1.は じ め に
我々は「イヌ」を見たときに,「体毛や牙があり,四 つ足で歩き,威嚇時に吠える傾向のある動物だ」のよ うに,対象を個々の特徴の集合として認識するのではな く,多くの場合一つの物体「イヌ」と認識する.このよ うに通常我々は自然にそしてほぼ自動的にあらゆる種の 情報をカテゴリー化している.知覚といった低次認知か ら,思考・推論・伝達などといった高次認知まで,カテ ゴリー的に組織された情報を人間は適用・応用している. このことから,認知科学や心理学では,カテゴリー化さ れた情報がさまざまな認知処理の基盤であると考えられ ており,その重要性から多様な手法で研究がなされ,豊 富な知見が蓄積されてきた.これらカテゴリーや概念に 関する認知科学研究の多くは,概念の構成要素を諸感覚 (mode)と独立した感覚性のないアモーダル(amodal) な意味的記憶モジュールの集合と仮定し,行動実験 や計算機シミュレーションなどを介し発展してきた [Murphy 02].なお,認知科学では,あるまとまりのある 個々の集合を「カテゴリー」と呼び,カテゴリーの内部表 象およびカテゴリーに関する知識を「概念」と呼ぶこと が多いが,本稿ではカテゴリーと概念を同義として扱う. 本特集の鈴木氏 [鈴木 16] や Barsalou [Barsalou 99, Barsalou 08]が指摘するように,アモーダルでモジュー ル的な意味的記憶の記号体系(以後,Amodal Symbol Systems:ASS と呼ぶ)では,知覚されたマルチモーダ ルな情報は,知覚状態と全く異なるモダリティーのない 意味的構造による表象システムに変換される.しかし, マルチモーダルな知覚情報をアモーダルな意味的記憶の 記号に変換するメカニズムに関する議論がほとんどなさ れていない.つまり ASS では,概念における知覚の役 割を無視し,認知と知覚の関係を排除している.この問 題点は,ASS は基本的な入力情報である知覚に依存しな いため記号の定義の自由度が高すぎてしまい,定義しだ いですべてのものを説明できる「科学的」でない体系だ, といった指摘にもつながっている [Barsalou 99]. 1・1 Perceptual Symbol Systems上記の問題点に対し,Barsalou [Barsalou 99] は知 覚的シンボルシステム(Perceptual Symbol Systems: PSS)と呼ばれる記号体系とそれに関わる認知処理に関 して興味深い説を唱えている.PSS と ASS には重要な 違いが二つある.一つ目の違いは,カテゴリーの表象の 基盤が,ASS ではアモーダルな意味的記憶であるのに対 し,PSS ではマルチモーダルな知覚的記憶である点であ る.二つ目の違いは,ASS では表象の基盤も概念自体も 長期記憶にあり短い期間においては静的で実体があるの に対し,PSS では表象の基盤は記憶として実体があるが, 概念自体は必ずしも実体があるわけではなく,動的に生 成され短期記憶として存在する点である. PSSでは,認知と知覚の根底には諸感覚モダリティー に分散された断片的な表象システムである Perceptual Symbol(PS)があるとされている.脳内の sensory-motor systemの知覚状態の部分集合が PS の基礎と なっている.関連する PS は独立に存在するわけではな く,同一のカテゴリーに属するべき PS は一つ系を組織 化し,各系は simulator と呼ばれている.すなわち各 simulatorがカテゴリーに対応すると考えられる.獲得 された simulator 自体は長期記憶上にあることから実体 があると考えられる.しかし,個々の simulator は他の simulatorと連動したり,繰り返し適用されることによっ て,無数の simulation が可能となり,よって無数のそ れまでは存在しなかった概念も生成できるとされてい る.つまり,概念は適宜シミュレーションによって形成 されると主張している. Simulatorは必ずしも完全な情報を必要とせず,む しろ通常はマルチモーダルである PS のうち限られた情
概念の流動性について
On the Fluidity of Concepts
松香 敏彦
千葉大学Toshihiko Matsuka Chiba University.
