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<論文>ブラジル日系会社再訪

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(1)文学・芸術・文化/第 22 巻第 1 号/ 2010.9. ブラジル日系社会再訪 永 田 高 志 1.はじめに  かつてブラジル、パラナ州の戦前日系コロニアであるアサイで 1989 年 8 月から 1990 年 2 月にわたり一世から三世にわたって使われている日本語、いわゆるコロ ニア語の調査を行った。結論として、永田(1991a)では、そこで使われている日 本語は、「1.ポルトガル語の影響が強い。2.複雑な混淆である。3.学校教育を通 じての標準語や移民出身地の多くを占める西日本方言特に九州方言によって平均化 されている。 (中略)周囲のブラジル社会との接触によりポルトガル語の影響を大 きく受けている。特に、世代が若くなるごとにポルトガル語の影響が強くなってい く。現在では、この言語は三世の間ではほぼ使われなくなっており、いずれ消滅し て行くのであろう」(p.166 − 167)と日本語の衰退を示した。しかし、同時に永田 (1991b)では、「戦後 10 年ぐらいから急速にブラジル社会に同化しようとした日 系社会は、このところ 5,6 年のブラジルの年間 1,000 パーセントの超インフレと いうブラジル社会の零落に対し、混乱の時代を迎えている。経済難のため、年間 3 万人の日系人が日本に出稼ぎに出ており、3 万人という数は全ブラジル日系人 120 万人の 2.5 パーセントにあたり、一家族の家族構成を平均 5 人とすると、8 人に 1 人日系人は日本から送られて来る出稼ぎの仕送りの恩恵を受けていることになる。 戦後 10 年以降、日本は一世達の望郷の国に過ぎなくなったが、最近ではまた出稼 ぎという方法で近い国になりつつある。(中略)しかし、日系人にとってまた日系 社会が再構成されるかというと問題の残るところである。ブラジルに育った二・三 世たちは人格的にブラジル人であり、日本に出稼ぎにいったところで日本人になる のは難しい問題である。日本に同化できない日系出稼ぎの問題もできつつあり、そ れ以上に問題なのは、日系社会、及びブラジルの発展のために必要な労働力が海外 に流出し、日系社会及びブラジルが益々荒廃しつつあるという問題である。(中略) 日本語教育についても、多くの問題を残している。現在、日本語教育は国語教育と しての日本語教育と、外国語としての日本語教育という二派に別れている。前者は. −182−. ( 27 ).

(2) ブラジル日系社会再訪 永田. 戦後の勝ち組運動から派生したもので、日系子弟達に日本の文化、習慣を教え、日 本人を継承しようという教育である。(中略)しかし、現実問題として、日系児童 達はブラジル化しており、容易には成果を得るのが難しいと思われる。(中略)会 話のできない児童に読み書き中心の教育を行っている。後者は、二世の教師を中心 に、ポルトガル語を母語とし、外国語としての日本語教育を施そうとするものであ る。(中略)しかし、外国語教育というものは言語形成期を終えた者が第二の言語 を習得しようというもので、ブラジルにおいては児童を対象としており、教授法に 問題の残るところである」(p.52 − 53)と示した。20 年前の状況は以上のようで あった。  20 年経った今、日本に滞在している日系出稼ぎブラジル人の問題が大きな社会 問題になり、多くの研究報告がされている。永田(2007)を引用すると、「平成 16 年度の調査によると、ブラジル人 286,557 人、ペルー人 55,750 人が滞在しており、 ほとんどが日系人であることが予想され、平成 14 年度版の『在留外国人統計』に よると、67,000 人が義務教育年齢に達していることが分かる。(中略)外国人には 日本の義務教育制度は適用されないため、ブラジル人の多く住む豊橋市では 1999 年の不就学率は小学校 25.0%、中学校 45.5%となっている。日本の学校の代わりに ブラジル人学校が設立されているが、国費からの財政的援助がなく必然的に授業料 が高くなり退学する例が多い。学習言語である日本語が不自由であるという問題も あるが、親と一緒に来日しただけで日本に永住するのか、帰国するのかという将来 の道が決定できないでいるという帰属意識の問題も大きい」(p .219)と示してお り、日本の多言語共生社会化という観点から社会・教育・言語全ての面にわたって 大きな研究課題を提起している。  しかし、本国のブラジルでは日系社会がどうなっているかについてはほとんど研 究がなく、未知の分野である。最近では日本の経済不況のあおりを受けて、出稼ぎ 日系人が失業し、さらに 2009 年度からは帰伯希望者には日本政府から一人あたり 支援金が 30 万円給付されることになり、帰伯するものが増えてきている。帰伯し てきた出稼ぎ日系人達がどのような生活をしているのか、また、出稼ぎによって日 系社会にどのような影響が出たのかについてはほとんど報告がなく、日本では分か らない。また、日本語教育がどのように変化したかも興味のわくところである。今. ( 28 ). −181−.

