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読書行為に介入してくる現実態の間テクスト要因 : 柳田国男『海南小記』を検討の素材として

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Academic year: 2021

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(1)Title. 読書行為に介入してくる現実態の間テクスト要因 : 柳田国男『海南小記 』を検討の素材として. Author(s). 花坂, 歩. Citation. 国語論集, 18: 47-53. Issue Date. 2021-03. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/11650. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) こ の こ と を 前 に 挙 げ た 間 テ ク ス ト 性 の 三 つ の 特 質 に 基 づ い て 考 え る. な ど 、 大 分 県 民 に な じ み の あ る 地 名 が 続 く 。. 現 れ る 。 そ し て 、 「 臼 杵 」 ( う す き ) 、 「 保 土 」 ( ほ と 、 現 在 は 「 保 戸 島 」 ). 後 」 ( 現 在 の 宇 佐 市 、 中 津 市 を 除 く 大 分 県 の 大 部 分 。 ) と い う 言 葉 が. 係 性 C で あ る. そ の 『 海 南 小 記 』 を 読 み 始 め る と 、 す ぐ に 大 分 県 に ゆ か り の あ る 「 豊. ク ス ト A と 、 ( 同 様 に 広 い 意 味 で の ) テ ク ス ト B と の 間 に 起 き る 関. 『 海 南 小 記 』 は 大 正 九 年 十 二 月 か ら 翌 年 二 月 ま で の 旅 日 記 で あ る 。. 下 の 三 点 に ま と め て い る 。. ① 「 間 テ ク ス ト 」 と は 、 ( 文 学 テ ク ス ト に 必 ず し も 限 定 さ れ な い ) テ 『 海 南 小 記 』 を 用 い て 、 例 示 し て い く こ と に す る 。. 行 為 に 介 入 し て く る 現 実 態 の 間 テ ク ス ト 要 因 に つ い て 、 柳 田 国 男 の. と 」 の 学 習 材 開 発 の 可 能 性 を よ り い っ そ う 押 し 広 げ る た め に 、 読 書. 花 坂 ( 二 〇 一 八 ) で は 「 間 テ ク ス ト 性 」 を 取 り 上 げ て 、 そ の 特 質 を 以 や 複 雑 性 、 重 層 性 を よ り 開 放 的 に 検 討 で き る 。 本 稿 で は 、 「 読 む こ. −47−. 二 〇 一 八 ) 。. 「 間 テ ク ス ト 性 」 (. 一 、 は じ め に. ) の 概 念 が 有 効 で あ る ( 花 坂 二 〇 一 四 、. 授 業 で の 読 書 行 為 を 楽 し く 豊 か な も の に し て い こ う と 考 え た と き 、. 「 な ん ら か の エ ネ ル ギ ー 」 と い う 表 現 を 受 容 で き れ ば 、 学 び の 多 様 性. ず 、 広 い 視 野 で 教 材 探 索 を 行 お う と い う 意 識 が 強 ま る 。 さ ら に ③ の. 心 は 薄 ら ぐ 。 ま た ② の 観 点 を 持 つ こ と に よ り 、 言 語 テ ク ス ト に 囚 わ れ. 立 し な い 。 ① の 観 点 を 持 つ こ と に よ り 、 眼 前 の テ ク ス ト に 対 す る 執 着. (47). 柳 田 国 男 『 海 南 小 記 』 を 検 討 の 素 材 と し て ─. と 、 『 海 南 小 記 』 を 読 む と き 、 そ れ に 対 峙 す る 「 私 」 と の 一 対 一 の 関. る 広 域 概 念 で あ る. ② 「 間 テ ク ス ト 性 」 は 全 て の 文 化 ・ 芸 術 の 製 作 を 論 ず る 際 に 現 わ れ. ─. 係 だ け で は 成 立 し な い 。 そ こ に は 暗 黙 知 も 含 め た 関 連 知 が 彼 方 か ら. ル ギ ー が ほ と ば し っ て く る. ③ 「 間 テ ク ス ト 性 」 が 読 み 手 に 生 じ た と き 、 そ こ に は な ん ら か の エ ネ. intertexuality. 読 む と い う 行 為 は 対 峙 す る テ ク ス ト と の 一 対 一 の 関 係 の み で は 成. 花 坂 歩. 読 書 行 為 に 介 入 し て く る 現 実 態 の 間 テ ク ス ト 要 因.

