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水・土・と農業: 沖縄地域学リポジトリ

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Title

水・土・と農業

Author(s)

大井, 浩太郎

Citation

沖大経済論叢 = OKIDAI KEIZAI RONSO, 5(1): 63-122

Issue Date

1981-02-28

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/6704

(2)

・、土

と 農 業

1. 沖縄 の水 2.水 と農業 3.士 と農業

浩 太郎

I

.

沖 縄 の水

沖縄 の人 々は、古来水の民で あ った。彼等 は水を神聖な もの として信仰 し、 人事の吉凶をすべ て、水の信仰 によ って解 決 しよ うと した。事実 この国の水は 神 の依代であった。 ニ ライカナイか ら来訪 して、豊穣 を もた らして くれ るニラ イ カナイの大主は、水を依代 と して来訪 して きた し、 オポッカグ ラの天上神 も 水に浴 しては じめて神霊性を発揮 した らしい。新 しい年が くると常世 の国か ら 流れつ き且 つ ニライの里か ら湧き出る産井の水で若返 ろうと したO また島の人 々は積 れが あれば、 水鰍 こよ って 烹ラ ようとした。硬 ぐことによって神女 たち は神霊 な餐格を得ていた し

且 つ神女 なる素質をそなえた女性は、すべて疎 ぐ ことによって産れ変 る方法を知 って いた。 されば こそ浦 々の水 は貢テ京 といわ おちみす れ る所以があったのである。正 月の若水は常 世の変若水であ った。三 月になる と海辺の潮 に浴 して,竜宮の神 の神助をそ うともした。 しか しニ ライ (竜宮 ) の神は容易に心安 く近す くこ とので きない霊 なる神であって、か くり身のま ゝ、 水を依代 に してや って きたのだ。 だか ら俗 人が接近 して無礼な こと (ケガ レ) をすれば、忽 ち変 じて凶悪 な神 とな った。 それで も島の人 々にとっては どこま ゆ ) で も有難 い豊穣の神であったO この重積 の神がたまたま雨の神 ともな って農村

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を うるお し

且つ苦 しめ、 日照 りの神 ともな って雨乞を要求 したのである。島 々で こそ表現が変れ、水の神 は どこまで も人 々の味方であり、吉凶禍福はすべ て水 の神 の しわざであ ったに達 いなか った。 五 月になると稲穂祭 とい って、新 穀 を豊か に賜 わったゆ うの神に祈命を捧 げて感謝の祭 りを怠 らなか った. それ で はなぜ にゆ うの神 の もた ら しものである生命 の糧 を、祖霊に捧げねばな らな か ったか。 ゆ うの神はまた祖霊 に も転置可能であ った。七 月になるとお盆の予 祝 行事 に七 夕の水が祖霊 に捧げ られ、 とこよの国で祖先に若返 って もらったの だ。 こ うして七夕の水は どこまで も常世の変若水であ ったことに相違なか った。 島の人々は産 まれて産井 の水で言テた し、死んでは産水を使 うことによって (逆水 とい う )とこよの国に神 として生 まれ変 ったのである。 だか ら島の生死 は隣 り合わせ たよ うな もので ありなが ら、なおたやす く話 し合 う程の間柄 にな か ったとい うのが事実だ った0- 月一 日、三 月三 日、 九月五 日、七 月七 日、九 月九 日の折 目に先行 して、 ミソギ、 - ライの物雇が行なわれるのは、やは りミ ソギがやがて降臨 し来る神を迎 えるための、 キ ヨメの行事であ った し、- ライ は また ミソギ した身体や祭場 にただよ う横れを掃い清め る呪法であった。 わざ レ、み わ ざ-、三、五、七、九の奇数 を尊重す る風は、神祭 日の忌服 に関係があった のだ。 またこの生命を若返 らせ る貢テ 京の思想は、特 に稲作の行事に強 く意藷 されて いた。 水 口祭 にこ ライの神、山の神、田の神 への祈願を忘れなか ったの は、何 よりの証拠で あろ う。 に もかかわ らず この水 口祭 りが山原の谷あいの村 里 にのみ残 ったのは どうして だろ うか。貢租が はげ しく取立て られ るよ うにな ると、稲作 も谷頭 に溜池をつ くって、山あいの零細 な地を も田ばに しなければ な らなか った。 潜池は谷 口の方の側を士姥で仕切 って、その上部に湛水す るも のであり、水の出口は谷 底 に設 け られた。従 って落水で きるのは谷底に続 く低 地 のみであ って、高いところにあげ ることは勿論で きない。結局 その効果は渇 水期の補充で しかな く、谷の出口の水不足地帯 の多少の耕地拡大 と、その安定 化 であ ったことはよ くわか る。 に もかかわ らず この程慶 の技術の改良にともな う生産 力の拡大 も、村持層の収奪量 の増大を可能 にす ること以外 の何 もので も なか った。従 って水の信仰 によって収穫を可能 に しよ うとす る人 々にとっては、 水 口祭 にニ ライ神や田神、山神をひ とまとめに して紀 る方法を講 じねはならな

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-64-か った。 だ-64-か らニ ライの神 は時 には豊穣 の神 にな り、 田の神 ともな って、祭 り の祈願が終 ると、やがて田の神は山の神 と して住 居に帰 られ

且つ昇天 して、 天上神 となって は、 しば しの間天上 に住居す るとい うのである。 圧個 の少ない 島尻や中頭の島 々に、水 口祭が少なか ったのはそ こに測源があ った。「尚敬王二 十二年 (1734年 )平安座島の母娘 は向 う岸 の屋 ケ名の里に稲刈 りに徒歩で でかけた。刈 り終えて稲束を持 った母娘 は、潮の干 いて いる間 に急 ぎ帰 ろ うと 後 にな り.先 にな り津洲を見つけて いそ ぎつつ あ った. 折 しも風雨が しきりに 至 り、海水はにごり忽 ち途を失 ない、 まごま ご している間に、潮 は大 いに蘇 り、 速 い流れに母娘 は押 し流 され、 まず母親 は深みにはまっておぼれ死んだ。娘は 母親の側か らしだいに流 され、 もう姿 も見 えな くな って しま った。 それで も娘 は頭上に運んでいた稲束 に しがみつ きなが ら、矢 のように速 い潮 の流れ のまに まに流れ流れて浜島に漂着 した。 」島の人 々は時化 のたび ごとにある漂流人を みつけて、かけよ ってきた。 人 々が娘 にわけを問 うと、娘 は 「妾が流 されてい ると、何人であ るか知 らないが.荒れ狂 う水 中に人が現われ、 わが手を とって 島まで送 って くれ たが、その人は浜 まで着 くと忽然 と して見 えな くな った

。」

と、ニ ライか らの うしおの神 はそんな もので あった。 (球陽 )糸満邑のハ- リ ー とい う海神祭 もうしおの神をたかべ る祭であ った。 実際 に糸満の漁夫 たちの 生活は、 山育ちの ものには想像 もつかない程 さび しい ものであ った

「板子一 さばに 枚下は地獄 」とい う小舟の生活の中に も彼等 には大 きな夢があ った。 それは-ー リ-の説 話の中によ く現 われている. あ る日島の船頭が網子を集 めて酒 もり を した

「一番 この世 の中で うまい ものは何か 」と問 うた。網子 たちはいろい ろと うまい ものをな らべたて た。 そのとき一人が 「それ は塩 だ」 と思いが けな い ことを言 いだ した。余 りの意外 に船頭 は 「人を こ馬鹿 にす るな 」と怒 な った。 そ してその人を東 の遠い浦 に追放 した。そ の後 糸満の里 に梅雨期 がきた。 糸満 の雨は 「三 月長 雨」とい って、 雨が三 ケ月 も続 くことが あ った。 その年 も大へ んな長雨であった。食物 も塩 もな くな った。 そんな とき船頭の家の屋根か ら雨 もりが して,それが食物の上へおちた。 それを食 べ た ら塩気があ って大へんお い しか った。 そ こで漁頭は 「塩が一番 おい しい」とい った人を大へん賢い人だ と思い.その追放 した人を迎えに行 くことに した。 その時今の-ー リーのよう