(3) 文学・芸術・文化/第 22 巻第 1 号/ 2010.9. 回は、20 年前に出した問題提起の結論を見たいという希望があり、再訪すること にした。2009 年 8 月の約 3 週間、サンパウロ市、パラナ州ロンドリーナ市の日系 団体や日本語教育団体での情報や資料採集、パラナ州のアサイやアモレイラでのイ ンタビューで得た結果を報告したい。. 2.出稼ぎの統計的実態調査  ‘Dekassegui’ というポルトガル語が新語としてブラジル国内において一般的に 使われている。日本のみでなく、ヨーロッパやアメリカ等を含めた海外に就労目的 で出ることも言っているが、もちろん日本語からの借用語である。ヨーロッパやア メリカに対して何人ぐらいが出稼ぎに行っているかの実態的数値はつかめないが、 ヨーロッパに 100 万人から 130 万人、アメリカに 100 万人が行っていると推定され ている。日本に対しての出稼ぎは出入国管理局の統計によって明示されており、図 1 の通りである。1990 年を境に出稼ぎ者数が大幅に増えるのは、1990 年に「出入 国管理及び難民認定法」が改定され、一般の外国人には認められない非熟練労働 を、配偶者を含む三世までの日系人にのみ許可する法的措置がとられたことに端を 発している。 350000 300000 250000 200000 150000 100000 50000. 2007. 2006. 2005. 2004. 2003. 2002. 2001. 2000. 1999. 1998. 1997. 1996. 1995. 1994. 1993. 1992. 1991. 1990. 1989. 1988. 1987. 1986. 1985. 0. 図1 年度別ブラジル日系人出稼ぎ者数. −180−. ( 29 ).

(4) ブラジル日系社会再訪 永田.  2002 年度の在日出稼ぎ日系人の年齢別構成が図 2 の通り示されている。20 代、 30 代が多いが、就学年齢に属する児童もいて、学校教育の上で問題視されている 世代である。また、浜松市が 2006 年に行った調査では、通算滞日期間が 9 年から 11 年以上の日系人は、全回答者のうち 41.1%にも達している。 45000 40000 35000 30000 25000 20000 15000 10000 5000 0 80−. 75−79. 70−74. 65−69. 60−64. 55−59. 50−54. 45−49. 40−44. 35−39. 30−34. 25−29. 20−24. 15−19. 10−14. 5−9. 0−4. 図2 年齢別出稼ぎ者数.  ブラジル政府が自国民の出稼ぎに対してどのような態度で接しているかは興味の わくところである。課税対象にもなるため家族に対しての仕送り額がブラジル政府 によって公示されており、それによると、年平均 6 億米ドルが送金されている。政 府にとっては自国民が出稼ぎによって外貨を獲得し、国内経済を豊かにしていると いう事実は見逃せないことと思われる。日本国内ではあまり問題にされなかった が、国内の経済状況が悪くなり、出稼ぎ日系人に対し、帰伯すると 30 万円を政府 が支援するが、支援を受けて帰伯した者には時限的に就労可能なビザの発給をしな いという政府の発表に対し、サンパウロの日系新聞、「ニッケイ新聞」の 2009 年 4 月 30 日号では、カルロス・ルッピ労働大臣が日本大使館に対してこの政策の無効 化を求めたという記事が載せられており、日系社会で大きな波紋が起こったことが 予測される。それに対し、「ニッケイ新聞」の 2009 年 5 月 9 日号では、河村官房長 官が制限期間を原則 3 年とするという発表がなされたとある。ブラジル政府にとっ ても自国民が出稼ぎによって送金する外貨は大いに経済的に価値のあるものである ことが分かる。実際、Sebrae(Serviço Brasileiro de Apoio às Micro e Pequenas. ( 30 ). −179−.

