日本統治時代台湾の実業補習学校について
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(2) 実業科及び簡易実業学稼爾状逸(]餌3年窪珍2ヤ年.! 年代. 虚数. 卒業. 生徒. 校数. 卒業. 合計. 工業. 商業. 農業. 生徒. 校数. 卒業. 校数. 生徒. 卒業. 8. 1913 1914 1915 1916. 22. ・ユ917. ‘24. 1918 1919 1920 1921. 24 24 25 28. 14 19、. 16 箪6 18・. 1204 133 146. 330 355 493. 「8. 9’. 10. 116 182. 323. 512「. 667 も17. と 、. 5P. 珍3. 149. 226 267 307 257 320 315 474. 生徒. 257 559 724 898 871 928 842 ‘1,200 ・1∴132. 出所 吉野秀公『台湾教育史』429頁より。 (二)実業補習学校. 1 実業補習学校の概観 実業補習教育に関しては、大正元年く1912)台湾公学校規則が改曳きれ、1修業年眼が6 年の公学校に2年制の実業科を併置し得ることと定められたが、.大正8年・(1919)にこれ. が簡易実業学校と改称された。大正U年G922)府令第79号を・以て台湾公立実業補1習学 校規則が発布され、独立校を本体とし、また小学校卒業者も入学できるこ.どに改められ’く. 同時に大正8年(1919)の府浄罪48号台湾公立簡易実業学校規則が廃止された。従来の 簡易実業学校は台湾公立実業補習学校ど改称された’56・. 実業補習学校は尋常小学校または修業年限6、年の公学校卒業者を:入学ざせ、実業の基礎 を修得させるための学校であったが、その種類は農業、商業、工業などに分れでいる。.圧 倒的に農業補習学校の占める割合が大きいが、本稿は工業補習学校の特徴を中心「に検討し た・い。. 実業補習学校の概要は吉野秀公が『・台湾教育史』(台湾口日新報社、昭和2年)二に以下の ようにまとめている。. L実業補習学校は小学校または公学校の教科を卒業した者に対し、職業に関する知識 技能を授けると共に国民生活に須要な教育を行うのが本旨である。 2。修業年限は2年内を本則とし、特別の場合に限り1年以内延長するしこ.とができる。. 言.実業補習学校は州、庁地方費、市、街、庄▽市街庄組合ま.たは街庄組合でこ淑を設 立するもので場合によってはこれを小学校、公学校、または実業学校に併置ずることがで きる6. 4.その種類は農業、商業、工業、その他の職業については田地の情況に応『以適切な ものを選定すべきものであるが、’必要がある』ときは学科を設けぐま』たはその分科を設ける ことができる。. 5.学科臼は修身、国語、数学及び職業に関する科目で、女子については家事、裁縫を. 一24一.
(3) 加え、理科、歴史、地理、体操、簿記、外国語、台湾語、その他の学科目を加設すること ができる6加設科目は随意科臼または選択科目とすることができる。 16.入学資格は尋常小学校または修業年限6年の公学校卒業程度以上を原則としたが、 土地の情況により修業年限4年の公学校卒業程度以上として、これを定めることもできる。. 7.実業補習学校は土地の情況、職業の種類及び繁閑などにより、生徒の修業に最も便 宜な季節及び時刻選んで教授する制度もあり、また主として職業に関する事項を授けるた めに、専修科を設け、または臨時講習をなし、卒業後の生徒で当該学校にあって既習の事 項を練習するもののために、練習生として在学することができる’6。 大正11年(1922)以降、実業補習学校の状況は表2の通りである。 表2 1922年∼1926年実業補習学校状況 年 代 1923年 1922年 1924年 1925年 農業. 竢K w校 水産. 竢K. P校 商工. 竢K w校 商業. 竢K. w校. 校 数 生 徒 卒 業 入 学. 、 校 数 生 徒 卒 業 「 入 学 校 数 生 捷、 卒 業 入 学 校 数 生 徒 卒 業. 入 学r. 1926年. 16. 2. 4. 53 51. 88 36 64. 209 44 206. 2. 2. 2. 2. 2. 65. 89 50 47. 71. 66. 33. .2. 69. 77 『. 2.. 511. 623. 29 55. 1. 1. .1. 1. 1. 93 47 86. 66. .80. 111. 140. 13. 25. 36. 「 40. 2 128. 2. 96 43 76. 30 58. 7 7 校 数 35’5 生 徒 ’ 339 合計 130 141 卒 業 223 入 学 272 出所.吉郵秀公『台湾教育史』526頁より。. 6. 2. 161 72 216. 2. ■48. 224. 9. 16. 21. 521. 836. 1,019. .170. 519. 堺について冷計数に!姶わ撫’ところ肺るが・原文のまま引肌た, 2台湾公立実業補習学校規則(麟016年). 昭和・q年(・935)朔日邪知9号により・舗公立実業補習学校規則力・下主された。 実業補習学校に関する総則、生徒教養ノ.要旨、学科目、教授時数、教科書、入学、退学、 懲戒及授業料の徴収などが下のように定められた。. 第一章 総則 第一条 実業補習学校ハ小学校又イ・公学校ノ蓼科ヲ卒へ職業二従事スル者二対シ職業. r関ヌ蜘熱能ヲ母タルト共疎開民生活噸票ナル教育ヲ為スヲ以テ本冒ドス. 一25一.
