万葉集にあらわされた染め
Dyeing Written in Manyoushu.
清水裕子 佐々木和也
SHIMIZU Hiroko and SASAKI Kazuya
1.はじめに
万葉集には、人々の生活にかかわる歌が多く詠まれており、衣服に用いた繊維や織り、染めなどを 歌った歌もかなりある。すでに、われわれは、万葉集における繊維や織りを詠んだ歌から、万葉集の 時代にどのような繊維を用いて布に織り、衣服をつくって着たのか、それらの繊維はその時代の人々 の生活のなかでどのような意味をもっていたのか、またどのようなおもいをもって織りを行っていた のかについて示した1)。本論文では、万葉の時代の生活における、染めあるいは染めによる色のもつ 意味を万葉集の歌からみていきたい。それにより、万葉集の歌の内容から衣にかかわる生活文化を知 り、現在の生活を顧みるひとつの手だてにしたいと思う。 万葉集にあらわされた染めと色に関する研究に関しては、万葉集に登場する染色方法と色について、 染色家の立場から詳細に論じたもの2,3)、染色方法について染色化学の面から論じたもの4)、万葉集に 登場する植物について述べるなかで、染色に用いられる植物について触れているもの5)、万葉集に登 場する服飾について論じるなかで、染色と色に触れているもの6-9)がみられるが、染めと色が生活に おいてどのような意味をもっていたかという視点で述べられていない。 本論文では、染めに用いられた植物、染めること、それらで染められた衣服とその色を詠み込んだ 歌を取り上げ、これらが生活のなかでどのように用いられ、どのような意味をもっていたかを検討し た。検討は、衣生活を中心に行なったため、衣服以外、たとえば、家や船の彩色は取り上げないこと とした。また、染めに関係していることが枕詞として用いられている歌を取り上げた。それらの歌の 番号を表1に示した。万葉集の歌、約4500首のうち、染めの登場する歌は90首、枕詞に用いられてい る歌は25首であった。 万葉集には、染めに用いる植物として、紅花、紫草、茜、つるばみ、つゆくさ、はり、萩、山藍、 かきつばた、からあい、つちはり、つつじ、こなぎ、菅の根などがみられる。これらの植物の葉、枝、 樹皮、花、実、根などが用いられていた。植物を煎じた液に布を浸して染める浸し染めでは、染料の 固着と発色のために媒染という工程が必要である。媒染剤としては、一般的にミョウバン、おはぐろ 鉄(鉄奬)、灰汁などが用いられてきたが、万葉集では紫草の灰汁媒染に関する歌が登場している。 また、鉱物としては、はにふ(黄土)があげられている。 染め方については、浸し染め以外に、摺り染めと絞り染めが登場する。さらに、染める行為、染め た衣服、衣服の色についての歌もみられる。2.くれない 万葉人が愛でた染めと色
紅花と紫草は、なかでもとくに貴重な染めの材料で、色が美しく、万葉人に好まれたものである。 これらを詠んだ歌は、相聞歌、恋の歌である。まず、くれないからみていきたい。 外耳 よ そ の み に 見筒戀牟み つ つ こ ひ む くれなゐの紅乃 末採花之す え つ む は な の 色不出友いろにいでずとも 巻10・1993 「よそ目にばかり見て恋し続けよう。くれないの末摘む花のように表面にはあらわさなくても。」 紅花は花が咲くと、染料やベニを作るため花を摘んでしまうので、末採花の別名がある。万葉の時 代から、紅花は染料として重要であったことがわかる。 紅薄染衣 くれなゐのうすそめころも 浅 あ さ ら か に相見之人 あ ひ み し ひ と に 恋比日可聞こ ふ る こ ろ か も 巻12・2966 「くれないのうす染めの衣のように、浅い気持ちで逢ったあの人が恋しいこの頃だなあ。」 