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[資料紹介]ジョサイア・コンドル「日本建築についての覚書」解題および訳

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(1)︶. 平 山 育 男. ︵文献. ︵四︶. に 掲 載 され、 Transactions of Royal Institute of British Architects.. ︶. DISCUS-. も同号に掲載された。 SION 後述するように﹁第一報﹂及び﹁討論﹂について、鈴木博之により、既に. ︵五︶. し明治一〇︵一八七七︶年に来日したお雇い外国人である。来日後は、工部. コンドルは一八五二年にイギリス生まれで、一八七六年にソーン賞を受賞. 一.J・コンドルについて. 解題. 及び TURE.. 本 稿 は コ ン ド ル の﹁ 第 一 報 ﹂ で あ る NOTE ON JAPANESE ARCHITECの全文を翻訳の上、紹介するものである。 DISCUSSION. い。. ケ ッ チ・ ブ ッ ク に お け る 図 版 と の 関 係 に つ い て は 別 稿 で 論 じ る こ と と し た. と 図 版 の 明 確 な 関 連 を 示 し て は い な い。 な お、 コ ン ド ル の﹁ 第 一 報 ﹂ と ス. ケッチ・ブックから図版の利用が認められるものの、鈴木は﹁第一報﹂本文. い る。 コ ン ド ル の﹁ 第 一 報 ﹂ で は 上 述 し た 鈴 木 の 指 摘 通 り、 コ ン ド ル の ス. ところで著者らは近年、コンドルによるスケッチ・ブックの考察を進めて. べている。. ︵六︶. として両者の関係を示した。なお、﹁討論﹂についてもその概要を鈴木は述. コンドルの第一報の図版と原画対照表. 応について. ﹁第一報﹂に用いられた図版とコンドルのスケッチ・ブック所収の図版の対. 図 版 の 原 画 は、 コ ン ド ル の ス ケ ッ チ・ ブ ッ ク に 見 出 せ る と の 指 摘 を し て、. 翻訳されている。併せて、鈴木はこの﹁第一報﹂においてコンドルが用いた. の中で紹介があり、両論文について概要の紹介と、 ﹁第一報﹂本文の一部が. 昭和五一︵一九七六︶年に、 ﹃ジョサイア・コンドルの建築観と日本﹄︵文献. 3. 〈研究ノート〉. ︵文献 ︶. ︵三︶. な お、 コ ン ド ル の﹁ 第 一 報 ﹂ は 明 治 一 一︵ 一 八 七 八 ︶ 年 夏 に 発 刊 さ れ た. - 89 -. [資料紹介] ジョサイア・コンドル 「日本建築についての覚書」 解題および訳. はじめに 本稿は、J・コンドルの第一報とされる NOTES ON JAPANESE ARCHITECTURE. ︵一︶ [和訳]日本建 築 に つ い て の 覚 書 の全訳と解題である 。. 議において、議会会 長 チ ャ ー ル ズ バ  リーの下、ロジアー ス ミスによってコ ︵二︶ ンドルによる原稿が読み上げられた。そして、これについて. 本稿は、明治一一︵一八七八︶年三月四日、王立英国建築家協会の通常会. 1. DISCUSSION ON MR. CONDERʼS PAPER-NOTES ON JAPANESE ARCHITECTURE.. 2. [和訳]コンドル氏の論文についての討論 日 - 本建築についての覚書 が、明治一一︵一八七八︶年四月八日に実施された。. 研究ノート.

(2) 大学校における指導、工部省における設計に従事する傍ら、自ら日本研究に 窓について記す。. 関などのあることを述べ、屋根について重厚な入母屋造、唐破風、横長の. ︵一一︶天皇御所について神武天皇以来の沿革の概要を述べ、宮が桓武天皇. を述べる。. ︵一〇︶下位の屋敷の下見板張などについての説明と、庭園についての概説. ついてギリシャ建築との対比で調和と美を賞賛する。. ︵九︶屋敷の配置と、大名屋敷における門構を概説する。この内、海鼠壁に. も没頭した。明治一七︵一八八四︶年以後も雇用を延長し、臨時建築局にお いて諸官庁の計画に関わった。明治二一︵一八八八︶年以後は建築事務所を 開設して設計に従事し、大正九︵一九二〇︶年に没した。. 二.資料の概要 資料の概要については、﹁第一報﹂と﹁討論﹂について各々を段落ごとに. の時代に京都に遷り、内裏が中国の影響にあることを記す。. ︵一四︶内裏について紫宸殿の配置と平面について説明する。. ︵一三︶大内裏における豊楽殿などの配置について概説する。. 示す。 二―一. NOTES ON JAPANESE ARCHITECTURE. ︵一︶日本建築について自作のスケッチと関連づけようとするコンドルの試. ︵一五︶紫宸殿、八省院、大極殿の配置と用途を説明する。. ︵一二︶大内裏について、門と大まかな配置を概説する。. みと今後の更なる研究の意気込みを示す。その方法としてインド、中国と. ︵二三︶文昭院霊廟回廊の構成を概説する。. ︵二二︶文昭院霊廟中門の構成を概説する。. る。なお、中門の柱の粽とエジプトの類似を指摘する。. ︵二一︶文昭院霊廟水盤舎、霊屋の中門、回廊、透塀の構成と装飾を説明す. なお、鐘楼の石造基礎について記載が見られる。. ︵二〇︶文昭院霊廟勅額門内の灯籠及び鐘楼について構成と装飾を述べる。. 示す。以下、文昭院霊廟の二天門、勅額門を概説する。. ︵一九︶増上寺の三解脱門の概要を示して賞賛し、旧大殿、北廟の配置等を. 院が印象的で、特に霊廟建築を重要と位置づける。. えて主要寺院は日光、大阪、京都、東京にあり、東京では上野と芝の両寺. ︵一八︶寺院建築の配置と、金具と彩色を用いた装飾について概説する。加. ︵一七︶城郭内におけるその他の建物について説明する。. ︵一六︶城郭について、本丸、二ノ丸、三ノ丸を概説する。. の関係とその変容について検証の余地のあることを述べる。 ︵二︶日本の建築は木造が大半を占めることを挙げ、石造の事例として日光 近郊の事例、耐火的な建築として土蔵の存在を挙げる。 ︵三︶一般的な住宅の概説で、壁面、建具、イグサ製の敷物︵畳︶ 、床の間に ついて解説する。 ︵四︶日本人の生活習慣について、家具をほとんど用いないことを挙げる。 次いで屏風、階段、天井、屋根についての解説となる。 ︵五︶神道建築の屋根が反りを持たぬことを示し、仏教建築に見られる反り と入母屋屋根の形式が伝来の形式とする。. の利用を示す。. ︵六︶二階建の建築について、下階が下屋の差掛屋根となることを記し、簾. ︵七︶茶屋や旅館が大規模で配置も多様なことを示し、縁の構成を述べる。 また、宿屋の中庭について、池や橋のあることを述べる。 ︵八︶上流階級の屋敷、宮の建物配置について、一連の部屋の続くこと、玄. - 90 -.

(3) ︵二四︶文昭院霊屋の拝殿、相ノ間、本殿の平面と構成を概説する。 ︵二五︶文昭院霊屋内部の構成と装飾を解説する。 ︵二六︶文昭院霊屋の開口部の花頭窓、天井、装飾を解説する。. 物を二〇年程前の 建 築 と す る 。. ︵二七︶文昭院霊屋の屋根形式について解説する。なお、コンドルはこの建. ︵二八︶文昭院奥院 の 配 置 を 解 説 す る 。 ︵二九︶文昭院奥院宝塔、鋳抜門の解説をする。この内、鋳抜門についてエ ジプトとの関連の指摘のあることを述べる。 ︵三〇︶上野東照宮について、配置、唐門、透塀、社殿の概説をする。. 写真の提示のあったことを紹介した。. ︵二︶ウィリアム・キンダー 中 : 国及び日本での見聞を示す。日本の建築は 全て角材からなることの驚きを示す。また、木造に限られるのは地震のた. キンダーに対し写真の象徴的な印を質問した。. めで、総ての特性は中国伝来のものとした。 ︵三︶ハンサード. ︵四︶キンダー 回答で、 pailow の解説をした。 ︵五︶フェーン・スパイアズ 日本建築が木造であることは全時代を貫く概. 日本における単位について相対的な比率が. 念を欠くと指摘し、石造の土蔵造の言及をした。 ︵六︶ワイアット・パーワース. 述べられないことへの問題が示される。. ︵七︶キンダー 中国における寸法を述べるが日本のものは知らないとする。. - 91 -. ︵三一︶神道建築が素朴な形態であることを記す。神社の代表例として九段 坂東京招魂社︵後の靖国神社︶とその鳥居を挙げ、石造の鳥居も木造と同. ︵八︶チャールズ・バリー会長. 土壁及び土蔵の工法についてコンドルの論文. ではないので、コンドルの意識と日本との関係に的を絞って考察をつづ. コンドルの活動のすべてを逐一述べることは本稿の目的とするところ. 計、そして彼自身の日本芸術探究である。. 来 日 し た コ ン ド ル に は、 数 多 く の 仕 事 が 待 ち 受 け て い た。 教 育、 設. の部分を示す。. 既に述べたように、鈴木による資料の紹介は概要に留まるが、以下に、そ. 三.鈴木博之による資料の紹介. ︵一〇︶謝辞. に準じて解説した。. ︵九︶フェーン・スパイアズ. 発言を促した。. が打破されつつあるとする。そしてカトラーの模型についてスパイアズに. スパイアズの意見に対し、日本人の排他性. じ構成であること を 述 べ る 。 ︵三二︶神社の建築について千木、勝男木などを挙げ、茅葺屋根との親和性 を指摘する。 ︵ 三 三 ︶ 浅 草 の 本 願 寺 に つ い て、 規 模 が 大 き い も の の 外 部 に 彩 色 の な い 事 例 として挙げる。 ︵三四︶江戸近郊に二七件の主要寺院があることを指摘する。また、鳥居が インドの建築に類似することを指摘する。 ︵三五︶日本の仏像について紹介し、芝の小仏像、鎌倉、上野の大仏等を例 示する。 なりのり. ︵三六︶最後に大越成徳に意見を求めたことが記され、四月一日に、この論 文について討論のあることが述べられる。 二―二. DISCUSSION ON MR. CONDER’S PAPER-NOTES ON JAP-. ANESE ARCHITECTURE. ︵一︶チャールズ・バリー会長 質問を促し、准会員のカトラーから模型と. 研究ノート.

