井伏鱒二 ﹁乳母車﹂をめぐって
﹁歪なる図案﹂との本文異同の検討、その他
前
田
貞
昭
一 、 は じ め に 井伏鱒二の﹁乳母車﹂は、これまで﹁歪なる図案﹂として知られて来た作 品 の 初 出 形 で あ る 。 もう少し詳しく述べると、従来、この件品は、同人雑誌作家の短篇十一作 を集めた﹃不同調﹄大正十五年二月新人号第四巻第二号創作欄に﹁盃なる図 案﹂ の標題で初めて発表されたものと思われていた。 ただ井伏の回想は多少錯綜するところがあって、そのなかに﹁乳母車﹂な る標題も二度ばかり顔を覗かせたことがある。﹁完結しない月なみな生活﹂ ︵﹃文芸通信﹄昭和九年一月︶ で井伏は﹁乳母車﹂ の標題で﹃不同調﹄に小 品を発表したと言い ︵新全集第四巻三二六頁。以下、特に断わらない限り、 井伏文の引用は新全集に拠り、掲載巻と頁を附す︶、それから二年余り経っ た﹁自叙伝﹂ ︵﹃早稲田文学﹄昭和十一年五月∼十二月。のち﹁難肋集﹂と 改題︶でも一度は﹁乳母車﹂を﹃不同調﹄に発表したと記したのだが、連載 途中で訂正を加えて、﹃不同調﹄に発表した作品の標題は﹁乳母車﹂ ではな ママ く﹁歪な図案﹂だったと改めたのである︵第六巻五十三東︶。以来、﹁乳母 車﹂は井伏の錯誤として処理されて来たのであった。 先般、阪本幸男氏の御教示と三重県立図書館青山泰樹氏の御協力により、 同館所蔵﹃文学界﹄を調査した際、この﹁乳母車﹂を掲載した同誌大正十四 年八月号第二巻第八号を閲賀することができた。同号奥付には﹁大正十四年 七月廿五目印刷/大正十四年八月一日発行﹂とある。発行元の衆芳闇は、今 日では井伏が勤めた出版社として記憶されているかも知れないが、当時は創 立︵大正十三年三月創立︶間もないにもかかわらず、数多くの文芸書を刊行 する新興出版社として注目されていた。翻訳ではあるが井伏の名前を掲げた 最初の書物である﹃父の罪﹄も、この衆芳閥から大正十三年九月十日付で刊 行されたものであった。ただし、井伏が衆芳闇に勤め始めたのは、﹃父の 罪﹄発行の日付から十日程経った大正十三年九月二十日前後のことと推定さ れ る 。 現在判明しているところでは、井伏は ﹁乳母車﹂ のはか、﹃文学界﹄に ﹁うちあほせ﹂二たま虫を見る﹂ の二短篇と詩﹁レギーネを愛す﹂を寄せ、 コラム一つを載せている。経営者の足立欽一は徳田秋声の弟子筋に当たり、 衆芳閣社員の半数ほどは所謂人文学青年︶ で占められていた。﹃文学界﹄編 輯部員として井伏の名前が出ることはないが、それらの同僚とともに社内原 稿寄稿者として、あるいは、埋草原稿の執筆者として﹃文学界﹄に関わって い た も の と 思 わ れ る ︵ 注 1 ︶ 。 ﹁乳母車﹂と﹁歪なる図案﹂を比較してみれば、書き改められた箇所も相 当量に上る。新全集別巻に初出形として収録するべきところであったが、そ れも叶わない。ここにその詳細を紹介する所以である。なお、同館所蔵の新 出﹃文学界﹄三冊については、本誌にその細目を掲載した。 一貫二 、 ﹁ 乳 母 車 ﹂ ・ ﹁ 歪 な る 図 案 ﹂ 本 文 異 同 まず、新版﹃井伏鱒二全集﹄第一巻 ︵筑摩書房、一九九六年十一月二十日。 以下 ﹁全集﹂ と略称する︶ 所収 ﹁歪なる図案﹂ と、﹃文学界﹄発表 ﹁乳母 車 ﹂ と の 異 同 を 示 す 。 ゴシック体で﹃文学界﹄掲載﹁乳母車﹂本文を配し、削除・修正部分に傍 線を引いた上で、その右脇に該当箇所の全集所収﹁盃なる図案﹂本文を小字 明朝体で示し、﹁盃なる図案﹂ における加筆部分については ﹁乳母車﹂本文 中の ︹ ︺内に同じく小字明朝体で記した。 なお、﹃不同調﹄掲載本文と全集本文との間に多少の異同があるので ︹ ︺ には、全集本文と﹃不同詞﹄掲載本文との具同、また、前田による注 記 も 加 え た 。 各行頭の漢数字と洋数字は全集第一巻所収本文で該当する頁・行である。 大幅に改稿された全集一〇三頁八行目以降については、﹁乳母車﹂ の該当 部分を明朝体でそのまま掲げた。ただし、その内、﹁乳母車﹂ 本文を修正し て ﹁盃なる図案﹂ 本文に生かしたと思われる四箇所をゴシック体で示し、別 にその異同を掲出した。なお、傍線と ︹ ︺ 内の記述は前田による。 漢字は原則として新字を用いた。会話等で ﹁ ﹂内の文が完結している場 合、全集では句点を打つことで統一しているが、﹃文学界﹄﹃不同調﹄とも に、その種の句点を打っていない。これについては、以下の異同には掲げな か っ た 。 ﹁乳母車﹂ は﹃文学界﹄第二巻第八号﹁創作五篇﹂ の冒頭四頁から九貢に 掲載。本文九ポイント、段抜きで五十六字×二十三行、四〇〇字詰原稿用紙 換算で十九枚程。﹁歪なる図案﹂ は﹃不同調﹄第四巻第二号 ﹁創作﹂ 欄の最 初八十六頁から九十頁上段までを占め、本文九ポイント、二十七字×二十三 行二段組で、四〇〇字詰原稿用紙換算で十四枚弱の分量がある。 二頁 歪 な る 図 案 ︹ 標 題 ︺ 一 〇 一 ・ l 到 嘲 刺 ︹﹃文学界﹄本文の傍点が附された部分﹁もち﹂ も含めて ・ ! l ∴ 面 ︵ 寧 ら 金 ま は り の い ゝ 時 だ っ て 、 決 し て 立 派 て 軒 を 叫 川 削 除 ︺ 月別咄劃材剣山もんぢやあ日ソませんね︶ 旧 独 逸 製 ︹ 削 除 ︺ 一〇二2 幼い時〓私達兄妹三人は1嘲瑚割の美しい密司瑚乳母車で つ 一 〇 一 ・ 2 ∼ 3 一 台 l の 揺 藍 を ︹ 削 除 ︺ 一 〇 一 ・ 3 国 定 教 科 書 善 一 だ つ て ︹ 、 ︺ 兄 が 使 っ た 古 本 を 1 私 が 紬︹﹃不同調﹄は ﹁細﹂。全集では誤植と見て校訂︺ 一 〇 一 ・ 5 繭 細 の ク ッ シ ョ ン ︹ 削 除 ︺ 文 字 一 〇 二 5 小 さ な 笥 外 国 蘭 が
唱−
一〇一・7 けれど、子供の時、 な い ︹ ﹃ 不 同 調 ﹄ は ﹁ な ゐ い ﹂ 。 全 集 で は 誤 植 と 見 て 校 訂 ︺ 一〇一・10 ぢつとしてはゐ嘲叫可、 一〇二・3 乳母車に乗せて︹、︺始んど終日 停 一 〇 二 ・ 3 立 ち 出 る こ と を 一〇二・4 それ故車輪の跡は、雨が降つても消えないほど深く庭に残った。 ︹全集も﹃不同調﹄に倣って読点とするが、この読点は誤植か︺ 小さな轍は木犀の木を と 一〇二・5 堀に沿ふ刊一直線に跡をつけ、 停 一〇二・6 車を剖﹂めることが一 往 一 〇 二 ・ 7 珂 き し 戻 り し 往 一〇二・9 付きし戻日ソし き ︹ ﹃ 不 同 調 ﹄ は . ﹁ ぎ ﹂ 。 全 集 で は 誤 植 と 見 て 校 訂 ︺ 一〇二・10 彼を急剖たてるためか、 一〇二・日 弘が四つになった時︹、︺弘の妹が ︹削除。一文全体を︵︶ で括り追い込みに変更︺ ︹読点は削除。 一〇二・12∼13月︹〇すでに1私の兄を乗せた時の乳母車は、伊作の兄の ﹃不同調﹄は﹁すでに/私の﹂と行末折り返しで、読点省略か︺ 朽一郎が押し ︹てゐ︺ たのである。〇︺ しよ 遊びたかった 一〇二・16一紺に滅ぶ鋤をl印判qu柏からではなく、 一〇二・17 色彩︹のある︺饅頭︹なぞ︺が け れ ど ︹ 潮 愉 ︺ 一〇二・17 そしてオキチは、 分けては呉 一〇二・17∼18 発見しなくては︹、︺それ等のものを︹私に︺珊瑚uddれ な か っ た 。 木の枝にぶら下ったり植木の乗をむしりとったりする遊戯で彼女等 一〇二・18∼19 木のかげからとび出して彼女等を驚かすことでそれ等が分 を満足さすことが出来なかった 可割れl瑚川場合には、私は︹反動粗に、︺ 呉 一 〇 三 ・ 4 是 ツ 非 ︹ 、 ︺ 引 れ る か ? ︹ 削 除 ︺ 一〇三・5 是ツ非覇q瑚T︺ 呉 一 〇 三 ・ 6 何 か d れ る か ? 