(3) 津 久 見 港 か ら 約 十 四 キ ロ メ ー ト ル の 豊 後 水 道 に 浮 か ぶ 島 で 、. 岸 か ら 新 し い 漁 場 を 求 め る 動 き が 出 て く る 。 そ の 先 駆 け が 清 田. 退 す る に 及 ん で 、 漁 業 の み が 島 の 産 業 で あ る 保 戸 島 漁 民 は 、 沿. 探 索 し て い っ た 。. 三 、 保 戸 島 に つ い て. . 周 囲 四 キ ロ メ ー ト ル 、 面 積 〇 ・ 八 六 平 方 キ ロ メ ー ト ル 、 人 口 約 八. ○ 現 在 の 保 戸 島 の 概 要. ま れ て い た が い わ し 等 の 回 遊 性 魚 類 の 沿 岸 へ の 回 遊 が 激 減 し 衰. 保 戸 島 も 明 治 十 年 代 ま で は 沿 岸 漁 場 を 中 心 と し た 漁 業 が 営. 見 市 ) で あ る 。 そ の 後 、 柳 田 は 九 州 東 海 岸 を 南 下 し 、 沖 縄 の 島 々 ま で. ○ 明 治 期 の 島 の 様 子. 矢 野 ( 一 九 九 三 、 四 五 頁 ). 始 ま る 。 そ し て 、 一 番 初 め に 立 ち 寄 っ た 離 島 が 保 戸 島 ( 大 分 県 津 久. け 、 朝 日 新 聞 に 三 〇 回 に わ た り 掲 載 さ れ た 。 旅 の 記 述 は 、 臼 杵 か ら. ら 翌 年 三 月 ま で の 旅 の 記 録 で あ る 。 旅 を 終 え た 三 月 か ら 五 月 に か. の 創 始 と あ る 。. 不 明 で あ る 。 島 の 『 加 茂 神 社 縁 起 』 に は 、 天 文 四 年 ( 一 五 三 五 ). る 。 中 世 末 に は か な り 開 発 が 進 ん だ ら し い が 、 そ の 詳 し い 歴 史 は. 『 海 南 小 記 』 は 、 柳 田 国 男 に よ る 、 一 九 二 〇 ( 大 正 九 ) 年 一 二 月 か. 二 、 『 海 南 小 記 』 に つ い て. 保 戸 島 は 『 和 名 抄 』 の 「 海 部 郡 穂 門 郷 」 の 名 を 継 承 し た 島 で あ. −48−. 三 浦 ( 二 〇 〇 七 、 一 八 頁 ). (48). 統 合 体 と し て 整 合 性 を 整 え て い く の が 読 む と い う 行 為 で あ る 。. と も あ る 。 こ う し た 雑 多 な も の が 縦 横 無 尽 に 交 差 す る 中 で 、 一 つ の. ら れ る 。 そ れ ら は 自 覚 で き て い る こ と も あ れ ば 、 自 覚 で き て い な い こ. 査 に よ っ て 得 た 情 報 、 他 者 か ら 得 た 伝 聞 情 報 な ど 、 多 種 多 様 に 考 え. 次 い で 畏 敬 さ れ る 神 社 で あ っ た 。. 当 時 京 都 に お い て 上 賀 茂 神 社 は 高 質 の 尊 崇 篤 く 、 伊 勢 神 宮 に. れ た の は お そ ら く 安 土 桃 山 時 代 か 、 江 戸 時 代 初 期 で あ ろ う 。. ○ 島 島 の の 起 守 源 護 神 と し て 京 都 上 賀 茂 神 社 よ り 別 雷 命 が 遷 移 勧 請 さ. 他 、 遠 い 記 憶 と い っ た 漠 然 と し た も の か ら 、 そ れ ま で の 読 書 体 験 、 調. こ の 「 暗 黙 知 も 含 め た 関 連 知 」 に つ い て は 読 み 手 が 有 す る 経 験 知 の. 雑 雑 多 な 関 係 性 の こ と で あ る 。. ( 参 考 津 久 見 市 観 光 協 会 ホ ー ム ペ ー ジ ). 南 小 記 』 を 読 み 手 の 内 部 に 形 作 る 。 「 間 テ ク ス ト 性 」 は そ こ に あ る 複. 引 き 寄 せ ら れ る よ う に 生 起 し て く る 。 そ う し て 、 読 み 手 固 有 の 『 海. ロ を 水 揚 げ し て い る 。. 百 人 。 明 治 中 頃 に 始 ま っ た マ グ ロ 漁 業 で 、 現 在 も 日 本 各 地 で マ グ.