(4) 来日して以後、彼の活動で日付けのはっきり解る最初の例は、前述の. けよう。. 仏教寺院を記した部分では日光、大阪、京都、東京に主要な寺院があ. る。. ︵神武天皇︶以来の皇居の歴史を述べ、他方において芝の将 mu Tenno 軍廟あるいは亀戸の寺院︵天神か?︶を評価している筆法は奇異ではあ. Jim-. にもスケッチが行われていたことは確実である。このことは、一八七八. るが、当時にあっては意欲的な報告といってよい。この頃に西洋人が日. る と 述 べ、 東 京 で は ま ず 上 野 と 芝 の 寺 院 を 挙 げ る。 一 方 に お い て. 年三月四日に英国の王立建築家協会で朗読されたコンドルの最初の論文. 筆をさかないのが通例であった。とは言うものの、コンドルの叙述にお. スケッチ[表 Ⅱ - 参照]である。残念ながら一八七七年以後、年記をも つスケッチは一八八〇年八月四日まで、残されていない。しかしこの間. 所載の図版の原画と思われるスケッチ “Notes on Japanese Architecture”  が多数スケッチブック中に見出されることで証明される。. いて、一般歴史と建築の記述があまりに分離しすぎていることは否めな. 本あるいは東洋諸国の報告を行なう場合には、歴史的背景にはほとんど. 同論文に掲載された図版[挿図 ]とスケッチブック中の原画[挿図. よって代表された。その特質を、彼は広く東洋全体の枠の中で把えよう. コンドルにとって、日本の建築はまず近世の彩色彫刻に満ちた寺院に. い。 ︽中略︾. コンドルは一八七七年春から精力的に日本建築を見歩き、スケッチを. ]の対照表は表︱Ⅲのごとくなる。. 行ない、この論文をまとめたらしい。論文中には日光、大阪、京都、鎌. “Further on Japa-. 倉 と い う 地 名 が 出 て く る が、 具 体 的 な 記 述 に ま で は 至 っ て お ら ず、 ス ケッチは東京とその周辺の建物に限られている。まだ彼は東京から遠く. さ て、 知 ら れ る と お り、 コ ン ド ル は 一 八 八 六 年 に. とした。 “Many forms are to be found most closely resembling the Budという表現にそれを窺うことができる。 ︽中 dist Architecture of India”  略︾. に旅行することはなかったようである。しかし Yadoyas ︵宿屋︶の構造 を述べ、中庭をほめているので、旅館に宿泊したことはあるらしい。 論文の内容は、宗教建築、住宅建築、城塞にまでわたる、日本の在来. と 題 す る 報 告 を、 英 国 王 立 建 築 家 協 会 に 送 っ て い nese Architecture” る。彼の最初の報告がロジア・スミスによって朗読されたのに対し、今. ママ. の建築に間する広汎な概説である。彼は木造建築における防火上の考察. 解、またロジア・スミスの感想についてはすでに述べた。ここで第二報. とを述べ、ウィリアム・キンダー︵ William Kinder ︶は中国および日本 で自ら見聞したことを報告した。コンドルの論文は好評であったが、ひ. アソシエイトのカトラー︵ Cutler ︶が日本の建物の写真を送ってきたこ. 論を検討しておく必要がある。当時の会長チャールズ・バリーは、以前. の内容を見る前に、彼の第一報に対して、王立建築家協会で行われた討. 回 は 弟 R・ T・ コ ン ド ル が 朗 読 し た。 内 容 の う ち、 花 頭 窓 に 関 す る 見. と し て 蔵︵ Kura ︶ を 評 価 し、 壁 の 作 り 方 ま で 詳 述 し て い る。 ま た、 次 のような記述は、後年彼が日本の造園についての著作を行う萠芽となっ た印象であろう 。   They convert the smallest strip of land into a miniature garden, which they plant with well trained shrubs and flowers. 日本の住宅が家具什器をごたごた並べないことにも彼は関心を示し、 日本の住宅のたたずまいはギリシャ建築を思いおこさせると述べてい. - 92 -. 3. 4.

(5) とか cho という とつ問題として、日本で使われている尺度について ho 言葉が散見されるだけであることに不満が呈された。蔵造りに興味が集 まり、前記カトラーの作った模型を前に討議が続けられた、と報告され ている。 以上のように、鈴木によるコンドルの﹁第一報﹂の紹介は、記載の順番は やや前後するものの、﹁第一報﹂の内容について概要をよく示すものとなっ ている。但し、コンドルが一〇段落と多くの紙面を割いた増上寺の文昭院霊 廟の細部に渡る記載についての言及はほとんど見られない。 なお、鈴木によると、コンドルは﹁日本の住宅のたたずまいはギリシャ建 築を思いおこさせると述べている﹂とするが、厳密には、概要でも述べたよ うに、これはコンドルが大名屋敷の海鼠壁についてものである。また、 ﹁芝 の将軍廟あるいは亀戸の寺院︵天神か?︶を評価している﹂とするが、亀戸 についての記載は図版に留まるもので、評価についての論述は見られない。 また、討論において鈴木は前半でカトラーが写真を送ってきたとのみする が模型も討論の会場に置かれた。また、鈴木はコンドルの論文は好評であっ たとするが、最も長いフェーン・スパイアズによる、木造の日本建築は全時 代に持続する概念がない、とするものを取り上げておらず、これは内容とし てはコンドルの論文に対抗するものであった。また、末尾で蔵造に関する討. れないが便宜のため、論文では段落ごと、討論では発言ごとに︵漢数字︶を 付した。. なお、本稿は、二〇一八年度鹿島学術財団研究助成による成果の一部であ る。. J. Conder: DISCUSSION ON MR. CONDERʼS PAPER - NOTES ON JAP-. 1878. British Architects. Sessional Papers 1877-78, pp.179-192, Midsummer. J. Conder: NOTES ON JAPANESE ARCHITEUTURE., Royal Institute of. 参考文献  .  . ANESE ARCHITECTURE., Royal Institute of British Architects. Sessional. Papers 1877-78, pp.209-212, Midsummer 1878.  鈴木博之 ジョサイア・コンドルの建築観と日本、日本建築の特質、中 央公論美術出版、四五六∼五〇七頁、一九七五・五. 註. に示した鈴木の論文においても、論文名は英語表記とする。そ. ︵一︶本稿では、コンドルの原稿に対して和訳を示したが、先行研究である参 考文献. 考文献. 一建築家の夢 コンドルと︿浪漫的伝統の国﹀ 、. KAWASHI-. において用いる︵コンドルの︶ ﹁第一報﹂とする表記を用いる。 ︵二︶ 鈴木博之. 、 八、 四 頁、 昭 和 五 七︵ 一 九 八 二 ︶・ 七、 に よ れ ば、 コ ン ド ル が 受 MA 賞したソーン賞では授賞式には賞金の半額が渡され. 受賞者はその金でヨーロッパ大陸を旅行し、そこで行った建築スケッ. チを英国王立建築家協会に提出する。このスケッチが展覧に供された. - 93 -. 1 2 3. のため本稿でも以下では、論文名に対して英語表記、もしくは鈴木も参. 3. 3. 議が続けられたとするが、ここではコンドルの論文における土蔵を中心とす る壁の工法に関する記述、つまりコンドルによる論文の第︵二︶段落末尾部 分を再読したもので あ る 。. 以下に、コンドルによる論文と同論文に対する討論を示す。訳出は佐藤彩. 文中に訳注を[ ]で示し、補注は文末にまとめた。また、原文には振ら  . 子によるもので、編集および監修を平山が行った。. 研究ノート.