(4) 第二条 実業補習学校ノ修業年限ハニ年以内トス 前項ノ修業年限ハ特別ノ必要アル場合二限リー年以内之ヲ延長スルコトヲ得 第三条 実業補習学校ノ種類ハ農業、工業、商業其ノ他ノ職業二三キ土地ノ情況二応. ジ適切ナルモノヲ選ブベシ必要アル時ハ学科ヲ設ケ又ハ其ノ分科ヲ設クルコトヲ得 第四条.本令中ノ認可ハ特二定ムル場合ヲ除ク/外市街庄立、市街庄組合立又ハ街庄 組合立ノ実業補習学校二関シテハ知事又口論長、其ノ他ノ実業補習学校二関シテハ 台湾総督二軸テ之ヲ為スキノトス 第二章、生徒教養ノ要旨 第五条 実業補習学校二三テハ特二左ノ事項二留意シテ生徒ヲ教養スベシ 一 教育二関スル勅語ノ旨趣二基キ学校教育ノ全般ヨリ道徳教育ヲ行ハンコトヲ期 シ常二生徒ヲ実践躬行二導キ殊二国民道徳ノ養成二意ヲ用ヒ国民性ノ陶冶二力ム ベシ ニ 質実剛健ニシテ勤労ヲ愛好ス∼レノ習慣ラ育成シ且協同ヲ尚ビ責任ヲ重ンズルノ. 気風ヲ養ハンロトニヵムベシ ・三 徒運理論二偏スルコトナク近信ヲ旨ト.シ常二実習ヲ重ンジ経済観念ノ養.成二力. メ且土地ノ情況二応ジテ実際二適切有用ナル知能ヲ養ヒ地方産業ノ改善進歩二資 センコ』トニカムベシ. 四 体育衛生二留意シテ身体ヲ強健ナラシムルト共二精神ヲ鍛錬シ潤達ナル気風ヲ 養ハンコトニカムベシ 五 学校教育全般ヨリ国語教育ノ徹底ヲ期シ国語ノ使用ヲ正確ニシ且其ノ応用ヲ自. 在ナラシムルト共二国民性格ノ涌養二資センコトニカムベシ 第三章 学科目、教授時数及教科書 第六条 実業補約(習)学校ノ学科目ハ修身、公民科、国語、国史拉二職業二関スル 科目及実習トシ女子二在リテハ家事:、裁縫ヲ加フ但シ学科ノ種類二依リ家事、裁縫 ハ職業二関スル科目千為スコトヲ得 前項ノ学科目ノ外修業年限、学科ノ種類二依リ数学、理科、地理、体操、簿記、図 画人ノ外ノ学科目ヲ加設スルコトヲ得. 第七条 二学科以上ヲ置ク実業補習学校二於テハ或学年ノ課程ハ之ヲ学科別ト為サザ ルコトヲ得 第八条 数学年ノ生徒ヲー学級二編制スル時ハ或学科目二限リ各学年ノ程度二拘ラズ 全部又バー部ノ生徒ヲ同一ノ程度二三リ教授スルコトヲ得 第九条 一学科目又玉露ノー部ヲ他ノ学科目回国其ノー部二妥当之ヲー学科目ト為ス ロトヲ得 第十条 第六条ノ加療学科目及職業二心スル科目中ノ或事項ハ之ヲ随意科目又ハ選択. 科目ト為スコトヲ得 第十一条 一学科目又ハ数学科目張付或学年ノ課程ヲ修了シタル者ト同等以一ヒノ学力 アリト認メタル者二対シテハ学校長ハ当該学年二於テ之ヲ其ノ生徒二課セザルコト. 一26一.
