白話小説受容史から見た『支那文學大觀』の位置付
けについて : 文言・白話小説の受容方法を中心に
著者
勝山 稔
雑誌名
国際文化研究科論集
号
23
ページ
108(15)-90(33)
発行年
2015-12-20
URL
http://hdl.handle.net/10097/64188
東 北 大 学 大 学 院 国 際 文 化 研 究 科 論 集 第 二 十 三 号
白
話
小
説
受
容
史
か
ら
見
た
﹃
支
那
文
學
大
觀
﹄
の
位
置
付
け
に
つ
い
て
︱
︱
文
言
・
白
話
小
説
の
受
容
方
法
を
中
心
に
︱
︱
勝
山
稔
は じ め に 明 治 か ら 戦 前 に 至 る 期 間 に お い て 、 日 本 の 中 国 通 俗 小 説 の 受 容 に 一 つ の 異 変 が 起 き て い た 。 江 戸 以 来 の 訓 読 翻 訳 に 様 々 な 問 題 が 表 面 化 し 、 受 容 が 停 頓 状 態 に 陥 っ た の で あ る 。 こ の 状 況 下 で 中 国 通 俗 小 説 ︵ 中 国 白 話 小 説 ︶ の 受 容 を 支 え た の は 、 現 代 中 国 語 を 解 し た 民 間 の 知 識 人 で あ っ た 。 伝 統 的 な 訓 読 に 拘 泥 し た 大 学 の 専 門 家 と は 対 照 的 に 、 通 俗 的 な 白 話 小 説 が 現 代 中 国 語 に 近 い こ と に 着 目 し た 民 間 の 知 識 人 は 、 現 代 中 国 語 の 知 識 を 最 大 限 活 用 す る こ と で 、﹃ 三 国 志 演 義 ﹄ ﹃ 西 遊 記 ﹄ ﹃ 水 滸 伝 ﹄ 等 の 翻 訳 を 次 々 と 発 表 し た 。 現 在 日 本 で こ れ ら の 作 品 が 親 し ま れ て い る の は 、 彼 等 の 尽 力 に 他 な ら な か っ た 。 こ れ ら 民 間 の 翻 訳 は 、 戦 後 に 平 凡 社 が 刊 行 し た 大 学 の 研 究 者 に よ る 口 語 訳 の 叢 書 ﹃ 中 国 古 典 文 学 大 系 ﹄ ︵ 一 九 六 七 ∼ 七 五 ︶ ︻ 一 ︼ が 、 翻 訳 の ス タ ン ダ ー ド と し て 定 着 す る と 共 に 忘 れ 去 ら れ 、 彼 ら の 翻 訳 活 動 の 概 要 さ え も 把 握 で き な い の が 現 状 で あ る 。 そ の た め 筆 者 は 白 話 小 説 の 受 容 史 を 語 る 上 で 欠 落 し て い た 明 治 か ら 戦 前 に お け る 民 間 翻 訳 に 注 目 し 、 中 国 通 俗 文 化 受 容 史 の 再 構 築 に 取 り 組 ん で い る 。 文 言 小 説 と は 異 な り 、 白 話 小 説 の 受 容 の 歴 史 は 江 戸 時 代 か ら 始 ま る 。 本 論 で 扱 う 短 篇 白 話 小 説 ﹃ 三 言 ﹄ に つ い て 言 え ば 、 享 保 ∼ 寛 保 年 間 に 長 崎 に 舶 来 し た 記 録 が 確 認 さ れ ︻ 二 ︼ 、 こ れ ら の 白 話 小 説 は 、 当 時 の 儒 学 者 ・ 国 学 者 で あ る 伊 藤 仁 斎 ・ 伊 藤 東 涯 ・ 都 賀 庭 鐘 ・ 石 川 雅 望 ・ 岡 白 駒 等 に よ っ て 読 解 が 試 み ら れ た 。 こ れ ら 白 話 の 訓 読 翻 訳 の 伝 統 は 、 漢 学 と 共 に 明 治 以 後 に 設 立 さ れ た 大 学 に 継 承 さ れ た ︻ 三 ︼。 し か し 、 白 話 と い う 当 時 の 口 語 を ︵ 文 言 読 解 法 で あ る ︶ 訓 読 を 用 い て 翻 訳 す る 手 法 は 技 術 的 に 問 題 が 多 く 、 明 治 時 代 に な る と 白 話 小 説 の 訓 読 翻 訳 の 不 正 確 さ が 指 摘 さ れ る よ う に な っ た ︻ 四 ︼。 こ れ が 先 に 述 べ た 受 容 の 停 頓 状 態 の 原 因 で あ る ︻ 五 ︼。 そ の 一 方 、 現 代 中 国 語 に よ る 口 語 訳 が 本 格 的 に 注 目 さ れ は じ め た の は 、 明 治 時 代 に 入 っ て か ら の こ と で あ る 。 日 本 で は 幕 末 の 開 国 に と も な い 様 々 な 外 国 語 に 接 す る 機 会 が 生 ま れ 、 そ の 一 つ と し て 、 現 代 中 国 語 に 接 し 、 現 代 中 国 語 を 解 す る 日 本 人 も 増 え 始 め た 。 そ し て そ れ ら の 人 た ち の 中 で 白 話 小 説 の 語 法 ・ 語 彙 が 現 代 中 国 語 に 類 似 し 、 両 者 が 密 接 な 関 係 に あ る こ と が 認 識 さ れ る よ う に な っ た ︻ 六 ︼。 そ の 中 で 、 訓 読 翻 訳 に 拘 泥 す る こ と な く 現 代 中 国 語 に よ る 口 語 翻 訳 を 積 極 的 に 手 が け た の が 、 民 間 の 知 識 人 で あ っ た 。 こ こ で 白 話 小 説 の 受 容 が 訓 読 翻 訳 か ら 口 語 翻 訳 と 変 化 し 、 翻 訳 者 も 漢 学 の 伝 統 を 継 承 す る大 学 か ら 、 民 間 へ と 変 化 し た の で あ る 。 筆 者 は こ れ ま で 明 治 か ら 戦 後 に 至 る 期 間 に お け る 民 間 翻 訳 の 事 例 を 、 服 部 誠 一 や 幸 田 露 伴 、 宇 佐 美 延 枝 、 東 吐 山 、 佐 藤 春 夫 、 鈴 木 真 海 、 柳 田 泉 、 井 上 紅 梅 、 林 房 雄 、 星 野 蘇 山 に つ い て 考 察 し て き た 。 そ の 上 で 小 論 で は 、白 話 小 説 受 容 史 の 中 で も 無 視 で き な い ﹃ 支 那 文 學 大 觀 ﹄ ︵ 以 下 ﹃ 大 観 ﹄ と 省 略 ︶ に つ い て 検 討 を 試 み る 。 ﹃ 大 観 ﹄ に つ い て 、 筆 者 は そ の 既 刊 分 の 翻 訳 を 調 査 し 、 そ の ﹁ 特 異 ﹂ な 編 纂 方 法 に 注 目 し て い た 。 し か し 、 本 叢 書 は 刊 行 途 中 で 出 版 社 が 経 営 破 綻 し た こ と 、 ま た 本 叢 書 が い か な る 立 案 か ら こ の 種 の 翻 訳 作 業 が 企 画 さ れ 、 刊 行 に 至 っ た の か と い う 経 緯 を 探 る こ と の 出 来 る 資 料 が 全 く 存 在 せ ず 、 か か る 翻 訳 を 生 み 出 し た 経 緯 を 検 討 出 来 な か っ た 。 し か し 、 筆 者 は 昨 年 、 支 那 文 學 大 觀 刊 行 會 ︵ 以 下 ﹁ 刊 行 会 ﹂ と 省 略 ︶ が 出 版 に 際 し て 配 布 し た ﹃ 支 那 文 學 大 觀 ﹄ 内 容 見 本 ︵ 全 二 二 頁 ︶ ︵ 以 下 ﹁ 冊 子 ﹂ と 省 略 ︶ と 、 ﹃ 支 那 文 學 大 觀 ﹄ 各 巻 に 同 封 さ れ た ﹃ 支 那 文 學 大 觀 會 報 ﹄ ︵ 一 ∼ 九 号 ︶ を 発 見 し 、 そ の 企 画 立 案 の 経 過 が 僅 か な が ら も 明 ら か に な っ た 。 そ こ で 小 論 で は 、 今 回 新 た に 発 見 さ れ た 資 料 を 活 用 し 、 白 話 小 説 受 容 史 か ら 見 た ﹃ 大 観 ﹄ の 位 置 付 け に つ い て 基 礎 的 な 検 討 を 加 え る こ と と し た い 。 白 話 小 説 受 容 史 か ら 見 た ﹃ 支 那 文 學 大 觀 ﹄ の 位 置 付 け に つ い て ︱ ︱ 文 言 ・ 白 話 小 説 の 受 容 方 法 を 中 心 に ︱ ︱ 一 ﹃ 支 那 文 學 大 觀 ﹄ の 特 徴 に つ い て ﹃ 支 那 文 學 大 觀 ﹄ は 、 大 正 一 五 年 三 月 か ら 昭 和 二 年 四 月 ま で 刊 行 さ れ た 、 中 国 の 古 典 の 中 で も 戯 曲 小 説 を 邦 訳 し た 叢 書 で あ る 。 そ の 内 訳 は ﹁ 元 曲 選 ﹂﹁ 還 魂 記 ﹂ ﹁ 四 絃 秋 ﹂﹁ 風 箏 誤 ﹂ 等 の 戯 曲 作 品 が 七 巻 、 ﹁ 唐 代 小 説 ﹂ ﹁ 京 本 通 俗 小 説 ﹂ ﹁ 剪 燈 新 話 ﹂ ﹁ 今 古 奇 観 ﹂ ﹁ 聊 齋 志 異 ﹂ 等 の 小 説 作 品 が 七 巻 の 合 計 一 四 巻 で 構 成 さ れ て い る 。 こ の ラ イ ン ナ ッ プ を 見 た だ け で 当 時 の 中 国 文 学 叢 書 の 中 で 、 特 別 に 他 と 異 な る 存 在 、 つ ま り ﹁ 特 異 な 存 在 ﹂ で あ る こ と が 充 分 に 理 解 で き る 。 ま ず は こ の 叢 書 が な ぜ ﹁ 特 異 ﹂ な 存 在 で あ る の か 。 そ れ を 、 中 国 文 学 に 対 す る 当 時 の 人 々 の 認 識 や 、 ﹃ 大 観 ﹄ の 企 画 の 面 か ら 探 る こ と と し た い 。 先 に 結 論 を 述 べ れ ば 、﹁ 特 異 ﹂ な 点 は 三 つ あ る 。 第 一 に は 、 関 心 が 低 か っ た 中 国 の 通 俗 的 な 戯 曲 小 説 に 注 目 し た 点 、 第 二 に は 、 当 時 の 日 本 で 全 く 注 目 さ れ て い な か っ た ︵ 魯 迅 等 の ︶ 中 国 新 文 学 の 翻 訳 を 企 画 し た 点 、 第 三 に は 大 学 の 研 究 者 と 民 間 の 文 学 者 が 共 同 し て 語 釈 と 翻 訳 作 業 を 実 施 し た 点 で あ る 。 前 稿 ︻ 七 ︼ で も 詳 述 し て い る が 、 大 正 時 代 の 日 本 で は 中 国 文 学 に 対 す る 関 心 が あ ま り 高 く な か っ た 。 そ の 時 期 の 知 識 人 層 の 間 で も 、 中 国 文 学 ︱ ︱ 特 に ﹃ 支 那 文 學 大 觀 ﹄ で 扱 っ た 戯 曲 小 説 等 の 通 俗 文 学 に つ い て は 理 解 者 が 少 な く 、 当 時 の 支 那 愛 好 者 で あ る 佐 藤 春 夫 も 、 そ の 原 因 に つ い て ﹁ 専 門 家 と 一 般 の 人 々 の 間 に 隔 絶 が 生 じ て い た た め ﹂ ︻ 八 ︼ と 分 析 し て い る 。 ま た 中 国 の 通 俗 文 学 で あ る 戯 曲 小 説 は 、 関 心 が 薄 い 中 国 文 学 の 中 で も 更 に 関 心 が 低 か っ た 。 日 本 で の 魯 迅 紹 介 の 先 駆 で あ っ た 増 田 渉 ﹁ 魯 迅 伝 ﹂ で さ え 、 ﹃ 改 造 ﹄ ﹃ 中 央 公 論 ﹄ で 何 れ も 不 採 用 と な り 、 春 夫 が 、 改 造 社 社 長 の 山 本 実 彦 に 直 々 送 り つ け て 掲 載 許 可 を 得 た と い う 。 そ の 際 に は 春 夫 で さ え ﹁ 未 曾 有 の 努 力 を し た ﹂ ︻ 九 ︼ と あ る 。 こ の よ う な 現 状 の 中 で 、 敢 え て 日 本 で 無 名 で あ っ た 中 国 文 学 や 戯 曲 の 魅 力 を 知 ら し め る こ と が ﹃ 大 観 ﹄ の 目 的 と な っ た の で あ る 。 以 上 ま と め る と 、 今 ま で 見 向 き も さ れ な か っ た 中 国 の
