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日蓮聖人における「謗法」の語義について (第四十六回 日蓮宗教学研究発表大会要旨)

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Academic year: 2021

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全文

(1)

実践する当の主体には、時として迫害を蒙り、愛する肉 親の死を目のあたりにし、また自己自身の死後の在り方 に不安を覚えるという生身の人間としての現実は、依然 として残されるのである。こうした現実に如何に対処す べきなのか、またこうした現実に対しては如何なる救済 が与えられているのか。このような問題に、聖人は霊山 浄土への往詣という解答を与えていったものと考えられ る。聖人にあって霊山浄土が、法華信仰を守り、妙法五 字の受持を実践し通した者が死後に仏として安らぎを得 る場、或いは死後に再会を果たし得る場として位置づけ られる所以である︵なお、こうした位置付けの背後には、 佐渡流罪期にまさに﹁死者﹂として霊山浄土に参入し得 たという聖人自身の体験があったとはいえまいか。また、 こうした体験が、一方では﹁大曼陀羅﹂の図顕という形 で表出されていくのではないか︶。 このように聖人にあっては、即身成仏ではカヴァーし きれない救済の問題が、霊山往詣により補完されている という構造を見いだすことができるのである。もっとも、 このことは、今生きている現実世界からの逃避を意味す るものではあり得ない。聖人にあっては、死後の霊山浄 土に救済の完成の場を設けることは、却って今この現在 における妙法五字の受持を徹底せしめるという役割をも 果すことにもなるのである。というのも、聖人にとって 霊山浄土とは、妙法五字の受持という実践を貫き通した 者のみが参入を許される浄土に他ならないからである。 日蓮聖人が﹁誇法﹂の語義を端的に示した遺文とし て﹃顕誇法妙﹄と﹃下山御消息﹄の記述が注目される。 ﹃顕誇法妙﹄では﹁誇法の相貌如何。答テ云ク、天台智

①I

者大師の梵網経の疏二云ク誇トハ背也等卜一芸。法に

②l

背クが誇法にてはあるか。天親の仏性論二云ク若憎 背スルハ等卜云云。この文の心は正法を人に捨てさするが 誇法にてあるなり。﹂とある。いつぽう﹃下山御消息﹄ には、法華経方便品の﹁正直捨方便﹂の経文解釈の中 ① ある。そこで傍線部分の引用文の典拠を求めながら、 で

日蓮聖人における

﹁誇法﹂の語義について

捨トハ天台ノ云ク廃也 ・又云ク誇トハ背也。﹂と 閑文の典拠を求めながら、聖

原愼定

(I")

(2)

人における﹁誇法﹂の語義を再検討したい。 ①の典拠は、天台﹃菩薩戒義疏﹄の十重禁戒の﹁第十 誇三宝戒﹂の解釈中、﹁誇是乖背之名﹂︵正蔵四○’五 七四︶という文である。﹁背﹂という漢字には﹁せなか を向けて離れさる﹂﹁見捨てる﹂などの意味があり、 対義語として﹁向﹂﹁従﹂がある。聖人遺文には﹁背﹂ ﹁違背﹂という語が多く見られ、﹁法華経に背く﹂﹁仏 意に背く﹂という意味でしばしば用いられる。つまり聖 人にとって﹁誇法﹂とは、法華経・仏意に背をむけると いう意味であったと理解できるのである。 ②の典拠は、天親の﹃仏性論﹄における﹁若憎背大乗 者、此是一間提因。為令衆生捨此法故﹂︵正蔵三一’七 八八︶の文である。聖人はこれを﹃守謹国家塗の中で、 法然の﹁誇法﹂の証文として引用し、﹃選択集﹄が法華 経を﹁閣拠﹂している事態は﹃仏性論﹄の﹁憎背﹂の二 字に符合すると主張している。 ③の典拠は、天台﹃法華玄義﹄序王の蓮華の三警中、 ﹁華落蓮成﹂を﹁廃権立実﹂の警嚥とみる解釈で、方便 品の﹁正直捨方便﹂の﹁捨﹂を、天台は﹁廃権立実﹂の ﹁廃﹂と同義に捉え、それを妙楽は﹁捨ハ是レ廃之別名﹂ ︵天全一’四二︶と扶釈している。つまり﹁廃﹂とは、 法華経の開顕思想の立場から方便権教を﹁廃﹂すること であると理解できる。 以上のように引用文の典拠を確認してくるとき、聖人 における﹁誇法﹂とは一般論として法を誇ることではな く、法華経Ⅱ仏意に背を向けることであったと理解でき る。すなわち仏法を誹誇する行為がなくても、教主釈尊 の御意に随順する姿勢を示さない限りは﹁背﹂となる。 換言すれば﹁誇法﹂とは﹁随うか背くか﹂という相対す る二者択一の問題であり、法華経の教説に積極的に随順 しない限りは﹁誇法﹂となるのである。また﹃仏性論﹄ の﹁若僧背﹂の文に象徴されるように、﹁誇法﹂は一個 人の問題にとどまらず、たえず﹁悪知識﹂の存在と関わ らねばならないのである。 なお﹃下山御消息﹄では﹁捨とは廃なり﹂と﹁誇とは 背なり﹂の両文が対になっており、前者の﹁捨﹂とは法 華経の開顕思想の立場から方便権経を捨てることである から廃権の﹁廃﹂であり、後者の﹁誇﹂とは方便権経の 立場から法華経を誇ることで仏意に対する﹁背﹂となる。 廃権の﹁廃﹂と違背の﹁背﹂とは正反対の意味であるが、 音通であることから列記されたものと考えられるのであ る。 (I99)

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