一〇三・8∼一〇七・17 乳母車は妹が使用した後でもまだ︹﹃不同韻﹄にはし ﹁まで﹂とあるが、全集は誤植と見て ﹁まだ﹂ と校訂︺毀れないで 美しかった。︹中略︺♂これによって私達兄妹三人には莫大な 不幸と幸福とがふりか1つて来てゐるのである。−乳母車は妹 が使用した後でもまだ毀れないで美しかった。それ故、朽一郎 が嫁をもらった時、私達兄妹からの送日ソものとして彼にそれを 呉れてやることにした。私は一番先に朽一郎連をよろこぼして やらうと考へて、私の兄が学校へ行ってゐる留守に、秘かに乳 母車を押して朽一郎の家へ行った。彼の家には多くの来客がゐ て、それから伊作は滑稽なほど長い袴をはいてゐた。私は、風 呂の下を焚いてゐるオキチに、この乳母車は朽一郎へ祝ひ物と して持って来たことを言った。/伊作は表付の下駄 ︵私達はこ れを堂島と称んだ︶ をはいてやって来て、何うしても私を乳母 車に乗せてやらうと言ってきかなかつた。/﹁オキチが見て笑 ふからいけん﹂/そこでオキチが家の間にかくれたので、私は 乳母車に乗ってもいゝと思った。私達は家の嘉から桑畑の蘭を ぬけて、山と山との中にある大きな池の堤へ行った。そこでは 誰も見てゐる者はなかった。/伊作は私を乳母車の中に乗せて、 / ﹁さあ行きし戻日ソしゝますぞ﹂/さう言って、袴の裾をひき ず日ソながら押しはじめた。けれど弘が、/﹁行きし戻りLより も、池のまは日ソをぐるぐるまはれ﹂/と命令したので、彼は朝 返さないで池のまは日ソをぐるぐるまはった。塀に沿ふて押すと きと同じ様に、彼は休息することなしに押した。それ故、私達 は幾十回池をまはったかしれなかったのだ。そして私は来年か ら学校へあがることについて語った。彼は塀に沿ふて押す時と 同じやうなことを語った。 − 三リンボとは生温い風のことで、 さういふ風の中には、邪神が懐手をして新築家屋を倒壊するの 三頁
と同一の要素が在るとか、彼は虻の影が水にうつつてゐるのを 見たことがあるとか、彼は一生懸命に働いて金満家になりたい とか ー 相変らず物もらひを出した目をして、さういふ嘘ばか り餃舌ってきかせたのである。けれど彼は、それ等のことを早 口でなく静かに語ったので、また彼の目は老人の目のやうに赤 くたゞれてゐたので、彼の籠舌ることは全くの嘘とは恩へなか った。/私達は陽が沈んで池の水がほの暗くなって来るまで、 ぐるぐるまはってゐたのである。♂朽一郎は結婚すると直ぐに 発狂してしまった。/近所の人達は心配のあま日ソ相談して、丑 寅神社や、その他六つの神や詞の前で、毎日夜更まで焚火をし て彼の平癒を祈った。彼は狂暴的に山の中を走る病気にかゝつ たのであって、誰も彼に追ひっくことは出来なかった。そして 彼は或る白地に身を投げて死んでゐた。その池といふのは、私 と伊作とが乳母車と共に幾十回となくぐるぐるまはったところ の池である。/近所の人達は彼等の焚火や祈願が無駄であった ことに立腹して、丑寅神社や、その他六つの神や詞を憎み、就 中竜王様の石像を藤蔓で縛って、それを川の淵に投げ込んだ。 この神様は水に関する総てのことを司る神様であるから、非道 いめに折檻してやらうといふのであった。ところが間もなく伊 作も発狂してしまった。彼も朽一郎と同じく山の中を走りまは る病気にかゝつたので、誰もが彼を捕へた日ソ監禁した日ソするこ とが出来なかった。そして被は朽一郎と殆んど同lの場所に同 一の姿で死んでゐた。燕子花の葉が密生してゐるJJd朝︹﹁と ころ﹂ の誤植か︺ に浮んでゐたのである。/近所の人達は、竜 王様をいぢめたことを今更の如く後悔した。早速、川の淵から 石像をひきあげて、蕗蔓を解いて、元の通り山の頂上のお杜に 安置した。そして数日間交代で祈ったり願った日ソした。その折 日ソや願ひの内容は、約そ次の様であった − 何卒払どもの犯し 四頁 た罪を許して下さい。私どもはあまり不敬なことをしたのです から、みな殺しにして下さいましても本望です⋮⋮いかゞでご ざいませう、これ程お願ひしてもお許し下さらないなら、今後 は十分あなた様を信心することを誓ひますがそれでもお許し下 さいませんか?/生き残ったオキチにも万一のことがあっては いけないと、彼等はオキチの肌身に竜王様のお守り袋をつけさ せた。けれどそれは何等の効にもならなかった。彼女も亦、山 の中を走日ソまはる病気になって、池の燕子花の薫の中に死んで ゐた。/私はその時近所の人について、オキチの死んでゐると ころを見物に出かけた。彼女は堤の上にひき上げられてゐたが、 すでに死んでゐたので裾の捲くれたのも知らないでゐた。周囲 に集った女の人等は、各自のセルロイドの櫛でオキチの水にぬ れた髪を杭いてやった日ソ、最も簡単な雷に結ってやったりして、 それから捲くれた裾をなはしてやるために彼女の死体を横にす ると、裾は更らに捲くれて股のところから少量の水と共に一匹 の源五郎虫がもがきながら出て来た。♂私は知ってゐる ー な にもかも困緑ごとなのだ。♂剰へ、おそらく二十幾年ぶりに、 私は再び故郷の私の庭に、昔通りの黄色い幌や繭紬のクッショ ンを持った乳母車を発見しなければならなかった。朽一郎の嫁 が再縁して生んだ長男が、やはり庭の中を黙々としてそれを押 しま ︹﹁は﹂が誤脱か?︺ つてゐた。乳母車の中には私の兄の三 歳になるをさな児が乗ってゐた。/一度朽一郎に呉れてやって、 而も私の考へでは不吉な乳母車が、何故再び私達の家庭へ返っ て来たかを、私は見に諮ねなかった。たゞ私は、をさな児の子 守男に向つて、庭の木の間や塀に沿ふてそれを押しまはると、 轍の跡が庭に残るからといふ仮説のもとに、往還に出て行くや うに彼へ命令した。それ故、その日から彼は庭の木の間や塀に 沿ふては乳母車を押さないやうになった。/ところが或る日、
u 再び私が上京することに定めた前日の夕方、私はをさな児達の 次のやうな会話を耳にしたのである。/﹁虎吉、いま僕の足の 下から、蠣幅が逃げ出したらうが?﹂/﹁よう気がつきなさる なあ、あそこを逃げるのがそれですがな﹂/﹁また高い高いと ころへ舞ひあがって了ふた﹂/﹁あまり暴れなきると皆逃げて 行きますぞ﹂/﹁暴れやせん。お前こそ、そろそろと車を押さ んかー・みな逃げて了ふがな﹂/それに、をさな児の子守男は やはり物もらひの出来た赤くたゞれた目をしてゐた。/私は私 の兄妹のところに行って、乳母車のクッションは二十幾年も前 からのものであるといふ口実のもとに、それをとりかへたら何 うかと申し込んだ。しかし彼女は、そのクッションは少しも汚 れたり破れたりしてゐないことや、それは独逸製で上等なので あることを私に教へやうとした。/私は、私の周到な忠言が用 ひられなかったので、をさな児達の傍へ意気込んで歩いて行っ た。そして子守男の手から乳母車を借り受けて、全く暗くなっ てしまふまでそれを押しまはりながら、小さい声で出来るだけ うまく童謡や俗歌をうたってきかせた。けれど幌に縫ひとりさ れてゐるやうな意味の、強制的な歌はうたはなかつた。/だが 怖るべきことだ。このをさな児が必ず二人の弟妹を持たないと は誰が証明出来やう。しかもそれを待ち受けるかのやうに、こ の子守男は彼、弟、妹といふ順序にすでに三人兄妹なのである。 そして彼等三人が池に身なげして死な1いものと誰が証明出来 やうか! 寧ろその実現のみが信じられるのだ。何となれば、 因縁ごと1いふものは執念深く憑きまとふのだからである。さ もなければ因縁ごと1は謂ひ得ないのだ ー 私は何うしても乳 母車を壊してしまはなければならない。/夜、私は寝床の中に 入ってから、上京を一日延ばすことや、乳母車を壊す方法につ いて考へた。誰よりも早く起きて、車の胴をひとおもひに蹴倒 して、それから丸太で叩きつぶして川の淵へ投り込んでやるの だ。