≪投稿論文≫
Gaga:「生活する身体」と「パフォーマンスの身体」の往来を
可能にするソマティック探求
生活美学研究所研究員 村 越 直 子 武庫川女子大学非常勤講師 東 出 益 代 1. はじめに Gaga は、欧米各国、そして近年では日本でも定期的なクラスが行われている身体技 法の一つである1)。Gaga は、認定を受けた Gaga 教師によって、世界各国の舞踊学校や ダンス・フェスティバルで広められてきた。Gaga の考案者オハッド・ナハリンは、テ ルアビヴ(イスラエル)を本拠地に活動する振付師であり、バットシェバ舞踊団の元芸 術監督である2)。ナハリンの人物像については、2015 年公開のドキュメンタリー映画 「Mr. Gaga」3)に描かれており、彼の創作の基盤や Gaga の考案に結びつく個人史と思 想を垣間見ることができる。 題目に示した「生活する身体」は、私たち人間が呼吸し思考し行動する土台となる生 きたからだ4)のことであり、「パフォーマンスの身体」は専門的なパフォーマンス用の 技術を身につけた審美的身体のことである。本稿では、身体の日常性が審美的なダン ス芸術作品の出発点であるというダンス教育の古典的な思想(H’Doubler 1940 松本 (訳)(1974))の流れを汲んだソマティクスの考え方をもとに、論考を進める。 ソマティクス(Hanna 1983)は、ダンサーによって発展してきた比較的新しい学術領 域である。一人称の知覚によって内側から経験される、生きているからだ・人間の存 在・個人を研究するソマティクスは「生活する身体」と「パフォーマンスの身体」を区 別しない。ソマティクスの実践的な身体技法であるソマティック・エデュケーション は、ダンサーの障害予防やパフォーマンスの向上など様々な有用性から、欧米の大学 やダンスの専門課程を持つ大学と高等教育機関において、必修、あるいは選択科目と して学ばれてきた(Eddy 2017)。その一方で、ダンサーの訓練に補完的に用いたソマテ ィック・エデュケーションの事例において、ダンサーが「哲学的矛盾」に困惑する(Bales &Nettl-Fiol 2008; Batson 2009)こともよく知られており、その状態を村越(2019) は、ダンサーが経験する「哲学的動揺」とよんだ。 アレクサンダー・テクニックや、フェルデンクライス・メソッドなどに代表されるソ マティック・エデュケーションは、従来のダンス・トレーニングに相反するかのように 導入される(Batson 2009)。静かな環境の中、床に寝転びゆっくりと動きながら、呼吸 やからだの微細な感覚に注意を向けたり、立つこと、座ること、歩くことを丁寧に行っ たりする。無駄な緊張から身体を解放し、内部感覚に注意を払う。教師がハンズ・オンと言われる手技を用いて、感覚の覚醒を手助けすることもある。俊敏で大胆、かつ高度 な技を実現するための筋力強化を行うダンス・トレーニングと、過度な筋肉の緊張を 緩めようとするソマティック・エデュケーションは、ダンサーの心身に混乱を起こす。 自身の踊りに対する観客や指導者からのコメントを受けとめながら、それとは多少の ズレがある自分の内部感覚を肯定することは難しい。そのような状況の中で、ソマテ ィクスは「生活する身体」と「パフォーマンスの身体」の関連をダンサー個人に鋭く問 うこととなる。ダンス指導者や周囲の支援者が、ダンサーが直面している困惑につい て意識的ではなかった場合に、ダンサーの葛藤は挫折を引き起こし、そのままプロへ の道を諦めてしまうような事例もある(村越 2014,2018)。しかしながら、これらの経 験は単に負の要因として捉えられるわけではなく、ダンサーの専門性を高めるための 節目として現れるとも示唆される(村越 2019)。 筆者らは、多くのダンサーらと同様にその困惑や矛盾を経験し、ダンサーとして、ダ ンス指導者としてその課題に向き合ってきた。Gaga は、ソマティックな性質を持ちな がらも、ダンサーの能力を向上させている(Galili 2015)。それは Gaga の実践形態に おいて、具体的にどのような要素が関連し、可能となっているのか。それが筆者らの長 年の問いであった。 これまでの Gaga についての記事は、ダンスやアート関連の雑誌やウェヴサイトで掲 載されてはいるものの、それについての学術的文献は数少ない。 Gaga 教師の資格を持つダンス研究者のガリリ(2015)は、自身の経験と周囲の Gaga 教師と受講者らの言説を用い、Gaga をコンテンポラリー・ダンスの「従来のテクニッ ク形式から離れ、21 世紀に活躍するダンサーの多様なニーズに応えた」と位置づけた。 ガリリは、Gaga ムーヴメントと呼ばれる技法の統括機関のスタッフとして関わり続け、 テルアビヴからその全容を発信している。また、ドイツで身体教育に携わるダンサー 出身のカタン(2016)は、Gaga が「身体化された哲学」であることを、バットシェバ 舞踊団での長年にわたる参与観察を基に論考した。ソマティクスとの関連では、演劇 研究のギティングス(Gittings 2013)がフェルデンクライス・メソッド5)の Gaga へ の影響を、身体とマインドの統合という観点から分析している。また、国内では、岡 元・関(2018)が Gaga の特徴である「慣習の変更」の具体的内容を、日本人 Gaga 教師 の鞍掛綾子と大手可奈二名からの聴きとりと、彼女らが教える Gaga クラスへの参与観 察から考察し提示した。これらの先行研究では、Gaga が、ソマティクスとの関連にお いてダンサーが経験する困惑や葛藤という課題に、どのような影響をもたらしている かは言及されていない。本稿では、ソマティックな探求を内包しながら、超越的な技能 と美しさをもつダンサー育成に成功している Gaga を、「生活する身体」と「パフォー マンスの身体」の往来を可能にするソマティック探求とし、その実践に含まれる特長 的な要素を抽出する。
と言われる手技を用いて、感覚の覚醒を手助けすることもある。俊敏で大胆、かつ高度 な技を実現するための筋力強化を行うダンス・トレーニングと、過度な筋肉の緊張を 緩めようとするソマティック・エデュケーションは、ダンサーの心身に混乱を起こす。 自身の踊りに対する観客や指導者からのコメントを受けとめながら、それとは多少の ズレがある自分の内部感覚を肯定することは難しい。そのような状況の中で、ソマテ ィクスは「生活する身体」と「パフォーマンスの身体」の関連をダンサー個人に鋭く問 うこととなる。ダンス指導者や周囲の支援者が、ダンサーが直面している困惑につい て意識的ではなかった場合に、ダンサーの葛藤は挫折を引き起こし、そのままプロへ の道を諦めてしまうような事例もある(村越 2014,2018)。しかしながら、これらの経 験は単に負の要因として捉えられるわけではなく、ダンサーの専門性を高めるための 節目として現れるとも示唆される(村越 2019)。 筆者らは、多くのダンサーらと同様にその困惑や矛盾を経験し、ダンサーとして、ダ ンス指導者としてその課題に向き合ってきた。Gaga は、ソマティックな性質を持ちな がらも、ダンサーの能力を向上させている(Galili 2015)。それは Gaga の実践形態に おいて、具体的にどのような要素が関連し、可能となっているのか。それが筆者らの長 年の問いであった。 これまでの Gaga についての記事は、ダンスやアート関連の雑誌やウェヴサイトで掲 載されてはいるものの、それについての学術的文献は数少ない。 Gaga 教師の資格を持つダンス研究者のガリリ(2015)は、自身の経験と周囲の Gaga 教師と受講者らの言説を用い、Gaga をコンテンポラリー・ダンスの「従来のテクニッ ク形式から離れ、21 世紀に活躍するダンサーの多様なニーズに応えた」と位置づけた。 ガリリは、Gaga ムーヴメントと呼ばれる技法の統括機関のスタッフとして関わり続け、 テルアビヴからその全容を発信している。