[email protected], http://matsuka.org
川端 良子
(同 上)Yoshiko Kawabata [email protected]
Keywords:
concept, category, context, perceptual symbol.報を用いて動的に simulation を行っているとされてい る.よって,カテゴリーの内部表象はモダリティーが あり,かつ知覚状態に類似している.PS は写実的でも 全体的でもなく,選択的注意を介し部分的であり,部 分の組合せによって複雑な表象を可能としている.ま た,ASS と異なり PSS は知覚に深く関係していること から,時空間的な概念を自然と組み込んでいるとされて いる.Simulator のメカニズムの詳細は明確にされてい ないものの,PSS で動的に概念を生成する simulator と いった構成要素を組み込むことによって,概念に関する 多くの現象を説明することが可能であるとされている [Barsalou 99].なお,PSS の妥当性の詳細は,本特集 号の鈴木氏の論文を参照されたい [鈴木 16]. 1・2 記号創発ロボティクスと PSS 上述したように概念の記号体系には ASS と PSS の二 つの枠組みがあるが,PSS は本特集のテーマである記号 創発ロボティクス(Emergent Symbol Robotics:ESR [長井 16, 谷口 16])との親和性がより高いと考えられ る.表象の基盤が分散されたマルチモーダルな情報であ る点において,ESR と PSS は類似している.記号創発 ロボティクスの代表的な研究の一つである中村らのマル チモーダルカテゴリーゼーションでは,クラスタリング によって組織化した概念を長期記憶上に保持し参照する 点では ASS に近い [長井 16, Nakamura 09, Nakamura 11].しかし,クラスタリングといった教師なし学習に よる組織化であり,クラスタ内で共起する複数のラベル を同時にもち得るため,同一の対象であっても異なった ラベルが出力されるといった柔軟性においては ESR は PSSに近いといえよう. 1・3 PSS 研究のおける記号創発ロボティクスの可能性 PSSを構成要素として,概念の生成や使用に関するモ デルを再構築するためには,認知科学においてこれまで 蓄積されてきた概念に関するさまざまな知見を,ASS を 基礎にした場合と同等,もしくはより良く PSS によっ て説明できる必要がある.しかし,PSS の理論は壮大で, また操作定義や刺激の統制が難しいことから行動実験に よる検証が困難であり,限られたエビデンスしか得られ ていなかった.しかし,記号創発ロボティクスのフレー ムワークが登場した今では,PSS の検証が現実的になっ たといえよう. 以下に,PSS を基礎にして説明されるべき,概念に 関する重要な三つの性質について紹介する.そして,記 号創発ロボティクスを含む人工知能と認知科学がコラボ レーションした概念に関する研究の方向性を考察する.
2.事例による表象
認知科学における概念研究の重要な研究テーマの一つ としてあげられるのが内部表象である.現在最も幅広く 受け入れられているカテゴリーの内部表象に関する理論 は事例説である [Medin 78, Nosofsky86].事例説では, カテゴリーの属性は過去に経験した個々の事例との総合 的類似度によって判断される.以下,事例説の妥当性を, その理論が提唱されるまでの経緯を含めて説明する. 2・1 規則による表象とその問題点 概念のモデルで最も早くに提唱されたのが規則モデ ルである.規則モデルでは,カテゴリーは必要十分条件 で定義されていて,事象がカテゴリーに属するか否か一 意的に決定される決定論的な表象であり,演繹的推論を 可能にするモデルである.この考えはアリストテレスの 時代から 1960 年代後半まで,広く受け入れられていた [Murphy 02].決定論的な表象は曖昧な表現や複数の解 釈を抑制でき,厳密な表現を必要とする科学的な思想に適 合している.このことが,このモデルを妥当なものとして 古くから提唱され,長らく受け入れられていた理由の一 つであろう.