/だが、さうするより前に私はこの場合冷静に、かつて伊 作達三人兄妹が不自然に死んでしまったことによって、私達三 人兄妹は幾らかでも人並以上に不幸であるか何うかを考へる必 要を認めた。そこでバスケットの中から手帳と鉛筆をとり出し て、寝床の中に腹這ひながらその事を数学的に推理しはじめた。 /︹以下、次の一行空きまでは小活字で横組みされている︺神は箇 人にa量の幸福とP量の不幸とを与へ ︵ヨコ○ヨ.コ.〇′︶ のグル ープに対してはAの幸福とPの不幸を与へた。但し/ヨ=兄 ヨ.=朽一郎 コ=払 コ.=伊作 ○=妹 O.=オキチ/然るにヨ コ . 0 . は こ の 世 を 不 自 然 に 去 っ た 故 / ︵ コ コ ○ ∃ . コ . O . ︶ − ︵ ヨ . コ ′ 0 ′ ︶ = ︵ コ コ 0 ︶ / の A 及 び P は C O コ S t a コ t で あ る 。 し か も a 及びPは神が創生したものにもかゝはらず、霊魂の致とその感 受性とに反比例をもって量を増して行く。しかもそれは殆んど 数理的確実性を示すものである。/故に ︵ヨコ0︶ の受ける幸 不 幸 、 即 ち 、 a ′ 及 び p . は 少 く と も / a . > a p . V p / こ れ に よ っ て弘達には莫大な不幸と幸福とがふUかゝつて来てゐるのであ る。♂翌朝、私はおそく起きた。そして、最も冷静に推理して 最も平凡な解答を得たところの昨夜の考察のことも、亦乳母車 を叩きつぶすこともすっかり忘れて庭の中を散歩した。すると 青々と燃えあがる新緑の潅木を越して、三歳の甥が私を見つけ て笑ってゐるのに気がついた。私は彼の方へ歩いて行った。彼 は乳母車の中に立ち上って私を歓迎してゐるのであって、また 乳母車の横の芝生には、物もらひの出来た目をつむって子守男 が長々と寝込んでゐるの私は発見したのである。そこでこの新 鮮な光景に、私は暫く感動の瞳をおくつたが、やがて子守男の 目をさまさせないやうに静かに、乳母車を押しはじめた。そし て屡々車から離れて、木の枝にぶら下ってみせたり不覚にも地 五黄
におっこつたりしてをさな児をひどくよろこぼせてやった。だ が次第に、彼がその遊戯に興味を失ひかけて来るやうに見えは じめたので、私は今度は最も危険な木登りを敢てやりだしたの で あ る 。 ︵ 完 ︶ 右の全集一〇三頁八行目から作品末尾までの内、﹃文学界﹄掲載﹁乳母 車﹂本文に多少の修正を加えて﹃不同調﹄掲載﹁歪なる図案﹂本文に生かさ れた部分四箇所 ︵右のゴシック体の部分︶ の異同を以下に掲げる。﹁乳母 車﹂本文をゴシック体で掲げ、右傍に全集・﹃不同調﹄本文を示す。 第一の箇所は、伊作が ﹁私﹂を乳母車に乗せ、池の周りを押して廻る部分 である。全集の一〇四貢十四行目から一〇五貢十行目に該当する。﹁乳母 車﹂ では朽一郎の結婚祝いに乳母車が贈られるが、以下の異同に掲げるよう に、﹁盃なる図案﹂ では、朽一郎・オキチが狂死を遂げて、一人残った伊作 の結婚祝いに乳母車を贈ったと変更されている。 ︹ 削 除 ︺ ︹ ﹃ 不 同 調 ﹄ は ﹁ で ﹂ と 誤 超 ︺ 乳母車は細が嘲刷ud磯判別ま増毀れない︹のみ︺で︹なく、執念ぶか そ こ で 伊 作 贈 、 く﹁美しかった。刊珊瑚、桐﹂−鯛が嫁をもらった時、私達兄妹からの遡 り 物 ︹ 削 除 ︺ 叫もl鋤として彼にそれを呉れてやることにした。私は↓薗剣山痢↓感謝 割 引 d 瑚 u 可 刊 引 剖 u q 苛 可 ﹂ 叫 矧 細 雨 笥 慧 1 珂 ヨ 目 刺 劃 嘲 d 。 1 痢 伊 作 客 が 来 て ゐ た 。 刺q乳母車を押して呵一l朗の家へ行った。彼の家には多くの刻朝が劇て、 /私は家で言ひつけられ
それから伊作は滑稽なほど長い袴をはいてゐた。習司梨園川
た通り、乳母車を置いて直ぐ帰りはじめた。 てゐるオキチに、この字母車は朽 即へ祝ひ物として持って来たことを 六頁 司 村 1 ︹ 削 除 ︺ ︹追い込み︺ ︹しかし︺伊作は表付の下駄︵私達はこれを堂島と称ん 送って行かう 増当をはいてやって来て、何うしても私を乳母車に乗せて判別到と言っ てきかなかつた。︹それはいつもの習慣であったからである。︺ ︹ 削 除 ︺ ﹂ 朝 刊 刊 憩 笥 盛 羽 別 封 川 叫 督 l ︹ 削 除 ︺ た 。 け れ ど 伊 作 は 、 私 の 刊 d 朝 刊 朝 刊 朗 刺 の 間 灯 刺 q 瑚 増 の 瑠 1 私 は 乳 母 車 に 乗 つ 司 d 家 の 方 へ 向 け て は 押 し て 行 か な い で 、 間 ︹ 削 恩つた。私達は家の裏から桑畑の間をぬけて、山と山との朝にある刻剖 除︺ な池の堤へ行った。︹その池といふのは、オキチと朽一郎が身なげをしたとこ ろの、大きな青い池である。︺そこでは誰も︹私達を︺見てゐる者はなかっ た。︹/伊作は彼の億から婚礼の御馳走を紙に包んだのをとり出して、さも秘 密 ら し く 私 に 呉 れ た 。 そ し て 、 ︺ ︹ 削 除 ︺ †作は私を 車の中に雨ヨUJll 睡 ﹁ さ あ 行 き し 戻 日 ソ し ゝ ま す ぞ ﹂ 彼は 割引奇功で1袴の裾をひきずりながら押しはじめた。けれど私が、 往 ﹁和きし戻りLよりも、池のまはりをぐるぐるまはれ﹂ 言 ひ つ け た 往 き し 戻 り し ゝ な い で 、 まはりはじめた。 と嘲利いたlので、彼は引潮笥q瑚川で池のまはりをぐるぐる慧1パ し た 時 や う ︹かつて︺塀に沿ふて押刊q剖と同じ樹に、彼は︹のろのろと、而も︺休 ︹ 削 除 ︶ 息することなしに押した。それ故、私達は︹地物まはりを︺幾十回地利 まはったかしれなかったのだ。 右掲﹁乳母車﹂ 本文︵ゴシック体部分︶ の冒頭﹁乳母車は妹が使用した後 でもまだ毀れないで美しかった。﹂ は、﹁歪なる図案﹂ 第三段落冒頭でその まま使われ ︵全集一〇三頁八行目に相当︶、再度、伊作の結婚の祝いに乳母 車が贈られる右の冒頭 ︵全集一〇四頁十四行目に相当︶ にも多少表現を変更 して配されたものなので、該当初出本文との異同を示した。次は、右の部分 から数行を置いた、全集一〇五頁十七行目から十九行目までである。 の出来た 悲しく光らせながら − ︹彼は︺相変らず物もらひ朝出りたl日をUで、さういふ嘘ばか日ソ
︹ 慢 ︺
︹熱心に︺籠舌つてきかせたのである。けれど彼は、それ等のことを早 口で︹は︺なく静かに︹、それに少しづ1吃りながら︺語ったので、割付 ︹ 削 除 ︺ 言 ふ 廻棚副咄劫甘誠副崩嘲引出刺q牢lヨ盟主l慧鼠石11彼の鈎郵利ことは全 くの嘘とは点へなかった。 次に引く第三の箇所は、全集一〇三貢十二行目から一〇四貢十三行目まで、 及び一〇七頁五行目に相当する部分である。﹁乳母車﹂ では朽一郎・伊作・ オキチの狂死を一連のものとして描いているが、﹁歪なる図案﹂ では朽一郎 ・オキチの発狂と自殺、そして、近所の人たちの反応が一纏めにして語られ た後、伊作の入水だけが独立した場面として描かれている。このために、 ﹃不同調﹄・全集においては、次に引く部分が、右に異同を掲げた二箇所よ りも先に配置されている。なお、以下に異同を示した部分内でも叙述順が入 れ換えられたところがあるが ︵それについては、一々断わらずに該当の ﹁歪 なる図案﹂ の本文を記した︶、全体としては ﹁乳母車﹂ の叙述をほぼ生かす 形になっている。 ところが朽一郎は私達の知らない間に気が狂ってしまった ー 柑一郎は結婚すると直ぐに発狂王してしま司 ︹追い込み︺近所の人達は心配のあまり相談して、丑寅神社や、その 他六つの神や詞の前で、毎日夜更︹け︺まで焚火をして彼の平癒を祈つ 朽 一 郎 走 り ま は る 後 ︹ ﹃ 不 同 調 ﹄ 誤 た。叫は狂暴的に山の中を射劃病気にかゝつたのであって、誰も叫に追 楢 か 。 