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な船を仕立て たので ある。 ところがその賢い人は も う二度 とふたたび帰 らぬ と いい張 る。 それを無理 に舟 にのせて帰 った ら、途中で海に飛 びこんだ。人 々は 大麻 ぎで探 したが、 もう姿 も形 も見 えな くな った。 -ー リ-の転覆薪争のてん や わんやは、その時の蚤 ぎを あらわす とい う。 そ して辛 い人をな くした悲 しさ を、将来 あんな賢い人にな って ほ しい と思 うが故 に、子供の成長 に託 して五 月 四 日に子供 に玩具を買 ってや るな らわ しにな った と伝 え る。つま り-- リーは 案外生 えぬきの民俗行事で ある。 海神祭か ら考 えついた ものであろうと思 う。 それだけに うしおの神は人 々に聖な る資格を与 えて くれ る神であっただろう。 明治 の中期 ごろか ら、糸満の漁業 も資本主義経済 の影 響を うけた。 そんなとき ヤとhと 雇子 とい う制度が生れた。 雇子 とい うのは年季奉 公の男女の青少年である。男 の子 は漁夫た る訓練を うけて、あ るいは主 人と共に出稼 ぎを して犠牲的活動を す る。 この雇子 は多 くは山原の貧農 の子 たちであ るか ら、いわゆる人身売買を や った。 陸の ものを海の ものにす る訓練は並大抵 の ものではなか った

「少年 を剖舟 に乗せて沖の方へ行 くと、胴体を麻縄で しは って海底 に もぐらせ る。少 年が呼吸が苦 しくな って顔 を出す と、船主はかい で頭を押 えて 「もっと潮水を 飲 んで こい、そんな ことで一人前の漁夫 になれ るか

」とい って、また海底に 突 っこむ。 それが馴れて くると、三分か ら五分 の間海底 に潜 っておれる し、こ うして一人前 の逆夫 にな るのだ。彼等は荒海に到舟を転覆 させては、立泳 ぎを しなが らそれを起 し、飛 鳥の如き早業で、舟 に乗 り移 る芸当 もで きる。 まさに 彼等は海を畳 の上 と同 じよ うに心得て い る。荒海で命を まとに働 き とお した人 々が、入 江 に姿をあ らわす と、手振足振 り、女 も子供 も興有の渦をま く。 これ が また三号了 の神 に助け られ る糸満の人 々の生活で ある。琉球国由来記による と、 沖縄で は毎年十二 月には、王府か ら国頭の辺土 の御水を とりにい く。 この 水で除夜 に御火鉢 を きよめ る儀式 があ り、 また この御水で、除夜に国王が額を 漁 で る。 その祝詞 は、 「み御果報 あるや うに御守 り召 しよわちへ御給召 しよわ れ 」とあ り、.この辺 土はすなわち、 ニ ライ カナイの君実物 (ニ ライの大王 )海 の彼方の遠来神が上陸なさったとい う場所である. つ まり国王は一年 に二回 シ デ水を使 って魂の切 り換えを した。 この聖水 で撫でることを 「うび一撫で」と いい, これは思いなでの意で、若水を額 につけて、魂 の切 り換えをす るのか、

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-66-本土では御手水を使 ったあと、天皇が ひな人形 を使 って塊 の切 り換 えをす る。 何れに して も再生の儀式であることにか わ りはない。 美和志間切安 里村 の青小 軌 ま洞穴の中の泉で、いつ もきれいな真清水が こん こん と沸 き出る、聖域 であ った。洞穴の中は広 い、清水がたたえ られているがそ こに聖魚がすんでいた。 「手水の縁」 ももとは 「許 田の手水 」だけをい ったのでな く、 また 「越乗 の泉 」 も富里文子 と村娘 との愛をつ な ぎとめ る恋 の真清水であ った し、 1466年尚 徳 とい う国王が鬼界島を征伐 して泊港 に凱旋 した とき、泊壷井 の清水で、王の 足を洗 ってあげた人妻が ある。 それが泊里主宗重 の妻であ った。 久 しぶ りに受 ける其清水 の接待 に、 尚徳王は勝利の実感を深 くした。 これが縁 で夫 はすなわ ち泊地頭に抜摺 され、妻は泊大阿母 とい う神職 を賜 わったので ある。 か よ うに この島の水は生活の全体を包護 して くれ る真清水であ り、再生 の水であ ったか ほ う ぐが -ら、大里城の城主東大塁世之主は 自分の産井 を包護井 と名づ けたのである。 包蓮井 の信仰は一入郵重を きわめたO伊 良部 島佐 良浜村では、村 にただ一 つの 鮪 口井の祭 りを一年二回行ない、三 月と十二 月のみずのえとらの 日に行な う習 わ しであ る。村人たちは 「寅」の方に水 の神 (ミ トウの大神 )はおいでになる か ら、井 の神水の主は、 たまたま三 月 うる じん と十二 月 しわすの水の 月には、 この井 におで ま Lになる とい うので ある。井 の神祭 りは村 の大司二人、 中司二 人 カカ リア母 (伴司 ともい う )二人都会六人の神 人によ って行なわれる。 御供 あ少 、ば71 物 は砂糖、御神酒、洗米、塩煮 の魚、野菜のあえ もの、モヤシ、豆腐な どで肉 類は一切使 わないO井神に捧 げる線香三十三本 も、 もや しつ けてはな らないと いわれている。洗米は一升巷 も用い るが、つね とか わって多 く使 うのは、 ミク ゆク ロ世を こいねがい、食物 に不足がないように、ゆ うの神 に祈 願す るか らだとい

つ。

六人の神人たちが祈願す る祝詞 には 「出水 の如 く水を豊 か に し、村 の豊穣を助 け給 い、村を栄え させ、村 人に運を加え、生命を さ し添えて下 され 」とい うO そ の精神は こうらしい、 「井 の神は ミクロ様 と一体であ って、 この神が タカラ 世を寄せて下 さるのだ

「大世積 あや船 」が ニ ライか ら絶えず入 りくるよ うに、 そ うして粟俵 1,000俵、麦俵 1,000俵をつんで、 この村 に招かれ るよ うに して下 さい。」と念ず るらしい。 この祈願がすむ と神人 たちはい とも静粛 に、

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しず しず と帰 らねばな らぬ ともい う。西原間切我謝村 のエポ レガワの鰍 こは水 の神がおいでにな る (君が御水主が御水 のおいペ )。 エポ レガ ワは皆舌鼓津村 の舌鼓津 にや とい う者 己の畑 のただ中に泉あり。常に茅 のエボシで蔽 い、人知 れず耕転 の初 に用 いて いたo この井戸に天女降 り来 り休浴す るを舌鼓津 にや見 つ け、その飛衣 をか くし天女 と夫婦 の実を し、第二子 まで産ん だ。 ところが姉 な る児、 ど うして知 ったか、或 日弟をおぶ って遊んで いるとき、 「飛衣は稲束 の下にあ り」 と歌 った。母 これを開 き、稲束 の下か らこれを とり出 し、それを 看て一人の子を両脇 に抱 きかかえ上天 した といわれる

「この水、先年きこえ 大君がな し、毎年二、三 月御参 りされ御水撫を された。 中頃か ら御参詣な く康 無 二十九年 (1690年 )以来三年に一度御参詣有之也 (琉球国由来記 )、か よ うに神女たちは水浴 によ って聖 なる資格を得ていたのであるが 、 この水浴が ゆかわみず たまたま斎河水 とな らず、女の貞操 まで売 らねばな らぬ とい う語 り草もある。 「音大里間切帝稲国村 の ノロ容顔美廉 なるものあ り、書盛村 の城主伊茶謝按司 恋 慕 ありけれ ども、 ノロ貞女の道を守 り、密通叶 わず心焦 しける折、右 ノロ三 かが人′じがあ 日たかペ の 日に寒水井 とい う所 に行 き、神衣を洗 い、水浴 して、神衣を寒水の 辻 には した り、宮盛城は寒水に近 く、殊 に白衣 にてあ りければ、城 より明 らか に見 えた り、按司不審 に思い人を遣 わ して見せ けるに、沸稲国 ノロ神衣を洗い 干 したりといえるを、按司思え らく、かねての本望達すべ Lとて、急 ぎ寒水井 に至 りノロ女を見つけ、 日頃の恋慕 の情をのペ、若 し東諾な くは折果すペ Lと せ まりければ、 ノロその勢威 におそれて話 し、按司 とともに城に至 り、以来 ノ ロ女は己れ の不運をなげき城 に引き篭 り、殿廻 りの大役 も果せず して終 る」と、 そ の後湧稲国村では稲穂祭 りの際の殿巡 りはな くな った とい う (琉球国内来記 ) 南風原間切大名村 の井 の御願は殊の外崇厳 に行なわれ た。井 のお願 とは 「水 に感謝す る祈 願である。 この村 には五か所 の村井があるが、神人や真人 (農村 の女たち )は五か所 の井を巡 拝 して水神祭 りを行な う習わ しである。 この 日は 各 家 々か ら女一人ずつ 出て、思い思いに作 ったお重を供えて井の神に感謝 の意 を表 し、井 の周囲を清掃 し、御真人の健康 と水 の豊か さを祈 った。 この井 戸の 中 に 「トン井 」とい うのが ある。兼城村 の按司の長女を rマゴゼ-」といって 尚 円王の妃であ ったが、体が弱 く里方の持司宅で静養 しなか ら、毎 日王城 に登

