 え て いた ﹁ 8 o汀 客 る 日用 品 の予 備 を 入れ て おき 、 船 員達 は必 要 に応 じ て. に臥 候様申 候 へ共 、 嬉 しさ の餘 り眠 り 不申 、咄 な. と 呼ば れ る。 衣 類 ・布 はも ち ろ ん、 石鹸 、 煙 草 に いた. 取 り出 す 。   一種 の掛 売 り で、 取 出 し たも の はす べ て記. 4 ど いたし居 り申 候 。 ︵ 2 。下︶. 船 中 にて夜中 は水 夫 ど も 船 の表 に居 候 て、 躍 りな. Z り。. ま た船 の生活 にも 慣 れ た ころ の証 言 は次 のよう にな. 帳 さ れ 、 これ も 航 海 の終 了後 清 算 さ れ る⑤。 も ち ろ ん これ ら の品 々にも 不当 な値 段 が 付 け ら れ て いた。 船 員 達 は徹 底 的 に搾 取 さ れ る シ ステ ム のも と で労 働 に従 事 し て いた。 船 員 の中 に は下 船 時 に、収 支 が マイ ナ スに. 食 い詰 め た徒 手 空 拳 の青 年 達 にと って捕 鯨 船 に乗 り込. ど いたし候 へど も 、 いづ れ も ﹁ケ ツカ ル﹂ 部 屋邊. な るも のも いた。   一八 四〇 年 代 の帆 船捕 鯨 黄 金 時 代 、. む こと は 一つの選 択 だ ったが 、 平 均給 与 は平 船 員 で 日.

(19) 昭 勝 田 森. (111). ・下 ︶. 6 に居 申 候 故 、 間 遠 く 足 音 も 聞 え 不 申 程 に候 。 ︵2. こ こ に 二十 人 前後 の男 達 が 閉 じ 込 めら れ て いた のであ. じら れ てし まう の で、 暗 く 、息 苦 し い空 間 にな った。. 船 首 ︶ 甲 板 の下 の部 分 が 平 船 員 の 一般 に船 で は舶 ︵. 起 こ った③。 薄 暗 い へや の墨 に は鼠 の目が 光 り 、 壁 に. 充満 し、様 々な言 葉 が 飛 び 交 い、 口論 や評 いが 頻繁 に. る。 汗 や体 臭 、 煙 草 や食 物 の滓 、古 着 や毛 布 の臭 いが. 居 住 地 区 で フ ォク ス ル 翁 o﹃ 8 ”■ 0 と 呼 ば れ る 。 こ. はゴ キブ リが議 いて いた。 記 録 を残 し た多 く の捕 鯨 者. 高 級 船員 達 の居 住 区 は前 述 のよう に、船 の臆 にあ っ. の 旨ヨB rε Q 号 のよう な ∽Fざ 型 帆 船 で は 、 前 桔. のに従 って カ ーブ を 描 く 空 間 で、 そ の曲 が った 壁 に. た。 船 尾 の 0諄 F は、 操 舵 室 で も あ り 捕 鯨 船 の中 枢. が 異 口同音 にそ の不潔 さ 、 不快 さ を指 摘 し て いる。 ま. 沿 って板 製 の 二段 ベ ッド が し つらえ てあ る0。 そ こ で. だ った。 そ の下 の ﹁ 矢 倉 よ り栄 線 のよう に廻 り降 り﹂. 翁 o﹃ ①B器し よ り前 方 に位 置 す る。そ こから 、平 船 員. 自 前 の毛 布 を使 って眠 る の であ る。船 の揺 れ が 大 き い. oS ュ い、 たと こ ろ の右 舷 側 が 船 長 室 ︵ ∽r ”け ①﹃ ooヨ︶. さ に悲 劇的 な 空 間 だ った。 船 員 達 は天候 が許 せば でき. 船 蕃 談 ﹄ に は、 ﹁ とき は ハン モ ックを吊 って眠 った。 ﹃. で、寝 室 、 執 務 室 、 休 憩 室 を兼 ね、 トイ レも っいて い. るだ け甲板 で過 ご す こと を好 んだ のも 無 理 はな いo。. ノ盪 羨 ヲ忌 者 ハ帆 布 ヲ長 八九 尺 二我 シ、 首 尾 二木 條 ヲ. た。 