全 集 も ﹁ 後 ﹂ と す る ︺ ひっくことは出来なかった。そして彼は或る日︹、︺池に身を投げて死 山と山の間にある青い水の んでゐた︹のである︺。その池といふのは、弧とl例佃d加乳母剖d共q幾 大 き な 池 で あ る 。 刊団ddddるくるまはったところのこ′である。 祈 り ︹ 削 近所の人達は彼等の焚火や桐劇が無駄であったことに立腹して、丑功矧 除︺ 柵組側、そlの倒花 の袖や刺劇嘲謝﹁l就l刊竜王様の石像を藤蔓で縛って、 すべ それを︹谷︺川の淵に投げ込んだ。この神様は水に関する観てのことを 故 司る神様であるか桝引、非道いめに折檻してやらうといふのであった。と オ キ チ 彼 女 ころが間もなく例掴む発症してしまった。叫も朽一郎と同じく山の中を 七頁彼女 走りまはる病気にかゝつたので︹あって︺、誰もが楓を捕へた日ソ監禁し ︹ 削 除 ︺ た日ソすることが出来なかった。刊u可咄咄朽l尋野望9馴剛コ鋤臓頂l扇封叫 同一の姿で死んでゐた。燕子花の集が密生してゐることろ︹﹁ことろ﹂は﹁と ころ﹂の誤植か︺に浮んでゐたのである。 折檻した 後悔しなければならなかった。彼等は 近所の人達は、竜王様を川瑚瑚凰ことを今更の如く後悔した。早速、 上げたり 川の淵から石像をひき創価可1藤蔓を解い︹たりし︺て、元の通り山の 嗣 嘆 願 し 頂上の創咄に安置した。そして数日間交代で祈ったり嘲瑚たりした。そ 嘆 願 ︹ 削 除 。 行 末 ︺ や う う ぞ の祈りや嘲訓の内容は1約そ次の樹であった ー 何利払どもの犯した罪 不敬を犯した罰︹﹃不同調﹄は蔚︺ として、神様、あなた様が私どもを を許して下さい。私ともはあまり不敬なことをしたのですから、みな殺 。決してあなた様を恨みはしません。 Lにして下さいましても︹、私どもは︺本望です⋮⋮いかゞでございま し か し 許 し て け れ ば 、 そ れ で は 也うl、これ程お願ひしても感謝山下さらな叫瑚引1今後は十分あなた様 と約束しますから、何卒許して を信心するdd到習叫山里別製訂岩村剤痢u下さいませんか? ︹ 削 除 ︺ 生き残ったオキチにも万一のことかあってはいけないと、彼等はオキ 悟り 劃dっ身に毒王様のお守日ソ袋をつけさせた。けれどそれは何等の刺にも オキチは朽一郎と同一の場所に同一の有様で死んでゐた。燕子 ならなかった。咄剣戟刺1山崩耐粛崩l研創咄劇痢剣山感dd1姻初痢割 花の葉が密生してゐるところに浮んでゐたのである。 ﹁の藻の中に死んでゐた. 八頁 近所の人達は 叫は周到の瞞近l男山可川箭1−オキチの死んでゐるところを見物に出 かけた。︹私は彼等よりも先に走って行った。︺彼女は堤の上にひき上げら れてゐたが、すでに死んでゐたので裾の捲くれたのも知らないでゐた。 女のひとは激しい涙の発作にかられながら、彼女自身の頭にさしてゐた櫛をも 周囲に集った女の人等は、各自のセルロイドの櫛でオキチの水にぬれた っ て 、 た 。 こ の ぶ ざ ま 髪を続いてやったり、最も簡単な常に結ってやった日ソし廿Jlll可叫利引 な 姿 、 一 人 の 女 の ひ と が 捲 く れ た 笥 叫 瑠 樹 を な は し て や る た め に 硯 剣 嘲 死 体 を 横 に す る と 、 樹 周 到 引 出 ハ ︹ 削 除 ︺ 矧d叫廿股のところから到量の水と共に↓四のl源五郎虫がもがきながら 出 て 来 た 。 ︹ ﹁ 乳 母 車 ﹂ で は 左 記 一 行 分 の 前 後 一 行 空 き 。 ﹁ 歪 な る 図 案 ﹂ で は 、 全 集 一 〇 七 貢 五 行 目 に 該 当 す る 箇 所 に 移 し 、 こ の 前 後 は 改 行 の み と す る 。 ︺ ∴ 。 ︺ ︹︵︺私は知ってゐる = なにもかも同線ごとなのだ。〇︺ 最後は、全集一〇七貢八行目から作品末尾まで、奇妙な ︵数学的推理︶ に ついて書かれた部分である。なお、この部分は、﹁乳母車﹂ では小活字で横 組。全行一字下がり。﹁盃なる図案﹂ ではアルファベットも含め全て並字で 縦組。﹁m=兄﹂ の行から ﹁a′>a p′>p﹂までの行が一字下がりで、この 一字下がり中では改行の字下げはしていない。ここでは、印刷の都合上、両 本文とも一部を除いて縦書きとし、文字の大きさも変えなかった。 神は箇人にa量の幸福とP量の不幸とを与へ ︵∋コ○ヨ.コ.〇′︶ のグルー P ︹ 大 文 字 。 ﹃ 文 学 界 ﹄ は 小 文 字 p と 誤 植 か ︺ プに対してはA︹量︺の幸福との︹量︺の不幸︻と︺を与へた。但し ▼1、 ▼l
∋ = 兄 ヨ ′ = 朽 一 郎 ⊃ = 私 コ ′ = 伊 作 ○ = 妹 O . = オ キ チ 然るに∋′コ.〇′は︹神の摂理と手ぬかりから︺ この世を不自然に去つ︹てしま つ ︺ た 故 ︹ 、 ︺ ︵ ヨ コ 0 ヨ ′ コ ′ ○ ′ ︶ − ︵ ヨ ′ コ ′ 0 ′ ︶ = ︵ ヨ コ 0 ︶ ︹ 追 い 込 み ︺ コ ン ス タ ン ト のA及びPは州引封叫である。しかもa及びPは神が創生した︹まひ して し︺ものにもか1はらず∵霊魂の数とその感受性とに反比飢劃馴功u︹、数理的確 ︹ 削 除 ︺ 実性を示しながら︺量を増して行く︹ものである︺。u加軸到れ咄痢んd醜 理的確実1を示すものである。 ︹ 削 除 ︺ ︹追い込み︺故に、︹/︺ ︵ヨコ0︶ の受ける幸不幸、即ち1a.及びp.は少 く と も ︹ 、 ︺ a ′ > a p . V p ︹/︺ これによって弘達︹兄妹三人︺ には莫大な不幸と幸福とがふリか ゝつて来てゐるのである。 以上四箇所が ﹁乳母車﹂本文に修正を加えて、﹁盃なる図案﹂ に生かされた と こ ろ で あ る 。 三、誤植および本文推移等 ﹁乳母車﹂ 中で誤植と思われるのは、 ﹁ 繭 袖 ﹂ ︵ ﹃ 文 学 界 ﹄ 四 頁 ・ 七 行 目 ︶ ﹃不同調﹄も同様に ﹁繭袖﹂ とあるが ︵八十六貢・上・九行目︶、 全集では﹃不同調﹄を誤植と見て ﹁薗紬﹂ と校訂︵一〇一頁・五行 目︶。なお、﹃文学界﹄七頁二十行目には ﹁繭紬﹂ とある ︵﹃不同 調﹄・全集では、この ﹃文学界﹄ 七頁二十行目を含む部分は削除さ れ て い る ︶ 。 ﹁ 送 り も の ﹂ ︵ ﹃ 文 学 界 ﹄ 五 頁 ・ 二 十 一 行 目 ︶ ﹁贈りもの﹂ とあるべきところ。﹃不同調﹄は ﹁贈り物﹂ ︵八十七 頁・下・四行目︶、全集では底本﹃不同調﹄ に従って ﹁贈り物﹂ ︵ 一 〇 三 頁 ・ 九 行 目 ︶ と す る 。 ﹁燕子花の菜が密生してゐることろ﹂ ︵﹃文学界﹄七百∵八行目︶ 末尾の ﹁ことろ﹂ が ﹁ところ﹂ とあるべきところ。﹃不同調﹄・全 集に該当部分はない。 ﹁ 押 し ま っ て ゐ た 。 ﹂ ︵ ﹃ 文 学 界 ﹄ 七 貢 二 一 十 一 行 目 ︶ ﹁押しまはつてゐた。﹂ とあるべきところ。﹃不同調﹄・全集に該当 部 分 は な い 。 ﹁ p ︹ 小 文 字 ︺ の 不 幸 ﹂ ︵ ﹃ 文 学 界 ﹄ 九 頁 ・ 五 行 目 ︶ 大文字で ﹁P﹂ とあるべきところ。﹃不同調﹄は ﹁P ︹大文字︺量 の不幸﹂ ︵九十頁・上・九行目︶、全集では ﹃不同調﹄ に従って ﹁P︹大文字︺量の不幸﹂ とする ︵全集一〇三頁・九行目︶。 以上である。﹁沿いて﹂ のり音便形を ﹁沿うて﹂ ではなく ﹁沿ふて﹂ と表記 したり、また、﹁云いたら﹂ がり音便化した場合の表記としては ﹁云うた ら﹂ とあるべきところを﹁云ふたら﹂等とするのは、今日の厳格な旧仮名遣 い意識で判断すれば、正格から外れた誤記・誤植の類と見え.る。しかし、こ 九頁