事実,科学の世界においては,カテゴリー や集合を人工的に定義することによって発展してきた. しかし,規則モデルの記述妥当性(人間の自然なカ テゴリーの認知プロセスを正しく記述できているか否 か)が 1960 年代後半から疑問視されてきた [Medin 78, Rosch 75].まずあげられたのが,あるカテゴリー C の すべての成員が特定の条件集合を満たし,かつ,その条 件集合を満たすことのない,C に属さない事象が一つも ない,といった必要十分条件をすべてのカテゴリーに おいて定義することが可能であるのかという問題であ る.例えば,すべての犬がその条件を満たすが,同時に その条件を満たす犬以外のものが存在しないという条 件を定義することはできるだろうか? 非常に難しいで あろう.実際に,さまざまな行動実験の結果から,多く の自然カテゴリーにおいて,必要十分条件を定義するこ とが不可能もしくは非常に困難であることが示された [McCloskey 78].また,必要十分条件が容易に定義で きるカテゴリーがあったとしても,我々の自然なカテゴ リー化は必ずしも決定論的ではないことが多い.例えば, 概ね三角形であるが二つの辺が接していないような幾何 学図形や,概ね三角形であるがある頂点が丸みを帯びて いるものは,厳密には三角形ではない.しかし,多くの 人間は,三角形の幾何学的厳密性が問われることの少な い実生活においては,上にあげられた図形を「三角形」 と認識する. より致命的な指摘は,規則モデルでは典型性効果が説 明不可能であることである.決定論的であれば,同一の カテゴリー内ではすべての成員は均一に適切な成員であ り,より適切な成員は存在しない.しかし,行動実験の 結果,同一のカテゴリーに属する成員であっても,認識 される速さの違いや,カテゴリーの例としてあげられる 頻度に差があるなど,カテゴリー内の成員間の典型性に差異があることがさまざまな場面で見られることが示さ れた(e.g. スズメはペンギンより早くトリとして認識され, トリの具体例としてスズメがペンギンより高い頻度であ げられた)[Batting 69, Rips 73]. 2・2 典型による表象とその問題点 先述の典型性効果から,カテゴリーは典型例によって 表象されているといった説が提唱された [Rosch 75].典 型モデルでは,入力刺激は,さまざまなカテゴリーの典 型例との心理的類似性によって確率的に属性が判断され る.つまり,典型例に近い成員ほど,高い確率でその典 型に対応するカテゴリーの成員として判断され,心理的 類似性の減少に伴い確率は減少する.よって,典型モデ ルは規則モデルでは説明不可能であった典型性効果を説 明することが可能である. しかし,典型モデルも提唱後比較的早くから問題点が 指摘されてきた [Medin 78].まず,あげられるのがこの モデルでは,概念が「典型例」といった心理的スペース 内でのある「点」で表象されていて,カテゴリー内のバ リエーション(分散)やカテゴリー内での特徴間の相関 に対する知識,つまりカテゴリーの統計的特性に関する 情報をもち得ないことである [Medin 05].典型例のみに よる表象では,「大きなトリはさえずらない傾向がある が,小さなトリはさえずる傾向がある」といったカテゴ リー内での特徴間の相関に関する推論は不可能である. また,点による表象なため,(心理的空間で)線形分離 が可能であるカテゴリーのみしか表象できない.つまり, 排他的論理和(exclusive OR)のような比較的シンプル だが線形分離が不可能なロジックを表象することができ ない.心理的類似性の計算においてマハラノビス距離を 用いることで,重心だけでなく分散・共分散などの統計 的特性を学習する典型モデルの発展形 [松香 10b] もある ものの,特徴次元が増えるにつれ学習される分散共分散 の要素が指数関数的に増えてしまう.また,二次元以上 の交互作用を用いた高次元空間での典型モデルも定義可 能であるが,そのようなモデルは後述の事例モデルと高 次元空間では類似するため,典型モデルであるとは言い 難い.