また、ドイツで身体教育に携わるダンサー 出身のカタン(2016)は、Gaga が「身体化された哲学」であることを、バットシェバ 舞踊団での長年にわたる参与観察を基に論考した。ソマティクスとの関連では、演劇 研究のギティングス(Gittings 2013)がフェルデンクライス・メソッド5)の Gaga へ の影響を、身体とマインドの統合という観点から分析している。また、国内では、岡 元・関(2018)が Gaga の特徴である「慣習の変更」の具体的内容を、日本人 Gaga 教師 の鞍掛綾子と大手可奈二名からの聴きとりと、彼女らが教える Gaga クラスへの参与観 察から考察し提示した。これらの先行研究では、Gaga が、ソマティクスとの関連にお いてダンサーが経験する困惑や葛藤という課題に、どのような影響をもたらしている かは言及されていない。本稿では、ソマティックな探求を内包しながら、超越的な技能 と美しさをもつダンサー育成に成功している Gaga を、「生活する身体」と「パフォー マンスの身体」の往来を可能にするソマティック探求とし、その実践に含まれる特長 的な要素を抽出する。 2. 研究の目的と方法 ダンサーであり、ダンス教育に関わってきた筆者二名は、ソマティック・エデュケー ションとダンス・トレーニングの間でダンサーに起こる矛盾や動揺という課題を意識 しながら、2012 年より、国内外の Gaga 実践を追い続けてきた。これまで、Gaga 考案 者のナハリン、元バットシェバ舞踊団のダンサーであった Gaga 教師シャハー・ビンヤ ミニとエラ・ロスチャイルド、日本人 Gaga 教師である鞍掛綾子の合計四名の指導する Gaga ワークショップを受講し、非構造化インタビューを行ってきた。本稿では、ダン サーが、「生活する身体」と「パフォーマンスの身体」を自由に往来できる Gaga の特長 的な要素を提示する。 方法として、はじめに Gaga 実践における特徴を記した上で、主にナハリンの言説に 焦点を当て、それを支える他三名の言説も参考に論考を進めることとした。実施した インタビュー録音は逐語録に起こし、それを和訳したインタビューノートを 1)全体 の解釈、2)語りのセクションごとに表出するカテゴリーを抽出し、3)対象となる上 記 Gaga 教師らの中心的思想の抽出、という段階を踏み作成し、教師らの言説をデータ 化した。その解釈には、筆者らが受講した Gaga 集中講座や、日本で開催された Gaga ワ ークショップ、武庫川女子大学生活美学研究所がビンヤミニを講師として開催した定 例研究会「コンテンポラリー・ダンス。きらめく身体。」6)の内容が参考となった。こ れらデータ収集と受講の概要は表1に示した。ナハリンを含む Gaga 教師らへのインタ ビューは英語で行った。それら逐語録の和訳は、会話やクラスの中で頻繁に使用され た言葉に適切な日本語を当てはめるため、筆者二名が共同して行い、インタビュー内 容全体の解釈については Gaga 教師鞍掛の協力を得て、トライアンギュレーションを行 い充分な検討を加えた。本稿では語りの表示だけでは不明瞭な場合、インタビューの 引用内、該当箇所に[ ]で筆者らの言葉を補足した。また、部分的な省略は(中略) で示した。本研究はインタビューデータを、筆者らに体現化された経験から解釈する7)
という、Gaga の先行研究に共通した方法(Galili 2015; Gittings 2013; Katan 2016; Sanger 2019)を用いた。インタビューからの引用は(対象者名 インタビュー 取材 年)のように表記した。
3. 動きの探求法としての Gaga
3.1 Gaga の成り立ち:Gaga People と Gaga Dancers
Gaga は人間の身体感覚と動きの可能性をひき出す技法であり、特にダンサーにとっ ては専門性に関わる身体言語を豊かにする技法となる(Galili 2015)。一般の人が受 講しやすい Gaga People と、ダンサーの為の Gaga Dancers の二つに区分され開講され ている。どちらも、Gaga 教師の言葉がけやそこに適用されるルールやクラスの構成に 大きな違いはない。 そのような体制が生まれた背景には、Gaga の成り立ちが関連している。Gaga は、ナ ハリンが椎間板ヘルニアで腰を痛めた後、自分自身の身体調整法を考案したことから 始まる。ある程度怪我の状態が回復した後も、ナハリンはリハビリテーションの一環 として、その身体調整法を行うことを日課とした。その様子を見ていた舞踊団事務員 たちの希望により、ナハリンは彼らとともにクラスを行うようになった。このように Gaga は、ダンサーではなく、一般の人々にナハリンが自分の身体調整法を伝授したこ とから始まっている。当初のナハリンの目的は、生活の基盤となる自身の身体機能の 回復であった。ナハリンは、ソマティックな探求を続けることによって、「生活する身 体」を取り戻したのである。その探求過程は身体の機能調整に役立つだけではなく、 個々の身体から動く喜びを発掘することに、ナハリンは一般の人々との実践から確信 した。ナハリンは自身の創作作品に、普通に生活する人の人間らしい活力を求め続け てきた。彼は Gaga を用いることで、ダンサーが「生活する身体」にアウェアネスを向 けることに気づいたのである。 3.2 イメジェリーを基にしたソマティックな探求 ナハリンは、自分自身の内部感覚と運動感覚を、イメジェリー(自分の中に浮かび上 がる固有の画像イメージ)と関連付けながら吟味することによって、身体の機能を再 発見し怪我から回復することを可能にした。以前より、イメジェリーが生きる活力を 取り戻すことは、ソマティックな探求を行ってきたダンサーたちに認識されてきたこ とである。イメジェリーは、今日のソマティクス実践構築の土台となり、数々の実践に より定説化された(Eddy 2017)。Gaga では、イメジェリーを活用し、動くことにより、 一人一人が固有の感覚に基づいた新たな動きを身体言語として獲得することができる。 それをナハリンは、創作現場におけるダンサーと意思疎通のための言語を紡ぎだす手 段として、意識的に、そして積極的に Gaga の基底においたのである。 3.3 Gaga のルール Gaga クラスは、これまでの伝統的なダンス・トレーニングといくつかの点で違って いる。これらは、Gaga の特徴であるとともに、クラスの受講時のルールともなる(Galili
3. 動きの探求法としての Gaga
3.1 Gaga の成り立ち:Gaga People と Gaga Dancers
Gaga は人間の身体感覚と動きの可能性をひき出す技法であり、特にダンサーにとっ ては専門性に関わる身体言語を豊かにする技法となる(Galili 2015)。一般の人が受 講しやすい Gaga People と、ダンサーの為の Gaga Dancers の二つに区分され開講され ている。どちらも、Gaga 教師の言葉がけやそこに適用されるルールやクラスの構成に 大きな違いはない。 そのような体制が生まれた背景には、Gaga の成り立ちが関連している。Gaga は、ナ ハリンが椎間板ヘルニアで腰を痛めた後、自分自身の身体調整法を考案したことから 始まる。ある程度怪我の状態が回復した後も、ナハリンはリハビリテーションの一環 として、その身体調整法を行うことを日課とした。その様子を見ていた舞踊団事務員 たちの希望により、ナハリンは彼らとともにクラスを行うようになった。このように Gaga は、ダンサーではなく、一般の人々にナハリンが自分の身体調整法を伝授したこ とから始まっている。当初のナハリンの目的は、生活の基盤となる自身の身体機能の 回復であった。ナハリンは、ソマティックな探求を続けることによって、「生活する身 体」を取り戻したのである。その探求過程は身体の機能調整に役立つだけではなく、 個々の身体から動く喜びを発掘することに、ナハリンは一般の人々との実践から確信 した。