(6) 後 に、 は じ め て 賞 金 の 残 額 が 受 賞 者 に 手 渡 さ れ る の で あ る。 ︽中略︾. 月. 日に、彼は日. コンドルは、しかしながらヨーロッパ大陸の建築スケッチを提出して いない。ソーン賞の受賞から半年後の 1876年 18. ルは翌1877年 月に日本に到着、ソーン賞受賞者の義務である建. 本政府と契約を結び、来日することが決められたからである。コンド. 10 日には首尾. 築スケッチを、日本建築のスケッチを行うことによって果そうと考え た。その成果は順調に蓄積されたらしく、来日した 月. この展示に先 立 っ て 、 月. 3. 日には、コンドルの日本建築研究の最初. 25. 資料紹介. NOTES ON JAPANESE ARCHITECTURE. 日本建築についての覚書. 王立英国建築家協会 一八七八年三月四日 月曜日 通常会議. 日本建築についての覚書.  以下の論文が朗読された. 会長 議長 チャールズ バリー. とする。つまり、コンドルは日本におけるスケッチを明治一〇︵一八七. ︵四︶ 参考文献 。なお、図版が一七七頁と一七九頁の間と一九〇頁と一九一 頁の間にあるが、頁数は振られない。 ︵五︶ 参考文献 、四 七 〇 頁. ︵一︶. 極めて複雑に融合した信仰の儀式に適応し、亡き歴史的英雄の神格化と結合. を提出する許可を請いたい。最も注目すべき建物は宗教的目的に捧げられ、. 査と、広範囲な旅行によって、今後における追補の機会を期待し、私の記録. 的な観点で書かれた記録ではないので、この国でのより長期でかつ綿密な調. 識が如何に不完全であるかは大いに認識している。しかしながら、特に専門. 関連づけてみようとしているが、この主題に対して今のところ蓄積できた知. 日本において、日本建築に関して短い論文と自作である数葉のスケッチを.  一八七六年ソーン賞受賞 工部大学校教授. ジョサイア コンドル. 八七七︶年一〇月の段階で論文発表が予告されたことが分かる。 ︵三︶参考文献 。なお、参考文献 において、鈴木は﹁討論﹂の語を用いる 3. ︵六︶ 参考文献 、四 八 二 ∼ 四 八 三 頁. ︵一︶. 七︶年中には英国へ送付して展示に供され、 ﹁第一報﹂は明治一〇︵一. の論文が翌年に発表されることが予告された。. 10. 良くスケッチを英国王立建築家協会に展示することができた。しかも. 12. ︵ひらやま いくお 長岡造形大学︶. しており、その配置や特性の意味の明確な分析をまとめることは大変困難で. 偉大な研究である。将来的にはこの国における仏教建築の形態とインドや中. 国とを比較する余地が大いにある。朝鮮から日本への仏教の伝来は五五二年. とされるが、宗教建築がどれ程純粋に模倣されたか、中国の建築からどれ程. - 94 -. 1. ため、本稿でも以下、論文名に対して﹁討論﹂とする表記を用いる。. 2. 1. 3. 3.

(7) 変容したのか、検証 す る 余 地 が あ る 。. に合体したか、または自国の芸術や宗教の改革者による考案で後世において. 変容しているか、つまり、どの程度単純な複製なのか、どの程度元来の様式. る。場合によっては、梁と柱が漆喰の表面と同一平面、または突き出て見え. わ せ た 竹 木 舞 が 埋 め ら れ、 何 層 か の 土 で 塗 り、 最 終 的 に 漆 喰 塗 で 建 設 さ れ. さではない。壁は柱と梁を. していないようだ。それらは脆弱な木造構造物で、決して二階建て以上の高. 域 で は、 小 さ な 住 宅 や 簡 素 な 寺 院 の 壁 材 と し て 石 材 の 使 用 例 が わ ず か に あ. 全て木造建造物であった。巨石や天然産の石材を入手できるような特定の地. 数年前に外国人が雇用されるまで、日本の建築はわずかな例外を除いて、. 間を要する。軒先に突出した木部もまた厚く粘土質の泥で仕上げられ、小さ. から採取した土を何層にも渡り軸組に塗布し、各層ごとに固めるために長時. や蔵または土蔵で採用されている。蔵の建設には大抵何ヵ月もかかり、川底. るが、軸組も全て漆喰塗されている場合もある。後者の工法は大規模な建物. 継にした縦横の軸組に、交互に組んでつなぎ合. ︵二︶. ]四方程の小さな寺. 葺のように接着剤で接合される。この他、主要都市には数々の石橋や大規模. 覆われている。屋根もまた表面を凹ませた大きな石造の厚板で形成され、瓦. で、壁全体を形成し、外部の接合部は湿気を排除するために厚い漆喰塗りで. 院 で は、 建 物 の 狭 い 側 の 端 部 上 部 に、 長 方 形 の 石 材 で 壁 が 建 て ら れ、 単 体. 修を必要とする。. 泥は高熱により大抵ひび割れて落下し、通常の状況下でも定期的な修繕や改. 抵の火災では残存するが、決して完全な不燃性を持ってはいない、何故なら. 体の表面は漆喰塗で、最終的には漆喰で仕上げられている。これらの蔵は大. な窓の開口部は同じ材料により非常に厚く仕上げられた開戸である。建物全. る。日光付近に存在する、約一四フィート[四・二七. な石垣、追悼の石碑、寺院へ導く印象的で急な石段、境内の石造や青銅製の. 保護もなく木造の壁にヨーロッパの暖房設備を導入したために焼失してし. 貴族住宅は謀反や理不尽な破壊により犠牲となり、他の邸宅でも予防措置や. 誇示できるが、一般的な住宅や町の建築は比較的近代の建築である。数々の. は、多くの重要な邸宅と同様に建物どうしが独立しており、歴史ある風情を. の う ち に 修 繕 や 再 建 が 行 わ れ る。 町 か ら 離 れ 山 間 で 木 々 に 囲 ま れ た 寺 院 で. 特に冬季に繰り返し火災が発生するが、多数の一般的な住宅は、極く短期間. して乾燥した基礎を形成するための使用によく見られる。大都市において、. 〇㎝]程高くなることもある。高くなった部分には敷物が配され、正式な部. や部屋の両脇に通路を残し、部屋の大部分が入り口よりも約一二インチ[三. り、大規模な住宅を除くと、廊下は余り見られない。一方で、時々、L字型. 覆 わ れ、 模 様 や 絵 で 装 飾 が な さ れ る 場 合 が あ る。 各 部 屋 は 隣 室 に 通 じ て お. た細い木製の枠に強度のある半透明の紙が貼られている、また、建具が紙で. とができる。採光が必要な場所では、建具に単純な意匠で長方形に分割され. 量な建具が配置されている、つまり全ての柱間はどの箇所でも開放とするこ. いが、柱間は開放として、鴨居と敷居に溝を彫って引き違いとする木造の軽. 一般的な住宅において、外壁の何面かと内部の多くの壁は漆喰仕上ではな. ︵三︶. まった。首都における最も立派な日本建築の一つである東京の外務省は、本. 屋として住人が居室として使用する。小さな部屋では床面全体が同一の高さ. 灯籠、そして特大の銅像があり、石材もまた街路の舗装や、木造建築の安定. 年火災により完全に破壊されたが、いかなる保護もない状態であった木造の. で 敷 物[ 畳 ] に 覆 わ れ る。 こ の 敷 物 は 常 に 同 一 の 寸 法 で 製 造 さ れ︵ す な わ. ︵二︶. 壁にストーブの煙突を配したと言われている。それにもかかわらず、文献で. - 95 -. m. 見られるような代表例によると、一般的な住宅の構成や外観は大古から変化. 研究ノート.