Medinと Schaffer [Medin 78] の行動実験の結果は典 型モデルの反証として頻繁にあげられている.この実験 の結果では,典型例に近いはずの事例が典型例に遠いは ずの事例より正しくカテゴリー化される確率が有意に低 かった.この現象の説明は諸説あるが,典型例から遠い 事例は,実はカテゴリー化に有用な特徴をもっており, その特徴に選択的注意が向けられたため,典型例に近い がその特徴を有していない事例よりも正しくカテゴリー 化された可能性が定量的に示された [Matsuka 10a].つ まり,より正しくカテゴリー化された事例は「典型的」 ではなかったが,カテゴリーの統計的特性を踏まえると, より「特徴的」な事例であった.カテゴリーの統計的特 性に関する情報をもち得ない典型モデルではこの実験結 果を再現することは不可能である. 2・3 事例説とその妥当性 行動実験や計算機シミュレーションの結果から,現 時点で有力な説の一つと考えられているのが事例説であ る [Medin 78].事例説では,カテゴリー化される入力 は,記憶に残る今まで経験してきたさまざまな事例との 心理的類似性によってカテゴリー判断される.規則モデ ルは必要十分条件,典型モデルでは重心などの探索・算 出による抽象化が行われているのに対し,事例モデルで は,単に事例を記憶するのみで抽象化は行われない.規 則説や典型説では概念は内包的表象であるのに対し,事 例説では外延的な表象である.記憶の処理が複雑にはな るものの表象形成に必要な認知処理は最も簡素である. 事例説は外延的な表象であるが,記憶に残る事例を参照 することによって,各カテゴリーの統計的特性を推論す ることを可能としている.例えば,事例を参照すること によって,典型を直接学習することなく,カテゴリーの 典型を理解し,よって典型性効果を説明することができ, 同時に,大きい鳥はさえずらないが,小さい鳥はさえず る,などの特徴間の相関に関する推論も説明可能として いる.また,記憶された事例を基準とするため,線形分 離できない複雑なカテゴリーの弁別が可能である. 2・4 事例説と PSS ASSを前提とした事例説も PSS も共に表象の基盤は 過去に経験したものの記憶の集合であり,抽象化を伴わ ない点で共通している.抽象化を伴わないということは, 成員に関する情報以外のカテゴリーに関する知識は長期 記憶にはほとんどなく,カテゴリーの性質や特徴に関す る推論は,その場その場で計算されることを意味する. 一方で ASS を前提とした事例説では,各事例はアモー ダルで意味的な情報であり完全な状態で記憶されている とみなされるが,PSS では各事例は写実的でも全体的で もなく,選択的注意を介した部分的な知覚的記憶であり, この点において異なる.ASS は知覚情報を意味的記憶の 記号に変換するメカニズムには踏み込んでなく仮定が強 すぎて現実的でない反面,明確な表象や処理を想定する ことができるため検証可能である.PSS の仮定は直感的 には妥当であるが,その反面,知覚情報のセグメンテー ションや特徴抽出に関して言及がなされていないため曖 昧で,どのような情報が知覚情報の事例として処理され 記憶されているのか不明である.
3.階 層 性
多くのカテゴリーは階層性をもつとされ,その中には 「基本カテゴリー」と呼ばれる,最も一般的に共有・使 用されている階層があるとされている [Rosch 76].例えば,「犬」という概念は基本カテゴリーだといわれている. ある犬を見たとき,犬の種類(下位カテゴリー)である「柴 犬」や上位カテゴリーである「動物」などと認識・処理 されるのではなく,我々の多くはその入力刺激を「犬」 と処理する.基本カテゴリーは上位カテゴリーに比べ「説 明力」があるとされる.