ジェイムズ・スティーヴンズの幻想小説
吉 川 信
英語教育講座 (2012年 9 月 26日受理)
Fantastic Novels of James Stephens
Shin KIKKAWA
Department of English, Faculty of Education, Gunma University (Accepted on September 26th, 2012)
“I am very lonely in this strange country.” ― The Crock of Gold, Chapter VI.
1912年夏、ジェイムズ・ジョイスは故国で最初の 短篇集『ダブリナーズ』の出版 渉に苦悩していた。 この時期偶然ドーソン通りでジョイスに出会い、そ の連れに紹介された同郷の作家は、 渉の進展に苛 立つジョイスの不機嫌の犠牲となった 「やや控 え目に彼〔ジョイス〕は会話に入ってきた。あごと 眼鏡を私に向け、実は、と言った。あなたの本を二 冊読んだ、あなたはセミ・コロンとコロンの文法的 な違いを知らない、アイルランドの生活に関するあ なたの知識はノン・カトリック、だからないも同然、 書くのはやめて、もっと将来性のある靴磨きでも やったらどうか……。だから私もお返しに、実は、 と言った。あなたの本は一字も読んだことがない、 もし天が私の防御の才を守ってくれるならば、破壊 的批評でも頼まれないかぎり一字も読むことはない でしょう、と」。だが 1912年といえば、ジョイスの 作品で出版された単行本は詩集『室内楽』(1907)の みなのだから、この作家の皮肉も相当なものである。 とはいえ二人はやがて、ともに双子の兄弟とまで えるほどに親密になる。もとはといえばそれは、 James Stephensという、ジョイスにとっては非常に 意味深い名前 Stephen は『若き芸術家の肖像』の 主人 、いわばジョイスの 身、アルター・エゴで ある と、1882年 2月 2日午前 6時と語られてい た(だが実際は 1880年 2月 9 日だったという説があ り、確証はないもののいまのところこちらのほうが 有力である)彼の出生が、占星術やオカルティズム に少なからず魅了されていたジョイスの関心を惹い たからに過ぎない。だがスティーヴンズの作品を読 むごとに、ジョイスは彼への親近感を強めていった。 挙句『フィネガンズ・ウェイク』の完成を彼に委ね てしまおうかとまで えた話はよく知られるが、こ れもまんざら洒落 ジョイスの好んだアイリッ シュ・ウィスキーの製造元 John Jameson & Sonsと 同じ筆名「“JJ&S”は、題辞の下に置くといい綴り字 です」 ばかりの思いつきではなさそうである。
ジェイムズ・スティーヴンズがアーサー・グリフィ スに認められ、この有力なナショナリストの主催す る 新 聞 The United Irishman に 初 め て 短 篇“The Greatest Miracle”が掲載されたのは 1905年 9 月 16
日、いっぽうジョイスはすでに 1904年 8月 13日、 “The Sisters”の原型を Stephen Daedalusの筆名で Irish Homestead に掲載していた。さらにこれ以前に も Daily Express やイタリアの新聞に数多く書評や 論説を寄せていたトリエステ在住の奇矯な亡命者で あれば、狭いダブリンの文壇でのこと、それなりに 名は通っていたに違いない。(もっとも、ジョイスが グリフィスのもうひとつの新聞 Sinn Fein にエッセ イを掲載されたのは 1911年 9 月 2日だから、グリ フィスに認められたのはスティーヴンズのほうが先 だった。)だが『ダブリナーズ』をほぼ最終的な形に 仕上げたのは 1907年秋であるから、12年という段 階ではジョイスの苛立ちはかなりのものだった。く わえてスティーヴンズはこの年、2冊の長篇 The Charwoman s Daughter(『雑役婦の娘』)、The Crock of Gold(『黄金の甕』、邦訳は横山貞子訳『小人たち の黄金』晶文社、1983)と 1冊の詩集 The Hill of Vision を出版しており、職業作家としての自立は目 前にあった。彼を一躍有名にした『黄金の甕』は 10 月の出版なので、このときジョイスが読んでいた 2 冊とは、最初の詩集 Insurrections(『反乱』1909)と 『雑役婦の娘』だったと推測できる。 スティーヴンズの生い立ちはあまりはっきりして いない。ダブリンの下層のプロテスタントの家 に 生まれたようだが、戸籍には洗礼名さえ記載されな かった。(洗礼の費用すらなかったのだろう。)した がって James Stephensという名前も、本名であると いう確証はない。2歳で を亡くし、6歳で母の再婚 に と も な い プ ロ テ ス タ ン ト の 職 業 訓 練 Meath Protestant Industrial School for Boysに入れられ(だ が実は、入学可能な年齢が 6歳であることのほうが、 1880年生まれという説の根拠となり、またこの学 のほうが彼をプロテスタントとする根拠になってい る)、1896年以後は複数の事務弁護士のもとで事務 職員・タイピストとして働いている。グリフィスに 出会ってからはナショナリストとして文芸復興運動 にも関わり、『黄金の甕』の成功以後職業作家となる。 1915年から 25年まではダブリンのナショナル・ ギャラリーで記録係(Registrar)を勤め、25年以後 はロンドンに移り住む。35年まで定期的にアメリカ に渡り講演を行い、37年からは BBC で詩や詩人を 語るシリーズ番組を担当し、これは 1950年の死まで 続く長寿番組となる。 だが彼が終生描いたのは、自らの属していたアイ ルランドの下層社会であり、プロテスタントとはい え「アセンダンシー」の作家たちとははっきり異な る。先のジョイスの雑言 「アイルランドの生活 に関するあなたの知識はノン・カトリック、だから ないも同然」 は、スティーヴンズがイェイツや AE ら文芸復興の志士たちと わっていたことか ら、彼を同じプロテスタントの中流階級と見誤った だけであるかもしれない。またこの発言からはなに より、アセンダンシーではなかったジョイス自身の カトリシズムとナショナリズムを見て取るべきだろ う だがこれについては稿をあらためなければな らない。 じて「ファンタジー」と呼べるスティーヴンズ の作品群は、最初の長篇の表題にもなっている「雑 役婦」をはじめ、ティンカー(渡りの鋳掛け屋)や バード(放浪詩人)、スラムの労働者、犯罪者など、 下層のアイルランド人で れかえっている。餓死と つねに隣り合わせで生きる男女が出会うのは、妖精 であり天 であり、また古代の神々である。過酷な アイルランドの現実を思い起こさせる辛辣なリアリ ズムに、幻想的な伝説・神話の世界が接合される。 アイルランド英語による男女の闊達にして滑稽な会 話や饒舌で悠長な語り、人間と異界の住民たちとの 哲学的な対話、動物たちの内的独白など、異種混淆 の言語によって紡ぎ出されるスティーヴンズの世界 は、まさに『フィネガンズ・ウェイク』という特異 なスラップスティックに通じている。それはまた、 ある種のナイーヴさ・泥臭さゆえに、初期のカトリッ ク農民作家ウィリアム・カールトンの描くコミカル で不条理な「異界」が、スティーヴンズの幻想によ り現代にまで呼び出されたかのようでもある。 近年エンヤの歌った“Marble Halls” は、ジョイ スの短篇“Clay”(「土くれ」)で主人 Mariaが歌う