(5) 文学・芸術・文化/第 22 巻第 1 号/ 2010.9. Empresas)や ABD(Associação Brasikeira de Dekassegui)というブラジル政府 の機関があり、積極的に出稼ぎを支援していることが推測される。出稼ぎに問題が あることも把握しており、Sabrae & ABD(2004)では、日本へ出稼ぎ前、出稼ぎ 中、出稼ぎ後のそれぞれの日系人に対して、出稼ぎの目的、仕事や収入に対する満 足度、差別を感じるかどうか、仕事場での同僚との関係等、イエスとノーで答える 質問形式による調査を行っている。出稼ぎ前の人々では、よりよい収入を求めるた めとか、学業を続けるための費用やブラジルでの起業資金を稼ぐという目標が示さ れており、在日中の人々では、日本語での意思伝達の困難さ、帰郷の願望を答える 人々が多いことが分かり、出稼ぎ後の人々では、貯蓄や送金を行ったことや、帰伯 後の起業を行ったことが分かる。  日本政府も労働力を海外に依存する必要から、国外就労者情報援護センター、 CIATE(Centro de Informação e Apoio ao Trabalhador no Exterior)をサンパウ ロに開設している。1990 年当初は、ブローカーが仲介に立ち色々なトラブルが起 こったため、政府の機関を開設し、日本国内の企業への紹介、親子の世代にわたる 来日前の日本語教育、帰伯出稼ぎの年金等の相談等を行っている。最近は、帰伯し たが、ブラジルに適応できず精神的な問題を抱える出稼ぎ児童のカウンセリングが 重要な仕事になっている。このように日伯両政府とも出稼ぎに対してはお互いの利 害が一致し、協力体制にあるといえよう。2009 年 6 月 20 日号の「ニッケイ新聞」 によると、首都ブラジリアにおいて伯日連邦議員連盟主催のデカセギ・セミナーが 開催され、ブラジル政府側は日本で出稼ぎの直面している問題を示し、それに対す る日本政府の支援に感謝の意を表し、また、日本の経済不況のため失業し帰伯した 出稼ぎに対して再就職プログラムを示している。また、サンパウロのボランティア グループ、GRUPO NIKKEI が実際に仕事の斡旋を行っている。. 3.報告  知りたかった疑問は以下の通りである。  ・出稼ぎによって、日系社会やコロニア語は 20 年でどう変化したか?  ・ブラジルの日本語教育は 20 年でどう変化したか?. −178−. ( 31 ).

(6) ブラジル日系社会再訪 永田. 3. 1.日系社会、コロニア語の変化  コロニア語は確実に衰退しているというのが第一印象である。一般的には移民が 移出国から移入国の言語に移行するのは三世代だと言われている。日系移民を例に とると、一世は移出国の国語、日本語を母語とし、二世は日本語と移入国ブラジル の国語、ポルトガル語との二言語併用、三世はポルトガル語に移行するという過程 である。かつて一世がまだ多く生存していた 20 年前には、一世と同居している家 では、二世はもちろん三世も日本語を使用していた。そうしないと一世との意思伝 達が不可能であった。しかし、一世が少なくなった今、三世同士はもちろん、二世 も三世に対してポルトガル語を使用するようになった。二世同士はポルトガル語や 日本語を混ぜて、いわゆるコロニア語で会話している。三世に日本語が継承された 例は一般的ではない。また、非日系人と結婚する例が増えていることもコロニア語 の衰退の大きな理由である。非日系人の配偶者とはポルトガル語が使われ、家族内 でもコロニア語は使われなくなる。  次に出稼ぎの影響について述べると、1990 年ごろは出稼ぎに行くのはほとんど 一世で 1 年とか 2 年とかの短期間、家を買うとか、農地を広げるとか何らかの明確 な目標があり、そのための単身で資金稼ぎにいっていた。せっかくブラジルに移民 したのにまた、日本に出稼ぎに行くというのは、移民に失敗したということを裏付 けるということになり、恥ずかしいことと考えられていたが、最近では出稼ぎに行 かない家はなく、出稼ぎは通常のことになっている。それも、日本で稼いで、帰伯 し、金が無くなるとまた出稼ぎに行くなど、何度も出稼ぎに行く人も増え、また、 家族を呼び寄せたり、日本で結婚して新居を構えたりして滞在も長期化し、もう日 本に永住を決意している人も多いと聞く。日本に行ったからといって日本人である というアイデンティティを感じる機会を得たこととはならず、反対に日系人と日本 人の差を感じ、自分はブラジル人であるという意識を強くする者もいる。差別を感 じ、日本が嫌いになる人もいると聞く。  出稼ぎの影響を調べるため、家庭を訪問し、インタビューを行った結果を示すこ とにする。  出稼ぎによっても日本語は持ち込まれなかったというのが一般的な現状である。 たとえば、1992 年に千葉に 6 ヵ月、茨城に 1 年半出稼ぎに行った 41 歳の二世 Ki. ( 32 ). −177−.