(5) ヲ得 第十二条 実業補習学校二於テハ=ヒ地ノ情況、職業ノ種類及繁閑等二依リ生徒ノ修業. 二最便宜ナル季節及時刻ヲ選ビテ教授ヲ為スコトヲ得 実業補習学校ノ教授時数:バー年笠付二百時以上トス 第十三条・実業補習学校ノ教科用図書ハ知事又ハ庁長ノ認可ヲ受ケ学校長之ヲ定ム 第七章 入学、退学、懲戒及授業料 第三十一条 実業補習学校二入学スルコトヲ得ル者ノ資格ハ尋常小学校又臥修業年限 六年ノ公学校卒業程度以上二於テ之ヲ定ムベシ但シ土地ノ情況二依リ修業年限四年 ノ公学校卒業程度以上ヒ於テ之ヲ定ムルコトヲ得 第三十五条 実業補習学校二於テ授業料ヲ徴収スルトキハー学年九円以内二於テ之ヲ 定ムベシη. 昭和10年(1935)に改正された台湾公立実業補習学校規則をまとめて見ると、主に次 のことが述べられている。. 第一は、実業補習学校の教育理念が職業に従事するための知識技能を修得することであ り、実業補習学佼の種類が農業、工業、商業などがあり、修業年限を2年以内とすること である。. 第二は、生徒教養の要旨として勤労習慣の養成、経済観念の養成、協力性及び責任感の 養成、国語教育の徹底および国民性格の養成などが強調されることである。 第三は、学科について、修身、公民科、国語、国史拉に職業に幽する科目及実習などの 学科が設けられ、また、学科の種類により数学、理科、地理、体操、簿記、図画などの学 科目が加えられることである。 しかし、実業補修学校は、問題点も露呈した.例えば{当時の文教局長は、実業補習学 校の本旨について次のように語った。 実業補習学校の本旨は、初等普通教育を卒へた者に対し職業に関する知識技能を授 けると共に国民生活に須要なる教育を施すことに在るが、從来の実情を観ると往々上 級学校入学の準備を目的として入学する者があった様である。このため学校としても その本来の使命を発揮するに困難を感ずる様な情態であったので、今同特に実業補習 教育は専ら職業に難事する者及び卒業後直ちに從準せんとする者に対してのみ行わる べきものなることを明示した’8。. この談話は、実業補習教育においては・、職業に関する知識技能を学習するという本旨に. 反し、上級学校進学準備のための場所として利用されている現状もあったことを明らかに した。. 二 実業補習学校の考察 (一)実業補習学校の実状. 1 昭和5年の実業補習学校現況調査. 一27一.