例えば,「犬」間で共有される 特徴は「動物」間で共有される特有の特徴よりも多いこ とから,犬階層は動物階層より説明力があるといえる. また,基本カテゴリーは下位カテゴリーに比べ「弁別能 力」があるとされる.例えば,「犬」と「猫」の違いは, 「柴犬」と「秋田犬」の違いより大きいことから基本カ テゴリーは下位カテゴリーに比べ弁別能力がある.実際 に基本カテゴリーは,自由命名課題において他のレベル のカテゴリーより高い頻度で想起され,文章においても より多く用いられていることが示されている.Category utilityと呼ばれる情報理論に基づいた指標を用いて複数 の階層のカテゴリーを比較したところ,基本カテゴリー と考えられている階層が最もその指標が高いことが示さ れている [Corter 92].つまり,人間は自然に情報量の高 い階層を日常的に用いているといえる. 概念が階層的な性質をもつことは認知科学において は共通の理解となっているが,階層構造の表象について は複数の説がある.一方は,階層構造は知識として記憶 されているというもので,もう一方は階層構造は算出さ れるというものである.算出されるとはどのようなもの だろうか.前述のように,階層が低くなるほど,カテゴ リー内で共通する特徴が増える(犬の特徴 vs. 動物の特 徴).もしカテゴリー X で共通する特徴がカテゴリー Y で共通する特徴の部分集合であれば,X は Y の上位カテ ゴリーであるし,もし,X で共通する特徴は,Y で共通 する特徴プラス他の特徴を含む場合,X は Y の下位カテ ゴリーである [Murphy 02].論理推論課題で,典型的な 下位カテゴリー(鳥におけるスズメなど)は非典型的な 下位カテゴリー(ペンギン)に比べ,より強固な推論だ と感じたり,非典型的な下位カテゴリーにおいて推移性 を逸脱したりするなど,静的であると記憶された階層性 では説明不可能な現象が報告されている.このことから, 計算方法に関する一般化された知見はないものの,階層 が知識として記憶されているといった考えは疑問視され ている [Sloman 93].つまり,カテゴリーに階層性があ ることを推論することは可能だが,階層性は推論によっ て短期的にのみ存在し,長期記憶にはないと考えられる. 階層構造が知識として獲得されているということは, 上位と下位カテゴリーの包含関係を獲得していることで あるため,規則的な概念と性質は共通している.一方, カテゴリーの階層構造は算出されているということは, カテゴリーに関する知識は算出されるものであるといっ た点においては事例説と性質は共通している.概念は規 則などの内包的表象ではなく事例による外延的表象と いった内部表象に関する知見からも,カテゴリーの階層 性も内包から演繹されるのではなく,外延から帰納され ると考えられる. 3・1 階 層 性 と PSS PSSでは基本カテゴリーの優位性をどのように説明 することができるのであろうか.一つの可能性は,我々 は simulator の出力の情報量に敏感で,情報量をもとに ある階層にあるカテゴリーを選択的に使用していると いった解釈である.もう一つの可能性は,出力の情報 量とは関係なく,単に simulator への当てはまりやすさ (simulation のしやすさ)による選別で意識化されたも のが基本カテゴリーであるといった解釈である.この解 釈は,自然カテゴリーは意味のあるまとまりであり,そ の分布は均等でないといった Rosch ら [Rosch 76] の主 張を踏まえると,simulation のしやすさと情報量の多さ が一致しているといえる. 階層構造は算出され短期記憶上に存在するといった知 見は,PSS の概念は短期記憶上で生成されるといった主 張と一致する.しかし,どのような simulation が行わ れることによって階層が認識されるのか,具体的なメカ ニズムは説明されていない.