(7) 文学・芸術・文化/第 22 巻第 1 号/ 2010.9. (男)は、在日中は仕事を終えるとポルトガル語を使用し、今でも日本語は不自由 である。単身で 6 年間日本にいた 35 歳の三世 Sa(男)は、ブラジルにいるころ一 世の祖父とは日本語を使っており、在日中に日本語は少しはうまくなったという自 覚があるが、仕事場での日本語には困難を感じていたし、仕事場以外では同じ日系 人とはポルトガル語で会話していた。帰伯後は家庭内では親、妻子ともポルトガル 語で、一切日本語は使っていないそうである。  出稼ぎ期間中も日系人だけで付き合っていたというのも一般的である。たとえ ば、62 歳の二世 Su(男)は、ブラジルでは小学校しか行っておらず、日本語の方 が使いやすく、親、兄弟、子供とはコロニア語で会話しているが、2 年間の出稼ぎ 中、日系人としか付き合っていなかったそうである。  出稼ぎによって日本語を習得したケースもまれではあるがある。13 年間在日し た 33 歳の三世 Ka(男)は 8 年ほど他の日系人のいないところで仕事をした関係 上、日本人と付き合い日本語は達者である。親とは日本語、二世の妻とは日本語と ポルトガル語で会話し、子供に日本語を教えるつもりだそうである。使用する日本 語はコロニア語と日本語の混淆する言語である。しかし、日本語の読み書きはでき ない。弟と同居しているが、弟も近々出稼ぎに行くつもりで日本語が堪能である。  出稼ぎのために家庭が日本とブラジルに分裂した例もある。二世の夫と一世の妻 の Su 家では、夫は出稼ぎに行ったことがないが、妻は四回、合計 6 年日本にいた そうである。25 歳の長男は 16 歳から、27 歳の長女は 18 歳から現在 9 年間日本に おり、ともに日系人と結婚しているそうである。ともに子供のころはポルトガル語 を使えていたが、日本では日本語のみで生活し、永住するつもりである。24 歳の 次女は 18 歳から 6 年間日本にいたが、三世と結婚し、今サンパウロにいるそうで ある。Su 家は小規模な町アモレイラから車で 20 分ほど離れた農家であり、周囲に は家はなく、一軒家である。問題は出稼ぎのため、子供は家を離れ、一世の妻も日 本にいる方が住みやすいと、また、出稼ぎに行くつもりだそうで、一家離散という 様子が見られた。日系社会の会長をしている Si 家では、21 歳と 19 歳と 18 歳の子 供を父親に託し、夫婦とも出稼ぎに行っている。四世である 21 歳の息子は日本語 学校で 17 歳まで学習し、18 歳の折日本語能力試験一級に合格した。祖父とは日本 語、父母とは日本語とポルトガル語、兄弟ではポルトガル語を使っている。本人も. −176−. ( 33 ).

(8) ブラジル日系社会再訪 永田. 半年間出稼ぎに行っており、大学卒業後に再度出稼ぎに行く希望を持っている。二 世の 61 歳の As(男)は 4 回合計 10 年ほど出稼ぎに行っている。妻とはコロニア 語で会話を行っている。ポルトガル語は小学校までしか学習していないが、ポルト ガル語の方が使いやすく、ブラジルが故郷と思って帰伯したそうである。息子と娘 が 10 年在日中であり、息子は帰伯したいという希望を持っているが、娘は日本で 日系人と結婚し、マンションを購入して永住する予定だと言っている。  出稼ぎで滞在が長くなり、子供が在日中に成人し、帰伯した家族にもインタ ビューした。日系社会の会長をしている Ki 家では三世代がそろっており、二世の 70 歳代の祖父と 60 歳代の祖母の間ではコロニア語で会話を行っている。最近、息 子一家が帰国しており会う機会があった。孫として三人の娘があり、22 歳の長女 は 9 歳から、20 歳の次女は 7 歳から、15 歳の三女は 3 歳から日本にいっていた。 姉妹間では日本にいたころには日本語を使っていたが今はポルトガル語を使ってい る。日本で日系人と日本人は違うというのを感じたと言っている長女は非日系人と 結婚しており、子供がいる。日本語は話すが、母語の日本語ではない。ポルトガル 語については読み書きができないので、夜間学校に通って学習するつもりだそうで ある。次女は完全な日本語母語話者で、三女はあまり話したがらず、言語について はよくわからない。帰国直後であるので今後のことはわからないが、ブラジル社会 に溶け込み、ポルトガル語を習得していくのであろうか。  ブラジル国内でも日本の学校から転入してきた学童期の子供の問題が起こりつつあ り、2009 年 8 月 9 日のパラナ州のポルトガル語新聞、 “FOLHA DE LONDORINA” に、‘O Brasil que só fala japonês’(日本語しか話せないブラジル人)という記事 が載り、6000 人の日系人が日本政府の支援のもと帰国している事実と、アサイの 日系家族の例を紹介している。出稼ぎから学童期の子供を連れて帰伯した家族にも インタビューした。帰伯後、アサイの中学校に依頼し、最近学校に編入してきた学 童の家を教えてもらい訪問した。7 年在日した 16 歳 Ka(男)は両親とも非日系人 であるが、日系人に名義を借りて出稼ぎに行っていた。在日中も家庭ではポルトガ ル語を話していたことが想像され、日本語も話す。しかし、読み書きについては両 言語とも問題がありそうである。小学校 2 年までブラジルで、3・4・5 年は日本、 6 年はブラジル、中学校 1・2・3 年は日本である。帰伯後も授業についてゆくのが. ( 34 ). −175−.