(6) 森谷一三は「本島実業補習学校の情勢」において昭和5年度(1930)の台湾島実業 補習学校 の現況を次のように述べている。 学校数三〇に対する設立者は十四、十二、庄一七、街庄組合四、庁地方十三で、庄 立のものがその半数以上を占めている。… 学校の種類別は農業二三、水産三、商工二(内一校は工科を・鮫く)で、農業補習学 校がその大半を占むるは、本島産業の現状から見て自然の勢であらうけれども、また 工業、水産、商業などの補習学校も地方によっては緊要適切と認めらるる場合は少な いのであって、現在の各種学校数の割合は本島として決して公正なものと認めること に出来ぬのである。…. 修業年限は二年制のもの二六校、三年糊のもの四校であって、いずれも画一的に公 学校.の延長の如く、通年制の授業を採用している。特殊の生徒を収容して稽短期の修 業を得せしめているものは唯一校あるに過ぎない★9。. 即ち、昭和5年度(1930)において台湾島の実業補習学校の大半は至上のものであり、. またその半数以上が農業補習学校であった。特に、工業に関する補習学校は1校にすぎな. かった。さらに、2年制が大半であり、3年制は4校にすぎず、公学校の延長のような授 業が行われていた。. .工業に関する実業補習学校の状況は表3、表4の通りである。. 表3 実業補習学校現況調査(商工補部分) ・設 生徒数 修業 学級 ァ者 位 置 名 称 一年. N限. 台中州. 彰化郡. イ化街. 街. 彰化商工. 竢K学校. 3. 3. 教員. 三年. 二年. 28. 115. 40.. 38. 131. 10. 11. 49. 38. 53 19. 入学志. 闔メ数. 計. 5. 99. 108 6 31 40 竢K学校 出所 森谷一(総督府視学官)「本島実業補習学校の情勢」『台湾教畜』346号.昭和6. 台南州. 嘉義市. 市. 嘉義商工. 3. 商3 工3. 年5月、27頁より。. 表4 実業補習学校実習経常費と実習収入調査(商工補部分) 学校名. 彰 化. 、工補 嘉 義. 、工補. 実習. o常費. 実習収入. 実習収入見込額F. Q9年4月∼12月. R0年1,月∼.3,月. 実習馳. 茁?v. 590.00. 2884.00. 経常費に対する収. @入の過△不足 △ 590.00. .1128.70. 357.50. 1486.20. △ 1397.80. 出所 前掲、森谷一(総督府視学官)「本島実業補習学校の情勢」32頁より。. 表3、表4によれば、その段階では、商工の実業補習.学校は2校があったが、その内彰. 一28一.
(7) {ヒ商工補習学校は工科を:タき・事実上工科塗教授していたのは嘉義商工補習学校の1校の みであった。 ’2・∫照和6年僧16.年の実業補習学校の状況.. 照和6年(1931)▽昭和10年(1935)、曽和16年(1941)台湾実業補習学校の状況は 表5め通りである。 三年. 昭和6年、昭和10年、昭和16年台湾の実業補習学校状況 種別. ’.. N 代. 昭和10年(1935). 昭和6年(1931). 3 2. 修業 工 業. N限. 3 1. 1. 26 36 59 666. 学級数 教員数 生徒数. 臼本人. 台湾人 其 他 合 計 校 数 3 2. 修業 商 τ 業. N限. 生徒数. 農 業. N限. N限. 2. @ 7262. 2. 2. 2. 6. 21 38. 日本人. 43. 87. 274. 254. 165. L 488. 298・. 23. 252 27. 766 39. 1. 2. 23. 25. 21 17. 其 他 合 計 校 数 3 ’ 2. 7. 11. 4. 1. 正、. 日本人. 46 86 29. 47 89 24. 台湾人. LO66. 1209. 155. 112. L250. 215. L345. . 3,577. 合 計 校 数 修業. 2『. 12. 其 他’ 商 業. 1 . }. 学級数 教員数.. 学級数 教員数 生徒数. 」 一 一. ]. 台湾人馳. 修業. 昭和16年(194」) 4. 校 数. 3 馳2. 86 118 7 3,355. 2. 3. 了. 1 .. 3. 7. 8. 28. 1. 1. 学級数. 8. 一29一.