視 曲 小 説 に 注 目 し た 、 こ れ が 第 一 の ¬ 特 異 ﹂ 点 で あ る 。 東 北 大 学 大 学 院 国 際 文 化 研 究 科 論 集 第 二 十 三 号 〔1 〕 大正14 年12 月28 日 朝 日新 聞朝 刊 『支那 文 学大 観』 広 告 第 二 の ¬ 特 異 ﹂ 点 け 、 大 正 一 五 年 ︵ 一 九 二 六 ︶ 時 点 で 、 ま だ 産 声 を 上 げ た ば か り だ っ た 中 国 新 文 学 作 品 に 注 目 し 、 飜 訳 を 他 に 先 駆 け て 企 画 し か 点 で あ る 。 中 国 で は 一 九 一 七 年 一 月 雑 誌 ﹃ 新 青 年 ﹄ に ¬ 文 学 改 良 芻 議 ﹂ が 、 翌 一 九 一 八 年 五 月 に は 魯 迅 の ¬ 狂 人 日 記 ﹂ が 発 表 さ れ た 。。 そ の 後 中 国 の 新 文 学 運 動 は 急 速 な 広 が り を 見 せ た が 、 日 本 で は そ の 積 極 的 な 受 容 は 行 わ れ て い な か っ た 。 例 え ば こ の 運 動 の 中 心 的 存 在 で あ っ た 魯 迅 の 作 品 に つ い て 言 え ば 、 日 本 国 内 で は 昭 和 二 年 一 〇 月 ﹃ 大 調 和 ﹄ 掲 載 の ¬ 故 郷 ﹂ の 飜 訳 ︻ 十 ︼ が 嚆 矢 で 、 そ の 後 昭 和 六 年 に 松 浦 珪 三 ︻ 十 一 ︼ の ¬ 阿 Q 正 伝 ﹂ ¬ 狂 人 日 記 ﹂ ¬ 孔 乙 己 ﹂ 、 山 上 正 義 ︵ 王 守 仁 ︶ ︻ 十 二 ︼ の ¬ 阿 Q 正 伝 ﹂ 、 そ し て 昭 和 七 年 に 佐 視 春 夫 に よ る ¬ 故 郷 ﹂︻ 十 三 ︼ や 、 増 田 渉 ︻ 十 四 ︼ に よ る ¬ 家 鴨 の 悲 劇 ﹂ と ¬ 風 波 ﹂ の 飜 訳 と 、 ご く 小 視 視 な 試 み が 散 見 さ れ る が 、 ﹃ 大 観 ﹄ は こ れ ら 紹 介 し た 飜 訳 よ り も 早 く 企 画 が 出 さ れ て い た 。 収 録 予 定 の 作 品 は 明 記 さ れ て い な い が 、 ﹃ 大 観 ﹄ の 体 裁 視 定 に よ る と 飜 訳 は 約 六 〇 〇 頁 ︻ 十 五 ︼ に 及 ぶ 視 視 で あ る 。 こ れ が 第 二 の ¬ 特 異 ﹂ 点 で あ る 。 そ し て 第 三 の ¬ 特 異 ﹂ 点 け 、 大 学 の 研 究 者 ︻ 十 六 ︼ と 民 問 の 文 学 者 ︻ 十 七 ︼ が 共 同 し て 語 釈 飜 訳 作 業 を 実 施 す る 方 法 で あ る 。 今 回 発 見 さ れ た 冊 子 に は ¬ 支 那 文 學 大 觀 刊 行 に 就 い て ﹂ と い う 一 文 が あ り 、 本 叢 書 を な ぜ 刊 行 し た の か と い う 刊 行 目 的 が 詳 し く 述 べ ら れ て い る 。 そ れ に は 、 今 や 世 界 の 視 聽 は 悉 く 鄰 邦 支 那 に 注 が れ て ゐ る 。 各 國 は 競 つ で 支 那 研 究 に 餘 念 が な く 、 別 し て 其 の 國 民 性 を 究 め る こ と に は 、 最 も 留 意 さ れ て ゐ る 。 ︵ 1 ︶ 然 し 國 民 性 を 知 悉 す る に は 、 そ の 魂 の 發 露 と も い ふ べ き 文 學 を 度 外 に 置 く こ と は 出 來 な い 。 此 の 意 味 で も 、 支 那 文 學 、 殊 に 小 説 戯 曲 は も っ と も 顧 み ら る べ き で あ る 。 且 つ ︵ 2 ︶ 支 那 文 學 の 藝 術 的 價 値 は 既 に 早 く 具 眼 の 士 に 認 め ら れ て ゐ た が 、 其 の 數 に 於 て 、 亦 其 の 質 に 於 て 、 斷 に て 西 歐 諸 國 に 劣 つ て は ゐ な い 。 ︵ 3 ︶
一
般
的
に
普
及
し
か
か
つ
だ
の
は
、
要
す
る
に
字
句
が
難
解
な
の
と
、
西
洋
禮
讃
の
迷
夢
に
歸
す
べ
き
で
あ
る
。
若
し
信
頼
す
る
に
足
る
研
究
書
と
、
親
し
み
易
い
飜
詳
書
に
接
ず
る
こ
と
が
出
來
れ
ば
、
恰
も
支
那
料
理
の
如
く
世
人
一
般
か
ら
迎
へ
ら
れ
る に 違 ひ な い 。 ⋮ ⋮ 斯 う し た 、 ︵ 4 ︶ 靴 を 隔 て て 掻 く や う な も ど か し さ を 除 去 し て 、 完 全 に 我 々 の も の に し た い と い ふ の が 、 支 那 文 學 大 觀 の 企 て あ る 。 學 術 と 藝 術 と を 綜 合 し て 、 藝 術 の 香 高 い現 代 語 譯 を 得 る と 共 に 。 原 文 を 示 し て 、 之 に 嚴 正 な 註 釋 を 施 し 、 研 究 の 指 針 に 供 す る の が 刊 行 の 主 旨 で あ る 。 そ れ が ど の 程 度 ま で 實 現 さ れ た か は 、 卷 末 の 内 容 見 本 で そ の 鱗 片 が 窺 は れ よ う 。 ま た 執 筆 者 諸 氏 の 學 的 良 心 と 、 藝 術 的 精 進 を 知 る 者 に は 贅 言 を 要 し な い 。 今 回 は 第 一 期 と し て 、 各 時 代 を 通 じ 、 代 表 的 雄 篇 傑 作 を 嚴 選 し 、 之 を 十 四 卷 に 牧 め て 發 表 し た 。 こ こ に 肇 め て 一 貫 し た 支 那 文 學 の 大 系 が 表 示 さ れ た の で あ る 。 然 も 、 當 代 知 名 の 學 者 と 藝 術 家 を 網 羅 し て 、 其 の 協 力 に よ っ て 完 成 さ れ た と い ふ 事 は 、 實 に 我 が 出 版 界 空 前 の 壮 觀 で あ る 。 ⋮ ⋮ 爰 に 些 か 讀 書 子 の 渇 仰 に 酬 い 、 併 せ て 我 が 學 界 、 文 壇 、 劇 壇 に 貢 獻 し 、 且 つ 日 支 親 善 の 一 助 た ら ん こ と を 希 ふ も の で あ る 。 幸 に 清 鑑 を 賜 へ 。 ︵ な お 引 用 文 の 傍 線 部 及 び 括 弧 は 筆 者 に よ る 。 以 下 同 し ︶ ︻ 十 八 ︼ と あ る 。 例 え ば 文 中 傍 線 部 ︵ 2 ︶ ﹁ 支 那 文 學 の 藝 術 的 價 値 は 既 に 早 く 具 眼 の 士 に 認 め ら れ て ゐ た が 、 其 の 數 に 於 て 、 亦 其 の 質 に 於 て 、 斷 じ て 西 欧 諸 國 に 劣 つ て は ゐ な い ﹂ と 西 洋 一 辺 倒 の 文 学 界 に 警 鐘 を 鳴 ら し 、 中 国 文 学 の 芸 術 的 価 値 は 、 質 量 と も に 西 欧 文 学 に 比 肩 す る と 主 張 し た 上 で 、 傍 線 部 ︵ 1 ︶ で は ﹁ 國 民 性 を 知 悉 す る に は 、 そ の 魂 の 發 露 と も い ふ べ き 文 學 を 度 外 に 置 く こ と は 出 來 な い 。 此 の 意 味 で も 、 支 那 文 學 、 殊 に 小 説 戯 曲 は も つ と も 顧 み ら る べ き で あ る ﹂ と 指 摘 し て い る 。 つ ま り そ れ ぞ れ の 国 の 国 民 性 を 知 る に は そ の 国 の 文 学 を 知 る こ と が 重 要 で あ り 、 戯 曲 や 小 説 な ど の 通 俗 性 の 高 い 文 学 作 品 に は 、 殊 に 国 民 性 が 顕 著 に 表 れ る 。 そ の た め 、 様 々 な 文 学 作 品 の 中 で も 本 叢 書 で は 、 敢 え て 従 来 注 目 さ れ て こ な か っ た 戯 曲 小 説 に 注 目 し た と い う の で あ る 。 ま た 、 当 時 の 日 本 で 中 国 文 学 に 対 す る 関 心 が 低 か っ た 原 因 に つ い て 、 ﹃ 大 観 ﹄ は 、 西 洋 文 化 礼 賛 の 風 潮 と 、 中 国 文 学 を 理 解 す る 上 で の 技 術 的 な 課 題 ︱ ︱ つ ま り 字 句 の 難 解 さ で あ る と 指 摘 す る 。 そ の た め 傍 線 部 ︵ 3 ︶ で は ﹁ 一 般 的 に 普 及 し な か つ だ の は 、 要 す る に 字 句 が 難 解 な の と 、 西 洋 禮 讃 の 迷 夢 に 歸 す べ き で あ る 。 若 し 信 頼 す る に 足 る 研 究 書 と 、 親 し み 易 い 飜 譯 書 に 接 す る こ と が 出 來 れ ば 、 恰 も 支 那 料 理 の 如 く 世 人 一 般 か ら 迎 へ ら れ る に 違 ひ な い ﹂ と あ る と お り 、 こ の 問 題 を 解 決 す る に は 信 頼 で き る 研 究 書 と 、 親 し み や す い 飜 訳 書 の 存 在 が 必 要 で あ り 、 そ の 役 割 を ﹃ 大 観 ﹄ が 果 た し え る と い う 。 な お 、 こ の 傍 線 部 ︵ 1 ︶ と ︵ 3 ︶ に つ い て は 、 中 国 文 学 研 究 に 相 当 精 通 し て い る 人 で な け れ ば 、 こ の 種 の 着 想 は 出 て こ な い と 思 わ れ る が 、 恐 ら く は ﹃ 大 観 ﹄ の 企 画 に 深 く 関 係 し た 東 洋 協 会 大 学 教 授 の 宮 原 民 平 の 文 学 観 ・ 小 説 観 が 反 映 さ れ て い る の で は な い か と 筆 者 は 推 論 し て い る 。 白 話 小 説 受 容 史 か ら 見 た ﹃ 支 那 文 學 大 觀 ﹄ の 位 置 付 け に つ い て ︱ ︱ 文 言 ・ 白 話 小 説 の 受 容 方 法 を 中 心 に ︱ ︱ 例 え ば 各 国 の 戯 曲 小 説 と 国 民 性 と の 関 係 に つ い て 、 宮 原 民 平 は ﹃ 大 観 ﹄ 刊 行 と 同 時 期 に ﹁ 小 説 戯 曲 が 、 最 も 正 直 に そ の 国 民 の 状 態 を 示 す 。 国 民 性 で も 風 俗 で も 習 慣 で も 、 小 説 戯 曲 に よ っ て 、 最 も 詐 ら ざ る も の が わ か る 。 支 那 の 小 説 を 読 め ば 支 那 の 社 会 と 人 と 思 想 と が わ か る 。 そ し て 多 く 読 む 程 深 く わ か る 。 支 那 に 住 ん で い る が 、 支 那 人 と 深 く 交 際 せ ず 支 那 の 小 説 も 読 ま ぬ 人 よ り 、 支 那 に 往 っ た こ と 無 く し て 支 那 の 小 説 を 読 ん だ 人 の 方 が 、 支 那 人 を よ り 多 く 知 っ て い る 。 ﹂ ︻ 十 九 ︼ と 述 べ る と お り 、 宮 原 の 主 張 ︵ 国 民 性 で も 風 俗 で も 習 慣 で も 、 小 説 戯 曲 に よ っ て 、 最 も 詐 ら ざ る も の が わ か る ︶ は 、 ﹃ 大 観 ﹄ 刊 行 会 の 見 解 ︵ 國 民 性 を 知 悉 す る に は 、 そ の 魂 の 發 露 と も い ふ べ き 文 學 を 度 外 に 置 く こ と は 出 來 な い ︶ と ほ ぼ 一 致 す る 。