(4) で し た 。. 樋 口 ( 二 〇 〇 五 、 四 三 頁 ). 大 分 県 臼 津 関 地 方 振 興 局 ( 一 九 九 三 、 一 八 頁 ). ろ は え 縄 漁 業 の 始 ま り と さ れ て い る 。. 通 し た 大 正 五 年 ( 一 九 一 六 ) ま で は 海 上 交 通 し か 無 い 陸 の 孤 島. 津 久 見 は 周 囲 を 五 〇 〇 メ ー ト ル の 山 脈 で 遮 ら れ 、 鉄 道 が 開. よ り 思 い 切 っ て 、 ま ぐ ろ は え 縄 に 転 換 し た 。 こ れ が 保 戸 島 の ま ぐ. 購 入 資 金 が 極 め て 困 難 で あ っ た 。 し か し 、 漁 具 の 共 同 購 入 等 に. ○ 大 正 期 の 島 の 様 子. 樋 口 ( 二 〇 〇 五 、 四 六 ~ 四 七 頁 ). び ん ち ょ う 、 め ば ち 、 が 高 い の は わ か っ て い た が 、 は え な わ 漁 具 の. う ) 「 」 メ バ チ マ グ ロ ( め ば ち ) 」 の 漁 獲 も あ り 、 価 格 も め だ い に 比 べ. を 実 施 し て い た 。 こ の と き メ ブ ト 漁 操 業 中 「 ト ン ビ シ ビ ( び ん ち ょ. て 大 変 よ い 成 績 を あ げ ま し た 。. を 知 っ た 若 者 が 三 隻 の 櫓 船 で 出 掛 け 、 船 の 改 造 、 道 具 を 工 夫 し. カ ジ キ マ グ ロ が 多 い の に 気 づ い て 転 向 、 良 い 結 果 が 出 ま し た 。 こ れ. 小 寺 藤 吉 夫 婦 が 一 ト ン の 櫓 船 で イ カ 釣 り を し て い ま し た が 、. し た と こ ろ か な り の 漁 が 見 込 ま れ る の で 、 二 三 隻 余 で 集 団 操 業. あ る と の 情 報 が あ っ て 、 大 正 一 一 年 頃 、 四 隻 で こ の 漁 場 を 視 察. 土 佐 清 水 市 ( 当 時 高 知 県 清 松 村 字 清 水 ) に メ ブ ト ( め だ い ) 漁 が. あ る こ と か ら 春 期 以 外 の 時 期 の 漁 業 を 考 え て い た と き 、 高 知 県. −49−. を 組 ん で 対 馬 に 出 漁 す る よ う に な る 三 。 浦 ( 二 〇 〇 八 、 一 〇 頁 ). ( 花 坂 注 : カ ジ キ 漁 を 指 し て ) し か し 、 こ の 漁 業 は 春 期 が 盛 漁 で. (49). 縄 漁 を 行 い 、 フ カ を 大 漁 し た と の 情 報 が あ り 、 明 治 一 八 年 船 団. 期 黄 金 時 代 で あ り ま す 。 樋 口 ( 二 〇 〇 五 、 四 七 ~ 四 八 頁 ). 明 治 一 七 年 、 臼 杵 中 津 浦 の 板 井 五 三 郎 が 韓 国 近 海 で フ カ 延. 港 か ら 足 を 伸 ば し て 紀 伊 沖 ま で 漁 区 を 拡 げ ま し た 。 こ れ が 第 一. 大 分 県 臼 津 関 地 方 振 興 局 ( 一 九 九 三 、 一 六 頁 ). 沖 の マ グ ロ を 獲 る た め に 宮 城 県 の 釜 石 港 を 基 地 に し 、 土 佐 清 水. 四 年 後 に は 三 五 馬 力 ( 一 二 ト ン ) の 大 型 に 改 良 、 北 海 道 ・ 三 陸. 時 ふ か = さ め は 明 骨 と し て 大 分 県 の 重 要 輸 出 品 で あ っ た 。. 船 越 村 ( 今 は 美 津 島 町 ) 賀 谷 に 渡 り 主 に 鱶 縄 を 始 め て い る 。 当. 寿 松 氏 で あ り 明 治 二 十 三 年 に 長 崎 県 ( 当 時 対 馬 の 国 ) 下 県 郡. と 、 土 佐 清 水 の マ グ ロ 延 縄 で は じ め て 周 年 操 業 を 実 現 し ま し た 。. ( 八 ト ン ) 一 隻 が 建 造 さ れ 、 八 名 が 乗 り 組 み 、 対 馬 の カ ジ キ 突 き. 大 正 七 年 ( 一 九 一 八 ) 、 一 五 馬 力 の 無 水 焼 玉 エ ン ジ ン の 漁 船.