(8) 1 生徒数. 436. 1,629. 3. 7 7. 27 27. 4. 15. 18. 40 268 277. 107 190. 1. 修業. N限. 3 2. 生徒数. 修業. N限. 1. 42馳. 38. 2. 1. 学級数 教員数 日本人. 12. 台湾人 其 他 合 計 校 数. 133. 3 2「. 学級数 日本人. 台湾人 其 他 合 計. 1,687 3,368. 9. 3. 31. 545 39. 5. 14. 79 60. 26. 25. 18. 66 132 203. 76 158 473. 268 424 2,065. 1,663. 1,993. 9,468. 】59. 112. 229. 2,025. 2,578. 11,762. 147. 5,064. 1. 1. 教員数: 生徒・数.. 329. 210. 其 他 校 数. 合 計. 1,591. 日本人 台湾人 合 .計. 其 他. 18 94 342. 18 119. 教員数. 出所 昭和6年度版『台湾の教育』(盛文社、昭和6年6月目44頁、昭稲10年度版『台 湾の教育』(盛文社、昭和10年9月)44頁、昭和16年度版『台湾の教育身(台 北印刷株式会社、昭和17年3月)49頁より。 *1 昭和6年において、学校種別には、水産が含まれる。生徒中、女子は136名で あり、原住民は158名である。 2 昭和10年において、学校種別には水産、農業家政、技芸または家政が含まれる。 生徒中、女子は410名であり、原住民は112名である。職員数には兼任が含まれ る。象た、本統計の外に畠中に私立実業補習学校が1校あるら 3 昭和16年において、学校種別には、水産、家政などが含まれる。生徒中、女子 は4,960名(日本人1,689名、台湾人3,264名、その他9名)である. 実業補習学校の状況について見ると、『台湾の教育』(昭称6年度版、昭和6年6月)43 ∼44頁に次のように記載されている。台湾の実業補習学校は各州、庁ともその設置を見な いところはないが、大部分はまだ公学校に併置されていた曹10。即ち大田11年(1922)に 独立校を本体とするという方針が出ていたが、昭和6年度(1931)においても実業補習学 校の大部分は公学校に併置され、独立校は僅に下記H校に過ぎなかった。 庁地方費立台東農業補習学校. 一30一.
(9) 庁地方費立花蓮港農業補習学校 庁地方費立膨湖水産農業補習学校 庄組合立東勢農業国民学校 言立彰化商工補習学校 街立嘉義商工補習学校 市立安平水産専修学校 正立帰仁農業補習学校 街庄組合立新営農業補習学校 街庄組合立面化農業補習学校 庄立虎尾農業補習学校’11. また、入学資格は尋常小学校または修業年限6年の公学校卒業以上とすることを本則と していたが、土地の状況によって修業年限4年の公学校卒業者も入学したことがあった曹!2。 尚経費が市街庄負担という、貧弱なものも少なくなかっだ13。 昭和10年(1935)になると、「三十九校中独立校が二十二校に及んでいる」’14。入学資 格は尋常小学校または修業年限6年の公学校卒業以上とすることを本則とし、土地の状況 によって修業年限4年の公学校卒業者も入学することができるが、後者に係わるものがな かった。. 昭和16年度(1941)では、台湾の実業補習学校は79校になった。その中に「州立二校、 庁立三校、市立十七校、二二立二十校、街庄組合立三十三校、私立三校であった。敦れも 入学資格は国民学校初等科修了程度以上とするを本則としているド15。. また、表8によれば、昭和6年(1931)において、実業補習学校は31校存在したが、 商工業学校は2校のみであり、ただ、商工業補習学校のうち1校、即ち嘉義商工補習学校 には工業科があった。しかし、工業学校はまだ存在しなかった。また、生徒数は298名の みであった。昭和10年(1935)においては、実業補習学校の総数が39校になったが、工 業、商工業学校の数・内容(工業科は1校のみ)は変わらなかった。しかし、昭和16年 (1941)には、実業補習学校の総数:が79校、在学生徒が11,762人の盛況に達した。工業. 補習学校も4校できて、工業、商工業合わせて6校となった。工業、商工業補習学校の在 学生徒が1,492人であり、実業補習学校全体の生徒総数:の12.69%を占めた。. (二)全島実業補習教育研究会. 1 昭島6年(1931)6月の研究会 昭和6年(1931)6月19日及び20日の両日、全島実業補習教育研究会が台湾教育会館 において開催された。会は日程に従い、研究会から各補習学校長に対ずる諮問及び答申、 出席者の研究発表及び協議打合せなどが行われ、またその間講演、見学などが行わた。そ の内容は「全島実業補習教育研究会記事」・曹16に次のようなことが記載されている。 日程 6.月 19日 (金曜日) .. 午前 8:30 開会式. 一31一.