ま た 傍 線 部 ︵ 3 ︶ で は ﹁ ﹁ 一 般 的 に 普 及 し な か つ だ の は 、 要 す る に 字 句 が 難 解 ﹂ に つ い て で あ る が 、 宮 原 は ﹁ 真 実 の 所 従 来 の 日 本 人 に は 、 支 那 の 小 説 や 戯 曲 は よ く 読 め て い な か っ た の で あ る 。 そ し て 水 滸 伝 は 非 凡 で あ る と か 、 西 廂 記 は 絶 妙 で あ る と は 評 を 下 し て い た 。 他 人 か ら 見 れ ば 、 読 め ず に 批 評 し て い よ う と は 気 が 附 か な い ﹂ ︻ 二 十 ︼ と 言 及 し て い る 。 こ の よ う に 日 本 で は 江 戸 以 来 中 国 の 戯 曲 小 説 に 疎 く 、 作 品 内 容 の 理 解 も ま ま な ら な か っ た と 述 べ る 点 も 、 ﹃ 大 観 ﹄ 刊 行 会 の 見 解 ︵ 一 般 的 に 普 及 し な か っ た の は 、 要 す る に 字 句 が 難 解 ︶ と 宮 原 の 指 摘 ︵ 従 来 の 日 本 人 に は 、 支 那 の 小 説 や 戯 曲 は よ く 読 め て い な か っ た ︶ が 符 合 し て い る の で あ る 。 こ の よ う に ﹁ 支 那 文 學 大 觀 刊 行 に 就 い て ﹂ に は 、 当 時 の 日 本 に お け る 中 国 文 学 の 見 解 の 中 で も 斬 新 な 考 え が 盛 り 込 ま れ て い る が 、 こ の 箇 滸 に つ い て は 宮 原 の 意 見 が 強 く 反 映 さ れ て い る と 考 え て も 間 違 い で は な か ろ う 。 た だ 、 傍 線 部 ︵ 4 ︶ ﹁ 靴 を 隔 て て 掻 く や う な も ど か し さ を 除 去 し て 、 完 全 に 我 々 の も の に し た い と い ふ の が 、 支 那 文 學 大 觀 の 企 で あ る 。 學 術 と 藝 術 と を 綜 合 し て 、 藝 術 の 香 高 い 現 代 語 譯 を 得 る と 共 に 、 原 文 を 示 し て 、 之 に 嚴 正 な 註 釋 を 施 し 、 研 究 の 指 針 に 供 す る の が 刊 行 の 主 旨 で あ る ﹂ と い う 学 術 と 文 学 ︵ 芸 術 ︶ の 総 合 に つ い て は 、 管 見 の 限 り に 於 い て 宮 原 の 見 解 に は 確 認 出 来 な い 。 そ の た め 高 い 学 術 性 を 維 持 し つ つ 、 支 那 愛 好 者 の 中 か ら 当 時 一 級 の 文 学 家 を 翻 訳 に 投 入 す る と い う 発 想 は 、 ﹃ 大 観 ﹄ 独 自 の 発 想 の 可 能 性 が 否 定 で き な い 。 つ ま り ﹃ 大 観 ﹄ の 構 想 に は ブ レ ー ン と な っ て い た 宮 原 の 存 在 が 大 き か っ た が 、 そ の 宮 原 の 見 解 を 土 台 と し な が ら 、 ︵ あ る い は 出 版 構 想 の 段 階 で 刊 行 会 と 宮 原 民 平 と の 協 議 の 中 で ︶ ﹃ 大 観 ﹄ 独 自 の 発 想 ﹁ 創 作 家 の 現 代 滸 譯 學 究 者 の 原 文 注 釋 ﹂ ︻ 二 十一 ︼ が 生 ま れ た の か も し れ な い 。 こ れ が 第 三 の ﹁ 特 異 ﹂ な 点 で あ る 。 ﹃ 大 観 ﹄ の 収 録 作 品 名 と 翻 訳 者 ・ 滸 釈 者 と そ の 刊 行 状 況 は 、 以 下 の 通 り で あ る 。 〔表 1 〕『支 那 文 學 大 觀 』 出 版 作 品 一 覧 表 巻 数 配 本 順 発 行 日 作 品 名 訳 者 注 釈 者 解 題 論 叢 第1 巻 未 刊 元 曲 選 芥 川 龍 之 介 ・ 谷 崎 潤 一 郎 、 佐 藤 春 夫 、 木 下 杢 太 郎 鹽 谷 温 第2 巻 第8 回 大 正15 年12 月15 日 牡 丹 亭 還 魂 記( 上) 鈴 木 彦 次 郎 ・ 佐 々木 静 光 宮 原 民 平 有 ( 宮 原 ) 第3 巻 第9 回 昭 和2 年4 月15 日 牡 丹 亭 還 魂 記( 下) 鈴 木 彦 次 郎 ・ 佐 々 木 静 光 宮 原 民 平 無 第4 巻 第6 回 大 正15 年10 月25 日 風 箏 誤 宮 原 民 平 宮 原 民 平 有 (宮 原 ) 第5 巻 第2 回 大 正15 年5 月18 日 桃 花 扇 ( 上 ) 今 東 光 鹽 谷温 有 ( 欠 名 ) 第6 巻 第7 回 大 正15 年11 月30 日 桃 花 扇 ( 下 ) 今 東 光 鹽 谷 温 無 第7 巻 未 刊 現 代 戯 曲 木 下 杢 太郎 竹 田 復 第8 巻 第5 回 大 正15 年9 月22 日 唐 代 小 説 川 端 康 成 ・ 鈴 木 彦 次 郎 ・ 今 東 光 鹽 谷 混 無 有 ( 鹽 谷 ) 第9 巻 未 刊 京 本 通 俗 小 説 鹽 谷 温 ? 鹽 谷 温 第10 巻 第3 回 大 正15 年6 月30 日 剪 灯 新 話 ・ 剪 灯 余 話 鈴 木 彦 次郎 鹽 谷 温 有 ( 鹽 谷 ) 無 第11巻 第4 回 大 正15 年7 月29 日 今 古 奇 観 佐 藤春 夫 ・伊 藤 貴 麿 ・ 今 東 光 宮 原 民 平 有 ( 宮 原 ・ 鹽 谷 ) 有 (宮 原 ) 第12 巻 第1 回 大 正15 年3 月31 日 聊 斎 志 異 田 中 貢 太 郎 公 田 蓮 太 郎 有 ( 公 田 ) 第13 巻 未刊 小 説 萃 選 田 中 貢 太 郎 第14 巻 未刊 現 代 小 説 竹 田 復 東 北 大 学 大 学 院 国 際 文 化 研 究 科 論 集 第 二 十 三 号
白 話 小 説 受 容 史 か ら 見 た ﹃ 支 那 文 學 大 觀 ﹄ の 位 置 付 け に つ い て ︱ ︱ 文 言 ・ 白 話 小 説 の 受 容 方 法 を 中 心 に ︱ ︱ 〔2 〕『支 那 文 学 大 観 』 全 巻 予 想 写 真 こ の よ う に 顔 ぶ れ を 見 て も 分 か る 通 り 、 執 筆 者 に は 文 学 界 の ﹁ 堂 々 た る 大 家 ﹂ ︻ 二 十 二 ︼ が 名 前 を 連 ね る 一 方 、 当 時 最 前 線 で 活 躍 し て い た 中 国 戯 曲 小 説 研 究 の ﹁ 學 者 ﹂ ︻ 二 十 三 ︼ が 揃 い 、 大 正 一 五 年 当 時 こ の 種 の 企 画 を 行 う 上 で は 最 善 に 近 い メ ン バ ー を 構 成 し て い た 。 従 来 相 互 に 疎 遠 で あ っ た 民 間 の 支 那 愛 好 者 ︵ 主 と し て 小 説 家 ︶ と 大 学 の ﹁ 學 者 ﹂ が 一 堂 に 会 し て 翻 訳 と 語 釈 に 取 り 組 む 、 こ の よ う な 企 画 は 、 少 な く と も 、 筆 者 が 現 在 取 り 組 ん で い る 短 篇 白 話 小 説 の 受 容 史 の 上 で は 空 前 の 出 来 事 で あ る と 言 え る 。 ま た ﹃ 大 観 ﹄ の 特 徴 に つ い て は 、 他 に も あ る 。 冊 子 に 記 載 さ れ た 本 叢 書 の 特 色 の 中 で 注 目 す べ き も の を 掲 示 す る と 左 掲 の 如 く で あ る 。 一 、 内 容 書 目 の 選 定 に は 十 二 分 の 注 意 が 拂 つ て あ る 。 一 貫 し た 支 那 文 學 の 大 系 を 示 す は 勿 論 、﹁ 元 曲 選 ﹂ ﹁ 風 箏 誤 ﹂﹁ 四 絃 秋 ﹂ ﹁ 京 本 通 俗 小 説 ﹂ 等 邦 人 未 踏 の 世 界 に 手 を 下 し 、 又 我 が 國 文 學 と 關 係 深 い 諸 書 を 採 り 、 更 に 現 代 の 小 説 戯 曲 に ま で 及 ん で ゐ る 等 、 讀 書 界 に 多 大 な セ ン セ イ シ ョ ン を 起 こ す で あ ら う 。 一 、 註 釋 選 定 し た 書 目 は 本 國 に も 徴 す べ き 文 獻 が 尠 な い 。 之 を 邦 人 本 位 に 註 釋 す る こ と は 容 易 で は な い が 、 篤 學 な 註 釋 者 の 精 勵 は 遂 に 之 を 大 成 し て 、 一 字 一 句 を 忽 に せ ず 、 反 點 を も 附 し 、 別 に 難 解 の 字 句 に 訓 讀 ま で 施 し て 研 究 者 の 指 針 た る を 期 し 、 且 つ 譯 文 の 責 を 明 ら か に し た 。 一 、 論 叢 隔 卷 位 の 卷 頭 を 飾 る 論 文 は 、 何 れ も 斯 界 の 權 威 者 の 筆 に な り 、 苟 も 支 那 文 學 を 知 る に 必 須 な 背 景 的 知 識 は 悉 く 採 録 ︻ 二 十 四 ︼ し た 。 之 れ だ け で も 獨 立 し た 文 獻 な る を 失 は な い 。︵ 冊 子 八 頁 参 照 ︶ こ こ か ら も う か が え る 通 り 、 本 叢 書 の 特 徴 の 一 つ に 、 邦 訳 が 行 わ れ て い な い 作 品 の 翻 訳 を 積 極 的 に 企 画 し て い る こ と が 理 解 で き る 。 ﹁ 元 曲 選 ﹂ に つ い て は ﹁ 古 来 詩 文 に 堪 能 な る 漢 学 者 は 多 く あ る が 、 詞 曲 に 至 っ て は 指 を 染 め た も の は 少 な い 。 蓋 し そ の 研 究 が 至 極 困 難 で あ る か ら で あ る 。 こ れ こ そ 新 し く 開 拓 を 待 て る 支 那 文 学 の 天 府 の 秘 境 で あ る 。﹂ と し 、 原 文 註 釈 は 元 曲 研 究 者 と し て 当 時 の 第 一 人 者 で あ っ た 塩 谷 温 か 担 当 し 、 訳 文 に は 芥 川 龍 之 介 、 谷 崎 潤 一 郎 、 佐 藤 春 夫 、