ベ ッド は特 殊 な 装 置 で船 の揺 れ に対 し水 平 を保 て. の生 活 が ω①h oお ↓訂 〓おけと 呼 ばれ る事 にな る。 フ ォ. 檀 シ、 梁 ノ鐵 環 二縄 繋 ス。 形 チ略鶏埓 二類 ス。 之 二褥. る よう にな って いた。 ベ ッド そ のも の へ取 付 け た ハン. ク スルは主 甲 板 の真 下 にあ り、 舶先が 次第 に狭 く な る. 3 ・上︶ 8 ヲ布 キ寝 ス レ ハ、 懸 空 二篤 二傾 側揺動 セ ス﹂ ︵2. 呼ば れ る部 屋 も あ り、 客 な ど を 迎え るとき に使 った。. モ ック のよう な も の であ る。 別 に 08 け ”ヨ、 ∽o許 F と. フ ォク ス ルで は 入 り 日の ハ ッチが唯 一の通 気 孔 であ.   一八 四 〇 年 代 ソ フ ァーを備 え付 け た船 さ え あ った⑩。. と ハン モ ック に言 及 し、 図 を 添 え て いる。.  ハ ッチは悪 天候 の時 に は閉 り、 明 り採 り でも あ った。.

(20) (H2) 『時規物語』巻之一におけるアメリカ捕鯨船 について0. れ て いる。 船 長 室 よ り は小 さ いが 、 そ れ でも 十 分 な 広. 寝 床 と机 が つ い て いた。 ﹃ 蕃 談 ﹄ に は そ の図 が 付 け ら. 与 え ら れ て いた 。 そ こ は航 海 士達 の寝 室 兼 執 務 室 で、. 鯨 船 に分 乗 して ハワイ ヘ向 か って いるm。 平 四郎 、 金. し か し、 本 論0 で述 べ た よ う に漂 流 民 た ち は 四隻 の捕. ただ 航 海室 は七 人 が使 う に は スペ ー スが 足 りな い。. 3 o上 、8 4 ハ皆 吏 房 ヲ受 ケ是 二居 レリ﹂ ︵ 8 2 2 ・上︶と証 言 し て いる。航海 士 用 の部 屋 を貰 ったと いう のであ る。. 気 にな ら な か った の であ る。 ﹃ 蕃 談 ﹄ には、 ﹁ 官 人 三房. さ があ った。 こ の航 海 十室 は食 堂 ︵ 〓①口 刀8 ヨ︶と っ. 蔵 、 次 郎 古 の三名 、 八左 衛 門 、 七左 衛 門 の 三名 、 あ と. から妻 子 を乗 り 組 ま せ る船 長 も で てく るが 、 数 名 の家. な が って いた。 食 堂 に は固定 さ れ た テ ーブ ルが あ り 、. は 六兵 衛 、 太 二郎 は 一人 ず つだ った ので、 そ れぞ れ の. 族 が暮 ら せ る程 度 の スペ ー スはあ ったω。 漂 流 民 た ち. 船 長 、 航 海 士 、 鈷 手 が食 事 を取 った。食 堂 は航 海 士 た. 船 が 漂 流 民達 に航 海 士室 を あ てが う こと も 可能 だ った. 3 ハ較 寛 裕 ニシテ佳 潔 也 ﹂ ︵2 8 o上︶と 、一 局級 船 員 た ち の 部 屋 が 広 く清潔 だ った こと を 伝 え て いる。 そ こで は鍵. ちが集 ま ると こ ろ な の で、〓”け 8 o諄 F と も 呼 ば れ た. ろう。 七名 を分 け た のは、 快 適 な船 旅 をさ せ てや ろう. が最 初 に ワイ ンを振 る舞 わ れ た場 所 は こ こだ と 推 定 で. ⑭。 船 長室 と 航 海 士室 の前 方 に ∽け ①﹃ 出 のと 呼 ば れ る 空. と いう 配 慮 から かも 知 れ な い。 いづれ にし ても漂 流 民. も か か る し、机 も 明 り採 り も あ った。 次郎吉 は ﹁ 漂子. 間 があ る。 普 通 八 つの寝 棚 仕 込 ん であ る。 