4.文 脈 効 果
知覚,記憶,言語などの認知処理においては,処理の 結果は同時に出現している処理の対象となっていない刺 激や前後・背景の文脈に影響されることが幅広く知られ ている.この効果は文脈効果と呼ばれている.例えば, 錯視や部分的に隠された文字や形を認識(推論)できる といったアモーダル補完は知覚における文脈効果の一種 であろう.また,同音異義語の多い日本語において,会 話中に複数の同音異義語から適切な語を選び理解するこ とは,言語における文脈効果である. 同様に,概念にもさまざまな文脈効果が報告されて いる [Barsalou 87, Roth 83, Smith 97].例えば,フラ ンス料理といった文脈では日本酒よりワインのほうがよ り典型的な飲み物と認識され,日本食といった文脈では ワインより日本酒のほうがより典型的な飲み物を認識さ れるように,文脈によって典型性がいとも簡単に変化 することが示されている [Roth 83].バスケットボール の性質をあげる課題において「水に浮く」と回答する被 験者は一般的な状況ではいなかったが,水難事故といっ た文脈といった説明が付け加えられると「水に浮く」性 質をあげる被験者がいたことから,カテゴリーの特徴 の理解も文脈によって大きく異なることが示されている [Barsalou 87].また,文脈や学習環境が変わることに よって,カテゴリー化に必要な情報の検索パターンにも 変化が見られることもわかっている [Yamauchi 98].例 えば,刺激の特徴をもとに分類することによってカテゴ リーを学習する場合と,属性をもとに特定の特徴を推論しながらカテゴリーを学習する場合とでは,各特徴次元 に向けられる選択的注意の分配が異なることがわかって いる [Yamauchi 98]. 文脈の感覚依存性に関する研究もなされている.本田 ら [Honda 15] が行った全く同じ選択肢を用いたカテゴ リー分類課題において,興味深い文脈効果が示された. 被験者の一方のグループは「広島」,「岡山」,「長崎」を, もう一方のグループは「ヒロシマ」,「オカヤマ」,「ナガ サキ」の 3 都市を二つのグループに分類することを求め られたとき,前者は広島と岡山を,後者ではヒロシマと ナガサキを同一のグループとする傾向が見られた.これ らの 3 都市は,アモーダルな記号体系では全く同じ選択 肢であるのに対し,モーダル(感覚依存的)な記号体系 では同一とは限らない.本田らは,より一般的である漢 字による表記は一般的な文脈が想起され,カタカナによ る表記は一般的な文脈から他の文脈に転換され,よって 二つの表記法によって異なった心理的類似性を引き起こ したとしている. 4・1 文脈効果と PSS PSSでの表象の基盤は,マルチモーダルな知覚的記憶 であり,知覚と記憶は共に文脈効果があることが示され ていることから,PSS では文脈効果が現れることは容易 に予想される.むしろ PSS は文脈効果から逃れられな いとも考えられる.文脈依存を引き起こす重要なメカニ ズムとして考えられるのは,カテゴリー化される対象の みでなく,その対象が知覚された場面の文脈や背景も同 時に知覚記憶にエンコードされ simulator で利用される ことであろう. 一般化できるさまざまなカテゴリーの分類法の獲得を 目的とした教師あり学習では,過剰一般化や過学習を避 けるためには,限られた事象の分類にしか有効でない特 徴情報である文脈は利用されない.例えば,ある物体が 「ワイン」カテゴリーに属するか否かを学習するような 状況において,その物体が提供された場所・文脈である 特徴情報として「フレンチレストラン」は部分的には有 効である.しかし,フレンチレストラン文脈ではワイン 以外のカテゴリー(食器・料理・家具など)が存在し, またフレンチレストラン文脈以外においてもワインは存 在するため,フレンチレストランといった文脈に注意を 払うよりは,より普遍的なワインの特徴に注意を払うほ うが一つの方略としては一般化能力が高いであろう.つ まり,カテゴリー判断において文脈効果が見られるとい うことは,人間は各カテゴリーに対して一つの普遍的な 概念を生成(もしくは形成)するのではなく,各カテゴ リーに多様で断片的に妥当な概念を生成することを意味 している.これはまさに PSS の概念の発生メカニズム であろう. 三角形には,「おおよそ三角形っぽいもの」のように 曖昧なカテゴリーもあり得るが,幾何学的定義に則した 「厳格な」三角形もあり得る.前者は心理的類似性による カテゴリー化で,後者は必要十分条件によるカテゴリー 化といえよう.また,前者は事例モデル的説明であり, 後者は規則モデル的説明である.前章では,表象の基盤 は事例の記憶であると説明したが,一般的な文脈で働く simulatorと幾何学的に厳密な文脈で働く simulator と の違いによって性質の異なった「三角形」が理解される といった文脈効果の一部なのかもしれない. 文脈に依存しない普遍的な概念は十徳ナイフで,普遍 的でない文脈に依存した概念は単一の機能をもった器具 といったアナロジーが成り立つかもしれない.十徳ナイ フは一見便利そうに見えるが,「帯に短し襷に長し」で ある.単一機能の器具は,限られた場面ではあるがその 能力をいかんなく発揮する.PSS のように,文脈を用 いて適用範囲を制限した概念は,概念を利用する本人に とっては経験的に妥当であり,よって適応的である.ま た文脈を利用することによって,稼働する simulator を 限定し認知的負荷を軽減できる可能性もある.