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-68-城 していた。或 日王妃は登-68-城の道すが ら大名村 の殿毛で貧血をおこ し、か ごの 中で意識を失 って しま った。か ごか きの連 中は うろたえて カゴを止め、近 くに あ った殿井 の真清水 を汲んで きて、王允 に飲ませ た ところ、 たちまちに して意 識 を とりもどした。 それ以来 付近 の住民は トンガーの水をすで水 と して拝むよ うにな った。 安謝村 の薯苅子 は或 日田園か らの帰 りに、泉 に臨んで手足を洗 お うとす ると、 長 い長 い女の菱 の毛が一筋水 の上 に浮んでいる。 不思議 に思 って折 々その泉の 近 くに身を清めて窺 ううちに、終 に緯嫡 たる神女が衣服を脱 ぎかけ、樹 の枝 に かけて、水 に入 って頭髪を洗 うところを見 た。 そ こでその衣を取返 し、摸 して や ると偽 って家に伴 い帰 りにこれを要 った。後 に二男一女を産 ま しめた。 その 姉 なる女童がやや成長 して、弟の子守 りす る うちに 「泣 くな泣かぬな ら母 の飛 衣 を遣 ろ うよ」と歌 った。つづ いて 「母 の飛衣は六股 の倉 に稲束 の下 におき古 してあるか ら」と歌 った。母 の神女は これを きき、夫の留守を待 ってその衣を 摸 し出 し、恩愛の秤をたち切 って 忽ち天界 に飛 び帰 った (球陽 )0 人に聖なる資格を付与す る常世の清水は、 たまたま悪神悪霊 に転置 され るこ ぎレ,じや と も稀有でない. 尚貞王 (1676)十五年具志頭間切僻河 の水神は霊験 あら たかな神で祈れば必ずその験はあ らわれ るといわれていた。 そ こで住民は河の ほ とりで悪事や悪 口をす ることを しなか った。 そのためか住民は河 のほ とりで 悪事を 口にせず、河辺 に至 って手 を洗 い顔を洗 い御水撫 を怠 らなか った。 しか もこの水神は女神で、赤不浄や赤 の衣類、手 巾、紅帯何な りと赤色を非常 に嫌 った。 或 日東風平 間切富盛村 の 「異境名 あ も」と、その親類 の女友利思戸なる もの と、 あ もの軟女が銀河で 月の よごれ と赤布を洗 った. しば らくす ると、奴 幕 がお こり大波 が打 ち寄せてきた。 避難す る間 もな く三人もろとも大波 にのま れ て行方知れな くな った∩独 り友利思戸は高瀬 の岩に しがみつ き、波の渦 にゆ られている。 この様子を見 た安里村 の宮城なる者、友人を誘 って銀河 にお り、 持 っていた牛の綱で 己れの腹を結び、一 方の端を岩 に結んで、腐れている友刺 女を助けあげた。 友利女は九死に一生を得て、永 く銀河の水 神を崇 び、その教 訓 を忘 れなかった (球陽 )0 1748年 (尚敬王三十 )与那原の御井 に天女が天降 り した。御井 は天の真

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清水 で、 その水は澄み き っていて一点の濁 りもな く、古 くか ら王后や土民に至 る まで尊 信 し、暴威 あ らたかで祈 って応ぜ ざることはなか った。 この歳の夏五 月の朝 は与那原村 の面 青 とい う十歳になる童が、従妹二人 (一人は武簿 といっ て 八才、一人は美牛 とい って六才 )と仲 よ く御井 の南の空地で遊んでいた。折 しも美黒 い雲がでたか と思 う間 もな く、 まん まるい光が天か ら降 ってきた。 こ れ を見 た二人の従妹 たちは、あわてて逃げ去 った。如古は不審 に思い、停んで、 そ の丸 い光 に魅せ られていたが、見て いる うちにそのまるい光は、地上 に着 く と忽ち美 くしい女の人に変 った.一人は紅色 の着物をつけ、他 の一人は青色の 着物 を着て いる。 その容貌 は光 り輝いて神様 の よ うであ った。如古 とい う童、 い よいよ杏怪 に思い、井 戸の傍 まで歩んで い くと、天女はその井 戸の中か ら悠 々 とあ らわれ、傍 の大樹 に上 り、二、三度衣 を振 ってい たが、忽 ち二つの光の 玉 にな って大空に飛び去 った。加古は急 ぎ家 に帰 り、 この ことの次第を家人に 話 した。そ の祖父母 うち薫 き、その ことを王延 に達 した (球陽 )O井 泉の神は 女 の神で あるらしい。 佐敦 間切津波古の村 には古 くか ら稲の大 祭を行なわず、又五 月六 月の稲刈 り 時 に際 して、決 して扱 雨が 降 らぬ。これは曽て此里の清水、 多和田井 の側にお いて、或老女が水を汲 もうと して来て見 ると、井戸の左手の石 の上に立 って水 を 一杯 と所望 した人がある. 老女は乃ち持 って来たマカ リの線 をわ ざと打欠い て 、それか ら水を汲んで進 らせた。 何の為 に打欠いたか と旅人が問 うと、私が 平生用 いて いる器で、横があ っては長 多いo どうかその欠いた所か ら飲んで下 され と答 えたので、旅人の機嫌 は非常 によ くな り

「此村 では何か困ることは な いか 」とある

「農 作忙が しき最中に二度の稲祭のあることが一つ、稲を刈 乾 す頃 の夕立 の難儀が又一つ Jと、答える とよろ しい. これか ら後 は五 月、六 月に俄雨は降 るまい。稲 の大祭はせず ともよ しと。 こうい う約束を して往 った 以 上は、神様に相違が なか った。故 に井 の左 にある石を記念 として把 って いる0 億 か茶碗 の線 を少 し打欠 いただけの誠意に も、 これだけ十分な る恩恵が酬 いら れ たO況んや許田の手水 は花 よ りも更に艶 なる若い娘が.玉の手 に透 きとおる 水 を掬んで勧 めたので あ った。其旅人が も し旅の神な らば、必ずや其泉を して、 愈 々澄み愈 々甘 く冷 たか らしめ、歌 ともなり又物語 ともfj:って、流れて永遠に

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-70-鳥人の情をや さ しく、夢を清 か らしめん と したことであ ろう (球陽、海南小説 )0 沖縄 の神女は殊 に休浴を愛 した。 恰 も村 々の祝女が霊泉 に由 って、その清浄 を保 とうと したのと同 じである.其 泉は又酒を醸す に も必要であ った。 酒造 り 卓 くがあ もまた女の仕事で ある。 中城安里村 の佐久井 の如 く、井 の畔で神女 に逢 い、夕 毎 に一重 の酒を賜 った話 もある.女房が これを嫉 んで往 って見 る と、壷 の酒は 乃 ち変 じて水 となる とい う。 ただ村 のノロは永 く此井 の水を汲 んで稲祭 の 日に ●● ● 神 に供 えていたのである。泉 に伴 な う神 の口碑 が多いのは、女性が祭 りと水 と を掌 るが故に、水 の辺に神を拝す るの風が、次第 に恋 しなつか しの情緒を さそ うよ うにな ったのか。許田の手水をは じめ、美 くしい多 くの夢物語が往 々に し て清水 と処女 とを結び合わせ たので ある (海南小説 )0 宮 古佐 良浜村では古 くか ら若 い男女が さかん に歌 のや りとりを行ない、 クイ チ ャーアヤグの形で踊 りかつ舞 うので ある。 この とき女 たちが手踊 りをは じめ る と、男は好 きな女にその-ヤ シの継歌をか ける。相手の女は男か らかけ られ た歌を とって返歌を即興 しなが ら踊 り出す。 男はそれ につ られて、観衆 の中か らとび出 してきて、手拍子 をあわせて頗 るとい う仕組みで ある。 こうして幾 月 か 踊 り遊んでい るうちに.若者 たちの問 には誰某の娘は、誰の思い女 と認 めあ って しま う