“I Dreamt that I Dwelt”と同じ歌である。William Balfe作曲の歌劇 The Bohemian Girl のなかの一曲 で、そのセンチメンタルな歌詞と調べはおそらく、 ジョイス自身が好んだものでもあったろう。召 に 囲まれ、大理石の広間に住み、求婚者が手を取る夢 を見た娘は、それでも一番嬉しかったのは、夢のな かであなたが今も昔と同じように自 を愛してくれ ていたこと、と歌う。現実からかけはなれた豪奢な 生活と変らぬ愛を夢に見る娘は、「土くれ」のマライ アが歌えば辛辣な皮肉となるけれども、スティーヴ ンズの描く若い Maryには何よりも相応しい。この 16歳の娘は空想を好み、見た夢を素直に喜び、時と して現実との区別がつかなくなる。一種の欺瞞を抱 え込んではいようが、雑役婦の娘として生まれた 気な娘の姿は、終始肯定的に描かれている。彼女の 抱く空想世界は、 しく過酷な生活を大いに和らげ るものである。写実的な描写は George Mooreの Esther Waters(1894)をも連想させるが、『雑役婦 の娘』はこれよりはるかにユーモアに富み、明るい。 さきのポピュラー・ソングと同質のセンチメンタリ ズムは、短篇集 Here Are Ladies(『ご婦人方はこち ら』1913)に挿入された詩のなかにも多く見出せる ものであり、たとえ極 の生活が描かれていても、 陰鬱な悲劇とは本質的に無縁であるらしいことが予 想される。 Mrs Makebelieveは、日雇い雑役婦をしながら一 人娘メアリーを養っている。名前が示す通り、「空想 癖」(makebelieve)は母子が共通に備えているもの で、二人はアメリカに渡った Patrick(夫人の兄で、 メアリーの伯 にあたる)が、成功を収め財産を抱 えてアイルランドに戻ってくることを夢見ている。 娘はときに結婚を空想するが、相手は馬に乗った騎 士であり、黄金の鎧に身を包んでいる。性はいまだ 現実味を帯びておらず、なぜ、どのように男が女の もとへ近づいてくるのかも理解できない。また、男 が女にふるう暴力には、漠然とした憧れさえ抱いて いる。母に、死んだ に暴力をふるわれたことがあ るかを尋ね、母はその思い出で泣き崩れるが、娘に はなぜ母が泣くのか理解できない。彼女にとって、 暴力は一種の男らしさ、もしくはいまだ現実味のな い、男性性の象徴なのである。( 権制の根強い下層 カトリックの家 において、夫の妻に対する暴力は 今日的な問題でもあり、近年ではロディ・ドイルの 小説『ドアにぶつかる女』 が、同様の問題を描いて いて興味深い。)ある日、メアリーは街で 通整理を している大柄な警察官に目を留める。あの身体に殴 られれば、だれだってひとたまりもないだろう、と いう憧れを抱く。彼女に見つめられた警官もまた、 彼女の美しさに惹かれ、やがて二人は頻繁に会い、 フィーニックス・パークを連れ立って歩くようにな る。 結婚相手として警察官はどうかとそれとなく尋ね る娘に、母親はつぎのように答える。 母親は、いくつかの理由で警察官は、夫として 大いに望ましい、と答えた まず第一に、警官 というのは体が大きい男であり、体の大きい男と いうのはつねに見栄えがよい。第二に、警官の社 会的な地位はとても高く、世間体がよいことに間 違いはない。第三に、警官の給料はどんな所帯に とっても満足をもたらしてくれるもので、それは 不必要でけしからぬほどに法外ということもな い。……第四に、警官は何年もの間厳格な訓練を 受けてきたのだから、夫としても優しく従順であ るだろう。個人的には、メイクビリーヴ夫人は、 警官は褒められたものではない、と思っている 彼らはあまりに自信家だし、いつも犯人を追 いかけたり、犯人と関わっているものだから、道 徳の面は低下しがちである。また、いつもある種 の女たちから称賛の的になっているせいで、道徳 面は絶えず攻撃に晒されており、そんな男の妻に なると、腹黒くてしつこい女から夫を守ろうと、 身をすり減らすことになる。……あらゆる点を えれば、事務職員というのが、夫としては相応し い。勤務時間も規則的だし、どんなときでも自 の立場をわきまえているし、気楽な精神状態であ るから。(pp.38-39) 褒めているようでいながら、結局は貶している。 けれども恋に恋する年頃の娘にとってこのような忠
告はあまり効果がないらしく、相変わらず彼女はこ の警官と 際を続ける。しかし彼女は、母の職業を 聞かれて日雇い雑役婦とは言えず、婦人服の仕立て 人と答えてしまう。 母は間もなく過労で寝込んでしまい、娘は代わり に食料の買い出しに出かけるが、劇場の前で例の警 官が、別の女と連れ立って劇場に入るのを目にして しまう。失望した彼女は、以後彼とは会わないこと にする。いっぽう母の病気で家計が底をついてきた ため、メアリーは母に代わって OConnor家に出向 くことになる。ところが、この日オコーナー夫人の もとにやってきた彼女の甥が、例の警官であった。 失恋の挙句に正体がばれてしまったメアリーは、彼 と目を合わせまいとするが、以後警官は彼女にしつ こく付きまとう。まもなく回復した母は、ふたたび オコーナー家に出向くが、甥の警官に娘のことを尋 ねられる。 警官は、なぜ彼女が自 を避けるのかと訝る。し かも、雑役婦の娘という身 がはっきりした以上、 彼女が自 に尊大な態度を示すことは許されない、 と える。彼女への思いが断ち切れない彼は、やが てメイクビリーヴ家に出向き、母親に向かってメア リーとの結婚を迫る。だが夫人はメアリーの意志を 重んじ、返答は娘に任せる。メアリーは断固として この申し出を断る。そもそも二人は、いまだファー スト・ネームさえ知らない間柄であった。 いっぽう、メイクビリーヴ家の隣人 Cafferty夫人 は、夫の失業により 6人のこどもを養わなければな らなくなり、下宿屋をはじめることにする。この下 宿に、好青年の事務職員がやってくる。地主や資本 家や警官・軍人といった「征服者」(p.108)を批判す る血気盛んな青年は、やがてメアリーと親密になる。 このため、警官はこの青年に街で喧嘩を売るが、痩 身の青年は警官と互角に闘い、痣を作りながらも意 気揚々と帰宅する。母は 17歳になった娘が、まもな く自 の手を離れて行くことを予感する。 ここで思いがけない幸運がメイクビリーヴ家に舞 い込む。アメリカに渡った夫人の兄パトリックが、 死んで莫大な財産を妹に残したのである。二人の長 年の夢・空想が現実のものとなり、いまやメアリー の未来にはさまざまな可能性が開けていることを告 げ、物語は終わる。 ハッピー・エンディングは最初から予想されたも のの、やはり安易な結末であることは否めない。母 子の しい生活は、けっしてリアリティに欠けるも のではないが、互いに労わり合う母子の姿には、愛 憎のアンビヴァランスなどほとんど存在しない。と きに母親の口を通して語られる人生哲学は、滑稽で ありながら作者の代弁であることは明らかで、これ は後半に登場する青年についても言える。人物の造 形という点でも、あくまで習作のレベルに留まる。 ただし大いに興味深い点として、前半に見られる母 子の空想癖がある。 彼女〔母〕はしばしば自 が裕福でないことに 涙した。仕事から帰ってくると、折に触れて彼女 は、自 が裕福であると思い込んだ。だれかが死 んで彼女に多額の財産を遺した、という空想と戯 れるのである。あるいは兄のパトリックがアメリ カから巨万の富を抱えて戻ってくる、というので もいい。そうしてメアリー・メイクビリーヴに向 かって、翌日買いたい物やしたいことを話して聞 か せ る。メ ア リーの ほ う も そ れ が 好 き だった 翌朝一番にやることは大きな屋敷への引越し で、その の奥のほうには果実をつけた木々が繁 り、花々が咲き、鳥が鳴いている。屋敷の正面に はテニスや散歩のできる広い芝生があり、繊細で 美しい若者とそこを歩くのだ。色白の顔、白い手 をしたこの若者はフランス語を話し、帽子を取っ てはしばしば地面につきそうなほどの深いお辞儀 をする。召 は 12人いて、そのうち 6人が男で 6 人が女……。(p.3) 現実の物語はたちまち空想の世界に流れ込む。彼 女らの視点で描かれる描出話法は、現実と幻想の二 つの世界を連続的なものにしている。さらに、彼女 らの空想が最後には現実のものとなる以上、物語全 体がこの連続性を保証している。ここで想像を逞し くすれば、永遠においては actualなものと possible なものは異ならない、というジョルダーノ・ブルー