ナハリンは自身の創作作品に、普通に生活する人の人間らしい活力を求め続け てきた。彼は Gaga を用いることで、ダンサーが「生活する身体」にアウェアネスを向 けることに気づいたのである。 3.2 イメジェリーを基にしたソマティックな探求 ナハリンは、自分自身の内部感覚と運動感覚を、イメジェリー(自分の中に浮かび上 がる固有の画像イメージ)と関連付けながら吟味することによって、身体の機能を再 発見し怪我から回復することを可能にした。以前より、イメジェリーが生きる活力を 取り戻すことは、ソマティックな探求を行ってきたダンサーたちに認識されてきたこ とである。イメジェリーは、今日のソマティクス実践構築の土台となり、数々の実践に より定説化された(Eddy 2017)。Gaga では、イメジェリーを活用し、動くことにより、 一人一人が固有の感覚に基づいた新たな動きを身体言語として獲得することができる。 それをナハリンは、創作現場におけるダンサーと意思疎通のための言語を紡ぎだす手 段として、意識的に、そして積極的に Gaga の基底においたのである。 3.3 Gaga のルール Gaga クラスは、これまでの伝統的なダンス・トレーニングといくつかの点で違って いる。これらは、Gaga の特徴であるとともに、クラスの受講時のルールともなる(Galili 2015)。 まず、クラスの最初に「動きを止めない」というルールが伝えられる。例えば、受講 者らは、もうこれ以上動けないほど体力的に厳しい状態になっても、動く範囲や力の 入れ方を調整し、たとえ微かな動きだとしてもその動きを止めないようにする。さら に「多層に折り重なるタスク(multi layered task)」といわれる、Gaga 特有の挑戦が ある。例えば、「浮き漂う」イメージで動きが始まる。そこに Gaga 教師の言葉がけで、 「揺する」という指示が出されると、それまでの浮いて漂うイメージの動きに、揺する イメージの動きを重ねていく。教師は、身体の位置や動く速度を変化させるなど、多種 類のタスクを重ね指示していく。 また、Gaga クラスを行う場所には「鏡がない」。通常のダンス・クラスとは違い、受 講者は鏡を利用して自分の姿を修正することや、他者と自分の姿を比較することはな い。それは評価せず、ありのままを受けとめる(non-judgmental)ソマティクスの教授 法(Eddy 2017)の基本でもある。そして、Gaga クラスは「見学が許されない」。教師 を含め、Gaga をする者だけがそこに集う。受講中に自意識が過剰に表面化し、自分を 誤魔化す状態から離れ、動きの探求に没頭できる環境が用意されているのである。こ のように Gaga では、厳格なルールや環境設定によって、全ての受講者が自己調整のた めに必要な、心身ともに安全で効果的な空間が準備されているのである。 それに加え、ソマティック実践に重なる特徴的なことは、Gaga 教師はクラスの進行 にともない位置を変えることである。教師は、部屋の中心に位置することもあれば、前 方で指揮をとることもある。そして言葉がけを行いながら、受講生とともに動き続け る。筆者らが知る限り、教師が受講生を静観することはほとんどない。このことは、通 常のダンス・トレーニングにある子弟関係を曖昧にし、ヒエラルキーを取り払う。そし て、受講者はその空間内で混じり合い、平等に共鳴し合うようになる。受講者が身体の 内側だけに感覚を閉ざすのではなく、自然と外側にも感覚を拓くことや、他者の動き も自身の踊る空間にとりこむように、教師は言葉がけを工夫する(Galili 2015; Sanger 2019)。 4. Gaga を支えるパッション・スキル・イマジネーションと、ペダゴジー:ナハリンへ のインタビューに基づいて 本章では、Gaga 実践の基底となる思想を抽出するため、考案者であるナハリンへの インタビューから、「生活する身体」と「パフォーマンスの身体」の概念を用いて解釈 した。 私はいつも三つのことを一緒にいう。パッション[情熱]、スキル[技]、そしてイマ ジネーション[想像性]。これらは私がいう三位一体だ。なぜならその三つが実際に
何かを支えているから。ただし、一緒にでなければならない。その三つが一緒の場合 のみ[機能する]。これは教育にも当てはまる。(中略)私の仕事についても同じこと が言える。(ナハリン インタビュー 2013) 4.1 パッション:喜びとつながる努力 Gaga は、動くことにより怪我から回復しようとしたナハリンの挑戦から始まった。 ナハリンは動けない状態から、動けるようになった喜びをバネにして、次の段階を主 体的に準備していった。動きたいという欲求から、からだの声を聴き、その声を頼りに 努力することで、次の段階に進むことを身体的に理解した。それは、活き活きとした身 体を実感することや、爽快感、限界を超えることという全体性を持ったからだの喜び である。この喜びは、ナハリンのいう「パッション」と関係している。 ナハリン(2008)は努力(effort)という言葉をよく使う。努力は、痛み(pain)と 混同してはいけないと述べる。そして、Gaga は喜び(pleasure)と努力をつなぐという。 私は喜びにつながる努力というのは大事だと思う、それが私たちを守るから。野心 の虜になってはいけない。からだを聴くという考えは、何かをする前とか、何かをし たあとに自分のからだを聴いて伝えることではなくて、本当に聴き取ることだ。ダ ンスは何をするかを語りかけることではなくて、からだを聴きとることだ。聴くこ とはとても重要だ。小さなジェスチャーに気づくことなど、喜びは、自分の行動の容 量を遊ぶ可能性によってもたらされる。感覚の範囲や気づき。感覚の範囲はとても 重要である。(ナハリン インタビュー 2013) ナハリン(2008)による Gaga の説明文の中に「汗をかくことを好むことに私たちは 気づき、動くパッションを発見し、そのことが努力とつながる。そして自分たちの中に 在る野生とイマジネーションの力を知る(ナハリン 2008)」とある。ここで動く「喜 び」は、動く「パッション」と言い換えられて努力とつながっている。さらにこの語り で着目すべきは「野心」という言葉である。ナハリンは野心(ambition)について、以 前より次のように警鐘を鳴らしていた。「Gaga は思考のプロセス、癒しのプロセスや論 理に資する目的に役立つものとなり得る。演じよう、舞台に立というといった考えや その手の野心ではなく、私たちの生に関わる意義深い事柄についての見方や考え方を 与えたり得たりする役に立つ。ある意味、それは捨てること、壊すこと、止めることと 関係してもいる。舞台に立つ野心やなんかをね。ダンサーであってもこの野心を捨て なければならない」(ナハリン インタビュー 古後 2010)。ナハリンはダンサーの野心 を削ぎ落とそうとする。なぜなら、野心は、ダンサーのダンスすることに対する純粋な パッションを曇らせ、本来のからだの可能性を阻害するからである。これらのことか ら、オハッドのいう「パッション」は、野心とは無縁の動く喜びであり、それとつなが