5.認知科学と記号創発ロボティクス
5・1 認知科学から見た記号創発ロボティクスへの期待 知覚シンボルシステム(PSS)の理論は興味深いが, 定性的な言及にとどまっており実証研究の結果はまだ十 分とはいえない.これまでの認知科学の知見を PSS は 定量的にどのように説明するのか数多くの課題が残って いる.問題は PSS がどの程度妥当なのか評価がしにく いことである.しかし,記号創発ロボティクスのフレー ムワークを用いることによって,概念の基盤としてどの ような情報をどのような状態で記憶しているのか,カテ ゴリーに関する推論をどのような情報を用いてどのよう に行っているかを定量的に検証可能になることが期待で きる. PSSでは,表象の基盤は抽象化されていない事例の知 覚的記憶であると主張されているものの,具体的にはど のような知覚状態が記憶されているのかは不明である. また,カテゴリーに普遍的に重要な情報だけでなく文脈 といった背景の情報も記憶されているであろうことも示 唆されているが,文脈自体がカテゴリーなのか否かなど, どのように文脈が保持されているかわかっていない. 概念の利用はカテゴリー判断のみならずカテゴリーに 関する他の推論も多く含まれる.カテゴリーの統計的特 性や,カテゴリーの階層に関する推論は,カテゴリーの 抽象化が行われていないため長期知識から検索されるの ではなく,推論時に短期記憶に出現することが示唆され ている.記号創発ロボティクスにおいてはカテゴリーの ラベルや諸感覚に関する推論を他の感覚情報をもとにし た条件付き確率を用いて推論するが,その推論過程の認 知的妥当性を検証する必要がある. 文脈依存は人間の認知のバイアスである可能性もあるが,同時に,意思決定におけるヒューリスティックのよ うに適応的である可能性もある.PSS のフレームワーク では文脈依存は不可避である可能性が高いが,この性質 は多くの場面で生成される概念の妥当性の向上や認知負 荷量の減少といった適応的な側面があると思われる.記 号創発ロボティクスではどのように文脈が再現されるの か,また,どのような場面で文脈を有効に利用でき,ど のような場面で文脈が負の側面をもつのか検証すべきで あろう. 同一の事象・物体であっても,イヌと動物のように 複数の適切なカテゴリーに分類することができる.記号 創発ロボティクスにおいても同一の物体であっても複 数のラベルをもち得,知覚情報からカテゴリーの属性 確率を最大化するようなラベルが選択される [安藤 13, Nakamura 11].確率を最大化するといった記号創発ロ ボティクスのアプローチと人間による情報量の最大化は 類似するが,階層がカテゴリー構造に組み込まれている 点において記号創発ロボティクスの認知科学的妥当性に 疑問が残る.また,使用される階層は熟達の度合いによっ て変化する結果も示されていることから,カテゴリーに 関する推論の発達過程の検証が望まれる. 以上のように,ロボットを被験体として知覚的記憶や 推論に関する認知科学的妥当性を検証することは有効な 研究だと思われる. 5・2 認知モデルと記号創発ロボティクスの比較 認知科学の分野で人間のカテゴリー学習に関わる数 理・計算モデルが複数提案されている.規則的表象は比 較的早い段階から疑問視されてきたことから純粋な規則 モデルは少なく,規則に則さない少数の特例自体も規則 とする拡張された規則モデルもある [Nosofsky 94].典 型モデルと事例モデルは,Radial Basis Function(RBF) の形をとることが多い [Matsuka 08].典型モデルでは Learning Vector Quantizationなどで算出された典型が 基底となり,事例モデルでは経験した事例が基底となっ ている.認知科学におけるカテゴリーに関する行動実験 は人工的な刺激を用いた学習課題を用いることが多く, 実験結果を再現するために開発された認知モデルの多く は,概念形成は教師あり学習であることを前提にしてい る [Kruschke 08, Matsuka 08].