ノの定理 は、スティーヴンズがジョイスと共通に 抱いた信念であったようにも思われてくる。 いまひとつ特徴的なのは、警察官の存在であろう。 恋愛の経験がない彼女は、男に殴られることに甘美 な空想すら抱いているが(p.10)、そこで最初の憧憬 の的となるのが、身体の大きな警官である。その後 失望を経て求愛を拒絶するものの、この警官の姿は 物語全体に影を落とし、終盤では青年に暴力をふ るっている。「征服者」の権威の象徴であることは明 らかであり、その象徴性は次作『黄金の甕』にも受 け継がれている。また警官を敵に回した青年が、社 会主義を標榜するナショナリストであることも疑い を容れない。 スティーヴンズを一躍有名にした小説『黄金の甕』 は、人間と妖精たちの対立、アイルランドの神アン ガ ス・オーグ(Angus Óg)と ギ リ シ ア の 牧 神 パ ン (Pan)の対立、さらには人間に味方する神々と警察 権力の対立まで描いている。まずは物語の大要を述 べておく。 コーリャ・ドラカ(Coilla Doraca)の森には二人の 哲学者が住んでいた。ひとりはゴルティン砦の灰色 の魔女(Grey Woman of Dun Gortin)と、もうひと りはマグラ島の痩せた魔女(Thin Woman of Inis Magrath)と結婚する。二組の夫婦にはそれぞれ同じ 日の同じ時間に男子と女子が生まれるが、彼らはど ちらが自 たちの子であるかを忘れ、ともに二人を 育てる。だが灰色の魔女と結婚した哲学者はある日、 自 は自らに可能な知はすべて獲得してしまったと 語り、死を選ぶ。靴を脱ぎ爪先立って激しく回転す るだけの乱舞の挙句、死に至るのである。夫の態度 を賞賛する妻もまた、同様の方法で後を追う。 いっぽう農夫メホール・マクムラーフ(Meehawl MacMurrachu)は、ある日妻の洗濯板がなくなった と哲学者に訴えに来る。哲学者は、メホールの飼い 猫が鳥を殺したせいで、ゴルト・ナ・クローカ・モー ラ(Gort na Cloca Mora)の木の小人たち(Lepre-chauns)が復讐したのだ、と解答する。そこでメホー ルがこの木の下を掘ると、洗濯板とともに小人たち の「黄金の甕」を見つける。金の詰まった甕であり、 それは小人たちが人間に捕まった際、身代金として 人間に差し出すための蓄えである。メホールがこれ を奪ってしまうため、小人たちは復讐として、アイ ルランドにはるばるやってきたパンに、メホールの 娘カーティリン(Caitilin)をかどわかすよう促す。 事情を察した哲学者は神アンガス・オーグに助け を求め、アンガスはパンと論戦する。結果カーティ リンはアンガスを選び、彼とともに暮らすことにな る。 いっぽうこれでは収まりのつかない小人たちは、 かつて死んだもう一組の哲学者夫婦の死体を掘り起 こし、哲学者に殺人の罪を着せ、警察に彼を逮捕さ せる。だが哲学者のこどもたちは、メホールの隠し た甕を見つけ出し、小人たちに返してやる。 最後に哲学者の妻、痩せた魔女は、今一度アンガ ス・オーグのもとに行き、夫を牢から助け出してほ しいと頼む。アンガス・オーグはアイルランド全土 から神々を呼び集め、皆でダブリンまで行進し、哲 学者を牢から救い出す。この最後の行進は、アイル ランドの神々の「カタログ」と呼べるほどに、壮大 かつマニエリスティックである。 さて、物語で第一の山場となるのは、パンの登場 である。彼はカーティリンに言う。 「ムラーフの娘よ、私は高い山々のそびえる遠い ところからやってきた。そこで家畜を飼う男たち や娘たちは私を知り、敬愛している。私は羊飼い の守り神なのだから。昼間私が姿を見せると、み んなよろこんで歌い踊る。だがこの国では私を尊 ぶ者は誰もいない。牧場で私の笛の音をきくと、 羊飼いたちは逃げ去ってゆく。草地で私が踊ると、 娘たちはこわがって悲鳴をあげる。この奇妙な国 で、私はひどくさみしいのだ。笛の音にあわせて 踊ってくれたおまえですら、私の姿を見るや眼を おおい、私をあがめてはくれない。」(邦訳 p.55) 読者には、アイルランドの地がいかにギリシア世界 と隔たっているかを思わる台詞である。ヨーロッパ
文化の辺境の地は、パンにとっては「奇妙な国」 (strange country)に過ぎない。だがケルトの神々が 支配するこの国はまた、後に述べる理由で、ユダヤ・ キリスト教世界のひとつの起源を主張できるのだ。 結果的にギリシアのパンは、ドルイドにも似た哲学 者とアイルランドの神アンガス・オーグによって斥 けられることになる。 カーティリンの メホールの相談を受けた哲学者 は、パンについて次のように語る。 「世界の民族のおおかたは、ときとしてこの神の おとずれを受ける。その名は おおいなる牧神> という。しかしだ、この神がアイルランドにきた という記録はないし、したがって有 以来、牧神 は決してこの島の土を踏んでいないのはたしか だ。この神はとても長いあいだ、エジプト、ペル シャ、ギリシャの地に住んでいた。牧神の勢力圏 は世界全土におよぶとされてはいるが、このあま ねき支配はこれまで常に、そして未来もおなじだ ろうが、他の勢力によっておびやかされておる。 しかもだ、いかにその支配圏をけずられようと、 牧神はかならずいくばくかの領土を保ってきた し、そこではこの神の神聖な力の行 が熱誠をこ めてたたえられている。」 「それはキリスト教以前の古い神なので?」 「そうだ。牧神の到来はこの国にとって望ましい ことではない。」(邦訳 p.63) キリスト教世界の砦であるアイルランドには、か つてギリシアの神が訪れたことはなかった。これほ どまで強固な砦であった土地に、現在異教のパンが 訪れている。この種の逆説めいたおかしみ 元来 異教のケルト世界であったアイルランドは、5世紀 以降イングランド以上にローマカトリックに忠誠を 尽くした は、第三作目の長篇『半神たち』(The Demi-Gods, 1914)でさらに拡大される。そこでは、 天 はみなアイルランド人の名前を持ち、天国では ゲール語が話されている、と語られる 。だが、オブ ライエン一族のブライエン(Brien OBrien)に地獄 行きの審判を下すのは、ギリシアの冥府の裁判官ラ ダマンテュス(Rhadamanthus)であり 、これに反 抗した天 クフーリン(Cuchulain)は、ブライエン とともに天から追放され、宇宙を高速で落下した挙 句、アイルランドの地表にぶち当たるのである。 スティーヴンズが行う異教世界の導入は、アイル ランドを不可思議で原始的な空間に回帰させる。パ ンの到来を「望ましくない」と えていた哲学者は、 パンとの対話によりその確信が揺るがされる。かつ ての禁欲的な生活が、まるで無意味なものと思われ てくる。 思想。なんとみじめで小さいものか それにひき かえ、動くことの、そして感情の、なんというす ばらしさ これこそが実在なのだ。