何かを支えているから。ただし、一緒にでなければならない。その三つが一緒の場合 のみ[機能する]。これは教育にも当てはまる。(中略)私の仕事についても同じこと が言える。(ナハリン インタビュー 2013) 4.1 パッション:喜びとつながる努力 Gaga は、動くことにより怪我から回復しようとしたナハリンの挑戦から始まった。 ナハリンは動けない状態から、動けるようになった喜びをバネにして、次の段階を主 体的に準備していった。動きたいという欲求から、からだの声を聴き、その声を頼りに 努力することで、次の段階に進むことを身体的に理解した。それは、活き活きとした身 体を実感することや、爽快感、限界を超えることという全体性を持ったからだの喜び である。この喜びは、ナハリンのいう「パッション」と関係している。 ナハリン(2008)は努力(effort)という言葉をよく使う。努力は、痛み(pain)と 混同してはいけないと述べる。そして、Gaga は喜び(pleasure)と努力をつなぐという。 私は喜びにつながる努力というのは大事だと思う、それが私たちを守るから。野心 の虜になってはいけない。からだを聴くという考えは、何かをする前とか、何かをし たあとに自分のからだを聴いて伝えることではなくて、本当に聴き取ることだ。ダ ンスは何をするかを語りかけることではなくて、からだを聴きとることだ。聴くこ とはとても重要だ。小さなジェスチャーに気づくことなど、喜びは、自分の行動の容 量を遊ぶ可能性によってもたらされる。感覚の範囲や気づき。感覚の範囲はとても 重要である。(ナハリン インタビュー 2013) ナハリン(2008)による Gaga の説明文の中に「汗をかくことを好むことに私たちは 気づき、動くパッションを発見し、そのことが努力とつながる。そして自分たちの中に 在る野生とイマジネーションの力を知る(ナハリン 2008)」とある。ここで動く「喜 び」は、動く「パッション」と言い換えられて努力とつながっている。さらにこの語り で着目すべきは「野心」という言葉である。ナハリンは野心(ambition)について、以 前より次のように警鐘を鳴らしていた。「Gaga は思考のプロセス、癒しのプロセスや論 理に資する目的に役立つものとなり得る。演じよう、舞台に立というといった考えや その手の野心ではなく、私たちの生に関わる意義深い事柄についての見方や考え方を 与えたり得たりする役に立つ。ある意味、それは捨てること、壊すこと、止めることと 関係してもいる。舞台に立つ野心やなんかをね。ダンサーであってもこの野心を捨て なければならない」(ナハリン インタビュー 古後 2010)。ナハリンはダンサーの野心 を削ぎ落とそうとする。なぜなら、野心は、ダンサーのダンスすることに対する純粋な パッションを曇らせ、本来のからだの可能性を阻害するからである。これらのことか ら、オハッドのいう「パッション」は、野心とは無縁の動く喜びであり、それとつなが る努力を包括的に表現していることがわかる。ダンサーであるなしに関わらず、「生活 する身体」が持つ可能性に挑戦する、その素朴な情熱を「パッション」という言葉で言 い表している。 4.2 スキル:いつでも可能な状態、Available ナハリンは、グラハム・テクニック、リモン・テクニック、カニングハム・テクニッ クのようにダンスの技法にありがちなテクニックという言葉を、彼自身が開発した技 法の名称に用いなかった。彼はその理由を、テクニックと名付けた瞬間に排他的にな るからだと説明した。それと対比させ、「スキル」を持つことの重要性については熱く 語っている。ダンスにおける高度な「スキル」は、多種多様な技法、生活の場面におい ても同様に高度な「スキル」として当てはまるものだと述べる。 私はフラメンコダンサーが Gaga をするのも、弁護士が Gaga をするのも、気に入っ ている。なぜなら、Gaga はどんな方法やスタイルとも矛盾しない。(中略)人はテク ニックといえば、グラハム[・テクニック]とか、バレエとか思いうかべる。それは 閉塞したものになる。そしてそれは、それが理由でドグマになって他を拒否するも のになる。「こうするから、こうではない」というように。そのように何かを否定す るのであれば、それは私にとっては否定的だ。(中略)その一方で、スキルはまた別 で、人はバレエダンサーであろうと、フラメンコダンサーであろうと、ヒップホップ ダンサーであろうと、グラハムダンサーであろうと同じスキルを必要としている。 これらのスキルは必要である。 (ナハリン インタビュー 2013) 一般的に「テクニック」といえば、従来から受け継がれてきた技・型を学ぶことと関 連しているように考えられ、ナハリンはそれが動きを一定の型にはめ込むことにつな がると言って警戒する。Gaga においては、過去のダンス・トレーニングで獲得した技・ 型を捉え直すようにクラスが進行していく。そこで行われる探求は、自分自身の動き 方の習慣を知り、新しい動きを生み出す試みであり、それが「スキル」を高めるという。 ナハリンはこれらの習慣から来る技や型を「デフォルト(default)」という言葉で表現 する。日本語に訳せば、不履行、怠慢、などの語が並ぶが、ナハリンが使用するとき、 それは、パソコン操作で自動的に施行される設定のデフォルトに近い意味がある。可 能性を拓くためには、いつもの状態に陥ってはいけないという警告の言葉である。 型とグルーヴ(groove:心地よい興奮)の間には矛盾はないっていうことだよ。グル ーヴか、型か、ということではない。型はとても重要だ。振付家としては、型と接触 (contact)の統合がすべてだ。そこが面白いのだから。私は型に触発され、型が好 きだ。私自身の課題として、デリカシーやエネルギーの流れ、しなやかさなどを失わ
ずに自分の型を見出していくことができるか、という問いがあった。そういう意味 では、型は悪いものではない。しかし、よくあることだが、型が固まることにつなが ったり、滞ったりすることにつながっている。リラックスしていても滞っている場 合もある。(ナハリン インタビュー 2013) ナハリンはグルーヴという言葉で、身体に宿り、自発的に起こる身体リズムと揺れ を表現している。型をその模範的な形としてではなく、グルーヴによって個々に生じ る動線を、瞬間美として捉えようとしている。Gaga は、ダンサーにとって型を運動的 にも思考的にも捉え直す機会となっているのである。「このように行う」という形やラ インを提示することのない、教師の言葉がけによる誘導は、各受講者のイメジェリー によって違った動きが生み出される。それは、非常に個別的であり、どのような状態に あっても、動く本人の今を象徴する真の姿であり、個性豊かな型の連続なのである。つ まり、身体のリズム、呼吸から生じる動きの型とグルーヴに矛盾はないのである。 その場合、型の出発点は呼吸を起点とする「生活する身体」である。そして「パフォ ーマンスの身体」は、ダンサーが呼吸し、動きを吟味する中で、個別に、革新的に発展 していくものなのである。ナハリンは現代のダンス・トレーニングやソマティック・エ デュケーションにおける型が多くの場合、固まることや滞ることに繋がる傾向がある と批判する一方で、個々人のグルーヴが生み出す型に重点をおいている。そして、その 個人の探求は爆発的な力を発見することにつながっているという。 人々は爆発的な力(explosive power)を発見する必要がある。でもそれには解放(let go)を知ったときにのみ、人は爆発的になれる。緊張から爆発はできない。私たちは 柔らかい場所(soft place)からのみ、爆発ができるのだから。(ナハリン インタビ ュー 2013) 爆発的な力を発見するために、Gaga のクラスでは、「available」、つまり、「いつで も可能な状態」であることが伝えられる。「available」は、ナハリン(2008)がウェブ サイトに記した Gaga を表現する文章の締めくくりに使われている言葉でもある。一般 的に、緊張からの解放といえば、脱力し緩んだ状態を思い浮かべるが、Gaga において 解放された状態とは、生きた野生の動物がいつの瞬間にも敵に立ち向かえる状態なの である。ナハリンが言う爆発的な力とは「火事場の馬鹿力」と日本語で表現されるよう な、人間の内に秘めた力である。Gaga では、それに気づき、稼働させることを強く奨 励する。 そのために、ナハリンは身体のあらゆる感覚を聴きとることに専念するよう促す。 そしてその感覚の範囲を多方向に広げる、または今の動きを真逆のベクトル上に転換 して動くように Gaga を指導する。このようにして受講者らは、空間の中にいる自分の身