紅之 く れ な ゐ の 深染衣 こぞめのころも 色深 い ろ ふ か く 染西鹿歯蚊 し み に し か ば 遣不得鶴 わ す れ か ね つ る 巻11・2624 「くれない染めの濃く染めた衣のように、色深くしみこんだからか、忘れることができない。」 濃く染めるためには、巻11・2623「呉藍之 く れ な ゐ の 八塩乃衣 や し ほ の こ ろ も 」と詠まれているように、何回も染め液に入 れて染めなければならない。「やしほ」は「八入」である19)。このような濃く染める方法も歌に詠み 込まれている。 濃染めの衣と薄染めの衣は、上記の2首の歌のように、人の関係の深さをあらわしている。 紅 く れ な い に 染而之衣 し め て し こ ろ も 雨零而あ め ふ り て に ほ ひ は す と も保比波雖爲 移波米也毛う つ ろ は め や 巻16・3877 「くれないで染めた着物は雨が降って色が美しくあらわれることがあっても、褪せることなどあり ましょうか。」 「にほふ」は「赤く色づく。美しく色づく。美しい色が輝く。照り輝く。輝くように美しい。栄え る。よいにおいがする。」という意味であり20)、色の美しくはえることを示している。「にほふ」は上 代では、とくに赤い色に用いられ21)、伊原昭も、万葉集の歌において、赤系統の色が「にほふ」とと もに最も多く用いられていることを、衣服に限ってではないが、歌の数を調べて実証している22)。ま た、万葉集に登場する色としても赤系統が圧倒的に多く、なかでもくれないを詠んだものが多い23)。 衣服の染めに関わりくれないを詠んだ歌も、表1に示すように最も多い。万葉人はくれないに最も色 として美しさを感じたのである。さらに、「くれないの」は枕詞として「いろ」にかかることからも、 色といえばくれないといっても過言ではない万葉の時代の代表的な染めと色であったと思われる。 また、「衣を紅に染めるとは、人を深く思うことの譬え」24)であり、巻16・3877では、相手に対す る思いは変わることがないことを歌っている。 くれないの衣が上記の歌のように詠まれているが、衣のなかでもくれないの裳が多く登場する。す なわち、「くれないの赤裳」が6首(5・861、7・1297、9・1742、11・2550、17・3969、17・3973) 詠まれている。また、単なる「赤裳」も6首(6・1001、7・1090、7・1274、9・1710、11・2786、 15・3610)詠まれている。赤系統の色としては、くれないだけではなく、蘇芳のミョウバン媒染によ るいわゆる赤、茜染の緋(この時代の緋は朱すなわち赤橙色25))、はねず色(赤黄色、後述)、赤土色(赭色)などがあり、「赤裳」はくれない染めのものだけではないが、「くれないの赤裳」という表現 が多く用いられていることから、なかでもくれない染めの赤裳は一般的であったと考えられる。 立念 たちておもひ 居毛曾念 ゐ て も そ お も ふ 紅之 く れ な ゐ の赤裳下引あ か も す そ ひ き 去之儀乎い に し す が た を 巻11・2550 「立っても思い、座っても思う。くれないの赤い裳の裾を引いて去って行った姿を。」 この時代には、色は象徴的な意味をもっていた。すでに、白については、神聖なものであったこと を述べた1)が、赤についても象徴的な意味がある。釈日本紀十一に、播磨国風土記に書かれている こととして、神功皇后が新羅に出兵したとき(200年といわれる)、丹生都比売命(にほつひめのみこ と)の託宣により、赤土(あかに)を天の逆桙(さかほこ)に塗り、船の艫に立てるとともに、船の すそ、衣服に塗ったところ、新羅を平伏することができたと述べている26)。赤は魔よけとして信仰さ れていた。万葉集の時代においても、官船は赤土で赤く塗られており、魔よけの意味があったようで ある27)。