(8) 内部には、成形され、光沢があり、塗装のなされた、一列または二列の棚が. る。一般的に室内の一方の壁には、建物の軸組で小さな凹部が作られ、その. 最 下 層 で も 住 宅 の 床 面 に は、 質 の 差 は あ る に せ よ、 こ の 敷 物 が 敷 か れ て い. みで、柔らかく、わずかに反発力があり、暖かい。寺院同様に、最上層でも. な骨組上に置かれ、巧妙に編み込まれた、約一インチ半[三・八㎝]程の厚. 数で建築され、計測され、表現される。その敷物はイグサ製で、木造の軽量. ㎝]、長さが幅の二倍である︶、部屋は常に実際の寸法値ではなく、敷物の枚. ち、二フィート一一インチ×五フィート一〇インチ[八八・九㎝×一七七・八. から、明らかにその模倣である。. 屋根は大抵わずかに反りがあり、これは規模の大きな寺院にも共通すること. 覆い、先端部には焼成された装飾豊かで、立ちが高く量感のある瓦を置く。. ているが、都市部における多くの住宅では、大棟や隅棟の部分は大きな瓦で. 常に深いものであった。郊外では、現在でもそのような方法で屋根が葺かれ. おそらく、かつてはこの階層の住宅は茅葺、もしくは板葺屋根で、軒先が非. 横梁が交差して正方形に分割され、全体は磨き上げられ、塗装がなされる。. で、上階の床板裏面からなり、それを支える小さな梁材や、間に更に小さな. れ、棚自体が部屋の装飾となり、同時に花瓶や小さな装飾品を飾る役目も果. 本に多数存在する、重量があり曲線的な寄棟の屋根は、仏教という宗教とと. られ、平らな二面で屋根を形成し、先端の出が深い。このことから、現在日. 神道の建築は仏教の伝来以前から存在する太古以来の建築を模倣して建て. ︵五︶. たす。日本人は最下層の人たちでも、住居の装飾品として、形や色の良い小. 置 か れ る[ 床 の 間、 違 棚 ]。 棚 は 通 常、 巧 妙 で 左 右 非 対 称 な 様 式 で 配 置 さ. さな宝物を賢明に配置する素晴らしい嗜好を見せる。人々は極小で細長い土. もに韓国や中国から導入されたようだ。瓦は常に灰色がかった黒色で、接合. 装飾の大きさで、数段の瓦と接着剤で造られ、棟や隅棟上に小さな壁を立ち. 地を小庭園に変え、手入れの行き届いた低木や花を植える。. 日本人の簡素な習慣は、寝ることと食べること両方の点でよく表れ、家主. 上げ[棟積] 、先端部は大きな焼成された装飾[鬼瓦]で止める。それらの. 部は白い接着剤[漆喰]で厚く固められている。ひとつの特徴は棟と隅棟の. のこの上ない快適性のために、家具はほとんど必要とはされない。小さく低. 装飾のほとんどはとても芸術的な造形をしている。. ︵四︶. い卓、というよりはお盆に近いものに各々一人分の食事が用意され、各客人. の場合、優雅な形と魅力的な意匠を持つ。二階建の住宅では、上階へは木造. のための小さな整理箪笥が見られ、それらは、火鉢、卓、屏風と同様に大抵. また、寒冷期の隙間風除にはさほど高さを必要としない。個室には衣服など. 屏風があり、中の人は敷物の上に座るか横になる時に、これで人目を避け、. 冷期に暖をとるための小さな炭火入に使用される。一部屋には常に何枚かの. い軒には竹製の小さな雨樋が水を流す竹管とともに固定されている。暑い季. 部の屋根から吊り下げたり、広い柱間で軽量な竹の柱で支えられる。この低. ら約三フィート[九〇㎝]突き出して設けられる。この屋根は一般的に、上. 雨風から防ぐため、この差掛け屋根の下にしばしば平坦な屋根が下階の壁か. [下屋]は小さな差掛け屋根で覆われる。日除けや傷みやすい木造の玄関を. 二階建の住宅では、上階が少し後退することがあり、下階の突き出た部分. ︵六︶. の階段で向かい、階段は部屋から部屋へ通じ、二枚の側板と踏段で蹴り込み. 節は、簾︵一種の籐製のブラインドで、通気性があり、外の景色を見ること. の前に置かれる。金属を裏打ちした箱、または青銅製で装飾的な容器が、寒. のない構成で、やや不便な傾斜で一般的に手すりはない。部屋の天井は木製. - 96 -.

(9) ができると同時に日光を遮る︶が軒先から地面に吊るされている。以上の記. ることを意味し、その後は切り出され、突き出た垂木の側面を示し、この先. 言うと、仮に梁の末端部に備えてあれば靴と呼び、金色で彫刻された金属製. 端には銅製の金具と彫刻により穴の空いた木製の垂れ飾りが配される。大き. 茶屋や旅館は規模がとても大きく、配置も多様である。一般に玄関前三方. の板が、目的はないが装飾として露出した桁や楣の中央部にも備えられてい. 述は下級および中級の住宅のものであるが、以後、やや規模が大きく、きれ. には小さな庭が配され、地面から約一二インチ[三〇㎝]の高さに縁側が三. る。それらは日本の建築で多用されている。窓は一般的に横長で、太い木製. な屋根においてもまた入母屋造の妻部が格好の形状で、上部が切妻形で下部. 周に回され、部屋から部屋に行き来ができる。上階にも一般的に軒の深い屋. の桟とともに外面に取り付けられた、高さの低い長方形の開口部で、縦方向. いでより良質な家具付き住宅について記述する。. 根を持つ縁側があり、その軒下には夜間に提灯が吊される。宿屋と呼ばれる. や横方向に連続的に配され外部を向いている。窓の内側には悪天候時の湿気. が傾斜のある寄棟造である。私が銅製の金具、または帯と呼ぶものが何かと. 大きな旅館の多くは小さな中庭を持ち、一角では屋外で料理も行われ、池、. や寒気を防ぐ引き戸形式の雨戸や紙を張った建具が常にある。. ︵七︶. 小川、低木、石灯篭が装飾的な手法で配される。これを囲んで縁側があり、. ︵九︶. 日本人は田舎でさえ、塀で敷地を囲み、人の目から住宅を遮断することを. 木もまた面取りがなされており、流線となる刻線は平らな材の表面を深く刻. あり、大抵の場合、角を面取した柱で支えられる。楣、桁、及び突き出た垂. 巧な彫刻を持つ屋根を備える。家屋の出入口には、幅広い屋根を持つ玄関が. 棟の装飾からなり、桁と腕木の優美な持ち送りに支持された目立つ軒と、精. 高さは二階以下とし、幅広で重量感のある瓦葺の屋根は、焼成された棟と隅. て、玄関に待合室または大広間があり、時には正面から奥に通路を設ける。. に面した門とその周辺の建物は多くの場合、素晴らしい外観の意匠を呈して. り、その両脇に使用人達の住宅、馬小屋やその他の建物が設けられる。通り. の 玄 関 が 目 に 入 る。 玄 関 と 長 屋 が 付 属 す る 門 の 間 に は 整 備 さ れ た 前 庭 が あ. 抵は高い壁や柵が家の正面を閉ざし、それを通り抜けると開放的で屋根付き. 敷地の三方が高い壁、出入口側は長屋や強固な門で囲まれるだけでなく、大. され、人目を避けたいと同時に、不審者からの防衛の視点もあるのだろう。. が屋根の軒先と同じ高さに達することもよくある。屋敷も同様の手法で閉ざ. て閉鎖的で、下階は背の高い竹製の柵で隠される。平屋建の家では、この柵. - 97 -. 大抵小規模な橋を架け、足を汚さずに中庭を渡ることができる。 ︵八︶. み込んでいる。このような装飾はとても効果的で、繊細で鋭利な刻線は、遠. いる。屋根と軒が長い水平線となる上部とは異なる構成を持つ壁面における. 強く望んでいるようだ。旅館では、上階に開放した屋根付きの廊下を設け、. 目でも見分けることができる。玄関の屋根は、大屋根の延長となる場合もあ. 水平の効果は、垂直の窓桟と大きく後退する門扉両側の出窓で緩和される。. 上流階級の住宅は、屋敷または宮と呼ばれ、非常に規模が大きく、より建. れば、大屋根と交差する小さな屋根となる場合もある。後者の場合、格好の. 門そのものとても強固な外観を呈している。太い柱は門の上階を支える重量. そこから周囲の景色を楽しむことができるものの、建物に続く通路は決まっ. 形状は二重の反曲線[唐破風]となるもので、棟が出っ張り、庇が窪んで、. 築 的 で あ る。 配 置 は と て も 単 純 で 、 一 続 き の や や 質 素 な 部 屋 が 他 室 に 通 じ. 正面は切妻または半切妻を形成する。これは屋根が正面でも途中で続いてい. 研究ノート.