感じること、 おこなうこと、勝ちほこる生命の讃歌をくちずさ みながら、胸を張って前進すること (邦訳 p. 95) 「徳とは、たのしいおこないをなすこと」(邦訳 p. 91) と説くパンは快楽主義もしくは生命主義の化 身であり、知の側を代表していた哲学者の確信は揺 らぐ。逆説に満ちた彼らの対話は、「天国と地獄の結 婚」を語ったブレイクの数多くの詩作品を連想させ る。スティーヴンズの作品におけるブレイクの影響 は、これまでにも多くの批評家が指摘してきたが、 とりわけヒラリー・パイルは、『黄金の甕』こそが、 ブレイクの哲学全体を解き明かそうという試みで あったと述べている。 パイルによれば、アンガス・オーグはブレイクの 『エルサレム』(Jerusalem,1804-20)に登場する孤 独な神に相当する。この神は人間との 流を求める のだが、人間の側はエゴイズムと合理主義を過度に 発展させ、神から自らを切り離す。ブレイクが、想 像力を敵視し抽象的な哲学に没頭する人間の姿を批 判したように、スティーヴンズもまた、知の蓄積に 没頭する哲学者の不毛性を描いている。この意味で、 哲学者のパンとの出会いはこの小説の中心的な主題 となる。また、パンではなくアンガス・オーグを選 んだカーティリン(第 12章)は、ブレイク的な「あ われみ」を行うものである。彼女は、彼がだれより
も自 を必要としているからこそ、彼を愛したの だった 。 ジョン・クローニンによると、スティーヴンズは この作品の初版に次のような付記を添えていた。 この本の登場人物はたったひとり、「人間」(Man) です。パンは人間の官能的な性質を、カーティリ ンは人間の情緒的な性質を、哲学者は人間の戯れ としての知を、アンガス・オーグは人間の精神的 な営みとしての知を、警察官たちは人間の因習と 論理を、小人たちは人間の自然力を、こどもたち は人間の無垢を、表しているのです。このアイデ アは、さほど厳密にあてはめられているわけでは ありませんが、物語はこのような構想から出来上 がったものです。 かつてウォルター・デ・ラ・メアは、『黄金の甕』1953 年版の序文でこれを「狂気のパッチワーク」(a crazy patchwork)と呼んだが、実際のスティーヴンズは、 物語形式に対して非常に意識的であったことがわか る。1926年の『詩集』(Collected Poems)の序文で も、スティーヴンズは次のように述べている。 散文作家にとっては、描かれる素材(matter)が まったくもって重要な関心事である。作家はそこ から離れることができないし、軽率に扱うことも、 そのいかなる細部を見逃すこともできない。自ら の素材を見つめ、 析し、可能ならばこれを装飾 することが、作家の義務のすべてである。科学者 のように作家は、その素材と様式(modes)に完全 に没頭しているのであるならば、神やその他のい かなる抽象的な素材をも拒絶することができる。 そしてこの圏域(sphere)において、作家が到達で きる、もしくは目指すことのできる完璧さという のは、ほかのいかなる芸術家による完璧さにも劣 ることはない 。 寓意的な意味での「人間」を描き、相対立するも のの共存を言うスティーヴンズは、同時に小説の「素 材」を「科学者」のように 析するマテリアリスト でもあった。ここで言われる「素材」と「様式」は、 そのまま「内容」と「形式」と言い換えてもよい。 この二つの圏域における完璧さとは、すなわち「内 容」と「形式」の一致である。世紀末に生まれ 20世 紀初頭を駆け抜けたその他の作家たちと同様に、ス ティーヴンズもまた、この二つの原理の一致を目指 すモダニストであった。彼のアイデアはときに、キ リスト教世界と異教世界の融合を企図したロレンス のように観念的であり、幻視者ブレイク以上にブ ルーノに近づく。だが、普遍的「人間」の 造とい う壮大な企図が、ヨーロッパの辺境で抹消されつつ あるアイルランドの形象・素材に依拠しているがゆ えに、異種の文化の接合という技法は、不可能な短 絡とも見えてくる。一夜の夢のなかに人類の歴 を 描こうという、ジョイスの果敢さを連想させずには おかないのだ。 ところで、スティーヴンズの描く「哲学者」には、 多 にドルイドを思わせるものがある。神や妖精と 自由に 流することのできる彼は、そもそものはじ めに魔女との知恵くらべに勝って、これを妻に迎え ている。村の知恵者・賢者としての姿は、実際に 19 世紀まで存在していた「野外学 」(hedge school) の教師を思わせもするが 、それすらも聖人と賢者 の島にあっては、一種伝統的な賢者像、ドルイド像 を連想させる。 ドルイドについては、その長年の研究 を含めて、 中沢新一・鶴岡真弓・月川和雄著『ケルトの宗教ド ルイディズム』に詳しい。これによると、紀元前 80 年から 20年頃に生きたディオドロスの著作が、古代 ケルトの風俗・習慣を克明に伝えており、後のドル イド研究にとっては重要な資料となっているらし い。そこにはつぎのような記述が見られる。 ガラティア人のもとには抒情詩人もいて、 バル ドイ」と呼ばれている。バルドイは七弦琴のよう な楽器にあわせて歌を歌うが、歌で称えられる人 もいれば、けなされる人もいる。哲学者や神学者 のような人たちは格別に敬われ、「ドルイデス」と 呼ばれている。(ディオドロス『歴 叢書』第 5巻 第 31節)
ドルイドの役割については、僧侶に留まらず戦時中 の仲裁役や、ときには裁判官でもあったなどと、様々 な説が 錯しているものの、ドルイドの呼称にしば しば「哲学者」が用いられたことは確かである。 いっぽう、スティーヴンズが傾倒していたウィリ アム・ブレイクは、1809 年に行われた個展において、 『解説付き目録』でドルイディズムを「族長の宗教」 と呼び、また「預言書」である『エルサレム』にも、 ブレイク独自の解釈によるドルイド像が現れてい る。だがこのようなブレイクのケルト志向は、当時 のロマンティシズムや英国のナショナリズムと無縁 ではなかった。同じく『ケルトの宗教ドルイディズ ム』から引用しておく。 ドルイドの復元やケルト人の復元は、16−18世 紀にキリスト教西欧でおこなわれた「聖書という 起源」の 造に深くかかわらざるをえなかった。 それは厳密にいえば、西欧の諸国家の権威によっ てヘブライ的ないし旧約的起源へ強制的に向かわ されたケルトであり、ドルイドである。 16世紀、宗教改革は、聖書に「教会の解釈」が 介在することを拒否して、聖書を信者が直に読む ことを奨励した結果、聖書のテキストの研究と原 型の復元が急速におこなわれることになるが、旧 約聖書の言葉、つまり神の言語であるヘブライ語 の権威の再 造はルネサンス期にすでに始まって いた。そしてこのヘブライ語の「語系」とケルト 人の「人種的系譜」が思いがけないかたちで 差 するこのとき、ケルト語とケルト人の主題は近代 的歴 学の平面に召還される。ドルイド は、ノ アやエデンの園に る血統をヨーロッパ人がもっ ているという神話に寄与するのである。すなわち ヨーロッパ人はノアの三人の息子セム、ハム、ヤ ペテのうち、ヤペテの子のゴメルをつうじてノア の子孫であるという「神話」の 造である 。 そして、英国においてこのような研究を発展させた のが、古代学者ウィリアム・ストゥクリー(1687-1765)であった。ブレイクは彼によるドルイド解釈 を継承している。 ストゥクリーは「ドルイド」が「族長の宗教」の 伝道者であったことをつぎのようにも歴 化し た。「ドルイドは、ノアの洪水直後フェニキア人と ともに英国に来た」。エホバが人としてドルイドの 前に現われたかどうかはわからないが、ドルイド は神の複数のペルソナ(三位一体)という観念を もっていたから、ドルイドの宗教は「きわめてキ リスト教に似通っている」。