赤裳については、森直太郎が、行幸供奉の女官(6・1001、15・3610)、田植えの時の早乙女 (9・1710)、鮎釣りの神事を行う少女(5・861)らの赤裳は、身の汚れを防ぎ魔よけのために身につ けられたこと、これは古代の降魔除厄の信仰によるものであった名残として、万葉集の歌に詠まれた ことを示しているが、万葉後期の歌は、魔よけというより赤裳の色の美しさと女性の美しさを詠んで いると述べている28)。上記の歌12首をみると、「裾引き」とか、「裾に潮が満つる」、「裾がぬれる」な どの官能的な情景を詠んでおり、魔よけのための赤裳が形式として残っているとしても、歌の内容と しては魔よけの意味は薄く、女性の官能美に結びついているように思われる。 以上のように、くれないは万葉人に愛でられ、女性の美しさとともに歌われ、相手へのおもいを歌 うのに用いられた。くれない染や染められた色あるいは色の変化によって、人との関わりをあらわし ていることから、染めも色も身近な生活のなかにあり、人と人の仲立ちをするものであったことがわ かる。
3.むらさき 美しく尊い色
むらさきもまた染料として重要であった。 辛人之 か ら ひ と の 衣染云 こ ろ も そ む と ふ むらさきの紫之 こころにしみて情染而 所思鴨 お も ほ ゆ る か も 巻4・569 「唐人が衣を染めるという紫のように、心に染みついて思われることです。」 むらさきは、唐から到来した貴重な染料であった。 牟良佐伎波む ら さ き は 根乎可母乎布流ね を か も を ふ る 比等乃兒能ひ と の こ の 宇良我奈之家乎う ら が な し け を 祢乎遠敞奈久 ね を を へ な く に 巻14・3500 「紫草は根を使い尽くすのかなあ。人の子がいとしいのに、寝るのを遂げることができないこと だ。」 紫草は根を染料に用いるのであるが、そのことが歌に詠まれている。現代の人々は色とりどりに染 色された衣服を着用しているのにかかわらず、どのような染料を用いて、どのように染められたのか、 知らない、あるいは知ろうともしない状況である。それと異なり、万葉の時代には、染める行為も生活とともにあったと思われる。 紫者 むららさきは 灰指物曾 は ひ さ す も の そ 海石榴市之つ ば い ち の 八十街 や そ の ち ま た に 相兒哉誰あ ひ し こ や た れ 巻12・3101 「紫染めには灰を入れるものだよ。その灰をとる椿、海石榴市の辻で出会ったあなたは誰ですか。」 前述したようにこれらの草木染めは媒染を行うが、むらさきは、媒染剤として椿灰汁を用いると美 しい色が得られる。椿灰汁は、椿の木の灰に水を加え、その上澄みをとることによって得られる。こ の歌は、「つばいち」を導き出すために、「紫は灰(椿灰汁)指さすものぞ」と詠んでいる。すでに媒 染を用いた染色方法が確立されていたことがわかる。このような染めの方法が詠まれるほど、染めは 日常的で身近にあったことがこの歌からもわかる。 託馬野 た く ま の に おふるむらさき生流紫 衣 染き ぬ に そ め いまだきずして未服而 色 出来 い ろ に い で に け り 巻3・395 笠の女郎が大友家持に贈った歌であるが、「託馬野に生えている紫草の染料を衣に染めて、まだ着 ないのに色があらわれた。」と、家持との関係がまだ成立しないのに人に知られるようになってしま ったことを詠んでいる。むらさきにおいても、くれないと同様に、人との関わり、おもいを染めや色 によってあらわしていることがわかる。 紫草能 む ら さ き の 保敞類妹乎 は ほ へ る い も を 苦久有者 に く く あ ら ば 人嬬故 ひ と づ ま ゆ え に 吾戀目八方わ れ こ ひ め や も 巻1・21 「紫草のように美しいあなたを憎いと思ったら、人妻であるのにわたしはかくも恋いしく思うだろ うか。」 