(5) は 『 海 南 小 記 』 に よ っ て 自 身 の 理 解 が 補 完 さ れ る こ と を 体 験 で き る 。. ば 、 こ う し た 過 去 の 事 実 に 触 れ て い る 可 能 性 が あ る 。 そ う し た 場 合. 現 代 の 読 み 手 で あ っ て も 、 津 久 見 市 や 保 戸 島 で 生 活 を 営 ん で い れ. い 出 が 『 海 南 小 記 』 に よ っ て 呼 び 起 こ さ れ る こ と を 体 験 で き る 。 ま た 、. い る 読 み 手 が 『 海 南 小 記 』 を 読 む こ と は 数 少 な い だ ろ う が 、 当 時 の 思. 「 第 一 期 黄 金 時 代 」 で あ る 。 現 代 に お い て 、 そ の 頃 の 生 活 を 体 験 し て. 樋 口 ( 二 〇 〇 五 ) に 従 え ば 、 柳 田 が 来 島 し た 大 正 九 年 は 保 戸 島 の. ③ 時 だ け は 真 に 寝 る と こ ろ も な い そ う で あ る 。 だ か ら 半 分 は 人 の. か ら 、 三 百 何 十 人 の 男 た ち が 、 漁 を 終 わ っ て も ど っ て く る 。 そ の. ほ ど 子 供 や 女 の 数 が 多 い の に 、 も う 半 月 も す る と 壱 岐 五 島 の 方. 家 は 近 年 に な っ て 大 分 増 加 し た も の ら し い 。 今 で も 行 き あ た る. が 通 路 で す 。. 樋 口 ( 二 〇 〇 五 、 四 四 頁 ). を 建 て ま し た 。 道 の な い と こ ろ に 建 て る の で 一 ㍍ に 足 り な い 路 地. が い な い の で 人 口 が 増 え る ば か り で 猫 の 額 ほ ど の 狭 い 敷 地 に 家. ② る 別 に 。 々 、 に 同 、 じ 入 よ 口 う を な 路 家 へ が つ 境 け も て 不 、 二 分 戸 明 、 に 三 立 戸 て が 続 一 け 棟 て の あ 中 る に 。 住 二 ん 階 で と い 下 と. 全 体 に 平 地 は ち っ と も な い 島 で あ る 。 見 あ げ る よ う な 傾 斜 地. 給 料 の 二 、 三 倍 を 手 に す る こ と が で き ま し た 。 島 を 離 れ る 若 者. ① の で よ く 船 が く つ が え る 。. 岸 の 四 浦 の 鼻 は 手 の と ど く ほ ど 近 い が 、 こ の 間 は い つ も 潮 が 悪 い. −50−. 明 く る 朝 も 裾 を ひ る が え す ほ ど の 風 が 西 か ら 吹 い て い た 。 対. (50). マ グ ロ 船 に 乗 れ ば 、 中 学 を 卒 業 し た ば か り の 少 年 で も 先 生 の. 樋 口 ( 二 〇 〇 五 、 四 一 ~ 四 二 頁 ) 通 し 番 号 、 傍 線 は 論 述 の 都 合 上 、 付 け た も の で あ る 。. 『 海 南 小 記 』 に は 、 保 戸 島 に 関 す る 記 述 と し て 以 下 が あ る 。 引 用 の. し に 商 が た 乗 店 住 昭 。 り 街 み 和 、 と 、 五 退 同 人 七 職 じ 口 年 す 地 密 ( る 価 度 一 と が は 九 二 し 大 八 ㌖ ま 都 二 沖 し 市 ) に た 並 の 出 。 、 最 て 働 県 盛 一 け 庁 期 本 る の に 釣 男 あ は 五 り 子 る 百 で の 大 余 八 分 世 生 〇 市 帯 を ㌫ の 三 過 が 中 〇 心 〇 ご マ グ し ロ 竹 〇 ま 船 町 人. う こ と に な る 。. ば 、 あ ら ゆ る 関 連 知 が 読 み に 介 入 し て く る こ と が 、 む し ろ 通 常 と い. は 分 離 し て 考 え る こ と が 推 奨 さ れ る が 、 間 テ ク ス ト 性 の 考 え に 拠 れ. 通 例 、 「 読 む こ と 」 の 授 業 に お い て は 生 活 の 現 実 と テ ク ス ト の 虚 構. 四 、 『 海 南 小 記 』 の 記 述 と 現 実 に お け る 想 起. ○ 昭 和 期 の 島 の 様 子.