(9) 文学・芸術・文化/第 22 巻第 1 号/ 2010.9. 困難で、学校は休みがちである。日本で生まれ 12 歳で帰伯した 13 歳 Ka(女)は、 父親が非日系人、母親が二世で、在日中は家でも日本語で、ポルトガル語は全く話 せなかった。言語能力には優れ、日本語能力試験 1 級合格である。なお、アサイ内 にかつて英語教師をしていた日系二世が経営する私塾があり、ポルトガル語を教え ている。その私塾に通い、さらに 3 か月前より、母親に学校についてきてもらい、 教師の言っていることを横で通訳してもらっている。家には経済的余裕がありそう で、親も教育に熱心である。現在ポルトガル語は聞くことができるようになってい るが、授業についていくのが大変だそうだ。14 歳 Fu(女)は、生活環境が複雑で ある。フィリピン人同士の間に生まれたフィリピン人で、2006 年までフィリピン で母親側の祖母に育てられた。母親は日本にエンターテイナー・ビザで働いている うち、前妻との間に二人の子供のいる在日 18 年の出稼ぎ日系二世と結婚した。母 親の結婚後来日したが、母親とは母語のタガログ語、継父とは日本語で会話を行っ ていた。2009 年ブラジルに両親と来たが、ポルトガル語は全く話せず、日本語も 忘れかけている。性格も引っ込み思案で、母親のみに懐き、意思伝達のできる相手 はタガログ語で母親のみである。私塾の教師もポルトガル語には問題があると言っ ていた。15 歳 Ta(男)は父親三世、母親非日系人の四世で、日本語は母語である。 ポルトガル語についても、在日中も家族内で話していたので問題がないといってい るが、授業についていくのは困難で、18 歳になると日本に行く希望を持っている。 ブラジルの公立学校では、いわゆる放任教育で、授業についていけない学童に対し て特別な配慮は払われていなくて、より充実した教育を希望すると私立学校に行く 必要がある。ロンドリーナでは私立の幼稚園・小学校を訪問したが、年少学童の場 合には帰伯時ポルトガル語ができなくても習得が速いが、学年が進むと歩調を合わ せ、ポルトガル語に慣れるのが遅くなる。ブラジル政府は私立学校に対しては一切 経済的援助がなく、授業料収入によってのみ運営しているので、授業料が高くな り、貧しい家庭の子供は通えない。. 3.2.ブラジルの日本語教育  どのように日本語教育が変化したかについて、ブラジル日本語センターの調査結 果があり、示すと、1993 年度には、ブラジル全体の学習者数 18,372 人、学校数. −174−. ( 35 ).

(10) 文学・芸術・文化/第 22 巻第 1 号/ 2010.9. る。このように、日系社会も衰退している。そして、日系社会に生活している日系 人については臨地調査が可能だが、日系社会から出て生活している日系人について は、調査の方法がない。すなわち、日本に出稼ぎに来ている間は日系人として滞在 しており調査することができるが、一旦帰国すると彼らはブラジル人として各地に 散らばっており、多くのものが日系人として集団生活をしていない。むしろ、移民 の一般的傾向として、三世以降になると移住先の文化、言語に溶け込み、移住元の 文化、言語を失っていくものである。アメリカ日系移民を見てもそうである。出稼 ぎという動きの中で日系人というアイデンティティが問題視されるようになった が、反対の面から見ると、移住に成功し、ブラジル人になったと見た方がよいと思 われる。  Cの出稼ぎの影響力の価値判断については、良い面と悪い面があるというのが正 しい判断であろう。ブラジル国内で出稼ぎの影響を調査した数少ない貴重な資料、 小内(2009)によると、日系社会によって異なりがあるという報告がある。すなわ ち、僻地農村のトメアスでの調査では、農業の後退によって生活が困難になり限界 集落化しかねない条件であったが、出稼ぎによる送金でかろうじて日系社会が保持 されている一方、大都市近郊農村では、治安の悪化のため離農傾向が進み、若年層 が出稼ぎに出るため、結果として人口の減少と高齢化が進んでいる。地域による差 はあるが、出稼ぎは 20 年前失われつつあった日系社会にとっては、大きな転換を もたらしたと考えるべきであろう。いずれ日系社会は消滅することは理解できた が、出稼ぎによってその速度を速めたと考えてもよいと思われる。出稼ぎによって 貯蓄した資金で成功した者もいるが、それはあくまで個人であって、日系社会の一 員として日系社会の復興をもたらしたとは思えない。  Dについては、出稼ぎが長期化し、10 年以上日本に定住し、永住する意思を持 つ者も出てきた。そして、出稼ぎ二世とでもいうべき日本で育った子どもの問題も 出てきた。日本国内の問題については多くの研究がなされ、その状況が明らかに なっているが、ブラジル国内の状況については一切明らかになっていない。日本国 内では在留許可を受ける必要があり、入国管理局によって統計的に様子がつかめる が、帰伯すると一般のブラジル国民であり、状況を把握する公的機関がない。狭い コロニアに住んでいる者については様子がつかみやすいが、コロニアから出た者に. −170−. ( 39 ).