むらさきも「にほへる」と詠まれている。この場合も「にほふ」は「美しく色づく」ことから、 「紫草のように美しい」と歌っている。むらさきは美しい人にたとえられるように、美しさを誇るも のであった。 また、むらさきは染料として名高いものであったため、「むらさきの」の枕詞は「名高」にかかる。 また濃く染めるため「こ」にかかる(表1参照)。 さらに、むらさきは尊い色であった。日本書紀29)に「十二月戊辰朔壬申、始行冠位。大徳・小 徳・大仁・小仁・大禮・小禮・大信・小信・大義・小義・大智・小智、并十二階。並以當色 縫之。 頂撮總如嚢、而著縁焉。唯元日著髻花。髻花、此云于孺。十二年春正月戊戌朔、始賜冠位於諸臣、各 有差」と冠位十二階の制定されたことが示されている。その当色として、最も上位の大徳は濃い紫、 次の小徳は薄い紫というのが通説になっている。この当色に対する疑問は提出されている30)が、い ずれにせよ、紫は位の高い人の冠や衣服に用いられている。上代における紫の重要性が理解できる。
4.褪せる色とうつろうこころ
草木を用いた染料は、褪せやすいものも多い。そのはかなさゆえに、大切に思うこころがつよく、 多くの歌に詠まれたのであろう。人のこころのうつろいやすさに擬して歌われている。 月草之 つ き く さ の 徒安久 うつろいやすく 念可母お も へ か も 我念人之わがおもうひとの 事毛告不來こ と も つ げ こ ぬ 巻4・583 「つゆくさの染め色が変わりやすい、そのような気持ちで私を思うからでしょうか、私の思う人からは言伝ても来ません。」 つきくさ(つゆくさ)は色が褪せやすいので、人のこころのうつろいやすさを詠んでいる。また、 つきくさの枕詞は、「うつろふこころ」や「うつろひやすく」にかかる。 不念常 お も は じ と 曰手師者乎 い ひ て し も の を 翼酢色之 は ね ず い ろ の 變安寸 うつろひやすき 吾意可聞 わ が こ こ ろ か も 巻4・657 「おもうまいと言ったものを、はねず色のようにうつろいやすい私の心です。」 はねず色もまたうつろいやすい。はねず色の枕詞も「うつろひやすき」にかかる。はねずは庭梅、 あるいは木蓮といわれる31)が、はねず色については、上村六郎によれば、紅花とくちなしで交染し た赤黄色(黄丹色)といわれる32)。黄丹色の染色は、延喜式巻第十四縫殿寮に、紅花とくちなしによ ることが示されている33)。 久禮奈爲波く れ な ゐ は 宇都呂布母能曾う つ ろ ふ も の そ 都流波美能つ る ば み の 奈禮 之伎奴 な れ に し き ぬ に 奈保之可米夜母な ほ し か め や も 巻18・4109 大伴家持が詠んだ歌であるが、「くれないは褪せやすいものだ。つるばみの着馴れた衣にやはり及 ばないだろう。」 くれないやむらさきのはなやかさに比べ、つるばみの黒褐色は地味で、奴卑など下層階級の者の衣 服に用いられ、さらに卑しい者の比喩に使われている。しかし、この歌は、うつろいやすいくれない に対し、地味ではあるが実用的なつるばみに価値を見出した歌である。この歌で、くれないは佐夫流 児(遊行女婦)をさし、つるばみの着なれた衣は妻のことをさすといわれる。「遊行女婦に惑うこと なく、馴れ親しんだ妻を大切にせよと言う」34)ことである。
5.摺り染め 象徴としての染め