のウ音便の表記に関しては、他に類例のない表記ではなく、﹁歪なる図案﹂ でも ﹁沿ひて﹂ ﹁云ふたら﹂ とあり、また、﹁縫ふて﹂等の表記も見られる。 り音便のこうした表記は、当時の慣用と見るべきものであり、敢えて誤記・ 誤植と見る必要はないと思われる︵注2︶。 ﹃不同調﹄本文では、表現の細部に目配りした、著者自身の手によると推 定される改訂が随所に見られる。 例えば、﹃文学界﹄ の ﹁すでに、私の兄を乗せた時の乳母車は、伊作の兄 の朽一郎が押したのである﹂ が、﹃不同調﹄ では ﹁すでに私の兄を乗せた時 の乳母車は、朽一郎が押してゐたのである﹂ ︵全集一〇二貢十二行目∼十三 行目︶ と、﹁すでに﹂ と対応させて、叙述現在よりも遡った行為の完了を示 す表現に改められている。また、熟語としては馴染みにくい ﹁色彩鰻頭﹂ が ﹁色彩のある饅頭﹂ ︵全集一〇二頁十七行目︶ と改訂されている。 婚礼の日に伊作が私を乳母車に乗せて池を巡る場面でも、﹃文学界﹄ の ﹁休息することなしに﹂ が、﹃不同調﹄ では ﹁のろのろと、両も休息するこ となしに﹂ と伊作の緩慢な動作が強調されるように、細かな加筆ぶりを示し て い る 。 ﹁山と山との中にある﹂ のゴシック体部分 ﹁中﹂ を ﹁間﹂ と変更して、 ﹁山と山との間にある﹂ ︵全集一〇三頁十五行目に相当︶ と改訂。﹁中﹂ で も文意は通じるが、読み方を考えれば ﹁間﹂ の方が適切であるのは言うまで も な い 。 ﹁彼女も朽一郎と同じく山の中を走りまはる病気にか1つたので、﹂ を ﹁彼女も朽一郎と同じく山の中を走りまはる病気にか1つたのであって、﹂ と句末にゴシック体部分 ﹁あって﹂ を加筆 ︵全集一〇三貢十九行目に相当︶。 これは、直前に同様の表現が ﹁朽一郎は山の中を走りまはる病気にか1つた のであって、﹂ ︵全集一〇三貞十四行目に相当︶ とあるのに揃えたものと推 定 さ れ る 。 また、﹁神は箇人にa量の幸福とp量の不幸とを与へ ︵m n O m.n.〇′︶ の グループに対してはAの幸福とpの不幸を与へた。﹂ という﹃文学界﹄ の本 一〇頁 文に対して、異同で示したように、﹃不同調﹄本文ではアルファベットの大 文字小文字の整合化、助詞 ﹁と﹂ や ﹁量﹂ 字の附加といった細かな表現にま で目配りが行き渡っている ︵全集一〇七貢八行目∼九行目に相当︶。 表記統一、用字整序という面で例を挙げれば、以下のようなものがある。 ﹃文学界﹄ では、漢字仮名交じりの ﹁呉れる﹂ と仮名表記の ﹁くれる﹂ と が使われているが、必ずしも動詞・補助動詞の別に応じて使い分けられてい なかったのに対して、﹃不同調﹄ では、動詞は ﹁呉れる﹂ 表記に、補助動詞 は ﹁くれる﹂ 表記に、それぞれ統一されている。 ﹃文学界﹄ では ﹁往復﹂ の意味で、﹁行﹂ ﹁往﹂ 両字が使われていたが、 ﹃不同調﹄ では ﹁私﹂ と伊作との会話部分における四箇所の ﹁行﹂ 字を ﹁往﹂字に改めることで、﹁往復﹂ の意味での表記が ﹁往﹂字に統一された。 また、﹃文学界﹄ では漢字表記﹁様﹂ と仮名表記 ﹁やう﹂ とが入り交じっ ていた形式名詞的に用いられる語についても、漢字表記の二箇所 ︵全集では 一〇四頁三行目と一〇五貢九行目に相当︶ を仮名表記に改めることで、﹃不 同調﹄ では全て仮名表記 ﹁やう﹂ に統一されている。 こうした著者によると思われる細緻な改訂や、編輯者の手によるかとも思 われる表記・用字統一に比べると、校正の目を潜り抜けて誤植としてそのま ま残っている文選・植字段階のミスが目に立つ。 ﹁歪なる図案﹂ 本文の誤植と見えるのは次のようなところである。 ﹁ 繭 袖 ﹂ ︵ ﹃ 不 同 調 ﹄ 八 十 六 百 ∵ 上 ・ 九 行 目 ︶ ﹃文学界﹄ ︵四貢・七行目︶ の誤植を踏襲。全集では底本﹃不同 調﹄を誤植と見て﹁薗紬﹂と校訂︵一〇一頁・五行目︶。 ﹁ ぢ つ と し て は ゐ な ゐ い 、 ﹂ ︵ ﹃ 不 同 調 ﹄ 八 十 六 頁 ・ 下 ・ 一 行 目 ︶ 全集では底本﹃不同調﹄ の ﹁ぢつとしてはゐなゐい、﹂ のゴシック 体で示した ﹁ゐ﹂ を朽字と見て ﹁ぢつとしてはゐない、﹂ と校訂し たが ︵一〇一頁・十行目︶、﹃文学界﹄ のように ﹁ぢつとしてはゐ ないで、﹂ とするべきところか。 ﹁ 深 く 庭 に 残 っ た 、 ﹂ ︵ ﹃ 不 同 調 ﹄ 八 十 六 頁 ・ 下 ・ 十 三 行 目 ︶ 「「 ̄’▼−.トーr・、r.くt一ノ▼・
⋮ 全集では底本﹃不同調﹄に従ったが︵一〇二頁・四行目︶、﹃文学 界﹄のように﹁深く庭に残った。﹂ ︵四貞・十九行目︶ と句点で結 ぶ べ き と こ ろ か 。 ﹁まで毀れないのみでなく﹂ ︵﹃不同調﹄八十七頁・下・二行目︶ 全集では底本﹃不同調﹄の誤植と見て﹁まだ毀れないのみでなく﹂ と校訂︵一〇三貢・八行目︶。﹃文学界﹄は﹁まだ毀れないのみで なく﹂ ︵五頁二一十一行目︶ とある。 右以外、﹁誰も後に追いつくことは出来なかった。﹂ ︵全集一〇三貢十四行 目︶ のゴシック体﹁後﹂も誤植の可能性がある。この箇所は、先に示したよ うに﹃文学界﹄では﹁誰も彼に追いつくことは出来なかった。﹂とあった。 これでも文意が十分に通るので、全集校訂の際には底本﹃不同調﹄に従った。 言うまでもなく﹃不同調﹄掲載時に改訂された可能性もあるが、初出﹃文学 界﹄では﹁彼﹂とあり、﹃不同調﹄の﹁後﹂よりも文意は明瞭である。とす れば、﹃不同調﹄の﹁後﹂は、偏の共通する﹁彼﹂を誤植した可能性も否定 は で き な い 。 他作晶の初出本文と単行本収録本文等を見ても、表記統一等に井伏がどれ ほど関心を持っていたか疑わしい。表記・用字への配慮は、原稿整理段階に おける編輯者によるものだろうか。いずれにせよ、表現・表記・用字への周 到な目配りがなされているだけに、文選・植字・校正の粗さが目についてし まう。原稿整理に時間をかけたにもかかわらず、印刷・校正を相当に急いだ ところに原因があると見てよいだろう。 四、﹁急ぎたてる﹂ について これまで述べてきた誤植に関わるところではないが、﹃文学界﹄掲載﹁乳 母車﹂を参照する機会が得られた結果、全集の本文校訂を再検討しなければ ならない可能性を持つ字句が出てきた。全集一〇二頁十行目の﹁私が彼を急 きたてるために﹂ のゴシック体﹁き﹂の清濁である。単語レベルでいえば いそ ﹁ 急 ぎ た て る ﹂ こ の 箇 所 は 、 さ れ て い る が 、 せ とするべきか、﹁急きたてる﹂ とするべきかの問題である。 ﹃不同調﹄では﹁私が彼を急ぎたてるために﹂と濁音で表記 全集校訂の際には底本﹃不同調﹄の明らかな誤記・誤植とし て﹁私が彼を急ぎたてるために﹂を﹁私が彼を急きたてるために﹂と校訂し た。ところが、新資料の﹃文学界﹄本文でも、﹁私が彼を急ぎたてるため に﹂ と濁音﹁ぎ﹂ で表記されていたのである。 全集校訂の際に、﹁急ぎたてる﹂を底本﹃不同謝﹄の誤記・誤植として処 理したのは、以下のような理由による。 第一に、この部分と類似した場面がある﹁朽助のゐる谷間﹂に参照するべ き本文推移の例があること。﹁朽助のゐる谷間﹂初出では﹁急ぎたてる﹂と あったのが、初収録単行本以後﹁急きたてる﹂とされているのである。具体 的には以下のようなことである。初出﹃創作月刊﹄第二巻第三号昭和四年三 月号では﹁私が彼をあまり急ぎたてるためらしく﹂ ︵﹃創作月刊﹄三十七貢 十行目。ルビなし︶と濁音表記するのだが、総ルビの方針を採用する初収録 わ た し か れ 単行本﹃夜ふけと梅の花﹄︵新潮社、昭和五年四月︶ では﹁私が彼をあまり せ 急きたてるためらしく﹂ ︵単行本﹃夜ふけと梅の花﹄四貢十行目、全集第一 巻三二六頁八行目︶と清音表記に変更し、﹁せ﹂のルビが振られている∵ l 第二に、作品﹁夜ふけと梅の花﹂の本文推移においても、右の例と同じ処 ママ 理がされていること。﹃文芸都市﹄第一巻第二号昭和三年三月号掲載﹁夜更 と梅の花﹂には﹁急ぎたて1﹂ ︵﹃文芸都市﹄四十五貢十一行目。ルビな し︶とあるが、初収録単行本﹃夜ふけと梅の花﹄所収本文ではルビ附きで せ ﹁急きたてて﹂とされている︵単行本﹃夜ふけと梅の花﹄二一八頁十四行目、 全集第一巻四十頁四行目∼五行目︶。 い そ い そ せ 第三に、﹁急ぎたてる﹂の文語形﹁急ぎたつ﹂を立てる辞書類が︵急か いそ す︶ ︵急がせる︶という、他者に行為を促す︵他動詞︶ の意味を認めていな い こ と 。 以上三つの理由で全集では﹁急ぎたてる﹂を﹁急きたてる﹂と校訂したの だが、辞書類の記述について、以下にやや詳しく検討しておきたい。 一 一 頁