(10) れらは重なり合うことはなく、木舞に固定されて並び、接合部は円筒状の接. に、大きな瓦を四角または斜めに貼って仕上げることもある[海鼠壁] 。そ. さ は ギ リ シ ャ 芸 術 を 想 起 さ せ る。 下 層 階 は、 外 壁 を 漆 喰 仕 上 に す る 代 わ り. 和は、ギリシャ建築の調和と美を呼び起こし、日本の装飾の意匠や、質の高. 棟あり、大名の住居への通路を際立たせるが、壮観な直線の比例と要素の調. れた金色の銅板で華麗に覆われ、巻かれ、装飾されている。低い建物群が数. のある木の楣を支え、重い扉枠を形成する。柱、楣、及び扉は、彫刻を施さ. て と て も 美 し く 計 画 が な さ れ て い る。 日 本 の 庭 園 は 草 で 覆 わ れ た 小 山 や 台. 着剤で建設される事例はない。周壁内の住居裏側は、一般的に広い庭園とし. 屋根によって、湿気と劣化を保護する。住宅建築の壁ではこのような瓦と接. の厚さとなる。頭頂部は、棟瓦と小さな建物の屋根と同様に少し軒の出た瓦. で、腕木上は小さな瓦葺で、瓦と接着剤が交互に重なり、両者は同じくらい. で住宅部分を囲って配置される外壁は、強固な木造の柱と梁を持つ板張の塀. 止めする[下見板張] 。全体は光沢のない黒色に着色されている。この階層. に、湿気を逃すため、軸部に下部の縁でわずかに重なる何段かの木製板を釘. ふち. 着剤で保護される[海鼠]。瓦は濃い灰色で、接着剤は白いので、この扱い. 地、 植 樹 し て 入 念 に 手 入 れ の さ れ た 何 種 類 も の 植 生、 大 き な 石 板 や 巨 礫 の. 体で、多数の門を備えた巨大な外壁で囲まれる。建築について少し言及する. 天皇の御所は、以上に記した階層における、数多くの独立した建物の集合. ︵一一︶. は興味深く大胆な格子模様を呈している。門の両脇において左右対称に配さ. ]、平屋建で、装飾的な曲線の屋根と彫刻. 数々、水流、小さな池、手の込んだ橋や石灯篭で溢れている。. ×一・八三. れ る の は、 大 抵、 二 つ の 四 角 い 付 属 的 な 建 物 で、 広 さ は 約 九 フ ィ ー ト × 六 フィート[二・七四. 衛 が、 門 の 側 面 か ら 監 視 す る。 付 属 建 物 も ま た 石 造 の 基 礎 で、 地 上 約 四. 日本の書物によると、 ﹁日本の天皇制における始祖は神武天皇で、大和の橿. か、その他は小さな突き出た窓で、いずれも地上からわずかの高さに枠取さ. 見 ら れ る 場 合 も あ る。 他 の 窓 は 長 方 形 の 開 口 部 で、 太 い 木 製 の 格 子 を 持 つ. 場合は内部にある引戸で防御される。このような窓は門両端や長屋の中間に. の宮はまちまちの大きさであったため、一定の大きさと配置を持つ宮を建立. その書物では関連して、推古天皇七[五九九]年に、聖徳太子が、それ以前. 原宮に居を構え、これが日本で宮と呼ばれる最初の建物であった﹂として、. ] ︵七三〇ヤード. するよう提案したとある。これは広さ三六五歩[六五七. ] ︶ 四 方 で、 二 八 棟 の 独 立 し た ヒ ノ キ︵ 木 材 の 名 称 ︶ の 建 物 が あ. れ、上部は小さな湾曲した差掛け屋根で覆われる。建物内部は、部屋の壁面. り、その樹皮を用いて屋根を葺いた。建物の内二五棟は祭事用で、それ以外. これが現在の京都である。これらの大規模な宮は、内裏または大内裏と名付. ︵三︶. 桓武天皇によって建設され、翌年の一〇月に南方から新しい宮へ入京した。. Hino-. が 朝 務 用 で あ っ た。 一 棟 の 大 き な 建 物 は、 装 飾 的 な 柱 と 天 井 の あ る. 規模が小さめで下位の屋敷は通常、平屋で、壁面は塗装や瓦仕上の代わり. ︵一〇︶. した木部︵門柱、楣、窓︶は大抵、黒または暗赤色で塗装される。. と重なる引戸形式の雨戸で保護される。江戸のある屋敷ではこの突き出た窓. [六六八. m. 開口部を、腕木で連続的に間隔を開けて、建物の全長に渡って配する。露出. こ の 木 枠 は 底 部 が 開 放 さ れ る 場 合 も あ り、 正 面 と 側 面 は 細 か く 格 子 が 配 さ. れ、両端部は彫刻、または彫刻が施された木製の腕木によって支えられる。. フィート[一・二二. ]に格子と横木が密接に組まれた窓桟を持つ。必要な. を持つ唐破風がある。この建物は我々の出窓に当たり、部屋にいる門番や守. m. ︵中国︶と同じ様式であったに違いない。小懇田宮はこの原則と計 sho-ku 画に則って建設された。延暦一二[七九四]年に、新しい宮が山城において. m. - 98 -. m m.

(11) けられ、天皇の住居を意味したようだ、著者曰く﹁この大内裏は南北に三六. がある。内裏の背後には食糧、金銭[大蔵省]、衣服[縫殿寮]のための独. m. と言われ、両脇は裁判所、小さな寺院[真言院]、秘書の住宅、夜衛の住宅. 棟の大きな建物があり、それぞれ財務局と、公家、または古代の貴族の住宅. ︵五︶. 配置で周囲に一二の門がある。この大内裏は建立の約一六〇年後に焼失し、. [大宿直] 、戦時の武器用の蔵、漆器用の蔵で構成される。. 中央、または軸線上に配される。中心となる門を入ると広場があり、最初の. 心となる門[朱雀門]は、長方形短辺の建物群端部に配され、主要な建物は. ように見える。建物群は、直交して周壁ヘ続く幅広の歩道で分割される。中. れ、それによると住宅はほぼ均一に配され、全体では長方形の空間を占める. この記述に添付された概略図は皇居の平面を示し、各建物は矩形で記入さ. 広間[母屋]で、特別に設けられた天皇の着座[高御座] 、その左には軍事. 翼部が取り付く。中心殿舎から突出した屋根付きの入口は、階段を上ると大. 切ると矩形となる中心殿舎[紫宸殿]があり、両側に庭または中庭へ伸びる. 植樹され、太古からあると言われる二本の木[橘、桜]がある。この庭を横. 面入口[承明門]は庭園[南庭]に通じ、その左右には古代の天皇によって. 宮殿、正式には内裏は、宮のように門のある背の低い建物で囲まれる。正. ︵一四︶. 大規模な建物群に到達するまでには他の門もある。この建物は独特な集合体. 大臣の二席が位置する。 ︵一五︶. 棟 の 長 い 建 物 は 天 皇 の 馬 の た め の 馬 小 屋[ 左・ 右 馬 寮 ] と 護 衛 所[ 内 兵 衛. 院]、主任音楽家の住宅[典楽寮]、説明のない幾つかの住宅、そして外側二. かの建物の規模が大きく、歩道は少ない。それらの建物は、大宴会場[豊楽. 膳職]のための大きな建物、台所、そして倉庫で構成される。左側はいくつ. 大臣の議会[八省院]、宗教[神祇官]、音楽関連部門[雅楽寮] 、食糧[大. 政庁の左右と多くの独立した建物が、幅の広い歩道で区切られる。右側は. だ。政庁は一四棟の大きな独立した建物で構成され、中央の広場を向いて左. 臣 達 の 会 議 や、 天 皇 に 任 命 さ れ る よ う な 特 別 な 機 会 に の み 使 用 さ れ る よ う. な建物群[八省院]は、政府の大臣達の接見室で構成される。この建物は大. 囲まれ、もう一方の中庭や庭園に向いている。先に政庁として述べた大規模. は、他の居間、洗面所、そして宝石類のための部屋がある。後方全体は縁で. 栄 で あ ろ う。 加 え て、 衣 装、 ブ ラ シ、 雑 貨 の 部 屋 が あ る。 大 広 間 の 左 右 に. 聖障子] 、更にもう一部屋、天皇の﹁床屋﹂に充てられるが、これはさぞ光. 主任の部屋がある。主要な建物後方は天皇の個室[北庇]と絵画を並べ[賢. 両脇の翼部には、役人達の部屋、読書部屋、居間、事務所、そして使用人. 所]で構成される。政庁の奥となる建物群の中央には開放的な空間があり、. 右対称に配され、全体は門のある壁、または塀によって囲まれる。一棟は、. ︵一三︶. い。. を 形 成 し 政 庁 と 呼 ば れ、 他 の 略 図 に よ っ て 示 さ れ る た め、 後 段 で 解 説 し た. ︵一二︶. に建立された。﹂. それ以後数回、再建された。将軍が権力を支配した後は小規模な内裏が代り. 長い建物[近衛所]がある。内裏の裏側、建物群の端部となる部分には、二. 立した建物がある。更に建物群の外側には、天皇の護衛達が居住する二棟の. ︵四︶. 町[三九二七 ]︵四三二〇ヤード[三九五〇 ] ︶で、東西に二〇町[二一 m. 八二 ]︵二四〇〇ヤード[二一九五 ] ︶である。中国の長安城宮殿と同じ. m. おそらく庭園として区画された敷地となる。この空間から戻り、少し右に行. - 99 -. m. くと天皇の住居、つまり内裏があり、左右には皇子達の住居[東・西雅院]. 研究ノート.