(11) ブラジル日系社会再訪 永田. 274 校、教員数 868 名に対し、2006 年度には学習者数 21,631 人、学校数 544 校、 教員数 1,213 名と、学習者数 1.18 倍、学校数 1.99 倍、教員数 1.4 倍と増加の傾向に ある。1995 年より選択第二外国語科目ではあるが州立校における日本語教育が始 まり、また私立校でも教えられるようになった。20 年前は日本語の学習者は日系 人だけであったのに対し、2004 年の調査では、学習者数は日系人 71%、非日系人 29%となり、外国語教育としての日本語として変化してきているというのが現状で ある。学習目的も、第一に日本の文化に関する知識を得るため、次いで日本語とい う言語そのものへの興味、日本語によるコミュニケーションが出来るようにするた め、というように、日本文化に対する興味が重要な目的になっている。国際交流基 金の HP によると、 「日本料理、漫画やアニメなどのポップカルチャーの根強い人 気、また吉川英治作『宮本武蔵』の翻訳版などや映画を通したサムライ文化への憧 憬などに代表されるように日本文化への社会的関心が、日本語学習の動機付けとし て働いていることが各方面から指摘されるようになり、安定したニーズがあり、静 かなブームとなっている」とある。しかし、一方では学校教育以外の日本語教育機 関で、いわゆる私塾で、学ぶ学習者の間では、学習者自身の希望なのか親や祖父母 の希望なのかは不明だが、 「母語、または親の母語(継承語)である日本語を忘れな いため」という目的が第二位にあげられており、日本文化継承教育としての一面も 否定できない。  20 年前日系子弟の継承日本語教育を目的とし、各地のブラジル日本文化福祉協 会が国際協力機構(JICA)の援助を受けて、日本語モデル校を作ろうという動き があった。当時、筆者もロンドリーナに学校建設が予定されており、初代の教員と なる予定であったが、在伯中には完成しなかった。私塾が既にあり、モデル校を建 てるには教師として私塾の経営者の協力なしでは運営が立ち行かず、私塾側もモデ ル校が建つと私塾の経営が立ち行かないという利害関係がぶつかり、計画が進まな かった。現在では 17 校あるそうであるが、日系新聞、「サンパウロ新聞」の 2009 年 8 月 6 日版によると、「『外国語としての日本語学習』をブラジリア周辺では、い ち早く取り入れた『みどり学園』の精神を生かし、JICA の助成により 89 年に創 立された日本語モデル校。百三十人いる生徒は 70%以上が非日系で、十五歳以上 の成人は九割に近い。そのうち、日本での出稼ぎ者の帰国子女も五人ほどおり、. ( 36 ). −173−.