﹃日本国語大辞典﹄縮刷版︵第一刷昭和五十四年十月︶ や同第二版︵第四 刷 平 成 十 三 年 二 月 ︶ 、 ﹃ 新 潮 国 語 辞 典 摘 代 禦 第 二 版 ︵ 第 一 刷 平 成 七 年 十 一 月 ︶ 、 いそ ﹃広辞苑﹄第五版 ︵第一刷平成十年十一月︶ 等は文語 ﹁急ぎたつ﹂ ︵口語 ﹁急ぎたてる﹂ は掲出しない︶ を立項するのだが、いずれも、﹁準備・支度 に取りかかる﹂、あるいは、﹁急いで出発する﹂ という ︵自動詞︶ の語義し か 認 め て い な い 。 これらと違って、﹁乳母車﹂ や ﹁査なる図案﹂ の ﹁急ぎたてる﹂ という用 例に近似した語釈を与える辞書も存在しないわけではない。﹃大辞典﹄覆刻 版︵第十四刷昭和六十年六月、上巻二五一貫︶ と﹃鮒大日本国語辞典﹄新装 版︵第二十七刷昭和四十二年十二月、一〇〇頁︶ である。 ﹃大辞典﹄﹃大日本国語辞典﹄は、﹁いぞきたつ﹂ ︵﹁急ぎたてる﹂ は掲出 しない︶ に﹁事を早くす。せきたつ。﹂ という語釈を与えている︵﹁準備・ 支度に取りかかる﹂ あるいは ﹁急いで出発する﹂ という意味は認めていな い︶。両辞書は、そっくり同じ記述で、源氏物語東屋から﹁渦潮刷刃利鞘刊 いそぎたちて、人人さうぞくせさせ、しつらひなどよしよししうし給ふ﹂ と の例を引いて ﹁事を早くす。せきたつ。﹂ としている。しかし、この源氏物 語東屋の条は例えば﹃広辞苑﹄第五版や﹃新潮国語辞典﹄第二版が﹁したく をする﹂ の意の用例に引くところであって、﹁急ぎたつ﹂ の語義としては ﹃大辞典﹄﹃大日本国語辞典﹄は退けられるべきところだろう。 しかも、﹁事を早くす。せきたつ。﹂ との語釈を与えるこの二つの辞書は、 ﹁急ぎたつ﹂ を他者に行為を促す ︵他動詞︶ として認定しているのではない。 ﹃大日本国語辞典﹄ は、︵自動詞︶ ﹁急ぐ﹂ の下位見出の一つに ﹁急ぎた つ﹂を掲げ、﹁事を早くす。せきたつ。﹂ の語釈を附す。また、﹃大辞典﹄は 自他の区別を掲げないが、﹃大日本国語辞典﹄と全く同じ語釈・実例を掲げ ているのは先に述べたとおりである。この二つの辞書が引く用例は ﹁北方は 人知れずいそぎたちて﹂ とあるように、﹁北方﹂自身の行為に関わって言う ものであって、﹁他者に行為を促す﹂ 語とは解しがたい。つまり、先に掲げ た﹃日本国語大辞典﹄ 以下と同じように、﹃大辞典﹄﹃大日本国語辞典﹄ の † 二 頁 両辞書は、﹁急ぎたつ﹂ に ︵他動詞︶ としての意味を認めていないとしてよ い だ ろ う 。 新編﹃大言海﹄ ︵第十二刷平成六年十月︶、明法堂版復刻﹃日本大辞書﹄ ︵昭和五十三年六月︶、大増訂﹃ことはの泉﹄縮刷︵第一版︹刷︺大正三年 二月︶等は、そもそも ﹁急ぎたつ﹂ ︵もちろん ﹁急ぎたてる﹂ も︶ という語 そのものを掲出していない。全集で採用した﹁急きたてる﹂ に関連する項目 せ を、この三点の辞書で検索してみれば、三点ともに、﹁急く﹂ に ︵自動詞︶ せ と ︵他動詞︶ を立て、その複合動詞﹁急きたつ﹂ にも、それに対応して ︵自 せ せ 動詞︶ と ︵他動詞︶ とを立てている。そして ﹁急きたてる﹂ を、他動詞﹁急 せ きたつ﹂ の ﹁口語﹂ ﹁近体﹂ ﹁俗﹂等とするのである ︵なお、﹁急きたてる﹂ は ︵他動詞︶ だけで ︵自動詞︶ は認めない︶。 ﹃岩波国語辞典﹄第六版 ︵第一刷平成十二年十二月︶ は ︵接尾語︶ ﹁たて る﹂ を掲出し、﹁︽動詞連用形を受けて、下↓段活用の複合動詞を作る︾表 現を強めるために添える語。﹁せめ − ﹂ ﹁わめき ー ﹂﹂ と説明する。これ を敷槽すれば、﹁急ぐ﹂ の連用形 ﹁急ぎ﹂ に ︵接尾語︶ ﹁たてる﹂ を加えて 複合動詞化した ﹁急ぎたてる﹂ も、﹁急ぐ﹂ に他者に行為を促す ︵他動詞︶ の意味がなければ、︵他動詞︶ の意味を持たないことになる。あるいは、次 のように言い換えてもよい。﹁たてる﹂ は自動詞・他動詞の双方に下接する ことが可能であり、また、﹁たてる﹂が下接した複合語は、上接語の自動詞 ・他動詞の区別をそのまま継承する、と。 せ これまで掲げてきた辞書は全て、他者に行為を促す他動詞として ﹁急く﹂ せ せ ﹁急きたつ﹂ ﹁急きたてる﹂ を掲出していることは言うまでもない。そして、 いそ ﹁乳母車﹂ ﹁歪なる図案﹂ 等に見える ﹁急ぎたてる﹂ とい.う語を認めていな いそ い。本文推移とこれらの検証によって、全集本文校訂の際には、﹁急ぎたて る﹂ を﹃不同調﹄本文の明らかな誤記・誤植と判断したのであった。 多くの辞書が右のような状況なのだが、親見出 ﹁いそぎ﹂ の下に ﹁いそぎ たてる﹂ を立項する、戦前の二つの辞書がある。﹃広辞林﹄新訂版︵新訂二 〇〇版 ︹刷︺ 昭和九年三月二十日︶ ︵注3︶と﹃辞苑﹄ ︵昭和十年二月五日初
. 版発行、昭和十三年四月廿六日一八二版︹刷︺︶ である。﹃広辞林﹄新訂版 の八十頁には次のようにある。 いそぎ[急]︵名︶圃いそぐこと。せくこと。圃準備。支度。−・あし [急足] ︵名︶ 足をはやめてあるくこと。はやあし。−・たつ [急 立]競㍉い.っる︵他、た下二︶ しばしばいそがす。せきたつ。−√たて る[急立] ︵他︶ ﹁いそぎたつ﹂の粥。1・もの[急物]︵名︶急速に 製 作 し 又 は 施 行 す べ 、 き も の 。 ︹ 波 線 、 前 田 。 以 下 同 様 ︺ ﹁しばしばいそがす﹂との語釈は文意がとりがたいが、次に引く﹃辞苑﹄を 参照すれば、﹁急がす﹂ ことを重ねる意だろうか。﹁急ぎたてる﹂ を立てる もう一つの辞書﹃辞苑﹄九十五貢には、 いそぎ[急]︵名︶囲いそぐこと。 ・あし [急足] ︵名︶ はやあし。 ︵ 誓 誓 ㌢ ︶ [ 急 ぎ 立 つ ] ︵ 他 動 、 る 。 I ・ た ・ て る ︷ 競 ㍉ 弓 . て る . ︸ そぎたつ﹂の面魂。︹以下略︺ せくこと。固用意。支度︵古語︶− いそいであるくこと。−・た・つ ママ タ四︶ せき立てる。幾度もせきたて [急ぎ立てる] ︵他動、夕下一︶ ﹁い とある。﹃辞苑﹄が ﹁急ぎたつ﹂ を他動詞と記述しながら、その活用の種類 を四段活用とするのは面妖である。四段動詞﹁たつ﹂は自軌詞で、その他動 詞形は、﹃広辞林﹄新訂版が記述するように下二段活用であるはずである。 それは措くとして、波線を附したように、この二つの辞書は、﹁いそぎたて る﹂ を ﹁いそぎたつ﹂ の ﹁靴﹂ あるいは﹁口語﹂ としている。これから見る と、﹁急ぎたてる﹂ を編纂時に通用している語として認定したらしい。︵他 動詞︶ と称しても、それが ︵こと︶ ︵もの︶ を目的語とするのか、あるいは、 ︵ひと︶ を目的語とするのか明瞭でないところもあるが、語釈に ﹁せきたて る﹂ を宛てているところからすると、︵ひと︶=他者に行為を促すそれと認 定しているようだ。 大正末期から昭和初年代にかけて国語辞典の定番的な役割を果たした﹃広 辞林﹄や、昭和期に入ってその位置を奪った﹃辞苑﹄が持った影響力と ︵権 威︶ は認めざるを得ないだろう。