(12) 将軍が担うと、天皇の宮殿は小規模化し建物群も小型化した。. ト×一万〇八〇〇フィート[二・二㎞×三・三㎞]の矩形平面である。政権を. 間で、政庁と内裏は四八棟の大規模な建物からなり、全周は七二〇〇フィー. 臣達の会議所のようである。宮殿全体の建物や事務所を合わせると広大な空. 際、特別に使用されるようだ。他の建物は、ほぼ同じ大きさで、それぞれ大. 天 皇 の 部 屋[ 大 極 殿 ] と 呼 ば れ、 内 裏 に 最 も 近 接 す る の で、 天 皇 が 在 所 の. 塗り、漆喰で仕上げ、密集した太い木製格子の窓枠だけが露出する。. 魚の大きな像を端部に置く。壁は一般の住宅よりも厚く、木造の軸部に泥を. 寄棟瓦は先端を頂華で豪華に飾り、棟は、銅製で尻尾が上向きになった龍や. く、装飾で反りのある小さな屋根を持つ。これらの窓付屋根に加え、棟瓦と. 妻屋根も付属するが、これは明らかに採光や換気用に使用されたわけではな. 妻形式で、寄棟屋根へと続く。これらの誇らしげな屋根には小さな窓付の切. 中心となる包囲された場所には三棟の塔のような主要な建物があったよう. 徴となっている。日本の書物による城郭の計画と遺構を比較すると、要塞の. 強固な門によってわずかに形状が残り、この上なく魅力的で、この都市の特. これらの木造建造物の多くは数年前に撤去されたが、堅固な石垣、深い堀、. 築かれた厚い石垣で、元来、城郭を囲む木造で防御用の建築を支えていた。. かって、この螺旋は完全に囲繞された一画を形成し、大きな多角形の石材で. 草 の 生 え た 傾 斜 を 持 つ 深 い 溝 で 螺 旋 状 に 何 重 に も 囲 ま れ て い る。 中 央 に 向. 他に比べてそれ程重要ではなかったようだ。東京の街の中心部は、大規模で. 多くの都市には大きな堀と城の建つ石垣があるものの、日本の軍事建築は. た敵の側面を攻撃する目的で、やや小さいが内部の天守と同様の塔[櫓]が. れている。進入するには常設の木造橋を通る。外周壁の上には、門に侵入し. が施された青銅板で底部を覆い、巻かれる。門扉もまた通常は金具で装飾さ. 門柱は約一八インチ[四六㎝]角で、大抵の場合は一対で、金メッキと彫刻. 厚な木製の門は、上部に太い楣があり、ずっしりした正方形の柱が受ける。. れ、背後は土で裏付けされる外壁[石垣]は、要所に大きな門を設ける。重. 要 な も の と し て、 戦 の 神 で あ る 八 幡 を 祀 る。 大 き な 多 角 形 の 石 材 で 構 築 さ. 人、使用人の住居である。更に、景色を見晴らす大きな丘、小社があり、主. る。城壁内には六棟程、大規模な屋敷があり、これは最高位の侍、重要な役. これら三棟の中心となる塔の近くには故人の墓地があり、小さな寺院もあ. ︵一七︶. だ。三棟のうち、最も重要で高いものが、本丸と呼ばれ、直接に最高司令官. 建設された、そして外壁の各四隅には二階建の塔[櫓]がある。これらの塔. ︵一六︶. [将軍]や、家臣が使用した。二番目は、やや低くなり二の丸と呼ばれ、第. と門の間は、低層の建物と格納庫とされ、これは我々で云う中世の胸壁で、. ︵六︶. 二司令官の使用に充てられた、そして三番は更に低くなり、第三司令官が使. 貯蔵所を持つことになる。. も目立つ屋根で、豪華な彫刻を施した破風を表現する少し余計な屋根で飾ら. の灯籠の道を通り、何組もの組物に支えられ、前方へ大胆に突き出た壮大な. 森の厳粛な木陰に溢れた静寂の中に入ると、並木のように並ぶ石造と青銅製. 日本の寺院は、この国で圧倒的で最も興味深く、有益な建築である、深い. ︵一八︶. 用した。最後のものは三の丸と呼ばれた。これらの建物は、二階、三階、四 階建であり、周囲の石垣と同様に、固く打ち付けられた石造の基礎上に位置. れていた。最上部の屋根は一般的に寄棟造で、わずかに反りがあり、とても. 屋根がある。建物は、木彫で溢れ、魅力的に配され、鋭くかつ美しい切れ味. した。各階は低層階よりもわずかに後退する。下層の突出した部分にはとて. 目立つ突起した物体がある。塔の平面は大抵は長方形で、屋根の棟端部は切. - 100 -.

(13) 設やその巨額資金は将軍家の管理下にあった。ここには将軍の霊廟と付属す. いる。ただし、上野と芝の寺院は先の時代の将軍家に属したとも言える。建. で、この場所が寺院としてこの都市の中でも最重要なものと位置付けられて. 舎 は 焼 失 し て し ま っ た。 と は い え、 付 属 す る 寺 院 は 非 常 に 多 く 印 象 的 な の. れる。江戸の主要な二寺は上野と芝にあり、両寺院とも中心となる大きな殿. いる。主要な寺院は、日光、大阪、京都、そして東京︵または江戸︶で見ら. があり、全体は、金箔と青銅製の金具とよく調和した色合の装飾がなされて. [ 六一. 力 の あ る 満 足 感 に 浸 す 助 け と な る。 こ の 門 を 過 ぎ る と、 約 二 〇 〇 フ ィ ー ト. 屋根による鋭く深い影によって部分的に和らぎ、これら全てが見る人を生命. に施された獣面の彫刻[木鼻]、深い赤色は陽光では明るく、木陰や組物、. 比例、装飾的な棟飾りを持つ印象的な屋根、また無数の組物や垂木と部材端. りも、比例と全体的な効果が壮麗さを主張している。卓越した大きさ、良い. されているからだ。しかし、この門は私が日本で今のところ見た他の建物よ. られる、何故ならこの建物は彫刻がなく、統一された単色の暗赤色で色付け. している。初代と三代目の将軍の霊廟は、共に日本史上、最も著名な日光に. に、小さな建物があり、階段を上って近付くと、整備された旧大殿で、ここ. 建っていたが、現在は焼失している。広場を横切った大きな門のほぼ反対側. ︵九︶. ] 四 方 の 大 き な 広 場 に い る こ と に 気 づ く、 中 央 に は 大 き な 殿 舎 が. る礼拝所があり、最も華麗で魅力的な建物に、豪華で豊富な装飾芸術を装着. 存在する。二代目、六代目、七代目、九代目、一二代目、一四代目の霊廟は. 建 物 群 は 先 述 し た 広 場 の 右 側 に 位 置 す る。 こ の 建 物 群 は 二 代、 六 代、 一 二. には二、三の墓石とまるで銅製の大仏のような仏像が佇む。この旧大殿は建. 代、一四代の将軍とその正室の霊廟とこれに付属する宗教的な建物で構成さ. 江戸の芝で、その他 は 上 野 に 存 在 す る 。. 芝にある寺院[増上寺]は、間を置いて門を開き、長い周壁で三方が囲わ. れ る。 本 来、 霊 廟 へ は 山 門 の 脇 か ら 少 し 離 れ た 場 所 に あ る、 別 の 二 棟 の 門. 具と背の低い門扉によって入り口とされている。とはいえ、最も注目すべき. れ、 背 後 に は 古 い 立 派 な 木 立 か ら な る 深 い 森 が あ る。 周 囲 の 道 は、 松 並 木. ︵一九︶. で、神聖な地への導線上には一口の大きな扉口と二口の小さな扉口を持つ門. [二天門]から入る。現在は破壊された大きな寺院に属し、廟の小さな門は. ︵七︶. [三解脱門]が立つ。門は、大きく堂々とした木造建築物で、幅約七〇フィー. 現在、閉されている。二棟はとても類似していて、一棟の説明で十分であろ. 根の上には、開放した手摺[高欄]に囲まれた二階部分がやや後退して位置. 反った屋根が前方に差し掛けられ、組物と垂木の下端を見せている。この屋. れ、 入 り 口 の 両 脇 は 羽 目 板 で 塞 ぐ。 重 厚 な 梁 が 受 け る 扉 口 上 は、 わ ず か に. す る 重 量 感 の あ る 木 製 の 柱 が 配 置 さ れ、 こ の 柱 は 水 平 の 梁 に よ っ て 固 定 さ. で着彩がなされ、部分的に菱形模様[地紋彫]がある。門に名付けられたの. ある緑色で着彩されている。柱、木板、門扉には彫刻があり、赤、黒、金色. と、酷く恐ろしい様を示している。一体の顔は明るい赤、もう一体は青味の. 天像]のためのもので、木像は人間よりもはるかに大きく、筋骨隆々の強さ. う。門の入口は木造の柱と梁で三間になる中央間で、両脇は大きな木像[二. ︵一〇︶. ト[二一 ]で、正面にそそり立つ。中央の開口部と、両脇の開口部を形成. し、この上階は広い柱間に水平な梁を渡して板壁とし、二軒の垂木を木製の ︵八︶. 組物が支承する屋根である。屋根はこの国の仏教寺院特有の重量感ある姿を. つまり中庭を過ぎると、数列の石灯籠が立つ、大きな石灯籠は、彫刻の施さ. は仁王門︵ Mon-gate ︶で、仁王は仏教の神聖な入口を護持する恐ろしい門 ︵一一︶ 番の名前で、門の両脇に彫像として配されている。仁王門内の開けた空間、. - 101 -. m. がなされ、箔押された他の宗教建築を見慣れると、この門はやや質素と考え. m. しており、反りのある曲線で、端部は切妻の形式となる。各部に着彩、彫刻. 研究ノート.