くれない、むらさき、つるばみなどはそれぞれ花、根、実などを煮出した液で浸し染めをしたので あるが、その他に摺り染めしていたことが万葉集の歌からわかる。摺り染めがどのように行われてい たかについては、直接示されている資料はない。花や葉などを直接あるいはその搾り汁をすりつけて 染めたと考えられる。奈良時代末期(8世紀)の染色用版木が1992年に富山県大島町の北高木遺跡か ら出土している35)ので、木版摺りも一部行われていたと考えられる。 今造 いまつくる 斑衣服 まだらのころも 面就 おもづきて 吾 所念 わ れ に お も ほ ゆ 未服友 いまだきねとも 巻7・1296 「今つくる美しいまだらの衣が私の瞼に浮かぶ。まだ着てはいないけれども。」 まだらは「種々の色がさまざまに混じっている様。濃淡が一様でない様」36)であり、まだらの衣 は、「摺りの濃淡が一様でない美しい衣」37)であり、摺り染めによるものである。万葉人は摺り染め の濃淡に美しさを感じていたのである。晴れ着だったともいわれる37)。 思子之 お も ふ こ が 衣將摺 こ ろ も す ら む に 々保比与に ほ い こ そ 嶋之榛原し ま の は り は ら 秋不立友あ き た た ず と も 巻10・1965 「愛する娘子が衣を摺って染めるために、美しく色づいてくれ。島の榛原よ。まだ秋にはならなく ても。」 榛は萩という説もあるが、上村によれば、ハンノキ(ハリノキ)のことで、実と樹皮の煎汁で暗褐色を染めるとのことである38)。小村昭雲も、巻1・57の歌の太陽暦11月という染める時期を考慮する と、萩では既に枯れてしまっているので、ハンノキであると述べている39)。 吾屋前 わ が や ど に おふるつちはり生土針 從心毛こ こ ろ ゆ も 不想人之お も わ ぬ ひ と の 衣 須良由奈き ぬ に す ら ゆ な 巻7・1338 「私の庭前に生えている土針よ。心から思っていない人の衣に摺りつけられるな。」 土針は、ツクバネソウともメハジキともいわれる。人の場合も、心から思っていない人には摺りつ けられないようにと、これは母の娘に対するおもいといわれる40)。 眞鳥住 ま ど り す む 卯名手之神社之う な て の も り の 菅根乎す が の ね を 衣 書付き ぬ に か き つ け 令服兒欲得き せ む こ も が も 巻7・1344 「鷲の住む雲梯神社の菅の根を衣につけて着せてやる人が欲しいなあ」。 管の根は染料として一般的に用いられたことはなく、染めて美しいものではない。窪田空穂は、雲 梯神社の菅は神に属しているもので、それを用いることは神罰を被ることである、そんな状態で染め て衣をつくるということは、思う男のためにいかなる危険をも冒そうという女であることを示してい ると述べている41)。後述するように、染めるということは愛のあかしとして重要な意味をもっている と思われるが、雲梯神社の菅の根で染めるということで、さらにその愛の強さを表現している。 吾衣 わがころも 楷有者不在す れ る に は あ ら ず 高松之た か ま つ の 野邊行之者の べ ゆ き し か ば 芽子之楷類曾は ぎ の す れ る ぞ 巻10・2101 「わたしの衣は摺り染めにしたのではない。高松の野辺を行ったから、萩の花が摺りつけたのだ。」 自然に摺りつけられて染まることを詠んだ歌である。 摺り染めは美しい花の色を衣にのせようとしたのであろうが、その色は染着せず、すぐ落ちるもの である。したがって、摺り染めは実用的なものではなかったと思われる。片桐洋一によると、「摺衣 は本来は広く用いられたようだが、次第に神前や朝儀の場でのみ着用するようになった」42)とのこ とである。上村も、この時代の染色技術はかなり進んでおり、原始的な摺り染めで一般的に衣服を染 めていたとは考えにくいことから、摺り染めは実用的なものではなく、古来の手法にもとづいて染色 し儀式的に用いたと述べている43)。上述の歌も、実際的な染めではなく、美しい摺り染めを象徴的な ものとして扱っている。 加吉都播多か き つ ば た 衣 須里都氣き ぬ に す り つ け 麻須良雄乃ま す ら を の 服曾比 須流き そ ひ か り す る 月者伎 家里つ き は き に け り 巻17・3921 「かきつばたを衣に摺りつけて、ますらおが着飾って薬狩をする、その時が来た。」 