シンガポールの中間層 -- 政治を忌避し、経済的満
足を求める (特集 イメージと実態の中間層)
著者
田村 慶子
権利
Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア
経済研究所 / Institute of Developing
Economies, Japan External Trade Organization
(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp
雑誌名
アジ研ワールド・トレンド
巻
204
ページ
18-19
発行年
2012-09
出版者
日本貿易振興機構アジア経済研究所
URL
http://hdl.handle.net/2344/00003876
●絶大な政府の力
IMF︵国際通貨基金︶の統計 によれば 、二〇一〇年のシンガ ポールの一人当たり国民所得は四 万三一一七米ドルで世界第一五 位、日本は四万二七八三米ドルで 世界第一七位にランクされた。一 九六五年に独立した小さな都市国 家は今や日本を抜いてアジア有数 の先進国となったが、この急激な 経済成長とともに、シンガポール は政府与党人民行動党の独裁的な 長期一党支配でも知られている。 シンガポールの憲法には国民が 主権を有するとの明文規定はな い。これは独立時の不安定な国際 環境を反映して国家の生存と発展 を最も重要な憲法原理のひとつと したからだが、同時にそれは国家 主導型の政治を目指す政府の意図 でもあったろう。政府の政策に反 対するような批判勢力は徹底的に 取り締まられ 、﹁危険分子﹂を無 期限に拘束できる治安維持法は現 在でも破棄されていない。主要な 新聞を発行する会社はすべてシン ガポール・プレスホールディング 社の傘下にあり、その経営陣には 政府高級官僚が加わっていて、メ ディアの言論は政府の規制下にあ る。野党は複数存在するが、その 普段の活動をメディアが取り上げ ることはほとんどない。一方、圧 倒的な政治的コントロールだけで なく、政府は経済面でも大きな役 割を果たしている。 この国の住宅、 保健、公共輸送、通信などは国家 によって重要な事業と位置づけら れ、ほぼ政府の独占事業となって いる。シンガポールの経済発展を 担ったのは外資であるが、政府は 外資の進出を支援するのみなら ず、多くの政府系企業を設立して 外資との合弁をはかり、製造業か ら金融・サービス業、貿易など幅 広い分野に資本進出し、経営責任 を担っている。 しかしながら、シンガポールで は国民が与党の長期一党支配に反 対したり、言論の自由などの民主 化を求めて組織的な運動を起こし たという歴史は、未だに皆無であ る。経済発展とそれによる豊かさ の実現は、自由民主主義を不可避 的にもたらすものではないこと を、シンガポールの事例は物語っ ている。では、積極的に政治的社 会的問題に批判的な声をあげ、社 会変革を担うと考えられている中 間層は、なぜ政治的に沈黙してい るのだろうか。●
政治を忌避し、経済的満足
を追及する中間層
表は、二〇一一年のシンガポー ル人︵国民と永住者︶の職業分布 ︵一五歳以上︶ 、およびそれぞれの 分布のなかで月収が五〇〇〇シン ガポール ・ ドル︵一シンガポール ・ ドルは約六二円︶と一万ドルを超 える比率を示している 。シンガ ポール政府は中間層を経営・管理 職と専門 ・ 技 術職と定義しており、 ここでもその定義に従えば、全労 働力の五二・二%が中間層という ことになる。また、全シンガポー ル人労働者の平均月収が約二九〇 〇ドルであるから、中間層の所得 がいかに高いかがうかがえる。 このような人々は、政府が一九 表 職業分布と高額所得者の割合(2011年,%) 職業 比率 月収5000ドル以上 月収1万ドル以上 経営・管理 17.8 62.8 26.2 専門・技術 34.4 30.8 6.4 事務・販売 24.6 2.3 − 生産工程 12.7 1.7 − 清掃関連他 10.8 0.4 − (出所) より算出。 http://www.mom.gov.sg/Documents/statistics-publications/manpower-supply/report-labour-2011/ mrsd_2011LabourForce.pdf(2012年6月20日参照)。特
集
イメージと実態の中間層
田村
慶子
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︱
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アジ研ワールド・トレンド No.204 (2012. 9)七九年から開始した産業構造の高 度化政策によって生成された。そ れまでの労働集約的な低付加価値 産業をシンガポールから撤退さ せ、技術集約的・知識集約的な高 度付加価値産業を誘致したのであ る。一九九〇年代になると、 金融 ・ サービス産業が、二〇〇〇年代に なるとレジャー産業や文化産業も 重視されるようになった。このよ うな経済政策の変遷にともなって 熟練労働者の育成がはかられ、高 等教育機関は毎年大幅に拡充され た。大学とポリテクニック︵工業 専門学校︶など高等教育機関修了 者は一九九〇年の一五%から二〇 一一年の四六・五%へと急増して いる。これら高等教育機関のなか でも大学の学位があれば高い給与 と社会的地位の高い職業がほぼ約 束される 。二〇一一年で三校で あった大学︵すべて国立、二〇一 二年にさらに一校が創設された︶ 卒業生の平均初任給は 、学部に よって異なるが約三一五〇∼五〇 〇〇ドルで、初任給の段階ですで に全労働者の平均月収を越えてい る。卒業生は政府官僚や外資系企 業、政府系企業の管理職や高度技 術者となって、シンガポールの発 展を担って行くのである 。また 、 国民の八二%は政府の公団に住ん でいるが、月収約一万ドル以上の 高額所得者は公団に住むことはで きない。このような人々はコンド ミニアムや一戸建てを購入するの だが、豪華な邸宅や最新のデザイ ンのコンドミニアムの売れ行きは 好調である。 ﹁政治的に沈黙している﹂中間 層の圧倒的多数は、個人の努力で 高い学歴を得て、専門職や政府系 や外資系企業の管理職、高級官僚 になれば高額所得が約束され、豪 華な住宅に住めるのだから、政府 与党の統治も悪くないと考えてい るといえる。国会のフリーハンド を握り続ける政府与党支配の下で は自由な政治批判や政治活動は困 難であり、外資や政府系企業が経 済を支配しているために、自分で 起業して成功するのも難しい。そ うなると、国民の多くに残された 道は政府が認める範囲内で行動す ることであろう。与党の一党支配 は、このような中間層の意識と行 動にも支えられている。