木 下 杢 太 郎 と い う 錚 々 た る メ ン バ ー が 揃 っ て い る 。 そ の 他 に も 清 初 の 李 笠 翁 に よ る 喜 劇 の 傑 作 と し て ﹁ 風 箏 誤 ﹂ 、 そ し て 戯 曲 の 代 表 的 短 篇 と し て 蒋 士 銓 ﹃ 四 絃 秋 ﹄ が 翻 訳 さ れ る こ と と な っ た 。 ま た 本 論 の 研 究 対 象 で あ る 短 篇 白 話 小 説 に つ い て 言 え ば 、 本 叢 書 に ﹁ 京 本 通 俗 小 説 ﹂ と ﹃ 今 古 奇 観 ﹄ の 名 前 が 挙 げ ら れ て い る 点 が 注 目 さ れ る 。 ﹁ 京 本 通 俗 小 説 ﹂ は 、 一 九 一 五 ︵ 民 国 四 ︶ 年 、 教 育 家 ・ 蔵 書 家 と し て 著 名 な 繆? 孫 ︵ 江 東 老? ︶ が 叢 書 ﹁ 煙 画 堂 小 品 ﹂ を 刊 行 の 際 に 収 録 し た 短 篇 白 話 小 説 の 残 巻 で あ る 。 こ れ は ﹁ 通 俗 小 説 と し て 、 完 全 な る 當 時 の 口 語 で 書 か れ た も の で 、 今 日 ま で 殘 っ て い る 最 古 の 小 説 は 、 三 種 に 過 ぎ な い 。 京 本 通 俗 小 説 は そ の 一 で あ っ て ⋮ ⋮ 近 年 發 見 さ れ た 珍 籍 で 、 南 宋 の 終 頃 出 來 た も の と 推 定 さ れ る ﹂ ︻ 二 十 五 ︼ と あ り 、 ﹁ 口 語 體 小 説 の 先 驅 と し て 、 支 那 小 説 を 談 ず る 者 の 必 ず 一 度 は 目 を 通 さ な け れ ば 濟 ま な い も の ﹂ ︻ 二 十 六 ︼ と 紹 介 し て い る 。 な お ﹁ 京 本 通 俗 小 説 ﹂ の 邦 訳 は 、 昭 和 一 五 年 に 行 わ れ た 吉 川 幸 次 郎 に よ る ﹁ 西 山 一 窟 鬼 ﹂ ︻ 二 十 七 ︼ が 最 初 で あ り 、 そ の 後 吉 川 氏 は 昭 和 二 一 年 に ﹁ 碾 玉 観 音 ﹂ ﹁ 菩 薩 蛮 ﹂ を 翻 訳 ︻ 二 十 八 ︼ し て い る 。 ま た ﹁ 京 本 通 俗 小 説 ﹂ 全 七 篇 の 翻 訳 と な る と 完 成 は 更 に 遅 く な り 、 村 松 暎 の 全 訳 が 昭 和 二 六 年 ︻ 二 十 九 ︼ 、 吉 川 幸 次 郎 の 全 訳 が 昭 和 三 一 年 ︻ 三 十 ︼ で あ るO も し も ﹃ 大 観 ﹄ が 予 定 通 り 翻 訳 さ れ て い た ら 、 村 松 暎 の 全 訳 よ り 二 四 年 早 く 、 吉 川 幸 次 郎 の 一 部 翻 訳 よ り も 一 三 年 早 い 計 算 と な る 。 ﹃ 今 古 奇 観 ﹄ ︵ 全 四 〇 篇 ︶ に つ い て は 、 途 中 で 発 見 さ れ た ﹁ 京 本 通 俗 小 説 ﹂ と 異 な り 、 江 戸 時 代 か ら 翻 訳 や 翻 案 が 行 わ れ て い た 。 た だ 、 何 れ の 翻 訳 も 単 発 か つ 小 規 模 な も の で あ り 、 ま と ま っ た 翻 訳 と な る と 、 井 上 紅 梅 の ﹃ 今 古 奇 觀 ﹄ ︵ 一 〇 篇 、 清 水 書 店 、 昭 和 一 七 年 ︶ 、 魚 返 善 雄 ﹃ 中 国 千 一 夜 ﹄ シ リ ー ズ ︵ 一 八 篇 、 日 本 出 版 協 同 、 昭 和 二 七 ∼ 二 八 年 ︶ ま で 待 た な け れ ば な ら ず 、 仮 に ﹃ 大 観 ﹄ が 刊 行 さ れ て い た ら 、 魚 返 よ り も 二 五 年 早 く 、 井 上 紅 梅 の 翻 訳 よ り も 一 五 年 早 い 計 算 と な る 。 特 に 短 篇 白 話 小 説 の 受 容 を 語 る 上 で 重 要 な ﹁ 京 本 通 俗 小 説 ﹂ の 全 訳 を 、 こ の 時 点 で 企 画 し た 先 見 性 は 、 十 分 刮 目 に 値 す る 。 多 く の 新 機 軸 と 数 多 く の 未 訳 作 品 の 翻 訳 か ら 、 刊 行 会 は 自 ら ﹁ 讀 書 界 に 多 大 な セ ン セ イ シ ョ ン を 起 こ す ﹂ ︻ 三 十一 ︼ と 予 言 す る が 、 確 か に そ の 名 に 違 わ ぬ イ ン パ ク ト を 持 つ 叢 書 で あ る 。 東 北 大 学 大 学 院 国 際 文 化 研 究 科 論 集 第 二 十 三 号 二 ﹃ 支 那 文 學 大 觀 ﹄ の 翻 訳 状 況 に つ い て 1 文 言 小 説 の 翻 訳 状 況 そ れ で は ﹃ 大 観 ﹄ に お け る 具 体 的 な 翻 訳 状 況 に つ い て 検 討 し た い 。 ﹃ 大 観 ﹄ は 既 刊 分 だ け で も 九 冊 あ る が 、 小 論 で は そ れ ぞ れ に 検 討 を 加 え る だ け の 紙 幅 を 持 ち 合 わ せ て い な い 。 そ の た め こ こ で は ﹃ 大 観 ﹄ で 翻 訳 さ れ た 小 説 ︵ 文 言 小 説 ・ 白 話 小 説 ︶ の 訳 文 を 一 部 抽 出 し 、 そ れ を 検 討 す る こ と と し た い 。 ﹃ 大 観 ﹄ で は そ の 表 現 形 態 の 別 か ら 、 ① 文 言 小 説 ︵ 唐 代 小 説 ・ 剪 灯 新 話 ・ 剪 灯 余 話 ・ 聊 齋 志 異 ・ 小 説 萃 選 ︶ ② 白 話 小 説 ︵ 京 本 通 俗 小 説 ・ 今 古 奇 観 ︶ ③ 現 代 中 国 語 に よ る 小 説 ︵ 現 代 小 説 ︶ の 三 種 が あ る 。 ③ に 該 当 す る 第 一 四 巻 ﹃ 現 代 小 説 ﹄ は 出 版 前 に 刊 行 会 が 刊 行 停 止 と な っ た た め 、 現 在 そ の 訳 本 を 見 る こ と は 出 来 な い 。 そ の た め 、 こ こ で は ① 文 言 小 説 と ② 白 話 小 説 の 翻 訳 状 況 に つ い て 検 討 を 試 み た い 。
白 話 小 説 受 容 史 か ら 見 た ﹃ 支 那 文 學 大 觀 ﹄ の 位 置 付 け に つ い て ︱ ︱ 文 言 ・ 白 話 小 説 の 受 容 方 法 を 中 心 に ︱ ︱ 文 言 小 説 の 翻 訳 事 例 と し て 、 ﹃ 大 観 ﹄ 第 八 巻 ﹃ 唐 代 小 説 ﹄ に 収 録 さ れ た ﹁ 杜 子 春 伝 ﹂ ︵ 川 端 康 成 訳 、 鹽 谷 温 註 釈 ︶ を 紹 介 す る 。 ﹃ 大 観 ﹄ の 訳 の 特 徴 を 客 観 的 に 比 較 考 察 す る た め に 、 こ こ で は ﹃ 新 釈 漢 文 大 系 唐 代 伝 奇 ﹄ ︵ 明 治 書 院 、 昭 和 四 六 年 ︶ も 併 せ て 参 照 す る こ と と し た い 。 杜 子 春 伝 の 冒 頭 に は 、 こ の よ う な 一 節 が あ る 。 杜 子 春 者 、 蓋 周 隋 間 人 。 ︵ 1 ︶ 少 落 拓 不 事 家 産 。 ︵ 2 ︶ 然 以 志 氣 間 曠 、 縱 酒 間 遊 、 資 産 蕩 盡 。 投 於 親 故 、 ︵ 3 ︶ 皆 以 不 事 事 見 棄 。 方 冬 衣 破 腹 空 、 ︵ 4 ︶ 徒 行 長 安 中 。 日 晩 未 食 、 彷 徨 不 知 所 往 。 於 東 市 西 門 、 ︵ 5 ︶ 饑 寒 之 色 可 掬 、 仰 天 長 吁 。 有 一 老 人 策 杖 於 前 。 間 曰 、 ﹁ 君 子 何 歎 。 ﹂ ︵ 6 ︶ 春 言 其 心 、 且 憤 其 親 戚 之 疎 薄 也 、 感 激 之 氣 、 發 於 顔 色 。 老 人 曰 、 ﹁ 幾 緡 則 豐 用 。 ﹂ 子 春 曰 、﹁ 三 五 萬 、 則 可 以 活 矣 。 ﹂ 老 人 曰 ﹁ ︵ 7 ︶ 未 也 。 ﹂ 更 言 之 、﹁ 十 萬 。 ﹂ 曰 、﹁ ︵ 8 ︶ 未 也 。 ﹂ 乃 言 、﹁ 百 萬 。 ﹂ 亦 曰 、﹁ 未 也 。 ﹂ 曰 、 ¬ 三 百 萬 。 ﹂ 乃 曰 、 ﹁ 可 矣 。 ﹂ 於 是 袖 出 一 緡 、 曰 、 ﹁ ︵ 9 ︶ 給 子 今 夕 。 明 日 午 時 、 候 子 於 西 市 波 斯 邸 。 愼 無 後 期 。 ﹂ 及 時 、 子 春 往 。 老 人 果 與 錢 三 百 萬 、 不 告 姓 名 而 去 。 ︻ 三 十 二 ︼ こ の 箇 所 を ﹃ 新 釈 漢 文 大 系 ﹄ で は こ の よ う に 口 語 訳 し て い る 。 杜 子 春 は 、 思 う に 周 か ら 隋 へ か け て の 人 で あ る 。 ︵ 1 ︶ 若 い 時 か ら 締 り が な く 、 家 業 に は 精 を 出 さ な い 。︵ 2 ︶ そ れ で 志 が 大 き く 、 酒 を ほ し い ま ま に し て 、 の ん き に 遊 び ま わ っ て い た も の だ か ら 、 財 産 を 使 い は た し 、 親 戚 や 友 人 の 家 に 身 を 寄 せ た が 、 い ず れ も 仕 事 に 精 を 出 さ な い た め に ︵ 3 ︶ よ せ つ け ら れ な い の で あ っ た 。 あ る 冬 の 日 、 破 れ た 着 物 を 着 、 腹 を す か せ て 、 ︵ 4 ︶ 長 安 の 町 の 中 を 歩 い て い た 。 日 は 暮 れ か か っ た が 、 ま だ 飯 に は あ り つ け ず 、 さ ま よ い 歩 い て 、 ど こ へ 行 く あ て と て な い 。 東 の 市 場 の 西 門 の と こ ろ に く る と 、︵ 5 ︶ 飢 え と 寒 さ に 苦 し む 様 子 を あ ら わ に し て 、 空 を 仰 い で 大 き な 溜 息 を つ い た 。 こ の 時 、 一 人 の 老 人 が 杖 を つ い て 前 に 現 れ 、 問 う て 言 う 、﹁ そ な た は 何 を 嘆 い て お ら れ る の じ ゃ ﹂ と 。 ︵ 6 ︶ 杜 子 春 は 自 分 の 気 持 を 述 べ 、 さ ら に 親 戚 の 薄 情 な こ と を 憤 っ て は 、 興 奮 の 気 配 が 顔 色 に ま で 現 れ て い た の だ っ た 。 老 人 が 言 う の に 、﹁ い く ら あ っ た ら 用 に 足 り る の か ね ﹂ と 。 子 春 は 言 う 、﹁ 三 万 か 五 万 あ れ ば 生 活 で き ま し よ う 。 ﹂ と 。 老 人 は 言 う 、 ﹁ ︵ 7 ︶ ま だ そ れ で は だ め だ な ﹂ と 。 更 に ﹁ 十 万 ﹂ と 言 っ た 。 言 う ﹁ ま だ だ め だ な ﹂ と 。 そ こ で ﹁ 百 万 ﹂ と 言 っ た が 、 ま た も や ﹁ ︵ 8 ︶ ま だ だ め だ な ﹂ と 言 う 。 ¬ 三 百 万 ﹂ と 言 う と 、 や っ と ﹁ よ か ろ う ﹂ と 言 い 、 袖 の 中 か ら 銭 を 一 貫 取 り 出 し て 、﹁ ︵ 9 ︶ そ な た に 進 ぜ よ う 。 今 は 夜 だ か ら 、 明 日 の 正 午 に そ な た を 西 の 市 場 の ペ ル シ ャ 屋 敷 で 待 っ て い る 。 く れ ぐ れ も 約 束 の 時 間 に 遅 れ な い よ う に な ﹂ と 言 う の で あ っ た 。 約 束 の 時 刻 に な っ て 子 春 が 行 っ て み る と 、 老 人 は 果 た し て 三 百 万 の 銭 を く れ 、 姓 名 を 告 げ ず に 立 ち 去 っ た 。 ︻ 三 十 三 ︼ そ の 上 で 、 ﹃ 大 観 ﹄ 第 八 巻 ﹃ 唐 代 小 説 ﹄ に 収 録 ﹁ 杜 子 春 伝 ﹂ ︵ 川 端 康 成 訳 、 鹽 谷 温 註 釈 ︶ に お け る 同 一 箇 所 の 口 語 訳 を 掲 げ る と 、 左 記 の 通 り と な る 。