「わたしはドルイドを キリスト教徒の人々に紹介することにためらいは ない」。「ドルイドはアブラハムの信仰した族長の 宗教を信仰した」。「キリスト教は族長の宗教が共 和体制になったものである」。ピゴットの要約にし たがえば、ストゥクリーの主張は以上のようなも のであった。すでにストゥクリー以前に、エイレッ ト・サンメスの『古代ブリタニア』(1676年)でも、 ブリタニアにおいてドルイドはフェニキアの詩人 にとって代わったことが述べられ、またエドマン ド・ディキンソン(1655年)は、「族長たちドルイ ドよ。ドルイドの宗派より来る。アブラハムの高 き時代に るもの」と述べていたが、ストゥクリー はドルイドを当時のイギリスを救済する象徴とし て語ったのである 。 だがすでにケルティック・ルネッサンスのただな かにあったスティーヴンズであれば、ケルトのブリ テン起源説とはまるで無関係に、ブレイクのドルイ ド像を受け入れたことだろう。ヨーロッパ各国のナ ショナリズムがケルト文化の復興に熱心であるな ら、いまやもっとも有利な立場にあるのはアイルラ ンドである。ケルト語の一派アイルランド語は、英 国と英語の支配に抗して近代にまで生き び、しか しいまや 死の状態にある ダグラス・ハイドの もとでゲール語を学んだスティーヴンズであれば、 ケルトの遺産であるドルイド像を意図的に再現した としても不思議はない。さらに、ブレイクのドルイ ド像にせよ、「アダムはドルイドであった。そしてノ アも」と書かれるとき(『解説付目録』)、古代の象徴 にとどまらず、滅び行く人間の運命をも暗示してし まう。二元論的な思 に って描かれるブレイクの ドルイドは、スティーヴンズの描く哲学者もしくは
“Man”に、容易に接合されたに違いない。 当時『黄金の甕』ほどの成功を収めることはなかっ たものの、スティーヴンズの想像力がもっとも遺憾 なく発揮された作品はむしろ、『半神たち』ではな かったか。ここでは、ともすれば荒唐無稽と一蹴さ れるほど、人間界と神の世界および神々の世界が接 合され、スラップスティックは頂点に達する。人間 たちももはや異端と正統の区別など感じることな く、天 や堕天 たちとともに戯れる。まさにカー ニヴァレスクな世界である。 ティン カーで あ る パッツィ・マッキャン(Patsy Mac Cann)は、一人娘メアリーと一頭のロバととも に旅をしている。ある夜いつものように野営してい ると、空から三つの影が舞い落ちる。はじめは鳥だ と思っていたが、夕食を食べ終わったパッツィたち のもとへ、焚き火の明かりに誘われた三人の天 が やってくる。夜は寒いので火に当たらせてほしいと 頼む天 たちに、 と娘は驚きながらもホスピタリ ティを示す。彼らの超自然との出会いは、たとえば つぎのように説明されている。 マッキャン家は、宗派は何かと聞かれれば、カ トリックであった。というよりそれ以上にアイル ラ ン ド 民 族 で あ る。揺 り か ご に い た 頃 か ら もっとも、母親の胸や背中でなく揺りかご だったとしての話だが 、驚きを糧としてい た。彼らは動物と同じくらい信じやすい。という のも、多くの生き物は、何であれ物事を証明でき るずっと前から、何事であれ信じることを強制さ れるからである。劣った生き物たちのこういった 想像力や予知能力を、これまでわれわれは「本能」 と呼ぶことにしてきた。そう名づけることでわれ われは、生きてゆくうえで手に負えなくなるほど の神秘の重荷を、海に投げ捨ててきたのである。 のちにわれわれは、魂が正しい状態にあるときに、 いま一度そのような想像力や予知能力に対峙する かもしれない。そのとき、長い間未払いに附して きた驚きや恐怖が、われわれに遅ればせながらの 従順を強いることになるだろう。(p.16) ようするに素朴なカトリック民族である彼らは、 このような超自然的なできごとに対しても即座に従 順になれるというのである。ここに批判や揶揄の口 調は認められない。むしろその素朴な「本能」が称 えられている。 一番年上に見えるフィノーン(Finaun)、パッツィ と 同 じ く ら い の 年 齢 に 見 え る キャル ティア (Caeltia)、一番若く見えるアート(Art)という名の 三 人 は、そ れ ぞ れ 大 天 (Archangel)、熾 天 (Seraph)、智天 (Cherub)で、とりわけキャルティ アは、容貌がパッツィに瓜二つである。以後彼らは パッツィとメアリーの旅の道連れになる。 旅の途上で彼らは、男と二人で旅するアイリー ン・ニ・クーリイ(Eileen Ni Cooley)と出会う。 彼女はかつてパッツィの愛した女だったが、次々と 男を変えてきた彼女は、これまで何度もパッツィの 手を振り解いてきた。容貌は天 のフィノーンに似 ており、赤毛で痩せて背の高い女である。連れは身 体の弱そうな痩せた男で、二人の間に愛情は感じら れない。しばらくは計 7人で旅をするが、アイリー ンたちはふたたびパッツィたちと別れて行く。 小説の本筋となる旅の物語は単調だが、そこには 夜野営地や空家で寝る前に彼らが語る物語が多く散 りばめられている。アイリーンに次いで彼らが出会 うのは、音楽師ビリー(Billy the Music)というコ ンサーティーナ〔鍵盤がなく半音階的に配列したボ タンのある六角形のアコーディオン〕弾きだが、彼 はかつて出会った奇妙な二人連れの男の話をする。 この二人組についてはパッツィも知っており、やた ら腕っ節の強い男と美しい金髪の男で、出会ったと きはともに素っ裸であった。パッツィとメアリーは この二人に衣服を剥ぎ取られたのである。実は熾天 キャルティアが、この二人組の正体を知っていた。 キャルティアの語る彼らの物語は、小説全体のクラ イマックスとも言える。地獄めぐりと堕天 の、壮 大かつ抱腹絶倒の物語である。スティーヴンズは『半 神たち』に先立ち、短篇集『ご婦人たちはこちら』
の一篇“The Threepenny-Piece”(「三ペンス銀貨」) としてこの第 25章を発表しているから、あるいは 長篇全体よりも先に構想された可能性がある。 腕っ節の強い男ブライエン・オブライエンは、生 前から、いつ死んでも不思議はない無謀な男と言わ れていた。葬式の日、幼い娘は隣人に、慰みとして 三ペンス銀貨をもらう。だが 乏暮らしをさせられ ていた娘は金というのがどれほどの力を持っている かを知っている。後で返してくれと言われるのも恩 に着せられるのも嫌だったのだろう、 ブライエン の遺体の手に、これを握らせる。 死んだブライエンはまず、片手だけでも数エー カーにおよぶという、巨大な裁判官ラダマンテュス のもとにやってくる。生前悪事を重ねた彼は当然地 獄行きを宣告されるが、地獄に落ちて行く途中、持っ ていた三ペンス銀貨を落としてしまう。これを拾っ たのは、若い熾天 クフーリンであった。地獄に到 着し銀貨を落としたことに気づいたブライエンは、 地獄のなかに泥棒がいると騒ぎ立てる。彼の怒りは 強烈で、もはやどのような責め苦も効果がない。見 かねたラダマンテュスは天 たちに、銀貨を拾った ものは届けるようにと告げる。だが天 クフーリン は、初めて目にした美しい銀貨を返そうとしない。 ブライエンの叫びは地獄中をかけめぐり、ほかの罪 人たちも声をそろえて「三ペンス銀貨を盗んだのは だれだ」と叫び始め、地獄はこのシュプレヒコール で れかえる。だがラダマンテュスはやがて、おど おどした態度のクフーリンが、銀貨を持っているこ とを悟る。ラダマンテュスの前に立たされたクフー リンは、「拾った者勝ちだ」と言って返そうとせず、 さらには雷光の槍を手にラダマンテュスに立ち向か おうとする。