通 風 と 採 光. 達 はそ れ ぞ れ の船 で、 航 海 土達 と 同 じ空 間 で寝起 き し、. キcス υ。. の点 で は難 点 が あ ったが 、 気 を 配 ってさ え いれば 、 十. お互 い の寝 息 を聞 き な が ら ハワイ ま で の五 か月間 を過. 〓”け メイ ト は左 舷 側 に航 海 士室 ︵ 8 ∽け ”一 の﹃ 8 B︶ を. 分快 適 な居 住 空 間 にな った。 こ こが 船 で は第 二位 の ク. ご し た。. 捕 鯨 船 の日課 に関 し て は つぎ の証 言 が あ る。. ラ スの鈷 手 、 樽 職 人 、 大 工、 た ち の部 屋 であ るm。 漂 流 民 た ち は お そ ら く航 海 士室 に寝 起 き す る こと を 許 さ れ た のだ ろ う 。 だ から 、 フ ォク スルの馬 鹿 騒 ぎ は.

(21) 昭 勝 田 森. (113). 此 船 中 に は重 立 候 者 三人 は、 宵 より夜 明け ま で臥. 正午 ∼    午 後 四時 = 四時 間. 午 前 四時 ∼午 前 八時 = 四時 間. r”﹃ σo”﹃ Q´ く”け o , 午 後 六時 ∼午 後 八時 = 二時 間. 計         十 四時 間. り、其 の餘 水 夫 共 は書 夜 三時 代 わ り に休 息 いた し 6 候 ︵ 2 o上 ︶. 多 と いう シ ステ ムが あ った。これ は 二人 の航 ”乱 ヨ ””. 午 前 ○時 ∼午 前 4時 = 四時 間. 捕 鯨 船 にも 他 の商 船 や 軍 艦 同 様 、 いわ ゆ る ョ ”け 多. 海 士 を リ ーダ ー に乗 組 員 を 三グ ループ に分 け、 交 代 で. 午 前 八時 ∼     正午 = 四時 間. 要 ”一  二等 航 海 士 を リ ーダ ーと す る r”﹃ g pa の と、 , 要 ”け 年 の ニグ ループ に配 属 さ れ る。そ れぞ れ のグ ルー. 外 の全 員 が、 g ”a   一等 航 海 士 を リ ーダ ーと す る ∽け ”﹃.  コ ック、 司厨 長 以 読 み上げ る。 船 長 、 大 工、鍛 冶 屋 、. 航 海 士が それ ぞ れ 自 分 のグ ループ に属 す る人員 の名 を. 話 に花 が 咲 く のも こ の時 間 帯 であ る。 非 番 のも のは時. 一日 でも っとも寛 げ る時 間 にな る。 歌 を歌 い、 踊 り、. 事 を取 り、 六時 から 八時 は ほと んど の乗 組 員 にと って、. ループ の シ フトが 入れ替 わ る。 四時 から 六時 の間 に食. ら れ 、 これ を ∪品 要 ”け 多 と 呼 ぶ。 こ の四時 間 で ニグ. 午 後 四時 から午 後 八時 の四時 間 は 二時 間 ず つに分け. 計         一〇 時 間①. 船 上作 業 を行 な う も の で、   一五、 六世紀 の大航 海 以 来 の伝 統 的 な や り方 であ る。 捕 鯨 船 では母港 を出 港 し た. プ は次 の シ フト で交 代 勤 務 に つく る⑮。. 扱 え、 歌 が 歌 え るも のは 〓一 ■ ω長 と 呼 ば れ人気 ヨけ. 最 初 の日 の午 後 四時 、 総 員 が 甲 板 に集 めら れ、 二人 の. ∽け Qくく”け ”σO﹃ 0 , 午 後 四時 ∼午 後 六時 = 二時 間. も のにな った。虚 実 と り混 ぜ た大 袈 裟 な話 は く”3 と. に は夜 中 ま で浮 かれ 騒 ぐ こと が あ った。 簡 単 な楽 器が. 午 後 八時 ∼ 午 前 ○ 時 = 四時 間.