(12) 文学・芸術・文化/第 22 巻第 1 号/ 2010.9. 『日本でせっかく覚えた日本語を忘れたくない』と親の強制ではなく、本人の希望 で入学してくるケースも少なくない」とあり、また、2007 年 3 月 16 日の「ニッケ イ新聞」では、「ミナス日本語モデル校(馬場秀雄校長)では、生徒の 80%が非日 系でその比率はこの四年ほどで一気に増えた、という。教師歴二十年を数える宮本 君代さん(62、兵庫県出身)は、『つい三年前までは半々でした』と振り返る。全 生徒四十五人中、日系人はわずか八人のみ。同校は 1969 年に創立され、72 年に文 協の一部となり、日本企業進出全盛期を迎えた。JICA の支援をえてモデル校に指 定され、91 年に現校舎を開校した」とあり、非日系人成人を中心に日本語教育を 行っている。しかし、一方、2009 年 9 月 3 日の「サンパウロ新聞」には、「南リ オ・グランデ州『ポルトアレグレ日本語モデル校』(大澤秀子校長)の校舎を売却 する問題をめぐって、建物を所有する南日伯援護協会(鈴木貞男会長)と、日本語 教育事業を運営するポルトアレグレ日本文化協会(岡島光男会長)との間で感情的 な確執が発生。モデル校の存続が危ぶまれており、文協が同管内のクリチーバ総領 事館(佐藤宗一総領事)に仲裁を求める事態にまで発展している」とあり、日系社 会が減少する中、日系人子弟のみを対象とする日本語学校は経営難に陥っている。 JICA は経営難を援助する意味か、日系社会青年ボランティアを教員として派遣し ている。 学習者の年齢別の統計が示されていないが、20 年前は 15 歳以前の学童が主なる 学習者であったのに対し、今回の感想は年齢層が上がっているような気がする。ち なみに 2008 年度全パラナ州と南サンパウロ州在住者が受験したロンドリーナ会場 での日本語能力試験の級別合格者数を表 1 に示す。10 代と 20 代が多いのが分かる が、40 代や 50 代にも学習者が広がっているのが分かる。 4級. 3級. 2級. 1級. 10 代. 66. 41. 11. 9. 20 代. 35. 26. 10. 2. 30 代. 1. 4. 3. 1. 40 代. 5. 4. 2. 1. 50 代. 4. 4. 3. 0. 60 代. 0. 2. 2. 3. 表1  日本語能力試験年齢別合格者数 −172−. ( 37 ).

(13) ブラジル日系社会再訪 永田.  日本語教育が日系子弟のための文化継承教育という時代は終わり、習得する価値 のある外国語として日系人、非日系人を問わず、成人をも含めた言語教育に変化し たというのが正しい見方であろう。  出稼ぎが日本語教育の発展に寄与しているかどうかについては不明であるが、実 際に日本語学校に行って聞いたところ、出稼ぎに行ってせっかく学んだ日本語を忘 れないためとか、出稼ぎに行った時困らないようにとか、出稼ぎに行った時日本語 が分かるとよりいい仕事につけるとか答える者もいて、出稼ぎが影響を与えている 事実は無視できないであろう。. 4.まとめ  いくつかの結論及び問題点が見つかったので箇条書きにする。  A.日系社会は 20 年の内に衰退しており、今後復活することはないだろう。日 系社会の生活語であるコロニア語も衰退している。出稼ぎによって生活語としての 日本語が復活した様子は見られない。  B.20 年の内に日本語教育は日系子弟のための継承言語教育から、非日系人を 含む幅広い世代のための外国語教育として発展しつつある。  C.20 年の内に日系社会では出稼ぎが一般化しており、出稼ぎによって貯蓄し た資金で店や農地を購入し有益に使っている者もいるが、労働力の移出という空洞 化を引き起こし、日系社会の荒廃に及ぼした影響も見逃せない。  D.日本の不況のため出稼ぎから帰伯するものが増えつつあるが、再就職、学童 のポルトガル語での教育等が今後の大きな問題として残されている。  Aの日系社会のリーダーも一世から二世に世代交代が起こりつつある。どの地域 でも、日系社会継承のために文化協会や援護協会という組織を作って、構成員の会 費によって運営が行われている。日系社会の衰退に応じるように、会員数が減り、 運営が困難になりつつある。前に示したポルトアレグレ日本語モデル校もその例で ある。会館維持にも費用がかかり、ベレンの文化協会も中心地に広い敷地を持って いるが、売却して狭い事務所で運営しようという二世を中心とする意見もあるそう である。アサイでも、移民 80 周年を記念して、市が記念館を建築して寄付を計画 しているが、文化協会では維持に費用がかかるという理由で拒否しているそうであ. ( 38 ). −171−.