(14) を立て豪華に装飾のされた門[勅額門]があり、もう一つの区画に至る、こ. 近づくにつれ地位が高くなる。門内は装飾的な石塀で囲まれ、更に重い折戸. [一・五 一-・八 ]の高さである。これらは下位の大名からの寄贈で、将軍霊 廟への奉納品である。各霊廟の前に、灯籠の並んだ長い参道があり、霊廟に. れ た 重 量 感 の あ る 基 礎 を 持 つ 円 柱 上 に 置 か れ て、 全 体 で 約 五、六 フ ィ ー ト. 明るい色で構成された幾何学的な菱形模様の線で飾られ、組物も同様の装飾. 明らかに材は貫通し、他端で横梁[台輪]の端部が現れている。この材は、. 模様の線が彫刻され、全体は赤く色付けされている。横梁は柱に 差しで、. の装飾芸術の美しい事例である。柱は角が面取され、表面上には単純な菱形. られ、金箔を押した瓦葺屋根を、転びのある柱が支え、その頂部は組物を支. で、 赤 色 と 金 色 が 更 に 加 え ら れ て い る。 垂 木 も ま た 同 様 に 豪 華 に 色 付 け さ. える横梁[台輪]と、軒下の彫刻[蟇股]で結ばれている。この小舎は日本. の区画は彫刻と彩色を施し、瓦葺屋根を持つ木造の間仕切[透塀]で三方を 囲う。. つ、更に組物に支えられた優雅な高欄がある。垂木の先端や組物は龍や様々. で、華麗に彫刻がなされ、彩色の施された垂木、組物、柱、そして板壁を持. 礎 で、 こ の 建 物 で は 大 き な 層 の 石 造 と な る、 上 層 は 大 き な 屋 根 を 持 つ 木 造. 右側の建物は以下のような構成である、大きく、打ち付けられやや凹んだ基. れ、この区画の左右に二棟、重要な仏教寺院で見られる建造物がある。先ず. ここに、最上位の大名達から献納された大きく優雅な銅製の灯籠が設置さ. 放した回廊が、直角に霊屋の入口へ続く。外部に対して回廊の柱は水平な梁. で、木造の屋根付き通路であり、拝殿に沿ってあり、この中央から柱間を開. 霊 屋 に 先 立 つ 回 廊 の 入 り 口[ 中 門 ] で あ る。 そ の 長 い 建 物 は 内 側 が 開 放 的. 根を持つ建物がある。これは、拝殿と言う、まさに我々が入ろうとしている. つ青銅製の灯籠が設置され、中央に門[中門]があり、石造の基礎に長い屋. を模して彩色されている。この区画の奥には、最も大きく最高級の装飾を持. によって正方形に分割され、浮彫による花々がとても繊細で丁寧な自然の姿. れ、先端は青銅で覆い、彫刻がなされている。内部の天井は、肋材[格縁]. な獣面に彫刻され、屋根の四隅には小さな銅製の鐘と垂れ飾りが鎖で吊り下. で連結され、彫刻された羽目板が立て込まれている[透塀] 。上部は組物で. ︵二〇︶. げられている。建物は鐘楼と呼ばれ、大きな青銅製の鐘を下げ、以前は戦の. 屋 根 と な る。 全 体 は 前 方 の 区 画 よ り 地 盤 が 高 く、 約 三 フ ィ ー ト[〇・九. ]. 時を告げた。この打ち付けられた石造の基礎の下部は、私が見た中では、建 物の一部を実際に、石造彫刻とする数少ない一例で、抽象的な花と木の葉を. る。門[中門]は屋根付きの回廊よりも低いが、とても印象的である。門は. の 高 さ と な る 石 造 の 基 礎 を 見 せ、 中 央 に は 玄 関 口[ 中 門 ] に 続 く 階 段 が あ. こには素晴らしい出来ばえで身をねじる龍の彫刻があり、透彫のため、両側. な梁で接続される。この両脇は地面から少し高い位置で厚い板壁をはめ、こ. 透塀の間に設けられ、張り出した屋根を支えるため、控柱が立てられ、水平. ]で、下部に向かってす. 装飾される。片側は鋳鉄製で小さい二体の優美な龍が固定され、水の注ぎ口. ぼまり、中央を三方向に切断した、三つ葉の先端の形状[三葉葵]によって. り[粽] 、彫刻が施された青銅製の装飾で覆われ、エジプトの円柱にやや類. から見ることができる。この屋根付き玄関である木造の円柱は底部がすぼま. フィート六インチ×八フイート[一・一 ×二・四. この鐘楼に面して、区画の反対側には花崗岩製の大きな水盤があり、約三. ︵二一︶. 刻んだ材で構成する 。. m. 似した平らに成形され台石上に位置する。台石には縦の溝があり、上部に向. m. としての役目をしている。この水盤は華麗に装飾された小舎[水盤舎]で守. m. - 102 -. m.

(15) [唐破風]である。. 目にする華麗な組物で、何本もの垂木が冠され、装飾的な瓦屋根は二重曲線. 連結され、見た所、材が貫通し、成形した端部が露出している。建物はよく. かいわずかに弧を描き、装飾的な金属製の受け口をはめる。柱は水平の梁で. は供物のため、優雅な彫刻で漆と金箔で仕上げた小さな机[前机]が置かれ. 棚、つまり壇[須弥壇]の上にあり、この中間には金色の像を配し、前方に. 子が並び、中央に各将軍の諡が刻まれる。厨子は壁面全体に沿って造られた. も小さく薄暗い。建物の奥の壁際に沿って、小寺院を模した大型で金色の厨. 階段があり、上の拝殿は高い位置にある。上拝殿は、本殿とも呼ばれ、とて. る。. ︵二二︶ 入口[中門]と透塀は美しく彩色される。すなわち、深紅の下地に帯状ま. 壁面の内部は、曲線的な形状で、白、明るい青、緑、紫、その他の色で繊細. 黒色が用いられ、赤い壁面の縁のようになっている。このように成形された. 青銅に金箔を押した底部、頭部、帯状の装飾がある。柱や梁の軸組には少し. れる。但しこの場合は住宅で使用されているものよりわずかに幅が広い。部. 面は意図的な装飾のない唯一の部分で、通常のイグサ製の敷物[畳]が敷か. 非常に高い天井の事例がある、しかし、一般的に出入口は低く造られる。床. 内部全体の天井は低いが、これは日本の寺院で通常なものではなく、多く. ︵二五︶. に色付けされた彫刻のある板がはめられる。梁と軒下の組物、垂木の下端は. 屋の間の階段には光沢があり、漆塗の箇所もある。入口は彫刻に金箔を施し. たは小面積ごとに明るい色と金箔が配される。彫刻を支える軸部は赤地で、. 明るい色の菱形模様で装飾されているが、中世ヨーロッパの屋根や天井など. た重たい開戸で閉される。内部で引戸を立てない壁面では、柱と梁の軸組を. - 103 -. ふち. に お け る 菱 形 模 様 と は 異 な る。 金 箔 は 彩 色 と 融 合 し、 菱 形 模 様、 端 部 の 装. 呈 し て 壁 板 を 張 り、 天 井 を 支 え る 組 物 が 冠 さ れ る。 床 か ら 立 ち 上 が る 壁 面. い想像上の動物の場合もある。上部の壁面[内法上]には花々や鳥類を模し. [内法下]には、金色の下地に絵画があり、大きく描かれた草花や、恐ろし. 飾、梁や彫刻面に惜しげもなく使用されている。. 内側の拝殿に向かって開放的な回廊は、豪華な彫刻に彩色と金箔のある柱. た彫刻が施され、花は蓮や牡丹が特に好まれ、全体が美しく彩色される。壁. ︵二三︶. と梁、重量感のある屋根で構成される。中央の回廊から拝殿へ上る階段があ. 面よりやや前面に突き出ている柱は、組物を支え、中間にある組物や羽目板. いている。. とともに持送りを形成する。軸組は、赤と黒に色付けされ、多くの金具が付. るので、回廊[前廊]の屋根は、拝殿の屋根へ向け上向きに傾斜する。 ︵二四︶ この建物[霊屋]は前方に屋根付きの入口[向拝]があり、外周を囲み、. ︵二六︶. 採光用の窓は、透かし彫りの唐草模様と金箔押しされた曲線の多い小さな. 建物の床面と同じ高さに屋根付きの通路[縁]がある。六代、一二代、一四 代将軍を崇拝する目的で、長方形の二部屋[拝殿、本殿]とそれらをつなぐ. 開口[花頭窓]で、外部に向かって配され、内部には必要に応じて、引戸の かみはいでん. 雨 戸 か 障 子 が あ る。 天 井 は 肋 材[ 格 縁 ] に よ り 正 方 形 に 分 割 さ れ、 黒 漆 塗. しもはいでん. 通路[相ノ間]で構成される。最初の部屋[拝殿]が最も大きく、下の拝殿. で、接合部が青銅製の受け口を配している。格天井には箔押しがあり龍が描. ︵一二︶. 間、つまり中間の部屋と呼ばれ、その一番奥には上の拝殿へ続く四、五段の. ︵下拝殿︶と呼ばれ、上の拝殿︵上拝殿︶ [本殿]へ接続する広い通路は相ノ. 研究ノート.