東 北 大 学 大 学 院 国 際 文 化 研 究 科 論 集 第 二 十 三 号 杜 子 春 は 周 と 隋 と の 間 の 人 で あ る 。 ︵ 1 ︶ 若 い 時 分 か ら 家 業 を 怠 つ て 落 ち ぶ れ た 。 ︵ 2 ︶ 性 質 は 放 縱 で 、 大 酒 飲 み の 上 に 悪 遊 び を し た の で 、 財 産 を 使 ひ 果 し て し ま ひ 、 親 戚 や 舊 知 の 家 に 身 を 寄 せ た け れ ど も 、 少 し も 仕 事 を し よ う と し な い の で 、 ︵ 3 ︶ 愛 想 を つ か さ れ て 棄 て ら れ て し ま つ た 。 冬 だ つ た の に 、 破 れ た 衣 を 纏 ひ 空 腹 を 抱 へ て 、 ︵ 4 ︶ 長 安 の 都 を 震 え な が ら ぶ ら ぶ ら 歩 く よ り 仕 方 が な か つ た 。 日 が 暮 れ て も 物 に あ り つ く こ と が 出 來 な か つ た 。 空 し く ほ つ き 歩 く ば か り で 、 そ の 夜 の 宿 の あ て も な か つ た 。 東 市 の 西 門 へ や つ て 來 た 頃 に は 、 ︵ 5 ︶ そ の 飢 ゑ と 寒 さ で 弱 り 果 て た 有 様 は 誰 の 目 に も 哀 れ を 催 す 程 で あ つ た 。 天 を 仰 い で 長 嘆 息 を 洩 し た 。 そ こ ヘ 一 人 の 老 人 が 杖 を つ い て や つ て 來 た 。 ﹃ 君 は 何 を 嘆 息 し て ゐ る の だ ね 。﹄ ︵ 6 ︶ 杜 子 春 は 事 情 を 話 し 、 顔 色 を 變 へ て 親 戚 の 薄 情 を 憤 慨 し た す る と 老 人 が 云 つ た 。 ﹃ ふ ん 。 し て 、 一 體 金 が ど れ く ら ゐ あ れ ば い い の だ ね 。﹄ ﹃ 三 萬 か 五 萬 も あ れ ば 結 構 暮 ら し て 行 け る で せ う 。﹄ ﹃︵ 7 ︶ 何 だ け ち く さ い 。 そ れ つ ぱ か り か 。 同 じ こ と な ら 、 も つ と 澤 山 ほ し い と 云 へ 。 ﹄ ﹃ で は 百 萬 。 ﹄ ﹃︵ 8 ︶ 何 だ 。 そ れ つ ぱ か り か 。 ﹄ ﹃ ぢ や あ 三 百 萬 。﹄ ﹃ よ ろ し い 。﹄ そ し て 老 人 は 袖 の 中 か ら 錢 貫 を 一 つ 出 し て 云 つ た 。 ﹃︵ 9 ︶ 今 は 持 合 せ が な い か ら 、 こ れ だ け や つ て 置 く 。 明 日 、 や つ ぱ り 夕 方 の 今 頃 に 西 市 の ペ ル シ ャ の 邸 へ 來 給 へ 。 よ く 氣 を つ け て 、 遅 刻 し な い や う に し 給 へ 。﹄ 杜 子 春 は 約 束 の 時 間 に 行 つ た 。 す る と 果 し て 老 人 は 錢 三 百 萬 を 與 え 、 名 前 も 云 は ず に 何 處 か へ 行 つ て し ま つ た 。 ︻ 三 十 四 ︼ 傍 線 部 ︵ 1 ︶ ﹁ 若 い 時 分 か ら 家 業 を 怠 つ て 落 ち ぶ れ た ﹂ の 原 文 は ﹁ 少 落 拓 不 事 家 産 ︵ 少 く し て 落 拓 に し て 、 家 産 を 事 と せ ず ︶ ﹂ で あ る 。 ﹁ 落 拓 ﹂ は 散 漫 で 締 ま り の 無 い こ と 、 豪 放 で 物 事 に 拘 泥 し な い こ と を 指 す 。 そ の た め 原 文 だ と ﹁ 若 い 時 分 か ら 性 格 が 落 拓 な の で 家 業 を 怠 つ て 落 ち ぶ れ た ﹂ の で あ り 、﹃ 大 観 ﹄ で は こ の ﹁ 落 拓 ﹂ を 訳 し て い な い 。 原 文 に は 続 い て ﹁ 然 以 志 氣 間 曠 縱 酒 間 遊 、 資 産 蕩 盡 ︵ 然 し て 以 志 氣 間 曠 に し て 、 酒 を 縱 に し 間 遊 す る を 以 て 、 資 産 蕩 盡 す ︶ ﹂ と あ る 。 こ こ で の ﹁ 然 ﹂ は 順 接 で あ る か ら 、 ﹁ 志 氣 間 曠 ﹂ は 志 が 広 く 大 き く 、 ﹁ 縱 酒 間 遊 ﹂ は 酒 を ほ し い ま ま に し て の ん び り と 遊 ぶ 、﹁ 蕩 盡 ﹂ は 使 い 果 た し て な く な る こ と で あ る 。 そ の た め ﹁ そ れ で 志 は 大 き い も の の 、 酒 好 き で の ん び り と 遊 び 暮 ら し て い た の で 、 財 産 を 使 い 果 た し て し ま つ た ﹂ と い う 意 味 だ が 、 ﹃ 大 観 ﹄ は ﹁ 性 質 は 放 縱 で 、 大 酒 飲 み の 上 に 悪 遊 び を し た の で 、 財 産 を 使 ひ 果 た し て し ま ひ ﹂ と あ る 。 こ こ の 訳 文 ﹁ 性 質 は 放 縱 で ﹂ は 、 該 当 箇 所 の 原 文 に は な く 、 傍 線 部 ︵ 1 ︶ で 訳 出 し て い な か つ た ﹁ 落 拓 ﹂ を こ こ で 登 場 さ せ て い る 。 そ の 上 で ﹁ 志 氣 間 曠 ﹂ を 訳 さ ず 、 ﹁ の ん び り 遊 び 暮 ら し ︵ 間 遊 ︶ ﹂ を ﹁ 悪 遊 び ﹂ と 改 変 し て い る 。 原 文 に よ れ ば 、 杜 子 春 の 性 格 は 、 ① ﹁ 落 拓 ﹂ 、 ② ﹁ 志 氣 間 曠 ﹂ で あ り 、 そ の 彼 の 行 動 は ③ ﹁ 不 事 家 産 ﹂ 、 ④ ﹁ 縱 酒 間 遊 ﹂ 、 ⑤ ﹁ 資 産 蕩 盡 ﹂ と あ る 。 つ ま り 杜 子 春 は 豪 放 で 志 が 広 く 大 き か つ た が 、 家 業 に 励 ま ず 酒 を 飲 み 遊 び 回 り 、 財 産 を 使 い 果 た し て い た 。 し か し ﹃ 大 観 ﹄ の 訳 で は ︵ 志
氣 間 曠 を 省 略 し て ︶ 杜 子 春 の 性 格 は ﹁ 放 縦 ﹂ と し か 説 明 せ ず 、 杜 子 春 の 性 格 が 単 純 化 さ れ て い る 。 ま た 傍 線 部 ︵ 3 ︶ は ﹁ 皆 以 不 事 事 見 棄 ︵ 皆 事 を 事 と せ ざ る を 以 て 棄 て ら る ︶ ﹂ で あ る か ら 、﹁ 皆 は ︵ 杜 子 春 が ︶ 仕 事 を 行 わ な い こ と か ら 棄 て ら れ て し ま っ た ﹂ と な る べ き で あ る が 、 ﹃ 大 観 ﹄ は 、﹁ 愛 想 を つ か さ れ て 棄 て ら れ て し ま っ た 。﹂ と あ り 、 仕 事 に 精 を 出 さ な い か ら 棄 て ら れ た と い う 原 義 か ら 更 に 一 歩 踏 み 込 ん で 、 仕 事 に 精 を 出 さ な い ︵ 杜 子 春 に ︶ あ き れ 、 好 意 や 親 愛 の 情 を な く し 、 棄 て ら れ た と 翻 訳 し て い る 。 傍 線 部 ︵ 4 ︶ の 原 文 は ﹁ 徒 行 長 安 中 。 日 晩 未 食 、 彷 徨 不 知 所 往 ︵ 長 安 中 を 徒 行 す 。 日 晩 れ て 未 だ 食 せ ず 、 彷 徨 し て 往 く 所 を 知 ら ず ︶ ﹂ で あ る 。 杜 子 春 は あ る 冬 の 日 に 破 れ た 着 物 を 着 て 腹 を す か せ 、 長 安 の 町 の 中 を 歩 い て い た 。 日 が 暮 れ て も ま だ 夕 食 に も あ り つ け ず 、 ︵ し か も 宿 無 し で あ る の で ︶ 彷 徨 い 歩 い て も 往 く と こ ろ が な か っ た 。 と い う 意 味 で あ る 。 語 釈 が 難 し い と こ ろ で は な い が 、﹃ 大 観 ﹄ の 訳 で は ﹁ 長 安 の 都 を 震 え な が ら ぶ ら ぶ ら 歩 く よ り 仕 方 が な か っ た 。 日 が 暮 れ て も 食 物 に あ り っ く こ と が 出 来 な か っ た 。 空 し く は っ き 歩 く ば か り で 、 そ の 夜 の 宿 の あ て も な か っ た ﹂ と し て い る 。 ﹁ 長 安 の 都 を 震 え な が ら ぶ ら ぶ ら 歩 く ﹂ は ﹁ 彷 徨 不 知 所 往 ﹂ か ら 翻 訳 し た と 推 断 で き る 。 つ ま り 、 原 文 に あ る 、 杜 子 春 が 主 語 の 文 章 で あ る ﹁ 徒 行 長 安 。 ⋮ ⋮ 彷 徨 不 知 所 往 ﹂ を 一 括 し て 翻 訳 し た に 違 い な い 。 点 線 部 ﹁ ∼ す る よ り 仕 方 な か っ た ﹂ と ﹁ 空 し く ﹂ は 原 文 に は な い 表 現 で あ り 、 訳 者 が 加 筆 し た 可 能 性 が 高 い 。 傍 線 部 ︵ 5 ︶ の 原 文 は ﹁ 饑 寒 之 色 可 掬 ︵ 饑 寒 の 色 掬 す 可 し ︶ ﹂ だ け で あ り 、﹁ ︵ 杜 子 春 の ︶ 飢 え と 寒 さ で 苦 し む 様 子 が は っ き り と ︵ 表 情 に ︶ 表 れ て い た ﹂ と い う 意 味 で あ る が 、 ﹃ 大 観 ﹄ の 訳 で は ﹁ そ の 飢 ゑ と 寒 さ で 弱 り 果 て た 有 様 は 誰 の 目 に も 哀 れ を 催 す 程 で あ っ た ﹂ と あ り 、﹁ 色 掬 す 可 し ﹂ を ﹁ 誰 の 目 に も 哀 れ を 催 す 程 で あ っ た ﹂ と 表 現 し 、 原 義 に 忠 実 で あ り な が ら 、 か つ ﹁ 誰 の 目 に も ∼ で あ っ た ﹂ と 加 筆 し た こ と で 文 意 が 更 に 明 瞭 に な っ て い る 。 