呆れ返ったラダマンテュスは、クフー リンを易々と摘み上げ、宇宙に向かって放り投げ、 次いでブライエンも放り投げる。二人は宇宙を猛ス ピードで飛んで行き、星々の間を通り抜け、地球の 地面に叩きつけられる。落ちた土地はやはりアイル ランドである。素っ裸の二人は、まずは衣服を手に 入れようと える。ブライエンは、最初に通りか かった男から衣服を剥ぎ取ると言い、クフーリンは、 ならば自 は二番目の男の服をもらうことにする、 と言う。こうして二人は地べたに座り込むのである (以上が第 25章=短篇「三ペンス銀貨」である)。 さて、以上の熾天 キャルティアの物語により、 パッツィとメアリーが彼らに衣服を取られた理由が はっきりする。パッツィは、今度ブライエンに出 会ったらただではおかない、と復讐を誓う。 ある日昼食を取っていると、彼らに近づいてくる 三人の姿があった。アイリーン、ブライエン・オブ ライエン、クフーリンである。ブライエンはアイ リーンを離そうとせず、彼女はパッツィに助けを求 める。ついに二人の男と四人の天 の闘いが始まる。 天 クフーリンは三人の天 に囲まれ容易に覚悟を 決めるが、ブライエンはパッツィには手ごわすぎた。 だが、これまでおとなしかったもうひとりの旅の道 連れ、人間のことばを理解できる(ときに内的独白 も聞かせてくれた)彼らのロバが、蹄であっけなく ブライエンの額を割る。ふたたび死者となったブラ イエン・オブライエンの手に、パッツィはいま一度 三ペンス銀貨を握らせてやる。クフーリンはラダマ ンテュスのさらなる怒りを恐れながらも、ひとりそ の場を去って行く。 最終章、アイリーンとパッツィは長年の確執を越 えてついに結ばれることになる。いっぽう三人の天 たちには、天に帰る日が訪れる。だが一番若い智 天 アートは、メアリーの恋心を知り、地上に残る ことを選ぶ。幸福な四人の男女の姿で物語は閉じら れる。 さきの『黄金の甕』と同様、この小説でも、奔放 な発想から紡ぎ出される異界と人間界の接合・短絡 が、大きな魅力になっている。だが前作以上にここ では、個々の登場人物が語る逸話が生きている。ブ ライエン・オブライエンの物語のみならず、三人の 天 はそれぞれ皆、自 の知っている物語をパッ ツィ親子に語って聞かせる。アイリーンや音楽師ビ リーもまた、優れた語り手であり、さらに第 18章の 語り手はロバである。彼の独白はたとえばつぎのよ うなものだ。 「雨が降ろうが止もうがどうでもいい。だって これ以上降ったところでおれはこれ以上濡れやし
ないんだから。」 そう言って彼は天候のことは忘れてしまい、落 ち着いて えてみることにした。頭をわずかに下 げ、目を遠くに固定し、何も見ていないかのよう に遠くを見つめながら、集中して思い巡らすこと にした。 最初に えたのは人参のことだった。 彼は人参の形を思い浮かべ、色を思い浮かべ、 それからそれがバケツの中につっこんである様子 を思い浮かべた。何本か太いのが突き出ていて、 何本かは逆さまに突き出ていて、いつも泥がどち らかの側に付いている。何本かは眠ろうとしてバ ケツからこっそり逃げ出したかのように横たわっ ていて、何本かは壁にもたれるように、次に何を していいか決められないでいるように、斜めに 突っ立ってる。でも、バケツのなかでどう見えよ うとも、みんなおんなじ味だし、みんなおいしい。 連中はきさくな食べ物だ。嚙まれているときはバ リバリと心地良い音をたてる。それに、人参を食 べてるときは、自 が食べている音を聞くこと だってできるし、そこから物語を作ることだって できる。 アザミは嚙まれるとさらさら音をたてる。アザ ミにもアザミの味がある。 草はまったく音を出さない。黙って墓に入って 行く。意識がないようだ。 パンはロバが食べるときは音を出さない。面白 い味だ。長いこと歯にくっつく。 リンゴは匂いが良くて嚙むと楽しい。(pp.111-13) 擬人化された動物ではなく、動物の動物としての独 白は、奇妙なリアリティを備えていて滑稽である。 スティーヴンズは、この種の独白なら 々と続ける ことが可能な作家であったろう。本質的に饒舌であ り、それは農村に住まう民話の語り部を思わせる。 かたやアラン島に取材に出かけ、詩的な(だがいさ さか人工的な)アイルランド英語をものしたシング に比せば、スティーヴンズには取材の必要すらな かったかのように、もって生まれた土着の民族のリ ズムが感じられる。ロバの独白という語りにしても、 特異な幻想世界を作り上げるための巧妙な細部なの だ。 われわれは、この小説に現れる天 クフーリンの 名が、アイルランドの英雄と「同名」であると え るべきではない。そうではなく、この天 こそが、 アイルランドの英雄クフーリンなのだ。彼らはだか ら、単なる天 ではなく、「半神」である。半神たち は、人間界のさまざまな神話に、そのときどきに応 じてさまざまな姿をとって現れる。キリスト教世界 においては熾天 であり、清教徒革命下の英国では ミルトンの描いたサタンであり、そしてアイルラン ド古代の神話においてはアルスターの英雄であっ た。これが、現代に降り来たって全裸の追剥に姿を 変えたのである。いっぽう死者に審判をくだすラダ マンテュスは、ギリシア神話においては冥府の裁判 官だが、キリスト教世界では唯一神にも相当しよう。 天 はみなアイルランド人の名前を持ち、天国で はゲール語が話されているという設定は、本来 17 世紀に始まったヨーロッパのケルト・ブームに端を 発する説に由来するが、ここではそれが、キリスト 教の起源を自国にありと主張する文化的ヘゲモニー の 造とまるで無関係に見える。優劣ではなく並存 が、ヘゲモニーではなくハイブリッドが、スティー ヴンズの抱いた「幻想」の特質となっている。 前述した通り 1915年からナショナル・ギャラリー の記録係を勤めたスティーヴンズは、1916年 4月 24日月曜日、通勤途上で復活祭蜂起を目撃する。以 後一週間の体験は The Insurrection in Dublin(『ダ ブリンの反乱』)として出版されるが、これは蜂起終 結直後の 5月 8日に脱稿されており、実に生々しい 記録となっている。執筆の時期からして、蜂起軍の 編成 スティーヴンズはこれをもっぱら義勇軍 (Volunteers)として語り、IRBとの関連については 一切触れていない や蜂起に至る経緯についての 厳密な歴 的 証は、本人も認める通り明らかな限 界を示しているものの、この一週間における住民た
ちの反応や飛び う街の 、血糊と銃声の記録は、 小説家によるルポルタージュとして現在でも貴重な 資料である。そしてなによりスティーヴンズ自身に とって、この体験は以後の作風を大きく変えるもの となった。『ダブリンの反乱』以後、「幻想小説」と 呼べる長篇は執筆していない。『アイルランド妖精 物語』(Irish Fairy Tales, 1920)には、前 3作と共 通する現実と幻想の混淆が見られるが、これは文字 通りの妖精譚であるから当然と言える。むしろ、以 前の彼の幻想小説に、原型として妖精譚があったの だ。蜂起の体験によって愛国心は高まり、アイルラ ンド民族の伝承をダイレクトに表現するようになっ てゆく。一種の先祖帰りとも言える。ゲーリック・ リーグの初級アイルランド語クラスに入るのも、こ の体験以後のことである(したがって同じクラスで ジョイスと席を並べることはなかった)。 『ダブリンの反乱』のなかで、スティーヴンズは アイルランド問題に関する自らの意見を表明してい る。プロテスタントでありながらナショナリストと して土着民族を擁護する言説は、宗派間闘争の根本 的な問題を明確にするものである。 アイルランドにおいて、宗教的不寛容は、それ が政治的なものでないかぎり存在しない。