(22) (114) 3. 『時規物語』巻之 一 におけ るア メ リカ捕鯨船 につ いてl. いる。. 9 ・上︶と語 って 船 中 にて骰 子 所 持 の者 有 之 ﹂︵ 達は ﹁ 2. 多 いが 、 こ っそ り や って いた のかも しれ な い。 漂流 民. な 場 面 を描 いて いる⑬。 賭 博 は船 長 が 禁 止 す る 場 合 が. 捕 鯨 船 上 で のパ ー テ イ ー に つ いて は 〓①〓 〒 が 印象 的. れ あ いも あ った。 これ は ∽ご r”升一 ●∞ と 呼ば れ たm。. や海 賊 が 登 場 す る話 だ った。 レ スリ ング まが いのじ ゃ. く”ヨ︶ と 言 った。海 の怪 獣 や セ ント エル モの火 、幽 霊. 呼 ば れ 、 そ ん な 話 を す る こと を ﹁ 糸 紡 ぎ ﹂ 6 oF ”. ウ ンド﹂ で本格 的操 業 体 制 に入 って いた のであ る。 漂. ジ ャパ ソ ・グ ラ rε Q 号 は長者 丸救 出前 後 いわ ゆ る ﹁. 制 に 入 った と き の ワ ッチ ・シ ス テ ム で あ る 。 旨ヨ8. が 言 及 し て いる のはおそ ら く こ の捕 鯨 場 で捕 鯨 作 業 体. いた⑬。 昼 間 は総員 が捕 鯨 に備 え て待 機 す る 。 漂 流 民. き 、 そ の間 船 長 L航 海 士 は邪魔 さ れ る こと な く 眠 って. の 三交 替 、 も しく は 三時 間 づ つの 四交替 制 で勤 務 に つ. を作 り、午 後 六時 から翌朝 午 前 六時 ま でを 四時 間 づ つ. 配 置 さ れ た 四人 の平水 夫 と 鈷 手 の計 五名 が 一グ ループ. oシ ステ ムで は航 海 士 も 共 に夜 中 に起 き て、 四時 間 ご. 等 航 海 士 、 二等 航 海 士 の こと だ 。 し か し、 こ の ワ ッチ. 海 時 の シ フトでは午 前 四時 か ら午 前 八時 のグ ループ が. ︲ o下︶と し て いる。航 8 二カ ヲ併 セ、船 上 ヲ掃 個 ス﹂ ︵ 2. ﹃ 毎 日朝 起 、 衆 夫 一斉 蕃 談 ﹄ には船 の朝 の 日課 を ﹁. 流 民 の証 言 は ここでも 異常 に正 確 だ 。. 宵 と の交 替 勤 務 に つく 。 船 長 は別 にし て、 航 海 土 が ﹁. 蕃 談 ﹄ の全 員 揃 って の清 掃 船 の清 掃 作 業 を行 な う。 ﹃.  一 さ て、 漂 流 民 が 言 う ﹁ 重 立 候 二人 ﹂ と は、 船 長、. よ り夜 明 け ま で臥 る﹂ こと はな い。 漂 流 民 の記 憶 違 い. は、 操 業 体 制 の時 のも のだ 。 こ の観 察 も 正確 だ 。. 扱 、 此 船 に乗 り移 り候 て 三 四 日目 に、盟 を持 出水. 経 験 し て いる。. 救 出後 三、 四 日経 ったと き 漂 流 民 達 は面白 いこと を. だ ろう か。 実 は、 今 述 べ た ワ ッチ ・シ ステ ムは、 捕 鯨 場 に つく ま で の航 海 中 に使 わ れ るも の で、捕 鯨 場 に ついた後 は 別 の ワ ッチ ・シ ステ ムを使 う こと にな って いた。捕 鯨 場 に つく と 、 三な いし 四隻 あ る捕 鯨 ボ ー ト にそ れぞ れ.

参照