(16) かれている。全ての絵画は細心の注意と匠の技で描かれている。外部には、 彩色した組物、垂木の下には鳥類や草花を彫刻した壁面が並ぶ。外部は赤く. 宝塔全体は、青銅製の低く太い柵で囲われ、愛用される連続模様で装飾さ. ︵二九︶. て青銅製である。平坦で鐘形をした柱頭が︵ファーガソン氏曰く、やや類似. れた小さい青銅製の門[鋳抜門]がある。墓地は奥まっており、壁の正面と. 屋根は一般的な寺院の屋根を示す好例である。薄い青銅板葺で、現在は微. した、エジプトの柱頭で﹁鐘形﹂と呼ばれるものがあるが、定かではない︶ 、. 着色され、菱形模様と彫刻に加え、金、銅、明るい色で和らげられる。. かに緑色がかった鈍い灰色となっている。屋根には交互に平版と半円筒形が. 石造基礎の底部に同じ形で配されていることがよくある。梁が貫通して突き. 並んで、石段の頂上には、屋根と両開きの門のある小さな入り口があり、全. あり、そして屋根に沿った円筒形が効果的で、装飾的な棟や、成形して金箔. 出た部分は、巻き上がり、前面には獅子、象、その他の実在、または想像上. ︵二七︶. を施した端部[鬼板]を付け加える。軒先に突き出た端部には金箔を施し、. の動物が彫刻されている。. 宮]と呼ばれ、非常に大きいものの、維新の際に焼失した寺院[寛永寺]の. 上野には、霊廟に加えて、一般参拝のための寺院があり、権現[上野東照. ︵三〇︶. 円筒形の端部には将軍家の紋が刻印される。棟端部の妻部には彫刻して穴の 空いた木製の垂れ飾り[懸魚]があり、建物の他の部分と同様に赤と黒で彩 ︵一三︶. となる高くそびえる擁壁の石積は後退し、その上には墓[宝塔]がある。墓. 死後の建立で、墓[宝塔]の前方に位置する。拝殿の後方にある三つの区画. 軍を個別に祀った三棟の、小さく、ほとんど装飾のない拝殿があり、これは. この拝殿に加えて、祀られた三人の将軍が近くに葬られる。右手奥に各将. れ、組物で小さな瓦屋根となる。門は塀よりもずいぶん高く、二重曲線[唐. 央 部 は 装 飾 の あ る 特 徴 的 な 格 子 細 工 で、 上 部 と 下 部 は 透 彫 で、 彩 色 が 施 さ. 入る。この木造の塀は柱と三列の水平な壁面に分割する横木で組まれる。中. き、前方に社殿がある。木造の塀[透塀]と門[唐門]を持つ階段を登って. 備 さ れ た 道 に 沿 っ て、 鳥 居 を 潜 っ て 入 る と、 小 高 く な っ た 石 造 の 基 壇 に 続. - 104 -. 色されている。この拝殿の竣工は約二〇年程前の近年で、それはこの国の維 新と封建制度崩壊の 約 一 〇 年 前 で あ っ た 。. [宝塔]には、下の区画に張り出た大きな石段で個別に通じる。最初に達す. 破 風 ] の 優 雅 な 屋 根 が あ る。 こ の 内 側 の 区 画 に、 優 雅 な 青 銅 製 の 灯 籠 が あ. 規模に対しては遥かに劣る。両脇に荒々しい石灯籠と大きな樹木が並び、整. るのは六代目将軍[家宣]の墓[宝塔]で、一七〇年前に建立された。全体. り、最も大きく装飾的なものは、社殿の扉に続く階段両脇に配される。神殿. ︵二八︶. が 青 銅 製 で、 三 棟 の う ち で 断 然、 威 厳 が あ る。 高 さ は 約 一 〇 フ ィ ー ト. はほぼ正方形で、背面部には神聖な祭壇のために小さく突き出ている。全体. は内装、外装ともに彫刻を施し、彩色は、黒と赤の繰り返しが目立ち、彫刻. ︵一四︶. ]で、石造の基礎上に装飾した基台のある円筒型部分でなる。上部に. 向かって丸みを帯びた、張り出した曲線のある青銅製の屋根で覆われ、屋根. [三. 芝と上野の寺院は仏教と呼ばれるが、両院に神道の象徴が見られる。神道. ︵三一︶. はほとんどが明るい色である。. いる。. がはっきりと金属に鋳られ、繊細な繰形と草木が卓越した技術で制作されて. の四隅には小さな鎖と鐘が取り付けられている。円筒型部分には将軍の名前. m.

(17) てきた、つまり、ある宗教の特徴となる形態が公然と他の宗教でも見られる. ためである。しかしながら、紀元七七四年以来、仏教、神道、儒教が融合し. りもはるか昔からあっただけでなく、図像や豊富な装飾を嫌う無欲な信仰の. 建築が仏教建築よりも遥かに素朴なのは、神道の純粋な形式が仏教の伝来よ. ︵三三︶. て見られない。. 彫刻を施している。外装としての着彩は、全ての神社、仏教寺院でさえ決し. が、彩色はなく、控えめな彫刻装飾がある。突き出した垂木や梁の端部には. 道神社は未だに茅葺である。神社の壁の工法は、主に仏教寺院と同様である. する。神社の境内は開放的で、仏教の主要寺院のように森に囲まれてはいな. 困惑する。この国には非常に多くの神道神社があり、江戸では九段坂に所在. 値するものの、外部に彩色は全くなく、木材は灰色を帯びている。ほぼ正方. ると信じているが、偉大な規模や高さ、彫刻の量と精巧な出来映えは注目に. 江戸の浅草に本願寺と呼ばれる寺院があり、この街で最大規模の建物であ. ︵一五︶. ようになったので、特定の形状や配置の意味や理由を知りたい人は甚だしく. い、神社には鳥居と呼ばれる、神道の神社で見られる構造物を潜って入る。. 形の平面で、縁で囲われ、階段を登って入り、屋根もあり、屋根を支える柱. ︵一六︶. 非 常 に 太 い 二 本 の 直 立 し た 木 柱 は、 一 般 的 に 幹 全 体 で 高 さ 約 一 五 フ ィ ー ト. は底部を青銅製の装飾で覆い、梁の端部には怪獣、獅子、象の彫刻を施す。. 縁は壁際の地面そばから伸びる持送で床面を支える。多くの梁や、垂木の端. えん. ]の間隔で配置される。両頂部に木. 造 の 楣[ 笠 木 ] が 渡 り 、 非 常 に 突 出 し 、 端 部 に 向 か っ て 曲 線 が 上 向 き に な. 部、 組 物 に は、 花 々、 草 木、 鳥 類 の 極 め て 繊 細 な 表 現 と な る 彫 刻 が 施 さ れ. ]で、一二フィート[三・七. る。このやや下部にもう一本の水平材[貫]が垂直材[柱]に貫入され、そ. る。寺院の屋根は非常に高い。内部は彩色され、広大な屋根のため柱列がそ. [四・六. の中央に上部の楣[笠木]を支える小さな束[額束]がある。九段坂がそう. 物 は、 縁 廻 に 配 さ れ る の と 同 様 の も の で あ る。 彩 色 さ れ た 彫 刻 の あ る 壁 面. の支持を補助し、板張天井の意匠と円柱の上にある組物が融合している。組. ことではないが、多くが石造であった、但し、常に接合と工法は明らかに木. は、組物の下部に見られる。. 妻の端部で非常に張り出している。屋根は暗灰色に染めた板葺である。切妻. 屋根は仏教寺院と異なり、傾斜面は平坦で湾曲がなく、急傾配で、軒先や切. 神社自体は単純な矩形平面で、入口に続く階段と、外部を巡る縁がある。. 及び分類ができるようになるためには、様々な宗派︵名前が宗派︶の把握と. するためには、それ自体で一論文が必要になるだろう。それらの寺院を分析. ンドンの教区教会と同様、膨大に存在する。一寺院群を適切かつ完全に説明. 江戸とその近郊には二七件程の重要寺院があり、さらに小規模の寺院がロ. ︵三四︶. の 端 部 に は X 字 形 に 交 差 す る 木 材[ 千 木 ] が あ る。 ま た、 重 量 の あ る 棟 に. 漢字で記された書物での研究を要するだろう。多くの形状についてインドの. ︵三二︶. 沿って、等間隔で屋根上を跨ぎ、棟に直交して平衡を保っているような長さ. 仏 教 建 築 に 最 も 近 い 形 態 を 多 く 見 る こ と が で き た。 例 え ば 鳥 居 は イ ン ド の. られないが︶は、彫刻では大々的に使用されると明記する価値がある。. トーランに極めて類似するが、より簡素である。なお、虎と象︵国内では見. 約六フィート[一・八. ]で、先細の奇妙な横材[勝男木]がある。全体は. えん. 造建築が由来である こ と を 示 し て い る 。. であるように、鳥居はもともと木造だが、かつて仏教寺院で見た時、珍しい. m. 極めて重量感があり興味深く、交差する部材や棟に直交する横材など、特有. m. - 105 -. m. の形状は元来の茅葺屋根への親和性を示しているようだ。国内の一部で、神. 研究ノート.

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