「こうして名が知れわた って くると、その頃か ら女は クイチ ヤ一 に出な くなるが、男 と女の想思の中が断 たれ たわけではない。 女は晩方早 く娘 宿 を起き出て、人知れず男の家の水 がめに鰐 口井 の水を汲んで きては、水がめ に満た してや る」。 こ うして ところあか しの 日まで女の水汲は続ける らしい。 ところあか しとは結局夫婦にな った とい うことを世間に認めて もらうことであ るか ら、結婚式だの披秀宴 などと今流 にい う面倒 くさいことが省略 され るので あ る。 古 くはこの村 の結婚の仲人 とい うのは、す なわち鰐 口井 の水 であ った。 従 って この井 の神 に祈 願を こめ るカカ J)ヤ母 (垂女 )は、 どこまで も異常 の女 性であ った (拙 著水 の信仰 ) 人間は壷井の神の加護 によって誕生 の時点で、一生 の運命が定 め られて いる とい うなかばあき らめの気持 によって語 られているが、 その測 り難 い海 自鍋的 な力、すなわち神 の意志を水 の聖霊に転置 しよ うとす る。例 えば辺野暮 の村で は、水 の神が縁結びの神 にな っていて、それを 「水盛 り」とい うことばで表現

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して いる。水盛 りの儀式は女方 と男方が、それぞれ生井の水を汲んで きて、祖 悪 とカマ ド神 に捧 げ、その水で三三九度の水盃を取 りかわす。 これは生井 の水 に よ って われ われは、結婚をす るとい う意である。 だか ら結婚のことを 「水盛 らん限りえ、汝妻やゆみ 」とい って、水盛 りの儀式を結婚 と同義 に解 している。 そ の他 に も例 えば水難事故 にあ うとい うことを、海の悪霊 であるキジムナーの せ いに した り、水 口祭 (苗代 まつ り )といって、種籾を苗代 に播 いた後、苗の 成 育を願 って田の神をまつ る儀礼があ り、雨乞 い祭 りを して費や笠をつけて踊 りま くり、踊 りの衆 に水をかけてや って雨を降 らせた り、貰 範 い ってお鰍の 井 の神水を もらって帰 り田畑に注 ぐ儀礼が あるのは、すべて水神の精霊 によっ て、豊穣を乞 い、お しめ りを賜 わろ うとす るO もっと厳粛な儀礼は、生命の誕 生 を水神 によって賜 わろ うとす ることである。 ウプす なわち出産 こそは、生命 の誕生を もた らす厳粛 な行為であ ったか ら、 そこには人間を超 える力が働 くと 考 えるのは 自然の裡で あ った。 その際危機状況 にある生命 に対 し.特別 な救い を果 して くれ るのが、 ウプガ ミであ り

且つ この産神は産水を使 うか ら、一切 ●●● の産の息は関係 しない とい う特色があ ったのである。 川下 りといって出産後三 ●■●● 日 白に産の不浄を洗 った り、十 日の祝 とい って、名付けを したり、 カマ ド神や 天井 戸口につ る したラ 亨を取 り掃 い、産婦 の胸 に産水を流 してや ったりす るこ とは、やは り水神 の信仰 に関係 があ った。 また海の水を通 ってで なければ いけないニライとは、海上の霊地の名であっ たか も知れない。 沖縄 の人 々の考 えや、意識か らすれば、 ニ ライではすべての 生命が豊富であり、それは惜 しげ もな く用 い費やす こと、ちょうど米、絹 のそ の他の財宝 も同 じであ った とい う風 に類推 した空想のよ うに考え られる。 ニル ヤセ ジ、 カナヤセ ジとい うことな ども、主 と して人間を幸福 にす る富貴長寿の 類 で あ った らしく、それを祭祀や祈願 との力によ って国王世の主に進献セ しめよ よ うとす るのか、すべて公の行事 の最初か らの E]的であ った。 そ うしてその霊 地 にお られ るのが ミロク様 であ ったと類推 している。 だか ら ミロク世 とは世の 中が農作の豊 凶によ ってで きた ものであ ったことである。 すなわちその世の中 を復 興す る力が隠れて外 にあ り、それを信心 によ って招 き寄せ得 るとい うこと が悩 み苦 しむ生活のせ めて もの楽 しみだった。

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-72-言 い換 えればそのか くれて外 にある力が ミロクの世であ った。 どうして沖縄の 人 々は不思議の国が海の彼方にあるもの と考 えたか。 ニルヤの出来事 と して、 横屋の一人娘 の大病に溝 の生肝が よ く効 くとわか って溝を だま してつれて来よ うとして失敗す る話が ある。 しか し沖縄 には猿はいない。 よ もとい う古い言葉 はあるがそれは後世につ け られた言葉で あろ う思 う。 いっ如何な る機会 に輸入 したか分 らないが、丁度 ニルヤに往来 したとい う昔話が、笑 話化 して、案外な 効果を収めたのではないか。猿を絹 して海底 につれ込 もうと した使者の役 は亀 とい う例は多いが、その他 にカマフ タや犬を使 いにや った とい う話 も残 ってい るO これがすなわちすでに出来上 って いた説話を新 たに移 し入れた証拠で あるo 宮 古島では海辺に出た男が、非常に長 い菱 の毛を見つけ、その不 思議に感動 し てい ると、美 しい女性が現われて、男を海の向 うの仙境 に誘 った とい う話があ る。 ニルヤ とい う霊 地が案外 たやす く往来がで きるよ うに考 えて いる。 (拙著 水 の信仰 ) 沖縄は また水の姿が まことに豊かである。輝 く太陽 に照 り映 え る青い海 とか、 白砂青松 とい う言葉通 り、沖縄 の環境は水に よ って美 しさをいよいよま してい た。 ところが今の沖縄 の水は どうだろ う。 人間生活や工業活動、 アメ リカ基地 か らの廃水 で汚な く汚染 されている。 に も拘 らず沖縄 とい う環境 は水 の研究に もっとも適 しているといわれ る。 四面海に とりか こまれて いる。 その海面で水 が蒸発 し降水 とな りやがて、短小なが ら河 川水 とな って、海にかえ ってゆ くと い う水 の循環過程を通 して、水 とともに物質が どのよ うに動 くか、海か らどの 元 素が どれだけ出ていって、 どれだけ雨が もどり、 どれ だけ海の中か ら除かれ てゆ くか とい う、物質の収支を とりあげるには、琉球列 島は適 当な場所であろ う。実際に公害 の名前で、河川や大気の汚濁が大 きな社会問題 とな ってい る。 これがわれわれの住む環境を大 き く変 えて いることは疑 うべ くもない。本土で もこの人間活動に よる汚染が大 きす ぎる うえに複雑す ぎて、 ともすれば 自然に おける元素や各種の動 きを正 しくつかみ とることが妨げ られている。 沖縄 にお いて もこの状態を くり返 そ うとしているが、 これが地域 開発 の問題点であろう。 実際 に地球上の海水、陸水、大気中の水蒸気は蒸発、凍締、流動な どの諸過程 を通 して、お互いに連絡 し、循環 し、交互 に依存 し合 っているのである。 また -73

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地 下 にあ る鉱物 が長期にわた って海水 と接触 していると、海水中に とけている イ オ ンは.鉱物相 にとりこまれ、一 方鉱物か らも元素が とけて溶液中に入 って ゆ く。 国頭村 東村 久志村 の海岸 に突 き出た山塊 の基盤をつ くっている黄銅鉱が、 長期 にわた る海水 との珪砂 こよって、元素が とけ、銅 の含有量が微量 とな り、 商 品価値を失 って しま ったよ うに、 また羽地村 の源河川の流域 に、古生層 の花 静岩 が堆積 していたのに拘 らず、数 千万年の年 月を陸水 との接触 によってポロ ポ ロに壊 け、石材 と しての価値を消失 し、国頭か ら中頭にかけて広 く分布する 国頭 マー ジの赤土が、 もとは海底 の堆積 士で、有機物 を多分 に含有すべきはず で あるのに、陸水、風雨の浸食によって、有機分を放 出 し、農耕土 と しての価 値 を失 って しまったよ うに、水の化学作用 は、土地 を変貌 させつつ、継続進行 しつつある。 しか し沖縄の水が、沖縄人の精神文化を どれ ほど培 って きたかは、 おちみず 水 の化学作用以上 に明 らかで ある。 沖縄の水は地下に浸透す ると忽ち落水 にな おちみず おでんだ お ちみす る。変若水ので るところは落平である。折 口信夫氏は変若水を次 のよ うに解 し て お られ る。 「源河走 川や水か面 か潮か、源河美童 のおすで どころ」の俗歌か ら、 「神聖 とこ上 な ことを示す温か い常世の水 の、 しか も不慮 の湧出をたたえて rゆかわJlとい おちみす い、 いず るゆ とい った。 いづの古義が思いがけない現出を言 う如 く、変若水の 信仰 は沖縄 全域 に伝 承せ られている.時を定めて くる常世狼に俗す る村の蛮女 の生活を うた ったのが前記 の歌 であ る」とされ、つ いで、 「常世か らくるみず は常 の水 よ り温かいと信 じられていたのであるが、ゆとな ると、更に温度を考 ゆかわみす えるよ うにな った。 ゆは もと斎である。斎 用水 の形が段 々縮 まって、ゆ一昔で ゆ みそ 斎用水を表 わす ことがで きるよ うにな った。寿 は最初顔 ぎの地域を示 した。つ ま り斎戒抹浴 はゆかわあみで段 々面示嘉 を家の中に作 ってゆかわあみを行 うよ うにな った. いず るゆか わが市 亨面で、ゆかわは面盲豪にな っていた。 それで もゆか わが家の中の もの と して似 あわ しくな く、感 じられ出 して くると、ゆか わを意味 したゆが、次第 にぬ る水の名 とな って行 く」、 と説明 された。著名な 民 俗学者宮 田登氏は、水を こ う解 され る