ずに自分の型を見出していくことができるか、という問いがあった。そういう意味 では、型は悪いものではない。しかし、よくあることだが、型が固まることにつなが ったり、滞ったりすることにつながっている。リラックスしていても滞っている場 合もある。(ナハリン インタビュー 2013) ナハリンはグルーヴという言葉で、身体に宿り、自発的に起こる身体リズムと揺れ を表現している。型をその模範的な形としてではなく、グルーヴによって個々に生じ る動線を、瞬間美として捉えようとしている。Gaga は、ダンサーにとって型を運動的 にも思考的にも捉え直す機会となっているのである。「このように行う」という形やラ インを提示することのない、教師の言葉がけによる誘導は、各受講者のイメジェリー によって違った動きが生み出される。それは、非常に個別的であり、どのような状態に あっても、動く本人の今を象徴する真の姿であり、個性豊かな型の連続なのである。つ まり、身体のリズム、呼吸から生じる動きの型とグルーヴに矛盾はないのである。 その場合、型の出発点は呼吸を起点とする「生活する身体」である。そして「パフォ ーマンスの身体」は、ダンサーが呼吸し、動きを吟味する中で、個別に、革新的に発展 していくものなのである。ナハリンは現代のダンス・トレーニングやソマティック・エ デュケーションにおける型が多くの場合、固まることや滞ることに繋がる傾向がある と批判する一方で、個々人のグルーヴが生み出す型に重点をおいている。そして、その 個人の探求は爆発的な力を発見することにつながっているという。 人々は爆発的な力(explosive power)を発見する必要がある。でもそれには解放(let go)を知ったときにのみ、人は爆発的になれる。緊張から爆発はできない。私たちは 柔らかい場所(soft place)からのみ、爆発ができるのだから。(ナハリン インタビ ュー 2013) 爆発的な力を発見するために、Gaga のクラスでは、「available」、つまり、「いつで も可能な状態」であることが伝えられる。「available」は、ナハリン(2008)がウェブ サイトに記した Gaga を表現する文章の締めくくりに使われている言葉でもある。一般 的に、緊張からの解放といえば、脱力し緩んだ状態を思い浮かべるが、Gaga において 解放された状態とは、生きた野生の動物がいつの瞬間にも敵に立ち向かえる状態なの である。ナハリンが言う爆発的な力とは「火事場の馬鹿力」と日本語で表現されるよう な、人間の内に秘めた力である。Gaga では、それに気づき、稼働させることを強く奨 励する。 そのために、ナハリンは身体のあらゆる感覚を聴きとることに専念するよう促す。 そしてその感覚の範囲を多方向に広げる、または今の動きを真逆のベクトル上に転換 して動くように Gaga を指導する。このようにして受講者らは、空間の中にいる自分の身 体を、内側と外側を越境して動き、同時に知覚することができる。 パフォーマンスにおいても、そうでないとしても、エレメンツ(elements)とのつな がり、宇宙とのつながり、物事の距離感、たっぷりした時間の感覚とのつながり、関 節の球形の動きの可能性、身体の気の流れもしかり、皮膚、肉、骨の間の摩擦や身体 の各部位との距離など、完成度の高いものを作るには、それら全てのことを論じる 必要がある。(中略)ダンサーに限らず、本当のスキルを身につけるためには、いろ いろなことを話し合う必要があると思う。それがスキルを身につけるということだ。 スキルはとても重要だ。パッションを持っていても、イマジネーションを持ってい ても、スキルがなければハンディキャップを負っているような状態と同じだ。(ナハ リン インタビュー 2013) このようにナハリンは「スキル」を身につけるためには、様々な知識を吸収し、経験 を積み、それらを関係づけて対話する必要性があるという。そして、想像しうる全ての 可能性に拓かれた状態、「available」であることが目指されている。それは、Gaga ク ラスの多層に折り重なるタスクへの挑戦や、イメジェリーと動きをつなぐ過程で養わ れている(Katan 2016)。「available」は Gaga において、各個人が必要とするスキルを 次々と生み出すことを可能にする重要な概念である。 4.3 イマジネーション: 創造世界を共有するために共通言語をもつ ナハリンはソマティック・エデュケーションの一つであるフェルデンクライス・メ ソッドに関して、次の疑問を投げかける。 私はフェルデンクライスの理論には賛成している。ただ、フェルデンクライス[・メ ソッド]についていえば、とても消極的だということだ。(中略)ワークアウトがな ければ、どうやって健康になったり強くなったり、爆発的になったり敏捷になった り、潤いをもったり柔軟になったり、丁度良い度合をからだのなかに取り入れるこ とができるのだろうか?私は、そこで Gaga が重要になってくると思う。解き放つと いう考えに関して言えば、何かを行うための解放であって、リラックスするためで はない、Gaga にはリラックスはない。(ナハリン インタビュー 2013) ナハリンが問題視するのは、ソマティック・エデュケーションが加速に対して減速、 激しさに対して緩やかさ、動に対して静、外向きに対して内向きというように、後者に 偏った実践に陥ってしまいがちなことである。つまり、ソマティック・エデュケーショ ンの実践上で探求されている質の偏りを指摘しているのである。全てのソマティック 探求がそのような偏りを持つとは言い切れないが、ソマティック実践をダンス・トレ
ーニングに用いる際の難しさはその偏りにあった。ナハリンのその問いに対する挑戦 は、Gaga において動きの両極を意識し、探ることにより実現している。 ソマティック・エデュケーションが心地よさを求め、それをリラックスという言葉 で表現するのであれば、Gaga の目的はそのようなリラックスではない。ナハリンの興 味は、動きの制御ではなく、動きの多様性を追求し、あらゆるベクトル上で往来し、動 きの可能性を拡大することにある。つまり、受講者はタスクに沿った課題に対して表 現の自由がある。イメジェリーが過激なものであっても、どのように、そしてどのよう な方向に動きを発展させていこうとも、個人の采配で質感、量感、距離感を遊ぶことが できる。この遊びから生まれ、ダンサーの身体に現れる動きの言語は、ナハリンの創作 作品の素材となる。さらに、創作の現場で生まれる動きの共鳴は、彼とダンサー、そし てダンサー同士が対話するための共通言語を豊かなものにした。 私は何か新しいものを発明したとは感じていない。もうすでに何人かの人々によっ て共通の知識となっていることを自分で発見しているだけだ。これは私が自分のダ ンサーたちと意思疎通のために必要としていることに大きく関係している。(中略) まず私の作品をダンサーが解釈するのを助ける言語であるべきだし、そして、その 解釈をダンサーのからだから引き出す言語が必要になったのだ。(ナハリン インタ ビュー 2013) 個人から引き出される動きが作品の言語となり豊かに肥えていくこと以外にも、 Gaga をすることが参加者同士の結びつきや、共有される場のエネルギーに影響を与え ている。それを証言するように、ビンヤミニ(2014)は「お互い[団員同士]の関係性が 面白くて、挑戦的で、意味深いからこそ、パワフルな作品中に[自分が]生きている。 (中略)動きに感覚的なつながりがなければ、ただ生き長らえる状態に過ぎない」と述 べている。Gaga は、作品を踊るダンサー同士とナハリン自身とを、イメジェリーを介 して結びつけている。 4.4 ナハリンのペダゴジー ナハリンに教育観を尋ねると、相互間にコードとルールを作る必要があると答えた。 教育においても、彼の作品創作の過程においても、それらを介して物事は進んでいく と述べている。ナハリンは、人生をプレイグラウンド(遊び場)に例えて次のように述 べる。 人生はプレイグラウンドにとても似ていて、そこで遊ぶにはコードとルールを知る 必要が出てくる。そうでなければ遊べない。それぞれのゲームに独自のルールがあ り、コードがある。そのコードやルールを教え合いながら、そしてそのゲームを楽し