わたし はカトリック教会の信者ではないし、わたしの精 神構造が嫌っている宗教的な制度を、擁護したが る傾向など持ち合わせてはいない。しかし、この 宗派に属するわたしの同胞たちのなかに、真の不 寛容を目にしたことなど一度もない。それはプロ テスタントのなかに見出せるものである。いやこ の意見にもまた制限を加えておく必要があろう。 わたしはそれを、一部のプロテスタントのなかに 見出した。しかし、北アイルランド以外の土地で は、宗教問題など存在しないのだ。しかも北にお いて、それは根本的に、宗教の問題であるよりも 政治の問題である。 ……カトリックもしくはナショナリストの責任 ではなく、また全面的にプロテスタントとユニオ ニストの責任でもない。だが、後者の極端な一派 の側に、責任があるに違いない。アイルランドの プロテスタント政治の下に横たわっている真の政 治的事実は、アイルランドに住むアイルランド人 にとっても、理解するのが難しい。そしてこの事 実は、折り合いをつけたいと望む英国とアイルラ ンド両者によるいかなる試みをも、つねに妨害し 斥けてきた。そのような事実が現に存在し、そし てその事実の周りに、自国にたいする憎しみが執 拗で破壊的で説明不可能なものであるという人々 の団体が、存在しているのである。 ……自 がそのなかに生まれた人々、そのなか で平和に暮らしてきた人々にたいする、この活発 な憎しみ、この盲目、この哀れみの欠如というも のは、英国への忠誠心なるものが不可避的に含ん でしまうものではない。というのも、彼らはこれ までわれわれの間で平和に暮らしてきたのだか ら。それは、特権にたいする思いと、権力にたい する欲望のせいであると言ってよいだろう。(pp. 102-04) ようするに、アイルランドにおけるカトリック差別 は、プロテスタント・アセンダンシーの既得権保守 が最大の原因である、と言明している。ここにはも はや英国にたいする憎しみはない。論 はさらに人 間一般の貪欲におよぶ。哲学的な 察もまた、前三 作に共通する特徴と言える。 ところで、スティーヴンズの記録のなかでもっと も興味深いのは、住民たちの反応である。蜂起の指 導者たちは、いまでこそ 国の英雄と称えられるが (もっともその称賛はリヴィジョニストの歴 観に よってある程度是正されてはいる)、蜂起当初はむ しろ、平和な民衆にとっての敵であったことがうか がわれる。たとえば、蜂起軍がバリケードとして用 いていたトラックを、その持ち主が運び去ろうとし た際、銃を持った数人が現れて彼を射殺する。ス ティーヴンズとともにこの死骸を抱き起こした街の 男は、彼らに向かって罵声を浴びせる。「その瞬間、 義勇兵たちは憎しみの的となった」(p.18)。またバ ゴット・ストリートに住むある婦人は、一晩中起き て、隣人たちとともに、通りに並んでいる英国兵た ちにお茶とパンを与えた(p.27)。多くの女たちは義
勇兵に反感を抱いた。「どいつもこいつも撃ち殺され ちまえばいいんだ」(p.36)というのが彼女らの意見 であった。蜂起軍の敷いた戒厳令ゆえに、街の人々 にとっては、情報のみならず食料の供給もままなら なくなり、とりわけ 者にとってはつらい一週間と なった。 だが、終結後即刻裁判・銃殺刑に処せられたゆえ に、彼らは英雄となる。またしても英国の失策であ り、またひとつ神話が 生することになる。処刑さ れた指導者たちを語るスティーヴンズの口調は、 イェイツの詩「1916年の復活祭」(“Easter 1916,” September 25, 1916)に見られるそれと非常に近い。 わたしの知っている指導者たちは、偉大な男た ちでもなければ華々しい男たちでもなかった。つ まり、思想家である以上に学者であったし、行動 の人である以上に思想家であった。だから、高み と呼べる域にまで達する力量などなかったと思う し、国民としての栄誉といったものを、切望した とも えられない。(p.89) イェイツのほうは彼らをつぎのように歌っている。 この男は学 を経営し、 翼ある天馬に跨がったこともあった。 彼の友人で後援者であったもう一人は、 彼の強力な支えになった。 このひとは感受性豊かで、 大胆で優しい思想の持ち主のようだったの で、 最後には名声を得られただろうに。 またこの別の男は、飲んべえで、 見栄っ張りの無骨者と私は思っていた。 今も私が心に思っている人たちに対して 彼はひどい仕打ちをしたことがあったが、 彼のこともこの歌の中に数えあげよう。 けれどもイェイツは、スタンザの最後にこう付け加 える。 彼もまた、自 の番がめぐってきて変わった、 完全に変身をとげたのだ。 恐ろしい美が生まれたのだ 。 「恐ろしい美」は、彼らの死によって完成される。 したがって、彼らの物語は容易にキリストの死と復 活の物語に結びつくことだろう。スティーヴンズが 蜂起を終始“insurrection”という語で表したのは、 もちろん処女詩集『反乱』(Insurrections)との連続 性も踏まえてはいただろうが、“rebellion”や“rising” 以上に、「復活」“resurrection”を連想させるからで ある。死して英雄となることのほうがアイルランド の神話には相応しい。スティーヴンズはまたつぎの ようにも語る。 人々は言う、「もちろん、連中は打ち負かされる ことだろう。」この意見はほとんど疑問文に等し い。そしてさらにつぎのように言う、「でもなかな か立派な闘いぶりじゃないか。」というのも、アイ ルランドにおいて、打ち負かされることはたいし た問題ではないが、闘わないことは問題だからで ある。「やつらはつねに闘いに出向き、そしていつ も敗北する。」実際、アイルランド民族の歴 はこ の一句に要約されるものである。(pp.39-40) 当初この蜂起は、多くの新聞で批判を浴びた。け れども世論はたちまち劇的な変化を遂げる。14人の 指導者が裁判にかけられ、日に 2人以上が処刑され、 なかでも重症を負って立ち上がれないジェイムズ・ コノリーが、椅子に縛り付けられて銃殺されたとい うニュースは、英国への反感をいっそう強めること となった。反乱者たちは殉教者となり、やがては「半 神たち」の姿を取ることだろう。古代の登場人物を 用いてイマジネーションを拡大させてきた作家は、 現代の神話が 生する場面を目の当たりにしたの だ。もはや旧来のリアリズムでは 作できなくなっ た理由が、おそらくここにある。 リアリズムを超えたリアリズムは、それによって モダニストたちが、共通に見据えた同時代の混沌を 描く術策であった。前世紀末までに主張されてきた
芸術の至上性はもはや語り得ぬものとなり、形式こ そ内容を生み出すものであることは自明となった。 描かれるべき現実世界の火急な変化ゆえに、リアリ ズムが基調となる「小説」という物語形式の、限界 が試された時代である。そしてアイルランドの作家 はだれよりも先に、描かれるべき現実のほうが、小 説形式の限界を超え出ているという事実に直面す る。この意味で、近年第三世界出身の作家たちに よって育まれた「マジック・リアリズム」は、ジョ イスらアイルランドの作家によって原型が示された と言ってよい。だが、歴 的現実の重みに耐えかね た芸術家たちは、多くの場合政治的闘争から身を引 かなければ 作を続けられない。ジョイスの亡命は、 闘争における遠隔射撃である以上に、言語そのもの の革命への没頭である。あえて「言語を書くこと」 を選び取る姿勢は、ときにモダニストの非政治性と 錯誤されるが、アイルランドの作家についてはあて はまらない。スティーヴンズはゲール語の習得や神 話 ・伝説の蘇生に向かい、ジョイスは 新たな言 語」の 造に向かった。この点ではおそらく、ス ティーヴンズのほうが「行動の人」であった。