「年頃に若水を くむのは、衰えた生 命を元気づけるための行事で あるが、水を浴 びる とい うの も水の効力を信 じて の行為で ある。 みそ ぎに類す ることは今 日で もいろいろなところに息づいてい

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-74-る。 日本人のふ ろ好 きの背後 には、一種のみそ ぎ感覚が あるん じゃないか。垢 離 とりとい って、神 に願 をかけた人が、溌夜に千回、万国 と水を浴び る。 悪疫 な どを人形 につ けて流す r流 しびなJ 、水を ざあざああびせかける r裸祭 りj な ども、みそぎの延長線上 にある」とい う。 日本人の感覚で は 「そ こか らは、 日常 の世界を離れ た聖域、恥ずか しが らず に振 るまえる」ケガ レを水 に流す と い う習俗や伝統的 な考 えは、 日本の地理や 自然 によるところが大 きいのではな いか。すなわち 日本は山地が多いだけに急流が多い。 その速 い流れで洗 ったも のは、たちまち海の彼方へ流れ去 って しま う。 そのよ うな風土的 な ものが康 ぎ と深い ところでつなが っていると思われ る

「み そ ぎは祭 りの出発点で、大切 なのは儀式を経て 日常に戻 ることで ある。今 日ではそ うじゃない御都合主義 が まか り通 っている」 (宮 田登1980 .8.1沖縄 タイムス 水 )0 しか し沖縄の水にはまだ古風が残 っている。 国頭の南部地域 では 「水盛 らん 限 りえ、嘉完 昌やゆみ 」とい う古風 な結婚 の形式 が浅 って いる.生井か ら汲ん )ぶA-r で きた生水を、火 の神に捧 げて後 、その水で三 々九度の盃を交 し合 うことが、 結婚の古風な姿であ った。本土の場合で も古 くは、 ゆかわは山間の谷川の とこ ろにあ った といわれるOすなわち村が山野 に深 く入 ってつ くられ ると、河 の支 流や池 .湖 に入 りこん だ処な どを選んで両石石 がつ くられて いた。 そ こに面示 百百を作 って神 の嫁 となる処女を、村 の神女の中か ら選んだO その処女が棚作 りの建物 に住んで神のお とづれを待 っている。 この物見や ぐら造 りの積数造 り を 責了 といった ら しい

「屋良漏池 の大蛇伝説 にあ らわれ る孝 女の姿がそれで あろうか 」.後 世 には伝説化 して、水神 の生 け 茸といった型を とって いる

「来 るべき神のために機 を構えて木を織った」。神衣 は神 の身 とも考 え られて いたか ひヤ )な t むヤ ら、 この悠遠な古代 の印象が今 に残 ったのが、宮 古平安 名村 の横放女の姿であ った。す なわち崖の下の海の探測や、大河渓谷の瀞 のあたりや滝壷 の辺 な どに 旗 の音が きこえる

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「水 の底に機を織 っている女が いる.村か ら隔離せ られて 年久 しく、いたが故 に姥 ともいわれ、若い哀れな姿を村人 の 馴 こ印 したまま、 ゆかわだなに送 られてい ったのだか ら、年ばい もいろいろ考 え られて きた。村 人の近 よ らぬ長い ところだか ら、遠 くか ら機 の音を 聞いてばか りいたのであろ ● う。 おぼろげな記憶ばか り残 って事実は夢 のよ うに消えた後で も深例 の中の機

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執 る女 にな って しま う。七 夕女 とはゆかわだなの機 中に居 る女 とい うことであ る」。折 口信夫 は 日本人の古代 の信仰生活を次のよ うに記魚せ られた (折 口信 夫 集 古代研究 の103頁 )0 「舌代 日本人の信仰生 活 には時間空間を超越す る原理が 備わ っていたO 呪詞 の大初 に遼す威 力の信念である。地上 の面前 石を神聖視 して、天上 の所在を考 え ることも出来 たか らで ある。地上 の面前石 に天上 の幻を浮べ ることがで きる の だか ら、天の安河 原や 天の河 も、地上の もの と混同 して差 支なか った らしい。 七 夕女 は天上 に聖職を奉仕す る もの と考 えた」。か よ うに古 くは柵 に閑 した 請 え名 らしい貴女の名が多か った。 そ うして神女 の聖職を もっていた。海岸の ゆかわ水 に棚をか けて神服を織 るのがす なわち彼女たちであ った。 「古 くは山ご もり して聖 なる資格を得 るための成女戒を うけた 日が、卯 月八 日の花祭 りの E]で あ った。 田の作物 をつ くる時代 とな って も、村 の神女の一番 大 切な職分 は、五 月の田植 えにある とす る よ うに な った。 それで田植 えのた め の山入 りの様な形を とった。す なわち今 の早乙女 となる神女が定 まるのであ る。男 も大 方同 じ頃か ら物忌み生活 に入 る。成年戒 を今年授か ろ うとする者共 は もとよ り、受戒者 も同 じよ うに禁欲生活 を長 く経 なければ な らぬ」 (前終吾 132頁 ) 「宮 古大神 島の神女 たちの忌み ごもりは三 ケ 月に もわたる長期であ る。 この間村 の男 たちはすべて禁欲生活に入 り、四つ足 の獣 肉を食せず、悪口 雑 言をせず神山に篭 った神女たち と同様難行苦行を した。 その頃が ちょうど霧 雨 の候で、 しか も謹慎 で あるか ら rながめ忌J とい った」 (拙稿民俗 ノー ト)0 山原 とは水多 く山多きが故 の名であるか ら、 島の貴族 たちが時折おとずれて は、 ヤマ ト歌を残 している。 加納諸平 の壊 玉集 にそんな歌が 多いO おそ らく薩 摩 の八 田友紀な どか ら供給 され た材料であろ う。伊勢物語をなぞ ったよ うな、 島の士族 の 自叙伝 も出来ていた。源氏や古今、万葉 も手にふれ た人は少 くなか った。 沖縄 の古摂 家の由緒を語 る碑文 の平仮名が、正確で弾力のない御家流で あ る如 く、 島の倭文倭歌 には、つれづれの結晶か と思われ るものが多いと言 っ たのは折 口信夫で あ った。 沖縄 の島では穀物 の漂着 と共 に うきみず走水の由来 を 説 いて いる。 これはす なわち常世の水が 出ているのだ。 人が飲む とともに、 田畑 もそれ によ って新 しい力を持 つ。従 って百名の稲 田はつねに農作だった。

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に も拘 らず沖縄で は、古 くはチモ 首 ことので きる者は君主 のみである とい う意 あは 酌 川王ら 課 が濃厚で あ った。 本土 の場合での古 くか らの伝えは、 「い ざな ぎの命が梼原 で畝 へのためにすで る間 に、神 々はすで水 の霊 力で生れかわ った。 永い寿を言 うのもすで水 の信仰か らである」0