こ の 種 の 文 意 の 明 瞭 化 の 傾 向 は 、 傍 線 部 ︵ 6 ︶ に も 確 認 出 来 る 。 原 文 に は ﹁ 春 言 其 心 、 且 憤 其 親 戚 之 疎 薄 也 、 感 激 之 氣 、 發 於 顔 色 ︵ 春 は 其 の 心 を 言 ひ 、 且 つ 其 の 親 戚 の 疎 薄 を 憤 る や 、 感 激 の 氣 、 顔 色 に 發 す ︶ ﹂ と あ り 、 逐 語 的 に 訳 す と 、 杜 子 春 は 自 分 の 気 持 を 述 べ 、 か つ 親 戚 の 薄 情 な こ と を 憤 っ た 。 彼 の 興 奮 し て い る 様 子 が 顔 色 に ま で 現 れ た 、 と い う 内 容 で あ る が 、 一 文 の 中 で 杜 子 春 を 主 語 と し て ﹁ 言 ﹂﹁ 憤 ﹂ の 動 詞 が あ り 、 更 に 途 中 で 主 語 が ﹁ 感 激 之 氣 ﹂ に 変 わ る な ど 、 内 容 的 に 雑 然 と し た 印 象 を ぬ ぐ え な い 。 そ れ に 対 し ﹃ 大 観 ﹄ で は 、 ﹁ 杜 子 春 は 事 情 を 話 し 、 顔 色 を 變 へ て 親 戚 の 薄 情 を 憤 慨 し た ﹂ と 、 一 貫 し て 杜 子 春 を 主 語 と す る こ と で ぶ れ の 少 な い 洗 練 さ れ た 訳 に 仕 上 が っ て い る 。 ま た ﹃ 大 観 ﹄ の 特 徴 と も 言 え る の が 、 語 義 を 踏 ま え つ つ も 、 そ の 状 況 に 応 じ た 多 彩 な 表 現 を 織 り 交 ぜ て い る と こ ろ で あ る 。 傍 線 部 ︵ 7 ︶ ︵ 8 ︶ の 原 文 は ど ち ら も ﹁ 未 也 ︵ 未 し な り ︶﹂ で し か な い 。 そ れ を ﹁ 何 だ 。 そ れ つ ば か り か ﹂ ﹁ 何 だ け ち く さ い 。 そ れ つ ば か り か 。 同 じ こ と な ら 、 も つ と 澤 山 ほ し い と 云 へ ﹂ と ま で 潤 色 す る と こ ろ に 、 小 説 家 を 翻 訳 に 加 え た 価 値 が 見 出 せ よ う 。 学 者 の 指 導 と 協 力 の も と で 、 創 作 者 の 筆 が 十 二 分 に 発 揮 さ れ た 好 例 で あ ろ う 。 白 話 小 説 受 容 史 か ら 見 た ﹃ 支 那 文 學 大 觀 ﹄ の 位 置 付 け に つ い て ︱ ︱ 文 言 ・ 白 話 小 説 の 受 容 方 法 を 中 心 に ︱ ︱
東 北 大 学 大 学 院 国 際 文 化 研 究 科 論 集 第 二 十 三 号 2 白 話 小 説 の 翻 訳 状 況 次 に 白 話 小 説 の 翻 訳 事 例 と し て 、 ﹃ 大 観 ﹄ 第 一 一 巻 ﹃ 今 古 奇 觀 ﹄ に 収 録 さ れ た ﹃ 今 古 奇 観 ﹄ 第 七 巻 ﹁ 賣 油 郎 獨 占 花 魁 ﹂ の 翻 訳 ﹁ 願 事 叶 ふ ︵ 賣 油 郎 ︶ ﹂ ︵ 佐 藤 春 夫 訳 、 宮 原 民 平 註 釈 ︶ を 紹 介 す る 。 こ こ で も ﹃ 大 観 ﹄ の 訳 の 特 徴 を 客 観 的 に 比 較 考 察 す る た め に 、 千 田 九 一 ・ 駒 田 信 二 訳 ﹃ 中 国 古 典 文 学 大 系 ︵ 三 七 ︶ 今 古 奇 観 ︵ 上 ︶ ﹄ ︵ 平 凡 社 、 昭 和 四 五 年 ︶ を 併 せ て 参 照 す る こ と に し た い 。 北 宋 末 年 、 靖 康 の 変 で 金 軍 が 猛 威 を 振 る い 汳 梁 城 が 占 領 さ れ 、 城 内 の 人 々 は 難 民 と な り 南 方 へ 避 難 を 開 始 し た 。 食 料 雑 貨 を 商 う 瑤 琴 一 家 も 南 方 に 逃 げ よ う と し た が 、 官 軍 敗 残 兵 の 強 奪 に 遭 遇 し 一 家 は 離 散 、 途 方 に く れ た 瑤 琴 を だ ま し 、 卜 喬 が 彼 女 と と も に 臨 安 府 へ 向 か う 場 面 で あ る 。 そ の 際 の 経 緯 に つ い て 原 文 に は 、 卜 喬 、 自 汳 梁 至 臨 安 、 三 千 餘 里 、 帶 那? 瑤 琴 下 來 。 身 邊 藏 下 些 散 碎 銀 兩 、 都 用 盡 了 、 連 身 上 外 蓋 衣 服 、 脱 下 准 了 店 錢 、 止 剰 得? 瑤 琴 一 件 活 貨 、︵ 1 ︶ 欲 行 出 脱 。 訪 得 西 湖 上 煙 花 王 九 媽 家 、 要 討 養 女 、 遂 引 九 媽 到 店 中 、 看 貨 還 錢 。 九 媽 見 瑤 琴 生 得 標 致 、 講 了 財 禮 五 十 兩 。 卜 喬 兌 足 了 銀 子 、 將 瑤 琴 送 到 王 家 。 原 來 卜 喬 有 智 、 在 王 九 媽 前 、 只 説 ﹁ 瑤 琴 是 我 親 生 之 女 、 ︵ 2 ︶ 不 幸 到? 門 戸 人 家 、 ︵ 3 ︶ 須 是 款 款 的 教 訓 、 ︵ 4 ︶ 他 自 然 從 順 、 不 要 性 急 。﹂ 在 瑤 琴 面 前 、 又 説 ﹁ 九 媽 是 我 至 親 、 權 時 把? 寄 頓 他 家 、 待 我 從 容 訪 知?? 媽 下 落 、 再 來 領? 。 ﹂ 以 此 瑤 琴 欣 然 而 去 。 可 憐 絶 世 聰 明 女 堕 落 煙 花 羅 網 中 ︻ 三 十 五 ︼ と あ る 。 こ の 箇 所 を ﹃ 中 国 古 典 文 学 大 系 ﹄ で は こ の よ う に 口 語 訳 し て い る 。 卜 喬 は 汳 京 か ら 臨 安 ま で 、 お よ そ 五 百 里 あ ま り の 道 の り を 、 ? 瑤 琴 を つ れ て 下 っ て き た も の で 、 手 も と に あ っ た い く ば く か の 銀 子 も 、 す っ か り 使 い は た し て し ま い 、 身 に つ け た 上 衣 類 ま で 宿 賃 の 払 い に 当 て る 始 末 。 あ と は た だ 、? 瑤 琴 と い う 生 き た 品 物 だ け と な っ た の で 、 ︵ 1 ︶ こ い つ を ど こ か へ 売 り 飛 ば そ う と 思 っ た 。 ち ょ う ど そ の 矢 先 、 西 湖 の ほ と り の 遊 女 屋 王 九 媽 の 家 で 養 女 を さ が し て い る と 聞 い た の で 、 と う と う 九 媽 を 宿 ま で つ れ て き て 現 物 取 引 を は じ め た 。 九 媽 は 瑤 琴 の 器 量 を 見 て 、 身 代 金 五 十 両 を 出 そ う と い う の で 、 卜 喬 は お 金 を ち ゃ ん と 受 け 取 っ た 上 、 瑤 琴 を 王 家 に 引 き わ た し た 。 卜 喬 は な か な か 知 恵 の あ る 男 で 、 王 九 媽 の 前 で は 、 ﹁ 瑤 琴 は わ し の 実 の 娘 な ん だ が 、 ︵ 2 ︶ 可 哀 そ う に お 宅 の よ う な 遊 女 屋 に 身 か 落 と す こ と に な っ た 。 ︵ 3 ︶ ど う か や さ し く お だ や か に し つ け て も ら い た い 。 ︵ 4 ︶ そ う す り や 自 然 に い う こ と を 聞 く よ う に な る か ら 、 あ せ っ ち ゃ い け ま せ ん ぜ 。 ﹂ い っ ぽ う 、 瑤 琴 の 前 で は 、 ﹁ 九 媽 は わ し の ご く 近 い 親 戚 だ か ら 、 し ば ら く の 間 お め え を あ ず け て お く 。 そ の う ち じ っ く り 、 父 さ ん 母 さ ん の ゆ く え を さ が し 出 し て か ら 、 お め え を 引 き 取 り に く る か ら な ﹂ と い う わ け で 、 瑤 琴 は 喜 ん で 出 か け た 。 憐 れ む べ し 絶 世 聡 明 の 女 堕 落 す 煙 花 羅 網 の 中 に ︻ 三 十 六 ︼
白 話 小 説 受 容 史 か ら 見 た ﹃ 支 那 文 學 大 觀 ﹄ の 位 置 付 け に つ い て ︱ ︱ 文 言 ・ 白 話 小 説 の 受 容 方 法 を 中 心 に ︱ ︱ そ の 上 で 、 ﹃ 大 観 ﹄ に お け る 同 一 箇 所 の 口 語 訳 を 掲 げ る と 、 左 記 の 通 り と な る 。 卜 喬 は 汳 梁 か ら 臨 安 ま で の 三 千 餘 里 の 旅 に 、 ま し て 瑤 琴 を つ れ て 來 た お か げ で 、 身 に つ け て ゐ た あ り 金 小 金 は 鐚 一 文 も 殘 ら ず 使 ひ 果 し て し ま つ て 、 身 に つ け て ゐ た 着 物 ま で 脱 い で は 路 銀 に あ て 、 今 で は 殘 つ て ゐ る も の は 例 の 瑤 琴 と い ふ 活 き た 賣 物 一 つ 。 ︵ 1 ︶ こ い つ を も の に し て 逃 げ 出 さ な け や な ら な い 。 そ こ で 西 湖 の ほ と り の 妓 樓 王 九 媽 の 家 で 、 養 女 を 欲 し が つ て ゐ る と 聞 き 知 つ た も の だ か ら 、 た う と う 代 物 を 見 せ て 金 を 受 取 ら う と い ふ の で 、 九 媽 を 自 分 の 宿 へ つ れ て 來 た 。 九 媽 は 瑤 琴 が 生 ま れ な が ら の 器 量 好 し な の を 見 る と 、 禮 金 を 五 十 兩 拂 ふ こ と に し た 。 卜 喬 は 受 取 つ た 金 を 數 へ て し ま つ て 、 さ て 瑤 琴 を つ れ て 王 九 媽 の 家 へ 送 つ た の で あ る が 、 も と も と こ の 卜 喬 と い ふ 男 は 智 恵 の あ る 奴 だ つ た か ら 、 九 媽 の 前 で は 、 こ ん な こ と を 言 ふ ︱ ︱ ﹃ こ の 子 は わ た し の 血 を 分 け た 女 な の だ が 、 ︵ 2 ︶ お 前 さ ん の と こ ろ へ お 茶 屋 奉 公 な ど し な け や な ら な い 不 仕 合 わ せ な の だ か ら 、 ︵ 3 ︶ 何 事 も ど う ぞ 優 し く 教 へ て や つ て く だ さ い よ 。 ︵ 4 ︶ 自 然 と 言 ふ こ と を 聞 く や う に な る ま で は 、 氣 短 か な こ と は し て は く だ さ る な 。﹄ そ れ か ら 瑤 琴 の 前 で は ま た こ ん な こ と を 言 ふ ︱ ︱ ﹃ 九 媽 は わ た し の 身 内 の 人 だ か ら 、 ち よ つ と お 前 さ ん を あ の 人 の う ち へ 預 け て 置 く 。 