(10) 一同着席 開会の辞 主催者挨拶 休憩 9:00 諮問答申 座長挨拶 答申 12:00 休憩(食事〉 午後 1:00 講演. 台北帝大教授 工藤祐舜 5:00 招待 6月・20 日 (土曜臼). 午前 8:00 研究発表. 10:00 協議打合せ 11:$0 閉会式 主催者挨拶、. 出席者総代挨拶. 閉会の辞 12:00 休憩(食事) 午後 1:00.見学 東光油脂工業株式会社. 高砂ビール株式会社. 3:00・散会肴17. 出席者 出席者は教育弓長、州・郡視学官、庄長、各実業補習学校長及び教諭であ、り、全部で47 人であった。二化商工補習学校長安田教造、嘉義商工補習学校長井上徳造も出席していた ★18. B. 諮問答申 (1)実業補習教育の振興上改善を必要と認める事項及びその対策も (2)諮問事項に対する答申要項 会義において、各諮問事項に対する答申が行われた。例・どして、次に嘉義商工補習学校 の答申要項を列記する。 ① 学校名を他の実業学校と一様にすること. ②小、公学校職員の職業教育に関する知識向上「 ③ 小公学校児童の職業観念の養成 ④一般民に対する職業知識の普及(講演会などにより). ⑤専修科また臨時講習の開催. 一32一.
(11) ⑥生徒の退学処分に関する規則の改正 ⑦設備充実と経費の補充’鴇 2 昭和7年(1932)6月の研究会 昭和7年(1932)6月に開催された研究会について紘「全島実業補習教育研究会」記事壷20 に記載されている。以下はその要点である。 開催・要’項. 期 日 喀和7年6,月10、葺1L1 ’会 場、’新穀州三口農業専修学校. 研究題R 実業補習教育の実際に関する具体的方案如何食21 出.三者. 出席者は総督府文教局学務科長及び視学官、州知事、’州教育科長及び視学官、・庄長、各. 実業補習学校長及び教諭であり、全部で68人であ・)た。好評商工補習学校教諭河野己秋、 嘉義商工専修学校長(前身は嘉義商工補習学校)井上徳造もILI席していだ2?。. 研究案 議長の指名によって9名の者が研究題目「実業補習教育の実際に関する具体的方案如何」 についての答申を行く)た。8番目は嘉義商.L専修学校長井上・徳造であった。その内容につ いては、以下の通りである。 ・(1)釣上の研究. 教育の実際化は郷テ;化と同じ事に帰着する。殊に実業補習学校のようにその目的とする ところがその郷十:の産業の改良進歩を目標としているが故に、昭和6年度に職員全部’ ヲ同 して嘉義市の郷土誌を編纂した,,. (2)「臨地指導」(実地指導). 教授.は・なるべく直観に訴え、具体的でな.ければなら1ない、特に実業補習学校のように、. 教授⊥「近易と実習」を必要とするところにおいては「臨地指導」(実地指導)を重視する。. (3)社会との連絡 実業補習学校はその性質上社会と隔離していてはならない。 a 夜学の’開設 毎年9、10、11の3ヶ月間。. b 職業参加 毎年の年末年始にかけて、およそ15日間に商業科3年生を嘉義郵便 局その他の事務に参加させる。 〈4・)実習の重視. a 商業科における実習 b 工業科における実習鵬 また、縫上徳造校長は「市から副業についての研究を依.頼されhた時、.材木があるからし. て玩具をつくったり、籐が附近に多いから精巧なものを造ったならばよいといふことを申 しておいた」曹24と述べていた。. このように、実業補習学校は現地の物産を用いた工業実習を行っていた。. 一33一.