薬狩のときに、大伴家持がつくった歌である。かきつばたで美しく染めた衣服を競い、狩りをする、 このときの摺染は、実用的なものではなく、儀式のための染色である。薬狩は、4月末から5月はじ めに行われる行事(後には5月5日の行事となった)で、鹿狩りをして、その若角(鹿茸)をとるの であり、その角はかげ干しにして補精強壮剤にしたということである44)。 このように、染めは日常的な生活だけではなく、非日常的な儀式的な用途も重要であったと考えら れる。 その他の染色法では、巻16・3791に「結幡之 ゆ ひ は た の 快著衣 そでつけごろも 」と、ゆひはた(絞り染め)45)を詠んだ歌 がみられ、絞り染めも確立していたことがわかる。
6.染めに込めるおもい
また、染めを詠んだ歌から、万葉人にとって、染めることはただ衣服に色をのせるのではなく、そ の人のおもいも染めこんでいたことがわかる。そのような歌をいくつかあげる。 草枕 くさまくら 客去君跡 た び ゆ く き み と 知麻世渡 し ら ま せ ば 岸之埴布 き し の は に ふ に 仁宝播散麻思乎 に ほ は さ ま し を 巻1・69 「あなたを旅をなさるお方と知っておりましたら、住の江の岸の黄土で染めてさしあげましたもの を」。 清江娘子(すみのえのおとめ)が長皇子に奉った歌であるが、清江娘子の姓氏は不詳である。ある いは遊行女婦であるともいわれる。「にほはす」は「色を写す。染めつける。」という意味である20)。 遊行女婦であるとしても、染めにこめられたおもいがあらわされた歌である。 月草 つ き く さ に 衣会染流こ ろ も ぞ し む る 君之爲き み が た め しみいろごろも綵色衣 將摺跡念而す ら む と お も ひ て 巻7・1255 「つゆくさの花で衣を染める。あなたのために、美しい色の衣を摺って作ろうと思って。」 河内女之か ふ ち め の 手染之絲乎て ぞ め の い と を くりかへし絡反 片絲 雖有か た い と に あ れ ど 將絶跡念也た え む と お も へ や 巻7・1316 「河内の女が自分で染めた糸を枠に掛けて繰りとった。それは片糸(よりがかかっていない糸)で はあるが、切れようとは思わない。」 糸つくりや織り1)と同様、染めも女性が行うものであり、愛する人のためにおもいをこめて染め、 染めることが愛のあかしであったことがわかる。7.おわりに
万葉集に詠まれた染めに関する歌から、染めることは大切な行為であり、愛する人におもいをこめ て染めていたことがわかる。衣を染めることは人をおもうことであり、染めた色のはなやかさ・地味 さ、濃淡、褪せやすさに、人のこころ、あるいは人と人の関わりをみていることがわかる。それだけ 染めは身近にあり、万葉人のこころと深くつながっていた。現在、衣服は色とりどりに化学染料で染 色されているが、当時は植物、鉱物など天然の限られた染料で染色されていた。これらの染料は貴重 で、したがって、染色された衣服も貴重で、単なる「もの」を越え、大切にされていたと考えられ る。 現代では染色も工業化し、大量生産・大量消費され、染色された衣服があふれ、不要になったもの はうち捨てられ、ゴミがあふれている。染めるという行為が身近な生活と乖離してしまったことによ って、どのようなおもいをもって、どのような材料で、どのように染められたかは顧みられなくなっ てしまっている。したがって、ひとと染められたものの関係が希薄となり、それがものを大切にでき ない一因となっていると思われる。万葉人のこれらの染めや染められたものに対するおもいを知り、 現代に生きるわたしたちの生活を振り返り、生活を考えていきたいと思う。参考文献
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