ーニングに用いる際の難しさはその偏りにあった。ナハリンのその問いに対する挑戦 は、Gaga において動きの両極を意識し、探ることにより実現している。 ソマティック・エデュケーションが心地よさを求め、それをリラックスという言葉 で表現するのであれば、Gaga の目的はそのようなリラックスではない。ナハリンの興 味は、動きの制御ではなく、動きの多様性を追求し、あらゆるベクトル上で往来し、動 きの可能性を拡大することにある。つまり、受講者はタスクに沿った課題に対して表 現の自由がある。イメジェリーが過激なものであっても、どのように、そしてどのよう な方向に動きを発展させていこうとも、個人の采配で質感、量感、距離感を遊ぶことが できる。この遊びから生まれ、ダンサーの身体に現れる動きの言語は、ナハリンの創作 作品の素材となる。さらに、創作の現場で生まれる動きの共鳴は、彼とダンサー、そし てダンサー同士が対話するための共通言語を豊かなものにした。 私は何か新しいものを発明したとは感じていない。もうすでに何人かの人々によっ て共通の知識となっていることを自分で発見しているだけだ。これは私が自分のダ ンサーたちと意思疎通のために必要としていることに大きく関係している。(中略) まず私の作品をダンサーが解釈するのを助ける言語であるべきだし、そして、その 解釈をダンサーのからだから引き出す言語が必要になったのだ。(ナハリン インタ ビュー 2013) 個人から引き出される動きが作品の言語となり豊かに肥えていくこと以外にも、 Gaga をすることが参加者同士の結びつきや、共有される場のエネルギーに影響を与え ている。それを証言するように、ビンヤミニ(2014)は「お互い[団員同士]の関係性が 面白くて、挑戦的で、意味深いからこそ、パワフルな作品中に[自分が]生きている。 (中略)動きに感覚的なつながりがなければ、ただ生き長らえる状態に過ぎない」と述 べている。Gaga は、作品を踊るダンサー同士とナハリン自身とを、イメジェリーを介 して結びつけている。 4.4 ナハリンのペダゴジー ナハリンに教育観を尋ねると、相互間にコードとルールを作る必要があると答えた。 教育においても、彼の作品創作の過程においても、それらを介して物事は進んでいく と述べている。ナハリンは、人生をプレイグラウンド(遊び場)に例えて次のように述 べる。 人生はプレイグラウンドにとても似ていて、そこで遊ぶにはコードとルールを知る 必要が出てくる。そうでなければ遊べない。それぞれのゲームに独自のルールがあ り、コードがある。そのコードやルールを教え合いながら、そしてそのゲームを楽し むスキルを発達させる。そして自分たちの創造性でどのように遊ぶかってことにな る。そうすれば、しめたものだ、私たちの心がそこにある。(ナハリン インタビュー 2013) コードは時に暗号と訳される。それは身体を介した動きの言語であり、意思疎通を 可能とする言葉である。また暗号という言葉は、それが共有されるある一定のコミュ ニティーを想像させる。ダンサーと「コードやルールを教えあう」場として Gaga が機 能しているのである。ナハリンにとってそれらを用いたゲームは、動きの探求 Gaga で あり、ナハリンの創作作品であろう。そのような場において、ダンサーが必要とされる 「スキル」は高められていく。Gaga の教授法は、こうしたナハリンの思想を基盤とし て構築されているのである。 また、ナハリンは、手本(example)で見せることが肝心だと述べた。個人的かつ普 遍的な倫理を手本によって伝え、相互間(親と子、教師と生徒)にあるセーフティーネ ット(安全を約束する関係性)を、ナハリンは意識的な取り組みとして人生全体に反映 させていることがわかる。 君が何でも知っている親だとしよう、でも君が知っていることと、君の行いにギャ ップがあれば、君の子はその行いから学ぶのであって、君が知っていることを学び はしない。だから手本という考えは教育の中では、とても重要だと思う。ダンス教育 でも同じ。教師が手本として、自分が言っていることを越えて、その手本を見せるこ とが重要だ。(中略)手本が教育ではとても大きい[意味がある]と思う。私が大好 きな自分の先生たちを思い起こせばそうだ。それは私に何を教えてくれたかという より、彼らがどんなだったか、彼らのちょっとしたジェスチャーであり、寛大さ、そ こに居てくれること、セーフティネット。教育はセーフティネットを与えなければ ならない。」(ナハリン インタビュー 2013) この観点からいえば、Gaga は、ナハリンが大切にするパッション、スキル、イマジ ネーションを十分に理解した教師らの実践法に依拠するものとなっている。 5.「生活する身体」と「パフォーマンスの身体」の往来を可能にする Gaga の特長的な 要素 本稿の目的は、「生活をする身体」と「パフォーマンスの身体」の往来を可能にする Gaga の特長的な要素(以下、略して「Gaga の特長的な要素」と記す)を提示すること である。この節では、Gaga の実践形態とナハリンの言説から導かれた、「Gaga の特長 的な要素」について論じる。
「Gaga の特長的な要素」の第一は、「ダンサーが多層に折り重なるタスクに挑戦する こと」である。ダンサーは、自由に動きの極の往来をし、その感覚を多層に認知するこ とを身につけることができる。 ナハリンは、身体技法やダンス・トレーニングが個人の身体を疎外する傾向がある ことに気づき、克服しようとした。Gaga の参加者らはみな、今ある状態から動きを探 求し、それぞれの喜びにつながる努力をする。Gaga Dancers においても同様である。 Gaga は理想の姿勢に矯正しようとするわけでもなく、高い技術を追うだけのトレーニ ングとも違い、個々のイメジェリーから生成された動きを全て肯定的に育てる。ナハ リンがプレイグラウンドと呼ぶ Gaga や創作活動の場において、参加者は「肉・骨・関 節・体液」に感覚を張り巡らし、個別のイメジェリーの世界で遊ぶ。その遊び方は自由 であり、対極の一方に抑制されていない。ダンサーは、動きの方向性や質感のベクトル を変化させ、新たな動きの語彙を開拓していく。ダンサーにとって Gaga は、自分たち の土台となる「生活する身体」と超越的な技をこなす「パフォーマンスの身体」を自由 に往来する場として機能しているのである。 「Gaga の特長的な要素」の第二は「ルールによって、ダンサーが自己探求に集中出 来ること」である。 鏡がない部屋で行われるというルールは、自身を外側から捉える以前に、自身の内側 の感覚に注意を向け集中しやすくする。このことは、評価せずに自身の感覚を純粋に 受けとめることを支える。また見学や遅刻が許されていないのも、そこに参加するも のが自身のタスクに集中できるように、傍観者をつくらない。参加者は教師であって も動き続けている。そのようにして、自己の感覚を評価せずに受けとめる環境を作り、 失敗も間違いもなく、誇張や自慢もなく、イメジェリーを用いて自由に動きを飛躍さ せる場を準備している。他者に危害を加えない限り、個人の冒険も自由なのである。人 の目を気にしないで済む状態を準備している。それはダンサーを野心から解放するこ とを助ける。そのような状態において、ダンサーは自身の困惑や葛藤を運動エネルギ ーに変え昇華させることができる。ソマティック・エデュケーションがダンサーの誇 張した表現や身体的な限界を超える努力を剥ぎ取って、個々の身体をありのままに返 していくときに、ダンサーは制限を感じることがある。しかし Gaga では、ナハリンが いう「爆発的な力」を恐れることなく、引き出し、肯定的に受け容れる。ソマティック・ エデュケーションでは封印されがちなダンサーの爆発的なエネルギーが、Gaga では瞬 発力となって高度な身体能力や超越的な美の追求を実現させている。 「Gaga の特長的な要素」の第三には、「先導する教師の創造性と身体性」が挙げられ る。それについて論じるためには、ナハリンのペタゴジーが Gaga 教師たちの内部で実 際にどのように捉えられ、指導に生かされているかを知ることが必要であった。イン タビューを行った三名の Gaga 教師らからは、Gaga の厳格なルールに従いながらも、教 師の裁量としてその場(参加者・空間・状況など)を意識した即興力や共鳴力、場の作