(14) ブラジル日系社会再訪 永田. ついては把握する手段がない。出稼ぎから帰ったことを隠している者が多いと聞 く。現金を持っているということから強盗に会う危険を避けるために秘密にしてい る。どうして、現金を持って帰伯するのか聞いたところ、送金をするとブラジル政 府の税金がかかり、課税を避けるために現金を持って帰伯するそうである。実際、 強盗に殺された者もいるそうである。日本の不況のため帰伯するものが増えつつあ るが、成人にとって、ブラジルに永住している者にとっても就職は容易でないの に、ましてや長期間ブラジルを離れていたため再就職は容易ではない。日本で育っ た子供にとっては教育の問題は深刻である。ブラジルの国語、ポルトガル語が話せ ない、また、話せても読み書きができないといった問題があり、ブラジルに同化す るのは容易ではないであろう。過去の歴史を振り返ると同様なことを繰り返してい る。日本から 100 年前移住してきたが一世はあくまでも日本人で、二世になってブ ラジルに溶け込もうとした。三世になってブラジル人になっている。今回の出稼ぎ 一世はあくまでブラジル人で、二世になって日本に溶け込もうとしたのは同じであ る。しかし、大きな違いは、また、出稼ぎ二世は親の都合で日本から引き離されて 異郷の地ブラジルに同化を求められているということである。親の出稼ぎによっ て、言語形成期の途中にブラジルと日本を行ったり来たりせざるを得ない学童に とって、成人後の人生に大きな影響を与えることが予測される。話したり聞いたり する音声言語の能力についても然りであるが、もっと大きな影響が予測されるのが 読んだり書いたりする文字言語能力である。日本においてもブラジルにおいても教 育が重要視され、文字能力がない者にはよい職業を得る可能性は少ない。日本にお いては漢字を含む文字を習得するのに義務教育の 9 年でも不足で、高等学校におい ても文字教育がおこなわれている。ブラジルにおいても同様である。この時期にと もに中途半端に終えると、将来の人生に大きな影響が残ることが予測される。  30 年程前、アメリカにおいても日系人の言語調査を行ったことがある。第二次世 界大戦中、アメリカと日本が敵対国となったため、日本に帰り、また、日本敗戦後、 アメリカに戻り、初・中等教育を、アメリカ、日本とも、中途半端に終えた日系人 に話しを聞いたことがある。日英語とも日常会話には不自由はないが、専門語彙を 必要とする言語生活は、日英語とも不可能であるという悩みを打ち明けられた。  この 8 月には 6,000 人が帰伯しただけで、今後増えていくのかどうか分からない. ( 40 ). −169−.

(15) 文学・芸術・文化/第 22 巻第 1 号/ 2010.9. が、ブラジルの日系社会にとっては大きな問題を持ち込むことになると思われる。 6,000 人という数値をどう考えるかは判断に迷うところであるが、日本政府は個人 あたり 30 万円の支援金でもっと帰伯希望者が出るかと期待していたが、予想に反 して少ない数であったというのを聞いたことがある。国外就労者情報援護センター で聞いた話では、支援金で帰伯した家族から日本に再度出稼ぎに行けるかという相 談があったと聞いている。永住許可を獲得した者でも、3 年以上日本を離れている と永住許可は失効する。日本政府が現在説明しているのは、支援金によって帰伯し た者については 3 年間は日本に出稼ぎに行けないということである。この家族は日 本に永住するつもりであるが、日本の不況により一時帰国しているという意識であ ろう。永住許可が失効するのなら、支援金をもらって帰伯するのを躊躇していると いう者が多数いることが予測される。外国籍の者が日本の永住許可を認定される条 件として、10 年以上継続して日本に居住かつ就労ビザを取得して 5 年以上経過し たもので、「一 素行が善良であること。二 独立の生計を営むに足りる資産また は技能を有すること。三 その者の永住が日本国の利益に合すると認められるこ と」という規定しかなく、浅川(2008)では、法務大臣の自由裁量、さらに、入国 管理局長の恣意的な判断によるところが大きく、客観的な基準がないと示されてい る。ブラジル国籍永住者は 1992 年には 220 人だったのが、2007 年には 94,385 人と 増加している。今後永住許可を日本政府は付与するのだろうか。1990 年に制定さ れた日系人に対する特例をどうするのだろうか。今後出稼ぎの政策を継続すると、 三世まで出稼ぎを許すという政策は四世や五世にまで適応範囲を広げる必要が出て くる。状況に応じて特例を認めて堅持してきた「移民を受け入れない」という日本 政府の基本姿勢をそろそろ根本的に考える時が来ているように思えてならない。日 本政府の政策に翻弄される日系人、とくに子供のことを考えると、そう思えてなら ない。. 文 献 浅川晃広(2008)「『日本で暮らす外国人』の増加と入管政策」『アジア遊学』117 小内透編著(2009)『講座トランスナショナルな移動と定住 第3巻 ブラジルにおけるデ カセギの影響』お茶の水書房. −168−. ( 41 ).

(16) ブラジル日系社会再訪 永田. 永田高志(1991a)「ブラジル日系人の日本語の特徴 ─ 戦前移民地アサイを例に ─」『文学・ 芸術・文化』2 − 3 永田高志(1991b)「ブラジル日系人の言語生活 ─ アサイ日系社会を例に ─」『移住研究』28 永田高志(2007)「国際化の言語政策 ─ 日本人の国際化と日本社会の多文化共生化 ─『言. 語と文化の展望』英宝社 Sabrae & ABD(2004) “Dekassegui ─ Empreendedor e Cidadão”. ( 42 ). −167−.

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