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古い時代 の御産の形式をみると、水 と火 との二 つの方式が沖縄 にはそなわっ て いたo産れて くる児に生湯をつかわせ、母体 は産火で温ま って もとの体 にか うぶがあ えろうとす るのがそれである。 だか ら生井 の水 は、温まれば再生の水であ り、 且 つ水神 の霊 のこもった水であ ったのだ。 つ まり沖縄 の水は雨水が地下 に浸透 おてん7t' して いって一部はゆかわ水 として落平か ら流れ出て、大部分は地下深 くに しみ こんでは海水 と接触 し、海水 に混 じった水は、は るか彼 方の幸福 の住 む亨亨7 訂テ才の国の神 々に、現世の人 々の願い事を伝 達 して くれ る水であ る。 こうし た構造を もっているのか沖縄 の水である」 (拙著水の信仰 )。 しか しなが ら自然の水はか よ うに民間信仰 だけで理解で きるものではなか っ た。 それを科学的 に分析 しよ う。 「天然水 は蒸発、凝縮、浸透、流動 な どの過程を とお して、おたがいに連絡 ●●● し、交互 に依 存 しあ って循環を くり返 している。 これ らの水を一括 して循環水 と呼んでいる。 この循環水 に対 して地球内部の若菜に由来 して、は じめて地表 ●●● に出て くる水を若菜水 とい う。 四十五億年前 の原始地球 の表層 には大気 も天然 水 もなか った といわれ るO水は他 の発揮性 の物質 とともに、地質時代 に、地球 の内部か ら地球表面 に、温泉や火山を通 してでて きたもの と思われ る」 (名古 屋大学 北野康 水の科学 )0 す なわち現在出ている温泉水や火山の水 の中にある一部は循環水 とは切 り離 された岩菜水 (処女水 )ではあ るまいか と考 え られ る。火 山や温 泉の水の殆 ど 大部分 は循環水で、岩菜水がは た して入 って いるか ど うか、実証判定す ること はできないが、入 っていた として も観 察で きないほど僅かの量 である ことはた しかである。 しか し地質時代に地球 の内部か ら火山や温泉を通 して、水が表面 に出て きて潜 った と考 え られることが多い。 これか ら考 えると、将来 は地 球表 面 の水 は増加す ることにな り、非常 に重要な問題を提起す るだ ろう。 現在天然 水の総量 は14× 1023

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と見積 られている. 本来地熱 ま太陽や他 の惑星を生

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成 した物質 と同 じ物質か らで きたものと考 え られ、その出来方は①地球は灼熱 ガ スか ら凍集 した もの②低温の宇宙塵雲の中にあ った鼠体粒子が段 々漠集 した もの とすれば、水をは じめとす る揮発性物質の極度に少ない地球を生ず る可能 性が大 き く、現在見 られ るような多量の水 の存在は否定 されよ う。すなわち地 球 の材料物質 や地球が生成されたときの状態は、現在 の地球表面に存在する多 量 の水が保持 され、逸散 して しまわなか った状態 にあったと考えなければなら ない。 いわば地球上にある多量 の天然水 の量は、低温の 「宇宙塵凝集説」を支 持す る有力な事実 とな っている。 なるほど陸水は長い地質時代 にわたる地球表 面 の変化や進化を知 る材料である、堆積物 の生成運搬 にとって重要な役割をに な ってきた。 また人類の生活や活動が陸水に依存 し、多くの産業にこれが利用 されているのをみて も分る。大気中の水蒸気に至 っては、全体の天然水の量の うちの100分の1位 に しかな らないにも拘 らず、 この変化がいかに人類生活 に影響するかはい うまで もない。 にも拘 らず地球を知るためには、その構成物 質 の大部分を占める岩石を知 ることに、科学者の注意は集 中 してきた。事実地 殻 の岩石 の量に くらべて、その量の少ない 「天然水の研究 Jが、地球を理解す るのに有用で、鋭 い研究手段の一つであるとい うことが提示 されている。 それでは水の特性 とは何だろう。 まず第一に 「水が気体、液体、固体 と姿を たやす く変えることができるので、地球の表層を循環できることである。すな わち太陽か ら地球 へふ りそそ ぐ太陽エネルギーを大気エネルギーに変える、い わば大気のエ ンジンの役 目を果 している。低 いところに潜 った水は蒸発 して大 気 にかえ り、やがて雨や雪 とな って高いところに運びかえ される。 これが高い と ころにいつ も水が存 し、エネルギーを供給 して くれる要田にな っているO例 えば (チベ ッ ト高原のナム湖が3658メー トルの高地に、 アフ リカの ビク ト リア湖が4320メー トルに、ペルーのチチカカ湖が3812メー トルに )陸 水 の量は少ないが海水が蒸発 して、水蒸気 となり、陸水 として地上に達 しやが て河 川水 として海に戻 ってゆ くとい う循環を くり返 しているので、実質的には、 長 い地質時代 にわたって、地球表層 の岩石 と接触 してきた陸水の量は莫大な量 になるわけである。第二に重要な ことは水が物質をすみやかに運搬する能力を もっていることである。水を とお して地球表面では物質が最 も活発に動いてい

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-78-るとい うことができ、水 の動き と物質 の動きは非常 に密接な関係 を もっている。 第三 に水分子 の構造に由来す る水分子 の化学的特性 によって いるとい う事実で あ るo水分子 (H20)は水素原子 (H )二 価 と酸素原子 (o )一個 とか らで きて お り、水 が岩石に接 していると、岩石 中にある元素を容易に溶か し出 し、.その ために岩石 自体を も変質 させ る。 これが堆積物 の重要な部分を 占め る酵屑岩 (例 えば僕岩、砂岩、泥板岩 な ど )を生成 させ る。 そ うして これが山崩れ、が け崩れの基 本的な原因に もな ってい る。水 の存在中では実に多種 多様 の化学的 反応が速やかに起 り、水 中か らはいろいろの物質が無機化学過程 によって、ま たは生物 の身体を とお して、生成 し沈澱す る (このことは地質学 の教え るとこ ろである )。 次に水の中で生物が発生 し、水 によ って生物が生存で き進化 して きたのである。特 に近年は人間活動 の うち産業活動による河川水や大気の汚染 が 問題を大 き くしている。工場 の煙突か らで る排気 ガスは、大気を とお して遠 く北極ない し、南極 の大気 降水 にまで影響 していることがわか って きた程であ るO生物 の発生進化 も、 またその後の活動 も、水 とは将に切 って も切れない関 連を もってい るのである」 (北野康 水 の科学317、 318頁参席 )0 「地球は地質時代 に亘 る長 い歩みを続 けて今や地表 温度は低 く物質 の蒸 気圧 も低 くな り、 また多 くの物理、化学、生物反応を経て、現在 で は限定 され た少 数の元素が大気の主要成分 にな っている」

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「水は地球表面 の約三分二を 占め る水圏をつ くり、大気 と水圏 とは一見 区別 できるよ うに見 うけ られる。 しか し 熱 や運動 エネルギー、それ に水、二酸化炭素、酸素な どのよ うに、それ 自体が 気体 となる物質 は もとより、その他 の化学元素につ いて も、大 気圏 と水圏 との 間 の交換や、水圏を とお しての移動循環 は速やかに起 っている」 (北野康 水 の科学66頁 )。 海水をは じめ とす る地表水は蒸発 し、やがて十 日ぐらい大気中に滞留 して、 雨雪 となって地表に達す る。 この水 の一部が地 下水 とか湖沼水 とな って、一部 は河 川水 とな り、 また他 の一部は雪、雪漠氷河 と して、数十 日か ら教 万年の長 さで、地球上 に滞留す る。地下水 は再 び地表 に出て河 川水に加 わり結局 陸水は ●● 海 に入 る。 ここに沖縄 の陸水観念の矛盾を見 るよ うな気がす る

「いわば沖縄 ●●●●●●●■●●●■●●●●●●●●●●●■●●●●●●■●●●● の地下水は聖 なる水 となり更に深 く地 下に入 って海水 と混 じ轟か彼方の理想の

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● ●●●●●●●●●● ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●■ 国 ギ ライカナイに通 じて、沖縄 人の祈願事を きいて もらうとい う琉球神道 上の ●I●●●●●● 構造を もって いるか らである」。 しか し地球科学は、この海に入 るまで の陸水 に、 または海水 に直接温鉱泉や火山か ら水をは じめ とす る物質元素が加わる。 水は この よ うに移 動 し循環す るのである。 この水の循環 によって、化学元素 も また移動す る。す なわち海水の表面では絶えず 泡沫 が破裂 して、空気 中にとび あが る。 この破裂 した海水飛沫 は、大気を とお して内陸及び上空 に運搬 される。 この間に蒸発がお こって海盤が析出す るのである。 雨あるいは雪 には これ らの 海洋起源 の盤類が とりこまれ る し、降水 のない ときで も降下物 として絶えず地 表 にこの海盤は落下す る。 この変化は低平 な島国で ある沖縄 には毎年定季的に 襲来す る台風及東南、西北 の季節風 によ って、急激 に或は剰都的 に変化 してい る。 沖縄 の陸上生物 が これ によって成長を プ掛 ヂられ

