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街の歴史 (ベトナム歩道 第6回)

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Academic year: 2021

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街の歴史 (ベトナム歩道 第6回)

著者

寺本 実

権利

Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization

(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp

雑誌名

アジ研ワールド・トレンド

236

ページ

42-42

発行年

2015-05

出版者

日本貿易振興機構アジア経済研究所

URL

http://hdl.handle.net/2344/00003215

(2)

 連載

寺本 実

アジ研ワールド・トレンド No.236(2015. 6)  

42

第6回 街の歴史

  二〇一四年八月、ベトナム南部のメコンデル タ地域の調査に出る前の日のこと。歯磨き粉な ど調査行に使う生活用品を調達するために少し 外出した。それまで仕事場との往復が主で、自 宅周辺を歩く機会はほとんどなかった。   ホーチミン市三区内の拙宅を出て左に折れ、 リー・ターイ・トー通りに向かって一方通行の グエン・ディン・チィェウ通りをカクマンタン ターム(八月革命)通りの方向に歩いてみる。 額に汗が浮かび、すぐにシャツが湿り出す。衣 料品店、アパート、各種料理屋、靴屋などが並 ぶ区域を抜けて交通量の多いカクマンタンター ム通りの辺りまで来ると、右手に座禅を組む大 き な 僧 の 像 が あ っ た。 像 の 背 後 に は 炎 が 燃 え 盛っているようにみえる。何だろうと思い、通 りを横切って、公園区画に入ってみると、入口 部分に碑文が刻まれていた。   宗教的差別、仏教弾圧を行う南ベトナム政府 のゴー・ディン・ジエム政権(当時)に対し、 仏教弾圧、テロを止めるよう要求し、僧侶クア ン・ドゥック(俗名ラム・ヴァン・トゥック、 一八九七~一九六三年)が、一九六三年六月一 一日にファン・ディン・フン通りとレー・ヴァ ン・ ズ エ ッ ト 通 り( 現 在 の グ エ ン・ デ ィ ン・ チィェウ通りとカクマンタンターム通り)の十 字路で焼身を遂げた。同僧の行いは国内外の世 論を喚起し、反ジエム政権闘争の推進に貢献し た。仏教、平和、民族独立、祖国統一のために 同僧が払った犠牲、功績と徳行に対する恩に報 いるため、ホーチミン市が像を建立したとある。 振り返ると、カクマンタンターム通りを挟んだ 対面の十字路角にも、同僧を弔う塔が建てられ ていた。   筆者は、事件の概要についてかつて学んでは いたものの、現場が自身の住む区域の傍にある ことをこの時初めて知った。   カクマンタンターム通りを渡り、さらにグエ ン・ディン・チィェウ通りを進む。仏教書籍の 店、おもちゃ屋など、各種店舗が並ぶエリアを 少し歩くと、多くの人が集まる所に出た。右手 方向と左手方向とでは、やや趣が異なってみえ る。右手方向にある小道にまず入ってみると、 小道の両側にブーン(餅米麺)やミー(小麦粉 麺)などの麺料理、ベトナムスイーツの代名詞 チ ェ ー や パ パ イ ヤ、 マ ン ゴ ー、 ス イ カ な ど の カットフルーツ、焼き菓子など、さまざまな商 品を販売する人達や買い物客で賑わっていた。 ま た、 小 道 沿 い に は ヴ ォ ン チ ュ オ イ( バ ナ ナ 園)市場があった。   店が途切れる辺りまで小道を歩いて引き返し、 次は、リー・ターイ・トー通りに向かって左手 側のエリアに向かう。入口角の店にはバナナ屋 さんがあり、メコンデルタやダラット産のバナ ナを売っていた。通り沿いにある万屋に入り、 歯磨き粉を購入する。椰子の実でも飲もうと歩 き続けていると、グエン・ディン・チィェウ通 りから、ヴォー・ヴァン・タン通りに抜けよう という辺りで、周囲の建物と雰囲気の異なる硬 質な建物があった。隣にある黄色地に赤字の看 板を据えた喫茶店とは対照的な趣である。   建物内に首を入れてなかを覗いてみると、若 いベトナム人女性が立っている。先客(欧米の 中年夫婦)がいるようだ。自分も入っていいか を確認してなかに入ってみた。基本的に二階建 ての同建物内には天井裏、床下にも使用スペー スがあった。二階に上がってみた後、下に降り て床下の隠し蓋をずらし、階段を数段降りると、 AK銃、短銃、ロケット弾、手榴弾、弾丸など が多数並び、積まれていた。   一九六八年の旧正月(テト)に南ベトナム全 土で展開されたテト攻勢の際、南ベトナム政府 の中枢である独立宮殿を攻撃するため、果物カ ゴの下に隠すなど、さまざまな方途により密か に武器がこの地下室に運び込まれた。攻勢決行 を前にして、カンボジアの隣に位置するタイニ ン省で訓練を積んだ一五人の兵士がこの場に集 まった。武器を手にした兵士達は事前の計画に 基づいて独立宮殿に対する攻撃を行ったものの、 反撃を受け、援軍もなく、生き残った兵士も捕 縛されてしまった。   しかし、テト攻勢は南ベトナム政府を支援す るアメリカ政府、そしてアメリカ国民に心理的 な動揺を与え、その後のベトナム戦争の情勢に ボディブローのような影響を与えることになる。   ベトナム戦争の時代、北緯一七度線以北は米 軍による空爆に晒され、以南は解放勢力・北ベ トナム軍と南ベトナム軍・米軍が、直接矛を交 える地域であった。   予期せぬ形で自身が暮らす街の歴史の一端に 接した筆者は、数年前に実施したベトナム中部、 北緯一七度線以南に位置するクアンチ省での調 査の際、父親が兵に殺害された現場の家で今も なお暮らす女性に、そのご自宅でお会いしたこ とを思い出した。お話をうかがっている最中に そのことに自ら触れた女性は、こらえようと揺 れる瞼から涙を 零 こぼ した。   二〇一五年四月三〇日、ベトナムはベトナム 戦争後四〇周年を迎えた。戦争のない平和な時 代となり、着実に経済発展を遂げる現在のベト ナムも、かつて戦争、紛争の地であった。 ( て ら も と   み の る / ア ジ ア 経 済 研 究 所   前 ベ トナム海外研究員)

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