さ う し て 私 か 氣 永 に 、 お 前 さ ん の お 父 さ ん や お 母 さ ん の 居 所 を 捜 し 出 す の を 待 つ て ゐ て お く れ 。 そ の う ち に は 直 ぐ お 前 さ ん を つ れ に 来 る 。﹄ か う 云 は れ て 瑤 琴 は い そ い そ と 九 媽 の と こ ろ へ 行 つ た の だ 。 ︱ ︱ 不 憫 や 世 に も 珍 ら し い 賢 い 子 が 憂 き 川 竹 の 泥 に 身 を 沈 め る 。︻ 三 十 七 ︼ ﹃ 大 観 ﹄ の 訳 文 を 見 て 明 ら か な よ う に 、 ﹃ 大 観 ﹄ の 翻 訳 水 準 は ﹃ 中 国 古 典 文 学 大 系 ﹄ と 遜 色 の な い レ ベ ル に 達 し て い る 。 白 話 語 彙 に 関 す る 工 具 書 も 満 足 に な い 状 況 で こ こ ま で 翻 訳 で き た の は 、 過 去 に 白 話 小 説 の 翻 訳 ﹁ 李 太 白 ﹂ ︻ 三 十 八 ︼﹁ 孟 沂 の 話 ﹂ ︻ 三 十 九 ︼﹁ 花 と 風 ﹂ ︻ 四 十 ︼﹁ 百 花 村 物 語 ﹂ ︻ 四 十 一 ︼ を 発 表 し た 佐 藤 春 夫 の 経 験 か ら で あ ろ う 。 春 夫 の 作 品 は 基 本 的 に 翻 訳 が 目 的 で は な く 、 原 文 か ら 着 想 し た 潤 色 に 文 学 的 価 値 を 見 出 し て い た が 、 ﹃ 大 観 ﹄ で は 宮 原 民 平 の 指 導 と 援 助 も あ り 、 原 文 に 極 め て 忠 実 な 翻 訳 を 心 掛 け て い る 。 ﹃ 大 観 ﹄ に よ る ﹁ 賣 油 郎 獨 占 花 魁 ﹂ の 翻 訳 は 大 変 正 確 で あ り 、 当 時 の 翻 訳 で も 最 高 水 準 と 言 え る が 、 入 念 に 訳 語 を 検 討 す る と 若 干 気 に な る 訳 語 も あ る 。 例 え ば 傍 線 部 ︵ 1 ︶ ﹁ 欲 行 出 脱 ﹂ の ﹁ 出 脱 ﹂ は 、 白 話 語 彙 で ﹁ ︵ 商 品 を ︶ 売 り 払 う ﹂ ﹁ 売 り 渡 す ﹂ ﹁ 手 放 す ﹂ の 意 味 で あ り 、 こ こ で は 開 封 か ら 連 れ て き た ﹁ 活 貨 ︵ 活 き た 品 物 ︶ ﹂ の? 瑤 琴 を 売 り 払 う 事 を 示 す 。 基 本 的 に ﹁ 出 脱 ﹂ は 動 産 の 売 却 を 示 す 語 彙 で あ る が 、 人 身 を 売 り 払 う 時 も 用 い ら れ る こ と は ﹁ 那 兩 脚 貨 、 今 夜 要 出 脱 與 江 西 客 人 去 了 ﹂ ︵ ﹃ 警 世 通 言 ﹄ 巻 五 ︶ か ら も 確 認 出 来 る 。 し か し ﹃ 大 観 ﹄ で は ﹁ こ い つ を も の に し て 逃 げ 出 さ な け れ ば な ら な い ﹂ と 訳 し 、 ﹁ 出 脱 ﹂ を ﹁ ︵ 瑤 琴 を ︶ 売 り 払 う ﹂ で は な く 、 ﹁ ︵ 卜 喬 が ︶ 逃 げ 出 す ﹂ と し て い る 。 恐 ら く は 白 話 語 彙 研 究 が 中 途 段 階 に あ つ た 当 時 で は 、 語 義 の 把 握 が 困 難 で あ つ た の で あ ろ う 。 次 の 傍 線 部 ︵ 2 ︶﹁ 不 幸 到? 門 戸 人 家 ﹂ で あ る が 、﹁ 門 戸 人 家 ﹂ は ﹁ 妓 院 ﹂
﹁ 芸 者 屋 ﹂ を 意 味 す る 白 話 語 彙 で 、 同 例 は ﹃ 二 刻 拍 案 驚 奇 ﹄ 巻 四 の ほ か 、 本 作 ︵ ﹃ 今 古 奇 観 ﹄ 巻 七 ︶ の 他 の 箇 所 に も 確 認 で き る 。 な お こ の 文 節 は 前 文 ﹁ 瑤 琴 是 我 親 生 之 女 ﹂ を 受 け て い る の で 、 本 文 の 主 語 は 瑤 琴 で あ る 。 ゆ え に ﹁ ︵ 瑤 琴 は ︶ 不 幸 に も あ な た の 妓 院 に 入 る 事 に な っ た ﹂ と い う 意 味 と な る 。 そ れ を ﹃ 大 観 ﹄ で は ﹁ お 前 さ ん の と こ ろ へ お 茶 屋 奉 公 な ど し な け や な ら な い 不 仕 合 わ せ な の だ か ら ﹂ と ﹁ 門 戸 人 家 ﹂ の 語 彙 を そ つ な く 訳 し て い る 。 ま た 傍 線 部 ︵ 3 ︶ ﹁ 須 是 款 款 的 教 訓 ﹂ で あ る が 、 冒 頭 の ﹁ 須 是 ﹂ は 、 白 話 語 彙 で ﹁ 須 索 ﹂ と 同 様 に ﹁ ∼ し な け れ ば な ら な い ﹂ ﹁ ∼ で な け れ ば な ら な い ﹂ と い う 意 味 、 そ し て ﹁ 款 款 ﹂ は ﹁ ︵ 扱 い 方 が ︶ や さ し い ﹂ と い う 意 味 で 、﹁ や さ し く 彼 女 を 扱 わ な け れ ば な ら な い ︵ 扱 い な さ い ︶ ﹂ の 意 味 で あ る 。 し か し ﹃ 大 観 ﹄ で は ﹁ 何 事 も ど う ぞ 優 し く 教 へ て や つ て く だ さ い よ ﹂ と ﹁ 懇 願 ﹂ の 意 味 に と っ て お り ﹁ 須 是 ﹂ の 意 味 が 明 確 で は な い 。 そ し て 傍 線 部 ︵ 4 ︶ ﹁ 他 自 然 從 順 、 不 要 性 急 ﹂ は 、 ﹁ 從 順 ﹂ が 白 話 語 彙 で ﹁ 服 従 す る ﹂﹁ 従 う ﹂ と い う 意 味 で あ り 、 前 文 に あ る ﹁ 須 是 款 款 的 教 訓 ︵ や さ し く 彼 女 を 扱 い な さ い ︶ ﹂ を 受 け て 、 そ の 条 件 が 満 た せ ば 、﹁ 彼 女 ︵ 瑤 琴 ︶ は 自 然 と 言 う こ と を 聞 く よ う に な る ︵ の で ︶ 焦 っ て は い け な い ﹂ と い う 意 味 に な る 。 文 脈 を 見 れ ば 判 る 通 り 、﹁ 不 要 性 急 ﹂ と あ る の は 相 応 の 理 由 が あ る 。 そ れ は 瑤 琴 が 事 の 経 緯 を 把 握 し 、 自 分 は ︵ 卜 喬 の 親 戚 で は な く 妓 院 に 売 り 渡 さ れ ︶ 騙 さ れ て い た こ と が 発 覚 す る ま で の 時 間 を 稼 ぐ た め 、 ﹁ 有 智 ︵ 知 恵 の あ る ︶﹂ の 卜 喬 は 、 念 入 り に ﹁ 不 要 性 急 ﹂ と 告 げ た の で あ る 。 こ の 箇 所 を ﹃ 大 観 ﹄ で は ﹁ 自 然 と 言 ふ こ と を 聞 く や う に な る ま で は 、 氣 短 か な こ と は し て は く だ さ る な ﹂ と ﹁ 不 要 性 急 ﹂ は ﹁ 他 自 然 從 順 ﹂ を す る ま で の 条 件 、 と 把 握 し て い る が 、 文 意 に 大 き な 齟 齬 は な く 許 容 の 範 囲 で あ る と 考 え る 。 こ の よ う に 白 話 小 説 で は 、 踏 み 込 ん だ 解 釈 を 差 し 挟 む こ と は 殆 ど な く 、 原 文 を 忠 実 か つ 丁 寧 に 翻 訳 し て い る 姿 勢 が 看 取 で き る 。 な お 、 先 に 触 れ た 通 り 翻 訳 者 の 佐 藤 春 夫 は 、 過 去 に 白 話 小 説 を 潤 色 し た 作 品 を 数 多 く 出 版 し て お り 、 今 回 も そ の 機 会 は あ っ た は ず で あ る 。 そ の 潤 色 に つ い て は 拙 稿 ︻ 四 十 二 ︼ で 論 及 済 み で あ る の で 、 行 論 の 便 宜 か ら ﹁ 孟 沂 の 話 ﹂ ︵ ﹃ 今 古 奇 観 ﹄ 巻 三 四 ﹁ 女 秀 才 移 花 接 木 ﹂ ︶ の 例 を 、 若 干 紹 介 し て お く に と ど め る 。 東 北 大 学 大 学 院 国 際 文 化 研 究 科 論 集 第 二 十 三 号 ﹁ 孟 沂 の 話 ﹂ は 、 大 正 八 年 七 月 発 行 の ﹃ 解 放 ﹄ 第 二 号 に 掲 載 さ れ た 作 品 で 、 明 代 洪 武 年 間 に 成 都 を 訪 れ た 田 孟 沂 が 、 帰 宅 の 途 中 桃 林 で 美 女 を 見 初 め た 物 語 で あ る 。 こ の 物 語 は 、 春 夫 自 身 が ﹃ 今 古 奇 観 ﹄ 巻 三 四 の 導 入 部 分 ︵ 入 話 ︶ を 参 照 し た 事 を 明 ら か に し て い る 。 例 え ば 孟 沂 が 桃 林 で 美 女 に 出 逢 っ た 場 面 に つ い て 、 ﹃ 今 古 奇 観 ﹄ の 原 文 に は 、 偶 然 一 個 去 處 、 望 見 桃 花 盛 開 、 一 路 走 去 看 。 境 甚 幽 僻 、 孟 沂 心 裡 喜 歡 、 佇 立 少 頃 、 觀 玩 景 致 。 忽 見 桃 林 中 一 個 美 人 、 掩 映 花 下 。 孟 沂 曉 得 是 良 人 家 、 不 敢 顧? 、 徑 自 走 過 。 未 免 帶 些 賣? 身 子 、 ? 下 袖 來 。 袖 中 之 銀 、 不 覺 落 地 。 美 人 看 見 、 便 叫 隨 侍 的? 鬟 拾 將 起 來 、 送 還 孟 沂 。 孟 沂 笑 受 、 致 謝 而 別 。 と あ る 。 そ れ を 逐 語 的 に 訳 す と 、﹁ 桃 の 花 が 咲 き 乱 れ て い る の が 遙 か に 見 え た の で 、 孟 沂 が 近 づ い て 行 っ て み る と 、 い か に も 閑 静 な と こ