「Gaga の特長的な要素」の第一は、「ダンサーが多層に折り重なるタスクに挑戦する こと」である。ダンサーは、自由に動きの極の往来をし、その感覚を多層に認知するこ とを身につけることができる。 ナハリンは、身体技法やダンス・トレーニングが個人の身体を疎外する傾向がある ことに気づき、克服しようとした。Gaga の参加者らはみな、今ある状態から動きを探 求し、それぞれの喜びにつながる努力をする。Gaga Dancers においても同様である。 Gaga は理想の姿勢に矯正しようとするわけでもなく、高い技術を追うだけのトレーニ ングとも違い、個々のイメジェリーから生成された動きを全て肯定的に育てる。ナハ リンがプレイグラウンドと呼ぶ Gaga や創作活動の場において、参加者は「肉・骨・関 節・体液」に感覚を張り巡らし、個別のイメジェリーの世界で遊ぶ。その遊び方は自由 であり、対極の一方に抑制されていない。ダンサーは、動きの方向性や質感のベクトル を変化させ、新たな動きの語彙を開拓していく。ダンサーにとって Gaga は、自分たち の土台となる「生活する身体」と超越的な技をこなす「パフォーマンスの身体」を自由 に往来する場として機能しているのである。 「Gaga の特長的な要素」の第二は「ルールによって、ダンサーが自己探求に集中出 来ること」である。 鏡がない部屋で行われるというルールは、自身を外側から捉える以前に、自身の内側 の感覚に注意を向け集中しやすくする。このことは、評価せずに自身の感覚を純粋に 受けとめることを支える。また見学や遅刻が許されていないのも、そこに参加するも のが自身のタスクに集中できるように、傍観者をつくらない。参加者は教師であって も動き続けている。そのようにして、自己の感覚を評価せずに受けとめる環境を作り、 失敗も間違いもなく、誇張や自慢もなく、イメジェリーを用いて自由に動きを飛躍さ せる場を準備している。他者に危害を加えない限り、個人の冒険も自由なのである。人 の目を気にしないで済む状態を準備している。それはダンサーを野心から解放するこ とを助ける。そのような状態において、ダンサーは自身の困惑や葛藤を運動エネルギ ーに変え昇華させることができる。ソマティック・エデュケーションがダンサーの誇 張した表現や身体的な限界を超える努力を剥ぎ取って、個々の身体をありのままに返 していくときに、ダンサーは制限を感じることがある。しかし Gaga では、ナハリンが いう「爆発的な力」を恐れることなく、引き出し、肯定的に受け容れる。ソマティック・ エデュケーションでは封印されがちなダンサーの爆発的なエネルギーが、Gaga では瞬 発力となって高度な身体能力や超越的な美の追求を実現させている。 「Gaga の特長的な要素」の第三には、「先導する教師の創造性と身体性」が挙げられ る。それについて論じるためには、ナハリンのペタゴジーが Gaga 教師たちの内部で実 際にどのように捉えられ、指導に生かされているかを知ることが必要であった。イン タビューを行った三名の Gaga 教師らからは、Gaga の厳格なルールに従いながらも、教 師の裁量としてその場(参加者・空間・状況など)を意識した即興力や共鳴力、場の作 り方などが語られた。 教えている間に常に工夫をして、目の前の人をどうやって動かすのかを考えて、頭 の中で創造力を発揮する必要があるので、とても楽しいです。思うように動いても らうためには、どんなイメージを伝えればいいのか、それが明確になっている必要 があります。あるいは人の習慣を変えるためには、どんなイメージを使って説明す ればいいのか? ということを常に研究しながら、自分のマインドに挑戦しています。 (ロスチャイルド インタビュー 2017) とても疲れているはずなのですが、個人的なイメージやファンタジーにつながるこ とが、踊り続けることを助けたと感じました。(中略)特に最後の方は、どんどん速 くなって、彼らは大きく変化していきました。(中略)私が[一緒に動くことで]彼 らを後押しして、彼ら自身の情熱や個性に繋げていたからだと思います。(中略)私 にとっては、彼らの違う一面が見えてきたような気がして、驚いた瞬間でした。(ビ ンヤミニ インタビュー 2014) 筆者らが注目したのは、Gaga 教師たちの身体性と想像力である。インタビューを行 ってきた三名の Gaga 教師たちは、スキルの高い、ナハリンと同じく現役のダンサーた ちである。ナハリンの手本という概念からいえば、教師らの探求する態度は重要であ る。そして、多層に折り重なるタスクに対し、貪欲に取り組む態度をからだで示すこと は Gaga 教師として当然求められることであろう。 私は、このようなギャップが面白く、どうすれば両極端のことができるのか?どう すれば本当に沈黙を表現できるのか?何もせず、小さなことや自分がやっているこ とにもっと意識を巡らすことによって、より大きな意味を生み出すことができるの か?そういったことに興味がある。最初はより内向きから始まり、そこから大胆で、 嵐のようなものに発展することができるのではないか。(ビンヤミニ インタビュー 2014) 私たちはオハッド[・ナハリン]のクラスや Gaga の基本に沿って教えています。し かし、どのように伝えるか、またクラスの解釈は、自分たち自身の想像力と、それぞ れが与えるイメージとファンタジーの世界です。私があなたを動かすためには、私 は創造的である必要があります。(ロスチャイルド インタビュー 2017) Gaga においては、このようなダンサーとしての問いに基づく教師ら個々の探求が、 受講者たちの目前で同時に展開される。教師は創造的であり、それを伝える特別なス
キルを持っていなければならない。そのような教師たちが、Gaga を受講するダンサー らの探求をより挑戦的なものにし、古い慣習からの解放や自己の更新へ向かう先導者 としての役割を果たしているのである。Gaga では共通する言い回しと、それに加えて 教師たち個別のイメジェリーからくる指示の組合せが用いられる。それは、受講者の イマジネーションをかき立てるものであり、教師は受講者の反応を受け、自身のソマ ティック探求を更に刺激することになる。ガリリ(2015)は、「言葉がけによる具体的 な指示があり、また創造的なイメージを自由に探求できる Gaga クラスでは、一方を使 って他方に情報を与える進行中のフィードバックループ 8)の上で、ダンサーの身体性 とイメジェリーの結びつきを発達させることになる」と述べる。またカタン(2016)の 分析によれば、ナハリン作品において「観客は耳や目で情報を得るだけでなく、運動感 覚的な身体の感情でダンスについていく」という。Gaga 教師たちの多くは、現役のダ ンサーたちであり、専門性の高い身体能力を日々向上させながら教えている。受講者 であるダンサーたちは、「運動感覚的な身体の感情」で Gaga 教師のダンスを追い、ソ マティック探求を通した自己探求の成果をその教師の中に手本として見ることになる。 Gaga 教師の身体性に牽引され、ダンサーは困惑や矛盾が起きようとも、それを運動エ ネルギーに昇華してダンスすることが可能になるのである。 これら1)ダンサーが多層に折り重なるタスクに挑戦すること、2)ルールによっ て、ダンサーが自己探求に集中出来ること、3)先導する教師の創造性と身体性、の三 つの要素が Gaga クラスに内包されており、「生活をする身体」と「パフォーマンスの 身体」の往来を可能にしていることがわかった。 