且 つ変質 してい く現象 も 兄 のがせ ない と思われ る。 降水や降下物 には海水 に由来す る物質の他 に、陸地 の表面か ら風によって舞 い上 った土壌物質が 加わ り、更 に=場 の煙突か ら燃焼物 と して供給 され る物質 や核実厳 により供給 され る、 人工放射性物 質や、または火か らの噴出物質や、 または火山か らの噴出物質な どが加わるのである。河川水、地下水、湖沼水な どには、人間活動す なわち家庭生活.農耕 に用い られ る肥料その他 の化学物質、 工場か らの廃水な どの形で、 さまざまな物質が加わる一 方、温鉱泉や火山か ら 出て くる物質 そ して溶 出お よび吸着沈澱 な どの過程を とお して、土壌岩石 など に 由来す る元素が、 これに加わ った り、あ るときは除かれ もす る。 こうして陸 水 の化学組織 は決定 され ると考 え られている。海洋 に入 る陸水中 の含有元素量 の うち岩石土壌か ら溶 出 され る元素量、温鉱泉 または火山などを とお しては じ め て地表 に供給 され る元素量及び、人間活動 に由来す る元 素で、海塩を材料と しない部分 の合計量 は、海洋 には じめて加 わる元 素量 と して、 これは当然海洋 水 の化学親成及びその濃度を加えることになる

「海洋水中では生物 の身体を とお し、 あるいは無機化学過巷を とお して、炭酸 カルシウム (CaCo3)、 ケイ 酸 (sio2 ) をは じめ、種 々の物質が沈澱す ることによ って、海水か ら除かれ る とか、陸地か ら海へ運ばれ る粘土物質を始めとす る堆積物 と海水中の元素の 間 で、 イオ ン交換反応 が起 こり,海水 の化学元素組成を規定 しているか らであ

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る。」 (北野康 ・水 の科学 による ) また温度が低下 した原始地殻ではある種 の水にとけ る揮発性物質は、水 とと もに液体 の水圏を、残 りは大気圏を作ることは前記 のとお りである。 この水圏 の水は地穀 の構成物質であ るケイ酸塩岩石 と接 して、 これを風化 し、 ケイ酸塩 岩石 自体は砕屑岩に変 わ り、 この過程で溶 出 した元素は、水圏、具体的 にいえ ば、海洋にたまって きたのである。 大気中の水蒸気の含有量は、時 と場所によ って非常 に大き く変動 してい る。 空 気l K9中 に35 9もあ るところが あるか と思 うと、一 方では殆ん ど零のこ と もある

「大気 を動かすェネルギーの源 は太陽であ る。 この太陽か ら出て く る晦射 エネルギーは.いろいろの過程 を経て、大 気のエネルギーにな る。 その 過程で もっとも重要 な役割を果すのが大気 中の水蒸気である。 」水蒸気は地球 上の各環境 の下でたやす く水 に凝結 した り、昇華 して氷 に変 わる特 性を もって いる。 水が気体 の水蒸気、液体の水、固体の氷 に変 りあ うとき、 ェネルギーの 出入が伴 うものであ る

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9の水蒸気が凝結 して水 にlj:るときには

540-600カロ リーの熱量を出す。 この熱が大気 の運動に とって、非常に重要であ る ことは、笛をおこす積乱雲 の中で一秒間に数十 メー トル に も逮す る速 さをも つ上昇気流をお こす源 にな っていることか らも理解 され よ う。毎年大きな被害 を もたらす台風 のエネルギー も、 海面か ら出て きた水蒸気が凝 結す るときに出 る熱によ っているのであるO大 気及び地表に吸収 された太陽か らの稀射 エネル ギーは、 こんどはいっか大気および地表 か ら、大気外 に帝射 エネルギー として 放出 させ なければな らない。若 しそ うでないとす るな らば、大気および地秦に 熱 エネルギーがたま って、地球 の平均温度は年 と ともに変わ らなければ な らな くなる。 太陽か ら得 たェネルギーはすべて、再 び大気外に失 なわれる ことがわか るO この際エネルギーの交換や収支に対 して、水が関与す る雲や水蒸気 ・降雨が非 常 に大切である。 また 「水 の蒸発は陸上では水面以外 に、土壌か らも植物か らもっねに蒸発が お こっていて、その量 も決 して撫視できな い。水面か らの蒸発 は水面近 くと、 空 気中の水蒸気圧 の差が大 きいほど、 また水面の温度が高 いほ ど盛んで ある。 」

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-81-さ らに水面を吹 く風 と湿 った空気が、乾 いた空気 におきかえ られ るので、蒸発 が 起 り易い。 次に岩菜水で あるが、 われわれ に最 も関心 の強い 自然か らの恩恵 と して親 しまれて いる温泉や火山の水は ど うしてできたのだろ う。莫大な熱量 を放 出 している地域 の温泉や火山の水の起源 と して考 え られて いるのは次の三 つ である。 (D 降下が地 下に浸透 し、岩紫な どの熱によって再 び地表 にでて きた循環水。 (参 地 球内部の岩策か ら出て きて、は じめて地 球上に出た処女水。 (卦 両者 の混合物。 処女水は地球 の構成岩石が固化 した ときに焦 った水であると考え られ るが、 そ の水 はおそ らく高温で、岩石 と接触 して きて、塩基性岩 のよ うなケイ酸塩中 の酸素 と、同位体組成を もつであろ うと思われている。 それで もさまざまなすがたの天然水 に とけている元素の種類や濃度 ・化学的 性質 は、それぞれ異 な って いるが、それ らの化学的性質間には深い関連 がある のである。例 えは名古屋大学 の菅原健氏の分析結果を見 ると、 (天然水の うち基本的 に重要な降水、河水.海水の化学組成 ) 元 素 含有量 (呼/e) ナ トリウム 1,1 カ リウ ム 0.26 マ グ ネ シ ウム 0.36 カル シ ウム 0.97 ス トロ ンチ ウム 0.011 塩 素 1.1 ヨ ウ素 0.0018 フ ッ素 0_089 硫 黄 1.5 元 素 含有量 (形/々 ) ケイ酸 083 鉄 023 アル ミニ ウム 011 リン酸 0.014 モ リブデ ン 0.00006 銅 0.00086 亜 鉛 0.0042 ヒ 素 0.0016 もちろん陸水 の もとは、雨か雪、箱.蕗等 の降水である。 に も拘 らず海岸か らの距離 の遠 い降水 ほ ど、その含 まれている元 素の濃度は小 さ くなっている。 それは海水表面で、海水の泡が破裂 した飛沫 と して、空気中に とび散 り、これ が降水 にとりこまれ るので あるが、海水 に由来 して も、海水の化学組成そのも ー82

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-の とは、かなりちが った組織で とりこまれ ることが多い。 そ-の現象 と して菅原 氏は次のように指摘 された。 (前拙著 ・水の科学

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頁 ) (彰 海水飛沫が大気中を運ばれる間に、溶 けに くい海塩が析 出 し、元素が分離 す る。 (参 雨水による洗浄作用 の際 に、元素 によ って洗浄 され方に難易が あ り、 これ が元素を分別す る。 (動 海面において海水泡沫が破裂す るときに、すでに元素が分別す る0 (彰 ヨウ素な どに見 られ る海面か らの蒸発のため。 地球上の水はおよそ以 上の とお りの性質 を もって いるので あるか ら、天然水 といえども、それが含有する水質等によって.農業用水 と しての適否を示 した り、甚だ しい時 には山崩れやがけ崩れの予知 さえで きるとい う結果が知 られて ●●●●●●●●●●● ●●● ●●●●●●■●●

いる。 「禿 山には山崩れ はないが、緑 の濃 い山地 に惨事がお こる」 と。 削 りと られた崖 の深 い層で、岩石 の風化が おきて、細か く割れ、 ここに水が入 りこん で、すべ るので大量 の土砂、岩石が押 し流され るか らである。すなわち山地で は地下の岩石 の風化の状態を知 ることができれば、 山崩れの予知がで きるとい うもの。 しか しそれを知 るには岩石 を ボー リング して調べれば よい とい うこと になろ う。 に も拘 らず岩石 の崩れ具合が、 また場所 によって規則性 の全 くない 場合がある。 いずれ に して も岩石 の崩壊流出の根本原因は岩石が細か く割れる こ とで ある。 すなわち岩石 は元素 と元素の結びつ きの どこか が切れ るこ とであ る。 この結合を切 るのに大 きな力を もって いるのが水 である。水 自体 はその分 ●●●●■ 子 構造のために、物質を溶かす大 きな能力を持 っている。従 って 「水は岩石申 ■ ■●■■●●●●●●■●●●●●●● ●●●●●●●●●●●●●●● の元素問の弱い結合を切 ることがで きるが、その ときある元素は溶か し出 され ●●●●●●●●●■●●

て、水 の中に含 まれ ることになる」 (傍点著者 )。地下 に浸透 してか ら出てき た水は 「水の化学組成が、その水が接 して きた岩石 の状態を何 らか の形で反映 し、その便利を もって きてい ると思われ る。 いわば岩石 とや っつ け る環 境、す なわち水 との斗いである。 その双方の絶対的 な強 さが問題ではない。相対的な 強 さが問題である。 その勝負の結果は水質が指示 して くれ るであろ うとい うこ とになる。 すなわち天然水 の化学 組成は降水、降下物、温鉱泉、人間生活、農耕活動そ -

