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女性たち・留学生たちの学都仙台

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Academic year: 2021

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女性たち・留学生たちの学都仙台

著者

永田 英明

雑誌名

東北文化研究室紀要

55

ページ

58-58

発行年

2014-03-28

URL

http://hdl.handle.net/10097/00121736

(2)

(講演要旨)

女性たち・留学生たちの学都仙台

東北大学史料館 永 田 英 明 1913年8月、黒田チカ・牧田らく・丹下ウメの3人の女性が東北帝国大学理科大学に入学した。 彼女たちは当時すでに東京女子高等師範学校や日本女子大学等で化学や数学の教員をつとめてい たが、女性が正規の学生として大学に入学するのは初めてのことであり、それはその後の我が国 女性の大学教育の先例として歴史的にも少なからぬ影響を与えた。 女性を入学させるという東北帝国大学の方針は、明治政府が国家的エリートの育成を目的に構 築した「帝国大学」の制度とは本来相容れないものであり、「帝国大学らしからぬ」決断であっ た。それが実現した背景には、女性の大学進学を社会の近代化の中で「避けられない」ものとす る澤柳政太郎初代総長の大学観と、女性教員のキャリアアップにより「女子高等教育機関」とし ての質の向上を図らんとする彼女たちの母校(勤務校)側の思惑が、新設帝大としての人材確保 策として旧制高校出身者以外にも「門戸開放」をおこなう東北帝大側の事情に呼応する形で実現 したものであり、草創期東北帝国大学のオートノミーの反映でもある。 1913年の入学はある意味実験的な試みであったが、1920年代以降、法文学部の設置ともあいまっ て継続的に女子学生が入学するようになり、法文学部を中心とした女子学生たちの親睦組織など も結成される。出身地域は関東を中心に全国に広がり、女性たちにとって仙台は東京・関西の女 子高等教育機関を卒えたあとに向かう「学都」であった。もっとも当時の女子学生の一人が上記 親睦会の他の会員たちに向けて執筆した文章には、女性が大学に学ぶことは「特別な女性」に許 された特権ではなく男性同様の一般的な権利であり、女性としての幸福を何ら制約するものでは ない。そのことをもっとはっきりさせるべきではないか、という主張がみられる。東北帝大で彼 女たちが直面したジレンマの一端をうかがうことができる。 また、東北帝大に学んだ女性たちの中には、朝鮮や中国の高等教育機関から直接に入学する女 性が少なからず存在した。これもまた東北帝大の「門戸開放」の一環であったが、とりわけ朝鮮 人女性にとっては、朝鮮半島内の「大学」(京城帝国大学)への進学が事実上閉ざされており、 東北帝大への進学は彼女たちが「大学」教育を受けるための数少ない選択肢であった。日本国内 の帝大へのこうした「留学経験」が彼女たちにとってどんな意味を持ったのかも、今後検証して いく必要があろう。 -58-

参照

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