(6) ⑤ の 岩 の 陰 に は 河 童 も い る 。 友 達 の 声 を し て 寺 の 和 尚 を 夜 中 に 呼. 漑 す る 池 も あ り 、 お り お り は そ れ で も 鴨 が 来 て 遊 ぶ 。 ま た 海 岸. 水 田 も あ り 、 小 舟 で 島 を ま わ っ て こ れ を 耕 し に 行 く 。 こ れ に 灌. 東 側 も や は り み な 畑 で 、 裾 の 方 に は 四 反 ( 約 一 二 〇 〇 坪 ) ほ ど. 樹 の 間 か ら 伊 予 の 山 が 見 え 、 ま た 水 之 子 の 灯 台 が 見 え る 。 島 の. な 森 は 以 前 の 物 見 所 で 、 登 っ て み る と 中 に は 島 人 の 墓 が あ る 。. 頂 上 に は 、 そ れ で も 泉 を 養 う 少 し の 林 が あ る 。 そ の 左 手 の 小 さ. ら れ た 。 島 に は 何 と し て も 作 る 余 地 が な い の で あ る 。 段 々 畑 の. と 言 う 。 野 菜 は 自 分 た ち と 相 乗 り し て 、 昨 日 も た く さ ん 輸 入 せ. で 、 ト ウ イ モ ば か り 作 る か と 思 う ほ ど だ が 、 そ れ で も ま だ 足 ら ぬ. 周 一 里 ( 約 三 ・ 九 キ ロ ) あ ま り の 島 は 、 見 た と こ ろ 九 分 ど こ ろ 畠. 写真1 保戸島の様子(2017 年 2 月撮影) 畠 」 、 「 段 々 畑 」 と あ る が 、. 見 た と こ ろ 九 分 ど こ ろ. 三 ・ 九 キ ロ ) あ ま り の 島 は 、. え る 。 ⑤ に は 「 周 一 里 ( 約. れ る と 、 少 々 の 戸 惑 い を 覚. 「 ほ と ん ど た だ 一 つ 」 と 言 わ. に は 法 照 寺 も あ る た め 、. 思 わ れ る が 、 島 の ほ ぼ 中 央. つ の 寺 」 は 海 徳 寺 の こ と と. 点 ) 。 ④ の 「 ほ と ん ど た だ 一. ④. ( 令 和 三 年 二 月 二 二 日 時. 籍 児 童 数 は 三 名 、 中 学 校 の 在 籍 生 徒 数 は 0 名 で 休 校 と な っ て い る. −51−. 増 し て こ ぬ こ と で あ る 。. に な っ て い る 。 こ の 霊 泉 の 一 つ の 欠 点 は 、 水 量 が 人 口 に 比 例 し て. り 御 大 師 様 水 と 名 づ け 、 し か も そ の 由 来 は も う 説 明 し え ぬ よ う. く ん で い る 。 ま こ と に 感 謝 に 価 す る 清 水 で あ っ て 、 こ こ で も や は. 水 は 四 百 た ら ず の 竈 か ら 、 ほ と ん ど た だ 一 つ の 寺 の 後 ろ の 泉 を. 子 供 や 女 の 数 が 多 い 」 は 、 そ れ ら と は 逆 で 、 現 在 の 島 内 の 小 学 校 の 在. と 、 写 真 1 の よ う な 光 景 が 見 え て く る 。 ③ の 「 今 で も 行 き あ た る ほ ど. い 島 で あ る 。 見 あ げ る よ う な 傾 斜 地 」 も 同 様 で あ る 。 船 で 島 に 近 づ く. る の が 困 難 な ほ ど に 潮 の 流 れ が 速 い 。 ② の 「 全 体 に 平 地 は ち っ と も な. 元 海 峡 を 挟 ん だ 対 岸 は 目 と 鼻 の 先 で あ る に も か か わ ら ず 、 泳 い で 渡. (51). が 悪 い 」 と い う の は 、 現 地 の 人 で あ れ ば よ く 理 解 で き る 話 で あ る 。 間. 一 家 の よ う な も の だ 。. よ り は 単 に 蒲 団 を 持 っ て き て 休 む の で 、 つ ま り 島 一 つ が 大 家 内 の. ① の 「 対 岸 の 四 浦 の 鼻 は 手 の と ど く ほ ど 近 い が 、 こ の 間 は い つ も 潮. ① か ら 順 に 見 て い く 。. が 多 い 。 役 場 の 当 直 室 な ど も や は り 借 り ら れ る 。 借 り る と い う. 家 に 行 っ て 寝 る 。 そ れ も ま た 楽 し み に し て 待 ち 待 た れ る 若 い 者. び 起 こ し 、 朝 の 勤 め の 木 魚 を た た か せ た と い う 話 も あ る 。.