ろ で あ っ た 。 彼 は 嬉 し く な り 、 し ば ら く 足 を 止 め て 眺 め て い る う ち 、 林 の 奥 の 花 か げ に 美 し い 人 が 立 っ て い る の に 気 付 き 、 し か る べ き 家 の 婦 人 だ と 判 っ た 。 ま じ ま じ 見 る に は 失 礼 で あ る と 思 い 、 行 き す ぎ よ う と し た が 、 つ い し な を つ く っ て 袖 を ゆ す っ て 歩 い て し ま っ た の で 、 し ま っ て あ っ た 銀 子 を 落 と し て し ま っ た 。 そ れ を 見 た 美 人 が 、 脇 に い た 小 間 使 に 命 じ て 拾 わ せ 、 彼 に 返 し た の で 、 彼 は に っ こ り し て 受 け 取 り 、 礼 を 言 っ て 別 れ た 。 ﹂ と い う 場 面 で あ る 。 こ の 一 節 を 春 夫 は こ の よ う に 加 筆 潤 色 し て い る 。 か う し て 憩 う て ゐ る う ち に 、 物 音 が 彼 を し て 、 花 盛 り の 野 生 の 桃 の あ る 日 蔭 の 所 へ 、 彼 の 目 を そ む け さ せ た 。 さ う し て 彼 は 若 い 女 を 見 た 、 花 の 中 に 身 を 匿 さ う と し て ゐ る の が ち や う ど 淡 紅 を し た 花 そ の も の の や う に 美 し い 女 を 。 唯 一 瞬 間 見 た だ け で あ っ た の に 、 孟 沂 は 靈 察 す る を 禁 じ 得 な か っ た 、 彼 の 女 の 容 貌 の 可 憐 を 、 色 艶 の 金 の や う な 純 澤 を 。 蠶 の 蝶 の っ き 延 し た 翅 の や う に 纖 美 に 曲 っ た 眉 の 下 で 閃 め い た 、 そ の 長 い 耀 き を 。 孟 沂 は 直 ぐ に 彼 の 湖 視 を そ む け た 。 さ て 急 い で 立 ち 上 が る と 旅 の 道 を 進 み っ づ け た 。 併 し 葉 か げ 越 し に 彼 を 覗 い た あ の 魅 力 の あ る 眼 の こ と を 感 じ た 。 さ う し て 、 彼 は そ の 袖 の な か に 入 れ て ゐ た 金 を つ ひ う っ か り し て 、 落 す や う な 目 に 遭 っ た 程 で あ る 。 ほ ん の ち ょ っ と し た 後 に 、 彼 は 彼 の う し ろ か ら 走 っ て 来 る 輕 い 足 の 音 と 、 そ れ か ら 女 の 聲 が 彼 の 名 を 呼 ぶ の と を 聞 い た 。 顔 を ふ り む け る と 、 愕 い た こ と に は 、 彼 は し と や か な 小 女 を 見 た が 、 そ の 小 女 は 彼 に か う 言 う の で あ る ﹁ あ な た さ ま 。 私 ど も の 女 主 が 、 あ な た さ ま が 路 へ お 落 し な す っ た こ の 銀 を 拾 っ て お 返 し し て 差 上 げ る や う に と 申 し つ け ま し て ご ざ い ま す 。 ︻ 四 十 三 ︼ と あ る 。 こ こ で は 不 意 に 出 逢 っ た 美 女 の 容 貌 や 、 孟 沂 の 戸 惑 い の 様 子 が 叙 情 豊 か に 表 現 し て い る の が 理 解 で き よ う 。 そ し て 物 語 の 展 開 ︵ 桃 林 で 美 女 に 出 会 い 、 通 り 過 ぎ よ う と し た 時 に 銀 子 を 落 と し 、 美 女 の 小 間 使 い に 拾 わ れ る 点 ︶ は 一 致 す る が 、 情 景 描 写 や 心 理 描 写 そ し て 小 間 使 い の 発 言 の 有 無 な ど 、 物 語 の 展 開 方 法 は 、 齟 齬 と い う レ ベ ル で は な く 、 原 文 を 逸 脱 し 大 幅 に 潤 色 が 行 わ れ て い る こ と も 理 解 で き る 。 春 夫 の 筆 な ら ば こ の よ う な 潤 色 は 十 分 可 能 で あ る 。 し か し そ れ に も か か わ ら ず ﹃ 大 観 ﹄ で は 意 図 的 に そ れ を 差 し 控 え た の で あ る 。 白 話 小 説 受 容 史 か ら 見 た ﹃ 支 那 文 學 大 觀 ﹄ の 位 置 付 け に つ い て ︱ ︱ 文 言 ・ 白 話 小 説 の 受 容 方 法 を 中 心 に ︱ ︱ 三 ﹃ 支 那 文 學 大 觀 ﹄ に お け る 翻 訳 の 特 徴 以 上 の 通 り 文 言 小 説 と 白 話 小 説 を 取 り 上 げ て 翻 訳 状 況 を 確 認 し た 。 結 論 を 先 に 述 べ れ ば ﹃ 大 観 ﹄ に よ る 文 言 小 説 と 白 話 小 説 の 翻 訳 状 況 は 大 き く 異 な っ て い た 。 同 一 の 叢 書 で 同 一 の 編 集 方 針 で あ っ た に も か か わ ら ず で あ る 。 文 言 小 説 の 翻 訳 は 、 小 説 家 を 翻 訳 に 加 え た こ と に よ り 読 み や す さ が 際 立 っ て い た 。 そ の 理 由 は 以 下 の よ う に 分 析 で き る 。 ① ﹃ 大 観 ﹄ の 翻 訳 者 は 、 原 文 に 散 見 さ れ る 重 複 表 現 や 、 小 説 上 で の 主 語 の 入 れ 替 わ り を 整 理 し 、 一 文 ご と に 読 み や す く 工 夫 す る こ と で 、 文 意 の 明 瞭 化 を 図 っ て い る 点 、 ② 時 に は 原 文 に は な い 踏 み 込 ん だ 解 釈 を 行 い 、 物 語 が 理 解 し や す く 読 み や す く す る た め に 加 筆 や 潤 色 を 行 っ た 点 が あ げ ら れ る 。 そ れ に 対 し て 白 話 小 説 の 翻 訳 は 加 筆 や 潤 色 を 控 え 、 原 文 を 尊 重 し
て い た 。 こ の 違 い は と こ か ら 来 た の か 。 そ れ は 文 言 小 説 と 異 な る 口 語 文 の 特 性 に 由 来 し た の で は な い か と 筆 者 は 推 論 し て い る 。 ﹃ 大 観 ﹄ の 翻 訳 は 、 日 本 語 の 口 語 訳 を 用 い て い る 。 江 戸 以 来 の 訓 読 翻 訳 の 愛 好 者 に も 対 応 で き る よ う に ﹃ 大 観 ﹄ で は 返 り 点 と 一 部 に 読 み 仮 名 と 頭 注 を 施 し て い る も の の 、 そ の 語 注 は 比 較 的 簡 素 な も の で あ り 、 翻 訳 の 重 点 が 口 語 訳 に 置 か れ て い る 。 中 国 の 文 言 小 説 を 口 語 訳 化 す る 場 合 に は 、 外 国 語 を 日 本 語 に 翻 訳 す る の み な ら ず 、 文 言 文 を 口 語 文 に 変 換 を 行 わ な け れ ば な ら な い 。 基 本 的 に 文 言 文 は 簡 潔 な 記 述 を 旨 と し て い る の で 、 記 載 さ れ る 情 報 は 口 語 体 で 書 か れ た 白 話 小 説 よ り も 圧 倒 的 に 少 な い 。 そ の た め 限 ら れ た 情 報 を 手 が か り に 口 語 文 に 拡 張 し な け れ ば な ら な い 。 ﹃ 大 観 ﹄ の 翻 訳 状 況 で も そ の 傾 向 が う か が え る 。 先 に 述 べ た ﹁ 未 也 ︵ ま だ た り な い ︶ ﹂ の 二 文 字 を ﹃ 大 観 ﹄ で は 、 前 後 の 文 脈 を 巧 み に 読 み 取 っ て ﹁ 何 だ 。 そ れ つ ば か り か ﹂ や ﹁ 何 だ け ち く さ い 。 そ れ つ ば か り か 。 同 じ こ と な ら 、 も つ と 澤 山 ほ し い と 云 へ ﹂ と ま で 潤 色 で き た 。 ﹁ 未 也 ﹂ と い う 立 ち 位 置 を 踏 み 外 さ な い 限 り 、 口 語 訳 に す る 場 合 に は 作 家 の 想 像 力 を 働 か せ る 余 地 が 出 来 た の で あ る 。 そ こ に ﹃ 大 観 ﹄ が 小 説 家 を 翻 訳 に 加 え た 価 値 を 見 出 せ る 。 ま さ に ﹃ 大 観 ﹄ の 掲 げ た ﹁ 芸 術 の 香 高 い 現 代 語 訳 ﹂ た る 価 値 が こ こ に あ っ た の で あ る 。 そ れ に 対 し て 白 話 小 説 は そ れ 自 体 が 口 語 表 現 で あ る の で 、 原 文 を そ の ま ま 口 語 訳 す る こ と で 、 自 ず と 日 本 語 の 口 語 に 近 い 形 で 翻 訳 が 可 能 で あ っ た 。 そ の 意 味 で 白 話 小 説 は 小 説 家 の 筆 を ふ る う 余 地 が 少 な か っ た 。 し か し そ の 徹 底 し た 原 文 主 義 が ﹁ 学 的 良 心 ﹂ ︻ 四 十 四 ︼ の も と で ﹁ 研 究 の 指 針 に 供 す る ﹂ ︻ 四 十 五 ︼ 完 成 度 の 極 め て 高 い 翻 訳 を 生 み 出 し た の で あ ろ う 。 小 論 で は 未 完 の 叢 書 ﹃ 支 那 文 學 大 觀 ﹄ を 取 り 上 げ 、 そ の 特 異 と も 言 え る 特 徴 か ら 、 白 話 小 説 受 容 史 か ら 見 た ﹃ 大 観 ﹄ の 位 置 づ け に つ い て 検 討 を 行 い 、 更 に 本 叢 書 に 於 け る 小 説 の 翻 訳 状 況 に つ い て 検 討 を 試 み た 。 本 叢 書 は そ の 後 、 諸 般 の 事 情 で 停 刊 す る こ と と な る が 、 支 那 文 學 大 觀 刊 行 會 の 出 版 状 況 と 出 版 停 止 の 経 緯 、 ま た ﹁ 刊 行 会 ﹂ と 密 接 な 関 係 に あ っ た 共 立 社 と 、﹁ 刊 行 会 ﹂ の 出 版 停 止 後 に ﹃ 大 観 ﹄ を 再 版 し た 北 隆 堂 書 店 に つ い て は 、 次 稿 に 譲 る こ と と し た い 。 東 北 大 学 大 学 院 国 際 文 化 研 究 科 論 集 第 二 十 三 号 結 語 本 稿 で は 、 支 那 文 學 大 觀 刊 行 會 が 予 約 出 版 に 際 し て 配 布 し た ﹃ 支 那 文 學 大 觀 ﹄ 内 容 見 本 と 、 ﹃ 支 那 文 學 大 觀 會 報 ﹄ ︵ 一 ∼ 九 号 ︶ か ら 。 そ の 企 画 立 案 の 経 緯 を 探 り 、 白 話 小 説 受 容 史 か ら 見 た ﹃ 大 観 ﹄ の 位 置 づ け を 中 心 に 従 来 未 解 明 で あ っ た 箇 所 に 考 証 を 加 え 、 先 行 研 究 の 不 備 を 補 完 し た 。 内 容 を 要 約 す る と 以 下 の 通 り で あ る 。 I ﹃ 支 那 文 學 大 觀 ﹄ に は 、 他 の 叢 書 に は 見 ら れ な い 新 機 軸 が 大 き く 三 つ あ っ た 。 第 一 に は 、 ほ と ん ど 評 価 さ れ て い な か っ た 中 国 の 通 俗 的 な 戯 曲 小 説 に 注 目 し た 点 、 第 二 に は 、 当 時 の 日 本 で 全 く 注 目 さ れ て い な か っ た 中 国 新 文 学 の 翻 訳 を 企 画 し た 点 、 第 三 に は 大 学 の 研 究 者 と 民 間 の 文 学 者 が 共 同 し て 語 釈 翻 訳 作 業 を 実 施 し た 点 で あ る 。 当 時 は 叢 書 が 盛 ん に 刊 行 さ れ た 時 期 で あ り 、 大 型 の 漢 文 叢 書 も 陸 続 と 刊 行 さ れ て い た 。 そ の た め そ れ ら の 叢 書 の 後 発 に あ た る ﹃ 大 観 ﹄ は 、 強 い 独 自 色 を 打 ち 出 す こ と で 既 存 叢 書 か ら の 差 別 化 を 図 っ