﹃文学界﹄﹃不同調﹄ の二種の雑誌掲載時 点で ﹁急ぎたてる﹂ と表記され、他の井伏作品では﹃創作月刊﹄﹃文芸都 市﹄においても使用例がある。これに右の二つの辞書の記述を重ねると、こ の ﹁急ぎたてる﹂ を ﹁急きたてる﹂ と校訂したことについては再考の要があ るようにも思われるのである。 もちろん、披見した﹃広辞林﹄新訂版 ︵その元版も︶、﹃辞苑﹄は、実は ﹁乳母車﹂執筆時にはまだ出現していない辞書である。仮に辞書によって へ権威︶ 化されたとしても、辞書そのものをまだ参照できない時期の執筆作 品の用語を、後年になって刊行された辞書の記述によって保障することは本 末転倒しているからだ。このような言い方をするのは、大正末年頃の実際の 用例から帰納されて﹁急ぎたてる﹂ という語がこれら二つの辞書に登載され ているのか否か − すなわちこの二つの辞書が当時の言語実態を反映してい るか否かに不安が残るからである。語釈中の ﹁靴﹂ とか ﹁口語﹂ とかの表現 は∵現に通用しているということを言外に指示しているのだが⋮⋮ そもそも、﹃広辞林﹄新訂版、﹃辞苑﹄ の両辞書は、その適否を検証する ことができるような典拠や実例を挙げていない。しかも、この二′っの辞書を 例外として他の複数の辞書が ﹁急ぎたつ﹂ に他者に行為を促す︵他動詞︶ の 語義を与えていない。﹃広辞林﹄新訂版、﹃辞苑﹄が与えた他者に行為を促 す︵他動詞︶ としての語義に些かの疑問なしとはできないのだ。 先に述べたように﹃岩波国語辞典﹄ の説明に従えば、﹁急ぎたつ﹂を他者 に行為を促す ︵他動詞︶ として認定するためには、﹁急ぐ﹂ に ︵他動詞﹀ の 意味が必要になる。なるほど、﹃広辞林﹄新訂版、﹃辞苑﹄ ともに、︵自動 詞︶ ﹁急ぐ﹂ とは別に、︵他動詞︶ ﹁急ぐ﹂ を立項している。﹃ことはの泉﹄ も同様である。﹃ことはの泉﹄は次のように記している。 いそぐ章 急。①事を早くせむとする。せく。せまる。はやる。源 ﹁おのづからいそぐ事なきほどに、おなじ心なる文、かよはしなど も﹂②はやあLにあゆむ。とくあるく。 いそぐ激遭 急。事を早くせむことをもとむ。うながす。さいそくす。 ﹃広辞林﹄新訂版も、次のように ﹁急ぐ﹂ に ︵自動詞︶ と ︵他動詞︶ を立 一三頁
て て い る 。 いそ・ぐ望前車[急]︵白、鮮四︶園速かに行ふ。急に行く。せく。固支 度す。急がば廻れ︵句︶急ぎて行くときは、危険がちなるちか途に由 るよりも、安心なるとは途に就くべきをいふ。︹割書中の命令形活用 語尾を示す清音﹁け﹂は原文のまま︺ ママ い そ ・ ぐ 誓 堅 牢 [ 急 ] ︵ 他 、 か 四 ︶ い そ が し む 。 せ く 。 ﹃ 辞 苑 ﹄ も 次 の よ う 記 し て い る 。 いそlぐ︵誓璧牢〓急ぐ]︵自動、ガ四︶圃事を早くする。早足である く。せく。圃準備する。支度する。 いそ−ぐ軍曹丞〓急ぐ=他動、ガ四︶いそがせる。催促する。,一商 魂当急がば廻れ︵句︶急ぐときには、危険な近道よりも、安全な本道 を 廻 れ 。 ﹃辞苑﹄の﹁急がば廻れ﹂は︵他動詞︶ ではなく︵自動詞︶ の項に挙げるべ き成句であるようにも思われる。それはともあれ、﹃広辞林﹄新訂版と﹃辞 苑﹄の二点は、他動詞﹁急ぐ﹂と、それに接尾語﹁たつ﹂が下接した他動詞 ﹁急ぎたつ﹂を認定し、その上で﹁急ぎたつ﹂の口語﹁急ぎたてる﹂を掲出 するというように、それなりの一貫性があるのだが、﹁急ぎたてる﹂につい ては、私は疑問を拭いきれない。 辞書に登載されていなことを理由に、ある語を誤植・誤記として退けるの あげつら は早計の誹りを免れまい。ましてや、辞書を論って多数決に従うのは愚の骨 頂であろう。見坊豪紀が言うように︵注4︶、全ての語が辞書に載せられるわ けではない。ある特定の語を辞書に掲載するか否かは、突き詰めると辞書編 纂者の語感の問題となってしまうところがあるのだ。このような事情は本文 校訂の最終的基準が校訂者の語感の問題だというところと通じているが、そ の陸路を抜けるために、見坊は現代語の用例収集を営々と続けたと思われる。 いそ 同様に、この ﹁急ぎたてる﹂ の問題に関しても、作品発表当時の用例を求め い そ せ ることが必要だが、少なくとも﹁急ぎたてる﹂ ではなくて﹁急きたてる﹂と いう語が一般に通用している以上、私は、辞書の記述そのものに対する疑問 一四頁 を 抱 か ざ る を 得 な い 。 ルビがない場合、﹁急きたてる﹂ ﹁急ぎたてる﹂ との単語を区別できるの は、送りがなの清濁だけである。しかも、辞書類が用例を得た古語では濁点 を附さな事場合が通例だろう。例えば﹃辞苑﹄が他動詞﹁急ぐ﹂を古語とし せ ている点から想像を達しくすれば、古語の実例で ﹁急く﹂ と書かれて ﹁急 いそ く﹂と読むべきところを、﹁急ぐ﹂と誤読した可能性を示しているようにも 思 わ れ る の だ 。 ﹁急ぎたつ﹂ でも同様の現象が想定される。まず、根拠とした用例が﹁急 せ い そ きたつ﹂ と表記されていて、﹁急きたつ﹂ と読むべきところを、﹁急ぎた いそ つ﹂と濁音に読んで﹁急ぎたつ﹂という請を前後の文脈から︵他動詞︶ とし い そ い そ て認定する。次に、文語﹁急ぎたつ﹂に対応する形で口語﹁急ぎたてる﹂を 追加したと見るのは些か穏当を欠くだろうか。 これまで ﹁急ぐ﹂を中心に問題にしたが、もう一つの観点からの検討も必 要かも知れない。接尾語﹁たてる﹂ の方だ。﹁たてる﹂ は単独の動詞として 見た場合、四段動詞﹁たつ﹂の︵他動詞形︶ である。その︵他動詞形︶ の機 能に引っ張られて、﹁急ぎたてる﹂を︵他動詞︶的に使う可能性が想定し得 る。先に引いた﹃岩波国語辞典﹄ の説明とは矛盾するが、︵他動詞︶ として 使用される可能性がこの動詞﹁たてる﹂の方から想定できなくもない。ただ、 この点の可能性を検討する能力は私にはない。また、この観点からしても、 現時点で調査の具となるべき国語辞書の状況は以上に述べてきたとおりであ る。 いそ 最大の問題は、﹁急ぎたてる﹂を立項する辞書が典拠や実例を示していな いところにある。典拠や実例の検討できないところでは、その適否を判断す ることに慎重でなければなるまい。大正期から昭和期における︵他動詞︶ と いそ しての﹁急ぎたてる﹂ の用例がない限り、﹃広辞林﹄新訂版や﹃辞苑﹄に従 うのは、安易に過ぎるように思われるのである︵注5︶。 いそ 辞書類の問題はこれくらいにしても、井伏が﹁急ぎたてる﹂をそれと意識 いそ して使っていたとすれば、この場合は、誤植ではなく.、﹁急ぎたてる﹂ の実 ⋮