6. まとめ 本稿は、Gaga のルールや Gaga 教師たちへのインタビュー内容の考察を経て、「生活 をする身体」と「パフォーマンスの身体」の往来を可能にする Gaga の特長的な要素と して、1)ダンサーが多層に折り重なるタスクに挑戦すること、2)ルールによって、 ダンサーが自己探求に集中出来ること、3)先導する教師の創造性と身体性を提示し た。これらの要素は、ダンサーが経験する困惑や葛藤を、爆発的な力、つまり自己の限 界を超えるエネルギーとして昇華させることを可能にしている。 オフィシャルウェブサイト によると、2020 年 8 月現在、142 名の Gaga 教師が登録 されており、世界各国の Gaga 教師が Gaga ムーヴメント管轄の下、クラスを開講して いる。私たち人間が呼吸し思考し行動する土台となる「生活する身体」と、ダンスの専 門技術を身につけた審美的身体である「パフォーマンスの身体」を往来することが可 能な Gaga において、Gaga 教師の「スキル」の意味は大きいと考えられる。彼らの言説 をペダゴジーの観点から再度解読することにより、ソマティクスと Gaga の関連を紐解 く研究の一助となると思われる。それを今後の課題としたい。
キルを持っていなければならない。そのような教師たちが、Gaga を受講するダンサー らの探求をより挑戦的なものにし、古い慣習からの解放や自己の更新へ向かう先導者 としての役割を果たしているのである。Gaga では共通する言い回しと、それに加えて 教師たち個別のイメジェリーからくる指示の組合せが用いられる。それは、受講者の イマジネーションをかき立てるものであり、教師は受講者の反応を受け、自身のソマ ティック探求を更に刺激することになる。ガリリ(2015)は、「言葉がけによる具体的 な指示があり、また創造的なイメージを自由に探求できる Gaga クラスでは、一方を使 って他方に情報を与える進行中のフィードバックループ 8)の上で、ダンサーの身体性 とイメジェリーの結びつきを発達させることになる」と述べる。またカタン(2016)の 分析によれば、ナハリン作品において「観客は耳や目で情報を得るだけでなく、運動感 覚的な身体の感情でダンスについていく」という。Gaga 教師たちの多くは、現役のダ ンサーたちであり、専門性の高い身体能力を日々向上させながら教えている。受講者 であるダンサーたちは、「運動感覚的な身体の感情」で Gaga 教師のダンスを追い、ソ マティック探求を通した自己探求の成果をその教師の中に手本として見ることになる。 Gaga 教師の身体性に牽引され、ダンサーは困惑や矛盾が起きようとも、それを運動エ ネルギーに昇華してダンスすることが可能になるのである。 これら1)ダンサーが多層に折り重なるタスクに挑戦すること、2)ルールによっ て、ダンサーが自己探求に集中出来ること、3)先導する教師の創造性と身体性、の三 つの要素が Gaga クラスに内包されており、「生活をする身体」と「パフォーマンスの 身体」の往来を可能にしていることがわかった。 6. まとめ 本稿は、Gaga のルールや Gaga 教師たちへのインタビュー内容の考察を経て、「生活 をする身体」と「パフォーマンスの身体」の往来を可能にする Gaga の特長的な要素と して、1)ダンサーが多層に折り重なるタスクに挑戦すること、2)ルールによって、 ダンサーが自己探求に集中出来ること、3)先導する教師の創造性と身体性を提示し た。これらの要素は、ダンサーが経験する困惑や葛藤を、爆発的な力、つまり自己の限 界を超えるエネルギーとして昇華させることを可能にしている。 オフィシャルウェブサイト によると、2020 年 8 月現在、142 名の Gaga 教師が登録 されており、世界各国の Gaga 教師が Gaga ムーヴメント管轄の下、クラスを開講して いる。私たち人間が呼吸し思考し行動する土台となる「生活する身体」と、ダンスの専 門技術を身につけた審美的身体である「パフォーマンスの身体」を往来することが可 能な Gaga において、Gaga 教師の「スキル」の意味は大きいと考えられる。彼らの言説 をペダゴジーの観点から再度解読することにより、ソマティクスと Gaga の関連を紐解 く研究の一助となると思われる。それを今後の課題としたい。 【注釈】 1) 東京都・田町にあるスタジオ アーキタンツにおいて、毎月 1〜2 回で Gaga クラス が開講されている。(2020 年 8 月現在) 2) 2003 年シーズンの休職期間を除き 1990 年から 2018 年まで芸術監督として在任 した。 3) ナハリンについてのドキュメンタリー映画「Mr.Gaga」は、2015 年に初公開された。 これは、8 年の制作期間を経た、トメル・ハイマン(Tomer Heymann)監督による作 品である。http://www.mrgagathefilm.com/ 4) 本稿では、心と身体を区別せずに全体性をもつ人間存在を表現するときに、身体と 区別して「からだ」という言葉を用い強調する。 5) イスラエル出身の物理学者、モーシェ・フェルデンクライス(1904-1984)によっ て創始されたソマティック・エデュケーションである。 6) 2014 年 武庫川女子大学生活美学研究所主催定例研究会「コンテンポラリー・ダン ス。きらめく身体。」講師:シャハー・ビンヤミニ 指定討論者:砂連尾理、鞍掛綾子 7) 現時点におけるダンス研究では、一人称の知覚を用いた解釈に基づくソマティック
な方法を用いたものが奨励され、増えてきている。[Journal of Dance & Somatic Practices 投稿規定] https://www.intellectbooks.com/asset/8861/1/NfC_JDSP. pdf (最終閲覧 2020 年 8 月 12 日) 8) フィードバックループとは、フィードバックを繰り返すことで、結果が増幅されて いくこと。https://www.wired.com/2011/06/ff_feedbackloop/(最終閲覧 2020 年 8 月 12 日) 【参考文献】
Bales, M.,and Nettl-Fiol, R. 2008. The Body Eclectic: Evolving Practices in Dance Training. University of Illinois Press
Batson, G. 2009. Somatic Studies and Dance. the International Association for Dance Medicine and science. < www.iadms.org> (最終閲覧 2018 年 1 月 8 日) Eddy, M. 2017. Mindful Movement: The Evolution of the Somatic Arts and
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Galili, D.F. 2015. “Gaga: Moving beyond Technique with Ohad Naharin in the Twenty-First Century.”Dance Chronicle 38: 360-392
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岡元ひかる,関典子 2018「GAGA における「慣習の変更」の具体的実践 : 動きの方向 性・身体の分節化を中心に」神戸大学大学院人間発達環境学研究科研究紀 要,11(2):53-62
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