(12) ’終わりに. 以上の考察によって実業補習学校の特徴は以下の4点にまとめられよう。. 1 社会の需要に伴う実業教育の推進 実業補習学校は初等普通教育を卒業した者に対し職業に関する知識技能を授けると共に 国民生活に必要な教育を施すための学校であった。大正元年(1912)改正の台湾公学校規. 則により、修業年限は6年の公学校に2年制の実業科を併置することとなった。大正8年 (1919)にはこれを簡易実業学校と改称し、大正11年(1922)に台湾公立実業補習学校 規則が発布され、それと同時に大正8年(1919)の府令第48号台湾公立簡易実業学校規 期が廃止された。このように従来の簡易実業学校は実業補習学校と改称された。実業補習 学校の種類は農業、商業、」二業などに分れていた。各州、庁ともその設置を見ないところ はなかった,,しかし、圧倒的に農業補習学校の占める割合が大きく、工業、商工業の補習. 学校は少なかった。社会の需要に応じ、昭和10年(1935)以降、工業、商工業の補習学 校が次第に増えてきた。. 2 諸規則の柔軟化 実業補習学校の修業年限は2年以内を本則とするが「、特別の場合に限り1年以内延長す ることができる。入学資格は尋常小学校または修業年限6年の公学校卒業程度以上を原則 としたが、上地の情況により修業年限4年の公学校卒業程度以上の学力を有するものも入 学することができた。その種類は農業、商業、工業、その他の職業については上地の情況 に応じ、適切なものを選定したのである。また実業補習学校は州、庁、市街庄などの経費 で運営していた。. 3 卒業生の職業従事規則 実業補習学校の本旨は、初等普通教育を卒業した者に対し職業・に関する知識技能を授け ると共に国民生活に須要な教育を施すことである’が、從来の実情を見ると往々にして上級. 学校入学の準備を目的として入学する者が多く、このため学校としてもその本来の使命を. 発揮するに困難を感ずるような状態であった。昭和10.年(1935)の公立実業補習学校規 則の改正では、実業補習教育を専ら職業に上位する者、及び卒業後直ちに從暫しようとす る者・に対しての教育機関とされた。. 4 科目の多様性 教科目の中心は実習であったが、昭和10年(1935)に改正された実業補習学校規則に より、学科目は修身、公民科、国語、国史及び職業に関する科目で、女子については家事、. 裁縫が加えられた。さらに、理科、地理、体操、簿記、図画、その他の学科目を加表する ことができ、これらの怠癖科目は随意科目または選択科目とすることができることとなっ た,,. 上述した状況から見れば、日本統治時代台湾実業補習学校は、初等教育終了後の若者に 技能教育を施し、多くの初級レベル技能労働者の養成に無視できない役割を果たしたとい. 一34一.
(13) えよう,,台湾の産業の発展に有益な人材を供給し、経済の発展にある程度の貢献があった ことも否定できないと考える。. 注. *!吉野秀公の『台湾教育史』(台湾日日新報社、昭和2年)と涯知亭の『台湾教育史料新 編』(台湾商務印書館、中華民国67年)は台湾教育の概説であり、実業補習学校の教. 出島客については十分な考察が行われていない。 *2吉野口羽『台湾教育史』(台湾日日新報社、昭和2年)、428頁。 *3前掲(2)、428∼429頁。 *4前掲(2)、429頁,,. *5回忌(2)、524頁。 *6前掲(2)、524∼526頁。 *7「実業補習学校規則の改正に就て」(文教局長談)、『台湾教育』394号(昭和10年5,月) 93一’96頁。. *8前掲く7)、77頁。. *9森谷一’(総督府視学官)「本島実業補習学校の情勢」『台湾教育』347号(昭和6年6. 月)、102∼103頁。 *10台湾総督府文教局(昭和6年度版)『台湾の教育』(盛文社、昭和6年6,月)、43頁。 *11前掲(10)、43∼44頁。. *12前掲(2)、525頁。 *13前掲(9)、101頁.. *M台湾総督府文教局(昭和10年度版)『台湾の教育』(盛文社、昭和】0年9月)、43頁。 *」5台湾総督府文教局(昭和16年度版)『台湾の学校教育』(台北印刷株式会社、昭和17 年3月)、49頁。. *16「全島実業補習教育研究会記事」『台湾教育』349号(昭和6年8月) 63∼83頁,,. *17前掲(16)、63∼64頁。 *18前掲 (16)、 64∼65頁。. *19前掲(8)、66∼67頁、1. *20「全島実業補習教育研究会j『台湾教育』361号(昭和7年8月)92∼109頁、『台湾教 育』362一号(昭和7年9,月)28∼39頁。 *21前掲(20)、92頁。 *22前掲(20)、93頁。. *23「全島実業補習教育研究会」(二)『台湾教育』362号(昭和7年9月)34∼35頁。 *24前掲(23)、36頁、、. 一35一.
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