(7) 境 界 線 上 の 近 接 性 が 重 要 と な る だ ろ う 。. 今 回 は 、 『 海 南 小 記 』 の 「 保 土 ( 戸 ) 」 を 取 り 上 げ た が 、 保 戸 島 に ゆ. 五 、 小 考. 在 、 そ れ ほ ど 意 識 的 に 伝 承 さ れ て い る わ け で は な い 。. 水 田 」 と あ る が 、 現 在 は な い 。 「 岩 の 陰 に は 河 童 も い る 」 と あ る が 、 現. 「 島 の 東 側 も や は り み な 畑 で 、 裾 の 方 に は 四 反 ( 約 一 二 〇 〇 坪 ) ほ ど. 後 水 道 の ほ ぼ 中 央 に 立 つ 灯 台 で 、 今 で も 航 海 の 安 全 に 寄 与 し て い る 。. こ と を 述 べ て い る も の と 思 わ れ る 。 「 水 之 子 の 灯 台 」 は 現 在 も あ る 。 豊. 津 津 大 大 大 久 久 分 分 分 見 六 見 県 大 〇 嶼 大 探 県 市 六 市 地 学 ~ 学 る 臼 観 頁 ( 理 教 三 保 学 津 一 光 育 八 戸 芸 』 関 九 』 、 協 八 二 学 頁 島 学 ※ 地 ・ 会 無 部 地 方 五 六 部 ホ ~ 地 垢 地 方 振 ) ー 離 三 理 島 理 公 興 ム 島 三 学 ・ 学 共 局 ペ の 頁 教 屋 研 団 ( ー 若 形 究 体 一 室 ジ 者 島 部 刊 九 ( ( 一 閲 集 ・ ( 行 九 深 一 九 三 覧 団 島 九 物 ) 七 『 、 『 六 六 保 津 ) 、 戸 『 三 久 保 島 大 ) 見 戸 豊 分 後 市 島 そ 県 水 ) 誌 調 の 地 』 査 道 歴 、 理 報 沿 五 史 』 告 五 、 岸 と 三 の 、 七 『 未 、 四 ~ 大 来 二 島 五 分 を. −52−. (52). ―. 、 『 大 分 県 地 理 』 、 一 四 、 三 四 ~ 四 三 頁 景 観 変 遷 史 的. か り の な い 読 み 手 で あ れ ば 、 読 み 流 し て し ま う 記 述 で あ っ て も 、 保 戸. ―. 中 野 雅 博 ( 一 九 八 一 ) 大 分 県 保 戸 島 の 漁 村 の 変 貌. 島 を 見 知 っ て い る 人 が 読 む と 、 様 々 な 関 連 知 が 読 み に 介 入 し て く. る 。 そ れ が 読 む こ と の 楽 し さ で も あ り 、 煩 わ し さ で も あ る ( 例 え ば 、. ―. 視 点 か ら. 前 節 で 触 れ た 寺 の 数 は 一 つ か 二 つ か な ど と い っ た 問 題 は 、 『 海 南 小. ―. 丹 羽 真 知 子 ( 一 九 七 二 ) 保 戸 島 の 遠 洋 漁 業 、 『 大 分 県 地 理 』 、 一 二 、. 記 』 に と っ て は 重 要 な 問 題 で は な い だ ろ う が 、 現 地 の 人 に は 気 に な る. 2021/02/15. 「 ろ く を. 二 七 ~ 三 三 頁. も の で あ る ) 。 児 童 生 徒 の 関 心 を 強 め る た め に 身 近 な テ ク ス ト を 用 意. ―. 、 『 国 語 論 集 』 、 一 一 、 二 一. 