それに対し,記号創発 ロボティクスでは,概念形成は教師なし学習であると前 提している [長井 16, Nakamura 09, Nakamura 11].教 師あり学習では,カテゴリー判断が確率的であったとし ても,明確なカテゴリーのラベルが存在する.クラスタ リングなどの教師なし学習では,明確なラベルがなく, 知覚情報をもとにラベルを推論する.記号創発ロボティ クスは教師なし学習であったとしても,ラベルなどの言 語情報も感覚情報として取り入れ学習することが可能で あるため,そのような状況は多くの認知モデルが想定す るような「教師あり学習」に相当する.この点においては, 記号創発ロボティクスは多くの認知モデルより一般的な フレームワークである. 他の重要な違いとしてあげられるのは,多くの認知 モデルの入力は特徴次元が明確にされた意味的情報であ るのに対し [Kruschke 08, Matsuka 08],記号創発ロボ ティクスでは知覚ごとに異なる特徴抽出方法を使った知 覚情報を用いてカテゴリー化を行っていることである [Nakamura 11].認知モデルで意味的情報を前提として いる大きな理由の一つは,モデル検証で重要な役割をも つ行動実験の結果の解釈を明確にするために,意味的な 刺激を用いることによって被験体が処理する情報を統制 するためだろう.対する記号創発ロボティクスは,マル チモーダルな刺激を用いても,諸感覚の情報がどのよう に処理されるか明確に指定できるため加工されていない 感覚的情報を用いることができる.認知モデルは知覚情 報を意味的情報に変換する仕組みに言及していないとい う課題(記号設置問題)がある [鈴木 16].一方で,記号 創発ロボティクスは知覚情報による直接的な表象であり 記号設置問題は当てはまらないが,人間の認知処理過程 に関するモデルを目的とすると特徴抽出処理などに関す る認知科学的妥当性の検証といった課題が残っている. 5・3 記号創発ロボティクスによる概念の再定義 カテゴリーは抽象化された情報でなく具体的な知覚記 憶を基盤にし,文脈に応じてその場その場でカテゴリー の性質を推論している.そうであるなら,「ラベル」といっ たカテゴリーの性質もその場その場で推論していると考 えるのが自然であろう.これらの考察は,我々が考えて いるカテゴリーとは,「具体的な知覚記憶をもとにした 一連の推論」に過ぎないといった説明になり,カテゴリー や概念といった特別な用語を用いる必要はないのかもし れない.記号創発ロボティクスではカテゴリーには固定 的なラベルがなく,また諸感覚に分散された記憶を利用 しさまざまな推論が可能である.文脈を含めた知覚記憶 や推論メカニズムなどをより精緻に検証を進めることに よって「概念」の再定義・再解釈が可能だと考えられる. 記号創発ロボティクスと認知科学との有機的な共同作業 を介して人間の認知の基礎となっている概念研究のさら なる発展が期待できる. 謝 辞 本研究は JSPS 科研費 25330167,25285197 の助成 を受けたものです.
◇ 参 考 文 献 ◇
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2015年 11 月 19 日 受理
著 者 紹 介
松香 敏彦(正会員)
2002年 Columbia University に て Ph.D. を 取 得. Rutgers University博士研究員,Stevens Institute of Technology助教,千葉大学文学部准教授を経て, 現在千葉大学文学部教授.認知科学の視点からカテ ゴリー化・学習に関する研究を行動実験,計算モデ ル,シミュレーションなどを用いて行っている.最 近は「概念」などないのでは,と考えている. 川端 良子(正会員) 2013年千葉大学大学院自然科学研究科博士後期課 程単位取得満期退学.現在,千葉大学大学院人文科 学研究科特別研究員.人が言語を使用することで共 同的活動を円滑に行っている仕組みに興味をもって おり,人が言語を使用して何をしているのかを対話 コーパスを用いて明らかにしようとしている.