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83-れ に岩石土壌 に由来す るといえる し、水質 のなかの カルシウムイオ ンの殆 どす べて は、岩石土壌か ら溶 けて出て きたことが明 らかにな った。天然水を含んだ マ グネシウム、 ナ トリウム、 カ リウム、ケイ酸 な どのある部分は岩石土壌 に由 来 している。 そ うす ると天然水 の化学分析 結果か ら岩石土壌か ら、その天然水 へ これ らの元素 の溶 けでた量が推定で きるとい うことになる.例 えば花樹岩の 造岩 鉱物 は長石、雲母、石英で あるが, これが風化す ると、 カオ リン,モ ンモ リナイ トな どの粘土 鉱物 が生成す ることが分 る。例 えば今帰仁 半島の樺元にあ る源河か らか って採掘 された衣 尚岩 (半島火山活動による熔岩流によるものと 推 定 されている )が、 もろ くて商品価値を失 ってい るのは、花 尚岩その ものが、 地 下 にたまる水による削剣 と、地上 にあ らわれてか ら後風化作用によって カオ リンとい う粘性鉱物 にな りかけてい るか らで ある。 さて 「沖縄 の水 はか よ うに沖縄 の地域 のみにつ くられた独特 の信仰に よって、 i>ちみず ●●●●●●●●●●●●・●●・●●● 変 若水 と して認識 され る一 方、その地体構造や地質岩石 の分布やその変質 によ ●● ■●●●●●●●■●●●●●●●●●●●●●●●●●● ●●●● って、或いは四面環 海 とい う天然水 に囲紙され た孤 島であるが故 に、陸水の性 ●●●●●●●●●●●●●●●●●●一●●●●●●●●●●● 質 が変 わ り陸水 の もつ構造元 素まで異な るとい う性質 を もっている」に も拘 ら ず 自然条件 と して一時的 には.水が豊富であるとい うために.水 のむだ使いの 習債が根づ いてい る。 その結果都市用水 に して も、 自然の水を その まま消費 し て い るわけで はない。 それな りの開発投資を して、経済的な財 としての水を利 用 してい るのである。 従 って水の利用 を規定す る直接 の条件は、経済的関係で あ って、 自然条件 その ものが直接 に水 の消費構造 を規定 しているのではな

もちろん水の 開発 費或は水の価値 の水 準について は、 自然条件が作用す る。水 が豊 富で入手 し易い 自然条件が存在すれば、安 く手に入 ることになる。そ うい う意味では. 間接的 に水の豊富 さが、その利用構造 に影響を及ぼす といえる。 しか し現実の水 の価格 には開発費以外 に、 さまざまな要因が入 りこむ余地を も って いる。 また開発費 自体が一 定 の もので も、不変の ものではない。工業用水 につ いて見 ると、過去 の政策が公営工業用水道 の拡充によ って、かな り低い価 格水準の供給を実現 してみ くことにあ ったこ とは否定で きないと して も、これ は工業化が もとづ く超高度成長 の維持が、政策 の基 本的前提 として、疑 いを も ● ●●●●●●●● たれ なか った時代 の産物で あ ったと考 えざるを得ない

「立地政策や地盤沈下

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-対策を考慮 して政策的な料金が定め られた」。 いわば水の価格 とい うのは、市 場 メカニズムを通 じて、 自然 にきまる ものではな く、何 らかの政策に よ って決 定 され る性質をもつ ものだ とみなければな らない。 そ こで どのよ うな政策を選 択 す るか とい うことが、水 の価格 に影響をあたえ、その価 格が水 の消費量に も 影 卒を及ぼす ことになる。 おそ らく、 現在 の都市用水の巨大な霊夢量 、消費量 は、たん にそれが絶対量 と して巨大で あるとい う意味ばか りでな く、構造 とし て浪 費的濫費的であるとい う性格をふ くめて考 えなければな らないo この浪費 的パ ター ンを問題にす ることな く、 これを当然の事実 として前提す ることは、 この浪費的 な水利用を肯定す ることにな って しま うよ うに思 われる。 そ こで問 題 は現状 において どのよ うな政策が とられ るべきか とい う判断を しなければな らない。 用水転換 とい うことの評価 もまた、 この政策選択 の如何に よって決 ま って く る といって よい。 「水政策 の基本的方向につ いては さまざまな側面か ら検地せ ねばな らないが、 次 の二点 は特 に考 えねば な らないことであ ろ う。第一 の消費的パ ター ンの是正 の課題は、危機的な環境問題の認識 と疎いかかわ りが ある。 すべての資源問題 に共通にいえることは、開発 の 自制 な しには、環境破壊 か ら、人間生括を守 ろ 道は見 出せないだろう。 そ うだ とす るな らば 「水 の消費量 」をで きるだけ抑制 する政策 が、基本的 に妥当性を もっといわなければな らぬ。 その手段 と して消 費抑制的な料金政策が とられなければなるまい。今 日本土で もコス ト主義 を導 入 し、料金政策をたて、地域の水資源 の賦存状況 と価格 とにみあ った、料金体 系 とす る妥当性が強 まって くるとい う考 え方は、いまだに企業保護政策が根づ よいことを示 してお り、その根本的脱皮が必要 だろ う。 都市の生活用水 につい て言えば、部分的 に消費抑制的 な高料金政策が採用 されて きている。 この場合 は、 とくに大 口利用 に対す る累進的高料金制 を徹底す ることが必 要で あろ う」0 第二に開発 と住民 自治の問題 であろ う。従来 の開発政策のあり方が あまりに も、公共性 の立場か ら一方的 にお しつけ られ る性格を もっていた とい う点があ る。 公共性 が開発の対象 とな る地域 の住民生活 に、優先す る ものであるとす る 立場か らの開発 の強行が、結局 は国士 の荒廃 を招 くほ どの乱開発 を導 いたので

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は ないか。 本来 国士 の 自然 とい うものは一般的、抽象的存在ではあ り得ないは ず である。 それは地域 社会の基盤 としての、個 々の地域の 自然の総体であり、 地域住民 の外的お よび内的な一部を構成 してい くものと考え られ る。 これは国 民 とい う存在が、 個 々の地域 社会の住民の繰体 と してのみ存在す るものであり、 個人はは じめか ら超越 した国民 な どあ り得 ない し、 またあってはな らない。 と い うのはそれは全体主義 につなが るか らで ある。 そ うい う関係 と基本的 に共通 性を もって いる

「地域の 自然を どのように位置づけ、 どのよ うに構 想 し、 ど のよ うに利用 して い くか とい うことは、 まず地域住民の 自治の課題である。 こ の点を無視 して、 たんなる需要の立場か ら、他 の地域の住民 の要求に もとづ く 開発が強制 されてはな らないだろ う。 そこで水政策 もこのよ うな住民 の 自治の 強化 とい う方向 を とりいれ た ものでなければな らない と思われ る。 水餐源の開 発、配分 調整 に何 らか の 自治的な原理を導入 してゆ くことが必要なのであり、 国の行政的権 限を拡大す ることに重点がおかれ るべ きではないよ うに思われるの のである。 このよ うな政策枠組みの確定がなければ、用水転換 は問題 のす りか えの役割 しか もたない といえるのではないか。 それは浪費的 な水 消費パ ター ンを温存 し、水資源問題 の深刻 さの認識をお く らせ、 ときには市民 と農民 との敵対感情を導 きだす危険性 もあるとみなければ な らない」 (玉城哲 水の思想 130頁参照 )0 農業 におけ る水利用が 絶対的に合理的 だ とか、都市近郊 で鼻糞用水に余剰が 発生す る可能性がないな どとい うことを強弁す るつ もりはない。 しか し浪費的 パ ター ンを内包す るか ぎり、工業用水 も、生活用水 も農 業用水 の不合理性、余 剰 を追求す ることはで きないだろ う〔 か りに水 臼が農地 と して売 買 され るは あい、農民 たちが当然の前提 と してい た ことは、土 地 と水 とは ワ ンセ ッ トだ とい うことである。 水のこない水田は、 水 田の用を な さない。水利 の優 の良 し慈 しによ って影響 され るけれ ども、 とに か く水が必ず引け る とい うことで、それは水 田 と して取引 され るのである。畑 よ りつ ねにたかい水田価格 は、水を引いて 、稲作をす る場 合の収益を基礎 に形 成 されていた といって よい。 だが水田を農地以外 の 目的 に利用す るとい うこと に なれば事情が違 って くる。す なわち水田の機能は必要でな くな り、地面 さえ

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