花 坂 歩 ( 二 〇 一 四 ) 間 テ ク ス ト 性 に 着 目 し た 学 習 材 開 発. す る こ と は 有 効 で あ る の だ が 、 身 近 で あ れ ば あ る ほ ど 、 主 教 材 た る. http://tsukumiryoku.com/publics/index/109/. さ ば く 」 を 用 い た 「 羅 生 門 」 の 運 用. テ ク ス ト の 関 連 知 が よ り 強 引 に 介 入 し て く る と い う こ と で も あ る 。 個. ―. ―. 、 『 国 語 論 集 』 、 一 五 、 九 高. 九 ~ 二 二 七 頁. の レ ベ ル で の 読 書 行 為 に お い て も 、 そ の 制 御 は 難 し い 。 ま し て や 、 集 団. ―. 花 坂 歩 ( 二 〇 一 八 ) 間 テ ク ス ト 性 概 念 は 授 業 を ど こ に 導 く の か. で の 読 書 行 為 と な る と 、 そ の 収 斂 は 極 め て 難 し い 。 教 材 探 索 及 び 学. ―. ―. 等 学 校 の 実 践 報 告 の 検 討 と と も に. 習 材 開 発 に お い て は 、 「 少 し 知 っ て い る 」 と 「 そ れ ほ ど よ く 知 ら な い 」 の. り で あ る 。 「 樹 の 間 か ら 伊 予 の 山 が 見 え 」 は 、 愛 媛 の 宇 和 島 あ た り の. 引 用 ・ 参 考 文 献. こ れ は 現 在 と 異 な る 。 今 は コ ン ク リ ー ト 造 り の 住 宅 と 裏 山 の 森 ば か.

(8) 科 研 費. 談 』 、 一 六 四 、 四 四 ~ 五 五 頁. ~ 六 九 頁. 賀 茂 神 社 の 変 遷 か ら. 柳 田 国 男 「 海 南 小 記 」. 、 『 津. 、 『 大. ―. 戦 前 ・ 戦 中 ・ 戦 後 の マ グ ロ 漁 業. 分 文 学 紀 行 』 、 二 一 五 ~ 二 一 八 頁. 松 本 義 一 ( 一 九 八 四 ) 保 戸 島 の 生 活 ―. (53). 、 『 津 久 見 史 談 』 、 一 二 、 九 ~ 二 五 頁. 久 見 史 談 』 、 一 一 、 一 八 ~ 二 九 頁. 三 浦 鎚 春 ( 二 〇 〇 七 ) 保 戸 島 の 歩 み. ―. −53−. か ら. 三 浦 鎚 春 ( 二 〇 〇 八 ) 保 戸 島 の 歩 み. ―. 、 『 佐 伯 史. 三 浦 鎚 春 ( 二 〇 一 五 ) 保 戸 島 の 渡 海 船 、 『 津 久 見 史 談 』 、 一 九 、 五 九. ―. 矢 野 彌 生 ( 一 九 九 三 ) 海 部 の 地 理 ( 十 一 ) 津 久 見 市. ―. ※ 「 海 南 小 記 」 の 本 文 に つ い て は 、 『 海 南 小 記 』 ( 柳 田 国 男 、 角 川 学 芸. ―. ( ). ( 基 盤 研 究 C 、 柳 田 国 男 監. 出 版 、 二 〇 一 三 ) に 拠 っ て い る 。. ―. 附 本 記 研 究 は. JP18K02517. 修 高 等 学 校 国 語 科 教 科 書 所 収 教 材 の 連 携 的 ・ 実 践 的 研 究 、 代 表. JSPS. ( は な さ か あ ゆ む / 大 分 大 学 ). 佐 野 比 呂 己 ) の 助 成 を 受 け た も の で あ る 。. 四 一 ~ 五 七 頁. 樋 口 義 久 ( 二 〇 〇 五 ) マ グ ロ 漁 船 の 基 地 保 戸 島 、 『 津 久 見 史 談 』 、 九 、. ~ 一 八 頁.

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