パ せ 例と認定する必要があるだろう。その場合の問題は、後の単行本等で、﹁急 きたてる﹂ と改めていることである。 井伏の語意識の変化と見るべきか、あるいは、単なる誤植の訂正と見るべ きか。初収録単行本段階で改訂されている以上、初収録単行本本文に倣うべ きだという立場もある。井伏の場合、初出誌紙における方言的要素の残存や、 使い癖と見られる表現を、後の単行本で改める例がある。しかし、それらの 中には他の作家に用例があったり、西日本方言の使用者が共通語として認識 して使った語もある︵注6︶。その観点からは、初出誌紙の例を悉く誤記・誤 植として退けるのは適切ではない。だから、全集の本文校訂においては、雑 誌掲載の初出本文を底本とした時には、初出雑誌掲載時点の用語・表記意識 に従うべきだとの判断をしてきたのである。 いそ 悩ましい問題であるが、﹁急ぎたてる﹂ の同時代の用例の調査を含めて、 この点については、さらに調査・検討を重ねてみたい。 いなげ 校訂問題ではないが、本文中に ﹁歪な﹂ とあることを根拠に、全集解題で いなげ は﹁歪なる図案﹂ の読みの可能性を提示した。作品本文中に示された読み方 が、そのまま榎題の読みにまで及ぼせるとは限らないのは、谷崎潤一郎の ﹁刺青﹂を挙げるまでもないだろう。本文中においては、文脈に従った特殊 な読み方がなされていても、標題は広く一般的な読みに従うということもあ いぴつ り得る。だから、井伏年譜類の記述に始まる﹁歪なる図案﹂という読み方も い ぴ つ 一概には否定できない。しかし、年譜類が﹁盃な図案﹂、と記載していたこと からも判るように、自伝﹁難肋集﹂ という二次資料を根拠にして、﹁歪な﹂ という形容動詞の常識的な読み方を推定して採用したものであり、作品本文 を確認した上で提示したものではない。その点、十分な検討を経たとは言え いなげ ない。﹁盃なる図案﹂ という読み方に決定したいというのではないが、本文 中のルビを無視することも穏当を欠くように思う。 このルビに関して、﹃不同調﹄掲載﹁盃なる図案﹂ と同様に、﹃文学界﹄ いなげ 掲載﹁乳母車﹂ でも、私と伊作との対話中に﹁歪なことを言はずに、早う行 きし戻りしゝてくれと云ふたら﹂ とあることを附言しておきたい。なお、 ﹃文学界﹄﹃不同調﹄ともに、これが作中唯一のルビである。 五、﹁乳母車﹂ から ﹁査なる図案﹂ へ ﹁乳母車﹂ は ﹁歪なる図案﹂ に書き換えられたばかりではなく、﹁用不機 嫌な夕方︵一幕︶﹂ ︵﹃雄邦日本﹄第二巻第五号、昭和三年五月︶二不機嫌な夕 方 − 芝居みたいな童話﹂ ︵﹃蝋人形﹄第二巻第六号、昭和六年六月︶ では 戯曲仕立てに改稿されている。同じ素材が ﹁自叙伝﹂ ︵﹃早稲田文学﹄第三 巻第五号∼十二号、昭和十一年五月∼十二月。のち ﹁難肋集﹂ と改題︶ でも 自伝的事実として振り返られているのは周知のことだろう。 作中の断片的部分に至っても、﹁朽助のゐる谷間﹂ ︵﹃創作月刊﹄第二巻第 三号、昭和四年三月︶、﹁川﹂連作︵﹃文芸春秋﹄第九年第九号はか、昭和六 年九月∼昭和七年一月︶、随筆﹁田園記﹂ ︵﹃作品﹄第二巻第三号、昭和六年 三月︶等に ﹁乳母車﹂ に類似した場面・挿話を見出すことができる。このよ うに ﹁乳母車﹂ で取り上げられた素材が他の井伏作品にも登場している事実 は、それらが、井伏の記憶の基層部から呼び起こされたものであることを意 味 し て い よ う 。 しかし、問題は、﹁乳母車﹂ が井伏の自伝的素材を取り込んでいることに あるのではない。その内容が、村落共同体の内に生きる人々の行動様式や生 活意識をそっくり取り込んだものであり、さらには、それが、現在の ﹁私﹂ とどのように繋がり、﹁私﹂ を規定しているのかを問うベクトルを持ってい ることである。︵都会︶ から ︵田舎︶ への回帰、あるいは、八田舎人︶ の発 見が始発期の井伏文学を決定的に方向づけたものであったとすれば、この ﹁乳母車﹂が井伏作品史に持つ意義も、その点から考察されなければならな い。すなわち、もし、この ﹁乳母車﹂執筆時点において、村落共同体の内に 生きる人々の行動様式や生活意識が幼少年時代の懐かしい思い出として郷愁 の内に封印されているのではなく、井伏の ︵現在︶ を相対化するものである と見なしていたとすれば、昭和四年頃と言われてきた井伏の ︵田舎人の世 一五頁
界︶ の発見の時期を︵注7︶、この ﹁乳母車﹂ の時点にまで遡らせる必要が出 て く る か ら だ 。 問題視角の提示はこれくらいにして、﹁乳母車﹂ という作品そのものの分 析に取りかかることにしよう。 作品﹁乳母車﹂ は、大きく前半部と後半部とに分けることができる。すな わち、﹁私﹂ の幼少年時代に作品の舞台と時間軸を置いて ﹁二十幾年﹂ 前の ことを語る前半部と、それから ﹁二十幾年﹂ を経て、﹁私﹂ が ﹁再び故郷の 私の庭に、昔通りの黄色い幌や繭紬のクッションを持った乳母車を発見しな ければならなかった﹂ ことを語る後半部である。 前半部においては、初出誌で冒頭から十行余のわずかな語りの進行中に、 地方的色合いが色濃く立ちこめ、そこが ︵現実︶ の領域とは隔てられた別の 時空間のように映ってくる。﹁乳母車﹂ の最も早い評言に童話的様相が濃い との指摘があるのも︵注8︶、現実的要件を捨象したところに ﹁乳母車﹂ 前半 部が成立している点に目を向けたからであろうと思われる。 この点を具体的に述べれば、﹁私﹂ の幼少年時代を回想する前半部におい て、第一に、その回想形式によって時間的隔たりが ︵回想する現在の ﹁私﹂︶ と ︵回想される幼少年時代の ﹁私﹂ の体験︶ との間に配されている こと、第二に、そこでは、語り手の語りに ︵回想する現在の ﹁私﹂︶ からの 介入が極めて少なく、ほとんどの叙述が幼少年時代の ﹁私﹂ の意識と身体を 媒介としていること、第三に、方言を巧みに利用することによって、都市/ 田舎の対立が、もう一つの近代 ︵現在︶ /前近代 ︵過去︶ の対立に重ねられ て、︵現在︶ の ︵現実︶ から遮断されたかのような別の世界が出現すること − こうした語りの特質、舞台設定や台詞廻しによって、﹁乳母車﹂ 前半部 で語られる伊作以下の作中人物たちが暮らす世界は無類のリアリティーを獲 得しているようだ。特に第二の点が大きく作用しているのであって、︵回想 する現在の ﹁私﹂︶ の意識・判断による介入が退けられるために、そこに登 場する幼い ﹁私﹂ の目には、村人たちの行動様式と生活意識とが唯一の原理 であり、ほとんど疑いを差し挟む余地のないものであるかのように体感され 一六貢 納得されるのである。 一箇所だけ引用してみよう。 そして私は来年から学校へあがることについて語った。彼は塀に沿ふて 押す時と同じやうなことを語った。 − 三リンボとは生温い風のことで、 さういふ風の中には、邪神が懐手をして新築家屋を倒壊するのと同一の 要素が在るとか、彼は虻の影が水にうつつてゐるのを見たことがあると か、彼は一生懸命に働いて金満家になりたいとか ー 相変らず物もらひ を 出 し た 目 を し て 、 剖 − 1 刊 川 利 喝 瑚 剥 引 感 詞 苛 l 可 割 判 判 た l q で 劉 剥 。 け れ ど彼は、それ等のことを早口でなく静かに語ったので、また彼の目は老 人 の 目 の や う に 赤 く た ゞ れ て ゐ た の で 、 側 習 旦 嘲 劉 q 叫 喝 日 周 忠 へ な か っ た . 傍線部の ﹁さういふ嘘ばかり餞舌つてきかせたのである﹂ との判断は、この 場面を振り返る ﹁私﹂ の ︵現在︶ から反省的に下されたものだ。ところが、 次の傍線部﹁彼の餞舌ることは全くの嘘とは恩へなかった﹂ は、回想されて いる過去の ﹁私﹂、すなわち、伊作が押す乳母車に乗せられた当時の ﹁私﹂ の判断である。作品前半部においても ︵回想する現在の ﹁私﹂︶ の姿が、例 えば右のような箇所にわずかに垣間見えないわけではない。が、それは ︵回 想されている過去の ﹁私﹂︶ の叙述を補完する文脈に限定されている。l作品 全体を統御下に置く ﹁私﹂ の語りは、同じ ﹁私﹂ が語ることで一様に見える のだが、︵回想されている過去の ﹁私﹂︶ の判断 ︵しかも、それは紛い ﹁私﹂ の判断だ︶ が叙述の表層のほとんどを覆い、︵回想する現在の ﹁私﹂︶ の判断がその深層に潜められているところに作品前半部の最大の特 徴 が あ . る 。 そして、回想︵回想の持つ臆化機能︶ と夕景︵前半部で具体的に綴られた 場面は、あたかも夕暮れ時の薄暮に覆われているようだ︶ のヴェールに包ま れた場面から構成される世界が、そのような絶対性を帯びたものとして提示 さ れ て く る の だ 。 ここでは、朽一郎・伊作・オタツの死⋮⋮そして、近所の人たちや伊作た 「 ̄「 ̄1−−・r[IIナ・・・