ある いは、ジョイス以上に「言語」に没入した作家はい なかった。 スティーヴンズの『黄金の甕』について、ジョイ スはエリオット・ポールにつぎのように語ったと伝 えられる。 悪くはないよ。しかし書かれていないんだ。どう してだれもそれができないのか からない 。 「書かれていない」(it isnt written)とはどういうこ とか。そして、「だれもそれができない」(anybody couldn t do that)という「それ」とは何か。ジョイ スにはおそらく、「それ」を行う自信、それを「書か れたもの」にできる自信があったに違いない。 アイリッシュ=ケルトの文化と、ヨーロッパ人の 文化的アイデンティティ、精神的支柱であるギリシ ア神話との接合もしくは新奇な短絡が、『黄金の甕』 の特質である点は先に述べた。だがジョイスにとっ ては、スティーヴンズの実験はまだ物足りないもの であった。とはいえ『ユリシーズ』が「それ」を行っ た作品とは見なせない。エリオット・ポールとの関 係は 1927年、サミュエル・ロスによるアメリカの雑 誌『トゥー・ワールズ・マンスリー』における『ユ リシーズ』無断掲載を巡って始まったものであるか ら、この発言の時点でジョイスはすでに、『フィネガ ンズ・ウェイク』に着手していた。「だれも」まだ「そ れ」を行ってはいなかったのである。 『フィネガンズ・ウェイク』の完成を危ぶんだジョ イスは、スティーヴンズに委ねる計画をまずシル ヴィア・ビーチに語る。 彼は詩人で、ダブリン生まれです。もちろんぼく のように時間をかけたり、苦労したりはしないで しょうが、その方が彼のためにもぼくのためにも、 そしておそらく本自体のためにもいいでしょう。 もしぼくが不可欠のことと える三つ四つのこと を守ってくれ、ぼくが筋道を示せば、彼はその意 匠を完成できると思います 。 その後 1933年 11月に、ジョイスは一週間をかけて スティーヴンズに『フィネガンズ・ウェイク』全体 の構想を説明し、スティーヴンズは、万一の場合に 限って、残りの第二部と第四部の完成に全身全霊を 傾けると約束した 。 『フィネガンズ・ウェイク』の進行がいかに困難 を極めていたかがうかがわれるが、同時にここで は、スティーヴンズへの期待が、ジョイスほど「時 間をかけたり、苦労したりはしない」であろうとい う予測を含んでいることにも注意せねばならない。 かつてスティーヴンズは、「散文作家にとっては、 描かれる素材がまったくもって重要な関心事であ る」と述べた。彼の発見した素材はおそらく、ジョ イスにとっても新しいなにものかであったろう。ス ティーヴンズが『黄金の甕』において発見した「そ れ」は、しかしながらジョイスから見れば、さほど 時間も苦労も費やされずに、したがって「書かれて いない」という憾みを残しながら、小説形式に仕上 げられたものであった。いまや『フィネガンズ・ウェ イク』を手掛けているジョイスにとって、このかつ
てだれも「書いた」ことのない幻想小説に、もし完 成のための共同執筆者が可能であったとすれば、そ れはジェイムズ・スティーヴンズをおいてほかにい なかった。新たな「素材」の発見者としては、彼の 名を連ねることに異論のないジョイスではなかった か。そして、一週間にわたって作者自身による『フィ ネガンズ・ウェイク』論を聴き、理解する機会を得 た人間も、彼をおいてほかには存在していない。 『フィネガンズ・ウェイク』の理解にとってスティー ヴンズの作品が果たす役割は決して小さくないだろ うし、同時に、スティーヴンズの理解にとっても、 『フィネガンズ・ウェイク』読解は不可欠の作業と 思われる。 1) リチャード・エルマン『ジェイムズ・ジョイス伝』宮田 恭子訳、みす ず 書 房 1996年、p.383。Richard Ellmann, James Joyce: New and Revised Edition, New York : Oxford University Press, 1982, pp.333-34.
2) Stuart Gilbert ed., Letters of James Joyce, London : Faber and Faber, 1957, p.253.
3) Enya, Shepherd Moons (Warner Music UK Ltd., 1991) 所収。
4) Roddy Doyle, The Woman Who Walked Into Doors, 1996. 邦訳『ポーラ ドアを開けた女』実川元子訳、キネ マ旬報社 1998。
5) James Stephens,The Charwoman s Daughter,Wickford, RI : North Books, 1998.
6) ブルーノ『無限、宇宙および諸世界について』清水純一 訳、岩波文庫 1982年、p.14。
7) ジェイムズ・スティーヴンズ『小人たちの黄金』横山貞 子訳、晶文社 1983年。James Stephens,The Crock of Gold,
Mineola, NY : Dover, 1997, pp.43-44. 8) The Crock of Gold, pp.51-52.
9 ) James Stephens, The Demi-Gods, London : Macmillan, 1926, p.69.
10) Ibid., p.169.
11) The Crock of Gold, p.81. 12) Ibid., p.76.
13) Hilary Pyle, James Stephens : His Work and an Account of his Life, London, 1965; in James Stephens, The Crock of Gold, in John Cronin, The Anglo-Irish Novel, Vol. II, Belfast: Appletree Press, 1990, pp.53-54. 14) Ibid., pp.49-50.
15) 野外学 については J. R. R. Adams, Swine-Tax and Eat-Him-All-Magee: The Hedge School and Popular Edu-cation, in J.S.Donnelly Jr.and Kerby A.Miller ed.,Irish Popular Culture (Irish Academy Press, 1998) に詳しい。 また中央英米文学会編『読み解かれる異文化』( 柏社 1999)所収の拙著「カールトンのアイルランド カトリッ ク農民の肖像」pp.378-80も参照のこと。 16) 中沢新一・鶴岡真弓・月川和雄著『ケルトの宗教ドルイ ディズム』岩波書店 1997年、pp.339-40。 17) 前掲書 pp.54-55。なお、この記述は Piggott, S., The Druids, Thames and Hudson, 1993, p.124によるとの注記 がある。
18) 中沢・鶴岡・月川 p.68。 19) The Demi-Gods.
20) James Stephens, The Insurrection in Dublin, Gerrards Cross: Colin Smythe, 1992.
21) Timothy Webb ed., W. B. Yeats : Selected Poems, Penguin Books, 2000, pp.119-20
22) エルマン p.727。Ellmann, p.591. 23) エルマン p.727。Ellmann, pp.591-92. 24) エルマン p.758。Ellmann, p.619.